「黒崎。次の騎馬戦、俺たちと組まないか」
声をかけてきたのは障子目蔵だった。
一護が振り返ると、その後ろには蛙吹梅雨と峰田実が立っていた。
「お前らと?」
「ああ。俺たちはまだ騎手が決まっていない」
障子は一護を見下ろしながら続けた。
「俺の腕なら騎馬を安定させられる。蛙吹は周囲への対応、峰田は相手の足止めができる。黒崎が上から鉢巻きを狙えば、攻守のバランスも悪くないと思う」
「なるほどな」
一護は三人を見回した。
障子の複製腕は、単純な腕力だけではなく、周囲の索敵にも使える。蛙吹の舌は、離れた位置への牽制や鉢巻きを奪う補助に向いているだろう。
峰田の粘着する球も、使い方次第では厄介だ。
なかなか悪くない組み合わせだった。
ただ、一つ気になることがある。
「……なあ」
「何だ?」
「お前ら、どうやって馬組むんだ?」
三人が顔を見合わせた。
一護は障子と峰田を交互に見た。
障子は、クラスでも頭一つ抜けて大きい。
対して峰田は、同じ一年生とは思えないほど小柄だった。
その二人が肩を組んだところを想像してみる。
どう考えても、高さが合わない。
「……峰田、普通に肩組んだら足浮かねえか?」
「浮かねえわ!」
峰田が即座に叫んだ。
「おいらだってちゃんと地面に足ついてんだよ!」
「いや、分かってるけどよ」
「分かってねえだろ!」
蛙吹が二人を見比べた。
「ケロ。普通の騎馬だと、かなり傾きそうね」
「だろ?」
一護が頷く。
「蛙吹ちゃんまで!?」
峰田が両手を上げたところで、障子が静かに口を開いた。
「問題ない。俺が支える」
肩から伸びる複製腕が、左右へ広がった。
さらに腕を組み合わせ、騎手を乗せるための土台を作る。
一護は思わず目を丸くした。
「……おお」
「蛙吹と峰田には左右から支えてもらう。俺が主に荷重を受け持てば、高さは揃える必要がない」
実際に三人が位置につくと、確かに形になった。
障子の腕が中央の支えとなり、蛙吹と峰田がその動きを補助する。
普通の騎馬とは少し違うが、安定感はありそうだった。
「……なるほどな。これならいけるか」
「ちょっと待て!」
峰田が声を上げた。
「これ、おいら馬っつーより、横についてるだけじゃねえか!?」
「峰田ちゃんは無理に上を支えなくてもいいと思うわ」
蛙吹が言った。
「足元への攻撃が得意なんだから、そっちに集中してくれた方が助かるもの」
「そ、それはそうだけどよ……」
峰田は不満そうに唇を尖らせる。
一護はその肩を軽く叩いた。
「頼りにしてるぞ、峰田」
「……え?」
「お前の球なら、相手の足を止められるだろ。騎馬戦じゃ相当厄介だと思うぜ」
峰田は目を瞬かせた。
それから、ゆっくりと胸を張る。
「……ま、まあな!」
「おう。だから頼む」
「任せろ! おいらに近づいた奴は全員足止めしてやる!」
「黒崎ちゃん、扱い上手ね」
蛙吹が呟いた。
「……何が?」
「何でもないわ。ケロ」
一護が首を傾げる横で、障子は騎馬の形を確認していた。
「一度乗ってみてくれ」
「ああ」
一護は障子の腕に手をかけた。
そのとき、背中の斬月が僅かに揺れる。
「……あ」
動きを止めた。
幅広の刀身が、肩越しに大きく張り出している。
このまま乗れば、障子の複製腕や蛙吹たちの頭に当たりかねない。
「……これ、邪魔だな」
蛙吹も見上げた。
「そうね。振り向いたときに当たりそう」
「だよな」
一護は背中の斬月へ手を伸ばした。
晒しに包まれた刀身を外し、片手で持ち上げる。
巨大な刀が、ゆっくりと霊子へほどけ始めた。
「……おお」
峰田が目を丸くする。
「消えた!」
細かな光の粒が散り、斬月が姿を消す。
一護は空になった手を軽く握った。
「これなら大丈夫だろ」
「……その刀、好きなときに出したり消したりできるの?」
蛙吹が尋ねた。
「ああ。まだ多少慣れはいるけどな」
「便利ね」
「まあな。ただ、競技中は出さねえよ」
一護は障子たちへ視線を向ける。
「流石に騎手ってなると邪魔だったし、刀振り回したらお前らが危ねえ」
障子が頷いた。
「その方が助かる」
「だろ?」
一護は笑った。
「よし。じゃあ、改めて頼むぜ」
障子の腕で作られた土台へ乗る。
足元が僅かに揺れた。
だが、すぐに安定する。
「……お、結構いいな」
「動くぞ」
障子が一歩踏み出した。
蛙吹と峰田が、その動きに合わせる。
騎馬全体が前へ進んだ。
想像していたより、ずっと滑らかだった。
「……いいじゃねえか」
一護は口元を緩めた。
「これなら戦えそうだ」
*
「織姫、こっち!」
拳藤一佳に呼ばれ、織姫は顔を上げた。
「はーい!」
駆け寄ると、拳藤の隣には小森希乃子と柳レイ子が立っていた。
「小森ちゃんと柳ちゃんも組んでくれるって」
「よろしくお願いします、井上さん!」
小森がにこりと笑う。
「よろしく……」
柳も静かに頭を下げた。
「うん! よろしくね!」
織姫は笑顔で答えた。
拳藤が両手を腰へ当てる。
「これで四人。あとは役割を決めよう」
「騎手は一佳ちゃん?」
「うん。そのつもり。あたしの個性なら、少し離れた相手の鉢巻きにも手が届くからね」
拳藤は右手を開いた。
その手が、ぐんと大きくなる。
指先まで含めれば、かなりの範囲を覆えそうだった。
「ただ、手を伸ばしてる間はどうしても隙ができる。それをどう守るかなんだけど……」
「じゃあ、私が守るね!」
織姫がすぐに答えた。
「一佳ちゃんが鉢巻きを取るとき、横や後ろから来た人を盾で防げばいいんだよね?」
「そうそう。お願いできる?」
「もちろん!」
拳藤は嬉しそうに笑った。
「ありがと。じゃあ、小森ちゃんは相手の進路を制限してほしい。柳ちゃんは周囲の牽制をお願い」
「任せてください! きのこ、いっぱい生やしちゃいます!」
小森が楽しそうに拳を握る。
「分かったわ」
柳も静かに頷いた。
織姫は三人を見回した。
拳藤が攻める。
自分が守る。
小森と柳が相手の動きを乱す。
それぞれの役割が、はっきりしている。
「……うん!」
織姫は小さく頷いた。
拳藤が顔を向ける。
「どうしたの?」
「ううん。いいチームだなって思って」
その言葉に、拳藤も笑った。
「でしょ?」
小森が元気よく手を上げる。
「絶対勝ちましょうね!」
「……ええ」
柳も頷いた。
織姫は笑顔で応じた。
「うん! 頑張ろう!」
*
『さあ、交渉時間終了だァ!』
プレゼント・マイクの声が、競技場へ響き渡った。
『チームは決まったか!? 決まってなくても、もう待ってやらねえぞ!』
観客席から歓声が上がる。
電光掲示板には、各チームの組み合わせが映し出されていた。
緑谷・麗日・常闇・発目。
轟・飯田・八百万・上鳴。
爆豪・切島・芦戸・瀬呂。
心操・尾白・庄田・青山。
黒崎・蛙吹・障子・峰田。
拳藤・井上・小森・柳。
もちろん、出場するのは彼らだけではない。
競技場には、ほかにも何組もの騎馬が並んでいた。
そのすべてが、上位六チームという通過枠を狙っている。
『制限時間は十五分! 鉢巻きを奪われても失格にはならねえ! 最後まで奪い返せるぞ!』
実況が続く。
『そして、決勝トーナメントへ進めるのは上位六チーム! 最大二十四名だ!』
観客席が沸いた。
一護は障子の肩越しに、その熱気を感じていた。
先ほどよりも高い位置から、競技場を見渡す。
普段とは、随分と景色が違った。
「……何か変な感じだな」
「慣れないか?」
障子が尋ねる。
「まあな。人に乗って戦うなんて初めてだ」
「俺たちもだ」
「……そりゃそうか」
一護は小さく笑った。
少し離れた場所では、緑谷たちが最後の確認をしていた。
麗日が足元へ触れ、発目が装備を調整している。
常闇の背後には、黒い影が静かに揺れていた。
緑谷は何やら必死に話している。
そのさらに向こうでは、轟がこちらを見ていた。
爆豪は、すでに誰かへ怒鳴っている。
「……あいつは相変わらずだな」
一護が呟いた。
「爆豪のことか?」
障子が尋ねる。
「ああ」
「まあ、そうだな」
障子も否定しなかった。
そのとき、蛙吹が声をかける。
「黒崎ちゃん。始まるわよ」
「……おう」
一護は前へ向き直った。
足元の障子たちが、僅かに姿勢を低くする。
自分も重心を整えた。
一人で踏み込むときの感覚とは、まるで違う。
それでも、勝負であることに変わりはなかった。
「……行くぞ」
三人が頷いた。
*
「準備はいいかしら!」
ミッドナイトの声が響く。
競技場の空気が、一気に張り詰めた。
「第二種目――騎馬戦!」
選手たちが、それぞれ姿勢を低くする。
一護も周囲を確認した。
前方には、何組もの騎馬。
右側には、B組の生徒たち。
左側にも、別のチームが並んでいる。
だが、その大半が同じ方向を見ていた。
緑谷出久。
一千万ポイント。
誰もが欲しがる、圧倒的な得点だった。
「……まあ、そうなるよな」
一護は小さく呟いた。
緑谷の顔が引き攣っている。
気持ちは分からなくもない。
だが、こちらも勝負だ。
同情ばかりしているわけにはいかなかった。
「……障子、最初は少し距離取ろう」
「ああ」
「峰田、球は無駄に投げんなよ。後で必要になる」
「分かってるって!」
「蛙吹は左右を頼む」
「任せて。ケロ」
一護は頷いた。
そして。
「スタート!」
合図が響いた。
競技場が、一斉に動き出した。
*
『さあ始まったァ! 雄英体育祭第二種目、騎馬戦!』
プレゼント・マイクの声が響く。
『まず狙われるのは、やっぱり一千万ポイントの緑谷チームだァ!』
その言葉どおりだった。
何組もの騎馬が、一斉に緑谷へ向かっていく。
「うわあああ!?」
緑谷の声が響いた。
だが、すぐに麗日が叫ぶ。
「デクくん、行くよ!」
「う、うん!」
騎馬が地面を蹴った。
発目の装備が起動し、勢いよく空中へ飛び上がる。
追いかけていた生徒たちが、揃って顔を上げた。
「飛んだ!?」
緑谷たちは、その頭上を越えていく。
常闇の黒影が周囲へ広がり、迫ってきた腕を弾いた。
緑谷は必死に周囲を確認しながら、鉢巻きを押さえている。
「……へえ」
一護は思わず声を漏らした。
なかなか上手い組み合わせだ。
麗日の無重力。
発目の装備。
常闇の黒影。
それぞれの能力が、緑谷を守るために使われていた。
普通に走るだけなら、すぐに囲まれていただろう。
だが、空中へ逃げられるなら話は違う。
「黒崎、前!」
障子の声が響いた。
「……っ!」
一護は視線を戻した。
目の前へ、別のチームが迫っている。
騎手の男子生徒が、こちらへ手を伸ばしてきた。
「その鉢巻き、もらうぞ!」
「悪いな!」
一護は身体をひねった。
伸びてきた手を躱し、相手の腕の外側へ手を伸ばす。
だが、相手もすぐに距離を取った。
「……ちっ」
一護は小さく舌打ちする。
一人なら、そのまま踏み込めた。
けれど今は、馬の動きに合わせなければならない。
無理に身体を乗り出せば、障子たちが崩れてしまう。
「黒崎ちゃん、右からもう一組来るわ」
蛙吹が言った。
「ああ。見えてる!」
右手側から、別の騎馬が迫っていた。
その先頭が、一護の鉢巻きへ手を伸ばす。
「……っ!」
だが、その直前。
紫色の球が、相手の進路へ飛んだ。
騎馬の先頭が、一歩踏み出す。
靴底が地面へ貼りついた。
「うわっ!?」
「何だこれ!」
「もぎもぎだ!」
峰田が叫んだ。
「そう簡単に近づけると思うなよ!」
相手の騎馬が足を取られる。
障子がすぐに動いた。
「黒崎!」
「おう!」
一護は身を乗り出した。
相手の騎手が、慌てて身体を引く。
だが、動きが遅れた。
一護の右手が、鉢巻きを掴む。
「……よし!」
引き抜く。
手の中へ、一本の鉢巻きが収まった。
『おおっと! 黒崎チーム、まず一本獲得だァ!』
歓声が上がる。
「やったぞ黒崎!」
峰田が声を上げた。
「おう!」
一護は笑った。
そのとき、障子がすぐに声をかける。
「まだ来る!」
「分かってる!」
次の騎馬が、すでに迫っていた。
だが、今度はこちらも動ける。
「左へ!」
一護が叫ぶ。
障子が身体をひねった。
蛙吹と峰田が、その動きへ合わせる。
騎馬全体が左へ滑るように移動した。
相手の手が空を切る。
一護は口元を緩めた。
少しずつ、感覚が掴めてきた。
一人で戦うときとは違う。
それでも、悪くない。
「……次、行くぞ!」
三人が頷いた。
*
「一佳ちゃん、右!」
織姫の声が響いた。
「分かってる!」
拳藤が身体をひねる。
その右側から、別の騎馬が突っ込んできた。
相手の騎手が、鉢巻きへ手を伸ばす。
だが。
「三天結盾!」
淡い光が広がった。
三角形の盾が、拳藤たちの右側へ展開される。
伸びてきた腕が、光の面へ弾かれた。
「……っ!?」
相手が驚いて手を引く。
「今!」
拳藤が右手を伸ばした。
その拳が、一気に巨大化する。
相手の騎手が顔を引き攣らせた。
「でっ……でかっ!?」
拳藤の指先が、鉢巻きを掴んだ。
「もらった!」
引き抜く。
相手の騎手が慌てて手を伸ばす。
だが、届かなかった。
拳藤は奪った鉢巻きを、自分の首元へ巻きつけた。
「よし、一つ!」
「やったね!」
織姫が笑う。
小森も嬉しそうに声を上げた。
「いい感じです!」
柳は周囲へ視線を向けた。
「……後ろから、二組来てる」
拳藤が顔を上げる。
「了解! 小森ちゃん!」
「はーい!」
小森が手を広げた。
細かな胞子が、周囲へ散っていく。
次の瞬間。
相手の進路上に、小さなきのこが次々と生え始めた。
「……は?」
追いかけていた騎馬が足を緩める。
「何だこれ!?」
靴底が滑るほどではない。
だが、足元へ突然きのこが現れれば、気を取られる。
それだけでも、十分だった。
「今のうちに!」
拳藤が叫ぶ。
織姫たちは一斉に動いた。
その横を、柳の操る小石がふわりと浮かび上がる。
後方から伸びてきた手の前へ回り込み、牽制する。
相手が一瞬だけ手を引いた。
拳藤は、その隙に距離を取った。
「……よし!」
四人は、再び競技場を走り始める。
「小森ちゃん、柳ちゃん、ありがと!」
織姫が声をかける。
「どういたしまして!」
「……お役に立てて、よかった」
柳が静かに答えた。
拳藤も笑った。
「いいね! この調子で行こう!」
織姫は頷いた。
自分が守り、拳藤が奪う。
小森が相手の動きを乱し、柳が周囲を牽制する。
それぞれの役割が、上手く噛み合っていた。
四人の騎馬は、そのまま次の相手へ向かっていった。
*
競技開始から、数分。
会場のあちこちで鉢巻きの奪い合いが激しくなっていた。
『さあさあ! どこを見ても大乱戦だァ!』
プレゼント・マイクの声が響く。
『一千万ポイントの緑谷チームは相変わらず大人気! だが、ほかのチームも負けちゃいねえ!』
一護は、少し離れた場所で爆豪が暴れているのを見ていた。
物間寧人。
金髪の少年が、爆豪の攻撃を躱しながら笑っている。
「いやあ、すごいねえ! さすがA組!」
芝居がかった声だった。
「でも、その程度で僕たちB組に勝てると思ってるのかい?」
「……あァ!?」
爆豪のこめかみに血管が浮かぶ。
「てめぇ、ぶっ殺す!」
爆破音が響いた。
だが、物間は巧みに距離を取っている。
その手元から、小さな爆発が起きた。
「……!」
一護は僅かに眉を上げた。
爆豪の個性と似ている。
いや、ほとんど同じだった。
「……コピーか?」
呟く。
物間は愉快そうに笑っていた。
「どうだい? 自分の個性を使われる気分は!」
「うるせえええ!」
爆豪がさらに加速する。
その背後では、切島たちが必死に馬を支えていた。
「おい爆豪! 落ち着けって!」
「うるせえ!」
切島の声も、ほとんど届いていない。
一護は苦笑した。
「……あいつ、完全に遊ばれてんな」
そのとき。
「黒崎ちゃん!」
蛙吹の声が響いた。
「ん?」
「前、見て」
一護は顔を戻した。
別の騎馬が、こちらへ迫っていた。
「……っと!」
慌てて姿勢を変える。
伸びてきた手を躱し、障子へ声をかけた。
「右!」
「了解!」
騎馬が向きを変える。
相手の手が空を切った。
その隙に、一護は逆側から腕を伸ばす。
「……もらった!」
鉢巻きを掴む。
引き抜く。
また一本、手元へ増えた。
「……よし」
一護は小さく笑った。
気を抜く暇はない。
周囲には、いくらでも相手がいる。
「……次、来るぞ!」
三人が頷いた。
*
その頃。
競技場の中央では、緑谷チームと轟チームが向かい合っていた。
一千万ポイント。
その鉢巻きを巡り、周囲の空気が張り詰める。
轟は冷静だった。
右半身から冷気が漂っている。
飯田は、騎馬の一部として姿勢を低くしていた。
八百万は周囲へ視線を向け、上鳴が緑谷チームの動きを警戒している。
一方、緑谷は必死に状況を読んでいた。
轟の氷。
飯田の速度。
八百万の創造。
上鳴の電撃。
どれも厄介な個性ばかりだ。
正面からぶつかれば、不利になる。
だが、逃げ続けるわけにもいかない。
残り時間は、少しずつ減っている。
「……来る!」
緑谷が叫んだ。
轟が右手を伸ばす。
冷気が地面を這った。
氷が広がる。
麗日が慌てて騎馬の姿勢を変えた。
「デクくん!」
「分かってる!」
発目の装備が起動する。
騎馬が一気に浮き上がった。
だが、轟はそれを読んでいた。
氷を伸ばし、進路を制限する。
緑谷たちの動きが、僅かに鈍った。
「……っ!」
その瞬間。
飯田の脚部から、凄まじい音が響いた。
「レシプロバースト!」
騎馬が爆発的に加速した。
それまでとは、まるで違う速度。
緑谷が目を見開く。
「……えっ!?」
轟の手が伸びた。
緑谷の首元へ。
指先が、鉢巻きを掴む。
次の瞬間。
一千万ポイントの鉢巻きが、轟の手へ移っていた。
『おおおおっとォォォ!』
プレゼント・マイクが叫ぶ。
『轟チーム! ついに一千万ポイントを奪い取ったァァァ!!』
会場が沸いた。
緑谷は、呆然と首元へ手をやった。
ない。
一千万ポイントの鉢巻きが、ない。
「……っ」
顔が強張る。
轟はすでに、距離を取っていた。
飯田の加速は一時的なものらしい。
だが、その一瞬で十分だった。
緑谷は歯を食いしばった。
まだ終わっていない。
残り時間はある。
ならば、取り返すしかない。
「……みんな!」
声を上げる。
「まだ、行ける!」
麗日が顔を上げた。
「……うん!」
常闇も頷く。
「諦めるには、まだ早い」
発目が装備を確認した。
「まだまだ売り込みのチャンスですね!」
「……発目さん!?」
緑谷が思わず声を上げる。
だが、その表情には、もう諦めの色はなかった。
*
『残り三分!』
実況が響いた。
一護は、奪った鉢巻きを確認した。
何本か増えている。
開始時より、かなりのポイントを確保できていた。
だが、まだ安心はできない。
ほかのチームも、次々とポイントを奪い合っている。
「……今、どのくらいだ?」
一護が尋ねる。
障子が周囲を見渡した。
「正確には分からん。だが、上位には入っているはずだ」
「そうね」
蛙吹が頷いた。
「ただ、まだ狙われると思うわ」
その言葉どおりだった。
少し離れた場所で、別の騎馬がこちらを見ている。
何かを相談しているらしい。
一護は小さく笑った。
「……来るなら、受けて立つしかねえな」
「待て、黒崎」
障子が言った。
「今は無理に攻めなくてもいい。守りきれば十分だ」
「……ああ」
一護は頷いた。
確かに、そうだ。
ここで無理に前へ出て、鉢巻きを奪われれば意味がない。
勝つために必要なのは、最後までポイントを残すこと。
それなら、守りへ回る判断も必要だった。
「……分かった。少し距離取ろう」
障子が頷く。
騎馬が移動を始めた。
そのとき。
左側から、別のチームが突っ込んできた。
「……っ!」
一護は身体をひねった。
伸びてきた手が、鉢巻きへ迫る。
だが、そこへ蛙吹の舌が伸びた。
「……ケロッ!」
相手の腕が、横へ引かれる。
「うわっ!?」
その隙に、障子が騎馬の向きを変えた。
一護は身を乗り出し、相手の鉢巻きを掴む。
「……よし!」
引き抜く。
相手は慌てて距離を取った。
峰田が声を上げる。
「やったぞ! また一本!」
一護は笑った。
「おう!」
そのまま、周囲へ視線を向ける。
轟チーム。
爆豪チーム。
心操チーム。
緑谷チーム。
それぞれが、激しくポイントを奪い合っている。
その中で、少し離れた場所に拳藤たちの姿も見えた。
だが、すぐに別の騎馬が間へ入り、視界を遮った。
一護はそちらへ意識を向けることなく、次の相手を警戒した。
*
「……あと少し!」
拳藤が叫んだ。
その前方には、別の騎馬。
首元には、複数の鉢巻きが巻かれている。
ここで一本でも奪えれば、上位六チームへ残れる可能性が高くなる。
だが、相手も簡単には渡してくれない。
騎馬が左右へ揺れながら、距離を取ろうとしていた。
「柳ちゃん!」
「……はい」
柳の周囲で、小石が浮かび上がる。
それらが、相手の進路へ回り込んだ。
強くぶつけるわけではない。
ただ、前へ進むための隙間を狭める。
相手の騎馬が僅かに足を緩めた。
「小森ちゃん!」
「はーい!」
細かな胞子が、地面へ散る。
相手の足元に、小さなきのこが生え始めた。
「……くそっ!」
騎手が苛立たしそうに声を上げる。
その隙に、拳藤が距離を詰めた。
「今!」
右手が巨大化する。
相手の鉢巻きへ伸びる。
だが。
反対側から、別の騎馬が飛び込んできた。
「……っ!」
拳藤の手が止まる。
横から伸びてきた腕が、拳藤の首元へ迫った。
「一佳ちゃん!」
織姫が叫ぶ。
その瞬間。
淡い光が、四人の横へ広がった。
「三天結盾!」
相手の手が、盾へ弾かれる。
拳藤はその隙を逃さなかった。
「……ありがと!」
右手を伸ばす。
相手の鉢巻きを掴む。
引き抜く。
「取った!」
拳藤が声を上げた。
織姫も笑う。
「やったね!」
だが、まだ終わりではない。
横から来た騎馬が、再び迫っていた。
「……っ!」
織姫は盾を展開し直す。
拳藤が奪った鉢巻きを首元へ巻く。
小森と柳も、必死に馬を支えながら周囲を警戒していた。
「……あと何分!?」
拳藤が叫ぶ。
小森が顔を上げた。
「もうすぐです!」
その声に重なるように、実況が響いた。
『残り一分!』
拳藤は歯を食いしばった。
あと少し。
このまま守りきれば、決勝へ進めるかもしれない。
「……みんな!」
声を上げる。
「最後まで守りきるよ!」
「うん!」
織姫が答えた。
小森も頷く。
「了解です!」
柳は静かに目を細めた。
「……来る」
四人は、再び姿勢を低くした。
*
残り時間は、僅かだった。
競技場の中央では、緑谷チームが轟チームへ迫っている。
一千万ポイント。
それを奪われたままでは、上位へ残るのは難しい。
緑谷は歯を食いしばっていた。
目の前には、轟。
その首元には、何本もの鉢巻きが巻かれている。
狙うべきは、一千万ポイント。
だが、どれがそれなのか。
見極めなければならない。
「……っ!」
緑谷は身体を前へ乗り出した。
轟も、右手へ冷気を集める。
その瞬間。
緑谷の腕へ、凄まじい力が流れた。
「……っ!」
風圧が、轟の氷を砕く。
緑谷の手が伸びる。
指先が、鉢巻きを掴んだ。
『おおっとォ!? 緑谷、取り返したかァ!?』
観客席が沸いた。
だが。
緑谷の顔が、僅かに強張った。
手にした鉢巻き。
そこに書かれた数字は、一千万ではなかった。
「……っ!」
違う。
別の鉢巻きだ。
その瞬間。
『タイムアップ!』
ミッドナイトの声が響いた。
競技場の動きが、止まる。
緑谷は、手の中の鉢巻きを見つめた。
終わった。
一千万ポイントは、取り返せなかった。
その事実が、胸へ重く落ちてくる。
「……っ」
だが、隣から声がした。
「緑谷」
常闇だった。
緑谷が顔を上げる。
「……常闇くん?」
「まだ、結果は分からん」
常闇は静かに答えた。
その横には、黒影が浮かんでいる。
手には、別の鉢巻きが握られていた。
緑谷の目が見開かれた。
「……えっ?」
「轟の騎馬から、一本奪っておいた」
常闇は短く言った。
「お前が前へ出たときにな」
緑谷は、しばらく言葉を失った。
そして。
「……常闇くん!」
思わず声を上げた。
常闇は小さく頷いた。
「結果が出るまで、諦めるな」
緑谷は唇を結んだ。
そのあと、力強く頷いた。
「……うん!」
*
競技場に、終了を告げる音が響き渡った。
各チームが動きを止める。
相手の鉢巻きへ伸ばしかけていた手も、途中で止まった。
勝ったと確信する者。
不安そうに結果を待つ者。
悔しさを滲ませる者。
様々な表情が、競技場へ広がっていた。
一護は、ゆっくりと息を吐いた。
「……終わったか」
障子が頷く。
「ああ」
蛙吹も、小さく息を吐いた。
「何とか守れたわね」
峰田は、奪った鉢巻きを見つめていた。
「……なあ、俺たち結構取ったよな?」
「そうだな」
一護は笑った。
「お前の球、かなり役に立ったぞ」
「……!」
峰田が目を見開く。
そのあと、嬉しそうに拳を握った。
「だろ!? 俺だってやるときゃやるんだよ!」
「調子に乗りすぎないでね」
蛙吹が静かに言った。
「……はい」
一護は小さく笑った。
そのとき、障子が顔を上げた。
「結果が出るぞ」
電光掲示板が切り替わる。
観客席が、静まり返った。
*
『さあ! 十五分間の激闘、ついに決着だァ!』
プレゼント・マイクの声が響く。
『上位六チームを発表するぜ!』
巨大な電光掲示板に、順位が映し出された。
一位。
轟チーム。
会場が沸いた。
一千万ポイントを奪い取った轟たちが、首位で競技を終えた。
轟は静かに息を吐き、飯田たちへ顔を向ける。
「……お疲れ」
飯田が力強く頷いた。
「こちらこそだ!」
二位。
爆豪チーム。
「……チッ!」
爆豪が舌打ちした。
切島が苦笑する。
「まあまあ、通過したんだからいいじゃねえか!」
「よくねえ!」
「だよなあ……」
三位。
黒崎チーム。
「……おっ」
一護は僅かに眉を上げた。
「三位か」
障子が頷く。
「十分だろう」
「そうね」
蛙吹が笑う。
「決勝へ進めるんだもの」
峰田は両手を上げた。
「やったあああ!」
一護も笑った。
「……おう。やったな」
四位。
心操チーム。
紫色の髪の少年が、静かに電光掲示板を見上げていた。
その隣には、尾白と庄田、青山の姿がある。
だが、尾白はどこか複雑そうな表情を浮かべていた。
自分がどう競技を進めたのか、曖昧な部分がある。
それが気になっているらしい。
心操は何も言わず、順位を確認していた。
五位。
緑谷チーム。
「……!」
緑谷が目を見開いた。
麗日が嬉しそうに声を上げる。
「やった! デクくん!」
常闇も小さく頷く。
「……何とか残れたな」
発目は、装備を確認しながら笑っている。
「いやあ、いい宣伝になりました!」
「……発目さん……」
緑谷は苦笑した。
だが、すぐに嬉しそうに笑った。
そして。
六位。
拳藤チーム。
「……っ!」
拳藤が息を呑んだ。
次の瞬間。
「やったあああ!」
大きな声が響いた。
織姫だった。
両手を上げ、嬉しそうに跳ねている。
「一佳ちゃん! やったね!」
「……うん!」
拳藤も笑った。
「やった!」
小森が両手を握る。
「私たち、決勝ですよ!」
「……よかった」
柳も、小さく微笑んだ。
四人は顔を見合わせた。
それから、嬉しそうに笑い合った。
B組からも、決勝へ進める。
そのことが、何より嬉しかった。
*
『これで決勝トーナメント進出、二十四名が確定だァ!』
プレゼント・マイクの声が響く。
観客席から、大きな拍手が上がった。
競技を終えた生徒たちは、それぞれのチームで喜びを分かち合っている。
一護も、障子たちへ顔を向けた。
「……お疲れ」
「こちらこそ」
障子が頷く。
蛙吹も微笑んだ。
「いいチームだったわね」
「ああ」
一護は頷いた。
「一人じゃ、あんなに鉢巻き取れなかったと思う」
その言葉に、峰田が胸を張った。
「だろ!? 俺の個性がなきゃ――」
「はいはい」
一護が笑う。
「ちゃんと分かってるって」
峰田は満足そうに頷いた。
そのとき、少し離れた場所から切島の声が響いた。
「おーい、黒崎!」
一護が顔を上げる。
「おう!」
切島が手を振っていた。
その隣には、爆豪と瀬呂、芦戸がいる。
「決勝、楽しみだな!」
「……ああ」
一護は笑った。
「当たったらよろしくな!」
「おう!」
切島も笑い返す。
爆豪は、その横で不機嫌そうに腕を組んでいた。
「……チッ」
一護は苦笑した。
どうやら、二位が相当気に入らなかったらしい。
まあ、あいつならそうだろう。
そう思いながら、一護は一度だけ手を握った。
騎馬戦は終わった。
ここから先は、一対一の戦いになる。
誰と当たるかは、まだ分からない。
だが、負けるつもりはなかった。
「……よし」
一護は小さく息を吐いた。
*
騎馬戦を終えた生徒たちは、次の説明が始まるまで、それぞれ控室へ戻ることになった。
決勝トーナメントの組み合わせは、このあと発表される。
一護は障子たちと別れ、通路へ向かっていた。
黒い死覇装をまとったまま、背中に斬月はない。
競技場の外へ出ると、周囲の歓声が少し遠くなった。
「……ふう」
一護は軽く首を回した。
騎馬戦。
思っていたより、ずっと難しかった。
自分一人なら、相手との距離を詰めることは簡単だ。
だが、仲間と一緒に動くとなると話が違う。
速度を合わせる。
相手の動きを読む。
自分だけではなく、味方全員が動きやすいように考える。
そういう戦い方もあるのだと、改めて思った。
「……悪くねえな」
小さく呟く。
そのとき。
「……黒崎くん」
背後から声がした。
一護は足を止めた。
振り返る。
そこには、井上織姫が立っていた。
「……井上?」
思わず声が出た。
織姫は、少し離れた場所に立っていた。
拳藤たちの姿は見えない。
一人で、ここまで来たらしい。
「……どうした?」
一護が尋ねる。
織姫は、すぐには答えなかった。
ただ、じっとこちらを見ている。
「……井上?」
もう一度声をかける。
そのとき、一護は気づいた。
織姫の手が、僅かに震えている。
顔色も、あまりよくない。
「……おい、大丈夫か?」
一護は眉を寄せた。
「どっか怪我でもしたのか?」
織姫は首を振った。
「……ううん」
小さな声だった。
「大丈夫」
「……そうか?」
一護は少しだけ首を傾げた。
織姫は、まだこちらを見ている。
正確には。
一護の背中へ。
そこに何もないことを確かめるように。
「……さっきの刀」
ようやく、織姫が口を開いた。
一護は目を瞬かせる。
「……ん?」
「黒崎くんが、ロボットのところで使ってた刀……」
織姫は、一度言葉を詰まらせた。
それから、小さく息を吸った。
「……名前、聞いてもいい?」
一護は僅かに眉を上げた。
突然の質問だった。
だが、答えるのに迷うことはなかった。
「……斬月」
短く答える。
「こいつの名前は、斬月だ」
その瞬間。
織姫の表情が、変わった。
目が大きく見開かれる。
唇が、僅かに震えた。
「……ざん、げつ……」
小さく、繰り返す。
一護は、その様子を見つめた。
「……井上?」
織姫は、答えなかった。
ただ、両手を胸元へ寄せている。
まるで、何かを必死に堪えているようだった。
「……やっぱり」
声が漏れた。
「……やっぱり、そうなんだ……」
一護は眉を寄せた。
何だ。
その反応は。
斬月の名前を聞いて、どうしてそんな顔をする。
まるで。
最初から、知っていたみたいに。
「……おい、井上」
一護が声をかける。
織姫は、ゆっくりと顔を上げた。
目に、涙が浮かんでいた。
「……黒崎くん」
その声を聞いた瞬間、一護の胸が僅かに強張った。
聞き慣れた呼び方。
聞き慣れた声。
けれど、何かが違う。
今まで、同じ名前の別人だと思っていた。
同じ顔をしていても、別の世界の井上織姫だと思っていた。
だから、考えないようにしていた。
あいつが、ここにいるはずなんてない。
だって。
井上は、あのとき。
「……」
一護は、言葉を失った。
織姫は、震える唇を開いた。
「……あたし」
声が途切れた。
一度、目を伏せる。
それから、もう一度顔を上げた。
「……あたし、ちゃんと護れた?」
一護の呼吸が、止まった。
「……え?」
声が漏れる。
織姫は、涙を堪えながら続けた。
「……あのあと」
小さな声だった。
「黒崎くん……ちゃんと、生きてた?」
一護は、動けなかった。
頭の中で、何かが繋がっていく。
あの姿。
あの声。
斬月の名前を聞いたときの反応。
そして、今の言葉。
あの日のことを知っている。
自分が、井上に護られたことを。
あの世界の最後を。
知っている。
「……お前」
一護の声が、僅かに掠れた。
織姫は、じっとこちらを見つめている。
涙を堪えたまま。
答えを待つように。
「……井上、なのか?」
ようやく、言葉が出た。
「……本当に」
織姫の目から、涙が零れた。
それでも、笑おうとしていた。
「……うん」
小さく頷く。
「……あたしだよ、黒崎くん」
一護は、しばらく何も言えなかった。
目の前にいる。
あの日、消えてしまったはずの少女が。
もう二度と会えないと思っていた、井上織姫が。
ここにいる。
同じ名前で。
同じ顔で。
そして、あのときの記憶を持ったまま。
「……っ」
一護は、ゆっくりと息を吐いた。
胸の奥が、酷く熱かった。
何を言えばいいのか、分からなかった。
聞きたいことは、山ほどある。
どうしてここにいるのか。
いつから記憶を持っていたのか。
何で今まで気づかなかったのか。
けれど。
その前に。
答えなければならないことがあった。
一護は、織姫へ一歩近づいた。
「……井上」
織姫が顔を上げる。
一護は、まっすぐにその目を見た。
「……ああ。生きてたよ」
織姫が息を呑む。
「……ほんと?」
「本当だ」
一護は、はっきりと頷いた。
「あのあと、俺はちゃんと家に帰った。学校にも戻ったし、前と変わんねえ生活を送ってた」
「……学校に?」
「ああ。いつもどおりだったよ。親父が騒いで、遊子と夏梨がいて……」
一護は小さく笑った。
「みんな、ちゃんと生きてた。俺も、あの世界で生きてたんだ」
織姫は、目を見開いたまま動かなかった。
一護は続ける。
「世界も無事だった。浦原さんから聞いた。お前が、全部元に戻してくれたって」
織姫の唇が震えた。
「……そっか」
小さな声だった。
「……そっかぁ……」
一護は、ゆっくりと頷いた。
「お前が護ってくれたんだよ。俺も、みんなも」
織姫は、何度か頷いた。
その顔に、僅かに笑みが浮かぶ。
だが。
次の瞬間。
「……あ」
膝から、ふっと力が抜けた。
「井上!?」
一護が慌てて手を伸ばす。
けれど、織姫はその手を掴むこともできず、ぺたんと床に座り込んでしまった。
「お、おい! 大丈夫か!?」
一護が目の前にしゃがみ込む。
織姫は俯いたまま、両手で顔を覆った。
「……よかったぁ……」
指の隙間から、涙が零れた。
「……ほんとに、よかった……」
笑おうとしているのに、声が震えてしまう。
次から次へと涙が溢れて、どうしても止まらなかった。
一護は、しばらくその姿を見つめていた。
それから、織姫の傍らに膝をつく。
「……井上」
「……うん」
「ありがとな」
織姫は、何度も頷いた。
顔を上げることはできなかったけれど、その口元には、確かに笑みが浮かんでいた。
あの日。
自分のすべてを差し出して、護ろうとしたもの。
その答えを、今ようやく知ることができた。
黒崎くんは、生きていた。
みんなも、無事だった。
それだけで、もう十分だった。
「……よかった……」
もう一度、小さく呟く。
一護は、その隣に座った。
何も言わず、ただ待っていた。
通路の向こうからは、体育祭の歓声が聞こえている。
次の競技を待つ生徒たちの声。
観客席のざわめき。
そして、プレゼント・マイクの実況。
それらが、どこか遠くに聞こえた。
今は、ただ。
二人が、同じ場所にいる。
それだけでよかった。