目を覚ましたとき、窓の外はまだ薄暗かった。
一護は枕元の時計を確かめ、布団から起き上がった。
普段より一時間ほど早い。
別に、目覚ましをかけていたわけではない。ただ、昨夜のことが頭から離れなかったのだ。
一護は自分の右腕を見下ろした。
そこに現れた、見慣れた黒い布。
死覇装の袖だった。
ほんの数秒しか保たなかったものの、布が腕に触れた感触も、手首を動かしたときの重みも覚えている。
完現術で作った装甲でも、霊力が黒く見えていただけでもない。
死神としての自分が身にまとっていた、あの衣だった。
「……もう一回、やってみるか」
ベッドから降り、部屋の中央へ移動する。
呼吸を整え、自分の肉体へ意識を向けた。
完現術。
物質に宿る魂へ干渉し、その力を引き出す技術。
これまでは主に周囲の物質へ働きかけていた力を、自分自身へ向ける。
肉体の内側にある魂魄と、死神の力。
それらを分離させるのではなく、重ね合わせる。
必要な部分には滅却師の霊子操作を加え、外側へ形を定着させる。
理屈は、昨日ようやく掴めた。
問題は、それを維持できるかだった。
一護は右手を握った。
手首の辺りに、黒い布が現れる。
袖口が形を取り、前腕を覆っていった。
肘。
肩。
そして胸元へ。
昨日は、ここで崩れた。
今度は、無理に霊力を流し込まない。
衣そのものを力で押さえつけるのではなく、形が崩れないように流れを整える。
やがて、黒い生地が反対側の腕まで覆った。
腰に白い帯が現れる。
袴の裾が足元へ落ちた。
一護はゆっくりと両腕を広げる。
見慣れた死覇装が、そこにあった。
「……おお」
思わず声が漏れた。
袖を軽く引いてみる。
布が引っ張られ、肩に抵抗が伝わった。
足元も確かめた。
床を踏む感覚は変わらない。
呼吸も、鼓動も、そのままだ。
自分の肉体がここにある。
それなのに、死神としての力も同時に存在している。
「……いけるな」
口元が緩んだ。
だが、まだ終わりではない。
一護は右手を横へ伸ばした。
意識を、さらに深く沈める。
そこには、昔から変わらず存在するものがあった。
斬月。
己の魂の奥にある、一振りの刀。
その名を思い浮かべた途端、右手に重みが生まれた。
まず、晒しの巻かれた持ち手が形を取る。
続いて、鍔のない幅広の刀身。
巨大な包丁にも似た、無骨な形。
黒い峰と、鈍い銀色を帯びた刃。
一護は現れた刀を握り直した。
確かな重さが、掌へ伝わってくる。
「……久しぶりだな」
長い間、精神世界でその存在を感じることはできても、こうして握ることはできなかった。
指に馴染む感触。
刀身を通じて伝わってくる、自分自身の霊力。
間違いない。
本物の斬月だった。
しかし。
「……っ」
刀身の輪郭が僅かに揺らいだ。
一護は咄嗟に霊力を整えようとした。
だが、間に合わない。
斬月が細かな粒子となってほどけ、続いて死覇装の袖口が崩れ始める。
「おっと……!」
慌てて出力を落としたが、すでに遅かった。
数秒後。
部屋の中央に立っていたのは、寝間着姿の一護だけだった。
「……まだ駄目か」
右手を開き、握り直す。
霊力が足りないわけではない。
むしろ逆だった。
死覇装と斬月を同時に顕現させようとすると、全身へ流れる霊力の均衡が崩れてしまう。
強く出せばいいというものでもない。
昔の自分が苦手としていたことだった。
もっとも、それを鍛える時間は今世では十分にあった。
「……まあ、もうちょいだな」
そう呟いて、窓の外を見る。
空が少しずつ明るくなっていた。
今日も学校がある。
ここで無理をして、授業中に眠くなるのも馬鹿らしい。
一護はもう一度右手を握った。
あの重みは、まだ掌に残っている。
昨日は袖だけ。
今日は死覇装と斬月まで。
少なくとも、前には進んでいた。
*
「黒崎! おはよう!」
雄英へ到着すると、切島が大きく手を振ってきた。
隣には上鳴もいる。
「おう」
「今日、USJだろ! 楽しみだよな!」
「救助訓練だっけか」
「そうそう! 俺の硬化なら瓦礫とかも受け止められるし、結構活躍できそうじゃね?」
切島は自分の腕を軽く叩いた。
上鳴も笑いながら割って入る。
「俺の電気だって、停電した建物とかなら役立つと思うんだよな」
「お前、それ昨日も言ってただろ」
「だから! 昨日考えたことを今日試すんだよ!」
「ははっ、そりゃそうか!」
一護は二人のやり取りを聞きながら笑った。
教室へ向かう途中、常闇とすれ違う。
「おう、常闇」
「黒崎か。おはよう」
「昨日はありがとな」
常闇が僅かに首を傾げた。
「何のことだ?」
「黒影を見せてもらっただろ。あれ、結構参考になった」
「……俺の個性が?」
「ああ。ちょっと考え方を変えられたんだ」
常闇は一護を見つめた。
そして、静かに頷く。
「そうか。それならば何よりだ」
肩の辺りから、黒い影が顔を出した。
「おっ、昨日の奴!」
「おう。元気そうだな」
「当然!」
黒影が得意げに笑う。
切島もそれを見て笑った。
「お前ら、もう仲良くなってんのか!」
「昨日ちょっと話しただけだって」
一護は肩をすくめた。
だが、常闇の黒影がいなければ、今朝の成果はなかったかもしれない。
そう考えると、雄英に来た意味も少しずつ増えている気がした。
*
USJへ向かうバスの中では、早速賑やかな会話が始まっていた。
座席は向かい合わせになっており、飯田が整列について説明していたものの、途中でその構造に気づいて頭を抱えている。
「……あいつ、いつも全力だな」
一護が呟くと、切島が笑った。
「委員長だからな!」
「そういう問題か?」
「いや、知らねえけど!」
二人が笑っていると、向かい側から声がかかった。
「黒崎ちゃん」
一護は顔を上げた。
そこには蛙吹梅雨が座っていた。
「……俺か?」
「ええ。あなたのことよ」
「いや、今の呼び方……」
「嫌だったかしら?」
「嫌ってわけじゃねえけど、ちょっと慣れねえな」
蛙吹は特に気にした様子もなく、首を傾げた。
「黒崎ちゃんの個性って、移動系なの?」
「ん?」
「昨日の訓練で、すごく速く動いていたでしょう? でも、見た感じでは身体が変化しているわけでもなさそうだし」
「ああ……まあ、身体能力の強化と高速移動ってところだな」
「ふうん。どういう仕組みなのかしら」
「足元に力をかけて、普通より速く踏み込めるんだよ」
一護はそう説明した。
完現光の仕組みを、この世界の言葉でどこまで伝えるべきか。
その辺りは、まだ自分でも整理しきれていなかった。
蛙吹は少し考えてから頷いた。
「それなら、救助にも役立ちそうね」
「そうだといいけどな」
「でも、救助する相手が同じ速さに耐えられるとは限らないわ。移動するときは気をつけないと」
一護は目を瞬かせた。
なるほど。
自分自身が速く動けることと、人を安全に運べることは別だ。
前世でも人を抱えて移動した経験はある。
だが、普通の人間がどこまでの加速に耐えられるかは、改めて考える必要がある。
「……確かにな。蛙吹、ありがとな」
「梅雨ちゃんよ」
「……あ?」
「私のことは梅雨ちゃんと呼んで」
一護は一瞬、言葉に詰まった。
「いや、普通に蛙吹じゃ駄目なのか?」
「梅雨ちゃんと呼んでほしいの」
「……そうかよ」
蛙吹はじっと一護を見ている。
悪気はなさそうだった。
むしろ、本人にとってはごく当たり前のお願いらしい。
一護は少しだけ視線を逸らした。
「……分かったよ。梅雨ちゃん」
「ケロ」
蛙吹は満足そうに頷いた。
隣で切島が吹き出す。
「ぶっ……黒崎、お前そういうの苦手なのか!」
「うるせえ」
「いや、何か意外でさ!」
上鳴まで笑い始めた。
一護は溜息をつき、窓の外へ目を向ける。
まったく。
変わった奴が多いクラスだ。
もっとも、退屈しないという意味では悪くなかった。
*
USJは、想像していた以上に巨大な施設だった。
入口を抜けると、広大な空間が視界いっぱいに広がっている。
中央広場を囲むように、水難、火災、土砂崩れ、倒壊した建物など、様々な災害を再現した区域が造られていた。
「うおお……!」
切島が目を輝かせる。
「何だよここ! すげえな!」
「学校の施設って規模じゃねえだろ……」
上鳴も呆然としていた。
一護は周囲を見渡した。
これだけの設備を、学生の訓練のために用意している。
雄英という学校が、ヒーローを育てることにどれほど力を入れているのか、改めて感じさせられた。
生徒たちの前に立ったのは、宇宙服のようなコスチュームを着たヒーロー、十三号だった。
「皆さん、ようこそUSJへ!」
柔らかな声が響く。
「ここでは、皆さんの個性を使った様々な救助訓練を行います」
生徒たちから歓声が上がった。
十三号は施設について説明したあと、少し声の調子を変えた。
「皆さんの個性は、使い方によっては人を助けることも、人を傷つけることもできます」
十三号は、自分の手袋へ視線を落とした。
「僕の個性も、とても危険な力です。だからこそ、何のために使うのかを忘れないでください」
一護は黙って聞いていた。
人を助けるための力。
それが、時には人を傷つける。
思い当たることはいくらでもあった。
斬月は、護るために握ってきた刀だ。
だが、刃である以上、斬ることもできる。
月牙天衝も同じだった。
どれだけ強い力でも、扱いを間違えれば、護りたいものを傷つけてしまう。
そんなことは、何度も思い知らされてきた。
「……いい話だな」
一護が小さく呟くと、隣の緑谷が頷いた。
「うん。僕もそう思う」
十三号の説明が終わり、生徒たちが拍手を送る。
相澤が前へ進み出た。
「じゃあ、始めるぞ」
そのときだった。
一護は、中央広場の空気が変わったことに気づいた。
「……ん?」
何もない空間に、黒いものが滲み出していた。
霧だった。
それが地面から湧き上がるように広がり、やがて大きな渦を形作る。
その奥から、人影が現れた。
一人。
二人。
さらに、その後ろから何人も。
生徒たちの間に、戸惑いが広がった。
「何だ、あれ……?」
「訓練の演出か?」
一護は答えなかった。
霧の向こうから漂ってくるものに、覚えがあったからだ。
敵意。
ただの威嚇や喧嘩とは違う。
明確に人を傷つけようとする気配。
相澤の声が鋭く響いた。
「全員、その場を動くな!」
生徒たちが息を呑んだ。
「あれは敵だ!」
*
中央広場に現れた集団は、明らかに異様だった。
武器を持つ者。
顔を覆った者。
身体の一部が変形している者。
その中に、ひときわ目立つ人物がいた。
顔や首筋に、いくつもの手を貼りつけた男。
そして、その傍らには、異様に大きな人影が立っていた。
頭部から脳が露出した、黒い巨体。
一護は眉を寄せた。
普通の人間とは思えない。
立っているだけなのに、身体の構造そのものが不自然だった。
「オールマイトはいねえのか」
手を貼りつけた男が、苛立ったように呟いた。
「せっかく殺しに来てやったのに」
周囲の空気が凍りつく。
一護は相澤へ目を向けた。
相澤はすでにゴーグルを下ろし、捕縛布を手にしていた。
「十三号、生徒を頼む」
「分かりました!」
「待てよ、先生」
一護は思わず声をかけた。
相澤が振り返る。
「何だ」
「あいつら、人数が多すぎる。先生一人で行く気か?」
「だからこそ、お前らを避難させる必要がある」
相澤は短く答えた。
「お前らはまだ生徒だ。ここで戦う必要はない」
一護は口を閉じた。
言っていることは分かる。
教師として、当然の判断だ。
だが、敵は単なる暴徒ではない。
少なくとも、中央に立っているあの黒い巨体だけは、明らかに危険だった。
「……分かった」
一護は頷いた。
ただし、何かあればすぐに動けるよう、身体の力を抜かずにおく。
相澤はそれを確認すると、中央広場へ飛び降りた。
ほぼ同時に、十三号が生徒たちを入口へ誘導する。
「皆さん、こちらへ! 落ち着いて避難してください!」
生徒たちが動き出した。
しかし、出口へ続く通路の前に、黒い霧が現れた。
「申し訳ありません」
霧の中から声が響く。
「ここから先へは、通せません」
黒い渦が、大きく広がる。
その奥には、暗い空間が見えた。
「……ワープか!」
一護が気づいたときには、すでに遅かった。
「みんな、離れて!」
十三号が前へ出る。
だが、黒い霧はその動きを見越していたかのように広がり、生徒たちの間へ押し寄せた。
「散るな!」
一護が叫ぶ。
すぐそばの上鳴の腕を掴んだ。
だが、その足元が黒く染まる。
床が消えた。
身体が落ちる。
「黒崎!?」
切島の声が遠くなった。
一護は反射的に足元へ霊力を集中させた。
完現光。
だが、踏み込むべき床そのものがない。
黒い空間が、一護の身体を呑み込んだ。
*
「みんな! 返事をしてくれ!」
入口付近に残された飯田は、思わず声を張り上げた。
先ほどまで周囲にいたクラスメイトたちが、何人も消えていた。
別の場所へ飛ばされたのか。
それとも。
「飯田くん!」
麗日が駆け寄ってくる。
その後ろには瀬呂、障子、砂藤たちの姿があった。
全員ではない。
だが、無事な者もいる。
「麗日くん! 他の皆は!?」
「分からへん! あの黒い霧に呑まれて……!」
飯田は奥歯を噛んだ。
状況が悪すぎる。
突然現れたヴィラン。
各地へ散り散りにされた仲間たち。
そして、中央広場では相澤が一人で戦っている。
すぐに、応援を呼ばなければならない。
「十三号先生! 学校へ連絡を!」
飯田が叫ぶ。
十三号は通信機を操作した。
だが、返ってきたのは雑音だけだった。
「……駄目です。外部への通信が妨害されています」
「そんな……!」
飯田の表情が強張った。
そのとき、十三号が顔を向けた。
「飯田くん」
「はい!」
「あなたはここを出て、雄英へ救援を呼んでください」
飯田は目を見開いた。
「私が、ですか!?」
「あなたの個性なら、ほかの生徒より早く学校へ戻れます」
確かに、そうだった。
自分の脚にはエンジンがある。
走ることなら、誰にも負けないつもりだった。
だが。
「しかし、それでは皆を置いて逃げることに――!」
「違いますわ!」
麗日が声を上げた。
「飯田くんが先生たちを呼んでくれへんかったら、みんな困るんやで!」
「そうだぜ!」
瀬呂も頷く。
「今ここで一番速く助けを呼べるの、お前だろ!」
飯田は言葉を失った。
逃げる。
自分の中では、そう考えてしまっていた。
仲間が危険な場所に残っているのに、自分だけ外へ出る。
それが、どうしても卑怯なことのように感じられた。
だが、違う。
自分が走れば、もっと多くの人を助けられる。
「……分かりました」
飯田は拳を握った。
「私が、必ず応援を連れてきます!」
その言葉に、十三号は頷いた。
「お願いします」
だが、黒霧がその会話を見逃すはずもなかった。
「それは困りますね」
霧が大きく広がる。
「外へ逃がすわけにはいきません」
十三号が前へ出た。
「あなたの相手は僕です!」
手袋の指先が開き、強烈な吸引が始まる。
黒霧の身体が引き寄せられた。
だが、相手もただの霧ではない。
「残念ですが」
黒霧の声が響く。
「その個性は、あなた自身にも危険なのでは?」
次の瞬間、十三号の背後に黒い渦が開いた。
「……っ!」
自らの吸引が、背後へ繋がる。
十三号は咄嗟に個性を止めようとした。
だが、すでに遅かった。
コスチュームが激しく損傷し、その身体が床へ倒れ込む。
「十三号先生!」
飯田が叫んだ。
反射的に駆け寄ろうとする。
だが、その前へ障子が腕を広げた。
「飯田。行け」
「しかし!」
「先生のところには俺たちが行く。お前は外だ」
障子の声は低く、落ち着いていた。
黒霧が再び広がる。
その霧が飯田へ迫った。
障子は複製した腕を大きく広げ、進路を塞ぐ。
「今だ!」
飯田は歯を食いしばった。
脚部のエンジンが唸る。
地面を蹴り、出口へ走り出した。
黒霧の一部が、障子の防御を回り込む。
「逃がしませんよ」
「させへん!」
麗日が飛び出した。
霧の中に見えた、金属製の装具。
そこへ手を伸ばし、触れる。
「無重力!」
装具がふわりと浮き上がった。
黒霧の位置が大きくずれる。
「瀬呂くん!」
「任せろ!」
飛び出したテープが装具へ絡みついた。
砂藤も力を込め、瀬呂と一緒に黒霧を引き離す。
飯田を追おうとしていた霧が、横へ流された。
「飯田!」
瀬呂が叫ぶ。
「止まんなよ!」
飯田は振り返らなかった。
振り返れば、足が止まる。
ここで自分がやるべきことは、ただ一つ。
「……必ず!」
エンジンの音が、さらに大きくなる。
「必ず、戻ってくる!」
飯田はUSJの扉を押し開け、外へ飛び出した。
*
一護が足裏に硬い感触を捉えたとき、そこは岩だらけの斜面だった。
膝を曲げて衝撃を逃がし、周囲を見渡す。
険しい岩場。
崩れた土砂。
人工的に造られた山岳地帯らしい。
「……ちっ」
舌打ちする。
どうやら、施設内の別の区域へ飛ばされたようだった。
「うわああっ!」
頭上から声がした。
見上げると、上鳴が空中で手足をばたつかせている。
一護は地面を蹴った。
跳び上がって上鳴の襟元を掴み、そのまま斜面を蹴って勢いを殺す。
二人が平らな場所へ着地すると、上鳴が目を瞬かせた。
「黒崎!?」
「おう。怪我ねえか?」
「え、あ、うん! 助かった!」
「ならいい」
少し離れた場所から声がした。
「黒崎さん! 上鳴さん!」
八百万だった。
隣には耳郎もいる。
「お前らもここか」
「ええ。何とか無事ですわ」
八百万は周囲を警戒しながら答えた。
耳郎が片耳のプラグを伸ばす。
「……まずいね」
「何か聞こえるのか?」
「足音。何人か、こっちに来てる」
一護も気配を探った。
確かに、複数の人間が近づいている。
それだけではない。
別の方向にも何人かいる。
囲まれかけていた。
「……お前ら、あんまり離れんなよ」
一護が言うと、上鳴が頷いた。
「お、おう」
八百万はすでに周囲の地形を確認していた。
「この斜面では無闇に動くのは危険ですわ。まずは足場を確保しましょう」
「だな」
そのとき、岩陰から男が現れた。
「おいおい、ガキが四人かよ」
後ろにも数人。
手には武器を持っている。
「……雄英のヒーロー科ってのは、思ったより大したことなさそうだな」
男が笑った。
上鳴が一歩前へ出る。
「おい、こいつら……!」
「落ち着け」
一護は短く言った。
敵の人数。
立ち位置。
退路。
一瞬で確認する。
「耳郎、後ろも頼む。八百万は足場。上鳴は俺が合図するまで撃つな」
「分かった!」
「承知しましたわ」
「おう!」
返事を聞いて、一護は前へ出た。
男が武器を振り上げる。
「まずはお前からだ!」
その腕が振り下ろされるより早く、一護は踏み込んだ。
「……遅えよ」
男の手首を掴み、身体をひねる。
勢いをそのまま利用して、地面へ倒した。
「がっ!?」
武器が岩場を転がる。
後続の二人が動いた。
一護は片方の足を払い、もう一人の拳を受け流す。
腹部へ短く打撃を入れると、男が膝をついた。
ほとんど一瞬だった。
「……え?」
上鳴が間の抜けた声を出した。
「何してんだ。後ろ!」
「あっ、やべ!」
岩陰から別の敵が飛び出した。
だが、次の瞬間。
「上鳴さん、右ですわ!」
八百万が作り出した盾が、敵の攻撃を受け止めた。
上鳴は咄嗟に飛び退く。
「助かった、八百万!」
「今です!」
耳郎がプラグを地面へ突き立てた。
振動が岩場を伝わり、敵の体勢が崩れる。
「上鳴!」
「任せろ!」
上鳴の手から電気が放たれた。
敵の身体が痙攣し、そのまま倒れる。
「よっしゃ!」
上鳴が拳を握った。
一護は周囲を確認した。
まだ数人いる。
だが、こちらの連携を目にしたせいか、敵たちの足は止まっていた。
「……今なら抜けられるな」
八百万が頷く。
「ええ。ですが、他の皆さんが心配です」
「分かってる」
一護は中央広場の方向へ目を向けた。
ここからでは直接様子を見ることはできない。
だが、遠くから断続的に衝撃音が響いている。
相澤が戦っているのだろう。
それに、あの黒い巨体。
あれがまだ動いているなら、危険だった。
「耳郎。中央の方、何か分かるか?」
耳郎はプラグを岩へ押し当てた。
しばらく耳を澄ませる。
「……すごい音。何人も動いてる。だけど、一つだけ明らかにおかしい」
「何だ?」
「足音が重すぎる。あれ、人間なの?」
一護は目を細めた。
脳が露出した、あの巨体。
やはり、普通の相手ではないらしい。
「……一回、入口まで戻るぞ」
「戻れるのか?」
上鳴が尋ねた。
「道はあるだろ。ここも施設ん中なんだしな」
八百万がすぐに頷く。
「それでしたら、私が道具を用意しますわ」
「頼む」
一護は最後に倒れた敵たちを確認した。
意識はある。
だが、しばらくは動けないだろう。
まずは仲間と合流する。
そして、必要なら。
一護は右手を軽く握った。
今朝、ほんの僅かな時間だけ握った斬月の感触を思い出す。
使わずに済むなら、それに越したことはない。
*
人工の湖に、激しい水音が響いていた。
広い水面のあちこちに波紋が重なり、浮かんでいる船の船体を揺らしている。
船を取り囲むように、いくつもの人影が水中を移動していた。
その影が近づくたびに、水面が不自然に盛り上がる。
船の上では、三人の生徒が身を寄せ合っていた。
「もう嫌だああああっ!」
峰田実の悲鳴が響く。
「何で入学してすぐ殺されかけなきゃいけねえんだよおお!」
「峰田ちゃん、落ち着いて」
蛙吹梅雨は比較的冷静だった。
もっとも、その視線は水面から離れていない。
水の中には、何人ものヴィランがいた。
彼らがいるのは、人工の湖に浮かぶ船の上。
周囲はすでに囲まれていた。
「どうしよう、緑谷ちゃん」
蛙吹が隣へ目を向ける。
緑谷出久は、拳を握ったまま水面を見つめていた。
相手の人数が多い。
しかも、水中ではこちらの動きが大きく制限される。
まともに飛び込めば、あっという間に囲まれるだろう。
けれど。
「……二人とも、ちょっと聞いて」
緑谷は顔を上げた。
「向こうは、僕たちの個性を詳しく知らないはずなんだ」
「え?」
峰田が涙目のまま振り返る。
「だから?」
「だから、まだやりようはある」
緑谷は水面へ目を向けた。
ここで助けを待つだけでは、状況は変わらない。
かといって、無闇に戦えば危険だ。
必要なのは、自分たちが持っている力を組み合わせること。
「梅雨ちゃん。水中でも動けるんだよね?」
「ええ」
「峰田くんの球って、水に濡れてもくっつく?」
「そ、そりゃ当然だろ!」
緑谷は頷いた。
頭の中で、いくつもの選択肢を組み立てる。
そのとき、船体が大きく揺れた。
「うわあっ!」
ヴィランの一人が船へ攻撃を加えたのだ。
船体にひびが入り、水が入り込んでくる。
もう、時間はない。
「……やろう!」
緑谷が叫んだ。
峰田は目を見開く。
「何を!?」
「ここを突破するんだ!」
*
緑谷の拳が、水面へ向けて振り抜かれた。
「デラウェア……スマッシュ!」
凄まじい衝撃が水を押し分ける。
水面が大きく割れ、周囲のヴィランたちが押し流された。
「うわああっ!?」
緑谷自身も勢いで空中へ投げ出される。
だが、その身体を蛙吹の舌が捉えた。
「捕まえたわ!」
峰田も両手を振り回す。
「もうどうにでもなれええ!」
頭から引き抜いた球が、次々に水面へ落ちる。
水流に巻き込まれたヴィランたちが、粘着球に触れた。
身体がくっつく。
腕が、脚が、互いに絡み合う。
水が元へ戻る頃には、ヴィランたちは身動きも取れなくなっていた。
「……や、やった?」
峰田が目を瞬かせる。
緑谷は荒い息を吐いた。
指が痛む。
また、力を使いすぎた。
だが、今はそれを気にしている場合ではない。
「二人とも、大丈夫?」
「ええ」
「だ、大丈夫じゃねえけど生きてる!」
峰田が叫んだ。
蛙吹は小さく頷くと、中央広場の方向へ目を向けた。
「ここから出ましょう」
「うん」
緑谷も頷く。
ただ、どこへ向かうべきかは慎重に考えなければならない。
出口までの道は分からない。
施設の外との通信もできない。
そして何より。
相澤は、まだ中央で戦っている。
「……一度、様子を見よう」
緑谷が言った。
蛙吹はその顔を見た。
「危険かもしれないわよ」
「分かってる。でも、ほかの皆がどうなってるかも知りたいし……」
緑谷は唇を噛んだ。
「先生が、ずっと一人で戦ってるんだ」
その言葉に、蛙吹は何も返さなかった。
峰田だけが、情けない声を上げる。
「お、おい! まさか戻る気かよ!」
「無理に戦いに行くつもりじゃないよ。まずは確認して、それから助けを呼べる方法を考える」
そう答えながらも、緑谷自身、分かっていた。
もし目の前で誰かが傷つけられそうになっていたら。
自分は、きっと放っておけない。
*
飯田は走っていた。
USJから雄英本校へ続く道を、ただひたすらに。
脚のエンジンが熱を帯びる。
息が上がる。
それでも速度は落とさなかった。
頭の中には、入口に残った仲間たちの姿があった。
麗日。
瀬呂。
障子。
砂藤。
そして十三号。
皆が、自分を送り出してくれた。
だからこそ、立ち止まるわけにはいかない。
「……っ!」
曲がり角を抜けたところで、向こうから大きな人影が現れた。
金色の髪。
巨大な体格。
見間違えるはずもない。
「オールマイト先生!」
飯田は叫んだ。
相手もこちらに気づき、足を止める。
「飯田少年!? どうしたんだ、その慌てようは!」
「USJが敵に襲撃されています!」
オールマイトの表情が変わった。
「何だと!?」
「多数の敵が施設内へ侵入し、生徒たちは各地へ散り散りにされました! 通信も妨害されています! 相澤先生と十三号先生が応戦していますが、危険な状況です!」
飯田は息を切らしながら、知っていることを伝えた。
オールマイトは一瞬だけ目を閉じた。
そして、鋭く顔を上げる。
「分かった。君はそのまま学校へ向かい、ほかの先生方へ知らせてくれ!」
「はい!」
「私は先にUSJへ向かう!」
次の瞬間。
風が吹いた。
オールマイトの姿が、すでに遠くへ移動している。
飯田はその背中を見送り、すぐに走り出した。
まだ終わっていない。
救援は、一人でも多い方がいい。
自分の仕事は、ここで終わりではなかった。
*
山岳地帯を抜けるまでに、それほど時間はかからなかった。
八百万が作り出した道具で崩れた足場を補強し、耳郎が敵の位置を確認する。
上鳴も、狭い通路で不用意に放電することなく、必要な場面だけ能力を使った。
一護は先頭に立ち、進路を塞ぐ敵を倒していった。
やがて、中央広場へ続く通路が見えてきた。
「……よし。あそこを抜ければ――」
言いかけたところで、一護は足を止めた。
遠くから、大きな衝突音が響く。
続けて、何かが砕ける音。
施設の床が、微かに震えた。
「……っ!」
嫌な予感がした。
ただ強い相手が暴れているだけではない。
あの黒い巨体。
何かがおかしい。
一護は通路の先を睨んだ。
「黒崎?」
耳郎が声をかける。
一護は三人を振り返った。
「ここから先、無理に進むな」
「え?」
「入口までの道は、もう見えてるだろ。あそこに他の奴らがいるなら合流してくれ」
八百万が顔を上げた。
「黒崎さんは?」
「中央の様子を見てくる」
「まさか、お一人で?」
「先生がまだ戦ってるなら、放っとけねえだろ」
八百万は眉を寄せた。
「ですが、相澤先生も私たちには避難するようにと……」
「分かってる」
一護は頷いた。
「だから、お前らは先に行ってくれ。そっちも危ねえかもしれねえしな」
耳郎が小さく息を吐いた。
「……一人で何とかしようとしないでよ」
「するつもりはねえよ」
そう答えたところで、上鳴が口を開いた。
「黒崎。俺らも行った方がよくねえか?」
「お前らが悪いって話じゃねえよ」
一護は入口側の通路を示した。
「誰かが今の状況を伝えなきゃなんねえだろ。それに、向こうで怪我人が出てるかもしれねえ」
八百万は少し考えてから頷いた。
「……分かりました。では、私たちは入口へ戻ります」
「ああ。頼む」
「黒崎さんも、必ず戻ってきてくださいませ」
「分かってるよ」
三人が通路へ進むのを確認し、一護は中央広場へ向き直った。
地面を蹴る。
完現光。
床に宿る魂へ働きかけ、身体が一気に加速した。
*
「……嘘だろ」
中央広場へ戻った緑谷は、思わず息を呑んだ。
相澤が、倒れていた。
いや、正確には、巨大な黒い怪物に押さえつけられていた。
片腕は不自然な方向へ曲がり、顔にも血が流れている。
その傍らでは、手を顔に貼りつけた男が立っていた。
「相澤先生……!」
緑谷は反射的に身を乗り出した。
「緑谷ちゃん!」
蛙吹が、その腕を掴む。
「待って。あの大きな敵、普通じゃないわ」
「……うん」
分かっている。
あの巨体が、どれほど危険なのか。
それでも。
目の前で、相澤が傷ついている。
助けを呼ぶのが最善だ。
頭では分かっていた。
だが、今から誰かを呼びに戻って、本当に間に合うのか。
緑谷は拳を握った。
そのときだった。
「おや」
手を貼りつけた男が、こちらを向いた。
「まだいたんだ」
緑谷の背筋が凍る。
男の視線が、蛙吹へ向いた。
次の瞬間。
男が動いた。
「梅雨ちゃん、避けて!」
緑谷が叫ぶ。
だが、男の手はすでに蛙吹の顔へ迫っていた。
その指が触れれば、何が起きるのか。
緑谷には分からない。
ただ、相手が嬉しそうに手を伸ばしていることだけは分かった。
――駄目だ。
身体が先に動いた。
緑谷は地面を蹴り、拳を握る。
その拳に、ワン・フォー・オールの力が集まった。
「うあああっ!」
拳が振り抜かれる。
だが、男へ届く直前。
黒い巨体が割り込んだ。
「……っ!」
拳が、その腹部へ叩きつけられる。
衝撃。
しかし、怪物は動かなかった。
まるで、拳の威力を吸い込んでしまったかのように。
「……え?」
緑谷が目を見開く。
その瞬間、蛙吹の舌が緑谷の身体を捉えた。
「緑谷ちゃん!」
後方へ引っ張られる。
緑谷は辛うじて、怪物の反撃を躱した。
だが、その横で。
相澤が、僅かに顔を上げていた。
血に濡れた目が、手を貼りつけた男を捉えている。
男の指が、蛙吹の顔に触れた。
それでも。
何も起こらなかった。
「……あれ?」
男が首を傾げる。
相澤の個性。
抹消。
最後の力を振り絞り、敵の個性を消していた。
だが、その反動で視線が外れる。
「……まだ邪魔するんだ」
男が低く呟いた。
「脳無」
黒い巨体が、再び相澤へ向き直る。
「もういい。そいつ、潰せ」
緑谷は息を呑んだ。
怪物の拳が振り上げられる。
相澤は、もう動けない。
「先生っ!」
緑谷が叫んだ。
蛙吹が飛び出そうとする。
だが、間に合わない。
拳が振り下ろされる。
その瞬間。
横合いから、黒いものが飛び込んできた。
*
凄まじい衝突音が、中央広場へ響いた。
「……なっ」
相澤は目を見開いた。
巨大な拳が、自分の目の前で止まっている。
その拳と自分の間に、少年が立っていた。
黒い死覇装。
オレンジ色の髪。
少年の顔は、相澤へ向けられている。
敵には、背中を見せたままだ。
だが、その右腕だけが背後へ伸びていた。
片手で握られた巨大な刀が、身体の後ろで斜めに構えられ、脳無の拳を受け止めている。
鍔のない、幅広の刀身。
大きな包丁にも似た、無骨な形。
片腕で扱うには、あまりにも大きかった。
床にひびが走る。
脳無の腕には、なおも力が込められていた。
それでも少年は、押し潰されるどころか、一歩も退かなかった。
「……黒崎?」
相澤が呆然と呟く。
少年は、口元に僅かな笑みを浮かべた。
「助けに来たぜ、センセ」
*
「……黒崎くん!?」
少し離れた場所で、緑谷も目を見開いていた。
黒い衣。
巨大な刀。
そのどちらも、今まで見たことがない。
昨日の戦闘訓練では、あんな姿はしていなかったはずだ。
それに、あの刀はどこから現れたのか。
聞きたいことが、いくつもあった。
だが、今はそれどころではない。
黒い巨体が、まだ動いている。
「緑谷!」
一護の声が響いた。
「お前ら、先生を頼む!」
「……っ!」
緑谷は顔を上げた。
「わ、分かった!」
蛙吹がすぐに動いた。
舌を伸ばし、相澤の身体を支える。
緑谷も駆け寄り、傷ついた教師の肩へ手を添えた。
「先生、大丈夫ですか!?」
「……お前ら、早く……」
「大丈夫です! 僕たちで運びます!」
相澤は何か言いかけたが、息を詰まらせた。
怪我がひどい。
とても一人で歩ける状態ではなかった。
峰田が震える足で近づいてくる。
「お、おい! 俺は何すりゃいいんだよ!」
「峰田くん、後ろをお願い!」
緑谷が叫んだ。
峰田は泣きそうな顔のまま頷いた。
「わ、分かった!」
頭から球を引き抜き、追ってくるヴィランたちの足元へ投げる。
数人の敵が、粘着球に足を取られて転んだ。
「うわっ! 何だこれ!」
「くそ、動けねえ!」
その隙に、蛙吹と緑谷は相澤を引きずるように安全な場所へ運んでいく。
一護はその様子を横目で確認した。
無事に離れられそうだ。
ならば、あとは。
「……お前の相手は俺だ」
一護は脳無へ向き直った。
*
斬月の柄を握る右手に、重い衝撃が伝わっていた。
一護はその力を受け止めながら、静かに左足を引いた。
刃の角度を変える。
脳無の拳が横へ滑り、床を叩き割った。
「……重てえな、お前」
巨大な刀を、片手で肩へ担ぐ。
脳無が低く唸った。
一護はその姿を見上げながら、肉体の内側へ霊子を巡らせる。
静血装。
血管に沿って流れる霊子が、肉体を補強する。
完現術で肉体へ重ねた死神の力を、滅却師の技術で支える。
今までとは違う戦い方だった。
だが、感覚は悪くない。
「……黒崎」
背後から、相澤の声が聞こえた。
一護は肩越しに振り返る。
「何だ、先生」
「お前……その格好は……」
「話は後だ」
一護は斬月を構え直した。
「今はこいつを何とかする方が先だろ」
相澤は唇を引き結んだ。
目の前の少年は、自分が教室で見てきた黒崎一護と同じ顔をしている。
だが、今の姿は何だ。
黒い装束。
巨大な刀。
どちらも、つい先ほどまでは存在していなかった。
これまでの申告では、身体能力の強化と高速移動が中心だったはずだ。
新たな個性の発現か。
それとも、今まで隠していたのか。
だが、それ以上に理解できないことがある。
あの一撃を受け止めた際の動きだ。
敵に背を向けたまま、片手で攻撃を受ける。
相手の力を見極め、刃を傾けて受け流す。
普通なら、命を賭けて試すようなことではない。
まして、十五歳の高校生が。
相澤は奥歯を噛んだ。
「……無茶をするな」
一護は振り返らなかった。
「分かってるよ」
その返事だけは、いつもの生徒と変わらなかった。
*
「……予定にない奴が出てきたな」
死柄木が首を掻いた。
目の前の光景が、気に入らないらしい。
黒霧が一歩前へ出る。
「雄英の生徒でしょう。黒崎一護という名前のようですが」
「生徒?」
死柄木が笑った。
「何だよ。ガキ一人増えただけか」
一護は二人へ視線を向けた。
「……お前らが、こいつら連れてきたんだな」
「そうだけど?」
「オールマイトを殺しに来たとか言ってたよな」
死柄木が首を傾げる。
「聞いてたんだ」
「ああ」
一護は斬月を肩へ担いだ。
「だったら、悪いけど帰ってくれねえか。こっちは授業中なんだよ」
一瞬の沈黙。
そのあと、死柄木の口元が歪んだ。
「……ムカつくな、お前」
指先が首筋を掻く。
「脳無。そいつも殺せ」
黒い巨体が動いた。
一護は斬月を握り直す。
先ほどの一撃で分かった。
とんでもない膂力だ。
しかし、単純な力比べなら、こちらにもやりようはある。
脳無が拳を振るう。
一護は半歩だけ身をずらした。
拳が肩口を掠める寸前、その姿が掻き消える。
瞬歩。
次の瞬間には、脳無の懐へ踏み込んでいた。
一護は斬月を横薙ぎに振るう。
刃が脳無の腕へ食い込んだ。
肉が裂け、巨体が僅かに傾く。
だが。
「……ん?」
一護は目を細めた。
傷口が、動いている。
裂けた部分から肉が盛り上がり、みるみるうちに元の形へ戻っていく。
「……再生かよ」
脳無は何事もなかったように腕を振り上げた。
一護はすぐに距離を取る。
背後で、死柄木が笑った。
「無駄だよ。そいつは特別製なんだ」
「……そうかよ」
一護は短く答えた。
確かに厄介だった。
だが、斬月の刃が通らないわけではない。
攻撃が効いていないわけでもない。
傷ついても、異常な速度で元に戻る。
そういう相手らしい。
ならば、考えることはある。
一護は相澤たちへ視線を向けた。
緑谷と蛙吹が、教師を壁際へ運んでいる。
峰田も、どうにか敵の足止めを続けていた。
あの三人が巻き込まれないようにする必要がある。
「……お前には、しばらく付き合ってもらうぜ」
一護は斬月を構えた。
*
脳無の攻撃は、速かった。
巨大な体格からは想像できないほど、踏み込みが鋭い。
一撃の威力も凄まじい。
まともに受ければ、周囲の建物ごと破壊されかねなかった。
だが、一護はそれ以上に速かった。
拳が振り下ろされる。
斜めへ踏み込んで躱す。
次の一撃が迫る前に、斬月の峰で腕を打つ。
脳無の身体が僅かに揺れた。
しかし、すぐに体勢を立て直す。
「……打撃も効きにくいのか」
一護は眉を寄せた。
斬撃なら通る。
だが、鈍い衝撃はほとんど吸収しているようだった。
その違いが気になる。
何らかの個性だろうか。
そう考えた瞬間。
一護の背後に、黒い霧が開いた。
「……っ!」
反射的に身体をひねる。
霧の向こうから、脳無の拳が現れた。
空間を繋げたらしい。
一護は斬月を立て、拳を受け流す。
だが、その間に本体の脳無が前へ踏み込んでいた。
巨大な腕が迫る。
一護は床を蹴った。
瞬歩で後方へ移動し、紙一重で拳を躱す。
地面が爆ぜた。
「……なるほどな」
一護は黒霧へ目を向けた。
「お前がそういうことすんのか」
「お気づきになりましたか」
黒霧の声は落ち着いていた。
「我々も、ただ見ているわけにはいきませんので」
「そりゃそうだろうな」
一護は斬月を握り直した。
脳無一体なら、力で押し切ることも考えられる。
だが、空間を繋ぐ相手がいる。
背後には、傷ついた教師と生徒たち。
大きく薙ぎ払うような攻撃は、今は避けたい。
だが、だからといって、月牙天衝を使えないわけではない。
一護は踏み込んだ。
脳無の拳を紙一重で躱し、その脇腹へ斬月の刃を深く押し当てる。
刀身に、霊圧が集まった。
距離は、ほとんどない。
「……月牙天衝」
低く呟く。
次の瞬間。
圧縮された霊圧が、刀身から一気に解き放たれた。
衝撃が脳無の身体を貫き、巨体が横へ弾き飛ばされる。
周囲に広く放ったわけではない。
刃の向きと、霊圧の流れる範囲を絞った。
かつての一護なら、もっと大雑把に力を解放していたかもしれない。
だが、今は違う。
狙った場所へ。
必要な威力だけ。
その制御には、これまで積み重ねてきた修行が生きていた。
脳無が床へ叩きつけられる。
その身体には、大きな傷が残っていた。
だが、やはり再生が始まる。
「……そこまで治るのかよ」
一護は小さく息を吐いた。
厄介な相手だった。
致命的な傷を与えたところで、どこまで再生するのか分からない。
そして、黒霧がいる以上、隙を作れば生徒たちへ攻撃が向かう可能性もある。
倒しきることに拘るより、動きを抑える方が確実だろう。
一護は斬月を構え直した。
*
緑谷は、目の前で起きていることを理解しようとしていた。
黒崎一護。
昨日の戦闘訓練でも、驚くほど優れた動きを見せていた。
だが、今の姿はまるで違う。
刀。
高速移動。
異常な身体能力。
そして、今の攻撃。
刃を相手の身体へ押し当てた瞬間、何かが爆発的に放たれた。
周囲の床はほとんど壊れていない。
攻撃の方向も、範囲も、明らかに絞られていた。
それは、偶然そうなったとは思えない精度だった。
「……黒崎くん、すごい」
思わず呟いた。
だが、すぐに我に返る。
今は観察している場合ではない。
相澤を安全な場所へ運ばなければならない。
「梅雨ちゃん、もう少しだけ!」
「分かったわ」
蛙吹が頷く。
その隣では、峰田が必死に球を投げ続けていた。
「俺もう帰りてえよおお!」
「峰田くん、もうちょっとだから!」
「その『もうちょっと』が信用できねえんだよ!」
それでも、峰田は手を止めなかった。
緑谷は奥歯を噛んだ。
怖い。
自分だって怖かった。
さっき、あの怪物へ拳を叩き込んだとき。
まるで、何も効いていなかった。
あんな相手が、自分たちを本気で殺そうとしている。
それでも。
今は、やれることをやるしかない。
緑谷は相澤の身体を支え直し、壁際へ向かった。
*
「……黒崎」
相澤は、緑谷たちに支えられながら一護の戦いを見ていた。
速い。
強い。
だが、それだけではない。
必要以上に追撃しない。
相手が動こうとする方向を見て、先回りする。
常に、周囲へ意識を向けている。
自分たちが移動する方向へ脳無を向かわせないよう、細かく位置を変えていることも分かった。
その戦い方には、妙な落ち着きがあった。
初めて敵と対峙した十五歳の少年とは思えない。
まるで、何度も似たような状況を経験してきたかのようだった。
そして何より、一護の足運びには迷いがなかった。
斬るべき距離。
躱すべき角度。
相手が動くより先に、次の行動へ移る判断。
それらが、考えるより早く身体から出ている。
目の前の生徒は、人間の肉体を斬ることに躊躇していなかった。
だが、闇雲に殺傷を狙っているわけでもない。
必要なときだけ刃を振るい、不要な追撃はしない。
守るべき人間と、倒すべき相手を、常に視界へ収めている。
そこには、訓練で身につけただけとは思えない戦闘経験があった。
「……お前、何者だ」
思わず呟く。
その声は、一護には届かなかった。
*
「……ふざけんなよ」
死柄木が首を掻いた。
脳無は、オールマイトを殺すために用意された存在だ。
それが今、雄英の一年生を相手に足止めされている。
しかも、相手は平然としている。
何度攻撃しても倒れず、脳無の攻撃を躱し、時には逆に吹き飛ばす。
その事実が、死柄木には気に入らなかった。
「黒霧。何やってんだよ」
「申し訳ありません。しかし、あの速度では……」
「言い訳すんな!」
死柄木が怒鳴る。
だが、黒霧は別のことを気にしていた。
あの少年が姿を現してから、戦いの流れが変わっている。
しかも、外へ逃れた生徒を捕まえることにも失敗した。
そのことを、死柄木へ伝えなければならない。
「死柄木弔」
「……何だよ」
「一人、外へ逃がしてしまいました」
死柄木の指が止まった。
「……は?」
「恐らく、雄英へ応援を呼びに向かったものと思われます」
沈黙。
次の瞬間。
死柄木が激しく首筋を掻き始めた。
「……ふざけんな。ふざけんなよ!」
黒霧は何も言わなかった。
死柄木は苛立ったように周囲を見渡す。
オールマイトはまだ来ていない。
だが、他のプロヒーローが集まってくれば、さすがに不利になる。
それに。
目の前の黒崎一護。
こいつが、何より気に入らない。
「……だったらさ」
死柄木が、ゆっくりと顔を上げた。
「せめて、あのガキどもくらい殺して帰ろうぜ」
その視線が、壁際へ向いた。
緑谷。
蛙吹。
峰田。
そして、傷ついた相澤。
一護はその視線に気づいた。
「……おい」
低く声をかける。
だが、死柄木は笑った。
「脳無」
黒い巨体が動く。
「邪魔な奴、全部潰せ」
脳無が地面を蹴った。
一護の前を通り過ぎ、壁際へ向かおうとする。
「……させるかよ!」
一護が踏み込んだ。
だが、その瞬間、横から黒い霧が広がる。
空間が歪み、脳無の進路が変わった。
遠くの生徒たちへ向けて、巨大な拳が迫る。
緑谷が顔を上げた。
「……っ!」
蛙吹が相澤を庇うように身体を動かす。
峰田は悲鳴を上げた。
一護は奥歯を噛んだ。
まだ間に合う。
だが、今のままでは黒霧の妨害を受ける。
もっと速く。
相手に動きを捉えさせないほどに。
一護は静かに息を吐いた。
自分の内側へ意識を向ける。
死神の力。
滅却師の力。
完現術。
そして、その奥にあるもの。
虚。
前世で何度も力を借りた、もう一つの自分。
かつては、暴走を恐れたこともあった。
だが、今は違う。
その力も、自分の一部だと分かっている。
一護は左手を上げた。
掌を、自分の頭頂部の少し上へかざす。
そこに何かがあるかのように、指を軽く曲げる。
そして。
一気に、顔の前へ引き下ろした。
まるで、頭上に置かれていた仮面を掴み、そのまま被るように。
手の動きに合わせて、白いものが現れる。
骨のような質感。
赤い紋様。
額から鼻筋へ、頬へ。
手が顎の辺りへ達したとき、虚の仮面は完全に形を成していた。
同時に。
空気が、変わった。
*
最初に異変を感じたのは、黒霧だった。
目の前の少年から、何かが溢れ出した。
熱でもない。
風でもない。
それなのに、周囲の空間が重くなったようだった。
「……これは」
思わず声が漏れる。
身体が、動こうとするのを躊躇していた。
何かが近づいてくる。
いや、違う。
すでに目の前にいる。
ただ、その存在の危険性を、ようやく身体が理解したような感覚だった。
隣にいた死柄木も、動きを止めていた。
首筋を掻いていた指が、僅かに硬直する。
「……何だ、お前」
低い声が漏れた。
目の前にいるのは、たかが雄英の一年生のはずだった。
そう思おうとする。
だが、身体が先に反応していた。
無意識に、一歩だけ足が下がる。
心臓が速く打つ。
喉の奥がひどく乾いた。
理屈は分からない。
ただ、近づいてはいけない。
何かが、そう告げていた。
死柄木は自分の足元へ目を落とした。
後ずさった。
その事実に気づいた途端、苛立ちが込み上げてくる。
「……っ、ふざけんな」
首筋を掻く指が、再び動き始めた。
さっきよりも強く。
「何で俺が、お前なんかに……!」
怒鳴りかけた声が、途中で途切れる。
一護が、ゆっくりと顔を向けたからだ。
白い仮面。
黒く染まった眼球。
その奥に浮かぶ、黄色い瞳。
目が合った瞬間、死柄木は息を呑んだ。
脳無は動じなかった。
低い唸り声を上げ、変わらず生徒たちへ向かおうとしている。
だが、黒霧はすぐに気づいた。
あの圧力は、長く続かなかった。
少年の周囲へ一瞬だけ広がった何かが、次の瞬間には収束していた。
まるで、意図して押し込めたかのように。
*
緑谷も、その変化を感じていた。
「……っ!」
胸の奥が冷たくなった。
何が起きたのか分からない。
ただ、身体が反射的に強張った。
恐怖。
それが何に対するものなのか、分からなかった。
目の前には、脳無がいる。
その脳無よりも、さらに危険な何かが近くにいる。
そんな感覚だった。
緑谷は息を呑んだ。
そして、黒崎の方を見る。
「……黒崎くん?」
白い仮面。
黒い死覇装。
そして、巨大な刀。
さっきまでと姿はほとんど変わらない。
ただ、仮面を被っただけだ。
それなのに。
まるで、別の存在がそこに立っているようだった。
蛙吹も僅かに目を見開いていた。
「……何かしら、今の」
峰田はすでに涙目だった。
「もう嫌だ……何なんだよ、あいつも……!」
相澤も、壁へ手をつきながら一護を見ていた。
自分の生徒から、こんなものを感じるとは思わなかった。
それも、ほんの一瞬。
あの少年は、何事もなかったかのように抑え込んでいる。
偶然ではない。
本人が制御したのだ。
*
一護は小さく息を吐いた。
仮面を顕現させた瞬間、虚の霊圧が少し漏れた。
以前なら、気に留めなかったかもしれない。
だが、今は違う。
ここには、霊圧に対する耐性を持たない人間がいる。
敵だけではない。
傷ついた教師も、避難中の生徒たちもいる。
無闇に撒き散らすわけにはいかなかった。
だから、すぐに抑えた。
霊圧を外へ広げるのではなく、身体の内側へ巡らせる。
必要な部分だけを強化する。
長い時間をかけて身につけてきた制御が、今はそれを可能にしていた。
「……悪いな」
一護は小さく呟いた。
だが、謝っている暇はない。
脳無が、まだ動いている。
一護は斬月を握り直した。
仮面の内側で、呼吸を整える。
次の瞬間。
その姿が消えた。
*
「……っ!?」
死柄木が目を見開く。
脳無の巨体が、横へ吹き飛んでいた。
いや、正確には違う。
何かが動いた。
そう認識したときには、すでに脳無が地面を滑っていた。
一護はその前に立っている。
白い仮面。
黒い死覇装。
そして、一振りの斬月。
「……これならどうだ」
低い声が響いた。
脳無が起き上がる。
その瞬間、一護は再び踏み込んだ。
今度は、正面からではない。
相手の視界の外へ回り込み、斬月を振るう。
刃が脳無の肩口を裂いた。
巨体がよろめく。
だが、すぐに傷口が塞がり始めた。
一護は追撃しない。
代わりに、その身体の前へ立ち続けた。
脳無が別の方向へ動こうとすると、即座に進路を塞ぐ。
黒霧が空間を開こうとすれば、その前へ回る。
一護の目的は、脳無を倒すことだけではなかった。
相澤へ近づけさせない。
他の生徒へ向かわせない。
そして、何より。
誰かが助けに来るまで、ここで食い止める。
そのための戦いだった。
死柄木は苛立ったように首を掻いた。
「……何なんだよ、あいつ」
脳無は、オールマイトを殺すために用意された。
圧倒的な力。
異常な耐久力。
複数の個性。
そのすべてを持たせた、特別な改人だ。
それが今、雄英の一年生を相手に足止めされている。
しかも、その少年は脳無を倒そうとしていない。
ただ、好きなように動かさないだけだ。
「……ふざけんな」
死柄木が低く呟く。
「黒霧。何とかしろ」
「試みております。しかし、あの速度では……」
「言い訳すんな!」
死柄木が怒鳴った。
一護はその声を聞きながら、斬月を握り直した。
黒い霧が動く。
脳無が踏み込む。
再び攻撃が重なる。
だが、今度は先ほどよりも余裕があった。
仮面を介して虚の力を加えたことで、反応速度も身体能力もさらに上がっている。
何より、力の流れが安定していた。
死神の力を肉体へ重ねる。
今朝までは、その状態を維持するだけで精一杯だった。
だが、戦いながら使ううちに、余計な力みが抜けてきた。
霊力を全身へ均等に押し込む必要はない。
必要なところへ。
必要な量だけ。
長い時間をかけて身につけてきた制御が、ようやく今の技術にも噛み合い始めていた。
「……悪くねえ」
一護は小さく呟いた。
*
「……黒崎」
相澤は壁際に座り込みながら、その戦いを見ていた。
信じがたい光景だった。
自分の生徒が、あの怪物を相手に戦っている。
それだけでも異常なのに、動きがあまりにも違った。
速い。
強い。
だが、それだけではない。
必要以上に追撃しない。
相手が動こうとする方向を見て、先回りする。
常に、周囲へ意識を向けている。
自分を守るために、何度も位置を変えていることも分かった。
その戦い方には、妙な落ち着きがあった。
初めて敵と対峙した十五歳の少年とは思えない。
そして、あの仮面。
相澤はその白い面を見つめた。
今の黒崎からは、先ほどのような圧力は感じない。
それでも、一度覚えた違和感は消えなかった。
人間を圧倒する力を持ちながら、それを当然のように制御している。
刀の扱いにも、躊躇がない。
剣術を習っていた、という程度の話では説明がつかなかった。
「……お前、何者だ」
思わず呟く。
その声は、一護には届かなかった。
*
どれほどの時間が経ったのか。
一護には分からなかった。
ただ、脳無の動きには少しずつ癖が見え始めていた。
力任せの攻撃。
異常な再生。
黒霧による空間移動。
厄介ではあるが、決して対処できない相手ではない。
ただし、こちらにも限界はある。
死覇装と斬月を、生身のまま維持し続けている。
しかも、仮面まで重ねている。
霊力そのものに余裕はあっても、技術的な負担は小さくなかった。
僅かな乱れが、全身へ広がりそうになる。
一護は呼吸を整えた。
焦る必要はない。
無駄を省く。
必要なところだけを動かす。
それだけでも、戦い方は変わる。
脳無が拳を振り上げた。
一護は斬月を立て、真正面から受け流す。
そのまま懐へ踏み込み、刀身を斜めに振り抜いた。
黒い巨体が後方へ下がる。
また傷口が塞がる。
だが、その間だけでも、相手の足を止められる。
「……しつけえな、お前」
一護は仮面の奥で笑った。
脳無が低く唸る。
そのときだった。
施設の入口側から、大きな音が響いた。
何かが破壊される音。
続けて、風が吹き込んでくる。
死柄木が顔を上げた。
「……あ?」
黒霧も動きを止める。
相澤が、僅かに目を見開いた。
緑谷も顔を上げた。
「……あれは」
一護は振り返らなかった。
ただ、その気配には覚えがあった。
この世界に生まれてから、何度もテレビで見てきた男。
人々の期待を背負い、笑顔で現れるヒーロー。
入口の向こうに、巨大な影が立っていた。
「私が来た!」
声が、USJ全体へ響き渡った。
オールマイトだった。
*
「オールマイト!」
緑谷が思わず声を上げた。
その顔に、安堵が広がる。
飯田が、外へ出られたのだ。
誰かが、助けを呼んでくれた。
それが分かっただけで、張り詰めていたものが少し緩んだ。
だが、緑谷はすぐに相澤へ目を向けた。
まだ安心はできない。
先生の怪我はひどい。
ほかのクラスメイトたちも、どこにいるのか分からない。
「梅雨ちゃん、先生をもう少し奥へ!」
「ええ」
「峰田くんも、お願い!」
「分かったって!」
三人は、もう一度相澤を支え直した。
その様子を見て、オールマイトの表情が一瞬だけ険しくなる。
だが、すぐに前を向いた。
目の前には、脳無。
そして、その前に立つ黒い装束の少年。
「……黒崎少年?」
思わず声が漏れた。
黒い死覇装。
白い仮面。
巨大な刀。
見慣れた雄英の生徒とは、まるで違う姿だった。
それでも、オレンジ色の髪は見間違えようがない。
「君は……黒崎少年なのか!?」
「おう」
一護は短く答えた。
「先生が怪我してる。先にそっちを頼む」
オールマイトの視線が、壁際の相澤へ向いた。
そして、緑谷たちの姿を確認する。
「……分かった!」
一護は頷いた。
そのまま脳無へ向き直る。
相手はまだ動ける。
再生能力も衰えていない。
だが、ここまで来れば十分だった。
自分がすべきことは、あの拳から相澤を守ることだった。
それは、もう果たしている。
一護は斬月を握り直した。
白い仮面の奥で、僅かに息を吐く。
「……あとは任せたぜ、オールマイト」
その声を聞き、平和の象徴は力強く頷いた。
「もちろんだ!」
次の瞬間、オールマイトが地面を蹴った。
凄まじい風圧が、中央広場を駆け抜ける。
一護はその動きを見ながら、静かに斬月を引いた。
刀身には、まだ確かな重みが残っている。
死覇装も、消えていない。
仮面の下で、一護は小さく息を吐いた。
今度こそ、きちんと自分の力を使えた。
そう感じてから、傷ついた相澤のもとへ向かった。