人間を研究するエルフの国に招待されました。 作:ドライアイスクリーム
ベッドで横になること数時間。レイは体の痛みがなくなっていることに気づいた。
ウィルに飲まされた、あのシロップのような薬の効果によるものなのだろうか。
今では体が羽毛のように軽く、先ほどまでの不調がまるで嘘のようだった。
「よく効く薬でしょう?」
顔を上げると、そこにはウィルが立っていた。
用事を済ませ、それからここに戻ってきたようだ。
「ええ、おかげさまで。魔法で作った薬なのですか?」
「正確に言うと、魔法と人間界の技術を結集して作り上げた薬ですね。あなたのように、この世界に住む人間には必ず支給しているのですよ。初めてここに訪れた人間では魔法に順応できませんからね」
ウィルの丁寧な説明を聞きながら、レイは彼の背後に立ちニコニコと笑っている幼い少女のようなエルフを目にした。
ウィルはレイの視線に気づくと、小さく頷いて説明を始めた。
「順番に説明します。まず、あなたが「特別保護国民」としてエルフの国に住むことを許可されるよう私が手続きをしました。そして、その特権として、住居や衣服、食料、生活に必要な金銭のほか、娯楽品なども支給されるのです」
「特別保護国民?働かずに食っていられるということですか?」
「ええ。人間の寿命は長くとも百年程度だと聞いています。我々エルフは二千年近く生きますから、その程度の時間は些細なものなのですよ。ですが、この国に住む大半のエルフは、エルフ語しか話せないという問題はありますがね」
レイは、ここに来る途中で未知の言語を使うエルフたちを目にしたことを思い出した。
あれはエルフの言葉なのだろう。
それでは、なぜウィルとは会話ができるのだろうか。
「その一方で、少数ながら人間とエルフ、両方の言葉を話せるエルフもいます。私が、こうしてあなたと会話ができるのも、私が人間の言葉を使っているからなのですよ。それとーーー」
「アタシも人間の言葉喋れるよ!」
ウィルの言葉を遮るように、後方にいた少女が声をあげた。
水色のセミロングが特徴的な少女で、黒いローブを身にまとっている。両目は、長い前髪に隠れて見えなかった。
「……その子は?」
「アタシ?アタシはね、えーっと……そうだ!「リアン」っていう名前だった!五百年以上生きてると自分の名前も忘れちゃうんだよなあ」
ウィルに尋ねたはずが、リアンを名乗る少女が質問に答えた。
ウィルは「リアンさん」と小さくたしなめると、軽く咳ばらいをして話を進めた。
「これからこの国に住み続ける以上、レイさんもエルフの言葉をある程度知っておく必要があるでしょう。そこで、リアンさんにあなたの家庭教師をお任せしたいと考えていまして」
「この小さい女の子からエルフの言葉を教えてもらうのですね」
「小さいとは失礼な!さっきも言ったけど五百年以上生きてるんだぞ!十歳くらいに見えるのは、昔、知らない誰かに魔法をかけられたからなんだ!」
「何があったんですか……?」
「まあ、それについてはおいおい話すことにしましょう。とりあえず、これからはリアンさんがあなたの家庭教師となり、エルフの言葉を教えてくれる。今はそれを知ってもらえれば結構です。こう見えても、リアンさんは物を教えることに秀でているのですよ。これまで、たくさんの人間の家庭教師を担当した実績もあります」
そこまでの話を聞き、レイは腕を組んだ。
異世界に来れば、言葉も自然に通じるものだと思っていた。少なくとも、レイが知る物語ではそうだったが、この世界ではそれは通用せず、自力で言語を勉強しなければならないらしい。
しかし、自分は人間界に戻る気はない。だからと言ってエルフの国で人生を謳歌しようとも考えていない。
ウィルは、エルフの国での人間は人間界を知るためのサンプルだと言っていた。衣食住が保障され、働かずに暮らせるのは魅力的だ。
しかし、人間が研究対象である以上、何の義務も負わずに済むとは思えなかった。
このとき、一生ウィルの家に居候するということも考えたが。
「居候は許しませんよ。住居を提供し、自由な暮らしを保障するのですから、言葉くらいは覚えてくださいね」
レイの考えを見透かしたように、ウィルがにこやかに答えた。表情は穏やかであるものの圧がある。
となれば、答えは一つしかないだろう。
「リアンさん、よろしくお願いします」
「はーい!でも、エルフの国の言葉は難しくないから安心してね!」
両手を膝に置き、頭を下げたレイに対し、リアンは嬉しそうに返答した。
ーーーこうしてレイは、ウィルから提供された、綺麗に掃除されている小さな家に移り住んだ。家の位置は、ウィルの家のすぐとなりである。
紺色のローブや黒い革靴のほか、娯楽品であるスマートフォンやイヤホンなどを提供され、レイのエルフの国での生活が始まった。
リアンは、毎日レイの家に通いエルフの言葉を教えた。
初めは、このような感じだった。
「それじゃあ、まずは先生であるアタシの名前を、エルフの言葉でノートに書いてみよう!」
「あの……まったく分からないのですが」
「あっはっは!そうだよね!エルフの言葉は初めてだもんね!」
「……」
「そんなふくれっ面しないでって!ほら、お菓子食べる?」
リアンが立ち上がり、くるりと体を一回転させると、何もない空間から包装紙に包まれた板チョコが二枚出てきた。これも魔法によるものなのだろう。
そして、包装紙を破りポリポリと食べ始めると、レイに残り一枚のチョコレートを差し出す。
レイは無言で受け取り、リアンは何かを考え始めた。
「そうだなあ、やっぱり最初に覚えるのは自分の名前がいいよね!」
そう言うと、リアンはチョコレートを片手に近くにあったペンを手に取り、すらすらと二つの言葉を書いた。そしてペンを置く。
「左が人間界の文字で、右がエルフの文字だよ。どっちも「レイ」って読むんだ!」
レイは、そんな文字を凝視する。
左には日本語で「レイ」と書かれている。右側には、見たこともない流線型の文字が書かれていた。まるで暗号のようだった。これがエルフの言葉なのだろう。
レイは、チョコレートを机の隅に置きペンを握ると、二つの表記を見比べながら、その下の空白にエルフ語で自分の名前を書いてみた。
小学校時代に、初めて英語を書いたときのような違和感があった。
時間をかけて名前を書き終えた。
「はい!よくできました!上手上手!」
リアンは、レイをやや大げさに褒めると、同じ要領でノートにエルフ語を書き、それを真似するよう促した。
「リアン」「ウィル」「エルフ」「魔法」「チョコレート」などの単語を次々と書き、レイはそれを真似してノートに書いた。
単調な作業に見えるかもしれないが、こういった教え方のおかげで、レイはエルフが使う単語を大まかに理解できるようになった。
そんな勉強を続けるうちに、数週間後には手本を見ることなく、エルフ語の単語が書けるようになった。
その次に、リアンから文章と文法を教わった。
リアンは、簡単な例えを使い根気よく教えてくれた。そのおかげで、覚えたことは徐々に頭に入っていった。
そのうちに、簡単な読み書きができるようになり、エルフの国で出版された本のうち、平易な内容の本であれば読めるようになった。
「わあ!それ読めるの!?」
「はい。何となくですが、内容が分かるようになりました」
「物覚えがいいねえ!先生、誇らしいぞ!」
このように、何か一つを覚えるたびに褒めるという、リアンの教え方も性に合っていた。
素直に褒めてくれるのは、レイにとって心地よさがあり、勉強を続ける励みになっていた。
やがて、読み書きと並行してエルフ語の発音も教わった。
まずは単語、次に会話表現、そのあとに細かな文法などを、日本語を交えながら教えてくれたため、勉強も苦にならなかった。
毎日のように、リアンとお菓子を食べながら勉強をして言葉を覚えていく。そうしているうちに季節は巡っていき一年が経過した。
そんなある日、勉強を終えると、リアンはいつものようにチョコレートを食べながらレイにこんな話をした。
「二百年くらい前だったかなあ。「自分が一番すごいんだ!」っていばってるエルフの男がいてね。独裁者を自称していた、変な人だったなあ。「この国の未来はワシに委ねられているのだ!」「民主主義は国を腐敗させる!」なんて叫んでたんだよ!だけど、誰もこの人の話をまともに聞いてないの!街頭演説をしてたけどみんな素通りだったなあ!」
レイはこの話を聞いた際、世界史の授業中に、実在した独裁者の真似事をし、教師に叱られた中学校時代の同級生を思い出した。
どの世界にも、こうした変人はいるのだろう。
「よく覚えてますね」
「だって強烈だったんだもん!自分は何の権力もないくせに独裁者を名乗るなんて変じゃん!今は何をしてるのかは知らないけど……というかあれ?今、アタシが話したこと理解できたの!?」
「細かい部分は理解できませんでしたが……二百年前に、自称独裁者の男がエルフの国で演説をしていた。だけど誰も聞いていなかった。そういった旨の話に聞こえました」
するとリアンは、花が咲くような笑顔を浮かべこう言った。
「すごいよ!すごいすごい!実はアタシ、自称独裁者の話は全部エルフの言葉で喋ってたんだよ!?勉強の成果が出たね!」
「そうだったんですか」
「それに、今レイが話しているのもエルフの言葉だよ!すっかり馴染んだんだねえ!先生嬉しい!わずか一年でここまで覚えるなんて!」
そう言い、嬉しそうにレイの手を取った。
どうやら、自然のうちにエルフ語がある程度身に付いていたようだ。
エルフの寿命は二千年近くあるとウィルが言っていた。一年は、リアンのようなエルフにとっては短い時間なのかもしれないが、レイのような人間にとっては非常に長い期間である。
レイは、リアンの顔を見て微笑んだ。一年間の勉強は、決して無駄ではなかったらしい。