巨体が地面へ崩れ落ち、鈍い振動が足元を伝わってきた。
濛々と立ち上る土煙の向こうでは、難を逃れた生徒たちが次々に走り出している。
「……よし」
一護は周囲を見渡した。
誰も下敷きにはなっていない。転倒した生徒も、すでに立ち上がっていた。
それを確かめてから、ようやく斬月を下ろす。
柄に巻かれていた晒しを引き出し、幅広の刀身へ巻きつけた。刃を覆った斬月を背中へ回し、固定する。
馴染み深い重みが、背中に収まった。
黒い死覇装も、そのままだ。
もう一度刀が必要になるかもしれない。競技が終わるまで、わざわざ消す理由もなかった。
「……さて」
前方を見る。
轟はすでに遠くへ進んでいた。爆豪も、爆破を使ってそのあとを追っている。
随分と離された。
もっとも、足を止めたことを後悔するつもりはない。
あのまま放っておけば、何人かが危なかった。
それだけの話だ。
問題は、ここからだった。
「……取り返すか」
一護は僅かに膝を曲げた。
足元の空間へ力を働きかける。
完現光。
踏み込みと同時に、身体が加速した。
黒い衣の裾が風を受けて翻り、背中の斬月が僅かに揺れる。
巨大ロボットの横を抜け、倒れた機体の残骸を飛び越えた。
周囲の生徒たちが驚いて振り返る。
だが、一護はもう前を向いていた。
*
『いやあ、派手だったなァ! 黒崎一護!』
スタジアムの大型モニターには、先ほどの映像が映し出されていた。
倒れかけた巨大ロボット。
その下へ飛び込む、黒衣の少年。
巨大な刀が振るわれ、機体の重心が変わる。
その直後、数人の生徒が逃げ出す姿まで鮮明に映っていた。
『いきなり服まで変わって、あんな刀が出てきやがった! 何なんだあの個性は!』
実況席でプレゼント・マイクが興奮した声を上げる。
隣に座る相澤は、包帯に覆われた顔をモニターへ向けた。
「……あいつの個性だ」
『そりゃ分かってるぜ! そうじゃなくて、どんな仕組みなんだって話!』
「それを全部ここで話す必要はないだろ」
『おいおい、解説の仕事を放棄するなよイレイザー!』
「今分かってるのは、あいつが自分の力を形にしてるってことだ。それ以上は検査中だよ」
プレゼント・マイクは一瞬だけ黙った。
それから、楽しそうに笑う。
『なるほどねえ! まだまだ底が見えない一年生ってわけだ!』
相澤は返事をしなかった。
画面の中では、一護が斬月を背負い、すでに次の障害物へ向かっている。
USJで初めて見たときより、刀の扱いは自然になっていた。
顕現も、維持も、戦闘後の処理も。
本人の言うとおり、使うたびに扱い方が身体へ馴染んでいるのかもしれない。
ただ、一つだけ。
あれほどの刀を背負った姿が、妙に様になっている。
まるで、ずっと以前からそうしていたかのように。
「……ったく」
相澤は小さく息を吐き、モニターへ視線を戻した。
*
「一護ォォォ!?」
黒崎家の居間に、一心の声が響いた。
「朝から言ってたけど、あいつ本当にすげえ刀持ってんじゃねえか!」
「親父、うるさい」
夏梨が即座に言い返した。
テレビには、巨大ロボットを斬り裂く一護の姿が映っている。
銀色の刃が走り、金属の脚部が切断される。
続けて、巨体が進路の脇へ倒れ込んだ。
「……あれ、一兄がやったんだよな」
夏梨は画面から目を離さずに呟いた。
遊子も両手を握りしめている。
「すごい……! お兄ちゃん、かっこいい!」
一心は大きく頷いた。
「そうだろうそうだろう! 何を隠そう、あれこそ我が息子――」
「一心さん」
真咲の声がした。
一心の動きが止まる。
「……はい」
「今は静かに見ましょうね」
「……はい」
夏梨が吹き出した。
真咲はテレビへ視線を戻す。
画面の中で、一護は斬月を背中へ固定していた。
そのあと、何事もなかったかのように走り出す。
助けた生徒たちを、一度だけ振り返って。
「……もう」
真咲は呟いた。
我が子らしい。
そう思うと同時に、心配にもなる。
あんな大きな機械の下へ、どうして迷わず飛び込めるのだろう。
けれど、飛び込まなければ救えない人がいたことも分かっていた。
「……帰ってきたら、ちゃんと聞かないとね」
真咲の言葉に、一心が頷く。
「おう。あの刀のことも聞いてみてえな」
「それもだけど」
真咲は微笑んだ。
「無茶しなかったかどうか、よ」
一心は口を閉じた。
夏梨と遊子は、顔を見合わせて笑った。
*
「……おいおい」
第二関門へ到達した一護は、思わず足を緩めた。
目の前に広がっているのは、巨大な谷だった。
深く切り立った窪地。
向こう岸までは、かなりの距離がある。
そして、その間を繋いでいるのは、何本もの細い綱だけだった。
『第二関門! ザ・フォール!』
プレゼント・マイクの声が響く。
『ここは度胸とバランスの勝負! 足元をよーく見て進めよ!』
綱の上では、生徒たちが慎重に足を運んでいた。
中には器用に走っている者もいる。
少し離れた場所では、サポート科の女子生徒が自作らしい装備を使い、軽快に進んでいた。
観客席へ向けて、何やら大声で宣伝までしている。
「……元気だな」
一護は苦笑した。
だが、のんびり見物している場合ではない。
轟はすでに向こう岸へ近づいていた。
爆豪も、空中を飛んで追いかけている。
ここで時間を使えば、さらに差が開く。
一護は谷の縁から下を覗いた。
深い。
普通に落ちたら危ない高さだ。
ただし、一護にとってはそれだけだった。
綱を渡る必要はない。
これまで通ってきた道から外れなければ、移動方法は自由なのだから。
「……行くか」
一護は谷へ踏み出した。
近くの生徒が目を見開く。
「お、おい!?」
黒い衣が風を受けて翻る。
一護の身体が、谷の上空へ飛び出した。
足元には、何もない。
それでも落下は続かなかった。
空中の一点へ力を働きかける。
その足場を蹴る。
完現光によって加速した身体が、さらに前へ進んだ。
一歩。
二歩。
三歩。
見えない階段を駆け上がるように、一護は谷の上を進んでいく。
「……は!?」
綱の上にいた生徒が、ぽかんと口を開けた。
「あいつ、空中走ってねえか!?」
『おおっとォ!? 黒崎、綱を使わず真上を突っ切っていくぞ!』
実況の声が響く。
『ロボットのところで出遅れたと思ったら、今度は一気に巻き返してきたァ!』
一護は向こう岸へ降り立った。
着地の衝撃を膝で逃がし、そのまま走り出す。
前方には、先頭集団の背中が見え始めていた。
「……よし」
ここなら、まだ追いつける。
一護はさらに踏み込んだ。
*
織姫が第二関門へ到着したときには、すでに何人もの生徒が綱を渡り始めていた。
「……わあ」
目の前の光景に、思わず声が漏れる。
深い谷。
細い綱。
風に揺れる足場。
隣へ来た拳藤が、谷の向こうを見つめた。
「うわ、結構あるね……」
「う、うん」
織姫は頷いた。
拳藤が顔を向ける。
「大丈夫?」
「……え?」
「さっきから、ちょっと元気ないみたいだから」
織姫は目を瞬かせた。
それから、慌てて笑う。
「あっ、ごめん! 大丈夫だよ!」
「ならいいんだけど……」
拳藤は少しだけ眉を寄せた。
織姫は、自分の手を見下ろした。
いつの間にか、指先を強く握りしめていた。
力を抜く。
深く息を吸う。
目の前にあるのは、体育祭の障害物だ。
ここを越えなければ、先へは進めない。
「……よし」
織姫は顔を上げた。
「行こう、一佳ちゃん!」
「うん!」
二人は綱へ足をかけた。
拳藤は大きくした手を使い、揺れを抑えながら進んでいく。
織姫も、その後に続いた。
足元の綱が、小さく揺れる。
普段なら、それほど難しくないはずだった。
だが、一歩踏み出そうとした瞬間。
視界の隅に、黒い衣が翻る光景が蘇った。
「……っ」
足が僅かにずれた。
綱が大きく揺れる。
「織姫!」
拳藤の声が響く。
だが、織姫の身体はすでに反応していた。
「三天結盾!」
淡い光が広がる。
三角形の盾が、身体の下へ展開された。
落下しかけた足が、その表面へ触れる。
織姫はそこへ体勢を預け、姿勢を立て直した。
「……はあっ」
短く息を吐く。
「大丈夫!?」
拳藤が近づいてきた。
織姫は頷いた。
「うん。ごめんね」
「だから、謝らなくていいって」
拳藤は少しだけ口を尖らせた。
「でも、気をつけてよ? さっきからぼんやりしてる」
「……うん」
織姫は小さく頷いた。
それから、両手で自分の頬を軽く叩く。
「……よしっ!」
拳藤が目を瞬かせた。
「……織姫?」
「もう大丈夫!」
織姫は顔を上げた。
「今は競技中だもんね。ちゃんと前見なきゃ!」
拳藤は一瞬だけ黙った。
そして、笑った。
「……そうそう。その調子!」
織姫も笑い返す。
今は、目の前のことに集中しよう。
確かめたいことがあるなら、まずは競技を終えなければならない。
織姫は足元の綱へ視線を戻し、慎重に一歩を踏み出した。
*
轟焦凍は、前方へ視線を向けていた。
第二関門を抜け、先頭を維持している。
だが、背後から迫る爆発音は少しずつ近づいていた。
「……っ」
振り返る。
爆豪勝己。
両手から爆破を起こし、空中を飛ぶように追いかけてくる。
「待てや半分野郎ォ!」
轟は小さく息を吐いた。
「……うるせえ」
相手をしている余裕はない。
競技はまだ終わっていないのだ。
だが、そのとき。
背後から、別の足音が聞こえた。
爆発音でも、氷が砕ける音でもない。
硬い地面を、短い間隔で蹴るような音だった。
轟が僅かに顔を向ける。
黒い衣が、視界の端を横切った。
「……黒崎?」
一護だった。
背中に巨大な刀を背負ったまま、凄まじい勢いで距離を詰めてくる。
爆豪の横へ並んだ。
「……あァ!?」
爆豪が顔を向ける。
「てめぇ、どっから来やがった!」
「後ろからに決まってんだろ!」
一護は短く返した。
そのまま、さらに踏み込む。
轟の背中が近づいた。
「……悪い、先行くぜ!」
声をかけた直後。
前方の地面に、不自然な起伏が見えた。
「……ん?」
一護は僅かに速度を緩めた。
土が盛り上がっている。
それも、一箇所ではない。
足元から前方へ、同じような起伏が延々と続いていた。
『さあさあ! ついに最終関門へ突入だァ!』
プレゼント・マイクの声が響く。
『最後の障害物は――一面地雷原!』
一護は足元を見下ろした。
「……地雷?」
『安心しろ! 競技用だから威力は抑えてある! ただし、踏めば派手に吹っ飛ぶぜ!』
その説明が終わるより早く、少し離れた場所で爆発が起きた。
「うわあっ!?」
後続の生徒が、土煙とともに跳ね上がる。
地面へ転がった生徒は目を回していたが、すぐに身体を起こしていた。
一護は眉を寄せる。
「……なるほどな」
地雷の位置は、よく見れば分かる。
だが、全力で走りながら一つずつ確認するのは難しい。
しかも、ほかの選手もいる。
自分が踏まなくても、近くで爆発が起きれば巻き込まれる。
轟は氷を伸ばし、足場を作りながら進んでいた。
爆豪は爆破を利用して、その上空を抜けていく。
一護は二人を見た。
そして、地雷原の向こうへ視線を向ける。
「……ま、そうなるよな」
自分も上を行けばいい。
足元へ力を集中させ、空中へ踏み込んだ。
身体が浮き上がる。
そのまま、もう一歩。
地面から距離を取り、低い高度を維持する。
高く跳ぶ必要はない。
地雷へ触れなければ、それで十分だった。
「……よし」
一護はさらに加速した。
*
緑谷出久が最終関門へ到着したとき、先頭集団はすでに地雷原の半ばを越えていた。
轟。
爆豪。
そして、黒崎。
三人とも、相当な速度だった。
このまま普通に走っても、追いつけない。
緑谷は足を止め、周囲を見渡した。
地雷原。
埋設位置は、地面の起伏からある程度判断できる。
爆発の威力は、競技用に抑えられている。
それでも、人間を吹き飛ばす程度の力はある。
「……」
緑谷は、自分の手元へ視線を落とした。
そこには、ロボットの装甲板があった。
第一関門で拾い、ここまで持ってきたものだ。
最初は、仮想敵の攻撃を防ぐために使った。
そのあとは、何かに利用できるかもしれないと思い、手放さずにいた。
そして今。
目の前には、地雷原が広がっている。
「……もしかして」
緑谷はしゃがみ込んだ。
装甲板の端を使い、地面を掘り始める。
埋まっていた地雷を一つ見つけると、その周囲の土を慎重に避けた。
さらに、近くの地雷も確認する。
爆発する範囲。
威力。
そして、装甲板の大きさ。
頭の中で、それらが繋がっていった。
「……これなら」
緑谷は装甲板を構え直した。
手は震えている。
恐怖がないわけではなかった。
だが、ここで何もしなければ、追いつくことはできない。
オールマイトから受け継いだ力は、まだ思うように扱えない。
全力で使えば、自分の身体が壊れてしまう。
それでも。
今、自分にできることはある。
「……よし」
緑谷は息を吸った。
そして、地雷へ向き直った。
*
先頭集団では、轟と爆豪が激しく競り合っていた。
「邪魔だ半分野郎!」
「お前こそどけ」
爆破と氷。
異なる個性が、地雷原の上で交錯する。
一護は、その少し後方から二人を追っていた。
空中の足場を蹴り、連続して加速する。
背中の斬月が風を切った。
轟と爆豪の背中が近づく。
もう少し。
ここで抜ければ、ゴールまでは一気に走れる。
「……っ!」
一護が踏み込もうとした、そのときだった。
背後で、凄まじい爆音が響いた。
「……!?」
振り返る。
地雷原の後方から、土煙が巨大な柱となって立ち上っていた。
競技用の地雷一つにしては、明らかに規模が大きい。
何が起きた。
そう考える間もなく。
土煙の中から、一人の少年が飛び出してきた。
「……緑谷!?」
一護は目を見開いた。
緑谷出久。
その足元には、巨大な金属板。
爆風を受け止め、身体ごと前方へ打ち出されている。
ほとんど、砲弾のような勢いだった。
「……マジかよ!」
一護の頭上を、緑谷が飛び越えていく。
轟が顔を上げた。
爆豪も目を見開いている。
「デクぅ!?」
『何だああああ!?』
プレゼント・マイクの声が、スタジアムへ響き渡った。
『後方から緑谷出久が大爆速で飛んできたァ! 一気に先頭だああ!』
観客席から、凄まじい歓声が上がる。
一護は一瞬だけ、その姿を見上げていた。
そして。
「……はっ!」
思わず笑った。
「やってくれるじゃねえか!」
緑谷は、自分たちと同じように空中を自由に移動できるわけではない。
だからこそ、地雷の爆風を利用した。
それも、一つでは足りないと考え、まとめて起爆させたのだろう。
無茶な手だ。
だが、考えなしの無茶ではない。
あの一瞬で、それだけの方法を組み立てた。
思わず感心したくなる。
だが、勝負はまだ終わっていない。
「……負けてらんねえな!」
一護は足元へ力を集中させた。
完現光。
空中の踏み場を蹴り、一気に加速する。
緑谷はすでに前方へ飛んでいる。
だが、勢いは少しずつ落ち始めていた。
爆風を使った移動なら、当然だ。
加速し続けられるわけではない。
ならば、追いつける。
一護はさらに速度を上げた。
背後からは、爆豪が爆破を使って追ってくる。
轟も氷を伸ばし、二人のあとを追った。
三人が、一斉に緑谷へ迫る。
そのとき。
緑谷が空中で身体をひねった。
「……!」
一護は目を細めた。
緑谷が金属板を構える。
その下には、まだ地雷が残っていた。
「……おい、まさか!」
緑谷が装甲板を地面へ叩きつけた。
次の瞬間。
再び爆発が起きた。
「……っ!」
土煙が一気に広がる。
爆風が地面の砂を巻き上げ、視界を覆った。
轟の氷が砕ける音。
爆豪の怒声。
そして、周囲の生徒たちの悲鳴。
一護は咄嗟に顔を庇った。
正面から爆風を受けたわけではない。
だが、進路が完全に塞がれた。
「……そう来たか!」
緑谷は、最初の爆発だけで勝負を決めるつもりではなかった。
追いつかれそうになったところで、もう一度爆発を起こす。
相手の足を止め、その間に先へ進む。
それが狙いだったのだ。
一護は口元を歪めた。
やられた。
そう思う。
ただ、まだ諦めるつもりはない。
一護は高く跳んだ。
土煙の上へ抜ける。
視界が開けた。
その先には、スタジアムの入口が見えていた。
そして。
すでに緑谷が、そこへ向かって走っている。
「……っ!」
一護は踏み込んだ。
一歩。
二歩。
空中を駆け抜ける。
轟の横を抜いた。
爆豪も爆破で追ってくる。
「黒崎ィ!」
怒声が響いた。
「テメェまで俺の前に出てんじゃねえ!」
「今、お前の相手してる暇ねえんだよ!」
一護は振り返らずに答えた。
ゴールが近い。
緑谷との距離も縮まっている。
あと少し。
もう一度踏み込めば、届くかもしれない。
だが。
緑谷は止まらなかった。
足をもつれさせながらも、必死に走っている。
最後の直線。
そのまま、ゴールラインへ飛び込んだ。
『ゴォォォォル!!』
実況が響いた。
『一位は――緑谷出久ゥゥゥ!!』
スタジアム全体が揺れるほどの歓声が上がった。
「……っ!」
一護は地面へ着地した。
勢いを落とすことなく、ゴールラインを越える。
僅かに遅れて轟。
その後ろから爆豪が飛び込んできた。
『続いて二位、黒崎一護! 三位に轟焦凍! 四位は爆豪勝己だァ!』
順位が告げられる。
一護は走った勢いを殺し、ゆっくりと足を止めた。
そして、大きく息を吐く。
「……負けたか」
口元には、苦笑が浮かんでいた。
悔しくないわけではない。
最後の爆発で、ほんの僅かな差が生まれた。
その差を、埋められなかった。
ただ、足を止めたのは緑谷の策に対応するためだった。
あの場所で進路を誤れば、爆風や土煙の中にいる他の選手と衝突しかねない。
そうした判断も含めて、競技だ。
一護はゴールの向こうを見た。
緑谷が、膝へ手をついて肩で息をしている。
その姿を見て、口元が緩んだ。
「……やるじゃねえか」
*
「……黒崎くん」
緑谷が顔を上げた。
息はまだ整っていない。
一護が近づいてくると、少しだけ背筋を伸ばした。
「お疲れ」
一護は軽く手を上げる。
「あ、う、うん……!」
「すげえな、お前。あの地雷、よく思いついたな」
緑谷は一瞬、言葉を失った。
それから、少し照れくさそうに笑う。
「……ありがとう」
「正直、驚いた」
一護は小さく笑った。
「もうちょいで追いつけそうだったんだけどな」
「……僕も、必死だったから」
「ああ。見りゃ分かる」
緑谷は、まだ肩で息をしている。
手には、使い終わった装甲板が握られていた。
傷だらけになった金属の表面が、競技の激しさを物語っている。
「でも、黒崎くんもすごかったよ」
「ん?」
「ロボットのところ。人を助けてたでしょ」
一護は少しだけ眉を上げた。
「……見てたのか」
「うん。途中で」
緑谷は頷いた。
「それなのに、最後にはもう僕のすぐ後ろまで来てて……」
一護は肩をすくめた。
「結局、お前に負けたけどな」
緑谷は少し困ったように笑った。
だが、その表情は嬉しそうだった。
一護も、つられて笑う。
勝負は勝負だ。
負けたことは悔しい。
だが、相手がいい勝ち方をしたのなら、それは素直に認めたい。
「……次は負けねえぞ」
一護が言うと、緑谷は顔を上げた。
そして、力強く頷いた。
「……うん!」
そのとき。
「……おい」
背後から、低い声が響いた。
二人が振り返る。
爆豪だった。
眉間には深い皺が刻まれている。
その目は、真っ直ぐ緑谷へ向けられていた。
「……かっちゃん」
緑谷が呟く。
爆豪は舌打ちした。
「……チッ」
その視線が一護へ移る。
「テメェもだ、黒崎」
「……何だよ」
「次は潰す」
一護は少しだけ目を瞬かせた。
そして、口元を緩める。
「……おう。受けて立つぜ」
「……上等だ!」
爆豪はそれだけ言って、乱暴に歩き去った。
緑谷が小さく息を吐く。
「……かっちゃん、相当悔しそうだね」
「そりゃそうだろ」
一護は爆豪の背中を見送った。
「あいつ、優勝するって言い切ったからな」
その横を、轟が通り過ぎていく。
表情はいつもと変わらない。
だが、一護は気づいた。
僅かに、悔しそうな顔をしている。
それも当然だろう。
最後の最後で抜かれたのだ。
一護はその背中も見送った。
「……面白えな」
思わず呟く。
緑谷が首を傾げた。
「……何が?」
「いや」
一護は小さく笑った。
「結構、すげえ奴ばっかいるなと思ってさ」
緑谷は一瞬だけ目を瞬かせた。
そして、笑った。
「……うん」
二人は、再び競技場へ視線を向けた。
*
競技は、まだ終わっていなかった。
後続の生徒たちが、次々とスタジアムへ戻ってくる。
五位。
六位。
七位。
ゴールするたびに、観客席から歓声が上がった。
やがて、拳藤一佳もゴールラインを越えた。
「……はあっ、はあっ!」
膝へ手をつき、息を整える。
それから、すぐに振り返った。
「……織姫」
まだ、姿が見えなかった。
途中までは一緒に走っていた。
だが、地雷原へ入ったところで距離が開いてしまった。
織姫は慎重に進んでいた。
普段なら、もっと速く抜けられるはずだった。
けれど今日は、何か様子がおかしい。
第二関門でも、ぼんやりして足を滑らせていた。
「……大丈夫かな」
拳藤は小さく呟いた。
*
地雷原の後半。
織姫は足元を確かめながら進んでいた。
周囲では、次々と爆発音が響いている。
土煙が上がる。
生徒たちの声が飛び交う。
もう何人が先へ進んだのかも分からなかった。
ただ、ここで立ち止まれば、それだけ順位が下がっていく。
「……っ」
織姫は一度、深く息を吸った。
右足を前へ出す。
地面の起伏を避ける。
続けて、左足。
そのとき。
すぐ横で爆発が起きた。
「わっ!?」
咄嗟に両腕を上げる。
淡い光の盾が展開され、土砂と爆風を受け止めた。
衝撃が収まる。
織姫は短く息を吐いた。
「……危なかった」
顔を上げる。
前方には、スタジアムの入口が見え始めていた。
あと少し。
そこまで来ている。
織姫は、強く拳を握った。
先ほどから、何度も気を取られている。
このままではいけない。
自分には今、やるべきことがある。
競技を最後までやり切ること。
そして、次へ進むこと。
「……よし!」
足元へ意識を集中させる。
一歩。
さらに一歩。
地雷の位置を確認しながら進む。
避ける。
踏み込む。
また避ける。
周囲の爆発音が、少しずつ遠ざかっていった。
ようやく地雷原を抜けると、織姫は大きく息を吐いた。
前方には、スタジアムの入口。
その向こうから、歓声が聞こえる。
あと少しだった。
「……っ!」
織姫は走り出した。
今度は、足元を気にする必要はない。
思い切り地面を蹴る。
風が髪を揺らす。
もう、立ち止まらない。
そう決めた。
*
『さあ、続々とゴールしていくぞォ!』
プレゼント・マイクの声が響いた。
『残る通過枠も少なくなってきた! 果たして、次の種目へ進めるのは誰だァ!?』
織姫はスタジアムへ駆け込んだ。
観客席から、大きな歓声が上がる。
前方には、ゴールライン。
その周囲では、すでに競技を終えた生徒たちが集まっていた。
織姫は息を吸った。
そして、最後の力を振り絞ってゴールラインを越えた。
「……はあっ!」
足を止める。
身体が僅かに前へ傾き、慌てて膝へ手をついた。
呼吸を整える。
そのとき。
「織姫!」
聞き慣れた声が響いた。
顔を上げる。
拳藤が駆け寄ってきていた。
「一佳ちゃん……」
「よかった! 間に合ったんだね!」
拳藤は嬉しそうに笑った。
織姫も、少しだけ笑う。
「……うん」
「通過だよ! 三十六位!」
「……え?」
「四十二人までだから! ちゃんと残れた!」
織姫は目を瞬かせた。
そして、電光掲示板へ視線を向ける。
そこには、確かに自分の名前があった。
井上織姫。
三十六位。
「……ほんとだ!」
ようやく笑顔になった。
「やったあ!」
「よし!」
拳藤も笑う。
「私も通過したし、次も一緒に頑張ろう!」
「うん!」
織姫は力強く頷いた。
だが、その直後。
視線が、自然と別の場所へ向いていた。
A組の生徒たちが集まっている。
その中に、見慣れた橙色の髪が見えた。
黒い衣。
そして、背中に負った大きな刀。
「……」
織姫は、その姿を見つめた。
心臓が、僅かに跳ねる。
「……織姫?」
拳藤が声をかけた。
「……あっ」
織姫は慌てて顔を向ける。
「何でもないよ!」
「……誰か探してた?」
「えっと……」
言葉が詰まった。
拳藤は少しだけ首を傾げる。
織姫は一度、唇を結んだ。
そして、小さく笑う。
「……ちょっと、気になることがあって」
「……そっか」
拳藤は頷いた。
それ以上は聞かなかった。
織姫は胸の奥で、少しだけ安堵した。
今はまだ、何と説明すればいいのか分からない。
自分でも確かめていないことを、誰かに話すことはできなかった。
ただ。
もう一度だけ、あの背中を見たかった。
織姫は、その気持ちを抑えて電光掲示板へ向き直った。
*
第一種目、障害物競走。
すべての通過者が確定し、最終順位が発表された。
電光掲示板に、上位の名前が映し出される。
一位。
緑谷出久。
二位。
黒崎一護。
三位。
轟焦凍。
四位。
爆豪勝己。
その下にも、次々と名前が並んでいく。
雄英のヒーロー科。
普通科。
サポート科。
様々な生徒が、次の競技へ進む資格を得ていた。
一護は掲示板を見上げた。
「……二位、か」
悪くない結果だった。
だが、勝ったわけではない。
緑谷には、最後の最後で抜かれた。
あの発想には素直に感心した。
それと同時に、悔しさも残っている。
もう少し早く、先頭へ追いつけていれば。
もう少し上手く、地雷原を抜けられていれば。
結果は違ったかもしれない。
だが、それは終わってから考えても仕方のないことだった。
勝負が終われば、結果が残る。
それだけだ。
「……次だな」
一護は小さく呟いた。
まだ、体育祭は始まったばかりだった。
*
「さて、ここまでが第一種目!」
ミッドナイトの声が響いた。
「上位四十二名が、次の種目へ進出よ!」
競技場に歓声が上がる。
通過した生徒たちは、それぞれ喜びや安堵の表情を浮かべていた。
通過できなかった生徒たちの中には、悔しそうに俯く者もいる。
一護は、その様子を静かに見ていた。
そして、ミッドナイトが次の種目を発表する。
「それじゃあ、第二種目は――」
巨大な電光掲示板に、文字が映し出された。
――騎馬戦。
一瞬、競技場がざわめいた。
「……騎馬戦?」
上鳴が首を傾げる。
「何だよ、急に普通の運動会っぽくなったな」
切島が笑った。
「まあ、雄英だし普通じゃ終わんねえだろ!」
その予想は、すぐに当たった。
ミッドナイトは笑みを浮かべ、ルールの説明を始めた。
「参加者は二人から四人で自由にチームを組んでもらうわ!」
競技場のあちこちで、生徒たちが顔を見合わせる。
「基本的には普通の騎馬戦と同じ! 騎手が鉢巻きを身につけ、ほかのチームからそれを奪い合うの!」
ミッドナイトは続けた。
「ただし、雄英の騎馬戦には特別なルールがあるわ!」
電光掲示板が切り替わる。
そこに、数字が並んだ。
四十二位。
五ポイント。
四十一位。
十ポイント。
四十位。
十五ポイント。
順位が一つ上がるごとに、五ポイントずつ増えていく。
「チームのポイントは、参加する選手全員の合計! そして、奪った鉢巻きのポイントを競技終了時まで保持していたチームが上位へ進出するわ!」
上鳴が指を折って計算し始めた。
「……えっと、二位だと……?」
「二百五ポイントだな」
八百万が答えた。
「そうなるね」
上鳴は一護へ顔を向けた。
「黒崎! お前、結構高いじゃん!」
一護は肩をすくめる。
「……まあ、そうなるな」
ただ、誰と組むかで合計ポイントは変わる。
それに、点数を持っているだけでは勝てない。
守りきれなければ、奪われるだけだ。
だが。
ミッドナイトの説明は、まだ終わっていなかった。
「そして! 第一種目の一位だけは、特別よ!」
一護は顔を上げた。
電光掲示板に、緑谷の顔が映し出される。
その隣へ、数字が現れた。
――10,000,000。
「……は?」
上鳴の声が裏返った。
「いっ……一千万!?」
切島も目を丸くする。
「待て待て! 二位が二百ちょっとなのに!?」
一護も、思わず顔をしかめた。
凄まじい差だった。
二位以下とは、桁が違う。
それどころか、比較すること自体が馬鹿らしくなるほどの差だ。
要するに、あの一千万ポイントを奪えば、ほぼ確実に上位へ進める。
逆に緑谷は、全員から狙われることになる。
競技場の空気が変わった。
視線が、一斉に緑谷へ向く。
緑谷は、顔を引き攣らせていた。
「……え」
小さな声が漏れる。
「……ええええ!?」
一護は思わず笑った。
「……おいおい」
緑谷がこちらへ顔を向ける。
「く、黒崎くん……!」
「大変だな、お前」
「ひ、人ごとみたいに言わないでよ!」
「いや、実際人ごとだし」
「そんなぁ!?」
一護は少しだけ笑った。
だが、すぐに表情を引き締める。
緑谷が最も狙われる。
それは間違いない。
けれど、自分だって無関係ではなかった。
高い順位を取った者は、当然狙われる。
しかも一護の場合、先ほどのロボットとの戦闘で個性の一部を見せてしまっている。
騎馬戦では、あの刀と移動能力をどう使うか。
その点も考える必要があった。
*
「そして、もう一つ!」
ミッドナイトが声を張り上げた。
「今回の体育祭では、決勝トーナメントの出場枠を拡大するわ!」
競技場がざわめく。
電光掲示板に、新たな数字が映し出された。
――24名。
「決勝トーナメントは二十四名で行うことになったわ! そのため、騎馬戦からは上位六チームが通過!」
歓声が上がる。
一護は少しだけ眉を上げた。
「……二十四人か」
例年より出場枠が多いらしい。
ただし、決勝へ進める人数が増えたからといって、簡単になるわけではない。
チーム戦である以上、ほかの選手との連携が必要になる。
それに、上位六チームへ入るには、ある程度のポイントを確保しなければならない。
「なお、チームは最大四名! 六チームの通過者が二十四名に満たない場合は、残る枠を競技成績に基づいて補充するわ!」
一護は頷いた。
つまり、まずは騎馬戦で上位六組に入ること。
そこが、決勝への道というわけだ。
「……なるほどな」
腕を組む。
誰と組むか。
どんな役割を担うか。
どのチームを狙い、どのチームを避けるか。
考えることは、いくらでもある。
もっとも、こういうのも嫌いではなかった。
*
説明が終わると、競技場のあちこちでチーム作りが始まった。
まず動いたのは、比較的順位の低い生徒たちだった。
少しでも高いポイントを持つ相手と組みたい。
そう考えるのは、当然のことだろう。
その一方で、上位の生徒たちは慎重だった。
ただポイントを集めればいいわけではない。
騎馬戦は、チームの連携が重要になる。
一護は周囲を見渡した。
緑谷の近くには、ほとんど誰も寄っていなかった。
一千万ポイント。
魅力的ではあるが、同時に危険でもある。
あまりにも多くのチームから狙われることになるからだ。
「……あいつ、大変だな」
一護は小さく呟いた。
緑谷は、困ったように周囲を見回している。
その姿を見ていると、少し気の毒になってくる。
だが。
だからといって、自分が手を貸すのも違う。
競技は勝負だ。
緑谷も、誰かに助けてもらうつもりで一位になったわけではないだろう。
それなら、自分も勝つための方法を考えなければならない。
「……どうすっかな」
一護は腕を組んだ。
そのとき。
「黒崎!」
背後から声がした。
振り返る。
そこには、同じクラスの生徒が立っていた。
「次の騎馬戦なんだけどさ」
一護は少しだけ目を細めた。
「……ああ」
騎馬戦。
一人の速さだけでは勝てない競技。
しかも、相手の能力を読み、仲間と協力しなければならない。
面白そうだった。
一護は小さく笑った。
「……いいぜ。話聞かせてくれ」
そう言って、相手へ向き直った。
*
少し離れた場所で、織姫は電光掲示板を見上げていた。
二位。
黒崎一護。
その名前を見た瞬間、胸が僅かに跳ねた。
視線を移す。
A組の生徒たちが集まっている。
その中には、黒い衣をまとった一護の姿があった。
背中には、巨大な刀。
織姫は、その姿をしばらく見つめていた。
何かを話している。
表情までは見えない。
けれど、相手の言葉を聞いて、少し笑ったのが分かった。
「……」
織姫は、唇を結んだ。
そのとき。
「織姫!」
拳藤が声をかけた。
「次、騎馬戦だって! チームどうする?」
「……チーム?」
「うん。二人から四人で組むんだって」
拳藤は笑った。
「よかったら、一緒にやらない?」
織姫は一瞬だけ、言葉を失った。
それから、ゆっくりと頷く。
「……うん!」
拳藤が嬉しそうに笑った。
「よし! じゃあ、あと誰を誘おうか!」
「そうだね!」
織姫も笑う。
そして、もう一度だけ一護の方へ視線を向けた。
今すぐ、声をかけたい。
確かめたいことがある。
けれど、今は競技の途中だ。
このあとも、まだ戦いが続く。
それなら。
まずは、自分のやるべきことをやろう。
織姫は顔を上げた。
「……一佳ちゃん」
「ん?」
「騎馬戦、頑張ろうね」
拳藤は少しだけ目を瞬かせた。
そして、笑った。
「もちろん!」
織姫も頷いた。
その横を、ほかのB組の生徒たちが通り過ぎていく。
誰と組むか。
どんな戦い方をするか。
話し合わなければならないことは、たくさんある。
織姫は拳藤の隣へ並び、仲間を探し始めた。
*
一護は競技場の中央に立っていた。
周囲では、すでにいくつものチームが形になり始めている。
緑谷の周りには、少しずつ生徒が集まり始めていた。
その様子を、一護は遠くから見ていた。
一千万ポイント。
誰もが欲しがる点数だ。
けれど、あれを守りきるのは簡単ではないだろう。
緑谷がどう戦うつもりなのか。
それは、始まってみなければ分からない。
だが、あいつなら何か考えているはずだ。
一護は小さく笑った。
「……楽しみだな」
そして、背中の斬月へ手を伸ばす。
晒しに包まれた刀身が、僅かに揺れた。
騎馬戦。
刀を振るうだけでは勝てない。
仲間の動きに合わせ、相手の出方を読んで戦う。
そういう勝負も、悪くない。
一護は周囲へ視線を向けた。
話しかけてきたクラスメイトが、こちらを待っている。
「……よし」
一護はそちらへ歩き出した。
競技開始まで、残された時間はそう長くなかった。