二百年ぶりに牢から出たら、私を神祖と崇める国ができていた ~偽物の子孫がふんぞり返っているので、最底辺の兵士から成り上がって国を盗る~ 作:パッタリ
天幕の中は思ったよりも広く、雑談する声で少し騒がしい。
集められているのは三十人ほど。割合としては、男が八割、女が二割。
途中で見かけた正規兵の部隊にはもう少し女の姿が多かったものの、こういうところに集められた使い捨ての雑兵となると、腕っぷし頼みの荒くれ者が多くなるらしい。
「ほらよ、新入り。装備と飯だ」
「どうも」
無愛想な兵士から、木製の椀と黒ずんだパン、それに穂先が少し欠けた槍を押しつけられた。
リュシアは空いている木箱に腰を下ろし、さっそく椀の中身を覗き込む。
「んー?」
ぬるい麦の粥に、塩漬け肉の切れ端と根菜がわずかに浮いている。
一口すすってみると、塩辛さが舌に残った。
お世辞にも美味いとは言えないが、食べられなくはない。
カビと湿気ばかりな地下牢での食事に比べれば、多少はマシだった。
「おいおい、そんな豚の餌みたいな代物をよく美味そうに食えるな」
呆れたような声が頭上から降ってくる。
顔を上げると、荷車の陰に座る男と目が合う。
年は五十歳ほどに見えた。
短く刈り込んだ黒髪には白髪が混じり、浅黒い顔には深い刀傷が走っている。
使い込まれた革鎧を着込み、手慣れた様子で手元の短剣を砥石で研いでいる。
「食べられなくはないし」
「ま、こんなのでも食えるものがないよりはマシか。俺はドルグ。元は傭兵だが、見ての通り今はしがない日雇いの雑兵さ。よろしくな、嬢ちゃん」
「私はリュシア。よろしく」
ドルグは砥石をしまうと、天幕の入り口で落ち着きなく周囲をうかがっている新兵たちへ視線を巡らせ、ニヤリと口の端を歪めた。
そして周囲に聞こえるよう、わざとらしく声を張り上げる。
「さーて、どいつもこいつも青二才ばかりだな! いいかお前ら、これから行く残党狩りは遠足じゃねえ。正規兵の連中が踏み込みたがらねえ危険な場所へ、俺たちが代わりに頭から突っ込むんだ。だがまあ、安心しろ。このドルグ様が、銀貨二枚で戦場で長生きするコツを教えてやるし、いざって時は助けてやる。命が惜しい奴は今のうちに払っとけ!」
露骨な小銭稼ぎの口上に、周囲の者たちからは「誰が払うか」「ぼったくりのジジイ!」という野次が飛ぶ。
ドルグは軽く肩をすくめたが、その時、一人の若者がおずおずと近づいてきた。
赤い髪をした、まだあどけなさの残る青年だ。周囲の視線を気にしながら、彼は震える手で銀貨を二枚取り出し、ドルグへと差し出す。
「あ、あの……お願いします」
「おう、いい判断だぜ、ニンジン頭。お前は俺の後ろにぴったりくっついてろ」
ドルグは素早く銀貨を懐にしまい込むと、青年の肩をバシバシと叩いた。
ニンジン頭と呼ばれた青年は、少しだけ安堵したように小さく頷き、そそくさとドルグの背後に控える。
「商売上手だねえ、おじさん」
「おじさんはやめろ。戦場じゃ、ああいう臆病な奴の方が案外生き残るもんさ。嬢ちゃんも一口乗るか? 安くしとくぞ?」
「私はお金ないから遠慮しとく。……それより、残党狩りってそんなに危ないの? 表の様子だと、帝国軍はもうボロボロに見えたけど」
リュシアが塩辛い粥をすすりながら尋ねると、ドルグは鼻を鳴らした。
「手負いの獣が一番タチ悪いって言うだろうが。……まあ、俺も昔は帝国兵だったから、向こうのやり口はよく知ってる」
「え、元帝国兵なの?」
「給料の遅配が一年も続きゃ、国のために戦う気なんざ消え失せるとも。今の帝国はな、皇帝の跡目争いで貴族どもが内輪揉めしてる真っ最中だ。前線に送る補給もろくに届かねえし、有能な将軍は政争でどこかに左遷される始末よ」
ドルグは吐き捨てるように言って、水筒の水を飲む。
リュシアはまだ中身が残る椀を見つめ、小さく息をつく。
かつて大陸の半分を支配していたあの大帝国が、内側から崩れ去ろうとしている。
「……ふうん。あんなに強かったのにね」
「お前が物心つく頃にゃ、もう落ち目だったはずだがな。どこの田舎で育ったか知らねえが、買いかぶりすぎだ。今の帝国に昔みたいな覇気は欠片も残っちゃいねえよ」
「そっか。時代の流れってやつかな」
リュシアが曖昧に笑って誤魔化していると、天幕の入り口が乱暴に開かれた。
小綺麗な青い軍服を着た正規軍の士官が顔を出し、苛立たしげに怒鳴る。
「貴様ら、飯は済んだな! これより要塞北側の旧市街区へ入り、逃げ込んだ帝国兵の掃討を行う! モタモタするな、さっさと整列しろ!」
いよいよ出陣だ。
リュシアは空になった椀を置き、支給された槍を手に取って立ち上がった。
* * *
砲撃によって崩れ落ちた旧市街は、不気味な静けさに包まれていた。
石造りの建物は半壊し、路地には瓦礫と黒焦げの木材が散乱している。
先頭を歩かされているのは、リュシアを含めて三十人近い徴募兵だ。
指示を出した正規軍の兵士たちは、安全な後方から銃を構えてゆっくりとついてくる。
「いいか、ニンジン頭。絶対に建物の窓の下や、瓦礫の死角には近づくなよ」
「は、はい」
最後尾の近くを歩きながら、ドルグが低い声でささやく。リュシアはしれっと二人の後ろにつく。
ニンジン頭と呼ばれた青年は青ざめた顔で何度も頷き、槍の柄を強く握りしめていた。
前方を歩く荒くれ者たちは、「さっさと片付けて褒美をもらおうぜ」「帝国兵が隠れてたところで、今の俺たちの敵じゃねえよ」と軽口を叩き合っている。
だが、十字路に差し掛かった瞬間、リュシアの足が止まった。
(これは……)
風向きが変わると、焦げ臭さに混じって血と汗の臭いがすぐ上の廃墟から漂ってきたのだ。
「──敵だ!」
リュシアが叫ぶのと、廃墟の窓から複数の影が飛び出してくるのはほぼ同時だった。
「帝国に栄光あれ!!」
血走った目をした帝国の重装歩兵たちだった。数は十人ほど。
退路を断たれて死兵となった彼らは、そのまま抜刀して徴募兵の群れへと雪崩れ込んできた。
「う、うわあああっ!?」
「ぐあっ!」
奇襲を受けた前方は、為す術もなかった。
ろくに訓練も受けていない寄せ集めと、死に物狂いの正規兵。実力の差は明らか。
先頭にいた者たちが次々と斬り伏せられ、悲鳴と怒号が交錯する中、あっという間に十人近くが血の海に沈む。
後方にいた王国の正規兵たちは、銃を構えたまま後退し始めた。
「ちっ、後ろの連中は当てにならん。俺たちごと撃たれるよりはマシだがな! おいニンジン頭、下がれ!」
ドルグが剣を抜き放ち、迫りくる帝国兵の一人を受け止める。
さすがの身のこなしだが、その脇を抜けてさらに三人の帝国兵が血濡れの剣を振り上げ、リュシアのいるほうへ突っ込んできた。
「ひっ……あ、ああ……!」
ニンジン頭と呼ばれた青年は腰を抜かし、尻餅をつく。
ドルグが「くそっ、間に合わねえ!」と顔を歪めたその瞬間。
リュシアがそっと前に出た。
二百年も牢にいたせいで身体が鈍っているかと思ったが、いざ命のやり取りを前にすると染みついた戦いの経験が目を覚ます。
「死ねや小娘ぇっ!」
先頭の帝国兵が振り下ろした剣。
リュシアは半歩だけ身をかわしてその刃をやり過ごすと、手にした槍の石突で男の顎を下から強烈に突き上げた。
鈍い音が響き、大柄な帝国兵の身体が仰向けに倒れ込む。
「なっ……!?」
後続の二人が目を見開くが、リュシアの動きは止まらない。
地面を蹴り、二人目の懐へと潜り込む。
相手が剣を振りかぶるよりも早く、槍を鎧の隙間となる脇の下へ正確に突き刺した。
そのまま槍を軸にして身を翻し、三人目の顔面に容赦のない回し蹴りを叩き込む。
三人目が瓦礫の山へと吹き飛び、リュシアは槍を引き抜くと同時に、まだ息のあった二人目の喉笛を淡々と切り裂いた。
「残りは……」
さらに、周囲で新兵を追い詰めていた残りの帝国兵たちへ駆け寄る。
新兵が束になっても敵わなかった敵兵を、わずか十数秒のうちに次々と屠ってみせた。
最後の帝国兵が膝から崩れ落ちると、路地には荒い息遣いだけが残った。
生き残った者たちは、血の海に立つ小柄な背中を、信じられないものを見る目で見つめている。
「ふう……槍が安物だから、もう壊れてきてる」
リュシアは穂先に付いた血を軽く振り払い、何事もなかったかのように息を吐いた。
その背後から、相手にしていた敵を仕留め終えたドルグがゆっくりと歩み寄ってくる。
顔に刻まれた刀傷をひくつかせ、老兵は警戒と驚愕の入り混じった鋭い視線をリュシアに向けた。
「……おい、嬢ちゃん。お前、何者だ。さっきのは、ただの新兵ができる芸当じゃねえぞ」
リュシアは目を細めて少しだけ寂しそうに笑う。
「昔、ちょっと帝国と戦うことがあってね」
今から二百年ほど前の話だけど……という言葉は胸の内に飲み込んだ。