うちの美少女アバターに重い過去なんてありません! 作:もろきゅー
せっかく異世界へやって来たのだから、まずはこの世界ならではの料理を楽しんでみたい。
何しろ、異世界の食べ物といえば、ゲームや小説でもお馴染みの要素だ。
魔物の肉を使った料理なんかもあるだろうし、日本では見たこともないような食材が売られているかもしれない。
考えただけで腹が鳴りそうだ。
目の前の中央広場からは、肉の焼ける香ばしい匂いや、何かの香辛料を使った刺激的な香りも漂ってきている。
おお、いいじゃないか!
これぞ異世界の市場って感じだな。
俺は期待に胸を膨らませ、賑やかな広場へと足を踏み入れた。
ところが、そこで早速問題が発生した。
「おっ、すっげえ美人じゃねえか! なあ、そこのお姉さん!」
声のした方へ顔を向けると、革鎧を着た若い男が二人、こちらに向かって手を振っていた。
「なあ、よかったら俺たちと一緒に飯でもどうだい? 美味い店を知ってるんだよ!」
「まあ、お誘いいただきありがとうございます。ですが、申し訳ございません。わたくし、少々用事がございますので」
「そんなこと言わずにさぁ! 俺たち、この街のことなら詳しいぜ?」
「お気持ちだけ頂戴いたしますわ。それでは、ごきげんよう」
俺はにっこりと微笑み、姫騎士らしく軽く会釈すると、その場を後にした。
ふっ、なかなか上手く対応できたんじゃないか?
やはり、シャルのような高貴な女性であれば、こうした誘いにも上品に対応するべきだろう。
乱暴な言葉で追い払うのではなく、相手の気分を害さないよう、やんわりと断る。
うんうん。我ながら、姫騎士らしい振る舞いができていると思う。
しかし、その満足感は長く続かなかった。
「お姉さん、ちょっといいかな?」
……またか。
今度は屋台の前で立ち止まったところを、別の男に声をかけられた。
「随分と綺麗な鎧を着てるね。もしかして、どこかのお貴族様?」
「ふふっ、どうでしょうか。それでは、失礼いたしますわ」
「えっ、ちょっと待ってよ! 名前くらい教えてくれてもいいじゃないか!」
俺は聞こえなかったふりをして、その場を離れた。
……うーん、これじゃあ、落ち着いて屋台も見られないぞ。
まあ、仕方がないことなのかもしれない。
何しろ、今の俺は金髪碧眼の美少女にして、抜群のスタイルを持つ高貴な姫騎士。しかも、その身に纏っているのは、華やかな装飾が施されたドレスアーマーときた。
自分で作ったキャラクターだからこそ分かるが、控えめに言っても、とんでもない美人である。
もちろん、そうなるように作ったのだから当然なんだけどな。
……とはいえ、実際にこの姿で街を歩いてみると、思っていた以上に面倒なことが多かった。
すれ違う男たちは何度もこちらを振り返るし、露骨に胸元へ視線を向けてくる奴もいる。
中には、わざわざ進行方向へ回り込んできて、無理やり話しかけてくる男までいた。
そのたびに、俺は姫騎士らしい笑顔と言葉遣いで何とかやり過ごしていたのだが、こう何度も繰り返していると、さすがに疲れてくる。
……畜生。俺はただ、異世界の飯が食べたいだけなのに。
そんなささやかな願いすら叶わないとは、どういうことだ。
せっかく美味そうな串焼きの屋台を見つけたと思ったら、横から男に声をかけられ、断っている間に別の客が何人も並んでしまう。
ようやく次の屋台へ近づけば、今度は酔っ払った男に絡まれ、何とか断ってその場を離れる羽目になった。
しかも、中には一度断った程度では諦めてくれない奴までいる。
「いやいや、ちょっと話すくらいいいだろ? 別に取って食おうってわけじゃねえんだからさぁ」
「申し訳ございませんけれど、わたくし、本当に急いでおりますの」
「そんなに急いでどこ行くんだよ。俺が案内してやるって!」
しつこいなぁ。何だよ、もう。
いい加減、姫騎士プレイを続けるのも面倒になってきたぞ。
かといって、ここで怒鳴り散らすのもシャルのイメージに合わない。
仕方なく、俺は最後まで丁寧な態度を崩さず、何とか男を振り切ることに成功した。
疲れた……。
まさか、異世界で最初に苦労することが、ナンパを断ることになるとは思わなかったな。
それにしても、こうも目立ってしまうのは、やはりシャルの姿が原因なのだろう。
まあ、あれだけ見た目にこだわって作ったのだから、当然といえば当然なんだが。
ここは一度、元の姿に戻った方がいいかもしれない。
普通の男の姿なら、こんなに注目されることもないだろうし、気兼ねなく屋台を巡ることができるはずだ。
そう考えた俺は、人通りの多い広場から離れ、建物の間にある細い路地へと入っていった。
表通りの喧騒は、奥へ進むにつれて少しずつ遠ざかっていく。
左右には石造りの建物が並び、その壁に挟まれた路地は昼間だというのに薄暗かった。地面にはところどころ水溜まりができており、何とも言えない湿った臭いが漂っている。
表通りとは随分と雰囲気が違うな。
まあ、人目を避けるにはちょうどいいか。
俺はさらに奥へ進み、周囲に人影がないことを確認した。
よし、この辺りなら大丈夫だろう。
それにしても、シャルが可愛いのは分かっていたけど、可愛すぎるというのも考えものだな。
あんなにモテモテだと、ただ街を歩くだけでも一苦労だ。
……いやぁ、美女ってのも大変なんだなぁ。
何だか、自分で作ったキャラクターに同情したくなってきたぞ。
まあ、そんなことを言っていても仕方がない。
とりあえず元の姿に戻って、今度こそ異世界グルメを楽しむとしよう。
そう思い、元の姿に戻ろうとしたそのときだった。
俺はふと、路地の奥へ顔を向けた。
何だろう。誰か、いる?
別に声が聞こえたわけでも、足音がしたわけでもない。
それなのに、何故か奥の方に誰かがいるような気がしたのだ。
しかも、一人ではない。
……三人、だろうか。
自分でも不思議なくらい、そこに人がいるという感覚がはっきりしていた。
これも、剣術のスキルを取得した影響なのだろうか。
シャルには剣術Lv5を設定しているが、そのスキルが実際にどのような感覚をもたらすのか、まだよく分かっていない。
ただ、今の俺には、路地の奥にいる誰かの存在が妙にはっきりと感じられた。
……気になるな。
別に、誰かがいるだけなら珍しいことでもないだろう。
こんな路地裏だって、住んでいる人や通り抜ける人くらいいるはずだ。
とはいえ、何となく引っかかるものを感じた俺は、ひとまず姿を戻すのをやめ、気配のする方へ歩いていくことにした。
すると、しばらく進んだところで、男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「だからよぉ! こんなんじゃ全然足りねえって言ってんだろ!」
「で、でも! 今週はこれだけしか稼げなくて……!」
続いて聞こえてきたのは、まだ幼さの残る少年の声だった。
「だったらもっと稼げる依頼を受けりゃいいだろうが! いつまで薬草なんか摘んでやがる!」
「そ、そんなこと言われても……。ボク、まだ討伐依頼なんて受けたことないし……」
「だったら、ちょうどいいじゃねえか。ゴブリンでも五匹くらい倒してこいよ。それだけで結構な金になるぜぇ?」
「ご、ゴブリンなんて無理です! ボクじゃ殺されちゃいます!」
おいおい、何だか穏やかじゃない話をしているぞ。
俺は壁際へ身を寄せ、声のする方をそっと覗き込んだ。
そこには、いかにも柄の悪そうな男が二人と、その前で小さくなっている少年の姿があった。
男たちの一人は大柄で肩幅が広く、もう一人は痩せぎすの細長い体格をしている。
どちらも腰に武器を下げているところを見ると、冒険者か、あるいはそれに近い仕事をしているのかもしれない。
一方の少年は、十二、三歳……いや、もう少し上だろうか。
まだあどけなさの残る顔立ちをしており、歳の頃は十四歳前後といったところだろう。
使い古され、サイズも合っていない革の胸当てを身につけ、腰には短剣を提げている。装備だけを見れば冒険者のようだが、身体つきは華奢で、とても荒事に慣れているようには見えなかった。
どう見ても、少年は男二人に脅されていた。
「いいか、ルーク。こっちだって遊びで金を貸してるわけじゃねえんだぞ?」
「わ、分かってます! だから、ちゃんと返すつもりで……!」
「だったらさっさと返せって言ってんだろうが!」
大柄な男が少年の胸元を掴み、乱暴に引き寄せた。
「ひっ……!」
「何度も何度も、待ってくれだの、もう少しだの……いい加減にしろよ!」
「ご、ごめんなさい! 来週には、もう少し稼いで……!」
「来週だぁ? てめえ、ふざけてんのか!」
次の瞬間、男の拳が少年の頬へ叩き込まれた。
「あぐっ!」
少年は小さく悲鳴を上げ、そのまま石畳の上へ倒れ込んだ。
おいおい、マジかよ。
金の貸し借りにどんな事情があるのかは知らないが、あんな子供を殴るのはどう考えてもやりすぎだろう。
それに、相手は二人もいる。
いくら何でも、見て見ぬふりをするわけにはいかない。
これは、あれだな。
姫騎士としては、絶対に見過ごせない場面というやつだ。
何しろ、シャルロッテは高潔な心を持ち、弱きを助け、悪を許さぬ誇り高き姫騎士なのだから。
ここで困っている少年を助けずして、何が姫騎士か。
そうと決まれば、やることはひとつだ。
俺は路地の角から身を離すと、男たちの背後へ向かって歩き出した。
もっとも、ただ歩いているだけのつもりだったのだが、何故か身体が驚くほど滑らかに動いた。
足の運びも軽く、地面を踏む感触まで、いつもとは違うように感じられる。
何というか、どこに足を置けばよいのか、身体が勝手に分かっているような、不思議な感覚だった。
これも剣術スキルのおかげなのだろうか。
まあ、今はそんなことを考えている場合じゃないか。
俺は男たちの少し後ろで足を止めると、大きく息を吸い込んだ。
「──おやめなさい!」
「うおっ!?」
「な、何だ!?」
突然背後から声をかけられた男たちは、揃って肩を跳ねさせ、慌てた様子で振り返った。
ふっ、なかなかいい登場の仕方ができたんじゃないか?
俺は背筋を伸ばし、男たちを真っ直ぐに見据えた。
「寄ってたかって、まだ幼い少年に暴力を振るうなど、恥ずべき行いですわ! 今すぐ、その方からお離れなさい!」
そう言って、男たちへビシッと指を向ける。
よし、決まったな。
これはもう、完全に姫騎士の登場シーンじゃないか。
我ながら、なかなか堂に入った振る舞いができていると思う。
しかし、肝心の男たちは、こちらを見るなり何とも間の抜けた表情を浮かべていた。
「……は?」
「……えっ、何?」
何だ、その反応は。
もっとこう、悪党らしい台詞とかないのか?
いきなり現れた美しい姫騎士に、少しくらい驚いてもいいと思うんだが。
いや、実際には驚いているのか。
男たちは、俺の顔と鎧を何度も見比べながら、何やら困惑した様子だった。
「……な、何だてめえは! どっから湧いてきやがった!」
ようやく我に返ったらしい大柄な男が、怒鳴り声を上げた。
来た来た。悪党らしい台詞だな。
それならば、こちらも姫騎士らしく応じなければなるまい。
「わたくしは、シャルロッテ・アーデルハイト・セレスティーヌ・フォン・ローゼンハルト!」
俺は胸を張り、堂々と名乗りを上げた。
「目の前で行われる蛮行を、見過ごすわけにはまいりませんわ!」
完璧だ。
こういう場面で長い本名を名乗ると、実にそれらしく聞こえるな。
やはり姫騎士には、これくらい格式高い名前が似合うというものだろう。
しかし、男たちは再び顔を見合わせた。
「……しゃる……何だって?」
「知らねえよ、そんな奴!」
……いや、まあ。確かに、ちょっと長すぎたかもしれないけどさ。
せっかく格好よく名乗ったんだから、もう少し反応してくれてもいいじゃないか。
そんなことを考えていると、大柄な男が俺を頭の先から爪先まで眺め、何やら下卑た笑みを浮かべた。
「……へえ。それにしても、随分といい女じゃねえか」
「まあ、そのようなことを……」
「何だぁ、その喋り方。どっかのお嬢様か?」
男はにやにやと笑いながら、こちらへ一歩近づいてきた。
「おい、姉ちゃん。こいつの知り合いか?」
「いいえ。たまたま通りかかっただけですわ」
「はっ、何だよ。だったら関係ねえじゃねえか。こいつには俺たちから借りた金があんだよ。返さねえなら、こっちだって困るんだ」
「事情は存じませんけれど、だからといって暴力を振るってよい理由にはなりませんわ」
「……ちっ。面倒くせえ女だな」
男は露骨に顔をしかめたが、すぐに何かを思いついたように口元を歪めた。
「……ああ、そうだ。そんなにこいつを助けてえってんなら、アンタが代わりに払ってくれてもいいんだぜ?」
「……わたくしが、ですの?」
「ああ。別に金じゃなくたっていいんだ。アンタみたいな上玉なら、身体で払ってくれるってのも大歓迎だぜ?」
身体で払う?
……ああ、そういうことか。
なるほどなぁ……高貴な姫騎士が悪党に捕まり、無理難題を突きつけられて、徐々に追い詰められていく。
うんうん、確かに創作では定番の展開だよな。
美しい姫騎士が、その誇りを守ろうと必死に抗う姿というのも、なかなか……。
いやいや、待て待て。何を考えてるんだ、俺は。
今はそんな妄想をしている場合じゃないだろう。
そもそも、目の前で本当にそんな要求をされているんだから、悠長に楽しんでいる場合でもない。
まったく、我ながらつくづくゲームや創作の影響を受けているなと思う。
「お断りいたしますわ」
俺は男を真っ直ぐに見つめ、きっぱりと言い放った。
「それに、わたくしがこちらの方をお助けすることと、あなた方の貸し借りとは別のお話です。少なくとも、暴力を振るうことはおやめなさい」
「ああん? てめえ、さっきから偉そうに……!」
大柄な男が顔を赤くし、こちらへ詰め寄ろうとした。
……これは、もしかして戦闘になるのか?
俺は思わず、腰の剣へ意識を向けた。
もちろん、抜くつもりはない。
何しろ、相手は人間なのだ。
いくらシャルが剣術Lv5を持っているとはいえ、いきなり人を斬りつけるなんて御免である。
できれば、このまま大人しく引き下がってもらいたいところだ。
とはいえ、相手が本気で殴りかかってきたら、どうしようか……
剣術スキルがあれば何とかなる気もするが、俺自身はまだ実際に剣を振るって戦った経験なんてない。
ゲームの中では散々やってきたんだけどなぁ……。
そんなことを考えていると、突然、もう一人の男が大柄な男の肩を掴んだ。
「……おい、ちょっと待て」
「ああん? 何だよ!」
「いいから、少し落ち着けって」
痩せぎすの男は、先ほどまでとは打って変わって、妙に険しい表情を浮かべていた。
その視線は、俺の腰に下げられた剣へと向けられている。
「……なあ、お前。こいつがいつ俺たちの背後に来たか、分かったか?」
「はあ? そんなもん、知らねえよ! いきなり現れたんだろうが!」
「……だよな」
男は小さく呟くと、今度は俺の足元へ視線を移した。
「それに、あの立ち方……」
「……何だよ?」
「いや、何でもねえ。とにかく、やめとけ」
何だろう。
急に二人で何を話し始めたんだ?
俺が不思議に思っていると、痩せぎすの男は声を潜め、大柄な男の耳元で何かを囁いた。
すると、男の表情がみるみるうちに変わっていく。
「……は? マジかよ」
「分かんねえけどな。少なくとも、ただの箱入り娘じゃねえだろ」
「……ちっ」
大柄な男は忌々しそうに舌打ちすると、改めてこちらを見つめた。
先ほどまでの下品な笑みは消え、代わりに何やら警戒するような表情を浮かべている。
なんだろう。俺、何かしたっけ?
ただ姫騎士らしく堂々と立っているだけなんだけどな。
まあ、せっかく向こうが静かになったんだから、ここは余計なことを言わずに様子を見ておこう。
「……ちっ。しゃあねえな」
やがて、大柄な男は吐き捨てるように言った。
「今日のところは、これで引き上げてやるよ」
どうやら、本当に引き下がってくれるらしい。
「ただし、ルーク! てめえは勘違いすんなよ!」
男は地面に座り込んでいた少年へ顔を向け、乱暴に指を突きつけた。
「借金がなくなったわけじゃねえからな! 次までにきっちり金を用意しとけよ!」
「……は、はい!」
「分かったら、さっさと稼いでこい!」
男たちは最後に俺を一瞥すると、踵を返して表通りの方へ歩き去っていった。
その背中が見えなくなるまで、俺は姫騎士らしく堂々とした姿勢を崩さなかった。
そして、二人の足音が完全に遠ざかったところで、ようやく小さく息を吐く。
……ふう。どうやら、何とかなったらしい。
いやぁ、よかったよかった。
まさか、こんなに簡単に引き下がってくれるとは思わなかったな。
やはり、シャルの装備が立派だったからだろうか。
それとも、姫騎士らしい名乗りが効いたのかもしれない。
ふっ、戦わずして悪党を退けるとは。
これぞ高貴なる姫騎士の威厳というやつだな。
俺は一人、心の中で満足げに頷いた。
それにしても、実際にこうしてシャルの姿で行動していると、何だか不思議な気分になる。
普通の人間なら、自分の身体を別の姿に変えたり、気に入らなければ作り直したりなんてできないからな。
何というか、ものすごくリアルな一人称視点のゲームを遊んでいるような感覚だ。
もちろん、実際に怪我をすれば痛いだろうし、危険なことはできるだけ避けたい。
それでも、いざとなれば別の姿に変身できるというのは、何とも心強いものである。
この能力については、もう少し色々と試してみる必要がありそうだな。
そんなことを考えていると、背後から遠慮がちな声が聞こえてきた。
「あ、あの……助けていただいて、本当にありがとうございます!」
おっと、そうだった。
助けた少年に、まだちゃんと声をかけていなかったな。
俺は慌てて振り返った。
すると、いつの間にか少年がすぐ背後まで近づいていたらしく、振り向いた拍子に、その頭が俺の胸元へすっぽりと埋まってしまった。
「あわわっ!?」
「あら?」
少年が驚いたように声を上げ、慌てて後ずさった。
「ご、ごめんなさい!」
その顔は、何故か耳まで真っ赤になっている。
しまったな、この身体には自分でも呆れるくらい立派な胸が付いているのだ。
元の男の身体と同じ感覚で振り返れば、そりゃあ思わぬところにぶつかってしまうこともあるだろう。
「いえ、こちらこそ申し訳ございませんわ。お怪我はありませんこと?」
「だ、大丈夫です! 全然!」
「それならよかったですわ。……実はわたくし、最近になって急に胸が大きくなってしまいまして、まだ少々感覚が掴めておりませんの」
「……そ、そうなんですね」
少年は何故か、さらに顔を赤くした。
そんなに驚くことを言っただろうか。
まあ、いきなり胸が大きくなったなんて話を聞かされたら、普通は驚くのかもしれない。
とはいえ、実際にこの姿になってからまだそれほど時間が経っていないのだから、俺としては本当のことを言っているだけなのだ。
「そ、それは……その……」
少年は何やら言いかけたものの、結局何も言えなかったらしく、俯いてしまった。
もしかして、女の人と話すのが苦手な子なのかな。
見たところ、まだ中学生くらいの年齢だし、こういう反応も珍しくないのかもしれない。
まあ、ここはあまり気にしないでおこう。
それよりも、少年の頬が少し赤く腫れていることの方が気になった。
「それより、先ほどは随分と酷いことをされていましたけれど、お身体は大丈夫ですの?」
「……あっ、はい! 大丈夫です!」
少年は慌てて顔を上げると、何度も頷いた。
「ちょっと殴られただけですから! これくらい、どうってことないです!」
「まあ、そうですの? けれど、あまり無理をなさってはいけませんわよ」
「は、はい!」
なかなか元気な子じゃないか。
さっきはあんなに怯えていたから心配だったけど、どうやら大きな怪我はしていないようだ。
もっとも、頬は腫れているし、服も随分と汚れている。あまり大丈夫そうには見えないんだけどな。
それに、男たちは借金がどうとか言っていた。
どうやら、この子はあの二人から金を借りているらしい。
何か事情がありそうだな……。
とはいえ、初対面の相手にいきなり借金の理由を尋ねるのも、どうかと思う。
少なくとも、今はあの男たちが立ち去ったばかりなのだ。本人も少し落ち着きたいだろうし、無理に話を聞き出す必要もないだろう。
そんなことを考えていると、少年が改めて深々と頭を下げてきた。
「あの、本当にありがとうございました! あの人たち、全然話を聞いてくれなくて……。助けてもらえなかったら、どうなっていたか……」
何だか、随分と感謝されているな。
まあ、あれだけ怖そうな男たちに囲まれていたんだから、無理もないか。
俺としては、ちょっと姫騎士らしいことをしてみたかっただけなんだけどな。
とはいえ、こうして感謝されるのは悪い気分ではない。
むしろ、なかなか嬉しいものだ。
「ふふっ、どうぞお気になさらないでくださいませ。困っている方をお助けするのは、当然のことですわ」
俺は優雅に微笑みながら、そう答えた。
今の台詞も、なかなか姫騎士らしく決まったんじゃないか?
こういう場面では、恩着せがましくするのではなく、当然のことをしただけだと微笑む。
うんうん、実に高潔な姫騎士らしい振る舞いである。
すると、少年は何故か少し驚いたような表情を浮かべた。
「……すごいですね」
「……はい?」
「あっ、いえ! 何でもないです!」
少年は慌てて首を振ると、少しだけ俯いた。
何がすごいんだろうか?
それより、そろそろ表通りへ戻って、今度こそ何か食べたいところだ。
そう考えた俺が別れの挨拶をしようとしたところで、少年が再び口を開いた。
「あ、あの!」
「はい、何でしょう?」
「何か、お礼をさせてもらえませんか?」
「お礼……ですの?」
「助けてもらったのに、何もしないなんて申し訳なくて……。でも、ボク、あんまりお金を持ってなくて……」
少年は少し情けなさそうに眉を下げた。
「だから、その……何かお手伝いできることがあれば、何でも言ってください!」
ほほう、なかなか律儀な子じゃないか。
別にお礼が欲しくて助けたわけではないし、そこまで気にする必要もないと思うんだけどな。
とはいえ、本人が何かしたいと言っているのだから、無下に断るのも悪い気がする。
何か、簡単に頼めることでもあればいいんだが……。
そう考えたところで、ふと思いついたことがあった。
そうだ。この子、街のことに詳しかったりするんじゃないか?
何しろ、俺は今日この街へ来たばかりなのだ。
どこに何があるのかも分からないし、宿屋ひとつ探すのにも苦労しそうな状態である。
しかも、この世界の文字が読めないという問題まである。
言葉は普通に通じるのに、文字だけはまったく理解できないんだから、不便なことこの上ない。
屋台の看板ひとつ取っても、何が書いてあるのか分からないのだ。
その点、街に詳しい人が一緒にいてくれれば、随分と助かるだろう。
俺は少年の顔を見つめながら、もうひとつの可能性に思い至った。
男の子が一緒に歩いていれば、さっきみたいなナンパも少しは減るんじゃないか?
何しろ、今まではシャルが一人で歩いていたからこそ、あれほど声をかけられたのかもしれない。
だったら、連れがいると分かれば、多少は遠慮してくれる可能性がある。
これは、なかなか名案なんじゃないか?
少年の方も、お礼ができるなら嬉しいだろうし、俺としても街の案内をしてもらえるなら助かる。
まさに、お互いにとって都合のいい話というわけだ。
よし、そうと決まれば、早速お願いしてみよう。
「それでしたら、ひとつお願いしてもよろしいでしょうか?」
「は、はい! ボクにできることなら!」
少年はぱっと顔を上げ、期待に満ちた目でこちらを見つめてきた。
何だか、すごくやる気があるな。
そんなに気負わなくてもいいんだけど。
「実はわたくし、本日この街へ来たばかりでして、まだ街のことをよく存じ上げませんの」
「……えっ、そうなんですか?」
「ええ。ですので、もしよろしければ、街をご案内していただけませんか?」
「……街の案内、ですか?」
「はい。お食事のできるお店や宿泊する場所など、色々と教えていただければ、とても助かりますわ」
少年は嬉しそうに顔を輝かせた。
「そ、それくらいなら、もちろんです!」
「まあ、本当ですの?」
「はい! ボク、この街にはずっと住んでますから! 宿屋とか、お店とか、色々知ってます!」
「それは心強いですわ」
「任せてください! ちゃんと案内しますから!」
少年はそう言うと、嬉しそうに胸を張ってみせた。
うんうん、なかなか頼もしいじゃないか。
これなら、街のことを色々と教えてもらえそうだ。
いやぁ、困っている人を助けたら、自分まで助けてもらえるとは。
やはり人助けというのは、しておくものだな。
もっとも、さっきはたまたま見つけただけなんだけどさ。
俺が内心でそんなことを考えていると、少年は何かを思い出したように声を上げた。
「あっ、そういえば……!」
「はい?」
「えっと、お名前は……」
そういえば、そうだったな。
一応、さっき男たちの前で名乗りはしたのだが、あんな状況だったし、覚えていなくても仕方がない。
それに、あの長い名前を一度聞いただけで覚えろという方が無理な話だろう。
「ふふっ、そうでしたわね。わたくしは、シャルロッテ・アーデルハイト・セレスティーヌ・フォン・ローゼンハルトと申します」
「……しゃ、しゃるろって……?」
少年は俺の名前を繰り返そうとしたものの、途中で言葉に詰まってしまった。
まあ、そうなるよな。
「少々長い名前ですので、どうぞシャルとお呼びくださいませ」
「シャル……さん?」
「ええ。それで構いませんわ」
俺が微笑むと、少年は何度か小さく頷いた。
「分かりました! シャルさん!」
やっぱり、愛称があると便利だな。
というか、最初からシャルで名乗ってもよかった気がするが、そこはまあ、姫騎士としてのこだわりというやつだ。
「そういえば、先ほどの方々がルーク様と呼んでおられましたわね」
「あっ、はい! ボク、ルークっていいます! 冒険者をやってます!」
「まあ、冒険者でしたのね」
「はい! ……あ、でも、まだ駆け出しで、大したことはできないんですけど……」
そう言うと、ルークは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
やっぱり冒険者だったのか。
革の胸当てと短剣を身につけていたから、そんな気はしていたんだよな。
それにしても、この世界では随分と若いうちから冒険者になれるらしい。
見たところ、まだ中学生くらいの年齢なのに、もう働いているとは。
……いやぁ、大変だなぁ。
日本じゃ、あのくらいの歳なら学校へ通っているのが普通だからな。
もっとも、この世界にも学校があるのかどうかは知らないけどさ。
「ふふっ、でしたら、わたくしたちは冒険者仲間ということになりますわね」
「えっ?」
「実はわたくしも、本日冒険者として登録したばかりですのよ」
「ええっ!?」
ルークは目を大きく見開き、素っ頓狂な声を上げた。
そんなに驚くことか?
「シャ、シャルさんが新人冒険者なんですか!?」
「ええ、そうですわ」
「で、でも、その鎧とか剣とか、すごく立派ですし……!」
確かに、シャルの装備は随分と豪華だからな。
見た目だけなら、熟練の冒険者どころか、どこぞの騎士団長と言っても通用しそうだ。
まあ、実際には今日作ったばかりのキャラクターなんだけど。
「ふふっ、装備が立派だからといって、経験豊富とは限りませんわ。わたくしも、まだまだ学ぶことばかりですもの」
こういうところで自分の未熟さを素直に認めるのも、高潔な人物らしさというものだろう。
俺はそう言って、改めてルークへ微笑みかけた。
「それでは、ルーク様。これからよろしくお願いいたしますわ」
「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」
ルークは嬉しそうに笑うと、勢いよく頭を下げた。
素直で、なかなかいい子じゃないか。
それに、こうして知り合いができたのは、俺にとってもありがたいことだ。
この世界へ来たばかりで、右も左も分からない状態なのだから、街のことを教えてくれる相手がいるというだけでも心強い。
しかも、ルークは冒険者だ。
今後、冒険者として活動していくうえでも、色々と話を聞けるかもしれない。
いやぁ、思わぬところでいい出会いがあったな。
「それでは、早速ご案内いただいてもよろしいでしょうか?」
「はい! 任せてください!」
ルークは元気よく返事をすると、表通りの方へ向かって歩き始めた。
俺はルークの後に続いて、路地裏を後にした。
いやぁ、思わぬ所で街の案内役までできてしまったな。
これなら、もうナンパに邪魔されることもないだろうし、今度こそ落ち着いて屋台を巡れるはずだ。
よーし、まずは何か美味しいものを食べさせてもらおうじゃないか!