『君が拒んだ終わりの先で』   作:吉野家

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第14話 重なる影

 

 雄英高校の正門前が、妙に騒がしかった。

 

「……何だ、ありゃ」

 

 登校してきた一護は、思わず足を止めた。

 

 校門の周囲にはカメラを構えた報道陣が集まり、警備員に向かって盛んに質問を投げかけている。

 

 その隙間から、雄英の制服を着た生徒たちが迷惑そうに通り抜けていた。

 

「オールマイトが雄英で教鞭を執っているというのは本当ですか!」

 

「授業の様子について、お話を!」

 

 なるほど。

 

 昨日の授業を思い出し、一護は納得した。

 

 平和の象徴が教師になった。

 

 世間にとっては、それだけ大きな出来事なのだろう。

 

「……朝っぱらから元気だな」

 

 呟きながら歩き出したところで、横から声が飛んできた。

 

「黒崎くん!」

 

 振り返ると、飯田天哉が大股でこちらへ向かってきていた。

 

「おう。飯田か」

 

「君も今来たところか!」

 

「ああ。すげえ人だな」

 

「まったくだ! 取材したい気持ちは分かるが、生徒の通行を妨げるのは感心しない!」

 

 飯田は腕を直角に動かしながら、門の方を見た。

 

 その真面目すぎる反応に、一護は少し笑った。

 

「お前、ああいうのに注意しに行ったりすんなよ」

 

「むっ。何故だね?」

 

「余計に囲まれるぞ」

 

 飯田は一瞬、口を閉じた。

 

 それから、神妙な顔で頷く。

 

「……確かに、その可能性はあるな」

 

「だろ」

 

「では速やかに登校しよう! 遅刻は厳禁だ!」

 

「まだ余裕あるだろ」

 

「余裕があるからこそ、早めに行動するべきなのだ!」

 

 一護は肩をすくめた。

 

 昨日までは、やたらと堅苦しい奴だと思っていた。

 

 今もその印象はあまり変わらない。

 

 ただ、こうして話してみると、悪い奴ではなさそうだった。

 

     *

 

「学級委員長を決める」

 

 朝のホームルーム。

 

 相澤消太がそう告げた途端、教室が沸いた。

 

「はい! 俺やりたい!」

 

「私も!」

 

「委員長って、何か響きいいよな!」

 

 あちこちから手が挙がる。

 

 一護は頬杖をついたまま、その光景を眺めていた。

 

 意外だった。

 

 面倒な役職を進んで引き受けたがる奴が、こんなにいるとは。

 

「黒崎! お前は立候補しねえのか?」

 

 隣から切島が尋ねてきた。

 

「しねえよ」

 

「即答か!」

 

「向いてねえしな」

 

「でも、昨日の訓練じゃ結構仕切ってたじゃん」

 

「あれは必要だったからだろ。毎日クラスまとめんのとは話が違う」

 

 そう答えると、切島は納得したように頷いた。

 

「確かに、そういうのは別か」

 

 その間にも、教室は騒がしくなっていた。

 

 誰が委員長にふさわしいか、という話よりも、自分がやりたいという声の方が目立つ。

 

 そんな中、飯田が立ち上がった。

 

「諸君! ここは公平な投票によって決めるべきだ!」

 

 よく通る声が、教室に響く。

 

「この役職は、クラス全体の信任を得た者が務めるべきだと考える!」

 

 勢いのある身振りに、何人かが笑った。

 

 だが、提案そのものに異論はなかった。

 

 結局、投票で決めることになる。

 

 一護は渡された紙へ目を落とした。

 

 誰に入れるか。

 

 昨日の今日で、クラス全員のことを知っているわけではない。

 

 だが、朝の校門前でのやり取りが頭をよぎった。

 

 少々堅苦しいところはある。

 

 それでも、人が困っていると放っておけない性分らしい。

 

 そういう奴が一人くらい、クラスの先頭にいてもいいだろう。

 

 一護は名前を書き、紙を折った。

 

 やがて、集計が始まる。

 

「委員長、緑谷出久」

 

「えええっ!?」

 

 ひっくり返ったような声を上げたのは、当の緑谷だった。

 

 教室中の視線が集まる。

 

 緑谷は机の上で両手をばたつかせていた。

 

「ぼ、僕!? 何で!?」

 

「最多得票だからだろ」

 

 一護が言うと、緑谷はさらに慌てた。

 

「で、でも、僕なんかが……!」

 

「投票で決まったんだし、そんな気負わなくてもいいんじゃねえの」

 

「そ、そうかな……」

 

 緑谷は困ったように笑った。

 

 副委員長には八百万百が選ばれた。

 

 こちらは、本人も落ち着いた様子で結果を受け止めている。

 

 一方、飯田は悔しそうにしながらも、すぐに姿勢を正した。

 

「緑谷くん! 私は君を支持する!」

 

「い、飯田くん……!」

 

「選出された以上、堂々と務めてほしい!」

 

 その言葉に、緑谷は少しだけ表情を和らげた。

 

 一護は二人のやり取りを眺めながら、机に肘をついた。

 

 何だかんだで、うまくやっていけそうなクラスだと思った。

 

     *

 

 午前の授業が終わると、教室は再び賑やかになった。

 

「黒崎くん」

 

 鞄から財布を取り出していた一護へ、声がかかった。

 

 顔を上げると、緑谷が立っている。

 

「ん? どうした」

 

「あの、昨日の戦闘訓練のことで、ちょっと聞きたいことがあって……」

 

 緑谷は手帳を抱えていた。

 

 開かれたページには細かな文字と図がびっしり並んでいる。

 

 一護は思わず目を見張った。

 

「……すげえな。全部書いたのか?」

 

「う、うん。気になったところだけだけど」

 

「これで気になったところだけかよ」

 

 覗き込んだ切島が笑った。

 

 緑谷は恥ずかしそうに手帳を引き寄せる。

 

「黒崎くんって、どうして耳郎さんの誘導に気づけたの?」

 

「ああ、あれか」

 

 一護は少し考えた。

 

「逃げる方向が妙だったんだよ。俺から距離を取るなら、もっと近い曲がり角もあったのに、わざわざ奥へ下がってたからな」

 

「そっか……移動方向そのものに目的があったんだ」

 

 緑谷はすぐに手帳へ何かを書き込んだ。

 

「でも、そういうのって、すぐに気づけるものなの?」

 

「慣れもあるだろうな。相手が何したいのか考えながら動く癖がついてるだけだ」

 

「癖……」

 

「お前だって、爆豪の動きをよく見てただろ」

 

 緑谷の鉛筆が止まった。

 

「え?」

 

「昨日の訓練。あいつの攻撃、結構読んでたじゃねえか」

 

「あ、あれは……昔から知ってる相手だから」

 

「それでも、あの状況で考えて動けるのはすげえと思うぞ」

 

 緑谷は目を丸くした。

 

 そのあと、少し照れたように笑った。

 

「あ、ありがとう」

 

「ただ、腕は大事にしろよ」

 

 一護は、緑谷の腕へ視線を向けた。

 

「昨日みてえなの、何回もやってたら身がもたねえだろ」

 

「……うん。分かってる」

 

 緑谷は真剣な顔で頷いた。

 

 どうやら、本人にも思うところはあるらしい。

 

「デクくん!」

 

 そのとき、廊下から麗日お茶子が顔を出した。

 

「お昼行かへん? 飯田くんも待っとるよ!」

 

「あっ、うん!」

 

 緑谷は手帳を閉じた。

 

「黒崎くんたちも、一緒にどう?」

 

「お、いいじゃん!」

 

 切島が即座に答える。

 

 上鳴も後ろから顔を出した。

 

「俺も行く!」

 

「お前、いつからそこにいたんだよ」

 

「今来たとこ!」

 

 一護は笑いながら立ち上がった。

 

 こうして、昼食へ向かう人数は自然と増えていった。

 

     *

 

 食堂へ入ると、緑谷たちは奥のテーブルを選んだ。

 

 椅子を引いて腰を下ろしたところで、近くにいた耳郎響香がこちらを見つけた。

 

「あ、昨日のヴィランチーム」

 

 隣には八百万百もいる。

 

 上鳴が顔を上げた。

 

「おっ、耳郎じゃん!」

 

「何、その反応。昨日は大変だったんだからね」

 

 耳郎は呆れたように笑った。

 

 一護が軽く手を上げる。

 

「悪かったな。怪我とかしてねえか?」

 

「してないって。あんた、ちゃんと加減してくれてたし」

 

「ならよかった」

 

「でも、次やったらそう簡単には捕まらないから」

 

「おう。楽しみにしとく」

 

 あっさり答えた一護を見て、耳郎は少し意外そうな顔をした。

 

 それから、口元を緩める。

 

「……余裕だね」

 

「そういうわけじゃねえよ」

 

 八百万も会釈した。

 

「昨日は勉強になりましたわ。黒崎さん」

 

「俺もだよ。お前の個性、思ってた以上に厄介だったしな」

 

「まあ」

 

 八百万は驚いたように瞬いた。

 

「そう言っていただけると、少し救われますわ」

 

「実際、あとちょっとだったろ」

 

「……ええ。次は負けませんわ」

 

 その表情に、昨日の悔しさが少し残っている。

 

 一護は笑った。

 

「そりゃ、こっちも負けるつもりはねえけどな」

 

「おお、いいねえ!」

 

 切島が楽しそうに声を上げた。

 

 そんなやり取りをしているうちに、耳郎と八百万も同じテーブルにつくことになった。

 

 飯田は緑谷の隣に座り、先ほどの委員長選出について何やら話している。

 

 麗日はその様子を笑いながら眺めていた。

 

 騒がしいが、不思議と居心地は悪くない。

 

 一護は食事へ手を伸ばした。

 

 そのときだった。

 

 校内に、甲高い警報音が響いた。

 

     *

 

『警戒レベル三。校内に侵入者あり。生徒は速やかに避難してください』

 

 食堂の空気が、一変した。

 

「えっ、侵入者!?」

 

「誰か入ってきたの!?」

 

 椅子を引く音が重なり、生徒たちが一斉に立ち上がる。

 

 誰かが非常口へ走り出すと、周囲の生徒もそれに続いた。

 

 出口へ向かう流れが急激に太くなる。

 

「おい、待て! 押すな!」

 

 一護が声を上げた。

 

 しかし、警報と人々の声にかき消される。

 

 前方で一人の生徒が足をもつれさせた。

 

 その背中へ、後ろから別の生徒がぶつかりそうになる。

 

 一護はすぐに手を伸ばした。

 

 転びかけた生徒の腕を掴み、もう片方の手で後続の肩を押しとどめる。

 

「落ち着け! 前が詰まってんだ!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「いいから足元見ろ。走んな!」

 

 二人が体勢を立て直したのを確認して、一護は手を離した。

 

 だが、出口付近の混雑は増すばかりだった。

 

 無理に押し返せば、かえって危ない。

 

 人の流れを止めるには、まず原因を確かめる必要がある。

 

 一護は窓の方へ目を向けた。

 

 校門のあたりに、朝と同じような報道陣が見える。

 

「……マスコミ?」

 

 どういう経緯かは分からない。

 

 だが、少なくとも窓から見える範囲で暴れている人間はいなかった。

 

「黒崎くん!」

 

 飯田が人の波をかき分けて近づいてきた。

 

「君も見えたか!?」

 

「ああ。今のところ、外にいるのは報道陣みてえだな」

 

「私もそう思う! だが、この状況では周囲へ伝えられない!」

 

 飯田は非常口付近を見上げた。

 

 その視線を追うと、頭上に大きな非常口の表示がある。

 

 人々の目が集まりやすい場所だ。

 

「……あそこか」

 

 一護が呟いた。

 

 飯田は頷くと、近くの麗日へ向き直った。

 

「麗日くん! 頼みがある!」

 

「えっ、何!?」

 

「君の個性で、私の身体を浮かせてほしい!」

 

 麗日は一瞬驚いたが、すぐに意図を察したらしい。

 

「分かった!」

 

 一護は出口の方へ目を向けた。

 

 いい判断だ。

 

 このまま人波の中から叫んでも、声が届く相手は限られる。

 

 目立つ場所へ出れば、少なくとも何人かは気づくだろう。

 

 麗日の個性で身体が浮いた飯田は、そのまま脚部のエンジンを使って勢いよく移動した。

 

 少々派手な音とともに、非常口の上へ辿り着く。

 

 そして。

 

「みんな! 大丈夫だ!」

 

 大声が響いた。

 

 周囲の生徒たちが顔を上げる。

 

「確認できる侵入者は報道陣だ! 慌てずに行動してほしい!」

 

 飯田は身振りを交えながら訴えた。

 

 その声が届くにつれ、人の流れが少しずつ緩み始める。

 

 誰かが足を止め、後ろにいる生徒へ事情を伝える。

 

 やがて、押し合っていた人々の間にも落ち着きが戻ってきた。

 

「……やるじゃねえか」

 

 一護は小さく笑った。

 

 朝、校門前で会ったときは少々堅苦しいと思った。

 

 だが、今の飯田は、自分に何ができるかを考えて動いていた。

 

 周囲の誰よりも目立つ場所に出て、混乱を収める。

 

 そのために麗日の力を借りることも、ためらわなかった。

 

 いいヒーローになりそうだ。

 

 そう思った。

 

     *

 

 警報騒ぎが収まり、生徒たちは順番に教室へ戻っていった。

 

 A組でも、先ほどの出来事が話題になっていた。

 

「いやあ、飯田すげえな!」

 

 切島が笑う。

 

「マジで助かったぜ!」

 

「でもさ、非常口の看板と並んでたの、ちょっと面白くなかった?」

 

 上鳴が言うと、何人かが吹き出した。

 

「上鳴くん! 私は真剣だったのだぞ!」

 

「分かってるって!」

 

 一護も口元を緩めた。

 

 飯田は真面目な顔で反論していたが、その耳は少し赤くなっていた。

 

 そこへ、緑谷が立ち上がった。

 

「あの、みんなに言いたいことがあるんだけど……」

 

 教室が静かになる。

 

 緑谷は一度息を吸った。

 

「委員長のことなんだけど、僕より飯田くんの方が向いてると思うんだ」

 

「緑谷くん!?」

 

 飯田が驚いた声を上げた。

 

「だって、さっきの混乱で、飯田くんはちゃんとみんなを落ち着かせてくれたでしょ。僕には、あんなふうにできなかったから」

 

 緑谷は少し照れたように笑う。

 

「だから、飯田くんにお願いしたい」

 

 飯田は言葉を失ったようだった。

 

 一護は二人を見ていた。

 

 自分に向いていないことを認めるのも、別の誰かを推薦するのも、簡単なことではない。

 

 緑谷は緑谷で、よく周囲を見ている。

 

「俺は賛成だな」

 

 一護が言うと、切島も頷いた。

 

「おう! 俺も!」

 

「異議なーし!」

 

 上鳴が手を上げる。

 

 何人かから賛成の声が上がり、飯田はますます困惑したような顔になった。

 

「し、しかし……!」

 

「やってみりゃいいじゃねえか」

 

 一護は肩をすくめた。

 

「さっきは実際、お前のおかげで助かったんだし」

 

「黒崎くん……」

 

「ただし、何でも一人で背負うなよ。委員長だからって、全部やる必要はねえだろ」

 

 飯田は一護を見つめた。

 

 それから、姿勢を正す。

 

「……分かった。引き受けよう!」

 

 その声は、さっきまでより少し落ち着いていた。

 

「皆の期待に応えられるよう、精一杯務めさせてもらう!」

 

 教室に拍手が起こる。

 

 八百万も、隣で微笑んでいた。

 

「よろしくお願いいたしますわ、飯田さん」

 

「こちらこそ! 副委員長として、力を貸してほしい!」

 

「ええ、もちろんです」

 

 一護はそのやり取りを眺めながら、椅子の背にもたれた。

 

 まだ入学して三日目。

 

 それでも、クラスの雰囲気は少しずつ形になってきている。

 

 自分もその中にいることが、何だか不思議だった。

 

     *

 

 放課後。

 

 一護は教室に残り、配布された資料を鞄へしまっていた。

 

 昼の騒ぎの後始末もあって、今日は普段より少し下校が遅くなっている。

 

 窓際では、常闇踏陰が自分の机を整理していた。

 

 落ち着いた物腰と、鳥のような頭部。

 

 入学初日から印象に残っていたが、まともに話したことはまだなかった。

 

 常闇が机の上へ置いた冊子を取ろうとした、そのとき。

 

 重ねてあった資料が床へ滑り落ちた。

 

「あっ」

 

 一護が手を伸ばすより先に、黒いものが動いた。

 

 常闇の身体から伸びた影が、床へ落ちかけた資料を受け止めたのだ。

 

「おっと、危ない!」

 

 影が声を上げた。

 

 一護は目を瞬かせる。

 

「……喋るのか、そいつ」

 

 常闇が顔を向けた。

 

「ああ。我が個性、黒影だ」

 

「黒影?」

 

「ダークシャドウとも呼ぶ。見ての通り、ある程度は自らの意思を持っている」

 

 黒い影が、ひょいと顔を上げた。

 

「よろしくな!」

 

「お、おう」

 

 一護は思わず返事をした。

 

 影が得意げに笑う。

 

 常闇はその様子を見て、静かに資料を受け取った。

 

「……便利だな」

 

「便利って何だよ!」

 

 黒影が抗議する。

 

 一護は苦笑した。

 

「悪い悪い」

 

 そう答えながら、改めて黒影を見た。

 

 常闇の身体から伸びた、黒い存在。

 

 独立した意思を持ちながら、その力は常闇自身の個性として扱われている。

 

 身体と繋がっているようにも見えるし、離れて動いているようにも見える。

 

「なあ、常闇」

 

「何だ?」

 

「そいつが出てる間、お前の身体はどうなってんだ?」

 

 常闇は僅かに首を傾げた。

 

「どう、とは?」

 

「いや……身体から何かが抜けていくとか、そういう感覚はねえのかと思って」

 

「ふむ」

 

 常闇は少し考えた。

 

「そういう感覚とは違うな。黒影は我が内に宿る個性だ。外へ現れていても、俺自身が抜け殻になるわけではない」

 

「なるほどな……」

 

「何か気になるのか?」

 

「ちょっとな」

 

 一護は黒影へ目を向けた。

 

 影は常闇の肩の辺りまで戻り、何やら上機嫌に揺れている。

 

 あくまで個性だ。

 

 魂魄や霊力とは、成り立ちが違うのだろう。

 

 それでも、一護には妙に引っかかるものがあった。

 

 自分の内にある力。

 

 それを、身体から離れることなく外へ現す。

 

 以前の自分は、死神になるとき、必ず肉体から魂魄を分離していた。

 

 それが当たり前だった。

 

 だが、本当にそうする必要があるのだろうか。

 

「……黒崎?」

 

 常闇に呼ばれ、一護は顔を上げた。

 

「ああ、悪い。ちょっと考え事してた」

 

「そうか」

 

 常闇はそれ以上追及しなかった。

 

 代わりに、黒影が一護の方へ身を乗り出す。

 

「お前の個性も速いんだろ? 昨日の訓練、見たぞ!」

 

「そうなのか」

 

「ああ! 耳郎を捕まえるところ、なかなか面白かったぜ!」

 

 黒影が楽しそうに笑う。

 

 常闇は少し呆れたように目を細めた。

 

「……騒がしいな」

 

「いいだろ、別に!」

 

 一護は二人のやり取りを見て、思わず笑った。

 

「お前ら、仲いいんだな」

 

「……そう見えるか?」

 

「少なくとも、退屈はしなさそうだ」

 

 黒影が嬉しそうに声を上げた。

 

 常闇は小さく息を吐いたが、否定はしなかった。

 

     *

 

 教室を出たところで、一護は切島と出くわした。

 

「お、黒崎。まだ残ってたのか」

 

「ああ。ちょっと常闇と話してた」

 

「常闇? あいつの個性、面白えよな!」

 

「そうだな」

 

 切島は一護の隣へ並んだ。

 

「なあ、昨日の訓練のことでちょっと思ったんだけどさ」

 

「ん?」

 

「俺の硬化って、防御はできるけど、やっぱ相手に近づかねえとどうにもならないじゃん」

 

「まあ、そうだな」

 

「だから、もっと動きながら使えるようにしたいんだよな。昨日も八百万に色々作られて、結構苦戦したし」

 

 切島は自分の腕を見下ろした。

 

 次の瞬間、肌の表面が硬く変化する。

 

 角張った輪郭が浮かび、皮膚が岩のような質感になった。

 

「これ、別に何かを着けてるわけじゃねえんだよな。身体そのものが変わるっていうか」

 

 一護はその腕を見た。

 

「……確かにな」

 

「だから、まだまだ鍛えられると思うんだ」

 

「いいんじゃねえか」

 

 一護は頷いた。

 

「昨日だって、お前があそこに立ってなきゃ、八百万はもっと早く模擬兵器まで行ってただろ」

 

「おお、マジか!」

 

「俺はあんなふうに身体を硬くできねえしな。普通に羨ましいぞ」

 

「へへっ、ありがとな!」

 

 切島が笑った。

 

 一護も笑い返したが、頭の片隅では別のことを考えていた。

 

 身体そのものを変える個性。

 

 身体の内側から別の存在を現す個性。

 

 雄英へ来てから、これまで自分が知っていた力とはまるで違うものを、いくつも目にしている。

 

 前世でも、様々な能力を持つ相手と戦ってきた。

 

 けれど、あの頃の自分は、目の前の敵を倒す方法を考えることがほとんどだった。

 

 今は違う。

 

 相手の力を見て、自分の力の使い方を考える。

 

 そのこと自体が、少し新鮮だった。

 

     *

 

 昇降口へ向かう途中、廊下の向こうに見覚えのある姿を見つけた。

 

 拳藤一佳と、井上織姫だった。

 

 二人は何やら楽しそうに話している。

 

 織姫が先にこちらへ気づいた。

 

「あ、黒崎くん!」

 

「おう、井上」

 

 切島も手を上げた。

 

「よっ、二人とも!」

 

「切島くんも、こんにちは!」

 

 拳藤が笑う。

 

「A組も今帰り?」

 

「ああ。今日はちょっと遅くなったな」

 

「こっちも。昼の警報のこと、少し話があったから」

 

 織姫が頷いた。

 

「すごかったね。急にみんな走り出しちゃって」

 

「お前ら、平気だったか?」

 

 一護が尋ねると、拳藤が肩をすくめた。

 

「うん。人は多かったけど、怪我した子はいなかったと思う」

 

「よかった」

 

 織姫がほっとしたように笑った。

 

 その表情に、一護も小さく頷いた。

 

「そっちは?」

 

 織姫が尋ねる。

 

「大丈夫だった?」

 

「ああ。飯田が上手いことやってくれたしな」

 

「あっ! 出口の上にいた人?」

 

「そうそう!」

 

 切島が笑った。

 

「あいつ、マジで目立ってたよな!」

 

 拳藤も思い出したように頷く。

 

「ちゃんと状況説明してくれて、助かったよ」

 

「後で言っとくわ。喜ぶと思うぞ」

 

 一護が答えると、織姫は嬉しそうに笑った。

 

「……黒崎くんも、怪我してなくてよかった」

 

「そりゃこっちの台詞だ」

 

 ごく自然に返した言葉だった。

 

 だが、織姫は一瞬だけ目を瞬かせた。

 

「……うん」

 

 小さく頷いたあと、笑みを浮かべる。

 

 切島はそんな二人のやり取りを特に気にした様子もなく、拳藤と今日の授業の話を始めていた。

 

 一護は織姫へ視線を戻す。

 

「そういや、井上。昨日言ってた個性の訓練、どうだったんだ?」

 

「楽しかったよ! 拳藤さんと一緒にやったの」

 

「へえ」

 

「二人で救助対象を運ぶ訓練だったんだけどね。次はもっと上手くできそうなんだ」

 

 織姫は楽しそうに話した。

 

 その声を聞きながら、一護は少し笑った。

 

 昨日の昼休みに見た真剣な顔とは違う。

 

 今は、ただ新しいことを覚えるのが嬉しいという顔だった。

 

「そりゃよかったな」

 

「うん!」

 

 織姫は大きく頷いた。

 

 やがて、下校する生徒たちの流れが増えてきた。

 

「じゃ、俺ら行くわ」

 

 切島が手を上げる。

 

「またね!」

 

 拳藤も手を振った。

 

 一護は織姫へ顔を向ける。

 

「じゃあな、井上」

 

「うん。またね、黒崎くん」

 

 その笑顔を見て、一護も軽く手を上げた。

 

     *

 

 夜。

 

 一護は自室の床に座り、目を閉じていた。

 

 学校から帰って夕食を済ませ、家族がそれぞれの時間を過ごし始めた頃。

 

 ようやく、一人で集中できる時間になった。

 

 呼吸を整える。

 

 自分の内側へ意識を向ける。

 

 霊力の流れを確かめるのは、今では難しいことではない。

 

 転生して間もない頃は、まともに身体を動かすことさえできなかった。

 

 その頃から少しずつ、できることを増やしてきた。

 

 幼い身体では無理なことも多かった。

 

 力を出しすぎれば、身体の方が耐えられない。

 

 だから、最初に覚え直したのは、力を大きくすることではなく、抑えることだった。

 

 必要なところへ。

 

 必要な量だけ。

 

 霊力を流す。

 

 今では、以前よりずっと細かな調整ができる。

 

 ただ、ひとつだけ、ずっと気になっていたことがあった。

 

 死神の力だ。

 

 一護は目を開いた。

 

 自分の内側に、その力が存在することは分かっている。

 

 斬月も、消えたわけではない。

 

 精神世界へ意識を向ければ、今でもその気配を感じられる。

 

 だが、それを生身のまま使おうとすると、どうにも噛み合わなかった。

 

 以前なら、魂魄を肉体から抜けばよかった。

 

 けれど、今回はそうしたくない。

 

 肉体を置き去りにするのは不便だし、何より、誰かを護ろうとして自分の身体を無防備にしていては本末転倒だ。

 

 これまでは、別の方法を探していた。

 

 そして今日。

 

 常闇の黒影を見て、ひとつ思いついたことがある。

 

 ――外に出す必要があるのか。

 

 一護は自分の右腕を見た。

 

 完現術。

 

 物質に宿る魂へ干渉し、その力を引き出す技術。

 

 幼い頃から使い続けてきた力だ。

 

 床を蹴るとき。

 

 物に触れるとき。

 

 周囲の物質へ働きかける感覚は、すっかり身体に馴染んでいる。

 

 だが、それを自分自身へ向けて使うことは、あまり考えてこなかった。

 

 自分の身体も、物質であることに変わりはない。

 

 そして、自分の魂は、その身体の内側にある。

 

 ならば。

 

「……いけるか?」

 

 一護は右手を握った。

 

 まずは、完現術で自身の肉体へ働きかける。

 

 普段、周囲の物質に向けている感覚を、今度は自分の腕へ向けた。

 

 奇妙な感覚だった。

 

 外側へ伸ばしていた意識が、自分の内側へ折り返してくる。

 

 それだけなら、できる。

 

 問題はここからだ。

 

 一護はゆっくりと霊力を動かした。

 

 死神の力を、魂魄ごと外へ押し出すのではない。

 

 今ある肉体へ重ねる。

 

 完現術を使い、肉体そのものを受け皿にする。

 

 足りない部分は、滅却師の霊子操作で補う。

 

 いくつもの異なる力を、同時に制御する必要があった。

 

「……っ」

 

 右腕に、微かな圧迫感が生まれた。

 

 霊力が一ヶ所へ集まり、形を取ろうとする。

 

 だが、次の瞬間には散ってしまった。

 

 一護は息を吐いた。

 

「やっぱ、そう簡単にはいかねえか」

 

 それでも、手応えはあった。

 

 これまでとは違う。

 

 何も起こらなかったわけではない。

 

 もう一度、意識を集中させる。

 

 今度は少し出力を落とした。

 

 無理に形を作ろうとせず、肉体と霊力の境目を確かめる。

 

 しばらくして。

 

 右腕に、何かが触れた。

 

「……!」

 

 一護は目を開いた。

 

 肘の辺りから手首にかけて、黒い布が現れていた。

 

 袖だった。

 

 見覚えのある、深い黒。

 

 手首を動かすと、生地に小さな皺が寄る。

 

 腕を覆う布の重みさえ、かすかに感じられた。

 

「……死覇装」

 

 思わず、その名が口をついた。

 

 かつて自分が身にまとっていたもの。

 

 完現術を修得した頃に使っていた装甲とは違う。

 

 霊力が黒く見えているだけでもない。

 

 間違いなく、死神としての自分に属する衣だった。

 

 一護は左手を伸ばし、袖に触れようとした。

 

 だが、その指が届く直前。

 

 黒い布の輪郭が揺らいだ。

 

 袖口から細かな霊子がほどけ、次の瞬間には腕を覆っていた布が消えてしまう。

 

「……あー、くそ」

 

 一護は思わず声を漏らした。

 

 もう少しだった。

 

 布の感触も、形も、確かにあった。

 

 しかし、維持するための霊力が安定していない。

 

 死神の力を肉体へ重ねるところまではできても、外側へ定着させようとすると、霊子が散ってしまうらしい。

 

 一護は何もない右腕を見つめた。

 

 それから、小さく笑った。

 

「……なるほどな」

 

 完全な成功にはほど遠い。

 

 死覇装の袖ひとつ、まともに維持できなかった。

 

 斬月を顕現させるには、まだまだ先がありそうだ。

 

 それでも。

 

 今のは、確かに死覇装だった。

 

 自分の魂にあるものを、生身の肉体へ重ね、現実に形として現した。

 

 これまで、何度試してもできなかったことだ。

 

 方向は間違っていない。

 

 少なくとも、それだけは分かった。

 

 死神の力を、生身のまま使う。

 

 以前なら、考えもしなかった方法だった。

 

 常闇の黒影は、一護の魂魄とはまったく違う仕組みで動いている。

 

 切島の硬化も、自分の力とは別物だ。

 

 だが、違うからこそ気づけたことがある。

 

 今までのやり方に、こだわる必要はない。

 

 使えるものは使えばいい。

 

 前世の知識も。

 

 今世で身につけた技術も。

 

 この学校で知った、新しい考え方も。

 

 一護はもう一度右手を握った。

 

「……よし」

 

 今夜のところは、ここまでにしておこう。

 

 焦って霊力を使い切る必要はない。

 

 昔の自分なら、できるまで無理に続けていたかもしれない。

 

 だが、今は違う。

 

 明日も学校がある。

 

 その次の日も。

 

 急いで結果を出さなくても、試す機会はある。

 

 一護は立ち上がり、窓を少し開けた。

 

 夜風が部屋へ入ってくる。

 

 遠くに街の明かりが見えた。

 

 この世界で生まれ育った家。

 

 通い始めたばかりの学校。

 

 新しくできた友人たち。

 

 その中には、以前の人生では出会わなかった人間も大勢いる。

 

 常闇も、切島も、その一人だ。

 

 彼らの力を見なければ、今日の発想には辿り着かなかったかもしれない。

 

「……雄英、か」

 

 一護は小さく呟いた。

 

 ここへ来たのは、もっと多くの人を護れるようになるためだった。

 

 だが、まだ三日目だというのに、自分が思っていた以上に学ぶことがある。

 

 それが、少し面白かった。

 

     *

 

 翌朝。

 

「黒崎! おはよう!」

 

「おう、飯田」

 

 教室へ入るなり声をかけてきた飯田は、昨日にも増して背筋が伸びていた。

 

「委員長として、今日もクラスのために尽力するつもりだ!」

 

「……あんま張り切りすぎんなよ」

 

「心配には及ばない!」

 

 その返事に、一護は少し笑った。

 

 席へ向かう途中、緑谷と麗日にも声をかけられた。

 

 切島は上鳴と何やら話しており、耳郎はその会話に呆れた顔をしている。

 

 窓際では、常闇が静かに本を読んでいた。

 

 昨日までより、教室の中に知っている顔が増えた気がした。

 

 席についたところで、相澤が教室へ入ってきた。

 

「座れ。今日のヒーロー基礎学について話す」

 

 教室が静かになる。

 

「今回は救助訓練だ」

 

 一護は顔を上げた。

 

 相澤は黒板へ、施設の名前を書いた。

 

 ウソの災害や事故ルーム。

 

 通称、USJ。

 

「水難、土砂災害、火災。そういった状況を想定した施設で、個性を使った救助を学んでもらう」

 

 教室のあちこちから、期待の声が上がる。

 

 昨日の戦闘訓練とは、まったく違う内容だ。

 

 一護は黒板の文字を見つめた。

 

 敵を倒すためではなく、人を助けるために力を使う。

 

 その訓練なら、学びたいことがいくらでもある。

 

「……面白そうだな」

 

 小さく呟くと、隣の切島が笑った。

 

「だろ! 今回も気合い入れていこうぜ!」

 

「ああ」

 

 一護は頷いた。

 

 右腕を軽く動かす。

 

 昨夜、ほんの一瞬だけ袖をまとったときの感覚が、まだ残っていた。

 

 布が肌に触れた感触。

 

 指先に感じた、僅かな重み。

 

 もう少しで、何かを掴めそうな気がする。

 

 それでも、今は授業だ。

 

 一護は手を下ろし、相澤の説明へ意識を戻した。

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