『君が拒んだ終わりの先で』   作:吉野家

16 / 19
一護の目上に対する言葉遣いが難しい。原作では基本さん付けではいたけど、割と口調崩してるし。けど今作は内面だけ見りゃ30過ぎてるし…でも敬語ばかりだと違和感あるし…一旦敬語には違和感覚えても目を瞑って頂けると幸いです。良き案が見つかれば修正入れます。


第16話 仮面の向こう

 

 拳と拳が衝突した。

 

 中央広場を揺るがす轟音。

 

 砕けた床の破片が宙を舞い、凄まじい風圧が周囲へ広がる。

 

「うわっ……!」

 

 緑谷は咄嗟に身を低くした。

 

 隣では蛙吹が相澤の身体を支え、峰田が両腕で顔を覆っている。

 

 少し離れた場所で、オールマイトと脳無が再び激突した。

 

 巨体が振り下ろした拳を、オールマイトが正面から受け止める。

 

 そのまま押し返す。

 

 脳無の足元に亀裂が走った。

 

「す、すごい……」

 

 緑谷の口から声が漏れた。

 

 だが、すぐに違和感を覚える。

 

 あれほどの力で殴られているのに、脳無が倒れない。

 

 衝撃を受け止めている。

 

 いや、吸収しているのか。

 

 先ほど自分が放った一撃も、まるで効かなかった。

 

「……緑谷」

 

 背後から声がした。

 

 振り返ると、一護が歩いてきていた。

 

 黒い死覇装。

 

 片手には巨大な斬月。

 

 そして、顔を覆う白い仮面。

 

「先生の具合はどうだ?」

 

「あ、えっと……」

 

 緑谷は答えようとして、言葉を詰まらせた。

 

 一護が近づく。

 

 それだけで、身体が僅かに強張った。

 

 ほんの一歩。

 

 無意識に、足が後ろへ下がる。

 

「……?」

 

 一護が足を止めた。

 

 緑谷自身、なぜそんなことをしたのか分からなかった。

 

 目の前にいるのは、同じクラスの黒崎一護だ。

 

 相澤を助け、脳無を食い止めてくれた。

 

 それなのに、白い仮面を見た瞬間、あの感覚が蘇った。

 

 空気が重くなった。

 

 息が詰まった。

 

 理由も分からないまま、身体が逃げろと訴えた。

 

 あの一瞬。

 

 確かに、自分は黒崎くんを怖いと思ったのだ。

 

「……黒崎くん、その……」

 

 緑谷が言い淀む。

 

 一護は少しだけ首を傾げ、それから自分の顔へ手をやった。

 

「……ああ、これか」

 

 左手を仮面の縁へかける。

 

 そのまま外すと、白い面が指先から細かな霊子へほどけていった。

 

 現れたのは、いつもの一護の顔だった。

 

「悪い。怖がらせたな」

 

「……っ!」

 

 緑谷は目を見開いた。

 

「ち、違うんだ! 黒崎くんが何かしたってわけじゃ……!」

 

「分かってるって」

 

 一護は軽く手を振った。

 

「俺の方もちょっと制御が甘かった。気にすんな」

 

 そう言って、相澤の傍らへ膝をつく。

 

「先生、聞こえますか?」

 

「……ああ」

 

 相澤は苦しげに息を吐いた。

 

 右腕は不自然な角度に曲がり、頭部にも出血が見られる。

 

 一護はその状態を確かめ、眉を寄せた。

 

「……無理に動かない方がいいですね」

 

「……分かってる」

 

「救護が来るまで、もう少し休んでてください」

 

「……お前もな」

 

「俺は大丈夫です」

 

 相澤は一護を見上げた。

 

 黒い衣。

 

 巨大な刀。

 

 どちらも、先ほどまでは存在していなかったものだ。

 

 さらに、あの仮面。

 

 現れた瞬間に感じた、説明のつかない恐怖。

 

 あれほどの力を見せておきながら、目の前の生徒は平然としている。

 

「……黒崎」

 

「……はい?」

 

「後で話を聞く」

 

 一護は僅かに眉を動かした。

 

 予想していなかったわけではない。

 

 あれだけ派手に力を使ったのだ。

 

 何も聞かれずに済むとは思っていなかった。

 

「……分かりました」

 

 相澤はそれ以上言わず、目を閉じた。

 

 一護は緑谷へ向き直る。

 

「先生は動かさねえ方がいい。救護が来るまで、ここで待とう」

 

「う、うん」

 

「梅雨ちゃん、周りを見ててくれ」

 

「分かったわ」

 

 蛙吹が頷いた。

 

 ただ、その返事は普段より少し遅かった。

 

 一護は気づいたが、今は何も言わなかった。

 

     *

 

 脳無の腕が、オールマイトの肩へ絡みついた。

 

「ぬっ……!」

 

 巨体が力を込める。

 

 オールマイトはその腕を掴み、床へ叩きつけようとした。

 

 だが、その瞬間。

 

 足元に黒い霧が広がった。

 

「……!」

 

 床が消える。

 

 正確には、空間が繋がり直されていた。

 

 黒霧の個性。

 

 脳無がオールマイトへ組みついたまま、霧の中へ身体を沈めていく。

 

「申し訳ありませんが」

 

 黒霧の声が響いた。

 

「このまま、あなたを始末させていただきます」

 

 オールマイトの身体が、不自然な角度で固定される。

 

 空間の境界へ、身体を押し込もうとしているらしい。

 

「……っ!」

 

 緑谷が顔を上げた。

 

 まずい。

 

 あのままでは。

 

 身体が動きかけたときだった。

 

 爆発音が響いた。

 

「どけや、邪魔くせえ!」

 

 横合いから飛び込んだ爆豪が、黒霧へ爆破を叩き込む。

 

 霧が大きく揺らいだ。

 

 続けて、爆豪の手が黒霧の金属製の装具を掴む。

 

「……へえ」

 

 爆豪が口元を歪めた。

 

「全部が霧ってわけじゃねえんだな」

 

「……っ!」

 

 黒霧の動きが止まる。

 

 ほぼ同時に、床を冷気が走った。

 

 脳無の足元から氷が伸び、巨体の半身を覆っていく。

 

 少し離れた場所で、轟が手を下ろした。

 

「……それで抜けられるだろ」

 

「助かった!」

 

 オールマイトが腕に力を込める。

 

 脳無の拘束を振りほどき、後方へ跳んだ。

 

 その傍らへ、切島が駆け込んでくる。

 

「オールマイト! 大丈夫っすか!?」

 

「切島少年!」

 

 オールマイトは頷いた。

 

 だが、その視線は脳無から離れていない。

 

 氷漬けになった巨体が、ゆっくりと動いた。

 

 凍りついた腕が砕ける。

 

 切島が息を呑んだ。

 

「……おい、腕が!」

 

 その直後。

 

 失われた部分から肉が盛り上がった。

 

 骨が伸び、筋肉が形を作る。

 

 瞬く間に、新しい腕が生えてくる。

 

「……マジかよ」

 

 切島の声が低くなる。

 

 爆豪も眉を寄せた。

 

 轟は黙って再生の様子を見つめている。

 

「再生能力か」

 

 オールマイトが呟いた。

 

 すでに黒崎から聞いていたが、実際に目の当たりにすると、その異常さがよく分かる。

 

 それだけではない。

 

 打撃吸収。

 

 圧倒的な筋力。

 

 複数の能力を備え、こちらの力へ対抗するために造られたような存在。

 

 容易に倒せる相手ではなかった。

 

「……君たちは下がっていたまえ」

 

 オールマイトが言った。

 

 爆豪が顔をしかめる。

 

「ああ!?」

 

「ここから先は、私が引き受ける!」

 

「何言ってんだよ! あいつ、まだ――」

 

 爆豪の言葉が途切れた。

 

 オールマイトが一歩踏み込んだからだ。

 

 床が軋む。

 

 全身から放たれる圧力が、周囲の空気を押し返す。

 

 先ほどまでと、明らかに違う。

 

「……っ」

 

 爆豪が口を閉じた。

 

 その様子を、壁際から一護も見ていた。

 

 斬月を握る手に、僅かに力が入る。

 

 脳無がまだ動ける以上、いつでも割り込めるようにしておく必要はある。

 

 だが、オールマイトは自ら引き受けると言った。

 

 そして、あの男にはそれを実行できるだけの力がある。

 

 一護は斬月を下ろし、戦いを見守った。

 

     *

 

 轟音が連続した。

 

 オールマイトの拳が、脳無を捉える。

 

 一発。

 

 二発。

 

 さらに三発。

 

 脳無も拳を振るう。

 

 互いの攻撃が衝突するたび、床が砕け、空気が震えた。

 

 それでもオールマイトは止まらなかった。

 

 衝撃を吸収するというのなら。

 

 吸収しきれないほどの衝撃を与える。

 

 その力を上回るまで、何度でも拳を叩き込む。

 

 脳無の身体が、少しずつ押され始めた。

 

「……嘘だろ」

 

 死柄木が呟いた。

 

 脳無は、オールマイトを殺すための切り札だった。

 

 それが、真正面から押し返されている。

 

「何でだよ……」

 

 首筋を掻く音が大きくなる。

 

「そんなの、インチキだろ……!」

 

 黒霧も、黙って戦いを見つめていた。

 

 オールマイトの拳は、なおも止まらない。

 

 巨体が後退する。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 三歩。

 

 緑谷は、その光景から目を離せなかった。

 

 あれほどの力を何度も振るえば、当然、身体へ負担がかかる。

 

 まして今のオールマイトには、時間の制限がある。

 

 それでも。

 

 目の前の男は、決して退かなかった。

 

「……オールマイト」

 

 緑谷が呟く。

 

 そのとき。

 

 オールマイトが最後の一歩を踏み込んだ。

 

 全身の力を、拳へ集中させる。

 

「PLUS ULTRA!」

 

 凄まじい衝撃が、脳無の巨体を撃ち抜いた。

 

 黒い身体が浮き上がる。

 

 次の瞬間、天井へ向かって弾き飛ばされた。

 

 轟音。

 

 施設の上部が砕け、巨大な穴が開く。

 

 脳無の姿が、その向こうへ消えていった。

 

 遅れて、爆風が中央広場を駆け抜ける。

 

「うわっ……!」

 

 緑谷は両腕で顔を庇った。

 

 蛙吹も身を低くする。

 

 峰田の悲鳴が響く。

 

 土煙が収まったとき。

 

 中央広場に立っていたのは、オールマイトだけだった。

 

「……すげえ」

 

 切島が呟いた。

 

 爆豪は黙っていた。

 

 轟も、天井に開いた穴を見上げている。

 

 一護は斬月を下ろし、静かに息を吐いた。

 

「……とんでもねえな」

 

 力任せに見えて、ただ殴っているだけではなかった。

 

 相手の能力を見極め、その防御を上回るまで押し切る。

 

 単純だからこそ、誰にでもできることではない。

 

 あれほどの力を、正面から叩き込めるだけの身体と覚悟が要る。

 

 この世界の平和の象徴。

 

 その呼び名も、伊達ではないらしい。

 

     *

 

 死柄木は、しばらく動かなかった。

 

 天井に開いた穴を見上げたまま、口を半開きにしている。

 

 脳無が消えた。

 

 オールマイトを殺すはずだった切り札が。

 

 真正面から、吹き飛ばされた。

 

「……嘘だろ」

 

 掠れた声が漏れる。

 

「何で……何でだよ……」

 

 その肩が震える。

 

 怒りなのか、悔しさなのか。

 

 死柄木自身にも、よく分からなかった。

 

「……落ち着いてください、死柄木弔」

 

 黒霧が静かに声をかけた。

 

「……何だよ」

 

「よくご覧ください」

 

 黒霧の視線が、オールマイトへ向く。

 

 平和の象徴は、先ほどから同じ場所に立っていた。

 

 拳を握り、堂々と胸を張っている。

 

 だが。

 

 呼吸が、僅かに乱れていた。

 

 そして、あれほどの速度で動いていた男が、今は一歩も踏み出していない。

 

「脳無との戦闘で、相当な力を消耗しているようです」

 

 死柄木が目を細めた。

 

「……それが?」

 

「今なら、まだ勝機があります」

 

 沈黙。

 

 死柄木の指が、ゆっくりと首筋から離れた。

 

「……まだ、やれるってことか」

 

「ええ。ただし、時間はありません」

 

 死柄木の口元が歪む。

 

「……そうだよな」

 

 その視線が、オールマイトを捉えた。

 

「まだゲームオーバーじゃねえ」

 

 黒霧が広がった。

 

     *

 

 緑谷は、オールマイトの様子を見ていた。

 

 他の誰よりも、あの人のことを知っている。

 

 あの身体が、決して無敵ではないことも。

 

 今の姿を維持できる時間が、限られていることも。

 

 だからこそ、気づいてしまった。

 

 あの戦いで、オールマイトはほとんど限界まで力を使っている。

 

 これ以上は危険だ。

 

「……っ!」

 

 死柄木が動いた。

 

 黒い霧が、オールマイトの足元へ広がる。

 

 緑谷は地面を蹴っていた。

 

 考えるより先に、身体が動いていた。

 

「オールマイト!」

 

 その声に、一護も顔を上げた。

 

 死柄木が踏み込む。

 

 黒霧が空間を繋ぐ。

 

 狙いは、オールマイト。

 

 一護は斬月を握り直した。

 

「……緑谷!」

 

 緑谷が飛び出している。

 

 あの怪物へ拳を放ったときと同じだ。

 

 危険だと分かっていても、身体が先に動く。

 

 一護はその背中を追った。

 

 瞬歩。

 

 だが、黒霧も動いた。

 

 一護の前に、黒い渦が開く。

 

 次の瞬間には、別の方向からも霧が伸びていた。

 

 進路を塞ぐつもりらしい。

 

「……邪魔だ!」

 

 一護は斬月を振るった。

 

 刃の周囲へ圧縮した霊圧が、霧を押し流す。

 

 完全に消せたわけではない。

 

 だが、空間の繋がりが僅かに乱れた。

 

「……っ!」

 

 黒霧が反応する。

 

 その間に、一護はさらに踏み込もうとした。

 

 しかし。

 

 緑谷の目の前に、新たな黒い渦が開いていた。

 

 そこから、死柄木の手が伸びる。

 

 指先が、緑谷の顔へ迫った。

 

「……!」

 

 一護が斬月を構え直す。

 

 緑谷も、身を引こうとした。

 

 だが、その手はすでに目前まで迫っている。

 

 間に合わない。

 

 そう見えた瞬間だった。

 

 乾いた銃声が響いた。

 

「……がっ!?」

 

 死柄木の腕が弾かれる。

 

 指先が、緑谷の顔を掠めることなく逸れた。

 

 続けて、銃声。

 

 死柄木が身体をよろめかせる。

 

 黒霧が慌てて広がった。

 

「死柄木弔!」

 

 一護は顔を上げた。

 

 施設の入口。

 

 そこには、銃を構えたヒーローが立っていた。

 

 顔を覆うマスク。

 

 つばの広い帽子。

 

 雄英の教師、スナイプだった。

 

 その後ろには、複数の教師たちが並んでいる。

 

 そして。

 

「皆さん!」

 

 聞き覚えのある声が響いた。

 

「救援を連れてきました!」

 

 飯田だった。

 

     *

 

 状況が変わるまで、時間はかからなかった。

 

 教師陣が施設内へ入り、残っていたヴィランたちを次々に制圧していく。

 

 プレゼント・マイクの声が響き、敵の集団が吹き飛ばされた。

 

 エクトプラズムの分身が、逃走しようとするヴィランたちの進路を塞ぐ。

 

 入口側では、八百万と耳郎が上鳴を支えていた。

 

 途中で遭遇した敵の能力を受け、上鳴は身動きが取れなくなっていたのだ。

 

 そこへ教師たちが駆けつけ、敵を取り押さえた。

 

「……助かったあ……!」

 

 上鳴が大きく息を吐く。

 

 耳郎は呆れたように肩をすくめた。

 

「ほんと、最後まで危なっかしいんだから」

 

「いや、俺だって頑張っただろ!?」

 

「ええ。上鳴さんのおかげで、最初の敵は撃退できましたわ」

 

 八百万が頷いた。

 

「ですが、今は安静にしてください」

 

「……うっす」

 

 上鳴は素直に従った。

 

 中央広場でも、戦況は一変していた。

 

 スナイプは銃口を死柄木へ向けたまま、動きを監視している。

 

 死柄木は傷ついた腕を押さえ、激しく息を吐いていた。

 

「……くそ、くそっ……!」

 

 首筋を掻こうとした指が、途中で止まる。

 

 黒霧がその前へ広がった。

 

「死柄木弔。これ以上は無理です」

 

「……分かってるよ!」

 

 死柄木が怒鳴る。

 

 だが、その声には先ほどまでの勢いがなかった。

 

 脳無は倒された。

 

 オールマイトを仕留める最後の機会も、教師陣の到着で失われた。

 

 これ以上戦えば、逃げ道そのものがなくなる。

 

「……覚えてろよ」

 

 死柄木が低く呟いた。

 

 その視線が、オールマイトへ向く。

 

 そして、少し離れた場所に立つ一護へ。

 

 黒い死覇装。

 

 巨大な刀。

 

 仮面はもうない。

 

 だが、あのとき感じたものを、死柄木は忘れていなかった。

 

 身体が勝手に下がった。

 

 相手が、たった一人の高校生なのに。

 

 その事実が、今でも腹立たしかった。

 

 一護は死柄木の視線に気づいた。

 

 だが、何も言わなかった。

 

 斬月を構えたまま、相手を見返す。

 

 黒霧が広がる。

 

「……撤退します」

 

 今度こそ、迷いのない声だった。

 

 スナイプが銃を構え直す。

 

 だが、黒い霧はすでに死柄木の身体を包み始めていた。

 

 教師たちも追撃しようとする。

 

 しかし、空間を繋ぐ個性の前では、ほんの僅かな遅れが大きかった。

 

 死柄木と黒霧の姿が、黒い渦の奥へ消える。

 

 その直後、霧そのものも消滅した。

 

 中央広場に、静寂が戻った。

 

     *

 

「……終わった、のか?」

 

 峰田が呟いた。

 

 その声は、ひどく頼りなかった。

 

 周囲では、教師たちが残党の拘束を続けている。

 

 警察への連絡も、すでに行われていた。

 

 オールマイトは少し離れた場所で教師たちと話していたが、その姿には先ほどまでの勢いがなかった。

 

 緑谷は心配そうに見つめていたものの、今は駆け寄らずにいた。

 

 人目がある。

 

 ここで自分が慌てて駆け寄れば、かえって何かを悟られるかもしれない。

 

 それが分かっていた。

 

 蛙吹が、小さく息を吐く。

 

「……ようやく、終わったみたいね」

 

「本当にか!? もう誰も出てこないよな!?」

 

 峰田が叫ぶ。

 

「……分からないわ。でも、先生たちが来てくれたもの」

 

「俺もう二度とこんな目に遭いたくねえよおお!」

 

 その声を聞いて、一護が振り返った。

 

「……元気そうだな、お前」

 

「どこがだよ!」

 

 峰田が即座に言い返す。

 

 一護は少しだけ笑った。

 

 緑谷も、つられて小さく息を吐く。

 

 ようやく、少しだけ緊張が緩んだ。

 

「……黒崎ちゃん」

 

 蛙吹が声をかけた。

 

「ん?」

 

「さっきのことなんだけど」

 

 一護は彼女へ顔を向けた。

 

 蛙吹は少しだけ言葉を探すように黙った。

 

 そして、口を開いた。

 

「仮面を被ったとき、怖かったわ」

 

 緑谷が顔を上げた。

 

 峰田も、一瞬だけ口を閉じる。

 

 一護は蛙吹を見た。

 

「……そっか」

 

「黒崎ちゃんが嫌いになったわけじゃないの。でも、あの瞬間、身体が動かなくなった」

 

 蛙吹は自分の手を見下ろした。

 

「逃げなくちゃいけないって、勝手に思ってしまったの」

 

 一護はその言葉を聞き、少しだけ目を伏せた。

 

 やはり、思っていた以上に霊圧が漏れていたらしい。

 

 あの三人には、霊圧というものが何なのか分からない。

 

 突然、目に見えない圧力を浴びせられ、理由も分からず身体が危険を訴える。

 

 恐怖を覚えるのも無理はなかった。

 

「……悪かったな」

 

 一護は短く言った。

 

「ちょっと制御が甘かった」

 

「制御?」

 

「ああ。あの仮面を出したとき、余計な力が外へ漏れたんだ」

 

 蛙吹は静かに頷いた。

 

「そうなのね」

 

「次は気をつける」

 

「……ええ」

 

 蛙吹は少しだけ表情を和らげた。

 

「でも、助けてくれてありがとう、黒崎ちゃん」

 

 一護は僅かに目を瞬かせた。

 

「……おう」

 

 そのやり取りを聞いていた緑谷が、口を開いた。

 

「黒崎くん」

 

「ん?」

 

「僕も……怖かった」

 

 一護は緑谷へ顔を向けた。

 

「……ああ」

 

「助けてくれたって、分かってたんだ。でも、一瞬、身体が勝手に……」

 

 緑谷は拳を握った。

 

「さっき黒崎くんが近づいてきたときも、思わず下がっちゃって……」

 

 言葉が詰まる。

 

 あのときの自分の反応が、どうしても情けなく思えた。

 

「……ごめん」

 

 一護は少しだけ眉を寄せた。

 

「何でお前が謝るんだよ」

 

「え?」

 

「怖かったもんはしょうがねえだろ。別にお前らを脅かそうとしたわけじゃねえし」

 

 一護は肩をすくめる。

 

「俺がちゃんと抑えりゃ済む話だ。気にすんな」

 

 緑谷は一護を見つめた。

 

 何でもないことのように言っている。

 

 だが、緑谷にとっては、簡単に割り切れることではなかった。

 

 怖かった。

 

 それは事実だ。

 

 けれど、一護が自分たちを助けてくれたことも事実だった。

 

 そのどちらかを、なかったことにはできない。

 

「……うん」

 

 緑谷は小さく頷いた。

 

「ありがとう、黒崎くん」

 

「おう」

 

 その隣で、峰田がおずおずと手を上げた。

 

「……あのさ」

 

「何だよ」

 

「俺は、普通にめちゃくちゃ怖かったぞ」

 

「知ってる」

 

「知ってんのかよ!」

 

「お前、ずっと叫んでただろ」

 

「そりゃ叫ぶだろ! あんなの見たら!」

 

 一護は呆れたように息を吐いた。

 

 峰田はしばらく口を尖らせていたが、やがて小さく呟いた。

 

「……でも、助かった」

 

 一護が顔を向ける。

 

 峰田は視線を逸らしたまま、続けた。

 

「それは、ありがとな」

 

「……ああ」

 

 一護は短く答えた。

 

 緑谷は、そんな二人のやり取りを見ながら、ほんの少しだけ笑った。

 

 まだ、怖かった感覚は消えていない。

 

 それでも、目の前の黒崎くんは、いつもの黒崎くんだった。

 

     *

 

 警察が到着したのは、それから間もなくのことだった。

 

 施設内ではヴィランの拘束が進められ、生徒たちは順番に安全な場所へ誘導されていった。

 

 負傷者の確認も始まった。

 

 相澤と十三号は、すぐに医療スタッフのもとへ運ばれた。

 

 緑谷も、負傷した指や脚を診てもらうことになった。

 

 一護はその様子を見送りながら、斬月を下ろした。

 

 戦闘は終わった。

 

 もう、力を維持する必要はない。

 

 意識を緩める。

 

 刀身の輪郭が、細かな霊子へ変わっていった。

 

 巨大な刃がゆっくりとほどけ、やがて消える。

 

 続いて、死覇装も崩れ始めた。

 

 黒い袖が消え、袴が消える。

 

 最後に白い帯が消えると、そこにはいつもの雄英の制服姿の一護が立っていた。

 

「……ふう」

 

 小さく息を吐く。

 

 霊力そのものに、大きな消耗はない。

 

 だが、身体の内側には僅かな疲労感が残っていた。

 

 生身へ死神の力を重ね合わせる。

 

 今朝までは、数秒も維持できなかった技術だ。

 

 それを、あれほど長く使った。

 

 当然、負担がないわけではない。

 

「……まだまだだな」

 

 一護が呟くと、背後から声がした。

 

「黒崎!」

 

 振り返る。

 

 切島が、こちらへ駆け寄ってきていた。

 

「お前、無事だったんだな!」

 

「おう。お前らもな」

 

「当たり前だろ!」

 

 切島は笑ったが、すぐに表情を引き締めた。

 

「……相澤先生、どうだった?」

 

「今、医療スタッフが診てる。怪我はかなり酷えけど、意識はあった」

 

「……そっか」

 

 切島は小さく頷いた。

 

 その後ろには、爆豪と轟もいた。

 

 爆豪は一護の顔を一瞥する。

 

 何か言いたげだったが、結局何も言わずに歩き去った。

 

 轟は少しの間、一護を見ていた。

 

 そして、静かに口を開く。

 

「……お前、あの怪物と戦ってたのか」

 

「ああ」

 

「そうか」

 

 それだけ言うと、轟も歩き出した。

 

 一護は少し首を傾げた。

 

「……何なんだ、あいつ」

 

 切島が苦笑する。

 

「轟はいつもあんな感じだって」

 

「そっか」

 

 一護も小さく笑った。

 

 そこへ、飯田が駆け寄ってきた。

 

「黒崎くん!」

 

「おう、飯田」

 

「相澤先生を助けたと聞いた! 本当にありがとう!」

 

 一護は少し驚いた顔をした。

 

「いや、お前こそよく助け呼んでくれたな」

 

「……!」

 

「お前が外へ出てくれなきゃ、もっと大変なことになってただろ」

 

 飯田は一瞬、言葉を失った。

 

 そして、深く頭を下げる。

 

「……ありがとう!」

 

 一護は困ったように頭を掻いた。

 

「だから、礼を言うのはこっちだって」

 

 切島が笑う。

 

「二人とも、何回礼言ってんだよ!」

 

 その声につられ、一護も少しだけ笑った。

 

 周囲では、警察と教師たちが慌ただしく動いている。

 

 事件が終わったからといって、すぐに日常へ戻れるわけではない。

 

 それでも、こうしてまた顔を合わせられた。

 

 そのことに、一護は小さな安堵を覚えていた。

 

     *

 

 事情聴取は、全員の安全が確認されてから始まった。

 

 警察の人間が、順番に生徒たちから話を聞いている。

 

 一護も、自分が飛ばされた場所と、そこで遭遇したヴィランたちについて説明した。

 

 山岳地帯での戦闘。

 

 中央広場へ戻ったこと。

 

 相澤を助け、脳無と戦ったこと。

 

 話を聞いていた刑事は、何度か手を止めた。

 

「……君が、あの大型の敵を足止めしていたのか」

 

「はい」

 

「相澤先生を助けたときには、刀のようなものを使っていたと?」

 

「……そうですね」

 

「それは、君の個性で作り出したものなのかな」

 

 一護は少し考えてから頷いた。

 

「はい。俺の力です」

 

 刑事はメモへ視線を落とした。

 

「なるほど……」

 

 それから、改めて一護の顔を見た。

 

「その能力については、学校側と確認する必要がありそうだね」

 

「……分かりました」

 

 一護は小さく息を吐いた。

 

 今まで、できることを全部説明していたわけではなかった。

 

 そもそも、自分でもどこまでできるか分かっていなかったのだ。

 

 USJで初めて、形にすることができた力もある。

 

 だが、それを説明しないままにはできないだろう。

 

 あれだけ大勢の前で見せたのだから。

 

     *

 

 事件の翌日、雄英は休校となった。

 

 ニュースでは、朝からUSJ襲撃事件が報じられていた。

 

 雄英の生徒が授業中にヴィランの襲撃を受けたこと。

 

 教師が負傷したこと。

 

 警察と学校が、事件の経緯を調べていること。

 

 ただし、生徒個人の能力や戦闘内容については、詳しい情報は出ていなかった。

 

 一護は居間のテレビを眺めながら、麦茶を飲んでいた。

 

「……一護」

 

 向かい側に座る一心が、珍しく真面目な声で呼びかけてきた。

 

「何だよ」

 

「本当に、怪我はしてないんだな?」

 

「ああ。大丈夫だって」

 

「痛むところもないか?」

 

「ねえよ」

 

 一心はしばらく一護を見つめた。

 

 そして、大きく息を吐いた。

 

「……なら、よし」

 

 いつものように飛びかかってくることも、ふざけたことを言うこともなかった。

 

 その様子が、少しだけ意外だった。

 

 台所から真咲が顔を出す。

 

「一護。今日は無理しちゃ駄目よ」

 

「分かってる」

 

「それと、何かあったらすぐに言ってね」

 

「……ああ」

 

 一護は頷いた。

 

 妹たちも、いつもより少し静かだった。

 

 夏梨はテレビのニュースを見ながら眉を寄せ、遊子は何度も一護の顔を確かめていた。

 

「……一兄」

 

 夏梨が口を開く。

 

「ん?」

 

「学校、ほんとに大丈夫なの?」

 

「……分かんねえ。でも、先生たちが何とかするだろ」

 

「そっか」

 

 夏梨はそれだけ言って、再びテレビへ目を向けた。

 

 遊子が小さく手を握る。

 

「お兄ちゃん、怪我しなくてよかった……」

 

 一護はその頭へ軽く手を置いた。

 

「大丈夫だって」

 

 遊子は小さく頷いた。

 

 一護はテレビへ視線を戻す。

 

 自分を待ってくれる家族が、ここにいる。

 

 そのことが当たり前ではないと、よく知っていた。

 

 だからこそ。

 

 次も、必ず帰ってくる。

 

 そう決めていた。

 

     *

 

 授業が再開された朝。

 

 一年A組の教室は、普段より少し騒がしかった。

 

 事件について話している者。

 

 互いの無事を確かめ合う者。

 

 まだ少し疲れた顔をしている者。

 

 反応はそれぞれだった。

 

「……先生、大丈夫かな」

 

 上鳴が呟いた。

 

 切島も頷く。

 

「かなり怪我してたらしいからな……」

 

「十三号先生も心配だよね」

 

 麗日が言った。

 

 そのとき。

 

 教室の扉が開いた。

 

「……席につけ」

 

 聞き慣れた声。

 

 全員が顔を向ける。

 

 そこには、全身を包帯で覆った相澤が立っていた。

 

「先生!?」

 

 緑谷が叫ぶ。

 

「大丈夫なんですか!?」

 

「……騒ぐな。生きてる」

 

 相澤はいつも通りの調子で答えた。

 

 だが、その姿は痛々しい。

 

 包帯に覆われた顔。

 

 固定された腕。

 

 歩く動作にも、僅かなぎこちなさがあった。

 

 一護は黙ってその姿を見ていた。

 

 生きている。

 

 それが分かっただけでも、よかった。

 

 相澤は教壇の前へ立つ。

 

「USJの件については、学校側で対応している。お前らは余計なことを考えず、普段通りにしろ」

 

 生徒たちが顔を見合わせた。

 

 相澤は構わず続ける。

 

「それより、次の話だ」

 

「……次?」

 

 誰かが呟いた。

 

「雄英体育祭が近い」

 

 教室が一瞬、静まり返った。

 

 次いで。

 

「えええええ!?」

 

 大きな声が響いた。

 

「いや先生! あんなことあったばっかなのに!?」

 

 上鳴が叫ぶ。

 

 切島も目を丸くしている。

 

「マジっすか!?」

 

「マジだ」

 

 相澤は短く答えた。

 

「だからこそ、今まで以上に気を引き締めろ」

 

 その言葉に、教室の空気が少し変わった。

 

 体育祭。

 

 雄英の名を全国へ知らしめる、大きな行事。

 

 ヒーローを目指す生徒にとっては、自分を見てもらう絶好の機会でもある。

 

 一護は窓の外へ目を向けた。

 

 体育祭か。

 

 入学して間もないというのに、次から次へと色々なことが起きる。

 

 退屈する暇もなさそうだった。

 

     *

 

 授業が終わったあと。

 

「黒崎。少し残れ」

 

 相澤に呼び止められた。

 

「……うっす」

 

 一護は足を止めた。

 

 予想通りだった。

 

 クラスメイトたちが教室を出ていく。

 

 切島が少し心配そうに振り返ったが、一護が手を振ると、そのまま廊下へ向かった。

 

 やがて、教室には二人だけが残った。

 

「放課後、校長室へ来い」

 

「……校長室ですか?」

 

「ああ」

 

 一護は少しだけ眉を寄せた。

 

 相澤一人に呼ばれるものだと思っていた。

 

 わざわざ校長室ということは、ほかにも話を聞く人間がいるのだろう。

 

「……分かりました」

 

「時間に遅れるなよ」

 

「はい」

 

 相澤はそれ以上何も言わなかった。

 

 一護も、特に質問しなかった。

 

 呼び出される理由なら、分かっている。

 

 問題は、どこまで説明するかだった。

 

     *

 

 放課後。

 

 一護は指定された校長室の前に立っていた。

 

 扉を二度叩く。

 

「どうぞ!」

 

 中から、明るい声が返ってきた。

 

「失礼します」

 

 一護は扉を開けた。

 

 そして、足を止める。

 

 机の向こうには、根津校長。

 

 その隣には、オールマイト。

 

 さらに、包帯だらけの相澤まで座っていた。

 

「……うわ」

 

 思わず声が漏れた。

 

「何だ、その反応は」

 

 相澤が眉を寄せる。

 

「いや……思ったより大人数だったんで」

 

 根津が穏やかに笑った。

 

「まあまあ。そんなに身構えなくてもいいんだよ、黒崎くん」

 

 一護は三人の顔を見比べた。

 

「……そう言われても、ちょっと難しいですね」

 

「ははは! 確かにそうかもしれないね!」

 

 根津は楽しそうに笑った。

 

「でも、今日は君を叱るために呼んだわけじゃないんだ」

 

「……はい」

 

「まずは座ってほしい」

 

 一護は頷き、用意された椅子へ腰を下ろした。

 

 根津は机の上に置かれた資料へ視線を落とした。

 

「さて。黒崎くん」

 

「はい」

 

「先日のUSJでの行動について、まずは礼を言わせてほしい」

 

 一護は少しだけ目を瞬かせた。

 

「……礼、ですか」

 

「そうだよ。君が相澤くんを助けてくれたこと。そして、ほかの生徒たちを守りながら敵を食い止めてくれたこと」

 

 根津は穏やかな表情のまま続ける。

 

「学校としても、感謝している」

 

 一護は困ったように頭を掻いた。

 

「……いや、俺も勝手に動いたんで」

 

「それでも、助けられた人がいるのは事実だよ」

 

 その言葉に、一護は黙って頷いた。

 

 相澤が口を開く。

 

「……俺からも礼を言う」

 

 一護が顔を上げた。

 

「USJでは助かった。お前が来なければ、俺はあそこで死んでいたかもしれない」

 

「……そんな大したことじゃないですよ」

 

「大したことだ」

 

 相澤の声は、いつになく真剣だった。

 

 一護は少しだけ視線を逸らした。

 

「……先生が無事なら、それでいいです」

 

 相澤は小さく頷いた。

 

 そして、表情を引き締める。

 

「だが、それとは別に確認しなきゃならないことがある」

 

「……はい」

 

 一護も姿勢を正した。

 

 根津が資料を一枚取り出す。

 

「まず、君の個性についてだ」

 

「はい」

 

「これまでの記録では、主に身体能力の強化と高速移動が確認されている」

 

「そうですね」

 

「ところがUSJでは、君は巨大な刀を出現させ、服装まで変化させた」

 

 根津は資料へ視線を落とす。

 

「さらに、顔へ仮面のようなものを顕現させている。これらも、君の能力なのかな?」

 

 一護は頷いた。

 

「はい。全部、俺の力です」

 

 根津の耳が僅かに動いた。

 

「全部、か」

 

「……使い方次第で、できることは色々あります。でも、どれも俺の力です」

 

 根津は興味深そうに頷いた。

 

「なるほど」

 

 続いて、オールマイトが口を開いた。

 

「黒崎少年。あの刀と装束は、以前から使えていたものなのかね?」

 

「……いや」

 

 一護は首を振った。

 

「形にできたのは、USJへ行った日の朝が初めてです」

 

 相澤の目が細くなる。

 

「初めて?」

 

「はい。前から試してはいたんですけど、なかなか上手くいかなくて」

 

 一護は自分の右手を見下ろした。

 

「その朝も数秒しか保たなかったんです。けど、USJでは何とか維持できました」

 

 オールマイトが驚いた顔をした。

 

「……なるほど。では、かなり無理をしていたのではないかね?」

 

「多少は。でも、力が足りなかったわけじゃないんです」

 

 一護は少し考え、言葉を継いだ。

 

「上手く形を保てなかったっていうか……扱い方の問題ですね」

 

「今はどうなんだい?」

 

 根津が尋ねる。

 

「前よりは、だいぶ扱いやすくなってると思います」

 

「身体への負担は?」

 

「少し疲れは残りました。でも、怪我はしてません」

 

 オールマイトは頷いた。

 

 その表情には、安堵が浮かんでいた。

 

「それならばよかった。しかし、まだ安定していない力を無理に使うのは危険だ。今後も気をつけてほしい」

 

「はい」

 

 一護は素直に頷いた。

 

 根津は二人のやり取りを聞き終えると、次の資料へ目を向けた。

 

「では、もう少し詳しく聞かせてほしい。刀や装束を出現させるとき、君の身体には何が起きているんだい?」

 

 一護は少しだけ眉を寄せた。

 

 どう説明したものか。

 

 魂魄と肉体。

 

 霊子。

 

 完現術。

 

 この世界には存在しない概念を一から説明しようとすれば、随分と長い話になる。

 

「……説明が難しいんですけど」

 

 一護は口を開いた。

 

「俺の中にある力を、今の身体に重ねてるんです」

 

「重ねる?」

 

「はい。身体に纏わせるって言った方が近いかもしれません」

 

 根津は静かに頷いた。

 

「なるほど。それが君の能力の基本的な仕組みということかな?」

 

「……そうですね。少なくとも、今はそうやって使ってます」

 

「では、その力自体はどこから来るんだい?」

 

 一護は少し考えた。

 

 死神。

 

 虚。

 

 滅却師。

 

 完現術。

 

 それぞれ、異なる性質の力だ。

 

 けれど、どれか一つだけが本物というわけではない。

 

 あいつらも、自分自身なのだから。

 

「……俺自身の中からです」

 

 一護は自分の胸元へ手を当てた。

 

「元を辿れば、魂にある力なんだと思います」

 

「魂、か」

 

 根津が呟く。

 

 オールマイトも腕を組んだ。

 

「随分と珍しい能力だね」

 

 一護は小さく頷いた。

 

「俺も、全部説明できるわけじゃないんですけど」

 

 根津は考え込むように目を細めた。

 

「つまり、君が言う『魂』というものが力の源で、それを身体に重ねることで様々な能力を発現させている、という認識なのかな?」

 

「……はい。大体そんな感じです」

 

「分かった。君自身は、そう認識しているんだね」

 

 根津は資料へ何かを書き込んだ。

 

「もちろん、医学的にその仕組みが確認されたわけではない。ただ、君がどのように力を扱っているかは参考になるよ」

 

 一護は頷いた。

 

「はい」

 

 根津は顔を上げ、穏やかに笑った。

 

「ありがとう。では、次の質問に移ろうか」

 

     *

 

「……ここからは俺が聞く」

 

 相澤が口を開いた。

 

 一護は顔を向ける。

 

「はい」

 

「お前、あの戦い方はどこで覚えた」

 

 一護は僅かに眉を寄せた。

 

「……戦い方?」

 

「ああ」

 

 相澤は頷いた。

 

「攻撃を見切る速度や反応だけじゃない。相手の能力を分析して、自分の攻撃を変えていた。周囲の生徒や俺の位置も把握していた」

 

 一護は黙って聞いていた。

 

「それに、お前は刃物で相手を斬ることに躊躇しなかった」

 

「……」

 

「必要以上に傷つけようとしていたわけじゃないのは分かる。だが、普通の十五歳がああいう判断を即座にできるとは思えない」

 

 相澤は一護を見つめた。

 

「どこで、あの戦い方を覚えた?」

 

 一護は少し考えた。

 

 前世。

 

 死神。

 

 虚。

 

 滅却師。

 

 答えようと思えば、いくらでも説明できる。

 

 だが、それらを今ここで話したところで、信じてもらえるとは限らない。

 

 何より、すべてを話す必要があるのかも分からなかった。

 

 ただ、一つだけ。

 

 嘘をつかずに説明できることはある。

 

「……俺の中に」

 

 一護は口を開いた。

 

「精神世界みたいな場所があるんです」

 

 相澤の目が細くなる。

 

「精神世界?」

 

「はい。そこに、俺に力の使い方を教えてくれる奴がいるんですよ」

 

 根津が興味深そうに身を乗り出した。

 

「ほう」

 

「……誰だ?」

 

 相澤が尋ねる。

 

「二人います」

 

 一護は僅かに笑った。

 

「黒い服を着たオッサンと、やたら喧嘩っ早い奴です」

 

 オールマイトが目を瞬かせた。

 

「……二人?」

 

「はい」

 

 一護は頷いた。

 

「そいつら相手に、何度も戦ってきました。刀の使い方も、力の扱い方も、そこで教わった部分が大きいです」

 

 根津が口を開く。

 

「それは、夢の中でということかな?」

 

「……夢とは、ちょっと違いますね」

 

 一護は言葉を選びながら続ける。

 

「自分の中に入ってく感じです。俺にとっちゃ、あそこも現実なんですよ」

 

 根津はゆっくりと頷いた。

 

「なるほど。では、その二人は君とは別の人格なのかな?」

 

「……いや」

 

 一護は首を振った。

 

「あいつらも、俺自身の一部です」

 

「君自身?」

 

「はい。別の誰かが俺の中に住み着いてるわけじゃない。あいつらも、俺の力なんです」

 

 相澤はしばらく考え込んだ。

 

 精神世界。

 

 そこに二人の指導者が存在する。

 

 普通なら、簡単には受け入れられない話だ。

 

 だが、この世界には様々な個性がある。

 

 本人の意志とは別に動く存在を生み出す個性もあれば、意識に影響を及ぼす個性もある。

 

 黒崎の話が、個性と無関係だとは言い切れなかった。

 

「……それで、戦い方を覚えたと」

 

「はい」

 

 一護は頷いた。

 

「小さい頃から鍛えてましたし、あいつら相手には何度も痛い目見てるんで」

 

 相澤は、しばらく一護を見ていた。

 

 そして、静かに口を開く。

 

「……分かった」

 

 一護は目を瞬かせた。

 

「……信じるんですか?」

 

「お前がそう認識していることは分かった」

 

 相澤は資料を閉じた。

 

「ただ、それでUSJでの判断力をすべて説明できたとは思わない」

 

 一護は黙った。

 

 相澤はそれ以上、追及しなかった。

 

「今のところ、お前が危険な人間だとは思ってない」

 

「……はい」

 

「だが、能力の全容が分からないまま放置するわけにもいかない」

 

 相澤は包帯に覆われた腕へ視線を落とした。

 

「特に、あの仮面だ。周囲へ影響が出るなら、制御できるかどうか確認する必要がある」

 

「……それは、分かってます」

 

 一護は頷いた。

 

「俺も、あれはちゃんと抑えられるようにしないとまずいと思ってるんで」

 

 根津が小さく頷いた。

 

「それが確認できたなら、ひとまず十分だよ」

 

 そして、資料の最後の一枚を手に取った。

 

「黒崎くん。君には、幼少期から能力を診てもらっている医師がいるんだったね?」

 

「はい。親父の知り合いです」

 

「今回の新しい能力についても、改めて検査を受けてほしい」

 

 一護は頷いた。

 

「分かりました」

 

「結果が出たら、学校側にも教えてくれるかな?」

 

「はい」

 

 根津は穏やかに笑った。

 

「ありがとう。では、今日の面談はここまでにしよう」

 

 一護は椅子から立ち上がる。

 

「……失礼します」

 

 扉へ向かおうとしたところで、背後から声がした。

 

「黒崎少年」

 

 一護は振り返った。

 

「……はい?」

 

 オールマイトが、真剣な表情でこちらを見ていた。

 

「USJで、君が相澤先生を助けてくれたことは、本当に感謝している」

 

 一護は少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。

 

「……いや、そんな大したことじゃ」

 

「大したことだよ」

 

 オールマイトは力強く言った。

 

「君があの場にいてくれたおかげで、救われた人がいる。それは、決して小さなことではない」

 

 一護は黙って聞いていた。

 

 オールマイトは続ける。

 

「だが、君自身もまだ学生だ。自分の命を軽く扱ってはいけない」

 

「……はい」

 

「誰かを護ろうとする気持ちは立派だ。しかし、君自身もまた、護られるべき一人なのだということを忘れないでほしい」

 

 一護は、少しだけ目を伏せた。

 

 その言葉は、どこか胸の奥へ残った。

 

 かつて、自分も似たようなことを考えた。

 

 誰かを護るためなら、自分がどうなっても構わない。

 

 そんなふうに思っていた時期があった。

 

 だが、今は違う。

 

 自分が倒れれば、悲しむ人がいる。

 

 それを、もう知っている。

 

「……分かってます」

 

 一護は静かに答えた。

 

「俺も、死ぬつもりで戦ってるわけじゃないんで」

 

 オールマイトは、少しだけ目を細めた。

 

 そして、力強く頷いた。

 

「……そうか」

 

 一護も頷き、今度こそ校長室を出た。

 

     *

 

 廊下へ出ると、窓から柔らかな日差しが差し込んでいた。

 

 授業を終えた生徒たちが行き交っている。

 

 USJであんなことがあったとは思えないほど、学校はいつもの姿を取り戻しつつあった。

 

 一護は階段へ向かおうとして、足を止めた。

 

「……黒崎くん?」

 

 聞き覚えのある声だった。

 

 振り返ると、井上織姫が立っていた。

 

 隣には拳藤もいる。

 

「井上」

 

 織姫は一護の姿を見るなり、少しだけ目を見開いた。

 

 そして、ほっとしたように息を吐いた。

 

「……よかった」

 

「ん?」

 

「怪我してないかなって、心配だったから」

 

 一護は自分の身体を見下ろした。

 

「俺は平気だよ」

 

「……うん」

 

 織姫は頷いた。

 

 だが、その顔にはまだ少し不安が残っていた。

 

 拳藤が横から口を開く。

 

「ニュース、結構大きくなってるからね。B組でもみんな心配してたんだ」

 

「……そうなのか」

 

「そりゃそうでしょ。授業中にヴィランが襲ってきたんだから」

 

 拳藤は呆れたように肩をすくめた。

 

「でも、無事ならよかったよ」

 

「ああ。ありがとな」

 

 拳藤は頷くと、少し先へ歩き出した。

 

「織姫、先に行ってるね」

 

「うん!」

 

 織姫が返事をする。

 

 廊下に、二人だけが残った。

 

 一護は織姫へ目を向けた。

 

「……悪いな。心配かけたみたいで」

 

「ううん」

 

 織姫は首を振った。

 

「黒崎くんが悪いわけじゃないよ」

 

「……そっか」

 

 少しの沈黙。

 

 窓から入る風が、織姫の髪を揺らした。

 

 彼女は一護を見つめ、静かに口を開いた。

 

「……本当に、怪我してない?」

 

 一護は少しだけ笑った。

 

「ああ。本当に大丈夫だ」

 

「……うん」

 

 織姫も笑った。

 

 その表情を見て、一護は胸の奥に小さな痛みを覚えた。

 

 前世の記憶が、ほんの一瞬だけ蘇ったからだ。

 

 手を伸ばしても、届かなかった。

 

 護ろうとした相手に、逆に護られてしまった。

 

 あのときのことを、一護は忘れていない。

 

 だが、目の前の井上は、あの井上ではない。

 

 少なくとも、一護はそう思っていた。

 

 だからこそ。

 

「……井上」

 

「なあに?」

 

「ありがとな」

 

 織姫は目を瞬かせた。

 

「え?」

 

「心配してくれて」

 

 それを聞いて、織姫は少しだけ頬を緩めた。

 

「……うん!」

 

 一護は軽く手を振り、階段へ向かって歩き出す。

 

 その背中を、織姫はしばらく見送っていた。

 

 黒崎くん。

 

 その名前を、心の中で繰り返す。

 

 同じ名前。

 

 同じ顔。

 

 そして、どこか懐かしい声。

 

 けれど、それだけだ。

 

 あの人が、この世界にいるはずがない。

 

 そう思っているのに。

 

 無事な姿を見た瞬間、どうしてあんなに安心したのだろう。

 

 織姫は自分の胸元へ手を当てた。

 

 そして、小さく息を吐いた。

 

     *

 

 帰宅した一護は、自室の机に腰を下ろした。

 

 右手を開き、握り直す。

 

 あの斬月の重みは、まだ覚えている。

 

 死覇装も、虚の仮面も。

 

 確かに、自分の力だった。

 

 だが、今日の面談で改めて考えたことがある。

 

 自分にとって当たり前の力が、他人にとっても当たり前とは限らない。

 

 あの仮面。

 

 それを被った瞬間、緑谷たちが感じた恐怖。

 

 力を持つことと、その力を周囲へどう見せるかは、別の問題だった。

 

「……もうちょい、考えねえとな」

 

 一護は呟いた。

 

 戦い方を変えるつもりはない。

 

 護るために必要なら、斬月も仮面も使う。

 

 だが、護るつもりの相手まで怖がらせてしまうのなら、それも含めて制御すべきだろう。

 

 もっと細かく。

 

 もっと正確に。

 

 力を抑えるだけではない。

 

 使うべきときに、必要な分だけ使う。

 

 それができれば、今よりもずっと自由に動けるはずだった。

 

 一護は目を閉じた。

 

 精神世界の奥に、二つの気配を感じる。

 

 静かな、黒い影。

 

 そして、どこか愉快そうな、白い影。

 

 どちらも、昔から変わらず自分の中にいる。

 

 まだ、教わりたいことはいくらでもあった。

 

 今の自分なら、以前とは違う形で学べることもあるだろう。

 

「……また、頼むぜ」

 

 一護は小さく呟いた。

 

 返事はなかった。

 

 だが、あの二人なら、聞こえているはずだった。

 

 机の上には、病院の診察券が置いてある。

 

 幼い頃から、自分の能力を診てもらっていた医師。

 

 今度は、あの人にもきちんと話をしなければならない。

 

 一護は診察券を手に取り、裏面へ記された病院の名前を確認した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。