【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

14 / 49
14

前略:

 強制リアル脱出ゲームRTA同時並行金魂篇攻略(※with真選組)

 

   ➤

 

「【WANTED! この男を見つけ次第連絡されたし】」

 手錠つきでも手配書は手に取れるし読める。

「【補記。この若白髪天パ野郎は俺たちの大切な仲間・たまを傷つけ、俺の棒まで奪い去った犯人だ。見かけたらすぐにでも知らせてくれ。金さんが絶対に仇を討つ。】」

 裏っかわまで朗読したわたしがちらりと銀さんを見れば、木刀を握って荒みきった目をしていた。

「今日一日——」

 銀さんが言った。

「あのヤローは、他人の立場かっぱらったにしちゃよくやってると思ったんだよ。仲間思いで仕事もよくできて俺がいねえ間の仲間を守ってくれた。俺がいるより上手く回ってるくらいだ」

 副長殿が死ぬほど苦々しい顔で、相変わらず火のついていない煙草を咥えている。午後はほとんど付き合わされていたわけだし、銀さんの状況自体は見ていたはず。

 ……まァ、否定はしない、という立場であろう。そしてそれすなわち等号に肯定、という話でもない。

「思い出せねえってンならそりゃしょうがねえかもしれねえなと血迷っちまいそうなくらいだったよ。……オイ。俺はまァ、今じゃ単なる不審者だろうよ。だがこいつはバアさんとこの看板娘だ。いくら俺についたってそンでも今まであいつらと一緒にバカやってたバカ仲間だよそれを——」

 みしと軋む音とともに、木刀を中心に、板張りの床に亀裂が入った。

「……あなたはもう少し自分事の時点でも怒るべきでしょうね」

「うるせェ他人事不良娘」

「お黙りひん曲がり天パさん」

「あんたらコントしねえと喋れねえんすか」

 監察方のツッコミにも若干覇気がない。

 わたしは腕組みを……手錠に阻まれてできなかったので、膝をたたんで、たまさんのお顔を眺めた。まぶたは降りていて、割れた頬がそのままでなければ、人間が眠っているようにも見えるだろう。平賀さんは真剣な顔つきでパチパチと電流の走る基盤をのぞき込んでいる。完全に停止させるといよいよデータが吹き飛びかねないのだとか。

「チェンジリングとは外つ国の伝承ですけれども……万事屋の看板と人生をいただく代わりに仲間殺しの汚名をプレゼント、とはずいぶん粋にございますね。攘夷浪士にもなかなか見られない逸材だこと」

 ここに兄上がいらっしゃったらば、ひとしきり爆笑してから刀を抜いただろうに。もったいないことである。わたしは全力で隠蔽せねばなりませんので実現しない話です。はい解散。

「……仲間は捨てちゃアなんねえ。あいつは一線を越えた」

 銀さんがつぶやく。紅く目がひかっている。

「ウチのやつ預けらんねえよ。任せられねえよ。俺ァそら、ぐーたらろくでなしのプー太郎で微塵もパーフェクトでもねえよ、だがなァ……だからこそ、てめーが助けられてきた仲間、折ったら終ェなンだよ」

 道場の出入口を大犬は窮屈そうにくぐり抜けて、定春さんは銀さんの顔を舐めた。そのままあぐあぐと咀嚼していくので「ちょい待ち定春定春クンこれ死ぬ死ぬ死ぬ銀さん死んじゃう洒落になンねって!」隊長格が何人かで「せーの!」でこじ開けて引き剥がした。

 しまらないひと。

「今日は道場開けとくよ。まさか不審者扱いで指名手配されてる奴が、真選組(ウチ)に駆け込んでるとも思わねえだろ……ついでに隊士の稽古見てくんない?」

「今ちっと無理」

「マ、そのツラだしな」

 ついでに血まみれですものね。

「ただまァ、うちは揃いも揃って芋侍、耐久だけならピカイチだ。ちょうどいいサンドバッグにもなんだろ」

 局長殿の台詞に背後ではブーイングが湧き起こる。威勢だけはいいBGMですね。

「明日決着つけるつもりだろ。だったら、余計な血の気は抜いた方がいい。しっかり休めるようにして、休んで、それから万全で叩きのめせ」

「……泣きっ面晒しても知らねえぞ」

 銀さんはゴリゴリと後頭部をかくと、木刀を肩に担いで、立ち上がった。

「埃とか諸々、吹っ飛んでこねえように衝立作るか」

 ハーどっこらせと言いながら一番隊隊長殿が立ち上がる。わたしは平賀さんの手元の隙間からつくりを眺めていた。レジスタに使われている金属が何世代ぶんか古い。製造年月はそこそこ経過しているとみられる。

「……視線がうるせえな」

 平賀さんが喋った。謝る前に「そんなに気になんなら手伝えや」と顎で示す。視線はたまさんの患部を捉えたままだ。

「よろしいのですか」

「見れるクチだろ。どこ見てんのかでわかる」

「江戸一番の絡繰技師さまには程遠いものの、そうですねえ」

 紅桜製造の手綱を握るにあたって(あんまり、握れてなかったけれど)必要な知識は叩き込んでいる。実際にいじったこともある。完全に同じ要領とまではいかずとも、ある程度似通っていると見ていい。

「ジーさん気ィつけてくだせェよ、そいつ現役攘夷浪士なんで。うっかり唆されたら今度こそお手々が後ろに回りやすからねィ。怪しいことしてねーかはきちんと見張ってっからな?」

「そうですよお、さながらわたしの如く手錠を掛けられてしまいます」

「てめーはその相槌でいいんか?」

 持ってきた衝立の上で両手を重ねて一番隊隊長は半眼になった。

「真選組が重罪人の攘夷浪士即時送検せずに拘留していることこそ異常なので、なんとも」

「意識消失してる奴送検すんのって手続き面倒くせェんでさ。途中で死なねえ保証のために病院に話つけて俺たちの責任じゃねえことも証明つけてあとなんちゃらこうちゃら。目ェ覚ますまで待ってからのが大概楽なんでェ」

 そして今は記憶混濁・認識汚染・洗脳の使い手がいらっしゃるので、大罪人の逮捕なんて厄介事をすすめるのは諸々解決してからにしたい、と。

「……一時の手間をサボった挙句、より厄介になっている現状について感想はいかがでしょう?」

「うっせばーーーか」

 子どもの悪態である。

「もうあんな花火はやんねえよ。俺ァこの嬢ちゃんの兄貴の甘言一回乗ったときに心底懲りててな」

 平賀さんの返答は素っ気ないものだった。

「手配書は似てねえが、じかにツラ見ると、確かにてめえらは兄妹だ」

「自覚はありますよ」

 わたしと兄上の顔立ちはそこそこ似ている方である。そしてわたしの手配書は、あのまま放置しておくか差し替えを希望するか思案したい程度には、そもそもわたしに似ていない。あれ意味あるんですかね。

「また悪巧みしてんのか。俺みてーなジジイをけしかけるのはいい加減、よしとけよ」

「それはまあ、企業秘密、カミングスーン、乞うご期待、というものですね」

 露骨に誤魔化すと、平賀さんは心底嫌そうに嘆息した。彼の手際はきわめて優れており、鼓動の震えさえも統制し、一ミクロンもぶれやしない。高性能アンドロイドの修理は手術に似ている。

「あの野郎。俺としちゃもう二度と会うのもごめんだが……三郎の話はありゃあ、デタラメか?」

「……あなたがたの会話まではわたしは完全には把握しておりませんが、平賀三郎さんのお話に関しては真実だったものかと。兄上は大言壮語が大得意な大法螺吹きにして詭弁主義者にございますが、かつての隊士を引き合いに出してまで嘘をつくことは、嫌います。それに絡繰に精通していた隊士のことはわたしも別件でお聞きしました」

 それこそ紅桜の件、結果的にお力添えいただいたのは一般スカウトの村田さんだった。〝三郎が生きていたら任せたかもな〟とは計画当時の兄上のお言葉である。言及はその一言だけだった。兄上が自らの過去について、わたしの前で語ることはほとんどない——わたしたちがお互いに知らぬ過日については、等価交換にある。

「部下の死を悼み、惜しんでいたことも事実でしょう。その上でけしかけたことも、いくらかは善意でしょう。諦めて飲み込んで死んでいくくらいならば、一通り暴れてからにすべきであると」

 ケーブルを繋ぎ、コマンドを叩いてメモリの破損率を確認する。平賀さんの表情を眺めて「もちろん」と、わたしは付け加えた。

「大部分は確実に悪意ですので、お気になさらず」

「ケッ」

 踏み絵だなんだと言ってほぼほぼ無関係の他人様の復讐心を煽る行為は、十割悪意に見えるし、実際九割は悪意だ。一割未満はたぶん本当に悼んでいたけれど、一割未満でしかないのも事実だと思う。まるで無辜の犠牲を見て見ぬふり、などではない。見ていながらも考慮しない。把握していながら換算しない。我々は正しく悪党だ。犯罪者にして加害者にして人殺し。

 数多のものを踏みにじり、屍がつくる道程の半ば。結末にはいまだ届かない。犠牲を惜しむ時間をも惜しい。

「そこ違ェ。直列にしろ」

「……珍しい組み方ですね。これでは発熱しやすくなりませんか」

「開発者の手癖だよ。俺だってもっと良い組み方あんだろとは思ってっけどな、外すと思考モジュールが謎にカクつく」

「なるほど」

 たまにある事象だ。メモリ計算あたりでバッファを占拠してしまうのだろうか。

 たまさんの瞼は下りたままだ。唇の端に付着したままだったオイルを布でぬぐう。独創的な設計。古いものでは十何年も前の部品をもとに稼働している様子。

「……もとは身内の二十四時間介護目的、だとか……?」

 これは独り言だったが「……なんでそう思う?」と平賀さんが尋ねた。

「機械の見目を人間に近づけるのは多くの場合は非効率的でしょう。人間じみた思考回路とリアルタイム応答の実装なぞなおさら」

 AIは資源を食うのだ。電力はどうにかして賄うにしても、計算能力はハードウェアの性能に委ねられ、それを作るにも貴金属と加工技術が必要になり、加えてこれらは時間経過で劣化する。人型に収まる程度にコンパクトにした上で長時間安定稼働となると、天人の技術が伝来した現在でもなかなか無茶に分類される。たまさんも現に、本件以前からあちこちバグっては修繕されている形跡が見られる。

 たまさんの外見はそれこそ人間とほとんど遜色ない。不気味の谷現象を超越した美人さん。ラブドール目的かと一瞬勘ぐったけれど、だとすればあれほどまでに高度な応答機能および自律思考機能は端から不要である。江戸一番の絡繰技師でもなければ直せないと大言叩いただけあって、一瞥だけでもわかるほど、かなり複雑な設計だ。一度稼働させてしまえばほぼ全自動自律で半永久的に動き続けるけれど、それまでの開発コストおよび今後のメンテナンスコストは馬鹿にならない。加えて内部パーツの様子を見るに、たまさんは十数年前に設計・開発されたと推察できる。天人がもたらした技術はまだまだ普及したて、我が国での理解もそこまで進んでいたわけでもない。工場建設もろくに進んでおらず、あったとて供給は天人や幕府が優先された。パーツを手に入れるにもほぼほぼを輸入に頼る他ない。コストはさらに跳ね上がる。当時の貨幣価値も換算して、人間を雇う方が何十倍も安上がりだっただろう。

 そうはしなかった。できなかった。要因は数多に思いつくとして——最たる可能性としては、他人が信用できなかった。他人に任せられる相手ではなかった。そのあたりになる。

 精巧に作られた外観デザイン、流暢な対話システム。〝メイド〟とはケアをする者としての側面が強く、しかしそぐわぬ戦闘モジュールの存在——警備を兼ねた介護ロボット、がもっとも妥当な線。だと思う。それもコスト度外視のオーダーメイド品……いくら金を積まれたとて受けない開発者は多いだろう。正直、今の時代ならばまだしも、十数年前の我が国ならば、要人たっての頼みでもそうそう採用されやしない。

「開発者自身の、近しい人、親しい人、そのためにイチから設計されて生み出されたのであれば、個人的には得心できます」

 あるいは祈りと言い換えられる。

 かもしれない。

「そして、そのように見えるというだけです。すなわち部外者の感想ですね」

 平賀さんはわたしの感想に特に相槌を打つこともなく、わたしもまた、黙々と作業に集中した。

 ……。

 …………。

「……さん、ヒカリさん」

 肩に触れられかけ——咄嗟に両手ごとドライバーを振ると「あッマズ」「ッぶねえな」マイナスドライバーは空振って、わたしの視線の先では副長殿が庇うようにミツバさんの肩を引いていた。一番隊隊長も腰を上げていて、双方ドン引きの目でわたしを見ている。

 はい。

 やらかしましたね。

「全方位ヤマアラシか???」

「ヤマアラシほどの可愛げねーっしょ普通に危ねえや姉上に当たってたらどうしてくれんだ」

「いえあの……申し訳ありません」

 わたしが悪いですねこれは。

「ご、ごめんなさい。いったん皆さん夜番の方と交代するってお話を伝えるだけのつもりで……」

 ミツバさんもさすがに戸惑っていらっしゃる。

「もう少し大きな声で呼ぶべきだったわ」

「……その、集中していると音では気づけないので、距離を取れる物体だとかで叩いていただけません? 刀とか」

「並の奴がやると強奪されるか流血沙汰かの二択だからやめとけよ〜」

「うるさいですよ〜」

 真選組隊士を死屍累々、と転がした銀さんが、わたしの肩越しに、平賀さんの作業とたまさん修復の様相を覗き込んだ。

「……直ンの」

「直す」

 平賀さんは即答した。ついでわたしに一瞥を向ける。本当に一瞥、すぐに視線は戻ったけれど、わたしは今日初めて平賀さんにまともに見られた。

「コイツ女にしちゃ筋が良いな。思ってたよか早く事が運びそうだ」

「ア、今の男女差別ですよおじいさま。今どき流行遅れです」

「言ってろ言ってろ」

「……今回はサボってねえよな総悟」

「ひっで〜信用ねえの。コイツら最初以外ろくに会話してねェですぜ。ずーっとだんまり、だってのになァんでこんな気安くなってんのかこっちが不思議でさァ」

 肩越しに覗き込んでいた銀さんがそのまま体重をかけてくるので「重たい……」わたしは呻いた。

「それに汗臭い……」

「加齢臭じゃなきゃセーフ」

「今から加齢臭は生活習慣から見直すべきですよ?」

「てか今日ずっと思ってたけどおまえなんかいつにも増して甘ったれの地ィ出てね。そんなにあいつが嫌だったか、それとも、他になんかあったか?」

 わたしはちょっと黙った。

 フンと銀さんが鼻息を吐く。

「わかりやすいったらありゃしねえ」

「……あなたがわかりづらいだけでは?」

「へえへえ」

「……。話を戻しますが」

「どーぞォ」

「おそらくこの点はわたしよりも平賀さんの方がお詳しいのですが……たまさん、致命的な破損はありません」

 体重はそのままかけられ続けている。

「そうだな。コア部分は破損しちゃねえよ。だから思(﹅)っ(﹅)て(﹅)た(﹅)よ(﹅)か(﹅)早く事が運びそうだ、ってことだ」

 平賀さんは頷いた。

「そりゃ、良いことだな?」

 転がっていた隊士たちを脇に寄せ終えたらしく、局長殿までこちらにやってきた。稽古に混じっていたせいで暑かったのか、上半身剥いている。……全裸でなくてなによりです。

 さて、良いこと。まァ。ウーン。

「修理の進捗自体は、たしかに、想定よりは早く終わりそうですね」

 わたしは同意を示してみせた。

「ひとまず一旦休みだ。これ以上は頭が回ンねえ……おいカツ丼出せカツ丼、ここ屯所だろ。腹減っちゃ戦もできねえんだ」

「ヤもうこの時間は食堂やってねえよ」

「なら作れ! ホラホラ早く」

「このジジイ、お望み通りムショぶち込んでやろうか……」

 火のついていない煙草が折れて駄目になること、本日、そろそろ五本目。

 そういえばお昼と夜を食べ逃がしたな、とわたしは気づいてしまった。餓死にはほど遠いけれど、お腹はしょうじき、けっこう空いている。激辛せんべい数枚では小腹を満たす程度にしかならない。

 銀さんはまだわたしに寄りかかったままである。

「……歯切れ悪くなかったか」

 顎が脳天に当たっているので、頭蓋骨ごと直接振動した。

「……思うに論点は、金鍍金が手加減をしたのか、という点に絞られるかと存じます。偶然あなたが間に合ったので、破損が思ったよりも手軽に済んだ……それだけならば、僥倖。問題は故(﹅)意(﹅)に(﹅)加(﹅)減(﹅)し(﹅)た(﹅)場合」

 ドライバーを工具箱に戻す。これで手錠が壊せないか試してみたかったのだけれど、下手にドライバーをおしゃかにすればたまさんの修理に支障が出かねない。……なにより今銀さんに急所を取られているので難しい。

「そして故意だとすれば……何故加減したか、ですね。あのひと単体で既にかぶき町の支配自体はわりと達成しかけているので、少しでも戦力に、という理由ではありません。つまり……ほとぼりが冷めた頃、直せる範囲に加減した可能性があります」

「人情ゆえに……とかいう話がしたいわけでも、なさそうだな」

「壊しても直せばいい。洗脳が解けてもまた洗脳すればいい。似ているとは、思いませんか」

 わたしは平坦に言った。

 銀さんの応えはない。

「そのとき、製造終了した入手困難なパーツが含まれていて完全な修理ができない可能性だとか、洗脳とは致命的にそぐわない過去を無遠慮に掘り起こしてしまう危険性だとか、そもそも身内を害して己を殺しにかかってきた人間を信用する・しないを選択する自由意志だとか——機械も、人間も、その間に結ばれる関係も、完全に元通りにできるとは到底言い難い場合がございます。そういうことに、たぶん、考えついていらっしゃらない。考えついていたとして、価値を認識していない」

 時間は不可逆である。時間遡行の技術は現状の天人の発展した技術でもまだ取り扱えないものであり、我々の知る世界でこれが万一実現する場合、オーパーツやオーバーテクノロジーの一種に値する。少なくとも、わたしはお目にかかったことがない。よほどの天才が超高性能演算機能と異色の発想を積み重ねてようやく実現の芽があるか否か。

 そのぐらい——じつのところ軽々とは補填できないものが山程あることを、彼は、真には理解していない。代替が利くものだと認識している。それはある種、かの金鍍金がどこまでいっても銀さんの理想・一時的な代用品・事が済めばいずれは不用の道具として造られた所以にあるのやもしれない。

「よくはねえな」

「そうですね。よくは、ありません」

 ところで我が兄弟子にはわたしの頭は顎置きではないことから教え込むべきなのでしょうか。

 

   ➤

 

「お着物すっかり乾いたから。こちらに置いておくわね」

「……あなた本当に、なんと申しますか、全攘夷浪士にそのような態度をとるおつもりで?」

「取らないわよ。他の攘夷浪士の方々とはお友達ではないもの」

「さすがに他にも攘夷浪士のお友達作っていらっしゃった場合、わたしでもふつうに引きます」

「だから末永く仲良くしてね、私のたったひとりのお友達」

「やーん我ながらトンデモ事故物件と、あなた末永くもお友達でいらっしゃるつもりですか? 余命短しと諦めていたひとと同一人物とは思えませんね」

「安心したでしょう?」

「なんの話だか。マ、我々の計画が順当に成就して、江戸転覆して末永くもなにもなくなってしまうかもしれませんけれど」

「あら? それはないわ」

「あの本気で危機感がゼロなんですか?」

「もう、違うわよ。——江戸には錦の旗が掲げられているもの」

「……」

「そーちゃんも、近藤さんも、十四郎さんも、皆々様も。とっても手強いのよ。なかなか思い通りにはならないから、壊しきれなかったのでしょう?」

「……なめられてます?」

「ふふ」

 

「野郎の喘ぎ声ほど聞くに耐えねえモンはそうはねえが、野郎の照れ顔ほど見るに耐えねえモンもそうはねえな」

「うるせえよ元万事屋」

「照れ隠しにしても元万事屋はオーバーキルじゃないですかねえ!?」

 

   ➤

 

 わたしの特技はいくつかある。大道芸、ではないけれどちょっと変なことができたり。どこでもわりとサクッと寝られたり。体内時計がほとんど狂わなかったり。常にちゃんと食欲があったり。いずれもわりとだいじなことだ、身体の基礎が成り立っていることは生存に直結する。

「朝からカツ丼ン? アホだろこの組織」

「ンなら食うな!!!」

 宙を舞ったカツ丼をカツの一切れから米粒のひとつに至るまで空中で落とさず余さずきれいに受け止めて(手錠つきでもこれくらいはできる)「ではわたしにください」わたしは銀さんの目を見てはっきり言った。

「全部食べます」

「えっ一応あんたのぶんも用意してるけど」

「そちらもありがたくちょうだいします」

「食い意地張ってんなこの女……」

 彼らが薬を入れるならば既に昨日の牛乳や水に入れているだろう。いくら牛乳で薬は吸収率が悪いといっても、激辛せんべいで舌がバカになっていたときがもっとも狙い目だった。人道や倫理というものなのか、単に彼らには薬学知識がないのかは、わたしには判別しがたい。おそらく後者。

「は? 食わねえとは言ってねえだろオラ返せよ」

「わかりました。では半分ください」

「なにさも譲歩したみたいなツラして提案してんの? 末っ子仕草にも限度があンだろ」

「今から床に落とし直しましょうか?」

「四分の一」

「三分の一」

「七分の二」

「刻まないでください! 六分の二」

「オイ通分で誤魔化してんじゃねえ八分の二」

「鏡をお貸ししましょうか九分の三」

「……やっぱりアンタら仲良しなの?」

「違ェわ」

「違います」

 昔であれば早々に折れて半分くださいましたからね。

 置いていかれる前の話です。

「はい回収〜」

「あ゙」

 銀さんはわたしの手錠ごと両腕を雑に引き上げて、カツ丼は見事掻っ攫われた。「返してください」「元からおまえンじゃねェんですぅ」揶揄いをこめてまるでわざとらしく高く伸びた声は、直後、わたしにしか聞こえないくらい低く這った。

「気ぃ遣うな。そろそろ腹立つ」

 わたしは目を細める。

「であればさっさとお帰りになることですね。いつにも増して元気なくってあなたとっても可哀想」

「抜かせ甘ったれ」

 パッ、と手を離されたタイミングで「ところで……」と、ミツバさんが仰った。さすがに彼女の胃腸は朝からカツ丼には耐えきれないのか、精進料理じみた簡素な朝餉が用意されている。

「ヒカリさん、手錠をかけたままでお箸は大丈夫?」

 わたしは首をかしげてから、利き手で箸を持ち、ひょいとカツ丼からコメをつまんでみせた。

「このとおりです」

「マ曲芸師だしな……」

「なあその曲芸師とか大道芸人ってなんなんだ?」

 そういえば局長殿、伊東さんの件でも吉原の件でもじかにお顔を合わせなかったので、わたしの立ち回りをご覧になってはいないのですよね。……伊東さんの件はともかく、吉原のときはそもそもいらっしゃったのかしら?

「ハッ、まさか鬼兵隊のかせぎは大道芸の興行収入から……!?」

「大道芸程度でそこまで稼げるのであれば、巷の大道芸人は億万長者かと存じますが……いえ大道芸人でも曲芸師でもないのですけれど」

 しいて言えばわたしは芸妓です。

「ちなみに、もしも支障があった場合は外していただけたのですか?」

「匙って知ってるか?」

「存じております」

 ですよねー、と、わたしは悟った顔で相槌を打った。

「ごっそさん。食器はここ放置でいいのか」

「ああまあ構わね……え? もう食ったのか?」

 平賀さんは我々のコントの合間にガガガッとカツ丼を食べ尽くし、道場へ戻っていった。リクエストしただけありますね。

「……こうしてるとまァじで脳がバグりそうっすね。なんだこのメンツ」

 平賀さんはさっさとたまさん修理に戻ったものの、まだ食事に手を付けていない者も多い。おかげで食堂に集うメンバーは昨日とほとんど同じ・しいていえば、定春さんもまた山盛りのドッグフードを前に目を煌めかせているくらい。

 監察方のしみじみとしたコメントに「現実を直視させんな」副長殿が呻いた。

「隠居済みカッコ仮はともかく、現在進行形確定大罪人なんざさっさと送検してェのは山々なんだよ」

「だってよヒカリちゃん」

「すみません、よくわかりません」

「カスのSiri」

 賑やか珍道中により、ノロノロとした進みながら、ごはんも各自の腹に収まっていった。カツも最後の一切れまで食べて、ごちそうさまでした、手を合わせてから、わたしはふと食堂——の向こうを見た。

「……」

「……フェレンゲルシュターデン現象?」

「猫ですかわたしは。……なんだか、騒がしくありませんか」

 屯所の全体図は伊東さんの件の際に一度見たきりだけれど、記憶している。建築物の配置はそうそう変わらないはずだ。方角的に、表の方。

 全員が箸を置いた。

 定春さんは大皿を最後にぺろりとひと舐めして、同じように表の方を見た。

「見てきまーす……」

 監察方がそっと立ち上がり、食堂の出入口を音もなく開けて出ていった。

 すぐに戻ってきた。

「なんかめっちゃ人います。てかたぶん全員かぶき町から来てる」

「万事屋匿ったのバレたなこりゃ」

「ああそういや爺さんの荷物運ぶ時に車使ったんでしたっけ。ならバレるや」

 銀さんが顔をしかめた。

『こちらかぶき町のマダオ、いや違ェや長谷川! 投降しろぉ、金さんのパチモン! 貴様は包囲されている!』

「パチモンのパチモン呼ばわりしてンのシュールだな」

「てかあいつらもしかして真選組屯所(ウチ)を立てこもり犯のアジト扱いしてる?」

「まァ洗脳前提で情報を並べるとそうなるんじゃねッスか……釈然としねえけど……」

 これに関しては同感だ。なにかおかしいと思わないのかしら。

 屯所の雨戸の隙間から視線を走らせると、若干「ン……?」みたいな顔をされている人がちらほら。さすがになにかおかしいと思うらしい。客観的に見て、ヘンですからね。立てこもるにしてもよりによって武装警察のお膝元を選択するなんて、だいぶん妙なチョイスでしょう。

『真選組もなに考えてやがるー! てめえらが匿っているのは犯罪者だー!』

  >>>そうだそうだー!<<<

『たまさんを傷つけ、金さんの金さんを奪ったとんでもねえ野郎だー!』

  >>>血も涙もねえ凶悪犯だー!<<<

『それを匿うなんぞ共犯も同然だー!』

  >>>同罪! 同罪!<<<

『普段から役に立たねえチンピラ警察がーッ!』

  >>>税金泥棒ーッ!<<<

「悪口の主体が途中からズレてね?」

「とりあえず全員斬ってくるか」

 言いたい放題の長谷川さん(マダオ……とは? あだ名?)および皆様の合いの手に、副長殿が据わった目でかぶき町の皆様を睨んだ。音もなく引き抜かれた真剣を構えている。

「死にかけりゃ目も覚めんだろ」

「副長がニコチン切れすぎて沸点が常温ンなってる」

 煙草およそ半箱駄目にしているだけあるようで。

「トシ〜大丈夫だ落ち着けアンタは我慢できる子だって母ちゃん知ってんだから」

「局長唐突に謎の母親の自我出してくるッスよね」

「行けーっ土方! やっちまえー! やらかして懲戒ンなれば副長の座は俺のモン」

「懲戒以前に、さすがに無差別大量殺戮犯を輩出した時点で真選組自体が取り潰しかと愚考いたしますが」

「土方さん。お気持ちはよくわかりやすが、ここはぐっと抑えてくだせェ」

 一番隊隊長殿はまるで優しく諭した。先程の発言は幻聴として処理するおつもりのようだ。

「やめろおまえら」

 鶴の一声——とは、よく言ったものだけれど。

 人垣をかき分けた金鍍金は、まるで現状を心底から憂いているかのように眉を下げてみせた。

「俺ァ無関係な人間巻き込みたくねえよ。履き違えてくれるな、たまを壊して俺の玉を破壊した極悪人はあくまでも坂田銀時ただ一人」

 黒の着流しを半分剥ぐような着用方法、その下には白いジャージ。片腕を着流しに突っ込んで、腰には木刀を提げている。初回はろくに観察する気分でもなかったけれど、なるほど、これで天然パーマだったらいよいよただの色違いというほどそっくりな容姿である。

「なにより、確かに真選組は破天荒だけどな。一本筋の通った野郎どもだ。そんなヤツらが理由(ワケ)もなく味方するとも思えねえ。たとえば誰か人質に取られているだとか」

 真選組側、なに言ってんだコイツの顔がちらほらと数名。

「洗脳されているだとか」

 真選組側、それはオマエのやり口だったのでは? の顔がちらほらと十数名。

 ぐるぐると唸り続ける定春さんの毛並みを宥めるように撫でて、銀さんは呆気なく、ひょいと物陰から躍り出た。昨日とは打って変わって、眼差しは静謐に、ただ真っ直ぐに偽物のきらめきを見据えた。

「おいテメエ——新八と神楽はどうした?」

「なあ、そうだろ?」

 金鍍金のてのひらが伸びる。到底届かぬ距離だ。真選組屯所の門を跨いですらいない。

 

   バチッ!

 

   ➤

 

 Take■■■!

 

   ➤

 

 ——意識の間隙。

「っどァ!?」

 木刀と真剣がぶつかり合い、剣戟を響かせる。木材と金属が打ち合ったにしてはあまりにも高く、大きな音だった——背後からの攻撃に俊敏に反応した■■■はそれでもかすかに呻いた。

 真選組一番槍、一番隊隊長の剣は鋭く重い。

「てんめッにすんだ総三クン!?」

「気安く呼ぶな」

 鋭く端的な発言。

 ■■■がかすかに息を呑み、木刀を握り直す。

「沖(﹅)田(﹅)ミ(﹅)ツ(﹅)バ(﹅)を人質に取られた真選組は、業腹ながら、犯罪者に従わざるを得なかった」

 金さんが指を鳴らす。不敵な笑みを浮かべて彼は、隣の女性を示した。気を失っている様子の彼女を抱えているのは、眼鏡に忍装束の女性——そのようなお知り合いもいらっしゃるのですね。

「安心しろよ。ミツバさんは俺の仲間がちゃあんと助けた——さあ野郎ども、反撃の時だ! かかれ!」

「ッあ゙ークソッチートだろマジでよォ!?」

 打ち払われた剣とともに隊長殿は大きく後退し、代わるように隊士たちが斬りかかる。「攫われたたまもいるかもしれねえ。捜してきてくれ」「相分かった。任せなんし」金さんの耳打ちに月詠さんが頷いた。

「お妙さんを取られた恨み!!!」

「取ってねえよンなゴリラ女ぁ!? 取ってたとしてテメエのじゃねえだろ!」

「問答無ッ、ん? 確かに取られたのは金さんにか? アレ?」

 首をひねった局長殿が「……アレ?」刀を半端に振りかざしたまま、もう一度首をひねる。その間に一振りで隊士たちは薙ぎ払われた。

 しかしさらに一閃走る。副長殿だ。■■■は息つく暇もない。

「ッンなに大事ならなんでフッたんすかねえてめえはよ……!」

「誰が人質に取られようが、犯罪者は逮捕されるべきだろうな」

「にしちゃあタマ取りに来る軌道でしたけどぉ!?」

「うるせえ隠居詐欺——」

 副長殿が一瞬、眉をひそめる。オン! と爆音が吠えて定春さんが刀を噛み砕き、■■■をさらっていった。

「生ぬりぃぞ土方。旦那はもっと本気でいかねえと殺せね、」

 一番隊隊長の言葉が詰まる。奇妙な戸惑いをやり過ごして刀を握り、立てこもり犯こと■■■に押っ取り刀で立ち向かう。かぶき町民たちも一致団結して、見事な大多数、対、一。

 真選組はもはや誰も、道端に落ちていただけの攘夷浪士など気にしてもいない。わたしは手拭いを手に取り、立ち上がった。手枷はあれども足枷はない。この足は自由に動く。

「ミツバさん」

 抱きとめられたミツバさんは、よく見ると、肩を上下させてうすく呼吸をしていた。手首に指先で触れる。十五秒に脈拍は三十回。たまに飛ぶ。頻脈かつ不整脈気味だが、今すぐに病院に搬送、というほどではない。一般的には、休めていればよくなる部類だ。

「あなた、ミツバと知り合い? 気絶しているだけみたいよ」

 忍装束の女性がわたしを見やる。手配書が似ていないせいで、顔を晒しているのに攘夷浪士とまるで気づかれていないようだ。

 金さんがわたしを見て眉をひそめた。

「なんだヒカリ、まだいたのか? ……もしかして、銀時(アイツ)に捕まってたのか? 本当に極悪非道な男だ」

   バチッ

 こめかみに頭痛を感じながら「まァいろいろと」わたしはつぶやいた。

「……ヒカリ?」

 人混みの中から声が聞こえたような気がした。

「それよりも……金さん」

「ん? どうし——おっと」

 すとんと足を踏み出して、首から抱きつくように、彼の襟元に手を伸ばす。

 すかさずブーツを短く刈った。

「ッ金さん逃げて!」

「敵をこんなに近づけて」

 力を込める必要もない。慣性はふだん我々にあまりにも近しく、ゆえにこそしばしば忘れ去られる。合金製? そうですね。しかし人間は自分よりも重たいものを持ち上げる方法をいくつも編み出していて、護身術にも適用される。

 なにより彼は慢心していた。

 まったくもって慢心していた。

 首に回した手錠の鎖で絞め上げる。ギャリギャリと金属同士が擦れて不快な音が響き渡る。

「ずいぶん無防備でいらっしゃいますねえ」

 忍装束の女性は一瞬早く気づいていたけれど、しかしミツバさんを放り出すわけにもいかないようだった。やさしい人みたいで、よかったです。

「すこし警戒が足らないのでは?」

「て、め……ッ」

「へえこれでもわたし全力で締め上げているのですが、まるで跡もつかないんですね。あなたってば人間じゃあないみたい!」

 わたしはけらけらと笑った。だって人間ではございませんものね!

「き、金さんに何しやがるこの女!」

「ああ皆様、どうか近づかないでいただけます?」

 手錠で首を絞め上げたまま、真選組でお借りしたままだったお箸を金さんの眼球に突きつける。

「ご存知ですか、眼窩や鼻腔って脳とつながっておりまして。しかしわたし、古代の外つ国よろしく木乃伊を作るプロでもないのです。うっかり手が滑って抉り出してしまったとして、多少無作法になってもお許しくださるならば構いませんが」

 ロボットに人間同様の内臓はない——しかし論点は、彼らが本気で金さんを慕っていて、金さんがいくら人外離れした所業を成そうが、彼を人間だと思い込んでいることだった。

 当たり前ですよね。あなたがそっくりそのまま取って代わった人は、人間なんだもの。血を流して戦ってきてそれでも数多に取りこぼしてきた人だもの。

「それはそれとして……あなたってどのあたりが急所かしら。身体は発電機? あるいは燃料タンク? 片一方の腕は洗脳機能を搭載しているようですし、手足は歩いたり精密な作業に使わせたいから、あんまり大きな機能を置きづらいですよねえ。だったら順当に、頭?」

 バチバチと右手がひかる。こめかみに、強く脈打つように痛みが走る。わたしは絞め上げる力をまるで緩めない。

「き——効いてないのか?」

「効いてますよ? もー先程から頭も痛くて吐き気もしますしあなたのことをどう頑張っても金さんとしか認識できません。変な気分です。慰謝料をいただきたく存じますね」

 非常に奇妙なことに、金さんを金(﹅)さ(﹅)ん(﹅)として認識しながら、わたしは白髪の男を■■■(銀さん)だとしっかり理解している。

 それに、万一■■■(銀さん)との記憶が偽物だったとして。あのひとが金さんに成り代わらんと目論み、たまさんを襲撃し、ミツバさんを人質に真選組を脅して言うことを聞かせていた極悪非道な人間だとして。

「しかしそのような話は、まったくもって、些細なことです」

 であれば、そ(﹅)れ(﹅)は(﹅)そ(﹅)れ(﹅)で(﹅)。

 

「たとい、もしもあなたが本物で、とっても完璧な御人であるなれば——我々があなたの身柄を売り飛ばし、地球の敵と手を組んで、身内へ害をなしたことすら忘れ去ってなかったこととしてなんのしがらみもなくかつてのごとく仲良くできると仰るならば」

 わたしは囁いた。

 

「そのような不義理な御方、死んでしまった方が生き恥を晒さずに済みますよ」

 

 太陽が遮られる。こうこうと輝く熱源がたったひとりと一匹に塞がれて、シルエットだけを我々に落とす。

 寸分たがわず降ってきた刀の鋒が、手錠の鎖ごと、金さんの首を深々と刺し貫いた。ケラチン製の人工皮膚を突き破り、合金を打ち砕く。バキリと手錠もついでに、呆気なく破壊された。

「アッやべえ解き放っちまった」

 銀さんがつぶやいた。

 一瞬わざとかと勘ぐりましたが、表情を見ても明らかに意図してなかったお顔ですね。

「あら本当に極悪犯罪者に成り下がるおつもりですか? 第一志望はわたしの部下?」

「キラッキラの笑顔なんだよなあすっかりグレちまった末っ子がよォ! オマエ本気にしてねえかもだけど俺マジで許してねーからな!?」

 応える代わりにわたしは深く微笑んだ。「どういう意図ォ!?」兄弟子はわめいた。

 金属とて一度ひび割れてしまえば壊すのはかんたんだ。くるりと捻って生首を取り外す。バチバチと音立てて銅線が火花を散らす。

「おい、待て、待て待てテメエら、早まってんじゃあねえよ」

「すっかり持ち運びやすくなりましたね」

「生首見てその感想って、高杉はマジでどういう教育してんの——」

   ブンッ!

 大きく振るわれたコンクリート柱をふたりで飛び退いて躱す。いつの間にかそばの電線が引きちぎれていて、地面が大きく抉れていた。電柱を引き抜いたのだろう。かまっ娘倶楽部店長西郷——西郷特盛。我々の大先輩。

「金さんになにしやがるテメエら……と、言ってやろうとしたんだけど」

 電柱を避けられたのは、わたしが西郷さんよりもつよいから——と、いうわけでもない。明らかに、白褌の西郷にしてはキレのない振りだった。

 西郷さんの横にお登勢さんが進み出て、わたしの腕の中に抱えられた金鍍金の頭部をじっと見た。火花のほかに、ぼたぼたと付け根からは油が漏れている。

「おかしいね。あたしゃ、機械でも食えるような饅頭を供えた覚えはないよ」

 さすがに——いくら洗脳されていようが、生首だけで喋る人間はいないことくらいは、理解できるらしい。それとも首だけになった今、洗脳の効果も然程ないのかしら。

「たまを見つけた! 加えて朗報じゃ、もうたまはほとんど修理されておる」

 屯所の中から飛び出した月詠さんおよび百華の一群が足を止める。

「……しかし、其奴が真選組を占拠していたというならば、どうしてたまが直されるところを、まったく止めなかったのであろうな」

 たまさんを見つけさせて、改めて壊すか、それともモジュールを書き換えてたまさんの記録をも消すか。ともあれ、都合の良いように記憶を改変するつもりだったのだろう。

 もはや間に合いはしない。

 疑念の眼差しが彼に集まっている。

「——俺を壊すつもりか?」

 金さんは仰った。半端に唇が歪んだ顔は、笑みのようにも、怯えのようにも見えた。

「だとすれば……悪手だぜ。俺は決戦前に、ある条件下で発動するプログラムを自分に仕込んできた。かぶき町を覆うほどの強大な催眠波爆発を伴った自爆——発動すればこの街、すべての記憶がゼロに戻る」

「……おい、」

「条件は二つあったが——ひとつはもう満ちた。俺の身体(ハード)は、間もなく壊れるだろうさ」

 わたしが抱えた頭部はピピッバチッバチバチッとけたたましく、金さんの声にもノイズが走る。勝ち誇ったようにも、自棄っぱちのようにも聞こえた。

「もうひとつも種をまいていたが……もう、説明する必要もねえだろ。オマエが主人公の物語はここで終わる」

 銀さんの動作は、いつもより少しばかり、のろい。真選組とかぶき町民を両方相手取って、反撃を封じるハンデもあった。疲労して当たり前だ。

 咄嗟のごとく伸びた腕をひょいと躱して、ついで屯所の塀を駆け上がって屋根まで登り(降りてこい! 怒声が飛んでくる。兄弟子ってばこわぁい)わたしは金さんのお顔を両手で持ち直し、覗き込んだ。

「ちなみにあなた、もしかして、わたしのことをこの期に及んでご存知ではございませんね?」

 金さんは笑おうとして、失敗したようだ。

「知らねえな、誰だアンタ。四十巻以上大して出てこねえモブキャラかと思いや、攘夷浪士、加えてアイツに妙に馴れ馴れしいと来た。変にキャラも立たせやがって」

 よくわからない話は置いといて。

「であればわたしが何(﹅)に携わっていたのかも、当然ご存知ないのでしょうねえ」

 くるりと回して首根っこを覗き込み、わたしは躊躇なく、火花散る頭部に素手を突っ込んだ。バチバチと感電じみた痛みが走る。……痛いだけだ。痛いだけ、でしかない。あとは指先が焦げているくらい。ボルト電圧に肉の器が焼き切れる気配もない。

 〝この血に宿る呪いが身を癒し、あるべきものへと修復し——我が身で希釈されていたとて、洗脳程度の上書きなぞ〟

 ……わたしはいったい、なにを飲まされたのかしらね。

「改めまして、姓は高杉、名をヒカリと申します。諱は本来持たないので割愛しましょう。普段は攘夷浪士をしておりまして、つい近年はある一大プロジェクトに携わっておりました。人(﹅)工(﹅)知(﹅)能(﹅)と(﹅)深(﹅)層(﹅)学(﹅)習(﹅)を(﹅)用(﹅)い(﹅)た(﹅)武(﹅)器(﹅)の(﹅)製(﹅)造(﹅)——」

 すなわち、紅桜。

「ご存知かもしれませんが、人間の思考回路と記憶構造って、深層学習とも似ているのですよ」

「……だ、としても俺ァ、源外の発明だ」

 わたしがなにを弄くっているのか察したのか、金さんの声は半ば震えていた。高性能な思考回路と複雑な合成音声機能を搭載されている。

「あのジジイは天才だ。そんじょそこらのやつが一度見ただけでわかるものか」

「たまさんの修理の手際はとても素晴らしかったですねえ。わたし少し協力いたしまして、筋がいいと褒めていただきました。ちょっとうれしかったかも」

「——やめろ!」

「ねえ、金さん」

 いよいよ剥がれかけの金鍍金に、わたしはあくまでもやわらかに声をかけた。

「命を懸ければどうにかできると思いましたか。うまくやれば見てもらえると思いましたか。捨てないでいただけると思いましたか。そんなことはございませんよ」

 天人の技術に加えて源外さんの発想力は素晴らしい。こちらのパネルを叩くとホログラムが展開されて、ソフトウェアまで弄れるようになっている。コンピュータプログラムは所詮は文字列の羅列と電気信号の組み合わせだ。ゼロとイチだけの低級言語を読み解けるならば、組み替えることは容易い。

「この世は因果応報とはいかず、勧善懲悪ともなりません。善は面白半分に手折られて、悪はよりひどい悪に踏み躙られるだけに過ぎません」

 要するに彼のいう自爆とは、指向性のあるエネルギー放出だ。X線であれば人間の中身を覗けるし、催眠波なら人間の脳に影響を及ぼすこともできるし、特に何事もなくWi-Fiのように利便なだけということもあるだろう。

 ちょこっとだけ入れ替えればいい。

「もちろん、もし間に合わずともお気になさらず」

 立ち止まっていると取り返されかねない。彼らが仲間内で争いあって疲弊した一方、たっぷり眠ってたっぷり食べて、今日のわたしはとっても元気だった。ひょいひょいと建物を登って降りて跳んでいく。

「記憶を失ったわたしであればあのひとたちとも仲良くできるかもしれません。さながらあなたが体現しようとした幻想の如く」

「……爆発物処理が間に合わなきゃ、全部、てめえで受け止める気か? 廃人になるぞ。下手をすりゃあ、死ぬ」

「その方がよろしいかもしれませんね。なにも考えないで済むというのは、誰かにとっては、あまりに理想的なものですよ」

 わたしはかつて、夢物語というものがけっこう好きだった。みんな幸せだからだ。不幸せなよりは幸せな方が良いに決まっていたからだ。

 今でも嫌いではない。縁遠いだけである。

 

   ➤

 

 白無垢は己と違ってまったく穢れてもいなかった。綿で頬を膨らませて肉がついたように見せかける。紅が頬を、唇を彩る。己の趣味ではまるでなかったけれど——かつていただいた紅は焼け跡をいくら探しても見つからなかったのを思い出す——多少見られた顔にはなったのだろう。

 新郎と眼差しが合えば、彼の頬が染まった。素直な人だと他人事のように考えた。素直な人だ。兄の代替に据えられたにしてはあまりにも。新婦として据えられた女が、なにをされてきたのか理解していない。知らされてもいないのだろう。父が果たして、なにをどこまで明かしていたのか。新婦親族席に当然のようにいる顔を眺める。なにを考えていたのかはまるで読めなかった。

 婚礼の儀は粛々と進んだ。高杉はそれなりの武家であり、このご時世であるから、出席者も多くは刀を携えていた。高杉の分家と縁者で固めていたから、ステータスとして(すなわち、まだ刀を取り上げられていない家格であると示す象徴として)誇示しているだけで、実際、刀を振るうことはまるで考えていなかったのだと思う。

 

 ましてや盗まれることも。

 傷つけられることも。

 ——それを成すのが、まるでかんたんに手折れそうな白無垢姿の女であったことも。

 

 瓦版を見せられてからは大人しくしていた。まるで無気力のように見えていたのかもしれない。実際当時のわたしは、無気力でこそあった。どのような仕打ちもどうでもよかった。過去は無価値である。過日は無意味である。瞬に過ぎ去って記憶からもやがて薄れていく。あの日々はすでに遠い。かつての春は焼け落ちた屋敷で幕を閉じた。

 肉を裂いた。

 真剣は重く、弱った身には尚更だったはずだ。あまり覚えていない。体重ごと振り回すように、身に任せて振るう癖はいまに始まったことではない。

 骨を断った。

 どうでもよかったのにどうしてこのような振る舞いをしているのか、不意に考える。飼い殺されたところでなんの不都合もないのだ。置き去りにしてしまった心からはとうに遠く離れている。郷愁を抱くには身を切りすぎてしまった。

 落つる首が椿なれば、首なき身体は曼珠沙華。都々逸にも微妙に外れている、と、思ったことは覚えている。歌の才能はございません。

 油断している人間がやりやすかった。新郎はたとえば、やりやすい方だった。参列している親族には、女や、まだ小さな子どももいた。やりやすかったので、まあいいかと全部斬り裂いた。男どもも刀を持っていると若干面倒だったけれど、その程度だった。彼らはあくまでもお稽古としての刀しか振るったことがなく、たとえば、子どもの頃の兄上であっても多少まともに打ち合えたと思われる。〝先生〟と、兄上と、小太郎さんと、銀さんと、そういう人たちに揉まれていたわたしにとってはまるで児戯だった。

 あたりはもはや血の海だった。こういうの昔ホラー映画で観ましたね、と、他人事みたいに思った。〝先生〟がどこからか、八㎜フィルムと映写機を手に入れてきたのだ。古臭いと文句を垂れる銀さんを押し通してみんなで観た。殺人鬼が死体を大量生産して、最後に雑な呪いで全員殺して締めくくるタイプのB級映画だった。観たあとは銀さんだけでなくみんなで文句を垂れたし、それはそれとしてしばらくトイレは連れ立った。怖かったので。

 自分で作るとあんまり怖くはないものだった。

 血の海になるくらいで、浸った裾を持ち上げると赤くしたたるくらいで、そのくらいにはすでに人を殺していた。その他には虫の息が数人と、そこまでではないけれど深手が何人かと、あと逃げ惑ってまだ軽傷で済んでいる人間が片手の指の数より少なかった。そのぐらいにしか人はのこっていなかった。

 血まみれになった白無垢の袖で雑に刀をぬぐって、くるりと振り返れば、手近なところに尻もちをついたまま震えている女がいた。ざっくり既に斬られていたけれど致命傷という状態ではなかった。

 殺しておかなきゃなあと刀を振るったのだ。

 女は抵抗のすべも知らぬのか、ただ、目をつむった。

「……あら」

 と、声をこぼしたのは己で、女はいまだ、生きていた。

「あら。あらあら——父上ったら」

 女を突き飛ばすように割り入った人がいた。父である。胸を抑えてぜいぜいと息を繰り返していた。女の首を捉えるように振るった刀は、首こそ刎ねなかったが、その胸元を真一文字に裂いていた。

「あなた!」

 ぐるりと首をひねるように視線を向ける。突き飛ばされた女は、父に駆け寄った女は、よく見れば、母であった。

「あらまあ」

 ついつい、己は——わたしは、笑ってしまった。

「父上、貴殿にも人情というものがございましたので」

 自分の命がいちばんだいじ、自分の家がいちばんだいじ——ということでも、なかったらしい。どうやら。

 わたしは兄上の予備を期待して作られた(そして、女だったので失敗!)子どもだった。わたしという失敗作に、次男三男次女三女と続かなかったのは、母上が産後の肥立ちがあまりよくなくて、すっかり回復した頃には子をもうけるには難しい年齢だったからだと聞いている。

 けれどそういえば、わたしの生家、高杉は武家である。妻の二人や三人、愛人の三人や四人、余分に持っていたっておかしくなかったはずだ。てっきり諸々の政治情勢だとかに起因するのだと思って、今まで気にしていなかったけれど。

 明確に——私情に基づく、理由があった?

「庇うほどに大切でしたか」

 一歩寄る。

 父上は——手傷を負っておきながら——はっきりと、腕を伸ばして母上をなおも背後に庇った。なんだか愉快で仕方がない。吐息の合間に笑い声をこぼす。

「殺されたくはございませんか。あなたが用意した跡継息子は、すでに息もないというのに。とうにお年を召した女ひとりを」

「親に向かって何たる口を利いている」

 深手を負いながら眼光は未だ揺るがない。

「手塩をかけて育てられておいておまえは——」

「そのような解釈もございますかね。あいにくと、わたしとは意見が異なるようですが……」

 頬がなんだか濡れて、熱を持っていた。多量の汗か、返り血のせいかもしれない。無理に身体を動かしたせいで熱がこもっていることもあるだろう。

 視界がぼやけ、ゆがみ、わたしはすこしだけ目をつむる。目元が特に熱かった。久方ぶりに周りをよく見たせいだろう。ゆっくりと目を開けても景色は大して変わらない。眼精疲労ですかね。

 袖で頬をぬぐう。先程拭った血と混じって伸びた。透明な液体。やはり汗だろうか。

「高杉の血。そうですか。そうですね。あなたがこだわる〝血〟が真実のところそ(﹅)れ(﹅)であれば、それは、わたしか兄上かのどちらかでしょう」

 父と母の子は二人しかいない。

 たったふたりしか。

 だから執拗に聞いたのか。だから——兄上は瓦版を最後に消息を絶った。このひとにとって、もはや候補はひとりしかいなかったのか。あらまあ。本当、知りませんでしたね。

 それで。

 それで?

 それで、それだけ?

 わたしたったそれだけのためにあんな。

「なんていうか。心底、気持ち悪いですね。貴殿って」

 母上はたぶん、なにも知らなかったのだろう。わたしが連れ戻された経緯も今までわたしの身柄が別荘に置かれていた理由も今しがた刀を振るった理由も皆殺しとばかりに斬殺して惨殺して虐殺した理由のなにもかも。

 彼女は、わたしを、理解できぬものでも見るように、恐怖した目つきで見ていた。

「ひとごろし……」

 こぼれた言葉を聞いた。

「そうですね」

 頷いた瞬間、わたしは、背後から床に叩きつけられた。ごくわずかな生き残りが、わたしの隙をうかがっていたようだ。彼らもまた手傷を負っていて、これまた恐れ慄くような顔つきなので、わたしは嘆息して目を閉じた。

 喋っていなければまとめて殺せたのはわかっていた。なぜ悠長に喋っていたのか、すぐに殺さなかったのかというと。

 ……なぜでしょうね。

 疲れていたからだと思います。

 

   ➤

 

「たぶんこれでいい……はずです。タブンネ」

 チカッチカッチカッ、と、生首が点滅。爆発する気配はない。

 頭部を転がして金さんをまた真正面から眺めると——彼は、わたしをじっと見つめ返した。そこに先程までの怯えはなぜか跡形もなく消えていて、かといって敵意もなかった。

「……おま、え、は」

「はい?」

「……。あれは、がんせい、ひろうじゃ」

 チカチカとまた奇妙な点滅だけして、金さんは目を閉じて、動かなくなった。

 停止した絡繰を前にして、とりあえず生まれてから今までを脳内劇場でざっとおさらいしてみる。奇妙につぎはぎされた感覚もなく、捏造で補っている様子もない。たぶん記憶は消えてないだろう。細部はどなたかとでもすり合わせなければわかりませんけれど。

 わたしはしばらく手の中の生首を眺めていた。……ところで、眼精疲労がなんですって? 突然なに? 文脈を無視してお話するのもいい加減にしていただけません? 四十巻という謎の巻数といい、まるでわからない話をするのが趣味なのかも。

 とりあえずは迷宮入り。もう二度と会う予定もなく——ぽーん、と、特に未練もなく投げた頭部は、狙い通り、わたしを地面から追っかけていた銀さんの手中に収まった。

「無力化しました」

「……おまえテロリスト辞める気ねえの」

「ありませんね」

「しっかりムショぶち込まれて罪償ってから爆弾処理班スペシャリスト」

「まるで興味を持てないキャリアプランですね」

 そもそも大量殺人犯とか教唆犯とか外患誘致とか、わたしの罪状諸々勘案すると死刑直行だと思いますよ。

「煮るなり焼くなり償わせるなり、好きにすればよろしいのでは」

 心底どうでもよさそうな声が出た自覚はあった。

 実際、心底興味がない。金さんについては、あくまでも自爆プログラムしか弄っていないので、その他諸々健在だ。なんなら洗脳機能も健在だ。無効化した自爆プログラムすらも、出力を入力に切り替えて周波数いくらか適当に変えただけなので、なにが出るかはドッキドキだった。うっかりヘンな幻覚とか見せてたらごめんなさいね。たとえばそう、ピンクのシマウマとか。

 ミツバさんの方を見遣る。忍装束のお姉さんから副長殿が預かって、様子を見ているようだった。ならいいか。

「わたしはもう帰りますもの。どうぞ皆様お気をつけて——」

「よォ攘夷浪士」

 ガチャンとバズーカを構える音。

 アイマスクを頭の上に引っ掛けたままの一番隊隊長殿が、わたしを真っ直ぐに捉えている。

「逃げられると思ってんのか」

 ふつうに逃がしてほしい……かな……。

 しかし現在、わたしは刀も持っていないので逸らす方法がない。じりとわたしが後退する——姿勢をとったが速いか「名付けてストレス発散砲!」「最悪!?」撃鉄を引く指に手がかかっ。

「よっ」

 前触れもなく、背後から足を払われた。

「ワ!?」

 無様にすっ転んだわたしの頭上をバズーカ砲が吹っ飛んで、あらぬ方向に着弾した。体勢を立て直す暇もないまま、襟を掴まれて屋根から引きずり降ろされる。

「攘夷志士たるもの爆弾くらいは持っておくべきだ」

「攘夷浪士です」

「攘夷志士」

「この話続けますか、小太郎さん」

 小太郎さんはわたしを立たせると、少し埃を払ってから「はいこっち」わたしの手をとった。大人しく手を引かれるままについていく。爆弾に限らず、今は武器がない。箸は銀さんの木刀を叩きつけられたときに手錠ごと折れてしまいました。

「……というか持っていたとて、今回はどうにせよ、真選組に取り上げられてましたよ」

 拗ねた心地でぼやく。

「やはり捕まっていたのか。不埒なことなどされなかったか」

「まあ不埒なことをされている被害者は他にいらっしゃるようですが、わたしはなんとも」

 ストーカー被害は本当に可哀想だと思います。

 喧騒はすでに遠く、入り組んだ細い路地を小太郎さんは知っている様子ですいすいと征く。わたしは少し目を細めて眺めた。久しぶりに彼の背中を見た——かつてよりも大きく見える。手を繋いで手を引いてもらったあの頃はすでに遠い。

「そういえば銀さんがあなたに忘れられたと恨み言仰ってましたよ」

「ウぐ」

「今は思い出してます?」

 小太郎さんの表情は後ろからでは見えないけれど、露骨に肩が跳ねて、ちょっとわたしの手を握り直した。

「……金時に抱きついただろう」

「え? はい」

「あいつはどこにあんな……距離の近い……危うい未亡人を隠していたのかと……」

「は?」

「ごほん!」

 まるでわたしごと忘れ去っていたような口振りである。真選組屯所目の前なことを差し引いても、声をかけられなかったのは不思議だった——本当に忘れていたのかしら。金さんがわたしを知らなかったことに由来するのでしょうか。

「男にあんまり抱きつかないの!」

「あれは必要コストですよ。わたし普段そんなにはしたなくはありません」

「抱きつくとまではいかずとも、おまえはけっこう、距離感近いからな。高杉の悪影響やもしれん」

「手を離しますか?」

「ウーンもうちょっと」

 歩くたびに髪の尾が左右に揺れている。振り子のごとく規則正しい。歩幅も歩調も一定だからだ。小太郎さんはそういうところが几帳面な人で、加えて、今はわたしに合わせたペースを意識しているとわかる。

「どこへ連れて行かれるのです」

「昨夜、おまえの身柄奪還の協力を伏して頼まれてな。其奴のところだ。俺は一度は断ったのだが……食い下がってきた」

「……どなたです?」

 わたしが真選組に確保されたことを知っている人間は早々いなかった。人気のない路地裏で回収されて、そこから今まで屯所から出る機会はなかったからだ。なんなら回収されたこと自体、昨日起きたばかりの話だ。

 訝しむ気持ちを隠しきれずに尋ねると、しばらく沈黙が流れた。なんですか、この空気は。

「……そういえば名前を聞いていない!」

「……罠でしたらまずあなたを盾にしますからね」

「だ、大丈夫だ。たぶん。ウソをついている目ではなかった」

「たぶん……」

 果たして。

「ったくアンタはトラブル起こさねえと気がすまねえんすかヒカリ様!? マジでおれ運ばれてるの見て肝潰れるかと思ったんすけどなんで休暇中に仕事より死にそうな思いしなくちゃなんねえんでしょうね!?」

 中田さんでした。

「……中田さんあなたは一度里帰りなさったはずでは……?」

「おれの生家は江戸市中!!!」

 なるほど。

 キャンキャンと叱られているわたしに小太郎さんは満足した様子で「もうあまり彷徨かないように」と穏やかに仰った。

「高杉の指示で壊しに来たならば、俺も刀を抜かねばならん。攘夷党の長として、名ばかりの頭領でもないのでな」

「……破壊は、わたしの意思でもありますよ」

「知っている。そうでなければ今ごろ攫って返さん」

 鷹揚な態度である。鷹揚な態度にまるで不釣り合いな単語が聞こえた気もした。気だけではないのは知っている。

 中田さんはじとっとした眼差しを、今度は小太郎さんに向けた。

「ヒカリ様の奪還、ありがとうございます。け・ど! うちの総督の妹御なので、うちの幹部なので、あんまり馴れ馴れしくしねえでください!」

「あ、燃えてきた」

「ハ!?」

「解説しますとその人寝取り癖がありまして」

「やはりこう……壁は高い方がリビドーがアガる!」

「ち、近寄らねェでください半径五m以内立ち入り禁止」

 勝手にぶち上がった小太郎さんに、中田さんが混乱した顔で「え?」わたしを振り返った。こちらを見られても困るかもしれません。わたしもこのひとのこういうところは意味わからないなあと思っているクチです。

「この人も意味不明ですけど、なんでアンタこの人とふつうに手ェ繋いできたの? おれさっきはけっこう目を疑ったんすけど今の疑いはさっきの比じゃない」

「ンー……」

 すみませんね、我々の周囲って基本的に変な人しかいなかったので……。

「白夜叉のがマシでは?」

「ウーン……」

「おい、悩むな。そこは即答しなさい」

「しいて選ぶとすれば兄上ですかねえ……」

「む、それはよくない、即刻認識を改めるべきだ。高杉ほど引っかかってはいけない男もそうはいないからな」

 どんぐりが背比べしていらっしゃいますねえ。

 中田さんはずいぶん疲弊しきった顔で「もー帰りますよ」わたしを手招きした。

「……ところでアンタ、履物どこにやったんですか」

「真選組に取られたままですねえ」

「アジトに女物のひとつやふたつあったはず……」

「ギャーもう不審者から物の貸し借りしてもらわねェでください!?」

「不審者!?」

 小太郎さんがびっくりした顔をしている。

 ほぼほぼ同意見だけれど、助けてもらった分際でこの言い草は、ちょっとなかなか厚顔なんですよね。

「わかりました! おれの姉貴の古い草履持ってきますサイズ合うやつあるでしょ!」

「あら……ありがたいのですが、勝手にお借りしてよろしいのですか」

「まァ捨てられなかっただけなんで! 本人も草葉の陰で喜んでますよたぶん!」

 中田さんは癇癪混じりに仰った。

 さらっとヘビーな話をされても反応に困るのですよね。

 

   ➤

 

 地下牢って水もない。食べ物もない。なんにもない。雨漏りをなめるにも雨漏りすらない。そのわりに通気性は良く、体温はどんどんと奪われる。つい数ヶ月前までも劣悪な環境に放り込まれていたけれど、生かす意思があった、という点だけで評価するならばまだ今よりましだったのかもしれない。

 ただでさえ栄養失調で、しかも最悪なことに、そのときわたしは真の意味では〝ひとり〟ではなかったことを薄々知っていた。だから困ったのだ。余計にエネルギーが必要なはずの身体にもう余分なものなんてひとつもなかった。

「——生にしがみつくか」

 服や黴を食らうようなありさまだった。視界は常に回っていて、ろくに定まる様子もなかった。鼓膜を通る音は常に奇妙にくぐもっていた。

「——死を恐るるか」

 わたしはまばたきをした。ぼやけた白いものが鉄格子の向こうに立っていた。たぶんひとだった。

 ばさり、と、なにかが提示される。おそらく四角い……点々と赤黒く模様が入っている。

「——松陽の弟子よ」

 なりふりかまわず地面を蹴って手を伸ばすと、ガチャン! と鎖が鳴ってわたしは前のめりに倒れ込んだ。足枷がわたしの自由を阻んでいた。

 そんなことも構わなかった。這いずって鉄格子の前まで限界までにじりよる。血の海に落としてしまった教本。どこへ行ったのかわからなかったもの。

「かえして」

「そんなにも大切か?」

 嘲るような言葉。

「おまえの師は紙切れなのか?」

 違う、違う。〝先生〟はすすきの色の髪のひと、穏やかに笑みを浮かべているひと、唐突に突拍子もないことを言い出すひと、なんだか熱狂的な阪神ファン——春のようなひと。

「わたしを、置いていったひとの、」

 わたしは呻いた。

「わたしが、置いていったひとの、ものなの。まだ、壊れてないの、それしか、」

 肘で上半身を持ち上げるようにして仰いだ。やっぱり輪郭はひどくぼやけていた。顔のあたりと見当がつくところが、半分、黒いものに覆われていることしかわからない。

「壊されるくらい、なら、自分で壊します。——返せ!」

 半紙は植物性だ。食べられる。〝先生〟もみそっかすにも役に立たず捨てられるよりは、わたしの物理的な糧になった方がましでしょう。

 ……知っている。〝先生〟は処刑された。我々の前から姿を消した、我々を置いていった師は、もうどこにもいなくなって、やがて我々に置き去りにされる。イザナミの蘇生ですら失敗した。外つ国の基督の逸話はもはや千数百年も前のこと。

 普遍的な人間に蘇りはありえない。

 わたしは〝先生〟に置いていかれた。わたしは〝先生〟をやがて置いていく。わたしは——知っている。いくら威勢よく吠え立てたところで、わたしは鉄格子を隔てた向こうで死にかけた囚人だ。

 睨みつけていた人影が、じつのところ、わたしを見ているのかも判別できなかった。みずぼらしく無様な姿を笑っているのかも知らなかった。

「……何故生きる?」

 人影の顔と思しきところを睨んだまま「——何故?」わたしは言った。

「死がおまえの隣に佇んでいる。その手を受け入れるだけで、おまえは楽に死ねる身体にある」

「……妙な、ことを」

 現状が、実際楽かどうかはさておき。

 ふと息が漏れる。笑い声にはならなかった。かすれて消えかかっていた。

「まだなんにも終わっちゃあいません」

 わたしを置いていったひとたちに今更追いつくことも引っ叩くこともできちゃいない。兄上たちがわたしを置いていくに至った原因、〝先生〟を連れて行ったひとびとはまだきっと生きている。兄上やわたしが講武館で爪弾きにされた原因、武士が下級武士を見下し庶民を見下す社会構造もどうせなにも変わっちゃあいない。

 髪紐だってまだ返せていない。

 良い子で待っていることはできなかった。もうやめる。やめるのだ。物分かりのいい振りには飽きてしまった。

「死ねません。死ねないから、生きるだけです。それとも、なにか——死ねない理由でなく、生きる理由が、必要ですか。だったら他を、当たってください」

 生きる理由を答えられるほど、わたしはもう、殊勝ではなくなってしまった。

 人影は未だ立ち去ることなく、そこに佇んでいる。

「死にたくないか」

「だったら、なんです?」

「——どんな手を使ってでも?」

 わたしは目を細めて、その表情をとらえようとした。馬鹿になった視界では、やはりまったく細部は映らない。

「少量でも、運が悪ければ死ぬ。おそらく腹のソ(﹅)レ(﹅)は耐えきれまい。その月で流せば、おそらく、おまえが生き残ったところで次(﹅)も土台無理だ。しかし——運が良ければ、おまえは生き残る」

 ゆっくりと息を吐く。どうだっていい、と呼ぶには——わたしはすこしだけ、憧れているものが、あった。すこしだけ迷った。

 ……すこしだけだ。切り捨てられる程度の夢物語。

「それ、対価はなんですか?」

 言葉はなかった。目の前で教本が、白い人影に取り込まれて、見えなくなった。たぶん懐にしまったのだろう。

 そのまま人影が膝をついたことで、ようやく、その面持ちがかろうじて視認できた。ずいぶん病人じみた顔立ちの男だった。死人の顔色にすら見える。

「生き残った、あかつきには……お礼を、差し上げるべきですね」

「死にかけの分際で」

 鼻で笑う音。顔半分はろくに見えなかったけれど、実際に男は笑ったようであった。

「もっともその死に体で、この呪いを浴びれば……多少薄められたものとて、おまえの記憶が持つとも思えないが」

 

   ➤

 

「——あの男、誰だろうな」

「ンだ突然。まんたまの記憶でも残ってんのかこのパチモンパツキンストレートパーマ野郎やーね独り言が多い男はムッツリって相場が決まってんだよ」

「悪いな。てめえのしつこい天然パーマのごとくひん曲がった性格は治んねえもんらしい」

「っぱ殺すかこのポンコツカスロボット」

「ぎ、銀さーん落ち着いて」

「銀ちゃんごめんヨォ、許してやってヨ。悪いこと言ってるって分かってないんだヨォ」

「そうですよ生後数ヶ月の赤ちゃんみたいなもんですからねほらなんとなくかわ……かわいいかな……?」

「ハイハイしゃーねえなバブバブ赤ちゃんですもんねバブ〜って言ってみ」

「死ね」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。