【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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前略:

 吉原大炎上の成果・全治一月ちょっと。

 

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 兄上からは予想通りに〝怪我治るまで事務作業〟と申し付けられたので、わたしは粛々と事務作業に従事する羽目になった。前回はほぼほぼ単なる体調不良だったので快復までお休み/快復したら河上さんと交代、ができたのですけれどね。今回は普通に大ダメージの負傷ですからね。主に自業自得ではある。

 ところで。

 鬼兵隊の事務作業って具体的になにがあるのと聞かれると、わりといろいろあったりする。

 お金関係だと帳簿。パトロンの皆様からいただいているお金や密輸・密売の計上とか。軍備の開発費・購入費だとか。なんなら接待費とかもちゃんとある。テロリストの接待費っていったいなに? などと正気に返ってはならない。夜兎の方々はよくお食べになられますからねえ。ともあれ、あるものは確認せねばなるまいし、確認したら判を押さねばならない。場合によっては差し戻し。

 パトロンの皆様や春雨の方から降ってくるお仕事の振り分けも必要だ。シンプルにスケジュールに反映して必要があれば相手方とお話し合いしつつ調整して。振り分けた結果どのように至ったかまできちんと管理して状況に応じてリカバリ・フォロー・追加対応・諸々の報告が増える。

 そもそも攘夷浪士という性質上、人員がパカパカ増減するのでそのあたりの定期管理と精査もある。ところでこのひとあれかな、どうにも覚えがあるのだけれどもしかしてもしかしなくても見廻組からの潜入捜査官かな。泳がしておいて問題ないか、とりあえず捕獲して尋問に回しておくか、兄上に確認を投げないと……。

「ちなみになんすけど、どうしておれはまたヒカリ様付きなんすか」

「①多少事務ができる、②わたしの言動に慣れている、③今ちょうど手が空いていて暇だった、のどれだと思います?」

「ワァ~全部っぽくてヤダな~」

 中田さん(河上さんの部下、Spotify無料期間はまだ残っているみたい)は遠くを見つめた。素晴らしいですね、大正解です。

「遠くを見ている暇があるなら手を動かしましょうね」

「眼精疲労回復な意味で外を見るのはアリっすか」

「三十分に一回未満かつ一回五分未満であれば許可しましょう」

「くそ、十五分前にやっちまった……」

 悪態を吐いて手を動かし始める。多少サバを読むかと思っていたけれど、ずいぶん素直で面白い。わたしもまたコンコンと咳をしつつキーボードを叩いていると、ちら、と中田さんから視線が飛んでくる。

「なんでしょうか。おやつ休憩はあとでにしましょうね」

「違いますよアンタおれのこと下に見すぎでしょ。ガキか犬だと思ってる?」

「度胸もうちょっとつけてくださったら上方修正しますよ」

「アならもう一生それでいいです。ハイハイわーんわん」

「たとい浪士といえども、武士の矜持をここまで投げ捨てられるのはいっそ清々しいですねえ」

 向上心がなさすぎる。仮にも攘夷の思想を掲げる組織に所属している自覚はあるのかしら。鬼兵隊にもキャリアプランニング研修を取り入れるべきなのでしょうか。……テロリストのキャリアプランニング研修とは?

 そもそも創設者たる兄上本人にじつのところ攘夷の思想がありませんよね、といわれると。それはそうなのでどうとも。

「てかそうじゃなくて。……今更なんすけど、その状態で仕事してて大丈夫なんすか」

 ああなるほど、とわたしは興味をなくした。

「安静にしていれば問題はないと医者からも診断済みですので」

「まあ総督から命令出てるあたりそうなんでしょうけど……ヤでも、おれ自然気胸しかやらかしたことないんすけど、あれでもまあキツかったっすから」

「自然気胸は痩せ型の若年層男性に多いとはお聞きしますねえ……」

 ゆえにこそ通称はイケメン病——冗談じみているけれど、これは本当。自然気胸の多くは自然に修復されるため、初見は経過観察で済む場合が多い。再発する際には外因性の気胸同様に手術も視野に入る。

 ……ふむ。ところで、一応中田さんの本来の指揮系統最上位に当たる河上さんは、この件ご存知なのだろうか。既往症に自然気胸がある場合、過度な加減圧環境は禁忌とされる。飛行機・ヘリ程度ならまだしも、潜水だとかは自然気胸の再発リスクが高まるのでなるべく避けるようにいわれるわけだ。

 宇宙船に平然と搭乗して行き来しているあたり、現状支障が出ているわけでもないのだろうけど。今後任務を割り振る際にはそのあたりも考慮するべきかしら。

「ンでもそんなおれだって血ィ吐いたわけではないっすからね」

「自然気胸で血気胸まで併発するのはかなり稀でしょうねえ」

「そうなんだ、初知りっすね……ところでそンでどうしてアンタは骨がガッツリ刺さった状態で暴れたりなんざしたんですか?」

 検討している間にも、わたしに不利な方向に話のハンドルが切られていますねえ。若干の理不尽を感じる。

「若気の至りというものでしょう。そろそろアラサーの年齢で若気の至りを使うべきかはさておき」

「若気の至り扱いで済むモンかな……ちょっと待って、アラサー近いんすか!? いや総督の妹君っすもんねそりゃそうか、アラサー!?」

 そんなに驚かれることあります?

「定義によっては既にアラサーかもしれません」

「マジ?」

 わたしは現状二十六なので一般的にはまだアラサーカウントされていない、ハズ。一方で、四捨五入を基準とするならアラサーと考えても問題ない、といえるかもしれない。

「小柄なこともあって若く……というより、幼く見られがちですからね。わたしは」

 なるべく弱く見えるように、見くびられるように、なめられやすいように、を前提に化粧も行うので、兄上と比較してもパッと見ではけっこう童顔に見えるだろう。わたしと兄上の顔の作りは結構似ているので兄上も理論上はとてもかわいらしくなれる——と以前申し上げたらばふつうに斬首されそうになったので、禁句になっている。刀は死にます。

「そういえば、中田さんはおいくつでいらっしゃる?」

「……なんかヒカリ様に聞かれると裏ありそうで嫌っすね」

「へえ」

「サーセンナマ言いました二十八です!!!」

 まだわたし、相槌しか打っておりませんが。

「ンー……まあよほど年下ならばと考えましたが。やはり手加減は不要ですね」

「イヤちょっ待っそういう意味だったんすか、手加減はほしいです。加減して」

「今後ともよろしくお願いします」

「ねえ聞いてくださいって。サバ読みゃよかったのか?」

 ぶつぶつとかしましいことである。BGMにしては小うるさい環境音を聞き流しながら、わたしは今しがた確認していたディスプレイを指先で閉じた。遊んでないでお仕事進めませんとねえ。

「そういえば河上さんを最近お見かけしませんね」

 これは連絡手段を講じていたら不意に思い当たったことだ。

「なーんか副業の方がお忙しいらしンで。てかだからおれがアンタのトコ寄越されたのはあンですけどね」

「……ああ」

 今をときめくアイドル、お通ちゃんのプロデュースまで最近は手掛けているとか。ゆくゆくは彼女を用いて鬼兵隊のプロパガンダを——と、いうわけでもないのだろう。真選組と相対した後に調べた、つんぽ♂という音楽プロデューサーの経歴をなんとなく脳内でたぐる。

 きわめて大真面目でいらっしゃるのですよねえ。芸能界がヤクザと関わりあるのって本当なんだ。我々はヤクザ通り越してテロリストだけども。

「そういえばお通ちゃんのなんかデカい番組あるみたいですよ。あれン携わってるんすかね。気になりませんかヒカリ様。テレビつけましょ」

「堂々としたサボりだこと」

「いいでしょ〜我らが鬼兵隊の大幹部様が今をときめくお茶の間アイドルのプロデュースしてるとか、万斉様番組に一ミリも出てなくても面白いじゃねっすか」

 否定はしませんがね。

 ホログラムディスプレイを衛星放送に接続し、点灯すると、画面のなかではちょうど司会者が叫ぶところだった。

『テレビちゃんぽんスペシャル、寺門通ファンクラブ決定戦場のピアニスト!』

「あの語尾ってどういう意味があるんですかね」

「少なくとも真面目に聞いてくるアンタはターゲット層じゃないんだなって思います。パッションの問題なんじゃねっすか? よくわかんねーけど」

 わからないんだ。

『お通ちゃんの公式(オフィシャル)ファンクラブになりたいか!』

 野太い雄叫びが聞こえてくる。五千人もいるとなかなかに壮観だ。

『公式(オフィシャル)ファンクラブになるためならどんな困難でも乗り越えられるか!』

「アイドル売りをすればこのような狂信者が、頑張れば五千人もついてくるのですね。うちも誰か立てるべきでしょうか」

「現状総督のカリスマ踏まえて、さして変わんなくないっすか?」

 それもそう。

『お通ちゃんのためならたとえ火の中水の中どこでも行くかァ!?』

「でも利便そうですよねえ」

「犠牲者の名前全員覚えてる人が利便で取るのやめた方がいいですよ。自滅でしょ」

「中田さんが冷たい」

「コレおれが悪いのかなあ!?」

『お通ちゃんの■■■(ピーー)なら食べられるかァ!?』

 ……は?

 仕事半分、話四分の一で流していたテレビを振り返る。中田さんはわたしの視界の端できれいな二度見を決めていた。

「……特殊な趣味をアイドル御本人巻き込んで全国放送生中継。まこと、良い、ご身分ですねえ……」

「嫌味のようでドン引きが隠しきれていない。……エッていうかあれもしかして、し、白夜叉……?」

 そんなはずがないと言えたらどれほどよかったのでしょうか。

 いやなLemonですね。

「……ディスプレイの見過ぎで視力がおかしくなったのやもしれません。やはり十五分に一回五分遠くを見るように心がけましょうか」

「勧めたおれも悪かったんですけど露骨に現実逃避しないでください。ぶっちゃけここまで来るといっそ笑い飛ばした方が」

「かつて第二第三の兄のように慕っていたひとが全国中継現在進行形で恥を晒している気持ちがあなたにわかるというのですか中田さんわかるとして具体的になにがどうわかるというのですか四百字詰め原稿用紙三枚にまとめて提出しなさい」

「マジごめんなさい全面的におれが悪かったですホント」

「お皿まで用意していらっしゃる! 嘘でしょうありえないなんてことを! もう耐えられない。兄上呼んできます」

 甘ったれの末っ子の底力を甘く見ないでほしい。わたしは残酷描写には耐えられても精神攻撃には繊細なんです。巻き込んでやる。

 がたんと席を立つと「やめて勘弁して」中田さんに足元に跪いて懇願された。

「こんなんで呼ばれる総督のお気持ち考えたことありますか、あのひとあんたの兄貴でもおれたちにとっちゃほぼ生神様ですからね!?」

「逆にお聞きしますけれどあると思いますか!?」

「ないですよね。こんな状況自体想定してませんもんね。落ち着いて」

「そもそもコレを許している河上さんも何!? コンプライアンス違反で干されて芸能界から永久追放されるべきでは!?」

「許してるかどうかでいうと特に許してないんじゃないですかねー!? 白夜叉の暴走でしょたぶん……それも絶妙に嫌だなあのときの伝説が今このザマって」

「これいったいどちらから放映されているのでしょう。番組セットの様子を鑑みるに野外ですよね。突き止めて乗り込んで介錯すべきでは?」

「それはそれで放送厳禁のグロ映像なんすよやめてアンタまだ安静推奨なんだろ!? だから事務作業に回されたんすよね!? オッケー分かりましたもう消しましょうこれネッ」

 テレビを消されてもしばらく動揺が隠しきれなかった。本当になんだったんですか、今の。幻覚ですか。幻覚じゃなさそうなのが一番いやです。

 副産物としてその後の中田さんはきわめてよく働いてくださった。わたしをもう下手に刺激しないようにという意図だろう。素晴らしい配慮ですね。二度とわたしに変なもの見せないでください。

 

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「中田さんはお返しします。しばらくわたしに近寄らせないでください」

「スンマセン」

「中田がなにかやらかしたか? ……ぬしではなく?」

「あなたも近寄らないでください河上さん。もういやです。わたしはしばらく一人でお仕事しますから。わざわざろくでもない情報を取り込むくらいであれば終わらない仕事抱え込む方がいくぶんましというもの」

「拙者なにかしたか?」

「ウーンなんつーか結論から申し上げますと万斉様はっつかぶっちゃけおれも九割九分巻き込まれ事故なんですけど一分はもしかしたら責任がある……かも? みたいな」

「結論だけでなく経緯を頭から説明してくれるか?」

 

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「万斉先輩と喧嘩したんスか」

「……いえ。まあ、しょうじき河上さんの非ではなく、わたしの八つ当たりですねあれは……」

 わたしは思い返しつつ、思わず眉間を揉んだ。

 なんなら冷静に考えると、むしろわたしの方が河上さんとお通さんおよびその関係者の方々に身内がご迷惑をおかけして……とお詫びするべき側かもしれない。わたしと銀さんはもはや身内ではありませんが。身内かな。まだ身内でセーフ? わたしが縁を切られる側であるのが妥当だとして、そもそもいろいろ抜きにしてもあのひととは縁を切ってもよいでしょうか。昔もあんなでしたっけ? あんなだったのやも。具体的には、わたしが男同士のお話だと省かれているときにあれだけ下品なことをなさっていたのかも……かつての兄上、ああいう悪ふざけには加担していらっしゃらないでしょうね。望み薄かしら。

 日常でバカやるなり健やかに過ごしてほしいとは常々祈っているけれど、べつにそこまでバカやれとはわたしとて思ってない。勘弁して。

 ともあれ河上さんには、もう少し経ったら菓子折り持ってお詫びにいきましょうね。今はちょっと、感情整理が追いついていないので。……本当にありえない、あのひと。

 また子さんはデスクの端に両手を重ねて、わたしを仰視している。そこはかとなく疑る目つきだ。

「……また子さんもお仕事は選びましょうね。お仕事を選んでも時にはということもございますでしょうけれど」

「なんの話っすか?」

「なんだったのでしょうねえあれは……」

「どっか行っちゃった。戻ってきてくださいッス」

「ハァイ」

 ヒラヒラと顔の前で手を振られたので、仕方なく、現実に帰還。ついでに彼女の手を取ってひっくり返して指の腹で触れてみる。二丁拳銃を扱うてのひらは特徴的な箇所にたこができる。周りの皮膚と比較して硬い感触を指の腹でなぞると、ぴくっと指先が跳ねた。逃げられるかしらと思ったものの、また子さんはされるがままだった。

「また子さんはなにかご用事でも?」

「用事っつか……さ、最近ヒカリ様と、顔合わせてなかったんで」

 あらかわいい。

「……そういえば思い返すと、また子さんに限らずあんまりお会いできていなかったかもしれません。武市さんに至ってはお見舞いに来ていただいた以降、河上さんのように顔を合わせる機会もなく……お元気ですか?」

「あのロリコンの話はやめるッス」

「またぞろあのひと、いったいなにをなさったのやら……」

 鬼兵隊幹部が性犯罪で逮捕された場合は、わたし直々に介錯に参ろうと考えています。苦しむ余地なく殺す自信はございますよ。これはすなわち、死ぬほど苦しい目に遭わせてから殺す方法も知っている、ということにも同義だったりする。

 現状、鬼兵隊の稼ぎに女衒は含まれていない——これは単に、鬼兵隊が女子供に優しい組織です、なんてとっても素敵な信条ゆえではない。無味乾燥な事実として、性産業スキームは吉原に五割、その他五割がほぼ天人に食われており、新規参入の余地がほとんど存在しないのだ。鬼兵隊の金策をひねり出すため、わりと無節操に媚を売りまくる羽目になっている一因とも言い換えられるだろう。

 つまりかのような商売に手を出すだけの旨味がないため、あとは個々人の趣味にかかってくるところがある。兄上は放っておいても女性に困ることはなく(色男……)河上さんもそのあたり心配する必要はなさそうで、ゆえにこそ武市さんの悪癖には目を光らせる必要があるわけですね。ウーン。コンプライアンス研修でどうにかなるものやら……そもそも犯罪集団におけるコンプライアンス研修って果たしてなんですかみたいなところがなくもなくも……。

 でも正直、テロリストたちがコンプライアンス研修やキャリアプランニング研修を揃って受けている絵面は想像しただけでもたいへん面白い。

「また子さん、研修ってやってみたいですか?」

「突然何の話ッスか? ……なめられたら殺していいなら?」

「わかりました。やはり聞かなかったことにしてください」

 さすがに無辜のマナー教師を犠牲にするのは心が痛む……かもしれない。単純にわざわざ死体増やす必要がない。

 また子さんのてのひらをひっくり返して、手の甲の感触を確かめる。先程から思っていたことだけれど、どうにもちょっと乾燥しているご様子だ。抽斗を開けて薬用のハンドクリームを取って指先ですくう。

「こちら、匂いだとか大丈夫でしょうか」

 尋ねると、また子さんはわたしの指先のクリームを少し嗅いだ後、首を傾げた。

「平気ッス。……てかそもそもなんかあんま匂いませんね」

「隠密行動に強い香りは適さないので」

「あー」

「香水とか憧れますねえ」

「ヒカリ様潜入多いからむじぃっすよね〜。手配書出たらワンチャン」

「一周回ってイケますかね」

 わたしが煙管を喫さない理由も似たようなものだ。兄上はすっかりと愛煙家だけれども、あのひとが担う役割も含めてそれが正しい。香りは記憶を想起しやすく、兄上の強烈な印象とカリスマ性は、そういう些細な小道具からも作り上げられている。

「ともあれ、ではよろしければ塗ってしまいましょう。わたしの使いさしで申し訳ありませんが」

「てことはこれヒカリ様とお揃いッスか」

「お揃いッスねえ」

「やった」

 とってもかわいい。

 ハンドクリームを指先で少しずつすくい、また子さんの手に徐々に塗り込みながら——少量から試してみたけれど、炎症を起こす様子はなさそう——「最近なにか、大きな出来事などございましたか」世間話がてらわたしは尋ねた。

「なにぶん忙殺で新聞に目を通す機会が減っていて」

 テレビを流しておくのは、もうしばらくは懲り懲りなのもあり。

「えー。……吉原で放火があったとか?」

「おや」

 わたしは目をまたたかせた。

「全焼って感じではなかったんで、後引くような問題はないらしッスけど。マそもそもの治安が悪化してるってンで諸々対応に追われてるっぽいッス」

「ああ……そういえば、けっきょく鳳仙殿は半身不随の後遺症が残ったのでしたっけ。それは皆様なめくさりますでしょうねえ」

 主に、重点的に乾涸びた上身の一部に大きな麻痺があるとは聞いている。わたしは心底どうでもいいので、左様ですか、という心境だ。

 とはいえ吉原桃源郷は犯罪の温床であったけれど、鳳仙殿の威を借りた猿赫一味が取り仕切っていたこともあり、統率はきわめて厳格だった。つまり、吉原自体を超巨大犯罪シンジケートが支配している状況でこそあったけれど、無秩序な犯罪者たちが数多闊歩する状況ではなかった、ということだ。

 百華が抑え込んでいたこともあるけれど、そもそも鳳仙殿が睨みを効かせるそのお膝元で、下手打ってなにが起きるか——恐るる人々は、決して無視できない数に上っただろう。今まで頭を抑えられていた小物たちが、鳳仙殿の失墜を機に動き出すのは妥当である。名目上現吉原を統括しているはずの神威さんは、本当に手つかず状態で現状を放逐しているのでなおさらに。

 というか、神威さん、よく考えるとあのひとどうやって春雨提督の追及を逃れていらっしゃるのでしょうね。新生吉原から吸い上げられる利潤って、どう見繕っても確実に減ってませんか? いずれつつかれません?

 提督すらもつつけないほど春雨自体が第七師団の武力に頼り切りだとすれば、それはそれで、じきに発火しうる問題のようにわたしは思えてしまう。神威さんは謀略で予め火種を摘むタイプではないだろう。気ままな団長殿に代わって阿伏兎さんがどうにか頭を回しているとしたらば、それはご愁傷さまといったところ。……なんだかこの線が一番確率高そう。

 推定苦労人の副団長殿ったら、まったくもっておかわいそうなこと。

「吉原にどいつもこいつもかかりきりなのもあって、武市先輩はその隙にいろいろねじ込んでるみたいッスけど」

「江戸に?」

「です。なんかかぶき町の四天王? とかそういう」

 ハンドクリームを塗り込んだまた子さんの右手をデスクにそっと乗せて、はいと再度てのひらを差し出すと、意図を汲み取ってわたしの掌上には今度は左手が乗せられた。

「てかかぶき町って白夜叉だけじゃなく、なんかそういう魑魅魍魎の巣窟なんスか? 四天王争いできンなら最低限、権力勾配が拮抗してんスよね? そんなことある? 白夜叉って、晋助様と肩並べてたんしょ?」

「そうですねえ……たしか攘夷戦争初期に活躍した白褌の西郷が今オカマバーを開いていらっしゃるとか、溝鼠組の組長も第一次の生き残りだとか」

「あマジで魑魅魍魎の巣窟なんスね」

 納得させてしまった。

 伝説の侍が複数集まるあの町、なにか不思議な香でも炊いているのやもしれません。

「……ただ、四天王のお話は別件で、兄上からもお聞きした覚えがありますね」

「晋助様が?」

 また子さんが目を丸くした。わたしも話しているうちに、不意に思い出したことである。

 かぶき町の孔雀姫——それこそ、四天王のひとりだ。白夜叉と逃げの小太郎に代わる、春雨への手土産とやら。

「わたしは仔細をお聞きしていないので、それ以上は存じませんよ。最終的にお仕事としては武市さんに振られたのですね。よかったよかった」

「ア武市先輩、もしかしたらヒカリ様の手も借りるかもとは言ってましたよ」

「よくなさそうな情報」

 武市さんはあれで真っ当に謀略の鬼なので。戦闘力皆無かつ人格に不安があっても幹部を仰せつかるだけあるわけで。そもそも武市さんがわたしにも(﹅)協力を仰ぐのがいちばん嫌な予感しかいたしません。単純に計算力や統率用の人員が足りないというだけならよいのだけど。

「どーもめんどくさいとか……なんか聞いた話だと、辰羅ってヒカリ様会ったことあンでしたっけ」

「……直接的にはございませんが。あのひと辰羅族だったんですね、それは、なるほど?」

 辰羅族の基礎知識くらいは持ち合わせている。かの夜兎や、荼吉尼に並ぶ、三大傭兵部族。辰羅は個体ひとりひとりの強さそのものではなく、事前の布石をもとにした搦手、および集団戦を得意とする点で他二種族とは毛色が異なる印象ではある。その特徴から転じて、数を減らした現在は、夜兎・荼吉尼と比べて全盛期ほど脅威とは見做されていない。というか荼吉尼はまだともかく、仲間割れや同士討ちリスクが低いぶん、数が少なければ少ないほど有利になりうる特性持ちの夜兎族が異常ともいえる。

 ところで辰羅と春雨で思い当たる件がわたしにもひとつ。具体的には、旧第四師団団長——辰羅族の族長。数年前に派閥争いで追い落とされ、その際春雨の資金と自身の兵を持ち逃げしたものだから、現在も大捜索が行われているのだとか。

 わたしがこれを知ったのは以前春雨に赴いた際のこと、時系列としては扉四ツ切よりはあとで、鳳仙殿の件より前の話になる。毎度毎度の会合自体全員集合とはならなかったけれども、それにしたって第二、第三、第四師団団長が常に空席なら気にもかかるでしょう。もっとも現在第四師団団長を含め、第二第三師団長もシンプルに幽閉されているそうで、けっきょく御三方にお目にかかる機会はなかった。そんなことあるんだ。常に不在の師団長って不便ではないのかな。

 ……さて。

 ここからはちょっとだけ怖い話。

 兄上は、紅桜の件も終わっていない時点から、小太郎さんと銀さんに代わる手土産、つまりかぶき町の孔雀姫に目をつけていらっしゃったのですけれども——あのひとはなにをどうやって数段すっ飛ばして辿り着かれたのでしょうね。

「ヒカリ様?」

 物思いにふけっているといつの間にか、ハンドクリームを塗る手が止まっていた。「失礼」指先まで塗り込んで、ようやくまた子さんの左手もこれにて解放。

「はい、いつもお疲れさまです。勤勉に働かれるのもよいのですが、どうか無理はせず、ご自分を大事にすることも忘れないでくださいね」

「無理はしてないッスよお、肺に穴も開けてないし」

「これはわたしが不利ですかね……」

 突かれると痛いことが多すぎる。

「なにかご褒美だとか要ります?」

 話題を変えると、また子さんは首をひねったのち「あっじゃあ」と目を輝かせた。

 

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「兄上を籠絡する方法にはどういった手段がございますでしょうか」

「心ッ底疲れてンのかまた子かどっちだ」

「ご安心を、後者です」

「そりゃア本当に安心させるつもりで言ったのか? 酒と煙草」

「……本当に控えてはいかがです? あっ痛い痛い痛いこめかみは禁止ですだめです」

 

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「あ、やった。今回はヒカリじゃん」

「あらお久しぶりです、神威さん」

 そンだけ元気なら動き回っても問題ねえなと春雨派遣の指示が出た。どうもこちら鬼兵隊、皆様揃いも揃って、泣く子どころか労基法も黙る労働環境に従事しています。二十四時間三六五日働ける人材をいつでも募集中、アットホームな職場にございます。

 とはいえ実際動き回っても問題ない程度には骨がくっついていたので、そして書類仕事もしょうじき飽きてきたので、わたしは素直に気楽に行くことにした。

「肺治ったんだ」

「まあ血は吐きませんね」

「よかったよかった」

 怪我を気にするたちではなさそうな印象だったけれど、意外。神威さんはウンウンと頷かれた。

「今日はどうやって暴れるつもり?」

「お客様の船でなんて暴れませんよ」

 暴れる前提の扱いを受けている。

「扉は斬ったじゃん」

「一回だけですね。そもそも皆様の船で曲芸披露したのって、はじめましてのときだけでしょう?」

 神威さんは「またまたー」とニッコニコの笑顔で言った。信用されていない。本当になにもする気ないのに。

 というか、後ろで酸っぱい梅干しでも食べたような顔してるひとがいますけれども、よろしいんですか?

「サングラスのやつは面白いことしないからつまんないんだよね。絶対戦えばあいつも強いのにさ。俺ってば、最近侍がどれだか見分けがつくようになったんだ。ヒカリが言ってた、自分よりつよい地球人って、一人はじつのところそいつだろ?」

「河上さんは所望すれば弾き語りしていただけますよ」

 あのひとは自分が興味があることに興味を持ってもらえると素直にうれしがる性質で、加えて、わりと人好きかつ面倒みのいい方である。鬼兵隊としての振る舞いの他、スキャンダルで干されたお通ちゃんに価値を見出し、拾って育てていることからもわかるように。

「俺音楽は興味ない」

「変な曲ですよ」

「変な曲とかいう勧め方があるか?」

「気が向いたらねー」

 気が向くまで先は長そうだ。

「云業さんはお元気ですか」

「相変わらず女には慣れてねえよ」

 溜息混じりに言ったのは阿伏兎さんだ。前回吉原で取れたはずの腕には、金属製の義手が装着されている。

「残念、慣れてくださったら部下に欲しいものです」

「慣れてもやらねーぞ。同族はただでさえ貴重なんでね、加えて云業はよく言うことを聞く」

「そうですよねえ、使い勝手がよさそうですよねえ」

「やらねえっつってんだろ」

 わたしは笑顔で流した。どこかでうっかり押しきれないかな。

「そもそも何しに来たんだ? 春雨の船で阿呆提督蹴り飛ばしゃさすがに吊るされんぜ。あんなんでもうちのカシラだからな」

「疑りますねえ。定例報告とご依頼受領のためですとも」

 阿呆提督のことは好きでも嫌いでもないので蹴り飛ばす必要がない。

「アンタの場合、お目付け役がいた方がむしろ安心すンだよ。わかるかいヒカリちゃん」

「ふふ。セクハラで訴えましょうか」

「ンなもん、春雨で訴えたところで聞くやつァいねえよ」

 阿伏兎さんは乱雑な仕草で、わたしの肩にまだある方の腕を回し、ぐっと顔を近づけた。

「……警戒は忘れてねえようでなによりだ」

 頸動脈をかき切るといくら夜兎とて死ぬ。

 わたしが逆手に持ったボールペンは阿伏兎さんの動脈の位置を押さえている。

「もっともこの位置からなら俺がおまえさんの体をねじ切る方が速ェだろうがな」

「ええそうでしょうとも」

 わたしは素っ気なく答えた。夜兎の反応速度に勝てるとまで自惚れるつもりはない。事実としてわたしは幹部の中でも弱い方に属する。

「しかし即死とはいきません。負傷までは追い込めるでしょう」

「違いねえ」

 喉を鳴らすような笑い声。急所を取られておいて特に動揺の素振りも見せない。……危害を加える目的ではない。口説く目的はもっとない。

「なにか密談でも?」

「最近提督の動きがきな臭え。そもそもアンタらも、薄々わかってんじゃあねえのか?」

 この艦の中で騒ぎを起こしたとて不利なのは間違いなくわたし、そもそも眼前は鼻歌うたう神威さんが歩いていらっしゃるわけだし——それはそれとして、阿伏兎さんの泰然的な振る舞いは、状況の有利不利だけが理由でもないのだろう。

「知ってるか、俺たちゃ海賊なんだぜ。欲しいもんは略奪して、人のモンは強奪する。宇宙全体で恐れられてきた。……だってのに、いったいぜんたいあのアホ提督はなァにが楽しくて、飯がうまいだけしか取り柄のねえ辺境の星のゴキゲン取ってんだろうな」

「忠告ですか?」

「警告だ」

「ずいぶんとご親切に」

 本当に、ずいぶんと。……そこまで絆を深めた覚えはない。

 わたしが一瞥すると「いやァ、他意はねえよ」阿伏兎さんは半笑いで言った。

「俺ァ数少ない同胞の血が次々と潰えることに、これでも心痛めていてね。……アンタはありえねえほどの暴れ馬だが、十年近く前の借りひとつで、鳳仙の旦那を生かした。多少親切を働いてやってもバチ当たらねえさ」

「ありえねえほどの暴れ馬、の前置き要りましたか」

「オーイ一番重要だろスットコドッコイが自覚ねえわけがねえよな?」

 冗談置いといて。

「さて、たしかに気にかかりますね」

 わたしはひとりごちた。

「そもそもにしてあなたがた春雨だけでもなく……我々の星でも古今東西、文明同士による抗争、支配と統治は様々な場所・時間で絶えず繰り返されてきました。天外の来訪者はさすがに、星の暦を遡っても初めて——少なくとも記録上初めてだとして、けれども侵略の常套手段というものは研究され、知識ないし教養として蓄積され続けています。我が国内だけでも数え切るのは困難でしょう。それら知見を踏まえて、違和感がないとは口が裂けても申し上げられません」

「言い分が回りくどいな。違和感ってのは?」

「正直なところ、数えるときりもないのですが。例を挙げるならたとえば対話を取った点です。そもそも、わたしたちの言葉はなぜ通じるのですか?」

 阿伏兎さんが眉をひそめて「そりゃ星間文明の——」と仰るので手を振った。当然ボールペンを保持していない方の手だ。

「理屈は把握しております。わたしは言語翻訳技術の詳細についてお話しするつもりはなく、つまり……我々の文明レベルは隔絶しておりました。ハッキリ言って、同じ土俵に上がっているような素振りを取れていること自体が奇跡なほどです。これは天人の方々が惜しみなく知見を与えてくださったことの証左であり、ゆえにこその実質的な植民地化、また副産物として外来技術の伝来による伝統技術の消滅・文化の簒奪自体は行われています。そして、そこ自体は論点ではなくて」

 このあたりは我々の歴史でもいくつか類似の案件がある。

 そしてそれ以上を行なった事例も、当然存在する。

「そもそもの話です。意思疎通も取れないほど低レベルな生命体であれば、駆(﹅)除(﹅)の正当化がつけられるでしょう?」

「……俺ァ今ちょっとおまえさんに引いてる」

「アラひどぉい」

 しかし実際に、手のつけられない脅威としてレッテルを貼られ、数を大幅に減らされたのがそれこそ彼ら夜兎の一族だ。宇宙規模でも絶滅危惧種たる彼らが排斥された経緯は、民族浄化の一種と言い換えることが可能だ。

 何故同じようなことが地球の原住民(われわれ)に対して行われなかったのか?

 我々は夜兎ほど強いわけでもなく、攘夷戦争も真っ当に立ち向かえていたように見えたのは初期も初期のみである。あとはまともに正面衝突が行われたこともなく、ゲリラ戦に終始した。幕府の支援が途中で立ち消えたこともあるが——そもそも、初手で地表をサクッと焼き払うこととて天人たちには可能だったはずだ。彼らは事実としてその程(﹅)度(﹅)の技術レベルを持ち合わせている。

 もっと言えば、さらにそもそもの話に遡る。彼らが最初に降り立ち交渉しターミナルを建設したのは、阿蘭陀でも亜米利加でも清でもなく、我が国だった。何故だろう? たかだか小さな島国の加えてたった小さな一都市こそが、江戸だ。我が国は国土のじつに四分の三を山岳地帯が占めている。江戸がある場所は我が国でも有数の平野だが、一方で我が国有数の平野は地球全体が有する平野と比較して、きわめて狭い。隆起ある地形は建設および開拓には不向きだ。天災も多い。

 〝先生〟から賜った指導は、主に、我が国元来の教育体系に集中していた。あったとしても地球の異国の情報ぐらい。天人の情報を積極的に収集する行為は、いずれも鬼兵隊に属して以降、必要性をもとに手を出したものである。

 学習し、理解し、習得する一方、延々と埋まらない空白だけが存在し続けている。

「わたしの知識に則れば天人の支配とは些か穏便過(﹅)ぎ(﹅)る(﹅)ものでした。まるで、できれば対話をもとに交渉を行いたい、と考えるだけの価値が地球にあるかのように。あるいは、それだけ取扱注意の危険物でも存在するかのように」

 加えてもしかすると——それは我が国内のどこぞに存在する、

 やもしれない。

「さてねえ……ありえねえ、とでも一蹴したいところだが」

 阿伏兎さんの視線がちらと神威さんの背に振られる。

「ありえねえモンは山程見てきてんだよなァ」

「ま、これまた木っ端の戯言。わたしは提督殿の思惑がそれに準じているかまでは存じません」

 わたしはさっさと話を切り上げた。散々に並べてしまったけれどもあくまで邪推、陰謀論のたぐいに属する。個人的には興味深く、追求もやぶさかではないと感じているものの、べつに今掘り下げる必要もない。江戸という着陸地点・交渉拠点・ターミナル建設地点も、単に偶然の果てに選ばれたのやもしれませんし——たとえば、そう、ルーレットだとか?

「わざわざこれだけ穿って見なくとも、煙たがられる理由はよく理解できますとも。低俗な原住民がかの偉大なる宇宙海賊春雨と対等の顔で渡り合うなぞ、些か調子に乗っていると思われても致し方ございませんものね。こちらはとっても誠実に対応しているというのに、まったく悲しいことです」

「アンタの〝まったく〟から続く感情表現ほど信用できないモンもなかなかねえな」

「はて……」

 一笑に付す。

 春雨からいただくお仕事を必要水準でクリアしているのは事実かと存じますよ。その他は、そうですね、わたし時間外労働はあまり好みではなくて。

「またその点、第七師団の方々もあまり他人事ではないと、わたくしめとしては愚考いたしますけれども」

「あーあァ。野蛮な夜兎集団が我が物顔で幅利かせて調子乗ってるって? 吉原の件もけっきょく現地人に良いようにこき使われただけじゃあねえかってか? まったくひでェこと言うじゃあないの」

「なるほどミラーリングされるとこれは些か居心地が悪いものですね。以後気をつけます」

「やめてくんない振っといて滑らすの」

 阿伏兎さんがヒクッと顔を引き攣らせた。

「アンタの心配はご無用、俺たちはそう簡単にやられやしないよ」

 話はバッチリ聞いていたらしい。神威さんはくるりとこちらを振り返った。たいていは細められている碧眼が今は開いていて、口元の笑みは変わらない。

「提督が俺たちを潰しにかかるなら、そりゃつまり闘争が起きるわけだ。最高だね」

 神威さんのニッコニコの笑顔をしばし眺め、阿伏兎さんに視線を移すと、苦労人の副団長殿は静かにうなだれていた。わたしは己の肩に回された彼の腕をそっと退かして、ボールペンを袂に仕舞った。

 

   ➤

 

「は? ホントに暴れないで帰るわけ?」

「あなた本当にわたしが暴れることだけを期待してついてきていらっしゃったんですね。暴れません」

「暴れたとして誰が収拾付けんだよ。俺ァやらねェぞ、ただでさえ第七が睨まれてる今火種ぶち込む趣味ねェや」

「云業呼び出すとか」

「あくまでも団長様は高みの見物ってか、へえへえ。勘弁してやれって。あいつは一応隊長でしかねンだから」

「ですから暴れませんってば。つくづく信用ありませんね」

「信用はふつうにないよ」

「おやめください。神威さんが仰るのは冗談の域を超えます」

「おまえの冗談こそわかりにくいよね」

 

   ➤

 

 春雨が幕府との密約を結んで以後というもの、ターミナルの行き来はきわめてスムーズだ。テロリストを素通りさせるターミナルの検閲って、とても無意味ではございませんか。

「この顔にピンときたらば一一〇番……」

 帰るまでの一時、江戸の町並みをお散歩していると、ようやく発布されたわたしの手配書に鉢合わせた。似顔絵でしかなく、正直、さほど似ていない。写真を撮られた覚えもございませんからね。並べられた兄上の方は、同じ似顔絵でも精緻だ。笠被っただけで回避できている理屈がまるでわからない程度には。眼鏡かけたら誤魔化せることと同義なのだろうか。そもそも眼鏡をかけただけで顔が一致しないのは、探す方の視力に問題がありませんか。

 益体もないことを考えながら文字列を目で辿る。賞金条件は目撃情報に加えて、捕縛で上乗せ。生死問わず。我が国において基本的人権は限定的用例が存在する。

 すなわち、捕まらなければよいという話にございます。

「ニャア」

「ン」

 鳴き声とともに擦り寄られる感触。猫が二匹ほど、足元にちんまりと鎮座してわたしを見上げていた。それぞれ白一色・黒一色の猫、おそらく種類は異なる。片方はいかにもゴワゴワした毛並みで、片方はつややかな直毛だ。

「あらかわいい」

 なんとなくしゃがみ込み、手を伸ばすと「ウニャウ」黒い方がわたしのてのひらに自ら額を擦りつけた。白い方はやけに目つきも悪くわたしたちを眺めている。こちらにも手を伸ばすと、ピシッと肉球で弾かれた。イヤなんですか。寄ってきたのあなたたちの方なのに。離れていかないあたりは黒いのが心配なんですか。なにもしませんよ。警戒心があるのは、よいことです。

「ナァ」

「それにしても懐っこい……地域猫かしら」

 耳をかいてやりつつ確認したものの、地域猫特有の、耳端にハサミを入れられた様子はなかった。不思議だ、都市部の野良猫にしてはやけに人に慣れているのだけど。触れられるのを拒んだ白い方とて、わたしを叩いたときも爪すら出さなかった。なんなら黒い方はとうとう地べたに寝転がって腹まで見せた。かわいい。わたしはあんまり動物に懐かれる方ではないので、これはとっても珍しいことだ。

 白い方のその目つきはなんですか本当に。なんだか人間みたいに半眼ですね。

「ンるるる……」

「おなかでも空いているの? とはいえ、わたしの手元には今、猫が食べられそうなものなぞありませんよ」

「ウワゥ」

 犬の鳴き声?

「……そもそも野良猫に餌をやるのは、たしか、よくないのですよね?」

 わたしはつぶやく。要するに外来種問題と似ている。人間が飼育して自分の都合で放してしまった生物が再野生化すると、在来のいきものを狩ってしまったりで生態系を乱してしまうらしい。シンプルに糞害等で地域規模で迷惑を被ることもあるとかなんとか……。

「かといって連れ帰ったところで……兄上って猫は好きかしら」

 猫以前にあのひと、動物好きとも嫌いとも聞いたことないな——と思ったのとほぼ同時、黒い方は俊敏に起き上がり、わたしの手の届かないところまで逃げた。

「フシャーッ」

 なんなら威嚇までされた。

「……嫌われちゃった」

「ニ゙ァ」

「どういう感情なの?」

 撫でた箇所がうっかり良くないところに入ったのかも。普段本当に触れ合わないからなにが気に障ったのかもわからない。

 猫語はわたしには理解不能だ。基本的に猫同士のコミュニケーションで鳴き声は用いられず、飼い猫でしばしばよく鳴く個体がいるのは、人間に話しかけられることに慣れたためである。つまり、この子たちは本当に人慣れしているのだろう。じつは江戸では超有名な個体だからこそ、耳に印をつけていないだけの地域猫、なのかもしれない。

 ともあれ、わたしが拾う喫緊性はなかった。そもそも猫の寿命は、大病もない飼育下の個体であれば二十年ほどはある。それまでわたしが生きているともわからない。責任を持てないものに手を出すつもりはありません。

「そろそろ行きますかね……」

 立ち上がる。鬼兵隊の艦に帰る前に寄り道でもしようかな。皆様にお土産だとか。部下の方々も労ってあげませんと、

「アッ、神威の部下!」

「……彼の部下ではありませんね」

 数歩歩くまでもなく指を差された。万事屋の夜兎の女の子じゃあございませんか。中華チックなお洋服、赤毛に青い瞳はどこか、それこそ神威さんにも似ている。

 指だけでなくなんなら傘を突きつけられてしまったので、わたしは大人しく両手をあげた。マシンガン相手にこの場で曲芸するには得物がない。

 先程別れようとしたばかりの二匹の猫も、この至近距離の女の子の声に反応してか、わたしの足元を抜けてちょいと覗いた。

「また悪巧みアルか」

「たまにはお散歩することもございますよ」

 茶化すと、青の双眸がきっとわたしを睨んだ。

「信用できないネ!」

 そうでしょうね。

「観念して素直に白状しろヨ! 銀ちゃんもおまえたちがどっかやったアルか?」

「……銀さんがどうかなさいましたか?」

 剣呑に詰めてきた女の子に、わたしは目をまたたかせた。

「ナニとぼけてやがる!」

 女の子はさらに憤った。どうにも保護者の影響か、この子ったら些か口が悪い。

「銀ちゃん最近帰ってこないネ! 私とぱっつぁんでシゴト大変アル。おまえらのせいか?」

「……いえ、まだなにも……?」

「ま(﹅)だ(﹅)?」

「言葉の綾です。とはいえ本当に心当たりがございませんね。そもそもあのひと行方不明だったのですか?」

 かぶき町四天王に仕掛けるにしてもまだ先の話だ。白夜叉関連で他になにか我々の——岡田さんのような独断専行の可能性も否定しきれないけれど。

 真面目に尋ね返すと、碧眼が、うろ、と彷徨った。

「……だったら、どうして帰ってこないの……」

「……泣かないでください」

「泣いてないモン!」

「そ・そうですか……」

 ぐっと空を見上げる様子は、今にも泣きそうなところをこらえているように見えるけれど。

 白い方が女の子の足元に寄って、ナァ、と控えめに鳴いた。「ヴヴヴン」「ニ゙ャ゙ッ゙!」しゃがみ込んだ女の子に抱きしめられかけたところを俊敏に逃げ出す。夜兎の力加減で抱きしめられてしまうと、猫なんてかんたんに死んでしまいますからね。危機設置能力に優れた個体だこと。

「もういいもん。銀ちゃんキライ。銀ちゃんのぶんのごはん食べちゃうヨ。毎回一升食べても一合余ンだからな。冷凍庫行きにしたおにぎりもういっぱいなんだからナ」

「一升食べるのですか」

「ホントは一食多くて五合だけど、銀ちゃんがいないから好きなだけ炊いていいの」

 そのペースは万事屋の食糧が底を尽きませんか?

「シャーッ」

「なんだヨ生意気な……もうおまえが食うか? 撫でさせてくれンならやるヨ」

 白い方は顔面をくしゃくしゃにして黙ってしまった。何故だか葛藤を感じる。

「冷凍庫はたしかに腐敗を遅らせますが、時間が止まる魔法の箱ではないので……たくさん溜まってしまったなら、おにぎりも本当に食べてしまうべきですよ」

 女の子はきゅっと唇をとがらせて、とうとう地べたで膝を抱えてしまった。

「……でも、銀ちゃん帰ってくるかも……」

 ……まこと罪な人。

 思考を巡らせる。とはいえわたしは本当に、まるで心当たりがないのでいかんともしがたい。顔を合わせたのも日輪さんと鳳仙殿の件が最後だ。

「なにか行方に心当たりは……ございましたらば、そもそもわたしに聞いてはいませんものねえ」

「さっちゃんも監禁してないって言(ゆ)ってたし」

「監禁の心当たりが手近にあらせられる? ……まァ、生きてはいるでしょう」

 わたしはぼんやりつぶやいた。

「潔く死ぬよりは足掻いて生きる人です。便りがないのは良い便り、なーんにも音沙汰がないということは、むしろ無事なのかと」

「……ホントかヨ」

「昔兄上とあのひとの生死について賭けましてねえ。死んだ方に賭けていたわたしは見事敗北して、当時の全財産まるごと剥かれました」

「ギャーッ」

「何?」

 白い方に全身で威嚇された。それにしても先程からこのコはなんなのだろう。猫ってこんな声出るんですね、わたし初めて知りましたよ。

「オマエ兄妹仲良しアルな」

「そうでしょうか? こんなものでは」

「ウチはぜんぜん。こないだも殺されかけたし。てかオマエも見てたロ」

「……あら?」

 夜兎はただでさえ数少なく、加えてわたしが見ていた——夜兎が夜兎に殺されかけるような案件、となるとだいぶん限られる。あの場に夜兎は珍しくも複数個体いたけれど、この子の面差しを考えると、候補はほとんどひとりに絞られた。

「もしかして、神威さんって……」

「部下なのに知らネーのか? 私の兄貴ネ」

「部下ではございません。あらまあ。たしかに言われてみれば、お顔がよく似ていらっしゃる」

「ハ? 私のがチョーかわいいし」

 ぶすくれた顔で女の子は膝に頬杖をついた。

「……あのバカは、パピー殺しかけて腕もぎ取ってったヤバイやつネ。弱いやつなんざ興味ないって、私のことも置いて出てったヨ。あいつと関わるなんてろくな死に方しないネ」

「それはそれは」

 わたしは微笑んだ。弱さを理由に置いていった兄君、それはそれは。なんだか親近感のあるお話でございます。

「次に神威さんにお会いした際は、代わりに斬り殺して差し上げましょうか」

「ハ!?」

 女の子は跳び上がった。

「い、いらない。自分でやる」

「まァ確かに、復讐は己の手で成し遂げてこそでしょう。応援しております」

「ナニその圧……」

 白い方も黒い方もやたらと挙動不審になり「ミー……」と子猫に似た鳴き声をこぼしている。動物は負の感情に敏感と耳に挟んだことがある。怖がらせたかしら。

「……よく考えたらオマエ鬼兵隊だったナ。神威とは何の関係ヨ?」

「お仕事のお付き合いですよ」

「悪の御代官と越後屋?」

「だいたい合ってますね」

「金のお菓子あげてる?」

「神威さんに限って述べるのであれば、彼は食事の方がお喜びになる印象です」

 女の子はしゃがみ込んだまま、わたしから目を逸らし、足元に視線を向けた。

「……神威、ごはん食べてる?」

「食べていらっしゃるのでは? この間の会合でも、テーブルの料理の六割は彼の胃に収まっておりました。出席者が十数人いたのに」

「……よく寝てる?」

「うーん、わたしはそこまで彼の睡眠周期に詳しいわけではございませんが。毎度お会いする際、隈を作っている様子はありませんよ」

 しゃがみ込まれて、さらにうつむかれると表情が見えづらい。白い方は先程は逃げたくせ、懲りない様子でまた女の子のもとにおずおずと近づいた。

「……アイツ、げんき?」

「……ええ。元気そうです」

 ぱたりと地面に水滴が落ちた。本日は曇天なり、しかし今のところ、雨雲に変わる様子はない。

 女の子はぐしぐしと顔面を乱雑に腕でこすった。すぐに、ぱっ、と飛び跳ねるように立ち上がる。あまりに近づいていたものだから、うっかり巻き込まれかけた白い方が二mは飛び退った。

「フン! 憎まれっ子世に憚るってやつヨ!」

 曇り空をキッと睨んで叫んだ彼女は「時間取らせたナ」傘を肩にかけ、踵を返した。やたらと男前ですね。

「悪党はさっさと江戸から出てくネ。今あったことは忘れるヨロシ」

「そうですね。わたしそもそもあなたのお名前も知らないので」

「私のこと知らないなんざ遅れてるヨ!」

 道の向こうで彼女は声を張り上げた。ズンズンと早足で進んでいくから、もうずいぶん背は遠くに見える。

「かわいくてつよーい神楽ちゃん、かぶき町の女王グラさんとは、私のことネ!」

 わたしは肩をすくめた。

「それでは神楽陛下、御身の威光に永久に翳りあらんことを」

「ナニソレー!?」

「女王様末永くお元気で、という意味です。銀さん見つかるといいですね」

「あーんな綿菓子とマダオ足して二で割ってケミカルXかけたヤツのこと、心配なんかしてないモーン!!!」

「言い得て妙」

 ところでわたし、心配ですねだとかは一言も申し上げていませんけれど。

 白い方が地面に丸まって土下寝をしているのをしばらく眺め、わたしもまた、街の方へ足を向ける。黒い方が足にまとわりついてきたのでそっと避けた。

「ナォ」

「ごはんはありませんよ」

 誤魔化しがてら首元を撫でると「ルルル」と黒猫の喉が鳴る。わたしはひとしきり構ったのち、解放した。

「飼い猫なら、早くおうちに帰ってあげなさい。飼い主を心配させないの」

「ナン」

「あなたもですよ」

「……ンなーゥ」

「よろしいお返事。それでは今度こそ、さようなら」

 白い方は最後まで触らせてくれなかったけれど、わたしの挨拶に、ちょいと尻尾を振った。あらかわいい。

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