第1話 東方の姫君
1991年9月1日 ― ホグワーツ魔法魔術学校
ハリー・ポッターの人生は、この夏を境に一変した。
十一年間、自分をただの厄介者だと信じ込ませてきたダーズリー家。階段下の物置で眠り、従兄弟のダドリーに追い回される日々。
そんな退屈で惨めな生活が終わりを告げたのは、ある大男が一通の手紙を携えて現れた日のことだった。
ルビウス・ハグリッド。
ホグワーツ魔法魔術学校の森番を名乗った彼は、ハリーに自分が魔法使いであることを告げた。
そればかりか、死んだと聞かされていた両親も魔法使いであり、自分は魔法界で知らぬ者のない有名人なのだという。
何もかもが信じられない話だった。
けれど、ハグリッドに連れられて訪れたダイアゴン横丁には、そんな常識を吹き飛ばす光景が広がっていた。
空中を飛び回る箒。ひとりでに動く羽根ペン。奇妙な生き物を売る店。そして、建物の奥深くに金貨の山を隠したグリンゴッツ銀行。
ハリーは目を丸くしながら、初めての杖と、教科書と、真新しい制服を買い揃えた。
そして九月一日。
ロンドンのキングズ・クロス駅、九と四分の三番線から発車する深紅の蒸気機関車に乗り込み、ハリーはとうとうホグワーツへと向かうことになった。
列車の中では、赤毛の少年ロン・ウィーズリーと親しくなった。
彼は六人兄弟の末っ子で、ハリーとは対照的に、魔法使いの家庭で育った生粋の魔法界の住人だった。
もっとも、魔法界のことを何でも知っているというわけではないらしい。
お菓子を食べ、動く肖像画の話を聞き、時折ロンの飼い鼠が不格好に寝返りを打つのを眺める。
そんな楽しい道中には、少々不愉快な出来事もあった。
ドラコ・マルフォイという、金髪で青白い顔をした少年との再会である。
ダイアゴン横丁でも顔を合わせたこの少年は、またしても家柄だの血筋だのという話を持ち出してきた。
ロンの家を見下すような発言まで飛び出したところで、ハリーは彼とは友達になれそうもないと確信した。
結局、二人は険悪なまま別れた。
しかし、そんな出来事も、ホグワーツ城を初めて目にした瞬間には頭から吹き飛んでしまった。
黒々とした湖の向こうに、無数の尖塔を天へと突き出す巨大な城が浮かび上がっていたのだ。
窓という窓から黄金色の光が漏れ、夜空には星々が瞬いている。
ハリーは小舟の上から、ただ呆然とその威容を見上げていた。
――ここが、これから自分の暮らす場所なのだ。
胸が高鳴った。
そして、城の中へと案内された新入生たちは、やがて一際大きな扉の前に立たされた。
扉の向こうからは、大勢の生徒たちの話し声が聞こえてくる。
「さあ、皆さん。お入りなさい」
マクゴナガル先生の声とともに、重厚な扉が開かれた。
ハリーはロンと顔を見合わせ、恐る恐るその先へと足を踏み入れた。
そこは、まるで夢の中のような場所だった。
高い天井には本物と見紛うばかりの星空が広がり、無数の蝋燭が宙に浮いている。
四つの長大なテーブルには黒いローブを着た生徒たちが並び、その先には教師たちが座る壇上の席が見えた。
左右から注がれる何百もの視線に、ハリーは思わず肩を竦めた。
そして――。
彼の視線は、ある一点でぴたりと止まった。
スリザリンのテーブル。
緑と銀の装飾を背に、何人かの上級生たちと談笑している一人の少女がいた。
艶やかな黒髪。
白磁のような肌。
そして何より、蝋燭の光を受けて深紅に煌めく、宝石のような瞳。
東洋人だろうか。
少なくとも、ハリーがこれまでに見たことのある誰とも違っていた。
背中まで流れる真っ直ぐな黒髪は、絹糸のように滑らかだった。整った目鼻立ちは、まるで精巧に作られた人形のようでもある。
けれど、彼女が隣の生徒に向けてふわりと微笑んだ瞬間、その印象は一変した。
人形などではない。
柔らかく、気品があり、それでいてひどく親しみやすそうな微笑み。
その場にいる誰よりも華やかなのに、少しも居丈高なところがない。
ハリーは思わず息を呑んだ。
「……おい、ハリー」
隣からロンが小声で話しかけてきた。
「なあ、あの子、見たか?」
「……うん」
「すっげえ美人じゃないか?」
「うん」
返事が二度とも同じになったことに気づいたのは、少し後のことだった。
ロンはそれどころではないらしい。
「しかも、なんていうか……すごく大人っぽいよな」
彼が言いたいことは、ハリーにも何となくわかった。
その少女は、同じ学校の生徒だとは思えないほど成熟した雰囲気を纏っていた。
座っていてもわかる均整の取れた姿勢。ローブ越しにも伝わる女性らしい豊かな身体の曲線。そして、何気ない仕草の一つひとつに漂う優雅さ。
十一歳の少年二人には、少々刺激が強すぎた。
「何年生なんだろう」
「わかんない。でも、たぶん上級生だよ。あんな大人っぽいんだから」
「そうかな……」
「絶対そうさ。ほら、見ろよ。周りの連中だって、あの子に話しかけられると嬉しそうじゃないか」
確かに、彼女の周囲には不思議な空気があった。
誰もが親しげに話しかける一方で、どこか一歩引いたような、丁寧な態度を崩さない。
同じテーブルに座っているのに、彼女だけが別の世界の住人であるかのようだった。
ハリーはもう一度、その少女の横顔を見た。
彼女が何かを言って笑う。
長い睫毛が伏せられ、深紅の瞳が細められる。
胸の奥が、妙に落ち着かなくなった。
「ポッター!」
「は、はい!」
突然名前を呼ばれ、ハリーは飛び上がりそうになった。
いつの間にか、組分けの儀式が始まっていたのだ。
ロンが肩を震わせて笑っている。
ハリーは慌てて前へ進んだ。
古ぼけた帽子を頭に被せられ、自分の頭の中に響く奇妙な声に驚かされる。
その声は、ハリーの素質をあれこれ吟味し、スリザリンに入る可能性についても口にした。
スリザリン。
ハリーの脳裏に、先ほどの黒髪の少女が浮かんだ。
一瞬、悪くないかもしれないと思った。
けれど同時に、列車で出会ったマルフォイの顔も思い出した。
あいつと同じ寮になるのは、やっぱり嫌だ。
やがて帽子は、ハリーの行き先を高らかに告げた。
「グリフィンドール!」
歓声が上がった。
ハリーはほっと胸を撫で下ろし、グリフィンドールのテーブルへと向かった。
そこでは、赤毛の双子が派手に手を振っていた。
「ようこそ、ハリー!」
「歓迎するぜ、ポッター!」
ロンの兄、フレッドとジョージ・ウィーズリーだった。
ハリーは二人に迎えられ、空いている席へ腰を下ろした。
やがてロンもグリフィンドールに組分けされ、隣に座った。
これで、少なくとも友達とは離れずに済む。
ハリーは嬉しくなった。
もっとも、視線はたびたび向かい側の遠いテーブルへと吸い寄せられてしまうのだが。
あの少女は、もうこちらを見ていなかった。
誰かと穏やかに話をしている。
少し残念だった。
いや、どうして残念なのか、ハリー自身にもよくわからなかった。
そんなことを考えているうちに、組分けの儀式は終わった。
校長先生の挨拶があり、そして――。
目の前の金色の皿に、突然料理が現れた。
「うわあ!」
ハリーとロンは揃って声を上げた。
ローストビーフにチキン、香ばしいポークチョップ。山盛りのポテトにヨークシャー・プディング。ソーセージ、野菜、色とりどりのソース。
見渡す限り、ご馳走だった。
「最高だ!」
ロンは歓声を上げ、さっそく皿に料理を盛り始めた。
ハリーも負けじとフォークを手に取る。
ところが、肉料理へ手を伸ばしかけたところで、彼の動きは再び止まった。
「あっ」
「どうした、ハリー?」
「あいつ……マルフォイだ」
ロンが顔を上げた。
スリザリンのテーブルで、一人の金髪の少年が席を立ったところだった。
ドラコ・マルフォイである。
彼は普段の尊大な表情を引っ込め、ローブの襟元を整えると、何やら緊張した面持ちでテーブルの上座寄りへと歩いていった。
その先にいたのは――。
「あっ、あの子だ!」
ロンが小声で叫んだ。
先ほどの黒髪の少女だった。
ドラコは彼女の傍らで立ち止まった。
そして、驚いたことに、深々と頭を下げたのである。
列車の中で見せた傲慢な態度からは、到底想像もつかない光景だった。
ハリーは思わず身を乗り出した。
周囲の喧騒に遮られて声まではよく聞こえない。
だが、その場で交わされていた会話は、ハリーの想像以上に格式張ったものだった。
***
「冷泉様。お食事中に失礼いたします」
ドラコは慎重に言葉を選びながら、改めて礼をした。
「マルフォイ家のドラコ・マルフォイでございます。このたび、スリザリン寮へ所属することとなりました。父ルシウスより、御身にお目にかかる折には、くれぐれも失礼のないようにと申し付かっております」
そう告げる声には、明らかな緊張が滲んでいた。
マルフォイ家は、イギリス魔法界における名門純血家系の一つである。
その嫡男たるドラコは、幼い頃から自らの家柄に誇りを持って育てられてきた。
しかし、父ルシウスが繰り返し語っていたことがある。
血筋にも家格にも、上には上がいる。
まして、国を異にすれば、その尺度すら変わるのだ、と。
東方の島国に、千年を超える歴史を有する魔法の名門がある。
その家の名を、冷泉という。
ドラコは、その程度の知識しか持ち合わせていなかった。
ただ、普段は他家に対して容易に頭を下げない父が、この家の名を口にするときだけは、必ず慎重な言葉を選んでいたことを覚えている。
だからこそ、入学して最初の晩に挨拶を済ませておく必要があった。
そんなドラコを、冷泉水那子は穏やかな微笑みで迎えた。
「まあ。マルフォイ家の若君でいらっしゃいますのね」
鈴を転がすような、澄んだ声だった。
その英語は流暢で、わずかに異国の響きを残している。
「ご丁寧に恐れ入ります。わたくし、冷泉水那子と申します。どうぞ、よしなに」
そう言って、水那子は優雅に会釈した。
「お父様には、日頃よりお心を砕いていただいております。どうぞ、お礼をお伝えくださいませ」
「はい。必ず」
「それにしても、お父様からお言付けをいただいたとはいえ、こうしてわざわざご挨拶にいらしてくださるなんて。ほんに、ご立派なこと」
水那子は微笑みを深めた。
「けれど、ここは学校ですもの。あまり堅苦しくなさらなくてもよろしゅうございますよ。同じ寮におりますのですから、どうぞ気楽にお声をかけてくださいな」
「恐れ入ります、冷泉様」
「ふふ。それでは、いつまで経っても肩が凝ってしまいますわね」
柔らかな笑い声。
ドラコは少しばかり頬を赤くした。
それを見て、水那子はさらに表情を和らげた。
「ところで、ドラコ様。ホグワーツへのご入学、おめでとうございます。お父様も、さぞお喜びでしょうね」
「ありがとうございます。僕も、スリザリンに選ばれたことを誇りに思っております。父も同じ寮でしたので」
「まあ。それは何よりですこと」
水那子は頷いた。
「ご家門を大切になさるのは、まことに結構なことですわ」
「はい。マルフォイ家の名に恥じぬよう、努める所存です」
ドラコは胸を張った。
そこへ、彼の悪癖が少しばかり顔を覗かせた。
「もっとも、今年の新入生には、少々……ふさわしくない者も混じっているようですが」
「あら」
水那子が首を傾げた。
「と、おっしゃいますと?」
「例えば、ポッターです。ハリー・ポッター。ご存じでしょう?」
「ええ。お名前は存じ上げております」
「彼は、どうも付き合う相手を見極める目がないようでして。由緒ある家の者と、そうでない者の違いも理解していないようです」
水那子は一瞬だけ目を細めた。
「……そうですの」
その微笑みは、少しも崩れなかった。
「わたくし、まだポッター様とはお話ししたことがございませんので、どのようなお方かは存じませんけれど」
水那子は銀のナイフをそっと皿の傍らに置いた。
「お家のご立派な方ほど、ご本人のお人柄まで立派とは限りませんし、その逆もまた然りでございましょう?」
「……ええ、それは」
「せっかく同じ学び舎に集うたのですもの。お生まれのお話ばかりでは、少々もったいのうございますね」
責めるでも、諭すでもない。
ただ、何気ない世間話のような口調だった。
しかしドラコには、自分の発言を窘められたことがはっきりと理解できた。
「……仰るとおりです」
「ふふ。お気を悪くなさらないでくださいましね」
「とんでもございません」
「ご自分のお家を大切になさるお心は、わたくしもよくわかります。ただ、それと同じくらい、ほかのお家にもそれぞれ大切になさっているものがございますでしょう?」
水那子はにこりと微笑んだ。
「そのあたりをお忘れにならなければ、きっと素敵な七年間になりますわ」
ドラコは今度こそ、素直に頭を下げた。
「肝に銘じます」
「まあ、大袈裟な」
水那子は小さく笑った。
「さあ、お食事が冷めてしまいますよ。お友達もお待ちでしょう?」
「はい。それでは、失礼いたします。冷泉様」
「ええ。どうぞ、よい夜を。ドラコ様」
最後にもう一度、ドラコは丁重に一礼した。
そして、来たときよりもいくらか硬い足取りで、自分の席へと戻っていった。
水那子はその背を見送ると、何事もなかったかのように食事を再開した。
***
「……おい」
ロンが呟いた。
「見たか、ハリー?」
「うん」
「あのマルフォイが、お辞儀したぞ」
「うん」
「しかも、二回どころじゃない。何度もだ!」
ロンは信じられないものを見たような顔をしていた。
「僕たちにはあんなに偉そうだったくせに!」
ハリーも同感だった。
あれほど人を見下した態度を取る少年が、あんなにも丁寧に誰かと話すことがあるなんて。
それだけでも驚きなのに、相手の少女は少しも恐縮していなかった。
むしろ、彼女の方が年下のドラコを優しく迎え、何かを教え諭しているようにさえ見えた。
そして何より、不思議だったのはその表情だ。
彼女は終始、微笑んでいた。
けれど、途中で一瞬だけ、空気が変わったような気がした。
遠くから眺めていただけなのに、ドラコが急に背筋を正したことがわかった。
それでも、彼女は最後まで穏やかだった。
「……いったい、誰なんだろう」
ハリーが呟くと、ロンも頷いた。
「僕も知りたいよ。あんなマルフォイ、初めて見た」
「何の話だい?」
向かい側から、陽気な声がした。
顔を上げると、フレッド・ウィーズリーがこちらを見ていた。
その隣にはジョージもいる。
「ねえ、フレッド」
ロンが身を乗り出した。
「あそこの、スリザリンの女の子。黒髪の、すっごく綺麗な子。あの子、誰?」
フレッドは視線を向けると、すぐに「ああ」と頷いた。
「レイゼイのことか」
「レイゼイ?」
「そう。冷泉水那子。日本から来た子だよ」
ジョージが言葉を継いだ。
「俺たちより一つ下だな。去年入ってきたから、今年で二年生だ」
「二年生!?」
ロンが素っ頓狂な声を上げた。
ハリーも驚いた。
どう見ても、もっと年上に見えたからだ。
「なんだよ、その顔は」
フレッドが笑った。
「まあ、気持ちはわかるけどな」
「見た目もそうだけど、雰囲気が違うんだよな」
ジョージが続けた。
「先生たちと話してても、全然物怖じしないし。どこぞの大人のお偉方みたいだ」
「しかも、マルフォイの奴が頭を下げてた!」
ロンが興奮気味に言った。
「いったい何者なのさ?」
フレッドとジョージは顔を見合わせた。
「……さて、どこまで本当なんだか」
「噂はいろいろあるぜ」
「噂?」
ハリーが聞き返す。
フレッドは少しだけ声を落とした。
「なんでも、日本の魔法界じゃ、とんでもなく偉い家の生まれなんだとさ」
「偉いって、どれくらい?」
ロンが尋ねる。
「そりゃあ、お前……」
フレッドは少し考えた。
「イギリスでいうところの、古い貴族みたいなものかな」
「貴族?」
「いや、それどころじゃないらしいぜ」
ジョージが口を挟んだ。
「なんでも、日本の魔法界の王家みたいなものなんだってさ」
「王家!?」
ハリーとロンが揃って声を上げた。
フレッドは慌てて手を振った。
「おいおい、声がでかいって」
「だって、王家って!」
「いや、だから、王家そのものなのかどうかは知らないよ」
ジョージが肩を竦めた。
「日本には日本の事情があるんだろ。俺たちにだって、よくわからないんだから」
「ただ、すっごく古くて由緒ある家だってことは確からしい」
フレッドが言った。
「俺も詳しいことは知らないけど、純血の家の連中は、みんな彼女に一目置いてるみたいだ」
「特にスリザリンじゃな」
ジョージがいたずらっぽく笑った。
「マルフォイのお坊ちゃんがあんなに畏まってるんだ。相当なもんだろ?」
ハリーはもう一度、スリザリンのテーブルを見た。
冷泉水那子。
レイゼイ・ミナコ。
不思議な響きの名前だった。
日本という国がどこにあるのかは、ハリーも知っている。
けれど、その国の魔法使いについては何も知らなかった。
イギリスの魔法界すら知らなかったのだから、当然といえば当然である。
「ねえ、あの子って、どんな子なの?」
ハリーは尋ねた。
フレッドは少し考えた。
「うーん、そうだな。あんまり話したことはないけど、結構いい子だよ」
「そうそう。偉そうなところなんか全然ないしな」
ジョージも頷いた。
「むしろ、やたら礼儀正しいくらいだ。誰にでも笑顔で挨拶するし、こっちが困ってると助けてくれたりする」
「スリザリンなのに?」
ロンが思わず尋ねると、フレッドは肩を竦めた。
「スリザリンだからって、全員がマルフォイみたいな奴ってわけじゃないさ」
「それに、あの子はちょっと別格だしな」
ジョージが付け加えた。
「別格?」
「なんていうかな……」
フレッドは首を傾げた。
「誰かの顔色を窺ってるところを、見たことがないんだよな」
「ああ。むしろ周りがあの子の顔色を窺ってる」
ジョージが笑った。
「でも、それを鼻にかけるような子でもないんだ。妙な子だよ」
ハリーは黙って聞いていた。
高貴な家柄。
日本の魔法界の王家。
ドラコ・マルフォイでさえ頭を下げる少女。
それだけでも十分に驚くべき話だった。
けれどハリーが最も心を惹かれたのは、双子が語る彼女の人柄だった。
偉そうなところがなく、誰にでも優しく接する。
その一方で、周りの人間が自然と彼女に敬意を払う。
まるで、物語に出てくるお姫様みたいだ。
ハリーはそんなことを思った。
いや、ひょっとすると本当にお姫様なのかもしれない。
「……僕も、話してみたいな」
思わず口をついて出た言葉に、ロンがにやりとした。
「なんだよ、ハリー。もう好きになっちゃったのか?」
「ち、違うよ!」
ハリーは慌てて否定した。
「ただ、どんな人なのかなって……」
「ふうん?」
「本当だって!」
ロンはますます楽しそうに笑っている。
すると、向かい側のフレッドが大袈裟に頷いた。
「なるほど、なるほど」
ジョージも真似をした。
「我らがハリー・ポッター、入学初日にして恋を知る、と」
「違うったら!」
三人が笑い出した。
ハリーは顔を真っ赤にして俯いた。
けれど、心のどこかでは思っていた。
もし、いつかあの少女と言葉を交わす機会があったなら。
彼女はどんな声で、どんなことを話してくれるのだろう。
さっきドラコに向けていた微笑みを、自分にも向けてくれるのだろうか。
少なくとも、彼女が笑いかけてくれたら、きっとひどく嬉しいだろう。
ハリーはそう思った。
ふと、視線を上げる。
スリザリンのテーブルでは、冷泉水那子が隣の少女に何かを尋ねられ、楽しげに笑っていた。
その仕草は、やはりどこか特別だった。
ハリーはしばらく見惚れていた。
すると――。
ぐううう。
自分の腹から、盛大な音が鳴った。
「……ハリー?」
ロンが振り向いた。
ハリーは気まずそうに笑った。
そうだった。
今日は朝から大変な一日だったのだ。
汽車に揺られ、湖を渡り、組分けの儀式を受け、そして今、ようやく夕食にありついたところだった。
いくら綺麗な少女が気になったところで、空腹が消えるわけではない。
それに、ホグワーツでの生活はまだ始まったばかりだ。
彼女に話しかける機会なら、きっとこれからいくらでもあるだろう。
ハリーはそう自分に言い聞かせた。
そして、ひとまず彼女のことは頭の片隅に置いて、目の前の皿へと向き直った。
こんがりと焼き上がった、分厚いポークチョップ。
その表面には肉汁がきらきらと光っている。
ハリーはナイフとフォークを手に取った。
「……いただきます」
誰にともなく呟いて、大きく切り分けた肉にかぶりつく。
熱々の肉汁が口いっぱいに広がった。
――うん。
お姫様のことは、食べ終わってから考えよう。
そう決めたハリーは、今度こそ目の前のご馳走に夢中になるのだった。