補修を終えたコンクリートのリングに、二人の少年が向かい合っていた。
飯田天哉と、障子目蔵。
同じ一年A組に所属し、日頃から互いの個性を知る間柄だ。
だからといって、戦いやすい相手とは限らない。
「障子君!」
飯田が眼鏡の位置を正した。
「よろしく頼む!」
「ああ。こちらこそ」
障子は短く答え、複製腕を広げた。
左右へ伸びた腕の先に、目と耳が形作られる。
その様子を見て、飯田は僅かに姿勢を低くした。
個性『複製腕』。
複数の腕を生み出し、その先端に手や感覚器官を複製できる。
正面から攻撃しても、別の腕で迎撃される。
背後へ回り込んだとしても、簡単には隙を見せてくれないだろう。
一方、障子も飯田の脚を見ていた。
ふくらはぎに備わったエンジン。
そこから生み出される加速は、並の人間の反応速度を遥かに上回る。
動きを捉えられたとしても、身体が追いつかなければ意味がない。
「第五試合――始め!」
ミッドナイトの合図と同時に、飯田が地面を蹴った。
ふくらはぎから排気音が響く。
「――っ!」
障子は真正面から迎え撃たなかった。
身体を僅かに横へ開き、複製腕を広げる。
飯田の進路へ、二本の腕が伸びた。
狙いは捕獲。
しかし、飯田は接触する直前に足を踏み替えた。
進路を斜めへずらす。
伸びた腕の脇を抜け、障子の側面へ回り込んだ。
「……!」
そこで、障子の別の腕が動いた。
飯田の肩へ、横から手が伸びる。
「くっ!」
飯田が咄嗟に身体を引いた。
指先が体操服を掠める。
そのまま距離を取り直した。
『おおっと! 飯田の初速! しかし障子も即座に対応! なかなか懐へ入らせないぞォ!』
飯田は足を止めず、障子の周囲を移動した。
右へ。
左へ。
一度踏み込み、すぐに離れる。
障子もそれに合わせて身体を向ける。
だが、無闇には追いかけない。
腕の先に作った感覚器官で、飯田の位置を確かめている。
速度で勝とうとはしていなかった。
相手が近づいてきたところを捕まえる。
そのために、必要な範囲だけ動く。
「……なるほど」
飯田が小さく息を吐いた。
速く動くだけで勝てる相手ではない。
障子の反応を振り切っても、別の腕で進路を塞がれてしまう。
ならば。
「もう一度行くぞ!」
飯田が踏み込んだ。
障子は腰を落とし、腕を大きく広げる。
今度は最初から、飯田を包み込むような構えだった。
飯田が蹴りを放つ。
障子は二本の腕を重ねて受け止めた。
鈍い衝撃。
「……っ!」
障子の足が床を擦った。
それでも、押し負けない。
別の腕が伸び、飯田の蹴り足を掴もうとする。
「むっ!」
飯田は素早く脚を引き、後方へ跳んだ。
障子の指が空を切る。
そのまま、二人の距離が開いた。
「やはり、容易ではないな!」
飯田が眼鏡を押し上げる。
「そちらもな」
障子は静かに答えた。
「蹴りの威力が高い。何度も受け続けるわけにはいかない」
「それはこちらも同じだ!」
飯田は拳を握った。
「君の腕に捕まれば、抜け出すのは難しいだろう!」
障子は小さく頷いた。
互いに、相手の強みを理解している。
だからこそ、次の一手が重要だった。
◇
「障子、結構やるな」
選手用観覧席で瀬呂範太が感心したように言った。
「飯田の攻撃、何回も止めてるじゃん」
「あの腕が厄介なんだよな」
切島鋭児郎が頷いた。
「一回避けても別の腕が来るだろ?」
「そうね」
蛙吹梅雨がリングを見つめた。
「障子ちゃん、あまり動いていないわ。飯田ちゃんが来るのを待ってる。ケロ」
「下手に追いかけたら、逆に振り切られるだろうしな」
尾白猿夫が言った。
その隣で、一護も頷く。
「……ああ」
障子の戦い方は、理にかなっていた。
騎馬戦で一緒に戦ったときも、あの索敵能力には何度も助けられた。
目の前の相手だけを見る必要がない。
複数の方向から動きを捉えられる。
だが、それで何もかも防げるわけでもない。
障子自身の身体は、一つしかないのだから。
一護は、再びリングへ視線を戻した。
◇
飯田が踏み込んだ。
障子の腕が伸びる。
しかし、飯田は途中で急減速した。
「……!」
伸ばした腕が届かない。
その隙に反対側へ踏み込む。
だが、障子もすぐに別の腕を向けた。
飯田が蹴る。
障子が受け止める。
重い衝突音。
その直後、障子の腕が足元から伸びた。
「……っ!」
飯田は咄嗟に距離を取ろうとする。
しかし、今度は障子の方が早かった。
伸ばしていた腕を引かず、そのまま飯田の退路へ回す。
戻ろうとした方向が塞がれた。
「……捕まえた」
障子の手が飯田の体操服を掴む。
「くっ!」
飯田は身体を捻った。
だが、別の腕が迫ってくる。
このままでは完全に拘束される。
飯田は咄嗟に脚を振り上げた。
障子の肩を狙った蹴り。
障子は腕で受け止める。
その瞬間、飯田は蹴りの反動を利用して身体を回した。
掴まれた体操服が引っ張られる。
障子の握りが僅かに緩んだ。
飯田はそこへ力を集中させ、どうにか間合いを外した。
「……っ、はあ!」
離れた場所で息を整える。
障子も深追いしなかった。
今の攻防で、互いに分かったことがある。
障子は、飯田の急減速に対応し始めている。
飯田は、これ以上同じ戦い方を続ければ捕まる。
そして障子も、次の接近で確実に捕らえられるとは思っていなかった。
両者ともに、決定打が必要だった。
「……障子君」
飯田が姿勢を低くした。
「次で決めさせてもらう!」
「……ああ」
障子は複製腕を広げる。
「来い」
飯田のふくらはぎから、先ほどまでとは違う甲高い音が響いた。
障子の目が僅かに細くなる。
騎馬戦でも見た、あの加速。
だが、障子は退かなかった。
腕を前後へ広げ、迎撃の姿勢を取る。
飯田もまた、正面の障子を見据えた。
この技を使える時間は短い。
しかも、使い終えればエンジンが止まる。
だからこそ、ここで決めなければならない。
「レシプロ――バースト!!」
爆発的な排気音が響いた。
飯田の身体が、一気に加速する。
「……っ!」
障子は感覚器官で、その接近を捉えた。
正面。
真っ直ぐ来る。
複製腕を重ね、迎え撃つ。
だが、飯田は接触する寸前、僅かに進路をずらした。
障子の正面を外す。
完全な急旋回ではない。
加速する前から狙っていた、斜めの進路。
飯田は障子の外側へ抜けると、すぐに足をつき、身体の向きを変えた。
「……!」
障子が腕を伸ばす。
飯田の肩へ、指先が迫った。
しかし、届かない。
飯田はすでに、次の一歩を踏み出していた。
距離が開く。
障子は追いかけず、すぐに身体を向け直した。
だが、その瞬間、飯田が再び迫った。
今度は側面。
障子は複製腕を向ける。
飯田の蹴りが放たれた。
障子は腕を重ねて受け止める。
「ぐっ……!」
衝撃で身体が横へ流れた。
だが、倒れない。
障子は足を踏ん張り、別の腕で飯田の脚を掴もうとした。
その指先が、僅かに届く。
「……っ!」
飯田は着地すると同時に、もう一度地面を蹴った。
障子が足を踏み替える。
そこは、リングの縁に近かった。
最初の蹴りで押し込まれた分、踏ん張れる場所が狭い。
障子はそれでも腕を広げ、正面から飯田を受け止めようとした。
だが、飯田は止まらなかった。
「――はあっ!!」
全身の勢いを乗せた蹴り。
障子の複製腕が衝撃を受け止める。
それでも、身体が大きく押し出された。
「……っ!」
障子はリングの縁へ手を伸ばした。
コンクリートの角を掴もうとする。
だが、重心がすでに外へ出ていた。
指先が縁を掠める。
そして。
障子の身体が、段差の下へ落ちた。
複製腕を広げ、着地の姿勢を整える。
両足が地面についた。
「障子君、場外!」
ミッドナイトが腕を振り上げる。
「勝者、飯田天哉!」
『決着ゥゥゥ!! 飯田、レシプロバーストによる超加速で障子の防御を突破ァ!!』
歓声が上がった。
だが、リングの上で飯田は拳を上げなかった。
「……っ!」
ふくらはぎから短い排気音が漏れた。
そして、止まる。
飯田の脚から力が抜けた。
「むっ……!」
咄嗟に膝をつく。
エンジンが止まっていた。
レシプロバーストの反動。
無理に出力を引き上げた代償として、しばらく個性が使えなくなる。
「……ふう」
飯田は大きく息を吐いた。
あと少し決着が遅れていたら、危なかった。
リングの下から、障子が声をかける。
「飯田」
「……障子君!」
「いい加速だった」
障子は静かに言った。
「最後は、腕を伸ばしても追いつかなかった」
「いや、君の防御も見事だった!」
飯田は膝をついたまま、顔を上げた。
「僕も、あの速度を使わなければ抜けなかっただろう!」
障子は小さく頷いた。
「次は、対応できるようにしておく」
「ああ!」
飯田は力強く頷く。
「僕も、もっと速くなってみせる!」
障子はその言葉を聞いて、僅かに目を細めた。
それから、退場口へ向かった。
飯田もエンジンが回復するまで少し待ち、自分の足でリングを降りた。
◇
『さあ、続いて第六試合! 一年A組、切島鋭児郎! 対するは一年B組、柳レイ子ォォ!!』
「っしゃあ!」
切島が勢いよく立ち上がった。
「ようやく俺の番か!」
「頑張れよ!」
瀬呂が手を上げる。
「おう!」
切島は拳を合わせた。
その一方、B組の観覧席では、柳が静かに立ち上がっていた。
「レイコ、頑張って!」
拳藤一佳が声をかける。
「うん。行ってくる」
柳は小さく頷いた。
隣から、小森希乃子が身を乗り出す。
「レイコちゃん、ファイトだノコ!」
「ありがとう、希乃子」
織姫も笑顔で手を振った。
「応援してるね!」
「うん」
柳は短く答え、競技場へ向かった。
◇
リングの中央。
切島と柳が向かい合っていた。
「よろしくな!」
「よろしく」
柳は落ち着いた声で答えた。
切島は軽く腕を回す。
柳の個性は『ポルターガイスト』。
物体を浮かせ、自在に動かすことができる。
攻撃範囲が広い。
近づくまでが大変そうだった。
「第六試合――始め!」
切島が地面を蹴る。
「行くぜ!」
全身が硬化した。
皮膚が鋭く変化し、硬い鎧のようになる。
柳は慌てなかった。
その場から横へ動き、切島の進路を外れる。
切島が拳を振り抜いた。
だが、柳には届かない。
拳がコンクリートの床を掠め、細かな破片が散った。
その破片が、ふわりと浮き上がる。
「……お?」
切島が顔を上げた。
浮き上がった破片が、彼の周囲へ集まっていく。
柳は片手を上げた。
「……行って」
小石が一斉に飛んだ。
切島は両腕を交差させた。
硬化した身体へ、破片が次々と当たる。
鋭い音が響いた。
だが、皮膚には傷一つつかない。
「へへっ!」
切島が笑った。
「そのくらいじゃ効かねえぜ!」
「そうみたいね」
柳は静かに答えた。
そのまま、破片をもう一度浮かせる。
今度は正面へ集めなかった。
切島の横。
そして、足元。
別々の方向から飛ばす。
「……っ!」
切島が踏み込んだ瞬間、足元へ破片が転がった。
咄嗟に歩幅を変える。
その隙に、柳が距離を取った。
切島はすぐに追いかけようとしたが、背後から再び小石が飛んできた。
「……おっと!」
硬化した背中へ当たる。
痛みはない。
しかし、足を止められる。
柳はその間にも距離を保っていた。
「……なるほどな」
切島が呟く。
正面から倒そうとしているわけではない。
小石で進路を邪魔し、近づかせないつもりなのだ。
柳は片手を軽く動かした。
床に落ちていた破片が再び浮き上がる。
「硬い相手は、ちょっと困る」
静かな声だった。
「でも、動けなければ同じよね」
切島は一瞬だけ目を丸くした。
それから、にっと笑った。
「……言ってくれるじゃねえか!」
拳を握り直す。
「なら、止められるもんなら止めてみろ!」
切島が走り出した。
先ほどより、歩幅が小さい。
破片の位置を見ながら、踏み込む場所を選んでいる。
柳はすぐに小石を動かした。
だが、切島は足元へ転がってきた破片を踏み越えた。
正面から飛んでくるものは、硬化した腕で受け止める。
肩へ当たっても止まらない。
「……!」
柳が一歩後退した。
距離が縮まる。
切島は止まらなかった。
そのまま、柳の目の前へ迫る。
「……っ!」
柳が手を動かした。
浮いていた破片が、一斉に切島の顔の前へ集まる。
視界が塞がれた。
「うおっ!?」
切島が腕を上げる。
その隙に、柳が横へ移動した。
だが。
「……そこか!」
切島は足音を聞いて身体を向け直した。
腕を下ろす。
柳が回り込もうとしていた方向へ、踏み込む。
「……!」
柳の目が僅かに見開かれた。
想定より、切島の反応が早い。
柳は後退しながら、最後の破片を飛ばした。
切島の脇腹へ当たる。
しかし、硬化した身体は揺るがなかった。
「悪いな!」
切島が手を伸ばした。
柳は身体を捻ったが、避けきれない。
腕を掴まれる。
「……っ!」
切島はそのまま力任せに投げなかった。
掴んだ腕を引き寄せ、もう片方の腕で逃げる方向を塞ぐ。
柳が身体を引く。
だが、切島の腕はびくともしない。
周囲の破片が浮き上がる。
切島の背中へ、いくつもの小石がぶつかった。
それでも、切島は離さなかった。
「……!」
柳は切島の顔を見た。
その表情は、真剣だった。
こちらを痛めつけるつもりはない。
だが、手を離すつもりもない。
足元へ視線を落とす。
踏ん張れる位置はある。
しかし、切島の身体が進路を塞いでいた。
ここからもう一度距離を取るには、まず腕を抜かなければならない。
柳は一度、肩に力を込めた。
掴まれた腕を引く。
それでも抜けなかった。
「……参った」
小さな声だった。
切島が目を瞬かせる。
「……え?」
「降参」
柳は静かに言い直した。
「そこまで捕まえられたら、私の負け」
切島は一瞬だけ驚いた顔をした。
それから、すぐに腕を離す。
「……そうか!」
ミッドナイトが二人へ近づいた。
「柳さん、降参ね?」
「はい」
「勝者、切島鋭児郎!」
『決着ゥゥゥ!! 切島、硬化した身体で遠距離攻撃を突破! 最後は柳の動きを封じて勝利だァァ!!』
歓声が上がる。
切島は拳を握った。
「っしゃあ!」
それから、柳へ向き直る。
「……悪いな。腕、痛くなかったか?」
「大丈夫」
柳は小さく首を振った。
「怪我はしてない」
「そっか! ならよかった!」
切島は嬉しそうに笑った。
柳はその顔を見て、僅かに口元を緩める。
「……硬すぎ」
「ははっ!」
切島が笑った。
「それが取り柄だからな!」
「知ってる」
柳は静かに答えた。
「でも、次はもう少し上手くやる」
「おう! 次もよろしくな!」
二人は軽く手を振り合い、リングを後にした。
◇
『続いて第七試合! 一年A組、芦戸三奈! 対するは同じくA組、峰田実ゥゥ!!』
「……げっ」
峰田が顔を引きつらせた。
「芦戸かよ……!」
「何よ、その顔!」
芦戸が腰に手を当てる。
「私が相手じゃ不満なわけ?」
「い、いや! そういうわけじゃねえけど!」
峰田は慌てて首を振った。
「お前の酸、怖えんだよ!」
「えー?」
芦戸がにやりと笑った。
「大丈夫大丈夫! ちゃんと加減するから!」
「その笑顔が一番信用できねえ!」
周囲から笑いが起こる。
「ほら、峰田!」
瀬呂が背中を叩いた。
「頑張れよ!」
「簡単に言うなよぉ!」
峰田は泣きそうな顔になった。
だが、競技場へ向かう途中で足を止める。
そして、小さく息を吐いた。
「……まあ」
頭に手をやる。
「やるしかねえよな」
そのまま、芦戸の後を追った。
◇
「第七試合――始め!」
合図と同時に、芦戸が走り出した。
「行っくよー!」
足元へ、薄く酸が広がる。
濃度を抑えた酸を滑走に利用し、芦戸は一気に速度を上げた。
「うわっ、速っ!?」
峰田が目を見開く。
慌てて頭から球体を一つ引き抜いた。
「くっそ!」
床へ投げる。
紫色の球が、コンクリートへ張りついた。
続けてもう一つ。
さらに別の方向へ。
芦戸の進行方向へ、次々と粘着球が置かれる。
「うわ、危なっ!」
芦戸は急いで進路を変えた。
あの球に触れれば、動きを止められる。
下手をすれば、そのまま捕まってしまうだろう。
「へへっ!」
峰田が笑った。
「そう簡単には近づかせねえぞ!」
芦戸は口元を緩めた。
「やるじゃん、峰田!」
「当たり前だろ!」
峰田はさらに球を投げた。
だが、ただ芦戸の足元を狙っているわけではなかった。
彼女が回り込みそうな場所。
次に踏み出しそうな方向。
そこへ先回りするように球を置いていく。
「……あれ?」
芦戸が眉を上げた。
右へ行けば、球。
左へ行っても、球。
進路を変えるたびに、使える場所が少しずつ狭くなる。
「……ちょっと!」
芦戸が笑いながら声を上げた。
「何これ、めちゃくちゃ邪魔!」
「それが狙いだっての!」
峰田は得意げに笑った。
「俺の個性、舐めんなよ!」
芦戸は一度足を止めた。
周囲を確認する。
粘着球が、あちこちへ散らばっている。
真正面から走れば、どこかで踏んでしまう。
ならば。
「……よーし」
芦戸は膝を曲げた。
足元へ、もう一度酸を分泌する。
今度は薄く、長く。
滑走するための道を作る。
「……っ!」
峰田が目を見開いた。
「おいおい、そっちから来んのかよ!」
芦戸は粘着球のない狭い場所へ身体を滑り込ませた。
姿勢を低く保ち、大きく弧を描く。
そのまま、峰田の横へ回り込んだ。
「……!」
峰田が振り向く。
「もらった!」
芦戸が手を伸ばす。
しかし。
「そうはいかねえ!」
峰田は足元の粘着球へ跳び乗った。
ぐんっ、と身体が跳ねる。
「……えっ!?」
芦戸の頭上を、小さな身体が飛び越えた。
峰田は反対側へ着地する。
「へへっ! 俺にはこれがあるんだよ!」
「うわー、ずるっ!」
芦戸が笑った。
「自分だけ跳ねるの、反則っぽい!」
「個性だから反則じゃねえよ!」
峰田はそのまま別の球へ跳び乗った。
弾む。
方向を変える。
芦戸が追いかけても、簡単には捕まらない。
その動きは、思っていたよりずっと素早かった。
「……ふーん」
芦戸が小さく呟く。
峰田が跳ぶ方向。
着地する位置。
そして、次に使おうとしている球。
何度か動きを見たあと、芦戸はにやりと笑った。
「……なるほどね!」
足元に酸を広げる。
地面を蹴り、滑走する。
峰田が跳んだ。
だが、芦戸はその後を追わなかった。
次の着地点へ、先回りしたのだ。
「……っ!?」
峰田が目を見開く。
今までは、跳んだあとで追いかけてきた。
だが、今回は違う。
芦戸は峰田の着地する場所へ、すでに回り込んでいた。
「……やべっ!」
峰田は空中で身体を捻った。
頭から球を引き抜き、芦戸へ投げる。
芦戸は身体を低くした。
球が頭上を飛んでいく。
「……っ!」
峰田が着地した。
だが、次の球へ跳ぶより早く、芦戸が踏み込んでいた。
「はい、捕まえた!」
「うわっ!?」
芦戸が峰田の体操服を掴む。
峰田は慌てて身体を捻った。
その瞬間、芦戸は足元の酸を利用して身体を滑らせる。
峰田が向きを変えた先へ回り込み、逃げる方向を塞いだ。
「ちょっ、待っ……!」
峰田はもう一度球を投げようとする。
だが、振り上げた腕を芦戸に押さえられた。
「はい、こっち!」
芦戸は力任せに投げつけるのではなく、峰田の身体を横へ押し出した。
その勢いで、峰田の足がリングの縁を越える。
「うわあああっ!!」
段差の下へ落ちた。
どうにか着地したものの、勢い余って尻餅をつく。
「峰田君、場外!」
ミッドナイトが宣言する。
「勝者、芦戸三奈!」
『決着ゥゥゥ!! 芦戸、峰田の粘着球を避けながら滑走! 最後は見事な接近戦で押し切ったァァ!!』
歓声が上がる。
芦戸は両手を上げた。
「やったーっ!」
そして、リングの縁から顔を覗かせる。
「峰田、大丈夫ー?」
「……大丈夫じゃねえよぉ……」
峰田が情けない声を上げた。
「何で最後だけあんな速えんだよ……!」
「へへっ。ちょっと慣れてきたからね!」
芦戸は笑った。
「でも、あの跳ねるやつ結構厄介だったよ!」
「……マジ?」
「マジマジ!」
峰田は少しだけ顔を上げた。
それから、小さく鼻を鳴らす。
「……まあ、俺だって考えてたしな」
「うん。そこは認める!」
芦戸が親指を立てた。
峰田は悔しそうに唇を尖らせたが、最後には笑った。
◇
『さあ、予備戦もいよいよ最後! 第八試合! 一年A組、蛙吹梅雨! 対するは一年B組、小森希乃子ォォ!!』
「あら」
蛙吹が静かに立ち上がった。
「私の番ね。ケロ」
「頑張れよ、蛙吹!」
切島が声をかける。
「ありがとう、切島ちゃん」
蛙吹は小さく頷いた。
一方、B組の観覧席では。
「おっ、呼ばれたノコ!」
小森がぴょこんと顔を上げた。
その反応に、拳藤が笑う。
「希乃子、気合い入ってるね」
「もちろん!」
小森は胸の前で拳を握った。
「せっかくの体育祭だもん。今日はキノコの晴れ舞台だノコ!」
「ははっ! そりゃ頼もしい」
拳藤は小森の背中を軽く叩いた。
「でも、蛙吹さんはかなり身軽だからね。簡単には捕まらないと思うよ」
「分かってるよ、一佳ちゃん!」
小森はにっこり笑った。
「ちゃんと考えてるもん!」
隣から、織姫も声をかけた。
「希乃子ちゃん、頑張ってね!」
「うん!」
小森は嬉しそうに手を振った。
「行ってきまーす!」
そのまま、競技場へ向かって駆け出していった。
◇
リングの中央。
蛙吹と小森が向かい合っていた。
蛙吹は静かに相手を見つめていた。
小森の個性は『キノコ』。
胞子を撒き、湿り気のある場所に様々なキノコを繁殖させる能力。
厄介なのは、生える場所を選べることだった。
地面だけではない。
相手の身体や衣服にまで、胞子が付着する可能性がある。
近づくにしても、迂闊に触れるのは危険だろう。
「よろしくね、小森ちゃん」
蛙吹が言った。
「うん! よろしく、蛙吹ちゃん!」
小森は両手を胸の前で握った。
その表情は明るい。
緊張している様子も、あまり見られなかった。
「第八試合――始め!」
合図と同時に、蛙吹が地面を蹴った。
高く跳び上がる。
そのまま、小森へ向かって一気に距離を詰めた。
「わっ、速い!」
小森が顔を上げる。
すぐに横へ移動しながら、両手を広げた。
「それじゃあ、さっそく!」
空気の中へ、細かな胞子が広がる。
「キノコまみれにしちゃいノコ!」
蛙吹は空中で身体を捻った。
胞子の濃い場所を避け、リングの端へ着地する。
だが、その足元を見て目を細めた。
体操靴の側面に、小さなキノコが生え始めていた。
「……!」
靴の表面に残っていた湿り気。
そこへ、胞子が付着したらしい。
蛙吹はすぐに足を動かし、床へ軽く擦りつけて払った。
その間に、小森が距離を取る。
「ふふっ」
小森が楽しそうに笑った。
「そっちにも、ひょっこりキノコ!」
蛙吹の視線が足元へ向く。
コンクリートの一角。
そこに、小さなキノコが顔を出していた。
補修されたばかりの床の湿り気が残る部分だった。
ただし、乾いた場所にはほとんど生えていない。
無条件に、どこへでも生やせるわけではないらしい。
「……なるほどね」
蛙吹が小さく呟いた。
小森はにっこり笑った。
「見つけちゃった?」
「ええ」
蛙吹は腰を落とした。
「でも、そこを踏まなければいいのよね」
地面を蹴る。
再び跳躍。
キノコの生えた場所を大きく飛び越える。
「おっと!」
小森が身体を引いた。
蛙吹は空中で舌を伸ばした。
長い舌が、小森へ向かって飛ぶ。
「……っ!」
小森は咄嗟に横へ動いた。
だが、完全には避けきれない。
舌が体操服の袖へ巻きついた。
「きゃっ!」
蛙吹が舌を引く。
小森の身体が、僅かに前へ引かれた。
その瞬間。
小森の表情が変わった。
「……あっ」
何かに気づいたように、目を瞬かせる。
そして、にっこり笑った。
「……なるほど!」
蛙吹の舌。
湿った表面。
そこに、細かな胞子が付着していく。
「……っ!」
蛙吹はすぐに異変に気づいた。
舌の一部に、小さなキノコが生え始めていた。
慌てて舌を引き戻す。
小森の袖から離す。
だが、その間にもキノコが増えていく。
「……ケロ」
蛙吹は地面へ着地した。
口元を押さえ、僅かに顔をしかめる。
舌を使うのは危険だった。
あれだけ湿った部分なら、胞子が付着すればすぐに繁殖してしまう。
小森は、少し離れた場所で笑っていた。
「蛙吹ちゃん、舌が長いんだねぇ」
「……ええ」
蛙吹は口元を拭いながら答えた。
「でも、あなたの個性とは相性が悪そうね」
「ふふっ。そうかも!」
小森は嬉しそうに頷いた。
その無邪気な笑顔とは裏腹に、撒かれた胞子は少しずつ広がっている。
蛙吹はもう一度、周囲を見渡した。
地面には、まだ乾いた場所が多い。
そこを選んで動けば、足元のキノコは避けられる。
問題は、空気中の胞子だった。
跳躍すれば、その中を通り抜けることになる。
衣服に付着すれば、そこからも繁殖する。
長引くほど不利になる。
「……だったら」
蛙吹は、姿勢を低くした。
一気に距離を詰める。
「……っ!」
小森が顔を上げた。
蛙吹は再び跳躍した。
ただし、今度は舌を使わない。
着地と同時に直接捕まえるつもりだった。
小森は横へ動く。
蛙吹はその方向へ身体を捻り、着地点を調整した。
足をつく。
すぐに踏み込む。
「……捕まえたわ」
蛙吹の手が、小森の腕へ伸びる。
しかし。
「……おっとっと!」
小森が身体を引いた。
その瞬間、蛙吹の足元へ胞子が集まる。
靴の側面。
そして、さっきから着地を繰り返していた場所。
湿り気の残った部分へ、小さなキノコが一気に生えた。
「……っ!」
蛙吹の足が滑った。
咄嗟に身体を捻り、転倒を避ける。
だが、踏み込みが止まった。
小森はその隙に距離を取った。
「ふふっ。惜しかったね!」
蛙吹が顔を上げる。
小森は、もう一度両手を広げていた。
「さあ、もう少し増やしちゃおう!」
胞子が舞う。
蛙吹はすぐに呼吸を浅くし、口元を袖で覆った。
そのまま横へ跳ぶ。
乾いた場所へ着地する。
だが、先ほどの接近で体操服にも胞子が付着していた。
汗の残る部分に、小さなキノコが顔を出し始める。
「……!」
蛙吹は咄嗟に払い落とした。
その間に、小森がまた距離を取る。
少しずつ。
確実に。
蛙吹が自由に動ける範囲が狭くなっていた。
◇
「……あれ、結構厄介だな」
A組の観覧席で、瀬呂が呟いた。
「近づこうとすると胞子がつくし、離れたら離れたでキノコ増えるし」
「蛙吹ちゃん、舌も使いにくそうだね」
麗日が心配そうに言った。
「そうね」
八百万が頷く。
「湿気のある場所ほど繁殖が早いのでしょう。蛙吹さんの能力とは、相性がよくありませんわ」
一護は黙って競技場を見つめていた。
小森は、ただ逃げているわけではない。
蛙吹がどこへ着地するか。
どの場所に胞子が付着しやすいか。
それを見ながら、移動している。
厄介な個性だ。
だが、それ以上に。
「……結構したたかだな、あいつ」
一護が小さく呟いた。
瀬呂が頷いた。
「だよな。見た目はあんなにおっとりしてんのに」
リングの上では、小森が楽しそうに笑っていた。
◇
蛙吹は、もう一度跳躍した。
今度はできるだけ高く。
胞子の濃い場所を避け、小森の背後へ回り込む。
「……っ!」
小森が振り向く。
蛙吹は着地すると同時に走り出した。
あと少し。
手が届く。
「……!」
小森は咄嗟に後退した。
しかし、蛙吹の方が速い。
伸ばした腕が、小森の肩を掴もうとする。
そのとき。
「……あっ」
小森が、小さく声を上げた。
蛙吹の足元。
着地したばかりの体操靴に、細かな胞子が付着していた。
そこへ、キノコが一斉に生え始める。
「……っ!」
靴底の周囲に増えたキノコが、踏み込みを邪魔した。
蛙吹の身体が僅かに傾く。
だが、すぐに立て直した。
そのまま、もう一歩。
小森へ手を伸ばす。
しかし、その腕にも小さなキノコが生え始めていた。
体操服の袖。
手首の周囲。
先ほどまでに付着した胞子が、湿り気を得て繁殖していたのだ。
「……!」
蛙吹は腕を引いた。
払い落とそうとする。
だが、その間に小森が距離を取る。
「……うーん」
小森が少しだけ首を傾げた。
「蛙吹ちゃん、ほんとにすばしっこいね」
蛙吹は答えなかった。
もう一度、足元を確かめる。
着地する場所はある。
だが、動けば胞子が付着する。
近づけば繁殖する。
腕や舌を使えば、さらに広がってしまう。
無理やり突破することも、不可能ではないかもしれない。
けれど、その先で小森を確実に捕まえられる保証はなかった。
蛙吹は、小森を見つめた。
「……小森ちゃん」
「ん?」
「一つ聞いてもいいかしら」
「うん!」
「このキノコ、しばらくしたら消えるのよね?」
「もちろん!」
小森は明るく頷いた。
「時間が経てば、ちゃんとなくなるよ!」
「……そう」
蛙吹は小さく息を吐いた。
そして、片手を上げた。
「降参するわ」
小森が目を丸くした。
「……えっ?」
「今のまま続けても、あなたに近づくのは難しいもの」
蛙吹は落ち着いた声で言った。
「それに、これ以上胞子を吸い込むのも危険だわ」
小森は一瞬だけ口を閉じた。
それから、ゆっくり頷いた。
「……そっか」
ミッドナイトが二人へ近づく。
「蛙吹さん、降参でいいのね?」
「はい」
「勝者、小森希乃子!」
『決着ゥゥゥ!! 小森、キノコの繁殖で蛙吹の行動を制限! 見事な試合運びで勝利を収めたァァ!!』
歓声が上がった。
小森は一瞬だけぽかんとしていた。
それから、ぱっと笑顔になる。
「やった! 勝ったノコーっ!」
両手を突き上げる小森を見て、蛙吹は小さく笑った。
「おめでとう、小森ちゃん」
「ありがと、蛙吹ちゃん!」
小森は嬉しそうに答えた。
それから、蛙吹の腕に残っているキノコへ視線を向ける。
「あ、でも……いっぱい生やしちゃってごめんね」
「いいのよ。それが小森ちゃんの個性なんだもの」
蛙吹は首を振った。
「でも、次は簡単に生やさせないわ。ケロ」
「ふふっ。じゃあ、次もいっぱい生やしちゃおうかな!」
「それは困るわね」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのとき、蛙吹がふと思い出したように口を開く。
「それと、小森ちゃん」
「ん?」
「私のことは梅雨ちゃんって呼んで」
小森はぱちぱちと瞬きをした。
それから、にっこり笑う。
「うん! じゃあ、また戦おうね、梅雨ちゃん!」
「ええ。次は負けないわ」
二人は手を振り合い、それぞれの退場口へ向かった。
◇
「希乃子ーっ!」
B組の観覧席で、拳藤が大きく手を振った。
「やったじゃん!」
小森も嬉しそうに振り返す。
席へ戻ると、拳藤が右手を上げた。
「おめでとう!」
「ありがとー!」
ぱんっ!
二人の手が、小気味よい音を立てて重なった。
「いやー、最後までよく粘ったね」
拳藤が笑う。
「蛙吹さん、あれだけ跳べるのに、なかなか近づけなかったもん」
「ふふん!」
小森は胸を張った。
「キノコだって、ちゃんと考えて生えてるのです!」
「いや、それはどうだろうね」
拳藤が笑った。
その隣で、織姫も手を叩いていた。
「希乃子ちゃん、おめでとう!」
「ありがと、織姫ちゃん!」
小森は嬉しそうに答えた。
「でも、梅雨ちゃんすっごく速かったよ。最後の方、ちょっと危なかったもん」
「うん。あと少しで捕まっちゃいそうだったね」
織姫が頷く。
「でも、希乃子ちゃん、ちゃんと見てたもんね」
「えへへ」
小森は照れくさそうに笑った。
隣では、柳も静かに拍手していた。
「希乃子、おめでとう」
「ありがと、レイコちゃん!」
柳は小さく頷いた。
「……いい試合だった」
小森は嬉しそうに笑う。
拳藤はその様子を見ながら、ふっと息を吐いた。
「……さて」
モニターへ視線を向ける。
「これで予備戦も終わりだね」
織姫も、同じ方向を見た。
「……うん」
予備戦を勝ち抜いた者。
敗れた者。
それぞれに、次の戦いが待っている。
もちろん、負けた者の体育祭がここで全て終わるわけではない。
それでも、個人戦の舞台へ立てる人数は限られている。
拳藤は、改めてリングを見つめた。
「ここからが本番だね」
小森が両手を握る。
「次も頑張るノコ!」
織姫は、二人の顔を見て笑った。
「うん。あたしも!」
そして、そっと髪留めに触れた。
次は本戦。
今まで以上に強い相手と戦うことになるだろう。
でも、不安ばかりではなかった。
どんな相手と戦うことになるのか。
少しだけ、楽しみだった。
◇
『さあああああ!!』
プレゼント・マイクの声が、競技場全体へ響き渡った。
『これにて予備戦、全試合終了ォォ!!』
観客席から、大きな拍手が起こる。
『激しい戦いを勝ち抜いた八名が決定! ここからは、シードの八名を加えた本戦トーナメントへ突入するぜェ!!』
巨大モニターへ、選手たちの名前が映し出された。
予備戦を勝ち抜いた八人。
緑谷出久。
黒崎一護。
井上織姫。
麗日お茶子。
飯田天哉。
切島鋭児郎。
芦戸三奈。
小森希乃子。
そして、シードとして待っていた八人の名前が、続いて表示された。
轟焦凍。
爆豪勝己。
八百万百。
常闇踏陰。
発目明。
拳藤一佳。
鉄哲徹鐵。
塩崎茨。
合計十六人。
ここから先は、敗北すれば終わり。
誰もが、同じ条件で頂点を目指す。
「……いよいよか」
選手用観覧席で、一護が小さく呟いた。
隣では、緑谷がモニターを食い入るように見つめている。
爆豪は腕を組んだまま、険しい顔をしていた。
轟は黙って画面を見上げている。
それぞれが、何かを考えていた。
一護もまた、モニターへ視線を戻した。
ここまでは予備戦。
これから先は、さらに強い相手が待っている。
それが、楽しみでもあった。
「……さて」
一護は小さく息を吐いた。
「次は誰だ?」
競技場の中央で、ミッドナイトが本戦の準備を進めていた。
巨大モニターに、トーナメント表の枠が一つずつ現れ始める。
観客たちのざわめきが、次第に大きくなっていった。