【謙虚堅実】朝霧様を見守るスレ【孤高の王子様】   作:麗華様親衛隊

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9話_吉祥院貴輝

 僕には七歳年下の妹がいる。

 妹の観察を始めて、一年がたった。

 記録のノートは、三冊目に入った。

 

 妹は、初等科の二年生になった。

 相変わらず、僕を見ると嬉しそうに駆けてくるし、ソファでは僕の隣に座る。相変わらず、ときどき、とてもおかしなことをする。

 今年の観察記録から、いくつか書いておく。

 

――――――――――

 

【妹とプリン】

 

 最近、妹に新しい特徴がひとつ増えた。

 デザートにプリンが出ると、まず黙ってプリンを見つめる。それから、ものすごく真剣な顔で、ひとさじずつ食べる。食べ終わると、空になったお皿に向かって、小さく「勝ちましたわ」とつぶやく。

 誰と戦っているんだ、妹。

 相手は、だいたい分かっている。

 朝霧凪くん。妹のクラスメイトで、僕の同級生の、朝霧さんの弟だ。去年の春、給食の最後のプリンをめぐって、妹とにらみ合った男の子らしい。妹に言わせると、相手はプリンに手を伸ばしたまま寝てしまったので、勝負はついていないそうだ。

 その朝霧くんが、どうやら妹のことを、プリンのライバルだと思っているらしい。

 先日の夕食で、妹は、それはもう怒っていた。

 

「聞いてくださいませ、お兄様! 朝霧くんが、サロンで、皆様の前で、わたしのことを『ライバル』だなんて言いましたの! しかも『プリンの人』ですのよ!」

 

「プリンの人」

 

「笑いごとではありませんわ!」

 

 笑っていない。少し、口の端が上がっただけだ。

 

「そのせいで、鏑木様が、わたしのところへいらして……」

 

 妹は、そこで急に口ごもった。

 

「鏑木くんが?」

 

「……い、いいえ。なんでもありませんわ。ちょっとお話ししただけです。おほほ」

 

 えくぼが、ピクピク動いていた。

 妹は、何かを笑ってごまかそうとするとき、えくぼがピクピク動く。本人は、まったく気づいていない。もちろん、教えてあげるつもりもない。

 妹は、なぜか昔から、鏑木くんの話になると挙動がおかしくなる。

 

「朝霧くんのことは、どう思っているの?」

 

「何とも思っていませんわ。ただの、変な子です」

 

 えくぼは、ぴくりとも動かなかった。

 本当に、何とも思っていないらしい。

 朝霧くん、少しかわいそうだ。ライバルだと思っている相手に、ここまできっぱり「変な子」と言われるとは。

 

――――――――――

 

【小鳥の修行】

 

「お兄様。わたし、今日から、小鳥のように少しだけいただくことにしましたの」

 

 先週の夕食で、妹は、そう宣言した。

 聞けば、春のお茶会で会った朝霧さんに、すっかり憧れてしまったらしい。朝霧さんは、お菓子をたくさんはいただかないそうなので、自分も見習って、おしとやかなレディになるのだ、と。

 僕は、紅茶を飲んで、何も言わなかった。

 言いたいことは、たくさんあった。

 一日目。妹は、お皿の料理を半分残した。母は「まあ、麗華さん、どこか具合でも悪いの?」と心配し、妹は「レディのたしなみですわ」と胸を張った。

 二日目。妹は、また半分残した。

 娘が二日続けて夕食を残したので、父が、かかりつけの先生を呼んだ。朝霧グループの病院の先生だった。朝霧さんの家の病院だ。

 先生は、妹の脈をとり、喉をのぞき、お腹に聴診器を当てた。

 それから、とても言いにくそうに言った。

 

「……どこも、お悪いところはございません。強いて申し上げるなら……空腹かと」

 

「空腹!?」

 

 母が叫んだ。

 

「レディは、空腹など感じませんわ」

 

 妹が、すまして言った。

 その瞬間、妹のお腹が、ぐうう、と鳴った。

 聴診器を当てたままだった先生は、びくっと耳を押さえた。

 三日目の夜。

 喉が渇いて、水を取りに台所へ行った。

 台所の明かりが、少しだけついていた。

 そっとのぞくと、冷蔵庫の扉が開いていて、その前に、小さな影がしゃがみこんでいた。

 妹だった。

 パジャマ姿で、冷蔵庫の明かりに照らされながら、明日のデザートのはずのプリンを、スプーンですくって食べていた。

 

「……小鳥は、夜はたくさん食べるものですわ……」

 

 ブツブツ言いながら、二つ目のプリンに手を伸ばしていた。

 小鳥は、冷蔵庫を開けない。

 僕は、そっと台所を離れた。

 次の日の朝、プリンが二つ足りないと、お手伝いさんが首をかしげていた。妹は、朝ごはんをおかわりしていた。

 小鳥の修行は、三日で終わった。

 

――――――――――

 

【妹のライバル】

 

 その朝霧くんに、先日、初等科で会った。

 母に頼まれて、妹の忘れ物を届けに行った帰りだった。中庭の大きな木の下のベンチに、紺のブレザーの男の子が座っていた。

 背筋を伸ばして、目を伏せて、ぴくりとも動かない。木もれびが、その顔にちらちらと落ちていた。

 少し離れた植えこみのかげでは、初等科の女の子たちが十人ほど、息をひそめて、その子を見つめていた。何人かは、両手を胸の前で組んでいた。

 なんだろう、あれは。

 近づこうとすると、植えこみのかげから、小さな女の子が一人、すっと出てきて、僕の前に立ちふさがった。

 

「お静かに。朝霧様は、ただいま、ご瞑想中です」

 

「……ごめんね」

 

 僕は、小声で謝った。七歳の女の子に注意される中学三年生は、なかなかいないと思う。

 そっと近づくと、男の子の隣には、髪をきちんと結った女の子が座って、本を読んでいた。女の子は、僕に気づくと、本を閉じて、とてもきれいにおじぎをした。

 

「こんにちは。吉祥院さんのお兄様ですね。日向柚葉と申します」

 

「こんにちは。そちらは、朝霧くんかな。瞑想中だって聞いたけれど」

 

「いいえ。凪は、寝ています」

 

 寝ていたのか。

 植えこみのかげの女の子たちは、どう見ても、何か尊いものを拝んでいる顔だった。

 

「凪、起きてください。吉祥院さんのお兄様です」

 

 朝霧くんは、ゆっくりと目を開けた。それから、僕の顔を、ぼんやりと見上げた。

 

「……プリンの、ひとの、おにいさん」

 

「凪」

 

 日向さんが、静かに言った。とても静かなのに、少し怖かった。

 

「うん、プリンの人のお兄さんだよ。妹が、いつもお世話になっているね」

 

「……ん」

 

 朝霧くんは、こくんとうなずいた。

 

「……らいばる、だから」

 

 それだけ言うと、朝霧くんは、また目を閉じた。

 植えこみのかげから、「ライバルを、お認めになったわ……」「なんて潔いの……」という、ひそひそ声が聞こえた。

 日向さんが、「申し訳ありません」と、もう一度おじぎをした。この子は、たぶん、毎日これを言っている。

 帰りの車の中で、僕は、少しだけ笑った。

 朝霧くんは、お姉さんによく似ている。外から見えている姿と、中身が、たぶん、まったく違うところが。

 

――――――――――

 

【朝霧さんのお弁当】

 

 ところで、今年のノートには、妹のほかに、もう一人の記録がある。

 同級生の、朝霧椿さんだ。

 朝霧さんは、初等科のころから、学年でいちばんおしとやかな女の子として通っている。いつも上品に微笑んでいて、言葉づかいもきれいで、声を荒らげたところは見たことがない。お昼のお弁当は、手のひらにのるくらいの小さなお弁当箱で、クラスの女子からは「小鳥のお弁当」と呼ばれている。

 妹が憧れるのも、まあ、分かる。

 ただ、あんなに小さなお弁当なのに、朝霧さんのお腹は、午後の授業で一度も鳴ったことがない。

 僕の仮説は、こうだ。

 仮説一。朝霧さんは、本当に小食である。

 これは、すぐに消えた。

 去年のサマーパーティーで、弟くんが持っていた山盛りのお皿は、「全部、弟の分」だと聞いた。でも、弟くんがダンスをしているあいだに、そのお皿は、朝霧さんの手の中で空っぽになっていた。そのあと朝霧さんは、新しいお皿に、ケーキを四つ乗せていた。

 去年の運動会では、朝霧さんは、ずいぶん低く日傘を差していた。日傘の陰から、おにぎりを持った手が、何度も出たり入ったりしていた。

 そして、今年の春のお茶会。

 朝霧さんの弟くんは、給仕の人に、おかわりを四回頼んだ。でも、弟くんが自分で食べたのは、二つだけだった。「こほん」という咳払いのたびに、テーブルの下で、お皿が朝霧さんのほうへ動いた。

 朝霧さんの席には、もともと一つ、タルトがあった。

 だから、朝霧さんが食べたタルトは、全部で五つ。

 数えていた。

 仮説二。朝霧さんは、弟くんと胃袋がつながっている。

 同じテーブルにいた妹は、弟くんのお腹を見つめて、「このお腹、どこか別の場所につながっているのかしら」と言っていた。

 半分、正解だと思う。

 つながっている先は、隣の席だ。

 結論は、まだ出ていない。

 確かめるつもりはない。誰かに言うつもりもない。

 もったいないから。

 

――――――――――

 

【伊万里の意見】

 

「最近、お前、椿のほうばっかり見てるな」

 

 昼休み、伊万里が、僕の机に腰をかけて言った。

 伊万里とは、初等科からの付き合いだ。朝霧さんとも、伊万里は小さいころからの知り合いらしい。

 

「観察だよ」

 

「観察?」

 

「朝霧さんは、妹に似ているんだ」

 

 伊万里は、少しのあいだ、きょとんとした。それから、窓際の席で、小鳥のお弁当のふたを上品に開けている朝霧さんを見て、もう一度、僕を見た。

 そして、肩を震わせて笑い出した。

 

「……ああ、なるほどな。似てるわ、確かに」

 

「だろう?」

 

「お前、それ、絶対に本人に言うなよ」

 

 伊万里は、何かを知っている顔をしていた。伊万里は、朝霧さんのことで、ときどき、こういう顔をする。何を知っているのか、聞いても教えてくれない。

 そのとき、ちょうど、朝霧さんが、僕たちの机のそばを通りかかった。

 

「吉祥院くん」

 

「なにかな、朝霧さん」

 

「最近、よく、こちらをご覧になっているようだけれど。何か、ご用かしら」

 

 朝霧さんは、いつもの上品な笑顔だった。

 伊万里が、ぶふっ、と吹き出しかけて、あわてて口を押さえた。

 

「ああ、ごめんね。朝霧さんは、僕の妹に似ているなと思って」

 

「……まあ。麗華ちゃんに?」

 

 朝霧さんは、にっこり笑ったまま、首をかしげた。

 

「どこが、かしら」

 

 笑顔は、少しも崩れなかった。

 でも、右の眉が、ほんの少しだけ、ぴくりと動いた。

 妹のえくぼと、同じ動き方だった。

 

「全体的に、かな」

 

「そう。光栄だわ。麗華ちゃんは、とても素直で、かわいらしいもの」

 

「うん。とても素直で、かわいらしいよ」

 

「…………」

 

 朝霧さんは、それきり何も言わずに、上品な足取りで自分の席へ戻っていった。

 席に着くと、小鳥のお弁当を、ものすごい速さで、でも上品に、あっというまに食べ終えていた。

 伊万里は、机に突っ伏して笑っていた。

 

「お前、ほんっと性格悪いな」

 

「何のことかな」

 

「冬には内部受験だぞ。椿を怒らせて、勉強どころじゃなくなっても知らねえぞ」

 

「大丈夫だよ」

 

 受験なら、心配していない。

 心配なのは、来年のバレンタインだ。妹の手作りチョコをどうやって回避するか、まだ何も思いついていない。

 ちなみに、その日の五時間目。

 朝霧さんのお腹が、初めて、小さく、くう、と鳴った。

 怒ると、お腹がすくらしい。

 新しい記録だ。

 

――――――――――

 

【追記】

 

 その日の夜、妹が、僕の部屋の扉をノックした。

 

「お兄様。今日、椿お姉様と、お話しなさいました?」

 

「したよ」

 

「まあ、うらやましいですわ! 椿お姉様、何かおっしゃっていました?」

 

「麗華は、素直でかわいらしいって」

 

 妹は、ぱあっと顔を輝かせた。

 

「それから、麗華と朝霧さんは、よく似ているね、という話になったよ」

 

「わ、わたしと、椿お姉様が……!」

 

 妹は、両手で頬を押さえて、くるくる回りながら、自分の部屋へ戻っていった。

 嘘は、ひとつも言っていない。

 次の日の夕食で、妹は、ふたたび宣言した。

 

「お兄様。わたし、今日から、小鳥のように少しだけいただくことにしましたの」

 

 小鳥の修行、第二期の始まりだ。

 僕は、お手伝いさんに、冷蔵庫のプリンを一つ多く入れておくよう、こっそり頼んでおいた。

 妹の観察は、相変わらず、僕のいちばんの楽しみだ。

 それから、もう一つ。

 ノートの記録は、今のところ、妹のほうがずっと多い。

 今のところは。

 

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