『君が拒んだ終わりの先で』   作:吉野家

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第24話 それぞれの勝ち方

 

補修を終えたコンクリートのリングに、二人の少年が向かい合っていた。

 

飯田天哉と、障子目蔵。

 

同じ一年A組に所属し、日頃から互いの個性を知る間柄だ。

 

だからといって、戦いやすい相手とは限らない。

 

「障子君!」

 

飯田が眼鏡の位置を正した。

 

「よろしく頼む!」

 

「ああ。こちらこそ」

 

障子は短く答え、複製腕を広げた。

 

左右へ伸びた腕の先に、目と耳が形作られる。

 

その様子を見て、飯田は僅かに姿勢を低くした。

 

個性『複製腕』。

 

複数の腕を生み出し、その先端に手や感覚器官を複製できる。

 

正面から攻撃しても、別の腕で迎撃される。

 

背後へ回り込んだとしても、簡単には隙を見せてくれないだろう。

 

一方、障子も飯田の脚を見ていた。

 

ふくらはぎに備わったエンジン。

 

そこから生み出される加速は、並の人間の反応速度を遥かに上回る。

 

動きを捉えられたとしても、身体が追いつかなければ意味がない。

 

「第五試合――始め!」

 

ミッドナイトの合図と同時に、飯田が地面を蹴った。

 

ふくらはぎから排気音が響く。

 

「――っ!」

 

障子は真正面から迎え撃たなかった。

 

身体を僅かに横へ開き、複製腕を広げる。

 

飯田の進路へ、二本の腕が伸びた。

 

狙いは捕獲。

 

しかし、飯田は接触する直前に足を踏み替えた。

 

進路を斜めへずらす。

 

伸びた腕の脇を抜け、障子の側面へ回り込んだ。

 

「……!」

 

そこで、障子の別の腕が動いた。

 

飯田の肩へ、横から手が伸びる。

 

「くっ!」

 

飯田が咄嗟に身体を引いた。

 

指先が体操服を掠める。

 

そのまま距離を取り直した。

 

『おおっと! 飯田の初速! しかし障子も即座に対応! なかなか懐へ入らせないぞォ!』

 

飯田は足を止めず、障子の周囲を移動した。

 

右へ。

 

左へ。

 

一度踏み込み、すぐに離れる。

 

障子もそれに合わせて身体を向ける。

 

だが、無闇には追いかけない。

 

腕の先に作った感覚器官で、飯田の位置を確かめている。

 

速度で勝とうとはしていなかった。

 

相手が近づいてきたところを捕まえる。

 

そのために、必要な範囲だけ動く。

 

「……なるほど」

 

飯田が小さく息を吐いた。

 

速く動くだけで勝てる相手ではない。

 

障子の反応を振り切っても、別の腕で進路を塞がれてしまう。

 

ならば。

 

「もう一度行くぞ!」

 

飯田が踏み込んだ。

 

障子は腰を落とし、腕を大きく広げる。

 

今度は最初から、飯田を包み込むような構えだった。

 

飯田が蹴りを放つ。

 

障子は二本の腕を重ねて受け止めた。

 

鈍い衝撃。

 

「……っ!」

 

障子の足が床を擦った。

 

それでも、押し負けない。

 

別の腕が伸び、飯田の蹴り足を掴もうとする。

 

「むっ!」

 

飯田は素早く脚を引き、後方へ跳んだ。

 

障子の指が空を切る。

 

そのまま、二人の距離が開いた。

 

「やはり、容易ではないな!」

 

飯田が眼鏡を押し上げる。

 

「そちらもな」

 

障子は静かに答えた。

 

「蹴りの威力が高い。何度も受け続けるわけにはいかない」

 

「それはこちらも同じだ!」

 

飯田は拳を握った。

 

「君の腕に捕まれば、抜け出すのは難しいだろう!」

 

障子は小さく頷いた。

 

互いに、相手の強みを理解している。

 

だからこそ、次の一手が重要だった。

 

◇

 

「障子、結構やるな」

 

選手用観覧席で瀬呂範太が感心したように言った。

 

「飯田の攻撃、何回も止めてるじゃん」

 

「あの腕が厄介なんだよな」

 

切島鋭児郎が頷いた。

 

「一回避けても別の腕が来るだろ?」

 

「そうね」

 

蛙吹梅雨がリングを見つめた。

 

「障子ちゃん、あまり動いていないわ。飯田ちゃんが来るのを待ってる。ケロ」

 

「下手に追いかけたら、逆に振り切られるだろうしな」

 

尾白猿夫が言った。

 

その隣で、一護も頷く。

 

「……ああ」

 

障子の戦い方は、理にかなっていた。

 

騎馬戦で一緒に戦ったときも、あの索敵能力には何度も助けられた。

 

目の前の相手だけを見る必要がない。

 

複数の方向から動きを捉えられる。

 

だが、それで何もかも防げるわけでもない。

 

障子自身の身体は、一つしかないのだから。

 

一護は、再びリングへ視線を戻した。

 

◇

 

飯田が踏み込んだ。

 

障子の腕が伸びる。

 

しかし、飯田は途中で急減速した。

 

「……!」

 

伸ばした腕が届かない。

 

その隙に反対側へ踏み込む。

 

だが、障子もすぐに別の腕を向けた。

 

飯田が蹴る。

 

障子が受け止める。

 

重い衝突音。

 

その直後、障子の腕が足元から伸びた。

 

「……っ!」

 

飯田は咄嗟に距離を取ろうとする。

 

しかし、今度は障子の方が早かった。

 

伸ばしていた腕を引かず、そのまま飯田の退路へ回す。

 

戻ろうとした方向が塞がれた。

 

「……捕まえた」

 

障子の手が飯田の体操服を掴む。

 

「くっ!」

 

飯田は身体を捻った。

 

だが、別の腕が迫ってくる。

 

このままでは完全に拘束される。

 

飯田は咄嗟に脚を振り上げた。

 

障子の肩を狙った蹴り。

 

障子は腕で受け止める。

 

その瞬間、飯田は蹴りの反動を利用して身体を回した。

 

掴まれた体操服が引っ張られる。

 

障子の握りが僅かに緩んだ。

 

飯田はそこへ力を集中させ、どうにか間合いを外した。

 

「……っ、はあ!」

 

離れた場所で息を整える。

 

障子も深追いしなかった。

 

今の攻防で、互いに分かったことがある。

 

障子は、飯田の急減速に対応し始めている。

 

飯田は、これ以上同じ戦い方を続ければ捕まる。

 

そして障子も、次の接近で確実に捕らえられるとは思っていなかった。

 

両者ともに、決定打が必要だった。

 

「……障子君」

 

飯田が姿勢を低くした。

 

「次で決めさせてもらう!」

 

「……ああ」

 

障子は複製腕を広げる。

 

「来い」

 

飯田のふくらはぎから、先ほどまでとは違う甲高い音が響いた。

 

障子の目が僅かに細くなる。

 

騎馬戦でも見た、あの加速。

 

だが、障子は退かなかった。

 

腕を前後へ広げ、迎撃の姿勢を取る。

 

飯田もまた、正面の障子を見据えた。

 

この技を使える時間は短い。

 

しかも、使い終えればエンジンが止まる。

 

だからこそ、ここで決めなければならない。

 

「レシプロ――バースト!!」

 

爆発的な排気音が響いた。

 

飯田の身体が、一気に加速する。

 

「……っ!」

 

障子は感覚器官で、その接近を捉えた。

 

正面。

 

真っ直ぐ来る。

 

複製腕を重ね、迎え撃つ。

 

だが、飯田は接触する寸前、僅かに進路をずらした。

 

障子の正面を外す。

 

完全な急旋回ではない。

 

加速する前から狙っていた、斜めの進路。

 

飯田は障子の外側へ抜けると、すぐに足をつき、身体の向きを変えた。

 

「……!」

 

障子が腕を伸ばす。

 

飯田の肩へ、指先が迫った。

 

しかし、届かない。

 

飯田はすでに、次の一歩を踏み出していた。

 

距離が開く。

 

障子は追いかけず、すぐに身体を向け直した。

 

だが、その瞬間、飯田が再び迫った。

 

今度は側面。

 

障子は複製腕を向ける。

 

飯田の蹴りが放たれた。

 

障子は腕を重ねて受け止める。

 

「ぐっ……!」

 

衝撃で身体が横へ流れた。

 

だが、倒れない。

 

障子は足を踏ん張り、別の腕で飯田の脚を掴もうとした。

 

その指先が、僅かに届く。

 

「……っ!」

 

飯田は着地すると同時に、もう一度地面を蹴った。

 

障子が足を踏み替える。

 

そこは、リングの縁に近かった。

 

最初の蹴りで押し込まれた分、踏ん張れる場所が狭い。

 

障子はそれでも腕を広げ、正面から飯田を受け止めようとした。

 

だが、飯田は止まらなかった。

 

「――はあっ!!」

 

全身の勢いを乗せた蹴り。

 

障子の複製腕が衝撃を受け止める。

 

それでも、身体が大きく押し出された。

 

「……っ!」

 

障子はリングの縁へ手を伸ばした。

 

コンクリートの角を掴もうとする。

 

だが、重心がすでに外へ出ていた。

 

指先が縁を掠める。

 

そして。

 

障子の身体が、段差の下へ落ちた。

 

複製腕を広げ、着地の姿勢を整える。

 

両足が地面についた。

 

「障子君、場外!」

 

ミッドナイトが腕を振り上げる。

 

「勝者、飯田天哉!」

 

『決着ゥゥゥ!! 飯田、レシプロバーストによる超加速で障子の防御を突破ァ!!』

 

歓声が上がった。

 

だが、リングの上で飯田は拳を上げなかった。

 

「……っ!」

 

ふくらはぎから短い排気音が漏れた。

 

そして、止まる。

 

飯田の脚から力が抜けた。

 

「むっ……!」

 

咄嗟に膝をつく。

 

エンジンが止まっていた。

 

レシプロバーストの反動。

 

無理に出力を引き上げた代償として、しばらく個性が使えなくなる。

 

「……ふう」

 

飯田は大きく息を吐いた。

 

あと少し決着が遅れていたら、危なかった。

 

リングの下から、障子が声をかける。

 

「飯田」

 

「……障子君!」

 

「いい加速だった」

 

障子は静かに言った。

 

「最後は、腕を伸ばしても追いつかなかった」

 

「いや、君の防御も見事だった!」

 

飯田は膝をついたまま、顔を上げた。

 

「僕も、あの速度を使わなければ抜けなかっただろう!」

 

障子は小さく頷いた。

 

「次は、対応できるようにしておく」

 

「ああ!」

 

飯田は力強く頷く。

 

「僕も、もっと速くなってみせる!」

 

障子はその言葉を聞いて、僅かに目を細めた。

 

それから、退場口へ向かった。

 

飯田もエンジンが回復するまで少し待ち、自分の足でリングを降りた。

 

◇

 

『さあ、続いて第六試合! 一年A組、切島鋭児郎! 対するは一年B組、柳レイ子ォォ!!』

 

「っしゃあ!」

 

切島が勢いよく立ち上がった。

 

「ようやく俺の番か!」

 

「頑張れよ!」

 

瀬呂が手を上げる。

 

「おう!」

 

切島は拳を合わせた。

 

その一方、B組の観覧席では、柳が静かに立ち上がっていた。

 

「レイコ、頑張って!」

 

拳藤一佳が声をかける。

 

「うん。行ってくる」

 

柳は小さく頷いた。

 

隣から、小森希乃子が身を乗り出す。

 

「レイコちゃん、ファイトだノコ!」

 

「ありがとう、希乃子」

 

織姫も笑顔で手を振った。

 

「応援してるね!」

 

「うん」

 

柳は短く答え、競技場へ向かった。

 

◇

 

リングの中央。

 

切島と柳が向かい合っていた。

 

「よろしくな!」

 

「よろしく」

 

柳は落ち着いた声で答えた。

 

切島は軽く腕を回す。

 

柳の個性は『ポルターガイスト』。

 

物体を浮かせ、自在に動かすことができる。

 

攻撃範囲が広い。

 

近づくまでが大変そうだった。

 

「第六試合――始め!」

 

切島が地面を蹴る。

 

「行くぜ!」

 

全身が硬化した。

 

皮膚が鋭く変化し、硬い鎧のようになる。

 

柳は慌てなかった。

 

その場から横へ動き、切島の進路を外れる。

 

切島が拳を振り抜いた。

 

だが、柳には届かない。

 

拳がコンクリートの床を掠め、細かな破片が散った。

 

その破片が、ふわりと浮き上がる。

 

「……お?」

 

切島が顔を上げた。

 

浮き上がった破片が、彼の周囲へ集まっていく。

 

柳は片手を上げた。

 

「……行って」

 

小石が一斉に飛んだ。

 

切島は両腕を交差させた。

 

硬化した身体へ、破片が次々と当たる。

 

鋭い音が響いた。

 

だが、皮膚には傷一つつかない。

 

「へへっ!」

 

切島が笑った。

 

「そのくらいじゃ効かねえぜ!」

 

「そうみたいね」

 

柳は静かに答えた。

 

そのまま、破片をもう一度浮かせる。

 

今度は正面へ集めなかった。

 

切島の横。

 

そして、足元。

 

別々の方向から飛ばす。

 

「……っ!」

 

切島が踏み込んだ瞬間、足元へ破片が転がった。

 

咄嗟に歩幅を変える。

 

その隙に、柳が距離を取った。

 

切島はすぐに追いかけようとしたが、背後から再び小石が飛んできた。

 

「……おっと!」

 

硬化した背中へ当たる。

 

痛みはない。

 

しかし、足を止められる。

 

柳はその間にも距離を保っていた。

 

「……なるほどな」

 

切島が呟く。

 

正面から倒そうとしているわけではない。

 

小石で進路を邪魔し、近づかせないつもりなのだ。

 

柳は片手を軽く動かした。

 

床に落ちていた破片が再び浮き上がる。

 

「硬い相手は、ちょっと困る」

 

静かな声だった。

 

「でも、動けなければ同じよね」

 

切島は一瞬だけ目を丸くした。

 

それから、にっと笑った。

 

「……言ってくれるじゃねえか!」

 

拳を握り直す。

 

「なら、止められるもんなら止めてみろ!」

 

切島が走り出した。

 

先ほどより、歩幅が小さい。

 

破片の位置を見ながら、踏み込む場所を選んでいる。

 

柳はすぐに小石を動かした。

 

だが、切島は足元へ転がってきた破片を踏み越えた。

 

正面から飛んでくるものは、硬化した腕で受け止める。

 

肩へ当たっても止まらない。

 

「……!」

 

柳が一歩後退した。

 

距離が縮まる。

 

切島は止まらなかった。

 

そのまま、柳の目の前へ迫る。

 

「……っ!」

 

柳が手を動かした。

 

浮いていた破片が、一斉に切島の顔の前へ集まる。

 

視界が塞がれた。

 

「うおっ!?」

 

切島が腕を上げる。

 

その隙に、柳が横へ移動した。

 

だが。

 

「……そこか!」

 

切島は足音を聞いて身体を向け直した。

 

腕を下ろす。

 

柳が回り込もうとしていた方向へ、踏み込む。

 

「……!」

 

柳の目が僅かに見開かれた。

 

想定より、切島の反応が早い。

 

柳は後退しながら、最後の破片を飛ばした。

 

切島の脇腹へ当たる。

 

しかし、硬化した身体は揺るがなかった。

 

「悪いな!」

 

切島が手を伸ばした。

 

柳は身体を捻ったが、避けきれない。

 

腕を掴まれる。

 

「……っ!」

 

切島はそのまま力任せに投げなかった。

 

掴んだ腕を引き寄せ、もう片方の腕で逃げる方向を塞ぐ。

 

柳が身体を引く。

 

だが、切島の腕はびくともしない。

 

周囲の破片が浮き上がる。

 

切島の背中へ、いくつもの小石がぶつかった。

 

それでも、切島は離さなかった。

 

「……!」

 

柳は切島の顔を見た。

 

その表情は、真剣だった。

 

こちらを痛めつけるつもりはない。

 

だが、手を離すつもりもない。

 

足元へ視線を落とす。

 

踏ん張れる位置はある。

 

しかし、切島の身体が進路を塞いでいた。

 

ここからもう一度距離を取るには、まず腕を抜かなければならない。

 

柳は一度、肩に力を込めた。

 

掴まれた腕を引く。

 

それでも抜けなかった。

 

「……参った」

 

小さな声だった。

 

切島が目を瞬かせる。

 

「……え?」

 

「降参」

 

柳は静かに言い直した。

 

「そこまで捕まえられたら、私の負け」

 

切島は一瞬だけ驚いた顔をした。

 

それから、すぐに腕を離す。

 

「……そうか!」

 

ミッドナイトが二人へ近づいた。

 

「柳さん、降参ね?」

 

「はい」

 

「勝者、切島鋭児郎!」

 

『決着ゥゥゥ!! 切島、硬化した身体で遠距離攻撃を突破! 最後は柳の動きを封じて勝利だァァ!!』

 

歓声が上がる。

 

切島は拳を握った。

 

「っしゃあ!」

 

それから、柳へ向き直る。

 

「……悪いな。腕、痛くなかったか?」

 

「大丈夫」

 

柳は小さく首を振った。

 

「怪我はしてない」

 

「そっか! ならよかった!」

 

切島は嬉しそうに笑った。

 

柳はその顔を見て、僅かに口元を緩める。

 

「……硬すぎ」

 

「ははっ!」

 

切島が笑った。

 

「それが取り柄だからな!」

 

「知ってる」

 

柳は静かに答えた。

 

「でも、次はもう少し上手くやる」

 

「おう! 次もよろしくな!」

 

二人は軽く手を振り合い、リングを後にした。

 

◇

 

『続いて第七試合! 一年A組、芦戸三奈! 対するは同じくA組、峰田実ゥゥ!!』

 

「……げっ」

 

峰田が顔を引きつらせた。

 

「芦戸かよ……!」

 

「何よ、その顔!」

 

芦戸が腰に手を当てる。

 

「私が相手じゃ不満なわけ?」

 

「い、いや! そういうわけじゃねえけど!」

 

峰田は慌てて首を振った。

 

「お前の酸、怖えんだよ!」

 

「えー?」

 

芦戸がにやりと笑った。

 

「大丈夫大丈夫! ちゃんと加減するから!」

 

「その笑顔が一番信用できねえ!」

 

周囲から笑いが起こる。

 

「ほら、峰田!」

 

瀬呂が背中を叩いた。

 

「頑張れよ!」

 

「簡単に言うなよぉ!」

 

峰田は泣きそうな顔になった。

 

だが、競技場へ向かう途中で足を止める。

 

そして、小さく息を吐いた。

 

「……まあ」

 

頭に手をやる。

 

「やるしかねえよな」

 

そのまま、芦戸の後を追った。

 

◇

 

「第七試合――始め!」

 

合図と同時に、芦戸が走り出した。

 

「行っくよー!」

 

足元へ、薄く酸が広がる。

 

濃度を抑えた酸を滑走に利用し、芦戸は一気に速度を上げた。

 

「うわっ、速っ!?」

 

峰田が目を見開く。

 

慌てて頭から球体を一つ引き抜いた。

 

「くっそ!」

 

床へ投げる。

 

紫色の球が、コンクリートへ張りついた。

 

続けてもう一つ。

 

さらに別の方向へ。

 

芦戸の進行方向へ、次々と粘着球が置かれる。

 

「うわ、危なっ!」

 

芦戸は急いで進路を変えた。

 

あの球に触れれば、動きを止められる。

 

下手をすれば、そのまま捕まってしまうだろう。

 

「へへっ!」

 

峰田が笑った。

 

「そう簡単には近づかせねえぞ!」

 

芦戸は口元を緩めた。

 

「やるじゃん、峰田!」

 

「当たり前だろ!」

 

峰田はさらに球を投げた。

 

だが、ただ芦戸の足元を狙っているわけではなかった。

 

彼女が回り込みそうな場所。

 

次に踏み出しそうな方向。

 

そこへ先回りするように球を置いていく。

 

「……あれ?」

 

芦戸が眉を上げた。

 

右へ行けば、球。

 

左へ行っても、球。

 

進路を変えるたびに、使える場所が少しずつ狭くなる。

 

「……ちょっと!」

 

芦戸が笑いながら声を上げた。

 

「何これ、めちゃくちゃ邪魔!」

 

「それが狙いだっての!」

 

峰田は得意げに笑った。

 

「俺の個性、舐めんなよ!」

 

芦戸は一度足を止めた。

 

周囲を確認する。

 

粘着球が、あちこちへ散らばっている。

 

真正面から走れば、どこかで踏んでしまう。

 

ならば。

 

「……よーし」

 

芦戸は膝を曲げた。

 

足元へ、もう一度酸を分泌する。

 

今度は薄く、長く。

 

滑走するための道を作る。

 

「……っ!」

 

峰田が目を見開いた。

 

「おいおい、そっちから来んのかよ!」

 

芦戸は粘着球のない狭い場所へ身体を滑り込ませた。

 

姿勢を低く保ち、大きく弧を描く。

 

そのまま、峰田の横へ回り込んだ。

 

「……!」

 

峰田が振り向く。

 

「もらった!」

 

芦戸が手を伸ばす。

 

しかし。

 

「そうはいかねえ!」

 

峰田は足元の粘着球へ跳び乗った。

 

ぐんっ、と身体が跳ねる。

 

「……えっ!?」

 

芦戸の頭上を、小さな身体が飛び越えた。

 

峰田は反対側へ着地する。

 

「へへっ! 俺にはこれがあるんだよ!」

 

「うわー、ずるっ!」

 

芦戸が笑った。

 

「自分だけ跳ねるの、反則っぽい!」

 

「個性だから反則じゃねえよ!」

 

峰田はそのまま別の球へ跳び乗った。

 

弾む。

 

方向を変える。

 

芦戸が追いかけても、簡単には捕まらない。

 

その動きは、思っていたよりずっと素早かった。

 

「……ふーん」

 

芦戸が小さく呟く。

 

峰田が跳ぶ方向。

 

着地する位置。

 

そして、次に使おうとしている球。

 

何度か動きを見たあと、芦戸はにやりと笑った。

 

「……なるほどね!」

 

足元に酸を広げる。

 

地面を蹴り、滑走する。

 

峰田が跳んだ。

 

だが、芦戸はその後を追わなかった。

 

次の着地点へ、先回りしたのだ。

 

「……っ!?」

 

峰田が目を見開く。

 

今までは、跳んだあとで追いかけてきた。

 

だが、今回は違う。

 

芦戸は峰田の着地する場所へ、すでに回り込んでいた。

 

「……やべっ!」

 

峰田は空中で身体を捻った。

 

頭から球を引き抜き、芦戸へ投げる。

 

芦戸は身体を低くした。

 

球が頭上を飛んでいく。

 

「……っ!」

 

峰田が着地した。

 

だが、次の球へ跳ぶより早く、芦戸が踏み込んでいた。

 

「はい、捕まえた!」

 

「うわっ!?」

 

芦戸が峰田の体操服を掴む。

 

峰田は慌てて身体を捻った。

 

その瞬間、芦戸は足元の酸を利用して身体を滑らせる。

 

峰田が向きを変えた先へ回り込み、逃げる方向を塞いだ。

 

「ちょっ、待っ……!」

 

峰田はもう一度球を投げようとする。

 

だが、振り上げた腕を芦戸に押さえられた。

 

「はい、こっち!」

 

芦戸は力任せに投げつけるのではなく、峰田の身体を横へ押し出した。

 

その勢いで、峰田の足がリングの縁を越える。

 

「うわあああっ!!」

 

段差の下へ落ちた。

 

どうにか着地したものの、勢い余って尻餅をつく。

 

「峰田君、場外!」

 

ミッドナイトが宣言する。

 

「勝者、芦戸三奈!」

 

『決着ゥゥゥ!! 芦戸、峰田の粘着球を避けながら滑走! 最後は見事な接近戦で押し切ったァァ!!』

 

歓声が上がる。

 

芦戸は両手を上げた。

 

「やったーっ!」

 

そして、リングの縁から顔を覗かせる。

 

「峰田、大丈夫ー?」

 

「……大丈夫じゃねえよぉ……」

 

峰田が情けない声を上げた。

 

「何で最後だけあんな速えんだよ……!」

 

「へへっ。ちょっと慣れてきたからね!」

 

芦戸は笑った。

 

「でも、あの跳ねるやつ結構厄介だったよ!」

 

「……マジ?」

 

「マジマジ!」

 

峰田は少しだけ顔を上げた。

 

それから、小さく鼻を鳴らす。

 

「……まあ、俺だって考えてたしな」

 

「うん。そこは認める!」

 

芦戸が親指を立てた。

 

峰田は悔しそうに唇を尖らせたが、最後には笑った。

 

◇

 

『さあ、予備戦もいよいよ最後! 第八試合! 一年A組、蛙吹梅雨! 対するは一年B組、小森希乃子ォォ!!』

 

「あら」

 

蛙吹が静かに立ち上がった。

 

「私の番ね。ケロ」

 

「頑張れよ、蛙吹!」

 

切島が声をかける。

 

「ありがとう、切島ちゃん」

 

蛙吹は小さく頷いた。

 

一方、B組の観覧席では。

 

「おっ、呼ばれたノコ!」

 

小森がぴょこんと顔を上げた。

 

その反応に、拳藤が笑う。

 

「希乃子、気合い入ってるね」

 

「もちろん!」

 

小森は胸の前で拳を握った。

 

「せっかくの体育祭だもん。今日はキノコの晴れ舞台だノコ!」

 

「ははっ! そりゃ頼もしい」

 

拳藤は小森の背中を軽く叩いた。

 

「でも、蛙吹さんはかなり身軽だからね。簡単には捕まらないと思うよ」

 

「分かってるよ、一佳ちゃん!」

 

小森はにっこり笑った。

 

「ちゃんと考えてるもん!」

 

隣から、織姫も声をかけた。

 

「希乃子ちゃん、頑張ってね!」

 

「うん!」

 

小森は嬉しそうに手を振った。

 

「行ってきまーす!」

 

そのまま、競技場へ向かって駆け出していった。

 

◇

 

リングの中央。

 

蛙吹と小森が向かい合っていた。

 

蛙吹は静かに相手を見つめていた。

 

小森の個性は『キノコ』。

 

胞子を撒き、湿り気のある場所に様々なキノコを繁殖させる能力。

 

厄介なのは、生える場所を選べることだった。

 

地面だけではない。

 

相手の身体や衣服にまで、胞子が付着する可能性がある。

 

近づくにしても、迂闊に触れるのは危険だろう。

 

「よろしくね、小森ちゃん」

 

蛙吹が言った。

 

「うん! よろしく、蛙吹ちゃん!」

 

小森は両手を胸の前で握った。

 

その表情は明るい。

 

緊張している様子も、あまり見られなかった。

 

「第八試合――始め!」

 

合図と同時に、蛙吹が地面を蹴った。

 

高く跳び上がる。

 

そのまま、小森へ向かって一気に距離を詰めた。

 

「わっ、速い!」

 

小森が顔を上げる。

 

すぐに横へ移動しながら、両手を広げた。

 

「それじゃあ、さっそく!」

 

空気の中へ、細かな胞子が広がる。

 

「キノコまみれにしちゃいノコ!」

 

蛙吹は空中で身体を捻った。

 

胞子の濃い場所を避け、リングの端へ着地する。

 

だが、その足元を見て目を細めた。

 

体操靴の側面に、小さなキノコが生え始めていた。

 

「……!」

 

靴の表面に残っていた湿り気。

 

そこへ、胞子が付着したらしい。

 

蛙吹はすぐに足を動かし、床へ軽く擦りつけて払った。

 

その間に、小森が距離を取る。

 

「ふふっ」

 

小森が楽しそうに笑った。

 

「そっちにも、ひょっこりキノコ!」

 

蛙吹の視線が足元へ向く。

 

コンクリートの一角。

 

そこに、小さなキノコが顔を出していた。

 

補修されたばかりの床の湿り気が残る部分だった。

 

ただし、乾いた場所にはほとんど生えていない。

 

無条件に、どこへでも生やせるわけではないらしい。

 

「……なるほどね」

 

蛙吹が小さく呟いた。

 

小森はにっこり笑った。

 

「見つけちゃった?」

 

「ええ」

 

蛙吹は腰を落とした。

 

「でも、そこを踏まなければいいのよね」

 

地面を蹴る。

 

再び跳躍。

 

キノコの生えた場所を大きく飛び越える。

 

「おっと!」

 

小森が身体を引いた。

 

蛙吹は空中で舌を伸ばした。

 

長い舌が、小森へ向かって飛ぶ。

 

「……っ!」

 

小森は咄嗟に横へ動いた。

 

だが、完全には避けきれない。

 

舌が体操服の袖へ巻きついた。

 

「きゃっ!」

 

蛙吹が舌を引く。

 

小森の身体が、僅かに前へ引かれた。

 

その瞬間。

 

小森の表情が変わった。

 

「……あっ」

 

何かに気づいたように、目を瞬かせる。

 

そして、にっこり笑った。

 

「……なるほど!」

 

蛙吹の舌。

 

湿った表面。

 

そこに、細かな胞子が付着していく。

 

「……っ!」

 

蛙吹はすぐに異変に気づいた。

 

舌の一部に、小さなキノコが生え始めていた。

 

慌てて舌を引き戻す。

 

小森の袖から離す。

 

だが、その間にもキノコが増えていく。

 

「……ケロ」

 

蛙吹は地面へ着地した。

 

口元を押さえ、僅かに顔をしかめる。

 

舌を使うのは危険だった。

 

あれだけ湿った部分なら、胞子が付着すればすぐに繁殖してしまう。

 

小森は、少し離れた場所で笑っていた。

 

「蛙吹ちゃん、舌が長いんだねぇ」

 

「……ええ」

 

蛙吹は口元を拭いながら答えた。

 

「でも、あなたの個性とは相性が悪そうね」

 

「ふふっ。そうかも!」

 

小森は嬉しそうに頷いた。

 

その無邪気な笑顔とは裏腹に、撒かれた胞子は少しずつ広がっている。

 

蛙吹はもう一度、周囲を見渡した。

 

地面には、まだ乾いた場所が多い。

 

そこを選んで動けば、足元のキノコは避けられる。

 

問題は、空気中の胞子だった。

 

跳躍すれば、その中を通り抜けることになる。

 

衣服に付着すれば、そこからも繁殖する。

 

長引くほど不利になる。

 

「……だったら」

 

蛙吹は、姿勢を低くした。

 

一気に距離を詰める。

 

「……っ!」

 

小森が顔を上げた。

 

蛙吹は再び跳躍した。

 

ただし、今度は舌を使わない。

 

着地と同時に直接捕まえるつもりだった。

 

小森は横へ動く。

 

蛙吹はその方向へ身体を捻り、着地点を調整した。

 

足をつく。

 

すぐに踏み込む。

 

「……捕まえたわ」

 

蛙吹の手が、小森の腕へ伸びる。

 

しかし。

 

「……おっとっと!」

 

小森が身体を引いた。

 

その瞬間、蛙吹の足元へ胞子が集まる。

 

靴の側面。

 

そして、さっきから着地を繰り返していた場所。

 

湿り気の残った部分へ、小さなキノコが一気に生えた。

 

「……っ!」

 

蛙吹の足が滑った。

 

咄嗟に身体を捻り、転倒を避ける。

 

だが、踏み込みが止まった。

 

小森はその隙に距離を取った。

 

「ふふっ。惜しかったね!」

 

蛙吹が顔を上げる。

 

小森は、もう一度両手を広げていた。

 

「さあ、もう少し増やしちゃおう!」

 

胞子が舞う。

 

蛙吹はすぐに呼吸を浅くし、口元を袖で覆った。

 

そのまま横へ跳ぶ。

 

乾いた場所へ着地する。

 

だが、先ほどの接近で体操服にも胞子が付着していた。

 

汗の残る部分に、小さなキノコが顔を出し始める。

 

「……!」

 

蛙吹は咄嗟に払い落とした。

 

その間に、小森がまた距離を取る。

 

少しずつ。

 

確実に。

 

蛙吹が自由に動ける範囲が狭くなっていた。

 

◇

 

「……あれ、結構厄介だな」

 

A組の観覧席で、瀬呂が呟いた。

 

「近づこうとすると胞子がつくし、離れたら離れたでキノコ増えるし」

 

「蛙吹ちゃん、舌も使いにくそうだね」

 

麗日が心配そうに言った。

 

「そうね」

 

八百万が頷く。

 

「湿気のある場所ほど繁殖が早いのでしょう。蛙吹さんの能力とは、相性がよくありませんわ」

 

一護は黙って競技場を見つめていた。

 

小森は、ただ逃げているわけではない。

 

蛙吹がどこへ着地するか。

 

どの場所に胞子が付着しやすいか。

 

それを見ながら、移動している。

 

厄介な個性だ。

 

だが、それ以上に。

 

「……結構したたかだな、あいつ」

 

一護が小さく呟いた。

 

瀬呂が頷いた。

 

「だよな。見た目はあんなにおっとりしてんのに」

 

リングの上では、小森が楽しそうに笑っていた。

 

◇

 

蛙吹は、もう一度跳躍した。

 

今度はできるだけ高く。

 

胞子の濃い場所を避け、小森の背後へ回り込む。

 

「……っ!」

 

小森が振り向く。

 

蛙吹は着地すると同時に走り出した。

 

あと少し。

 

手が届く。

 

「……!」

 

小森は咄嗟に後退した。

 

しかし、蛙吹の方が速い。

 

伸ばした腕が、小森の肩を掴もうとする。

 

そのとき。

 

「……あっ」

 

小森が、小さく声を上げた。

 

蛙吹の足元。

 

着地したばかりの体操靴に、細かな胞子が付着していた。

 

そこへ、キノコが一斉に生え始める。

 

「……っ!」

 

靴底の周囲に増えたキノコが、踏み込みを邪魔した。

 

蛙吹の身体が僅かに傾く。

 

だが、すぐに立て直した。

 

そのまま、もう一歩。

 

小森へ手を伸ばす。

 

しかし、その腕にも小さなキノコが生え始めていた。

 

体操服の袖。

 

手首の周囲。

 

先ほどまでに付着した胞子が、湿り気を得て繁殖していたのだ。

 

「……!」

 

蛙吹は腕を引いた。

 

払い落とそうとする。

 

だが、その間に小森が距離を取る。

 

「……うーん」

 

小森が少しだけ首を傾げた。

 

「蛙吹ちゃん、ほんとにすばしっこいね」

 

蛙吹は答えなかった。

 

もう一度、足元を確かめる。

 

着地する場所はある。

 

だが、動けば胞子が付着する。

 

近づけば繁殖する。

 

腕や舌を使えば、さらに広がってしまう。

 

無理やり突破することも、不可能ではないかもしれない。

 

けれど、その先で小森を確実に捕まえられる保証はなかった。

 

蛙吹は、小森を見つめた。

 

「……小森ちゃん」

 

「ん?」

 

「一つ聞いてもいいかしら」

 

「うん!」

 

「このキノコ、しばらくしたら消えるのよね?」

 

「もちろん!」

 

小森は明るく頷いた。

 

「時間が経てば、ちゃんとなくなるよ!」

 

「……そう」

 

蛙吹は小さく息を吐いた。

 

そして、片手を上げた。

 

「降参するわ」

 

小森が目を丸くした。

 

「……えっ?」

 

「今のまま続けても、あなたに近づくのは難しいもの」

 

蛙吹は落ち着いた声で言った。

 

「それに、これ以上胞子を吸い込むのも危険だわ」

 

小森は一瞬だけ口を閉じた。

 

それから、ゆっくり頷いた。

 

「……そっか」

 

ミッドナイトが二人へ近づく。

 

「蛙吹さん、降参でいいのね?」

 

「はい」

 

「勝者、小森希乃子!」

 

『決着ゥゥゥ!! 小森、キノコの繁殖で蛙吹の行動を制限! 見事な試合運びで勝利を収めたァァ!!』

 

歓声が上がった。

 

 小森は一瞬だけぽかんとしていた。

 

 それから、ぱっと笑顔になる。

 

「やった! 勝ったノコーっ!」

 

 両手を突き上げる小森を見て、蛙吹は小さく笑った。

 

「おめでとう、小森ちゃん」

 

「ありがと、蛙吹ちゃん!」

 

 小森は嬉しそうに答えた。

 

 それから、蛙吹の腕に残っているキノコへ視線を向ける。

 

「あ、でも……いっぱい生やしちゃってごめんね」

 

「いいのよ。それが小森ちゃんの個性なんだもの」

 

 蛙吹は首を振った。

 

「でも、次は簡単に生やさせないわ。ケロ」

 

「ふふっ。じゃあ、次もいっぱい生やしちゃおうかな!」

 

「それは困るわね」

 

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

 そのとき、蛙吹がふと思い出したように口を開く。

 

「それと、小森ちゃん」

 

「ん?」

 

「私のことは梅雨ちゃんって呼んで」

 

 小森はぱちぱちと瞬きをした。

 

 それから、にっこり笑う。

 

「うん! じゃあ、また戦おうね、梅雨ちゃん!」

 

「ええ。次は負けないわ」

 

 二人は手を振り合い、それぞれの退場口へ向かった。

◇

 

「希乃子ーっ!」

 

B組の観覧席で、拳藤が大きく手を振った。

 

「やったじゃん!」

 

小森も嬉しそうに振り返す。

 

席へ戻ると、拳藤が右手を上げた。

 

「おめでとう!」

 

「ありがとー!」

 

ぱんっ!

 

二人の手が、小気味よい音を立てて重なった。

 

「いやー、最後までよく粘ったね」

 

拳藤が笑う。

 

「蛙吹さん、あれだけ跳べるのに、なかなか近づけなかったもん」

 

「ふふん!」

 

小森は胸を張った。

 

「キノコだって、ちゃんと考えて生えてるのです!」

 

「いや、それはどうだろうね」

 

拳藤が笑った。

 

その隣で、織姫も手を叩いていた。

 

「希乃子ちゃん、おめでとう!」

 

「ありがと、織姫ちゃん!」

 

小森は嬉しそうに答えた。

 

「でも、梅雨ちゃんすっごく速かったよ。最後の方、ちょっと危なかったもん」

 

「うん。あと少しで捕まっちゃいそうだったね」

 

織姫が頷く。

 

「でも、希乃子ちゃん、ちゃんと見てたもんね」

 

「えへへ」

 

小森は照れくさそうに笑った。

 

隣では、柳も静かに拍手していた。

 

「希乃子、おめでとう」

 

「ありがと、レイコちゃん!」

 

柳は小さく頷いた。

 

「……いい試合だった」

 

小森は嬉しそうに笑う。

 

拳藤はその様子を見ながら、ふっと息を吐いた。

 

「……さて」

 

モニターへ視線を向ける。

 

「これで予備戦も終わりだね」

 

織姫も、同じ方向を見た。

 

「……うん」

 

予備戦を勝ち抜いた者。

 

敗れた者。

 

それぞれに、次の戦いが待っている。

 

もちろん、負けた者の体育祭がここで全て終わるわけではない。

 

それでも、個人戦の舞台へ立てる人数は限られている。

 

拳藤は、改めてリングを見つめた。

 

「ここからが本番だね」

 

小森が両手を握る。

 

「次も頑張るノコ!」

 

織姫は、二人の顔を見て笑った。

 

「うん。あたしも!」

 

そして、そっと髪留めに触れた。

 

次は本戦。

 

今まで以上に強い相手と戦うことになるだろう。

 

でも、不安ばかりではなかった。

 

どんな相手と戦うことになるのか。

 

少しだけ、楽しみだった。

 

◇

 

『さあああああ!!』

 

プレゼント・マイクの声が、競技場全体へ響き渡った。

 

『これにて予備戦、全試合終了ォォ!!』

 

観客席から、大きな拍手が起こる。

 

『激しい戦いを勝ち抜いた八名が決定! ここからは、シードの八名を加えた本戦トーナメントへ突入するぜェ!!』

 

巨大モニターへ、選手たちの名前が映し出された。

 

予備戦を勝ち抜いた八人。

 

緑谷出久。

 

黒崎一護。

 

井上織姫。

 

麗日お茶子。

 

飯田天哉。

 

切島鋭児郎。

 

芦戸三奈。

 

小森希乃子。

 

そして、シードとして待っていた八人の名前が、続いて表示された。

 

轟焦凍。

 

爆豪勝己。

 

八百万百。

 

常闇踏陰。

 

発目明。

 

拳藤一佳。

 

鉄哲徹鐵。

 

塩崎茨。

 

合計十六人。

 

ここから先は、敗北すれば終わり。

 

誰もが、同じ条件で頂点を目指す。

 

「……いよいよか」

 

選手用観覧席で、一護が小さく呟いた。

 

隣では、緑谷がモニターを食い入るように見つめている。

 

爆豪は腕を組んだまま、険しい顔をしていた。

 

轟は黙って画面を見上げている。

 

それぞれが、何かを考えていた。

 

一護もまた、モニターへ視線を戻した。

 

ここまでは予備戦。

 

これから先は、さらに強い相手が待っている。

 

それが、楽しみでもあった。

 

「……さて」

 

一護は小さく息を吐いた。

 

「次は誰だ?」

 

競技場の中央で、ミッドナイトが本戦の準備を進めていた。

 

巨大モニターに、トーナメント表の枠が一つずつ現れ始める。

 

観客たちのざわめきが、次第に大きくなっていった。

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