【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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「局長、匿名で副長宛にクール宅急便が届いておりますがいかがなさいますか」
「匿名? ……いかにも怪しめとばかりですね。中身は? 当然確認したのでしょう」
「ええと」
「エリートたるもの報告はハッキリと」
「……ドーナツの十四個詰めが一箱と、ミスドの引換券クーポンが三枚……」
「……」
「それと、鈴蘭の造花が一輪。既製品のようです」
「……信女さんに渡しておきます」
「は、はあ……よろしいのですか」
「正確には匿名ではなかったので」

「巻き上げたんですか」
「四箱って言ったのに」
「クーポンは賢明でしょう。ドーナツはそこまで賞味期限が長いわけでもありませんし、一度に四箱は私でも止めます。糖尿病まっしぐらですよ。……そんな目をしても駄目なものは駄目」

【 [ドーナツを頬張る今井信女の写真] 】
【 あらかわいい。 】


破
21


前略:

 借りを返すと嫌がらせは紙一重(そんなことはない)

 

   ➤

 

 わたしが鬼兵隊の艦に戻れたころには、定々公暗殺からは既に一日半が経過していた。

「ただいま戻りましたー」

「おかえり。土産はソレ」

 帰宅の挨拶もそこそこに、兄上は煙管で指し示した。噂のまた子さんがご購入したという、お土産。

 わたしは釣られて眼差しを向け、しみじみと言った。

「本当に山になってますね」

 積み重なって階層を成した箱と、その上に整然と並べられた紙袋。たしかにまた子さんは、案件終了後に合流するか尋ねた際も「ヒカリ様お疲れっしょ。この際なので中田使って下見がてら満喫してきます!」と仰っていた覚えはある——気遣いというだけでなく、本当に満喫したんですね。なによりです。中田さんは寝込んでいらっしゃる気はします。これどうやってたったふたりで持ち帰ったの? 籠でも使ったのかな。

「ちなみに当のまた子さんは?」

「この間宮様から銃器工場を下賜いただいてな」

「あら初み、み……うっかり聞き逃しかけましたが、とうとうとんでもない人をたぶらかしましたね。人?」

 宮様って宮様? つまりその御方は、宮様ってこと? 法的には人じゃない人ってこと?

「つってもアレだ。継承権はねえ」

「ああ。いえ、ああではないんですよ。何?」

 本当にああではない。これってそもそもそれ以前の問題じゃないの? わたしの認識間違いですか? 少なくとも苗字が宮というだけの線は消えた? そうですね。だからどうした。

 わたしもなんだかんだでたいへん疲れています。

「今回わたしが離れていたのは、累計でも一週間ほどでは? 定々公暗殺計画はふつうに並行で進行していらっしゃいましたよね? いったい何が起きているというの? 攘夷は攘夷でも尊皇攘夷なんですか?」

「ちょうどよかったんでその工場の下見に行かせた」

「妹が混乱しているうちに話を進めないでもらってもよろしいでしょうか?」

「喚いていたところで話は聞くだろ」

 兄上はわたしの抗議をあっさりと一蹴した。

 一蹴しないでいただいても?

「ついでに近場配りに行くってンで、そのぶん減った残りだ。コレは」

「わ、若き活力」

「ババアかおめーは」

 兄上の腿を狙った蹴りは空振った。

 ちょっと癪なので刺すことにする。

「ちなみに兄上はもしや、輿入れでもして天子に成り代わるおつもりでしょうか」

 途端に頬をつまもうとする手を三度払い「隙あり」「あ゙ッ痛」四度目でつままれた。

「ご・厚・意・だ」

「ほ(そ)うですかははひ(なし)て」

「天下はどうでもいいんだが工場はほしい」

 そうでしょうね。

 天下に限らず、壊しきったあとのビジョンとか考えるのは、本質的には我々の役目ではないのである。テロリストなので。最悪ですね。

 兄上はわたしの頬をひとしきり弄んでからようやく離した。上下左右に伸びた頬を指でなだめる。

「なんで最近頬ばかりつまむんですか」

「つまめる肉が増えたんでつまみやすい」

 兄上はしらっと言ってのけた。

 わたしは兄上をにらんだ。

「……肥えたとでも?」

「さて」

「べつに……べつに身長に対してほぼ平均ですが……? 世間様は体脂肪率というものを学んでいただきたい……」

「被害妄想をこじらせやがる」

 わたくしといたしましては、身長マイナス一一〇とかいう基準についてたいへん物申したいのでした。わたしはとっても純粋に疑問なのですけれど、せめて比率とか考えていらっしゃらないの? 子どもや成長ホルモン異常で一〇〇㎝の御方は体重は負の数であるのが理想的だとでも? 内臓を削るところから始めるべきなのかしら。

 くだらない戯れは脇に置く。

 わたしは自分で購入したドーナツの箱を脇に並べて、お土産の山をもう一度、今度は近場でじっくり眺めた。さすがに本艦のみで消費する想定で購入されてはいないだろう。というかこれで減ってるんですか。本当にどれだけ買い込んだの、また子さん。深夜ハイがそのまま購買欲に転換されてしまったの?

「……各地の鬼兵隊の皆様に配っても余りますね。春雨にもお渡ししましょうか」

「後者はちょうど来ていたからついでにもう持たせた」

「あら……ちなみにどれほど? 軽めのお菓子を個単位で考えて人数分、では夜兎の皆様で争奪戦が発生するので下手すると内乱誘発の疑い確認がてら副提督殿からクレームが来ますよ」

 なお、提督たる神威さんからは当然、来ない。あのひとは気が立った部下で遊ぶのがとっても好き。云業さんがクレームに連名になっていることはありえる。夜兎の統括ってたいへんそうですね。

「種類はバラバラでも文句は仰らないのですけれど、量はマストです。箱で五十は必要かと。ついで、で持たせられる量とは思いがたいのですが」

「……追加で送る」

 兄上の目に若干の辟易が混じった。あなたは夜兎の食事風景に居合わせたことはそこまでないのでしょうけれどね、あのひとたち、本当によく食べるの。

「道理で微妙な顔されたわけだ。言えよ、あいつら」

「怖がらせたんじゃあございませんか。なにしたの兄上」

「したとしておまえだろ」

「わたし前回は大人しくしておりましたもの」

「どうだか……」

「本当なのに。やはり処刑場の大立ち回りでは? 最低三桁超のキルスコア」

「ったく悲しいねえ。同盟相手にもビビられるなんざ」

「へえ〜」

「へえとはなんだ」

「いえいえ」

 中身のない会話の最中にも一通り中身を見て区分け整理して、艦内に常備している一回り大きなギフトバッグに各入れていく。送付する相手をメモ帳にざっと書き出して、それぞれ付箋に書き込んで貼付した。贈るのであれば、時候の手紙も入れておくべきだろう。

「兄上半分書いて」

「ダルい」

「ダルいじゃあございませんのよ。たとえば今川殿はわたしなどでも許してくださいますけれど、三浦殿なぞは日頃でも、あなたでないないなら会わないとへそ曲げるのですからね。あのひと絶対筆跡で見分けてきます」

「そりゃ余った土産押し付ける女とわかってりゃへそ曲げるやつはいるだろうさ」

「くだらない軽口ばっかり叩くんですから。はい、ふざけてないでここからここまで」

 メモ帳に書き出したリストを半分に割って、便箋と筆ペンごと兄上の胸元に押し付ける。

「わたしお優しい兄上を持ってとっても幸せ」

 ニコッと圧をかけると、兄上は渋々な様子で「チッ」「舌打ちしなァい」取った。二度三度とペンを回して書き始める。わたしも便箋に筆を走らせた。

「そらよ」

「相変わらず筆の速いこと……」

 癖があるものの、悪筆ではない。定型文でサボられると書き直しなのだが、そのあたりは器用に宛先ごとに話題を選んでいる。わたしはお相手ごとに会合後にきちんと覚書を残しておかないとあやふやになりがちなのだけど、兄上はさらっと頭に入っているのでなんにも見ないでこのように。麒麟児と呼ばれた片鱗をしみじみと感じつつわたしは便箋を封筒に入れて「はい今度は宛先お願いします」「おい。……おい、同時に渡せ」「ふふふごめんなさーい」兄上にもう一度ご返却した。一応チェック入れたくて。仕事が速くて正確なのは良いことだけど、なまじパッパと済ませてしまうものだから、一度に渡すと確認の間もなく一息にやってしまうので。

「終わったら付箋貼った袋にそれぞれ入れてください」

「兄貴を顎で使うとは大きく出たもんだよな」

「偉大なる総督殿も一度初心に返っていただこうかと。具体的には、雑用係とか」

「いい加減にしろよ」

 でもやってくださるのでした。

 わたしはわたしで、自分が書いたお手紙を入れていく。すべて済んだら、端末で指示を回してハイおしまい。

「こんなものですかね」

「整頓だけは早ェな」

「だけってどういうことですかね?」

「そのまんまの意味だよ」

「意地悪なひと!」

 さァてと。

 現実逃避も済んだところで。

「はい兄上、お渡ししておきます」

 わたしが取り出したファイルに「なんだよ」兄上は眉を上げた。

「鳳仙殿からいただいたの。一応、あなたにも共有しておくべきでしょうから」

「またおまえは報告サボってんのか……」

「サボってないからお渡ししたのでしょうに」

「どうだかな」

 兄上は軽口を叩きながらわたしの手からファイルを受け取った。表紙をめくる。

 手が止まった。

「あの男、死にかけていらっしゃるのですって」

 わたしは至っていつも通りに言った。

 血縁者のご不幸は把握したならば共有すべきである。我々の複雑怪奇な家族関係はいったん差し引いて、一般常識的な話として。わたしの私情で判断していいこととしてはだめなことがあり、これはどちらかといえば後者だ。

「どうです? 一応遺産だとか、いただきに参りましょうか」

「今更要らねえよ。とうに事足りる」

 てのひらがファイルを乱雑に畳んだ。兄上は、不快なものを見たとばかりに顔をしかめて、ファイルの角で壁を叩いた。ものに当たらないでくださいよ。

「甚振ってやるくらいなら検討するけどな」

「あら? 兄上ってばそこまで恨んでいらっしゃいましたっけ」

「……そっくりそのままおまえに返すね」

 独眼がわたしをひたと見据えた。

 この言い草だ、てっきり突き返されるかと思いきや、ファイルは脇に抱えられたままである。

「といっても十年近く前の話ですよ」

 わたしはまるで先だってまでの軽口の延長線のように、かろやかに言った。言えたはずである。

「今更傷ついてあげる義理なぞございませんよ。そこまで心を割いてあげるほどわたし暇じゃあありません」

「……」

「マ、ただ、そうですね。弱っている有様くらいは見ておくべきかしら」

 かつてのわたしが愚かに身をすくませた相手。深手を負わせながらも殺せなかったひと。くだらない感傷のせいで手を止めてしまった。どうやら延命は四捨五入十年で終わるみたい。

 どうせ死ぬというならわざわざ介錯で楽にしてやる趣味はないのだけれど、死にかけている様相自体は興味がある。昔より弱っているのかな。

 鬼兵隊の狼煙は既に上がった。国を——ひいてはその背後にいる天導衆を、すなわち世界を相手取った全面戦争が、然程間もなく訪れる。いい加減にわたしとて、どうでもいい過去なぞに囚われ続けているべきでもないのだ。

「さぞかわいらしいことになっていらっしゃるでしょうね。息子も娘もまとめてテロリストですから、心労で老けてしまっているかも?」

 口数がいつもより増えている自覚はあった。たぶん——たぶんどころでなく——誤魔化しきれていない。

 翠眼はいまだわたしを見据えたままだった。居心地悪く「本心ではありますよ」と苦笑すれば、兄上は短く言った。

「俺も行く」

「……そう心配せずとも」

「支度しろよ。どうせならさっさと終わらせる」

「……過保護」

 憎まれ口を叩けば頭をしばかれた。「ひどーい」と泣き真似すれば「ハイハイ」雑に相槌を打たれる。あしらわないでいただきたい。

 ……おやさしい、兄上だことです。本当に。

 

   ➤

 

 故郷の地を踏むのはじつに八年ぶりといえよう。監禁☆拷問中のほぼほぼ外出できない環境を〝故郷の地を踏んだ〟と呼ぶと仮定するならば。

 暗殺でもなんでもない事情で病棟への侵入となると、わたしは二度目である。ちなみに一度目はミツバさん。少なくとも今回は、ミツバさんとお会いするよりはだいぶんましだ。なにせ会話途中で死んだところで一切心が痛まない。

「どちらかといえばホスピスですねえ。余命のこり一月を切っているだけは、ございますか……」

 一部のセキュリティシステムを無効化して、裏口からお邪魔する。兄上はわたしのあとからするりと滑り込んで外扉を音もなく閉めた。

「病名はなんだったか」

「カルテ読みましたよねあなた」

「興味のないことが頭に入らねえたちでな」

「……であれば、要らないのでは?」

「やけに歯切れが悪いと思っただけさ」

 投げられる眼差しに、わたしは若干、視線をずらした。

「直近で、明日は峠と言わんばかりの病状からすっかりと元気になった例を知っていまして」

 もちろん、本件とは比べるのも烏滸がましいのですけれども。

 なんならそもそも病名も違ったし。

「原因は?」

「最新医療設備と積極的治療意思と、運と、あとは気力?」

 ミツバさんが江戸に引っ越してこられた時期と、ミツバさんの病状の進行具合と、それに詳しいお医者様が大江戸病院にいらっしゃるタイミングが、それぞれ奇跡的なくらい被ったのだという話だ。いろいろな偶(﹅)然(﹅)により目に入った治療記録曰く。気力に関しては、まあ、そうですね。御本人の粘り強さの賜物といったところかしら。

「ならかんたんだな」

 兄上は着流しの裾を器用にさばいてわたしを追い越した。

「心を叩き折りゃいい」

「こわいひと」

 わたしは一目見て帰るくらいでいいかなと思います。

 病室は、特別室でも一等豪奢なお部屋であった。室内灯は切られていて、カーテンの隙間から木漏れ日が落ちている。最奥の壁には水墨山水画、流麗な筆致は雪舟の影響を色濃く継いでいるように見えた。ベッドの脇は屏風で仕切られていて、興味本位で覗くと畳が敷かれている。

 兄上がわたしの頭の上から同じように覗いて、興味もなさそうにすぐに顔を逸らした。

「兄上が入院でもなさったら、畳を敷いておきましょうか」

「自分が寝転べねえ畳に意味があるかよ。盆栽にしろ」

「すみません、盆栽の方がふつうに手間がかかります。畳で勘弁して」

 適当交わしながら、わたしの視線は心電図モニターにうつろう。

 拍動は若干速めで不整脈気味な一方、血圧はかなり低い。酸素飽和度は九二と低めに保たれている。人工呼吸器使用でこの値とは。

「本当に……死にかけていらっしゃいますね」

 最後に見たときより——あんまり、細部は覚えていない——頬がごっそりと痩け、顎には申し訳程度に髭がのこっていた。介護において髭は邪魔なだけだろう。人工呼吸器をガッチリと装着されている。

 兄上はわたしの頭の上に腕を乗せて(やめて?)腕に頬をつけるようにして(体重がかかったので、わかりますよ。やめて)横たわる病人を眺めた。

「思いの外小せェな」

「……あなたにとってはいくつぶりでしたっけ」

「二十年近いんじゃあねえの」

「たしかに……それでは、幼少の記憶とはとても、異なるものでしょう」

 幼き頃は顔を合わせるたび、とくに鞭打たれるたびに、このひとはあんまりにも大きな背丈に見えて、わたしごときでは到底逃げ出すことさえかなわないと刷り込まれていた。跡も残らない程度のものだというのにまるでこの世のすべての苦悶を詰めたかのように思えた。あれもまたようよう手加減されていたとわかるのはのち、再会に到ったあとのことである。拷問としつけってずいぶん違うらしい。

 老人は背骨の椎間板も収縮し、腰も曲がり、代謝も衰える。そのぶん小柄になりうる。とはいえこのひとはまだせいぜいが初老といったところ、正直なところおじいさまと呼ぶには不適な年ごろだった。幼少期から我々の背が伸びただけに過ぎない。

「……」

 兄上がわりと遠慮なく体重をかけてくるので、わたしも兄上に寄りかかって、俯瞰する。兄上はこのように、拍子抜けたような感想を述べていた。一方でわたしは……再会のとき、容赦なく頬を打った平手を思い出した。〝先生〟の拳骨がいかほどかはわたしはついぞ知らないまま、少なくとも稽古よりは平手の方が痛くはなかった。しかしそれでもわたしは足を止めた。父母の言いつけをろくに聞けもしない、兄を引き留めておくことさえできない子どもに、引きずり戻されたかのごとく。……おろかでしたね。

 しばらく、心電図モニターの動作音ばかりが響いていた。わたしの頬にすべりおちた横髪を兄上の指がつまんで耳にかける。ついでのようにもちもちと頬をつまむので「やーめーて」わたしは兄上の指を退けた。

「見てるだけなんざ手持ち無沙汰なんだよ。なにが悲しくて死にかけた爺の寝相なんざ見物してんだ。腹踊りだとかねえのか」

「……無茶振りなさいますねえ」

「せっかく遠路はるばる来てやったってのに、この野郎は常にもてなしの心というものが足りねえ」

「好き放題を、」

 わたしは口をつぐんだ。ほとんど同時に、兄上が腕を下ろしてわたしの肩を引く。

 眼前の男が身じろぎしたからだ。まぶたが開く。

「……し、んすけ……?」

 ガサガサとした声が喋った。

「……気管切開は喋れたか?」

「切開の位置やコツの問題と、あとは、会話を補助するタイプのものもあると聞いたことはあります」

「へェ。知見だ」

 まったく知見とも思っていない声色だ。

 男の、どこか虚ろな眼差しが虚空を彷徨った。……これは視界は、見えているのかしら?

「ようやく、かえってきたか……」

 音高く舌打ちが響く。

「寝ぼけてやがる。それともボケたか」

「病による認知機能の低下はあるでしょうね」

「ざまァねえな」

「あんまり、仰るものではございませんよ」

 言いながらも兄上のお顔をうかがうと、ひどく冷めた目で彼は実父を見下ろしていた。息子にそのような目を向けられていると気づいているのかいないのか、男は喋り続ける。

「おまえには。……きびしく、し過ぎたところが、ある」

 まァ唯一の男子:嫡男ということもあって、兄上への詰め込み教育ははたから見ていても尋常ではなかった。兄上はそれらに耐えてなお有り余るほどエネルギッシュであったので、苛烈な教育には反駁し、反発し、精神的にも物理的にも噛みつき、当てつけのごとく非行(……非行?)に走り、最終的には出て行ったのが今である。

「戦地に、おまえがいると……気が気ではなかった……」

「……ずいぶんと心配してくれたもんだ」

 兄上は明らかに鼻で笑った。

「今更子煩悩を気取るつもりかよ。お優しいねえ、オトウサマ」

 翠眼がひかる。

「ところで俺のことだけか? てめえにゃ、娘もいたはずだがね」

 男は兄上の言葉を理解するのに手間取っているようだった。「むすめ」まばたきがひとつ。

「……ああ。まだ、アレにこだわっているのか、おまえは」

 兄上のてのひらは流れるように己が愛刀の鞘を固定した。刀の柄にかけられた手の甲をわたしは咄嗟に抑えた。

「ヒカリ」

「ここは病院ですよ」

 いっそ静謐なまでの口調は、ゆえにこそ、触らば斬ると言わんばかりの鋭さが混じっている。わたしはあえて声をひそめた。

「四六時中モニタリングされるような病状です。心電図が乱れるだけでも人が来ます」

「今更罪業に尊属殺人が加わったところで、だからなんだ?」

「そういう問題じゃあございませんのよ」

「ろくに、つとめも果たせず。あやしい戯言にふらふらと。挙句、親にまで手をかけようとした……」

「ああそうかい。途中までは俺とそっくりそのまま同じだな。なんなら最後も、今ここで再現してやっても構わねえが」

「兄上」

 刀を抜かんとする手に力がこめられる。わたしは兄上の甲をより強く抑え込んだ。

 明らかに激怒している兄上を「未だに」男はやはり認識しながらも、真の意味ではろくに認知できていないのだろう。もしかしたら夢とでも思っているのか。

「……余計な子なぞ、もとより、作る必要もなかったのだ。今でも悔いる……」

「口を、閉じろ」

 音程はほとんど地を這った。わたしはもはや、柄にかけられた手を両手で抑え込む必要があった。それでも力負けしかねない有様だ。

「兄上、兄上、いいから、」

「コレのどこが」

「だって」

 わたしは回答の前に、呼吸を挟んだ。

「まるで。……まるでわたし本当に、こんなひとの言うことなすことで、馬鹿正直に傷ついていたみたいになっちゃう」

 傷ついてない。傷ついてなんかない。とっくのとうに、期待なんかしていない。報われたいと思ったことなんてない。呆れるほどに今更で、顧みられていないことなんか知っていた。このひととわたしは、ただ単に血がつながっているだけ、それだけでしかない。

 ないので。

 だからそんなに怒らないで。

 ……そんなに怒るほど、わたしが心底傷ついたみたいな。未だに、今更、真面目に傷ついている、みたいな。

「傷ついてなんか、ないです。傷つけられてなんかない。だから、あなたが斬り捨てる必要は、ありません」

 実際に、わたしはもう傷ついてはいなかった。このくらいの暴言は今更だ。はいはい、そうですね。嫡男ひとりいればよかったですものね。聞きました聞きました、聞き飽きましたとも。どちらにせよわたしがいなかったところで、兄上はわたしの関知しないところで松下村塾と出会っていた。兄上と両親の間柄は、勘当寸前程度には険悪であっただろう。あまり大差があるとは思えない。所詮は単なる八つ当たりだ。

 ……過去を、変えられるならば。変えられたならばと。思ったことはある。いくらでも。変えられないものをいくら顧みたところで意味はない。わたしは生まれてしまった。わたしは父母の望む良い子ではいられなかった。わたしは足を止めてしまった。わたしは生き延びてしまった。とうにこの身は踏みにじられて、傷痕は深く刻まれて戻らない。

 痛みにも、苦しみにも、慣れる。わたしは身を以て知っている。もう傷つかない。傷つくはずがない。

 たかだかこの程度のことだった。

 引き抜かれないぎりぎりの均衡で、刀が鞘に当たってきちきちと小さく音を奏でていた。兄上は無言で男を睨みつけていたけれど、やがて深く息を吐いた。苛立ちのせいか吐息はかすかに震えていた。

 ふと、こめられていた力が消える。

「……手を離せ。もうしない」

 本当かな。

「刀の錆にも勿体ねえ」

 それは、そう。

 抜刀がため鞘を抑えていた方のてのひらが外れて、わたしの両手をほどいた。わたしが抑え込んでいた腕も解放されたが、兄上は言葉通りに抜刀することはなく、ただ刀の柄から手を離す。

 片腕はまたわたしの頭に乗せられた。常日頃から肘置き扱いである。

「〝凡そ人の子の賢きも愚かなるも良きも悪しきも、大抵父母の教えに依る〟」

 兄上はつらりと述べた。わたしを肘置き代わりにして、てのひらがふとわたしの頬をぬぐう。大きなてのひらが濡れる様子はとくにない……わたし、泣いていないので。

 怪訝に兄上を仰ぎ見たものの、相変わらず、翠眼は男を見下ろしていた。

「師曰く——さて、おまえはなんつったかな。つとめも果たさず、あやしい戯言にふらふらと、親に手をかけようとして、ついでに仲良くテロリスト?」

 最後たぶん言ってない。

「親たるてめえの教えはさぞよかったのだろうな」

 兄上は、やっぱりまだちょっと怒っていた。わざわざ〝先生〟を持ち出したのは大概に当てつけだ。怒り方に切っても切れない親子関係を垣間見て、わたしは静かに嘆息した。どうやったって過去は影のようにつきまとう。たとえ無価値であろうとも。

 男は細く呼吸し続けていた。「よしだしょうようか」まぶたが閉じる。

「思えば、おまえが非行に走ったのも、アレがおかしくなったのも……」

「っぱブチ殺すか」

「兄上ってば……ちょっと思いましたけれども」

「……あの男。目を、疑った」

 もはや男の言葉は輪郭もないほどにぼやけていた。また間もなく意識を失う。今も意識を保っている、とは言い難い口ぶりであったけれど。

「見間違いようもない……なぜ、あのような者が、市井に降りて、手習いだの……」

 ……。

 わたしは眉をひそめた。〝先生〟を侮辱されたから、ということももちろんあるけれど、それだけでなく。

 なんだか表現がおかしい。

「見(﹅)間(﹅)違(﹅)い(﹅)よ(﹅)う(﹅)も(﹅)な(﹅)い(﹅)?」

 それはまるで、以前の〝先生〟をどこかで——しかも市井で教鞭をとるなぞ到底ありえないような立場として、見たことがある、とでも言わんばかりではないか?

 つぶやいたわたしに「……」兄上もまた、わたしの頭に乗せたままのてのひらに少し力を込めた。

「不死(しなず)の烏が、ひとまねとは」

「……おいてめえ、そりゃなんの話だ」

「挙句。処刑なぞ……利用にはちょうどよかったが。ごっこ遊びにも、飽きたのか」

 兄上の声も聞こえていないのか、男はもう一度寝入る様子であった。あるいは意識を失うにも等しい。夢と現の境の言葉なぞ、ほとんど寝言と相違ない。

「化け物の、思考なぞ、まるで理解できん……」

 化け物——侮辱に相違ない言葉だったけれど、男のそれはむしろ、心底から恐れ入ったようなそれに聞こえた。

 ある種の人々は、己の理外のものと相対したときに、あえて己とは程遠い、理解する必要のないものとしてレッテルを貼り付けて遠ざける。あくまでも病床の重病人がこぼした寝言だ。真に受ける方が愚かである。

 ……と、ふつうならば断じるべきなのだろうけれど。

 死なない烏とやらには——残念ながら、我々にはごく直近に心当たりがあった。

「……烏の死骸が消えた、とか、佐々木から上がってたな」

「……奈落首領殿に関してはその後、実際に元気なお姿をお見かけしましたよ。黄泉路を逆走でもなさったのかしら」

「報告」

「ごめんなさい。わざとではなく本当に失念しておりました。コレのせいで」

 主に眼前のベッドでのんきに(と、いうには、些か病人のなりである)寝こけていらっしゃるコレのせい。わたしのせいではありません。いえ報告を忘れていたのはわたしですけれども。

 ……父上は、松下村塾へ出向く我々を執拗に叱責した。もちろん、士族の子どもが藩校をほったらかしに民間の私塾へ通うなぞ、外聞が悪いにもほどがあった。危険思想を説くと噂も出回っていた。少なくとも彼はわたしたちにはそのように説いた。

 しかし……まさか、それだけではなかった? むしろ、それらの説得は建前に過ぎなかった——のだろうか?

 兄上がもう一度舌打ちをこぼした。

「叩き起こすか。爪でも剥げば吐くんじゃねえか」

「経験則から申し上げますと、爪を剥いで吐く人間と吐かない人間というものがありまして、コレはおそらく吐きません」

 武士は食わねど高楊枝——拷問でも適用される。兄上はおそらく吐かないタイプ。わたしも吐かないタイプ。このひとは、吐く前に己が生命線を断ち切るタイプ。加えて残念ながら、医療設備に繋がれなければ呼吸も困難な容態の人間は、いわゆる無敵の人にも近しい。

「それに先程は偶然起きたからいいものを、意図的に起こすなぞいよいよ勘付かれかねません。というかそろそろ、我々も御暇すべきですし……」

 そこそこの時間滞在していたはずだ、院内巡回もあるけれどなにより面会時間が近い。わたしがおおよその体感から滞在時刻を告げると、兄上は心底忌々しそうにベッドの足を蹴って「本当にものに当たるのやめましょうね」「口うるさい女」「いい加減ぶん殴りますよ。ねえ」さっさと個室の扉に向かった。

 静まり返った廊下を歩く。行き届いた清掃は丁寧な仕事ぶりはもちろんのこと、病院として基本的に菌を持ち込まないことを徹底する意識が垣間見える。

 裏口からするりと出て、扉を閉め直し、無効化していたセキュリティを復帰させる。病院前に車が止まった。そろそろ面会の時間が始まる——車から降りた女、初老に差しかかる年頃のそのひとを、わたしはふと見留めた。あちらはわたしたちには気づくこともなく、お付とともに院内に消えていった。

「……どうした?」

「正門入口に母上がいらっしゃいました。面会ですかね」

「へー」

 ひとって、こんなにも露骨に興味なさそうな相槌を、打てるものなんですね……。

 わたしは襟を直して、兄上をじとりと見上げた。兄上は笠を被り直していて、わたしどころか、母がいたと言った方角さえも一瞥もしなかった。

「……彼女は、八年前までの仕打ちには、加担していませんでしたよ」

「だからなんだ」

 いえ。その。……まァいいか。べつに積極的弁護をしたいわけでもなし。人殺しと呼ばう恐怖に竦んだ目をなんとはなしに思い返す。そんなこともありました。今では立派に指名手配犯、殺害人数はもしかしたらそろそろ四桁に到達する。春雨の抗争なぞも数えるとね。

 良い心地に笠を落ち着けたらしい兄上は、少し顎をこすると「……京に寄ってから帰るか」と、つぶやいた。

「また子を回収して……宮様にもお目通り願おう」

「今の八咫烏について、なにかご存知でしょうかね」

 宮様と仰るからには女性だろう。朝廷は政権の中心から遠ざけられて長い。我が国の最暗部を担った八咫烏は、天子のもとを旅立ってから、やはり長い。

「どちらにせよ、昔の烏(﹅)はそれこそ朝廷の領分だ。資料だの、駄目元でも当たってみるのも手だろうよ」

「それはたしかに」

 わたしは一度、レンガ調の建物を振り返る。シンメトリーに組み立てられた堅牢かつ優美な装飾。さすがに富裕層御用達なだけはある。

 あの男は、この建物から出ることなくじきに死ぬのだろうか。所領や財産の扱いは——我々に相続されるとも思えない。母が引き取り、母も亡くなれば幕府の手にわたるだろう。

 その結末にわたしはなにも干渉しない。

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

 かつてわたしにとってあまりに大きかった障壁は、すでに、床からもろくに起き上がず、機械で生命を維持している程度の小さな人間に過ぎなかった。恐怖と屈辱を思い返して、もしかしたら泣いてしまうか、足を止めてしまうかとひそかに危惧していたけれど、涙はひとつも出なかった。

 過去のすべては無価値となり、時の狭間に置き去りのまま。あの小さな病人も記憶の何処かに消えていく。

「行くぞ」

「はァい」

 しかし我が実家は、藩の中でも、有数とまではいかないがそこそこの家格であった。当然にそのぶん、当主はそれ相応の物事に触れる機会があったはずだ。

 それはもしかしたら〝先生〟の過去にも、袖触れる程度の縁があったのだろうか。

 〝先生〟——我々の師。吉田松陽。思い返せばつくづく、不思議な人だった。

 穏やかな春のようなひと。春雷のごとく突拍子もないひと。我々の幼年期を象徴したあなた。尋常でないほど知見にあふれており、それでいてどこか市井にとんと無知で、石礫も仕込んでいない雪玉で庭を割り、拳ひとつで人を杭打ちした。よく考えなくてもありえない。幕府にかんたんに——いとも簡単に、春とともに連れ去られたひと。わたしたちを置いていったひと。

 記憶の瓦版には、我が師の名前と、処刑の文字列がにじんでいる。わたしたちが置いていったひと。

 ……あのひとは。

 ……誰(﹅)だったのだろう。

 

 わたしたちは——本当に、彼を過去に置き去りにしてしまったのだろうか?

 

   ➤

 

   ダンダンダンダンダン——

 縦横無尽に動く的が、銃声とともに跳ねる。すべての的は中心が撃ち抜かれていた。弾痕はほとんどぴったり弾丸の直径を模している。

「コレもっと的の速度上げるか、不規則にできねえんスか? 止まってるも同然だとちょっと性能検証どころか練習台にもなんねえっつか……」

「かなり稼働限界のギリギリなんですが……掛け合ってみます」

「頼んますよ。あんたらの技術力が存分に活かせてるってのをこっちとしてもちゃあんと確かめたいんで——」

 扉が開いた音に気づいて喋りながらも視線を向けたまた子さんが「——晋助様!」嬉しそうに跳ねた。跳ねながらも手指は素早い動きで拳銃に安全装置をかけていた。

「ヒカリ様も!」

「あら、わたしはついでですか?」

「違いますよもぉ! どうして来るって仰ってくれねえんスか! パレードご用意したのに!」

「さすがにやめてくださいね」

 わたしの笑みは苦笑いにすり替わった。わたしの聞き間違いかもしれませんが、もしかしてパレードって仰いました?

「面白ェな。今後は前もって知らせとくか」

「絶ッ対わたしが一緒でないときにしてください……」

 また子さんのことは大好きだけれども、さすがにパレードで出迎えられるのはかなり〝イヤ〟である。好きとか嫌いとか抜きにして、イヤである。愉快げに煙管を揺らしていらっしゃる祭り好きの兄上とは違うのだ。

「大丈夫ッスよ。象とか呼ぶんで」

「大丈夫要素が減りましたね」

「どうして……?」

 どうしてがどうして……?

 また子さんは不可解と言わんばかりのお顔で(不可解なことなにもなくない?)額を拭って、拳銃を手の中で回した。わたしは彼女が握る拳銃を見つめて「そういえば……」頬に手を当てた。

「普段と型が違いますか?」

「あ、これ工場の新作なんだそうです」

 彼女は気を取り直した様子で頷いた。

「ちょいと使ってみたかんじ、若干クセはありますけど射出が速くて反動が小さいんで安定しやすいッスね。実戦でどう出るかは未知数なトコありますけど」

「それはそれは」

「ヒカリ様も使ってみます?」

「興味はありますねえ」

 また子さんは拳銃に弾丸を入れ直して、ハイとわたしに貸し与えた。

「とはいえわたしはそもそも拳銃を撃ったことがないので、無様を晒しても見逃してくださいね」

「あ、そうなんスか? 撃てますか? 撃ち方わかります?」

「わかることは、わかります。また子さんの真似っ子になってしまいますけれど……」

 渡されたイヤーマフを装着して拳銃を構え、安全装置を外す。えーと。たしかこう。的を操作なさっていた方が気を利かせてくださったのか、わたしの肩くらいの高さで的が停止していた。あとでお礼を申し上げねばなりませんね。

   ダンダンダンダンダン!!!

 もっとも小さい内周円の中に弾痕が五つ残った。反動は小さいというけれど、思ったよりも肩に来る。わたしは安全装置をかけ直してから手を振った。ちょっとしびれました。

「中心を撃ち抜くのは、やはり難しいのですね……」

「マこういうのは練習あるのみッスねー。ヒカリ様センス良いと思いますよ!」

「え、うれしいですね。また子さんちなみに初めて撃ったときは……」

「スンマセンさっき練習あるのみって言っといてアレなんスけど、私こういう、近くの動かねえ的は外したコトないんで参考にならねえと思います」

「素晴らしいお手前」

 わたしは悟って頷いた。天才とはいるものである。案外と身近に。

「……あの、妹君は、本当に初めてでいらっしゃいますか?」

「まアこの手の嘘はつかねえな。長らく手本を見てきているからコツがわかるんだろ」

「はァ……」

「あんたのところの銃器の出来だっつって胸張りゃいいじゃねえか」

「さすがにそこまでタダ乗りは技術者倫理に反します……」

「真面目だねェ」

 イヤーマフを外して「兄上も試してみます?」と尋ねると、兄上は肩をすくめた。

「以前仲間にも勧められたがな、どうにも性に合わねえ」

「マ晋助様だと……刀のがずっと強いですもんね」

「実際兄上って、弾丸は斬り捨てられますものね。あなたってば本当に人間?」

「てめえが言うかよ」

「わたしは距離があって狙われるところがわかっているときに逸らせるだけです。あなたほどの曲芸はとても」

「言うねえ、大道芸人」

「ちがいますが……?」

 工場の職員さんが兄上を見て、わたしを見て、また子さんを見て「なるほど……」と深々と頷かれた。

 ……なんとなく不名誉な納得をされた気がする。

 ……まあ良いでしょう。

「御二人みたいな人に当てるってなると、動き読み切れなくても、確定で当てられる位置を狙わねえと……」

 また子さんは難しそうに唸った。

「以前、夜兎の小娘にもしてやられましたし。私も精進しねえといけねえッスね」

「紅桜の件ですっけ?」

「そーですよ! 万事屋の小生意気なクソガキャ……パンツちゃんとキレイなの履いてるもん!」

 ……かなり、なんの話?

「で、持たせられる出来なのはわかったとして、どの程度の精度だ」

「そりゃあうちの隊とかならそれこそ銃慣れてる奴は多いんで、たぶん軽々使えますよ。ただまァ十全に・完全にってなるとどうしても日数は必要ッスね。それこそ夜兎相手取るとかだと初速がもうちょい欲しいってのは思ってます」

「今の段階だと火薬量の調節では難しいのでそうなると銃身を……」

 わたしは軽度の応急処置や人工知能のロジックには知見があっても、銃器はそこまで詳しくない。

 兄上が水を差し向ければぽんぽんとまた子さんと職員さんからいろいろと出てくる。彼らを眺めて、そちら方面の勉強もしておくべきだったな、と後悔した。とはいえ今の手持ちにさらに割り込んで学ぶには時間が足りない。

「一日って三十六時間になったりしないかしら……」

「地球から引っ越す気か」

 耳聡く聞きつけた兄上が呆れた様子でわたしを見る。

「う、そうなりますよねえ。さすがに難しいので認知機能を操作するなどが妥当な案になりますが」

「やめろ」

「はい」

 時間の確保と有効活用って、なんて難しい……。

「宮様の方はどうですか」

 兄上が端末にちらりと視線を落とした。

「アポは取れた」

「あらよかった。いつになります? 明日?」

「コレ終わったら直行」

 ……今、ぬるっとありえない話をされた気がする。

「……あの、わたしたちろくな装いではないのですけれど。わたしは小袖ですしまた子さんはいつもの膝丈お着物、というか第一あなたが着流しなのですけれど」

「前回もこれでなにも言われなかった」

「ウソでしょあなた脛開きルックで宮様とお会いしたの?」

 驚愕したわたしに「……おまえ俺のカッコそんなふうに思ってたのかよ」兄上は若干傷ついたお顔をなさった。事実じゃあございませんか。

 

「えっ。……えっこのまま行くんすか」

「ほら。ほら! 兄上よくないですよ」

「マジ服ねえッスよタンマタンマ晋助様後生ッス」

「悪ィがナシだ。待たせる方がまずいんでね」

「アポイントメントってふつうは時間に余裕を持たせるものじゃあございません?」

「相手方の指定を覆す力なぞ、一介の浪人にはねえさ」

「都合の良いときだけ一介の浪人名乗るの、そろそろあなた本物の一介の浪人に怒られるべきですよ」

「本物の一介の浪人がまずなんだよ」

 

 たおやかに微笑む御方はわたしたちを順繰りに眺めた。カコーン……と鹿威しの音が窓の外で響き渡る。

 枯山水の風情ある様相を堪能するにはちょっと心の準備が足りなかった。わたしとて緊張くらいはするのですよ。

「鬼兵隊というのは女性もいらっしゃるのですね」

「以前に申し上げた通りですよ」

 兄上が〝先生〟以外に敬語を使っていることに、わたしは驚くべきなのかもしれない。

 また子さんがぴたりとわたしにくっついた。

「……お茶菓子の味がよくわかんねえッス……」

 そうでしょうね……。

 また子さん、鬼兵隊の幹部陣ではもっとも会食に慣れていない。個々の得意分野で割り振っていくと、会合で女性が必要か、あるいは女性でも問題ない場合はたいていはわたしが出ることになる。女が賢いわけがない、交渉なぞできる脳もない、黙って控えていろ、と仰るような横暴な御方は残念ながら根絶されておらず、いちいち相手にしていると貴重な時間がどんどん消えていくのでそもそも男性陣の出の方が多い。

 その点でいえば、阿呆提督はまだ話が通じる方だった。裏切ったけど。

「本題に」

 宮様は卓上に一本の鍵をそっと出した。

「烏についてはあまり残っておりません。とくに五百年ほど前の蔵書……となると、烏だけでもなく大半は消失していて、ご期待に添えるかは、難しいかもしれません」

「南北朝時代となりますと消失原因が数多に思いつきますね」

「まったく、足利には困ったものです」

 宮様はかろやかに仰った。半世紀にわたる継承争いなぞできれば経験したくはないものだ。……現状の我が国があまり大差ないのはそうなのだけど。

 あるいはもしかしたらば、わたしたちの追う〝烏〟がそれら戦乱に乗じて己の痕跡を消した結果なのかもしれない。

「ご協力ありがとう存じます」

「良いのですよ」

 堅く述べる兄上(やっぱり着替えてきた方がよかったのでは……?)に宮様は鷹揚に仰った。

「本当によろしいのですか」

 我々には幕府への恩義はないが、皇族に気後れする程度の遠慮はある。そもそも皇族が手元に残していた記録なぞ、下手をするとそれだけで国宝ものだ。

 わたしが確認すると、宮様はやんわりと頷かれた。

「今の陛下は……というより、宮内庁ですね。天導衆と名乗る者共に固められておりまして。あれらに回収されるくらいならば、と手元に避難させたものになります」

 ならいいのか。

「蔵も百年くらい前に建てたばかりの新しいもので、記録以外だと、大して重要なものは置いてないの」

「新しい……?」

 また子さんがひそかに訝しんでいらっしゃる。

 微笑ましそうに眺めていた宮様が「それにしても……」そっとつぶやいた。

「なんとまあ、むさ苦しい武士の集団かと思っておりましたが、本当にかわいらしいこと。おひとりいただけません?」

「お戯れを」

「戯れと思います?」

 兄上は眉を上げた。

「私が戯れとして済ませている意図をお汲みいただけるものかと」

「仕方ありません。でも、また連れてきてくださいね」

 宮様はあっさりと引き下がった。

 そんなわけで我々は五百年前の記録の閲覧権限を手に入れた。

「……しゅ、出荷されるかと思いました」

 また子さんがわたしの腕に掴まって震えている。賊との戦いでは怯むことのない彼女でも、得体のしれない上位階層との交渉はきついはず。とくに今回は我が国でも有数の上澄みだ。

 ……なんだかそういう問題じゃない箇所ありましたけどね。

「言い忘れていたが、俺に加担する程度にはあの宮様は性格が悪い」

「まァお察しでしたけれども」

 わたしは首を横に振った。しょうじき、ちょっと皇族とは思えないくらいだった。わたしの記憶が正しければ彼女は傍系出身だ。いろいろと苦労なぞしていたのかもしれない。だとしてもちょっと冗談ではないタイプの冗談だった。はいはい、冗談冗談。誑かせない種類の御方だったけれど、本当にどうやって誑かしたのだか。

「あなた相手によって一人称変えたり、できたんですね」

「俺とて時と場合によっては敬意は払うさ。敬意を払う相手がろくにいないだけでな」

 嘯く兄上は、掌中の鍵の感触を何度か確かめるように握り直した。

「さて……鬼が出るか蛇が出るか」

「跡を濁さず鳥が立った後を家探ししているのやもしれませんが」

「ちなみにお二人とも、私はなにをすれば……?」

「目録整理などお願いします。目を通した蔵書についても目録を作っていただけると助かります」

「わかりました!」

 わたしも兄上も、五百年前くらいの文章ならば読める。〝先生〟から教示された内容は本当に多岐にわたった。

 とはいえ、あまり残っていないとはあくまでも皇族視点のそれであり、軽い図書館くらいは詰め込まれている。そもそも烏は烏でも、正しく奈落関連か否かを判断するところから始まる。

「……悪い。目が痛い」

「片目で頑張るから……」

「蒸しタオルいただいてくるッス」

 ついでに兄上が序盤で脱落した。片目しか残っていない状態で失明されるとかなり洒落にならないので、回復したとしても大人しくしていただきましょう。

 ところでこの量ほとんどわたし一人で見るの?

「武市さーん……」

「幹部が必要な事務今あいつ一人で回してる」

「本当にありがとうございます。河上さーん……」

「さすがに室町時代の文は読めねえ。そもそも江戸から艦に帰った足で春雨の遣いと宇宙に行かせたばかりだ」

「もう一周回って面白くなってきちゃいました」

「中田はどうスか」

「読めますかね。連絡してみます」

【 さすがに無理です 】

「解散……」

「手は止まんねえのすごいッスね……」

 お褒めの言葉をいただいているけれど、手を止めたらなにも終わらないので止める余地がないだけだ。見てくださいこれが社畜の性。……隊畜?

 しぱしぱする目を瞬かせて、眉間を揉みながらもわたしは読み進めた。無関係と判断できるほとんどは読み込む必要がないので飛ばしていく。

「……今の奈落首領が朧で合ってますよね」

「ああ」

「記録を辿る限り、少なくとも朝廷に仕えていた頃の奈落首領はすべて〝虚〟と名づけられていたようです。単なる襲名とみてもよいのですが……」

「が?」

「……かなり意訳的な要約になりますが、いずれも色素の薄い長髪を持ち合わせていたようですね」

 なにぶん形容がその時々の記録者によって異なるので、色素が薄い、までしか断言できない。単なる白髪ではなく、ある程度の淡色かつ薄色だったことはたしかだ。

「とはいえ、血族であれば特徴が似てもおかしくはなく、これまたなんとも。ちなみに江戸幕府成立あたりで奈落は朝廷のもとを去った様子です」

 つまり記録で辿れる範囲は五百年前から二百年前までになる。南北朝から安土桃山のあたり。二百年前から現在に至るまでの動向はさっぱり不明だ。

「……親族の可能性までは絞り込めたと言えるかもな」

「そう、ですね……」

 記録を閉ざそうとすると「あ」綴じがほつれて取れていた頁が一挙にばらりと落ちた。拾い上げて元の位置に挟み込む。

「……ヒカリ様なんかソレ、髪の毛挟まってません?」

「え? あら、本当」

 この記録がざっと四百年前。書物の保管庫となると湿度気温の安定した暗所であっただろうけれど、それにしてもよくもまあ朽ちずに挟み込まれ続けたものである。それともわたしのように、閲覧した後世の人間がうっかりと挟み込んだのかしら。皇族の蔵書なぞ閲覧できる人間は限られて。

 いる。

 はずで。

 ……なんとなくつまみ上げた髪を、ジッと眺める。色素の薄い、長めの髪の毛。銀さんや朧のごとく、白髪や銀髪ではない。色がついている。たとえば蔵書に記載されていた奈落首領のように。

 あるいは——我らが〝先生〟の、芒色の髪ように。

「兄上、〝先生〟のDNAが取れそうなものってなにか……心当たりありません?」

 兄上はまた子さんからいただいた蒸しタオルを瞼の上に乗せたまま、沈黙した。考えを巡らせているようだった。

「……昔の鬼兵隊時代の装束」

「はい」

「先生の処刑に立ち会ったときに暴れたんで、もしかすりゃ、血痕か髪の毛が残ってる」

 今の技術ならば、過去のものでも十年前後レベルであれば、血痕からDNAを取ることは可能だ。……そして言い出すあたり、洗ってもいない気配がしますね。……処刑に立ち会ったとなれば、洗えない心境はお察ししますけれど。……そもそも戦争時代に洗濯ってできたのかしら。できたとしてどのくらいの頻度だったのかしら。

「……ちなみにそれ、艦ですか?」

「そうだな」

 最低十年は洗ってない呪物が艦に乗ってるってコト。

「……まァよろしい。艦まで戻りましょうか」

「ヒカリ様なんか……目ェ死んでません?」

「わたしも少々疲れたのです」

 そんなかんじ。

 イヤほんとに。

 

   ➤

 

「そいや奈落ってわりとポッと現れたイメージなんスけど、あの紙の山の中に成り立ちとかありました?」

「うーん、眉唾な記述程度ですかねえ」

「神話でぼかした勢力争いのたぐいか?」

「そんなかんじです。要約すると……悪さをしていた鬼が洞窟に閉じ込められていました。哀れに思った時の天子が洞窟から鬼を救い出しました。恩を感じた鬼は改心して烏に変じると、天子に仕えるようになりました。と」

「……悪さをしていた鬼、ねえ……」

 

   ➤

 

 今の鬼兵隊はもっぱら江戸を中心に活動している。その点もあって江戸付近にこっそり停泊しているので、我々が江戸まで動いてから港に直行する方が早い。難点があるとすれば、突っ切るルートに確実にかぶき町が挟まる点だろうか。

 銀さんがいらっしゃるとかマドモアゼル西郷や泥水……は今いないのでしたっけ、そういう有名人を差し引いても、この町は何故だか異常にトラブルが多い。個人間トラブルはそりゃあつきものだとしても、なんだかその規模に収まらない異常なトラブルが異常に多いのだ。

 うっかり騒ぎに巻き込まれないように大人しくしておきましょうね。

「この町は相変わらず賑やかだな」

 祭り好きの兄上はちょっと機嫌がいい。

「あっそういやこないだも江戸まで来たのに噂のパフェ食べてない……」

「寄るか」

「えっ」

「別にわたしたちの案件って、急ぎではありませんしね」

「ぐ。……でも、じ、次回、次回行きます! さすがに人払いしてもねえのに寄れませんし」 

 また子さんは断腸の思いとばかりに断った。まあたしかに。

「とはいえパフェのために立てこもる鬼兵隊、絶対面白いですよね」

「ヒカリ様たまにそういう悪ノリするッスよね」

「もちろん評判を考えなければの話で、」

   ——まばゆい閃光

「す、よ……? 今のなに?」

 突然、目もくらむほどの光が差した。太陽だのではなく、おそらく町の中心部からだ。明らかに異常である。今の本当になに。核兵器——にしては熱も音も風圧も追いついてこない。そもそも核兵器だとすれば初手の光を浴びた時点ですべてが終わりだ。

「……ヒカリ、様?」

 聞き慣れぬ低音で呼ばれた耳慣れた呼び方に、わたしはまた子さんを振り返る。

 金髪を結い上げた、細身の男性がわたしをまじまじと見ていた。紫混じりのアイシャドウが少しずれているせいで、隈のようになっている。

「……なるほど。こういう手合いか」

 こちらもまた耳慣れぬ高音が、聞き慣れた口調で喋った。片目の包帯はそのままに(若干、緩んでいる?)ずり落ちかけた着流しをてのひらで引くようにしてかけ直していた。いつも胸板を半ば晒しているので谷間ができるとだいぶ無防備だ。

 そして、わたしは喉元に手を当てた。ごつごつとした喉仏の感触が指に伝わる。そもそも足の付け根のあたりがなんだかきつい。きついというか。まあ。

 なるほど。

 ……なるほど。

「……は、吐きそう……」

「——一番近いトイレどこ!?」

「間に合わねえな。路地で吐かせるか」

「晋助様冷静でかっけーんスけどせめて胸はどうにかして隠して!? アッ私でもわかるこれ、実際問題どうやって? の顔ッスね! どうしよう!?」

 こ、この町って本当、呪われていらっしゃるんじゃあございませんか。




女体化・男体化・TSタグつけたら詐欺だろうけれどつけないのも詐欺かなと悩んだ回。
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