神話ができるまでの千年と30日 作:想像神
プレイ2日目
翌日、パソコンの前へ座ったのは、昨夜より少し遅い時間だった。
月末が近いせいで、仕事を切り上げようとするたびに細かな確認が増えた。帰りに寄ったスーパーでも弁当の棚がほとんど空で、結局、冷凍うどんと冷蔵庫に残っていた卵で夕食を済ませた。洗い物まで終えると十時を回っている。
今日は別のゲームをやるつもりだったが、デスクトップに増えたばかりのアイコンを見ると、昨日雨を降らせた村がどうなったのか少し気になった。
「初日で干上がってたら、さすがに寝覚め悪いしな」
窓際で毛づくろいをしていたミロは、後ろ脚を上げたままこちらを見た。猫の名前と世界の名前が同じなので、独り言を言うたびに微妙な顔をされる。
『ファンタジアジェネシス〜幻想創世記〜』を起動する。
昨夜と同じ壮大な音楽のあと、世界ミロの全景が現れた。中央に《前回の終了から2年4か月が経過しました》と表示され、俺はマウスへ置いた手を止めた。
「進むの早くない?」
一日見なかっただけで、画面の中では二年以上が過ぎている。注意書きは読んだし、常時進行するゲームだとも聞いていた。それでも数字で出されると、思っていた放置ゲームよりだいぶ気が早い。
トゥリエ村へ視点を飛ばすと、人口は四十三人から五十一人へ増えていた。畑の表示は緑で、井戸にも異常はない。家が二軒増え、村の外れには見覚えのない水路が伸びている。
住民の一覧を開いても、昨日見た人間の顔までは覚えていなかった。そもそも、個別に名前を確認したのは数人だけだ。状態欄に《渇水の記憶》という項目が残っている者を見つけて、あの雨のことだろうかと思ったところで、画面の端にチュートリアルの通知が出た。
《実績“最初の恵み”によって、地形編集の一部が解放されました》
《中央山脈の指定範囲を、周辺より低くしてください》
「次は土木工事か」
指定された場所へ移動する。
大陸の中央を南北に走る山脈は、地図で見るより幅があった。視点を下げると灰色の峰が幾重にも重なり、ところどころに雪が残っている。東西を行き来するには大きく迂回するしかなく、チュートリアルでは、そのうち一つを少し低くして山道の候補を作るらしい。
画面の左側に、盛り上げる、削る、均す、なだらかにする、という四つの道具が並んだ。選べるのは《均す》だけで、説明には《選択範囲を設定した基準面へ近づけます》とある。
山頂の一つにカーソルを合わせると、半透明の円が出た。
範囲が広すぎる。もっと近くで見ようとマウスホイールを回したところ、景色はそのままで、円だけが一回り大きくなった。
「あ、そっちか」
逆へ戻したつもりが、今度は二回分回ったらしい。円は小さくなるどころか、隣の峰までまとめて覆った。ホイールの向きを間違えたのか、それとも一段ごとの差が大きいのか、見た目では分かりにくい。
いったん操作を外そうとして右クリックをすると、標高を入力する小窓が開いた。
《調整基準:0メートル》
数字の横には上下の矢印がある。ゼロなら変化なし、そこからマイナスにすれば削り、プラスにすれば盛るのだろうと考えた。小窓の下には《地形上をクリックして適用》と出ている。値がゼロなら地形は動かないはずなので、まず作用する場所だけ確かめようと山頂を一度クリックした。
《地形を標高0メートルに均します》
「え」
画面の山が沈んだ。
山頂だけではない。半透明の円に入っていた尾根も谷も、雪の斜面もまとめて下へ引かれ、平らな土色へ塗り替わっていく。周囲の峰はそのまま残ったため、中央山脈の真ん中にだけ、巨大な円形の盆地ができあがった。底には目立った凹凸が一つもない。皿を置けそうなくらい平らである。
右下に出た結果を見て、ようやく意味が分かった。
《編集後標高:0メートル》
《消費干渉力:100》
《干渉力:0/100》
《全回復まで:16時間40分》
「基準って、海抜の基準かよ」
ゼロは変化なしではなく、海と同じ高さだった。
戻すボタンを探したが、地形編集の一覧は暗くなっている。《干渉力は現実時間の経過により回復します》《世界を停止している間は回復しません》と表示され、やり直すなら明日まで待つしかないらしい。早送りで回復時間をごまかすこともできない。チュートリアルの目的欄は《中央山脈の地形を低くする:達成》となっている。低くなったことしか見ていないらしく、判定は通っていた。
視点を回して眺める。
高い山に囲まれた平地は、何もなさすぎて目立っていた。岩も草も川もなく、茶色い円が一枚貼りついている。人の住む場所から遠いせいか、巻き込まれた住民や建物はない。被害表示も出ていなかった。
《初回地形編集を完了しました》
《植生配置“樹木”が解放されました》
《初回配置では干渉力を消費しません》
新しく開いた一覧には、低木、針葉樹、広葉樹、巨樹が並んでいた。小さい木を何本か置こうとしたが、無料になるのは一回だけで、二本目からは干渉力が必要になる。どうせ一本なら大きいほうが分かりやすい。
サイズのつまみを右端まで動かし、平地の中央をクリックする。
土が盛り上がり、太い幹が伸びた。枝が分かれ、その先から葉が一気に広がっていく。山の上から見下ろしていたはずなのに、樹冠が視点の近くまで迫った。周囲の峰と比べても、かなり大きい。
「でかすぎたな」
置き直そうにも、無料配置はすでに使い切り、干渉力も空だった。
引いて見ると、中央山脈の真ん中に丸い平地があり、その中央に一本だけ、とんでもなく大きな木が立っている。地形を作る途中で、配置確認用の目印だけ先に置いたような眺めだった。
「作りかけのマップみたいだけど、まあいいか」
地形編集の課題は終わっている。次に解放された《文化観察》は時間がかかりそうだったので、今日はトゥリエ村の水路を少し眺めてからゲームを閉じた。
足元では、世界の中央に何ができたかも知らないミロが、椅子の脚を抱えたまま眠りかけていた。
幻想歴三年――中央山脈
山を測る日に限って、山は素直な姿を見せない。
地図師組合でそう教わったとき、テラは年老いた教官が自分の失敗をごまかしているのだと思っていた。峰を隠す霧も、足跡を消す雪も、谷間で向きを変える風も、測り方を誤らなければ地図へ移せる。できないのは測る側の準備が足りないからだと、今も考えている。
中央山脈へ入って十二日目の朝、その持論を声に出す気は失せていた。
目の前にあるはずの尾根が、なかった。
彼女は岩棚へ片膝をつき、革筒から昨日までの地図を引き出した。広げた羊皮紙の角を石で押さえる。強い風が走り抜け、首の後ろで束ねた金褐色の髪を持ち上げた。尖った耳に髪がかかるのを払いながら、北の峰と東の岩塔を見比べる。
方角は合っている。
眼下には、断崖に囲まれた広大な平地があった。
山腹を削ってできた谷ではない。複雑に重なる中央山脈の内側だけを、巨大な匙で底までさらったように低く、どこまでも平らになっている。朝日を受けた地面には、岩の影さえほとんど見えなかった。北の端は薄青く霞み、歩いて渡るのに何日かかるのかも分からない。
昨日、谷の入口で確かめた地形から考えれば、この先にも尾根が二本続くはずだった。麓の猟師から聞いた話も同じである。山脈の奥には獣道すらなく、東へ抜けた者はいない。だからこそ、隊商組合は測量師を送り、荷馬が通れる道が本当にないか調べさせた。
中央山脈を越える道が見つかれば、南を大回りする隊商はひと月を節約できる。見つからなくても、越えられないと記した地図があれば、毎年のように行方不明者を出さずに済む。今回の旅で彼女が持ち帰るべきものは、伝説ではなく、道の有無と水場の位置だった。
ところが、羊皮紙の上で尾根を表している線の先には、線にできるものがない。
「位置標を」
後ろにいた荷運びの若者が、背負い籠を下ろした。テラより頭一つ低い人間で、名をポルテといった。組合付きではなく、山裾の村から雇った案内役である。中央山脈の中へこれほど深く入ったことはないと言いながら、岩場での足運びはテラより確かだった。
ポルテが籠から三脚を出す間に、テラは測角盤を組み立てた。薄い木の円盤へ真鍮の針を通し、東の岩塔へ合わせる。北の峰との角度を二度測り、地図の余白へ書き込んだ。昨日の記録とずれはない。
「道を間違えたんじゃないんですか」
テラは岩塔から目を離さず、測角盤の針で地図に引かれた線を軽く叩いた。
「間違えていたら、この岩塔が西に来る」
「地図のほうが間違ってるとか」
テラは答えず、羊皮紙の線を指でたどった。
この部分を最初に描いたのは彼女自身だった。直接ここまで来たわけではない。麓から見える峰を測り、別の二地点から取った角度を重ね、山脈の形を割り出した。地図には推測の線と実測の線を別の色で記してある。尾根は推測だったが、根拠にした外縁の峰はすべて目の前にあり、測り直した位置にも間違いがない。その峰と峰の間に、想定していた地面だけがなかった。
ここで観測の誤りと書けば、帳面はすぐに片づく。だが次にこの地図を持ってくる者は、存在しない尾根を探して同じ場所へ立つことになる。
テラは線を消さなかった。横へ小さく疑問符を記し、測角盤を眼下へ向ける。
平地の中央には、一本の樹が立っていた。
遠すぎるせいで、初めは緑をまとった細い塔に見えた。測角盤の筒へ目を寄せると、塔だと思ったものから枝が伸びている。幹は地上近くでいくつにも隆起し、その一本一本が城壁ほど太い。樹冠の上部は低い雲へ入り、風に流れる白の間から濃い葉が見え隠れしていた。
あれほどの樹なら、麓からでも見えるはずだった。
実際には、周囲の山が壁になっている。山脈の内側へ踏み込まなければ、樹冠の先さえ隠れてしまう。ここから見えるのも、テラたちが外縁の高い岩棚へ登ったからだ。
「あそこまで行くんですか」
ポルテの声から、できれば行かないと答えてほしい気持ちが伝わった。
平地へ降りる道は見当たらない。断崖は一番低いところでも二百歩を超え、南側は雲が底を隠している。東へ回れば斜面があるかもしれないが、持ってきた食料は帰路を含めてあと九日分しかなかった。
「樹までは行かない。縁を北へ測る」
テラは平地から目を離し、岩棚の先を確認した。
「降り口があれば、そこまで。なければ明日の昼に戻る」
ポルテは露骨に安心し、三脚を畳み始めた。
北へ進むにつれ、平地の異様さは増した。
断崖の縁は、ところどころ古い崩落で欠けていた。崩れた岩は下へ落ちているはずなのに、平地の底には大きな岩が見えない。望遠筒で探すと、崖の真下に細かな石が集まっているだけで、その先はまた同じ高さへ戻っていた。
正午前、尾根が大きく裂けた場所で、初めて降りられそうな斜面を見つけた。上から見える範囲には段差があり、低い灌木も生えている。荷馬は無理でも、人が通った印を残せるなら、次の調査隊は平地まで入れるかもしれない。
テラはポルテに縄の端を預け、測量鞄だけを肩へ掛けて斜面へ下りた。靴の幅ほどの岩棚を選び、灌木の根をつかんで進む。二十歩ほど下ったところで、岩棚は急に途切れていた。
その先に続いているのは斜面ではなく、垂直の壁だった。真下をのぞいても底は遠く、平地の樹は高さを変えたぶんだけ大きく見えた。テラは腰の縄を張り、手の届く岩へ小槌を当てた。表面が薄く剥がれ、破片は壁へぶつからないまま落ちていく。ずいぶん待ってから、小さな音だけが返ってきた。
引き返す前に、彼女は岩棚の位置と幅を帳面へ記した。その先へ太い線を引き、《下降不可》と添える。
昼過ぎ、細い沢が断崖へ流れ込む場所を見つけた。水は崖の途中で白い筋になり、はるか下へ落ちている。滝の先には川筋ができておらず、平らな地面へ薄く広がって消えていた。
テラは水筒を満たし、標高函を取り出した。
片手に収まる黒木の箱で、中には海辺の町の地図師が封じた水滴と、細い銀糸が入っている。箱を水平に置き、測る場所へ針を向けると、銀糸が基準となる海面からの高さを目盛りに示す。山中では目盛りが上限へ張りつくことも多く、精密な数字を出すには計算が要る。
まず自分たちのいる岩棚を測った。銀糸は予想した位置で止まった。
次に針を滝の落ちる先へ向ける。箱の側面へ刻んだ術式が淡く光り、水滴が細長く震えた。銀糸は見る間に下がり、箱の底近くで止まる。
テラは目盛りを読み、もう一度測った。
同じ位置だった。
「壊れました?」
ポルテが銀糸へ顔を寄せたため、テラは箱を少し遠ざけた。
「私たちの高さは合っている」
「じゃあ、下は」
テラは箱を裏返し、蓋を開けた。水滴を封じた小瓶にひびはない。術式の銀粉も剥がれていなかった。針を平地の別の場所へ向けても、銀糸はほぼ動かない。
「海と同じ高さ」
口にすると、ポルテは断崖の下をのぞき、それから周囲の山を見上げた。
「海、ないですよ」
ポルテは断崖の縁から半歩だけ下がった。見下ろしても、水面らしい光はどこにもない。
「見れば分かる」
「湖だった跡とか」
「湖底なら傾きがある。川も集まる。あそこには、どちらもない」
沢の水は平地へ落ちたあと、行き先を決められずに薄く広がっている。望遠筒でその先を追うと、水は中央の巨樹から延びる根に沿っていくつもの筋へ分かれ、地表に走る細かな割れ目へ吸い込まれていた。土の下には砕けた岩の層が続いているらしく、平地そのものが大きな水抜きになっている。だから湖を作るほど溜まっていないのだろう。
テラは測定値を羊皮紙へ書いた。数字を一つ書き間違えた気がして削り、同じ数字を書き直す。海抜零。中央山脈の奥に置くには、あまりにも場違いな記録だった。
その夜は沢から少し離れた岩陰に天幕を張った。
焚き火を大きくできるほど薪はなく、乾燥肉を湯へ入れて柔らかくした。ポルテは椀を両手で持ったまま、平地の中央に立つ樹を見た。
「あの樹が、周りの土を吸ったとか」
テラは椀の中で戻りきらない乾燥肉を匙で押した。測量記録に書ける答えが、食事の間に生えてくる気配はない。
「吸った土をどこへ置いたの」
「山の下に大蛇がいて、食べたのかも」
「それは測量記録の備考に書けない」
椀へ口をつけたポルテは、まだ納得していない顔をしていた。
「地図師は、こういう場所を何て呼ぶんです」
「見たことのない地形に、決まった呼び方はない」
「名前をつけるのも測量師の仕事でしょう」
村人が使っている名を記録することはある。無名の小川や峠に、地図上の呼び名を与えることもあった。それでも、暮らす者も通る者もいない土地へ、最初に見つけたというだけで名を刻むのは、テラの仕事から少し外れている気がした。
「帰ってから考える」
話を切り上げ、彼女は膝の上へ地図を広げた。
消えた尾根の線を、今度は細い刃で削った。羊皮紙の表面が白く毛羽立つ。上から平地の輪郭を描き直そうとして、手が止まった。
通常の地図なら、斜面の向きに合わせて短い線を重ねる。谷には水の流れを入れ、岩場や森には決められた記号を置く。眼下の土地には、そのどれもほとんどなかった。輪郭の内側が大きな空白になる。
中央の樹だけは記さなければならない。遠方から位置を確かめる目印として、あれ以上に優れたものはなかった。
テラは樹木の記号を一つ描いた。地図で使う、幹に三本の枝をつけただけの簡単な印である。平地の広さに合わせれば小さくなるはずなのに、実物を見たあとでは、いつもの大きさで描く気になれなかった。枝を少し伸ばし、さらに足す。気づけば記号の先が北側の輪郭へかかっていた。
翌朝、二人は来た道を戻った。
降り口は見つからず、東へ抜ける道も確認できなかった。隊商組合が望んだ近道は、少なくとも荷馬が通れる形では存在しない。その代わり、テラの地図には、それまで誰も記していなかった低地が加わった。
山裾の地図師組合へ戻ると、帳面を預かる古株の地図師は、平地の輪郭より先に、中央の大きな樹木記号を指で叩いた。
「これは森か」
「一本です」
その指が止まった。
「一本」
「見える範囲では」
問い直される前に、テラは標高函の測定表を横へ置いた。往路と復路、二つの地点から取った数字が並んでいる。地図師は樹より長く、そちらを眺めた。
地図は写しを作られ、原図には調査日とテラの名が記された。最後に土地の名を書く欄だけが残った。
テラはペン先へついた余分な墨を瓶の縁で落としたが、その欄には何も書かず、原図を机の向こうへ滑らせた。た。