二百年ぶりに牢から出たら、私を神祖と崇める国ができていた ~偽物の子孫がふんぞり返っているので、最底辺の兵士から成り上がって国を盗る~ 作:パッタリ
降り注ぐ火の粉と、泥にまみれた血の臭いがした。
「行け! ここは私が足止めする!」
「リュシア、死ぬ気か」
「死にたくないけど、私が囮にならないと追いつかれるでしょ」
「……なら俺たちも残るさ。一人じゃきついだろ?」
鉱山で過酷な労働をしていた奴隷たちによる突発的な反乱は、始めから勝算などなかった。
相手は大陸の半分を支配する強大な帝国であり、数ヶ月近く戦い続けただけでも健闘に値した。
殿として一緒に残ったのは二十人足らず。
三日三晩、交代で休みながら帝国の重装歩兵を狭い坑道で食い止め続けたが、最後に立っていたのはリュシアのみ。
冷たくなった仲間を踏み越えてまで戦うも、最後は鈍い衝撃が頭を揺らして意識が途切れる。
* * *
カビ臭い。
目を開けても、石の天井しか見えなかった。
「……また昔の夢か」
身体を起こすと背中が痛む。
いや、痛いというより身体のあちこちが重かった。寝すぎたせいだ。
鉄格子の向こうで椅子がきしむ。
「おう。起きたか」
腰の曲がった牢番が、あくびを噛み殺していた。
「ねえ。今って昼? 夜?」
「知るかよ。地下じゃ昼も夜も関係ねえだろ」
「それもそうか」
「飯を持ってくる」
運ばれてきたのは、干した果物とパン。
「まずい」
「贅沢言うな。というか、お前さんはずっと姿が変わらんな。こちとら、二十歳の時にここの牢を任されたってのに」
「私はいろいろ混ざってるからね。エルフとかの長生きする血が」
リュシアは自分の手を眺めた。
白くて細い。二百年前と何も変わっていない。
変わったのは周りのほうだった。
捕まったばかりの頃は帝国の医師がよく来た。血を抜かれ、肉を削がれ、目の中まで覗き込まれた。
『これは普通の混血ではない……!』
そんなことを言いながら、妙に嬉しそうだった。
おかげで首を落とされずに済んだのは、運が良いのか悪いのか。
やがて医師は来なくなった。
二百年の間に、牢番が変わり、兵士の制服が変わり、出てくる食事も貧相なものになっていった。
「何で捕まったのか、覚えてるか?」
「覚えてるよ。私が反乱の首謀者だから。ま、しょぼいやつだけど」
「ふうん? 昔の書類なんざ虫に食われて残っちゃいねえから詳しいことを知らんが、よくもまあ首を落とされなかったもんだ」
「運が良かったんだよ」
囮になってでも逃がした仲間たちは、無事に生き延びただろうか。
それとも、追いつかれて全員死んだのだろうか。
(私のやったことは、意味があったのかな)
今さら考えたところでどうしようもないが、たまに思い返すことがある。
その時、空気が異様な唸りを上げる。
魔法による火球が弾ける音とは違う。
まるで腹の底に響くような衝撃が頭上から降ってきた。
「な、なんだぁっ!?」
牢番が椅子から転がり落ちる。
続いて、天井の分厚い石材が崩れ落ちた。
鉄格子がひしゃげ、外壁ごと地下牢の半分が吹き飛ぶ。
視界がなくなるほどの土煙の向こうから、日光が入り込む。
「けほっ……そっちは大丈夫?」
「ひ、ひぃっ……! ここはもう終わりだ!」
腰を抜かした牢番は、リュシアの声など聞こえていない様子で、崩れかけた通路を這うように逃げていく。
「やれやれ……見張りが先に逃げたらダメでしょ。囚人が逃げちゃうよ、っと」
リュシアは立ち上がり、ひしゃげた鉄格子の隙間をするりと抜けた。
埃を払いながら、瓦礫の山を軽々とよじ登り、ぽっかりと開いた天井の穴から地上へと這い出る。
突き刺さるような日差しに、思わず手で目を覆った。
「まぶし……」
目を細めながら周囲を見渡し、リュシアはそのまま固まった。
難攻不落だったはずの帝国の要塞が、見る影もなく砕け散っている。
分厚い城壁は崩れ、見たこともない巨大な鉄の筒から、鼻を突く焦げ臭い煙が上がっていた。
広場を埋め尽くしているのは、武器を放り出して逃げ惑う帝国兵たちの姿だ。
「……あれだけ強かった帝国軍がねえ」
「おい、そこの娘! ぼさっとしてると流れ弾に当たるぞ! さっさと降りろ!」
怒声が飛んできた。
振り返ると、青い外套を羽織った兵士が肩に細長い筒を担いで走ってくる。
帝国兵ではない。ここを攻め落とした新手の軍勢だ。
「あ、ごめんなさい。何が起きてるのかよくわからなくて」
「帝国を追い払ってるところだ。我がルキア王国の砲兵隊にかかれば、老いた帝国の城壁なんざ泥の壁よ!」
兵士は得意げに笑うと、背中の袋を揺らしながら歩み寄ってきた。その袋からは、香辛料の瓶や銀の食器が覗いている。
「兵隊さん、それ、くすねたやつ?」
「馬鹿言え、少しばかり手間を省いてるだけで正当な徴発だ。お嬢ちゃん、金目の物がありそうなところを知らねえか?」
悪びれもせずニヤリと笑う兵士。
どさくさに紛れて末端の兵士が小銭を稼ぐのは、昔からよくある光景だ。
自分が牢にいる間にも、世界は勝手に回っていたらしい。
「知らない」
そっけなく返して視線を動かすと、兵士の胸元にある紋章に目が留まった。
鎖を断ち切る鳥の意匠。
「……ねえ。その紋章、なに?」
「これか? 我がルキア王国の国章だ。神祖リュシア様の御印だ」
「……はい?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
それは二百年ほど前、反乱軍の旗印としてリュシアが適当にスケッチした落書きと瓜二つだったからだ。
「ったく、これだから貧しいガキは……。うちのお偉いさんが崇めてるんだよ」
兵士が去ろうとするので、リュシアは呼び止める。
「待って……なんでそれが王国の印になってるの?」
「そりゃあ、今の王族様方がリュシア様の血を引いてるらしいからな」
「……へえ。そのリュシアって人、子どもなんていたんだ?」
少なくとも、自分が坑道で捕まった時点では独り身だった。相手なんかいた記憶もない。
リュシアが目を細めて尋ねると、兵士は鼻で笑って肩をすくめた。
「どうだっていいだろ」
兵士はひらひらと手を振ると、新たな戦利品を探しに瓦礫の奥へと消えていった。
一人残されたリュシアは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
仲間たちは生き延びていた。国ができるほどには。
あの時、自分が残った意味はあったのだ。
(でも、神祖……? しかも私の血筋?)
いつの間にか神格化され、見ず知らずの連中が勝手に自分の子孫を名乗ってふんぞり返っている。
(いっそ神祖ですって名乗り出ようか……? いや、頭のおかしいやつ扱いされて終わりか)
金も、地位も、知り合いもいない。
ボロ布をまとった銀髪の小娘が「私が神祖です」と叫んだところで、誰も耳を貸さないだろう。
なら、このまま逃げてしまおうか。
長命種の血のおかげで、命だけは腐るほど余っている。
遠い辺境へ行けば、静かに暮らすことはできる。
(とりあえず、移動しよう)
リュシアは崩れた要塞の麓に広がる町へと足を向けた。
道中、拾えるものを拾いつつ半日ほどかけて到着すると、町は王国軍によって占領されていた。
「神祖リュシア様の導きにより、この町は解放された! 感謝の証として酒と食料を差し出してもらうぞ!」
広場でふんぞり返る将校の声に、住民たちが怯えたように頭を下げている。
至るところに掲げられたあの鳥の旗印の下で、自分の名前が都合のいい免罪符のように飛び交っている。
「……なんだかねえ」
あの坑道で死んだ仲間たちと、地下牢で腐らせた二百年。その結果がこれかと思うと、さすがに少しばかり腹が立つ。
リュシアは埃まみれの銀髪を手で軽く整える。
(腐りきってるかどうか、内側から拝ませてもらおうじゃないの。いざとなれば、逃げたっていい)
とはいえ、使える手札は少ない。人よりちょっと頑丈な身体と、昔の荒事の経験くらいだ。
手頃な潜り込み先はないかと辺りを見渡すと、広場の片隅にある天幕から声が響いてきた。
「新兵募集! 歩兵、工兵、荷運び、何でもいい! 帝国の残党狩りに加わる骨のある奴は来い! 日当と飯は保証するぞ!」
占領地でかき集められる、最前線の使い捨て要員。
貧しそうな者の他に、ゴロツキが少し混じっている。
リュシアは少し眺めたあと、列の最後尾へと立った。
「おい、次! 女か。名前は?」
受付の兵士が顔を上げる。
リュシアは金色の瞳をまっすぐに向け、淡々と告げた。
「リュシア。歩兵希望。食うために入るつもり」
その名を聞いた途端、相手はため息をついた。
「……またか。銀髪に生まれたからって、あやかろうとする親が多すぎる。今週だけで五人目だぞ、その名前」
「あ、そうなんだ……人気なんだね、その名前」
「まあいい、ほら、この木札を持ってあそこの天幕へ行け。今日からお前も、飯と金が貰える王国の兵隊だ」
本名を名乗っても、誰も本人とは思わない。
受付の兵士はすっかり興味を失った様子で、焼き印入りの木札を放り投げてくる。
それを片手で軽く受け止める。
「さて、今の戦場はどうなってるかな」
木札に刻まれた鳥の印を指でなぞりつつ、リュシアは薄暗い天幕の奥へと潜り込んだ。