準々決勝第一試合の終了から、しばらく。
競技場では、セメントスによるリングの修復が進められていた。
緑谷と轟の最後の激突によって砕けた床が、次々と元の形を取り戻していく。
しかし、観客席の興奮までは収まっていない。
轟が解き放った炎。
緑谷が傷つきながらも放ち続けた衝撃波。
そして、両者の全力がぶつかった最後の一撃。
その余韻が残る中、大型モニターに新たな対戦カードが映し出された。
黒崎一護。
井上織姫。
『さあさあ! 準々決勝もまだまだ続くぜェ!!』
プレゼント・マイクの声が、会場の熱気を再び煽る。
『次のカードは一年A組、黒崎一護! 対するは一年B組、井上織姫! 準決勝へ進むのはどっちだァ!?』
◇
選手通路の奥。
一護は壁にもたれ、競技場へ続く出口を見つめていた。
背中には大きな斬月。
腰には、もう一本の小さな斬月。
塩崎との一回戦を終えたときと、変わらない姿だった。
次の相手は井上織姫。
盾舜六花。
その力がどれほど厄介なのかは、よく知っている。
かつて同じ世界で生き、数え切れないほどの戦いをくぐり抜けてきた。
虚圏で、自分が倒れたとき。
最後の戦いで、ユーハバッハを前にしたとき。
思い返せば、あいつに助けられた場面はいくつもある。
けれど、こうして一対一で向き合うのは初めてだった。
(……妙な感じだな)
しかも、今の井上について知っていることは、決して多くない。
十五年。
再会するまでに、それだけの時間が流れている。
常闇との試合では、その一端を見た。
盾で攻撃を受け流し、足場を崩し、最後には自分の身体を使って相手を投げた。
以前の井上なら、ああいう戦い方はしなかっただろう。
いや。
やろうと思っても、できなかったかもしれない。
その違いを、一護は楽しみにしていた。
「黒崎くん!」
係員が入口から顔を覗かせる。
「入場の準備をお願いします!」
「おう」
一護は壁から背を離した。
背中の斬月を引き抜き、続けて腰の一振りを手に取る。
左右の柄を握り直すと、そのまま競技場へ歩き始めた。
◇
『まずはこの男ォ! 巨大な刀を振り回し、塩崎の蔓による包囲を突破! 一回戦では二刀まで披露した一年A組、黒崎一護ォォ!!』
入場口から、一護が姿を現した。
右手には大きな斬月。
左手には、それより短いもう一本。
黒い死覇装の裾を揺らしながらリングへ上がると、観客席から歓声が起こった。
『そして対するはァ! 常闇との試合で鉄壁の防御と鮮やかな体術を見せた一年B組、井上織姫ェェ!!』
反対側の入口から、織姫が駆け出してきた。
リングへ上がったところで、B組の観客席へ顔を向ける。
「織姫ー! 頑張りなよ!」
拳藤が大きく手を振っていた。
隣では小森も両手を振っている。
「負けるなー、織姫ちゃん!」
「うん!」
織姫は二人へ笑い返し、正面へ向き直った。
目の前には、一護がいる。
二本の斬月を携えた、黒い死覇装の少年。
その姿は、何度も思い描いたものだった。
前世の記憶が戻ったわけではない。
そもそも、一度だって忘れていなかった。
それでも。
こうして同じ場所に立っていることが、まだ少し不思議だった。
「黒崎くん!」
「ん?」
「よろしくね!」
織姫が笑った。
一護も口元を緩める。
「……おう」
それから、二本の斬月を構えた。
「言っとくけど、手加減する気はねえぞ」
「うん!」
織姫は力強く頷く。
「私も、勝つつもりだから!」
「……そうこなくちゃな」
ミッドナイトが二人を見渡した。
「それじゃあ、準々決勝第二試合――」
掲げた腕を振り下ろす。
「始め!」
◇
一護が踏み込んだ。
開始の合図から、ほとんど間を置かずに距離を詰める。
右手の大きな斬月が、織姫の正面へ迫った。
「三天結盾!」
三人の六花が展開する盾が、その一撃を受け止めた。
鈍い衝突音。
織姫の靴底が床を擦る。
だが、一護の攻撃はそこで終わらなかった。
右手を引くと同時に、左手の短い斬月を振り込む。
織姫が盾の位置を変えた。
二度目の衝突。
短い刃が弾かれる。
一護はそのまま身体を回し、反対側から大きな斬月を振り下ろした。
「……っ!」
織姫は盾を傾けた。
真正面から受けるのではなく、斬撃の軌道を逸らす。
大きな刃が、盾の表面を滑るように横へ流れた。
その隙に織姫が後退する。
一護は追わなかった。
「……やるな」
斬月を握り直しながら、一護が言った。
「えへへ」
織姫は少し照れくさそうに笑った。
「黒崎くんの動き、いっぱい見てきたから」
「そいつは厄介だな」
「でも、今の黒崎くんのことは、まだ知らないことも多いよ」
「……ああ」
一護が笑う。
「そりゃ、お互い様だ」
次に動いたのは織姫だった。
真正面へ踏み込むと見せかけ、右へ回り込む。
一護が短い斬月を向けた。
その刃を避けるように身体を沈め、さらに一歩。
大きな斬月を振りにくい距離へ入ってくる。
(……近え!)
一護は右腕を引こうとした。
織姫の手が、その腕へ伸びる。
だが、彼女は掴まなかった。
伸ばした腕を引くと同時に、身体を回す。
肩を入れ、脇を抜ける。
「……!」
一護の背へ、織姫の手が触れた。
ぐっと押される。
一護の上体が前へ流れた。
踏ん張った瞬間、織姫がさらに足を踏み込む。
今度は膝裏を狙った足払い。
「……っと!」
一護は片足を浮かせ、辛うじてかわした。
すぐに振り返ろうとした、そのとき。
「孤天斬盾!」
椿鬼が走った。
一護は咄嗟に身を引く。
攻撃が通過したのは、その足元だった。
床の一部が切り裂かれ、細い亀裂が刻まれる。
踏み込もうとしていた足が止まった。
「……なるほど」
一護は織姫を見た。
その僅かな間に、彼女はすでに間合いの外へ抜けている。
「足を止めさせてから、逃げるってわけか」
「えへへ。そう簡単には捕まらないよ!」
「言ってくれるじゃねえか」
一護は笑った。
◇
『おおっとォ! 井上、防ぐだけじゃねえ! 自分から黒崎の懐へ飛び込んだァ!』
『……上手いな』
相澤が呟いた。
『黒崎の二刀に正面から付き合えば、左右の攻撃を続けて受けることになる。だから、自分から間合いを潰しに行っている』
『なるほど! でも、あの刀の間合いに入るのは怖くねえか!?』
『当然、危険はある。だから近づき方を工夫しているんだろう』
相澤はリングを見た。
『それに、井上はあの距離でも戦える』
◇
「惜しいっ!」
B組の観客席で、拳藤が膝を叩いた。
「もう少しで崩せたのに!」
小森が隣から顔を覗かせる。
「一佳ちゃん、あの動き教えたの?」
「少しはね。でも、織姫も前から格闘技教わってみたいだし、あたしが全部教えたわけじゃないよ」
拳藤はリングを見つめた。
織姫の構えが低くなる。
さっき一護の腕へ伸ばした手も、ただ掴むためのものではなかった。
相手の反応を見るための仕掛け。
自分が教えた技を、そのままなぞっているわけではない。
「……あの子、ちゃんと自分のものにしてる」
拳藤は嬉しそうに笑った。
「すごいねえ、織姫ちゃん」
小森も微笑む。
「うん。ほんとに」
◇
一護は慎重に距離を詰めた。
織姫の盾は強い。
そのうえ、近づけば足元を狙われる。
ならば、無闇に踏み込む必要はない。
右手の斬月を振るう。
織姫が盾を出した。
衝撃が走る。
だが、一護は二撃目をすぐには繰り出さなかった。
織姫が盾を動かす、その瞬間を待つ。
左の斬月を見せると、織姫の視線がそちらへ向いた。
その隙に、一護は横へ踏み込む。
大きな斬月が、斜めから迫った。
「……っ!」
盾が間に合う。
けれど、今度は位置が悪かった。
一護の斬撃を正面から受けてしまう。
織姫の身体が大きく押し戻された。
靴底が床を擦る。
リングの縁が近づく。
(……まずい!)
織姫は盾を傾け、斬撃を流した。
そのまま横へ跳ぶ。
しかし、一護はすでに移動先へ身体を向けていた。
「……!」
短い斬月が進路を塞ぐ。
織姫は咄嗟に足を止めた。
一護の大きな斬月が迫る。
「三天結盾!」
盾を展開する。
衝撃。
織姫は今度こそ、大きく後ろへ押し戻された。
『黒崎、攻める攻める! 井上が防いでも、今度は位置を変えて追い込んでいくぞォ!!』
一護はそのまま決めに行こうとした。
だが。
「孤天斬盾!」
織姫が放った一撃が、二人の間の床を切り裂いた。
破片が跳ねる。
一護は踏み込みを止めざるを得なかった。
その隙に織姫が横へ逃れる。
リングの中央へ戻った彼女は、大きく息を吐いた。
「……ふう」
「……ったく」
一護も一度足を止める。
「ほんと、やりにくいな」
「そう?」
「ああ。こっちの攻めたいところ、全部邪魔してきやがる」
織姫が笑った。
「そうじゃないと、黒崎くんに勝てないもん」
その返事に、一護の口元が緩んだ。
十五年前の井上なら、こんなふうに自分から勝負を仕掛けてきただろうか。
少なくとも、今ほど迷いなくはなかったはずだ。
あいつは、自分の知らないところで強くなった。
それが分かる。
けれど。
まだ、あいつの本気をすべて見たわけじゃない。
「……井上」
「うん?」
一護は斬月を構え直した。
「次は、ちょっと気合い入れて受け止めろよ」
その言葉を聞いた瞬間、織姫の目が僅かに見開かれた。
右手の斬月。
刃を構える角度。
その周囲へ集まり始める霊圧。
知っている。
この構えを。
「……黒崎くん」
一護の刃へ、霊圧が収束していく。
圧縮された力が刀身の周囲で渦を巻き、足元の砂埃を巻き上げた。
観客席から、どよめきが広がった。
この技を、今の井上へ向けて放つ。
当然、試合の範囲を超える威力を出すつもりはない。
それでも、形ばかりの攻撃にはしない。
井上なら、受け止められる。
一護はそう信じていた。
「……井上!」
織姫はしっかりと頷いた。
「うん!」
盾舜六花が彼女の周囲へ集まる。
一護は斬月を振り抜いた。
「月牙天衝!!」
◇
斬月から放たれた霊圧が、巨大な斬撃となってリングを駆け抜けた。
三日月を描くその一撃が、床を削りながら織姫へ迫る。
空気が震えた。
観客席の最前列まで、風圧が押し寄せる。
『なっ……何だァ!? 黒崎、刀からとんでもねえ斬撃を放ったァァ!!』
織姫は逃げなかった。
両足を踏み締め、真正面から手を掲げる。
「三天結盾!!」
黄金色の盾が展開された。
直後。
月牙天衝が三天結盾へ激突した。
轟音。
凄まじい衝撃が広がり、リングの床に亀裂が走る。
「……っ!!」
織姫の身体が押し戻された。
盾は崩れていない。
しかし、衝撃そのものが消えたわけではなかった。
靴底が床を滑る。
膝が僅かに沈む。
(……重い!)
織姫は歯を食いしばった。
真っ向から受け止め続ければ、身体ごと場外へ運ばれてしまう。
だから、盾を傾ける。
斬撃の向きを少しずつ変え、上方へ逸らしていく。
それでも勢いは衰えない。
一歩。
さらに一歩。
織姫の足が、リングの床へ長い跡を残した。
(……でも!)
織姫は顔を上げた。
目の前には、押し寄せる霊圧。
その向こうに、一護がいる。
あの人が、自分へ向けて放った一撃。
中途半端なものではない。
自分なら防げると信じてくれたからこその攻撃。
だったら。
「……受け止める!!」
織姫は両足を踏ん張った。
盾の角度を変える。
斬撃の勢いを、一気に上へ逃がした。
月牙が盾の表面を駆け上がり、上空へ向かって散っていく。
最後の衝撃が織姫の身体を揺らした。
それでも、足は止まった。
月牙天衝の残滓が、ゆっくりと消えていく。
◇
風が収まった。
織姫は盾を維持したまま、荒く息を吐いていた。
リングの縁までは、あと数歩。
しかし、彼女はまだ立っている。
『防いだァァ!! 黒崎の月牙天衝を、井上が受け止めたァァ!!』
競技場に歓声が響き渡った。
「……すっげえ」
上鳴が目を丸くする。
「今の、受け止められるんだな……」
瀬呂もリングを見つめていた。
「いや、黒崎の方もすげえだろ。あんなの撃てたのかよ」
「……どっちも半端ねえな!」
切島が拳を握る。
その近くで、八百万も静かに頷いた。
井上の防御力は、一回戦で十分に理解したつもりだった。
しかし、ここまでの攻撃を耐え抜くとは思っていなかった。
しかも、ただ受け止めたわけではない。
場外へ押し出されないよう、衝撃の逃がし方まで考えていた。
「……見事ですわ」
八百万が小さく呟いた。
◇
一護は斬月を下ろした。
織姫がこちらを見ている。
額には汗。
呼吸も荒い。
それでも、彼女は嬉しそうに笑った。
「……えへへ」
「……何笑ってんだよ」
「だって、黒崎くんの月牙天衝、久しぶりに見たから」
織姫は少し胸を張った。
「ちゃんと防げたよ!」
「……ああ」
一護も笑った。
「見りゃ分かる。相変わらず、とんでもねえ盾だ」
「えっへん!」
その仕草があまりにも昔のままで、一護は思わず吹き出しそうになった。
けれど、笑いかけたところで、ふと考える。
自分は今、井上が月牙天衝を防げると信じていた。
何の迷いもなく。
それなのに。
(……あれ?)
胸の奥で、何かが引っかかった。
今まで自分は、井上のことをどう考えていた?
弱いと思っていたわけじゃない。
あいつが何度も自分を護ってくれたことも、ちゃんと覚えている。
最後の戦いで、あいつが何をしたのかも。
忘れられるはずがない。
ただ。
もう二度と、あんな別れを繰り返したくなかった。
今度こそ、俺が護る。
その思いばかりが、先に立っていた。
井上自身がどうしたいのか。
どれだけの力をつけ、何を目指してここへ来たのか。
それを知る前から、自分の中で勝手に役割を決めていたのかもしれない。
「……井上」
「ん?」
織姫が首を傾げる。
一護は一度、口を閉じた。
試合中にする話じゃない。
それは分かっている。
けれど、今なら言える気がした。
「……悪かったな」
「……え?」
織姫が目を瞬かせた。
「どうしたの、急に?」
「俺さ……どっかで勝手に決めつけてたんだと思う」
「……?」
「お前のことは、俺が護らなきゃならねえって」
織姫の表情が変わった。
「……黒崎くん」
「お前には何度も助けられてきたのにな」
一護は一度、視線を落とす。
「最後だって、そうだった」
その言葉だけで、織姫には伝わった。
最後の戦い。
自分たちが別れた、あの日のことだ。
一護は続けた。
「今だって、お前を護りてえ気持ちは変わらねえよ」
「……うん」
「でも、それだけじゃねえんだよな」
自分が井上を護る。
井上が自分を護る。
どちらか一つを選ばなければならないわけじゃない。
少なくとも、自分たちはそうやって戦ってきたはずだ。
一護は小さく息を吐いた。
「……あー、くそ」
言葉が上手く出てこない。
こういう話は苦手だ。
それでも、ちゃんと伝えたかった。
一護は左手の斬月を腰へ収めた。
空いた手で、がしがしと頭を掻く。
「……井上」
織姫が顔を上げた。
一護は少し照れくさそうにしながら、それでも真っ直ぐに彼女を見た。
「……俺の隣を頼む」
◇
織姫は、しばらく動かなかった。
黒崎くんの隣。
かつて、何度も立ちたいと願った場所だった。
あの人の力になりたい。
あの人を護りたい。
ただ助けられるだけじゃなく、自分も同じ場所で戦いたい。
その願いは、ずっと胸の中にあった。
最後の戦いで、自分は確かにあの人を護った。
けれど、それは二人が別れることにもつながってしまった。
あのときの選択を、後悔しているわけではない。
それでも。
もし、もう一度会えたなら。
今度こそ、同じ場所に立っていたかった。
「……黒崎くん」
織姫の声が、少し震えた。
一護が目を向ける。
織姫は、ゆっくりと笑った。
目元に涙が滲む。
でも、悲しいわけじゃない。
胸の奥が、どうしようもなく温かかった。
「……うん!」
大きく頷く。
「任せて、黒崎くん!」
一護は一瞬、目を見開いた。
それから、いつものように笑う。
「……おう」
◇
観客席では、上鳴が首を傾げていた。
「……なあ」
「あ?」
瀬呂が顔を向ける。
「何か今、妙な空気にならなかったか?」
「……ああ?」
瀬呂は大型モニターを見た。
そこには、頭を掻きながら何かを伝えた一護と、嬉しそうに笑う織姫の姿が映し出されている。
試合場で交わされた言葉までは、観客席に届いていなかった。
「……まあ、試合中に何話してんだとは思ったけど」
「だよな? 黒崎、何かすげえ真剣な顔してたし」
「井上も、ちょっと泣いてなかったか?」
切島が言った。
「……あいつ、何言ったんだろうな」
「それが気になんだよ!」
上鳴はモニターを見つめる。
しかし、二人はすでに構えを取り直そうとしていた。
「……ま、あとで聞いてみりゃいいか」
「やめとけ。絶対嫌な顔されるぞ」
瀬呂の言葉に、切島が笑った。
一方、B組の観客席では。
「…………」
拳藤がモニターを見つめていた。
「……織姫?」
隣の小森が首を傾げる。
「一佳ちゃん、どうしたの?」
「いや……あの子、何かすっごい嬉しそうだったなって」
「うん。嬉しそうだったねえ」
「……何話してたんだろ」
拳藤が呟くと、小森がにこりと笑った。
「あとで聞いてみよっか」
「……そうだね」
拳藤は再びリングへ視線を戻した。
そこでは、織姫が両手を上げ、一護が斬月を構え直していた。
「……さ、続きだ」
拳藤は膝に手を置く。
「頑張れ、織姫」
◇
一護は腰の斬月を抜き、再び左右に構えた。
「……さて」
織姫も、目元を拭って構え直す。
「……うん!」
「話は終わりだ。こっからは勝負だぞ」
「うん!」
織姫が笑った。
「私も、まだ負けてないから!」
「……ああ」
一護は頷く。
「分かってる」
その返事を待たずに、織姫が踏み込んだ。
今度は、先ほど以上に迷いがない。
右へ。
左へ。
細かく足を動かし、一護の間合いを外すように回り込む。
一護は短い斬月で進路を塞いだ。
織姫が盾を展開する。
刃が弾かれた。
その反動を使って、織姫はさらに距離を詰める。
(……速え!)
一護は後ろへ跳んだ。
だが、織姫は追ってくる。
その足元へ、椿鬼が走った。
「孤天斬盾!」
床に細い亀裂が刻まれる。
一護が踏み込もうとしていた場所だ。
足を止める。
その瞬間、織姫が懐へ飛び込んだ。
「……っ!」
一護は短い斬月を引き寄せる。
織姫の手が、左腕へ伸びた。
今度は本当に掴まれた。
織姫が腰を落とす。
身体を回す。
相手の勢いを利用した投げ。
「……おっと!」
一護は掴まれた腕を引き、重心をずらした。
織姫の投げが僅かに外れる。
しかし、彼女はそこで止まらない。
足を踏み替え、今度は一護の膝裏を狙った。
「……っ!」
一護は片足を浮かせてかわす。
そのまま後ろへ跳んだ。
距離が開く。
織姫は追いかけず、足を止めた。
双方の呼吸が、少し荒くなっている。
「……危ねえな」
一護が笑った。
「今の、もうちょいで持ってかれてたぜ」
「えへへ」
織姫も笑う。
「次はちゃんと投げるよ!」
「簡単に投げられてたまるかよ」
そう返しながら、一護は織姫の足元を見た。
さっきまでとは違う。
椿鬼を使って足場を崩すだけではない。
自分の身体を使って相手の重心を奪おうとしている。
しかも、盾の展開も遅れていない。
(……ほんと、手強えな)
一護は斬月を握り直した。
正面から防御を崩すのは難しい。
だが、それだけが勝ち方ではない。
先ほど、月牙天衝を受け止めたとき。
井上は盾を傾けて、攻撃の勢いを逃がしていた。
大きな斬撃を受けるときも同じだった。
衝撃を防ぎながら、身体が押し戻されないように工夫している。
ならば。
(……そこを狙う)
◇
『さあ、両者とも一歩も譲らねえ! 井上は自分から攻め込み、黒崎も迎え撃つ!』
『……いい勝負だな』
相澤が短く答えた。
『黒崎の攻撃を正面から受けるだけなら、井上はここまで動けない。防いだ後の位置取りも考えている』
『だが、黒崎も簡単には投げられねえ!』
『ああ。互いに相手の動きを読んでいる』
◇
一護が踏み込んだ。
右手の大きな斬月を振るう。
織姫が盾を展開した。
衝撃。
刃が盾の表面を滑る。
一護はすぐに左の斬月を突き出した。
織姫が身体を捻ってかわす。
そのまま懐へ入ろうとした。
だが、一護は追撃しなかった。
大きな斬月を引き、身体を横へずらす。
織姫の手が空を切った。
「……!」
その瞬間、一護が背後へ回り込もうとした。
織姫がすぐに振り返る。
盾を展開する。
大きな斬月が叩きつけられた。
衝撃に押され、織姫の身体が後ろへ流れる。
しかし、盾を傾ければ受け流せる。
織姫はすぐにその角度を変えた。
刃が逸れる。
一護の身体が僅かに前へ流れる。
(……今!)
織姫はその横を抜けようとした。
だが。
短い斬月が、進路を塞いだ。
「……っ!」
織姫は足を止める。
一護は、最初からその動きを待っていた。
大きな斬月を引き戻す。
織姫の盾が、再び正面へ向けられた。
そこで、一護が大きく踏み込んだ。
「……!」
斬月が三天結盾へ叩きつけられる。
重い衝撃。
織姫の身体が後ろへ押し戻された。
リングの縁が迫る。
(……まずい!)
織姫は盾を傾けた。
斬撃の勢いを横へ逃がす。
その隙に、側面へ抜けようとした。
だが、そちらには短い斬月が待っていた。
刃そのものは届かない。
けれど、進もうとすれば、その間合いへ入ってしまう。
織姫は反射的に足を止めた。
ほんの一瞬。
一護には、それで十分だった。
「……っ!」
大きな斬月が、再び盾へ打ち込まれる。
織姫は防いだ。
盾は破られていない。
それでも、身体を支える足が滑った。
後ろへ。
リングの縁を越えて。
「あっ……!」
織姫は咄嗟に身体を捻った。
片足が宙へ浮く。
もう片方の足で踏み止まろうとする。
しかし、届かない。
身体がリングの外へ傾いた。
織姫は無理に戻ろうとせず、着地の姿勢を取る。
次の瞬間。
両足が、リングの外へ着いた。
◇
一瞬の静寂。
ミッドナイトが腕を上げた。
「井上、場外! 勝者、黒崎一護!」
『決まったァァ!! 激しい攻防の末、最後は黒崎が場外へ押し出した! 勝者、黒崎一護ォォ!!』
競技場が歓声に包まれた。
リングの外で、織姫はしばらく動かなかった。
それから、ゆっくりと顔を上げる。
リングの上では、一護が斬月を下ろしていた。
「……負けちゃった」
ぽつりと呟く。
悔しい。
あれだけ練習してきた。
一佳ちゃんにも、たつきちゃんにも、たくさん助けてもらった。
それなのに。
もう少しだったのに。
織姫は自分の手を見つめた。
まだ、少し震えている。
月牙天衝を受け止めた。
一護の攻撃を防いだ。
自分から何度も仕掛けた。
それでも、届かなかった。
けれど。
(……また、強くなれる)
織姫は拳を握った。
悔しいからこそ、次がある。
もう一度戦えたなら、今度は違う動きができるかもしれない。
黒崎くんが、そうやって何度も強くなってきたように。
「……井上!」
声が聞こえた。
顔を上げると、リングの上から一護がこちらを見ていた。
「大丈夫か?」
「うん!」
織姫は笑った。
「大丈夫だよ!」
一護が小さく頷く。
「……そっか」
織姫は少しだけ頬を膨らませた。
「でも、悔しいなあ」
「……ああ」
一護は笑う。
「だろうな」
「次は勝つからね!」
その言葉に、一護の目が僅かに見開かれた。
それから、楽しそうに口元を緩める。
「……おう」
斬月を握り直し、頷いた。
「望むところだ」
◇
『いやー、こいつも見応えのある試合だったな、イレイザーヘッド!』
『ああ』
相澤が頷く。
『黒崎の攻撃力は高い。だが、井上も最後まで防御を崩されなかった』
『それでも場外になっちまった!』
『盾が破られなくても、身体を動かされれば負ける。最後は黒崎がそれを利用した形だな』
相澤はリングへ視線を向けた。
『ただ、井上もよく戦った。防ぐだけでなく、何度も黒崎の体勢を崩しかけている』
『なるほど! まさしく両者全力の勝負だったってわけだ!』
プレゼント・マイクが声を張り上げる。
『勝った黒崎にも! 最後まで戦い抜いた井上にも! 盛大な拍手を送ってくれェェ!!』
観客席から、拍手が巻き起こった。
◇
選手通路へ戻った一護は、二本の斬月をそれぞれ背中と腰へ収めた。
試合は終わった。
だが、身体にはまだ戦いの感覚が残っている。
井上の盾。
あの反応の速さ。
そして、最後まで諦めずに向かってきた姿。
(……強かったな)
正直、少し驚いていた。
昔から井上の力を軽く見たことはない。
それでも、今日の試合で見せられたものは、予想以上だった。
「黒崎くん!」
後ろから声がした。
振り返ると、織姫が駆け寄ってくる。
「井上」
「おめでとう!」
織姫は満面の笑みで言った。
「準決勝進出!」
「……おう。ありがとな」
一護は少し照れくさそうに答えた。
「それより、お前こそ大丈夫か? 月牙、結構きつかったろ」
「うん、ちょっとだけ!」
織姫は両腕を伸ばしてみせた。
「でも、怪我はしてないよ!」
「……そっか」
一護は安心したように息を吐く。
織姫はそんな一護を見て、ふっと笑った。
「黒崎くん」
「ん?」
「さっきのこと、嬉しかったよ」
一護の動きが止まった。
「……あ?」
「隣を頼むって、言ってくれたこと」
「……ああ」
一護は僅かに視線を逸らした。
リングの上では、勢いもあって言えた。
だが、改めて口にされると、どうにも落ち着かない。
「……別に、そんな大したこと言ったつもりじゃねえよ」
「私には、大したことだったんだよ」
織姫が笑った。
一護は何も返せなかった。
「……ありがとね、黒崎くん」
織姫は続ける。
「でも、だからって次の試合で無茶しすぎないでね?」
「……分かってるよ」
「ほんと?」
「ほんとだって」
織姫は一護の顔を覗き込む。
一護は眉を寄せた。
「……何だよ」
「ううん!」
織姫が笑う。
「じゃあ、応援してるね!」
「……おう」
一護も笑った。
「ありがとな、井上」
二人は並んで通路を歩き始めた。
その先で、織姫が思い出したように顔を上げる。
「あっ!」
「……今度は何だ?」
「一佳ちゃんたちに、試合の報告しなきゃ!」
「……見てただろ、あいつら」
「そうだけど! ちゃんとありがとうって言いたいから!」
「……ああ、そうだな」
一護は頷いた。
織姫が少し早足になる。
その横顔には、まだ試合の悔しさが残っている。
けれど、俯いてはいなかった。
前を向いている。
その姿を見て、一護も自然と足を速めた。
◇
競技場では、次の対戦カードが大型モニターに映し出されていた。
爆豪勝己。
芦戸三奈。
『さあ! 準々決勝第三試合も間もなく開始だァ!!』
プレゼント・マイクの声が響き渡る。
『爆発を操る一年A組、爆豪勝己! 対するは同じくA組、酸を自在に操る芦戸三奈! クラスメイト同士の勝負を制するのはどっちだァ!?』
観客席から、大きな歓声が上がった。
選手通路の一方では、爆豪が拳を握り直している。
反対側では、芦戸が肩を回して身体をほぐしていた。
二人の視線が、それぞれリングへ向けられる。
準々決勝は、まだ終わらない。