競技場の大型モニターに、次の対戦カードが映し出された。
麗日お茶子。
爆豪勝己。
リングでは、セメントスが床の補修を終えたところだった。
塩崎の蔓が割った床も、織姫の椿鬼が刻んだ溝も、すっかり元の状態に戻っている。
『さあさあ! 決勝トーナメント一回戦も、いよいよ後半戦だァ!』
プレゼント・マイクの声が響き渡る。
『続く第五試合も、同じA組同士の対決! こいつは見逃せねえぜ!』
◇
選手通路の奥。
お茶子は、両手を握ったり開いたりしていた。
相手は爆豪勝己。
爆発の威力も、空中での機動力も、同じクラスで過ごしていれば嫌というほど分かる。
何より厄介なのは、あの反応の速さだった。
誰かが動けば、それに合わせて次の攻撃が飛んでくる。
ただ走って近づくだけでは、触れるどころか間合いに入ることすら難しいだろう。
「……よし」
お茶子は頬を軽く叩いた。
考えたことはある。
あとは、やるだけだ。
「麗日さん」
声をかけられて振り向くと、緑谷が立っていた。
「……デクくん」
「もうすぐだね」
「うん!」
お茶子は笑ってみせた。
緑谷は何か言おうとして、口を閉じる。
試合前に、作戦なら一緒に考えられると伝えた。
けれど、お茶子は自分で考えて戦いたいと言った。
だから、今さら余計なことは言わない。
「……頑張って」
「ありがと!」
お茶子は拳を握った。
「デクくんも、次の試合頑張ってな!」
「うん!」
緑谷が頷く。
お茶子は片手を上げ、そのまま入場口へ向かった。
◇
『まずはこの少女! 予備戦では上鳴を見事な作戦で場外へ! ふわふわ浮かせる無重力ガール! 一年A組、麗日お茶子ォォ!!』
お茶子がリングへ駆け出した。
観客席から拍手が起こる。
『対するはァ! 騎馬戦でもその爆発力を見せつけた、勝利への執念は誰にも負けねえ男! 一年A組、爆豪勝己ィィ!!』
反対側から爆豪が姿を現した。
お茶子を一瞥し、リングの中央へ歩いてくる。
「よろしくね、爆豪くん!」
お茶子が声をかけた。
爆豪はその言葉には応えず、掌を一度開いてから握った。
「……丸顔」
「ん?」
「退くなら今退けよ」
お茶子は目を瞬かせた。
それから、両手を握り締める。
「……退かへんよ」
「あぁ?」
「うちだって、勝ちたいもん」
爆豪の口元が吊り上がった。
「……上等だ」
ミッドナイトが二人を見渡す。
「第五試合――始め!」
爆音が轟いた。
◇
「わっ!」
お茶子が横へ跳ぶ。
直前まで立っていた場所で爆発が弾け、熱風が頬を撫でた。
爆豪は追ってこない。
右手を前へ向け、次の動きに備えている。
お茶子は地面を蹴った。
低く身を沈め、真正面から走り込む。
「チッ!」
爆豪の右手が動いた。
お茶子はその瞬間、進路を変える。
爆発が身体の脇を抜けた。
熱が走る。
それでも足を止めず、爆豪へ手を伸ばした。
あと少し。
「甘えんじゃねえ!」
爆豪が左手を地面へ向けた。
爆発の反動で身体が跳び上がる。
お茶子の指先が空を切った。
「……っ!」
空中で身体を回した爆豪が、今度は右手を向けてくる。
お茶子は咄嗟に転がった。
背後で爆発が起こる。
床の破片が跳ね、制服の袖へ細かな砂が降りかかった。
『おおっとォ! 麗日、果敢に接近するが爆豪が寄せつけねえ! 触れさえすれば勝機はあるが、そこまでが遠いぞ!』
『爆豪の判断は妥当だ』
実況席から相澤の声が続いた。
『麗日の個性は接触が条件だ。あの能力を知っている以上、簡単に間合いへ入れるわけにはいかない』
『なるほど! 爆豪にとっちゃ、触れられるだけでも厄介ってことだな!』
相澤は短く頷き、リングへ視線を戻した。
爆豪はまだ、お茶子から目を離していない。
最初の接近を防いだからといって、油断する様子はなかった。
◇
お茶子は再び走った。
右へ。
左へ。
爆豪が手を向ける方向を見ながら、少しずつ距離を詰めようとする。
だが、そのたびに爆発が飛んできた。
熱風を避け、飛び散る破片から顔を守る。
それでも爆豪は、こちらが次に動きたい場所へ先回りするように爆発を放ってくる。
「……っ!」
お茶子は地面を蹴った。
今度は爆豪の右側へ回り込む。
その途中、自分の腕へ五本の指を当てた。
身体から重さが消える。
踏み切った勢いのまま、ふわりと身体が浮いた。
爆豪の爆発が足元を抜ける。
そのまま頭上を越え、背後へ回り込もうとした。
「……!」
爆豪が顔を上げた。
片手を上へ向ける。
「見えてんだよ!」
爆発が弾けた。
「きゃっ!」
お茶子の身体が横へ流された。
重さを失った身体は、爆風を受けると大きく弾かれてしまう。
お茶子は空中で指先を合わせた。
解除。
重力が戻り、身体が落下する。
足を伸ばして着地したものの、勢いを殺しきれずに膝をついた。
「……うぅ」
胃の奥が、僅かに揺れる。
自分を浮かせることはできる。
だが、浮いたままでは爆風を避けきれない。
着地の位置を読まれれば、そこへ攻撃が飛んでくる。
お茶子は立ち上がり、爆豪を見た。
相手はまだ、同じ場所にいる。
近づいてくるのを待っているわけではない。
こちらの動きを見て、迎え撃つための距離を保っているのだ。
「……ほんと、やりにくいなあ」
小さく呟いた。
爆豪の眉が動く。
「何ぶつくさ言ってやがる!」
爆発が飛ぶ。
お茶子は横へ跳んだ。
床が砕け、石片が散る。
着地する瞬間、彼女の手が床へ伸びた。
指先が、転がってきた破片に触れる。
そのまま身体を起こし、再び走った。
◇
爆発が続いた。
お茶子は何度も距離を詰めようとし、そのたびに押し戻される。
爆豪の攻撃は容赦がなかった。
だが、追い詰めた相手をいたぶるような動きでもない。
近づかせないために爆発を使い、お茶子が動けばすぐに迎撃する。
徹底して、それだけを続けていた。
「……くそっ」
お茶子は低く身を沈め、爆発を避けた。
そのまま地面を転がり、散らばった破片に触れる。
立ち上がって走る。
また爆発。
今度は足元の床が砕けた。
跳ねた破片の一つを掴み、指先を当てる。
そして、すぐに手を離した。
破片は爆風に乗って舞い上がった。
だが、落ちてこない。
お茶子はそれを見上げず、次の攻撃へ備えた。
『爆豪、依然として優勢! 麗日も何度も飛び込んでいるが、なかなか触れられねえ!』
観客席では、少しずつ声の調子が変わっていた。
「……あれ、もう勝負ついてるんじゃないか?」
「ちょっと一方的すぎないか?」
「相手は女子だぞ。あそこまでやる必要あるのかよ」
声が重なる。
それでも爆豪は振り向かなかった。
お茶子が動く。
爆豪が爆発を放つ。
その繰り返し。
「おい、爆豪! いつまで遊んでるんだ!」
観客席の一角から、怒鳴り声が飛んだ。
「さっさと終わらせてやれよ! みっともない!」
別の観客も声を上げる。
「女の子相手に、恥ずかしくないのか!」
それを聞いた相澤が、ゆっくりと顔を上げた。
『……おい』
プレゼント・マイクが隣を向く。
『ん?』
『今、爆豪が遊んでいると言ったのは誰だ』
低い声が、場内に響いた。
先ほどまでの騒がしさが、少しずつ収まっていく。
『プロか? 何年やってる』
相澤の声には、明らかな苛立ちが混じっていた。
『本気であれを見て、爆豪が遊んでいると思っているなら――帰って転職サイトでも見てろ』
観客席が静まり返った。
『お、おい、イレイザーヘッド……』
『爆豪は麗日の力を警戒している。だから、決して近づかせない。あの爆発はそのためのものだ』
相澤はリングへ目を向けた。
『それに、麗日はまだ勝負を捨てていない。何度押し返されても、次の手を考えて動いている』
爆発が響く。
お茶子が転がりながら避け、すぐに立ち上がった。
『相手が女子だから手を抜けと言うのか。あの二人の戦いを、ちゃんと見ろ』
最後の言葉が、静まり返った観客席へ落ちた。
プレゼント・マイクは一瞬黙り、それから再びリングへ視線を戻した。
『……さあ! 麗日、まだまだ攻める! 爆豪も一歩も譲らねえぞ!』
◇
「……さすが、相澤先生だな」
切島が呟いた。
隣の瀬呂も、リングを見つめている。
「まあ、爆豪が手加減してるようには見えねえよな」
「……むしろ逆だろ」
一護が口を開いた。
爆豪は最初から、麗日の手をよく見ている。
触れられることを警戒しているからこそ、あれだけ徹底して距離を取っているのだろう。
「麗日の奴も、まだ諦めちゃいねえ」
その言葉に、切島が頷いた。
「おう」
少し離れた席では、緑谷が身を乗り出していた。
爆豪が右手を向ける。
お茶子が横へ跳ぶ。
爆発が床を砕いた。
彼女は転がりながら、また破片に触れた。
「……!」
緑谷の目が僅かに見開かれる。
何度も。
お茶子は何度も、床の破片へ触れていた。
ただ逃げているだけではない。
爆豪に近づこうとする動きの中へ、別の行動を紛れ込ませている。
「……麗日さん」
緑谷は顔を上げた。
空は、まだ粉塵に隠れていた。
◇
「……っ、はあ……!」
お茶子は荒く息を吐いた。
腕が痛い。
膝も、何度も床に擦りつけたせいでひりひりする。
爆発の熱を避け続けているだけでも、身体の疲れは溜まっていく。
それでも、まだ止まれない。
爆豪がこちらを睨んでいる。
「……テメェ、何企んでやがる」
お茶子は答えなかった。
呼吸を整え、足を引く。
「……まだやる気か、丸顔」
「……もちろん!」
お茶子は再び走った。
爆豪が掌を向ける。
爆発。
お茶子は身体を捻り、熱風をかわした。
そのまま転がる。
床の破片に触れる。
すぐに立ち上がり、もう一度踏み込んだ。
「……しつけえ!」
爆豪が大きく腕を振るう。
爆発が床を叩いた。
砕けた石片が宙を舞う。
その陰で、お茶子がさらに一つ、破片を浮かせた。
胃の奥が重い。
個性を使い続けているせいで、少しずつ気分が悪くなってきていた。
だが、まだ解除しない。
あと少し。
もう少しだけ。
「……っ」
お茶子は膝をついた。
爆豪が眉を寄せる。
「……何だ、もう終わりか」
お茶子は顔を上げた。
額には汗が滲んでいる。
その口元が、僅かに動いた。
「……ううん」
ゆっくりと立ち上がる。
「ここからやよ」
お茶子が空へ目を向けた。
爆豪も、その視線を追う。
「……あ?」
粉塵が風に流されていく。
その向こうに、異様な光景が広がっていた。
リングの上空。
大小さまざまな瓦礫が、空中に浮かんでいた。
砕けた床の破片。
爆発で巻き上げられた石片。
それらが、重力を失ったまま滞留している。
爆豪の攻撃によって増えた瓦礫を、お茶子が少しずつ浮かせていたのだ。
『なっ……何だァ!? リングの上空に、大量の瓦礫が浮いているぞォ!!』
観客席がどよめいた。
「……マジかよ」
瀬呂が思わず声を漏らす。
切島も上を見上げた。
「いつの間に、あんな……!」
緑谷は立ち上がりかけていた。
分かった。
お茶子が何度も爆発の間を走り、地面に触れ続けていた理由が。
爆豪が攻撃するほど、瓦礫が増える。
それを浮かせて、上空へ溜め込んでいた。
何度も接近を試みていたのも、ただ触れようとしていただけではない。
爆豪の注意を自分に向け、空の異変に気づかせないためでもあった。
『……これを狙っていたか』
相澤が呟いた。
『爆豪の爆発を利用して瓦礫を作り、それを少しずつ浮かせていた。あれだけの量を用意するには、相当な回数を重ねたはずだ』
『ってことは、最初からこのために……!』
『ああ。麗日が自分で組み立てた作戦だろう』
お茶子はゆっくりと両手を持ち上げた。
指先が震えている。
胃の奥から込み上げてくるものを、必死に堪えた。
ここで終わらせるわけにはいかない。
自分が考えた。
自分で選んだ。
その作戦を、最後までやりきる。
「……爆豪くん!」
お茶子が叫んだ。
「うちだって、勝ちたいんや!」
両手の指先が合わさる。
解除。
空中に浮かんでいた瓦礫が、一斉に落下を始めた。
『うおおおっとォォ!! 瓦礫の雨だァァ!!』
観客席が沸き立った。
無数の破片が、爆豪へ向かって降り注ぐ。
だが、お茶子はその光景を見届けなかった。
地面を蹴る。
爆豪へ向かって、真っ直ぐに。
上からの攻撃に対処している間なら。
その間だけなら。
触れられるかもしれない。
お茶子は走った。
足が痛む。
息が苦しい。
それでも止まらない。
爆豪が顔を上げた。
降り注ぐ瓦礫を見据える。
そして。
「――ナメんなァ!!」
右手を空へ向けた。
次の瞬間。
凄まじい爆音が、競技場を揺るがした。
◇
巨大な爆発が、上空へ向かって広がった。
落下してきた瓦礫が、まとめて吹き飛ぶ。
石片が砕け、粉塵が舞い上がった。
爆風が観客席の前まで押し寄せる。
思わず顔を覆う者。
立ち上がって空を見上げる者。
競技場が、一瞬で騒然となった。
『なっ……何だ今の爆発はァァ!! 爆豪、降り注ぐ瓦礫をまとめて吹き飛ばしたァァ!!』
爆豪は右手を上げたまま、荒く息を吐いていた。
掌から煙が立ち上っている。
腕に鈍い痺れが残っていた。
あれだけの瓦礫を一度に処理するには、生半可な爆発では足りなかった。
「……っ」
爆豪は歯を食いしばり、手を下ろす。
その瞬間。
粉塵の中から、人影が飛び出した。
「……!」
お茶子だった。
瓦礫を落とした直後から、走り続けていた。
爆発で飛び散った粉塵。
その向こうから、最後の距離を詰める。
「爆豪くん!」
右手を伸ばす。
爆豪は咄嗟に左手を向けた。
爆発。
「……っ!」
お茶子は身体を捻った。
熱風が肩を掠める。
それでも、あと一歩。
爆豪の腕へ、五本の指が伸びる。
爆豪が身を引いた。
お茶子はさらに踏み込もうとした。
だが。
「……あ」
足に、力が入らなかった。
膝が折れる。
視界が大きく揺れた。
胃の奥から込み上げてきたものを堪えようとして、呼吸が詰まる。
伸ばした手が、届かない。
「……っ、まだ……!」
お茶子は歯を食いしばった。
身体を起こそうとする。
爆豪が再び構えた。
その目には、まだ警戒が残っている。
「……上等だ」
爆豪の口元が吊り上がった。
「こっから本番だ、麗日!」
だが、お茶子の身体は応えなかった。
足が動かない。
指先に、力が入らない。
最後の一歩を踏み出すことができず、そのまま前へ倒れ込んだ。
「……っ」
爆豪の眉が動いた。
構えていた手を下ろす。
お茶子は床に手をつき、もう一度立ち上がろうとした。
だが、腕が震えるだけだった。
「……くそ……」
小さな声が漏れた。
それきり、身体が動かなくなった。
◇
競技場が、静まり返った。
爆豪はお茶子を見下ろしていた。
「……おい」
返事はない。
「……チッ」
爆豪は拳を握り、ゆっくりと下ろした。
ミッドナイトが素早く駆け寄る。
お茶子の状態を確かめ、片手を上げた。
「麗日、戦闘続行不能!」
一拍。
「勝者、爆豪勝己!」
『しょ、勝負ありィィ!! 最後の最後まで攻め続けた麗日だったが、ここで力尽きた! 勝者、爆豪勝己ィィ!!』
観客席から拍手が起こった。
最初は、まばらだった。
だが、次第にその音は大きくなっていく。
爆豪は歓声に応えなかった。
医療スタッフが駆け寄り、お茶子を担架へ乗せる。
その様子を一度だけ見て、爆豪は踵を返した。
「……クソが」
小さく舌打ちする。
あの瓦礫に気づくのがもう少し遅れていれば。
最後の一歩で、麗日の指が届いていれば。
勝敗がどうなったかは分からない。
だからこそ、最初から一度も気を抜かなかった。
それでも、あそこまで追い詰められた。
爆豪は振り返らず、選手通路へ向かった。
◇
『いやー……すげえ試合だったな、イレイザーヘッド』
『ああ』
相澤はリングを見下ろしていた。
『麗日は自分の力で、あの作戦を組み立てた。正面からの接近を繰り返したのも、瓦礫を集めるための時間を稼ぐ意味があった』
『しかも、あの爆豪相手に最後まで諦めなかった!』
『爆豪もよく対応した。あの量の瓦礫を一度に吹き飛ばした判断は正しい』
相澤の視線が、担架で運ばれていくお茶子へ向く。
『……最後の踏み込みも悪くなかった。身体が持っていれば、届いていたかもしれないな』
プレゼント・マイクは一瞬黙った。
それから、いつもの調子で声を張り上げる。
『勝った爆豪にも! 最後まで戦い抜いた麗日にも! でっけえ拍手を送ってくれェェ!!』
観客席の拍手が、再び大きくなった。
◇
「……すっげえ試合だったな」
切島が呟いた。
瀬呂も頷く。
「途中、何してんのか全然分かんなかった」
「俺もだよ」
上鳴が頭を掻いた。
「上からあんなの降ってくるなんて、誰が予想すんだよ……」
少し離れた席では、緑谷が立ち上がっていた。
担架で運ばれていくお茶子を、じっと見つめている。
悔しいだろう。
あれほど考えて、あれほど粘って。
それでも、勝てなかったのだから。
けれど、お茶子は最後まで自分の考えた作戦で戦った。
自分の足で走り、自分の手を伸ばした。
緑谷は拳を握った。
「……麗日さん」
隣で飯田が立ち上がる。
「緑谷くん。麗日くんの様子を見に行こう」
「……うん」
二人は席を離れた。
◇
選手通路を戻っていた爆豪は、向こうから歩いてくる緑谷を見つけると足を止めた。
「……おい、デク」
「かっちゃん?」
爆豪は不機嫌そうに顔を歪めた。
「テメェ、丸顔に何吹き込みやがった」
緑谷が目を瞬かせる。
「……え?」
「あの作戦だよ。瓦礫を浮かせて落とすとか、テメェが考えそうなことじゃねえか」
緑谷は一瞬、言葉を失った。
それから、はっきりと首を振る。
「違うよ」
「あぁ?」
「僕は何も教えてない」
爆豪の眉が動いた。
「……何?」
「作戦を一緒に考えようとはした。でも、麗日さんは自分で考えて戦いたいって言ったんだ」
緑谷は爆豪を見た。
「あれは全部、麗日さん自身が考えた作戦だよ」
「…………」
「かっちゃんをあそこまで追い詰めたのも、麗日さん自身だ」
爆豪は黙っていた。
やがて、短く舌打ちする。
「……そうかよ」
それだけ言って、緑谷の脇を通り過ぎた。
緑谷は何も言わなかった。
爆豪も振り返らない。
ただ、歩き去る背中からは、いつものような勝利を誇る様子は感じられなかった。
◇
競技場では、次の試合の準備が進んでいた。
爆豪の爆発によって砕けた床を、セメントスが修復していく。
最後の亀裂が塞がれると、場内の大型モニターが切り替わった。
芦戸三奈。
鉄哲徹鐵。
『さあさあ! 決勝トーナメント一回戦も残り三試合! 続いては、こいつらの出番だァ!』
プレゼント・マイクの声が響く。
『抜群の身体能力と溶解液を操る個性! 一年A組、芦戸三奈ァァ!!』
芦戸が入場口から飛び出した。
「よっしゃー! いっくぞー!」
客席へ向かって両手を振り、そのまま軽やかな足取りでリングへ上がる。
『対するはァ! 全身鋼鉄、気合いも根性も折れ知らず! 一年B組、鉄哲徹鐵ェェ!!』
「オオッシャァァ!!」
反対側から鉄哲が駆け出してきた。
勢いよくリングへ上がり、拳を打ち鳴らす。
「来いや芦戸! 正面からぶつかってこい!」
「いやいや、何でわざわざそっちの得意な勝負しなきゃなんないのさ!」
「硬えもん同士、ぶつかってこそ勝負だろうが!」
「私、硬くないんですけど!?」
芦戸が思わず突っ込む。
鉄哲は一瞬考えた。
「……じゃあ俺だけ硬え!」
「知ってるって!」
観客席から笑い声が上がった。
芦戸は肩をすくめ、改めて構えを取る。
鉄哲も拳を握り直した。
その腕が銀色に輝き始める。
手から肩へ。
首、胸、そして顔。
瞬く間に全身が鋼鉄へと変わった。
「……うわ、近くで見るとほんとすごいね」
芦戸が目を丸くする。
「おうよ! ちっとやそっとじゃ傷一つつかねェぞ!」
「へえー」
芦戸は口元を緩めた。
「じゃ、いろいろ試してみよっかな!」
「上等だァ!」
ミッドナイトが二人を見渡す。
「第六試合――始め!」
鉄哲が地面を蹴った。
「おおおおおッ!!」
真正面からの突進。
「うわっ、いきなり!?」
芦戸が横へ跳んだ。
鋼鉄の拳が、つい先ほどまで彼女の顔があった場所を通り過ぎる。
風が頬を掠めた。
「ちょっ、当たったらシャレになんないじゃん!」
「当てるつもりで殴ってんだよ!」
「そりゃそうだけどさ!」
芦戸は着地と同時に足元へ酸を流した。
薄い液体が靴底に広がる。
そのまま床を蹴ると、身体が滑るように移動した。
鉄哲が振り返る。
「……速え!」
「へへーん! 追いつける?」
芦戸は弧を描くように滑走した。
酸によって摩擦を減らし、足運びと体重移動で速度を調整する。
鉄哲が追いかける。
だが、芦戸はその正面へ留まらない。
右へ滑り、身体を回転させ、背後へ抜ける。
鉄哲が身体を捻った。
「ちょこまか動きやがって!」
「そっちが一直線すぎんの!」
芦戸の右手が動く。
細く伸びた酸が、鉄哲の腕へかかった。
じゅっ。
僅かな音がした。
「……ん?」
鉄哲が腕を見る。
鋼鉄の表面が少しだけ曇っていた。
「おいおい、俺の身体溶かす気かよ!」
「大丈夫だって! ちゃんと調整してるから!」
「だったら遠慮せず来いや!」
「いや、だから! 溶かしすぎたら危ないでしょ!」
鉄哲は一度、自分の腕へ目を落とした。
すぐに深刻な傷ができる様子はない。
だが、同じ場所へ何度も酸を浴びればどうなるかは分からなかった。
「……なるほどな」
彼は顔を上げた。
「なら、当てさせなきゃいい話だ!」
「いや、結局突っ込んでくんの!?」
鉄哲が地面を蹴った。
◇
『おおっとォ! 鉄哲、酸を食らっても止まらねえ! 芦戸も滑るような動きで応戦するぞ!』
『鉄哲の硬さと芦戸の機動力。分かりやすい対照だな』
相澤が答えた。
『だが、どちらも相手の得意な間合いでは戦いたくないはずだ』
『なるほどォ! 鉄哲は近づきたい、芦戸は近づかせたくないってことか!』
『……それだけでもないがな』
リングでは、芦戸が再び酸を流していた。
ただ滑っているだけではない。
移動した後の床にも、薄い液体の膜が残っている。
鉄哲はそれを避けようとして、一度足を止めた。
「……チッ!」
「おっ、気づいた?」
芦戸が笑う。
「そこ、滑るよ!」
「分かってらァ!」
鉄哲が大きく踏み込んだ。
その靴底が、酸の膜を踏む。
「うおっ!?」
足が滑った。
鋼鉄の身体が前へ傾く。
芦戸はすかさず距離を詰めた。
「もらいっ!」
横から身体を押し出そうとする。
しかし。
「ナメんなッ!」
鉄哲が地面へ拳を叩きつけた。
硬い音が響く。
鋼鉄の指が床へ食い込み、傾いた身体を強引に支えた。
「うそっ!?」
芦戸が目を丸くする。
鉄哲はその姿勢から腕を突き上げた。
「おらァ!」
「っと!」
芦戸は咄嗟に後ろへ跳んだ。
拳が目の前を通り過ぎる。
靴底へ酸を流し、着地と同時に滑って離れた。
「……あっぶなー!」
「ハッ! そんな簡単に転んでたまるかよ!」
鉄哲が身体を起こす。
床に残った拳の跡を一度見て、それから芦戸を睨んだ。
「足元に仕掛けるってんなら、こっちも踏ん張り方を変えりゃいい!」
「へえ……!」
芦戸の表情が変わった。
「ただの突進バカじゃないんだ?」
「あぁ!? 誰がバカだ!」
「そこは否定するんだ!」
「当たり前だろうが!」
鉄哲が駆け出す。
だが、今度の踏み込みは先ほどと違っていた。
酸が広がる場所へ入る直前、歩幅を小さくしている。
身体を低く構え、片足へ急激に体重をかけない。
芦戸が横へ滑ると、鉄哲は無理に追いかけず、乾いた床を選んで方向を変えた。
「……おっと」
芦戸の眉が上がる。
さっきより、ずっと追いにくい。
鉄哲は無理に追い回さなくなっていた。
芦戸が滑る先を見て、そこへ向かってくる。
「今度こそ捕まえてやる!」
「やれるもんなら!」
芦戸が酸を流す。
鉄哲が拳を振るう。
芦戸はその腕の下へ身体を滑り込ませ、鉄哲の脇を抜けた。
だが、相手もすぐに振り返る。
鋼鉄の腕が伸びてきた。
「……っ!」
芦戸は足を大きく開き、上体を沈めた。
拳が頭上を抜ける。
そのまま片手を床へつき、身体を回転させた。
滑走の勢いを失わず、鉄哲の背後へ抜けていく。
『おおっとォ! 芦戸、まるでダンスみてえな身のこなし! 鉄哲も追いすがる!』
『動きが単調じゃない。芦戸は踊るような動作の中で、回避と移動を繋げている』
相澤がリングを見下ろす。
『だが、鉄哲も対応してきたな。大振りに追いかけるのをやめて、芦戸の移動先を塞ぎ始めている』
その言葉の通り、鉄哲は少しずつ芦戸の逃げ道を狭めていた。
◇
「おらァ!」
拳が迫る。
「っ、と!」
芦戸は横へ滑った。
だが、鉄哲は追いすぎなかった。
次に芦戸が通ろうとした位置へ、先に身体を寄せる。
「……!」
芦戸が急ブレーキをかけた。
靴底の酸を調整し、滑走を止める。
その目の前へ、鉄哲の拳が飛んできた。
「うわっ!」
身体を反らす。
拳が頬のすぐ横を抜けた。
芦戸はそのまま後ろへ跳ぶ。
だが、リングの縁が近づいていた。
「……あ」
足元を見る。
背後には、もうほとんど余裕がない。
鉄哲は拳を握った。
「ようやく追い詰めたぜ!」
「ちょっと、マジでしぶとすぎじゃん!」
「根性で負けてたまるかよ!」
「いや、根性で鋼鉄になってるわけじゃないっしょ!」
「うるせえ! 両方だ!」
芦戸は思わず笑った。
だが、その視線は鉄哲の足元へ向いていた。
鉄哲は酸の広がる床を警戒している。
だから、なるべく乾いた場所へ足を置こうとしている。
それでも芦戸を追い詰められたのは、踏み込み方を変えたからだ。
勢いを抑え、身体の向きを整えてから拳を振るう。
無理な突進はしない。
……なら。
芦戸は一度、身体を沈めた。
鉄哲がその動きへ反応する。
「今度はどっちへ逃げる気だ!」
「さあね!」
芦戸が右へ飛び出した。
鉄哲も足を踏み出す。
だが、芦戸はすぐに方向を変えた。
足元へ酸を流し、一気に左へ滑る。
「……っ!」
鉄哲が振り向く。
芦戸は、そのままリングの中央へ向かって走り込んだ。
「逃がすかァ!」
鉄哲が追う。
今度は乾いた床を選びながら。
芦戸はちらりと振り返った。
相手との距離を確かめる。
「……よし」
小さく呟いた。
◇
観客席では、切島が身を乗り出していた。
「……あいつ、結構やるな」
目は鉄哲を追っている。
鋼鉄化した身体。
正面からぶつかる戦い方。
自分と似たところのある相手だ。
だが、同じではない。
鉄哲は床へ拳を食い込ませ、滑りを止めた。
あの硬さだからこそできる動きだった。
「芦戸も負けてねえけどな」
瀬呂が言う。
「さっきからずっと走り回ってる。あれ、かなり疲れるだろ」
「つーか、鉄哲もよく追えるよな」
上鳴がぼやく。
「俺だったら、最初の突進で滑って終わりそう」
切島が笑いかけたところで、再びリングへ目を向けた。
芦戸が、突然滑走をやめたのだ。
「……ん?」
リング中央から少し離れた位置。
芦戸は鉄哲へ身体を向け、両手を軽く広げていた。
「ほら! 来なよ!」
鉄哲が眉を寄せる。
「……あぁ?」
「今度は逃げないからさ!」
「……ハッ!」
鉄哲が拳を握り直す。
「上等だ! 正面から来るってんなら受けて立つ!」
鋼鉄の身体が、ぐっと沈んだ。
芦戸は笑った。
その足元へ、少量の酸が広がっていく。
鉄哲はそれを見逃さなかった。
「……また足元かよ!」
「どうかな!」
芦戸が地面を蹴った。
鉄哲も同時に動く。
その距離が、一気に縮まった。
◇
芦戸は真正面へ突っ込まなかった。
鉄哲の拳が届く直前で、身体を横へ滑らせる。
鉄哲は足を踏み替えた。
今度は、追いかける側の動きが速かった。
「逃がさねェ!」
鋼鉄の拳が横薙ぎに振るわれる。
「……っ!」
芦戸は身を沈め、拳の下を滑り抜けた。
そして、片手を床へ向けた。
酸が細く走る。
鉄哲の進路。
ちょうど、次の足を踏み出そうとしている位置だった。
「またかよ!」
鉄哲はすぐに気づいた。
足を大きく踏み込むのをやめ、身体を低くする。
滑るなら、先に支えを作ればいい。
右手を床へ伸ばす。
鋼鉄の指で床を掴み、そのまま身体を支えようとした。
だが。
「……へへっ」
芦戸が笑った。
鉄哲の手が届こうとした場所にも、薄い酸が広がっていた。
触れた指先が滑る。
「……ッ!?」
鉄哲はすぐに指へ力を込めた。
鋼鉄の先端が床を削る。
だが、支えを作るために向けた腕は、すでに外側へ流されていた。
芦戸はその横を滑り抜ける。
そして。
「それっ!」
身体を回転させた勢いで、鉄哲の伸ばした腕を横から押した。
鋼鉄の腕そのものが壊れるわけではない。
ただ、腕を支点に体勢を立て直そうとしていた鉄哲には、厄介な一押しだった。
「おおっ!?」
身体が傾く。
鉄哲はすぐに反対の足を踏み出した。
そこにも、酸の膜があった。
「……ッ!」
靴底が滑った。
鉄哲の身体が、勢いを残したまま横へ流れる。
腕を振り、何とか踏ん張ろうとする。
だが、その先にはもうリングの縁が迫っていた。
「……くそッ!」
片足が、リングの外へ出た。
もう片方の足で床を蹴ろうとする。
その瞬間、芦戸が最後の一押しを加えた。
「ごめん、鉄哲!」
酸の上を滑る勢いを乗せ、鉄哲の肩へ身体を当てる。
強引に押し勝ったわけではない。
すでに崩れていた重心を、さらに場外へ流したのだ。
「うおおおおおッ!?」
鉄哲の両足が床を離れた。
そのまま、鋼鉄の身体がリングの外へ飛び出していく。
着地。
重い音が響いた。
鉄哲は片膝をつき、すぐに顔を上げる。
「……っだァ!」
悔しそうに床を叩いた。
ミッドナイトが腕を上げた。
「鉄哲、場外! 勝者、芦戸三奈!」
『決まったァァァ!! 鋼鉄の突進を、酸による滑走と足場操作で攻略! 勝者、芦戸三奈ァァ!!』
歓声が上がった。
芦戸は両手を突き上げる。
「やったぁーっ!!」
跳び上がろうとした、その瞬間。
「わっ!」
足が滑った。
自分で流した酸の膜に、うっかり乗ってしまったのだ。
芦戸は慌てて腕を広げ、どうにか体勢を戻す。
「……あっぶな!」
観客席から笑いが起こった。
鉄哲も思わず顔を上げる。
「……テメェ、自分の酸でコケんなよ!」
「コケてないし! セーフだし!」
「ほとんどコケてただろうが!」
「セーフはセーフ!」
芦戸が胸を張った。
鉄哲は何か言い返そうとして、口を閉じた。
それから、ふっと笑う。
「……あーあ。負けちまった」
鋼鉄化が解け、皮膚が元の色へ戻っていく。
「最後、踏ん張れると思ったんだけどなァ」
「いやー、こっちも結構ギリギリだったよ?」
芦戸が答えた。
「途中から全然滑ってくれないし! 普通あんなに早く対応する?」
「そりゃ、いつまでも同じことやってらんねェだろ」
鉄哲は鼻を鳴らした。
「……けど、最後は完全にやられた」
リングへ向かって拳を突き出す。
「次は負けねェからな、芦戸!」
芦戸も拳を上げた。
「おっ、いいじゃん! いつでもかかってきなよ!」
二人の拳が軽く触れる。
鉄哲は満足げに笑い、そのまま選手通路へ向かった。
◇
『いやー! こいつもなかなか熱い試合だったなァ!』
『ああ』
相澤はリングを見下ろしていた。
『鉄哲の防御力は高い。芦戸が真正面から押し切ろうとしても、難しかっただろうな』
『だが最後は、あの鋼鉄ボディを場外へ!』
『自分の力で押し勝ったわけじゃない。鉄哲が踏み止まろうとする動きを利用して、重心を崩したんだ』
相澤は一度、鉄哲の去った通路へ目を向ける。
『鉄哲も途中から芦戸の滑走に対応していた。あのまま足場を制限できれば、逆の結果もあっただろう』
『なるほどォ! 互いに対策を重ねた末の勝負だったってわけだな!』
プレゼント・マイクの声が競技場へ響き渡る。
『さあ! これで第六試合も決着! 一回戦は残り二試合だァァ!!』
◇
その頃。
保健室では、お茶子がゆっくりと目を開けていた。
「……あれ?」
白い天井。
身体を起こそうとして、腕に力が入らないことに気づく。
「無理に起きるんじゃないよ」
リカバリーガールの声だった。
お茶子はゆっくり顔を向ける。
「……先生」
「まったく、よく頑張ったねえ」
リカバリーガールは椅子から立ち上がり、彼女の様子を確かめた。
「大きな怪我はないけど、随分と無茶をしたね。個性の使いすぎで、気分も悪いだろう?」
「……はい」
お茶子は小さく頷いた。
胃の奥には、まだむかつきが残っていた。
腕や膝も痛む。
けれど、それより先に気になったことがあった。
「……試合、どうなりました?」
リカバリーガールは少しだけ表情を和らげた。
「爆豪くんの勝ちだよ」
「……そっか」
お茶子は天井を見上げた。
分かっていた。
最後に手が届かなかったことも。
身体が動かなくなったことも。
全部、覚えている。
「……負けちゃった」
小さく呟いた。
胸の奥が、ぎゅっと苦しくなる。
考えた作戦は、途中までうまくいった。
爆豪の爆発で砕けた床を集め、上空から落とすところまでは。
あと少しだった。
ほんの少し。
あの最後の一歩さえ、踏み込めていたら。
「……っ」
唇を噛む。
そのとき、扉が軽く叩かれた。
「失礼します!」
飯田の声だった。
続いて、緑谷が顔を覗かせる。
「麗日さん!」
「……デクくん。飯田くん」
二人の顔を見た途端、お茶子は慌てて笑おうとした。
「ごめんね。負けちゃった」
「……ううん」
緑谷は首を振った。
「すごかったよ」
その声は、いつもより静かだった。
「最後の作戦、全然気づかなかった。かっちゃんも、本当にギリギリまで対応できてなかったと思う」
「……そっか」
お茶子は布団の上で手を握った。
嬉しかった。
けれど、その言葉を聞くほど、悔しさも込み上げてきた。
「……でも、負けたんよ」
ぽつりと声が落ちる。
「うち、勝ちたかった」
緑谷は黙っていた。
飯田も、何も言わなかった。
「家のこととか、色々あるけど……それだけじゃなくて」
お茶子は目元を擦った。
「みんな、すごいもん。デクくんも、飯田くんも、爆豪くんも」
言葉を探す。
「うちも、ちゃんと強くなりたかった。勝って、前に進みたかった」
目から涙がこぼれた。
「……悔しいなあ」
声が震える。
緑谷は何か言いかけて、口を閉じた。
慰める言葉なら、いくらでもある。
けれど、今のお茶子が欲しいのは、きっとそれではない。
飯田が静かに口を開いた。
「麗日くん」
「……うん?」
「君が今日、自分の力で爆豪くんを追い詰めたことは、俺たちも見ていた」
お茶子が顔を上げる。
「だからこそ、悔しいのだと思う」
飯田は真っ直ぐに彼女を見ていた。
「その気持ちは、大切にしていいはずだ」
お茶子は目を瞬かせた。
そして、小さく笑った。
「……飯田くん、たまにええこと言うね」
「た、たまに!?」
飯田が思わず声を上げる。
緑谷が吹き出した。
お茶子も、少しだけ笑った。
その笑顔は、まだ泣きそうだったけれど。
さっきより、少しだけ自然だった。
◇
競技場では、次の試合の準備が進んでいた。
芦戸が流した酸の残留を確認し、セメントスが床の補修を進めている。
大型モニターが切り替わった。
飯田天哉。
八百万百。
『さあさあ! 決勝トーナメント一回戦も、いよいよ残り二試合!』
プレゼント・マイクの声が響き渡る。
『次は一年A組の俊足メガネ男子、飯田天哉! 対するは同じくA組、何でも創り出す才女、八百万百ォォ!!』
選手通路の奥。
飯田は、緑谷と別れて競技場へ向かっていた。
先ほどまで保健室にいたこともあり、少しだけ時間が迫っている。
「……よし」
飯田は眼鏡を押し上げた。
麗日くんは、最後まで自分の力で戦い抜いた。
その姿を見た以上、自分も中途半端なことはできない。
彼は足を止め、深く息を吸った。
そして、競技場へ続く通路を歩き始める。
反対側の入場口では、八百万が静かに手を握り直していた。
二人の試合が、まもなく始まろうとしていた。