歪みから不を曲げて正しさへと 作:CじR
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耳元で囁くかのように掠めたその言葉を、何気なく口にしてみた。
空気に離散するただの空言になる筈だった子供の独り言は、普通な日常から彼女を切り離す、浅上フジノに眠る
曲る、歪む。
ママごとに興じていた浅上フジノの手に握られていた人形がぐちゃぐちゃに、原型を留めないくらいにめちゃくちゃに。
自分を今なにをしたのか。ことの重要度を理解せぬまま、そんなことよりも大切なおもちゃが突然壊れてしまったことに幼子の彼女は親に泣きつく。
――おかあさま、おとうさま。おにんぎょうさんが、とつぜん
母は、泣く我が子に駆け寄った。
大丈夫、大丈夫よと。わんわんと泣いているフジノの手から変形した人形を取り上げ、安心させようと優しい手付きであやす。母の温もりを身近に感じフジノの泣き声も徐々に鳴りを潜める。
父は、事の異常さから目を避けられなかった。
人形の壊れ方がおかしい。幼女がどう遊べば、大人の力でもこんな壊れ方を狙ってやることはできない。左右前後、いったいどれだけの力がどう加わればこんな残骸になるんだ。
道端で朽ちていく動物の死骸に触れるように人形の成り果てを拾いあげる。説明できず気味が悪いナニカを触れている心地で観察する。
コレを、このままにしてはならない。風化させてはならない。何かしらの対策を講じなければ、また同じことが起きたその時は人形で済むとは到底思えない。
先を危ぶむ父親の視線はどこまでも見据えた、未だ母親の腕の中で泣きじゃくるフジノを置いてけぼりにして。
「……なんで、今さらあんなこと」
ため息と共に零れた呟きは、医務室の白さに同化してそのまま霧散した。なにも晴れず、自然とわたしの手は苛立ちの元凶へと伸びる。
お祭り騒ぎだった体育祭で足を挫いてしまったわたしは今、医務室へと運ばれて手当てを受けた。臭い物に蓋をするように、白い湿布が赤く膨れ上がっていたくるぶしを覆い隠している。その白々さに触れて、さっきまでいた彼らの言葉が嫌でも再生される。
――よく我慢したね。痛まない?
――痛いでしょ?大丈夫?
――痛いの?
普通の感覚を持っているひとが無神経に口にする心配。そういう言葉を浴びせてくるのは分かり切っていた、だから誰にも気づかせてやるもんかと、意気地になっていたわたしを彼らは嘲笑うように赤く腫れた傷を見られてしまった。
バレてしまった以上取り繕うことができないぐらい赤く腫れてて、結局流されるままに医務室へと運ばれる道中で予想通りの嫌な言葉をつらつらと。こうして思い出すだけで痛む筈のない心になにか、どす黒い苛立ちへと駆り立てられる。
「今、大丈夫だろうか?」
はっと、塗り潰してくる衝動から現実へと引き戻しされる。
一瞬遅れて大丈夫ですと返事してから、声の相手は誰だろうかと思い至る。
鋭くも凛と透明感が特徴的な声。知り合いの声じゃない。
でも、どこか聞き覚えがあるような。
声の主に心当たりを探っている内にその相手が視界に入る。
まず目に入ったのは声の雰囲気に負けず劣らない、定規を通したかのように綺麗な姿勢。腰まで届く流麗な長髪。丁寧に整えられた赤混じりの黒髪から覗かせる、芯の強さを宿す知的な赤眼。どこにも乱れのないその外観でようやく相手に思い当り、予想外な人物の登場に目を丸くする。
「……生徒会長」
二階堂ヒロ。
学校内で知らない人はいないと言っていいぐらいの有名人。規律正しく品行方正、優等生を絵に描いたような人物で。そして、何かと「正しさ」に拘ろうとする人。正直、今このタイミングでは遭遇したくなかった相手。
また厭なことを言ってくるのだろうか。
いったいどうして、わたしなんかと会いに。
そう疑問に思い身構えていたら違う言葉がやってきた。
「すまなかった」
あまりに、予想外な言葉に固まってしまう。どう考えても言葉の意図がわからなかった。困惑から脱することができないまま、うわごとのようにどうしてと訊いていた。言葉が相手に届いたのか、それすら心配になってしまうぐらい曖昧な呟きだったけど、この時になって初めて彼女の真っ直ぐで綺麗な瞳と目が合った。
「怪我人を出してしまう体育祭は正しくない。ならそれは、生徒会長である私の責任でもある」
そこからはずっと夢心地で、気がついた頃には彼女の背中が医務室から出ていく頃だった。
強い人。遠い人。
まるで手の届かない星のよう。
さっきまであった苛立ちが嘘みたいに心が軽い。
また会えるだろうか。同じ学校にいるんだもの、会うどころかまたこうして会話することだって決して難しくない筈。
いつぶりか弾む心を大事に抱えて、ただ一人を想い明日を夢見る心地に浸かる。
そう遠くない未来、思いがけない形で再開することを知らずに――