夕日と雨【短編集】   作:葵(仮)

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夕日と雨

 雨が降った。

 ポツリ、ポツリと大粒の雨が僕の上だけに降りつけた。

 

 また明日って、そう言った場違いな夕日が、そんな雨をオレンジ色に彩った。

 

 

 夏の薄暮時、コンクリートの歩道で、僕たちは横に並んで歩く。

 身長は僕の方が高いはずなのに、彼女の頭は僕の頭よりも空に近かった。

 車道と歩道を区切るための出っ張りの上、平行棒の選手みたいにバランスを取りながら、彼女は男のものより丸ッとしたデザインの可愛らしい革靴(ローファー)でゆったりと歩く。

 その横で僕はのんびりだらり、同じ道を進んでいく。

 彼女が時々バランスを崩してよろける。

 僕は支えようとするけれど、そうしようとする時にはなんとか体を立て直して、彼女はまた出っ張りの上を歩いていく。

 

 いつものように、そう、いつものように。

 

 学校が終わっての帰り道、僕たちはただ単に二人一緒に歩くだけで、たった一言の会話もしていない。 

 これも、いつものことだった。

 どっちから一緒に帰ろうと、そう言ったわけではないけれど。

 いつもいつも、何でか時間があっちゃって、僕たちは無言のまま、同じ道を通っていく。

 例えば僕がなんかの事情で遅くなった時、彼女も何かの事情で遅くなって、靴箱の前でばったり会う。

 運命の悪戯だとか、神様の意思だとか、そんな曖昧なことを信じているわけじゃ決して無いけれど、何かの陰謀だとかそんなことを考えてしまうくらいには、不思議な事で、どうにもむず痒い感覚が僕を包む。

 

 ――偶の事だ。

 話すこともある。

 そういう時は大抵――ううん、いつも彼女から。

 今日の帰り道は、そんな前例に漏れず彼女から口を開いて、僕たちの味気ない無色透明な帰り道が少しだけ色を帯びた。

「女と男の溝ってさ、やっぱりそう簡単に埋まるもんじゃないと思うんだ」

 はて、何の話をするのかと思えば、哲学か何かだろうか。

 彼女の話は、突飛で唐突ではあるけれどまぁ聞いていて悪い気はしない。

 

 ……いや、僕は今少し嘘をついたな。

 僕は彼女と話すのが好きだから、彼女が何を話してくれてもいいんだ。別に内容なんか関係ない。

 彼女と他愛ない、よく分からない話をする。

 これでいいのだろう。これが、いいんだろう。

 

 それはともかくとして、僕は彼女の話を聞くことにする。

「何で?」

 僕が何気なくそう聞くと、彼女は西の空、沈む太陽の方に顔を向けた。

 暮れていく夕日が、彼女の横顔を照らした。

 

 ドキリと、心臓が跳ねた。

 ふいのことで、僕は咄嗟に音が出るくらいにごくりと音を立てて唾を飲んでしまった。

 或いはそんなことは錯覚で、僕にしか聞こえなかったのかもしれないけれど、そんな気は、どうしてかしなかった。

 日の光の所為じゃなくて、僕は自分の顔が少し赤くなったのに気付く。

 

 オレンジの光を顔に浴びた彼女は眩しそうに目を細めて、でもすぐにその光に慣れたのかまた目を開けて遠く空を見上げる。

 ――また、バランスを崩しかけて落ちそうになったけれど、さっといつものように彼女は体勢を立て直した。

 

「溝って言うのはさ、掘る事自体は時間をかければ……それこそ、私みたいに非力な女の子でも作る事はできるじゃない?」

「非力、ね」

「なんで今、それ言ったの?」

「なにもいってないよ」

「ふぅん……別にいい、ケド」

 彼女は一度僕の方を向いてむっとむくれた顔を作ったあと、また前を向いていつもの様に饒舌に口を動かす。

 気分のよさそうな彼女のローファーの陽気な足音が、心地よく心に染み込んでいく。 

「でも、埋めようとするとどうしても、掘った土の分だけじゃ足りなくなっちゃうよね。どうしても、段が出来たり緩くなったりしちゃう」

「そりゃあ、お前。掘った分を全部掻き戻すなんてできやしないからな」

「そうそう。だからさ、その隙間を埋めるには、どうにかして何処かからかその分を埋めるための土を持ってこなくちゃいけない。まぁ、溝って言うのは比喩だけど、男と女の関係で言うなら……そう。幼馴染であるとか、友達であるとか……あぁ、愛なんていうのも、滑稽に聞こえるけど、空いてしまった溝っていう隙間に入れる要素としてはいいかもしれない」

 ……愛、ねぇ。

 愛、LOVE、恋愛……確かに滑稽っちゃぁ、滑稽だけど、それがあることによって男と女じゃなくて二人の心を通わせあう人間っていう意味で……ちょっと拡大解釈的ではあるけれど、"溝がない"って言えるのかもしれない。

 

「で、それが?」

 正直なところ、僕は今一この話の趣旨と言うか、主旨というか要旨と言うか……まぁつまり、なにをいいたいのかうまく察する事が出来なかった。

 適当に考察はしてみても、なんだか酷く曖昧で蒙昧で適当で、それこそアイとやらみたいに滑稽でお粗末なものばかり。

 こういう心理状況は、僕の精神衛生上あまりよろしくない。喉に詰まって取り出せない感覚は真っ平ゴメンである。

 そんなわけで、こんな阿呆を体現したような質問をしてしまったわけなんだが、彼女はそんなことを思っていないのか、日の方を向いたまま少しばかり口の端を吊り上げて笑っていた。

 

 ドキンと、また僕の心臓が落ち着かない様子で跳ね上がった。

 ……まったく、持ち主に似て情緒不安定な心臓である。もう少し落ち着きというものをもって欲しいものだ。――なんて、錯乱気味である。

 

「なんで笑うのさ」

 僕はやけくそ気味に彼女にうったえかける。

「おもしろいからね」

 彼女は今度は僕の方を――僕の目を見て、また笑った。その笑顔はとてもとても――

「……ぅ」

 ――可愛い、なんて言える性質(たち)じゃあないのだ、僕は。彼女とは違うんだから。

 

「そういうところ、可愛いよね君」

「…………はぁ」

 ほら、またこういうことを言う。

 僕は恥ずかしくなって、彼女の視線から逃げるように夕日に救いを求めた。――地平の果てに沈みかかった夕日は、まだ光を失わない。

 

 そんな僕に気を遣ったのか、今度は彼女から口を開いた。

「意味は、ないよ。ただ、言ってみただけ」

「なんだそりゃ」

 考える間もなく、僕は反射的に言葉を返していた。

「もしかして怒ってる? それとも、呆れてる?」

 彼女が首をこくりと可愛らしく(かし)げてそんなことを言うもんだから、

「別に、そんなこと思っちゃいないよ」

 照れ隠しで素っ気無くかえしてしまう。

 僕、バカみたいだ。こんな時に気の利いたギャグを滑らかに出せたなら、なんて幸せな事なんだろうか。

 

「……あのさ」

 また、彼女から。

「なに?」

 今日の彼女は、いつにもまして饒舌だ。話を途切れさせる事を是としないかのように、矢継ぎ早に言葉を繋ごうとする。

 ……別にいやなわけじゃあないけれど、どうにも、習慣と言うものは根深いものであるらしい。少しいつもと違った事が起こるだけでむずむずとする。

 この悶々とした気分は、夏の夜に蚊に指されてかゆみを我慢するみたいな、そんな感じで、頭の中の整理がうまくできない。

 

 でも、僕と同じように、“いつも”とずれているはずの彼女は、悶々どころか溌剌として爽やかな様子で、僕は少し妬ましくなった。そして、そんなことを考える僕をバカらしく思った。

 

 不意に、彼女が足を止めた。……反射で、僕も足を止める。

 無駄にしっかりとした、芝居じみたともいえる風に、音を立てて彼女は横に伸ばしてバランスをとっていた両手を下ろす。

 カツンと、そんな音と一緒に、彼女は段差から降りて、僕の目の前に立った。

 今度は、僕が彼女を見下ろす立ち位置になった。

 頭一つ分の差がある僕たち凸凹コンビは、彼女からみて夕日をバックに向かい合う。

 

「アイとは、なんでしょうか」

 何故か、敬語。その真意がわからない。

 ――が、僕もそのノリにあわせることにする。

「日本において、青の少し変わった言い方です。藍色、藍染など……」

「色ではなく」

 彼女の眉間に皺が寄る。

「東アジア全域において多く確認されている魚です。現在では一部地方で絶滅を危惧されていたりします。漢字では魚偏に……」

「アユではありません。アイです。ラブ、あい・らぶ・ゆーのラブ。ドゥーユーアンダスタン?」

 どうやら真面目な質問らしい。

 彼女の視線が攻撃性を含んでいる事に気がつき、僕は仕方なく真面目に答えることにした。

 溜息を、一つ。

 深呼吸を、一つ。

 

「僕が貴女に対して抱いている感情です」

 

 溜息をまた一つ。

 ――あぁ、我ながら恥ずかしい。

 

 だが、彼女も随分と面食らったようで、ぽかんと、喉の奥が見えるくらいに口を開けて呆けていた。

 そんな姿も、まぁ、可愛らしかった。

 さっきまでのあの攻撃性はどこへやら、彼女の目はどこか遠くへ旅に出ていた。

 

 やがて彼女の時は動き出し――でもやっぱり、どこか抜けた感じで――顔を真っ赤にして――ぐるぐるとなんの儀式か、その場で5回ほど回って、やっと――ようやっと、彼女は彼女を取り戻す事が出来たらしい。

 

「ねぇ」

 顔を真赤にしたまま、上目遣いで僕を見上げるようにして、彼女は僕の顔を覗き込む。

「なんだよ」

 

「私も君のこと、好きだよ」

 

「知ってた」

 ボフンと、人間からでるはずのない音を立てて、彼女は頭から煙を出した。

「なんてね」

 ……なんて、僕は気取った風にいっているけれど、実際自分でわかるくらいに僕も顔を真っ赤にしている。

 少し気を抜いたら、彼女みたいになってしまうような気がした。

 

「ねぇ」

「んん?」

 少し経ってまたまた、彼女から。

 ――既知感(デジャヴュ)漂う会話だが、まぁいい。

 これが僕たちの第一歩。

 

 

 

 

「名前、教えてよ」

 

「やだ」

 

 

「付き合ってよ」

 

「いいよ」

 

 

 

 

 また明日ってそういって、夕日が全部遠くの地面に消えていって。

 僕たちは、また、何も話さないで、闇に溶け始めた世界に二人並んで歩いていった。

 

 

 

 その夜は大きな満月が(そら)を覆った。

 そんな空にオレンジ色の一等星が見えたもんだから、あれはなんて星かな、なんて考えながら、僕はただ、ソラを眺めていた。




10月27日:なんとなく気に入らなかったところを加筆修正してみたり。
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