永遠なれif
快晴と呼ぶには些か雲が多く、曇天と呼ぶにはあまりに青い空だった。
兄上はそのような日に死んだ。
➤
——白詛。
今江戸を中心に流行している死病である。おそらくは接触感染。もしかしたら飛沫感染。仮の接続詞でつないでいるのは、単に感染方法が今をもってなお特定できていないためだ。感染者はすべて、湿性咳嗽と白毛化を発症し、老人のようななりとなって死に至る。
と、いう情報が渡ってきたのは、我々は地球でもずいぶん早かったはずだ。
それよりも少し前に、すでに崩壊は始まっていたけれど。
「晋助殿、髪はどうなさいました」
はじめに気づいたのは武市さんだ。「髪がなんだよ」と返す兄上の前髪が一房白髪になっていたことを、わたしも彼の指摘で認識した。
「あら本当。脱色でもなさったんですか、兄上」
「脱色?」
「前髪です、前髪。昨晩はそのようになっていなかったでしょう。ほら」
ひょいと指でつまんでみせる。兄上は色の変わった己の髪の房を自分で持って、しばらく眺めて、少し目を細めた。そのままもう片方の手を口元に手を当てる。
なにかを考えていらっしゃることはわかった。
「……おまえら」
「はい? はい」
「なんでしょう」
「少し留守にする」
「……はい?」
素っ頓狂な声が出た自覚があった。
「出かけるのか?」
また子さんと武器在庫について侃々諤々話していた河上さんが振り返る。
「現状、沙汰はてめえらの裁量で捌ける範囲だろ」
「構わんが、留守とはどこに」
「野暮用」
「さては……言う気がないな?」
「よくわかってんじゃあねェか」
かすかに鼻で笑うようにして、兄上は我々に目を通した。
「留守の間はよろしくな」
「お気をつけて」
「はいッス」
「いってらっしゃーい」
返答の代わりにあのひとはヒラと手を振った。
「……それにしても、どこへ?」
武市さんが訝る言葉が宙に浮いて「気ままな猫っぽいですよね〜」「やれやれ、晋助がいないと途端にコレだ。言いつけてやろ」「よォし河上さん少々交渉しませんか?」わたしたちのコントで霧散した。
霧散した疑問への回答は、一月後にもたらされた。
兄上の端末からお呼び出し。船は指定位置に停泊し、鬼兵隊の全員が地上に降りるか、あるいは、船でも地上が俯瞰できる位置に移動した——
「……晋助殿、どう、なさいました……?」
武市さんの言葉は一月前と同じような文言で、同じように、疑問形だった。一月前とは異なり、単なる疑問というよりは、眼前の光景を信じたくないような響きが混じっていた。
また子さんに咄嗟に掴まれた手首がきりきりと痛む。痛覚をどこか遠くに認識したまま、わたしは息をこぼした。
「ずいぶん、手酷くやられましたね。兄上」
濡羽に似た髪はもはや真っ白に漂白されて——打撲、擦過傷、裂傷、骨折、ありとあらゆる傷を負って極めつけには胸を斜めがけに袈裟斬られて、もはや死んでいないのが不思議なほどだ。
刃毀れしてヒビまで入った愛刀を地面に突き刺し、兄上は、柄に半ば寄りかかっているような有様だった。
「その距離で聞け」
ゼェ、と息継ぎにすら喘鳴が混じる。
「今江戸を騒がせている病は魘魅によるものだ」
「え、えんみ?」
「天人。星崩しの異名を持つ。蠱毒を用いた呪詛で星ごと壊滅させる——」
「晋助様それより手当てを」
「近づくな!」
鋭い一喝だった。
また子さんが肩を震わせる。
「魘魅が生きてる限りこいつァ収まらねえ。治療法もねえ。ただ星ごと命軒並み食い尽くして終いだ」
「いやちょっ……ちょっと待ってください。星崩しの魘魅ってそれ、そりゃおかしいでしょ。たしかに症状は似てッ」
わたしは咄嗟に、また子さんに掴まれていない方の腕を伸ばして、部下の行く手を遮った。中田さんは突如現れた障害物に、我に返ったように言葉を詰めて「……でも」と続けた。
「あれはとっくに死んでる」
「……そういやァ、中田、てめえは第二次の生き残りだったか。なら知ってんな……」
「で、ですよ。だからそれこそ、もう十年は前にあんたらが殺したんじゃないすか」
「あの野郎、本体はナノマシンの方だとよ」
兄上が肩を震わせた。まるで笑っているみたいだった。
「つまり、十年前に
中田さんの顔から血の気が引く。
当時の魘魅がどれだけの猛威を奮ったのかはわからない。わたしは戦争には参戦していないから、その内情はほとんど耳にしなかった。流れてくる噂では、江戸における感染者が既にひとりやふたりじゃあ効かないのは確かだった。
「……なら、今の魘魅は」
「俺じゃあねえよ。この調子なら、時間の問題だが……」
兄上は激しく咳き込んだ。既に酸化した血がパタパタと落ちる。……酸素供給がうまくいっていない? ……このような身体で未だ生きていること自体が既に異常だ。魘魅とやらが本当にナノマシンの群体であるとして、それが兄上の身体を乗っ取っているとして……ある程度の身体機能の補完は行われているのだろうか。たとえばろくに酸素を取り込めない身体の延命維持を代替するだとか。
……逆に言えば、兄上が死にかけている今、ナノマシンは兄上の肉体補完を優先していて他のことが効かない。だから兄上はまだ自由意志を握りしめている。すぐさま感染する様子がないのはそういうこと?
「——総員、告ぐ」
兄上は自らの袖で血まみれの口元をぬぐった。
「まずは地球から脱出しろ。白詛に治療法なんざねえ。あれは皆殺しだけを目的とした生物兵器だ。馬鹿げた滅亡で死ぬ星なんざ、勝手に殺しとけ。どうせお偉いさんどもはケツ捲って出てく準備中だろ……とっくに出てったかもな。世界ごと壊すんなら、こんなところで立ち止まっていられるか」
「承りましたが晋助殿、しかしあなたは……」
武市さんが言葉を続けることを躊躇った。
兄上がやんわりと口角を上げる。
「それで、察しちゃいるだろうが、俺はもう長くねえ」
血の気の失せた唇から、こぽりとまた血の塊が落ちた。
「違ェな。魘魅のバックアップとしちゃあ、長生きするかもな。は、はは……くだらねえ。死んッでもごめんだ。死にきれてねえのが腹立たしい、トドメを刺させねえのが生存戦略とはイイ趣味してんなァ……」
「……お話を聞いていると、魘魅を今度こそ殺せば止まるという解釈が可能かと存じますが」
「おまえにゃ殺せねえさ」
即答。
「そもそも、ヒカリに限らず、てめえら全員無理だ。なにせ俺が殺せなかった……二四七敗かよ、クソ」
ず、るとわたしの眼前で、柄にかけたてのひらがすべった。兄上は柄を握り直して、はー、と長く呼吸をした。
「指揮権は……まあ……幹部で決めとけ。じゃんけんでもなんでも」
「……兄上って、たまに適当になりますよね」
「おまえらのことだ、誰を矢面に立ててもどうせ上手くやるだろ……あとは」
濁った水音とともにまた血がこぼれた。
「後顧の憂いを断て。——俺の首を刎ねろ」
また子さんのかたちのよい爪がいよいよわたしの手首に食い込んだ。
武市さんがわたしたちを振り返る。わたしとまた子さんとを見比べて、河上さんに視線が移る。河上さんはいつものサングラスをかけたままなので目元がうまく視認できない。
沈黙は刹那のことだった。
しかし永遠のように思えた。
「拙者がやろう」
河上さんが刀を抜いた。
「万斉先輩待って」
また子さんの唇から言葉がこぼれる。一歩、二歩と歩み寄る右腕を、今度は兄上は止めなかった。
「ねえ止めて、止めてください。止めてください!」
また子さんが踏み出しかけた一歩をわたしは咄嗟に足を刈って止めた。
「ヒカリ様どうして、武市先輩!」
武市さんが首を横に振る。がむしゃらにもがく四肢を抑える。わたしがもっとも近いところにいたからだ。
「万斉先輩待っ——待ってって言ってんじゃねえスか! イヤッス! ねえ!! 晋助様!!!」
「なにか言い残すことはあるか?」
「やめて」
わたしの手首に食い込んだ爪先が皮膚を破って、血がにじむ。わたしは、彼女の顔ごと抱え込むように抱きしめた。小袖の袂が濡れる感触。手入れされた金髪がわたしの頬に触れた。
「やだ……」
涙声の妹分をただ強く抱きしめる。
わたしの瞳はやはり涙のひとつもない。視界はまるで歪む気配もない。頭を垂れた兄上の前に、河上さんが立った。わたしはそれを見ていた。はっきりと見ていた。
「心底無念だよ」
兄上はうっすらと笑っている。
「あとは任せた」
「相分かった」
刀が振り上げられて。
ごとん、
接触によるナノマシンの拡散を考えると、迂闊に棺に入れることもかなわなかった。炎で焼けば繊細な機器はたいてい死ぬ。人も死ぬ。
弔いの焔は野火の如く——わたしは手拭いを濡らしててのひらにくるみ、火柱に手を差し入れた。
「あつ」
さすがに鍛冶の竈でもないのだ。兄上の刀は柄はすっかり焦げていたけれど、刃の部分は、未だ溶けることなく原型を保っていた。くるりと回して、わたしはそのまま、自らの髪をばっさりと落とした。
結んでいた薄藍の髪紐を解いて、髪束だけを炎に放り込む。バチバチとタンパク質が焼けるところに焚べられたケラチンが混じって嫌な臭いが鼻をついた。
完全に燃え尽きたころ。灰を集めて骨を拾って、土を掘り返して、すべて手ずから流し込む。【全義院東行暢夫居士】と戒名を記した木片を土くれの山に差し込んだ。一般的に、墓を建てるのは遺族の仕事である。
まともな墓を建てるにはいろいろ時間が足りなかったのだけど。……だ、ださいかもしれない。
「……あんとき、自分の首ごと落とすかと肝冷やしました」
「わたしをなんだと思っていらっしゃるんですか、中田さんは」
「突拍子もなくヤベーことする上司」
「しつけが足りなかったかしら……」
「やめて〜?」
兄上の刀を腰に提げ直す。下緒を括った。
「あなた、兄上が格好いいからついてきたんでしょう」
わたしは言った。
「兄上はいなくなってしまいましたけれど、長い暇でもあげましょうか」
「……ええ〜? 無職はちょっとおれイヤっすよ」
「テロリストよりは無職の方がましなのでは?」
「ハ! コレが俗に言うリストラ!」
「違いますけど」
「おれいなくなったらあんた部下誰もいねーですけどぉ?」
「半年前の状況に戻るだけですねえ」
中田さんはしばらく黙ったあと「……まあでも、万斉様もカッコいいんで」と言った。
「そうですか」
わたしは答えた。
木片の表面を指でなぞり、そういえば、兄上、ただいまとは言ってくれなかったなと思い出す。わたしもおかえりとは言えなかったので、お互い様なのだけど。
言うべきだったかしら?
「行ってきます」
木片は何も喋らない。
➤
「失恋後みたいになってますね」
「は? 髪型を好きに変えるのもいちいち言うのは些か前時代的にございますよ。ねえ河上さん」
「武市……よりにもよって」
「あら? 河上さん、よりにもよって、というのはどういう意図でしょう?」
「……い、いやその」
「万斉殿……よりにもよって……」
フンと鼻を鳴らして、わたしは少し不揃いの髪先に指で触れた。わたしはずっと紐で括れるように髪を伸ばしていたから、さながらショートカットの髪型なぞ、この十何年なかったことだ。首筋に常に空気が触れることにはまるで慣れない。
「あ、聞いてくださいよまた子さん、このふたりってば——」
食堂に現れたまた子さんはふらとわたしたちを見ると、すぐに視線を外して、ひとつコップを取った。
「……また子さん、冷蔵庫に炒飯が」
「いらねッス。飯は食いました」
「また子、少し話を——」
「お邪魔しました」
また子さんはさっさかと自室に戻っていった。
「……拙者、しばらく顔を出さないでおくべきか」
「それでいうと私、あの場で万斉殿が出るしかない空気を作った自覚はありますが」
「容赦なく羽交い締めにしたわたしも大概にございます」
あ〜あ。という空気が漂う。我々全員、また子さんのことがけっこう大好きなので、彼女に袖にされるとふつうに落ち込む。
「来島様もわかっていらっしゃいますよ。気持ちが追いついていないだけで」
通りかかった蛯名さん(※また子さん付きの部下)にフォローされた。そこまで落ち込んでいるように見えましたか、わたしたちは。
蛯名さんの瞳が不意に陰る。
「……ただ、どうして総督はおひとりで……」
——白詛が、かつての攘夷戦争でも猛威を奮ったというならば。自らの髪から白く色が抜けた症状を以てその原因に思い当たったとすれば。もちろん、兄上が感染リスクを考慮したことは大前提だ。
そして、十年前に兄上たちが対峙し、討伐した——そう思い込んでいたという、ソレ。兄上が悔しげにこぼした敗北の数。わたしたちの誰もが勝てないと断じた結論。
今の魘魅はいったい、誰に取り憑いているのか。
なんて。
「……あのひとのお考えは、既に図りしれぬことです」
わたしは意図的に視線を外した。
「我々は我々のなすべきことを果たしましょう」
視線を移した先は一面が強化アクリルとなっていて、外の景色が見通せる。暗い宇宙の只中で、宇宙海賊:春雨の十二艦隊が星々の隙間を周回していた。
「やあ」と神威さんはまるでいつも通りに手を挙げる。もとより第七師団団長にしてはあまりに軽々しい振る舞いだったけれど、提督になっても変わらない。
「揃いも揃って、まるで葬式みたいな辛気臭いツラしてんね」
「申し訳ございません。それこそ先日総督の葬式を済ませたばかりなもので、にじんでいたのかも?」
豪速球ノンデリストレートをそのままフルスイングで打ち返すと、阿伏兎さんが無言で胃の腑のあたりを抑えた。すみませんね、いろいろと。
傭兵稼業において死はあまりにも身近にあり、鬼兵隊にとってもその点だけは同様だ。他の隊員が死んだ程度では我々も辛気臭い顔はしない——してはいられない。神威さんの言葉は豪速球ノンデリストレートだったが、とはいえあくまでも普段の軽口に過ぎなかった。
……わたしも少々、自覚よりも気が立っていたようだ。
「……てことは、シンスケが死んだって、あれホントの本気?」
神威さんの顔から笑みが抜ける。
「俺はまだあいつとやり合うことすらできてないのに」
「事実として死にました」
「誰が殺した?」
「魘魅です」
河上さんが口を開きかけたのを手で制してわたしが答えた。兄上を殺したのは魘魅だ。魘魅によって人間としてのとどめを刺され、あとはいつ完全にあれの支配下に入るか、というところだった。傀儡をわたしは兄上と呼ぶつもりはない。介錯は単なる自殺幇助に過ぎない。
わたしの回答に「それはもう聞いてる」神威さんが首を横に振る。
「吉原の件以降、アンタから送られてくる資料は一応、俺も見るようにはしてるからね」
このひとに反省と改善の概念、あったんだ……。
「
我が故郷の星がごとく、澄んだように青い瞳がまたたいた。
「
……。
「……団長、ソレ聞いてどうするつもりだ?」
義手ではない方の腕で阿伏兎さんが頭を掻いた。
「侍がむざむざ殺されるようなバケモノだ、気になるだろ。弔い合戦なんて確かに俺のガラじゃあないけどね」
「戦うってならナシだぜ」
「ええ~阿伏兎」
「ナシだ」
畳み掛けた言葉にはいつもの軽薄さはなく、有無を言わせない圧があった。
「へえ? 俺に指図するの」
神威さんが軽やかに、しかし明らかに苛立ちをこめて言った。
「アンタが魘魅と戦って、万一殺しきれなかったとして」
「俺が失敗するって思ってるわけだ」
「ああ万一の想定だからな」
にべもなく撥ねつける口調だった。なんだかんだで普段上下関係を重視して神威さんを立てる副官殿にしては、きわめて珍しい物言いだ。
「殺しきれなかった魘魅が、次の宿主にアンタを選んだとして……そうなりゃあ、今度は最悪の傭兵が、次代の夜王を器に再誕だ。いよいよ誰が殺れる」
「さァね。どっかのエイリアンハンターとか? ア、片腕なくしてるから無理か!」
「ンで親子喧嘩で宇宙ごと心中か? 兄妹かもしれねえが、どっちにしろ、同族食いなんぞ俺ァ絶対にごめんだ。好き勝手するのはさぞかし楽だろうがな、自分に立場があること忘れてんなよ。俺は、許可しねえ」
神威さんは心底つまらなそうに鼻を鳴らした。彼はそれ以上食い下がることはなかった。
「迂闊に触れない方が良い、というのは正しいでしょうな」
武市さんが溜息混じりに言った。
「魘魅が地球に留まり続けている理由が未だ判明していない。攘夷戦争に駆り出されて晋助殿たちと対峙したというのは真でありましょうが、しかし、とうに終結していて和平を結んでいた。戦いを続ける理由は既にないはず。星ひとつ崩すまで決して離れない……だとかいう性根でもなさそうなもの」
「実際、地球は皆殺しにしたところで旨味がねえんだよな。飯が美味いのはノウハウある現地の人間が作ってるからで、魘魅の蠱毒は現地民どころか生命体みんな皆殺しだ」
阿伏兎さんが重心移動だけで椅子を傾ける。
「あんたらとの会合までに時間があったんで、もう三十年は前か、あの野郎が滅ぼした星をついでに見に行ってみた。ヒデェモンだったよ。ああいうのを死の星と呼ぶんだろう。……二十数年ごときで旨味を食い尽くしたとも思えねえがなァ」
辺境の星の原住民ごときにしてやられた魘魅による、復讐か。
宿主が、せめて被害を地球だけに留めんとしているのか。
他の思惑でもあるのか。
「本題に入らせてくれぬか」
河上さんが口を開いた。
「あー、はいはい。地球人が入植可能な星ならこんなかんじー」
ザラッとバラッとパンフレットが開かれる。「央国星。頭パッパラパーな王子が今実質トップやってて、こいつは親地球思想だから入植は楽そう。ただ頭からチンコ生えてるやつがいっぱい、女にとってはイヤかもね」「チダンネクスコな。こいつはナメック星。温厚なヤツが多いらしい……が最悪なことになんと太陽が三つもある。俺たちゃ足を踏み入れたことがねえ」「烙陽。並べといてなんだけど、これはやめとけば? ずーっと雨降ってる辛気臭ェ星、アンタら気が狂っちゃうと思うな〜」その他十数の星のパンフレットとともにぺらぺらとプレゼンを並べて、神威さんが頬杖をつく。
「で、こんなの聞いてきたってことは、地球捨てて移住すんの?」
「最後の総督命令ですからね」
わたしはナメック星のパンフレットをぱらぱらとめくった。七つ集めると願いが三つも叶う球体があるとかなんとか……本当に? 詐欺では?
「ふーん」
「それともうひとつ」
河上さんがパンフレット(※央国星)をひらひらと振る。
「地球から真っ先に出ていった重鎮共は、さて、当然に住みやすい星を探すであろうな」
サングラス越しの瞳がつめたくひかる。
「やつらは鬼が手から逃げられると思っている」
ヤレヤレとばかりに阿伏兎さんが肩をすくめた。
「頭が欠けたところで修羅は修羅、か」
「私共が立ち止まる理由にはなりえませんな。なにせ晋助殿が直々に〝あとは任せた〟と仰ったもので、参謀としては腕の見せ所というわけです」
深淵の瞳はいつも通りに、底しれぬ様相が窺える。武市さんはパンフレットを手にしていなかった。一目ですべて覚えるからだ。剣の才能の代わりに頭脳を武器とする。
「ヒカリ〜」
会合のあと、わたしはのんびりと呼ばれた。振り返ると、神威さんはちょっと視線を下げたまま「あのさあ」と言った。
「バカ妹がどこいるか把握してる?」
「……地球から出ていないはずですね」
「……あそ」
神威さんはくるりとわたしに背を向けて「じゃーね」さっさと去っていった。
「……つくづくと素直じゃあない御方。そうは思いませんか?」
「俺に振るんじゃねえよ、暴れ馬」
「ヒカリです」
阿伏兎さんは辟易とした顔で、上司の後を追った。夜兎二人の後ろ姿を眺めて、わたしは頬に手を当てる。
「素直って大切ですよ。運命とは数奇なるもの、時間は有限にございます。……あなたはじつのところ、よくわかっていらっしゃるかもしれませんがね」
神威さんは返答の代わりにしっしとジェスチャーだけしてみせた。
➤
流れてくる噂、快援隊が地球脱出の支援をしているそうだ。
火にかけた薬缶を横目にわたしは端末に入る情報をスクロールしていた。
「……」
こと、と横に丸椅子が置かれる。ひとり安定した場所を手に入れたまた子さんがわたしの脇腹に寄りかかった。ちょうど帯のあたりである。
「お茶飲みますか」
「……飲みます」
わたしはまた子さんの横髪を手のひらでそっと触れた。母指球のあたりに頭を押し付けられた。
「……ごめんなさい。迷惑を、かけました」
「あら」
「痛くないスか、手首」
「もう治りましたよ」
傷は癒えるものである。喪失には慣れるものである。「大丈夫です。けれど、河上さんと武市さんも、気にしていました。顔を見せてあげてね」「……はい」また子さんが椅子の上に膝を抱えた。行儀は悪いけれど、今日はまあ、特別ということで。
「……いつか敵の手で亡くなられることくらい、は、覚悟してたんスけど……」
「……まァ、そうですねえ」
さすがに、さすがにアレは誰も予想していなかったと思う。
介錯の嘆願を思い返す。やるとして、平隊員には任せられない。幹部陣に絞られる。武市さんはシンプルに、腕の問題で除外。また子さんは動揺していたこともあるけれど、純粋な刀の腕で選出するならば、当然河上さんかわたしだ。……わたしは、また子さんを抱きかかえていなくても、あれほど迷いなく振れたかどうかは少し怪しい。
頭部の断面の色は目をつむらなくてもまざまざと思い出せる。血液はやはり酸化していた。生きた人間の身体と呼ぶにはあまりに——死体同然だった。
シュンシュンと音を鳴らし始めた薬缶の火を止める。まずは湯呑みふたつにそれぞれ分けるように注いだ。
「私、晋助様に救われたのに、なにもできなかった……」
兄上はまるで好き勝手なように振る舞いながらも、そのじつ、取りこぼすことがとても下手な人だった。部下の犠牲を当然のものと許容しながら、その死に様を記憶に焼き付けている。破壊衝動を実現しながら破壊によって己が身を削る。矛盾の体現者。
……最後も好き勝手。一言も言わないし、連れて行ってくれないんですからね。
ま、いいですよ。振り返ってみればここ七年が異常値なだけで、兄上とわたしの関係では、まるでいつものことでした。本当に、いつものことでしたからね。
ぐるりと回した湯を次は双方とも急須に注ぐ。
「……救われたの?」
「……ヒカリ様には言ってなかったかも」
急須に注いだ湯を再度ふたつの湯呑みに注ぎながら、わたしはまた子さんを横目に見た。
「もともと、今の鬼兵隊は……私がヘマしたせいでできたんス」
また子さんはぱちりとまばたきした。いつも綺麗にお化粧をしているお顔だけれども、今はすっぴんで、少し目元は赤い。
「私が、勝手に突っ走って。処刑されそうになってたんスけど、晋助様と万斉先輩が暴れてくださって逃げられて。あんとき私、ほぼほぼ他人だったのに」
どうしてだろう。なんだか容易に想像がつく。
「ただ今度はお二人が捕まって……脅しかけた相手がたまたま武市先輩だったんでなんとかなったんス。あの頃からロリコンでフェミニストだったから」
「あのひと本当に筋金入りですねえ……」
……武市さんだけは元幕府勤めだ。幕府を裏切り、命を懸けるならば、もちろん理由はそれだけでもないだろう。
わたしが知る由もないことだ。尋ねることもきっとない。憶測は憶測のままとしておしまい。
急須に茶葉を入れてから、湯呑みの湯を急須に注いで、今度こそ蓋をした。
「……たくさん悲しんでいいんですよ。きっといつかには涙も枯れ果てます。そうしたら、やるべきことを果たしましょう」
たとえはじめに路を歩いていたひとが、もうどこにもいなくても。
蒸らした茶を注ぐ。また子さんのぶんを含めてふたりぶん。ひとつをまた子さんの方に置き直すと「ありがとうございます」また子さんは手に取った。
「ヒカリ様は……」
「はい」
「……悲しめましたか」
わたしは目をまたたかせて「そうですねえ」と、言った。
「……隠れてちょっと泣きましたよ」
嘘である。やっぱりいまだに、まったく涙は出なかった。
わたしは少し薄情なのかもしれない。
➤
「長いお暇をいただいてもよろしいですかねえ、武市さん」
軽やかにお尋ねすると、武市さんは打ち込んでいた端末から目を上げて、わたしをジッと見て「……できればやめていただきたいのですが」と言った。
「要事はほとんど決まったとはいえ、入植の書類を私一人で捌くのはシンプルに過労死しますし」
「そうですよね」
「幕吏の追跡も終わっていませんし」
「わかりますよ」
「……なんですが、まああなたが言い出した理由はわかります」
武市さんは端末から手を離して、頭を抱えた。珍しいことだった。
わたしも遠くを見つめた。珍しく頭を抱えるまでの気持ちは、本当に、よくよくわかったからだ。
「隊が割れてますね……」
「そうなんですよねえ……」
〝指揮権は……まあ……幹部で決めとけ。じゃんけんでもなんでも〟
あの馬鹿☆阿呆☆ろくでなし☆人の心なんにもわかってない☆兄上は、よりにもよって最悪の置土産を残していった。冷静に考えていただきたいのですけれど、とりあえず、じゃんけんで決められるわけがないことだけはわかりませんでしたか? 瀬戸際なので気が回っていませんでしたか? そうですか……。
ともあれ、もとより本件のようなことでなくとも、兄上がもしも中途で亡くなるとして——後継として据えられるならばを鬼兵隊内で想定する場合、文武両道で歴が長くてネームバリューがあって実質№2の河上さんか、河上さんには及ばずとも文武両道でそこそこ歴が長くて血縁者のわたしか、の二択だった。
お察しなのだが候補が二択な時点で生前時点でもだいぶ意見が割れている。
戦争時代は知らないけれど、再編鬼兵隊自体がほぼほぼ兄上のカリスマ一本で引っ張ってきている。兄上以外は認めません、なひとはまだいい。死者を蘇らせるすべはなく、彼らは真っ先に脱退したので揉めようがない。中途半端にこじれるのが面倒なのだった。
要するに——河上さんを担ぐかわたしを担ぐかで割れるの、一番やめてほしい。
わたしは血縁者という点以外で河上さんに勝てるアドバンテージはないのだけど、逆に言えば、血は水よりも濃いと言う派閥はどこにでもあるのだ。ふふ。わたしの個人的な感情で申し上げますと本当にやめてください。
「わたし個人としては河上さんを推しているのですけれどねえ……」
溜息混じりに言うと、武市さんも頷いて「しかし……」と続けた。
「なにせ、刎ねましたからね、晋助殿の首を」
そこなんですよねえ……。
「晋助殿のご意思なことは、皆さん目撃したはずなんですがね……」
「だからと飲み込めるならば、鬼兵隊自体が成立していませんからねえ……」
「ハァ……」
我らこの世に敷かれた理に反発を覚えた修羅が集う組織ですので。
……ですので、ではない。
今の隊の割れ方は、兄上を真っ先に手にかけた河上さんに反発心を覚えて血縁者のわたしを勝手に担ぐひとと、兄上の指示にすぐさま従った河上さんを崇拝して血が繋がっているだけのわたしを勝手に敵視するひとと、せめてここの揉め事なんとかできないかな……な第三勢力である。ちなみに幹部全員が第三勢力である。河上さんとわたしの当事者二人は、揉める余地ありませんからね。えっ総督代理なぞさすがにめんどくさい……の顔をしたわたしに、河上さん・武市さん・また子さんの全員が「知ってた」の顔をしたしなんならみんな言った。本当にみんなに言われた。
わたしが要事に真っ当に振る舞っているのは、あくまでも兄上のお顔を立てる前提ありきだ。鬼兵隊に愛着と責任はあれども最古参幹部には負ける自覚があり、常に弁えている。なお最古参幹部以前、たとえばじつは初代鬼兵隊の生き残りたる中田さんは「ヒカリ様が指揮取ると隊単位で無茶振りされそうでイヤ……」で終わった。あのひとわたしのことなめてます!
「長期不在でなあなあにしたい気持ちが強くて」
「突然雑になる」
武市さんからじとっとした眼差しをいただいた。
「もともと積み残しの用事がありまして、そういう点でも鬼兵隊から長らくお暇をいただきたいのは本当です」
「……その仔細については?」
「鬼兵隊に無関係な個人的な用事ですので、秘密、ということで」
しー、とポーズを気取る。
武市さんの眼差しが思いの外静謐だったので、わたしは指を下ろした。
「本当ですよ」
「……そういうことにしておきましょう」
「本当なのに」
「私が言わんとする部分ではありませんが、あなたはわかっていて流しますからね。そういうところばかりは晋助殿に似ている」
「ん〜ふふ」
「実質の自白ですよ」
曖昧な笑みのままわたしが困っていると「まあ私は止めませんよ」武市さんは視線を端末に戻した。
「止めても止まりませんからね」
よくわかっていらっしゃる……。
諸々伝達すると、河上さんはしばし顎に手を当てた。
「……拙者が追い出したようになって派閥争いが激化せんか?」
「いえまあそれは少し思ったのですが、そのあたりは武市さんが上手くやってくださるとのことと……」
「武市……」
サングラスの瞳が明らかに同情を含んだ。彼が明らかに多忙を課されているのはその通りです。感謝しております。
「わたしがちょくちょく抜けるのは今に始まったことでもないので」
「それもそうだな」
「たいてい不可抗力なのですけれどもね?」
「突然弁明を始める。まあ拙者は良いのだが」
「ありがとうございま〜す。ちなみに、引き継ぎは八割中田さんに振って他二割も把握だけはさせたので、存分にこき使ってあげてください」
「あやつ本当に哀れだな……」
「ええ〜」
たしかにめちゃくちゃ渋い顔をされたけれど、最終的には承諾されたのでセーフだ。中田さんは手に余るほどのタスクであれば、あとからでも周囲に任せる程度の判断力と立場はある。一応、仮にも初代鬼兵隊からの持ち上がりなので、相応に発言権を持っている。
「拙者は良いのだが、また子には言ったのか」
「あなたのあとに」
河上さんはとうとうサングラスを外して眉間を指で揉み始めた。
「外堀を埋めてから話すのは故意犯が過ぎる」
そうですねえ。
「と、いうわけで鬼兵隊を離れますね。諸々よろしくお願いします」
また子さんは長いこと黙ったあと、言葉を絞り出した。
「……どこに行かれるんスか」
「積み残しです、積み残し。シンプルな作業ですよ」
「ヒカリ様に自覚があるかわかんねーんですけど。……最後の晋助様とほとんどおんなじこと、言ってます」
肩を狭めるようにして、また子さんのてのひらが自らの紅色の着物を握る。
「どこに、行かれるんスか」
……兄上、あなた、やっぱり本当に、ひどいひとですよ。わたしは心底そう思う。
わたしの他に、こんな子まで置き去りにしていって。勝手にひとりで走っていって、死んでしまったから、我々はあなたの空洞を噛みしめながらもあなたがいない現在に慣れていくしかない。あなたがいないことを踏まえた上ですべてを組み立て直していくしかない。そうしてやがて、すべての過去と同じように、いつの日かあなたを真に置き去りにしていくのだ。
わたしはまた子さんの手を両手で取った。いつかのように手の甲を指の腹でなぞる。
「兄上も、はじめから死ぬつもりはなかったと思います。同様に、わたしも死ぬつもりはございません」
まだ鬼兵隊は世界の破壊の途上にいた。そもそも兄上がひとり魘魅に対して剣を取ったというならば——そもそもにして、はじめから敗北を見据えていたならば、先に我々に伝言を残していく方が有り体に言って効率が良い。そうはしなかった。敗北の可能性を避けた。背水の陣を敷いた。
帰ってくるために。
よりによっても魘魅に取り憑かれた相手が相手(わたしは、薄々と察しながらも、言語化を避けている)兄上は、必ず勝たんとしただろう。その上で勝てなかっただけだ。実力でしくじったのか、それとも、魘魅の影響で本質的に変化していたからか、わたしにはその内情まではわからない。
「ただ……そうですね。それでも、道半ばで死んでしまうことは、選択肢にあったでしょう。わたしも、それは否定できません」
「だったら」
「ごめんなさいね。今からわたし、とってもひどいことを言います」
また子さんの指先に額を当てる。西洋の騎士の誓いに似ていたけれど、少し異なった。わたしは彼女に忠誠をささげるつもりはない。鬼兵隊に所属した以上、御心は兄上に——それは、兄妹でもただの大前提だった。
こうすれば表情が見えない。どちらも。
「止めないでください。あなたに頼まれても、意思は変えませんが、ただただ困ってしまいます。もしかしたら最後かもしれないのですから、どうか笑って送り出して?」
指先が慄く。
「本当にひどい」
「ええ」
「……魘魅には勝てないって、晋助様、仰ったのに」
「そうですね。魘魅に真っ向から勝負を挑むつもりは、わたしとしてもありません」
それに予想通りの相手が宿主ならば——あのひとは、わたしまで刀の錆にするなぞ、いよいよひどい顔をするだろう。
笑っていてほしい。幸せでいてほしい。些細でくだらない普遍的で一般的でありふれたかけがえのない日常を送ってほしい。それが叶わなくとも、せめて、すこしでも心穏やかであってほしい。
そういうふうに思っている。
そういうふうに願っている。
ずっと。
「……お気を、つけて、ください」
「ふふ。ありがとうございます」
兄妹どちらも、いつもこう。
本当にごめんなさいね。
➤
降り立った北の地は一足先に粉雪が降り始めていた。指先を差し出すと体温で溶ける。
風はない。しんしんと、灰のように降り積もる。
「なぜ蝦夷の地の、それも最北端なんですか?」
「……比較的、人気が少ない」
地球に生まれた生命体の生存には、ある程度の温度が確保されることを前提とする。母なる海がそのように呼ばれる所以は、生命体が豊富にあふれていることにあり、その理由の一端は気温よりも水温の方がある程度安定しやすいことにも由来している。
我が国の人口重心は北緯三十五度。世界人口は北緯二十度から四十度の位置に密集しており、蝦夷はより北の位置にある。当然にして人口は可住地面積に対して驚くほどに少ない。
「マ、断末魔の数も少なく済みますね」
鬼兵隊が星々を渡り歩いて入植先を見つけるまでは、わたしも兄上への義理として付き合った。それがおおよそ一年。
たった一年離れていただけだというのに、江戸の死臭はいよいよ耐えきれぬ気配を醸していた。
「しかし素直に応じてくださるとは驚きました。ねえ、奈落首領殿」
揶揄まじりに言うと、朧は眉をひそめた。長いこと屋外にいたのか、彼の髪に雪が溶けずに積もって親指先程度の厚みの層と化している。
「おまえこそ何用だ。物覚えが悪いのか?」
「覚えてますよ。事が終わればお好きなように、煮るなり焼くなり殺すなり」
わたしがある種なにも惜しみなくなったことを、このひとは既に悟っていたはずだ。揶揄まじりに言ったけれども、わたしに応じた理由はまずそこにあるだろう。
「以前あなたから通り魔的にいただいたなんとも奇妙な液体についてです。あれ、なんですか? 量産はできるものですか」
「知ってどうする」
問い返しには明らかに拒絶の意図があった。
「それではハッキリと申し上げましょう。アレ、もしや白詛の対抗手段になり得るのではございませんか?」
わたしは笑みを取り払う。
魘魅の呪詛とは、本質的にはナノマシンによる肉体改造だ。耐えきれない肉体は白詛にかかった病人として死ぬ。耐えきれてしまう肉体は、魘魅の支配下に置かれる。しかし彼は——なるほど白詛にかかるかどうかは運、あるいは人が多ければ多いほど感染リスクは高まるとして。
あの液体は以前、金鍍金の精神汚染に対抗した。焼けた指を修復した。胸を貫かれた烏は蘇った。致命傷と思しき傷にも対抗できるなら、機械による影響に抗うなれば。
それは当然に、魘魅にも効くのでは?
「だからあなたはわざわざ、潜伏先として最北端を選択した。たしかに、たとえ奈落でなくとも、いつまでも白詛にかからずピンピンしている白髪の男はあまりに不審です」
彼が何故、我が国の上層部の皆様のように賢明な選択をして宇宙に逃げるのでなく、地球に留まったのか。それはわたしにはわからない。
少なくとも地球に留まり続けるならば、いつまでも生き延びる人間を周囲は必要以上に恐れるだろう。
「俺は先程述べた。知って、どうする?」
朧は一言一句違わずに繰り返した。
「鬼兵隊はとうに宇宙に逃げた。松陽が弟子のひとり、おまえの兄は死んだ」
わたしは小首をかしげる。
「なぜ当然のことをわざわざ確認なさるのです?」
「……死者は生き返らない」
「そんなことはよく存じております」
わたしはこの世の摂理の話をしているのではない。もしも生き返るとすれば、数多に恨みを買っているわたしなど、とっくに全身余すところなく串刺しにでもされて処刑されている。
「しかし生者はまだ数多にいます」
「おまえになんの関係がある?」
そんなことは自明だ。
兄上が単身、魘魅に対して刃を取った理由ぐらいには、自明だ。
「〝山は樹を以て茂り、国は人を以て盛なり〟」
「……それは……」
「あら、ご存知ですか? 見識深いのですね」
暗唱した一文に、朧が明らかに言葉に詰まった。わたしは師の言葉を引用しただけで、じつのところ、もとの言葉は不知なのでした。〝先生〟オリジナルの可能性もあるけれど——朧は寛政の大獄に関わったと聞いているし、どこかで耳にする機会はありそうだ。
「ともあれ前提として、樹が茂るからこそ山であり、人が盛るからこその国、ひいては世界にございます。壊す前に勝手に壊れるのは、道理が通らない」
兄上は最終的に、破壊の意思の残存を——鬼兵隊の存続を優先した。魘魅への対抗手段は尽きたと判断したからだ。破壊衝動を内に秘めて、自分勝手で暴君で、それでもあのひとは鬼兵隊総督だった。
わたしは鬼兵隊幹部としての義理は果たした。
わたしは既に鬼兵隊を抜けた。
であればわたしは、既にあなたの部下ではない。
あなたが置いていったなら、あなたを置いていくなら、もう、あなたの指示に従う必要はない。
「皆々平等に生き残ってから、修羅が振るう刃の前におしなべて頭を垂れるべきです。そうは思いませんか?」
わたしはもう良い子ではないので、勝手に置いていったあなたの〝任せた〟とか、もう知りません。
朧はわたしを俯瞰するように見ていた。見極めるように、というにはあまりに無色だ。止水の瞳はなんの意図も感じられない。ゆえにこそ意図的に伏せられていることもまた明白だった。
「……量産はできない」
やがて彼は言った。
「そうですか。では、ごく少数にのみ飲ませることは? たとえば死の瀬戸際の重病人」
わたしは食い下がった。一滴二滴であれだけ、劇的な効果を見せた液体だ。量産ができないことは予想通り。きわめて希少だろう。しかし少数への使用を躊躇うほどであれば、わたしに通り魔的に飲ませたのはいったい何だったのか。
「あれはあれで、ある種の呪物だ。下手を打てば生かさず殺さずの生き地獄すら生まれよう」
朧はにべもなく切った。色濃い隈を飼った三白眼はわたしを縫い留めるように正視している。
「それとも、白詛に蝕まれた死に体どもが、死にきれぬままにうごめく地獄絵図こそがおまえの望む〝破壊〟か?」
「……あなた、そんなものをわたしに飲ませたのですか」
彼は返答の代わりに眉を上げた。
わたしは嘆息した。
「わかりました。良いでしょう。わたしは世界を地獄に道連れにしたいだけで、地獄を現世に召喚するつもりはございません。……お手間を取らせましたね。ありがとうございます。どうぞ、あなたは良い終末を」
刀の下緒を結び直す。どのみち、朧とここでやり合うつもりはなかった。
「どこへ征く」
「江戸へ」
「死ぬ気か?」
特にそんなつもりはない。
「帰るだけです」
➤
「彼女は行きましたか。厚顔に不死の血を望み、断られた途端死に急ぐとは。自棄のつもりだろうか?」
「……お会いせずともよろしかったのですか」
「何故? 赤の他人だというのに」
「……。そのようで」
➤
「はろー、兄上の共犯者殿、あるいは一夜限りの執刀医殿。お久しぶりにございます」
「……悪いが俺ァ忙しい。他を当たれ」
「あらあら別段、あなたを駆り出すつもりは……しょうじきちょっとはあったのですが、まあ本当にお忙しそうですね。わたしとしてもさすがに罪悪感というものがございます」
「本音か?」
「うふふ。ただあなたを駆り出せないにしても、演算装置が至急入用でして。なにか良さそうなものって余っておりませんか?」
「……演算装置?」
「スパコンくらい」
「無茶言いやがる。……たまは今出せねえし手頃なものなんざどこにも、」
「正直無茶振りな自覚はございますよ」
「ア。あったわ」
「あるんだ」
➤
バチ、バチバチ、と断続的に音が鳴る。ターミナルから吸い上げたエネルギーはあまりに高密度で、これをもとにぶん回す演算機械自体が既に回路もオーバーヒート、悲鳴を上げていた。
「てンめオイ調子ン乗るのもいい加減にしろよ!? このパーフェクト金さんを誘拐したかと思えば有り余るハイテク・キューティクル・繊細性能をたかだかスパコン代わりか!? 多少かわいい顔してるからってなァ!!!」
とっても流暢に悲鳴を上げていた。
誘拐って人聞き悪い。作成者の許可は取ったのに。
「音声機構は切ってしまうべきだったかしら? 無意味な演算ですものね」
「頼むから死んでくれ」
悪態ばかりの口元をわたしは打ち込む手は止めぬまま、ただじっと見つめた。じっと見つめられた金さんは、だんだんと冷や汗をかき、目を逸らした。本当に精密な表情操作にございます。
「……表情筋表現モジュールって取り外しても問題ないものでしょうか……」
「ロボット権軽視反対!!!」
いらないかも……。
「ま、とはいえ取り外す時間が勿体ないですね」
「ついでに俺を酷使するのをやめねえか。俺のCPUとメモリだな。やめねえか」
「あなたより性能の良い演算装置を紹介してくださるならば」
金さんは鼻で笑った。
「ねえよそんなモン」
「では潔く諦めてくださる?」
「ありえねえこの性悪女」
喧しいお邪魔虫は無視して、わたしはさっさと作業を進めることにした。金さんはなにかしらいろいろ喚いていたけれど、丸々すべて無視していたらやがて本当に諦めたのか、むっつりと黙り込んでしまった。
『ターミナル立てこもり犯および電力窃盗犯! 貴様は包囲されている! 今すぐやめろぉ!』
外も騒がしくなってきた。真選組はまだ活動しているのかしら。わたしはホログラムタッチパネルを叩いてノイズキャンセリングを起動、音声をシャットアウトした。ついでにシャッターも全部閉めた。
どうせ天人はもうターミナルのコントロールを放棄している。乗っ取るのはかなり簡単だった。防犯が防犯の体を成していないのだもの。
「……てめえがしたいことはわからんでもない。というか、打ち込まれてるからわからざるを得ねえ」
外の騒音がシャットアウトされた代わりに、金さんがふたたび喋った。彼は目を瞑っていて、表情筋は死んでいて、なんなら唇も舌も動いていなかった。人間の物真似:それに割いていた演算を軒並み取りやめて、喉奥に内蔵されたスピーカーだけで喋っている。
わたしは明示的に切った覚えがないので、ついでに把握している範囲ではまだプラグインは死んでいないので、たぶん、彼自身の選択だった。
「目的は、無数に空中を漂うナノマシンの全クラッキングだろ」
「……空中にも、無数にいらっしゃるの。予想はしておりましたけども」
「このあたりもうじゃうじゃいるぜ」
「やだキモい……」
「まあターミナル内の野郎は大半書き換えたけどな。だがあまりに多量だ。江戸じゅう、国じゅう、星じゅう——終わらねえよ」
金さんは銀さんと似ているようで似ていない。似ていないようで似ている。たとえば彼は、まるで銀さんのような諭し方をする。
「いくらターミナルのエネルギーパクって吸い上げて演算速度上げたってな、あくまでてめえはひとりだ。俺含めてもふたり。圧倒的に手数が不足している。無茶だ」
「予想はしておりました」
わたしは言った。なめらかに指は宙を叩き続ける。乗り移って書き換えて攻撃を弾いて乗り移って書き換えて、そろそろ指が攣りそうだった。
「根っこを叩かねえと終わらねえ」
「そうですね。心当たりはあります」
「叩いたとして演算が間に合うとは到底思えねえ」
「そうですね。しかしそれは挑戦しない理由にはなりえません」
「……ターミナルのエネルギー供給はかろうじて、まだ行われていた。それはインフラとして江戸中心に各地に配給されていた。おまえはそれを止めた。意味がわかるか」
「ええ」
ただ肯定した。
放棄されたターミナルのエネルギー供給を誰も盗まなかった理由でもあろう。まず、技術力が足りない。技術力が補えるならば、これを窃盗することで
わたしにだってある。
「電力へ変換されたエネルギー供給が途絶える。たとえば、病院の設備が軒並み、死にます」
白詛にかかって病院の世話を余儀なくされた人々、白詛でなくとも重病・重傷の患者たち、今まさに行われていた執刀——機械に頼ったあらゆる生命維持が、すべて機能不全に陥る。
大量虐殺だ。
「大罪人ですね。いつも通りです」
わたしは指名手配犯だ。もとから三桁は殺している。
その数が桁ごと一挙に跳ね上がる。
無辜の一般人が大勢だ。もしかしたら知り合いも混じっている。
たったそれだけ。
「……そんで俺は有無を言わさず共犯者だ」
「そうですね」
わたしはもう金さんには目を向けない。
「あなたとなら一緒に心中できます。なにせ罪悪感がこれっぽっちもないもの」
「……最悪な女……」
金さんはそれだけ吐き捨てて、もうなにも喋らなかった。
バチバチと回線は不快な音を立て続けている。
バキ、ン!!!
シャッターが音を立ててカチ割られた。金属の盾を引き倒して「よォ過激派攘夷浪士」少し煤けた黒の詰襟たちが押し寄せる。振られた刀を見もせずにわたしはキーひとつで天井を落とした。ナノマシンを大量に乗っ取っているとたったの一挙動でこのように。
「曲芸はとうとう刀じゃなくてもこの通りってか」
瓦礫を瞬断した青年が駆ける。
キーを叩く。壁が吹き飛ぶ。配管を駆け上がった。
キーを叩く。エスカレーターが巻き付いた。両断された。
キーを叩く。窓口のアクリル板が横っ面を引っ叩いた。吹き飛んだというのにすぐ立ち上がる。
キーを叩く。わたしにあと一歩というところで、彼は無数のクラッキングされたナノマシンの力で、はたから見れば誰もおらずなにもないところで床に叩きつけられた。
「……なにしてんだてめえ、本当に」
「なんだか超能力者にでもなった気分ですが本当に遊んでる暇ないのですよね。わたし忙しいの」
「ターミナル立てこもりが?」
「ええ」
「エネルギー窃盗が?」
「ええ」
「——姉上は死んだぞ……」
沖田総悟が声を絞り出した。
わたしは指を止めない。
「てめえをダチだのと言って。諦めるとてめえがタマ取りに来るからって粘って。あのひとの身体の弱さで、白詛にかかって一年持つなんざ奇跡だ。てめえが生かしたのに——てめえが! てめえのそれがあのひとの人工呼吸器を一時間止めた、まだ諦めてなかったってのに姉上は死んだ!! アンタが姉上を繋ぎ止めたのに断ち切った!!!」
わたしは指を止めない。
「せめて、てめえは、てめえは惜しめよ、ダチだったんじゃねえのか、そうなんじゃねえのか……これじゃ姉上が浮かばれねえ、」
目を瞑る。目を瞑っていてもディスプレイの表示はまるで違わず、脳裏に展開できる。
その間に、わたしのたったひとりの友人のことを思い返す。
ずっと肺を患っていた。一処が弱ると連鎖的に全身が悪くなるものだ。もともと病弱だった。白詛にかかるのは必然だ。苦しんで死んだのだろうかと思う。きっとそうだろう。人工呼吸器をつけていたというならば自発的な呼吸はろくにできなかったはずだ。窒息死ってとっても苦しい。
けれどもほんの一瞬だ。もはやわずかな思考すら惜しい。
黙祷はたったの一秒にも満たなかった。
指は止めない。
「今更、ひとでなしに何を期待していらっしゃったの?」
ファイアーウォール解除。パスキー突破。逆探査ブロック。認証システム上書き。セキュリティプログラムオーバーライドバックドア配置。
わたしはあくまでも幹部にして末端、技術者は本職ではない。デミゴッドすら超越したクラッキング、そのような真似は到底できない。わたしひとりなら絶対にできなかった。さすがに江戸最高のからくり技師が丹精込めて作ったパーフェクトプラモデル、ハイエンドの人工知能。
——マザーコンピュータ:本体接続。
ギュルギュリといよいよ金さんが異様な音を発し始めた。
「それがてめえの答えか」
「はい」
「……地獄に堕ちるぞ」
叩く叩く叩く。しかし反撃があまりにも速い。さすがに無数のナノマシンを手繰るだけある。ターミナルを占拠しても江戸じゅう、国じゅう、星じゅうを埋め尽くした演算機構が集まってしまえば歯が立たない。
わたしはたった一矢の反撃のために数多の人々を道連れにした。
「知ってます。ずっと前から」
世界よ、わたしに壊されてくれないのなら。
どうかわたしと心中してください。
書き換えられる。書き換えられる。書き換えられる。オセロの端を取られたときのように、せっかくせっせとクラッキングしたナノマシンすべてが一瞬にしてオールグリーン、正常化、ウイルス除去。感染源のくせしてなんて嫌味たらしい。
同時並行、ごふ、とわたしは噎せた。ばたばたと血が落ちる。
突如わたしの腹を貫いた刀に——無から現れた刀、ナノマシンで構成された凶器——かの一番隊隊長殿は目を見開いて、身を起こし、それから己の体が既に正常に動くことに気づいたらしい。
「な、んだこれ誰のだ、どこから……!?」
「あはははは! ねえ魘魅、あなたそんなにこれ嫌だったの! ああとっても安心しました、どうやら無駄じゃあなかったみたい」
死ぬほど痛いけれどそれだけだ。苦痛はただ苦しいだけ、痛いだけ、いずれも無視できる。
わたしは指は止めぬまま、片手で刀を握る。みるみる白く染まる己の横髪を自覚しながらわたしは囁いた。
「——ねえ、そこから見えます?」
目がチカチカとかすむ。空咳が出る。失血による血圧低下。白詛の急速な進行による栄養失調。視力低下に肺機能不全。
とっても苦しい。
もう死ぬほど苦しい。
苦しいってことは——まだ死んでない!
「こっちを見てよ。聞いてくださらないの? ひどいひと。……兄貴分なんでしょ?」
ごく、一瞬のことだった。
すべての反撃が止まった。
クラッキングプログラム再構築即再始動。もう本体を乗っ取ることは諦めた。もとより無茶な計画、成功すれば御の字でしたが案の定に失敗。代わりに初心に帰ります。DoS攻撃——F5アタック。過剰アクセスによるサーバーダウン。あんまりにもシンプルで原始的でだからこそ防げない。嫌がらせの真骨頂だ。
ナノマシンはその名の通りに極小だ。単体では過度の演算機能は積み込めない。
回線がいよいよ焼き切れたのか、バチッ!!! と盛大な音とともに金さんの頭が転がり落ちた。ぷすぷすと煙が上がっている。
「……マジで心中しそう……」
「……成果は?」
音声プログラムも故障したのか、金さんの声に抑揚はなく、ひび割れてノイズが走っていた。
「本体以外の野郎がアクセス過多で全ダウンした。本体も、しばらく引きこもるだろうな。新たな感染者もこの調子じゃ向こう三年は出ねえ。まだ生きてる白詛罹患者も、体力が持つなら、回復するだろ」
「やりましたねえ」
「……一時的だ。すぐに殖える。一度罹患したところで免疫も作られねえからそんときにはまたかかる。なによりあいつはもう——手遅れだ。二度と戻れねえ」
抑揚もイントネーションもろくに効いていないのに、なんだか、彼の声色は苦々しげに聞こえた。
「なんなら、十年……いや、五年も経てば元通りだ。大量虐殺犯の罪業と、てめえの命と、それは引き換えに足るのか?」
「ふふ」
わたしは横に寝転がった。ナノマシンで形成された刀が刺さりっぱなしなので、仰向けには倒れこめない。
「それは、もう、大成功! お釣りが来るくらい、ですねえ……」
源外さんがやたらと忙しくなさっていた原因、あちこち書き込み続けて擦り切れた設計図。
時間遡行の技術は現状の天人の発展した技術でもまだ取り扱えないものであり——よほどの天才が超高性能演算機能と異色の発想を積み重ねてようやく実現の芽があるか否か。と、思っていたのですけれどね。
あのひと本当に天才なんですね。
現状の延長、最大五年の延命。感染者の出ない一時的な猶予期間を、どうぞ存分に、使い倒してくださいな。
「……なんだ、てめえ、いったい何をしていた? 何をした? 何が目的だった、オイ答えろ逃げる気か!?」
肩を掴まれ揺さぶられる。「……ついでに……」わたしは心底億劫だったけれど、仕方なく喋った。
「世紀末最悪の、犯罪者の首でも……とっていって、くださる気は、ありませんか。ね。あなたの姉君の、仇でしょ?」
超速進行した白詛、病原が取り払われても弱った身体が朽ちるが速いか、そもそも貫かれた刀による失血性ショックが早いか。どちらにせよ原因は魘魅だ。魘魅に殺されるなんてまっぴらごめん。あんなやつになんか、わたしの首はあげない。……わたしなんぞに動揺しちゃった兄貴分にも、あげない。
「この期に及んでふざけるなよ……」
すたん、と、上から下に着地する音。草履が床を踏みしめる。目を閉じていると聴覚はあまりに鋭敏だ。
真選組はこのひと以外、天井崩落の向こうに叩き落とせたと思ったのだけど。上階から先回りしている人がいたのかしら。
「……ターミナルを占拠した過激派攘夷浪士とやらの顔を見て、破壊にそぐわないのであれば、ついでに手打ちにしてやろうかと考えていたが……」
ずいぶんと懐かしい声に、わたしはがんばって、かすかに目を開けた。
霞がかって、ぼやけて、大まかな輪郭くらいしか見えなかったけれど、それだけでも充分だった。見間違いようがなかったからだ。
「あら。お久しぶり、ですね? ……それ、なあに? 兄上の真似っ子……?」
派手な色と紋様のお着物。片目は包帯でぐるぐる巻き。極めつけには煙管だ。
さすがにちょっと面白くて、笑うとむせた。
「似、合わなーい」
「……末期の白詛。それに、その刀は……」
「俺ンじゃねえ、生えた。空中から。そもそもさっきまで白詛も発病してねえ健康体——桂、なんか知らねえのか。コイツは姉上の命まで焚べてなにをしようとした?」
「金さんでも、尋問してくださいよぉ……」
「もうウンともスンとも言わねえよあのからくりパチモン金鍍金」
あら、可哀想。ホントに心中しちゃった。
もう疲れちゃったなあ、わたしは天を仰ぐ。崩落した天井はそのまんま、いつの間にか日も暮れていたからひかりも差さない。魘魅がどこにいらっしゃるのか知りませんけれど、元気かしら。元気でしょうね。あのひとが器ならば、もう怖いものないですものね。
視覚情報を認識するのも疲れたのでふたたび閉じる。
「こたろーさん、取ってくれたりしないかしら」
「なにを」
「わたしの首」
「……冗談が過ぎるぞ」
「じょーだんじゃあ、ありませんよ」
わたしは駄々をこねた。兄上がいないなら、もう死にかけているなら、なりふり構ってなんかいられない。
「えんみになんか、ぜったいあげない。たいせつなのぜんぶ……」
「えんみ。……魘魅か? 何故おまえが知って——高杉か」
「……桂」
「……ああ。ヒカリ、おまえ。つまり」
「わるだくみがばれるのって、いやですねえ」
魘魅になんかあげない。ぽっと出の癖して兄上を奪っていったやつになんてなんにもあげない。友人の命も世界の破壊もぜんぶわたしのものだ。わたしの命だってわたしのものだ。
……それでも間に合わないなら、先に壊すしかないでしょう。
「おねがい、きーて、くださらないの?」
あんまりにも動かないから、ちょっと困ってきた。ホントにこのまま死んじゃう。絶対イヤなんですけど。
「きらいになっちゃった?」
溜息が聞こえた。
「かつて背負わせた業が、巡り巡るな。……真選組、あとでいろいろ俺が話す。ほとんどは憶測になるがそう外れてないはずだ」
「……」
「だから……少し退いてくれ」
「……そいつは姉上の仇だ。重大犯罪者だ。死ぬ気で延命させて取り調べなきゃなんねえ」
「……俺とて、間に合うなら、」
しばらくの沈黙のあと、肩を掴んでいた手が離れた。
「ヒカリ。なにか、言い残すことはあるか?」
ぼんやりと記憶を想起した。
言いたかったことは数多にある。言えなかったことも数多にある。飲み込んだことだってたくさん。
「そうですねえ」
わたしはつぶやいた。
「とくにないかも」
「……そうか」
鯉口を切る音。
「ちなみに髪紐はどうした?」
……今それ聞きます?
「らーめん、こぼして、すてました」
場違いにも、かすかに噴き出すような音が聞こえた。
「おまえも大概に嘘つきだ」
振り下ろされる刀の音を聞く。命が断たれるまでの経過を測る。どうぞ一太刀にお願いします。きっと叶えてくださるでしょう。
ひどくてごめんね、大好き。
➤
「……貴様らにも面子はあるだろう。首は好きにするがいい。俺は、少し残る」
「……〝エンミ〟については話してもらうからな」
「無論だ。俺は、約束は果たすことにしている」
「……ほら、やっぱりな。どうせこんなことだろうと思った。髪紐なぞ刀の下緒には向かないぞ細いんだから、もう……」
➤
——ただいま、兄上。
おかえりって言って。