うちの美少女アバターに重い過去なんてありません! 作:もろきゅー
目を覚ましたとき、最初に感じたのは空腹だった。
寝袋の中で身じろぎすると、腹の辺りから小さな音が鳴る。どうやら、昨日からまともに何も食べていない身体が、いい加減に何か食わせろと訴えているらしい。
「……腹減った」
ぼんやりとした頭で呟き、俺は寝袋から這い出した。
テントの中は相変わらず静かで、外からは鳥の鳴き声と、風に揺れる木々の音が聞こえてくる。入口の隙間から差し込む光は随分と明るく、どうやら昼近くまで眠ってしまったようだ。
昨日は異世界に転移してきた挙げ句、夜通しキャラクタークリエイトに没頭していたのだから、無理もないだろう。
軽く伸びをしてから、アイテムボックスを開く。
パンと水を取り出し、簡単な食事を済ませた。味については特に感想もないが、空腹だったこともあって、あっという間に平らげてしまった。
「……さて、と」
腹も膨れたところで、いよいよ昨日の続きを始めることにしよう。
俺は目の前に半透明の画面を呼び出した。
『シャルロッテ・アーデルハイト・セレスティーヌ・フォン・ローゼンハルト』
画面の中には、金髪碧眼の美しい姫騎士が立っている。
長い金髪を上品なシニョンヘアにまとめ、白と銀を基調とした華やかなドレスアーマーを身にまとった、俺の理想を詰め込んだキャラクターだ。
「……うん。やっぱりいい出来だな」
改めて眺めても、我ながら惚れ惚れする完成度である。
昨日は途中から時間の感覚を失っていたが、それだけの時間を費やした甲斐はあったと思う。
もっとも、眺めているだけでは意味がない。
この能力の本当の価値は、作成したキャラクターの姿になり、その能力を実際に使えるというところにあるのだから。
「……よし。じゃあ、さっそく試してみるか」
俺はシャルの名前を選択し、表示された項目へ指を伸ばした。
『キャラクターを使用しますか?』
当然、答えは決まっている。
「もちろん!」
迷わず肯定する。
すると、目の前の画面が一瞬だけ淡く輝いた。
何か特別な感覚があるのかと思って身構えたものの、痛みもなければ、身体が引っ張られるような感覚もない。ただ、瞬きをした次の瞬間には、何かが変わっていた。
「……おお?」
思わず声が漏れる。
あれ……今の声、何だ?
「……あー、あー。テスト、テスト」
試しに声を出してみると、耳に届いたのは、聞き慣れた自分の声とは似ても似つかない、澄んだ女性の声だった。
少し落ち着いた、柔らかさのある声だ。
もちろん、シャルの声もキャラクター作成時に設定している。何度か試聴して、見た目に合うものを選んだ覚えがあった。
だが、画面越しに聞くのと、自分の喉からその声が出てくるのとでは、話がまったく違う。
「……すげえ。本当に女の声になってる」
もう一度、今度は少し高めの声を出してみる。
当然ながら、聞こえてくるのは女性の声だ。
それが何だか面白くて、俺はしばらく意味もなく声を出していた。
しかし、いつまでも声ばかり確かめているわけにもいかない。
改めて自分の身体へ視線を向けると、そこには昨日までの俺とは明らかに違う姿があった。
「……うおおお」
まず目についたのは、白銀の装甲に覆われた胸元だった。
いや、正確には、その装甲の下にあるものだ。
大きい。
ものすごく大きい。
昨日、自分で何度も調整したのだから当然なのだが、実際にこの身体になってみると、画面で眺めていたときとはまるで印象が違う。
何しろ、視線を落とした先に、今まで存在しなかった大きな膨らみがあるのだ。
「……でっか」
思わず呟いてしまった。
試しに足元を見ようとすると、胸が邪魔になって真下が見えにくい。少し身体を傾ければ見えるものの、今までなら何も考えずに見下ろせていた場所が、こんなにも見えづらくなるとは思わなかった。
それだけではない。
胸元には、これまで経験したことのない重みがあった。
少し身体を動かすだけでも、その存在をはっきりと感じる。
「……これ、結構重いんだな」
女性の胸が大きくなれば、それだけ重くなるということくらい、知識としては理解していた。
だが、実際に自分の身体についているとなれば話は別だ。
見た目を調整しているときには、重さのことなど一度も考えなかったのである。
そもそも、俺が胸を大きくした理由など、単純にその方が好みだったからというだけだ。
まさか、自分がその重みを実感することになるとは思ってもいなかった。
「……うーん」
少し考えた末、俺は胸元へ手を伸ばした。
自分の身体なのだから、触ってみても問題はないはずだ。
そう考え、胸当てに覆われていない部分へ指を当ててみる。
「……おお」
柔らかい。
当然ながら、以前の俺の身体とはまるで違う感触だった。
せっかくなので、軽く揉んでみる。
確かに柔らかいし、触られている感覚もちゃんとある。しかも、触れている手の方にも感触が伝わってくるのだから、何とも不思議な気分だ。
しかし、しばらく確かめているうちに、俺は首を傾げた。
「…………うーん?」
何というか、思っていたのと違う。
自分好みに作った美人の胸なのだから、もっとこう、何か特別な感動があるのではないかと思っていたのだが、実際には柔らかさに驚くくらいで、それ以上の感想が湧いてこない。
もちろん、触っている感覚はある。
だが、興奮するかと言われれば、別にそんなこともなかった。
「……ああ、そっか。自分の身体だもんな」
考えてみれば当然かもしれない。
どれほど見た目が理想の女性になっていようと、触っているのも、触られているのも俺自身なのだ。
自分の腕や腹を触ったところで、特別な気分にならないのと同じなのだろう。
「……なんか、ちょっと損した気分」
誰に聞かせるでもなく呟き、小さくため息をつく。
もっとも、こんなことを真剣に考えている時点で、我ながらどうかしている気もする。
気を取り直し、今度は自分の手を眺めてみた。
昨日までの俺と比べると、随分と細く、指も長く見える。手の甲には目立った傷もなく、肌は驚くほど滑らかだった。
試しに頬へ触れてみると、こちらも以前とは違う柔らかさがある。
腕や腰回りも確かめてみたが、見た目は女性らしい曲線を描いている一方で、筋肉はしっかりとついているらしい。
特に脚は、すらりとしているのに、触れてみると引き締まっているのが分かった。
「……なるほどなぁ」
自分で設定した身体なのだから、どんな見た目をしているのかは知っている。
しかし、実際に触れてみると、画面越しでは分からなかったことが次々に見つかる。
それが何とも面白かった。
さらに、軽く身体を動かしてみる。
腕を伸ばし、肩を回し、腰をひねる。
すると、驚くほど滑らかに身体が動いた。
「……お?」
試しに前屈してみると、ほとんど抵抗を感じることなく、指先が床へ届いた。
いや、それどころか、手のひらまでついてしまう。
「……うわ、柔らかっ!」
元の俺の身体なら、こんなことをすれば太腿の裏が痛くなっていたはずだ。
ところが、今はまったく痛くない。
少し脚を開いて腰を落としてみても、身体は驚くほど自然に動いてくれる。
どうやら、シャルは見た目だけでなく、柔軟性にも優れた身体をしているらしい。
「……すげえな。これなら運動も楽そうだ」
もっとも、今はテントの中なので、あまり派手に動くわけにもいかない。
それに、そろそろ街へ向かわなければならないだろう。
そう考え、俺は立ち上がった。
その瞬間、胸元で何かが揺れた。
「……うおっ」
思わず足を止める。
別に痛いわけではない。ただ、立ち上がった拍子に胸が動いたことが、妙に気になってしまったのだ。
しかも、少し歩いてみると、動くたびに重みが変化する。
なるほど。これは確かに、慣れるまで時間がかかりそうだ。
そんなことを考えながら、ふと自分の服装へ視線を落とした。
白と銀を基調とした華やかなドレスアーマー。
肩や腕には美しい曲線を描く装甲が取り付けられ、胸元には金色の装飾が施されている。腰回りには布地を組み合わせた短いスカートがあり、脚には装飾のついた防具が装着されていた。
昨日の俺が、理想の姫騎士を目指して作り上げた自慢の装備である。
「……うん。格好いいな」
見た目については文句のつけようがない。
だが、改めて自分が着ていると思うと、少々気になる部分もあった。
まず、胸元だ。
白銀の胸当ては美しい曲線を描いているものの、上部が大胆に開いており、胸の谷間がはっきりと見えてしまっている。
「……これ、開きすぎじゃない?」
試しに少し前屈みになってみる。
すると、胸元がますます気になった。
慌てて身体を起こす。
ちょっと、待って。
これ、他人から見たらどうなんだ?
昨日の俺なら、間違いなく格好いいと思っただろう。実際、こういう華やかな装備が似合う姫騎士を作りたかったのだから。
しかし、今の俺は違う。
自分がこの格好で大勢の人間の前に立つところを想像しただけで、何とも落ち着かない気分になってくる。
「……おいおい、ちょっと待てよ」
さらに問題なのは、腰回りだった。
短いスカートは見た目こそ華やかだが、実際に穿いてみると、どうにも心許ない。
試しにその場で足を上げてみる。
すると、裾がひらりと持ち上がった。
「うおっ!?」
慌てて両手で押さえる。
いや、これ、普通に見えるだろ。
というか、そもそも隠す気があるのか?
もちろん、下にはきちんと下着を身に着けているし、腰回りの装甲もある。だが、だからといって安心できるかと言われれば、まったく別の話だった。
こんな短いスカートで走ったり、跳んだり、剣を振ったりしたら、どうなるのだろう。
考えたくもない。
「誰だよ、こんな装備を考えた奴は!」
どう考えても俺です。
そういえば昨日、スカートの長さを調整しているときに、短い方が脚が綺麗に見えるなどと考えていた気がする。
胸元についても同じだ。
姫騎士らしい華やかさを優先した結果が、これなのである。
「……昨日の俺、ちょっと考えが足りなかったんじゃないか?」
いや、考えていなかったわけではない。
むしろ、何時間もかけて細部まで調整していた。
ただし、その間ずっと考えていたのは、どうすれば見た目が良くなるかということだけだったのだ。
実際に自分が着ることになるなど、頭では分かっていても、まったく実感していなかったらしい。
「……まあ、でも、シャルはこれが似合うように作ったからなぁ」
アイテムボックスには着替えも入っているが、用意されていたのはジャージなどの動きやすい服ばかりだった。
着心地は良さそうだが、せっかく作ったシャルに着せるとなると、どうにも似合わない気がする。それに、そもそも俺の身体に合わせたサイズなので、シャルが着るには少々問題があった。身長はそれほど変わらないものの、何しろ胸の大きさがまるで違う。あのジャージでは、まともにファスナーが閉まるかどうかも怪しい。
……まあ、胸をここまで大きくしたのは俺なのだが。
それに、何よりこのドレスアーマーは、俺が時間をかけてデザインしたものなのだ。
多少恥ずかしいからといって、簡単に着替えてしまうのも何だかもったいない。
似合っていることを考えれば、これくらいは些細な問題だろう。
「……よし。慣れよう」
そう決意し、俺はテントの入口へ向かった。
何しろ、見た目だけなら完璧な姫騎士なのだ。
堂々としていれば、きっと何とかなるだろう。
そう自分に言い聞かせながら、入口を開けて外へ出る。
すると、森の中を吹き抜けた風が、剥き出しになった太腿を撫でていった。
「……ひゃっ!?」
思わず妙な声が出た。
何だ、今の感覚は。
いや、風が吹いただけなのは分かっている。
分かっているのだが、普段ならズボンに覆われているはずの場所が、今はほとんど何にも守られていない。
そのせいで、風が通るたびに妙にスースーするのだ。
「……落ち着かねえ」
思わずスカートの裾を押さえる。
こんな格好で街まで歩くのかと思うと、早くも不安になってきた。
しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。
俺は一度大きく息を吐き、気持ちを切り替えることにした。
「……まあ、いいか。とりあえず、身体を動かしてみよう」
せっかくシャルになったのだから、身体能力の方も確かめておきたい。
テントの周囲には、ある程度開けた場所がある。
俺は荷物を邪魔にならない場所へ置くと、軽くその場で跳び上がってみた。
「……おおっ!?」
思っていたよりも、ずっと高く跳べた。
いや、高く跳ぼうとしたわけではない。
普段と同じ感覚で軽く地面を蹴っただけなのに、身体が驚くほど簡単に持ち上がったのだ。
着地も実に滑らかで、膝にほとんど負担を感じない。
「……すげえな、これ」
今度は少し走ってみる。
すると、身体が驚くほど軽かった。
地面を蹴るたびに、ぐんぐん前へ進んでいく。脚の動きは滑らかで、呼吸も乱れない。
木々の間を避けながら走ってみても、思いどおりに身体が動いてくれる。
まるで、自分の身体ではないようだった。
いや、実際に昨日までの俺の身体ではないのだが。
「……これがステータスの効果か」
筋力と素早さを中心にポイントを振り分けた覚えはある。
しかし、実際にどれほどの能力になるのかは、正直なところ分かっていなかった。
少なくとも、今の身体能力が元の俺とは比べものにならないことだけは確かだ。
それに、これだけ動いてもほとんど疲れない。
なるほど、これは確かに冒険者として活動するには便利そうだ。
もっとも、走るたびに胸が揺れ、スカートの裾がひらひらと動くのは、何とも落ち着かなかったが。
「……うーん。身体はすごいんだけどなぁ」
何というか、性能と見た目の間に、妙な問題がある気がする。
いや、問題を作ったのは俺なのだが。
そんなことを考えながら、今度は腰の剣へ手を伸ばした。
美しい装飾の施されたロングソード。
昨日、自分でデザインした初期装備である。
「……さて、こっちはどうかな」
柄を握り、ゆっくりと鞘から引き抜く。
金属の擦れる音とともに現れた刀身は、陽光を受けて美しく輝いていた。
実際に手にしてみると、思っていたよりも軽い。
もちろん、剣そのものが軽いというより、シャルの筋力が高いおかげなのだろう。
試しに片手で持ち上げてみる。
すると、驚くほど自然に剣を構えることができた。
「……お?」
軽く振ってみる。
剣は滑らかな軌道を描き、空気を切り裂いた。
もう一度。
今度は斜めに振り下ろし、そのまま手首を返して横薙ぎへつなげてみる。
「……すごっ」
自分でも驚くほど自然に身体が動いていた。
剣を握った経験などほとんどないはずなのに、どこに力を入れればよいのか、どう身体を動かせばよいのかが、感覚的に分かる。
足の運び方も、剣の重心の捉え方も、何も考えずに理解できてしまう。
まるで、何年も剣を振り続けてきたかのようだった。
「……すげえ。これが《剣術Lv5》か」
試しに何度か剣を振ってみる。
縦に振り下ろし、横に薙ぎ払い、身体をひねりながら斜めに斬り上げる。
どの動きも驚くほど滑らかで、剣が自分の腕の延長になったような感覚があった。
ゲームでは、剣術スキルを取得すれば攻撃力が上がったり、特別な技が使えるようになったりする。
しかし、実際に自分の身体でその技術を使えるというのは、想像以上に不思議な体験だった。
「……いやあ、これは楽しいな」
思わず笑みが浮かぶ。
自分で作ったキャラクターの能力を、そのまま使える。
説明を読んだときにもすごいと思ったが、実際に体験してみると、その凄さがよく分かった。
もっとも、調子に乗って剣を振り回しているうちに、スカートの裾が大きく翻り、慌てて動きを止める羽目になったのだが。
「……これ、戦闘中は気にしてられないよな」
考えてみれば、剣を振るたびにスカートを押さえているわけにもいかない。
いくら身体能力が高くても、そんなことをしていれば、まともに戦えるはずがないだろう。
しばらく悩んだ末、俺は諦めることにした。
幸い、今は森の中だ。
誰かに見られているわけでもないし、戦闘中に多少スカートが翻ったところで、気にする必要はないはずだ。
「……うん。そういうことにしておこう」
自分に言い聞かせ、俺は剣を鞘へ戻した。
身体能力の確認も済んだことだし、そろそろ街へ向かうとしよう。
テントを片付け、荷物をアイテムボックスへ収納する。
昨日は何も考えずに使っていたが、このアイテムボックスという能力も、改めて考えるとなかなか便利だ。
荷物を持ち歩く必要がないのだから、旅をするうえでは相当助かるだろう。
俺はガイドブックで街の方向を確認すると、森の中を歩き始めた。
木々の間から差し込む陽光は暖かく、鳥の鳴き声があちらこちらから聞こえてくる。
昨日は異世界に来たばかりで、何が起こるか分からない不安もあった。
だが、今は少し違う。
シャルの身体能力を確かめたことで、少なくとも普通の人間よりはずっと強くなっていることが分かったからだ。
もちろん、この世界にどんな魔物がいるのか、まだ詳しくは知らない。
ガイドブックにも危険な魔物についての説明はあったし、油断するつもりはない。
それでも、昨日よりは随分と気持ちが軽くなっていた。
「……さて、街まではどれくらいかかるかな」
そんなことを呟きながら歩いていると、少し先の草むらから、何かが動く気配がした。
「……ん?」
足を止め、そちらへ視線を向ける。
最初は小動物かと思ったが、草の間から現れたのは、青く透き通った奇妙な物体だった。
丸みを帯びた身体は、水を固めたように半透明で、地面を這うというよりも、ぷるぷると身体を揺らしながら跳ねるように移動している。
「……おおっ! スライムじゃん!」
思わず声が弾んだ。
ゲームではお馴染みの魔物だが、実物を見るのは当然ながら初めてだ。
まさか本当にこんな生き物が存在するとは思わなかったし、半透明の身体が動く様子も、見ている分にはなかなか面白い。
もっとも、ガイドブックによれば、スライムはれっきとした魔物であり、弱いながらも人間を襲うことがあるらしい。
つまり、これは俺にとって初めての魔物との遭遇ということになる。
「……よし。せっかくだし、ちょっと戦ってみるか」
腰に下げたロングソードへ手を伸ばす。
シャルの身体になってから何度か剣を振ってみたが、実際の魔物を相手にするのは初めてだ。
少し緊張しながらも、俺はスライムの動きを観察することにした。
ところが、こちらがどう攻撃しようかと考えているうちに、スライムが突然、身体を大きく縮めた。
「……ん?」
次の瞬間、青い塊が勢いよく跳ね上がり、こちらへ向かって飛びかかってきた。
「うおっ!?」
驚いて声を上げたときには、すでに身体が動いていた。
右手が自然と剣の柄を握り、鞘から引き抜いた刃が、そのまま滑らかな軌道を描いて振り抜かれる。
自分でも何をしたのか分からないほど、一瞬の出来事だった。
軽い手応えが伝わったかと思うと、目の前に迫っていたスライムが真っ二つになり、そのまま地面へ落下した。
「…………え?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
地面に落ちたスライムは、しばらく形を保っていたものの、やがて輪郭を失い、青い液体となって崩れていった。
どうやら、倒したらしい。
「……終わり?」
周囲を見回してみるが、ほかに魔物の姿は見当たらない。
改めて手元の剣へ視線を落とす。
俺は、確かにスライムが飛びかかってきたことに驚いた。
だが、慌てて剣を振り回した覚えはないし、そもそも剣を抜こうと意識した瞬間には、すでに攻撃が終わっていたような気さえする。
それほどまでに、身体が自然に動いたのだ。
「……すげえな、シャル」
思わず感嘆の声が漏れた。
さっき森の中で試しに剣を振ったときにも感じたことだが、この身体は俺の想像以上に高性能らしい。
剣を握った経験などほとんどないはずなのに、どう動けばよいのかを身体が理解しているような感覚がある。
これが《剣術Lv5》の効果なのだろうか。
それとも、単純にシャルの身体能力が高すぎるのか。
正直なところ、俺にはよく分からなかった。
そもそも、相手はスライムだ。
ガイドブックにも弱い魔物として紹介されていたし、これくらい簡単に倒せても不思議ではないのかもしれない。
とはいえ、初めての戦闘を無傷で終えられたのは、素直に嬉しかった。
「……うん。これなら何とかなりそうだな」
少なくとも、魔物と出会った瞬間に何もできず殺されてしまう、なんてことはなさそうだ。
そう考えると、異世界に来てからずっと心のどこかにあった不安が、少しだけ薄らいだ気がした。
俺は剣を鞘へ戻すと、改めて街へ向かって歩き始めた。
もっとも、数歩進んだところで、またスカートの裾が風に揺れ、思わず片手で押さえる羽目になったのだが。
「……戦うのは問題なさそうだけど、こっちは何とかならないかなぁ」
どうやら、今の俺にとっては、魔物よりも自分で作った衣装の方が厄介らしい。
そんなことを考えながら森の中を進んでいく。
しばらく歩いていると、やがて木々の間から差し込む光が強くなり、森の終わりが近づいていることに気づいた。
「……お?」
少し歩く速度を上げる。
すると、ほどなくして視界が開けた。
そこには、遠くまで続く石造りの城壁と、その中央に設けられた大きな門があった。
「……おおっ!」
思わず声が漏れる。
初めて目にする異世界の街。
城壁の向こうにはいくつもの建物の屋根が見え、門の前には荷車や人々が行き交っている。
遠目にも、それなりに大きな街であることが分かった。
「……すげえ。本当にファンタジーの街って感じだな」
思わず笑みが浮かぶ。
昨日までは、こんなことになるなんて想像すらしていなかった。
それが今では、自分で作り上げた金髪碧眼の姫騎士になり、剣を腰に下げて異世界の街を目指している。
しかも、初めての魔物との戦闘まで経験してしまった。
ゲームの中でしか味わえなかった冒険が、今は現実になっているのだ。
「……よし。まずは冒険者ギルドだな!」
自然と足取りが軽くなる。
ガイドブックによれば、冒険者ギルドでは登録手続きを行うことで、魔物の討伐や採集などの依頼を受けられるらしい。
今の俺には仕事も住む場所もないのだから、まずはそこで生活の基盤を整える必要があるだろう。
幸い、シャルの身体能力なら、ある程度の依頼はこなせそうだ。
そう考えると、これからの生活にも少し希望が持てる。
しかし、門へ向かって歩き出そうとしたところで、俺はふと足を止めた。
「……あれ?」
遠くに見える門の前には、何人もの人間が行き交っている。
荷車を引く商人らしき男や、武器を腰に下げた冒険者らしい集団。門の脇には衛兵と思われる人影も見えた。
つまり、あそこへ行けば、当然ながら大勢の人間と顔を合わせることになる。
そこで、俺は重大な問題に気づいてしまった。
改めて自分の身体を見下ろす。
大きな胸。
大胆に開いた胸元。
そして、少し動くだけで裾が翻る短いスカート。
昨日の俺が、何時間もかけて作り上げた理想の姫騎士。
その姿で、これから人前に出なければならないのだ。
「…………マジで?」
思わず、そんな声が漏れた。
森の中では、誰かに見られる心配などなかった。
だが、街ではそうもいかない。
この格好で人混みの中を歩き、店に入り、冒険者ギルドで登録手続きをする。
当然、誰かと会話することにもなるだろう。
そう考えた途端、さっきまでの期待とは別の意味で、胸がどきどきしてきた。
「……いや、でも、ここまで来たんだしな」
今さら森へ引き返すわけにもいかない。
そもそも、シャルの姿で冒険することを決めたのは俺自身なのだ。
だったら、腹を括るしかないだろう。
俺は一度大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせた。
「……よし。堂々としてれば大丈夫だろ」
そう自分に言い聞かせ、再び門へ向かって歩き始める。
だが、数歩進んだところで、ふと別のことが気になった。
「……そういえば、俺、この姿でどう喋ればいいんだ?」
今まで通りに話せば、当然ながら一人称は「俺」だ。
しかし、見た目はどう見ても上品な姫騎士である。
その姿で「俺」と名乗るのは、さすがに違和感があるのではないだろうか。
「……うーん。やっぱり、わたくし……、かなぁ」
試しに口に出してみる。
「わたくしはシャルと申します。よろしくお願いいたします」
……ふむ、なかなかいいのではないか。
自分で言っておきながらなんだが、妙にしっくりきた。
TRPGで鍛えたロールプレイを活かすときが来たな。
「まあ、何とかなるか。……いえ、何とかなりますわ!」
結局、深く考えても仕方がない。
とりあえず、人前ではシャルらしい言葉遣いを心がけることにしよう。
そう決めて、俺は改めて街の門へ視線を向けた。
初めての異世界の街。
初めての冒険者ギルド。
そして、初めて女性として人前に出ることになる。
不安がないと言えば嘘になるが、それ以上に、これから何が起こるのか楽しみだった。
「……さぁ、行きますわ!」
俺は気合いを入れ直すと、街の門へ向かって歩き始めた。