【謙虚堅実】朝霧様を見守るスレ【孤高の王子様】 作:麗華様親衛隊
僕には七歳年下の妹がいる。
妹の観察を始めて、一年がたった。
記録のノートは、三冊目に入った。
妹は、初等科の二年生になった。
相変わらず、僕を見ると嬉しそうに駆けてくるし、ソファでは僕の隣に座る。相変わらず、ときどき、とてもおかしなことをする。
今年の観察記録から、いくつか書いておく。
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【妹とプリン】
最近、妹に新しい特徴がひとつ増えた。
デザートにプリンが出ると、まず黙ってプリンを見つめる。それから、ものすごく真剣な顔で、ひとさじずつ食べる。食べ終わると、空になったお皿に向かって、小さく「勝ちましたわ」とつぶやく。
誰と戦っているんだ、妹。
相手は、だいたい分かっている。
朝霧凪くん。妹のクラスメイトで、僕の同級生の、朝霧さんの弟だ。去年の春、給食の最後のプリンをめぐって、妹とにらみ合った男の子らしい。妹に言わせると、相手はプリンに手を伸ばしたまま寝てしまったので、勝負はついていないそうだ。
その朝霧くんが、どうやら妹のことを、プリンのライバルだと思っているらしい。
先日の夕食で、妹は、それはもう怒っていた。
「聞いてくださいませ、お兄様! 朝霧くんが、サロンで、皆様の前で、わたしのことを『ライバル』だなんて言いましたの! しかも『プリンの人』ですのよ!」
「プリンの人」
「笑いごとではありませんわ!」
笑っていない。少し、口の端が上がっただけだ。
「そのせいで、鏑木様が、わたしのところへいらして……」
妹は、そこで急に口ごもった。
「鏑木くんが?」
「……い、いいえ。なんでもありませんわ。ちょっとお話ししただけです。おほほ」
えくぼが、ピクピク動いていた。
妹は、何かを笑ってごまかそうとするとき、えくぼがピクピク動く。本人は、まったく気づいていない。もちろん、教えてあげるつもりもない。
妹は、なぜか昔から、鏑木くんの話になると挙動がおかしくなる。
「朝霧くんのことは、どう思っているの?」
「何とも思っていませんわ。ただの、変な子です」
えくぼは、ぴくりとも動かなかった。
本当に、何とも思っていないらしい。
朝霧くん、少しかわいそうだ。ライバルだと思っている相手に、ここまできっぱり「変な子」と言われるとは。
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【小鳥の修行】
「お兄様。わたし、今日から、小鳥のように少しだけいただくことにしましたの」
先週の夕食で、妹は、そう宣言した。
聞けば、春のお茶会で会った朝霧さんに、すっかり憧れてしまったらしい。朝霧さんは、お菓子をたくさんはいただかないそうなので、自分も見習って、おしとやかなレディになるのだ、と。
僕は、紅茶を飲んで、何も言わなかった。
言いたいことは、たくさんあった。
一日目。妹は、お皿の料理を半分残した。母は「まあ、麗華さん、どこか具合でも悪いの?」と心配し、妹は「レディのたしなみですわ」と胸を張った。
二日目。妹は、また半分残した。
娘が二日続けて夕食を残したので、父が、かかりつけの先生を呼んだ。朝霧グループの病院の先生だった。朝霧さんの家の病院だ。
先生は、妹の脈をとり、喉をのぞき、お腹に聴診器を当てた。
それから、とても言いにくそうに言った。
「……どこも、お悪いところはございません。強いて申し上げるなら……空腹かと」
「空腹!?」
母が叫んだ。
「レディは、空腹など感じませんわ」
妹が、すまして言った。
その瞬間、妹のお腹が、ぐうう、と鳴った。
聴診器を当てたままだった先生は、びくっと耳を押さえた。
三日目の夜。
喉が渇いて、水を取りに台所へ行った。
台所の明かりが、少しだけついていた。
そっとのぞくと、冷蔵庫の扉が開いていて、その前に、小さな影がしゃがみこんでいた。
妹だった。
パジャマ姿で、冷蔵庫の明かりに照らされながら、明日のデザートのはずのプリンを、スプーンですくって食べていた。
「……小鳥は、夜はたくさん食べるものですわ……」
ブツブツ言いながら、二つ目のプリンに手を伸ばしていた。
小鳥は、冷蔵庫を開けない。
僕は、そっと台所を離れた。
次の日の朝、プリンが二つ足りないと、お手伝いさんが首をかしげていた。妹は、朝ごはんをおかわりしていた。
小鳥の修行は、三日で終わった。
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【妹のライバル】
その朝霧くんに、先日、初等科で会った。
母に頼まれて、妹の忘れ物を届けに行った帰りだった。中庭の大きな木の下のベンチに、紺のブレザーの男の子が座っていた。
背筋を伸ばして、目を伏せて、ぴくりとも動かない。木もれびが、その顔にちらちらと落ちていた。
少し離れた植えこみのかげでは、初等科の女の子たちが十人ほど、息をひそめて、その子を見つめていた。何人かは、両手を胸の前で組んでいた。
なんだろう、あれは。
近づこうとすると、植えこみのかげから、小さな女の子が一人、すっと出てきて、僕の前に立ちふさがった。
「お静かに。朝霧様は、ただいま、ご瞑想中です」
「……ごめんね」
僕は、小声で謝った。七歳の女の子に注意される中学三年生は、なかなかいないと思う。
そっと近づくと、男の子の隣には、髪をきちんと結った女の子が座って、本を読んでいた。女の子は、僕に気づくと、本を閉じて、とてもきれいにおじぎをした。
「こんにちは。吉祥院さんのお兄様ですね。日向柚葉と申します」
「こんにちは。そちらは、朝霧くんかな。瞑想中だって聞いたけれど」
「いいえ。凪は、寝ています」
寝ていたのか。
植えこみのかげの女の子たちは、どう見ても、何か尊いものを拝んでいる顔だった。
「凪、起きてください。吉祥院さんのお兄様です」
朝霧くんは、ゆっくりと目を開けた。それから、僕の顔を、ぼんやりと見上げた。
「……プリンの、ひとの、おにいさん」
「凪」
日向さんが、静かに言った。とても静かなのに、少し怖かった。
「うん、プリンの人のお兄さんだよ。妹が、いつもお世話になっているね」
「……ん」
朝霧くんは、こくんとうなずいた。
「……らいばる、だから」
それだけ言うと、朝霧くんは、また目を閉じた。
植えこみのかげから、「ライバルを、お認めになったわ……」「なんて潔いの……」という、ひそひそ声が聞こえた。
日向さんが、「申し訳ありません」と、もう一度おじぎをした。この子は、たぶん、毎日これを言っている。
帰りの車の中で、僕は、少しだけ笑った。
朝霧くんは、お姉さんによく似ている。外から見えている姿と、中身が、たぶん、まったく違うところが。
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【朝霧さんのお弁当】
ところで、今年のノートには、妹のほかに、もう一人の記録がある。
同級生の、朝霧椿さんだ。
朝霧さんは、初等科のころから、学年でいちばんおしとやかな女の子として通っている。いつも上品に微笑んでいて、言葉づかいもきれいで、声を荒らげたところは見たことがない。お昼のお弁当は、手のひらにのるくらいの小さなお弁当箱で、クラスの女子からは「小鳥のお弁当」と呼ばれている。
妹が憧れるのも、まあ、分かる。
ただ、あんなに小さなお弁当なのに、朝霧さんのお腹は、午後の授業で一度も鳴ったことがない。
僕の仮説は、こうだ。
仮説一。朝霧さんは、本当に小食である。
これは、すぐに消えた。
去年のサマーパーティーで、弟くんが持っていた山盛りのお皿は、「全部、弟の分」だと聞いた。でも、弟くんがダンスをしているあいだに、そのお皿は、朝霧さんの手の中で空っぽになっていた。そのあと朝霧さんは、新しいお皿に、ケーキを四つ乗せていた。
去年の運動会では、朝霧さんは、ずいぶん低く日傘を差していた。日傘の陰から、おにぎりを持った手が、何度も出たり入ったりしていた。
そして、今年の春のお茶会。
朝霧さんの弟くんは、給仕の人に、おかわりを四回頼んだ。でも、弟くんが自分で食べたのは、二つだけだった。「こほん」という咳払いのたびに、テーブルの下で、お皿が朝霧さんのほうへ動いた。
朝霧さんの席には、もともと一つ、タルトがあった。
だから、朝霧さんが食べたタルトは、全部で五つ。
数えていた。
仮説二。朝霧さんは、弟くんと胃袋がつながっている。
同じテーブルにいた妹は、弟くんのお腹を見つめて、「このお腹、どこか別の場所につながっているのかしら」と言っていた。
半分、正解だと思う。
つながっている先は、隣の席だ。
結論は、まだ出ていない。
確かめるつもりはない。誰かに言うつもりもない。
もったいないから。
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【伊万里の意見】
「最近、お前、椿のほうばっかり見てるな」
昼休み、伊万里が、僕の机に腰をかけて言った。
伊万里とは、初等科からの付き合いだ。朝霧さんとも、伊万里は小さいころからの知り合いらしい。
「観察だよ」
「観察?」
「朝霧さんは、妹に似ているんだ」
伊万里は、少しのあいだ、きょとんとした。それから、窓際の席で、小鳥のお弁当のふたを上品に開けている朝霧さんを見て、もう一度、僕を見た。
そして、肩を震わせて笑い出した。
「……ああ、なるほどな。似てるわ、確かに」
「だろう?」
「お前、それ、絶対に本人に言うなよ」
伊万里は、何かを知っている顔をしていた。伊万里は、朝霧さんのことで、ときどき、こういう顔をする。何を知っているのか、聞いても教えてくれない。
そのとき、ちょうど、朝霧さんが、僕たちの机のそばを通りかかった。
「吉祥院くん」
「なにかな、朝霧さん」
「最近、よく、こちらをご覧になっているようだけれど。何か、ご用かしら」
朝霧さんは、いつもの上品な笑顔だった。
伊万里が、ぶふっ、と吹き出しかけて、あわてて口を押さえた。
「ああ、ごめんね。朝霧さんは、僕の妹に似ているなと思って」
「……まあ。麗華ちゃんに?」
朝霧さんは、にっこり笑ったまま、首をかしげた。
「どこが、かしら」
笑顔は、少しも崩れなかった。
でも、右の眉が、ほんの少しだけ、ぴくりと動いた。
妹のえくぼと、同じ動き方だった。
「全体的に、かな」
「そう。光栄だわ。麗華ちゃんは、とても素直で、かわいらしいもの」
「うん。とても素直で、かわいらしいよ」
「…………」
朝霧さんは、それきり何も言わずに、上品な足取りで自分の席へ戻っていった。
席に着くと、小鳥のお弁当を、ものすごい速さで、でも上品に、あっというまに食べ終えていた。
伊万里は、机に突っ伏して笑っていた。
「お前、ほんっと性格悪いな」
「何のことかな」
「冬には内部受験だぞ。椿を怒らせて、勉強どころじゃなくなっても知らねえぞ」
「大丈夫だよ」
受験なら、心配していない。
心配なのは、来年のバレンタインだ。妹の手作りチョコをどうやって回避するか、まだ何も思いついていない。
ちなみに、その日の五時間目。
朝霧さんのお腹が、初めて、小さく、くう、と鳴った。
怒ると、お腹がすくらしい。
新しい記録だ。
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【追記】
その日の夜、妹が、僕の部屋の扉をノックした。
「お兄様。今日、椿お姉様と、お話しなさいました?」
「したよ」
「まあ、うらやましいですわ! 椿お姉様、何かおっしゃっていました?」
「麗華は、素直でかわいらしいって」
妹は、ぱあっと顔を輝かせた。
「それから、麗華と朝霧さんは、よく似ているね、という話になったよ」
「わ、わたしと、椿お姉様が……!」
妹は、両手で頬を押さえて、くるくる回りながら、自分の部屋へ戻っていった。
嘘は、ひとつも言っていない。
次の日の夕食で、妹は、ふたたび宣言した。
「お兄様。わたし、今日から、小鳥のように少しだけいただくことにしましたの」
小鳥の修行、第二期の始まりだ。
僕は、お手伝いさんに、冷蔵庫のプリンを一つ多く入れておくよう、こっそり頼んでおいた。
妹の観察は、相変わらず、僕のいちばんの楽しみだ。
それから、もう一つ。
ノートの記録は、今のところ、妹のほうがずっと多い。
今のところは。