人間を研究するエルフの国に招待されました。 作:ドライアイスクリーム
レイがエルフの国に来てから、約一年が経過した。
一週間に一度のペースになったリアンとの授業が終了し、彼女を玄関まで見送ったあと、レイはすることもなくぼんやりと窓の外を眺めていた。
窓の外には、この国に初めて来たときにも目にした、飲食店やゲームセンターなどが並んでいた。
整備された通路の上のエルフたちは、ローブではなく、人間が着るような普段着を身にまとっていた。スマートフォンとBluetoothイヤホンで音楽を聴きながら歩く様子も人間と変わらない。
やはり、エルフの国は人間の文明とそれほど変わらないのだろう。
そう思ったとき、ポケットのスマートフォンが着信音を鳴らした。
画面を見ると、ウィルの名前がエルフ語で表示されていた。これを支給されたとき、ウィルが自分の連絡先を登録しておいたと言っていたのを思い出す。
画面をタップし耳に当てる。
「ウィルさん?」
「お元気ですかレイさん。リアンさんとの勉強は順調ですか?」
「そうですね、簡単なエルフの言葉は話せるようになりました」
「それはなによりです。ところで、これからあなたに行っていただきたいことがあり、お電話させていただきました」
「何でしょう?」
ウィルが言うには、今すぐあの施設ーーー窓のない黒い病院のような施設に向かい、人間のサンプルを提供してもらいたいとのこと。
人間の知識を提供してほしいと言われていたことを思い出したため、レイは特に疑問を抱かなかった。
「施設は、歩いて約十五分のところにあります。これから、チャットアプリにマップを転送するのでお一人で来てください」
「約一年間その施設に行かなかったというのに、どうしていきなり?」
「理由は二つあります。一つは、エルフの国では、人間に言葉を覚えてもらうことを最優先事項にしていることがあります。エルフの言葉が分からない状態では、検査の説明や聞き取り調査は難しいですからね。実際、あの施設にいる多くのエルフは人間の言葉を知らないのです」
だから、リアンを家庭教師として即座に紹介し、言葉を習得させようとしたのか。
レイは納得したように相槌を打つ。
「二つ目は、エルフの国への到着直後、人間が身体を適応させる期間が設けられていることです。魔法への耐性がない人間には、まず薬を与え体調を安定させる必要がありますからね」
「話は分かりました。それでは、とりあえずその施設に行けばいいのですね」
「理解が早くて助かります。それでは」
通話が終了すると、その数秒後に「ピン」という音がスマートフォンに響いた。マップ情報が届いた合図だった。
レイは、スマホを片手に外に出ると、マップを見ながら舗装された道路の隅を歩いた。
やがて施設の前に到着する。
長いことほとんど引きこもっていたからか、十五分歩いただけでも、軽く息が上がった。
呼吸を整えると、見慣れない雰囲気の施設に違和感を覚えながら内部に歩みを進めた。
中に入ると、外見とは裏腹に、人間界で見慣れた病院のような空間が広がっていた。
内部は清潔に保たれており、空気清浄機が稼働している音が聞こえてきた。
受付と思しき場所には白衣を着た女性のエルフがいた。
レイは彼女に、自分は人間でサンプルを提供しに来たことを伝えた。
すると、その女性は静かな声で
「ああ。最近この国にやってきたという、人間のレイさんですね。ウィルさんから話は聞いています」
と言うと、少しの間待合室で待機するよう指示してきた。
レイはその指示に従い、待合室にある柔らかい椅子に座った。
待合室の奥には薄型の大型テレビが設置されている。このテレビでは、お笑い芸人と思しきエルフたちが漫才を繰り広げている。
リアンからエルフの言葉を習ったため内容は分かる。テレビのなかから出演者の笑い声も聞こえてくるが、この漫才はまったく面白くない。
エルフなりのジョークが分からない自分の感性に、問題があるのだろうか。
それにしてもと、首を左右に動かす。
小さいとはいえ立派に造られた施設だ。こうして自分の知らない人間をここに招いているのだろう。
待機すること約五分。
レイは、女性エルフから名前を呼ばれ別室に移動した。
そこで行われたのは、健康診断と大差のない検査だった。
身長、体重、腹囲、血圧の測定。
測定の結果、レイはやせ型ではあるものの、特に異常はないと判断された。
血液検査や唾液の採取も淡々と行われる。エルフたちは、痛みを感じさせないよう、レイに丁寧に声をかけながら検査を進めた。
レントゲン撮影も行われ、最後に個室に移動し、白衣を着用した初老の男性エルフから、聞き取り調査として、エルフの国での暮らしに不便がないか尋ねられた。
長期間ほとんど引きこもってリアンの授業を受け続けていたため、エルフの国での生活は、いまいち把握できていない。
ここでは簡潔に「普通です」と答えた。
そして逆に、提供した血液や唾液を何に使用するのか質問した。
「人間の身体の特徴や、魔法に対する適応状況を調べるためですよ」
「そんなことを調べてどうするのでしょう?」
「我々エルフは人間を詳しく知りたいのです。特に、なぜ人間は百年程度で寿命が尽きてしまうのか。我々には分かっていません」
「エルフは、二千年近く生きるんですよね」
「ええ。だからこそ人間は不思議なのです。ただ、何を調べれば答えが判明するのか、お恥ずかしながらまだ把握できていません。先ほど採取したあなたの血液や唾液も、研究の役に立たない可能性があります」
エルフは知能の面でも万能な種族とばかり考えていたが、何もかもを知っているわけではないということなのだろう。
体液から、寿命の謎を解き明かそうとしているのは独特だ。しかし、これがエルフなりのやり方なのだろうとレイは考えた。
「それでは、一か月に一度のペースでここに必ず来て血液などのサンプルを提供してください。聞き取り調査も行います」
レイはそんなことを告げられた際、しばらく黙って医師の顔を見つめた。
「もし、あなた方へのサンプル提供を拒んだ場合は?」
エルフは少し考えるように、あごに指を当てた。
「そうですね。サンプル提供は特別保護国民の義務です。拒否される場合は人間界に戻っていただくことになります。これはエルフの国で定められた法律です」
特別保護国民でいる以上、拒むことはできないそうだ。
かつてウィルは、いつでも人間界に戻れると言っていた。だが実際には、この国で暮らし続けるための条件があったらしい。
レイは、以前ウィルから聞いた「エルフの国の文明の発展のために人間の知識を提供してほしい」と言われたことを思い出す。
つまり、自分はエルフたちにとって研究対象でもあったのだ。
ここで、レイのなかで疑問が生じる。ウィルはなぜ最初からその義務について説明しなかったのだろうか。
レイはその疑問を医師に尋ねた。
「ウィルさんは、あなたがエルフの言葉をある程度理解できるようになってから、制度について詳しく説明するつもりだったのかもしれませんね」
レイはその説明を聞き「おそらくそうだろう」と考えた。
だが、考えはそこで止まった。そこまで気になる話ではなかったからだ。
後々、どうしても気になった場合はウィルに直接尋ねてみればいいだけである。
レイは、サンプル提供を受け入れてエルフの国に住み続けるか、それを拒否して人間界に戻るか、二つの選択肢を突き付けられたように感じた。
しかし、人間界に居場所がなく、戻りたくないというのはレイのなかで一貫していた。
レイは「人間界に戻るよりはましだろう」と考え、仕方なく研究への協力を承諾した。
それを聞いたエルフは静かな調子で「分かりました。それでは一か月後によろしくお願いします。また同じような検査を行いますので。必ず来てくださいね」
最後に念押しされ、レイは施設を後にした。
施設を出て振り向く。
リアンの授業を受けていたときはすっかり忘れていたが、自分はエルフたちにとって研究対象であるのだ。
それを改めて実感すると、その施設は、この国に初めて来たときよりはるかに不気味に映った。