前略:
いつもあなたに破壊をデリバリー、産地直送の新鮮な殺意をお届け!
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「取舵いっぱい。シールド全開、着陸いたします。皆様衝撃に備えてくださいね」
「着陸地点どころか前方、壁ですけど!? 突っ込むつもりですか!?」
「あらご明察」
けろっと述べたわたしに「もう本当にいや、このひと」中田さんが呻いた。
「とはいえこのまま突っ込むとぺしゃんこですからね、中田さん操舵もう一度代わっていただいて。砲撃開始——狙いは継ぎ目にございます」
タタタとキーを打つたび爆撃がほとばしる。小型艦の砲身の火力と物理法則に物を言わせた単なる力押しだ。人の急所がある程度統一されているように、ものの造りには一定の法則というものがある。
ひび割れた壁に船首が触れる。触れた個所からするりと豆腐を裂くように、はらはらと剥がれて崩れて落ちていく。底なしの宇宙がさながら大容量ダストボックスだ。
展開したシールドが真空に続く大穴を塞ぐ。天人様々、謎技術百選に入れておきましょうね。
『……曲芸師』
「褒めますねえ」
『引いてんだよ』
「しかしわたくし本業はじつのところ、曲芸ではございませんので」
『テロリストだろ』
『違いねえな』
「仰いますね。それは、もちろんのことですが」
シートベルトを弛めて席を立つ。中田さんがウンザリとした様子でわたしを一瞥して「……使います?」嫌々の顔ながら、刀をそっと掲げた。
「いいえ結構。ご自分の身を優先なさい」
扉をひととび、ハッチを開けて、わたしは無手のままに降り立った。闖入者に目を見開いて「貴様ッ」犬面の天人が叫んだ。
「鬼兵隊の——ちょうどいい、ここでまとめて錆にしてくれる!」
「素敵な得物ですね。いただけます?」
踏み込みは重く、ド、と冗談じみた音を立て、わたしは宙をくるりと回る。振り切った上段蹴りは顎を打ち抜き、そのまま手元の槍を叩き落とす。回転した長柄の真ん中を逆手にはしと握りしめ、勢い殺さずもう一振り、喉を突く。
「ふ、」
噴水の血溜まり、倒れ伏す体を踏み台に、高く跳び上がり——振るう。ざんザン斬ッと首が跳ぶ。せっかくの同盟相手とのお食事でしたから、きちんと白金の訪問着をまとってきたのですが。赤く染み渡り、黒ずんで、見る影もなし。
料理の染み抜きだとか気にする必要もございませんでしたね。
「ヒカリ様ーッどこいたんスか探しましたよ! ねえこいつらどこまでやれるか勝負しましょ!」
「無茶言わないでくださいよぉ」
「それでは最下位はこの場の後片付けということでいかがでござろうか」
「ああこれ強制参加ですか? 武市さんがボロ負けで終わるのでは?」
「と、思ったのでハンデつきにござる」
「部下たちの手柄も上司のものであるべきかと」
「ははーんさてはこちら、現状部下ゼロのわたしいじめと見ました」
よくないですよいじめって。テロリストが言うのですから信憑性は高いでしょう。
「辺境生まれの猿どもに好き勝手させるな、かかれ、かかれェ!」
我々がとぼけた会話をしている間にも、皆様必死でいらっしゃる。
「我々を猿と罵るなれば、あなたがたは狗らしく、這いつくばって芸のひとつでも見せてはいかが」
手近な足を蹴り上げて引き倒し、ちょうどいい位置に引きずり降ろされた頸骨を片手で手折る。もう片手では長柄を掌中で回し、前方の腹を真一文字に一閃、後方柄を跳ね上げて金的に突き立てる。
「地球産に取られちゃなんねえよ野郎ども! 夜兎の名が泣くぜ!」
「こいつらホントに地球産か? ……侍って人種はそうなのか?」
「云業ォ〜、こういうのはな、冷静になったやつから死ぬ」
「クソ……」
かつての岡田さんのご指摘通り、わたしはたしかに疾いだけ、カラであるから疾いのです。なにもかも捨て去ったこの身は、ときに3/4オンスよりも身軽でしょう。
処刑台の中央に兄上はいた。いまだ愛用される合口の刀、神威さんとともに背中合わせに、斬り上げて、蹴り飛ばし、殴り砕く。さながら死の舞踏、処刑台はダンスフロアに等しい。
「遅ェ」
フロアに着地したわたしに兄上は言い放ち「……それやめろっつってんだろ」と若干うんざりした様子で続けた。わたしはすっかり脂で汚れた刃を、雑に袖でぬぐったところだった。
「宴もたけなわでしょうか?」
「いんやまだまだ」
神威さんは暴れ足りぬ様子ではねている。手刀がやすやすと敵の胸を貫いて、心臓をえぐり取る。
「でもせっかくのメインディッシュだ。たっぷり味わうべきだろうさ」
「それではわたしも、一芸舞いましょうか。今宵はお代は結構ですとも……手向けの花もご用意できませんでしたから」
長柄武器は間合いが広い。甲高く額を打ち据えて「現地調達ということでひとつ」一息に斬り払えばほらかんたん。椿がみっつ、ぽとりと花を落とします。
「裏切者どもめが——ァあ゙が、」
横っ腹に叩き込めば長柄はあっけなく折れてしまった。たしかに加減を忘れていましたけれど、それにしても春雨って、もしかして武器にも経費削減をかけていらっしゃる? わたしのような曲芸師でもなければ死んでしまいかねません。
折れた鋭い木片の先端を眼球に突き刺し、そのまま踵で蹴り出す。わたしは嘆息して、頬についた鮮血をぬぐった。血染めの化粧は紅のごとく。
「しかし、つくづく皆様マナーのなっていらっしゃらないこと。芸妓はお触り禁止ですよ」
これだからお上りさんはいけない。
言葉もなく放られた脇差を鞘から掴み、居合一閃、音立てて鋼ははきりと割れる。助太刀を物理で寄越した兄上は、既にこちらには目もくれない。刀一本で今度は荼吉尼に斬りかかっていらっしゃる。さすが宇宙海賊春雨、兵力の品揃えがとっても豊富。神威さんはまだわずかにのこっていた辰羅を吹き飛ばして、犬面どもに襲いかかる。
わたしはせいぜい数稼ぎに、雑兵を露払いでもいたしましょう。
「特別におもてなしいたします。どうぞ覚えて還ってくださいませ」
また花が咲いた。
落つる首が椿なれば、血しぶき咲く身体は曼珠沙華に似ている。
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「ご、50!」
「遅れたわりには殺しているのでは? 拙者は90」
「ほぼ倍のひとに労られている」
「まあ万斉先輩には勝てませんでしたけど……私70ッス!」
「あらすごい……待ってください武市さんは」
「65です。フフフ」
「うそでしょう部下の手柄総取りはハンデだとしてもずるではございませんか。……あ、道中殺してきた数カウントしたらわたしも三桁いけますよやれますなにせ砲台ドーンバーンでしたから」
「それはレギュレーション違反ですね」
「ハンデとして部下を数えるのはレギュレーション違反ではないのにやんごとなき事由による遅参にハンデはないのですか? 勤怠なら客先直行扱いで業務は正常に開始している状況と見なされるべきですのに? ヤダよく見るとかなり大惨事なんですけれどこの後片付け本当にわたしが指揮取らなきゃいけないの?」
「近年わかってきたのだが、焦るとぬしでも言葉遣いは多少崩れるのだな。曲調のテンポも速まっておる」
「ひとの焦りを冷静に評論しないでくださいうっかり手が出そう。そういえば兄上は? 直属の部下はいない形ですよね兄上」
「100から先は数えてねェよ。きりねえだろ」
「まああなたはそうですよねそうでしょうねダメ元でしたよええわかりましたともやればいいんでしょうやれば」
「拗ねんな最弱」
「お黙り最強」
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なーんにも考えずに手っ取り早いからと壁を大破してしまったので、大穴から宇宙を覗けてしまう惨状に嘆息する。真空に吸い出されると地球人は五分で死んでしまうので、まずはこれを修理しないことにはシールド未だ展開中の船も動かせない。
ええとまずはこの修繕と修繕中の船へのバッテリー供給が乗って、その他主に処刑場の破損が乗って、シンプルに清掃が乗って、ついでに大幅削減してしまった春雨人員の補填が乗って……損害は九割方第八師団の方々だそう。春雨って、師団ごとに種族統一でもしているのかしら。確かに、異文化どころか生態すら異なる可能性が高い異種族同士で折衝し合うよりは、同類でより合わせた方がましには思えるやもしれません。もっとも同族でもぶつかり合うのが知的生命体というものですが。
ところで。
「……これって半分以上は春雨側のお仕事なのでは?」
算段しているうちにわたしはうっかり気づいてしまった。
なぜわたしが、というかなぜ鬼兵隊側で処理する流れになっていたのですか? なにか不条理ではございませんか?
「俺の話してる? 無理だけど?」
こちらは第七師団団長もとい、今代春雨提督のお言葉である。挑戦する前から無理と即答するなぞ、いかがなものでしょうか。仮にも次代の夜王と目される御方が。
……無理でしょうけれども。
「阿呆提督はひとつだけ正しいことを仰っていました。神威さんに提督の地位なぞ、本当に心底向いていらっしゃらない」
「鳳仙の旦那曰く、頭に必要なのはカリスマと実力、あとは勝手についてくるモンだってさ。アンタ風に言うなら、あのじいさんの言うことは少なくともひとつは正しかったみたいだ」
勝手についてきたのがわたしだとでも?
……阿伏兎さんを指している可能性に一縷の望みを託して、と。
「ちなみに、あの人の話を出さないでいただくことは可能ですか?」
「そんなに嫌いなんだ~」
「嫌いですね~」
ニコーッと微笑まれたのでニコーッと微笑み返せば「……なんか」一連の流れを見ていたまた子さんがつぶやいた。
「仲良くねッスか?」
「悪くはないよね」
「そうですね」
少なくとも悪くはない。この会話がお互いの煽り合いではなく、世間話の延長線に分類される程度には悪くはない。仲良いかどうか、というと、それを判別しきれるほどわたしと神威さんはお互いのプライベートに干渉したことがない。
また子さんはわたしと神威さんを交互に見比べて「……ヒカリ様!」わたしの手を取った。
「今度また子とデートしましょう! このまた子と」
「ハァイ、いつにしましょうね」
わたしたちの微笑ましいやり取りを横目に「……そんな素直に張り合う相手か?」と阿伏兎さんがぼやく。
「暴れ馬にバカ提督だろ」
「今日はずいぶん言うねーなに? 怒ってんの?」
「処刑ってんで暴れ馬先導で必死こいて駆けつけてバカ団長が祭りやってる現場に鉢合わせた身にもなれよ。あげくの果てにはバカ提督」
あらまあ憎まれ口。
「であればそのように仰る阿伏兎さんはなんでしょうね?」
「そりゃ当然スットコドッコイ副提督だよ。口癖なんだから光栄だろ」
「嘘だろ持ち上がりシステムなワケ……?」
愕然としたお顔である。とうとう神威さんと離れられるとでも思っていらっしゃったのかしら。そうだとすればさすがに、見積もりが甘いと申し上げざるを得ません。
「他にいるだろなんか、ほらオジサンなんざ将来性が薄いってェ」
「髪の将来性のハナシ?」
「禿げねーよ俺の毛根は百年持つわ。イヤとにかく俺以外に適任がいるってのその、ホラ、アレだ。云業とかにしとけ」
「すごい顔されてますよ云業さん」
「でも云業は第七師団団長だからな」
「本当にすっごい顔なさってますよ云業さん。そんなにも副提督、ないしは団長職がお嫌ですか? であればうちに来ますか? 今ならわたしの部下のポジションなど」
「団長職拝命する」
「よーし引き継ぎ完了。ほら俺だってやればできるってワケ」
「全方位に勘弁してくんねえかなこの新提督」
云業さんったら、本当にひどい顔されていたのに、わたしが提案した瞬間ほぼ食い気味で即答・かなり直球にお断りされた。
そんなに嫌がられることある?
「くっ……あ、あんたら、ヒカリ様の肋骨折ったくせに……!」
「折ったけどアレ俺が百悪いかって言ったら絶対違うと思う」
「ンまあ団長にしちゃ正しい主張な……ような……? ……どうだ?」
「噛みつくなまた子。折ったとて原因の半分はコイツ本人、悪化させたのもどうせこのじゃじゃ馬の行動だろ」
なおこのように、心底どうでもよさそうに言ってのけた兄上は、現在わたしの肩を肘置きにぷかぷかと煙を吐いていらっしゃいます。良い御身分だこと。総督様でいらっしゃいますからね。
体重かけられてとっても重たいからふつうにどいてほしい。
「妹に味方してくださらないのですか」
「あいにく味方できる要素がなにひとつねえな。そうでもなけりゃ、そもそも夜兎の攻撃受ける状況になんざ首突っ込んだのはいったいなにが理由だ? おまえはやる気ねえ案件はやることやる以外はとことんサボるしな?」
「……まあそれはいったん置いていただいて」
「ッとうに大概にしろよてめえ」
神威さんが「ン?」ここで目をまたたかせ、わたしと兄上を見比べた。
「……兄妹なんだ?」
わたしと兄上は顔を見合わせた。「そうですね」「言ってなかったのか」「縁故採用なぞ、見せびらかすことでもございませんでしょう」「マそりゃあそうだ」春雨相手に限らず、わたしはお仕事ではわりと下の名のみを名乗る。
これはべつに素性を隠す云々といったつもりはなく、特に天人の方々は苗字・名前の概念がない場合も多いのでその説明から入る必要がある上、高杉で統一すると今度は兄上と競合する。様々な手間を予め省いた結果、行き着いたのが名前のみの名乗り、というわけ。加えてわたしはあんまり公私混同は好みではないので、仕事中にわざわざ兄上を兄上と呼ぶことはまれだ。休憩がてらの立ち話ならいざ知らず。
とはいえ、そこまで驚かれる話でもないだろう。
「わりと似ておりません? 顔立ちとか」
「……んー。そうだね。そこじゃないけどね。なるほどなー。そこかー」
「なにかを納得された」
「あー……いろいろと理解した。そういうことか」
「納得が二人に増えた」
「なにした?」
「わたしがなにかをしたこと前提で話しかけないでいただけます? 今回は心当たりがございませんよ」
「ヘェ? 今回は?」
意味深に繰り返されたので無言で肘打ちした。煙管を持っていない方のてのひらであっさりと受け止められた。読まれていてたいへん悔しい。精進せねばなりませんね。
神威さんに妹さんがいらっしゃることは、わたしは先日偶然知った。心当たりがあるとすればそのくらい——殺しにかかっていたわけだし、違うでしょうね。ではなにか? と聞かれると。そこまで神威さんにわたしは詳しくない。
「顔馴染みな方がなにかと都合が良いだろ、しばらく置いていくから好きにこき使え」
「ひ、ひどい……」
「ヤッター。大道芸見せてもらお」
「なンか扱いがおかしいだろやっぱり! この方を誰と心得る晋助様の妹御ッスよ! 晋助様こいつらになんざ任せちゃなんねッスよ!」
憤慨してくださるのはまた子さんだけで(心得るべきポイントが若干変なのは、置いておきましょう)「妥当な扱いでは?」「うまくやれそうでなによりです」河上さんや武市さんなぞ、兄上以上に適当でいらっしゃる。
「甘ったればっかに構ってられねンでね」
「本当にひどい。泣いちゃいますよ」
兄上はわたしを、ジ、と見下ろして、それからてのひらをわたしのつむじに置いて雑に揺さぶった。髪が解けてしまう。
「……もっとマシな嘘つけ」
「では祟りますね」
「大差ねえな……中田置いてってやるから我慢しろ。気に入りだろ、あいつ」
「叩けば鳴るのは愉快ですけれども気に入りとまでは。まあ事務仕事なれば、多少、人並みよりかは働いてくださいますかね?」
少なくとも、また子さんとのデートはもう少し先延ばしのようである。
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「かわいい妹を宇宙に置き去りにして兄上はどうなさるおつもりで」
「おまえは自分ひとりで行くのはよくて揃って来た上で先に帰るのが駄目なのか?」
「……もしかして誤解させました? これは単なるダル絡みですよ」
「心底わかりづれェ絡み方をするなったく」
「兄上ったら心配性〜。……こめかみ割るのは、やめてください。威嚇しますよ」
「両手を挙げるのは威嚇は威嚇でもコアリクイだろ。……ときにヒカリ、どうなさるかと聞いたな」
「はい? はい」
「てめえなら、掃除するとして白と黒、どちらを使う?」
「は? ……掃除ですか? ……汚れが目立って清潔にしやすいという観点で評価するならば、白だと思います」
「ならそれで行くか」
「は???」
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【 白黒決着はいったんお預けらしい。さっさと帰ってこい。 】
「本当に、先日からなんの話をなさっているの?」
せめてわかるように喋ってほしい。わたしは心底そう思う。わからないわたしが悪いのですか? 絶対違いますよね。
兄上はべつに鬼兵隊内部でも秘密主義というほどでもないのだけれど、一方で、喋る必要がないと判断したことは本当に一切喋らない。これは己の深部には手を出されたくない兄上本人の矜持——の他、本当に知っても知らなくてもなにも変わらないぐらいに本人が思っているせいで共有されないだけ、という場合もわりとある。わりとあるというかけっこうある。
具体的には、失敗してもべつにいいかと思っていたので、計画が頓挫しかけるまで明かされなかった孔雀姫の件だとか。そもそも第七師団に潰しに乗った時点で最初から、阿呆提督を斬り捨てて神威さんに乗り換える算段だったとか。たぶん今回もその一環だ。あのひとわたしに報連相とか言える立場じゃあないのですよね、じつは。
ともあれ大手を振って帰れることに……なった……なったかな? なったんですかねこれは。
「おれも帰れますか!」
こちらはキラキラした目の中田さん。
「ついでに長期休暇くださいませんか! もう胃痛がすごい。里帰りでリフレッシュしてえ」
「そんなにもお嫌でしたか? べつに皆様手を出さないでしょうに、最悪はわたしがなんとかするつもりでした」
「自分より華奢かつ年下かつおれが男でアンタが女で、上司とはいえそんなひとに最悪庇われることを覚悟されている気持ちわかります?」
……しょうじき、全然、一ミクロンもわからない。
言葉にまではしなかったけれども、言葉を探した時点でなにかを察したのか「ハイハイアンタにそういう機微を期待したおれがバカですよバーカハイハイ」勝手にやさぐれ始めた。このひと本当に侍に向いてない。辞めてやると気炎を上げていたけれどけっきょく辞めていないあたりも含め、本当に変なひと。
「暴れ馬だのパワハラ上司だの縁故採用だのなんだの言われてますし言ってますけどアンタが最悪なのってなによりもどれよりもそこですからねほんっとマジ」
「ハイハイ」
「もぉまじで聞く気ねえでしょ……」
「メンヘラはモテないそうですよ」
「モテを狙ってる奴はそもそも鬼兵隊になんざ入らねえんすよォ……」
たしかに。
「そういえば中田さん、それこそあなたはどうして鬼兵隊なぞに?」
「えー……」
中田さんはデスクに突っ伏した。ちなみにこのデスクは、提督と化した神威さんに〝長期滞在するにあたってせめて作業場所いただけません?〟と投げたらば、阿伏兎さんを経由して届けられたもの——ホログラムディスプレイ搭載デスクトップ一体型デスクワーク用デスクである。デスクを何回並べるんでしょうね。並べられるのも頷けるほどには利便ですけれども。
「……ヒカリ様絶対笑いますよ」
「ひとが命を懸ける理由を笑ったりはしませんよ」
「あー。うーん。……総督がチョーカッコよかったからです」
「なるほど。お聞きしたわたしが馬鹿でした」
「たしかに笑いはしませんでしたね、音速ではしご外すのもやめてもらっていっすか?」
このひと本当にめんどうくさいなあ。
「またコントしてる」
「コントではございませんが」
ぴこぴこと跳ねた髪が触覚のごとく動く。「よいしょ」と神威さんはデスクに腰掛けた。後ろから云業さんが辟易した顔で現れて「だん……提督、ああもうだめか」諦めた。諦めるのが早い。
「もう帰るって?」
「ようやく帰ってくれるのか!?」
「……今回の滞在でわたしなにもやらかしてませんよね……?」
春雨転覆の件は阿呆提督がやらかした側で、わたしは兄上の指示に乗っただけに過ぎない。その後はふつうに書類仕事がわんさか降ってきて忙殺されていたこと(経費計算ぐらいご自分でやってくださいませんか? どんぶり勘定でよくもまあ宇宙海賊を名乗れたものですねあなたがた。それともこの間の一騒動で勘定方も死んだのかな)それ以前に仮にもお客様の空間を間借りしている状況なこともあり、わたしは大道芸らしい大道芸も見せられていない。大道芸ってなんですか本当に。
ともあれそんなこんなでなにもしてないはず、と改めて記憶を洗い出していたわたしに、云業さんは真顔で言った。
「いつやらかすかと気が気じゃない」
……もはやなにもしていなくてもだめではございませんか?
「ワカル〜」
「中田さん」
「ゴメンナサイ。許してください。哀れに思って」
「まだお呼びしただけですよ」
平身低頭する中田さんを一瞥して「なんで仲間ってたまに命乞いするんだろうね」と神威さんは至極不思議そうに言った。
「味方なのに。いちおう。弱いやつ殺す趣味とかないし」
「……わたしって言動を改めるべきですかね……」
「突然めちゃくちゃ反省するじゃん」
神威さんと同列は、ちょっと、だいぶ——かなり。
デスクのうえにあぐらをかいて(やめなさい)神威さんはわたしに向き直る。
「晋助に言っといてね。侍の星、おまえたちに賭けたんだからさあ、早く呼んでよ?」
ニコニコとした笑みは相変わらず、剥がれることはない。慈愛のようでいて、まるで異なる感触。威嚇を通り越してあるいは殺意に似た笑み。
賭けられた覚えは——と、言おうか迷い、わたしは口をつぐんだ。すくなくとも兄上は博打が好きだ。一か八かに賭けて、勝った利潤をさらに突っ込み、負け込んでいても愉快がる。そういう生きざまは誰かの博打の対象にもなるだろう。たとえば鬼兵隊隊員の一部はそのように。
同盟相手も——もしかしたら。神威さんを見るに。
「あんまり遅いと退屈だ」
「死んでしまいますか?」
「いいや? 俺から殺しに来ちゃうだけ」
「それはそれは」
わたしは肩をすくめた。
「ある種好都合でございましょうね」
神威さんは笑い転げてデスクから落ちたし、云業さんは出入口からさらに三歩引いたし、中田さんは「……言動を改めるなら、とりあえず、そういうのからやめてくれたりしません?」とわたしに尋ねた。
なかなか難しいことを仰いますね。
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ターミナルを見上げて「帰ってきた……」と滂沱の涙を流す中田さんを横目に(そんなに恋しかったのだろうか……?)わたしは口を開いた。
「それではここで解散ということで」
「エッ?」
二度見された。
いちおう手配書を発布された身として笠を被り直す。似ていないのでとんと逮捕されるとも思えないけれど、いちおう。
「あなたが仰ったのでしょう。なんでしたっけ、里帰りリフレッシュ休暇?」
「エーッまじっすか! やったー! ヒカリ様付きに異動とか忙殺で殺されんだろなとか思ってましたぜんぜん天国じゃ~ん!」
「取り消しますか?」
「マジさーせん。本気で喜んでるのでやめてください」
このひと余計な一言二言が多すぎる。
中田さんがスキップして行くのを見送って、わたしは町の方へと足を向けた。また子さんとデートの予定を思い出したのだ。あいにく気に入りの訪問着はこの間の大立ち回りのせいで、完全におじゃんとなってしまった。鳳仙殿の件に引き続きである。呉服屋でいい感じの反物を探したい——さすがに、仕事上でしか関わりのない未婚の男性と、お着物選びは。ちょっとねえ。
絹地がいい。通年使えるのでパッと選ぶに楽だ。たとえば兄上は暗色に派手な柄ばかりを好まれるけれど、わたしは明るい色の方が好きだった。目に入って気分が一緒に明るくなる方がよいのです。パーッと全面きらびやかというわけではなく、淡い色、刺繍とか入ってるとうれしい……。
そうして絞っていくと、同じ地でも銀糸の椿と、金糸の桜、候補はふたつに並んだ。どちらにしようかな……。
「金がいいんじゃあないか」
わたしの横からひょいと手が伸びて、反物の刺繍を指した。
「華やかで、縁起もいい」
聞き慣れない声にわたしは目をまたたかせて、振り返る。さらと金髪を耳にかけた男に「あら」わたしは声をこぼした。
「どちら様です?」
「ん? かぶき町は初めてか?」
着流しに洋風ジャージとどこかチグハグな服装がいやにさまになる。このようなファッションセンスのひとが銀さんのほかにもいたとは。
「俺は坂田金時、万事屋をやっていてね」
「おやまあいよいよ銀さんに競合が」
「なんだアンタ、あいつを知ってんのか」
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Take2!
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絹地がいい。通年使えるのでパッと選ぶに楽だ。たとえば兄上は暗色に派手な柄ばかりを好まれるけれど、わたしは明るい色の方が好きだった。目に入って気分が一緒に明るくなる方がよいのです。パーッと全面きらびやかというわけではなく、淡い色、刺繍とか入ってるとうれしい……。
そうして絞っていくと、同じ地でも銀糸の椿と、金糸の桜、候補はふたつに並んだ。どちらにしようかな……。
「金がいいんじゃあないか」
わたしの横からひょいと手が伸びて、反物の刺繍を指した。
「華やかで、縁起もいい」
「その。……ごめんなさい、のどまで出かかっているんですけれども」
「かかりが悪いな」
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Take3!
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同じ地でも銀糸の椿と、金糸の桜、候補はふたつに並んだ。どちらにしようかな……。
「金がいいんじゃあないか」
わたしの横からひょいと手が伸びて、反物の刺繍を指した。
「華やかで、縁起もいい」
「ええと……そう、ですね、金さん?」
「そうそう」
金さん——かぶき町に万事屋を構える男は、わたしのことばに、どこか満足げに頷いた。
「イヤァしかし、おまえさん久しぶりなんだし、軒先でくらい笠外したらどうだ? かわいい顔が微塵も見えなきゃあ調子が狂う」
「……ん、ええと、金さんそれって本気で仰ってます?」
わたしは思わず眉をひそめる。わたしはあくまでも攘夷浪士で、加えて最近は指名手配まで為された。小太郎さんの存在で麻痺しつつあるのかもしれないけれど、ふつうはまともに外で顔を晒せるものでもない。
「本気であれば少し……ここ十年ほどの記憶でも落としてこられたのかしら」
「チューニングをもう少し加えた方がいいかねえ」
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Take4!
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——なにをしていた、のか。
わずかな意識の間隙に考える。
「金がいいんじゃあないか」
思考は散る。わたしの横からひょいと手が伸びて、反物の刺繍を指した。
「華やかで、縁起もいい」
耳馴染みのある声にわたしは目をまたたかせて、振り返る。さらと金髪を耳にかけた男に「あら」わたしは声をこぼした。
「金さん?」
「他に誰がいるって?」
金さん——かぶき町に万事屋を構える男は、わたしのことばに、ウィンクを返した。その手が伸びてわたしの笠を目深にかぶらせた。
「もう少しちゃんと被っときな。かわいい顔をみんなに見せびらかしてェのは山々だが」
「おやまあ……ずいぶんとお世辞がお上手になりましたね」
「いやいや本気にしてねえな? 金さん悲しくなっちまうよ」
やれやれと肩をすくめてみせる。相変わらず世渡りの上手い人だ。
「今日は着物を仕立てに来たのかい」
「お気に入りを汚してしまったので、すこし見に来たんです」
また子さんとのデートに血染めで行くわけもできない。——そう、当初の目的は、それだ。散漫な意識を掻き集め、散逸していた記憶を織り直す。
「今回はかぶき町にちょっかいをかけるつもりもなく、すぐに帰る予定ですよ」
「せっかく久々に会ったってのに」
金さんは眉尻を下げた。端正な顔立ちを悄然とさせてしまっていることには一縷の罪悪感が湧く。
「もう少し楽しんでいったらどうだ。バチも当たんねえさ」
「んーちなみにどちらが良いと仰いましたっけ」
「良い女ははぐらかすのが上手いね。桜の方さ、金色の」
傷のひとつもない指先が白地に編まれた見事な桜枝を示す。
「たしかに、こちらは華やかな印象があります。椿ではすこぉし……浪士には縁起も悪いものですし」
「そうそう」
「金髪の御方のお隣を歩くにもよさそうですね」
また子さんを思い浮かべていると「口説いてんのか? それも上手くなったな」金さんが茶化した。
「もう、昔から御冗談ばかりがお好きなんですから」
頭がきしむ。
「はいはい、悪かったよ。機嫌直してくれや」
わたしの髪に触れた指が、尾を辿ろうとすべる。髪紐にたどり着く前にわたしはひょいとてのひらで留めた。
「よくないですよ。誰彼かまわずそういう、気がある素振りをするの」
ご忠告通りに笠を深くかぶり直して、店員に礼を述べる。
「置いてくなよ」
金さんはわたしに駆け足で追いついてきた。少しバツが悪そうな表情でわたしをのぞき込む。
「怒らせちまったか?」
「いえ。よく考えると、かぶき町で買う必要がなく……なによりじつはわたし、手持ちがありませんでしたた」
ちょっと決まりのつかない気持ちでわたしは明かした。直近まで宇宙にいたものだから、通貨を両替してそのまんまだったのだ。
「なんだ、そんなこと」
金さんが気の抜けた声を上げた。
「俺が出してやったのに」
「わたしに出すお金があるならば、神楽さんにでもおあげなさい。あの子見かけるたびにほとんどいつも同じ服だわ。その点は新八さんもですけれども」
「心配かけて悪かったな、もうきちんと新調してやってるさ」
「それはそれは。用意周到にございますねえ」
小器用な男で、用意周到な男で、万事完璧な男だ。攘夷戦争自体には参戦しなかったわたしとて、金夜叉の噂は耳にしていた。八面六臂の活躍をした攘夷時代の英雄。策をけして違えず、仲間を見捨てず、劣勢を覆す勢いで猛進した——
頭がきしむ。
「……どうした?」
立ち止まったわたしに金さんが尋ねる。
「いえ」
わたしは首を横に振る。どうにも今日は頭痛がひどい。
けっきょく、かぶき町を象徴するアーチの前まで送ってもらってしまった。
「色男を拘束しただなんて、罪状がひとつ増えてしまいますね」
「そりゃあ俺の方に増えるだけさ。こんな美人の時間をもらっちまったんだ」
金さんはかろやかに笑って「っとそうだ、」懐から一枚の名刺を取り出した。わたしはぱちりとまばたきする。シンプルな名刺だ。【万事屋金ちゃん——】
「なにかあったら頼れよ。どこにだって、呼ばれりゃ駆けつける」
「……攘夷浪士ですよ」
わたしは名刺を受け取る。
「俺の後輩だ」
金さんはうそぶいた。
「はいはい、マ、話半分に聞いておきますね」
まったく調子いいんだから。ぼやきながらも名刺をしまうわたしに、金さんは愉快そうである。
「信じろよ。それともなんだ、俺が今まで、助けを求める声を取りこぼしたことがあったかい?」
「——
わたしは微笑んだ。
「それでは御暇いたしますね。またご縁がございましたら」
「元気でやれよ」
金さんはヒラヒラと手を振った。わたしはつとめていつも通りの足取りで、歩調で、速度で、かぶき町のアーチをくぐる。右向こうに曲がり角があり、ひとひとり身を潜められるだけの空間がある。そのことを知っている。
気配を探る。
つけてくる様子はない。
壁に手をつき、路地裏に身を潜め、わたしは——嘔吐した。
「ッぐ、」
胃酸で喉が焼ける。帰路で美味しいものでも食べようと考えていたから腹の底にはなにもなく、ただ臭気にじむ液体だけが地面にしたたって落ちる。脂汗が全身の肌からつたっていくようだった。
なんだあれは。
なんだあれは。
なんだ、あれは。
坂田金時、金夜叉、万事屋の金ちゃん、金さん、わたしの兄弟子、金さん金さん金さん——合っている、合っているはずだ、そのはずだ。兄上を吹き飛ばしただの一度も不敗で先生の授業を共に受けて雪合戦ではいい勝負をして夏には猛暑にやられる中ひとり元気で秋の夕暮れに鳴くスズムシの声の評論をし、
小器用でなんでもできて鬼のように強くてやけに気が回って誰からも歓声を浴びせられ誰のことをも救い出し太陽のごとくかがやく完全無欠のスーパーヒーロー。
〝俺が今まで、助けを求める声を取りこぼしたことがあったかい?〟
〝いいえ、一度も〟
背骨の裏を奇妙な怖気が繰り返し、波浪のごとく這い上がり、わたしを苛んだ。三半規管を混濁させ、嘔吐中枢を掻き乱す。
違う違う違う——なにが? なにがちがうというの? すべてが合っているすべてが噛み合っているあのひとはとっても正しくてまっすぐでどんな些細な兆候も見逃さず、
「……おかしい、おかしい、ぜったい……」
吐き戻した胃酸が膝に触れ、紬にしみ込むにもかまわず、わたしは地面に崩折れてうずくまった。
「完璧なら、そんなに完璧なら——」
手の甲で目尻に触れる。身体中の毛穴から脂汗が吹き出すようで、鼻は水を含んで、口から胃液まで吐き出したというのに、この期に及んで生理的な涙さえも出ない。乾いた表皮をただうわすべる。
額の汗をぬぐい直す。ぐっしょりと袖が濡れた。この短時間だけでいくらの水分が抜けたのか、別の理由か、わたしは虚脱感にあふれていた。呆然と言葉がこぼれる。
「わたしのこと、どうして、おいていったの……」
兄上を小太郎さんを説得して。連れて行って。連れて行ってくれなかった危険だからと捨て置いた。あなたもそうだった。そうでしたよね?
そもそもあなた、今までわたしを口説いたことなぞないでしょう。わたしが誰を好きで誰がわたしを好きなのか知っているでしょう。わたしの髪紐が誰のものかを知っているからあなたがこの薄藍に触れようとしたことなぞただの一度もなく、
「どうして」
ねえ覚えていますか。わたしはあなたの身内に手を出したのですよ。怒っていたでしょう。傷ついていたでしょう。次はないと言ったのは、ほかでもないあなたで、あなたでしかありえなくて。何事もなく? なんにもなかったように話しかけられて——
「なかったことにするなんて、ゆるさない……」
なかったことにするんですか? なかったことにされたんですか? 町ひとつ巻き込んだ抗争の引き金を引いたのは他ならぬ我々だとあなたは知ったはずだ!
そんな覚悟で——わたしは置いていかれたのですか?
……ちがう、ちがう、そんなひとじゃあなかった。器用に見せかけて不器用で、デリカシーはないくせに一線は引いて、ごうつくばって取りこぼして、必死にあがいても得られるものはほとんどなくて、それでも——それは誰?
……幻覚?
頭が痛い。頭がいたい。あたまがいたい。わたしはちいさく身体をたたむ。堅く均された地面を指でかく。爪に土塊が挟まって指の腹は石のかどで裂けた。えずくように声帯が鳴り、嘔吐反射がのどを開く。もうなんにも出ないのに。
「——ッチ」
首根っこを、無造作に掴まれた。
焦点の合わぬ視界で振り仰ごうとすれば即座に壁に押し付けられる。頬骨が木壁とぶつかって「ッ」にぶく音を立てた。痛覚は遠く、思考は分離していて、わたしは現状を俯瞰的に把握する。以前わたしが真選組の監察方に向けた暴力とほとんど同じ——顔の向きを固定されてしまえば下手人の顔はわからない。
「だ、ァ——」
開きかけた唇につめたい感触が押しつけられた。まるで皮膚の感触じみていたけれど、わたしが通常知るそれよりもずっと堅く、ずっと冷たく、さながらそれは死人じみていた。その表皮をぬるりと伝う液体に歯がすべる。唾液。ではなくて。胃液。でも、なくて。
鉄錆びた匂い。
……血?
顎をこじ開けられてのどが詰まり、先ほどとは別の意味でわたしはえずいた。そして別の意味で吐くものも吐けない。物理的に塞がれた喉奥を、液体がしたたり落ちていく。
「この血に宿る呪いが身を癒し、あるべきものへと修復し——我が身で希釈されていたとて、洗脳程度の上書きなぞ」
喉が上下する。嚥下反射であると知っている。
とたん、乱雑に地面に投げ捨てられて、受け身を取るには少し遅れた。跳ね起きんとするのはもはや本能だ、しかし——首筋に衝撃ひとつ。あっさりとわたしの意識は落ちる。
「完璧なれば、置いていかれなかった。そうだろう。そうだろうとも。——二度と、戯言を、ほざくな。松陽の弟子」
憎悪のこもった声を聞く。
➤
「……あのね」
「嫌です無理です」
「そんなこと言わないで」
「ヤほんと嫌です。勘弁してくだせえ。いくら姉上の頼みだろうと嫌なもんは嫌で無理なもんは無理です」
「そーちゃん」
「無茶言わねえでくだせェよ」
「……そうね。我儘だったわね、私……」
「……」
「十四郎さんに頼んでくる」
「ハーイチクショーわっかりやしたークッソせっかくの非番が姉上とのお出かけがトンチキ大道芸泥棒猫のせいで台無しとかウワこいつクッサ! ゲロった!? ハ!? 俺の服今ゲロついた!?」
「女の子に臭いなんて言わないのよ」
「イヤこれそういう次元じゃねえでしょ。ってかこいつ本当、遭遇するたびになんつうかすべてが変だな……姉上、アンタは残念がるでしょうが運ぶ先はさすがに自宅とはいかねえよ」
「お見舞いとかできる?」
「あのほんと無茶言わねえでくだせえ。頼んますから」
➤
視界が回って巡ってサイケデリック・トンカチで中身を割り出そうとするタイプの頭痛・ところでここはどこでわたしは誰?
「——は?」
待ってください、わたしが自己喪失する理屈はどこにもありませんよね?
初対面でズケズケと他人様の記憶を踏み荒らして継ぎ接いで平然とした顔で接してきた方が百悪いのでは?
「あの金鍍金外患誘致よりも大罪をしでかしておきながらなにのうのうとしていらっしゃるのありえない信じられない一㎜間隔で膾切りにして差し上げるべきでしょうか」
「あっ起き……なにが何でナニ? と、とりあえず副長と局長呼んできます」
「外患誘致はてめえだろィ。つか寝起きに寝言喋るにしても流暢過ぎて気味悪ィや」
「そんなに意地悪なこと言わないの」
「姉上、ダチに甘いのも大概にしてくだせェ。コイツの罪状は意地悪の域軽々超えてンでさァ」
……水浴びをした直後のごとく、全身に多量の汗をかいていることに気づいた。わたしはなんとなく片手を挙げる。春雨から帰る際に着用した紬——ではない。ごくシンプルな白い浴衣だ。
「おはよう。お久しぶりね。前とは反対かも」
わたしを覗き込む色素の薄い顔立ち。
「ミツバさん……」
呆然とつぶやいたわたしに、ミツバさんは安堵した様子で微笑んだ。
「……環境音を彩る愉快な仲間たちにたいへん嫌な予感がするのですが……」
「誰が環境音だよオイ」
畳に立てかけた刀を苛立たしげに鳴らすあなたの話をしています。刃毀れしませんか?
そもそも、わたしがもう片方の手を挙げなかった理由は明白だ。手錠を介して柱に繋がれているので、動かしようがない。また手錠が出てきている時点でもう嫌な予感がする。そもそもそれを言い出すと、この姉弟と遭遇している時点でというのもあるし、先程別の聞き覚えのある声もしましたねという所感でもある。
「仲良しね」
このひと肺だけでなく視力聴力にも異常があったのかしら。病院にかかってくださいませんか。
「路地裏に倒れていたの。覚えてる? 体調が悪いのに無理しちゃあだめよ」
「あなたが言いますか」
「私だから言うのよ」
それは、たしかに。
ところでわたしは人目につかないよう、路地裏でもかなり奥まったところまで入り込んだはずだけど——血に類似したなにかを飲ませるだけ飲ませて、わたしを突き飛ばしたあの男。おそらくあのとき、わたしは出口の方まで吹っ飛んだのだ。だから意識を失っているところを見つかってしまった。……あのひとなんだったんでしょうね。
どこのどなたか存じませんし、所業は四捨五入通り魔だったけれど、おかげさまで今はずいぶん頭がしゃっきりしている。はりぼての金鍍金はもちろん、三回も上書きされてほぼ同じ行動をとらされたことにも若干の苛立ちを感じる程度には。それにしても親切な通り魔でしたね。淑女に狼藉を働いた件と差し引き、いずれ再会したあかつきには、お礼にきれいに斬り殺して差し上げねば。声しかわからないけれど。
さて。
私怨を募らせている場合でもない。
「……ミツバさん」
「なあに」
「以前入院中に激辛せんべいを土産に届けに来たという大馬鹿者ですが、屋号は万事屋銀ちゃんで合ってます?」
ミツバさんは目をまたたかせた。
「銀? ……万事屋なら、金さんの話?」
わたしは目を瞑った。
これっていったいぜんたいどういう理屈でなにがどこまで進行しているのやら。
「金さん?」
一方で番犬:一番隊隊長殿は訝しげに言った。
「万事屋の旦那の話ならそりゃ銀じゃねえですか? 屋号なんざ覚えてねえけど、あの名前に髪で金だったらお笑い草でさあ。どんだけ銀髪天パがコンプレックスだ」
「え? お名前? 坂田金時に銀の要素ってあったかしら……」
「そりゃ元ネタの方でしょう」
「もとねた……」
「メタな話は脇に置くとして……姉弟間でも差分が出るのですね。なるほど」
果たして基準はなんでしょう。金鍍金との遭遇か、かぶき町に近寄ったことか……少なくともわたしは間違いなく前者だ。かぶき町に足を踏み入れるだけがトリガーでもなさそう。あるいは金鍍金の言い分を振り返るに、一度かぶき町ごと洗脳してからちまちま取りこぼしを編纂している最中なのか——
「てめえ姉上になにしやがった」
わたしが思案しているのを他所にこちら、回答から抜刀、刀を喉元に突きつけるまでの速度が速い。判断力が早くてよいことですね。刀を向ける相手を間違えていなければよりよかったのですが、とはいえこれはわたしの日頃の行いというものにございましょう。困った顔で「そーちゃん」とたしなめているミツバさんが異常である。このひと危機感どこに捨ててきたんですか。捨てた危機感は弟さんが拾いになられたんですか。そうですか。
「あいにくと今回はわたしも被害者です。でなければ路地裏で気絶してポンコツ警察御一行に捕まるなどといった間抜けは晒しません」
「っぱこいつ聴取とか取らねえでサクッと斬首でよくねえか? なあ近藤さん」
「土方クソヤローにしちゃ良いこと言いますねィ。俺も大賛成でさァ」
「さすがに見廻組との件が終わって早々それはチョット……隠蔽しきれないから……」
ご覧ください、こちら順に、私情による斬首刑を敢行しようとする警察、明らかに倫理と法に反している提案に賛同する警察、選択肢に隠蔽がある前提でお話する警察にございます。まったく素敵でいらっしゃる。さながらわたしのお仲間のよう。
またぞろ包帯巻いてる副長殿は置いといて、それにしても噂の局長殿、本当にゴリラに似ていらっしゃるのですね。
「本当に毎度なんでこんなに強気な態度取れるんだ……?」
こちらはfeat.困惑の監察方。
「むしろ敵と相対した際に媚びへつらって得られるものになにがあると? 命あっての物種とは所詮、命以外のすべてを失ったことがない者こそが口にする言葉です。尊厳を失うくらいならば縊り殺される方がましにございましょう」
「攘夷浪士でもそこまで覚悟ガン決まってるやつは珍しいよ」
「単にコイツが異常に喧嘩っ早いだけだろ」
「わたしの沸点は兄上よりは高い方ですが……」
「逆にアンタより沸点低い高杉は何、キレ杉くんなの? だから過激派テロリストなんてやってんの?」
かつての村塾時代、兄上に対して銀さんがそのように煽ったことを思い出しますね。当然乱闘まで発展したものだから、迅速にわたしは避難して、小太郎さんが仲裁するのを他所に密告し〝先生〟に揃って拳骨を落とされていた。日常茶飯の出来事。
……。
銀さん、である。
間違っても、金さんでは、なく。
ミツバさんをちらりと見ると「……あら?」この間、彼女は首をひねって考えていらっしゃった。この空気で?
「そうね、私たしかあなたと恋バナしたとき……」
「攘夷浪士と恋バナマジすか? さ、さすが沖田隊長の姉御……」
「おいザキ、俺さすがにテロリストと恋バナしたことはねえからな」
「若白髪天パは好みじゃないって話を……していたものね? 金さんは金髪ストレートで、いえあなたの好みは黒髪ロングもだからどちらにせよ好みではないでしょうけれども……若白髪とは言えないわね」
……余計なことを。
「黒髪ロングストレー……ン? アレ? あれあれ?」
脳筋武装警察って、どうしてこんなときばかり察しが良いのでしょう。
「記憶飛ばしていただくことって可能ですか? それともわたしが死ねばよろしいのですか?」
言いながらもわたしは身を起こし、下敷きにしていたシーツの端を無造作に裂くと「首括る縄を作ろうとするのやめようね~油断も隙もないな。手元のもの全部武器にする気?」羽交い締めにされ、その間に布団はさっさと片付けられた。かくなる上は浴衣を裂くしかない。
「ヒカリさん」
「……」
「ごめんなさい。記憶を飛ばしていただけるように私からお願いしますから、やめましょうね」
「そうはならなくない?」
「ちなみにわたしにはミツバさん側の恋バナがきちんと貫通しているので報復ついでにどこぞのどなたかを巻き込むことができます」
「わかったわかったつつかねえよつつきません勘弁してマジで」
「クソッあんちくしょうの醜態より身内の恋愛事情知りたくねえ気持ちがギリ勝つ」
冷汗かいて全面降伏する鬼の副長殿、歯ぎしりして悔しがる一番隊隊長殿を横目に「まあ……恋愛にはいろいろあるからな」局長殿がしみじみと仰った。「ソッスネ」山崎さんがなぜだか死んだ目で相槌を打った。
「いやウン、記憶飛ばしたことにして……それで、若白髪天パ? 万事屋だよな。それこそつい今朝方、退院前にわざわざお節介かけてきたばっかだぜ」
副長殿がひらひらと〝バラガキより〟と記された紙飛行機を振る。こちらも認識汚染は受けていないようだ。
「……今かぶき町に向かえば、なかなか面白いものが見られますよ」
わたしは投げやりに言った。
「もっとも、皆様の趣味が良ければ、の話です。わたしは悪趣味なのでたいへん不愉快でしたとも——全員で向かうのは止めるべきでしょうね。二、三人で順々に、がよろしいかと」
顔を見合わせる真選組の方々をよそに、わたしはどのようにここから脱出すべきかを真剣に考えていた。タイムリミットは幕府に護送されるまで——それか本件、兄上に気取られるまで。さすがに真選組屯所に捕縛されたとあっては、わたしはお叱りを免れられない。
「……そういえばわたしの着物ってどうなりました?」
「ええと……少し汚れていたから、お洗濯に回していただいたわ」
「……ごめんなさい」
素直に謝罪するわたしをミツバさんは微笑ましいものを見るように眺めた。