拳と拳が衝突した。
中央広場を揺るがす轟音。
砕けた床の破片が宙を舞い、凄まじい風圧が周囲へ広がる。
「うわっ……!」
緑谷は咄嗟に身を低くした。
隣では蛙吹が相澤の身体を支え、峰田が両腕で顔を覆っている。
少し離れた場所で、オールマイトと脳無が再び激突した。
巨体が振り下ろした拳を、オールマイトが正面から受け止める。
そのまま押し返す。
脳無の足元に亀裂が走った。
「す、すごい……」
緑谷の口から声が漏れた。
だが、すぐに違和感を覚える。
あれほどの力で殴られているのに、脳無が倒れない。
衝撃を受け止めている。
いや、吸収しているのか。
先ほど自分が放った一撃も、まるで効かなかった。
「……緑谷」
背後から声がした。
振り返ると、一護が歩いてきていた。
黒い死覇装。
片手には巨大な斬月。
そして、顔を覆う白い仮面。
「先生の具合はどうだ?」
「あ、えっと……」
緑谷は答えようとして、言葉を詰まらせた。
一護が近づく。
それだけで、身体が僅かに強張った。
ほんの一歩。
無意識に、足が後ろへ下がる。
「……?」
一護が足を止めた。
緑谷自身、なぜそんなことをしたのか分からなかった。
目の前にいるのは、同じクラスの黒崎一護だ。
相澤を助け、脳無を食い止めてくれた。
それなのに、白い仮面を見た瞬間、あの感覚が蘇った。
空気が重くなった。
息が詰まった。
理由も分からないまま、身体が逃げろと訴えた。
あの一瞬。
確かに、自分は黒崎くんを怖いと思ったのだ。
「……黒崎くん、その……」
緑谷が言い淀む。
一護は少しだけ首を傾げ、それから自分の顔へ手をやった。
「……ああ、これか」
左手を仮面の縁へかける。
そのまま外すと、白い面が指先から細かな霊子へほどけていった。
現れたのは、いつもの一護の顔だった。
「悪い。怖がらせたな」
「……っ!」
緑谷は目を見開いた。
「ち、違うんだ! 黒崎くんが何かしたってわけじゃ……!」
「分かってるって」
一護は軽く手を振った。
「俺の方もちょっと制御が甘かった。気にすんな」
そう言って、相澤の傍らへ膝をつく。
「先生、聞こえますか?」
「……ああ」
相澤は苦しげに息を吐いた。
右腕は不自然な角度に曲がり、頭部にも出血が見られる。
一護はその状態を確かめ、眉を寄せた。
「……無理に動かない方がいいですね」
「……分かってる」
「救護が来るまで、もう少し休んでてください」
「……お前もな」
「俺は大丈夫です」
相澤は一護を見上げた。
黒い衣。
巨大な刀。
どちらも、先ほどまでは存在していなかったものだ。
さらに、あの仮面。
現れた瞬間に感じた、説明のつかない恐怖。
あれほどの力を見せておきながら、目の前の生徒は平然としている。
「……黒崎」
「……はい?」
「後で話を聞く」
一護は僅かに眉を動かした。
予想していなかったわけではない。
あれだけ派手に力を使ったのだ。
何も聞かれずに済むとは思っていなかった。
「……分かりました」
相澤はそれ以上言わず、目を閉じた。
一護は緑谷へ向き直る。
「先生は動かさねえ方がいい。救護が来るまで、ここで待とう」
「う、うん」
「梅雨ちゃん、周りを見ててくれ」
「分かったわ」
蛙吹が頷いた。
ただ、その返事は普段より少し遅かった。
一護は気づいたが、今は何も言わなかった。
*
脳無の腕が、オールマイトの肩へ絡みついた。
「ぬっ……!」
巨体が力を込める。
オールマイトはその腕を掴み、床へ叩きつけようとした。
だが、その瞬間。
足元に黒い霧が広がった。
「……!」
床が消える。
正確には、空間が繋がり直されていた。
黒霧の個性。
脳無がオールマイトへ組みついたまま、霧の中へ身体を沈めていく。
「申し訳ありませんが」
黒霧の声が響いた。
「このまま、あなたを始末させていただきます」
オールマイトの身体が、不自然な角度で固定される。
空間の境界へ、身体を押し込もうとしているらしい。
「……っ!」
緑谷が顔を上げた。
まずい。
あのままでは。
身体が動きかけたときだった。
爆発音が響いた。
「どけや、邪魔くせえ!」
横合いから飛び込んだ爆豪が、黒霧へ爆破を叩き込む。
霧が大きく揺らいだ。
続けて、爆豪の手が黒霧の金属製の装具を掴む。
「……へえ」
爆豪が口元を歪めた。
「全部が霧ってわけじゃねえんだな」
「……っ!」
黒霧の動きが止まる。
ほぼ同時に、床を冷気が走った。
脳無の足元から氷が伸び、巨体の半身を覆っていく。
少し離れた場所で、轟が手を下ろした。
「……それで抜けられるだろ」
「助かった!」
オールマイトが腕に力を込める。
脳無の拘束を振りほどき、後方へ跳んだ。
その傍らへ、切島が駆け込んでくる。
「オールマイト! 大丈夫っすか!?」
「切島少年!」
オールマイトは頷いた。
だが、その視線は脳無から離れていない。
氷漬けになった巨体が、ゆっくりと動いた。
凍りついた腕が砕ける。
切島が息を呑んだ。
「……おい、腕が!」
その直後。
失われた部分から肉が盛り上がった。
骨が伸び、筋肉が形を作る。
瞬く間に、新しい腕が生えてくる。
「……マジかよ」
切島の声が低くなる。
爆豪も眉を寄せた。
轟は黙って再生の様子を見つめている。
「再生能力か」
オールマイトが呟いた。
すでに黒崎から聞いていたが、実際に目の当たりにすると、その異常さがよく分かる。
それだけではない。
打撃吸収。
圧倒的な筋力。
複数の能力を備え、こちらの力へ対抗するために造られたような存在。
容易に倒せる相手ではなかった。
「……君たちは下がっていたまえ」
オールマイトが言った。
爆豪が顔をしかめる。
「ああ!?」
「ここから先は、私が引き受ける!」
「何言ってんだよ! あいつ、まだ――」
爆豪の言葉が途切れた。
オールマイトが一歩踏み込んだからだ。
床が軋む。
全身から放たれる圧力が、周囲の空気を押し返す。
先ほどまでと、明らかに違う。
「……っ」
爆豪が口を閉じた。
その様子を、壁際から一護も見ていた。
斬月を握る手に、僅かに力が入る。
脳無がまだ動ける以上、いつでも割り込めるようにしておく必要はある。
だが、オールマイトは自ら引き受けると言った。
そして、あの男にはそれを実行できるだけの力がある。
一護は斬月を下ろし、戦いを見守った。
*
轟音が連続した。
オールマイトの拳が、脳無を捉える。
一発。
二発。
さらに三発。
脳無も拳を振るう。
互いの攻撃が衝突するたび、床が砕け、空気が震えた。
それでもオールマイトは止まらなかった。
衝撃を吸収するというのなら。
吸収しきれないほどの衝撃を与える。
その力を上回るまで、何度でも拳を叩き込む。
脳無の身体が、少しずつ押され始めた。
「……嘘だろ」
死柄木が呟いた。
脳無は、オールマイトを殺すための切り札だった。
それが、真正面から押し返されている。
「何でだよ……」
首筋を掻く音が大きくなる。
「そんなの、インチキだろ……!」
黒霧も、黙って戦いを見つめていた。
オールマイトの拳は、なおも止まらない。
巨体が後退する。
一歩。
二歩。
三歩。
緑谷は、その光景から目を離せなかった。
あれほどの力を何度も振るえば、当然、身体へ負担がかかる。
まして今のオールマイトには、時間の制限がある。
それでも。
目の前の男は、決して退かなかった。
「……オールマイト」
緑谷が呟く。
そのとき。
オールマイトが最後の一歩を踏み込んだ。
全身の力を、拳へ集中させる。
「PLUS ULTRA!」
凄まじい衝撃が、脳無の巨体を撃ち抜いた。
黒い身体が浮き上がる。
次の瞬間、天井へ向かって弾き飛ばされた。
轟音。
施設の上部が砕け、巨大な穴が開く。
脳無の姿が、その向こうへ消えていった。
遅れて、爆風が中央広場を駆け抜ける。
「うわっ……!」
緑谷は両腕で顔を庇った。
蛙吹も身を低くする。
峰田の悲鳴が響く。
土煙が収まったとき。
中央広場に立っていたのは、オールマイトだけだった。
「……すげえ」
切島が呟いた。
爆豪は黙っていた。
轟も、天井に開いた穴を見上げている。
一護は斬月を下ろし、静かに息を吐いた。
「……とんでもねえな」
力任せに見えて、ただ殴っているだけではなかった。
相手の能力を見極め、その防御を上回るまで押し切る。
単純だからこそ、誰にでもできることではない。
あれほどの力を、正面から叩き込めるだけの身体と覚悟が要る。
この世界の平和の象徴。
その呼び名も、伊達ではないらしい。
*
死柄木は、しばらく動かなかった。
天井に開いた穴を見上げたまま、口を半開きにしている。
脳無が消えた。
オールマイトを殺すはずだった切り札が。
真正面から、吹き飛ばされた。
「……嘘だろ」
掠れた声が漏れる。
「何で……何でだよ……」
その肩が震える。
怒りなのか、悔しさなのか。
死柄木自身にも、よく分からなかった。
「……落ち着いてください、死柄木弔」
黒霧が静かに声をかけた。
「……何だよ」
「よくご覧ください」
黒霧の視線が、オールマイトへ向く。
平和の象徴は、先ほどから同じ場所に立っていた。
拳を握り、堂々と胸を張っている。
だが。
呼吸が、僅かに乱れていた。
そして、あれほどの速度で動いていた男が、今は一歩も踏み出していない。
「脳無との戦闘で、相当な力を消耗しているようです」
死柄木が目を細めた。
「……それが?」
「今なら、まだ勝機があります」
沈黙。
死柄木の指が、ゆっくりと首筋から離れた。
「……まだ、やれるってことか」
「ええ。ただし、時間はありません」
死柄木の口元が歪む。
「……そうだよな」
その視線が、オールマイトを捉えた。
「まだゲームオーバーじゃねえ」
黒霧が広がった。
*
緑谷は、オールマイトの様子を見ていた。
他の誰よりも、あの人のことを知っている。
あの身体が、決して無敵ではないことも。
今の姿を維持できる時間が、限られていることも。
だからこそ、気づいてしまった。
あの戦いで、オールマイトはほとんど限界まで力を使っている。
これ以上は危険だ。
「……っ!」
死柄木が動いた。
黒い霧が、オールマイトの足元へ広がる。
緑谷は地面を蹴っていた。
考えるより先に、身体が動いていた。
「オールマイト!」
その声に、一護も顔を上げた。
死柄木が踏み込む。
黒霧が空間を繋ぐ。
狙いは、オールマイト。
一護は斬月を握り直した。
「……緑谷!」
緑谷が飛び出している。
あの怪物へ拳を放ったときと同じだ。
危険だと分かっていても、身体が先に動く。
一護はその背中を追った。
瞬歩。
だが、黒霧も動いた。
一護の前に、黒い渦が開く。
次の瞬間には、別の方向からも霧が伸びていた。
進路を塞ぐつもりらしい。
「……邪魔だ!」
一護は斬月を振るった。
刃の周囲へ圧縮した霊圧が、霧を押し流す。
完全に消せたわけではない。
だが、空間の繋がりが僅かに乱れた。
「……っ!」
黒霧が反応する。
その間に、一護はさらに踏み込もうとした。
しかし。
緑谷の目の前に、新たな黒い渦が開いていた。
そこから、死柄木の手が伸びる。
指先が、緑谷の顔へ迫った。
「……!」
一護が斬月を構え直す。
緑谷も、身を引こうとした。
だが、その手はすでに目前まで迫っている。
間に合わない。
そう見えた瞬間だった。
乾いた銃声が響いた。
「……がっ!?」
死柄木の腕が弾かれる。
指先が、緑谷の顔を掠めることなく逸れた。
続けて、銃声。
死柄木が身体をよろめかせる。
黒霧が慌てて広がった。
「死柄木弔!」
一護は顔を上げた。
施設の入口。
そこには、銃を構えたヒーローが立っていた。
顔を覆うマスク。
つばの広い帽子。
雄英の教師、スナイプだった。
その後ろには、複数の教師たちが並んでいる。
そして。
「皆さん!」
聞き覚えのある声が響いた。
「救援を連れてきました!」
飯田だった。
*
状況が変わるまで、時間はかからなかった。
教師陣が施設内へ入り、残っていたヴィランたちを次々に制圧していく。
プレゼント・マイクの声が響き、敵の集団が吹き飛ばされた。
エクトプラズムの分身が、逃走しようとするヴィランたちの進路を塞ぐ。
入口側では、八百万と耳郎が上鳴を支えていた。
途中で遭遇した敵の能力を受け、上鳴は身動きが取れなくなっていたのだ。
そこへ教師たちが駆けつけ、敵を取り押さえた。
「……助かったあ……!」
上鳴が大きく息を吐く。
耳郎は呆れたように肩をすくめた。
「ほんと、最後まで危なっかしいんだから」
「いや、俺だって頑張っただろ!?」
「ええ。上鳴さんのおかげで、最初の敵は撃退できましたわ」
八百万が頷いた。
「ですが、今は安静にしてください」
「……うっす」
上鳴は素直に従った。
中央広場でも、戦況は一変していた。
スナイプは銃口を死柄木へ向けたまま、動きを監視している。
死柄木は傷ついた腕を押さえ、激しく息を吐いていた。
「……くそ、くそっ……!」
首筋を掻こうとした指が、途中で止まる。
黒霧がその前へ広がった。
「死柄木弔。これ以上は無理です」
「……分かってるよ!」
死柄木が怒鳴る。
だが、その声には先ほどまでの勢いがなかった。
脳無は倒された。
オールマイトを仕留める最後の機会も、教師陣の到着で失われた。
これ以上戦えば、逃げ道そのものがなくなる。
「……覚えてろよ」
死柄木が低く呟いた。
その視線が、オールマイトへ向く。
そして、少し離れた場所に立つ一護へ。
黒い死覇装。
巨大な刀。
仮面はもうない。
だが、あのとき感じたものを、死柄木は忘れていなかった。
身体が勝手に下がった。
相手が、たった一人の高校生なのに。
その事実が、今でも腹立たしかった。
一護は死柄木の視線に気づいた。
だが、何も言わなかった。
斬月を構えたまま、相手を見返す。
黒霧が広がる。
「……撤退します」
今度こそ、迷いのない声だった。
スナイプが銃を構え直す。
だが、黒い霧はすでに死柄木の身体を包み始めていた。
教師たちも追撃しようとする。
しかし、空間を繋ぐ個性の前では、ほんの僅かな遅れが大きかった。
死柄木と黒霧の姿が、黒い渦の奥へ消える。
その直後、霧そのものも消滅した。
中央広場に、静寂が戻った。
*
「……終わった、のか?」
峰田が呟いた。
その声は、ひどく頼りなかった。
周囲では、教師たちが残党の拘束を続けている。
警察への連絡も、すでに行われていた。
オールマイトは少し離れた場所で教師たちと話していたが、その姿には先ほどまでの勢いがなかった。
緑谷は心配そうに見つめていたものの、今は駆け寄らずにいた。
人目がある。
ここで自分が慌てて駆け寄れば、かえって何かを悟られるかもしれない。
それが分かっていた。
蛙吹が、小さく息を吐く。
「……ようやく、終わったみたいね」
「本当にか!? もう誰も出てこないよな!?」
峰田が叫ぶ。
「……分からないわ。でも、先生たちが来てくれたもの」
「俺もう二度とこんな目に遭いたくねえよおお!」
その声を聞いて、一護が振り返った。
「……元気そうだな、お前」
「どこがだよ!」
峰田が即座に言い返す。
一護は少しだけ笑った。
緑谷も、つられて小さく息を吐く。
ようやく、少しだけ緊張が緩んだ。
「……黒崎ちゃん」
蛙吹が声をかけた。
「ん?」
「さっきのことなんだけど」
一護は彼女へ顔を向けた。
蛙吹は少しだけ言葉を探すように黙った。
そして、口を開いた。
「仮面を被ったとき、怖かったわ」
緑谷が顔を上げた。
峰田も、一瞬だけ口を閉じる。
一護は蛙吹を見た。
「……そっか」
「黒崎ちゃんが嫌いになったわけじゃないの。でも、あの瞬間、身体が動かなくなった」
蛙吹は自分の手を見下ろした。
「逃げなくちゃいけないって、勝手に思ってしまったの」
一護はその言葉を聞き、少しだけ目を伏せた。
やはり、思っていた以上に霊圧が漏れていたらしい。
あの三人には、霊圧というものが何なのか分からない。
突然、目に見えない圧力を浴びせられ、理由も分からず身体が危険を訴える。
恐怖を覚えるのも無理はなかった。
「……悪かったな」
一護は短く言った。
「ちょっと制御が甘かった」
「制御?」
「ああ。あの仮面を出したとき、余計な力が外へ漏れたんだ」
蛙吹は静かに頷いた。
「そうなのね」
「次は気をつける」
「……ええ」
蛙吹は少しだけ表情を和らげた。
「でも、助けてくれてありがとう、黒崎ちゃん」
一護は僅かに目を瞬かせた。
「……おう」
そのやり取りを聞いていた緑谷が、口を開いた。
「黒崎くん」
「ん?」
「僕も……怖かった」
一護は緑谷へ顔を向けた。
「……ああ」
「助けてくれたって、分かってたんだ。でも、一瞬、身体が勝手に……」
緑谷は拳を握った。
「さっき黒崎くんが近づいてきたときも、思わず下がっちゃって……」
言葉が詰まる。
あのときの自分の反応が、どうしても情けなく思えた。
「……ごめん」
一護は少しだけ眉を寄せた。
「何でお前が謝るんだよ」
「え?」
「怖かったもんはしょうがねえだろ。別にお前らを脅かそうとしたわけじゃねえし」
一護は肩をすくめる。
「俺がちゃんと抑えりゃ済む話だ。気にすんな」
緑谷は一護を見つめた。
何でもないことのように言っている。
だが、緑谷にとっては、簡単に割り切れることではなかった。
怖かった。
それは事実だ。
けれど、一護が自分たちを助けてくれたことも事実だった。
そのどちらかを、なかったことにはできない。
「……うん」
緑谷は小さく頷いた。
「ありがとう、黒崎くん」
「おう」
その隣で、峰田がおずおずと手を上げた。
「……あのさ」
「何だよ」
「俺は、普通にめちゃくちゃ怖かったぞ」
「知ってる」
「知ってんのかよ!」
「お前、ずっと叫んでただろ」
「そりゃ叫ぶだろ! あんなの見たら!」
一護は呆れたように息を吐いた。
峰田はしばらく口を尖らせていたが、やがて小さく呟いた。
「……でも、助かった」
一護が顔を向ける。
峰田は視線を逸らしたまま、続けた。
「それは、ありがとな」
「……ああ」
一護は短く答えた。
緑谷は、そんな二人のやり取りを見ながら、ほんの少しだけ笑った。
まだ、怖かった感覚は消えていない。
それでも、目の前の黒崎くんは、いつもの黒崎くんだった。
*
警察が到着したのは、それから間もなくのことだった。
施設内ではヴィランの拘束が進められ、生徒たちは順番に安全な場所へ誘導されていった。
負傷者の確認も始まった。
相澤と十三号は、すぐに医療スタッフのもとへ運ばれた。
緑谷も、負傷した指や脚を診てもらうことになった。
一護はその様子を見送りながら、斬月を下ろした。
戦闘は終わった。
もう、力を維持する必要はない。
意識を緩める。
刀身の輪郭が、細かな霊子へ変わっていった。
巨大な刃がゆっくりとほどけ、やがて消える。
続いて、死覇装も崩れ始めた。
黒い袖が消え、袴が消える。
最後に白い帯が消えると、そこにはいつもの雄英の制服姿の一護が立っていた。
「……ふう」
小さく息を吐く。
霊力そのものに、大きな消耗はない。
だが、身体の内側には僅かな疲労感が残っていた。
生身へ死神の力を重ね合わせる。
今朝までは、数秒も維持できなかった技術だ。
それを、あれほど長く使った。
当然、負担がないわけではない。
「……まだまだだな」
一護が呟くと、背後から声がした。
「黒崎!」
振り返る。
切島が、こちらへ駆け寄ってきていた。
「お前、無事だったんだな!」
「おう。お前らもな」
「当たり前だろ!」
切島は笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「……相澤先生、どうだった?」
「今、医療スタッフが診てる。怪我はかなり酷えけど、意識はあった」
「……そっか」
切島は小さく頷いた。
その後ろには、爆豪と轟もいた。
爆豪は一護の顔を一瞥する。
何か言いたげだったが、結局何も言わずに歩き去った。
轟は少しの間、一護を見ていた。
そして、静かに口を開く。
「……お前、あの怪物と戦ってたのか」
「ああ」
「そうか」
それだけ言うと、轟も歩き出した。
一護は少し首を傾げた。
「……何なんだ、あいつ」
切島が苦笑する。
「轟はいつもあんな感じだって」
「そっか」
一護も小さく笑った。
そこへ、飯田が駆け寄ってきた。
「黒崎くん!」
「おう、飯田」
「相澤先生を助けたと聞いた! 本当にありがとう!」
一護は少し驚いた顔をした。
「いや、お前こそよく助け呼んでくれたな」
「……!」
「お前が外へ出てくれなきゃ、もっと大変なことになってただろ」
飯田は一瞬、言葉を失った。
そして、深く頭を下げる。
「……ありがとう!」
一護は困ったように頭を掻いた。
「だから、礼を言うのはこっちだって」
切島が笑う。
「二人とも、何回礼言ってんだよ!」
その声につられ、一護も少しだけ笑った。
周囲では、警察と教師たちが慌ただしく動いている。
事件が終わったからといって、すぐに日常へ戻れるわけではない。
それでも、こうしてまた顔を合わせられた。
そのことに、一護は小さな安堵を覚えていた。
*
事情聴取は、全員の安全が確認されてから始まった。
警察の人間が、順番に生徒たちから話を聞いている。
一護も、自分が飛ばされた場所と、そこで遭遇したヴィランたちについて説明した。
山岳地帯での戦闘。
中央広場へ戻ったこと。
相澤を助け、脳無と戦ったこと。
話を聞いていた刑事は、何度か手を止めた。
「……君が、あの大型の敵を足止めしていたのか」
「はい」
「相澤先生を助けたときには、刀のようなものを使っていたと?」
「……そうですね」
「それは、君の個性で作り出したものなのかな」
一護は少し考えてから頷いた。
「はい。俺の力です」
刑事はメモへ視線を落とした。
「なるほど……」
それから、改めて一護の顔を見た。
「その能力については、学校側と確認する必要がありそうだね」
「……分かりました」
一護は小さく息を吐いた。
今まで、できることを全部説明していたわけではなかった。
そもそも、自分でもどこまでできるか分かっていなかったのだ。
USJで初めて、形にすることができた力もある。
だが、それを説明しないままにはできないだろう。
あれだけ大勢の前で見せたのだから。
*
事件の翌日、雄英は休校となった。
ニュースでは、朝からUSJ襲撃事件が報じられていた。
雄英の生徒が授業中にヴィランの襲撃を受けたこと。
教師が負傷したこと。
警察と学校が、事件の経緯を調べていること。
ただし、生徒個人の能力や戦闘内容については、詳しい情報は出ていなかった。
一護は居間のテレビを眺めながら、麦茶を飲んでいた。
「……一護」
向かい側に座る一心が、珍しく真面目な声で呼びかけてきた。
「何だよ」
「本当に、怪我はしてないんだな?」
「ああ。大丈夫だって」
「痛むところもないか?」
「ねえよ」
一心はしばらく一護を見つめた。
そして、大きく息を吐いた。
「……なら、よし」
いつものように飛びかかってくることも、ふざけたことを言うこともなかった。
その様子が、少しだけ意外だった。
台所から真咲が顔を出す。
「一護。今日は無理しちゃ駄目よ」
「分かってる」
「それと、何かあったらすぐに言ってね」
「……ああ」
一護は頷いた。
妹たちも、いつもより少し静かだった。
夏梨はテレビのニュースを見ながら眉を寄せ、遊子は何度も一護の顔を確かめていた。
「……一兄」
夏梨が口を開く。
「ん?」
「学校、ほんとに大丈夫なの?」
「……分かんねえ。でも、先生たちが何とかするだろ」
「そっか」
夏梨はそれだけ言って、再びテレビへ目を向けた。
遊子が小さく手を握る。
「お兄ちゃん、怪我しなくてよかった……」
一護はその頭へ軽く手を置いた。
「大丈夫だって」
遊子は小さく頷いた。
一護はテレビへ視線を戻す。
自分を待ってくれる家族が、ここにいる。
そのことが当たり前ではないと、よく知っていた。
だからこそ。
次も、必ず帰ってくる。
そう決めていた。
*
授業が再開された朝。
一年A組の教室は、普段より少し騒がしかった。
事件について話している者。
互いの無事を確かめ合う者。
まだ少し疲れた顔をしている者。
反応はそれぞれだった。
「……先生、大丈夫かな」
上鳴が呟いた。
切島も頷く。
「かなり怪我してたらしいからな……」
「十三号先生も心配だよね」
麗日が言った。
そのとき。
教室の扉が開いた。
「……席につけ」
聞き慣れた声。
全員が顔を向ける。
そこには、全身を包帯で覆った相澤が立っていた。
「先生!?」
緑谷が叫ぶ。
「大丈夫なんですか!?」
「……騒ぐな。生きてる」
相澤はいつも通りの調子で答えた。
だが、その姿は痛々しい。
包帯に覆われた顔。
固定された腕。
歩く動作にも、僅かなぎこちなさがあった。
一護は黙ってその姿を見ていた。
生きている。
それが分かっただけでも、よかった。
相澤は教壇の前へ立つ。
「USJの件については、学校側で対応している。お前らは余計なことを考えず、普段通りにしろ」
生徒たちが顔を見合わせた。
相澤は構わず続ける。
「それより、次の話だ」
「……次?」
誰かが呟いた。
「雄英体育祭が近い」
教室が一瞬、静まり返った。
次いで。
「えええええ!?」
大きな声が響いた。
「いや先生! あんなことあったばっかなのに!?」
上鳴が叫ぶ。
切島も目を丸くしている。
「マジっすか!?」
「マジだ」
相澤は短く答えた。
「だからこそ、今まで以上に気を引き締めろ」
その言葉に、教室の空気が少し変わった。
体育祭。
雄英の名を全国へ知らしめる、大きな行事。
ヒーローを目指す生徒にとっては、自分を見てもらう絶好の機会でもある。
一護は窓の外へ目を向けた。
体育祭か。
入学して間もないというのに、次から次へと色々なことが起きる。
退屈する暇もなさそうだった。
*
授業が終わったあと。
「黒崎。少し残れ」
相澤に呼び止められた。
「……うっす」
一護は足を止めた。
予想通りだった。
クラスメイトたちが教室を出ていく。
切島が少し心配そうに振り返ったが、一護が手を振ると、そのまま廊下へ向かった。
やがて、教室には二人だけが残った。
「放課後、校長室へ来い」
「……校長室ですか?」
「ああ」
一護は少しだけ眉を寄せた。
相澤一人に呼ばれるものだと思っていた。
わざわざ校長室ということは、ほかにも話を聞く人間がいるのだろう。
「……分かりました」
「時間に遅れるなよ」
「はい」
相澤はそれ以上何も言わなかった。
一護も、特に質問しなかった。
呼び出される理由なら、分かっている。
問題は、どこまで説明するかだった。
*
放課後。
一護は指定された校長室の前に立っていた。
扉を二度叩く。
「どうぞ!」
中から、明るい声が返ってきた。
「失礼します」
一護は扉を開けた。
そして、足を止める。
机の向こうには、根津校長。
その隣には、オールマイト。
さらに、包帯だらけの相澤まで座っていた。
「……うわ」
思わず声が漏れた。
「何だ、その反応は」
相澤が眉を寄せる。
「いや……思ったより大人数だったんで」
根津が穏やかに笑った。
「まあまあ。そんなに身構えなくてもいいんだよ、黒崎くん」
一護は三人の顔を見比べた。
「……そう言われても、ちょっと難しいですね」
「ははは! 確かにそうかもしれないね!」
根津は楽しそうに笑った。
「でも、今日は君を叱るために呼んだわけじゃないんだ」
「……はい」
「まずは座ってほしい」
一護は頷き、用意された椅子へ腰を下ろした。
根津は机の上に置かれた資料へ視線を落とした。
「さて。黒崎くん」
「はい」
「先日のUSJでの行動について、まずは礼を言わせてほしい」
一護は少しだけ目を瞬かせた。
「……礼、ですか」
「そうだよ。君が相澤くんを助けてくれたこと。そして、ほかの生徒たちを守りながら敵を食い止めてくれたこと」
根津は穏やかな表情のまま続ける。
「学校としても、感謝している」
一護は困ったように頭を掻いた。
「……いや、俺も勝手に動いたんで」
「それでも、助けられた人がいるのは事実だよ」
その言葉に、一護は黙って頷いた。
相澤が口を開く。
「……俺からも礼を言う」
一護が顔を上げた。
「USJでは助かった。お前が来なければ、俺はあそこで死んでいたかもしれない」
「……そんな大したことじゃないですよ」
「大したことだ」
相澤の声は、いつになく真剣だった。
一護は少しだけ視線を逸らした。
「……先生が無事なら、それでいいです」
相澤は小さく頷いた。
そして、表情を引き締める。
「だが、それとは別に確認しなきゃならないことがある」
「……はい」
一護も姿勢を正した。
根津が資料を一枚取り出す。
「まず、君の個性についてだ」
「はい」
「これまでの記録では、主に身体能力の強化と高速移動が確認されている」
「そうですね」
「ところがUSJでは、君は巨大な刀を出現させ、服装まで変化させた」
根津は資料へ視線を落とす。
「さらに、顔へ仮面のようなものを顕現させている。これらも、君の能力なのかな?」
一護は頷いた。
「はい。全部、俺の力です」
根津の耳が僅かに動いた。
「全部、か」
「……使い方次第で、できることは色々あります。でも、どれも俺の力です」
根津は興味深そうに頷いた。
「なるほど」
続いて、オールマイトが口を開いた。
「黒崎少年。あの刀と装束は、以前から使えていたものなのかね?」
「……いや」
一護は首を振った。
「形にできたのは、USJへ行った日の朝が初めてです」
相澤の目が細くなる。
「初めて?」
「はい。前から試してはいたんですけど、なかなか上手くいかなくて」
一護は自分の右手を見下ろした。
「その朝も数秒しか保たなかったんです。けど、USJでは何とか維持できました」
オールマイトが驚いた顔をした。
「……なるほど。では、かなり無理をしていたのではないかね?」
「多少は。でも、力が足りなかったわけじゃないんです」
一護は少し考え、言葉を継いだ。
「上手く形を保てなかったっていうか……扱い方の問題ですね」
「今はどうなんだい?」
根津が尋ねる。
「前よりは、だいぶ扱いやすくなってると思います」
「身体への負担は?」
「少し疲れは残りました。でも、怪我はしてません」
オールマイトは頷いた。
その表情には、安堵が浮かんでいた。
「それならばよかった。しかし、まだ安定していない力を無理に使うのは危険だ。今後も気をつけてほしい」
「はい」
一護は素直に頷いた。
根津は二人のやり取りを聞き終えると、次の資料へ目を向けた。
「では、もう少し詳しく聞かせてほしい。刀や装束を出現させるとき、君の身体には何が起きているんだい?」
一護は少しだけ眉を寄せた。
どう説明したものか。
魂魄と肉体。
霊子。
完現術。
この世界には存在しない概念を一から説明しようとすれば、随分と長い話になる。
「……説明が難しいんですけど」
一護は口を開いた。
「俺の中にある力を、今の身体に重ねてるんです」
「重ねる?」
「はい。身体に纏わせるって言った方が近いかもしれません」
根津は静かに頷いた。
「なるほど。それが君の能力の基本的な仕組みということかな?」
「……そうですね。少なくとも、今はそうやって使ってます」
「では、その力自体はどこから来るんだい?」
一護は少し考えた。
死神。
虚。
滅却師。
完現術。
それぞれ、異なる性質の力だ。
けれど、どれか一つだけが本物というわけではない。
あいつらも、自分自身なのだから。
「……俺自身の中からです」
一護は自分の胸元へ手を当てた。
「元を辿れば、魂にある力なんだと思います」
「魂、か」
根津が呟く。
オールマイトも腕を組んだ。
「随分と珍しい能力だね」
一護は小さく頷いた。
「俺も、全部説明できるわけじゃないんですけど」
根津は考え込むように目を細めた。
「つまり、君が言う『魂』というものが力の源で、それを身体に重ねることで様々な能力を発現させている、という認識なのかな?」
「……はい。大体そんな感じです」
「分かった。君自身は、そう認識しているんだね」
根津は資料へ何かを書き込んだ。
「もちろん、医学的にその仕組みが確認されたわけではない。ただ、君がどのように力を扱っているかは参考になるよ」
一護は頷いた。
「はい」
根津は顔を上げ、穏やかに笑った。
「ありがとう。では、次の質問に移ろうか」
*
「……ここからは俺が聞く」
相澤が口を開いた。
一護は顔を向ける。
「はい」
「お前、あの戦い方はどこで覚えた」
一護は僅かに眉を寄せた。
「……戦い方?」
「ああ」
相澤は頷いた。
「攻撃を見切る速度や反応だけじゃない。相手の能力を分析して、自分の攻撃を変えていた。周囲の生徒や俺の位置も把握していた」
一護は黙って聞いていた。
「それに、お前は刃物で相手を斬ることに躊躇しなかった」
「……」
「必要以上に傷つけようとしていたわけじゃないのは分かる。だが、普通の十五歳がああいう判断を即座にできるとは思えない」
相澤は一護を見つめた。
「どこで、あの戦い方を覚えた?」
一護は少し考えた。
前世。
死神。
虚。
滅却師。
答えようと思えば、いくらでも説明できる。
だが、それらを今ここで話したところで、信じてもらえるとは限らない。
何より、すべてを話す必要があるのかも分からなかった。
ただ、一つだけ。
嘘をつかずに説明できることはある。
「……俺の中に」
一護は口を開いた。
「精神世界みたいな場所があるんです」
相澤の目が細くなる。
「精神世界?」
「はい。そこに、俺に力の使い方を教えてくれる奴がいるんですよ」
根津が興味深そうに身を乗り出した。
「ほう」
「……誰だ?」
相澤が尋ねる。
「二人います」
一護は僅かに笑った。
「黒い服を着たオッサンと、やたら喧嘩っ早い奴です」
オールマイトが目を瞬かせた。
「……二人?」
「はい」
一護は頷いた。
「そいつら相手に、何度も戦ってきました。刀の使い方も、力の扱い方も、そこで教わった部分が大きいです」
根津が口を開く。
「それは、夢の中でということかな?」
「……夢とは、ちょっと違いますね」
一護は言葉を選びながら続ける。
「自分の中に入ってく感じです。俺にとっちゃ、あそこも現実なんですよ」
根津はゆっくりと頷いた。
「なるほど。では、その二人は君とは別の人格なのかな?」
「……いや」
一護は首を振った。
「あいつらも、俺自身の一部です」
「君自身?」
「はい。別の誰かが俺の中に住み着いてるわけじゃない。あいつらも、俺の力なんです」
相澤はしばらく考え込んだ。
精神世界。
そこに二人の指導者が存在する。
普通なら、簡単には受け入れられない話だ。
だが、この世界には様々な個性がある。
本人の意志とは別に動く存在を生み出す個性もあれば、意識に影響を及ぼす個性もある。
黒崎の話が、個性と無関係だとは言い切れなかった。
「……それで、戦い方を覚えたと」
「はい」
一護は頷いた。
「小さい頃から鍛えてましたし、あいつら相手には何度も痛い目見てるんで」
相澤は、しばらく一護を見ていた。
そして、静かに口を開く。
「……分かった」
一護は目を瞬かせた。
「……信じるんですか?」
「お前がそう認識していることは分かった」
相澤は資料を閉じた。
「ただ、それでUSJでの判断力をすべて説明できたとは思わない」
一護は黙った。
相澤はそれ以上、追及しなかった。
「今のところ、お前が危険な人間だとは思ってない」
「……はい」
「だが、能力の全容が分からないまま放置するわけにもいかない」
相澤は包帯に覆われた腕へ視線を落とした。
「特に、あの仮面だ。周囲へ影響が出るなら、制御できるかどうか確認する必要がある」
「……それは、分かってます」
一護は頷いた。
「俺も、あれはちゃんと抑えられるようにしないとまずいと思ってるんで」
根津が小さく頷いた。
「それが確認できたなら、ひとまず十分だよ」
そして、資料の最後の一枚を手に取った。
「黒崎くん。君には、幼少期から能力を診てもらっている医師がいるんだったね?」
「はい。親父の知り合いです」
「今回の新しい能力についても、改めて検査を受けてほしい」
一護は頷いた。
「分かりました」
「結果が出たら、学校側にも教えてくれるかな?」
「はい」
根津は穏やかに笑った。
「ありがとう。では、今日の面談はここまでにしよう」
一護は椅子から立ち上がる。
「……失礼します」
扉へ向かおうとしたところで、背後から声がした。
「黒崎少年」
一護は振り返った。
「……はい?」
オールマイトが、真剣な表情でこちらを見ていた。
「USJで、君が相澤先生を助けてくれたことは、本当に感謝している」
一護は少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。
「……いや、そんな大したことじゃ」
「大したことだよ」
オールマイトは力強く言った。
「君があの場にいてくれたおかげで、救われた人がいる。それは、決して小さなことではない」
一護は黙って聞いていた。
オールマイトは続ける。
「だが、君自身もまだ学生だ。自分の命を軽く扱ってはいけない」
「……はい」
「誰かを護ろうとする気持ちは立派だ。しかし、君自身もまた、護られるべき一人なのだということを忘れないでほしい」
一護は、少しだけ目を伏せた。
その言葉は、どこか胸の奥へ残った。
かつて、自分も似たようなことを考えた。
誰かを護るためなら、自分がどうなっても構わない。
そんなふうに思っていた時期があった。
だが、今は違う。
自分が倒れれば、悲しむ人がいる。
それを、もう知っている。
「……分かってます」
一護は静かに答えた。
「俺も、死ぬつもりで戦ってるわけじゃないんで」
オールマイトは、少しだけ目を細めた。
そして、力強く頷いた。
「……そうか」
一護も頷き、今度こそ校長室を出た。
*
廊下へ出ると、窓から柔らかな日差しが差し込んでいた。
授業を終えた生徒たちが行き交っている。
USJであんなことがあったとは思えないほど、学校はいつもの姿を取り戻しつつあった。
一護は階段へ向かおうとして、足を止めた。
「……黒崎くん?」
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、井上織姫が立っていた。
隣には拳藤もいる。
「井上」
織姫は一護の姿を見るなり、少しだけ目を見開いた。
そして、ほっとしたように息を吐いた。
「……よかった」
「ん?」
「怪我してないかなって、心配だったから」
一護は自分の身体を見下ろした。
「俺は平気だよ」
「……うん」
織姫は頷いた。
だが、その顔にはまだ少し不安が残っていた。
拳藤が横から口を開く。
「ニュース、結構大きくなってるからね。B組でもみんな心配してたんだ」
「……そうなのか」
「そりゃそうでしょ。授業中にヴィランが襲ってきたんだから」
拳藤は呆れたように肩をすくめた。
「でも、無事ならよかったよ」
「ああ。ありがとな」
拳藤は頷くと、少し先へ歩き出した。
「織姫、先に行ってるね」
「うん!」
織姫が返事をする。
廊下に、二人だけが残った。
一護は織姫へ目を向けた。
「……悪いな。心配かけたみたいで」
「ううん」
織姫は首を振った。
「黒崎くんが悪いわけじゃないよ」
「……そっか」
少しの沈黙。
窓から入る風が、織姫の髪を揺らした。
彼女は一護を見つめ、静かに口を開いた。
「……本当に、怪我してない?」
一護は少しだけ笑った。
「ああ。本当に大丈夫だ」
「……うん」
織姫も笑った。
その表情を見て、一護は胸の奥に小さな痛みを覚えた。
前世の記憶が、ほんの一瞬だけ蘇ったからだ。
手を伸ばしても、届かなかった。
護ろうとした相手に、逆に護られてしまった。
あのときのことを、一護は忘れていない。
だが、目の前の井上は、あの井上ではない。
少なくとも、一護はそう思っていた。
だからこそ。
「……井上」
「なあに?」
「ありがとな」
織姫は目を瞬かせた。
「え?」
「心配してくれて」
それを聞いて、織姫は少しだけ頬を緩めた。
「……うん!」
一護は軽く手を振り、階段へ向かって歩き出す。
その背中を、織姫はしばらく見送っていた。
黒崎くん。
その名前を、心の中で繰り返す。
同じ名前。
同じ顔。
そして、どこか懐かしい声。
けれど、それだけだ。
あの人が、この世界にいるはずがない。
そう思っているのに。
無事な姿を見た瞬間、どうしてあんなに安心したのだろう。
織姫は自分の胸元へ手を当てた。
そして、小さく息を吐いた。
*
帰宅した一護は、自室の机に腰を下ろした。
右手を開き、握り直す。
あの斬月の重みは、まだ覚えている。
死覇装も、虚の仮面も。
確かに、自分の力だった。
だが、今日の面談で改めて考えたことがある。
自分にとって当たり前の力が、他人にとっても当たり前とは限らない。
あの仮面。
それを被った瞬間、緑谷たちが感じた恐怖。
力を持つことと、その力を周囲へどう見せるかは、別の問題だった。
「……もうちょい、考えねえとな」
一護は呟いた。
戦い方を変えるつもりはない。
護るために必要なら、斬月も仮面も使う。
だが、護るつもりの相手まで怖がらせてしまうのなら、それも含めて制御すべきだろう。
もっと細かく。
もっと正確に。
力を抑えるだけではない。
使うべきときに、必要な分だけ使う。
それができれば、今よりもずっと自由に動けるはずだった。
一護は目を閉じた。
精神世界の奥に、二つの気配を感じる。
静かな、黒い影。
そして、どこか愉快そうな、白い影。
どちらも、昔から変わらず自分の中にいる。
まだ、教わりたいことはいくらでもあった。
今の自分なら、以前とは違う形で学べることもあるだろう。
「……また、頼むぜ」
一護は小さく呟いた。
返事はなかった。
だが、あの二人なら、聞こえているはずだった。
机の上には、病院の診察券が置いてある。
幼い頃から、自分の能力を診てもらっていた医師。
今度は、あの人にもきちんと話をしなければならない。
一護は診察券を手に取り、裏面へ記された病院の名前を確認した。