神話ができるまでの千年と30日 作:想像神
プレイ1日目 幻想歴元年――トゥリエ村
プレイ1日目
夕食の皿を流し台へ置き、ミロの水を替えると、ようやくその日の用事が一通り片づいた。
帰宅してから一時間半。仕事着を脱いで夕食も済ませ、残っているのは風呂くらいである。寝るまでには二時間ほどある。俺は机の前へ座り、パソコンの電源を入れた。
デスクトップには、昨日のうちに購入とダウンロードを済ませておいたゲームのアイコンが一つ増えていた。
友人から勧められた、AI機能つきのファンタジーシミュレーションである。
『放っておいても勝手に歴史を作る。NPCがかなり自然』
実際に面白いゲームを見つけてくる男なので、趣味については信用できる。ただし前回のおすすめは、操作を一つ間違えるだけで宇宙船の乗員が全滅するゲームだった。あれを「初心者でも大丈夫」と言い張った男だから、難易度に関する言葉だけは信用していない。
普段なら新作のアクションゲームを遊んでいる時期だが、今月はめぼしいものがなかった。たまには違うジャンルもいいかと買ってみたものの、説明を読んでも、何をもってゲームクリアになるのかはよく分からなかった。
アイコンをクリックすると画面が暗くなり、金色の雲を割って、剣と杖を持った人間や角の生えた連中がぞろぞろ現れた。その後ろで巨大な龍が翼を広げ、世界らしき青い球が光に包まれたところで、やたら壮大な音楽とともに題名が浮かび上がる。
ファンタジアジェネシス〜幻想創世記〜。名前が地味にダサいな。同じ意味を二回繰り返してるし。
題名はともかく、映像にはずいぶん金がかかっていそうだった。
タイトル画面の下には、《あなたが見ていない間も、世界は生き続けます》と書いてある。
「忙しい人間に、なかなか怖いこと言うな」
ソファの背から、ミロが顔を出した。
クリーム色の毛をした、少し太めの猫である。名前を呼んだわけでもないのに、自分へ話しかけられたと思ったらしい。背もたれを歩いてきて俺の肩を踏み、そこから机へ降りる。帰ってすぐ餌を出したのだから、追加の要求に応じるつもりはない。
「お前のはもう出した」
ミロは聞かなかったことにして、画面の前へ座った。
尻尾でタイトルの後半を隠されると、いくらか格好よく見える。
新規作成を選ぶ。難易度設定はなく、代わりに世界の傾向を決める項目が並んだ。魔物の強さ、資源量、文明同士の関係、災害の頻度。どれにも《世界内の出来事によって変動します》と小さく注意書きがついている。
項目にカーソルを合わせるたび、右側の説明が三段ほど増えた。災害の頻度を一つ変えるだけで、人口増加率や信仰傾向にまで影響するらしい。
「最初から分かるか、こんなの」
全部標準のまま進めた。
最後に入力欄が一つ出る。
《新たな世界に名を与えてください》
「世界の名前ねえ」
こういうとき、気の利いた名前がすぐに出てくる人間が少しうらやましい。
俺は数秒考え、目の前で画面を塞いでいる猫を見た。ミロは右前脚を舐めている。世界の命名に採用されようとしている顔ではない。
「じゃあ、ミロでいいか」
入力して決定する。
《世界“ミロ”を生成しています》
荘厳な音楽がまた流れ、暗かった画面へ小さな光がいくつも灯った。青い海が広がり、土色の大陸が盛り上がり、森や山脈や川が地図の上を走っていく。最後に町や村を示す点が散らばり、十数秒ほどで、何もなかった場所に一つの世界ができあがった。
《初期文明、文化、過去史を生成しました》
《観測開始年代を“幻想歴元年”として表示します》
「元年だけど、もう歴史はあるのか」
世界を一から作るというより、途中から覗き込むゲームらしい。
猫のほうのミロは、生成が終わる前に興味を失って机から降りていた。
「自分の世界ができたぞ。見なくていいのか」
返事はない。ミロは窓際のクッションへ丸くなり、もう目を閉じかけている。
画面の中央へ、《チュートリアルを開始します》と表示された。
視点が雲を抜け、地上へ向かって降りていく。大陸全体が見えていたのに、森が見え、川が見え、最後には粗い柵で囲まれた小さな集落が映った。木と土でできた家が二十軒ほど。屋根の隙間や道の端を、指先ほどの人影が忙しく動いている。
《トゥリエ村》
《人口:43》
《主要課題:渇水》
井戸の上に赤い印が点滅していた。周囲の畑は土が白く乾き、川らしき筋も途中で途切れている。
試しに井戸のそばにいる人影をクリックすると、名前ではなく簡単な情報が出た。
《現在行動:配水の監督》
《状態:疲労・軽》
その隣で壺を抱えている住民は《順番待ち》、屋根の上にいる住民は《日よけの補修》となっている。全員が同じ場所で同じ動きをしているわけではないらしい。
もう一人選ぼうとしたところで、案内役の声が流れた。
《世界へ干渉し、住民の危機を解消してください》
画面の右上に、それまでなかった青い円形の表示が現れる。
《干渉力:100/100》
《世界へ直接干渉する操作に使用します》
雲の形をしたアイコンが光った。押すと《天候操作》という小さな一覧が開く。選べるのは雨だけで、雪や風、雷の項目には鍵がかかっていた。
「最初から選択肢ないやつ」
雨を選び、村の中央をクリックする。円形の範囲が表示されたので、畑と井戸が入る程度まで広げた。
《降雨を実行しますか》
《消費干渉力:20》
決定する。
《干渉力:80/100》
《全回復まで:3時間20分》
「寝てる間には戻るか」
村を覆っていた青空が、画面の端からゆっくり暗くなった。薄い雲が何枚も重なり、その下を走っていた小さな人影が、一人、また一人と立ち止まる。やがて点のような雨粒が落ち、乾いていた土の色が変わった。
屋内へ逃げ込むのかと思ったが、村人たちは逆だった。家から桶や壺を抱えて飛び出し、屋根の下や道端へ並べている。畑へ走る者もいれば、道の真ん中で両腕を上げている者もいた。
「おお。喜んでる、喜んでる」
主要課題の赤い表示は、まだ半分ほど残っていた。降雨量の横にあるつまみを一段上げる。
《降雨強度を変更します》
《追加消費干渉力:10》
《干渉力:70/100》
雨脚が強まり、井戸の印が赤から黄色へ変わった。
雲のアイコンを押し、強さを一段上げただけである。それでも、画面の中で四十三人が一斉に動くのを眺めるのは思ったより面白かった。
よく見ると、喜んでいる者ばかりでもない。住民を一人選ぶ。
《現在行動:干していた豆の回収》
その住民は両腕に平たい籠を抱え、一度家へ入ったあと、取りこぼしたらしい籠を取りに戻ってきた。別の家では、屋根から落ちてきた水を受けようと壺を置いたところ、真上の穴から室内へも雨が入ったらしく、住民が慌てて壺を持ち直している。
「待ってた雨でも、降ったら降ったで大変だな」
道を走り回る小さな子どもは、大人につかまって家へ連れ戻された。逃げ出したのか、数秒後にはまた別の戸口から出てきた。
今度こそ選ぼうとカーソルを合わせたところで、画面の上に通知が重なった。
《チュートリアル目標を達成しました》
《実績“最初の恵み”を解除しました》
《チュートリアル報酬:干渉力を30回復しました》
《干渉力:100/100》
「最初だけ太っ腹なやつだな」
《新たな干渉権限が、次のプレイ日より順次解放されます》
「はいはい。今日は雨までね」
課題表示が緑になったところで天候操作を解除した。雲はすぐには消えず、しばらく弱い雨を残して東へ流れていく。急に晴天へ戻らないあたりは、たしかに自然に見えた。
画面の時刻は夕方になっていた。家々の窓へ灯りがともり、住民たちが集落の中央へ集まり始めている。雨を降らせたときには見えなかった小さな印も、何人かの頭上に浮かんでいた。
《伝承の発生を確認》
押そうとしたが、項目は灰色のままだった。
《詳細な文化観察は、次のプレイ日より解放されます》
「そこは見せてくれないのかよ」
拡大したまま眺めていれば、何か催しが始まりそうではある。だが、最初の一日から全部を見るつもりはない。明日も仕事だし、まだ風呂にも入っていない。
自動保存の表示を確認して、メニューを開いた。
《世界ミロは、ゲーム終了後もクラウド上で進行します》
《次回起動時、経過した歴史が報告されます》
念押しのように、もう一度そんな文章が出る。
「まあ、初日から滅びはしないだろ」
終了を選び、マウスから手を離した。
ミロはすでに眠っていた。さっきまで自分の名前をつけた世界に雨が降っていたことなど、もちろん知らない。俺も、人口四十三という数字の内側で、誰がどんな一日を過ごしていたのかまでは考えなかった。
友人へ送った感想は、買う前より少しだけ好意的なものになった。
『始めた。とりあえず雨降らせた。眺めるだけでも結構おもろい』
すぐに既読がつき、『そこから勝手に話ができる』と返ってくる。
「話ねえ」
暗くなった画面へ目を戻す。そこにはもう、雨も村も映っていない。
初日のチュートリアルは、十五分ほどで終わった。
幻想歴元年――トゥリエ村
土が鳴くというのは、父の言葉だった。
十歳のプレアには、ずっと意味が分からなかった。土には口がなく、畑へ耳を当てても声など聞こえない。けれど雨がひと月降らず、村の大人たちまで空を見る回数が増えた頃になって、少しだけ分かった気がした。
乾いた畑を歩けば、靴の下で土が細く割れる。
ぱきり、ぱきりと続く音は、水をくれと訴えているようにも、もう何も育てられないと怒っているようにも聞こえた。
父は三日前、二人の村人と一緒に北の川を見に出た。川上まで水が減っているのか、それとも途中で流れがせき止められているのかを確かめるためだった。昨日戻るはずだったが、まだ姿はない。
遅れているだけだと母は言った。
道中で水場を探しているのかもしれない。弱った荷車を押すのに時間がかかっているのかもしれない。プレアもそう思うことにしていた。北へ向かった道を見つめても、父の帰りが早くなるわけではない。
「底をこすらないでおくれよ」
共同井戸の前で、番をしていた老女が言った。
「泥が上がるからね。縄の印までで止めるんだよ」
「うん」
以前なら、縄を三人分ほど垂らせば水へ届いた。今日は五人分よりも深い。ようやく聞こえた水音も頼りなく、引き上げた桶には底から指二本ほどしか溜まっていなかった。
それを家から持ってきた壺へ移す。一家に朝夕一壺ずつ。昨日から決められた村の取り決めである。飲み水と煮炊きに使えばほとんど残らない。顔や手を洗う水には、野菜をゆでた後のものを使った。
列の後ろでは赤ん坊が泣いていた。母親があやしているが、泣き声は止まらない。誰もが気づいていたはずなのに、列は一人分も短くならなかった。ここで水を譲れば、今度は自分の弟が同じように泣くかもしれないと、プレアには思えた。
「お父さんたち、今日帰ってくるかな」
老女は井戸の中をのぞき込んだ。返事までに少し間があった。
「帰ってくるさ。水の道は、人の道より気まぐれだからね」
老女は井戸端に置いた縄を巻き直し、濡れた部分を日の当たる石へ広げた。
「気まぐれだと、遅くなるの?」
「近道を教えてくれることもある」
よく分からなかったが、プレアはうなずき、壺へ蓋をした。
家へ戻ると、母は固くなった豆を砕いていた。鍋の中では、少ない湯が底を濡らしている。そこへ豆の粉を入れ、薄い粥にするのだという。
四歳の弟は寝台へ座り、窓の外を見ていた。病気ではない。ただ暑さで食欲がなく、朝から言葉も少なかった。
「お水、持ってきたよ」
「ありがとう。重かったでしょう」
母は壺の水を鍋と水差しへ分けた。最後にほんの少し残った分を、小さな陶器の杯へ注ぐ。
杯の縁は片側が欠けていた。
父が焼いた品だ。焼き上がったときから口元に小さな割れがあり、売り物にならないからとプレアへくれた。父はもっと良いものを作り直すと言ったが、プレアはこれを気に入っていた。欠けたところを避ければ、きちんと水は飲める。
母はその杯を弟へ渡した。
弟は半分飲み、残りをプレアへ差し出す。
「姉ちゃんも」
「わたしは井戸で飲んだ」
嘘だった。
見張りのいる井戸で勝手に飲めば、どれだけ叱られるか分からない。それでも弟は疑わず、残りを飲み干した。
唇が濡れたのを見てから、プレアは空の杯を受け取る。
「畑を見てくる」
「今日はもういいよ」
「鳩が種を食べてるかもしれないから」
母は止めようとしたが、鍋の粥が焦げつきそうになり、そちらへ手を伸ばした。その間にプレアは戸口を抜けた。
村の東に、小さな畑がある。
本当は父の畑だった。父が川を見に出てからは、プレアが朝夕に様子を見ている。鳩を追い払い、枯れた葉を摘み、土の割れ目を足で寄せた。そうすれば少しくらい長く持つ気がした。
だが、今日は何をしても無駄に見えた。
豆の茎は半分が地面へ伏せ、残った葉も端から茶色くなっている。父が「秋にはお前の背より高くなる」と言っていたひまわりは、膝ほどの高さで首を曲げていた。
プレアは杯を畝の端へ置き、両手で茎を起こした。
「もうちょっとだから」
何がもう少しなのか、自分でも分からなかった。
父が帰ってくるまでかもしれない。雨が降るまでかもしれない。村の大人たちが、畑を諦めるまでかもしれなかった。
豆の茎は手を離すと、また土へ倒れた。
畑の脇には、屋根の一部が落ちた古い穀物小屋がある。今は誰も使っていない。壁の隙間から細い光が差し込み、空になった籠ばかりを照らしていた。
ここなら、村の誰にも聞かれない。
プレアは杯を両手で包んだ。底には水滴すら残っていなかった。
村の祭司は、願いごとには順番があると言っていた。朝の火へ感謝し、土地と祖先へ言葉を捧げ、それから自分の願いを口にする。正しい節回しもあったが、プレアは途中までしか覚えていない。
だから、誰へ向けるでもなく、小さな声で言った。
「雨をください」
返事はなかった。
「少しでいいです。井戸がなくならないくらい。畑が元気になるくらい。父さんたちが帰ってこられるくらい」
欲張りすぎた気がして、最後に付け足した。
「全部が無理なら、どれか一つでもいいです」
穀物小屋の外で、風が止まった。
村の夏には、風が途切れることがある。珍しいことではない。それでも、さっきまで壁の隙間から入り込んでいた熱気が消えたことが気になり、プレアは外へ出た。
山の向こうから灰色の雲が広がってくる。最初は薄い一枚だったものが、見る間に重なり、太陽を隠した。土ばかり見ていた村人も、一人ずつ気づき始める。
「雲だ」
誰かが言った。
その声を聞いて家から人が出てくる。井戸の列が崩れ、広場へ人が集まった。老女たちは目の上へ手をかざし、男たちは風の匂いを確かめている。
プレアの頬へ冷たい雨粒が当たり、彼女は反射的に杯を差し出した。
二滴目が欠けた縁をかすめ、三滴目は杯の底へ落ちて小さな丸い跡を作る。
それを合図にしたように、空がほどけた。
屋根を叩く音が村中へ広がった。乾いた道へ黒い斑点が生まれ、すぐにつながっていく。畑の土が水を吸い、舞い上がっていた埃が地面へ伏した。
井戸番の老女は、抱えていた空の桶を取り落としそうになりながら声を上げて笑った。列の後ろで泣いていた赤ん坊は、鼻先へ落ちた雫に驚いて泣きやみ、その母親は子どもを抱いたまま空を仰いだ。
村人たちは桶、鍋、壺、洗い桶まで持ち出した。軒下へ並べ、屋根から落ちる水を受ける。畑では大人たちが鍬を持ち、水が乾いた畝へ流れるように溝を掘り直していた。
「干し豆!」
広場の端で男が叫び、皆とは反対に家の裏へ走っていった。ほどなく平たい籠を三枚抱えて戻ってきたが、一枚は途中でひっくり返し、豆を泥の上へ散らした。笑った隣人も、自分の家の屋根から水が漏れているのに気づくと、慌てて中へ戻っていった。
「雨を待っていたくせに、降ったら降ったで忙しいねえ」
井戸番の老女は笑いながら、自分も空いている桶を取りに走った。
弟が裸足で飛び出してきた。母に腕をつかまれても笑い、雨へ手を伸ばしている。
「姉ちゃん、雨!」
「うん」
プレアも笑った。
口を開けば水が入った。ひと月ぶりに、飲んでも叱られない水だった。
雨は昼を越えて続き、夕方には細くなった。その頃になって、父たちが北の道から戻ってきた。
北の川は細くなっていたが、完全には枯れていなかった。倒木と土砂が流れを狭めていたため、明日から村の者で取り除けば、井戸にも少しずつ水が戻るだろうという。
雨が降っただけで、渇水の原因まで消えたわけではない。翌朝から川へ行く者、井戸をさらう者、傷んだ畑を起こす者を決めなければならなかった。
それでも、今夜飲む水を数える必要はなくなった。
父の荷車が村へ入ると、プレアは杯を抱えたまま走り、泥に足を取られながら父へ飛びついた。
その様子を、共同井戸の老女が見ていた。
「その杯はどうしたんだい」
雨水で満ちた杯を指され、プレアは穀物小屋でのことを話した。誰にも聞かれていないと思っていた願いを、最初から最後まで正直に話した。
老女は何度も聞き返した。
「空に頼んだのかい」
「空じゃないよ」
プレアは濡れた前髪を指で分け、雨の向こうに霞む畑を見た。願ったとき、空を見ていたわけではない。
「では、誰に」
「分からない。誰でもよかったから」
老女の後ろで話を聞いていた村の祭司が、濡れた袖を押さえながら前へ出た。
「古い祈りの中に、創造主という呼び名がある」
プレアには聞き慣れない言葉だった。祭司によれば、朝の火も、畑の土も、人の祖先さえも形づくった、姿も名も分からない何者かを指すらしい。
「誰でもよいと願ったのなら、その方が聞いたのかもしれぬ」
祭司は言い切らなかったが、周りの大人たちは、ほとんど答えを聞いたような顔をした。
「違うよ。たぶん、たまたまだよ」
プレアはそう言った。
けれど、雨の中でその言葉に耳を貸す者は少なかった。
夜になる頃には、彼女が願った直後に雲が生まれたことになっていた。夕食が終わる頃には、雲一つない空へ向かって何度も祈ったことになった。寝床へ入る頃、家の外では、空から光が差してプレアを照らしたと話す声まで聞こえた。
光など見ていない。雨が降ったとき、空は暗かった。
父も母も、プレアの話を信じた。雨を呼んだという話ではなく、古い穀物小屋で一度だけ願ったという話を信じた。そのうえで父は、雨水を受けた杯を布で包んだ。
「どうするの」
「少しの間、預かるそうだ」
父は布の端を折り込み、杯の形が見えなくなるまで包み直した。
「誰が?」
「村のみんなが、かな」
「それ、わたしの杯なのに」
父は困った顔をした。
売り物にならなかった器へ、なぜ村中の大人が頭を下げるのか。プレアには理解できなかった。縁が欠けていて、置き方が悪ければ少し傾く。父の作った器の中でも、出来はよくないほうだ。
その夜、プレアは別の器で水を飲んだ。
欠けた杯は雨水を満たしたまま、家の棚のいちばん高いところへ置かれていた。