前略:
ふたりがまがりなりにもラブコメするまで三十万字が費やされました。
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「……黒服の御方々ったら、我が物顔で城内闊歩してくださって……」
埃っぽい物置の板戸の隙間から、外を覗いてわたしは呻く。
そりゃあ、
「二度としないでほしい」
「まだ仰るんですか」
小太郎さんはしつこいし……。
憤懣やる方ないという様子で説きつつ、彼は未だにしきりに着物の袷を気にしている。さすがに既存の女物ではあまりに丈が合わなかったこともあり、潜り込んだ物置を漁ってそれらしい男物の着物に替えていた。襟を気にする理由はもはやないと思うのだけど。
いずれまとめて洗って返しましょうね。いずれ。
「他の者にしていないだろうな」
「もう、ふりにとやかく仰らないでください」
「おい反省してないだろ」
「そう言われましても……」
わりと好き勝手した自覚はあるものの、ここまで振る舞いばかりをちくちくなじられるともはや文句というよりは小言である。幼少期でも小太郎さんにはここまでしつこく叱られなかった。もっぱらガミガミ言うのは兄上でクドクド言うのは銀さんだった。当時のわたしは素直な良い子だったこともあり、小太郎さんや〝先生〟のお話は特に唯々諾々と聞いていたせいやもしれません。
「ご心配なく。あのような切羽詰まった状況に陥る方がまれですもの」
「……いや、結構陥ってないか? 半分以上の確率でおまえは窮地に陥っている気がするのだが」
「そんなこと」
……一回言葉を止めて、記憶を想起する。
……うーん。えーと。
たしかに小太郎さんとは、再会はもとよりほぼ毎度、死にかけたり怪我をして捕まったり捕まりかけたり、のタイミングで鉢合わせていますね。半分以上、当たり率は脅威の
「……あなた以外にしていませんよ」
「ご、誤魔化しにかかっている……!」
「誤魔化されてくださるでしょう?」
とうとう絶句された。
「さておき」
小太郎さんから視線を外し(彼はフリーズから復帰して、またもや額を抑えて「育て方を間違えた」と呻いていた。育てられた覚えは——小太郎さんだと、ちょっとある)ふたたび、板戸の隙間から外を覗く。
「城から脱出することは可能かとは存じますが……御所まで近づくのは、この状況ではなかなか難しそうですね。一度吉原まで戻って体制を立て直すべきかしら?」
あるいはもう一度、遣手婆に矛を収めるよう説得を試みるべきか。
幕府側はちょうどいい下手人を捕らえたこともあるし、一橋の若君の失脚要因に仕立て上げつつ、あとは定々公および茂々公・そよ姫を守り切れば、天導衆としては此度の騒動は丸く収まる——転じて、さすがに警備はいよいよ厳重だ。真選組はあれでいて仕事をするのがなにより困ったところだった。
「……ハァ。少し上を開けてくれ」
「はあい」
わたしがかたくなに取り合わないから、とうとう小太郎さんは諦めたご様子だ。言われたとおりに身を屈めると、わたしの背に覆い被さるようにして彼も隙間から周囲を窺う。小太郎さんの肩からこぼれる髪が頬にかかって微妙に邪魔なので、手を伸ばして、片一方に勝手にまとめてしまうことにした。ついでにわたしの髷をまとめていた髪紐を解いて、それで髪先を束ねよう——とすると、小太郎さんのてのひらがわたしの肩に降りて、抑えられた。
……。
……まァよろしい。髪が遊ぶままに留めてしまおう。
艶やかな黒髪を一通り除けてから、わたしは己の髪を結び直した。もう髷はよいのでいつものようにひとつ結び。
「……見廻組局長は、死んではいないな。病院に担ぎ込まれて予断を許さない状況とのことだ」
このひと、またこの距離で盗み聞きを平然と成功させてる……。
「佐々木さんの容態の噂がどれほど正しいのかはしょうじき判別つきませんね。あのひとは大概謀略の鬼のようですから」
「だとしても、負傷した、までは確かな事実だろうな。でなければあの女副長が下手人の一味として捕まったことに説明がつかない。彼らにとっても予想外の事態と見るべきだ」
「たしかに」
「それで……どうやら、銀時たちは明朝に処刑を執り行われるようだ」
「ほぼ即日即断の速度ですね。マ元白夜叉殿ともなれば理由づけにもちょうどよいのは自明です」
その事実まで割れているのかは判然としないけれど、どうにせよでっちあげには事欠かない。なんなら攘夷戦争時代のことが露見していなくとも、でっちあげる必要すらない。吉原で死神太夫と畏れられる月詠さんと、おそらく奈落出身たる今井さん、万事屋の従業員の方々まで捕まっているのかはまだわからないけれど、だとすれば宇宙海賊春雨に身内がいる夜兎まで含むのだ。腹に一物なくとも脛に傷もつ方々ばかり、理由は選り取り見取りに揃い踏み。地味そうな眼鏡の子も、案外負けず劣らずやんちゃなさっているのかしら。
「ところでおまえは先程、ずいぶんと江戸城の散策に慣れていたようだが。内部構造はほとんど把握しているな?」
小太郎さんの口振りは疑問形こそとっていたものの、半ば断定だった。
わたしの肩に置かれたままだった手に、やんわりと、力をこめられている。
「……どちらに向かいたいのです?」
「奴らが捕まっている牢。おおよそ、見当はついているのだろう」
つくかどうかでいえば、つく。
そよ姫のお友達として白昼堂々、侵入。本丸に加えて御所からも多少離して、万事屋+α御一行の素性が露見していなくとも今井さんがいらっしゃるメンバー、となると奈落側の警戒態勢は高め。武装解除ぶんを差し引いても、それなりに頑丈な牢にせねばなるまい。
「一旦お互いの情報を共有するべきだ。呉越同舟というだろう」
この状況自体が既に呉越同舟と言える。わたしは細く息を吐いた。
「日が沈んでからの行動でもよろしいですか」
「相分かった。どのみち目立つ、昼日中に侵入は難しい」
小太郎さんは首肯したらしく、顎がわたしの頭頂部にちょっと刺さった。ご存知かもしれませんがわたしの頭は顎置きではありません。兄弟子どちらもこうなんですけれど。兄上もわりと雑にわたしを肘置きにしてくるので姿勢次第で顎置きにされそうですね。
「……小太郎さん」
「なんだ」
「そろそろ退かれないんですか」
「外の様子を随時確認しておきたい」
ウーンこれはただの正論。
「重いか?」
「いいえ……」
わたしはちいさくつぶやいた。銀さんのように遠慮なしに乗せてくるわけでもないので、重くはないのは確かである。位置取りや姿勢も踏まえてこの体勢がもっとも効率がいい。つまり合理である。
……合理なので、反論しづらい。
床に目を落とせば、板戸の隙間から光が差して、物置内に線を刻んでいるさまが目に映る。傾斜と長さから推察するに、日が沈むまであと
……その間密着姿勢ですか。そうですか。吉原のときとは違って怪我もしていないし切羽詰まった目的もないので、つまり気を紛らわせる方法もないわけですか。
はい。
わかりました。
そういうこともございましょう。
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耐久レース二時間は割愛させていただく。
わたしたちは夕闇に紛れて城を駆けた。遮蔽物が少ないので、わたしが把握している巡回ルートと本件の警備強化を加味して、死角を抜けることを繰り返した。
『んー格子は合金素材ですね、もとはなんでしょうか、たぶん天人のそれですけれど……』
『真選組が彷徨いているあたり時間をかけていられないな』
塀から屋根に飛び移り、小太郎さんが鯉口を切った——さすがに爆弾を出すよりはましだ。
一瞬のち、バラバラになった格子が牢の中に落ちる。「あヤバ」「もう」一足先に飛び込んで、格子の欠片を宙で着物の袖でさらった。音立てずに着地。
「……おま」
「あっ」
目を見開いた銀さん、月詠さん、立ち上がった神楽女王陛下、続いて眼鏡の男の子がわたしを指差し「あっアンタ——」言いかけた口を光の速さで今井さんが塞いだ。
「もがもが」
「……鼻まで塞いでますよ」
今井さんは人差し指だけ外して男の子の鼻呼吸をお返しした。
「武士たるもの常に動じず、平静に。大声を出すなぞもっての外だ」
わたしの隣にすたんと着地した小太郎さんが、真面目なお顔で仰った。
「ああそうかよ」
その襟を銀さんが締め上げた。
「そいでてめーはな・ん・でどこぞの末っ子と一緒にいんの。事と次第によってはてめえを暗殺犯の代替に差し出すからな俺ァ」
「締まる締まる締まってる」
「まさかと思うが示談で和解したとか言い出さねえよな、なんならこの騒ぎネバネバ納豆の如く裏で糸引いてたとか言わねえだろうな、いくらてめーが電波だからってやって良いことと悪いことの区別はつくと思ってたんですけどォ!? 大使館爆破テロリストに戻ってんじゃあねえぞ!?」
小声で怒鳴るだなんて相変わらず器用な方ですね。
「ぬしは……日輪と旧知の、鬼兵隊幹部だったか」
険しい顔で月詠さんがわたしに眼差しを向ける。「ご無沙汰しております」わたしはちらりと会釈した。
「……オマエ、バカ兄貴まで連れて来てねーよナ?」
「もしも神威さんまでいらっしゃった場合、確実にもっと騒ぎになっています。吉原のときの如く通りすがりの御徒衆を適当に惨殺したりなど」
「タシカニ」
神楽女王陛下は納得したご様子で頷いた。
「今回は鬼兵隊としてではなく、わたし個人として動いておりまして。というのも、吉原の旧知が鈴蘭太夫にご熱心でしてね」
膝を伸ばし、着地時にかすかに立った砂埃をてのひらで払う。それからわたしは襟元を正した。
「定々公を誘拐して鈴蘭太夫に会わせて土下座させて吉原引き回しにしろなどと仰るものですから」
「なんて?」
「わたしもちろん断ったのですけれど。脅されまして」
「おまえを脅す度胸のある人間がいるの? 一応泣く子も殺す鬼兵隊の幹部様だよな? 顔以外のなにもかもかわいくねーだろ常日頃殺意に満ちてんだろ実現可能なやつ?」
「仕方なしにお城に潜入して誘拐の機会を窺っておりましたが……いよいよ妙なことになってしまいましたところで、小太郎さんが皆様の牢の方へ向かいたいと」
視線を向ければ、小太郎さんを絞め上げる手が若干緩められた。
「と、とりあえず前提を共有するべきかと思ったのでな」
咳き込みつつ小太郎さんは仰った。手をようやく振り払って袷を正す。
「……前提以前になんでおまえらは当然の顔して一緒に行動してんの? 俺はそこが知りてえよ」
いつにも増してじっとりした目つきの銀さんがわたしと小太郎さんを交互に指差した。失礼なお方。
わたしは頬に手を当てた。
「脅迫の加害者と被害者です」
「人聞きの悪い」
小太郎さんが、不本意! の顔をした。
「では加担しないでいただきたかったところですけれど」
「アちょっと待って〝脅迫〟ってさっきの脅迫!? この組み合わせでヅラが加害者なことある!?」
「ヅラではない桂だ! いや柱だ? もう桂だな」
自分でつけたお名前にひとりで大混乱しないでほしい。
「兄上の部下って兄上の如く過激な方が大変多いので、わたしに当たりが強いお方もちょーっと思い込みと行動力に抜きん出た方も、そこそこいらっしゃって。たとい経緯がどのようなものであろうとも、こちらの攘夷党党首と密会現場を激写されると真実を確かめることなく暗殺者が差し向けられるのですよねえ」
「……ああ……」
ああ、ではない。万感こもった相槌やめてほしい。戦争中もそんなかんじだったんですか、兄上の部下って。容易に想像がつくのがいちばんつらい。
「……普通に可哀想じゃな」
「コイツ、銀ちゃんみたいに目が死んでるネ」
「俺でも普段ここまで死んでねえよ」
「たぶんどっこいどっこいだと思いますよ。……ところで今井さんそろそろその彼? のことは離して差し上げても良いのでは」
「忘れてた」
今井さんがパッと手を離した。
解放された眼鏡の子は今井さんからじりじり距離を取り、最後に神楽女王陛下のお隣まで飛び退った。神楽女王陛下は今にも〝仕方ねーナ〟とでも言い出しそうな表情で、眼鏡の子の背中をさすっている。ふと思い出したようにわたしを見て、もう片方の手で眼鏡の子を指差した。
「コイツぱっつぁん。新八ネ」
「あら、ご紹介ありがとうございます」
「エッ勝手にご紹介された……」
「神楽? 平然となにしてんのウチの子?」
「わたし高杉ヒカリと申します」
「あっどうもご丁寧に……志村新八です……」
どうにも素は良い子のようだ。混乱した様子でも彼は頭を下げて名乗った。
「ぱっつぁんおめーがツッコミ放棄したら終わりよこの世が」
「僕のツッコミに世界の存亡をかけないでくれませんか」
「眼鏡化したメガネ星人ヨ」
「神楽ちゃんはあのホントにどういう紹介を目的としてるの? 僕を眼鏡で印象付けようとするのヤメテ?」
「なるほど……?」
「てめーはてめーでようわかってもねえのに相槌打つな。えっなんかやたら神楽に優しくね? その半分でもいいから銀さんにも寄越せ兄弟子を敬え」
「戯言は置くとして……」
「戯言扱い???」
「神楽陛下とはいろいろございましたので」
「いろいろってな、ッ」
銀さんがまるで、なにかまずいことにでも思い当たったように視線を逸らした。
……神楽陛下、以前二人でお会いした際のこと、お話しなさったのかしら。
「突然不審な動きする白もじゃアル……怖……近寄らんとこ……」
「流れるように僕を差し出す動きなんだけど」
「社長の乱心を諌めるのは右腕の務め!」
「ねえ……」
スススと志村さんを盾にするあたり、たぶんなにも話しておられない気がする。
であればただただ、銀さんが不審な動きをしているだけというわけですね。
「……それで、情報共有?」
彼女の上司のごとく半眼で眺めていた今井さんが、話を戻す。
「でもこの人たち、傾城太夫の真実の由来すら今まで知らなかったみたいよ。あなたたちの方が持っていた情報量はなんなら上かも」
「ハァ? むしろてめーらそのへんまでハナから知ってたのかよ。ンだよもう最初から言えや……」
「……そもそも何故銀さんが協力していらっしゃるのですか? いくらちゃらんぽらんに見せかけてうっかり情に棹さし呆気なく流されるお人好しといえども」
「罵ってるだろ」
「一応、きっかけもなく誰彼構わず首を突っ込むほど見境ない人ではありませんよね」
「罵られてるだろコレ。出るとこ出てやろうかマジ」
地団駄を踏む銀さんの横で「……わっちが無理を言った」と、月詠さんが苦い表情を浮かべた。
「わっちは、長いこと吉原を差す月として生きていた。鈴蘭太夫が月夜に見る夢を、次の満月には攫いに来ると小指に交わした約束を……せめて現実に招いてやりたかったのじゃ。……あそこまでの下郎とは思わなんだ。間違いなくわっちが、見誤ったのでありんす」
「ツッキー……」
「……巻き込んですまなかったな」
月詠さんが目を閉じて、首を横に振った。
「……ヤべつにツッキーのせいとかじゃねえけど」
銀さんが地団駄をやめて、そっぽを向いて小指を立てる。指には髪の毛が結ばれていた。白く光る質の悪い髪だ。くせ毛ではないから銀さんご本人の髪ではない。鈴蘭太夫のものかしら。
「俺は老い先短い婆さんの赤い糸とか結べちゃったら遺産たんまりもらえるかと思っただけだし。べつに」
「銀さん……照れ隠しが回ってだいぶ苦しくなってます」
「うるせーボケだからてめえはいつまで経っても眼鏡なんだよ!」
「眼鏡を罵倒に使うな! レーシックしろってかァ!?」
小声で怒鳴り合うだなんて器用な方々ですねえ。
わたしがしみじみしていると「なんだその指は」小太郎さんが首を傾げた。
「ヘアターニケットか?」
「あなたもしかして、銀さんを赤子だとでも思っていらっしゃいます?」
「ヘアドネーションはよくわかんねえけどつまり馬鹿にされてんの?」
馬鹿にする意図はないのだろうけれど、どちらにせよ台無しですよいろいろと。
「鈴蘭婆さんの心中立てだよ。勝手に結んできやがったの」
「……心中立て? それが?」
「それがって何。言っとくけどあっちの指には俺ァ結んでねーかんな、それこそ先約の髪が巻きついちまってたんでね」
憎まれ口を叩く銀さんに、小太郎さんはますます眉を寄せた。
「……そうではなく。銀時。ヒカリもだ。おかしいと思わないのか?」
「は?」
「心中立てだぞ。何故、ちゃちに髪の毛を結ぶ程度で済んでいる。
ぎょ、と皆々、小太郎さんに視線が集中する。月詠さんが「エッ……」と素みたいな声を漏らした。
わたしも若干引きかけて——あれ? と気づいた。インパクトあるスプラッタ言動に引っ張られかけたけれど、小太郎さんが仰っていることは間違いではない。
「……元来は、そうですね? ゆえにこそ約束は〝指切〟なわけですし」
「そうだ」
小太郎さんは頷いた。
「好色一代男にも心中箱の話があるだろう。九替十年色地獄は指切の絵図があるのであちらの方が適切か? あれらは特に遊郭に根付いたものだ。吉原遊郭もまた、心中文化の最先端を走っていた。年に十数人は排出される情死の社会問題……」
「イヤ死に方の社会問題てオマエね」
「オマエね、はこちらの台詞だぞ銀時。つくづく貴様は居眠りばかりのサボり坊主で先生の話をまァるで聞いておらんのか! 社会科の講義でお話なさっていただろうが! さすがは教本をもラーメンこぼして捨てただけあるな!?」
「今その話よくなぁい!?」
ラーメンこぼして捨てたわけではないものの、うっかり教本を失くしているわたしとしては地味に気まずい。
「くっかくなる上は俺が改めて教鞭を執るしか。違うそうじゃなくて、とにかく——心中立てだ」
小太郎さんは自らぐちゃぐちゃにした話の流れを自ら引き戻す。
「髪の毛を小指に結ぶなど、俺は今初めて聞いた」
「……とはいえ、わたしが吉原で耳にした心中立てもそのたぐいですよ。髪を結んで契りとするものです」
たしか当時は、知識と現場の流行りは違うのだろうと考えてその後は気にもとめなかった。だから鈴蘭太夫の件も今まで違和感はなかった。現物も見ていないし——確かに遣手婆も〝小指大事に守って〟と仰っていた。既に切った指であればなかなか出ない表現だ。
月詠さんも眉を寄せて腕を組んだ。
「わっちがしっている心中立ても、指に髪を結ぶものじゃ。記憶にある限り十年以上前からじゃな。あっても爪や血判状……」
「地下吉原には、確かに俺は詳しくない。天人文化の流入もあり、再建で一度まっさらになっている。地下に潜って変遷した内容が客以外に流出しなかったとみれば納得がいく。けれど、傾城太夫——鈴蘭太夫の時代はより前だ。なんならば天人襲来よりさらに以前。それこそスタンダードは〝指切〟の時期だ」
小太郎さんが反駁する。とっても猟奇的だが、そういう概念に熱狂する時代が実際にあったことは事実だ。
……で。
「……いえ、その、桂さん。心中立てが由緒正しい方法……由緒正しいってなんだ……とにかく、そうじゃなかったとして、だからなんです?」
志村さんが控えめに尋ねた。
「
「……悪代官が自分の指切りたくなかっただけと違うネ?」
「元来の心中立てで指を切るのは遊女のみなので、それは理由ではないと思います。数多の客を取らざるを得ない人間が、ゆえにこそ商品価値のある身体を傷つけることで誓願を示すものでした」
もとは売り手と買い手、不均衡な立場ゆえに取られた方法だ。そういう点ではそもそも、売れない遊女や借金苦の客が無理心中を迫るケースの方が多かった。
わたしが説明すると「怖……」神楽女王陛下が肩をすぼめた。情念には力がある。良くも悪くも。
「覚えているだろうかヒカリ、オババさんは〝一丁前に心中立てなんぞとすかして〟と言っていた」
このひとあのとき、本当に長いことスタンバってたみたい。
「あれはつまりオババさんが腹に据えかねていたこともあるが、行い自体が
……新吉原創立と同タイミングで、芸妓の教育に回った遣手婆。当時はあまりに人手が足りず、教育係も足りず、彼女は主の妓楼に加えていくつか兼任していたとか。
……まさかね。
「そして、スタンダードな指切ではない方法での誓願——思うに、俺は単純に、ひとつの事実を示しているんじゃないかと思う」
小太郎さんが小指を立てた。
「指を切れば痛い」
本当にごく当たり前の話をされている。
「酢でふやかすなどのやり方もあったようだが麻酔でもないのだから当然痛い。麻酔が手に入ったところでけっきょく傷も残る。
「……若い頃にしても、いえ、ゆえにこそ、定々公がそのように殊勝であるとは到底思いがたいものです」
「だからこう続く。大前提だ。——鈴蘭太夫の心中立ての相手は本当に定々公か?」
いよいよ牢内が静まり返った。
「鈴蘭太夫も、暗殺の道具として用いられていたならば夢を見る余地があるものか。攫いに来てくれると本気で思うだろうか? いくら相手が女遊びに謀略にと四方八方暴れん坊将軍だったとしても、色恋沙汰の知見自体は百戦錬磨の花魁に軍配が上がる。定々公も、わざわざ攫いに行くと約束して反故にするのは合理に欠ける」
「合理って桂さん」
「徳川定々の理屈を考えれば当然そうなる。吉原に留めるために気を持たせるには己が所業が最悪であることくらい自覚していよう——あの男仮にも、前将軍で相談役だ。そうでもなければ魑魅魍魎の巣窟に居座り続けることもかなわん。鈴蘭太夫を利用するだけし倒したならば、そののち、殺した方が早い。留めたところで喋る口はあるのだからな」
あまりに冷徹な物言いだった。
普段ふざけた言動ばかり目につくけれど、本質的にこのひとは、今の幕府に失望して革命を志す攘夷志士である。
「傾城太夫の真実は、表にはほとんど出回っていない。鈴蘭太夫が明かさなかった。自らを袖にした男に一度も失望しなかったのか? やり返そうとは少しも思わなかったか? 度が過ぎたお人好しだからか? 将軍候補に見初められて暗殺の道具にすら仕立て上げられた傾国の花魁がお人好しな
腕を組んだ小太郎さんは、真っ直ぐに我々を見回した。
「すべて、そもそも別人との誓願であれば、説明がつく」
「……つまり、なんです?」わたしは額を抑えた。
「いろいろ様々な突っ込みどころを脇に置くにしても……あなたのお話をまるっと飲み込むなれば、わたしが脅迫されて定々公誘拐に乗り出した意味がいよいよすべて消失するとでも?」
立て板に水の弁舌がここで止まった。
小太郎さんは若干目を逸らした。
「……ウンまあそう」
いったいなにが〝ウンまあそう〟? わたしが醜態さらして慌てふためいた時間と必死こいて江戸城まで侵入したこの数日と敵対している兄弟子とご対面してお話しているなにもかもが無駄ってこと?
本気で仰ってます?
「……ヅラァ、御高説はわかったけどな。いろいろボロボロのボロちゃんだよおめーさん」
銀さんがボリボリと後頭部を掻いた。
「まず、当時の婆さんにそれをできるやつがどれだけいたよ。最終的には将軍のお手付きってことで、ろくに客も寄り付かなかったって話じゃあねえか。その目を盗んでお忍びィ? 無茶言うな」
「む」
「私も同意見。暗殺対象は近づけたかもしれないけれど、それこそ、契りを交わす前に天国行きでしょ」
「むむ」
「心中立てが鈴蘭太夫のタイミングですり替わったこと自体、小太郎さんの推測でしかありませんしね」
「むむむ……」
理論の穴は自覚していたらしい。ズバズバと立て続けに指摘されて、小太郎さんは渋い表情で押し黙った。
「わっちも右に同じじゃな。加えて万一、ぬしの言い分がすべて正しかったとて」
極めつけは月詠さんだった。腕組みをした彼女は、物憂げに目を伏せている。
「だとすれば、鈴蘭が待っている男は……それこそ、とっくの昔に殺されてはおらんか」
……生きているならば何故迎えに来ないのか。人質に取る、と仰ったものの、そもそも生かす必要がないのは道理だ。
吉原から出られない——出られなくなってしまった鈴蘭太夫に、江戸城の仔細な内情がわかるはずもない。適当にお題目をつけて左遷したことにでもして、殺害を隠蔽すれば、鈴蘭太夫は勝手に口をつぐんで閉じこもってくれる。無意味な牢獄の完成だ。
重苦しい沈黙がしばらく続いた。「……ハァ」銀さんが嘆息して、足元にしゃがみ込む。邪魔なのでひょいと避けた。
「……なんか外うるさいネ」
神楽女王陛下が煩わしそうに扉を一瞥する。真選組の皆様だろうか、わりと聞き覚えのある声での怒号が飛び交っていた。
「……人が明日処刑されるってのに呑気なものですね」
志村さんが膝を抱えてつぶやく。「処刑マジでどうするよ」銀さんはぼやいた。
「窓から上れねェのコレ。てめーらがぶっ壊した窓。こっからだと届かねーけど、なんか方法あるから普通に入ってきたんじゃねえの」
「格子の欠片を重石として、着物を裂いて縒り合わせて紐にし、窓の向こうに放れば上れます。この際なので脱獄程度ならばお手伝いしますが、いかがしましょう」
「ウンその曲芸できるのこのメンツだとおめーさんと神楽ぐらいなんだわ。ツッキーとそこの物騒女もいけんの? ギリか」
「ギリってどういうことじゃ」
「物騒女って誰のことかしら」
「殺意怖いよ〜……」
銀さんが冷や汗流しながら両手を上げた。全面降伏している社長を従業員たちはじとっと見て「これだから」「ホントホント」と囁き合っている。日常なんですね。
「と、とにかく。着物で作った程度の紐、いくら縒り合わせたところで特に俺らみたいにタッパのあるやつが体重かけたら千切れて終わりなの」
それもそうですね。
「……アレッそういえば俺は脱出できない!?」
「ばかなの?」
小太郎さんがハッとしたお顔になった。そんなことあるんだ。てっきり同じ方法で脱出できるか、策があるから続いたのかと思っていた。
「格子なら破壊できるのだが」
窓枠もそうだったけれど、若干錆びているので小太郎さんの腕なら斬れるだろう。
斬れるだろうけれど。
「外扉が無茶では? 石造りですよ。爆薬で破壊するにも、距離を取りづらい間取りかと」
「……ほ、本当にどうしよう」
「マジでバカなの?」
とうとう銀さんが頭を抱えてしまった。我ら同門、揃いも揃ってこんな感じですみませんね。たぶん〝先生〟の影響なんだと思います。許してね。
外の喧騒は未だ続き、むしろ苛烈さを増していて——そんな中、キィ、とかすかに音が響く。皆が振り返った。
ひょこりと覗いた少女のかんばせが、牢の中を見渡して場違いなくらいにほころんだ。
「そっそよちゃ」
神楽女王陛下の口を銀さんがバシッと塞いだ。あらまあお姫様。
昼日中の絢爛な姿はさすがに夜はないらしい。寝間着らしいシンプルなお着物を帯で締めて、彼女ははにかみながらも牢の中へと足を踏み入れた。
「あの、」
布団を連れて。
「ひとりじゃ寂しく眠れなくて……一緒に寝てもいいですか?」
……まあそのぐらいでもなければ江戸城のお姫様なぞ務まりませんよね。
そよ姫はわたしと小太郎さんに目を止めて「……お見かけしていない方がいる?」首を傾げた。
「もしかして、皆さんのお友達?」
「そうだ」
「違う」
「違うアル」
「違うな」
「違うかも」
「違います」
「違いますねえ」
「なぜ四面楚歌!?」
なぜが逆になに?
「でも息ぴったりですね」
息はぴったりかもしれませんけれど。共通のツッコミ対象に団結する方向で。
「……姫君、失礼ながら、指名手配書をご覧になったことはありますか?」
わたしが慎重に問いかけると、そよ姫はきょとんと目をまたたかせた。
「G嫌が見せてくださろうとするけれど、いつも伯父上が〝まだ早いですよ〟と仰って回収してしまうの。……どうして手配書なんですか?」
「……ウーン。いずれかの機会にご覧ください。攘夷党のあたりおすすめですよ」
「鬼兵隊もな」
わたしと小太郎さんは軽口を叩きながらも視線を交わした。今明かしたところでいたずらにパニックにさせるだけ——にしたって、一般諸氏でも不審者教育に〝まだ早い〟ことはないだろう。月詠さんも苦々しく口元を歪めている。
考える頭はありそうだけれど、それ以上に、世間知らずで無垢な子どもだ。お友達の神楽女王陛下と仲が良さそうだから、知らぬ顔もまた無害だろう、と弁別する。甘やかされて育った箱入りお姫様、と呼ぶこともできるけれど……どちらかといえば、飼い殺しの蚕に近い。ひとたび世話を止めればたちまちに死んでしまう。昨今、教育放棄は虐待の一種に属する。
「今度見せてあげるネ。私集めてるヨ」
「わあ、ありがとう神楽ちゃん」
「……何故手配書なんて集めているの?」
一旦場が収束したはいいものの、今井さんから妥当な疑問が呈された。
「ウチにはボンボンドロップシールなんて小洒落たモンないからシール交換できないネ。銀ちゃんに
「銀さん」
「ちがくて」
こちらは右腕(どう見ても十代の少年)に怒られている社長(二十代後半)。
「手配書コレクションはオトナでシブい趣味ネ。無手の百人斬りの、似てねー似顔絵はレートが高いアル。出回ってる時期が短かったから」
「レートって、神楽ちゃんもしかして流行らせたの手配書集めを」
「ふん、出来る女にとって流行は作るものヨ。マ童貞にはワカンネエか」
「なんでいじった!? ナァ!?」
……その二つ名、本当にどうにかして差し替えられないかしら。
わたしが内心絶望していると「まァ気にするな」と小太郎さんが仰った。
「坂本なぞ二つ名は〝声のデカい人〟だ」
「へえそうなんですね〝狂乱の貴公子〟殿。素敵ですね〝逃げの小太郎〟殿。わたしがお会いしたこともない〝桂浜の龍〟殿がいったいなんですって?」
「……ウンやっぱり差し替えって大事だな……」
「カワイソ〜」
「お黙りクルパーシャ」
「捏造二つ名を作るな」
指名手配犯・指名手配犯・元指名手配犯のくだらない諍いをよそに、そよ姫はいそいそと布団を敷いた。「お泊まり会みたいでドキドキするね」と微笑む顔は町人の娘のごとく、ごくありふれた子どものひとりに見えた。牢屋になんてミスマッチ。
「大丈夫、みんなの無実はG嫌が証明してくれるから」
……コイツらはべつに無実でもなんでもなくね? の眼差しが兄弟子から注がれているのを感じる。さっさと出ていって差しあげましょうか。なんなら処刑台にこれ見よがしに助けに行ってあげた方が、鬼兵隊幹部自ら助け出す重要人物、の烙印を押せて嫌がらせになるかしら。
そよ姫が話す〝じいや〟は側衆の六転さんだろう。定々公の忠臣として腕を落とし、暗殺まみれの周囲で唯一人生き残り続けたおとこ。そよ姫の無邪気な信頼が単なる雛鳥の刷り込みでなく、六転舞蔵が事実として茂々公やそよ姫に慕われるに相応しい人物だったとて——彼らの処刑が六転さんの一存で止められるものとは、思えない。
今回の逮捕はみるからに定々公の意向だ。定々公の意向に逆らってなお生かされた人間はいない。それこそ傾城太夫を使ってすべて殺されてしまったから。
「それでも眠れないなら、私が小さい頃、G嫌に聞かせてもらった寝物語を聞かせてあげます」
そよ姫はあっけらかんと言った。わたしは内心嘆息して、膝を崩して座った。
「こら」
「座るだけましでしょう。〝先生〟のお話ならばともかく……」
小さく叱られたので反論する。誰のお話にも真面目に傾聴する(傾聴して吟味した上で素っ頓狂に意味不明な返答をしてくる)あなたとは違うのです。
小太郎さんはジトッとした目でわたしを見て、彼はきちんと正座してみせた。将軍の妹君に対して、攘夷志士がよくやりますよ、本当に。
「むかーしむかーしある所に、殿様とその家来がいました」
普段きっと声を張ることもない、まるで濁らない清音がかろやかに言葉を紡ぐ。わたしは目をつむって聞いていた。
「この殿様の奥方は国一番の美しい姫君で、とっても殿様を大切にしていました」
それにしても、姫の方が殿様を大切にしている、と強調する導入は珍しい。たいていは殿様が愛妻家か、何度求婚してもつれない姫君、あたりだと思うのだけど。そもそも冒頭で家来の存在を加えているのも珍しい。殿様と姫君、ではないのかしら。
「でも殿様は姫君のそんな気持ちを利用し、牢獄に入れ、彼女に酷いことばかりをやらせていたのです」
……。
「そんなお姫様が哀れで、家来はいつも、姫様の涙を拭いてあげていたのです」
わたしも膝を畳み直し、姿勢を正して聞くことにした。
➤
「小太郎さん、とっても名推理じゃあございませんか。名探偵にでも転職なさいますか?」
「……いよいよおまえの目的は無意味と化したが」
「いえいえ。つまり、鈴蘭太夫に情夫を会わせてあげればよいのでしょう?」
「それで定々公を土下座させて靴舐めさせて吉原引き回しにすればよろしいのですよね?」
「……そういえばコイツ吉原では鳳仙に蹴り入れてたっけ」
「今回、足蹴で済むか?」
「済むと思って聞いてる?」
「まったく思ってないから聞いている」
「そりゃ一理ある」
「吉原にそのような奇っ怪な物体を持ち込まんでくれ。わっちも協力するから、江戸城内で手を打ってくれりゃんせ」
「妥協案が異常」
「よろしい」
「よろしいのかよ。いよいよダメそうだな」
「まあそういうこともあるな、人生」
➤
銀さんたちを先に送り出し、ひょこと扉から覗くと、見覚えのある方々が揃って苦虫噛み潰したような顔でわたしを見返した。
「あ、まだいた」
小太郎さんがわたしの上から顔を出す。
「いらっしゃいますね〜」
「……なァに呑気に話してんだろーな。今からしょっぴいてやってもいンだぜ」
「ふうん?」
わざとらしく刀を見せる動きに、わたしは眉を上げた。
「問答無用でないあたり、やはり牢内の会話は筒抜けですか? つくづくと腕の良い監察方ですね」
「いやあハハハ」
山崎さんが照れ照れと頭を掻いた。即座に十番隊隊長殿がしばき、呻いた彼の肩を組むと「山崎はやらねーぞ!!!」大声で反駁した。ずいぶんバイオレンスな仲間意識の示し方。
「言われなくとも、死の瀬戸際で人斬りに対峙してなお、局長殿と副長殿に忠誠を示すワンちゃんなどこちらから願い下げです」
わたしは素気無く切り捨てた。
「内側から喰い殺されてはたまりませんもの」
「信頼はできるな」
「そういう点ではね。ゆえにこそ、ぜーったいに、無理。あなたがたで勝手に仲良しこよししておいてくださいませ」
足取り軽く牢を出る。壊してしまった格子の欠片を弄びながら、わたしは周囲の真選組を見回した。
「ご指示なくして動けない公僕の皆様方、どうぞ上方から命が下るまで良い子に待機してくださいな。幕府に楯突くのはもとより我々の役目にございますので」
「指示が降りたら真っ先に素っ首刎ね飛ばしてやらァ」
「あらこわぁい」
しっしと手を振られた。見逃していただけるご様子だ。人生万事塞翁が馬——後ろから斬り殺されぬうちにさっさと行きますか。
駆けていると背後から声が追ってきた。
「デートでうつつ抜かすなよ〜」
「申し訳ございません一旦引き返してあのひと殺して来て良いですか?」
「やめなさい時間がもったいない」
小太郎さんはわたしの腕を引く。
「そもそも得物持って正面から相手取ったところで、沖田総悟は勝てんだろう、おまえ」
「ハイハイ今は諦めます。まったく精進しませんとねえ」
わたしはぼやいた。隙を見ていずれ、借りは返しましょう。
「ところで、〝死の瀬戸際で人斬りに対峙してなお、局長殿と副長殿に忠誠を示す〟……ふうーん?」
「あ゙あ゙あ゙」
「慕われてんなァ俺ら」
「まったく嬉しい限りだよなあ」
「揶揄ってるんだよ! 顔が! ウックソッ逃げらんねえニヤニヤしないでアンタら!!!」
「オーイ俺差し置いて土方に忠誠たァねえ。そんなにバズーカの炭になりてえかそうかそうか」
「あのテロリストまじ余計なこと言いやがって!!!」
集合位置には今井さんが誘導していたのか、御一行に姫様のシルエットが月夜に照らされて夜空に浮かび上がっていた。
「もう老い先短いお婆様のための国取り合戦。ご感想はいかがですか?」
「高杉に先んじてこのような機会を獲れるとは、とーてーも! 気分が良い!」
言葉通り、小太郎さんは高揚した様子で仰った。
ちなみにわたしも高杉です。
「この機に銀時にもふたたび攘夷に目覚めてもらわねばな」
ひょいひょいと屋根まで登ると「万事屋は怪しい宗教勧誘お断りでーす」銀さんが半眼でわたしたちを振り返った。いつの間にか、指には新たな髪の毛が巻き付いている。
「……なんか服変わってるけどお色直し?」
「見廻組の制服を手に入れたので」
手に入れたというか。ふたたび着直したというか。
「若干丈が短い……」
小太郎さんはしきりに丈を気にしている。
「薄々思ってたけどちなみに見廻組と繋がってんのはどっち? 高杉? ヅラ?」
「異三郎に任せてるから私よく知らない」
「わたしも兄上にお任せしているのでよく存じません」
「俺ではない」
「カスの論理パズルやめろ」
頭を抱えた兄弟子が「……そもそもふたたびってなんなんだよ」と話を戻した。
「戦争含めて俺が攘夷思想に目覚めていた時期は一ミリたりともねえ」
「なんだ、照れるな照れるな。ホラJOY! 攘夷でJOY!」
「マジでうざい」
頬をくっつけられた銀さんが必死に引き剥がそうとして……腕力で負けている。火事場の馬鹿力ならぬ喜びの馬鹿力だ。すごい。
「ヒカリ、おまえの管轄」
「わたしの管轄ということになると鬼兵隊の管轄になってしまうので攘夷党の主に対しては首を刎ねるのが筋ですがそれでもよろしいのですか」
「俺が引き取れっての!? この革命大好き浮かれポンチを!? 善良な一般市民が!?」
「税金滞納せずに払っていらっしゃるんですか、善良な一般市民さん」
「……たまには善良な一般市民が!?」
少なくとも滞納はしょっちゅうしているらしい。
神楽女王陛下と志村さんが仕方なさそうな顔で双方の背後に回って「せーの」で引き剥がした。
「ヅラァ、いい加減にするネ。銀ちゃんが使いものにならなくなるからヤメロ」
「く……リーダーがいうなら……」
あなたが仰るリーダーって神楽女王陛下だったんですか。
引き剥がしてもらった銀さんは迅速に小太郎さんから距離を取ると、月詠さんを盾にするが如く彼女の背に回った。月詠さんはもはや呆れた表情で、一連のやり取りを眺めていた。
まったく締まらないものである。
「ゼェ……ハァ……無駄に体力使わせやがって……ていうかてめーらはなにしてたん。着替えだけなの。つか今更、着替えもなに?」
「なにしてた、というか」
わたしは首をかしげた。
「一応城内地図はわたし、頭に入れていましてね」
「またこの子、ろくでもねえ企みしてそうなんだけど」
「俺もつついてみたが、口を割らないので本当にろくでもないと思う。たぶん高杉の指示だと思う」
「最悪だよあのお祭り大好き男。宮川大輔に謝れ」
「ヤラセのお祭り男はどっこいどっこいじゃないか」
「さすがに暗殺を花火と呼ぶ頭テロリストよかヤラセのがまだマシだろ」
一瞬前まで嫌がっていらっしゃったのに、いったいどうして団結してるんですか。男の方の友情ってじつに摩訶不思議。
やーね鬼兵隊って野蛮、とこき下ろし始めた兄弟子二人を半眼で眺めて——いいんですか銀さん? わたしと先程まで行動を共にしていたのはそこの御方にございますよ?——わたしは言葉を続けた。
「なのでつまり、武器庫の位置も頭に入れていましてね」
不自然な沈黙が降りた。
じりと月詠さんが足を引き、逆に銀さんが若干前に出た。露骨な警戒を受けている。
「……えーと。おまえいつも無手だろ? 今刀持ってるみたいだけど、そんだけだよな?」
「見廻組に紛れ込むにはさすがに得物が必要でしたから」
わたしは腰にくくりつけた脇差を軽くてのひらで叩く。そのへんでお手頃価格で購入しました。
「刀でできることは結構限られます……よね? 武器の無力化くらい?」
慎重に尋ねてくる志村さんにわたしは頷き返す。
「砲身切り落とすなどは多少はしました」
「僕が想像してた無力化とはとだいぶ違うんですけどそんな感じなんですね。ちょっと安心しました」
「たださすがに全武器その調子はちょーっと量が多くて難しいのと……なにより」
「なにより???」
「小太郎さんがけっこう爆弾にお詳しくて」
「ブイ」
ピースサインを示す小太郎さんを「ブイ、ではねえよ」銀さんが再び締め上げた。
「さっきどの口で高杉を罵ったの。罵れたの。三枚舌外交よりタチ悪いよおまえ。てか——ちょい待って、爆発音は今んとこ聞いてねえけど?」
「そうですねえ」
ずいぶん静かな江戸城をわたしは俯瞰した。
先程銀さんたちを殺しにかかった定々公の手の者たちも、できる限り、事は隠密に運びたいことだろう。城も、夜番の者以外は寝静まる時間帯だ。夜番はそれこそ今回の騒動の裏事情を知る人間に絞られる。
「……あと十秒ですか?」
「五秒かな」
ではカウントダウン五。
四。
三。
ド——ドドド、ドォン!!!
光速秒間三十万㎞、音速秒間三四〇m、最後に秒間数十mの風圧が我々を襲った。ずいぶん距離をとっているのに、強風に煽られて、髪が強くはためく。
外周に分散して配置された武器庫から次々と、轟音と共に火の手が上がる。さすがに城内にもう少し溜め込んでいるはずなので、全部とはいかないけれど。
もうもうと立ち上る黒煙に、わたしは頬に手を当てた。
「三秒でしたね?」
「ン、ちょっと見誤った」
「やだもうこのテロリストども」
「姫様、こっちに来てね。危ないから」
「あ、本当に危ない方々なんですね……?」
素晴らしい、姫様に人並みの危機感が芽生えましたよ。わたしたちの偉業のひとつに数えても良いでしょう。
「桂さんって穏健派に転身したんですよね? 僕全然そんなふうに思えないんですけど今の、ねえ」
「したが……?」
小太郎さんは心底不本意そうなお顔だった。
「誰も巻き込んでない」
「誰も巻き込まなければ爆破して良いっていうなら爆発物取扱に資格は必要なくてね桂くん。わかるかな桂くん」
「問題ない。火薬類製造保安責任者も火薬類取扱保安責任者も発破技士も俺はすべて持っている」
「このクソバカテロリストを通しやがった試験監督誰か連れてこい」
「俺の部下になにするつもりだ!?」
「てめえの部下なのかよつまりほぼノーチェックじゃねえか!!!」
銀さんの絶叫に耳聡く気づいた警邏が「あそこだ!」「出合え出合え!」指をさす。わらわらと集まってくる人々にわたしは腕を組んだ。
「やはり人員は火消しに割かれて数は減りましたね」
「砲弾が爆発すればさらに厄介、と考えれば大筒も持ち出せまい。砲身を寸断されてなお持ち出せるとも思えないが」
「銀ちゃん……ああいうの銀ちゃんもするノ」
「しない。あいつらがおかしい」
「刀一本でヘリ撃ち落としたと噂の御方に言われたくはございませんね……」
わたしは屋根からひょいと飛び降りる。重力に逆らって浮いた鞘が走るに任せ、抜けた刀をそのまま振る——着地。
パ、キ!
周囲すべての刀の柄が粉微塵と破れ、茎が露出した。
「……腕上がってないか?」
「ああオマエも思うのなソレ……」
「——そこを退け、モブども」
わざと音立ててわたしは刀を納めた。わたしの前に降り立った今井さんが、拘束したそよ姫の喉元に刀を突きつけていた。彼女たちの隣に着地した神楽女王陛下がカッと目を剥く。
「刀も振れない身でなにを為そうというの。姫様を傷つけられたくなくば私たちを通しなさい」
「さっさと退かねえと、姫様ぶっ殺すどォオ!? ゴルァ!」
「だ、だずげで〜〜〜」
そよ姫は迫真に、滂沱の涙を流している。
我々もこれはさすがに引きます。
「……今更ながら着替えについての回答ですけれど」
ドン引きする銀さん・志村さん・月詠さんを横目に、わたしは口を開いた。
「これにわたしと小太郎さんが揃うとたぶん攘夷浪士認定待ったなしでいよいよ見廻組が取り潰しなので……可哀想かと存じまして」
「もう取り潰された方がよくないですかこの惨状。攘夷浪士云々以前にヤバいですよ社会復帰不可能ですよ僕たち」
このひとたちも可哀想。
「ついでに俺とヒカリがそれと認識された状態で激写された場合、いよいよ俺たち双方が詰む。月夜とはいえ夜中だ。顔までよく確認しづらい上、制服を着ていればそちらに印象が引きずられるだろう」
「おめーもやっぱ詰むんだ……」
「ぬしらにもいろいろとあるのだな……?」
人を呪わば穴二つ。危ない橋を渡ってまで脅迫するものじゃあございません。
「……ところで俺らもその制服着たいんだけど。予備とかねえ感じ?」
「ありませんし銀さんはどのみち、制服を着たところで隠しきれないのでは?」
「誰が頑固なクソ天パだって!?」
「わたしは銀髪について申し上げております」
このように我々は人垣を無事に突破した。対価は万事屋御一行の社会的信用だ。
わたしたちまるで関与していないのですがこれ本当にどうするのですかね。
「姫様、これ以上は危険です。どこかにお隠れください」
「いいえ、お願いします。私も最後まで手伝わせて」
月詠さんの勧告に、そよ姫は食い下がった。
「なにも知らなかったとはいえ、爺やを
さて——正確には、縛り付けたのはそよ姫本人ではなく、これまたその存在を盾に取った定々公だろう。良縁をもまたある種のしがらみでもあり、しがらみはものによっては四肢を絡め取り、ゆるやかに人を絞め殺す。
「今度は私が爺やの力になってあげたいんです。どんなにはしたないって叱られても」
真面目な空気を誤魔化すように血糊をいそいそと懐に隠して、ふとそよ姫は、わたしと小太郎さんを見比べた。
「おふたりはもしかして……攘夷浪士なんですか?」
「違う! 攘夷志士だ」
「攘夷浪士で合っています」
「……あー、攘夷を掲げる奴らでも派閥争いってのがあって、こいつらは敵対してんの」
「……仲良いのに?」
「良くは、ございません」
わたしはキッパリと言い切った。「……」小太郎さんが若干物言いたげな顔で押し黙った。
「イロイロ複雑なの」
銀さんが強引に話を継ぐ。鼻をほじっていた小指がわたしを指した。
「両方危険だけどコイツのが危険。迂闊に寄るなよ〜パクッと食べられちゃうからね〜」
「……それでも、協力してくださるんですね」
そよ姫が目を伏せる。
「ごめんなさい。攘夷浪士の方々も……ただ悪人というだけではなく、私たちがご迷惑をおかけするばかりだったこともあるのでしょう」
「……姫君、ひとつ教えて差し上げますね」
わたしはぬるりと今井さんのガードを躱して、そよ姫の頬を指でつまんで引っ張った。傷ひとつないまろく白い肌だ。「ひゃい!?」目を白黒させるお姫様にやわらかく微笑む。
「理性的なバーサーカーと一見会話が成立したところで、それはあくまで奇跡的な偶然に過ぎません。我々とは基本、話が通じると思わない方がよろしい」
頬を離して、つ、とそのまま、指先でかたちのよい顎の線をなぞる。下に向かって喉を辿ってわたしはそっと彼女の頸の根元を掴んだ。
このまま力を込めれば殺せる。
「どうか慎重に動いてください。警戒を怠らないでください。あなたのように心優しき御方が、然るべき刻でもなく縊り殺されてしまうのは、わたしとしても望ましくありません」
そよ姫に触れていた手——が番傘に弾かれる。すかさず、わたしの腕はそれぞれ銀さんと小太郎さんに羽交い締めにされ、そよ姫は今井さんと月詠さんが背後に庇っていた。
少年少女に木刀と番傘を向けられて「やだ」わたしはとぼけた。
「殺しませんよ。兄上からも指示を受けておりません。まだね」
「……油断も隙もない」
「……そんなわけでコイツが一番危険なんだわ。寄らねえでな、マジ」
そよ姫は若干、ぎこちない仕草で頷いた。
「とっても慎重に振る舞います」
「……まあそうなんですけれども。そういう話ではないのだけど。伝わってますかねコレ」
「伝わってないとしてもアレはない。二度とするな」
「ううん難しいことを仰る……」
ちょっと毒気が抜けたのがばれたのか、兄弟子たちによる拘束が外された。
教えが効いたのかは、さておき——そよ姫の迫真の演技にはさらに磨きがかかり、その他トラブルもなく、我々は無事に、邪魔されることなく本丸前に辿り着く。
「ようやく着いたな将軍様んち」
「アレ? ねえ銀ちゃん、インターフォンがないアル」
「ええ〜もうどうすんの。お高く止まっちゃって、配達員にも不親切でやーね」
とぼけたコントの万事屋擬似親子。錠前はそこそこ立派で、鍵はさすがにそよ姫含めて我々誰も持っていない。
「鍵はたぶん……お城の中だと思います」
「塀を越えて、と悠長に時間をかけていると、わっちらさすがに砲撃されるやもしれん。姫を人質にとっているという体裁も難しい」
「刀で斬れなくもないけど」
「さすがにこの分厚さでは刀身に負荷がかかりませんか」
「時間も資材も消費していられん。シンプルに行こう」
小太郎さんがおもむろに、己の懐を探った。
「それではリーダー、こちらを」
「ン?」
神楽女王陛下に、す、と差し出されたのは球体の機械である。
「ここのスイッチを入れて……はい、大きく振りかぶってー」
神楽女王陛下はきょとんと目をまたたかせたものの、素直に小太郎さんから球体を受け取って、スイッチをポチッと押した。お手本のような投擲フォームで、足を高く上げ、大きく振りかぶった。
半眼で眺めていた銀さんが、諦めたように首を横に振り、すぅ、と息を吸う。
「
ヤケクソの如き大音声。
華奢な手にはまるでそぐわぬ豪速球が打ち放たれ——
「あーそーぼー!!!」
ピ、ピ、ピピピピピピ——
球体(※つまり、小型爆弾)が点滅を早め——
ドォン!!!
門扉どちらも立派な閂ごと吹き飛ばし、着弾・大⭐︎爆⭐︎発!
煙はかすかに白んでいて、室内の灯りが漏れていることが示されていた。なんでもマスターキーにより見事、門はご開帳というわけにございます。
「……爆弾って便利ですね」
「だろ?」
思わずつぶやいたわたしに、フフン、と小太郎さんが胸を張った。
かわいいので〝今日一日ずっとその爆弾隠し持ってたんですか〟という愚問は心の中にしまっておくことにした。