【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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兄弟子より姉弟子の方が呼び方としてかわいい(思想)


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前略:

 ピンポンダッシュはもう古い。

 江戸の流行りはピンポンもろとも大爆破。

 ※江戸より後の時代のひとは真似しないでください。

 

   ➤

 

 見た目ばかりは好々爺の微笑みを被り、徳川定々はとぼけた様子で我々を見回した。

「長生きはするものだ。歴史を紐解いてもこれほどまでに幕府(おかみ)を愚弄し、徳川紋に泥を塗ったのは、そなたらが初めてであろう」

「ッ、伯父上!」

 そよ姫が一歩踏み出た。口を開きかけていた今井さんがやんわりと彼女を庇うように制する。「ああそよ」定々公は眉尻を下げる。

「賊に拐かされたと聞いて、私は気が気ではなかったよ。さあ、早くこちらに来なさい」

「伯父上……彼らは、私の友人です。そう紹介したでしょう? 私は、私の意思でここにいます。このようなことは、もうおやめください」

 姫君は拳を握る。親指を握り込む握り方だ。誰かを殴打するのではなく、自らを奮い立たせるための拳だった。

「この方々が賊ではないことを私が証明できます!」

「彼奴らに何を吹き込まれたのかは、およそ察しがつく。そよ、おまえは騙されているのだ。そうであろう」

「ですから——」

「そよ、そなたは年端もいかぬ子どもだ」

 噛んで含めて言い聞かせる口調だった。

「あまりに無知で、世間知らずだ。ろくろく城から外に出たこともないそなたが、どうして賊の甘言を正しく判断できるというのか」

 ……マ、一理ある。わたしは万事屋+α御一行から一歩引いた位置から、定々公を仰視した。

 江戸の姫君は、悪意を以て騙そうとすればコロッと転がせそうなお嬢さんだ。実際にそのためにこそ極端に情報を制限していたのが〝伯父上〟であろう。すべての事前情報なく客観的に見たとして、まだ成人にも満たぬ子どもが賊の肩を持つなど、世間知らずのお姫様が都合の良いことを吹き込まれている、くらいが関の山だ。

 定々公以上の証言の信憑性がない。というより——定々公の決定を覆すだけの力がない。無力な女の子。

「……それが伯父上のお答えですか」

 そよ姫が乾いた声で言った。

 間違いなく失望がにじんでいる。

「問答は無駄のようね」

 今井さんは既に刀を抜いていた。

「徳川定々。幕臣殺害教唆の容疑で逮捕します」

 小太郎さんがチラとわたしを見る。

「わたしは出頭はいたしませんよ」

「それはもともと期待していない」

 正しいのですけれどひどい言われよう。

「六転の姿がない」

「……そよ姫が脱出できたということは、傍にお目付け役がいなかったことに同義です。となれば姫君が仰るとおり、本当に助命嘆願をしている……と、いうのが妥当な線でしたが。たしかに、ございませんね」

 これは外したか?

「より悪い、という可能性はないか。たとえば、動ける状態ではない」

「……一蹴できないあたりが最悪かと存じます」

「不幸中の幸いにして、彼奴らにとって想定外の人員がここにいる。この機に俺は先に六転を探すか——」

 ひとり抜け出そうとする小太郎さんをわたしは手だけで制した。

「固まっていた方が良い気がします」

「……奈落の件か」

「それもありますが……なんというか」

 城に踏み入ってからというもの、どうにも嫌な予感がぬぐえない。嫌な予感——というのはたいていは人間が無意識に収集している情報から経験則に基づいて立てているものだ。

「勘です」

「……勘は、なるほど。怖いな。女の勘は尚更だ」

 小太郎さんがじりと足を開くようにして構える。

「貴様がために吉原に流れた女の涙、男の血……たとえ天が許せども、吉原が法、死神太夫が赦さぬ」

 月詠さんが凄んだ。

「舞蔵を解放しろ。やつをどこへやった」

 答えぬ定々公に、月詠さんの苦無が差し向けられ。

「——天変に遭いて、天照を恨む者があろうか」

 風切り音は半ばに失墜。

 高い錫の音ともに、すべての苦無が砕け散る。

 まるで今そこに、見えざる神の手で描かれたばかりが如く。誰にも知覚させずに、一人の男が立っていた。この深夜にしかも室内でありながら、天蓋を被っているため、顔は識別できない。坊主のように白装束と、袈裟をまとった出で立ちだった。

 彼に呼応するように、御徒衆に扮した奈落どもがぞろぞろと階上に現れる。

「ヅラ、見えたか」

「……苦無を砕くところは、一応は。信じがたいが」

「錫杖一振りでぜんぶ粉々に砕いてた気ィすンだよな」

「同じものを見たようだな……」

 わたしの動体視力ではかろうじて軌跡が目視できる程度だったけれど、兄弟子たちは完全に軌道を捉えたらしい。

「そもそもあの男、まるで気配を感じなかった」

「……同感だ。ハァ、こいつら戦争にいたら、ちったァましだったかもな」

「味方に来ると思うか? このような輩」

 小太郎さんの無機質な問いに、銀さんは返答の代わりに舌打ちした。

「朧……」

「……ご存知ですか、今井さん」

 今井さんは朧さんから視線を外さない。

「奈落の今代首領よ。最強の凶手とも」

「あらまあ大物……さて、彼はその立場に見合わず、とってもフットワークが軽かったりするのですか?」

「いいえ。あの男が出張ることそのものが、奈落としても異常事態」

「マ、江戸城正面から賊がご訪問など、たしかに異常事態にございましょう」

 わたしはとぼけた返答をしながら、刀の柄から手を離さない。

 腰の重い奈落首領殿。錫杖を不可視の速度で一振りし、複数の苦無を一息に粉々に砕く、技量の高さと得体の知れなさ。なるほど奈落最強とは頷ける。

 ところで。

 ……あの声わたし、気のせいでなければ、聞いたことがあるのだけど。それも比較的直近に。具体的にいつだったかといえば、

「だが、嘆くことはない」

 思考を切る。

 小さな物音を聞き取るのは得意だった。だからわたしは咄嗟に床を蹴った。未だ粉塵が断続的に降り注ぐ中へ飛び込んで闇雲に両腕を広げる。ど、と両腕にかかった体重——ぬるりと液体ですべるてのひら、布地を掴んで摩擦をかける。身体をひねって勢いを殺し、受け身を取る。

 そのまま瓦礫に背中から突っ込んだ。

「ぐ、」

「ヒカリ!」

「天がもたらすは災いだけではない」

 ぱらぱらと瓦礫の破片が頭に降ってくる。体格が小さいわたしでも受け止められたのは、降ってきたそのひとがあまりに軽かったからだ。老いて痩せ衰えていることを差し引いても異常に軽い。血まみれだった。肩の部分からおびただしい出血があり、本来二の腕が続く場所はすっぱりと途切れていた。

 わたしごと六転さんを助け起こした小太郎さんが眉をひそめる。

「まさか」

「……じいや?」

 一方で、どさりと前の方に放られたもの。「ヒッ」そよ姫がかすかに息を飲んだ。目を凝らす。

 腕だ。

 人の腕が——腕だけが落ちている。

 わたしは六転さんの千切れた袖をめくった。予想通り、あるべき腕はどこにもなく、ただ真っ赤な断面が晒される。

「もっとも間に合ったところでもうその男には——」

「切断面が綺麗ですね。もしやこの腕、刀で斬られましたか?」

 定々公のお言葉の途中だったようですが、先代将軍様のお話を遮ってしまい、失礼をいたしました。

 わたしは努めて明るい口調を意識した。

「であればもしかしたらばくっつけられるかもしれません。できれば清潔な布やビニール袋、氷水をいただきたいところですが、まァ我儘いってもいられませんね。現物があるだけ上出来、上出来」

「く——くっつけられる?」

 そよ姫の復唱に「ええ」とわたしは即答した。この場において重要なのは、迷う素振りすら見せないことだ。

「神経や血管って、状態によっては縫合できるのです」

 たとえば先の阿伏兎さんの如く、貫手でそのまま腕をちょん切られるとさすがに皮膚組織が原型を保っていないので、縫合どころではなく、提案すらできない。一方で六転さんの腕は鋭利な物でストンと落とされた様子だ。骨断つにも一太刀、良い業物である。将軍ともあれば業物を持ち合わせているのだろう。

 ……成功率は言うほど高いわけでもない。そもそも六転さんはお年を召しており、そのぶん身体機能も低下している。既にだいぶん出血した様子だ。手術に耐え切れる身体かもわからない。

「いやはやご自身で腕を提出いただけてとっても助かりますねえ? おかげで手間が省けました」

 口にしなければ知る由もない話だ。気力ってのは馬鹿にはならない、たとえばあれで根性論に生きているわたしの友人みたいに、死の淵から意識を握って離さない最後の寄る辺になる。こともある。問題なのは、六転さん御本人の生きる意思だ。未だに反応はあるけれど、いつ意識喪失するかといった様相。

 少しでも、己が意思を、引きずり出す。

 腕を奪ったところで前に進む足は残っている。四肢を達磨にしたところで捧げた誓願に違いはない。人間ごときの悲喜交交などお月様は知る由もなく、満ち欠けを繰り返せど砕けることなく上がるだろう。彼らが誓った空月は未だ夜の帷に健在だ。

 約束のために這いつくばってでも泥舐めてでも、死ぬわけにはいかない人間はいるものだ。たとえばきっとこのひとは——そうだ。憎かろう男に何十年と仕え続けたその忍耐を執念と呼ばずしてなんというのか。……あるいは〝愛〟であるのやもしれない。

 果たされぬ約束を待ち続けているひとがいる。

 知っているなら、叶えるまでは走り続けなければね?

「ああそうだな! 斬り落とした腕を探し出すところからではさすがに大変だ。相談役も粋なことをしてくれる」

 小太郎さんが同意の相槌を打ち、続いて声をひそめた。

「腕を保存しつつ奈落の包囲網を突破か。なかなか難しい要求だな」

「さてはてわたしはか弱いおなごですので? 是非ともこの機に伝説の攘夷志士なる方々のお手並み拝見したく」

「おお、ウン」

「なんですかその反応。え? なんですか」

「ハイハイ痴話喧嘩後にしろよあとに」

 木刀の先端がわたしの頭を小突く。

「違います、これは同門漫才です。お望みとあればあなたとも丁々発止はなんのその」

「常に殺意抱えておいてソレは一周回って器用じゃね? ったく甘ったれの末っ子が。無理難題言うだけ言って諸々こっちに押しつけやがる」

「燃えるでしょ」

「やかましい」

「なんなら江戸城中引き回しまでお願いしたいところです」

「それはさすがにてめーがやれ」

 銀さんが吐き捨てて「俺らは心中立て爺さん送り届けるまでが仕事」わたしの頭を今度は拳で小突いた。

「じいやさんは僕が担ぎます。背負うの慣れてるので」

「それではお願いします」

 志村さんが進言したので、わたしは素直に六転さんを彼が背負うところを手伝った。物音に反応して咄嗟に動けただけで 、わたしもこの体格では人を担ぐには不向きだ。

「姫君は彼に声をかけ続けてください。この容態で意識を落とされると少し困ります」

「はい! じいや、じいや起きていてくださいね」

 駆け寄るそよ姫に念を押して、わたしはふーっと息を吐いた。

 階上はいよいよ、烏どもが雁首揃えて壮観だ。中心で群れの首領は不気味なほどに押し黙っており、定々公は不愉快そうに眉を寄せていた。

「逃れられると思うのか、我が掌から」

「ええ」

 わたしは頬に手を当てて微笑んだ。

「天網からも、ときにはこぼれ落つものですよ」

「天網恢恢疎にして漏らさず」

「銀さんその相槌今逆です、真逆。漏らしてもらわねば」

「いやいやァ? どうも漏らしてくれねえらしいから? この機に網ごと破くべきかとね」

 銀さんが若干鼻で笑った。さっき一瞬垣間見えた人殺しじみた目つきは、今は、鳴りを潜めている。

「……舞蔵の腕は、本当に繋がるのか」

「正直なところ、わたしの一存で完全に判別できるものではありません。わたしじつのところ医療従事者でもないもので」

「鬼兵隊幹部ともなれば、むしろ真逆じゃろうな」

 月詠さんを一瞥すると、彼女は見廻組の制服:白ジャケットに巻かれた腕を抱えていた。信女さんは自らの上着を脱いでいて、ぴったりとした黒のインナーが顕になっている。ふーん。やさしー。

「しかし可能性がなければわたしとてそもそも口にはしません。無意味な夢ほど残酷なものもございませんからね。……最悪義手のあてくらいまではご紹介いたしますが、そちらは鳳仙殿の方がお詳しいかと」

 義手義足は傭兵稼業の方々は当然馴染み深い。夜兎は特殊な身体能力を持ち、前線で大暴れするぶん尚更、それに耐えうる技術が必要になる。かの星海坊主も片腕は義手だとお聞きしている。

「わかった。鈴蘭も金属の腕に抱(いだ)かれるよりは、生身の男の方が嬉しかろう。さっさと片付けるに越したことはないな」

 わたしの言葉に頷いて、月詠さんは抱えていた白ジャケットごと腕をわたしに差し出した。

「この腕は預けておく。わっちよりもそなたの方が、扱いには詳しそうじゃ」

「あら。良いのですか、わたしは攘夷浪士ですけれども?」

「攘夷浪士は尚のこと、幕府への嫌がらせができる方が望ましかろう?」

 月詠さんが片眉を上げてみせる。わたしは素直に腕を受け取った。

 軽い腕だ。酷使され続けてついには斬り落とされた腕。

「それに晴太を取り上げて世話したとなればな」

「……もしかしてそれ一生こすられるんですか?」

「フッ」

「まったくあなたとて、あんなに小さな子どもがこんなにこまっしゃくれてしまって……」

「……覚えておらん思い出話ほど居心地悪いものもそうはないな」

「まァお互い、あの頃は必死でした。無理もないというもの——さて」

 一方的に思い出話に興ずるのは仲の良い方々でするものだ。わたしは話を戻すことにした。

「神楽陛下はそよ姫と六転さんの護衛お願いしますね」

「任せナ」

 神楽女王陛下は番傘を構えて胸を張った。

「仕方ネーからオマエのこともしっかり守ってやるヨ」

「あら素敵〜」

 これで子どもたちと御老人を、死肉ついばむ烏が集う前線から追い払う口実はついた。引率役がわたしとはなんとも、不似合いな話でこそあるものの。

「ハッ、周り全部敵だらけだ。ったく懐かしいな」

「言ってる場合か。ふん、戦場で喧嘩し合う馬鹿がいないだけ、昔よりマシさ」

「どこの誰でしょ〜ね〜」

「心当たりがある口調だなァ?」

 兄弟子たちは軽口を叩き、得物を構える。

「緊張感のないひとたち」

 今井さんもまた構えたままにぼやいた。「ある方ですよ、これでも」「これで? 普段が偲ばれるわね」「ふふ、というわけで監督役お任せします」「……そういうの、異三郎の役目で私じゃないんだけど……」嘆けど引きはしない彼女にわたしは軽く手を振って、志村さんと六転さん、そよ姫、神楽陛下のあとに続いて飛び出した。

 背後では死神太夫の声が張る。

 

「傾城——国崩しに参る」

 

   ➤

 

 階上(天)から烏どもが見下ろすなれば、城の外(地)には本物の御徒衆が取り囲んでいた。

「賊どもめ、将軍暗殺に飽き足らず姫様を拉致誘拐、江戸城を破壊してついには六転殿まで手にかけるとは!」

「状況証拠的にはそうですね」

「言ってる場合ですか!?」

 どうしようなんなら賊部分までわたしに関しては正しいかも〜、とのんびり思っていると志村さんに怒鳴られてしまった。はいはい。そうですね。

「おうおうずいぶん大口叩くじゃあネェか、姫様殺されてもいいってのかァ!?」

「ところであなたの相方この調子ですけれど」

「神楽ちゃんんん!!!」

 番傘をお友達に突きつける神楽女王陛下。志村さんは頭を抱えるにも抱えられない状態で唸っている。六転さんを背負っているのでそうもなりましょう。

 戦術的には、神楽女王陛下の態度は正しい。

 志村さんに大立ち回りはさせられない。瀕死の負傷者を背負っているというのもそうなのだが、六転さんが現在両腕を落とされているのがまずい。志村さんの肩に引っかけて安定させるに足る部位がないのだ。常に重心を前に傾けておく必要がある。

 となると神楽女王陛下とわたしでなんとか——わたしは六転さんの腕を持っているので、使えるのはせいぜい足程度。実質主戦力は本当に神楽女王陛下ひとりとなる。普通に無茶だ。人質として盾に取り、真正面からの戦闘を避けつつ、耳目を集めて下手なことができないように——

「神楽ちゃん」

 そよ姫が傘の先端に手をかける。

「私に話させて」

「そよちゃん今言ってる場合じゃないアルよ」

 小声で打ち返した神楽陛下に「だからこそよ」そよ姫は首を横に振った。

「じいやを早く病院に連れて行かなくちゃ、みんなにもこれ以上負担もかけられない——皆様、私は無事です」

 そよ姫は我々の前に進み出た。仕える姫君に落ち着いた眼差しで見渡されて、御徒衆は一瞬たじろいだ。

「ひ、姫様! すぐにこちらに」

 ひとりが進み出て進言する。

「先程は驚かせてしまって、ごめんなさい。さぞご心配をおかけしたでしょう。あれはお芝居だったの。見てください」

 そよ姫が両腕を広げた。血糊で汚れてこそいるけれど、そよ姫本人はもともと怪我をしていない。緊張しているだろうけれど指先は震えのひとつも見せなかった。当然、痛みを堪える様子もない。

「私は傷ひとつありません。彼らは私の友人で、伯父上にあらぬ疑惑をかけられて、直談判しに行く予定でした。私はそのお手伝いに一芝居打ったのです」

「し、芝居……?」

「はい」

 そよ姫は、まだ子どもの年頃を脱しないながらも、思慮深さにじませる眼差しで御徒衆を見渡した。

「皆様、よくお考えください。進軍中の彼らは皆さんを傷つけましたか。そうではないでしょう。あなたがたにも傷ひとつないのだから」

 ……それは単に、小太郎さんとわたしが武器庫を大☆爆☆破した結果そちらに人手が割かれたり、迫真の演技をするそよ姫が人質に取られているので手を出すに出せずに御徒衆が右往左往したり、偶然と策の集大成であって、決して意図的に傷つけなかったわけではない。

 ないのだが、そよ姫の言葉はきわめて真に迫っていた。これまた演技であるのか、それとも彼女が本気で〝我々が御徒衆を慮って傷つけなかった〟と信じているのか、わたしには明確に判別はつかなかった。

「よくご覧ください。彼らがじいやを傷つけたというなら、どうして捨て置かずに背負っているのでしょう。違うのです。逆なのです。じいやは、私の命で! 伯父上に彼らの助命嘆願を行い……その結果、処断されました。彼らは自らの身を危険に晒してでも、じいやを助けようとしたのです」

 とはいえ、なるほど——将軍の妹君だ。世間知らずなお姫様、と呼び続けることを躊躇うほど、堂々とした立ち振る舞いである。

「あなたが彼らを賊と断じるなれば、彼らを城に引き入れたのはこの私です。どうか通してください。通してくださらないなら……良いでしょう。それもまた、殿中警護を担当する者として立派です。ですが、」

 そよ姫は凛と声を張った。

 

「そのときは、まずは、私から処断なさい」

 

 わたしはそっと髪紐に指を通し、城前に集う御徒衆を眺めた。

 はいそうですかでは殺します——と、一介の城勤め程度ができるわけもない。できたらもはやそれはそれでクーデターである。御徒衆たちは戸惑った様子で、動くに動けないようだった。

 ……まァ。

 この場に一介の城勤めだけしかいないのであれば、の話ですが?

「ッ」

 神楽陛下の顔が途端こわばり、降ろしていた番傘を方向転換、バッ、と正面に開いた。連続した破裂音——銃弾が傘の真正面で弾ける。

「は……」

 志村さんが目を見開いた。もしも番傘の防護が間に合わねば、誰が撃たれていたのかは明らかだ。

「い、今……嘘だろ、そよ姫を狙った……?」

「……先程、定々公に明確に敵対の意思を見せましたからね」

 わたしはつぶやいた。

「定々公からすれば、発言力がないに等しいにしても、数少ない証言者を生かしておく必要がありません。そよ姫は将軍でもないので最悪は死んだとて問(﹅)題(﹅)が(﹅)な(﹅)い(﹅)。殺すか、怪我を負わせて、我々のせいとなすりつけられれば万々歳ということでしょう」

「け、けれど——実の姪ですよ!?」

「血縁は必ずしも互いの尊重を意味しません。しかしそう、あなたの意見も的を射ているでしょう。血縁であるならばま(﹅)さ(﹅)か(﹅)殺(﹅)す(﹅)こ(﹅)と(﹅)は(﹅)な(﹅)い(﹅)だ(﹅)ろ(﹅)う(﹅)と思わせられる——生きて帰ればそれはそれで、極限状態による錯乱、ストックホルム症候群として片が付けられる」

「そんな……」

 と(﹅)、言(﹅)う(﹅)こ(﹅)と(﹅)に(﹅)し(﹅)て(﹅)お(﹅)い(﹅)て(﹅)。

「……おれたちは……」

 御徒衆に混じっていたうちのひとりが、不意に、得物を下ろす。彼はぐるりと背後の御徒衆を振り向いた。

「貴様! 賊に加担するのか!?」

「ちっ違う! 違う、けれど——おれたちの役目はなんだ。殿中警護だろう」

 彼は震える声で語りかけた。

「であれば、おれたちは、姫様をお守りするべきではないか?」

「ッだが」

「脅威に晒される将軍の妹御を、守るべきではないのか!? 身を呈して忠義を呈した六転殿を、一刻も早く、助け出すべきではないか!?」

 反論に負けじと彼は声を張り上げる。やっぱり若干震えており、侍と呼ぶには微妙に情けない様子だが、逆に真実味を帯びていた。

「我々にとて忠義はある。矜持がある。上様に仕える者として、城の安寧を守る者として、敵を取り違えるべきではない!」

 今宵のはじめにあった夜のしじまのごとく、しん、と静まった御徒衆の中から誰かが「——そうだ!」と声が上がった。

「姫をお護りせねば」

「我ら城の警護を仰せつかる以上、対処せねばならぬ」

「六転殿も長年我々に気を配って心を砕いてくださっていた……」

 続々と、御徒衆がわたしたちに背を向けて武器を外に向かって構える。志村さんが呆然と彼らを見渡して「助かった……?」つぶやいた。

 途端、崩れ落ちそうになったそよ姫を神楽女王陛下が支えた。

「そよちゃん、大丈夫ネ!?」

「だ、大丈夫……ちょっとびっくり、してしまって」

 ふう、とそよ姫は胸を抑えて呼吸した。敵意満々の皆様に対して即興大演説、加えて狙撃による実質暗殺未遂だ。お姫様には酷だろうが——わたしは語りかける。

「早く行きましょう。次弾が来ないとも限りません」

「ッはい。じいやさん、もう少し踏ん張ってください。まずはお城から出ましょう」

 志村さんは力強く頷いて、六転さんを背負い直した。神楽陛下は番傘を片手に、そよ姫と手をつないで「行くヨ〜急ご! 競争!」「はい!」たたた、と駆け出した。

 そよ姫と神楽陛下を中心に、我々は城前の下り坂を駆け下りていく。その周囲を御徒衆もまた固め、武器を構えて姫に一歩も近づけぬと目を光らせた。

 わたしは少しだけ速度を落として、走りゆく集団の最後尾についた。先程御徒衆を奮い立たせた最後の大演説、それを成したひとりと並走する位置になる。

「——名演でした、中田さん」

「……もう、二度と、やらせないでください」

 御徒衆に扮した中田さんは、襟を引き上げて顔を隠すようにしつつ、辟易と仰った。見廻組制服へのお着替え中にご連絡差し上げたのですが、うん、仕事が早くてなによりです。

 着替えって時間を取るのですよねえ。わざわざ寄り道するとて相応に理由はありますよ、当然ね。

「アンタってホント人使い荒ァい……」

「部下って便利ですね。もっとほしいかも」

「とたんにウキウキと強欲出してくるのやめて!? 部下が可哀想だと思わないんですか」

「人員が増えるとあなたの負担も減りますよぉ」

「わーいと言いたいところなんですけどアンタの場合はさらに無茶を振る未来しか見えねえ」

 あら。

 ウーン。

 そうかも?

「てか銃弾あれ、ずいぶんタイミングよくなかったですか。定々や奈落の仕業にしちゃ杜撰な気がしたんすけどあれももしかしてアンタの仕込みですか。誰ですか。新手の第三者すか。まさか攘夷党だとか桂じゃねえでしょうね。おれさすがに庇えませんからね」

「それこそまさか」

 わたしは口角を引き上げた。

「けれども読みはかなり良いですねえ」

「最悪だ本当にアンタの仕込みか」

 ええ、ずいぶんタイミング良かったでしょう。演説の半ばではなく終わりを狙い、その後御高説ぶち上げた中田さんは撃たれない。おかげで定々公の手の者がお姫様を狙っているというエピソードが爆誕し、御徒衆の士気は上がり、そよ姫の護衛が大勢手に入った。

 なんとも都合よく、不思議な弾丸ですよねえ?

「また子さんにお願いしました♡」

「……本気で攻城戦するつもりなんすか?」

 どう考えても攘夷党ではない名前を出したというのに、ますますドン引きの目を向けられた。「いえいえそんなつもりはわたくしとしても」わたしは頬に手を当てる。

「攻城戦であればきちんと手順を踏んで、兄上にも許可いただいて改めて真正面から協力を仰ぎます。今回は念のため——わたしとて、本当に出番があるとは思いませんでした」

 文字通りの方の援護射撃として待機していただいたのだけど。お姫様の演説の援護射撃(マッチポンプ)をいただくことになるとはね。

「とはいえ、成功率を鑑みた選出ですよ。彼女とってもお上手でしょう? 早撃ちのまた子と素晴らしい二つ名ですけれども、じつのところ狙撃(スナイプ)までカンペキ。さすがは鬼兵隊(うち)の最古参幹部」

 国家転覆も何事も、まずは下準備から。

 また子さんは定々公の失墜お手伝いということもあり、二つ返事で引き受けてくださいましたけど、とはいえわたしとしてもかなり無理難題をふっかけた自覚はある。今度労ってあげませんと。兄上のお話も出してあげて。美味しいものも食べに行きましょうね。

「このひとマジで怖ァい……虫も殺せなさそうな顔なのマジでツラだけでしかねえ、桂小太郎って趣味悪ィ〜……」

「褒めますねえ」

「じつは褒めてねえかもぉ。ひーんにしてもガキを狙撃して煽り立てるとかおれたちってなんって外道」

「中田さんったらまったく人聞き悪いですねえ。わたしほんのちょこっと、素直になれない皆様の背を押しただけですのに」

「一歩間違えばそのまま崖下転落させそうな言い方やめてくれません? くわばらくわばら、おれ上手い話には乗らねえようにします……」

「失礼な御人」

 コントは置いといて、これにて上々、楽々脱出。六転さんと、この腕を預けたらば——わたしは走りながらも背後を振り仰いだ。

 江戸城本丸、最後の城門ごと爆破されたとてまだ健在。月夜を縦に裂くように、荘厳に佇んでいる。傾城、傾城ねえ。どうせならば文字通りに、城を傾けるところまでいきたいものですが。

 くだらないことを考えていると、じきに江戸城の大手門が見えてきた。不意に前方が足を止めたので、わたしや中田さんも速度を落とす。

 原因は明白だった。

「おまえたち」

 白馬に乗った将軍殿が、す、と我々を見渡した。彼の後ろには真選組と——見廻組。半眼の佐々木さんがジッと我々を眺めて、わたしを見てかすかに目を細めた。

「そよ」

「兄上さま……」

「真選組と見廻組から、粗方、話を聞いている。——よく頑張った」

 そよ姫の瞳からボロリと涙がこぼれる。神楽陛下が手を離すと、彼女はふらふらと前に進み出て、馬から降りた将軍殿になりふり構わず抱きついた。ひぐ、と喉が鳴るのがわたしにも聞こえた。

 ……我慢していただろう。

「兄上さま、じいやが、じいやが……」

「わかっている」

 茂々公は妹の背をさすり、我々を見渡した。

「皆もだ。よくぞ体を張って、我が忠臣を助けてくれた」

 中田さんが一歩離れた。佐々木さんが眼鏡を上げて、わたしに歩み寄る。

「今はどういう状況ですか」

「御一行と今井さん、それにわたしの同行者が今は城に残って奈落および定々公と対峙しております。奈落最強の方が出てきたようで……ああこちら今井さんのジャケットと、六転さんの腕です。ちなみに腕の縫合にお詳しい医者などご存知ですか?」

「……カレーの染み抜きよりは、大変そうですね」

 佐々木さんが間近の部下に視線を向ける。

「海野さん、大江戸病院に連絡を回してください。至急VIPの入院と手術をねじ込みたいと」

「既に電話かけています局長」

「仕事が早い。さすがはエリート」

「その連絡、余の名前を出してよい」

 聞こえていたらしい。茂々公を振り返って「承知」と佐々木さんは簡潔に述べた。わたしから佐々木さんに渡った腕が、さらにその部下へとバケツリレーよろしく運搬される。

「アナタはどうしますか」

「わたしとしても、この機に撤退したいのは山々なのですが……取って返します」

 わたしは刀の柄を撫でた。

「まだ城中引き回して土下座させておりませんので。約束は、果たしませんと」

「つくづく、恨みは買うものではありませんね」

「本当にそう!」

 

   ➤

 

 繊細な運搬物(斬られたばかりの人の腕)からも解放され、子どもたちの速度に合わせなくてもよいのであれば、わたしはずいぶん身軽だった。

「もしかして我々を置いて行った方がアナタは早いですか?」

「正直そうですね。どのみち外壁登っていきたいので、あなたがたは置いていくことになるかも……」

 見廻組の先行部隊が走る。真選組分との協力を差し引いても、そよ姫のケアと六転さんの保護・搬送、将軍の護衛、潜んでいる奈落への警戒に人員をいくらか割かれた。

 わたしは塀の上を駆けながら城を振り仰いだ。暗いから誰にも指摘されていないけれど、シークレットブーツはけっきょく回収できていないので、なんだかんだで今の今まで裸足のまま——裸足の方が地面を捉えやすい。わたしの戦闘に不向きな体格は、異なるリーチによって相手の不意を突く他に、己の筋力と身軽さによる瞬発力でカバーされている。

 傀儡政治はもうおしまい。茂々公が定々公に反旗を翻したとなれば、天導衆は最低限、不利な情報を握った定々公を確保した上で一掃したいはずだ。となれば定々公の逃亡手段がほしい。天(﹅)とは心底傲慢だが、しかし地上を固められた今、彼らはソラより降りる他あるまい——

「忍ですかアナタは」

「……え?」

 思考にかまけていたものだから反応が遅れた。わたしはかぶりを振った。

「それはさすがに、過大評価です。江戸城はいろいろとひっかけやすいところがあるから可能なだけで、つるつるしたビルだとかは無理ですよ。隠密行動としての壁登りもできませんし」

 もう隠密とか言ってる段階ではないので、人目を気にせず登れるだけである。

「それにわたし縄抜けだとか水遁の術はまるでできません。あれどうやってるんでしょうね」

「本当によくわからない人ですね……」

 佐々木さんはやたらとしみじみと仰ったのち「はいコレ」と良いコントロールでわたしに投げた。片手で掴み取る。……小さなチャック付きポリ袋に、シリンジとバイアルが入っている。シリンジの形状はむしろ麻酔針(ダート)に近い。

「奈落が用いる毒の血清です。私も先程一太刀受けた際に投与されましてね、だから来るにも手間取ったんですけど」

「ああなるほど」

「手持ちは他にもあるので、アナタも予備がてら持っておくといいでしょう。それでは一夜限りのエリート部下さん、どうかご武運を」

「ええ、即席仕立ての上司殿。お互いに健闘を祈りましょう」

 わたしは足に力を込めて、ダンッと塀を蹴った。跳躍、屋根に着地してまた跳ねる。吉原や春雨下剋上でお見かけした、神威さんを筆頭とした歴戦の夜兎族の動きはきわめて興味深かった。彼らは筋力はもちろんのこと、天性の戦闘の勘に基づいてオーバースペックの身体能力をさらにフルスペックに活かしゆく。ちょっとした踏み込みや着地の姿勢、すこし気を配るだけでもずいぶん違う。

 無論、劣化コピーにございます。

 

「……早贄、真似っこ、小さな猛禽類たる百舌鳥ね。いよいよ検討しますか。……それにしても手配書ってどこが出してるんだったかな。真選組はアレ凶悪犯と遭遇することが多いから機会が豊富なだけで、一応お上に申請して別部署が発行してるカタチですよね?」

 

 跳んで、跳ねて、窓枠に飛びついてもう一回。命綱は不要だった。失敗要因もないのであれば、縛る枷などただ邪魔なだけだ。気分は幼少のみぎりに遊んだ木登りである。銀さんなどはそれはもう身軽で、兄上に悔し紛れに猿と罵られて上空から飛び蹴りなどしていた。一方で兄上は、こんなのにもついてこられねえなら仲間はずれでも仕方ねえなとわたしを煽り、小太郎さんと銀さんから揃って非難を受けて、幼いわたしは真に受けて泣きながら練習したものだ。あのひと我が兄ながらつくづく最悪ですね。

 人生万事塞翁が馬、あの春はとうに遠くに在りて、もはや意味のない過日が今のわたしを形作る。

『——ザザ。——く川公——ピーッピピッ』

「それにしても」

 鼓膜を壊しかねない雑音ばかりの回線にわたしは思わず舌打ちして、音量を最小限まで下げた。傍受できたはいいがさすがに盗聴対策はバッチリらしく、ろくになにも聞き取れない。

 ともあれ、傍受できた事実だけでも充分——無線通信が飛んでいる。江戸城公式のそれではない周波数となれば、軍事か隠密目的か。傀儡を脱した上様はどうやら警察組織、というか、幕府公認の武力組織を市井の治安管理最低限ぶんだけ残して全軍かき集めてきたようなので、この通信は幕府の表立った組織下にはない。御庭番衆は現在解雇という名目のもと松平の下にあるはずで、そもそも彼らは独自の通信網を未だ愛用しているので、そちらでもない。

 ……天導衆が間近まで来ていらっしゃる。相談役がそんなにも重要かしら?

「……」

 ……わかっている。

 定々公はたいへん趣味がよろしくイイ性格の御方でわたしとしてはまるで気が合わないものだけど、彼のとった戦略はある意味では正しかった。国ごと全滅を避けて天人に迎合することで、もちろん彼は私服を肥やしたのだけれども、確実に我が国、ひいては我が星の存亡をかけた政治の現場で国としての生存を勝ち取った。天人から齎された技術によって、たとえば村田さんや源外さんは旧来の江戸のままではありえない領域にまで手を伸ばした。我が国の文化も、経済も、実り栄えて今がある。それはわかっている。切り捨てられた少数は所詮、少数にして端数だ。大多数がよっぽど恩恵に与っている。

 知っている。

 鈴蘭太夫も六転さんも、所詮は彼らだけが我慢すればどうとでもなる、世間は与り知らぬありふれた悲劇だ。彼らよりも酷い目に遭った人々はいくらでもいただろう。自らの利をまず確保して、加えて功利的に判断したその手腕は、間違いなく英雄と讃えられるべきである。少なくとも我が国は、天人に跡形もなく食い荒らされて全国民が奴隷化——などという末路は辿らなかった。そこに寄与したのが果たして定々公だけかと尋ねられるとおそらく違うのだけれども、天導衆と我が国のパイプを定々公が多大に担った点は、否めない。

「……ふ」

 マ、わたしのようなテロリストには、なァんにも関係ないんですけど?

 知っている。わかっている。必要悪はあるものだ。大局的に物事を図るべきときもあるのだ。大人の事情とはそういうものだ。

 それで、だからなんなんですか?

 けっきょく〝先生〟を連れて行った人々の理由は寛政の大獄に基づいていた。たとえばそこに我々が知る由もない裏事情があったとして、まずは、定々公が出した触れに則っている。それだけで充分じゃないですか。我々は〝先生〟に置いて行かれた。わたしは兄と兄弟子たちに置いて行かれた。連れて行ってくれなかった。

 八つ当たりだ。八つ当たりに決まっている。

 良い子にしようと念じるばかりで、素直に言うことを聞くばかりで、ろくに考えもしなかったから、上手に大人になれなかった。置いて行く判断は兄と兄弟子たちが為したこと、わたしの思考はなにひとつ差し挟まれる余地はなかった。ゆえに、わたしはいつまでも根に持っていて——あれはわたしが甘えてばかりで愚かだったゆえの過ちだ。

 心の中でうずくまったままのかつてのわたしを知覚して、いつものように心中でくびり殺し、わたしは、南西の空を見つめた。時刻は深夜、いよいよ月は西に傾きつつある。その真ん中に不自然な点がちらほらと。

「お出ましかしら」

 まるで月の使者ですね。お出迎えの相手は素敵な姫君ではなく、元将軍ですけれど——罪人という点ではある意味、粋な捻りを加えた竹取物語かしら。

 窓枠を蹴破って、ひょいと城中に飛び込む。人気はなく、しかし覗いた階段の二階下に銀髪と黒髪が揃って見えて「みなさーん」わたしは手を振った。

 弾かれたように顔を上げたふたりが、続いて片方は手を振って、片方は首を振った。どうして。

 ……お二人とも負傷している。銀さんなぞ、鼻血と吐血を強引に拭った形跡があった。ずいぶん苦戦したのですね。

「……ぬし、何故先回りできている?」

 さらに後から顔を出した月詠さんが尋ねるので、わたしは背後の蹴破った窓を示した。……この角度からだと見えないかしら。

「壁を登ってきました」

「オマエはヤモリなの?」

「あらァわたし、見廻組の制服はあくまで扮装ですよ。それに見廻組はとうに殿中警護の任を解かれてしまったじゃあございませんか」

「俺は一ミクロンも家の守り神の意図では言ってねえんだけど」

 辟易した口調の銀さんにわたしは目をまたたかせる。

「……でもあなた、小太郎さんもですけれど、できますよね?」

「まあできるな」

「そういうこっちゃねえのよできるけど」

「なるほどね、爬虫類が三匹、と」

「うーん風評被害かも……」

 今井さんが手すりに足を掛けて跳ぶと「アダッ」銀さんの肩と「イタッ!?」小太郎さんの頭を踏み台に、その勢いで上段の手すりも蹴ってさらに跳躍、わたしのところまで上がってきた。彼女もなかなか怪我をしたらしく、自らのインナーの腹のあたりを裂いて腕を縛っている。

「用件は?」

「天導衆か奈落か、ともあれ船が南西よりこちらに向かっています。一艘二艘ではございません。このタイミングですから定々公の回収が目的でしょうね——ですから、先回りしましょう」

 わたしは指を差した。

「天守閣上にヘリポートがありますね、最終的な地点はあそこに着陸するかと存じますので先んじて西方側に張り出した屋根から移りましょう」

「なら縄が必要ね」

 今井さんは話が早く、決断も早い。一足飛びに話が進む。

「飛び道具か? 鉤縄ならわっちが持っている」

 追いついてきた月詠さんが廊下に着地した。

「そういえば先代百華頭領は忍の出でしたっけ? いずれ機会がありましたら水遁の術も見たいです」

「ヒカリ、さすがに空気を読め」

 小太郎さんに空気を読む・読まないで怒られるほど理不尽なことあります!?

 わたしが真剣に慄いていると「すまん」月詠さんは真面目な顔で仰った。

「わっち、水遁の術は教えられてはおらんのだ」

「ツッキー答えなくていいよコイツ単なる好奇心旺盛っ子なだけだから」

「あなたたち本当に仲良いのね」

「よくねえよ」

「よくはありません」

 即答したわたしたちに、小太郎さんは無言で肩をすくめた。

「……あなたも鉤縄持ってないの? 壁登りしてきたんでしょ」

「持っていませんよ。探す暇もありませんでしたし……登りやすい城だったので」

「死に急いでるのかしら」

 今井さんは呆れた目でわたしを見た。

「俺は持っている」

 小太郎さんが懐からするすると鉤縄を取り出した。

「刀と爆弾と鉤縄? てめーの懐はドラえもんよろしく四次元ポケットなワケ? なんなの、次はタイムマシンでも出てくるの」

「失礼な。あとはハンカチとティッシュとスマートフォンしか持っていない。……なんなら今はティッシュとスマートフォンしかない!」

 六転さんの止血に使いましたものね。

「テロリストがスマホなんざ高尚なモン持つな」

「フン、携帯料金もどうせ滞納する金欠は負け惜しみを言う他あるまいよ」

「うるせえ税金も払ってねえ分際で!!!」

「消費税ちゃんと払ってるモン!!!」

「このひとたち置いていっても良いですかね?」

「アリじゃな」

「良いと思う」

「待って待って冗談だろ女性陣待とうよ〜」

「攘夷志士もびっくりの団結力だ」

 さっさと足を進めれば兄弟子たちも追いついてきた。本当に茶番やっていないと死ぬ病にでもかかっているのかしら。

 歩調を緩めて、微妙に足を引きずっている小太郎さんの真横に並ぶと、意図を察したらしく、肩に手を置かれて体重をかけられた。甘んじて歩行補助杖の代用に徹する。わたしの肩ってどうやら置きやすい位置にあるらしいのでね。

「……俺には?」

「……左側をどうぞ」

 つくづく世話の焼ける兄弟子たちだ。

 わたしとしても、片方ばかりに体重をかけられるとバランスを取りづらい。

「……やはり、おぬしら、毒の後遺症か?」

 月詠さんが振り返って心配そうに尋ねるので——彼ら、佐々木さんが昏睡状態になる毒を受けて平然と動いているんですか? ありえないのですが——「単なるわたしへの嫌がらせです」わたしは素っ気なく言った。

「オイオイひっでー、わざわざ構ってやってんのに」

「そうだそうだ。まったく素直じゃない」

「ご冗談を」

「……はあ。馴染同士の戯れも程々にしなんし」

「戯れじゃあございませんよぅ」

 それにしても気遣いのできる妹分に感謝してくださいね。

『血清はご入用ですか。佐々木さんからいただいた予備がありますけれど』

『要らん。もう佐々木に打たれた。完全に効くまでしばらくかかる……』

『ヅラと同じ』

「ヅラではない桂だ!」

「なに突然」

「夢遊病ですかね〜」

『振り落としますよ小太郎さん♡』

『ゴメンテ』

『怒られてやんの……』

 そろそろいい加減にしてほしい。小太郎さんが何度か咳払いをこぼして「ン゙ン」と喉を鳴らした。

『ヒカリ、ところで今まで壁を登ってきたとのことだが——その間、朧には出くわしたか?』

 質問者は小太郎さんだったけれど、同時に、銀さんがてのひらをかけている方の肩がかすかに軋んだ。

『……いいえ』

 定々公も同様だが、朧には出くわさなかった。階下には気配もなかった。

 笠の下にどのような顔があるのか、わたしはまだ知らない。

『あなたがたもなにか因縁がお有りで?』

『少し——も(﹅)、と言ったか? おまえも?』

『ふむ。まあ。わたしも少し、といったところですね。詮無い縁にございます』

 わたしはいつものように衿元を正そうとして、そういえばこれが見廻組の制服であったことを思い出す。ボタンを解かない限りは襟がよれることもない。

 

   ➤

 

 隠密行動自体は得意でないものの、紛れ込んで油断させて皆殺し、はむしろわたしの得意分野である。

 チンッ、音を立てた納刀に「……刀を傷めませんか?」わたしは奪った錫杖の血痕を拭って尋ねた。

「良くないわね。異三郎にも、たまに言われる」

 今井さんは無表情に言った。

「けれど……こうしていないと、侍に加わったことを忘れてしまいそう」

「……なるほど」

 あたり一帯の死体を俯瞰する。

 ……わたしが紛れ込める程度には、背丈の低く、体格の小さなものまでいた。無論、殺しにかかってこられるとこちらとしては殺す他にはない。差別なく分別なく区別なく、のべつまくなしあまねくすべて、鏖は久々だ。

「理解はできます」

 目を瞑る。

 簡略的で義務的でささやかな黙祷はこれにて終い。目を開く。船のエンジン部が景気良く盛大に爆発している気配を感じる。気配どころではない。ふつうに音と衝撃が伝わってくる。

「あのひとは爆弾魔なの?」

「……はしゃいでいるのだと思います。国家転覆というのもありますが、桂一派は方針転換してからというもの、爆弾事件はほとんどございませんでしたので……」

「……高杉とも白夜叉とも、行動を共にしていただけあるのね」

 たしかに彼らは揃って方向性の異なる悪ガキだけども、小太郎さんの破天荒さに関しては、なんというか、たぶんそういう問題じゃないと思うな……。

 幼少期からちょっと外れた御方だった思い出の数々を想起して、わたしは刹那、遠くを見つめた。遥か彼方の日々にございますがそれにしても、幼い頃と比較してもトンチキ進化を遂げている。遠くを見る目にもなりますよ。

 さて。

「……朧とは彼ら、なにかあったのですか。わたしが少しお暇している間に、ずいぶん怒っているようでした」

「……さっきのは符牒?」

「いえいえ。子どもの戯れの延長です」

「あらそう」

 まるで信じてもいない声音だった。

 子どもの戯れの延長というのは事実だ。符牒といえばその通りかもしれない。

「寛政の大獄と、松陽の話をしていたわ」

 今井さんがわたしを振り返る。底知れぬ瞳が頭ひとつ高い位置から、わたしを正視した。

「朧は……当時、実働部隊としてよく働いていたから。松陽の投獄も、処刑も、彼が指揮をとっていた。だから双方、覚えていたみたい」

「……そうですか」

「憎くないの」

「……さァて」

 わたしは笑った。

「それはあちらにお尋ねすべきことにございましょう。わたしでなく」

 今井さんが眉をひそめる。彼女から視線を切って「そろそろ上がりましょうか」とわたしは言った。

「新たなお客様のようです」

「……そうね」

 

「それにしても、わたしってもしかして、こんなにかわいい妹弟子がいたんですか?」

「……ドーナツ買ってよ、お姉ちゃん」

「あらあら。良いですよぉ、後日お届けに参りますね」

「ちょっとちょろくない?」

「そんなァ」

 

 タラップからワンステップで躍り出る。人生を振り返っても、これほど間近で天導衆を見たのは生まれて初めてだった。

『——ヒカリ様』

 わたしはワイヤレスイヤホンをそっと押さえ込んだ。イヤホン越しの無線通信にはノイズが走る。また子さんはまだ待機してくださっていた。

『殺します?』

 視線だけでわたしは、北方を見遣る。遠くの展望台の中程から、チカ、とスコープの反射が見えた。

『アレ、晋助様の仇のひとりでしょ』

「……狙えます?」

 地上にいたそよ姫と天守閣ではずいぶん角度が違う。それに先程は当てる必要すらなかった。

 わたしの確認に『ヘッドショット』また子さんは即答した。

『なんなら、今の位置なら天導衆も何人かまとめてブチ抜けます』

「まあ素敵。……とはいえ、やめておきましょう」

 定々公に視線を移す。甥っ子様から直々に引導を渡された上、なんだかずいぶん手酷くやられたようだ。銀さんの仕業かしら。まったくとっても、可哀想ですね?

 愉快がる気持ちを抱えつつ、わたしは口元を覆うようにして、唇を読まれるのを避けた。

「天導衆をつつくのはさすがにもう少し、下準備がほしいところ。それに……八つ当たりのおもちゃまで取り上げてしまうと、兄上にいよいよ叱られてしまいます」

 茂々公が身を挺して、わざわざこの場を納めてくださるのだ。乗らない手はない。天導衆もたかだか少数の賊によるちょっとした騒ぎが、警察組織全軍率いたクーデターへ発展するとは思わなかったろうし、お飾りであろうと(だからこそ、か)国の頭が直々に乗り込んでくるとはもっと思っていなかっただろう。

 名ばかりであろうと名がある。とうとう実が伴った。ようやく蛹から抜けた征夷大将軍。Noblesse oblige——彼らが揃って着飾る理由は、なめられないため、手間暇かけるだけの力が国にあることを理解させるため、そして、なにかあったときに首を引き換えに国を救うためである。

 この衆目でやらかすことはできない。準備が足りない。我々もだが、天導衆も、また。

 なんだかんだでまだ城中引き回せてませんしね?

『……ちぇ』

「またお出かけしましょうね」

『わかりましたよ……』

 また子さんがもう明らかに拗ねた声で仰るものだから、ちょっと笑い声が漏れてしまった。『ヒカリ様ってば!』「ごめんなさぁい」怒った様子の妹分を宥めて、わたしは通信を切った。

「悪人」

 ぼそと隣で今井さんの声が落ちる。

「お嫌ですか」

「……私が謗れたものじゃないわ」

「謗っても構いませんよ、気にせず生きていくだけですので」

「少しは気にしなさい」

 あらぬ方向からの苦言とともに、わたしの脳天に体重がかかる。感触からして腕を置かれたみたいですね。

「聞こえてました?」

「……悪人のあたりからしか聞こえてないが、それにしても聞こえていたらまずい話をしていたのかおまえは!」

「ええ〜ふふふ」

 バッチリしてましたね。

 小太郎さんが私の頭上で溜息をついた。明らかにだるそうで、体温には普段より熱がこもっている。

「そろそろ離脱しましょう。あなた本当に血清打ったんですか? 寝込むべきですよその体調」

「まだ立てるもん」

「もんではありません。わたしに寄りかかっている分際で」

 何故意地を張るのかしら。

「……おまえこそ、いいのか? 六転の容態次第でこそあるものの、最低限土下座させないとオババさんはまるで満足しないと思うが」

「マ、そこはそれ……」

 わたしは嘯いた。

「朧との決着はつきましたか?」

「……まるで呆気なかった」

 船縁をこえてさらに眼下。屋根にはそれこそ早贄の如く、木刀を突き立てられた白髪の男が落ちている。あれで生きていたらばもはや不死身としか思えない。

 今井さんがジッと見ているので「思うところがありますか」と尋ねると、彼女はわたしたちに視線を移してから、少しだけ首をかしげた。

「……まあ。いろいろ?」

「左様にございますか」

 いろいろ。

 果たしてなんでしょうね。

 わたしとしては、バイオレンス親切通り魔の件についてお尋ねしたかったところにございますが。

 

   ➤

 

【

 烏 ‍⬛の死体が一羽消えたみたいだお 

 早贄ついでに回収した❓

】

 

【

 そんな趣味のイイことしません。

】

 

【

 アナタ、悪趣味をイイ趣味と言い換えるのやめましょうよ。混乱しますから。

】

 

「素に戻られるほど気になりますかね?」

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