人間を研究するエルフの国に招待されました。 作:ドライアイスクリーム
雲一つない空の下、レイはジュリアの後を追う。
ジュリアは、手にしたスマホの地図アプリで位置情報を確認しながら無言で移動している。
数十分歩き到着した先は、レイがサンプル提供をした施設の隣にある、鉄筋コンクリート造りの小屋だった。
ジュリアとともに、小屋に設置された自動ドアを抜けようとしたところで彼女が足を止めた。
「そうそう、ここでは消毒必須だよ。可能な限り清潔に保つ必要があるからね」
そう言われ、入り口付近を見ると、ペダルを踏むことで消毒液が噴霧される装置があった。
人間界の耳鼻科や歯科医院のように、ここでは衛生面で配慮されているようだ。
レイは、言われた通り、入り口にある消毒液で両手を消毒する。
ドアを抜けた先は小さな実験室のようになっており、用途不明の実験器具がずらりと置いてあった。
その中央には、器具にセットされ、底部をアルコールランプで熱せられた、丸みを帯びたフラスコが置いてあった。
中には半透明の液体が入っている。
「どなたですか」
レイが顔を上げると、そこにはマスクで口元を覆っている医師のような男性エルフがいた。
白衣姿の男性エルフは、生真面目そうな目つきをしている。
「現在は『個体』を生成している最中です。申し訳ありませんがご退出を……おや、もしやあなたは」
「レイと申します。一年ほど前に人間界からウィルさんに招待されました」
レイがお辞儀をすると、男性エルフは「ああやはり、最近人間界からやってきたという」と妙に納得したように頷いていた。
「実は、エルフの出生制度について興味があってここに来たのです。見学してもよろしいでしょうか?」
「ジュリアさんに連れて来たのですね。今回は特別に許可します。ですがジュリアさん」
そう言い、男性エルフはジュリアに厳しい目を向けた。どうやら二人は知り合いのようだ。
「次回以降、ここに来る際は事前に連絡をお願いします。こちらにも事情があります」
「了解です。そんなことより、レイにフラスコ内についての説明をお願いします」
「……今回だけですよ?」
男性エルフは嘆息すると、レイが見ているフラスコの中を指さし、説明を始めた。
「まず、守秘義務があるので詳細は語れませんが、このフラスコの中には特殊な液体が入っています。それに、私が魔法をかけ、アルコールランプで数日温め続けることにより個体ーーー即ち『エルフの新生児』が生成されるのですよ」
「新生児ですか」
「そうそう。ほら、見てみなよレイ」
レイは、ジュリアに言われ再度フラスコに顔を近づける。
見ると、液体の表面に、小指の第一関節ほどの大きさをした裸のエルフが浮かんでいた。性別は判別できず、半透明の皮膚の内側にあるあばら骨が透けて見える。
フラスコ内のエルフは、目を瞬かせ、不思議そうにレイの顔を見つめていた。
「エルフはこうして生成されるんだよ。不思議?」
ジュリアは、レイの顔を覗き込んでいる。
「そうだね、人間界では有性生殖を行い女性が子を宿すのが常識なんだ。これって、世間的にはめでたいことって言われることが多いよ……必ずしも、そうというわけじゃないけどね」
それを聞いたジュリアは、どこか不満そうに首をひねり笑った。
「それはよくわからないな。それに、人が生まれるたびに毎回祝うっていう感覚も、うーんって感じ」
「……なんで笑ってるのかな」
すると、医師が「私がお答えします」と、軽く手を挙げた。
「我々エルフには、レイさんのおっしゃる感覚は理解できないからです。フラスコの中で新たな個体が生成され、それを適切に管理する。この国における生命の誕生とはそれだけのことなのです。そして何よりも、有性生殖および自然妊娠は母体に重い負担がかかると聞いたことがあります」
「そうそう。それに、子供にだって生まれる自由と生まれない自由があって当然だと思うんだよね。親が妊娠を望んだからと言って、子供は生まれたいと思っているとは限らないでしょ?」
「そうだなあ。人間全員がそう考えているわけじゃないと思うよ。望まれずに生まれる人もいるみたいだけど……」
「だから、その考え方がおかしいって私は言ってるの。でも、人間ってみんなレイが言ったようなこと考えてるのかな?本当に『出産おめでとう!』なんて言ってるの?」
ジュリアは、そう言いながら自身のスマホを取り出した。
「興味深いし、レイの言うことメモしていい?」
「好きにしなよ」
そんなジュリアを横目に、レイは男性エルフに姿勢を向けた。
「エルフは、自然妊娠も有性生殖もしないのですか?」
「しませんね。現在生きているこの国のエルフは、すべてこの方法で生まれてくるのです。もちろん、私やジュリアさんも例外ではありませんよ。昔ーーー今から数万年前のことですね。当時のエルフは、現代の人間と同じように自然妊娠によって子孫を残していたそうです。しかし、フラスコを用いた繁殖方法が確立されてから、徐々に我々は生殖機能を失っていったのですよ」
エルフの歴史を淡々と説明する男性エルフ。
このときレイは、中世ヨーロッパの、パラケルススのホムンクルス伝説を思い出した。蒸留器の中に入れた白い体液などから生成される、人造人間の伝承だ。
フラスコ内では、小さなエルフがレイをじっと見ている。その目には、確かな意思が宿っているように感じられた。
「性的快楽を得る方法自体は、エルフの国にもあるっちゃあるんだけどね。今では誰も生殖できないよ」
スマホを操作しながら、ジュリアが横から付け加える。
そうなると、家族制度はどうなるのだろうか。
人間界では、一般的に家族を作り子孫を残す形式をとっているのだが。
そんなレイの考えを見透かしたかのように、ジュリアは言った。
「現代のエルフには、血筋も遺伝もないんだ。フラスコから取り出されたあと、培養液の入った巨大な水槽内で数年過ごすの。それから養護施設に預けられて五年くらい暮らすんだよ。そのあとは、強制的に施設から出ることになる。それからの人生は、そのエルフ次第だね。養子として大人のエルフに迎え入れられたり、一人気ままに暮らしたりと自由だよ。それと、生まれたいかどうかは、フラスコ内のエルフの意思次第」
「意思次第?このフラスコ内のエルフには意思があるの?」
「そうそう。理解が早くて助かるよ」
返答はするものの、スマホからは目を離さずメモを書き続けているジュリア。
男性エルフは、フラスコ内のエルフを見ながら、机の上の記録用紙に何かを熱心に書き込んでいる。
『ここはエルフの国ですか?』
そのとき、突然言葉がレイの頭に入り込んできた。『ここはエルフの国ですか?』というエルフ語だった。
一体どこから声が聞こえてきたのかと、レイは周囲を見回す。すると、医師は新たに何かを書き込んだあと、体を起こし、ゆっくりとレイに手のひらを向けた。
『落ち着いて』という意味のジェスチャーだ。レイにも見覚えのある仕草だった。
「レイさんは、エルフのなかには魔法が使える存在と使えない存在がいるのは知っていますか?基本的に、エルフは生まれてから訓練をすることで魔法を習得します。ですが、フラスコ内のエルフはテレパシーを使い、半径二メートル以内の生き物に言葉を送る魔法が生まれつき使えるのです。しかし、それはあくまで一時的なものであり、フラスコから離れるとその魔法の使い方を瞬時に忘れます」
「テレパシーが使えるのもフラスコ内では高い知能を維持できるのも、あなたのようなお医者さんがかけた魔法が関係してる。そうですよね?」
「おっしゃる通りです。ただし、知能が高くなる仕組みは、今なお解明されていませんがね」
「実際に私、今じゃテレパシーどころか何の魔法も使えないよ。フラスコ内にいた方が幸せだったのかも」
自身の境遇を説明しつつ、どこまで本気かわからない言葉をジュリアが軽く口にする。
とにかく、先ほどの『ここはエルフの国ですか?』という問いは、フラスコ内のエルフがレイ、ジュリア、男性エルフの三人に投げかけたということのようだ。
既に意思疎通が図れる。レイがフラスコ内のエルフを感心しながら見ていると、今度は『この国とエルフについて教えてください』と言う言葉が脳に響いた。
すると、医師は淡々とした様子でエルフの人生の概要を伝え始めた。
生まれた後は養護施設で生活すること。そのあとは自分で暮らし方を決められること。エルフの寿命が約二千年であること。人生には、楽しいことも多く存在するが仕事や人間関係などの苦労もあること。
そして最後に、男性エルフは「あなたはこの国に生まれたいですか?」とエルフに尋ねた。
数秒の沈黙の後、フラスコ内のエルフは瞼を閉じテレパシーで三人にこう伝えた。
『僕は……生まれたくありません。二千年という時間は僕にとって長すぎます。それに、生まれたあとの生活について聞きましたが、楽しいことばかりではないのでしょう?僕は楽しいことだけをして生きたいのです』
それを聞いた医師は「では、生まれないことを選ぶのですね?」と質問し、フラスコ内のエルフは小さく頷いた。
すると、医師は机の引き出しに入っているビーカーを一本取り出し、魔法で薬剤を生成するとビーカー内に注ぎ込む。
そして、加熱装置からフラスコを取り外すと、アルコールランプの火を消し、丁寧に薬剤を注入した。
フラスコ内が濃い煙に包まれたように濁った。やがて煙が晴れると、フラスコ内のエルフの姿は、もうなかった。
「これが、この国の『生まれる自由と生まれない自由』の仕組みだよ。生まれるかどうかは、そのエルフが判断するの。参考になった?」
「……正直なところ、複雑な気持ちかな」
「そっか。やっぱり、人間には受け入れにくいか」
「ジュリアは、何とも思わないの?」
「私はこの国で生まれたからね。こういうものだと思ってる。ところで、楽しいことだけして生きていたいって気持ち、共感できるなあ」
そんな二人のやり取りを見ていた男性エルフはこう言った。
「人間の目で見ると無理もないことかもしれませんね。しかし、この国のエルフはこうして、生まれることを拒む場合もあるのですよ。私は、フラスコ内の個体の意思を尊重したまでです」
レイは、空になったフラスコを見つめながら、そのような言葉を聞いていた。
先ほどまで、そこには自分たちに質問を投げかけていたエルフがいた。だが今は内部に入っていた液体すら一滴も残っていない。
医師は何事もなかったかのように、器具を片付け始めた。
「ねえ。もう一度聞くけど、人間としてはやっぱり変な感じがする?」
ジュリアに尋ねられ、レイは少し考えた。
「……まだ、よくわからない」
「そう」
ジュリアは、それ以上のことは尋ねなかった。
二人で小屋を出ると、ここへ来たときと変わらず、雲一つない青空が広がっていた。
この国のエルフたちは、あのような方法で誕生し約二千年もの歳月を生きていく。そして、あのエルフのように、生まれないことを選ぶ者もいる。
今のレイには、それが正しいとも間違っているとも断定できなかった。