1991年9月 ― ホグワーツ魔法魔術学校
空を飛ぶというのは、実に素晴らしいことだった。
けれど、ハリー・ポッターがホグワーツへ入学してから経験した驚くべき出来事は、箒で空を飛んだことだけではなかった。
例えば、三つの頭を持った巨大な犬。
あれなどは、できれば一生思い出したくない類の出来事だった。
発端は、ドラコ・マルフォイとの諍いである。
飛行訓練の日、二人は真夜中に決闘するという話をしていたのだが、冷泉水那子との思いがけない邂逅に舞い上がったハリーは、そんな約束などすっかり頭から吹き飛んでしまっていた。
それでも、ロンに念を押されて何とか思い出し、夜の城へ忍び出たのだ。
ところが、決闘の相手であるマルフォイは現れなかった。
代わりに現れたのは、見回りをしていたフィルチだった。
ハリーとロンは、成り行きで同行することになったハーマイオニー・グレンジャーとネビル・ロングボトムを引き連れ、城中を逃げ回る羽目になった。
そして、立ち入りを禁じられた三階の廊下で、あの怪物と遭遇したのである。
三つ首の巨大な犬。
涎を垂らす三つの口。
そして、鋭い牙。
あれは、どう考えても普通の犬ではなかった。
いったい何を食べれば、あんな大きさに育つというのだろう。
もっとも、ハリーが一番不思議に思ったのは、あの怪物がどうして学校の中で飼われているのかということだった。
しかも、その足元には落とし戸まであった。
ハーマイオニーによれば、あの犬は何かを守っているのではないかという。
だとすると、ホグワーツには、あんな怪物に守らせなければならないほど大切なものがあるのだろうか。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。
「……まあ、もう一度あそこへ行きたいとは思わないけどね」
談話室の暖炉の前で、ハリーはそう結論づけた。
ロンも深々と頷いた。
「まったくだよ。僕はしばらく三階には近づかないことにする」
そして、そんな恐ろしい冒険から数日が経った、ある朝のことだった。
ハリーは、自分の人生で初めての、正式なお茶会の招待状を受け取ることになった。
***
「……なんだ、これ?」
朝食を終えてグリフィンドールの談話室へ戻ったハリーは、自分の荷物の上に置かれた一通の封筒を見つけた。
普通の手紙とは、少し様子が違っていた。
まず、紙が違う。
羊皮紙でも、ダーズリー家で使っていた白い便箋でもない。
柔らかな乳白色の紙には、細かな繊維が雲のように浮かび、光の当たり方によって淡い陰影を描いていた。
触れてみると、意外なほどしっかりとしている。
けれど、表面にはどこか温かみがあった。
封筒の片隅には、薄墨で描かれた小さな紅葉。
そして、裏面には深紅の封蝋が押されていた。
その紋章は、ハリーには見たことのないものだった。
「おい、ハリー!」
ちょうど隣で荷物を片づけていたロンが声を上げた。
「僕にも来てる!」
見ると、ロンも同じような封筒を手にしていた。
「これって、もしかして……」
二人は顔を見合わせた。
ハリーは慎重に封を切った。
中から現れたのは、封筒と同じ紙で作られた、細長い便箋だった。
そこには、見事な筆跡の英語で、丁寧な招待の言葉が綴られていた。
冷泉水那子。
間違いない。
あの少女からの招待状だった。
ハリーは思わず顔を綻ばせた。
「……綺麗だね」
手紙を眺めながら、そう呟く。
字が美しいのはもちろんだが、それだけではない。
封筒の色、紙の手触り、余白の取り方。
どれも派手ではないのに、妙に上品だった。
何かを飾り立てているわけではない。
むしろ、驚くほど簡素な作りだった。
それなのに、ハリーがこれまで受け取ったどんな手紙よりも、特別なものに見えた。
「これ、何の紙だろう?」
ロンが首を傾げた。
「日本の紙かな」
「たぶんね」
ハリーは光に透かしてみた。
薄い繊維が、まるで細い糸のように重なっている。
「なんか、こういうのを……ワビサビっていうんだっけ?」
ロンが思い出したように言った。
「何それ?」
「知らない。兄さんが言ってた。日本のものは、何もないところが綺麗なんだとか何とか」
「何もない?」
「だから、知らないってば」
ロンは肩を竦めた。
「でも、なんとなくわかる気はするよ。すごく高そうだもん」
ハリーも同感だった。
値段など見当もつかないが、少なくとも安っぽくはない。
それどころか、封筒一枚にさえ、作り手のこだわりが込められているように感じられた。
ハリーは便箋へ視線を落とした。
日時は、今度の土曜日の午後二時。
場所は、城の東側にある庭園のパティオ。
服装については、普段の制服で構わないとのことだった。
末尾には、控えめな一文が添えられていた。
どうぞ、気兼ねなくお越しください。
ハリーはその言葉を、何度も読み返した。
そして、ふと疑問が湧いた。
「……ねえ、ロン」
「何?」
「これって、返事を出さなきゃいけないのかな」
ロンは固まった。
「……さあ?」
二人は再び、顔を見合わせた。
***
それから土曜日までの数日間、ハリーとロンは思いがけず忙しい日々を送ることになった。
もちろん、授業が急に増えたわけではない。
お茶会の予習である。
「だから、カップを持つときは小指を立てるんじゃないの?」
「違うよ、ロン。ここには立てない方がいいって書いてある」
「ええっ!? じゃあ、なんでみんな立てるんだよ!」
「知らないよ!」
二人は図書室の片隅で、慣れない礼儀作法の本と格闘していた。
紅茶の淹れ方。
カップとソーサーの扱い方。
スコーンの食べ方。
ナプキンの置き方。
会話の始め方と終わらせ方。
調べれば調べるほど、覚えることが増えていく。
「ねえ、ハリー」
「何?」
「僕たち、こんなことまでしなきゃいけないのかな」
ロンはうんざりした顔で尋ねた。
「レイゼイは、気楽に来てって言ってたじゃないか」
「そうだけど……」
ハリーは困った。
あの少女は、確かに気取らない人だった。
けれど、だからといって、こちらが無作法でいいということにはならないだろう。
何しろ、相手は日本魔法界の王家とも呼ばれる一族の令嬢なのだ。
もし自分たちの振る舞いが原因で、彼女に恥をかかせてしまったら。
そう考えると、どうにも落ち着かなかった。
「……せめて、変なことはしないようにしたいんだ」
ハリーが言うと、ロンはしばらく彼を見つめた。
そして、にやりと笑った。
「やっぱり、あの子が好きなんだろ?」
「違うってば!」
「じゃあ、なんでそんなに必死なんだよ」
「だから、失礼のないようにって!」
「ふうん?」
ロンは楽しそうに笑っていた。
ハリーは顔を真っ赤にして本へ視線を戻した。
そんな二人の傍らを、分厚い本を抱えたハーマイオニーが通りかかった。
「……何をしているの?」
「お茶会の勉強」
ロンが答えると、ハーマイオニーは呆れたように眉を上げた。
「お茶会?」
「そうだよ。招待されたんだ」
「へえ」
ハーマイオニーは興味を示した。
「誰に?」
「冷泉水那子っていう、スリザリンの二年生」
ハリーが答えると、彼女は少し考え込んだ。
「ああ。あの日本の女の子ね」
「知ってるの?」
「もちろん。図書室で何度か見かけたわ。古い魔法史の本を読んでいたり、知らない文字で何かを書いていたりするの」
ハーマイオニーは少し感心したように言った。
「それに、ものすごく礼儀正しい人よ。本を取ってもらったときも、ちゃんとお礼を言ってくれたし」
ハリーは何だか嬉しくなった。
まるで、自分が褒められたかのようだった。
「それで、何を勉強してるの?」
「テーブルマナー」
ロンが本を見せた。
ハーマイオニーは頁を覗き込んだ。
そして、すぐに指摘した。
「それ、格式ばったアフタヌーンティーの作法よね。学校でのお茶会なら、そこまで厳密じゃないと思うけど」
「……そうなの?」
「たぶんね。でも、知っておいて損はないわ」
彼女はそう言って、いくつかの注意点を教えてくれた。
ハリーは素直に礼を言った。
ロンは、また説教が始まったと言わんばかりに目を回していた。
けれど、その日の夕方には、二人とも何とか最低限の作法を覚えることができていた。
あとは、当日を迎えるだけだった。
***
土曜日。
ホグワーツには、早くも秋の気配が満ちていた。
スコットランドの秋は、イングランドよりも幾分早く訪れる。
庭園を取り囲む木々の葉は、深い緑から黄金色へと移り変わり、なかには燃えるような朱色に染まったものもあった。
秋風が吹くたび、色づいた葉がひらひらと舞い落ちる。
その向こうには、静かな池があった。
水面には澄んだ青空が映り込み、岸辺の柳が長い枝を垂らしている。
池に面した石造りのパティオには、白いクロスを掛けた円卓が四つほど並べられていた。
少し離れた場所には、小さな配膳台。
銀のティーポット。
金縁のカップ。
色とりどりの焼き菓子。
そして、ハリーには見慣れない、小さく美しい菓子の数々。
すべてが見事に整えられていた。
「……うわあ」
ロンが感嘆の声を漏らした。
「これ、本当に学校の中なのか?」
ハリーも驚いていた。
普段の中庭で見かけたお茶会とは、比べものにならないほど立派だったからだ。
まるで、貴族の屋敷の庭へ招かれたようだった。
それでも、決して大袈裟な印象はない。
花を飾りすぎることもなく、豪奢な装飾で目を奪おうとすることもない。
自然の景色が、そのまま会場の一部になっていた。
紅葉した木々と、静かな池。
柔らかな日差し。
白いテーブルクロス。
そして、中心に立つ一人の少女。
「ようこそ。お二人とも、来てくださって嬉しいです」
水那子だった。
今日の彼女は、普段の制服の上に、濃紺の上品なカーディガンを羽織っていた。
長い黒髪には、小さな紅色の髪飾りが添えられている。
それだけの装いなのに、紅葉を背景に立つ姿は、まるで一幅の絵画のようだった。
ハリーは一瞬、言葉を失った。
深紅の瞳が、こちらを見つめる。
「ハリーさん、ロンさん。ごきげんよう」
「こ、こんにちは!」
ハリーが慌てて挨拶した。
ロンも慌てて頭を下げる。
「こ、こんにちは、冷泉様!」
水那子は小さく笑った。
「ふふ。そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」
そして、二人の顔を見比べた。
「もしかして、お茶会のために何か準備をしてくださったのですか?」
「……えっ?」
ハリーは目を丸くした。
「どうしてわかったんですか?」
「お二人とも、ずいぶん真剣な表情をしていらっしゃるので」
水那子は楽しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、今日は学校のお友達同士の集まりです。どうぞ、普段どおりに過ごしてくださいね」
その言葉に、ハリーは少しだけ肩の力を抜いた。
ロンなど、露骨にほっとした顔をしていた。
「それでは、ご案内しますね」
水那子は、二人をパティオの奥へと導いた。
***
会場には、既に十数人の生徒たちが集まっていた。
ハリーは驚いた。
水那子が言っていたとおり、各寮の一年生だけではない。
何人もの上級生が顔を揃えていたのだ。
しかも、その顔ぶれは、どうにも普通ではなかった。
「あれ、ウッドじゃないか?」
ロンが小声で囁いた。
確かに、グリフィンドールのクィディッチ・チームのキャプテン、オリバー・ウッドがいた。
その隣には、ロンの兄で監督生のパーシーまでいる。
さらに、スリザリンのクィディッチ・チームを率いるマーカス・フリントの姿も見えた。
ほかにも、各寮の監督生やクィディッチ・チームの主将たちが招かれているようだった。
ハリーは思わず目を見開いた。
「……ロン」
「うん」
「これ、本当に普通のお茶会なのかな」
「……僕にも、わかんなくなってきた」
すると、そんな二人にウッドが気づいた。
「おっ、ハリー!」
彼は朗らかに手を振った。
「君も招かれてたのか!」
「はい!」
「いいね。冷泉は面白い子だよ。去年から何度か話してるけど、いろんな寮の連中と知り合いなんだ」
ウッドは感心したように言った。
「こういう集まりを開くのも、実に彼女らしい」
その言葉に、ハリーはまたしても驚かされた。
自分たちより一つ年上なだけの少女が、クィディッチ・チームの主将たちと当たり前のように親しくしている。
しかも、ウッドの口ぶりには、彼女への確かな敬意があった。
まるで同級生どころか、対等な立場の友人について話しているかのようだった。
そのとき、水那子が軽く手を合わせた。
「皆さん、お揃いになりましたね」
彼女の声に、周囲の生徒たちが自然と顔を上げる。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます。ささやかな会ですが、どうぞ楽しんでいってください」
柔らかな笑顔。
けれど、その場にいる誰もが、すっと彼女へ意識を向けていた。
ハリーは不思議な気持ちになった。
先生でもない。
監督生でもない。
クィディッチの主将でもない。
それなのに、この場を動かしているのは、間違いなく彼女だった。
***
お茶会は、まず一年生同士の交流から始まった。
水那子の説明によれば、最初は寮に関係なく、新入生たちが顔を合わせる時間にしたいということだった。
「入学してまだ間もないですから、ほかの寮のお友達とは、なかなか話す機会がないでしょう?」
彼女はそう言って、二つのテーブルを指し示した。
「せっかくですから、今日は普段とは違う組み合わせで座ってみてください」
ハリーは配られた席札を確認した。
自分と同じテーブルに座るのは、ハッフルパフのジャスティン・フィンチ=フレッチリーとスーザン・ボーンズ、それからレイブンクローのアンソニー・ゴールドスタイン。
そして、スリザリンのドラコ・マルフォイだった。
「……えっ」
ハリーは固まった。
マルフォイも、同じような顔をしている。
「……なんだよ、ポッター」
「僕だって、好きで隣になったわけじゃないよ」
二人は小声で言い合った。
すると、その様子を見ていた水那子が、にこりと笑った。
「ふふ。仲良くしていただけたら嬉しいです」
その一言で、マルフォイは口を閉じた。
ハリーも慌てて姿勢を正す。
どうやら、水那子には二人の反応など最初からお見通しだったらしい。
少し離れたテーブルには、ロンが案内されていた。
同席するのは、ハッフルパフのハンナ・アボット、レイブンクローのパドマ・パチル、そしてスリザリンのパンジー・パーキンソンとダフネ・グリーングラス。
ロンは緊張していたが、ハンナが気さくに話しかけてくれたことで、少しずつ表情を緩めていた。
水那子は両方のテーブルを見渡し、満足そうに頷いた。
「では、皆さん。ごゆっくり」
こうして、ハリーにとって初めての、そして思いがけず奇妙なお茶会が始まった。
***
「ジャスティン・フィンチ=フレッチリーだ。よろしく」
最初に口を開いたのは、ハッフルパフの少年だった。
明るい髪をした、いかにも育ちの良さそうな少年である。
彼は立ち上がると、ハリーに手を差し出した。
「ハリー・ポッターだよ」
「もちろん知ってるさ」
ジャスティンは爽やかに笑った。
「君のことは、入学してから何度も聞いたよ。でも、こうしてちゃんと話すのは初めてだね」
握手を交わす。
ハリーは少し安心した。
ジャスティンは、見た目ほど堅苦しい少年ではないらしい。
「君も魔法使いの家の出身なの?」
ハリーが尋ねると、ジャスティンは首を横に振った。
「いや、僕の家はマグルだよ。両親も魔法なんて知らなかった」
「へえ!」
ハリーは驚いた。
「じゃあ、僕と似てるね」
「そうだね。もっとも、僕はイートン校へ進む予定だったんだけど」
「イートン?」
「うん。寄宿学校だよ」
ジャスティンはあっさりと言った。
すると、それまで黙っていたスーザンが口を開いた。
「イートン校って、マグルの名門校でしょう?」
「そうだよ」
ジャスティンは頷いた。
「父も祖父も通っていたんだ。でも、ホグワーツから手紙が来たものだから、家中大騒ぎになってね」
彼は楽しそうに笑った。
「父は、魔法界にも銀行があるのかって真っ先に聞いてたよ」
「銀行?」
「うちの一族は、昔から金融や事業の仕事をしているんだ。親戚には政治家もいるしね。だから、どうしてもそっちが気になるらしい」
ハリーは目を丸くした。
彼が話す家族のことは、ハリーが知っている世界とはずいぶん違っていた。
銀行家。
政治家。
名門寄宿学校。
そんなものは、テレビや新聞の向こう側の話だと思っていた。
けれど、ジャスティンはそれを当たり前のように話している。
しかも、本人は少しも気取っていなかった。
マルフォイが、わずかに眉を動かした。
「……ふん。マグルの世界では有名なのかもしれないけどね」
嫌味が飛び出しかけた、そのときだった。
「ジャスティンさん」
水那子が、ちょうどテーブルの傍へやって来た。
「ご自宅は、ロンドンにいらっしゃるのでしたね?」
「はい。もっとも、郊外にも家がありますけど」
「そうでしたか。お父様は、金融関係のお仕事をなさっていると伺いました」
「ええ。祖父の代から、いくつかの事業に関わっています」
「それは素晴らしいですね」
水那子は穏やかに頷いた。
「実は、わたくしもイギリスの経済について、勉強しているところなのです。魔法界とは制度も違いますし、興味深いことが多くて」
ジャスティンは目を輝かせた。
「そうなんですか?」
「ええ。もし差し支えなければ、またお話を聞かせていただけませんか?」
「もちろんです!」
ジャスティンは嬉しそうに答えた。
ハリーは驚いた。
水那子は、魔法界の名門だけでなく、マグルの世界についても詳しいらしい。
しかも、相手がどんな家の出身なのか、最初から知っていたようだった。
水那子はマルフォイにも視線を向けた。
「そういえば、ドラコさん。マルフォイ家も、イギリスでは古くから財産を管理してこられたのでしたね」
「え、ええ!」
マルフォイが姿勢を正した。
「父は、いろいろな事業に投資しています」
「まあ。それなら、お二人には共通する話題もありそうですね」
水那子はにこりと笑った。
「魔法界とマグルの世界では、どのように資産を管理しているのか。比べてみるのも面白そうです」
ジャスティンが興味深そうに身を乗り出した。
「確かに。魔法で金を増やしたりはできないんですか?」
マルフォイは一瞬、意表を突かれたような顔をした。
「……いや、そんな簡単な話じゃない。金貨を増やす魔法なんて使えたら、グリンゴッツが困るだろ」
「へえ。じゃあ、通貨の価値を守る仕組みがあるんだね」
「……まあ、そういうことだと思うけど」
「面白いなあ!」
ジャスティンは本当に楽しそうだった。
マルフォイも、少しだけ気分を良くしたらしい。
自分の知っている魔法界について説明するのは、嫌いではないようだった。
ハリーは感心した。
さっきまで、嫌味が始まりそうだったのに。
水那子はたった数言で、二人の間に共通の話題を作ってしまった。
しかも、どちらも嫌な思いをしていない。
彼女はそれを確認すると、満足そうに微笑んで、隣のテーブルへと移っていった。
***
水那子がいなくなったあとも、会話は思いのほか弾んだ。
ジャスティンがマグルの学校について話し、マルフォイが魔法界のことを説明する。
アンソニー・ゴールドスタインは、時折鋭い質問を挟んだ。
彼はどうやら、物事の仕組みを考えるのが好きな少年らしかった。
「つまり、魔法界では便利な魔法が使えるけど、逆に魔法が使えない人のための道具は、あんまり発達してないってこと?」
「……そうかもしれないね」
ハリーは頷いた。
考えたこともなかった。
ダーズリー家にはテレビも電話も自動車もあった。
けれど、ホグワーツでは、そのどれも使われていない。
便利さの種類が、まるで違うのだ。
「じゃあ、マグルと魔法使いが協力したら、もっと便利なものが作れるんじゃないかな」
アンソニーが言った。
「確かに!」
ジャスティンが頷いた。
「例えば、空を飛ぶ自動車とか!」
「そんなもの、魔法で飛ばせばいいじゃないか」
マルフォイが言い返す。
「いや、でもさ。魔法を使えない人だって乗れるだろ?」
「……それは」
マルフォイは考え込んだ。
ハリーは思わず笑った。
どうやら、意外と面白い話になってきたらしい。
その隣では、スーザン・ボーンズが静かに微笑んでいた。
「スーザンは、魔法使いの家なの?」
ハリーが尋ねると、彼女は頷いた。
「ええ。ボーンズ家も、古い魔法使いの家なの」
「へえ」
「私の叔母は、ウィゼンガモット大法廷で裁判長を務めているのよ」
「裁判長!?」
ハリーは驚いた。
「魔法界にも裁判所があるの?」
「もちろん」
スーザンは笑った。
「魔法使いだって、法律を守らないといけないもの」
「……そっか」
ハリーは感心した。
そういえば、自分がホグワーツへ来るまで、魔法使いの法律について考えたことすらなかった。
スーザンは、叔母のアメリア・ボーンズが厳格な人物であることを教えてくれた。
けれど、家族に対しては優しい一面もあるらしい。
「お仕事のときは怖いって聞くけど、私にはいつも親切なの」
スーザンは少し照れたように笑った。
「でも、宿題を忘れたりしたら、すごく叱られそう」
その言葉に、全員が笑った。
ハリーは、またひとつ不思議な気持ちになった。
名門の家柄。
裁判長の姪。
そんな話を聞くと、最初は近寄りがたい相手のように思える。
けれど、実際に話してみれば、スーザンはごく普通の、少し控えめで優しい女の子だった。
ジャスティンもそうだ。
マルフォイでさえ、嫌味を言わずに話しているときは、それなりに会話が成立する。
そして、そんな彼らを同じテーブルに座らせたのは、水那子だった。
ハリーは、少し離れた場所へ視線を向けた。
彼女はロンたちのテーブルで、何やら楽しそうに笑っていた。
ロンも笑っている。
どうやら、向こうも上手くやっているようだった。
***
「……ねえ、ロンさん」
水那子が穏やかに尋ねた。
「ウィーズリー家では、クィディッチがお好きな方が多いのでしょう?」
「えっ? うん!」
ロンは嬉しそうに頷いた。
「兄さんたちはみんな好きだよ! チャーリー兄さんなんか、昔はグリフィンドールのシーカーだったんだ!」
「まあ。それは素晴らしいですね」
水那子は微笑んだ。
「お兄様は、今はどちらに?」
「ルーマニアでドラゴンの研究をしてるんだ!」
「ドラゴンですか。とても興味深いお仕事ですね」
ロンは顔を輝かせた。
自分の家族について、こんなふうに興味を示してくれる人は、あまり多くなかった。
水那子は少し視線を動かし、隣に座るハンナへ話を振った。
「ハンナさんも、クィディッチには興味がありますか?」
「ええ。でも、まだルールを覚えているところで……」
「そうでしたか。では、ロンさんに教えていただくといいかもしれませんね」
「任せてよ!」
ロンは胸を張った。
その様子に、パンジー・パーキンソンが小さく笑った。
「ウィーズリーって、クィディッチのことになると本当に元気なのね」
「そりゃ、好きだからね!」
「でも、私は空を飛ぶのって、ちょっと怖いと思うわ」
ハンナが言うと、パドマ・パチルも頷いた。
「わかる。高いところから落ちたら大変だもの」
「でも、慣れると楽しいよ!」
ロンは勢い込んで説明を始めた。
その様子を、水那子は穏やかに見守っていた。
やがて、ダフネ・グリーングラスが口を開いた。
「ところで、冷泉さん」
「はい?」
「このお菓子、とても綺麗ですね。何という名前なのですか?」
彼女が指したのは、淡い紅色をした小さな菓子だった。
表面には、紅葉の葉を模した細工が施されている。
「ああ、それは練り切りという日本のお菓子です」
水那子は微笑んだ。
「白い豆の餡を使って、季節の花や風景を表しているんですよ」
「これが、お菓子?」
パンジーが目を丸くした。
「まるで飾り物みたい」
「ふふ。よろしければ、召し上がってみてください」
ダフネは慎重に小さく切り分け、口へ運んだ。
「……あら」
目を瞬かせる。
「優しい甘さですね」
「ええ。紅茶にも合いますが、日本のお茶と一緒にいただくことも多いんです」
水那子は、配膳台に置かれた別の急須を指し示した。
そこには、日本から取り寄せた煎茶も用意されていた。
ロンは興味津々で菓子を覗き込んでいた。
「……これ、食べちゃっていいの?」
「もちろんです」
「すごく綺麗だから、なんだかもったいないなあ」
水那子は楽しそうに笑った。
「ありがとうございます。でも、お菓子は美味しく食べていただくのが一番ですから」
その言葉を聞いて、ロンは安心したように一口頬張った。
「……うまい!」
あまりにも率直な感想に、周囲から笑い声が上がった。
パンジーもダフネも、いつの間にか自然に笑っていた。
水那子は、その光景を満足そうに眺めていた。
***
お茶会の前半が終わる頃には、ハリーもすっかり緊張を忘れていた。
ジャスティンとは、マグルの世界の話で盛り上がった。
アンソニーとは、天文学の授業について話した。
スーザンからは、魔法界の法律や裁判所について教えてもらった。
そして、マルフォイとは――。
まあ、少なくとも、喧嘩はしなかった。
それだけでも、大きな進歩と言えるだろう。
やがて、水那子が再び全員に声をかけた。
「皆さん、少しお席を移していただいてもよろしいでしょうか?」
彼女は優雅に微笑んだ。
「今度は、同じ寮の上級生の方々ともお話ししていただけたらと思います」
そう言って案内されたのは、寮ごとに分けられた四つのテーブルだった。
ハリーとロンは、グリフィンドールのテーブルへ向かった。
そこにはウッドとパーシーが待っていた。
「やあ、二人とも!」
ウッドが手を振る。
「楽しんでるかい?」
「はい!」
ハリーは素直に答えた。
「すごく面白いです」
「だろう?」
ウッドは満足そうに頷いた。
「こういう機会って、なかなかないんだよ。普段はどうしても寮ごとに固まっちまうからね」
パーシーも頷いた。
「特に一年生のうちは、同じ寮以外の友人を作る機会が少ないからね。冷泉さんのような方がこうした場を設けてくださるのは、非常にありがたいことだよ」
ロンは兄の言葉に驚いた。
「……パーシーが、そんなに褒めるなんて」
「何だい、ロン」
「いや、別に」
パーシーは咳払いした。
「冷泉さんは非常に聡明な方だ。まだ二年生とは思えないほど見識が広い。各寮の監督生とも良好な関係を築いていらっしゃるしね」
ハリーはますます驚いた。
監督生たちにも、一目置かれているのだ。
ウッドが笑った。
「まあ、パーシーはこういう話が好きだからな」
「何を言っているんだ、オリバー」
パーシーが少し眉をひそめる。
「君だって、彼女には世話になっているだろう?」
「そりゃそうさ」
ウッドはあっさり認めた。
「去年、各寮のクィディッチ・チームについて、面白い話をしたんだ」
「面白い話?」
ハリーは身を乗り出した。
「何て?」
「練習の仕方さ」
ウッドは楽しそうに答えた。
「彼女は自分で競技をするわけじゃないけど、物事を見る目があるんだ。チームの練習方法について、いくつか意見を聞かせてくれた」
ハリーは感心した。
自分はまだクィディッチのルールすら完全には覚えていない。
それなのに、水那子は、上級生の主将と練習方法について話をしているというのだ。
「……本当に、何でも知ってるんですね」
思わずそう呟くと、ウッドは笑った。
「何でもってわけじゃないさ。でも、知らないことをそのままにしておかないんだろうな」
その言葉に、ハリーは頷いた。
何となく、わかる気がした。
水那子は、相手が誰であろうと、まず話を聞こうとする。
そして、わからないことがあれば、素直に尋ねる。
それが、あの不思議な親しみやすさに繋がっているのかもしれなかった。
***
一方、ほかのテーブルでも、思いがけない会話が生まれていた。
ハッフルパフのテーブルでは、ジャスティンがマグルの教育制度について話し、上級生たちが興味深そうに耳を傾けていた。
スーザンは、叔母の仕事について監督生から質問を受けていた。
ハンナは、寮の上級生から薬草学の勉強方法を教えてもらっている。
レイブンクローのテーブルでは、アンソニーが天文学の観測方法について熱心に議論していた。
パドマは、双子の姉妹であるパーバティがグリフィンドールに組分けされたことを話題にしていた。
寮が違うと、普段の授業や生活の様子も少しずつ違うらしい。
彼女の話に、上級生たちは楽しそうに頷いていた。
そして、スリザリンのテーブル。
マルフォイは、マーカス・フリントとクィディッチについて話し込んでいた。
水那子が来年度のシーカー選抜への推薦を約束したことも、どうやら伝えたらしい。
フリントは少し意外そうな顔をしたあと、マルフォイの飛行経験について尋ね始めた。
マルフォイは、まるで面接でも受けているかのように真剣な表情だった。
パンジーとダフネは、上級生の女子生徒たちと学校生活について話していた。
水那子は、その様子を少し離れた場所から眺めていた。
そして、会話が途切れそうなテーブルがあれば、自然に近づいて話題を添える。
誰か一人が話しすぎていれば、別の生徒にもさりげなく声をかける。
話しづらそうにしている生徒がいれば、無理に発言を求めるのではなく、答えやすい話題を選ぶ。
そのやり方は、実に巧みだった。
しかも、誰も彼女に気を遣われているとは感じていなかった。
ただ、自然に会話が続いている。
気づけば、普段なら話しかけることもない上級生や、別の寮の生徒たちと、当たり前のように笑い合っている。
それが、いかに珍しいことなのか。
参加者たちは、まだ十分には理解していなかった。
***
ハリーは、ふと会場の様子を見渡した。
約二十人の生徒たち。
四つの寮。
それぞれ異なる家柄、異なる考え方、異なる得意分野を持つ者たち。
普段なら、決して同じテーブルに座らないような面々だった。
それが今、穏やかな秋の日差しの中で、楽しそうに話している。
スリザリンとグリフィンドール。
ハッフルパフとレイブンクロー。
寮の違いなど、最初からなかったかのようだった。
少なくとも、この場では。
ハリーは、またしても水那子へ視線を向けた。
彼女は少し離れたところで、レイブンクローの監督生と話していた。
ときおり柔らかく笑い、相手の言葉に頷く。
けれど、会場全体への目配りは少しも途切れていなかった。
不思議な人だ。
ハリーは思った。
あれほど高貴な家柄の生まれなのに、誰よりも周囲のことを考えている。
自分より年上の生徒たちにも敬意を払われているのに、少しも偉ぶらない。
それどころか、みんなが楽しめるように、いつも気を配っている。
そんな彼女の姿が、ハリーには眩しく見えた。
そのとき、水那子がふと顔を上げた。
深紅の瞳が、こちらを向く。
また、目が合った。
水那子はにこりと微笑んだ。
ハリーも、今度は慌てずに微笑み返した。
すると、彼女は少し嬉しそうに目を細めた。
そして、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
「皆さん、楽しんでいらっしゃいますか?」
水那子はグリフィンドールのテーブルへ声をかけた。
「もちろん!」
ウッドが答えた。
「いい会だね、冷泉。誘ってくれてありがとう」
「こちらこそ、お忙しいところありがとうございます」
水那子は丁寧に会釈した。
そして、ハリーへ視線を向けた。
「ハリーさんは、いかがでしたか?」
「……すごく、楽しかったです!」
ハリーは素直に答えた。
「ほかの寮の人たちとも、たくさん話せました」
「まあ。それはよかったです」
水那子は嬉しそうに微笑んだ。
「お友達はできましたか?」
「はい! ジャスティンとか、アンソニーとか、スーザンとか……」
ハリーは指を折って数えた。
「みんな、面白い人でした」
「ふふ。そうでしょう?」
水那子は楽しそうに笑った。
「寮が違うだけで、知らないままではもったいないですものね」
ロンも勢い込んで口を開いた。
「僕も、ハンナとかパドマと仲良くなれたよ! それに、あの日本のお菓子、すっごく美味しかった!」
「ありがとうございます」
水那子は笑った。
「気に入っていただけて嬉しいです」
その笑顔を見て、ロンはまたしても顔を赤くした。
ハリーは思わず笑いそうになった。
自分も、あまり人のことは言えないのだけれど。
***
やがて、午後の日差しが少しずつ傾き始めた。
池の水面に映る紅葉が、黄金色に輝いている。
水那子は静かに立ち上がった。
そして、集まった生徒たちへ向き直った。
「皆さん」
その一言で、会場の会話が自然と収まった。
誰かが静かにするよう命じたわけではない。
けれど、彼女が話し始めると、誰もが耳を傾ける。
ハリーはそのことに、今ではもう驚かなくなっていた。
「本日は、お集まりいただき、本当にありがとうございました」
水那子は穏やかに微笑んだ。
「皆さんが楽しそうにお話ししてくださって、わたくしもとても嬉しく思っています」
そして、少しだけ間を置いた。
「実は、今日のようなお茶会を開こうと思ったのには、いくつか理由があるのです」
生徒たちが興味深そうに顔を上げた。
「まず、少し現実的なお話をさせていただくと……」
水那子は柔らかく笑った。
「わたくしは日本から参りました。家の事情もあって、こちらではできるだけ多くの方と、偏りなく良い関係を築いていきたいと思っています」
パーシーが小さく頷いた。
ほかの上級生たちも、納得したような表情を浮かべている。
水那子の家柄を考えれば、それは当然のことだった。
外国の名門家系からやって来た令嬢が、特定の寮や家柄とだけ親しくするわけにはいかない。
彼女がそうした事情を、隠さずに話してくれたことに、むしろ好感を抱く者さえいた。
「でも、それだけではありません」
水那子は少し困ったような微笑みを浮かべた。
「正直に申し上げると……わたくし、仲の悪い方々に囲まれて過ごすのが、少し苦手なのです」
その言葉に、何人かが笑った。
ハリーも、思わず微笑んだ。
「同じ学校で、同じ時間を過ごしているのに、寮が違うというだけで、お互いに敵対してしまうのは寂しいでしょう?」
水那子は続けた。
「もちろん、競い合うことは大切です。クィディッチも、寮対抗杯も、勝ち負けがあるからこそ楽しいものですから」
ウッドとフリントが、揃って頷いた。
「けれど、競争相手だからといって、仲良くしてはいけないわけではありませんよね」
水那子は穏やかに微笑んだ。
「むしろ、よく知っている相手だからこそ、良い競争ができることもあると思うのです」
そして、ほんの少しだけ首を傾げた。
「それに……」
彼女は、少し恥ずかしそうに笑った。
「せっかく皆さんと楽しい学校生活を送りたいのに、あちらこちらで喧嘩ばかりされていたら、わたくしも居心地が悪くなってしまいますから」
今度は、会場全体から笑い声が上がった。
パンジーが口元を押さえて笑っている。
ロンも楽しそうに頷いた。
ハリーは、その言葉に妙に納得していた。
そうだ。
彼女のように、誰とでも分け隔てなく接する人にとって、寮同士の対立はきっと困ったものなのだろう。
自分が仲良くしたいと思っている相手同士が、喧嘩しているのだから。
それは、確かに居心地が悪いに違いない。
けれど――。
その場にいた誰も、気づかなかった。
彼女が口にした、あまりにも率直な本音。
仲の悪い人々に囲まれるのが苦手だという、少しばかり可愛らしい弱音。
それさえも、最初から計算に含まれた言葉だったことに。
名門の令嬢として、各寮の有力者と等しく関係を築く。
そのうえで、互いに繋がりを持つ者たちを増やしていく。
そうすれば、自分を中心とする人間関係は、単なる知人の集まりではなく、寮を横断する緩やかな網の目となる。
しかも、本人たちは自らの意思で交流を深めたと感じるだろう。
家柄や利害を前面に押し出す必要などない。
むしろ、それを隠さずに少しだけ見せることで、かえって警戒を解くことができる。
そして最後に、誰もが共感できる、ごく個人的で無害な願いを添える。
自分自身の居心地のために、みんなに仲良くしていてほしい。
そんな微笑ましい理由を聞いて、不快に思う者などほとんどいない。
誰もが、水那子の飾らない人柄に好感を抱いた。
それこそが、彼女の意図したところだった。
もっとも、彼女がこの会を楽しんでいないというわけではない。
人と話すことも、笑い合うことも、彼女は本当に好きだった。
ただ、その楽しさと、物事を計算することは、何ら矛盾しない。
冷泉水那子にとって、その二つはごく自然に両立するものだった。
そして、そのことを、この場の誰も知らなかった。
***
「ですから」
水那子は微笑みを深めた。
「今日のお茶会は、これきりにするつもりはありません」
参加者たちが顔を上げた。
「これからも、折に触れて、こうした機会を設けられたらと思っています」
彼女はゆっくりと会場を見渡した。
「ただ、わたくしがいつも主催する必要はありません」
その言葉に、ハリーは少し驚いた。
「今日、初めてお話しした方もいらっしゃると思います。もし、気の合うお友達ができたのでしたら、どうぞ、これからも自由に交流してください」
水那子は優しく続けた。
「お昼をご一緒するのもいいですし、図書室で勉強するのも素敵ですね。クィディッチの練習を見に行ったり、得意な教科を教え合ったりするのも、きっと楽しいと思います」
そして、最後に静かに微笑んだ。
「皆さんが、この学校で素晴らしい出会いに恵まれますように」
その言葉を結びに、水那子は優雅に一礼した。
一瞬の静寂。
そして、温かな拍手が広がった。
ウッドが真っ先に拍手を始めた。
パーシーも頷いている。
ハッフルパフの生徒たちが笑顔で拍手し、レイブンクローの上級生たちも感心した様子で手を叩いた。
スリザリンの生徒たちも、誇らしげな表情をしていた。
ハリーは夢中で拍手した。
ロンも隣で笑っている。
ああ。
やっぱり、凄い人だ。
ハリーは心からそう思った。
***
お茶会が終わると、生徒たちはそれぞれに挨拶を交わし始めた。
「ハリー、またね!」
ジャスティンが手を振った。
「今度、図書室で会ったら話そうよ!」
「うん!」
ハリーも笑顔で答えた。
アンソニーは、次の天文学の授業について話したいと言ってきた。
スーザンは、魔法界の法律について興味があれば、また教えると約束してくれた。
ハンナはロンに、クィディッチのルールを今度詳しく教えてほしいと頼んでいた。
パドマも、グリフィンドールにいる双子の姉妹を紹介すると言っていた。
それぞれが、新しい約束をひとつ、ふたつと交わしている。
上級生たちも同じだった。
ウッドは、ほかの寮の主将たちと練習環境について話し込んでいた。
パーシーは監督生同士で、寮生活について意見を交換している。
ジャスティンは、ある上級生から魔法界の経済について話を聞く約束を取り付けていた。
スーザンは、魔法省で働く親族を持つ別の生徒と知り合いになったらしい。
アンソニーは、レイブンクローの先輩から借りる本を教えてもらっていた。
ダフネも、上級生の女子生徒たちと楽しげに話している。
マルフォイなどは、フリントからクィディッチの練習を見学する許可を得て、すっかり上機嫌だった。
誰もが、何かしらの収穫を手にしていた。
新しい友達。
新しい知識。
新しい目標。
そして、普段なら決して得られなかったはずの、他寮の上級生との接点。
それらを胸に、生徒たちは次々と会場を後にしていった。
ハリーとロンも、最後に水那子へ挨拶することにした。
「冷泉様!」
ロンが声をかけた。
「今日は本当にありがとう!」
水那子は振り向いた。
「こちらこそ、来てくださってありがとうございました」
彼女は柔らかく微笑んだ。
「楽しんでいただけましたか?」
「もちろん!」
ロンは勢いよく頷いた。
「すっごく楽しかった! お菓子も美味しかったし、いろんな人と話せたし!」
「ふふ。それはよかったです」
水那子は嬉しそうに笑った。
そして、ハリーへ視線を向けた。
「ハリーさんは?」
「……僕も、すごく楽しかったです」
ハリーは素直に答えた。
「最初は、ちょっと緊張してたんですけど……」
「ええ」
「でも、みんなと話してたら、そんなこと忘れちゃって」
水那子は優しく頷いた。
「それは何よりです」
そして、少しだけ首を傾げた。
「また、いらしてくださいますか?」
ハリーの心臓が跳ねた。
「……はい!」
ほとんど反射的に答えていた。
「ぜひ!」
水那子は、ふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。では、またお会いできるのを楽しみにしていますね」
ハリーは顔を赤くした。
その言葉が、妙に嬉しかった。
ロンも隣でにやにやしている。
二人は丁寧に礼をして、会場を後にした。
秋風が吹いた。
紅葉した葉が、ゆっくりと舞い落ちる。
振り返ると、水那子はまだパティオに立っていた。
深紅の瞳が、こちらを見つめている。
そして、ハリーが振り返ったことに気づくと、小さく手を振ってくれた。
ハリーも、今度は自然に手を振り返した。
胸が、温かかった。
***
「……いやあ、最高だったな!」
グリフィンドールの塔へ戻る途中、ロンは何度目かわからない感想を口にした。
「うん」
ハリーも頷いた。
「本当に、楽しかった」
「しかもさ、冷泉様って、僕たちみたいな一年生にもちゃんと話しかけてくれるんだな」
「そうだね」
「なんか、もっと偉そうな人なのかと思ってたよ。ほら、家柄がすごいって聞いてたから」
ハリーは少し考えた。
「……でも、あの人は、誰にでもあんな感じなんじゃないかな」
「そうかもなあ」
ロンは感心したように頷いた。
「それにしても、綺麗だったよな」
「……うん」
「すごく大人っぽいし」
「……うん」
「しかも、優しいし」
「……うん」
ロンは足を止めた。
「……ハリー」
「何?」
「君、さっきから『うん』しか言ってないぞ」
「……えっ?」
ロンはにやりと笑った。
「やっぱり、好きなんじゃないか?」
「ち、違うよ!」
「じゃあ、何なんだよ!」
「だから、すごい人だなって思ってるだけ!」
「ふうん?」
ロンは楽しそうに笑った。
ハリーは顔を赤くして歩き出した。
まったく。
どうして、ロンはすぐそういう話にするのだろう。
確かに、水那子は綺麗だ。
それは、誰が見てもそう思うだろう。
けれど、ハリーが彼女に惹かれる理由は、それだけではないのだ。
あの人は、誰にでも優しい。
相手の良いところを見つけるのが上手で、誰もが自然に笑顔になるような話し方をする。
そして、何より。
自分のような、何も知らない一年生にも、当たり前のように接してくれる。
そのことが、ハリーにはたまらなく嬉しかった。
ダーズリー家では、誰かに優しくされることなど、ほとんどなかった。
だからこそ、彼女の何気ない一言や微笑みが、どうしても心に残ってしまうのかもしれない。
ハリーは、そんなことを考えていた。
***
こうして、ハリーにとって初めてのお茶会は、素晴らしい思い出となった。
しかも、その影響は、お茶会が終わったあとも続いた。
廊下でジャスティンとすれ違えば、自然に挨拶を交わすようになった。
図書室では、アンソニーと一緒に本を探すこともあった。
スーザンとは、授業の合間に何度か話すようになった。
ロンも、ハンナやパドマと顔を合わせるたび、気軽に声をかけていた。
スリザリンの生徒たちとの関係も、ほんの少しだけ変わった。
もちろん、マルフォイが急に親切になったわけではない。
相変わらず嫌味を言うこともあったし、ロンとはしょっちゅう睨み合っていた。
けれど、お茶会で顔を合わせて以来、少なくとも人前で大喧嘩になることは減っていた。
パンジーやダフネとも、廊下ですれ違えば会釈する程度の関係にはなった。
ほんの小さな変化。
けれど、ハリーにとっては、確かな変化だった。
入学したばかりの頃、ホグワーツはあまりにも大きく、知らない人ばかりの学校だった。
けれど今では、廊下の向こうから自分に手を振ってくれる人がいる。
食堂で目が合えば、笑顔で挨拶してくれる人がいる。
そして、そのきっかけを作ってくれたのは、水那子だった。
ハリーはますます、彼女への憧れを強めていった。
それからも、時折中庭でお茶を飲む彼女を見かけるたび、ハリーは足を止めた。
以前なら、遠くから眺めるだけだった。
けれど今では、彼女の方から手を振ってくれることもある。
そんなとき、ハリーは胸を高鳴らせながら、笑顔で挨拶を返すのだった。
***
やがて九月が過ぎ、十月も終わりに近づいた。
ホグワーツの木々は、いよいよ深い秋の色に染まっていた。
朝晩の冷え込みは厳しくなり、城の廊下には冷たい風が吹き込むようになった。
ハリーとロンも、厚手のローブを羽織ることが増えた。
そんな中でも、学校生活は順調だった。
魔法薬学のスネイプ先生は相変わらず恐ろしかったし、変身術の課題は難しかった。
魔法史の授業では、ロンが何度も居眠りをしていた。
けれど、ハリーは少しずつ魔法の世界に慣れていった。
友達も増えた。
クィディッチの練習も始まった。
そして何より、ホグワーツでの日々が、心から楽しいと思えるようになっていた。
少なくとも、その頃までは。
十月三十一日。
ハロウィーンの日。
その朝、ハリーとロンは、いつものように呪文学の教室へ向かっていた。
「今日は、羽根を浮かせる魔法をやるんだってさ」
ロンが言った。
「へえ」
ハリーは興味を示した。
「難しいのかな」
「さあ。でも、フリットウィック先生が昨日、すっごく楽しそうに話してたよ」
二人が教室へ入ると、机の上には小さな羽根がいくつも並べられていた。
教壇の上では、フリットウィック先生が何やら準備をしている。
生徒たちが次々と席についた。
ハリーとロンも、いつものように並んで座った。
すると、フリットウィック先生が高らかに声を上げた。
「さあ、皆さん! 今日は、いよいよ物を空中に浮かせる魔法を学びます!」
教室がざわめいた。
ハリーも胸を躍らせた。
物を浮かせる魔法。
まさに、魔法使いらしい魔法ではないか。
先生は杖を取り出し、軽やかに振ってみせた。
「大切なのは、正しい発音と杖の動かし方です。よく見ていてくださいね!」
そして、教室に響く声で、呪文を唱えた。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」
机の上の羽根が、ふわりと浮き上がった。
生徒たちから歓声が上がる。
ハリーも、思わず笑顔になった。
今日もきっと、楽しい授業になる。
そう思っていた。
けれど。
その日の呪文学の授業が、やがてホグワーツ中を巻き込む騒動の始まりになるなど、このときのハリーには知る由もなかった。
そして、その騒動が、彼とロン、そしてハーマイオニー・グレンジャーの関係を、大きく変えることになるということも。
もちろん。
その先に待ち受ける出来事を、冷泉水那子がどのように受け止めることになるのかも――。