前略:
Q・なにも仔細を吐いていないのに既にやらかした前提で問い詰められているのは何故か。
A・日頃の行い。
➤
【 すみません帰宅が遅れます。 】
【 なにかあったか 】
【 なにやらかした? 】
わたしは端末の画面をしばし眺めた。なにかあったかと訊かれると当然あった。やらかしたかどうかと聞かれると罠にはめられたという点では結果的にはわたしのやらかしにカウントされるだろう。
されるのだけどこれ馬鹿正直に返信したらわたしのせいになるのかしら。いえ鬼兵隊にご迷惑をかける可能性があるという点ではわたしのせいなのですがそれにしてもわたしのせいなのかしら。とはいえなにも言わないのはさすがに金さんの件の二の舞三の舞でしょうし。かといってどう説明すれば過不足なく現状が伝わるのでしょう。
そもそもこの状況がありえなくない?
この状況のすべてがありえなくない?
「どう返信すればよろしいのですか!? というかどうすればいいんですか!?」
わたしはちょっと取り乱した。
「わたしだってちゃんとやってるというのにこの仕打ちは些かあんまりじゃあございませんか!?」
「ううむ懐かしいような哀れなような……」
小太郎さんがぼやいた。
懐かしんでいる場合じゃないのだけれど、哀れがってくださるならそもそも遣手婆に協力なぞしないでいただきたかった。
「ちゃ、ちゃんとやってるのに……ちゃんとしてるんです……皆様のスケジュール組んでお金も回して不備や不和があればお話を聞いて判断して適宜人を割いているのに」
「ウンウンおまえはよく頑張っている」
「お仕事なら嫌な人ともきちんと嫌ってことは表に出さずにお話ししてお金と人員を引き出してるのに……殺すべき人は殺して守るべき人は守っているのに……」
「不穏な話が聞こえたな。もうちょっと詳しく」
「詳しくお話したあかつきにはわたしが怒られて斬首です。いやです」
「そこをなんとか……」
「でしたら小太郎さんは攘夷党のお話を流出できるのですか」
「クリスマスパーティの話くらいなら」
「……日々を満喫していらっしゃる……?」
攘夷志士ってそんなかんじなんですね……わたしは攘夷浪士なのでなにもわかりませんが……。戦時中の兄上たちもクリスマスパーティをしていたのだろうか。戦場ではさすがに無茶? 兄上の戦争時代の話をほとんどお聞きしたことがないのでわからない。
「あとは冬のソナタらについて議論したり」
「本当にそれは攘夷党のお話なんですか?」
「……そうだが?」
何故疑問を呈されるのか? と言わんばかりのお顔である。何故もなにもないかと存じますがわたしが間違っているんですかこれは。絶対間違ってないと思いますけれどここまで常識と言わんばかりの顔をされるとなかなか混乱する。すみません本当にわたしがなにかを間違えている可能性がありますか?
「……皆様、団結力が強いのですね」
言葉にかなり迷った。
「うむ。いつかエリザベスも紹介せねばな」
「あらここで初めての女性名、攘夷党にも女性はいらっしゃるのですね。もしかして、好い方なのですか? ……まさかめす・ごりらさんの御本名だとか?」
小太郎さんに好い人ができるならとっても大歓迎——けれど、遊女を攘夷志士に勧誘するのはあまり良くないと思う。表の居場所の選択権があるひとと、そうでないひと、というのがいるものだ。
わたしが少し危ぶむと「違うぞ」と小太郎さんはハッキリ否定なさった。
「めす・ごりらさんとはあのあと、お会いできていないが……エリザベスは以前から俺の相棒として、ペットとして共にあるのだ」
……なにか途中おかしな発言がございませんでしたか?
「相棒ですか。素晴らしいですね」
「相棒兼ペットだ」
わたしの聞き間違いだとかではないんですね。
「昔はシフト制だったのだが、残念ながら月曜担当のエリザベスとはお別れしてしまったから今はひとりしかいない。あちらのエリザベスもおまえにも会わせたかったものだ」
「そうなんですね〜」
「む、あしらっているな」
無難な相槌を選んだらば眉を吊り上げられてしまった。
わたしが悪いんですか?
「これは講釈せねばなるまい」
「ええと一旦あとに回していただいても」
「まずエリザベスはこのような形状をしていて——」
「形状。……あ、着ぐるみペンギンもどきってもしかして……?」
「違う! エリザベスはエリザベスだ!」
「なるほど〜」
シフト制の方がどちらかといえば気になるかもしれない。つつきたい気持ちと確実に藪蛇の気持ちがせめぎ合う。
講武館の俊英、松下村塾の才児と名高かった御方による策略かと一瞬勘ぐりかけたものの、小太郎さんのお人柄を考えると、わたしに情報を渡さないための撹乱と単なる素では果たしてどちらの方が割合として大きいのかは……どうしてだろう、なんだか疲れてきた。考えるのやめましょうか。まともに相手をするべきではなさそう。
ここまで来ると、真にありえないのはわたしがこの期に及んで心変わりできていない点かもしれない。欠点すらも愛おしい♡ とかではなくふつうに引いているのに。己の未練たらしさもここまでくると重症が過ぎますね。お願いですから早くお相手作ってください。早めに未練にとどめを刺してくださいませんか。なるはやでお願いしたい。
現実から逃避しつつ、逃避できない方の現実に思考を戻そう。つまり、兄上への返信。どこからか持ち出したホワイトボードにエリザベスさんの三面図を描いてくださっている(……くださっている……?)隙に、端末に文字を打ち込む。背面にジッパーが描かれているのは見なかったことにした。
ええとちょっと申し訳ございませんが妓楼の元主にやんごとなき頼みごとをされましたのでそちらで若干手間取ります、詳細については折り返しご連絡を差し上げます、をさらにオブラートと丁寧さに包んでこの返信でひとまず手を打っていただいて……。
……即時既読かつ無言はちょっと怖い。
返信の手間を省かれただけだと信じたい。
この際、お叱りでも妥協しますのでせめてなにか仰ってくださいよ。なにもないの。……とうとう見放されたとかじゃあありませんよね?
「なに騒いでんだ。うるさいよ」
「どなたのせいですか本当に……」
半分くらいは小太郎さんのせいかもしれないけど。
遣手婆はなんとか杖をつき、やはり震える手で廊下を示した。
「空いてる部屋貸してやるから勝手に使いな」
「おお、助かる」
おおではないのですよね。
「片付けてねえから適当に捌けときなよ。あとはミツ……じゃねえのか、ヒカリ、アンタが案内してやんな」
「人を呼びつけて罠にはめておいて挙句に案内役とは……」
「写真」
「……ええ、ええ、わかりました」
このひとわたしを夜鷹に落とすと脅して動かしたときとまるで変わっていらっしゃらない。よかったですね、小太郎さんが電波なこと以外は穏健派に転身していて。わたしと小太郎さんが顔合わせればすぐさま殺し合う仲でなくて。わたしが鬼兵隊の幹部とそこそこ上の立場かつ理性的かつあなたと旧知で。この偶然、ひとつでも欠けていたらあなた含めて刃傷沙汰でしたからね。
自覚はありますが負け惜しみです。
「承りましたとも。わたしにもとより拒否権はございませんのでね」
「よくわかっているじゃあないか」
「あなた本当にご自分の幸運に心底感謝してくださいね」
わたしは捨て台詞を吐いて、ディスプレイを消灯させた。
やっていられない!
遣手婆は後任を育てる意思がなかったこと、新参の芸妓・遊女を取ることをすっぱりやめていたこと、鳳仙の後任たる神威さんが吉原を管轄する意思がまるでなく個々の自由意志に委任していること、などにより、彼女が取り仕切っていた妓楼はほとんど畳んだも同然の状態だった。取り壊しになっていないのは、元となった遣手婆がまだふつうに住んでいることに加え、純粋な空きスペースはそれはそれで活用方法があるのだとか。現在は主に、遊女や芸妓、百華の休憩所として用いられている。立ち会った百華も普段仮眠に利用しているので、遣手婆に協力する義理もあったとな。おかげでわたしと小太郎さんにそれぞれ貸す部屋もあるというわけだ。
準備万端なあたり本当につくづく腹が立ちますね。それだけ鈴蘭太夫が大切ですか、そうですか。素直じゃあない御人。末永く苦しんで長生きしてください。かしこ。
「……案内するので荷物運ぶの手伝ってください」
「わかった。……眉間にしわを寄せるな」
シワを伸ばそうとする指先をわたしは振り払った。余計な・お世話・です。
ともあれ空き部屋となると二階の方。荷物を運び出して、物置の空いた隙間に押し込んで、ひとまず見れたなりにはなった。あとは厨と廁くらい紹介しておけばなんとかなるだろう。
「オババさんとはどれくらい長い仲なのだ?」
勝手知ったる様子でそこらをパカスカ開けてものを運んでついでにどこそこがそれでと雑に紹介するわたしに、小太郎さんが問いかけた。
「以前は聞く機会がなかったが、そもそも取引相手ということを差し引いても、吉原自体にもやたら詳しかっただろう」
「それこそどこぞの元気なおばあさまがお話しなさいませんでしたか」
「いや普通に、旧い知り合いという程度しか聞いていないぞ。なんなら身請けという話も先程のが初耳だ。芸者をやっていたのか」
わたしは小太郎さんに肩車された状態で、天井収納に荷物を押し込んでいた。空きスペースと仕舞うべき物品の大小・形状で即興三次元パズルをしながら、しばし思案する。
「……では、兄上からも聞いていないのですか? あのひと、将軍暗殺のついでに銀さんに謎に世間話なさって、それをあなたも又聞きしたのでしょう」
紅桜の件のやりとりを思い出すに、おおよそそういう経緯だったはずだ。
「銀時が俺にどこまで会話を共有したのかにもよるのだが、たぶんろくに話していないぞアイツ。せいぜいが。……まァおまえは鬼兵隊に入ったという程度だな」
「ふうん。……すこーし昔に御恩はありますが、関わったのはごく短期間、なんならここ数年はまるで没交渉でしたよ。鬼兵隊入隊前に、一時期吉原に身を寄せた際にお世話になったというだけです。身請けもその延長線ですね」
わたしは素気無く言った。「それにしては……」「ところで仕舞えました。降ろしていただけますか」「……わかった」しゃがみ込んでくださったので、素直に畳に足をつけて降りる。
べつに仔細を申し上げる必要もなく、実際わたしの言葉は事実だ。仲良しでしたと嘘をついたところで、攘夷浪士と懇意にしていたことになった遣手婆がややこしい立場に立たされるだけである。わたしに利もない。それ以前のことは、遣手婆とも吉原とも、まるで関係ない。彼女たちが知る必要もない。
「遣手婆とは、このような状況でもなければ二度と顔を合わせることもなかったと思います。……というかわたしはいいとして、あなたもあなたですよ」
「ン?」
「どうして積極的に協力していらっしゃるんですか」
小太郎さんはいつにも増して刺々しいわたしの態度も、さして意に介していない様子でご自身の腕を組んだ。
「それこそ以前、吉原で顔を合わせたことがあっただろう。あのとき、俺はエリザベスと行商として吉原に侵入していたのだが……商売の際にお借りした軒先がオババさんの妓楼前でな」
「ああ……」
「勝手にひとの軒先で怪しい商売をするんじゃあないと箒でしばき倒された」
正論なのだけどそれにしても遣手婆ってとっても蛮勇。
「……けれど、たかだか老女にあなたがしばき倒されたんですか? ふつうに逃げるだとかありましたよね」
「……おばあが亡くなる前とおおよそ同じ年ごろではどうにもな……」
「スミマセン……」
責めづらいところきちゃった……。
「ともあれ、誠心誠意謝って経緯を説明すると、軒先で過ごすことを改めて許可してくれ、怪しい噂についてもいろいろ教えてくれたのだ」
気を取り直して、小太郎さんは話を戻す。
「それからもしばしば顔を出していた。世話になったこともそうだが、足が悪いと、日常生活でなにかと大変なことも多いだろう。吉原ではなかなか男手には恵まれないかと思ったので……結果として馴染みの顔見知りくらいにはなったわけだな」
行動原理がものすごく正しくてやんなっちゃいますね。
「それで今回の鈴蘭太夫の件だ。時同じくして幕府要人の襲撃が行われていた。幕府は隠蔽に腐心しているようだが、標的の得物を奪う殺し方とくれば、おまえ、ひいては背後にいる鬼兵隊の関与が知れる。隠そうともしていない、どころかこれ見よがしに不要な痕跡まで残すならばむしろメッセージ、本命は天導くとのたまう者共と見たが——どうだ?」
わたしは肩をすくめてみせた。
小太郎さんは回答を求めていなかったようで「ともあれ、京ではなく江戸で発生していることもあるし」と言葉を続けた。
「定々公がターゲットにいることはどの道確実だとして、オババさんからすれば、鈴蘭太夫の方が重要だ。攘夷浪士の知り合いに会うので、腕が立つ人間を知らないか、という話を寄越してきた。よくよく聞けば知り合いとはすなわちおまえのことのようだったから、では俺を使うか? と」
「使うか? ではないですけれど。エッつまり今回の諸悪の根源はあなたなんですか!?」
「人聞きが悪いぞ! そもそも鈴蘭太夫に関する諸悪の根源は定々公だろう」
そうなんですけれども今そういう話してないんですよ。
「俺としても定々公が死ぬ程度であればまあ……いいかな……と思うのだが」
「あなたやっぱり結構テロリストですよね」
「攘夷志士だからな」
「自覚あるんだ……」
小太郎さんは一応しっかり攘夷を掲げる人だ。なんなら、桂一派ないし攘夷党は、未だまともな(これは、当初の攘夷思想から然程逸脱していない、という意味で、小太郎さんがまともというわけではない)攘夷思想を掲げている、という点ではほとんど唯一の派閥なのかもしれなかった。
なので、夷狄に与した売国奴、となるとそれはさすがに敵である。微塵も惜しむ様子がないのは、それはそうですね、といったところだ。
「とはいえオババさんにはお世話になったことだし。高杉には嫌がらせをしたいし」
「兄上への嫌がらせが主だった動機だったんですかもしかして」
「それが主というわけでもないが、あいつ旧友の首を売り飛ばすとか普通にあり得ないからな。どうかと思うだろうおまえだって」
「わたしそれをした一味の幹部ですが」
「おまえもどうかと思う」
「ああはい……ええ……?」
その通りなのだけど、敵対しているにしても様子がおかしい人に言われたくないんですけど……。
「かわいい顔をしても駄目だからな。かわいいだけじゃあ駄目ですか、ではない。駄目なものは駄目なのだ。人としての倫理の話だ」
あいまいな表情を浮かべるわたしに、小太郎さんは憤然と仰った。さすがに腹に据えかねていた模様——それはそうでしょうね。兄上の狙い、たぶんそこだったので。
鬼兵隊において、人倫については今更である。我々もとより、天道・解脱に到れると思ったことはない。こちら生きながらにして人間道から外れて修羅道を征く定め、どのみち終まで辿り着いたとて、六道輪廻を頭からやり直しだ。
ところで、おそらく諸々理解した上で何故、なおも真っ当に説教しようとしているんですかこのひと?
「……ちなみにわたしと兄上の顔立ちは結構似ておりますけれどもしや兄上のお顔も」
「その後続けたらさすがに温厚な俺とて怒るぞ。とっても温厚で心優しく武士の模範として絵に描いたようである俺とて、堪忍袋というものがあるからな」
「はい」
むしろ今まで緒が切れてないことにびっくりですけれどね。
「まァ……経緯はわかりました」
わたしはこめかみをこすった。納得はいかない(納得できるわけがない、けっきょくわたしは何故罠にはめられねばならなかったのですか……? 素直に協力するだなんて土台無理でしたが……)けれど、少なくとも小太郎さんが、桂一派頭領としてのお立場や自らの今のお仲間よりも、一時の気の迷いを取った、という話でもなさそうだ。わたし自ら手打ちにする必要はない。
ないので。
……今一度、条件を整理しよう。
「……やるべきこととしては、江戸城への侵入経路を立てて定々公を拉致して鈴蘭太夫に引き合わせればよろしい、と」
「ついでに土下座と、吉原引廻しか」
「そうですね要望増えてましたね。ところでどのみちあり得ない難易度なのですが……?」
そう簡単に江戸城に侵入できるならば、我ら鬼兵隊とて見廻組の協力を仰ぐ必要なぞなかった。それをやれと。なんなら定々公を誘拐しろと。しなければ兄上のお立場を著しく悪くしてわたしに暗殺者が差し向けられかねない写真が出回ると。この土壇場で?
兄上の計画をわたしの一存で差し止められるわけがないので、これらすべて定々公暗殺決行までの期間内にクリアしなければならない。当初スケジュールが予定通りに進む場合、猶予は残りおよそ半月前後である。
……どうすれば?
「立案からだな。まァ思いつかんでもないが……」
小太郎さんがつぶやいたところでわたしの端末が振動した。「失礼」断りを入れてディスプレイを点灯させる。メッセージの通知を示していた。
兄上からである。
……開きたくないが開かないといけない。義務です。兄上から、という以前にまず上司からの連絡なので。
【 妓楼のババア、傾国太夫の同世代らしいな 】
「……」
【 三途の川を女が渡る時には初の男が背負うて渡る、なんざ俺はくだらない迷信だと思っているが、迷信を信じて縋るやつもいるわけだ 】
なるほどね。
わたしを呼び出した相手が等号で妓楼の元主:遣手婆なのは、兄上は当然把握していて(手紙の宛先でしたからね)わたしのメッセージも相まって帰宅が遅れる理由は遣手婆に呼び出された話題が話題だったからと推察できて、だったら素性を漁ればなにかしらそれらしいものが見つかるだろうと。
なるほどね。理解はできました。
それはそれとして我が兄ながらあのひとなんなんですか? バケモノなんですか?
【 義理程度で受けるには重い案件だろ 】
【 そのあたりは些かやんごとなき事情がございまして。 】
【 ところで以前のおまえの春雨視察の時期、ヅラの気色悪い部下が目撃された位置が今考えるとおまえがいた妓楼の周辺だった 】
……言うに事欠いて気色悪い部下て。
さて逃避してもいられない。どうやら現状が九割方露見した様子である。そんなことある?
【 本当に覚なんですか? 】
【 誰かさんが毎度毎度、都合の悪い報告を常々省くんで、おかげさまで察しは良くなったよ 】
いったいどこのどなたのお話でしょうねー!
【 河上さんということにしておきますね。 】
【 万斉のことは後日問い詰めるとして 】
逃げられずにただ被害者を増やしただけになってしまった。
【 せいぜい気張れよじゃじゃ馬 】
【 助けてくださらないんですか。 】
【 処刑は半月後、間に合うといいな? 】
お、鬼……。
いえ、鬼兵隊頭領、鬼の総督、修羅道を征く復讐鬼ならば、それはもとより鬼なんですけれども。
だからそういう話ではなくて!?
「その様子では高杉からか。なにか方策でも?」
「……見捨てられました」
「……可哀想に」
心底から哀れんだ目をされているけれど、そもそも半分はあなたが持ってきたようなものなんですよこれは。諸悪の根源1/2なんですよ。ご理解いただけますでしょうか。
➤
「本当にどうしよう……」
「……ところでその端末、ずっと光っていないか?」
「……ああそういえば、すっかりメールチェックを忘れていました。いろいろあったので。ええ本当にいろいろと」
「こら、言葉が刺々しい。人には優しくしなさい」
「今品切れしてます。さて……新着メールはまあ、件数は、開けるのが大変なのはいつもだとして……最新三分前……」
【
一日三回しか返信してくれない 冷たい メル友へ
メル友の援助 はご入用カナ?
】
「怖」
➤
「なんだか愉快なことになっていますね」
「他人事でしたらわたしとしても愉快だったのですが」
わたしはゲンナリと申し上げた。もちろん他人事ならばとっても愉快でしょう。他人事ではないわたしはきわめて不愉快です。
「おこでいらっしゃる」
なめた感想を述べて、佐々木さんはガラケーをパチンと閉じた。またどなたかにメールでも送っていたのだろうか。見廻組の白い制服は、吉原遊郭にはまるでふさわしくない。
鳳仙の支配が実質無に帰したとて、あくまでも吉原は、夢を売ると言葉に包んで性を売る場所だ。電化が浸透した今このご時世でも、油を注して火を灯す行燈を用いている。揺れる灯がムーディーな雰囲気とやらを演出するのだそうな。照らし出す範囲は狭く、顔が見えないと距離を近づける口実にもなる。
わたしたちそういうのではないのでただただ不便なだけにございますが。
見廻組局長殿が鬼兵隊幹部と密会している現場など、いよいよ抑えられるわけにはいかない。おちおち雨戸も開けられない。
「ともあれ、アナタは未読スルーしているわけではなく目を通した上で既読スルーしている、と。今後は毎件返信してください」
「日に百件ということですか?」
「そうですが?」
「……佐々木さん側の重要事項の伝達が埋まりません?」
「ラベルをつけているので問題ありませんよ。お気になさらず」
だとしてもわたしがそこまで手隙ではないので、せめて日に十件くらいで勘弁してほしいかな……。
「ともあれ、私はあくまでも
「どちらかというと素直さというよりは体裁の問題ですね、これに関しては……」
「マ、そうでしょう。組織長というものにはなにかとしがらみがつきまとう」
物分かりの良い同盟相手にわたしは「ありがとうございます。お手間をおかけします」と謝辞を述べるに留めた。
「出世払いですよ。嘘から出た真があるなれば、大法螺からも真が出ると期待しておきましょう」
「ふふ。是非とも期待していてください」
「それはもう。さて——メル友からの手土産です」
差し出された風呂敷包みを「頂戴します。開けますね」断りを入れてから開けると、吉原にまるで似つかわしくない見廻組の白い制服がさらに二着、畳んであった。
「……この短時間でよく用意できましたね」
「〝こんなこともあろうかと〟というやつです。不測の事態に対処するには、まさに事前準備こそがものを言う」
畳まれていた制服を広げてみる。わたしは比較的小柄なので、女性の平均サイズで測ると大抵若干丈余りになるのですが。
わあこれもしかしてサイズぴったり?
「一応アナタの採寸については信女さんが担当しているので私は把握外ですからね」
「お気遣いありがとうございます……?」
「お気遣いといえばそうなんですが、シンプルに冤罪が怖いんですよ。下手すると斬り捨てかねないでしょうアナタ」
「まあ斬り捨てましたしねえ」
「アレ過去形? 既遂? もしかして殺ったことあるんですか? 私今すんでのところで命の危機を回避した?」
冷や汗を流す佐々木さんとわたしのぶんの制服は脇に置いて、わたしはもう一着の方を広げる。
おおよそ、背の高い成人男性ぐらいの丈だ。小太郎さんの寸法……よりはちょっと小さい、かも? ほとんどうろ覚えだけれどたぶん、若干身幅も異なる。小太郎さんは決して華奢というわけではないものの、少し撫で肩なのでこの制服を着用すると肩の部分が若干余りそうだ。
……これ、もしかして兄上用だったのかしら。
「奈落バージョンもありますよ」
「あるんですね」
「いずれお見せしましょう」
至れり尽くせりである。
「あとはすこーし、新人隊士が入ると触れを出しておくくらいですかね。とはいえアナタ一応指名手配犯ですから、顔も多少は変えておいてくださいよ」
「そういえばそうでしたねえ……」
「そういえばそうでしたって忘れてたんですか」
「長いこと指名手配されているのに顔が知られていない状態が続いていたもので……」
「ああ、無貌にして無手の百人斬りサン」
「それもう少しどうにかなりませんでした?」
把握していたより単語が増えているし。
「百華のお方々は百舌鳥だなんてそれはもう素敵な名前をつけてくださったのに」
「ふむ、確かに数多の種の鳴き真似を有するからこその〝百の舌〟たる百舌鳥は、手段も得物も選ばないアナタにはお似合いのあだ名でしょう」
佐々木さんは得心した様子で頷いた。
たぶんそういう意図ではなかったのだけれど、確かにそう言われればそうかもしれない。百舌鳥の鳴き真似は自らの被食種を真似ることが多く、獲物を誘い出す目的で真似ているのではないか、と囁かれる点も踏まえて。
「しかしよいのですか? 百舌鳥の天敵にはカラスもいます。アナタにとって不吉この上ないかと思いますがね」
「お似合いと仰った直後に仰ることではありませんねえ。マ、お気になさらず。わたしこれでも自分の身の丈についてはよく存じていますので」
わたしは袖で口元を覆った。
「海老で鯛、百舌鳥で烏、わたしのような端女を撒き餌に誘い出せるなれば願ってもないことにございます」
佐々木さんは半眼でわたしを眺めた。
「……それ以前に本件片づけないとどうしようもなさそうですケドね」
「う。はい」
とっても正論!
佐々木さんは手土産だけを渡しに来たらしく「返信してくださいね」と念を押して去っていった。日に百件来るメールを毎回打ち返すのは本当に無理なので、十分の一で勘弁していただくか、あるいはメールの件数自体を減らしていただきたい。
「……高杉の手は見廻組にも回っているのか? つくづく末法の世だな」
「今更でしょう」
辟易とした表情で小太郎さんは制服を掲げるので、わたしは適当に返答した。
「末法でもなければ攘夷浪士にたくさんのパトロンなぞ成り立ちません」
「まったく世紀末だ。俺なぞお小遣いはかまっ子倶楽部のバイト代からひねり出しているというのに……」
「……かまっ子倶楽部? 西郷殿の経営するお店でしたね」
オカマバーとも噂に聞いている。わたしの問いに小太郎さんは深く頷いた。
「おかげさまで、ヘルプにして№1を勤めさせていただいている」
「あら……指名手配されていなければお伺いしたいところです。ええ是非とも」
「とくとご覧じろ! というか、それこそ今回も女装していくべきか。副長が女性ならばさほど目立つこともないだろう。エヅラ子ふたたび」
寡聞にしてわたしはエヅラコ? さん? を存じ上げない。江津羅子さん? エヅラ子さん? 字面もわからない。小太郎さんが女装時に用いるお名前かなにかなのだろうか。
「あなたが女装ならばわたしは男装で合わせますかね」
「発想は、悪くはないと思うのだが……」
小太郎さんが制服から視線を外し、わたしを上から下までじっくりと見た。
「その身長のおのこはそうはおらんぞ」
「……ああ。まあ」
わたしはそっと頭頂部を抑えた。
「そうですね」
それを言い出すと小太郎さんほど背の高い女性も滅多に見かけませんけれど。とはいえ見廻組のように特殊武装警察組織となれば、大柄なぶんにはご納得いただきやすいでしょうね。
そうですね。
そうでしょうとも。
「気にしてたのか」
「お黙りくださいませ」
「コンパクトでいいのに」
「蹴りますよそろそろ」
「かわいいのに」
「わたしにとって愛らしさや愛おしさではなく低身長のみを指した意図での〝かわいい〟は、あまりにも数多の人からフォローの代わりに入ることでもはや殺意が湧くワードになっていることを加味した上で今後は発言に気を配っていただけると大変助かります」
「すまん」
銀さんにしばしばチビと揶揄される兄上とて、成人男性平均程度の身長はお持ちなのですがね。おかしいな。なにを間違えたのでしょうか。やっぱり成長期に摂取する栄養素って大事なのかもしれませんね。
➤
「柱エヅラ子にございます」
「三谷と申します」
「ああ、そのひとたち。
門扉の裏からひょこと顔を出した今井さんが「さっさと来て。早く」と手招くので、わたしたちはすんなりと江戸城に入り込んだ。警察組織という建前ってとっても便利なものですね。
大きな音を立てて閉ざされる木造りの門を背後に、今井さんがちらとわたしを見る。前回顔を合わせたときとは異なり、わたしたちが並ぶと頭の位置はそう変わらない高さにあった。今日は髪は剃らないなりに髷を結ってみたので、そのぶんわたしの方が最終的な体高は嵩増しされている。
伊達眼鏡がずれていたかなと指で位置を直したものの、今井さんの視線の先はわたしの顔ではなく足元に移動した。
「……歩きづらそうな靴ね」
「慣れるとそうでもないですよ。要領はハイヒールのようなものですので」
「ふうん……」
わたしはシークレットブーツの踵で砂利道を叩いた。昨今はこれで十五㎝も上底できるというのだから——世論によれば、モテる男性の特徴は高身長・高収入・高学歴の3Kだという。需要はあるのだろう。
「マ室内では誤魔化しは効きませんが……多少周りの目を欺く程度ならば要件を満たしますから」
「そうね、下手人にとっては咄嗟に動く必要もないのだものね」
光のない目が半眼になった。そうしているとまるで上司の佐々木さんとそっくりな目つきになってしまう。
「あくまでもそのうちのひとり、ですからねえ」
わたしは一笑に付した。
「見廻組のお姿をお借りしているのですから、念の為、警備としての勤めは果たしましょう。ネズミ一匹通しませんよ」
「どのみち鬼兵隊の仕業だろう」
小太郎さんが素の声でぼやく。紅を引いて眦に色を差し、どのみち丈の短かった白のスラックスを差し替えて、ジャボタイで喉仏を隠すと、意外なほどに印象が変わった。
……このクオリティの変装が可能であれば、勉三さんのときの雑眼鏡はいったいなんだったんですか?
「……おや? その様子では我々の件だけしかご存知ではなかったのですね、エヅラ子さん」
「エヅラ子じゃ……エヅラ子だな。だけ、というのはなにかしら三谷サン」
裏声なものだから声がハスキーに掠れている。たしかに逆に需要ありそうですね。
「連続殺人事件と題されてこそいますが、正確には三種類ありましてね。つまり、
わたしは三本指を立てた。
「……なに?」
「見廻組の警備は半分はポーズですが、半分はただの事実ですよ。定々公はこの機に乗じて目障りな方々を排斥し、最終的には捕らえた下手人に丸ごとそっくり押し付ける算段でしょうからね」
今井さんはなにも仰らなかった。特に否定する点もないからだ。
現在我々にとって——これは、鬼兵隊という点でももちろんだけど、見廻組にとっても、という意味——もっとも困るストーリーは、捕らえた囚人が〝今回の襲撃を企てたのは一橋派で、とうとう将軍/そよ姫にまで手を出した〟と
我々としても現時点では、将軍や妹君にまで手を出すつもりはない。最低限定々公を使って烏をつついて引き摺り出してからでないと、あれらがどのような手を使ってくるかを予測することすらできない。端的に言って、早すぎる。
「わたしの殺し方は特徴的です。転じれば、偽装しやすいということでもあります。昨日・今日と〝早贄〟が立て続けに出たようですね? とってもふしぎ——わたし、ここ三日、吉原から一度も外に出ていないのに」
太刀筋までは真似られるとも思えない。わたしの殺し方は特徴的だけれど、そのぶん、ありとあらゆる得物で殺しているので他に特定できるほどの癖がない。どうせ下手人は自らの慣れ親しんだ武器で殺しているだろう。しかし表面的に〝自分の得物を突き立てられた死体〟と来れば、少なくとも噂話はほとんど断定したものになる。死体そのものを見られる人間はけっきょく、第一発見者以外はほとんどいない。
潜入のための化粧道具や服を手に入れて最低限条件を擦り合わせて、となれば日数を要する。タイムリミットまで時間がない中、我々の潜入はこれでもかなり急いた方だ。時間がないので——当然、殺しに出かける暇なぞもっとなかった。
そもそも兄上の指示なくわたしはそういうことは滅多にしない。無意味な殺しでストレス発散するたちでもない。
「さすが女人を利用し、暗殺で身を立てただけはございます。吉原を利用せずとも、隠れ蓑を立てて行うやり口ばかりは健在というわけです」
いつもの癖で口元に手を当てかけて、わたしは自らの筋肉を意図的に統制した。そういえば笑う際に男の方はこういうことしないのですものね。
「まったく素敵だこと」
「……マ、そういうわけだから。あなたも余計なことはしないで、絶対に」
今井さんが小太郎さんを一瞥した。
「ちょうどよく捕まえられる犯人がいるとくれば、相談役の手の者……そしてその背後にいる
「……肝に銘じよう」
小太郎さんは苦々しげに言ってから「肝に銘じますわ」と裏声に変えた。
うーん生真面目。
「といっても、余程のことでもなければ問題ないと思うけど。敵対派閥同士の攘夷浪士がふたり、江戸城に直接来る以上のこともなかなか、思いつかないし」
「そうであってほしいところです」
わたしは本心から同意した。
長く続く上り坂を歩いて、時折あからさまに曲がりくねった細道と門を通り抜けていく。有事の際には油を撒いて、進軍する敵に対してこれら門の上から火を放ち大砲を撃つはずだが、今は戒厳令下でこそあるものの戦争しているわけでもない。静かだった。
「今日は姫様のお友達が来られるということなの」
「それはそれは」
小太郎さんは周囲をきょろきょろと見回す様子こそないが、相槌がやたらと雑だった。そして歩幅がきわめて一定だった。このひと歩幅で距離測って城内地図描き始めてますねえ。
今井さんは気づいているのだろうけれどたぶんどうでもいいのだろう。そもそも見廻組自体、局長ご本人が鬼兵隊に城内地図を渡してしまっているので、かなり今更だった。
「万一暗殺者だったら事が起きる前に仕留めてしまわないといけないから」と、続ける。
「あなたたちも見廻組として潜る以上は気を配っ——」
言葉が途中で止まった。
視線の先を見る。見事な庭園の向こう、縁側に佐々木さんが腰掛けている。振り返ってどなたかと話している。
まずは、きらびやかな衣装のお姫様。お姫様に話しかける、おそらく家老の御老人。腕を落としているあたりは側衆の六転と見るけれど。
江戸城らしい光景はここまで。
お姫様と親しげに話している、この国ではめずらしい、唐装に似た上衣の女の子。城に似つかわしくない、町人じみた装いに眼鏡の男の子。顔に傷を刻んだ女性は、一見訪問着をまとっているけれど袖をバッサリと落としているので、やはり城には似つかわしくない。
全員、覚えがある顔だけれど——きわめつけ。
着流しを雑にジャージに羽織った銀髪の男性。いつもの木刀はなく、手ぶらのようだ。
「……銀時じゃないか」
隣にぼそと落ちた言葉で見間違い説は否定された。
そろそろわたしはお祓いにでも行くべきかもしれない。
➤
「あ——あり得ないのですが……?」
わたしは呻いた。「まったくだ」小太郎さんが同意を示す。
「銀時あやつ、江戸城に入れる伝手があるというならどうして俺を呼ばなかった!? 友としてまず俺に共有するべきだろ」
ぜんぜんそういう意味での〝あり得ないのですが?〟ではないのだけど。あなたの発言も〝ありえない〟の括りに入れて差し上げましょうか。
「作戦変更。適当に警邏しといて。彼らが帰ったら呼び戻すから」
今井さんの判断はごもっともである。早口に言った期間限定偽上司に、わたしたちは見事、御所を目前に追い出されてしまった。仕方なく踵を返し、城内をあてどもなく散策する羽目になった。
具体的にはとりあえず城内をぐるっと回って馬舎を眺めて女中たちと混じって洗濯を手伝うまでした。恐縮された。いいんですよ。よく晴れた青空ですからね、洗濯物もよく乾きますよね。小太郎さんはシーツのシワを伸ばすのがとても上手だった。
女中と別れて、自称警邏に戻る。
「現実逃避はもういいのか」
「……はい」
現実逃避だとわかった上で付き合っていただいていたらしい。わたしは目を瞑って、首を横に振った。
「何事も起きないでほしいのですが、ここまで来るとなにか起きそうで嫌ですね」
そもそもどうして彼らは江戸城にまでわざわざ足を運びに来たのだろう? 万事屋の御方々だけならばまだしも、月詠さんが同行していらっしゃることがもっとも不思議だ。彼女は未だ日輪さんの傍らで、百華の頭領として活動している。死神太夫がいなくとも百華が仕事を怠ることはないだろうが、それにしたって吉原の番人が江戸城に用事なぞ——
——……まさか。まさかね。まさかわたしとほぼ同一の用事なぞ、被っていたらばわたしが脅迫されて仕方なしに遥々城まで潜入した理由すべてが消滅してしまう。そんなことはございませんでしょう。
『……おまえや今井殿が言ったことは真実のようだな』
小太郎さんを盗み見ると、彼は注意深い眼差しで、すれ違った御徒衆の姿を追っていた。
『単なる泰平の世の平和ボケした侍——にしては、足音が規則正しすぎる』
音の響きは環境音で左右される。訓練された諜報員はそれと注意を払っていない様子でも、周囲すべての音をひとつ残らず聞き取ることができる。風下に立ったとて唇の動きだけでも読まれかねない。少なくとも過日の〝先生〟はそのように宣って生徒たちの企みなどかんたんに当ててしまったので、我々は悪巧みをするときは暗号を使ってやり取りするようになった。それでもばれたけれど。
——ずいぶん久しぶりに聞きましたね。
『……砂利道ですしねえ』
わたしも同意を示す。一度足音を完全に消しきって、その上で一般人に扮する目的で足音を立てることを強要されてきた人間の歩き方だ。歩幅がほとんど一定なのは、先程の小太郎さんの如く、距離を把握する目的もあるだろう。
『あれが噂に聞く八咫烏どもか』
『かと存じます。……しかし妙ですね』
わたしは眉をひそめた。
『最強にして最悪の暗殺集団にしては、些か、人間のふりが下手すぎやしませんか?』
腕に多少覚えがある
ドゴン
わたしたちは同時に、爆音の方角を振り返った。……先程辞したのでわかる。庭園の方角だ。
ちょうど御徒衆に扮した烏たちが向かっていったのも、同一の方向である。なんなら中央の方だ。いわゆる御所であり、将軍の居住地、と言い換えてもよいだろう。
いえまるでなにもよくありませんが?
「……今破壊音がしたよな?」
小太郎さんが暗号化も忘れてふつうに喋っていらっしゃる。さすがに動揺したようで。
「……そんなあ。ここは江戸城内、将軍様のお膝元ですよ」
わたしは口角を引き上げる。ちょっと引き攣ったかもしれない。
「まして御徒衆に加えて、我々見廻組も周回しているのです。この物々しい体制の中で騒ぎを起こせるような人間がどこ、に——」
……いますね。
なんなら先程遭遇したばかりでしたね。
「……あの馬鹿、今度はなにをしたと思う?」
「……ちゃらんぽらんな頓珍漢頑固癖者男とて、なにかをした前提で論じては可哀想じゃあございませんか」
「声が震えている自覚はもちろんあるだろう?」
「武士の情けとして気づかないふりをしてくださっても構いませんよ」
ひとまず庭園までとって返し、茂みに隠れて様子をうかがった。我々の他にも見廻組は数多く、皆一様に、開け放たれた障子の先、室内を見守っていた。……見張っていた。明らかに彼らの眼差しは、護衛対象に向けるそれではない。部外者の不審者たち(……ところで、なぜ、どこぞの兄弟子はブリーフを頭に被っているのだろう?)はもちろんのこと、定々公に対しても、だ。
室内ではなにやら会話が行われている様子だが、さすがにこの距離では上手く聞き取れない。小さな音をひとつも聞き漏らさないことと、距離がある場所の会話を聞くことは、似ているようでまるで異なるスキルツリーを伸ばすことになる。わたしが得意なのは前者で今必要なのは後者。そもそも直接音と残響音から空間より類推できる残響音を間引いて距離減衰による高音を付与し直した上で環境音をノイズキャンセリングして改めて意味分析する作業なぞ、わたしは人間がすることではないと思っています。
なおそれがどうやら、幼少期よりできている様子なのがお隣の小太郎さんである。異常頭脳です。ちなみに兄上と銀さんはこのあたり、シンプルに耳が良いので会話が直で聞き取れて計算し直す必要がないらしい。異常性能です。銀さんはまだギリギリ血筋が人外の可能性があるとしても、兄上はわたしと同じ二親から生まれているはずだというのに、どうしてこのように差別化されたのだろう。やっぱり第二次性徴期の監禁って間違いなく成長に悪いんだと思う。戦争参戦とどちらの方が成長に悪いのだろうか。
小太郎さんは眉を寄せて、ひとつも聞き漏らさぬとばかりに室内を注視している。不意に彼の手が伸びて、わたしの手のひらを握ると音を立てずに叩いた。叩かれた数とパターンが意味を形作る。
『どうやら銀時たちも鈴蘭太夫のために来たらしい』
「……」
本当にわたしが脅された意味、準備した意味、潜入した意味、まるでありませんね。帰ってもよろしいですかこのまま。
辟易している間にも、パタンと襖が閉まる。途端——大勢の足音がバタバタと響く。
「出合え!!!」
これはさすがに、わたしにもハッキリと聞こえた。
『……幕府重臣殺害及び、城中を嗅ぎ回るボスイヌを殺してくれた下手人——』
小太郎さんはわたしが聞き取れない部分まで聞き取っていた。城中を嗅ぎ回るボスイヌ——城中に侵入できる人間はそれこそ限られる。形容に加え、今井さんはつい一瞬前まで無事な姿を襖の向こうで見せていた。残る候補はあとひとりだ。
……まずい。
『これ見廻組が追い出されます。着替えましょう』
『着替え——ちょ、エッ、」
「しぃ」
唇に指を当てると完全に黙ってくださった。大人しくなったのをいいことに、さっさと小太郎さんの制服を剥く。わたしもジャケットを袖から抜いて、さらにインナーシャツもボタンを外して脱ぐ。シークレットブーツは人間が隠れられないような小さな茂みの中に突っ込んでおく。
「お、おまえ本当に……」
「お静かにってば。見つかってしまいます」
さて、先程女中さんたちの洗濯を手伝った際、ちょこーっと掻っ払った着物がここにいくつか——訂正、お借りしました。
いつか返します。いつかね。
「このあたりにも人が——無能な見廻組ど、も」
ガサと雑に茂みを掻き分けられて、御徒衆の顔が覗く——これは本当に本物の方の御徒衆ですね。
「お、お侍様!」
わたしは飛び上がって、小太郎さんの上から退いた。小太郎さんは今し方の、わたしにまるっと剥かれて女中の小袖を着せられた一連の間に、お顔が真っ赤になっていた。なんなら目がぐるぐるしている。ほとんど倒れ伏したような状態なのと、あえて〝なにか〟あったように乱れたように着せたから、急拵えの着物が明らかに身の丈に合っていないことまではわかりづらい。
わたしはわたしで、はだけたままだった襟ぐりを慌てて合わせる
「すぐにお仕事に戻りますので! ね、姉様起きてください」
わたしが頬にてのひらを当ててぺちぺちと叩くと、小太郎さんは「は……」と声を絞り出した。
「……破廉恥……」
「も、もう! 人様の前ですよぉ」
いい感じのアドリブありがとうございます。
……それとももしかして、ただの本音?
「……将軍の御所の目と鼻の先で……!?」
御徒衆が絶句している。
インパクトが大きすぎて逆に誤魔化せていますね。
「ごめんなさい本当にふしだらなところを見せて大変申し訳ございません処分はいかようにも! はい姉様お立ちください。立てませんか? 支えましょうか?」
「いい、いい、自分で立つ!」
小太郎さんがまだ赤みの引かない顔で仰って「も、もうお嫁に行けない」半ば茂みから飛び出すようにして、我々は走っていった。ちらっと尻目に見れば、御徒衆はまだ唖然とした表情でわたしたちふたりを見送って……頬を引っ張っていた。
夢かと思っているみたいだ。
まったくとっても可哀想。
「本当に、ほんとうに、覚えていろよ……」
「むしろ咄嗟の機転に感謝していただきたいのですが。牢に放り込まれたかったのですか?」
なにか役に立つかと思って、ジャケット裏に隠していなければどうなっていたことやら。ほとんど脱ぎ捨てていた見廻組のジャケットとシャツを畳みながら、わたしは溜息混じりに申し上げた。
小太郎さんは袷を自らの手で抑えながら、並走するわたしを信じられないものを見るような目でまじまじと見た。
「俺は恥じらいも教えたはずなのに」
「捨てました」
「拾ってきてくれないか!?」
「わたしそれ常々、あなたに対して思っておりますからね。おあいこですよわたしたち」
「絶対違う、絶対おかしい!」
「大声出さないでくださいさすがに見つかります」
「いやなんであしらわれているんだ!?」
「そんなことよりいかがしましょうか」
いい加減擦られすぎなので、さっさと話を軌道修正することにした。
「さすがに次はこの手は使えませんし、わたしはともかく小太郎さんのように大柄な女中はちょっと目立ちすぎます。しばらく天井裏あたりにでも隠れ潜みます?」
わたしは建設的な提案をしたというのに、小太郎さんはとうとう、空いたてのひらで額を抑えてしまった。
生娘みたいな反応しますねあなた。