前略:
身請金は無事に支払われた。
➤
兄上は深々と溜息をついた。片手には帳消しにされた借用書が握られている。
「無駄な散財させやがって」
「妹を買い戻す金を……無駄と……仰いましたね……?」
「ンでよりによっててめえの娘売り飛ばすクソ野郎が儲けた金の肩代わりさせられてんだよ、しかもとっくに勘当された俺が」
それはたしかに本当にそう。
「それでも、芸妓にしてはましな額だったでしょう」
わたしはうそぶいた。じろりと右眼で見下される。
「そりゃあ元々、芸は叩き込まれてンだからな。育成費用はゼロ、多少は返済も進むだろうよ」
「おかげさまで」
まさか花嫁修業で仕込まれた技術が二転三転、芸妓の一芸としてお披露目されるとは思うまい。わたしは肩をすくめつつ襟を直す。もはや癖になってしまった習慣だ。
「とはいえこの背中では舞は売れませんでしたのでもっぱら三味線ですよ。腱鞘炎とはお友達です」
「おまえ本気で今でも刀振れるんだろうな?」
「この程度のことで嘘つきません」
ついたところですぐ露見する。兄上もそうだが、お連れの方々も目利きだろうに。
さて、と息を吐いたわたしは皆様に向き直る。まァ親しき仲にも礼儀あり、まして兄上とわたしはまだしもその他初対面。加えて身柄は買われた身だ、筋を通すがよろしいでしょうとも。足元は板張り廊下なので若干無作法——とはいえ、致し方なし。
両膝を揃え、両手をつく。頭を下げて、平伏姿勢。
「お買い上げくださり誠にありがとうございました。今後共々、何卒、よろしくお願い申し上げます。末永くお使いくださいまし」
顔を上げると、兄上のお連れ様方はなんともいえぬ様子でわたしを見ていたし、なんなら兄上のお顔は完全に〝無〟の表情と化していた。
「それ」
「はい? はい」
「二度とやるな」
そんなに?
「晋助殿は我らの頭領なので、彼の妹御のあなたに畏まられるとこちらの立場がなくなります」
猫目の方がわたしに手を差し伸べつつ耳打ちした。立ち上がる動作を補助していただきながら、なるほど、わたしは得心する。
「自ら謙るような言動もなるだけ避けていただけると。部下に嘗められては士気に障りますので」
「そこまでですか? ……気は配ります」
「ああ言やァよかったのか?」
「根本的な解決策とは言い難いものの、当座としては、理にかなっている。武市の口の巧さは貴重でござるな」
「はたから聴いてどうだ、万斉」
「諸々置くなれば……根が深いと見える」
「おまえでもそう思うかよ。ちったァましになってたはずなんだが、目ェ離した隙にガキの頃よか悪化してんな。あのカス本当に諸々何しやがった……」
「カス……」
「あるいはゴミ」
「燃えるごみと粗大ごみのどちらやら……」
「世の中のゴミはたいてい全部が燃やせンだろ、違いはねえさ」
「マ、環境破壊も破壊の一種ではござろうな」
膝についた埃を払う。兄上を見ると、色眼鏡の御方から一歩離れて手招きされたので、おとなしく寄る。
「ところで、実際わたしはなにをすればよろしいのですか。切ったはったはさすがにそう頻繁には起こりませんでしょう」
「まァいろいろとあるが、なにせとかく人手が足りねえンでね。今回も多忙の慰労会のつもりだった」
だった、のところで睨まれても困りますね。わたしが勤めている(いた)館を抑えたのが運の尽きというものでしょう。
「学はあンだから事務作業も振るかもな。といってもテメエも肉が落ちていることだし」
「
「化粧で誤魔化してるだけでまともにつまめるほどの肉すらねェだろ……つき方見るに、これでも遊郭で回復したのか? 本当に普段何食ってた」
「い
イナゴの佃煮は最上位のご馳走だったのかもしれないと考えを改める程度には……。
鼻を鳴らした兄上がパッと手を離す。わたしは兄上をすこし睨んで、頬をてのひらで隠すに留めた。今ので白粉、かなり落ちてそう。
「とりあえず船に慣れるところから……ああ、気が向いたらまた子に構ってやってくれ。女がいた方がなにかとましだろう」
「承りましたが、また子さん? その方はそもそもどなたです?」
「あとで紹介する。つうか、武市と万斉も紹介してねえな」
「どちらが武市さん?」
「私です」
猫目の方——武市さんがわたしから手を離し、真顔で会釈した。
「武市変平太と申します」
「拙者は河上万斉」
色眼鏡の方も短く述べた。
「ご丁寧に。ミツ……違いますね、高杉ヒカリです。どうぞよしなに」
「ミツ?」
「そちら源氏名でした」
失敬。兄上は露骨に溜息を吐いて「当座の服もいるか」話題を変えた。
「それもありましたねえ……兄上のお着物お借りするとかどうですか。今のお召し物も柄を見るに女物でしょう。丈を合わせればわたしでも着らッ、」
頭を平手でしばかれた。
「確実に育て方間違えたな」
頭をさするわたしを横目に、兄上はぼやく。両手では無意味となった借用書を千々に裂いている。
「兄上に育てられた覚えはございませんねえ。わたしを育てたとすれば〝先生〟か、百歩譲っても小太郎さんでは?」
茶々を入れると、心底嫌そうな顔を向けられた。攘夷志士が兄上と小太郎さんとで割れているところといい、戦時中に仲間割れでもなさったんですか、あなたがた。いやでもこれはもとからか。
ともあれ——現在、兄上たちは宇宙船を拠点としているという。港に浮かべられたそれは、外観は屋形船を彷彿とさせた。ただサイズが異なる上に、目視だけでも主材は間違いなく金属と見受けられる。鋼に似ているけれど……天人製だろう。地球にとって未知の物質。船というよりは艦だ。戦艦としての用途。
「おかえりなッ。……だ、どっどちら様ッスか?」
たったかたー! と走ってきた女の子が、真っ直ぐに兄上に駆け寄ろうとして、わたしを見て急ブレーキをかけた。声音はわかりやすいほどに乱高下。
おや。
おやおや。
「兄上、こちらのかわいらしい子が〝また子〟さんでしょうか?」
「……また子、昔言ったと思うが、こいつが妹のヒカリだ」
兄上はわたしの問いかけを確実に無視しつつ、煙管でこちらを示した。煙管の先がわたしの左頬に若干突き刺さっている。
いもうとさん……とつぶやいて、また子さんはすこし気の抜けた素振りを見せる。わたしの衣裳は裾引のままなので、気に入った遊女をそのまま召してきたとでも思われたのかもしれない。すべてが風評被害です。双方に対して。
「ヒカリです。よろしくお願いしますね」
わたしは微笑んだ。
「拾ってきたから今後は船に居着く」
実妹を捨て猫扱いする兄上に反撃すべく「ちなみに兄上……」わたしは神妙な顔を作って、声をひそめた。
「もしかして、年下趣味に鞍替えされました?」
無言で膝裏を蹴られた。
兄上ってば、幼少期から感情表現がなんにも変わっていらっしゃらないんですか。
「よ、よろしくお願いするっス……」
わたしたち兄妹の些細なやり取りには触れず(気づかなかったのかもしれない)また子さんがペコッと礼をして、走り去った。
本当にかわいい。
「身の丈は高い方のようですが、十三……せいぜい、十四といったところでしょう。攘夷志士は本当にずいぶんと人手不足のご様子で」
わたしは自らの襟を整えた。
少なくともあの子は、わたしが長屋に置いていかれた年齢よりも、確実に若い。幼い、とすらいえる。
「人手不足なのは事実だが、あいつは……」
兄上が口をつぐむ。煙管を無意味に弄ぶような仕草が垣間見えた。
「……とにかく、男所帯でろくに見れるやつかいないもんでね」
「兄上が仰るならば鋭意努力いたしますけれども。わたしもあまり面倒見がいい方とは言えませんから、皮算用は程々にしていただけると助かります」
「俺としても甘ったれの末っ子にハナから大した期待はしねえよ」
好き放題仰いますよねえ……。
「いるといないとじゃだいぶん違ェだろうという話だ」
雑に締めくくられた。
「それと……攘夷志士なんて気取った呼び方は捨てろ。俺たちは、攘夷浪士だ」
着流しを器用に足で捌いて「てめえの部屋を開ける。ついてこい」兄上はさっさと歩き出した。わたしは短く息を吐いて、兄上の後を追った。裾引はどうしても歩幅が短く、小走りになりがちだ。
➤
一週間が経った。
わたしの体内時計は今でも比較的まっとうに動いていて、いつもほとんど決まった時間に目が覚める。お布団を畳むと、小紋(兄上から自室とともにいただいたもので、いずれも新品だ。てっきり、ねんごろの方のお古でもおろすのかと思っていたけれど……)のうち、どれを着用するか悩むところから始まる。本日は黒地に花模様。
この艦には食堂のようなものがあるけれど、これは料理番が在中しているというよりは、各々気が向いた人間が勝手に食料を入れて、勝手に作るような状況らしい。実際、利用者はごくわずかで大半は外食か、インスタントラーメンのカップや冷凍食品のパッケージが山となってゴミ箱に捨てられているとか、そういう状況である。兄上、艦の外観整える前にやることあったのでは? そこまで人員不足? 然様でいらっしゃいますか。
「炊飯器……本当に便利ですねえ……」
スイッチひとつでこのように。炊き上がるまでの今のうちに、冷蔵庫を確認して……この卵、賞味期限いつのだろう……あっケチャップ切れてる。これなに? 生生姜チューブ? 冷凍庫見た方が早いかな、この鶏肉は冷凍だからセーフ……? 出汁はとりあえず、おそらく賞味期限が来ていない昆布で問題ないだろうか。
肉と野菜を適度に切って沸騰したお湯に投下。べつに鍋を用意して、こちらにもお湯を沸かすとちょうど炊けた白米を投下する。雑炊である。胃腸がずいぶん弱っていたころに遣手婆に溜息混じりに作っていただいたものだけれど、今でも食べたくなりますね。
「おはようございます、また子さん」
「……おはよう、ございます」
振り返ると、また子さんは小さな声で言った。かわいい。彼女はこの一週間、わたしの様子を遠くからうかがっていて、日ごとにじりじりと距離を詰めていたので今日はいけるかなと思った次第である。
「お時間ありますか。まだ朝食をお召しでないのであれば、おうどんでも煮ましょう」
「おおおおお手を煩わせるわけには!」
かわいいを通り越してちょっと面白い。
「もうお済ませになられたのですか? お早いですねえ。押しつけちゃいましたか」
「えっ違っそっその」
「ふふ。遠慮しないでください。ひとりぶんとふたりぶん、手間はあんまり変わりませんから。もっとも、わたしとてお料理屋の方ほど上手ではないのですけど」
これくらい、兄上の威厳も落ちないだろう。万一下女の真似と謗られたとしたら、そのときにはわたしもさすがにはしたなかろうがなんだろうが拳が飛ぶ。村塾で朝食を作ってくれた〝先生〟まで侮辱するようなものなので。
「いただきます」
手を合わせると「いただきマス……」また子さんもか細い声で言った。
しばらくわたしは朝食をゆっくりと味わっていた。
「……その……」
また子さんが口を開く。わたしはちょうど雑炊をまた一匙口に入れたところだったので、お待ちくださいの意図を込めててのひらを立て、もう片方の手を口元に当てた。ちょっと急いで咀嚼して飲み込む。「はい」
「妹様は……ヒカリ様は……」
「様!?」
だいぶびっくりした。
「晋助様の妹様は……様ッスよね?」
これさすがにわたしの反応がおかしいことなくない!? 兄上、こんな幼い子どもになにをどう教え込んでいらっしゃる!?
「その、さん付けとかでは……いけませんか?」
「畏れ多い……!」
いったい兄上はなにをしたんですか? この子の命でも救われたんですか? このご時世だと救った可能性はあるのかも……?
「と、とにかく、ヒカリ様は……今まで、どちらにいたんスか?」
わたしは目をまたたかせた。
「晋助様が、探してたので……」
ぽそぽそとつぶやくまた子さん。視線が絶妙に合わない。
そうですねえ、とわたしは相槌を打つ。艦に上がったときの兄上の言葉を思い出す。〝昔言ったと思うが——〟……さて。ずいぶんとご心配をおかけしたようで。わたしは至ってのんきに、数年前は一族壊滅を実行し、ここ最近は芸妓をやっておりましたけれども。完全に壊滅できなかった点は後悔しております。鈍りましたね。
「まァ、いろいろと……」
……大半は、口にするようなことでもない。
「……おそらく、必要であれば兄上が開示されるでしょう」
「それは……はい。スンマセンした」
「いえいえ」
また子さんはちょっと小さくなりながら、うどんをまたつつき出した。わたしは内心考える。すこし距離を取られてしまった。兄上に言われたのもそうだけれど、わたしとしても、この環境で女の子と接する機会は貴重だ。また子さん御本人も兄上を慮っているようだし、せっかくだから仲良くなりたい。なにか、打開策を……
「兄上の小さな頃の話であれば遠慮なくできますけれどね」
「晋助様の!?」
食いついた。
「悪さをして木に吊るされていたりだとか。通っていた藩校では一番強かったとか」
「う、うわ、やった、すごくすき」
かわいい。
「あの、その、晋助様って……も、モテてました……?」
本当にかわいい。
「きかん坊という触れ込みだったので、縁談はあまり来ませんでしたが……ああ、私塾に通い始めるとそれでも熱っぽく見られることは多かったかもしれませんねえ。昔はもっと、目もパッチリした紅顔の美少年でしたから」
「ひゃ~っ」
「てめえは乗艦早々、ちったァ黙っていられねえのか」
スパーン、と背後から頭をしばかれた。振り仰いだ兄上は、心底頭が痛いと言わんばかりにこめかみをもんでいる。
「もっ申し訳ありません晋助様ッ」
「過剰に畏まるなまた子。どうせヒカリが絡んだんだろ」
あなたが構ってやれと仰ったのに——とか、暴露するほど意地は悪くない。兄上を見てわざとらしく眉を寄せてみせる。
「痛いでーす兄上」
「てめえはいちいちふてぶてしいんだよ甘ったれ。気を揉んだのがバカみてェだな……」
「おや、気を揉まれていらっしゃった。愛されてますねわたしってば」
「言葉の綾だ戯け」
「即時否定しなくてもよくないですか……?」
「愛してるぜ妹よ、とでも囁けばご満足か?」
「腹立つのでいいです。いりません。ふん」
「相ッ変わらず拗ね方がガキ……」
そっぽを向いたわたしに嘆息して、ちらと雑炊の入った椀を見た兄上が「病人の飯」とつぶやいたのでわたしはすかさず脛を後ろ蹴りした。避けられた。
「あの頃色恋沙汰なんて、〝先生〟をお慕いするでもなければ、兄上の周りぐらいでしたからねえ。遊郭なんぞそれこそまだ門前払いの年頃ですし」
奇襲攻撃失敗。裾を直しつつ、気を取り直してわたしはしみじみと言う。〝先生〟は本当に初恋キラーだった。女子どころか男子の初恋も七割さらっていった。やはり〝先生〟はとんでもない御人だと感嘆したものである。
「つまり、兄上の恋バナってみなさんに大人気で」
「あの当時なにもかも筒抜けだったのはてめえのせいか」
兄上は勝手にわたしの隣に椅子を引いてきて座った。
「処世術、というやつです。銀さんも一役買っていましたが」
「だろうなバカども」
「まったく憎まれ口ばかりなんですから、わたしのことで諸々気を揉まれた兄上ったら」
兄上の爪先は机の下で空振った。
蹴りの軌道から避難させていた足を揃え直す。
「それにしても当時を振り返ると、いろいろ論外な銀さんは置くにしても、小太郎さんはもう少し人気出てもよかったように思いますね。なんだって兄上ばかり?」
「なンで兄貴の人気に疑問を持ちやがる?」
ご自身の素行を今一度振り返っていただきたいかも?
「……ヅラはあいつ、年々電波に磨きがかかってたろ。あんなんじゃ寄りつくもんも寄りつかねえよ」
「ン、まァ、たしかに、そう……ですかね?」
ともあれ、至近距離にある兄上の存在にいよいよカチンコチンになっているまた子さんに、椀を示して、うどんの存在を思い出させる。また子さんはぎこちなく頷いて、食事を再開した。もう露骨に食べる速度が落ちているけれども。
「ちなみに、小太郎さんと会談の予定はございますか?」
兄上は目を細めた。
「穏便な
「なるほど。まァ、それはそれで」
人生万事塞翁が馬、合縁奇縁、どこかで巡り合わせもあるかもしれないが。少なくとも、髪紐をお返しするのはもう少し先になりそうだ。
➤
人手不足・資金不足・物資不足・もひとつおまけに実績不足。
兄上が戦中に指揮した〝鬼兵隊〟は攘夷戦争敗北により一度解散していて、当時資金・物資援助の伝手を用意していた交渉人は現在どこにいるやもわからないらしい。数年前までは本当にしょっちゅう、ありとあらゆるところで行方不明者が輩出されていた。わたしもたぶんそのひとりに数えられていた。
「これでも再結成当時よりはだいぶんましです」
武市さんがそのように述べられた。
「今回は資金援助を締結するものですか」
わたしはパラパラと資料をめくっている。今回わたしはおとなしくお留守番予定とのことですが、会議には参加させてもらえた——曰く、学のない浪士ばかりなので話が通じるやつは早期投入したいとか。組織的階級すっ飛ばしても、兄上の縁故なら誰も文句は言わないとのこと。ワンマン運営とはまさにこのこと。
それにしてもこの資料、よく整理されていて、絵図やグラフも差し挟まれ、きわめて読みやすい。揃ったフォントはさすがに筆ではこのようにはなるまい。
「……これが天人の技術、Office 366……」
わたしが監禁⭐︎拷問⭐︎遊郭勤務、と俗世から隔離されている間に、世の中はずいぶんと進歩したものだ。
「チャッピーにもお手伝いいただきました。利便な時代になったものです」
「なんですかチャ……?」
「チャッピー、chatAPT、生成AIというものでござるな」
「chatは外つ国の言葉にそのようなものがあると存じておりますが、APT?」
「アマント・パーフェクト・トランスフォーマー」
進歩したにしても一回理解放棄したくなってきた。
「膨大な情報を学習することで、ユーザの入力から要望に見合った情報を類推し、出力する——もっとも、正誤はありますし、重要な情報を学習させるわけにはいかないので、その点は一工夫必要ですがね。暗殺計画など打ち込んだあかつきにはアカウントがBANされて幕吏が来ます」
「たしかに、それは些か間抜けた捕まり方ですね」
「まったくあのときは失敗しました。一個拠点が潰れたのは手痛い損失で……」
「すみませんコレたとえ話じゃなく経験談だったんですか?」
この組織……すべての不足以前のところで、ちょっと大丈夫かな?
武市さんが朗々と語る一方で、河上さんは渋い顔をした。
「音楽業界にも進出しており、拙者としては未来の音楽の裾野に懸念を覚えておる」
破壊目的の鬼兵隊総督副官が未来を憂いている……。
「学習の過程で既に世に出た一節を学んでいる可能性も高いのでな。コピーバンドはあれはあれで良いものだが、劣悪なコピーが広がることは些か……」
「しかし生成AIによって制作の幅が一段階手軽となったことは、コンテンツ分野においても重要な起点でありましょう。裾野が広がればそれだけ産業としては充実する」
「その手段が既存の著作物を軽んじるものであれば本末転倒という話を」
お二人がなにやら盛り上がり始めたので、兄上を見る。兄上は窓枠に腰掛けて(よくないと思いますよ)資料を無言で手繰っていたけれど、わたしの視線に気づいて、軽く小首をかしげた。
「ちなみにお二人のこの話、今回の会合には関係ありますか?」
「微塵もない」
であれば放置しよう。わたしから話を振って解説していただいておきながらすみませんね、あとはお若いお二人で……。
「ううー、目が痛くなるッス……」
また子さんが眉間を揉んでいる。彼女はもともと市井の出身で、あんまり文字を読むような環境で育ってこなかったのだとか。言語の扱いは、どうしても生来の向き不向きに加えて、慣れもありますからねえ。兄上たちもまた子さんのことは、半ば研修扱い、経験積みの一環として参加させている様子だ。
「ところで兄上、今回笹木家からの資金援助とのことですが……担保として、こちらのお仕事が東条家当主、東条昭弘の殺害という解釈でよろしいでしょうか?」
「もともと徳川方からの所領の分割で揉め続けて数百年、笹木と東条の家ぐるみのいがみ合いは名に知れている。政敵の殺害を浪人に任せるのはよくある話だ」
兄上が興味もなさそうにつぶやいた。そうですねえ、とわたしも相槌を打つ。高杉家でもたまに見かけた光景だ、子どもの身でもなかなかどうして覚えているもので。
……さて、それを前提にすると、すこし不思議な点がある。
「笹木の長男は隆信でしたか」
「それが」
「東条昭弘と、妓楼にそろって足を運びに来ていた覚えがあるな、と」
言いながらも資料をめくる。目次には関係者顔写真も載っていたはず……ああそう、この顔。やっぱりそう。
笹木と東条のいがみ合いは有名で、兄上はもちろん、仮にも武家の娘だったわたしも当然知っていることで——おや、と思ったことを覚えている。それにしても東條家って、親子でよく似ていらっしゃいますねえ。
「……確かか?」
「あそこの不仲は筋金入りでしょう。入りが別々だったので、すわ刃傷沙汰になりかねないと注視していたのですが……お座敷遊びは手慣れていらっしゃる様子でしたね。ところで芸妓は客であろうと触れてはなりません。何度も通って口説き落とすのが筋でしょうに殿方は揃いも揃って、本当にあなたがた打ち合わせでもしていらっしゃる?」
「おまえの怒りは後で暇がありゃ聞くから要点だけ話せ」
むしろあとで暇なら耳を傾けるおつもりがおありで?
「まァ、話を戻しますが」
偶然会ったから、外で騒ぎを起こすわけにはいかないから、というだけにしても、わりと和やかに会話している様子だった。わたしは当時、どうやら家同士の確執は改善したのかしら、と思っていたものの——兄上の御言葉から推察するに、そういうわけでもないようですね。
「今時はこのような関係をなんと仰るのでしたっけ……そうそう、ビジネス不仲?」
わたしは独り言のようにつぶやいた。
「さもありなん。彼らは所領で長いこと揉めていました——逆に言えば、もとよりかなり近い位置関係で発展し続けた武家同士です。地政上、周辺関係の利・害がいずれも一致している可能性は高い。となれば印象を逆手に取って、ひそかに同盟として結びつき、生存戦略を探る可能性もございましょう。しかし真実、ビジネス不仲というのであれば……危険集団と噂される浪人たちに暗殺を依頼する経緯には、いったい何が潜んでいるのでしょうね?」
たとえば、それでも物のはずみで笹木にとって東条が本当にやっぱり邪魔になったから、一介の浪人どもにわざわざ入り組んだ事情を話す必要がなかったとか、そういうこともあるだろう。あるだろう、と当然見込んで行動するべきだろう。
それは、それとして。
「……このような話は杞憂であると相場は決まっておりますがね」
わたしは資料を筒状に丸めた。
兄上は顎元をこするような仕草をしたのち「ヒカリ」わたしを見た。
「当日武市につけ」
「おや、お留守番はお役御免と」
「それこそ杞憂なら越したこたァねえが……武市はウチの頭脳なんでな、たいていの交渉役を担っているが戦闘力はガキレベルだ」
ガキて。
「なんにもなけりゃ波風立てねえに越したことはねえ。女のテメエなら、あちらもせいぜいが武市気に入りの愛人扱いだろ」
丸めた資料で兄上の頭を引っ叩くとスパーンッといい音が響いた。
なるほど兄上に頭を狙われる理由がわかった気がする。これきちんと入るとちょっと楽しい。
「妹御の御年齢ですと私の好みの守備範囲外なのですが」
盛り上がっていた中でも耳聡く聞きつけた武市さんが訴えかけた。愛人の外聞の悪さ云々や兄上の兄としての不適切発言などでなく、好みの問題で不名誉扱いされている。すべてがおかしい。また子さんが「筋金入りのロリコン……!」と慄いている。武市さんってロリコンだったんですね、近寄りたくない理由がひとつできてしまった。
兄上が(後頭部をさすりながら)わたしを見上げた。
「不満か?」
「不満以外の何物でもございませんが?」
妹のことなんだとお思いですか、本当に。いくら花街といえども芸妓は原則芸を売るもの、客と合意でねんごろになるのは職務意識皆無の子だけですからね。少なくともわたしがいた館はそうでしたからね。
わたしは嘆息した。
「……とはいえ、拝命いたしましょう。なにもなければ大人しく、殿方の難しいお話なんにもわかりません、と微笑む都合の良い子でも気取っていればよいのでしょう。ええ」
「マそのやかましい口閉じてりゃ駄々っ子のボロ出るこたねえだろ」
もう一発引っ叩いた。
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「平時はそれでいいとして……万一のときは?」
「全員殺してかまわねえ。上役ひとりでも生きてりゃより望ましいがな」
「了解しました」
「武器はなにがほしい?」
「今回の趣旨を踏まえますと、むしろ、わたしは持つべきではなさそうですね。得物を持っていれば警戒されるでしょう。身体検査があると困ります。もしも事が起きた場合は……どなたかから拝借すれば良いでしょう?」
「……ああ、わざわざ式で暴れたのはそのためもあったのか」
「そうですね。拘束も外れて、人が集まり、なにより——武士の暗殺において、得物の調達は現地での
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結論から述べると……あいにくと、杞憂では済まなかった。
「この女を殺されたくなけりゃ大人しく従え」
首を半ば締める腕と首に突きつけられた太刀。
この場にいるのは、鬼兵隊側は武市さんとわたし。笹木家側は、交渉役と名乗っていた男がひとり、護衛役として紹介された男が四人。今は、うちひとりがわたしを人質に取り、うちひとりが武市殿にも切先を向けている状況だ。
「東条殿の暗殺は……」
武市さんが確かめるように口にすると、黒檀の座敷机を挟んで、交渉役の男は笑った。
「なあに、暗殺に向かったてめえらの部隊はとうに包囲されているさ」
武市さんは動じずに「ふむ」ともったいぶった様子である。
「鬼兵隊の参謀、元幕吏の武市変平太とはアンタだろう? まとまった私兵を抱え込みたくてね……こちらについた方が身のためだぜ」
……確かに、兄上の推測は正しかった。手弱女となめられているから、拘束はされているものの、油断が見える。はっきり言って粗雑。そもそも交渉前に〝誠意〟として武市さんの刀は回収されていた。相手側は数の優位もあってか、もうすっかり余裕ぶった様子だ。
さて。
「よろしいですか?」
「どうぞ」
では遠慮なく。
鳩尾に肘ひとつ。呻いた男の太刀の上身を素足で蹴り上げる——刀は、刃先に触れなければ切れない。当然の道理だ。得物持ちを相手にするなら、その点、すべりにくい裸足は最適ですね。
「ガッあ」
離れた刃先と弛んだ腕、拘束にもはや意味はない。頭ごと胴体を膝位置まで
脇差を引き抜くついで二の腕を撫で切った。そのまま腕を突き飛ばし、反動で跳躍する。太刀の刃先は先程までわたしに向いていた。そのまま押し込めば人質という肉壁はなく、得物保持のための筋は削がれ、すなわち己に食い込む他あるまい。血飛沫がほとばしる。
「ひとり」
人質を取るだけで慢心しなかったのはよかったんですがねえ、それにしても、起き上がるのがすこし遅い——着地点は人体。肝臓を踏み潰すなら、たぶんここ。ずれていたら、マ、許してくださいな。ところで肝臓破裂って痛いらしいですよね。出血性ショックと腹膜炎が同時発生して、動けなくなるとか。
気合で動けたとして、腕はね飛ばしたら武器は持てませんね?
「ふたり」
「このアマ!」
護衛についていた残りの二人も抜き身の刀とともに接近する。わたしが思うに、あなたがたが刀を使い慣れているのであれば、密室を選んだのは悪手だ。
太刀の間合いに、ここは些か、狭すぎる。
体軸の前傾、転倒直前で利き足を踏み切り——瞬発。小柄の身なれば非力・間合いの不足と様々に、不利な場面は数多く、ただごくまれに有利なこともある。普段、わたしほどの背丈の人間を相手する想定をしていないから、急所より狙いが若干上に逸れるのだ。熟練者ほど差異はごくわずか。けれど確実に、常に、ある。あとは利用するだけ。
振り切られた刀が髪先だけをかすかに切ってすかした。
「お触り禁止」
ほとんど前屈姿勢からダンと畳を踏み抜いて、跳び上がればそこにはもう無防備な首筋がある。頸動脈の損傷は、人間も天人もたいてい致命的だ。「さん」ところで、もちろん、わかります。同士討ちって怖いですものね、仲間に密着した敵への攻撃は手が鈍りますよね——返す刀で背後からのもうひとり。
「よん」
バァン!
爆破に似た轟音と共に、頬をじりと熱が焼いた。指先で触れると血が垂れる。
「つ……次こそ当てるぞ!」
交渉役の男が喚いた。両手には金属製の銃……火縄銃より銃身がずいぶん短い。拳銃というやつでしたっけ。
視線だけで弾道の先を観察する。銃弾は壁に食い込んでいた。おそらく、貫通はしていない。今かするだけで済んだのは、わたしがさっきまで縦横無尽に動いていたせいだろう。狙いの腕自体は、たしかに、良さそう。この至近距離であらぬ方向に飛ぶのもまれだ。
「そうですねえ……」
わたしはぼやいた。
「さすがにわたしも、弾を避けるなんて曲芸はできやしません」
袖で脇差についた血を拭うと、さすがに露骨な凶器に交渉役の視線がそちらに向いた——すかさず。
「が、それはそれで」
黒檀の机の端に足をかけ、瞬時にひっくり返す。てこの原理だ。一瞬直立した黒檀の机、銃声は木製の即席盾の向こうで響いた。ビシとコーティングにヒビが入る。やはり良品、一撃で貫通とまではいかない。連射されればあるいはと思うものの、そういう形態ではなかった。どちらにせよ一発防げたらば上出来だ。
男の位置は覚えている。机ごと半ば体当たりすれば、がんと硬い音がした。ぶつかったのは額だろうか。構わず、天板の急斜面を駆け上がり——机向こうに飛び降りる。死角から重力に従った強襲。交渉役を蹴倒して、拳銃も念の為払いのけた。
蹴倒した時点で、すでに気絶してたけど。
「ご。……と」
倒れ込んでくる机の上方を強めに押し返すと、今度こそ、机はゆっくりと逆さにひっくり返った。再度開けた視界の向こうで、武市さんはやはり、平然とした正座状態のままだった。
「見ての通り、終わりました」
脇差をもう一度袖で拭き取る。本日の着物は濃い臙脂なので、洗えば目立たなくなるだろう。頬の傷は……絆創膏していれば治るかな。
「あちらの様子はどうでしょうね? 包囲されているとの話ですが」
「万斉殿がついていますから。巧くやってくれるでしょう」
河上さんの腕が如何程かは知らないけれども、断言されるくらいなら、心配しなくていいか。
「ヒカリ殿、その腕はどこで身につけたのですか?」
「どこで、というか……兄上と、兄上の幼馴染と、兄上の師範に日夜揉まれていれば、誰でもこれくらいはできますよ」
わたしは拭った脇差を持ち主の鞘に戻し、ぺろっと答えた。「ご謙遜を……」と言われたので肩をすくめる。
いや本当に、本当にあの環境で育てば誰でもできる。実際にわたしができている。〝先生〟に教えられ銀さんに揶揄われ兄上にいじめられ小太郎さんに善意から指導され、が二十四時間三六五日だ。もう絶対できる。それにしてもなんだったんですかねあれ、寺子屋というより、侍専門養成所?
「ともあれ、では長居する意味もありませんし、集合場所に参りましょうか。一応、この男を引き摺っていけば」足元の男を軽く足で突く。「もう少しいろいろと絞れますかね?」
「その件ですが……」
武市さんが口籠もった。わたしはちょうど、今後の方針を検討しながらも、先程若干切られた髪を確認していた。これくらいなら毛先を整えるだけで済みそうだ。変わらず結べるはず。
「……大変情けなく申し訳なくまして本来晋助殿の妹御にお願いすることではないのですが」
「はい?」
「腰が抜けてしまったので肩を貸していただけると」
わたしは自らの髪を放り出し、武市さんをまじまじと見た。武市さんはいつものろくに感情も読めない猫目なものの、ただ、よく見ると若干冷や汗をかいている。
……肝が据わっていたから立たなかったのではなく、シンプルに、立てなかったんですか?
「……兄上にご意向を伺いますね」
「ご、後生ですから……!」
「あの、真面目に、わたし先程の動きも勢いだけですべてを補っていまして、筋力自体はそこまで持ち合わせておりません。人ひとり引き摺った上でさらに武市さんに肩を貸すなんて、物理的に無理です」
兄上は電話口で長めの沈黙を保ったのち、了承の一言と、実際の人手を寄越してくださった。助かった。
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「で、万斉。実力・素性、諸々疑いは晴れたか?」
「そうだな……ひとまずは、といったところか」
「ったく」
「ところで話は大して変わらんのだが、晋助、ヒカリ殿と一手死合うというのは可能であろうか」
「……あいつァたしかにただの町娘ってほどでもねえが、てめえが期待するほど大したもんじゃあねえよ。人斬りの地は敵に向けろ」
「冗談でござる。たぶん」
「たぶん?」
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「それにしてもいわゆる〝びぎなーず・らっく〟かと思うていたが、やはりなかなか腕が立つとのこと。どれ、拙者とも一度手合わせを」
「わたしの実力はわたしが一番存じておりまして……ありていに言って困りますゆえ、どうかご堪忍ください」
わたしはかろうじて敬語を取り繕ったけれど、おそらく声音は心底辟易としていた。クックッと河上さんは喉を鳴らした。
「兄妹揃って同じことを言う」
「兄上も同じことを……?」
「お主との一戦について頼んだものの、素気なく断られたもので」
「兄上とってもありがとう、それはそれとして、先に本人に通していただけませんか? というか、断られたならもう諦めていただけませんか? なんで聞いた?」
「人生何事も、ワンチャンあるやもと思うことが重要なのでござる」
「たしかに重要そうですね。今回は、そこになければないですね」
「仕方あるまい。強者と聞けば手合わせを願いたくなるのは、侍の性であろうよ」
「侍の性について、どうにもわたしとは些か見解が異なるようで……」
ヤマタノオロチはベロベロに酔っ払ったところを討伐され、オリオンだって調子に乗っていたらばサソリの一刺しで死んだ。であれば当然、油断している平均的な侍のひとりやふたりやぎりぎり二十人くらいまでは、わたしでも殺せる。
しかしそれ以上、あるいはそもそもわたしに油断していない相手、もしくはふつうに強い御方は、しょうじき難しい。たとえば後者二点が当てはまる河上さんだとかは、無理です。無茶です。死んでしまいます。攘夷戦争に連れて行ってもらえなかったのは、あれはあれで適解だっただろう。かつての戦争に参加していた場合、わたしは……たぶん、死んでいた。
まあ当時もさすがにそのくらいはわかった上で、なおごね倒して拗ねていたけれども。
「ともあれ、女心は秋の空。地球に戻ったあかつきには、意見が変わっている可能性もあろう」
「えっもしかして全然諦めていらっしゃらない……?」
河上さんは鼻歌を歌いながら去っていった。あのひとめちゃくちゃ自由人?
河上さんが仰った通り——我々の現在地、not地球。yes宇宙。正確には宇宙に漂う宇宙船内部。地球は本当に青いらしいですよ、の実績をクリアして、ちょっとしたところ。
攘夷志士……ではなくて、攘夷浪士とはすなわちテロリスト集団なわけだけど、テロやってる時よりも商談であちらこちら行ったり来たりしているときの方が長い。本日はその一環だった。
宇宙は無重力と聞いていたけれど、姿勢維持は安定している。天人の技術は擬似重力を再現するにまで至っているのだとか。これ悪用したら乗客全員プチッとつぶしたり、あるいはパチンと破裂させたりできそうですね。くわばらくわばら。
ところで。
「……あれ土星?」
灰褐色の惑星を眺める。特徴的な模様、惑星周囲に円弧を持ち合わせている。目を凝らすと数多の氷片や岩石が浮いていた。土星かな……。
「どう思います兄上」
「思ったよりおまえがガキの頃まんまの精神で俺は驚いている」
「そのお綺麗なお顔に紅葉つけてやりましょうか……?」
はじめて土星見たらみんなこんな反応するでしょ……。
振り返ると、兄上は呆れ顔でわたしを眺めていた。顔半分に包帯巻いていようが明らかに呆れ顔だ。さすがにわかる。自分の妹を自分の部下の愛人とかいうまったくの事実無根不名誉評判をなすりつけて平然としている男の顔がこちらですよ。どうぞじっくりご覧ください。やっぱり冷静に考えるとこれわたしけっこう怒ってよかったのでは?
わたしの名前と顔が露見しなかったことが、わたしと兄上双方にとっての幸運だ。客観的に情報羅列するとやってることシンプルにヤバいですからね、テロとはまた別ベクトルで。
「昔雪見たときと同じ反応なんだよ」
「雪合戦楽しかったですねえ。ありえないこと頻発しましたよねえ」
「ああ……雪玉で庭って割れンだな」
「抉れましたよね、大砲だった」
当時は子どもだったので、大人ってすごいな〜、〝先生〟はその中でもとびきりすごいな〜、と思っていたけれど、今ならわかる。さすがにアレは成人の上澄み以前の問題だ。確実に人外の膂力だった。人間業じゃあなかった。あのひと本当に何者だったんだろう。〝先生〟亡き今、すべては神のみぞ知るというやつなのか。銀さんなら知ってるかな。
……銀さん、元気かな……。わたしが俗世隔離されていたせいかなとも思ったけれど、あのひとだけ本当に音沙汰がない。小太郎さんはたまに新聞でも見かけるけれど、銀さんは本当に一切ない。しぶとく生きていても不思議じゃあないし、どこぞで野垂れ死んでいても不思議じゃあない。
兄上なら知ってるのだろうか、とふと兄上を見たものの、このひとは珍しく煙管を用意した様子もなく、真っ暗な宇宙をぼんやり眺めていた。なんでもあって、なんにもない景色ですねえ。
……知らないのだろうな。
「てめえは」
兄上が不意に喋った。
「なにも聞かねえな」
「……え? けっこういろいろお尋ねしておりますけど?」
鬼兵隊でのお仕事の話だとか。兄上の好みの話とか。直前だと土星のこととか。適当言ってると思われてますか? だからまともな回答ないこと多いんですか?
と、そこまで口に出せる雰囲気では、なかった。
「戦争」
兄上が窓に寄りかかる。包帯に覆われたこめかみがごつと強化アクリルを打った。
「あいつら」
兄上は目を閉じた。露出した片目に涙はない。
「……先生」
わたしは兄上をしばし眺めていたけれど、また土星に視線を移した。もうすでにだいぶん距離が離れている。この船って時速どれだけの速さで動いているのだろう。
「お訊きしてもよろしかったのですか」
「俺ァ構わねえよ。てめえが端折った遊郭までの具体的な経緯と等価交換だが」
「なるほど。では一生しません」
わたしはさっさと話を打ち切った。
兄上に兄上の過程があるように、わたしにはわたしの過程がある。幕間の語り部はどこにもいない。打ち捨てられた敗者に価値はなく、くだらない人形ごっこに意味はなく、くだらない物語に意義はない。わたしだけがあの苦痛と汚辱と飢餓と殺戮を覚えている。
無駄な話はしないに限る。とってもどうでもよろしいので。兄上だって聞いてもなにも面白くないでしょうに。
「古傷に爪を立てるのがお好みですか。兄上がお好みかどうかはさておき、わたしは嫌です。甘ったれの末っ子なので嫌なことしません」
「……おまえそれわりと気に入ってんだろ」
「甘ったれの末っ子なので」
「違ェな根に持ってんのか」
よくお気づきになられましたね〜。
「最近は脅し文句がひっぱたくだの実際ひっぱたくだのと今更小生意気になりやがって」
「八割くらい兄上が悪くないですか……?」
このひともしかして小生意気になった原因自分じゃないと思ってる……?
「……昔はよく泣きっ面晒したくせしてな」
おかげで兄上には弱虫泣き虫と罵られたものだ。ひどい兄である。いや本当にひどいな。わたしってばなんて健気で可哀想な妹なんでしょう。
まァでもいいですよこうして生きて会えたから。ぜんぶチャラにしておいてあげます。
「甘ったれで末っ子のわたしとて、泣いても誰も助けに来てくれないことくらいね、さすがに学びます」
わたしは土星の向こうに地球が見えないか、不意に気が向いて探したけれど、出発直後に見下ろした青い星は肉眼ではどこにも見当たらなかった。とうにずいぶん遠いらしい。
➤
かの戦争、とかくにいろいろあったのでしょうとも。知りませんけれど。どうにせよわたしとしては、本日もまた兄上のご指示に従うだけである。
数年も前の記憶を思い起こしてしまったのは、懐かしい名前を聞いたからだろう。斬り殺した幕臣の返り血にうへえと内心舌を出し、刀身を袖で拭った。
「いい加減それやめろ」
煙管を咥え直した兄上がウンザリと言った。既に愛刀は納刀されている。
「いちいち拾った得物の血なんざ拭うな。拭うとして、てめえの服で拭うのは論外だ」
「潔癖症ですか?」
「常識の話をしている」
勝手にお借りした打刀を、持ち主の鞘に音もなく戻し、そしてわたしはわざとらしく口元に手を当てた。
「テロリストが常識を語られる……」
「今ここでおまえも錆になるか?」
このタイミングで煽るとさすがに白刃が飛んできそうなので、襟元を整えることに専念した。血溜まりは足の踏み場もなく、加えて死体が積み重なっている。寄せたのだ。じゃまだし。
そろそろ猛暑の時期、しょうじき言えば思いきりはだけさせたいのだけど、一回それをやって兄上に無言で羽織をかぶせられて背中を隠されたのでもう諦めた。どうせ跡はのこってしまったのだし、わたしはお嫁とかとっくに諦めているので、あなたも気にするのやめて良いのですけれども。
「……というか江戸に来て早々これでは、せっかく京まで引っ込んで撒いた追跡もすぐに張りつきますよ。どうするんですか」
わたしは奇跡的に顔こそ割れていないものの〝得物を奪って斬殺する〟という殺し方はあまりに特徴的だ。鬼兵隊にそのような人間がいる、とは既に上がっているらしい。兄上は、もはや言わずもがな。あまりに危険人物すぎてマークされまくっているので、最近は太刀筋からも割り出される。技術の進歩ってすごいですね。
兄上はどこか面白がるような素振りでわたしを見た。
「まったく俺の妹ァ堪え性がねえ」
「ア、わたしのせいですか。そうですか。わたしのせいになりますか。兄上ったらご自分でいちばんはじめに襖ごと腕斬り飛ばしといて、挙げ句そのように仰る。へー!」
「拗ね方変われよ少しは。何歳児だ」
「二十六です」
「……アラサーか……」
「あの本気でしみじみするのやめてもらっていいですか? 居た堪れなくなるので」
ボケって回収してもらえないと時間経過で空中分解するしかなくて。
じっさい、兄上が初手動きやがったのは本当だ。本来はできるだけ情報収集という手筈だったのだけど、いったいなにが気に障ったのか。わたしには及びもつかない。会話内容は心底胸糞悪かったのでなにが気に障っていてもおかしくはない。微笑ましかったのは将軍のお祭り観覧くらいで、地下闘技場に麻薬カルテル、人身売買、密輸に詐欺、わたしにとっては懐かしい、吉原の件まで含まれていた。選択肢は盛りだくさんです。嫌過ぎ。
適当考えながらも、わたしは血の海にしゃがみ込み、死体をひとつひとつ検分する。こういうところに来る輩は往々にして、重要書類を隠し持っていたりするのだけど。
「それにしても小太郎さん、趣旨替えですかね? この間までは大使館に爆破テロを仕込んでいた覚えがありますが……」
京に隠れ潜んでいたころ、何の気なしにテレビをつけたら結野アナが迫真の実況をしていた。攘夷浪士主導の過激テロとなると、兄上か小太郎さんのほぼ二択だ。わたしは銀さんが映っていて二度見した。生きてたんですかあなた。現在は桂一派でいらっしゃる?
と、いうのがちょっと前までのわたしの認識。今は……先程の幕臣の話に混じっていた内容が気にかかった。
「春雨を叩きのめすだなんて、まるで正義の味方化?」
幕府が天人のろくでもない悪党どもとつるんでいるのはわりかし今更な話なのだけど、ところで、悪党どもでもろくでもなさぶっちぎりの宇宙海賊に、真っ向喧嘩売った輩がいたそうな。まずはキャプテン・カツーラ。そして、名無しの白髪フック船長。
もう誰が誰だかぜんぶわかる。あのひとたちホントなにやっていらっしゃるのやら。幕臣のやりとりの最中、なにかしら虎の尾踏まれて目が怖かった兄上すら、このくだりを聞いているときだけは半笑いだった。まァあのひとたちが十二艦隊に怯む絵面は思い浮かばない。
「……さて、あいつの考えがブッ飛んでんのは今に始まったこっちゃねえが」
兄上はうそぶきながら、こちらは死体を無意味に踏みにじった。見事な丁髷が合わせてねじ曲がる。懐漁りにくいので、無意味な八つ当たりはやめていただきたいところですが。
「銀時がいるのが気にかかるなァ。つい最近まで、ろくに消息すら掴ませなかった野郎がよ」
「まったくどこにいらっしゃったんでしょうね」
あんなに目立つ容姿のくせして、とんと音沙汰がなかったので、わたしは死亡説に鞍替えしていたほどだ。兄上は生存説激推し。見事敗北しましたとさ、とっぴんぱらりのぷう。
冗談さておき。意外と江戸にずっといらっしゃったのかもしらん。
「踏み絵でもするか」
兄上はつぶやいた。片目がにぶく光る。月光が顔を出し、料亭に広がる血の海を照らし出す。
「ちょうど近々祭りだ。せいぜい花火でも打ち上げて……久々に、感動の再会と行こうじゃねえか」
なにかに話しかけるようでいて、その実、確実にわたしには話しかけていなかった。
わたしは溜息をついて立ち上がる。今回は、物的証拠という点では収穫はなしのつぶてだった。お話し合いの内容をもとに、精査して、すこぉし脅しをかけるぐらいしかできないだろう。
斬り合いの最中にゆるんだ薄藍の髪紐を結び直して、結び目ごと髪を払う。切り替えていきましょう。
「ところでお祭りでは綿飴と焼きそば食べたいです」
「勝手にしろ」
「つめたい」