神話ができるまでの千年と30日   作:想像神

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プレイ8日目 幻想歴百四十三年――アインリト

 

プレイ8日目

 

八日目は、干した洗濯物を取り込むまでの軽い気持ちでゲームを起動した。

 

昼を少し過ぎたところで、窓の外の空はまだ明るい。午前中に買い物と掃除をしっかりと済ませておいたので、夕方までは特にやることもなかった。ミロは窓際に置いた座布団の上で、射し込む日差しに合わせて少しずつ寝る場所をトコトコとずらしている。

 

《世界ミロは幻想歴143年を迎えました》

 

《干渉力:100/100》

 

「また三十年以上経ってるな……」

 

昨日の終了時点では幻想歴百七年だったはずだ。一晩しか寝ていないというのに、画面の向こうでは一つの王国がすっかり古びてしまうだけの歳月が流れていた。

 

昨日適当に放置して設置した「観測門」のアイコンがまだマップ上に残っている。三十六年が経過しても問題なく稼働しているらしく、維持費や現地の魔力枯渇を告げる警告なども出ていないので、まずは気になってその詳細を開いてみた。

 

映し出されたのは、東の果ての荒野にぽつんと並ぶ無機質な石柱と、強い風に押されて乾いた地面を転がる枯れ草の群れだけだった。三十六年もの時間があれば何か大きな事件でも起きているかと期待したが、《周辺で確認された主要事件:なし》と味気ないテキストが表示されるだけだ。

 

「まあ、平和で何よりか」

 

俺は三分ほど画面を眺めてから、観測画面をそっと閉じた。

 

ゲームを再開した直後から、画面の端には未読の通知が三件、ピカピカと並んでいた。

 

《トゥリエ共同領が国家へ移行しました》

 

《新国家“トゥリエル王国”が成立しました》

 

《実績“最初の国家”を解除しました》

 

「おお、ついにちゃんとした国になったのか」

 

通知のリンクからマップへ移動してみると、昨日まで《トゥリエ村》という慎ましい名前が表示されていた一帯が、見違えるような立派な城壁にすっぽりと覆われていた。かつての古い村の範囲はもちろん、川の対岸にまで広がる巨大な住宅区や工房区まで、すべて頑丈な灰色の線が囲い込んでいる。北側には重厚な石造りの大門がそびえ立ち、その周辺だけ新しく切り出された石材の色がひときわ眩しかった。

 

新しく解放された国の詳細情報を開く。

 

《人口:23,794》

 

《主要種族:人間、エルフ、ドワーフ》

 

《都市・集落:7》

 

《統治形態:王政・3評議会制》

 

初代国王の名前の欄には《レグス》と刻まれていた。しかしその人物のアイコンを選んでみると、すでに《故人》とステータスが切り替わっている。

 

「王様になったと思ったら、もう次の世代に代わってるのか……」

 

三十六年という歳月が流れていれば、それは当然の摂理だろう。現在の国王はすでに二代目となっており、北門のさらなる拡張と街道の舗装工事を鋭意進めているらしい。昨日俺が放り込んでやったあの石材は、外壁だけでなく街の橋や水路の基礎部分にもふんだんに使われ始めているようだ。

 

実績の報酬を確認すると、《文明設備配置》という新しいカテゴリが追加されていた。

 

開いたメニューの一覧には、穀物倉庫、治療院、魔力炉、結界中継塔といった、インフラ系の施設がずらりと並んでいる。設置できる数には上限があり、それぞれの文化圏や周辺の資源事情によって相性や効率が大きく変動するらしい。

 

トゥリエル王国には、すでに立派な巨大倉庫と治療院が備わっていた。魔力炉を新しくねじ込むこともできそうだったが、あいにく周囲に魔力資源が乏しいため効率はあまり良くなさそうだ。

 

「まあ、国になったなら、当面は自分たちで上手いことやっていくだろ」

 

俺はカメラを南東へと大きく動かし、アインリトの地域を開いてみた。

 

《アインリト集落》

 

《人口:4,612》

 

《所属:アインリト諸部族盟約》

 

《主要課題:魔力供給の不足、周辺集落の防衛》

 

「こっちは、まだ『集落』のままなんだな」

 

最初はたった六十四人だったことを思えば、十分すぎるほど爆発的に人口が増えている。黒い岩を積み上げて作られた家々は谷の隙間から溢れ出し、昔の中心集落を取り囲むように小さな町がいくつも連なっていた。ただ、トゥリエル王国のように一つの美しい色で地図が塗りつぶされているわけではなく、それぞれの町には異なる部族の誇り高い紋章がバラバラに掲げられている。

 

アインリトの中心地には、あの三日目に俺が気まぐれで配置した「魔力泉」が今も大切に残されていた。その周囲は頑丈な石造りの水路や各種工房で隙間なく埋め尽くされ、鉄鉱脈が眠る山肌には無数の坑道が黒い口を開けている。鉱物資源自体は潤沢にあるものの、急激な人口増加によって魔力を消費する各種設備の稼働時間が慢性的に足りなくなっているらしい。

 

状態ウィンドウを開くと、《揚水設備停止》《工房稼働制限》《外縁結界の断続停止》という不穏な黄色い警告がズラリと並んでいた。

 

「魔力不足で、すっかり現代の電力危機みたいになってるな……」

 

再び文明設備のメニューへと戻る。

 

《広域魔力炉》

 

《周辺の魔力資源を集積し、接続された設備へ安定供給します》

 

《推奨文明:魔力利用を主要技術とする文明》

 

今の切羽詰まったアインリトにドンピシャで置けと言わんばかりの、これ以上ない説明書きだった。

 

設置場所を選択すると、魔力泉の周辺に緑色の有効範囲円が広がる。民家や工房の真上は赤く警告されたため、中心街から少しだけ離れた、使い古された古い採掘跡の空き地を選んでドロップした。

 

《広域魔力炉を配置します》

 

《消費干渉力:50》

 

《干渉力:50/100》

 

漆黒の岩に囲まれたうす暗い窪地へ、重厚な石造りの円形設備がガウンと出現した。中央には何重もの巨大な石輪が組み込まれており、今はまだ稼働前でピタリと静まり返っている。そこから微かな光を放つ魔力の導線がスーッと伸び、魔力泉や周辺の水路へとつながっていく。

 

《関連設備“結界中継塔”を配置できます》

 

「やっぱりセットで置くパターンかよ」

 

中継塔は最大で四基まで配置できるようだった。アインリトの北、東、南にそれぞれ一基ずつ置き、最後の四基目は、集落の居住区が途切れている西側の主要街道沿いに設置した。どれも黒いオベリスクのような威圧的な外見をしており、単体ではまだ何も作動しない。

 

《結界中継塔4基を配置しました》

 

《消費干渉力:40》

 

《干渉力:10/100》

 

《全回復まで:15時間》

 

《広域魔力炉との接続を開始します》

 

地図の上に、細く美しい光の線がシュルシュルと描かれた。中心部の魔力炉から四方八方へ伸び、途中の工房や水路を抜けながら、遠くの中継塔へと確実に届いていく。

 

時間をわずかに進めてみると、古い採掘跡の脇を通りかかった住民たちが一斉に足を止めた。驚いたように顔を見合わせた後、別の者が集落へ向かって全速力で走り出し、やがて設備の周囲には物見高い野次馬がどんどん増えていった。外側のオベリスク塔の周辺でも、見張りらしい住民たちが物珍しそうに黒い石柱をペタペタと叩いて調べている。

 

《アインリト諸部族盟約が“広域魔力炉”を発見しました》

 

《複数の部族が設備の所有権を主張しています》

 

「あーあ、やっぱり揉め始めたぞ」

 

魔力炉の周りには、異なる部族の印を掲げた五つの集団がピリピリした空気で群がっている。勢力関係の表示はまだ辛うじて《協調》を維持していたが、その直下には《共同資源の分配》という新たな火種が追加されていた。

 

せっかく便利なインフラをプレゼントしてやったのに、一体誰が一番にその恩恵にあずかるかで早速いがみ合っているらしい。

 

「みんなで仲良くシェアして使えばいいだろまったく……」

 

五日目にもまったく同じセリフを吐いたことを思い出しながら、神託を送るための機能アイコンを慌てて開いた。

 

《簡易神託に必要な干渉力:25》

 

《現在の干渉力:10》

 

《必要量まで:2時間30分》

 

残念ながら、いまの干渉力では今すぐ神託を飛ばすことはできない。もっとも、仮に今すぐ送れたところで、また前回のように神様側の意図とはかけ離れた壮大で不穏な宗教的解釈にねじ曲げられるのがオチかもしれないが。現在のステータス表示はまだ黄色の警告であり、一触即発の赤い戦争状態というわけではない。

 

住民たちがこの利権争いを自分たちの知恵でどう決着させるのか、少し面白そうなのでそのまま見守ることにし、ゲームの時間経過速度を一段だけ標準より速くした。

 

画面中央の石輪が、かすかにゴウンと音を立てて動き始めたその時、開け放した窓の隙間から強めの風が部屋へと吹き込んできた。ベランダに干してあったシャツが、物干し竿ごとバタバタと大きく揺れている。

 

「っと、洗濯物先に取り込んどくか」

 

俺は慌ててゲームの時間速度を通常に戻し、席を立った。

 

幻想歴百四十三年――アインリト

 

ドゥクスは、朝から五枚の重い割符を一枚ずつ裏返しながら、深い溜息をついていた。

 

薄暗い執務室の机の上には、それぞれの部族の誇る角の形が刻まれた特製の木札が、綺麗に整列させられていた。鍛冶炉の稼働、揚水機の維持、治療院の薬効維持、染め場の用水、そして外縁結界の展開。どれも今日のうちにどうしても魔力泉の恩恵を分けてほしいと切実に申請してきた重要インフラの札ばかりだった。

 

しかし、現在の泉のキャパシティから安定して魔力を引き出せるのは、どうあがいても「三つ分」が限界だった。

 

「治療院の札は、最初から動かさないでおこう」

 

昨夜、北の採掘坑道で局所的な落盤事故が発生し、重傷を負った鉱夫が七人も一斉に運び込まれていたからだ。同様に、低地の共同水槽の水を維持するための揚水機も絶対に止めるわけにはいかない。昨日の時点で水槽の水位はすでに半分を割っており、今朝の早朝の水汲み場にはすでに二百人近い主婦や子供たちが殺気立って並んでいたのだから。

 

問題は、残された最後のひと枠を「鍛冶炉」に回すべきか、それとも「外縁結界」に回すべきか――その一点で、ドゥクスの指先はピタリと硬直していた。

 

「西側の監視所から、また厳しい催促の文書が届いています」

 

対面に直立する若い書記が、今朝届いたばかりの未開封の封筒を恐る恐る差し出した。

 

神天地へと続く交易街道では、近年になって人類諸族の巡回部隊の数があきらかに増えていた。三十六年前に不可思議な奇跡によって誕生したトゥリエル王国は、若き二代目国王の治世下に入ってからというもの、国境沿いの街道や見張り台の石造化を猛烈なスピードで推し進めていたのだ。アインリトの魔族たちと同じ紋章を身にまとった厳めしい兵士たちや、石積みの頑丈な補給荷車が、境界線のすぐ手前で毎日のように目撃されているという。

 

「もし外縁の結界を落とせば、あの人間たちの王国側から即座に抗議と臨検の使者が押し寄せてきます」

 

書記は結界の割符を握りしめたまま、未練がましく鍛冶炉と染め場の札へと視線をさまよわせた。どれか一つを切れば、切られた側から容赦ない不満の声が飛んでくるのは明白だった。

 

「鍛冶炉を落とせば、坑道で命を削る男たちのための支柱金具が完全に底を突く」

 

「染め場からも、今朝だけですでに三度目の直談判が来ています」

 

「『川の水で根気よく洗え』とでも言い返しておけ」

 

「それでは布の染料の色が綺麗に定着せず、交易の信用に関わると泣きついております」

 

ドゥクスは頭痛を抑え込むように、染め場の割符を指先で乱暴に机の端へと弾き飛ばした。今日の生存枠の三つには、当然のように入らない。

 

アインリト諸部族盟約の最高執行役を務めるようになってから、今年で丸十二年になる。しかし、彼が日々頭を悩ませて決断していることの大半は、のちに書記が歴史の公式記録として綺麗に清書するような壮大な国家事業などではなかった。魔力泉をどの順番で繋ぐか、崩落した泥道をどの部族が手分けして埋め直すか、共同倉庫から各家庭へ配給する穀物の正確なグラム数。そんな泥臭い生活の細事ばかりだ。神天地の東方駐留団を誰が統率するかという政治的な大論争よりも、「街のパン焼き窯を午前と午後のどちらに稼働させるか」というご近所トラブルで頭を丸める日のほうが遥かに多かったのだ。

 

百年近く前、世界樹の根元で受け取ったあの謎の神託によって、東側の異種族たちは一つの炉辺のもとに集うと厳かに誓い合った。それ以来、見張り台や水場は共有され、命綱である交易路の通行札もたった一種類に統一された。

 

しかし、だからといってそれぞれの部族が代々守り抜いてきた「土地」「工房」「泉の利権」を心から手放したわけではなかった。盟約の最高執行役であるドゥクスにすら、勝手に特定の工房の火を消すような絶対的権限など与えられておらず、机の上の木札をどう動かそうとも、最後にはそれぞれの頑固な部族長たちのところへ赴いて頭を下げ、承認を取り付けに行かなければならなかったのだ。

 

「治療院、揚水機、そして外縁結界だ。これでいく」

 

ドゥクスは悩み抜いた末に選んだ三枚の木札を机の中央へ引き寄せ、最後まで残った鍛冶炉の割符を力なく押し戻した。

 

「鍛冶組合の職人長たちが、間違いなく激怒して暴動を起こしますよ」

 

「支柱金具は、共同倉庫の非常用予備を明日までにとりあえず回せ。それでどうにか一日分はもたせる」

 

「その予備を今崩してしまえば、今週末に予定されている南坑道の補修工事が完全に立ち行かなくなりますが」

 

「分かっている、そんなことは最初から百も承知だ」

 

書記が選定された三枚の札に渋々インクを捺そうとしたその瞬間、外の石造りの廊下をドタバタと慌ただしい足音が凄まじい勢いで近づいてきた。

 

頑丈な執務室の扉をノックする礼儀すら忘れ、勢いよく突入してきたのは、採掘区の現場監督を務める若い灰角の男だった。彼の頭に生えた立派な角の一本には、測量用の赤いテープがぐるぐると巻きつけられたままになっていた。

 

「執務官! 古い採掘跡の奥で、とんでもなく『妙な代物』が見つかりました!」

 

「『妙な代物』などという抽象的な表現では何も分からん。ちゃんと言え」

 

「おそらく、巨大な『炉』です! ……たぶん、ですが!」

 

「『たぶん炉』とは何だ、はっきりしろ!」

 

「火口も煙道も、薪をくべる場所すらないんです! だが…どうやら魔力を直接流し込むと、勝手に起動する仕組みになっているようなんです!」

 

ドゥクスは、さっき自分がしぶしぶ突き返したばかりの「鍛冶炉の割符」を無言でひったくり、書記の顔へと押し付けた。

 

「…今日の決定はすべて一旦保留だ。今すぐ現場へ案内しろ」

 

古い採掘跡地は、アインリトの中心街から東へ早足で半刻ほど歩いた、岩だらけの荒涼とした谷間に位置している。

 

百年以上前、最初の鉄鉱脈がこの地に発見された頃には、掘り出した鉱石を選り分けるための巨大な野外作業場として使われていた場所だった。しかし坑道が山のさらに深部へと伸びるにつれて、ここはただの廃棄石やドス黒い鉱滓の捨て場と成り果て、近年では新しい水路を安全に通すため、積み重なった古い黒岩の塊を少しずつ削り崩している最中だった。

 

現地に到着すると、周囲にはすでに野次馬を含めて百人近い住民たちが物珍しそうに群がっていた。

 

すり鉢状の窪地の底から、見事な円を描く巨大な建造物が、半分ほど泥土を被った姿で頭を出していた。黒い特殊な石の輪が幾重にも精密に噛み合っており、その中央には大人の男が三人並んで余裕で立てるほどの広い足場が設けられている。石の継ぎ目からは、いまや見慣れた青白い魔力の筋がジグザグと走り、そのまま地下の地中深くへと潜り込んでいた。

 

「今朝方の水路拡張の作業で古びた鉱滓の山を崩したところ、その下からこれが突然現れたんです!」

 

若い監督官は、斜面に山のように積み上げられた不気味な黒い塊を指し示した。掘り起こされた周囲の土は確かに新しかったが、建造物そのものの表面には、気の遠くなるような長い年月を地下で眠り続けていたことを物語る厚い煤と泥土がこびりついていた。

 

ドゥクスは無言でその謎の石輪にそっと手を伸ばそうとしたが、ふと手を止めて周囲を見回した。

 

いつの間にか、アインリトの利権を握る主要な部族の代表たちが全員揃って現場に集結していた。赤い角を持つ武闘派の鍛冶師、神秘的な青い目を持つ泉守りの一族、そして北の坑道を実効支配する灰角部族の長老。三人の有力者たちは互いに一歩も引かないという敵意の視線を交わせながら、その巨大な石輪をぐるりと包囲していた。

 

「ここは、我が赤角部族が代々管理してきた伝統的な工房地だ」

 

鍛冶師の代表が、低く脅すような声で言い放った。

 

「地下の鉱滓をここまで運び込んでいたのはフェルムの時代からずっと我々だ。その地下に眠っていたものも、当然工房の資産の一部に決まっている」

 

「ふざけるな。地表の魔力筋は、我が一族が守るあの魔力泉へと直接繋がっているぞ」

 

泉守りの老女が、手にした杖の石突をカンと地面に鳴らした。

 

「泉の恩恵をもたらす代物である以上、その管理権は我々泉守りが単独で行うべきだ」

 

「そもそも、この古い地層を最初に掘り当てて文字通り発掘したのは、我が灰角部族の作業員たちだぞ!」

 

監督官も負けじと声を荒らげた。

 

ドゥクスは、まだまともに稼働すらしていない謎の古代の炉を、勝手に三つに切り分けて自分の物にしようと涎を垂らす彼らの醜い言い争いを横目に、円形の中央プラットフォームへと静かに歩み寄った。

 

その表面には、言語の文字や特定の部族の紋章などは一切刻まれていなかった。その代わり、大人の手のひらをぴったりと当てはめるための「窪み」が、円形の輪の配列に沿って等間隔でいくつも並んでいたのだ。

 

「…この奇妙な機械に、最初に触れたのは誰だ」

 

ドゥクスが静かに問いかけると、群衆の後方から一人の若い見習い鍛冶師が、おずおずと押し出されてきた。

 

「お、俺です。ここに手を当てたら……勝手に反応したんです」

 

若者が恐る恐るその窪みの一つに手のひらを当て、ほんのわずかな微量の魔力を流し込んでみせる。すると、一筋の青白い魔力の線が眩しく発光し、内側の石輪がギギギと重々しい音を立ててわずかに回転した。しかし、ほんの半周もしないうちに、ガリッという悪質な音とともにピタリと動きが止まってしまった。

 

「…どうやら、一人分の魔力だけでは出力が全く足りないようです」

 

若者が情けなそうに冷や汗を拭う。

 

「ならば、私でも試させてもらう」

 

泉守りの老女が前に進み出ると、別の空いた窪みへとその細い手をそっと添えた。

 

水のように淀みのない純度の高い魔力が流れ込むと、二本目の青白い線が力強く発光した。さらに、それを見た灰角部族の術者も慌てて三つ目の窪みへと飛びつき、自らの魔力を叩き込んだ――その瞬間、ガガガガッと巨大な石輪がものすごい勢いで噛み合い、横方向へ伸びる太い溝から勢いよく水飛沫が噴き上がった。

 

「全員、勝手に手を離すな!」

 

ドゥクスの鋭い号令で三人が慌てて飛び退くと、円形の石輪は数回激しく逆回転した後、ガクリと音を立ててその場で静止した。見物のために近くにいた何人かの服が水浸しになったが、幸いにも怪我人は出なかった。若手鍛冶師はビショビショになった前掛けを絞りながら、石輪の縁に残る微弱な光の残り香を凝視した。

 

「出力の総量が足りないのではありません! 3つの輪に流れ込む魔力の『速さと性質』が全くバラバラすぎて、噛み合わせが崩れているんです!」

 

鍛冶師の魔力は爆発的だが一瞬で切れる。泉守りの魔力は細く長く絶え間ない。そして灰角の術者の魔力は、その二つの中間で一定のリズムで脈打っている。若者の言葉の意味を理解した泉守りの老女が呼吸を整え、今度は自分の流し込む魔力のスピードと出力を、他の二人の波長に合わせるように微調整した。四度目の挑戦で、三つの石輪がようやくガッチリと美しい噛み合わせを見せた。

 

ドゴォォォンッ!と、地底の深部から不気味で重厚な水圧音が響き渡った。

 

窪地の外側に設置されていた、これまで完全に干からびていたはずの古い用水路へ、青白い神秘的な光を帯びた水がドッと勢いよく流れ込み始めた。石輪の地下構造を通過する過程で、水に含まれていた荒々しい魔力の揺らぎが綺麗に整えられ、淀みなく安定したエネルギーとして外部へ送り出される構造になっていたのだ。

 

三人のうち誰か一人が勝手に手を離せば輪の回転は一瞬で鈍るが、あらかじめ決めた通りのリズムで別の者がすぐに同じ窪みに触れれば、奇跡的に稼働は維持された。

 

「なるほどな。たった一つの部族の独占欲で抱え込むには、あまりにも手のかかる我が儘な心臓だな、これは」

 

ドゥクスが皮肉な笑みを浮かべると、三人の部族代表たちは誰も何も言い返すことができなかった。

 

その時――東側の遠く離れた山の上にある見張り台から、甲高い警戒の角笛が鳴り響いた。

 

一度、そしてわずかな間を置いて二度。それは住民たちを恐怖に陥れる敵襲の合図ではなく、「重大な未確認の発見」を全域に知らせる定例の警報だった。

 

ほどなくして、一人の息を切らせた見張り兵が、採掘跡の斜面を転げ落ちるように駆け込んできた。

 

「…不、不寝番からの緊急報告です! 街の外周エリアで、不気味な黒いオベリスクの塔が『四基』同時に出現しているのが発見されました! 北と南、それから東の岩場と、西側の街道沿いです!」

 

「これまでそんな建造物など一切なかったのか?」

 

「少なくとも、昨日の夕方の定例巡回では絶対に存在しませんでした!」

 

ドゥクスは目の前で完璧なリズムで回り続ける奇妙な石輪を見つめた。青白い魔力の筋のうち、新しく四本だけが、窪地の外側へと向かってまっすぐ地面の地下へ伸びている。

 

「…あの炉を止めるな。各部族から優秀な術者を最低一人ずつ出し、交代要員として張り付けろ。私は新しく現れた『塔』とやらの実態を確認しに行く」

 

西側の主要街道の脇に出現したという「黒い塔」は、最も近くに位置していた。

 

アインリトの雑然とした家々を通り抜けるまでの間にも、街の景色の変化は誰の目にも明らかだった。先ほどまで魔力不足で完全に死んでいた工房のランプが次々とパッと灯り、途中の水路では、長年錆びついて止まっていた巨大な木製の水車がギギギと力強く回り始めていた。魔力炉の心臓部から伸びた光の導線は地中を完璧に這い回り、街中の既存のインフラ施設へと次々に接続されていたのだ。

 

街道の脇にそびえ立つその黒い塔は、大人の背丈の何倍もあり、裕福な貴族の屋敷ほどもある圧倒的な巨躯を誇っていた。

 

一筋の継ぎ目すらない漆黒の石柱の表面を、細い溝が上へ上へと這い上がっている。ドゥクスたちが現場に到着したまさにその瞬間、その溝から眩しい青白い光が一気に吹き上がり、頂点へと到達した。その瞬間、塔のてっぺんから半透明の薄い光の膜がドーム状にフワッと広がり、さらに北や南の遠くにある別の中継塔へと伸びていくのが見えた。

 

その光の膜は、空を完全に遮断するような堅牢な物理的防壁というわけではない。太陽の眩しい光は綺麗に透過させ、空を舞う風や小鳥たちは何事もないように自由に出入りしている。見張り兵の一人が緊張した面持ちで街道側へと回り込み、結界の内側に立てられた木製の的へ向けて軽い火の魔法弾を放ってみたが、炎は膜に触れた瞬間にまるで霧のようにフッと霧散して消えてしまった。

 

「完全な防衛結界だ…」

 

同行していた泉守りの老女が、息を呑むように呟いた。

 

「四つの塔が、あの中心の魔力炉からすべての出力をリアルタイムで共有して支え合っている」

 

西の塔は、赤角部族の誇る工房区のさらに外側を優しく包み込んでいた。北の塔は灰角部族の採掘区の安全を完全に担保し、南の塔は泉守りたちの主要な居住区よりもさらに外側にドンと立っている。さらには東側の小さな牧草地に至るまで、魔族たちの生活圏のすべてがその光の膜のすっぽり内部へと収まっていた。

 

それぞれの塔から放射状に伸びた光の膜は、途中に無数に並んでいた部族同士の境界杭をいとも簡単に飛び越え、そのまま次の塔へと途切れることなく連なっている。

 

夕暮れを迎える頃には、この広大に広がった魔力炉と四基の結界塔の管理をめぐり、再びアインリト全域の主要部族の代表たちが緊急招集されることになった。

 

いつもの狭い会議室では到底全員が入るスペースを確保できず、古い採掘跡地の広い斜面に分厚い木の板を並べて即席の野外議場が作られた。中央ではあの謎の石輪が今も低く重々しい音を立てて回り続け、交代要員の術者たちの額には早くも玉のような汗が浮かんでいる。

 

赤角部族は当然のように炉の単独所有権を主張し、泉守りは流れ込む魔力の総量を完全に自分たちの手で管理させろと要求した。灰角部族は、この設備を地下から汗水垂らして掘り当てた作業員たちへの多額の特別報酬を最優先で支払えと息巻いた。外縁エリアの小さな部族たちからは、自分たちの土地が勝手に三つの巨大部族の結界の内側に組み込まれたことに対する不満の声が次々と飛んできた。

 

ドゥクスは、今朝の執務室でさんざん裏返して悩んだあの五枚の古い木札を取り出すと、目の前で回る石輪の縁へとポイと並べてみせた。

 

「いい加減にしろ。この炉を、これ以上どこか一つの部族のわがままな私有財産として渡すことなど絶対にできない」

 

「執務官に、私たちの財産を勝手に処分するような絶対的な権限はないはずだ!」

 

赤角の代表が机を叩いて声を荒らげた。

 

「その通りだ。今の不完全な盟約の規約のままではな」

 

ドゥクスは、神天地の最前線からつい先日届いたばかりの正式な外交報告書を、皆の前にバサリと広げた。その最上部には、三本の枝を美しく交差させた『トゥリエル王国』の誇り高き紋章が、冷酷なまでに鮮明に写し取られていた。

 

「西の領域では、あの人間やエルフ、ドワーフたちが三十六年前に一つの『国家』を築き上げた。あちらの連中は、創造主が与えてくれたあの謎の石を、『我々の統一が天に認められた絶対的な証』だと言い張っている。今この瞬間も、その王国と同じ誇り高き統一旗を掲げた見張り台が、この神天地の境界線へと着実に迫りつつあるのだ」

 

即席の野外議場を包んでいた騒がしいざわめきが、ピタリと静まり返った。

 

人類諸族が明日にもこのアインリトへと総攻撃を仕掛けてくるわけではない。東の交易商たちは今でも境界の関所を自由に行き来しているし、神天地では互いの巡回ルートを知らせ合う外交文書も定期的に交わされている。しかし、「国」という絶対的な体制と、単なる「緩やかな部族の寄り合い」とでは、動員できる兵士の数も、一本の街道を整備する速度も、危機における決断の速さも、すべてが圧倒的に違っていた。

 

国境の境界線でわずかな小競り合せが起きたとき、五つの部族が五つの全く異なる勝手な返事をモタモタと返している間に、向こうの王はたった一言で「全軍出撃」の命令を下すことができるのだ。

 

「我々にも、今朝、ついにこの強力な炉と結界が与えられた」

 

「…それが本当に創造主から『与えられた』ものかなんて、どうやって証明する気だ?」

 

泉守りの老女が、疑うような濁った目で尋ねた。

 

「百年間も地下の泥に埋もれていた代物が、まさにこのタイミングで掘り出された。これをただの偶然の産物だと言い張る馬鹿は勝手にそう思っていればいい。だが私は、これを人類の傲慢な王冠に対抗するため、創造主が我ら魔族に遣わしてくださった『新たなる心臓』と呼ぶ」

 

中央の魔力炉の石輪が、重厚な駆動音を響かせながら完璧なリズムで回転し続けている。

 

術者の一人が疲労で手を離すたびに音はわずかに乱れるが、あらかじめ待機していた別の術者がすぐにその窪みへと触れることで、駆動音はすぐに元の美しい調子へと戻っていく。その一連の光景を目の当たりにしながら、この巨大なインフラを「一部族だけの独占物だ」と言い張る厚顔無恥な者は、もはや誰一人としていなくなっていた。

 

「…もし、この心臓をこれまで通り五つの破片に切り分けて血を流し続けたいなら、今まで通り勝手にすればいい。泉の使用順序を何年も揉め、工房ごとにバラバラの結界を張り、外から飛んでくる命令に対して部族ごとに勝手な返事を返せばいい。だが……この炉を一つの揺るぎない力として完全に機能させたいのならば、これを管理し維持するための『統一された国家』が、我々にも絶対に必要不可欠なのだ」

 

最初に立ち上がったのは、外縁の牧草地を細々と守る小部族の代表だった。

 

「うちのような小さな零細部族には、あの炉へ常に差し出せるような優秀な術者など二人しかいない。もし五つの部族ですべて同じ量の負担を求められるというのなら、最初からこの枠組みには加われない!」

 

議場の端のほうから、同じように小さな集落を率いる別の代表者たちからも不安の声が同調するように上がった。ドゥクスは彼らの前へと落ち着いた足取りで歩み寄り、魔力以外の具体的な貢献度を書き記した分厚い台帳を差し出した。

 

「負担を求めるのは、何も魔力の総量だけではない。塔の周辺の夜間見回り、荒れた街道の肉体労働による補修、交代で炉へ向かう術者たちの送り迎えなど、やるべき仕事は山ほどある」

 

「…たとえ出す魔力が少なくても、配分の割り振りを決める神聖な評議会の席には座れるのか?」

 

「当然だ。部族の規模の大小に関わらず、各部族から一人の代表を評議会へ出す。実際にどれだけの魔力を消費し、どれだけの労働力を提供したのかという実績は、すべて公正な記録としてオープンに公開する」

 

泉守りの老女は、それならば日々のリソースの用途ごとの配分は一体誰が最終決定権を持つのかと鋭く突っ込んで聞いた。

 

ドゥクスは、朝からずっと執務室の机に並べていたあの五枚の使い古された木札を皆に見せた。水、治療、工房、結界。魔力炉が生み出す莫大なエネルギーは、個別の「部族」という狭い単位ではなく、すべて「用途」という公共の目的に従って公平に分配する。その配分の優先順位を決める会議には、各部族と各工房から必ず一人ずつ代表を出して全員で合議する。そして、外敵の侵略や緊急事態に対する最終的な軍事指揮権については、たった一人の「執務官」に全権を委ねる――。

 

「…その一人は、お前がやるつもりか」

 

赤角部族の代表が、腕を組んで不敵な笑みを浮かべた。

 

「今すぐこの場で正式に決めるというのなら、この泥をかぶる役目は私が喜んで引き受けよう。……だが、次にこの席に座る者を誰にするかは、この炉の火が二度と消えないうちに、我々全員で改めて選挙で決めればいい」

 

「お前も結構、こういう権力闘争には手際が早いじゃないか」

 

赤角の代表は呆れたように鼻で笑いながら、窓の外へと顎をくいと向けた。その斜面の下では、空の水桶を両手で抱えた貧しい住民たちの長い列が、すでに朝日に向かって延々と作られ始めていた。

 

「低地の共同水槽は、今日の夕暮れには完全に底を突くぞ」

 

斜面の下で、控えていた若い書記がゴホンと小さく咳払いをした。正確には完全に一滴も残らず空になるわけではないが、「水汲みの列が倍以上に膨れ上がる」という今朝のリアルな絶望的報告を、ドゥクスは皆の前であえて少しだけ短く誇張して伝えていたのだ。

 

その日の夜遅くまで続けられた激論の末に決定した事項は、「魔力炉を絶対に止めずに五部族で共同管理すること」、そして「正式な国家憲法が制定されるまでの暫定期間として、ドゥクスが全体の最高指揮を執る執務官を務めること」の二点のみだった。

 

各部族の代表たちがそれぞれの持ち場へと持ち帰った案を持ち寄り、一つの美しい公式文書へと完全にまとめ上げるまでには、それからさらに十八日間の血の滲むような交渉の日々を要した。最後まで激しく揉めに揉めたのは、「新国家へ何を一番の基本税として納めるべきか」という税制の条文だった。

 

「貨幣のやり取りだけでは、この巨大な魔力炉を維持するための物資は回らない!」

 

泉守りが叫べば、外縁の小部族たちは「魔力的な労働力だけで参加できる救済措置がなければ国とは認めない」と言い返した。赤角部族は「優秀な術者を命がけで現場に差し出したうえで、さらに同じ重みの貨幣まで二重に巻き上げる気か」と机を激しく叩き割った。

 

最終的に、草案の段階にあった《各部族は等しく魔力を納めるべし》という美しい理想論の一文は、鉛筆で綺麗に丸ごと削り消された。

 

「『等しく』という綺麗事を、まずこの条文からすべて消せ」

 

ドゥクスは冷徹に言い放った。

 

「炉へ送る魔力の総量、結界塔の周囲を命がけで守る日数、重い石材を運ぶ荷車の台数。それぞれの部族が、その時々に『出せる最善のもの』を持ち寄り、この巨大な心臓を一緒に動かす役目を負う。我が国において、誰がどれだけの富や労働力を提供したのかという実績は、一切隠すことなくすべて記録に残す」

 

書記は問題の綺麗事の行を羽ペンのナイフで綺麗に削り取り、その真っ白な余白へ新しい現実的な条文を一文字ずつ書き込んだ。

 

それぞれの部族が所有する独自の土地と伝統的な祭礼の自由はこれまで通り全面的に保障するが、魔力炉、結界塔、全土を貫く街道、そして共同倉庫の管理権はすべて新政府が一括して直轄する。そして万が一、外部から侵略者や異敵の攻撃を受けた際には、すべての部族の精鋭戦士を直ちに同一の最高指揮系統のもとに強制招集する――。

 

その最も重要でシビアな条文が最後に力強く加えられ、ついに歴史的な建国文書のすべてが完成した。

 

奇妙なことに、新しい国家の正式な「国名」が決まるよりも遥かに先の日程で、魔力炉の窪みに直接触れることのできる「術者たちの厳格な交代表」だけは完璧に完成していた。

 

やがて決定された新国家の正式名称は、かつての古い集落の名前を五部族に伝わる最も古式ゆかしい発音へと微修正し――《アインリート魔導国》と命名された。

 

国の最高指導者には「王」という古臭い称号ではなく「執務官」が選ばれ、初代のその重責には当然の流れとしてドゥクスが就任した。贅沢な戴冠式や黄金の冠を求めるような声は誰の口からも一切上がらなかった。その代わりに行われたのは、五部族を代表する五人の長老たちが、順番にあの魔力炉の石輪の窪みへと自分の手をそっと置くという、きわめて実務的で厳かな儀式だった。

 

炎を象徴する深い赤、泉を象徴する澄んだ青、鉱石の硬質さを思わせる白、底知れぬ影を落とす紫、そして吹き抜ける風を含んだ緑。

 

五色の異なる魔力の光が、連動する石輪の周囲を美しく巡っていく。その神秘的な光景の最中、炉のメンテナンスを任されていた若い鍛冶師が、不意に大きな声を上げた。

 

「待て! 赤角の魔力の出力が強すぎます! もう少し全体の出力を落としてください!」

 

名指しされた赤角部族の代表は不満タラタラといった顔を歪ませたが、周囲の鋭い視線に負けて、言われた通りに自分の流し込む魔力の圧力をグッと弱めた。それに合わせて泉守りの老女が全体の流れの速さを冷静に数え上げ、灰角の術者が全体の脈動のインターバルを完璧に同期させる。不規則に引っかかっていた三重の石輪は、一度不気味な重低音を響かせた後、昼間に見事に調整されたあの正確な速さで再び力強く回り始めた。

 

最後に、初代執務官となったドゥクスが、最後まで空いていた最後の窪みへとその掌を力強く押し当てた。

 

――その瞬間、アインリートの全域を守護する四基の結界塔が一斉にまばゆい光を放った。

 

アインリートの巨大な街全体を包み込む薄い魔力の膜が、静まり返った夜空の下へとドーム状にフワッと広がり、無数の工房の煙突や採掘現場の黒い足場を優しく淡く照らし出した。遠くの牧草地では、かつての部族同士の不毛な境界杭を軽々と飛び越えて、光の結界が次のオベリスク塔へと途切れることなく綺麗につながっていく。

 

若い書記は、稼働し始めた魔力炉のすぐ傍らに特設された机の上で、記念すべき歴史的な「最初の国令」を猛烈な勢いで書き上げ、五つの部族の代表印を次々と固く捺していった。

 

文書の冒頭には、「外敵からの侵略を受けた際の一切の軍事指揮権は、ただひとりの執務官に完全に一本化する」という強い文言が刻まれている。そのすぐ下の狭い余白には、水、治療、結界、工房という優先順位に従って魔力を各所に分配するという、当面の泥臭いインフラ配分計画がびっしりと詰め込まれていた。

 

夜明け前の冷え切った空気の中、ドゥクスは街の低地にある共同水槽へと一人で足を運んでいた。

 

魔力炉の心臓部から地中を伝ってきた光の導線が揚水ポンプの魔力紋を順番に満たしていき、先ほどまで完全に沈黙していた巨大な木枠の構造物が、ギギギと重々しくも頼もしい駆動音を立てて力強く動き始めた。地下の深淵から汲み上げられた新鮮な地下水が、石造りの樋を勢いよく伝い、空っぽに近かった水槽の乾いた底を勢いよく激しく叩いた。

 

夜明けの薄明かりの中、水汲みのために行列を作っていた住民たちの列は、昨日よりもさらに長く、果てしなく伸びていた。

 

その列の先頭にいた一人の白髪の老女が、使い古された木製の桶をザブンと水槽へ差し入れ、その後ろでは、お下がりの小さな桶を二つ並べて持とうとした幼い子供が、番人のおじさんに「お前は一つだけにしとけ!」と元気よく怒鳴られているのだった。

 

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