【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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医療わからない。


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前略:

 人を性転換させるなら事前に許可を取りましょう。

 

   ➤

 

 かぶき町で吐くのは二度目である。いずれも路上。接待のごとくお酒も入れていないのにそういう縁なのかなんなのか。

 吐瀉物の臭いなぞきついだろうに「水持ってきましょうか」「買ってきた」「晋助様さすがッス……あの、上衣も買ってください」「おまえは下をなんとかしろ」「ギャーッ見ないで! 目を逸らしてたのに! こんなのまた子じゃなくて又兵衛ッスよ……」同伴者たちは気にする様子もなくわたしの世話を焼いていた。世話を焼かれています。ありがとうございます。つらいです。どうしてこんな醜態を。わたしがなにしたって言うんですか?

 ……三、四桁の数の人間を殺した?

 そうですね。

 だとしてもその代償にこの仕打ちはなにかがおかしくない?

「ほら水」

「ッゴホ、も、申し訳ございません、あ、あに……姉上……」

「言い直すのやめろ」

 いつもより細い指と華奢な手。呼び名を訂正したわたしに、兄上(姉上)は心底嫌そうな顔をなさった。元が良いので、服装が危ういだけの端正なお顔立ちの女性と化しており、しかめた顔も麗しい。

 麗しいからなに?

「それと謝罪でなく礼にしろ」

「……ありがとうございます」

 お優しいことにございます。本当に。

 わたしは受け取ったペットボトルを開けた。ペットボトルキャップをひねった自分のてのひらが明らかに骨格も変化している。いつもより一回り大きく、キャップも普段より滑らかに回すことができた。……すべてにダメージを受けている。努めて考えないようにして口の中をすすぐ。

 わたしは事実として男性恐怖症ではない。若干の苦手意識を抱えていたことは否めないが、ほとんど男性専用の接客業につかざるを得なかったこともあって、だいぶん荒療治に諸々ましになっていた。日常生活にも支障はなく、我らが鬼兵隊の皆様と接するのは無論のこと、殺害なぞは当然お手の物。その他にも、云業さんを揶揄いがてら抱きついたり逃亡がてら小太郎さんに抱っこされたりだのもできていたわけだし。つまりほとんど問題なかった。はずなのだけど。

 はずというか、そもそもいくらなんでも自分自身が男体へと変化するのは想定している方がおかしくないですか? 事実は小説より奇なりということですか? 突飛な展開が必ずしも愉快であるならばこの世の小説はすべてに忍者集団が現れなければいけないものでしょう。そんなものなにが面白いっていうの。忍者が集団で現れても面白くないけど性別が変わるならば面白い? それはもうなにもかもすべてを脇に置くとして、好みの問題ですよ、確実に。

 大混乱の脳内をなんとか無理やり畳んで棚に上げる。これ以上取り乱してご迷惑をかけるわけにもいかない。ええと。ええとまずは。

 延々と同じところを回りそうな思考回路同様、ぐるぐると回りそうな視界をなんとか抑えて、わたしは足元の吐瀉物を見下ろした。

「……片付けなくては……」

「スンマセンあの、私早く別の服欲しいんで片付けはせめて後にしませんか」

 また子(又兵衛)さんがスッと手を挙げた。……よく考えなくとも、彼女(彼)の本日のお召し物はいつもの膝丈のお着物である。かなり前衛的な装いだ。喜んで着られる方はもちろんいらっしゃるのだろうけれど、少なくともまた子(又兵衛)さんはそうではなかった。

「そもそもこの街、酔っ払いのゲロがどこにでも落ちてんだろ。今更ひとつやふたつ放置したところで大差ねえよ」

「わたしは、べつに赤信号みんなで渡れば怖くない話はしていないのですけれども……そう、ですね」

 かぶりを振って無用な思考を断ち切る。混乱していたから眼前の物事ばかり目に入っていたけれど、吐瀉物の片付けは確実に急務ではない。近辺にお住いの方々には申し訳ないがもっと優先すべき事項が山積みになっている。

「あ……姉上の上衣も手に入れる必要がありますし」

「オイ言い淀んでんじゃねえ」

 兄上(姉上)は途端に目を吊り上げた。

「そもそも誰が姉上だ、誰が」

「イヤでも晋助様……晋子様」

「晋(﹅)子(﹅)様?」

「今まさに姐御ってカンジッスよ。無防備すぎるんで着てほしいけどそれはそれとしてチョー似合います。極道仕切ってそう」

「俺ァおまえらを手に掛けたくはねえんだがなァ……」

 鯉口を不穏に切られたので「は、はやく行きましょ! ほら見てあそこユニクロある!! ラッキー!!!」また子(又兵衛)さんが必死に兄上(姉上)の利き腕を掴んでファストファッションのチェーン店舗を指差した。女体になった兄上(姉上)は力も落ちたらしく、わりとなすすべないとばかりにそのままずるずる引き摺られていく。わたしは口元を乱雑にハンカチでぬぐって、おふたりの後を追った。

 ……。

 あ、歩くと股の間のものがすれて、イヤ……。

「また真っ青ンなってますけどマジで大丈夫ッスか?」

「……大丈夫、です。もう胃の中のものがないので吐くに吐けませんし」

「アラサーの今更になって、おまえには〝大丈夫〟の定義を叩き込む必要があるのか?」

「ありませんよ……」

「説得力がねえ……」

「大丈夫かどうかって聞くのやめた方が良いんスね」

「ほ、ほんとに大丈夫ですってば」

 たぶん。

 洋装は、わたしはあんまり身につけたことがない。我が国の伝統的な文化を尊重する方々にも、辺境の珍しい文化に興味を示す天人の方々にも、和装の方が受けが良いのだ。それこそ見廻組の制服が……よく考えると、もしかしてわたしにとっては初めての洋装だったかも?

 とりあえず今回はなにも考えたくないこともあり、無難にルーズパンツとパーカーで済ませる。ゴリゴリと神経が削れている己を自覚しつつ、身体のラインが出ないデザインとサイズを手早く選んだ。

 ところで何故洋装をするたびにわたしは男装を兼ねているのでしょうね。今はある意味男装ではないのだけど。

 ……。

 助けて。

「本当に顔白いな」

 項垂れていると更衣室から兄上(姉上)が出てきて、わたしの隣に並んだ。

「一週間くらい過ごしたら慣れる……の、かも、しれません」

「ハッ」

「もしかして鼻で笑いました?」

「餓死するのとどっちが先か賭けてやってもいいぜ」

「人間はさすがに一週間では餓死しません」

「ああ、コレラの直接的な死因は脱水か」

「コレラ罹患と同一扱いなんです……?」

 もしかしなくても、一週間ひたすら吐き続ける前提で話されてる?

「そもそも慣れるもなにもねえよ。一週間も足止め食らってられるか。さっさと元に戻るぞ」

 兄上(姉上)は今、セーターにフレアスカート、加えてカーディガンを羽織っていた。足元は草履の代わりに白いサンダル。緩んでいた包帯は解いていて、代わりに薄い色のサングラスをかけて左目を誤魔化している。そういえばこの店舗は服に合わせる小物にサングラスも置いていた気はする。刀は、いったいどこから調達したのか、ナイロン製の長傘の袋に無造作に投入されて体裁を保っていた。兄上はもとから傘立てに太刀や脇差を雑に入れていたけど、これではいよいよ傘扱いだ。

 なんとなくジッと眺めていると「言いたいことがあるなら言ったらどうだ」と言われた。

「……思いの外、落ち着いた装いを選ばれましたね」

「おまえの俺への印象はあとでじっくり聞くとして」

「あなたが言えと仰ったのに」

 とはいえ兄上に対して抱えている偏見については否定しない。柄! 原色! 肌出し! くらいはすると思っていた。いわゆる清楚系女子と呼んでも差し支えないファッションには、しょうじきなところ、意外性が勝つ。

「さすがにこの姿で今捕まる間抜け晒すわけにもな。それに」

 兄上(姉上)は眉を上げてみせた。

「似合うだろ」

「……フッ。ふふっ、フフフ、やっぱり姉上とお呼びしても? イタッ」

 後頭部を平手で叩かれた。いつもより若干勢いと音が軽い。性別が変わろうとも短気で暴力的なのは変わらないみたい。

 頭をさすっていると「……」兄上(姉上)は一度自らのてのひらに視線を落として、わたしをもう一度見た。

「そういや、おまえ、そこまで背が伸びてねえな。男だったら普段の俺ぐらいにはなるかと思ったが」

「ああ……たしかに現状、今のあなたともほとんど背丈が変わりませんかね」

 伸びたことは伸びたのだが、いつもの兄上と並んでもたぶん頭半分くらい追いつかない気がする。

「メンズサイズでも小さい方で合わせた気はします」

「目算、一六〇ちょいってところか」

「ちょっと腑に落ちませんね……あなたも普段のわたしよりも背が高くていらっしゃるのが特に腑に落ちません」

 わたしはじとりと、ほとんど横並びの兄上(姉上)を見つめた。成長期の栄養失調は身体形成に影響するとはいうけれど、まさか本当に、戦地にいたひとより劣悪な栄養環境だったとでも?

「たかが身長だ。図体ばかりデカいことを誇るどこぞのデカブツどもならともかく」

 兄上(姉上)は若干語気荒く言った。明らかに特定の対象を思い浮かべている。

「それに胸のデカさは変わんねえだろ」

「……わたしが身内でかつ寛大でよかったですね。人によっては刺されますよ」

 デリカシーがあるんだかないんだか。絶対にまた子さんには仰らないでいただきたい。

 嘆息しつつ、わたしは羽織ったパーカーのフードを少し手繰り寄せた。兄上(姉上)の左目がまるで開く様子を見せぬように、わたしの背中の傷もまた残ったままだ。本当に、性別だけが転換したっきりみたい。

「お二人ともお待たせしましたか」

「いや、大して」

「わたしたちも出てきたばかりですよ。ええと、又兵衛(また子)さん」

「ンまあ今は又兵衛でいいや……パッと合わせるってなるとあんま思いつかないんスよね。メンズファッション詳しくねえ〜洋服マジでわかんねえ」

 また子(又兵衛)さんはトラックジャケットとTシャツに、デニムを合わせたらしい。チェーンネックレスはどこから手に入れたものでしょうか。わたしとまた子(又兵衛)さんの今の身長差は、目測で普段とさして変わらないので、たぶん今のまた子(又兵衛)さんは小太郎さんくらいの背丈があった。

「ヒカリ様は、ヒカリ様? 他になんか呼び方の希望あります? 晋作様とか?」

 純粋に気遣いから尋ねられているようなのだけど。

「……自覚するとだめみたいなのでそのままでお願いします」

「ウス」

「便所はここ出てエスカレータ右。行きがけに確認したが多目的もあった」

「ありがとうございます吐きません」

「おめーは毎度虚勢を張りやがるからどうせ自覚あンだろうがな。その顔色で吐きませんの説得力は、ない」

「殺生な」

 

   ➤

 

 とはいえ吐くための中身もないのは事実で、なにより我々、けっきょくなんにも状況把握ができていなかった。抑えられる程度の生理的現象なれば情報収集が優先される。

 槍が降るなんて慣用句はあるけれど、晴れ時々性別変わります、などという天気予報は今まで聞いたこともない。あったとしてかぶき町の常識はとうとうそこまで進化したのか? という疑問に対しては、徐々に混み合い始めたユニクロが実質的に証明していた。十数分前までのわたしたちのように、明らかにそぐわないファッションの方々がほとんど駆け込むように来店していた。

 セルフレジで服を精算して(テロリストなので買い物はちゃんとお金を払う。万引き程度でしょっぴかれてはたまらない)手荷物に元の服を詰め、とりあえずわたしたちは改めて外に出た。

『——町内にいる方は慌てず、こちらの指示があるまで町から出ないでください』

「なんか放送鳴ってる……?」

「皆様、大混乱ですね」

 主にわたしが大丈夫ではなかったのでまったく周囲に注意を払っていなかったけれど、鬼兵隊たるわたしたちをピンポイントで狙ったのではなく、周囲一帯が無差別に標的にされていた、という理解でやはり正しいようだ。はだけた胸元を抑えて取り乱す女性(おそらく元男性)自らの身体を見下ろして引きつった表情の男性(おそらく元女性)野太い悲鳴と甲高い悲鳴が入り混じる。びっくりするほど阿鼻叫喚。

 兄上(姉上)を横目に見ると己の腕を組んで、仏頂面で一点を見据えていた。わたしはなんとなく視線の先を辿る。【かぶき町一番町】と記されたアーチは、金属壁により塞がれ、アーチとしての役割を失っていた。

「……あの門ってシャッター降りるシステムでしたっけ」

「おまえ本ッ当に今ろくに頭動いてねえな? よく見ろ、ありゃ外側から封鎖されてんだよ」

 呆れた様子でわたしを一瞥し、いつもより華奢な指がアーチの輪郭を空中でなぞった。たしかに目を凝らすと、金属壁はアーチの上脇から少しだけはみ出ていた。上から下へ降ろすのではなく、縦に開いて直立させて固定するタイプのそれだ。

「シャッターじゃなく、軍事バリケードだ」

『ただいまよりかぶき町に特別戒厳令が敷かれました——』

「つまり、いよいよ閉じ込められたぜ。こりゃあ」

 兄上(姉上)が忌々しげに舌を鳴らす。バリケード程度なら刀で破ることは可能だろうが、どちらにせよこの状態で艦まで戻るわけにもいかない。性別が変化した状態では艦備え付けの生体認証もクリアできなかろう。

 そして外部からバリケードが備えられたのであれば、別の懸念が発生する。

「幕府も既に現状を把握していて、加えてかぶき町を見捨てたとみるべきでしょうか」

「なんなら騒動の元凶にこの町(かぶき町)を差し出したのも、奴らかもな」

 露悪的な想定だったが、ありうる話だ。定々公がいなくなろうが、茂々公が覚醒しようが、そもそも幕府の腐敗は頭の挿げ替え程度では効かないくらいに、取り返しのつかないところまで進んでいる。

「ヒカリ様。晋……えーと……様も」

 また子(又兵衛)さんがわたしの袖を引いた。

「あっちなんか人集まってます」

 指差す方にはたしかに人垣が形成されつつあった。既に集まってなにかに注目なさっている方々に、我々のごとく興味を惹かれ、さらに周囲から人々が集うような状況に見える。

「バリケード……ではない方角ですよね。かといって他の出口の位置でもない……家電量販店?」

「ダイクマ?」

「それはだいぶ前に吸収合併で滅びてます」

「……マジか」

「ダイクマの跡地はだいたいヤマダになってますもんね。てかチェーン店の盛衰興亡はどうでもいいんスよ」

 仰るとおり、ジェネレーションギャップは本題ではない。わたしたちは人垣をかき分けて——いつもより筋力があるぶんかき分けやすく、いつもより体格があるのでくぐり抜けづらい。プラマイゼロ——様子がうかがえる位置までなんとか割り込んだ。

 家電量販店のショーウィンドウには、テレビディスプレイがいくつも展示されている。販促目的に、各用途に合った別々の番組を映すことが多い——今はすべての画面がまったく同じ映像を映し出していた。画面の中には、異色な集団がずらりと並んでいる。皆一様にウィンプルに類似したヘッドベールを着用し、うち最前に佇むひとは目元と思しき箇所を黒布で覆っていた。黒布に記されたマークは火星と金星を組み合わせたが如き意匠だ。

「〝その新しい「性」を以て改めて、男らしく女らしく生きてみよと仰っているのです〟」

 デコボッコ教自体はわたしも把握している。中心メンバーは両性具有の者たちで構成される過激宗教団体だ。宇宙で指名手配されているので、広義的には宇宙海賊春雨の同業他社。彼らは性別に対してきわめて厳格な定義とそれに準じた教義を定め、それらから外れた者共に天罰を下す。

 つまり黒布のマークは火星と金星の合体融合ではなく両性具有の意図だと。

 そしてその〝天罰〟とやらの内訳こそが、性転換である、と。

 はい。

 わかりました。

「やってること、たちの悪いテロリズムですね……?」

 道理で指名手配されるわけである。草食系男子がもてはやされる今時にジェンダーバイアスの強化に走るなぞ、いかがなものかと存じます。ポリティカル・コレクトネスに抵触しますよ。

「第三者の目で見るとテロリストってのは本ッ当に傍迷惑だな」

「さすがに私らがアレと同列はねえっしょ」

「俺たちがどんなに気取ろうが、傍からすりゃあ違いはねえよ。だからこそ傍迷惑だ」

 好き勝手仰るふたりを横目にわたしは不意にたたらを踏んだ。先程のわたしたちのように割り込むひとでもいたのか、人混みに押されて背中にぶつかられたのだ。「ご、ごめんなさい。怪我はない?」「大丈夫ですよ」わたしは襟元を直しつつ、話半分に言った。パーカーって慣れない。

「……ちょっと待って、顔色が悪いわ。私がぶつかったせい? それとも体調崩していらっしゃるの?」

「あ、いえ、その」

 他人に言われるほどひどいんですか、今のわたしの顔色。

 低音から流暢に発せられる女言葉。女性から男性に転じたひとか……かぶき町、西郷殿のオカマバーもあるのでいまいち特定できない。「元からなので大丈夫です。気にしないでく——」と言いかけて、わたしは絶句した。

「み」

「え?」

「みつばさん……?」

 色素の薄い茶髪をさらりとかけて、新品の着流し(あり合わせなのか、丈が微妙に合っていない)を身にまとい、たおやかな顔立ちの男性は目をまたたかせた。このひとの弟さんから邪気と毒気を抜いて落ち着きを付与するとたぶんこのようになる。

「もしかして」

 彼女(彼)は口元に手を当てて、目を丸くした。

「ヒカリさん? まあ……どうしたの? また悪巧み?」

「違います。通りすがりです。すべてが不本意です」

「男前ね。もう少し背が高かったらモテるかも」

「やめて」

「手配書のお兄さんよりは顔立ちがお若く見えるかしら」

「あの、その、勘弁してください」

「あ、これ本当にだめなのね、ごめんなさい」

 本気で懇願したのはたしかだけれど、あっさり信じていただける程度には本当にひどい顔をしているみたいだ。

「じゃあ代わりに私の話をするわ。ねえ、今の私ってそーちゃんみたいじゃあない?」

「そうですね……」

「この格好なら総三だとか名乗るべきかしら。それとも総司?」

「総三の方が適切だと思いますよ。いろいろややこしくないし……」

 薄々知っていたけれど、ミツバ(総三)さんはわりあいマイペースである。人に容赦なく激辛せんべえを勧めて悶え苦しむ相手を眺めてニコニコしている人間が、マイペースでないわけがないともいえる。男らしく・女らしくと述べていたどこぞの過激派宗教団体なぞまるっと無視して、まるでいつものように喋っていらっしゃる。

 なまじ変化した今でもおっとりした男性といった出で立ちなので、女言葉さえ考慮しないなら立ち振る舞いにもほぼほぼ違和感はない。

「最後に会ったときも倒れちゃって、ご迷惑をかけてしまったでしょ」

「あれはどちらかといえば金さんのせいかと存じますが……」

 後遺症が残るような事態にはならずに済んで、良かったです。下手なことになっていたらわたし直々にどこぞの金鍍金をスクラップ廃棄にして差し上げなければならなかった。

「でも、たとえば反撃ができるなら、あんなことにはなってなかったもの」

 そうかもしれないけれど、たぶんその場合、わたしが脱走する隙もどこにもなかったので……。

「お医者様にも体力つけた方が身体にも良いって勧められてね、最近西郷さんにもご指導いただいて、運動もするようになったの」

「……え? 西郷さんにご指導……?」

「もしかしたらご存知ないかしら。マドモアゼル西郷って仰るのよ」

「めちゃくちゃご存知あるから驚いているんですね、じつは」

「それなら伝わるわね。だんだんと筋肉もついてきたの。こうやって……力こぶ」

「……できてませんよ」

「あら?」

 まるで隆起を作る様子もない己の細腕と見つめ合って、ミツバ(総三)さんは首を傾げた。

「昨日はできてたのに……男性のお身体って、筋肉減るのかしら」

「体脂肪率的な意味でいうなら割合は増えるべきじゃあございませんか」

 そしてあなたは昨日はできていたという力こぶの方を疑うべきじゃあございませんか。

「ヒカリ様ってば、聞いてます?」

 腕が絡め取られる。また子(又兵衛)さんは性別がコロッと変わろうとも、特に気にせずもとの距離感のままだ。わたしが話していた相手に遅れて気づいて「てか誰」目を細めた。わたしたちの肩と肩の合間から兄上(姉上)も顔を出す。

「知り合いか」

「はい。アすみません放置して。えーと……あなたには以前申し上げたので覚えていらっしゃるかもしれません。日野でできた友人です」

「ああ」

 兄上(姉上)は真選組動乱を引き起こす直前の、わたしの他愛もないご報告を覚えていたらしく、ひとつ頷いた。なおまた子(又兵衛)さんはまったく知らないので「お友達……?」若干怪訝な様子でミツバ(総三)さんを見つめた。じつはね、わたしにもお友達はいるんですよ。

「ミツバです。お二方は……」

「又兵衛ッス」

「……中田」

 本名を名乗るわけにもいかない兄上(姉上)の苦し紛れの回答により、なにも知らない中田さんが女体化した。

「又兵衛さんと中田さんね」

 ミツバ(総三)さんは柔らかに仰って、少し長めに——どこか意味深な眼差しで——ふたりを見つめたあと、わたしに視線を戻した。

「……ちなみにヒカリさん、本当に、通りすがり?」

 偽名の甲斐なくなにもかもがバレてますねえこれ。

「通りすがりでもなければこのような間抜けは晒しません」

「それもそうね」

 若干目をそらしたわたしの返答に、ミツバ(総三)さんは深々と頷いた。言い出したわたしが指摘するのもなんですけれども、そんなに素直に信じられても攘夷浪士としてはたいへん困る。

「ヒカリさんは少し休むべきだと思うわ」

「そんなに今のわたしって顔色悪いですか?」

「私に言われるくらい、って言えばあなたの強情にも諦めがつくかしら」

 本当に説得力のある発言やめてほしい。

「このあたりに座って落ち着ける場所はあるのか」

「そうねえ……あ、さして歩かないところに団子屋があるわ。案内しますね」

「助かる」

「ご、ご迷惑をおかけしております……」

「礼」

「ありがとうございます……」

「わかりますよ、弟妹って意地を張るのよねえ」

「困ったもんだよ」

「一応今、中田じゃないんですかあなたは……」

「ヒカリ様のお友達ってのに今かなり納得してます」

「どうして?」

 客用にテラス席を提供している団子屋も、今は臨時休業の張り紙がなされている。店子や店主も一連の騒動に巻き込まれたと考えれば、商売している場合でもない。ユニクロが開いていたのは単に閉める暇がなかっただけだろう。無心で服を選んでいたしセルフレジを通したので今まで気にしていなかったけれど、今振り返ると、書き入れ時であるはずの時間帯なのに店員はまるでいなかった。

「うちわで扇ぎましょうか」

「脂汗拭けよ」

「そこまで……?」

 よってたかって親切な介抱という名の辱めを受けている。逆ですね。辱めという名の親切な介抱ですね。紛うことなき気遣いなのはわかっているので跳ね除けられやしない。ただただわたしが己の情けなさを悔いているだけだ。

「真選組も、今かぶき町にいるみたい」

 ミツバ(総三)さんもテラス席に腰を落ち着かせて、端末をスクロールし始めた。外付け警戒心こと弟さんからか、それともどこぞの意地っ張り副長殿か、こうしている間にもひっきりなしにピコンピコンとスマートフォンが鳴り続けている。

「バリケードを公権力と暴力で突破したのでしょうか?」

「そういう感じ、でもなさそうね……」

 文面に視線を走らせ、ミツバ(総三)さんは要約した。

「もともとかぶき町に潜伏し始めたところまでは掴んでいたから、封鎖される前には既に、かぶき町にいたのですって」

「……ということは、真選組の皆さんも全員性転換してません?」

「……そうかも……」

 今届いている連絡も、弟さんからというよりは、弟(妹)さんからってコト。

 口元をハンカチで押さえて、わたしは眉をひそめた。

「……その状態の真選組って役に立つんですか? わたしの好悪を抜きにしても現実問題、性転換の幅によっては普段と得物の振りだのもだいぶん違うでしょう」

 体格の変化はわたしや兄上(姉上)また子(又兵衛)さんは、胸の脂肪の増減と、上背はそれぞれ十㎝前後の振れ幅で収まっている。ミツバ(総三)さんもわたしと目の高さの差異が普段とさして変わらないのでたぶんその程度。

 一方で、道行く人々の嘆きを断片的に聞き取る限りでは、人によっては毛量や恰幅の違いまであるらしい。真選組がすべてこれらに当てはまるかはさておき、ある程度身体の勝手は異なるだろう。身体を資本とする職業、命のやり取りを当然とするならば些か致命的に思える。

 ミツバ(総三)さんは、ニコッ! と微笑んだ。

「頑張っているのだと思うわ」

「なるほど」

 なるほど(諦めの相槌)。

 ところで二の腕あたりから小刻みな振動が届くのでなにかと思えば、兄上(姉上)がわたしにもたれかかって静かに肩を震わせていた。……本気でツボってどうするの。あなた今、状況的にはまるで同じことになっているんですよ。自覚はお有りですか。面白いことを全力で面白がってないでしっかりして。

「真選組が全員女になってるってことは……今ならいろいろ進め放題なんでは?」

 こちらもこちらで、また子(又兵衛)さんが凛々しいお顔で邪悪な閃きに至った。

「クッ、そりゃあちょうどいい、連絡しておくか」

「ヒカリさん」

「わたしのせいなんですかこれ。勝手に自爆している武装警察の問題でしょう」

 このひとたちわたしがひとりで捌き切らなきゃならないの? ただでさえ体調がどん底だっていうのに? 鬼兵隊のふたりはわたしの管轄と認めるにしたって、せめてミツバ(総三)さんはどこぞの真選組の御方々が責任持って引き取るべきでしょ。

 居心地悪く座り直すと股の間のものの位置がズレて意識してしまい「……」胃の底から迫り上がる吐き気に無言で耐える羽目になった。

「ヒカリ様、息してー……」

「お水持ってきましょうか」

「良い、さっきこいつが飲み干せてねえペットボトルがある。……しかし本当にこのままじゃあ、ろくに身動きも取れねえな。慣れるのが先か乾涸びるのが先か」

 テーブルすぐ脇にしゃがみ込んだわたしを横目に、兄上(姉上)が溜息混じりに足を組み直した。また子(又兵衛)さんに背中をさすられて、ミツバ(総三)さんには心配そうな表情で覗き込まれている。管轄とか言ってる場合じゃなくわたしが一番どうしようもないことになっているのでした。

 お願いなので誰か介錯してほしい。

「真選組はデコボッコどもの手口まで掴めてんのか。まさか本気でこんなしょうもねえ天罰なんぞを下す神がいるとも思えねえ」

「人工衛星から発射される、教団が製造した特殊ウイルスが原因だそうよ。男性ホルモンと女性ホルモンをそっくりそのまま逆転させる効能があるのですって」

「過激教団ってのはずいぶんと暇人だねえ……」

「ンでそのウイルスが、この町のバカどもが男らしく・女らしくしてなきゃ地球全体にも一度発射って感じッスか」

 わたしの背中をさする手は止めぬまま、また子(又兵衛)さんがちらりと電柱の方を見上げる。

「てなると気になんのは……まずはカメラ」

 団子屋が万引き・強盗防止がてら設置しているカメラが、路地を無機質に見下ろしている。我々がいるテラス席はパラソルの下なのでカメラの死角だ。

「盗聴の線は」

「あーそれもありますね」

「……たとい教団が事を仕掛ける前に盗聴器を仕掛けて回っていたとしても、複数の会話をすべて聞き分けるには、聞き手の方にかなり高度な水準での技術およびそのための訓練が必要です。取れる情報に対してあまりに非効率ですよ」

「そうか?」

「あのね、あなたほどの化物はじつのところ、宇宙全体探してもあんまりいないものなのよ……せいぜいが要所に設置する程度かと」

 わたしは吐き気に耐えつつなんとか席に戻った。ぎりぎり吐きませんでした。

「映像はいくつも並べてもパッと異常を把握しやすい。主要な監視はカメラに絞って、他は巡回で詳細を把握する、という手順を踏んでいるかと存じます」

「現実的な路線だ」

 わたしの見解に対し、相槌のごとくバリトンボイスが響いた。ミツバ(総三)さんやまた子さん(又兵衛)さんの声ではなく、かといって兄上(姉上)が突然兄上に戻ったわけでもない。

 目だけを上げる。羽織をまとった美丈夫が、わたしたちが占拠するテラス席に「失礼」空椅子を引いてきて座り、両手の指を組んだ。顔に走る傷痕がある種の危うい色気すら醸し出している。

「少し知恵貸しちゃくれねえか」

「……あなたは」

 まるで知らないお顔だったけれど、残念ながら、特徴からなんとなく推察がつく。辟易を感じながらもわたしが尋ねると「そうさな」そのひとは首を傾げる素振りを見せた。

「この姿では月雄とでも名乗っておこう」

「やっぱり月詠さんなのね」

「ああ、そういうぬしはミツバさんで合っているだろうか」

「そうよ。こちらヒカリさんと……お知り合いの御二方」

「……非常事態だ、追及はしないでおこう」

「——なんっで吉原自警団のお頭殿まで巻き込まれていらっしゃるの?」

 わたしは思わずテーブルに額を打った。

 

   ➤

 

 いくら今の吉原が天井も開けて太陽燦々のもとにあるからといっても、吉原からかぶき町って、そこそこ距離が離れている。今回のデコボッコ教団は、金さんのようにかぶき町(というか、銀さん)に関わる人々すべてに長期間かけて刷り込んでいったのではなく、一瞬にしてドン! の処理だ。巻き込まれる可能性の方がごくわずかじゃあありませんか?

 というかなんで口調を男性の方に合わせているの? 男らしく・女らしくということ? あなたはそれでいいの?

「猿飛に百華一群で忍者講習に誘われたんだ。まさかかぶき町まで足を運んだだけで男になるとはね」

 月詠(月雄)さんは肩をすくめてみせた。

「情報収集のために一度散開したばかり……こうなると、不幸中の幸いだな」

「そうね、月詠さんっていつもしっかりしていらっしゃるけれど、今日はいつにもまして頼り甲斐がありそうだわ」

 ミツバ(総三)さんが無邪気に両手の指を合わせる。

「最終目標はデコボッコ教団を叩いて性転換を元に戻させる。そのためには手始めに、監視の目を無力化しなきゃならねえ。案としては——」

   ガン!

「おいおい」

 兄上(姉上)が華奢なサンダルでテーブルを軽く蹴った。このひとはすぐに手が出る——しかし表情を見るに、今の振る舞いは衝動的なものというより、意図的な演出に感じられた。

「なんだかトントン拍子に話を進めようとしているがよ、俺たちが協力関係を結ぶような前提になってねえか? そりゃずいぶん都合がいい話だな」

 うすいサングラス越しに翠眼が月詠(月雄)さんを見据える。

「こっちとしちゃ人数分のワクチンでもなんでも、手に入れるだけで済む。監視の目は適当に誤魔化して少数でさっさと侵入して取るもん取って戻れば解決だ。しかもてめえの言い草、大立ち回りする前提か? むしろ邪魔にしかならねえぜ」

「それはそれは、自分たちだけ戻れさえすれば問題ねえとばかりだな……少し身勝手な言い分だ」

 月詠(月雄)さんは動じる様子もなく眉を上げてみせた。今の兄上(姉上)が女性の身体であるから普段より迫力が弱い……というだけでなく、事実として、怯えも動揺も恐怖も見受けられない。

「身勝手? 他所者の助けを当然とばかりに換算しやがった野郎(アマ)の言い分とは到底思えねえ、恐れ入ったよ」

「ええと……〝中田〟さん、言い過ぎよ」

「アンタにゃ情報提供分の感謝はしてる、が、口を挟むな」

 ミツバ(総三)さんの控えめな制止の声を兄上(姉上)が一蹴した。

「マ実際、信用できるかどうかがまず別問題っスよね。ヒカリ様とご交流があったとしてそりゃ私らとの知り合いじゃあねえ。都合よく、使い捨てるだけ使ってポイなんざ全然ありえる話ッス」

 また子(又兵衛)さんもまた、月詠(月雄)さんを冷めた目で見据えた。

「そうじゃなくても、そもそもなんで協力が得られる前提なんだか。誰でもご親切な善人とでも思ってんなら、そりゃ見当外れも良いとこっしょ」

 鬼兵隊幹部の中でも、我が兄上とまた子さんはかなり警戒心が強い方だ。利用価値を見出していない第三者に対しても表面的にも取り繕う、という点では河上さんや武市さんの方がまだ上手い。

 見るからに頑ななふたりに美丈夫は眉をひそめた。

「……俺ァアンタらじゃあなく、彼……彼女……彼……つまり、ヒカリと話したいんだが」

「コレは今調子崩してろくに使い物にならねえぞ。いったいなにを話すって?」

 兄上(姉上)の煙管がわたしを指し示す。

「このアホがいかにもそれらしいでまかせを口にするのは今に始まったこっちゃねえ」

「アホって言った……」

「不用意に推察ボロッボロこぼすアホはアホで充分だろ、どうせ定々相手取ってる時もやってたんじゃねえのか。だから今食いつかれてる」

 お説教が始まってしまう気配を察してわたしは明後日の方向を見つめた。兄上(姉上)はわたしの様子に「ほらな」と言い捨てた。

「なにを期待してんだか俺ァ心底どうだっていいがな、他所を当たれ」

「だとしても先程の推察は的を射ていたと思うがね。でまかせとは到底思えなかった」

「物分かりの悪ィ野郎(アマ)だな」

 わたしはほとんど蚊帳の外の状況で、ぺたんとテーブルに頬をつけて、考えていた——これって、わたしのために争わないで、とでも言うべきシーンでしょうか。言ったらさすがに怒られる?

「ねえ〝中田〟さん。又兵衛さんも」

 ミツバ(総三)さんは背筋を伸ばして、今度はさっきよりもはっきりと名を呼んだ。いつもより声が低いぶん、腹からこめるとよく通る。

 ぎろりと睨む眼光を慌てず騒がず彼女(彼)は見返した。

「ヒカリさんが心配なら、まずはそう仰るべきだわ。御本人を置いてけぼりに頭ごなしに言い争って何になるの。それこそ困っていらっしゃるのが見えてない?」

「……。さーせん」

 また子(又兵衛)さんは素直に引き下がった。

 紅茶色の眼差しは続いて月詠(月雄)さんを見据えた。

「月雄さんもよ。焦っているのはわかるけれど、見るからに具合が悪そうな人に無理くり押そうとしちゃ駄目。鈍った思考につけ込むのは、私、感心しないわ」

 兄上(姉上)と月詠(月雄)さんが寸暇睨み合って、同時に舌打ちをした。

「……」

 ようやく静かになったテーブル上。わたしは思考を巡らせる。

 たしかに、鬼兵隊にはかぶき町自体の問題解決に協力する義理がない。銀さんが住んでいて小太郎さんもよく出没するみたいだけど、あくまでもそれだけ。……小太郎さん、今はかぶき町にいらっしゃるのかしら。別のところで攘夷活動の啓蒙でもなさっているのかも。かぶき町にいて、女性になられているなら、それはふつうに見たいのだけど。

 ……余計な思考は一回打ち消して。

 地球全土に撃ち込まれるというなら大迷惑だけど、それはそれで、ワクチンなどがあるならば余分に掻っ払っておけば対策は取れる。兄上(姉上)の仰るとおりだ。我々のついでにかぶき町の問題が解決するというならまだしも、前提にかぶき町の問題の解決を持ってくる道理はない。

 ない。

 のだけど。

「……よいしょ……えーと、監視カメラの無力化であれば、物理破壊とクラッキングがありますね」

 テーブルからなんとか身を起こし、ちょっとめまいでくらくらしている額を抑える。水分不足かしら。

「百華の人海戦術と、ええと、猿飛さん? 苗字やお話からして忍の方でいらっしゃるのでしょうか。その方の力添えや知識を借りれば、物理破壊もわりと現実的な路線です。わたしが取るならばクラッキングになるでしょう……機材が欲しいですね。平賀さんから借りて来るのは難しいかしら、たまさんにお力添えをいただいた方が良いかも……」

「ヒカリ」

「わかってますよ……ただ流されているわけではなくて、実際問題、これを放置していると寝覚めが悪い」

「たかだか男女が入れ替わった程度だ。てめえのように一日顔色白い野郎も女もどうせそうはいねえよ。それだって死ぬほど調子が悪いだけで死ぬわけじゃあねえさ」

 冷たい言い分にわたしは若干苦笑した。つくづくと物言いで損をする方である。まあ実際、絶賛絶不調のわたしとてこれで死ぬとは思ってもいない。点滴でもすれば栄養失調は補えて、そのうちに男体に慣れることもできるだろう。

 兄上(姉上)は、本人とわたしとまた子(又兵衛)さんの状況だけどうにでもできるなら、かぶき町全体に起きた珍事を本気でどうでもいいと思っている。他人に無関心なこともあるだろうけれど——この言い草、どうやら本質的なところに思い当たっていない。

「いいえ。あなたは男性ですからね、気づかなくとも無理はありません——放置していると、下手すると死人が出ますよ。あるいは既に出ているのかもしれませんが」

 また子(又兵衛)さんがわたしの背をさする手を止めた。

「……これで?」

 わかりやすく疑問符がついている。あら、あなたも気づいていらっしゃらなかったの。

「男性ホルモンと女性ホルモンの逆転による性別転換。うーん、言わんとすることはわかりますが、たぶん真選組の情報は可能な限り噛み砕かれた内容にとどまりますね。骨格や脂肪率、毛髪、性器の変形までに及ぶとなると単なるホルモン分泌の修正だけではちょっと説明がつきません……まあその詳細な仕様はこの際どうでもいいんですけれどここで疑問がひとつ」

 わたしがとうとうと述べる中、月詠(月雄)さんは無言で腕組みをした。

 おそらく彼女(彼)は既に気づいていた。気づいていたから、わたしを強引に丸め込んででもさっさと片をつけようと乗り出したのだ。それはたぶん、月詠(月雄)さんが普段ど(﹅)こ(﹅)で生きていらっしゃるのか、という点が明確に関わっている。

「妊婦さんはどうなります?」

 耳を傾けていたミツバ(総三)さんが、双眸をまたたかせた。かたちの良い眉が寄せられる。

「……男性、に、なるのかしら?」

「ええ男性になるのでしょうね」

 主旨はそこではないけれどミツバ(総三)さんはこれだけで要旨を理解されたようだった。わたしは頷いて、続ける。

「性別転換の内容をおさらいしましょう。確認できた限りでは、たとえばわたしは精巣と陰茎が作られて経膣が閉、じ……。ヴッ、オエッ」

「ビニール袋!!!」

「さっきの服屋の袋がある。吐くならここに吐け」

 つい数十分前に飲んだ水が胃液とともに勢いよく食道を逆流した。もうだめかも。背中をさすられながら、わたしの頭上では「……性急に進めようとしてすまなかった」「……マアこっちとしても強硬に跳ね除けすぎた」謎の和解が成立していた。犠牲になった甲斐がありますね。

 ……か、勘弁して、ほんとに……。

「ゲホッゴホッ……ハァ、とに、かく、妊婦に当てはめると数多の問題が生じるのは、あなたもなんとなくはご理解いただけますよね」

「……」

「具体的に順に追っていきます」

 口元をハンカチでぬぐう。臨時休業中とはいえ、飲食店で吐瀉物ぶち撒ける事態にならなくてよかった。ビニール袋は二重に口を縛った。これどこに捨てればいいかなあ……。

「わたしとて腹の中身まで確認できたわけじゃあありません。妊婦であればホルモンバランスも通常の女性とは異なりますので、同一の現象が発生するとも限らない。その上で——可能性はいくつか考えられます。たとえば性器の変形はあくまで外見的なものでしかないため、内臓は無事。子宮自体は残っていて、胎児もその中で生きている。最も楽観的な見方です。ただ内臓が無事だとしても全体的に男性の身体になっている以上、まったく支障が出ないとは言い切れない」

 臍の緒は胎児に対する栄養の供給はもちろん、胎児の老廃物を輩出させて母体側で処理させる役割も担っている。男性の身体に子宮だけを移植したとして同じような処理は果たして成り立つのだろうか。臨月の方だった場合は、経膣が塞がれていること自体も問題だ。もしも産気づいたら確定で帝王切開直行コースである。

 しかしこれも楽観的な想定だ。

 たいへん楽観的な想定だ。

「次。男性になったので当然子宮は消失して、胎児だけが体内に取り残されている。臍の緒も羊水もない場所でそう長く生きられるとはわたしは到底思えません。男性に変化してしまった身体側としても、胎児とは要するに突然発生した巨大な良性腫瘍に近いでしょう。位置としておそらく精巣を圧迫するので単なる良性腫瘍でも早急な摘出が必須。胎児の側は早熟児として最先端医療につなぐ必要が生じます」

「……だから下手するともう死人が出てる、か」

「二番目にまずい想定だとそうなりますね」

「今ので二番目か?」

 兄上(姉上)がつぶやく。

「最もまずい想定では……そもそも、完全な身体男性妊娠は現行の宇宙技術でも成り立ちません。それは、女性の身体と妊娠という構造が強く結びついているからです」

 我が国の現行法において胎児の中絶は、妊娠二十二週未満までと定められている。倫理的な観点や流産による母体への負荷もあるが、そもそも妊娠二十二週未満の胎児は母体外での生存率が著しく低い。個体として切り離して生き延びられるほどの能力がないのだ。人工子宮や子宮移植でなんとか成立させようと試行錯誤する試みはあるが、実現レベルには到達していない。

 地球人の子どもは、精子と卵子が結びつき、母の胎の中で育まれる。事実として。

「先のウイルスの拡散で女性が男性に完全に作り替えられたとして、まだ生まれていない胎児が母体と別個の存在として単体判別されるのではなく、母体の細胞の一種として考えるなら——男性に変化したついでに子宮や経膣同様、男には存在しないものとして消失しているというのが妥当な推察ではありませんか」

 流産。死産。たとえ中絶を行わずとも、出産には常にリスクがつきまとう。母子ともに常に死と隣り合わせにある。出産を決めて母子手帳を受け取ったひとだけでなく、つわりにも到達しておらず、いまだ己の妊娠に気づいていないひとだって、命が宿っているならばそれは妊婦だ。

 果たして性別を再転換するだけで、すべては元に戻るものだろうか?

 ……少なくとも、今の状況を維持し続けるよりはましなはずだ。

 だからわたしはデコボッコ教団を〝たちの悪いテロリズム〟と評価したのだ。こんなの町だけに留まらず、国全体、星全体に対して行なったらば、それは実質的な大量殺戮に相違ない。

「罪なき赤子がかんたんに命を手折られるなぞ……ましてどこの馬の骨ともしれぬ異星の人間が、自らの罪深きを自覚することなく奪い去るなぞ、可能性だとしても見て見ぬふりとは、すこし、寝覚めが悪いものです。テロリストが言うことでもありませんがね」

 月詠(月雄)さんは深々と息を吐いた。

「百華は現状、子を持つような行為とは縁遠い。もとより遊女を続けられなくなった者で構成された自警団だからな。だが……かぶき町全体にひとりもいない、とは考えにくい。それこそ吉原ほどでもないが、夜職は性産業とかなり近しい位置にある。かぶき町は江戸でもそういう店が多い地域だ」

 第一次攘夷戦争が一通りケリがついた当時、復興促進のために娯楽街として発達するよう尽力したことこそが、かぶき町が〝かぶき町〟たる発端である。その特徴として飲食店はもちろん、風俗店も数多く乱立している。

「取り返しがつくとは限らないが——早急に解決しなければ、取り返しがつくものもつかない」

「……と、いうわけです。マァわたしの寝覚の悪さにおふたりを付き合わせる必要もないのですけれど……」

 また子(又兵衛)さんと兄上(姉上)は顔を見合わせて、どちらも顔をしかめて、同時にわたしに視線を戻した。

 相変わらず気分も調子も最底辺ではあるけれど、わたしは場違いにも、うっかりへらっと笑ってしまった。

「愛されているのはなんとも、うれしいものですねえ」

「「ハァ……」」

 わたし、あなたがたの身内にはなんだかんだで甘いところ、大好きですよ。

「協力するにしても条件がある」

 苦虫を噛み潰したような、を体現したお顔で兄上(姉上)が人差し指を立てた。

「……あなたが交渉するんですか」

「黙れ死に体」

「終いには泣きますよ……」

「……嘘つけよ甘えた」

「えーん」

 わたしは泣き真似をして机に突っ伏した。またもや後頭部を平手で引っ叩かれた。暴力的です。訴えたら勝てます。

 さすりながら見上げると、兄上(姉上)は既にわたしを見てはおらず「ひとつ」月詠(月雄)さんを睨んでいた。

「俺たちの関与はこの場の他に誰にも言うな。これは俺たちの都合もあるが、てめえの信用にも関わる。……おおよそ素性に察しはついてんだろうがな、特に万事屋や真選組は、気取られるのもナシだ」

「無論だ」

 月詠(月雄)さんは顎を引いて頷いた。

 兄上(姉上)は続いて中指を立てる。

「ふたつ。コイツはこっから動かさねえ。俺かまた……又兵衛は場合によっちゃあそっちに同行してやってもいい、がひとつめの条件に関わることはしねえ」

「……ヒカリは動かさないというより、動けない、の間違いだろう」

「あ、月雄(月詠)さんまでそのようなことを仰る……」

「見ての通り、とでも言いてェところなんだが、残念なことにこいつは俺が動けと言やあ無理を押しても動く。他人に絆されても動こうとする。馬鹿だから」

「あの、いま、馬鹿って仰いましたね……?」

「だからあえて念を押してんだ、動かさねえ」

 わたしの文句を兄上(姉上)はほぼほぼ無視した。

「俺もその状態の人間に鞭打つ趣味はない。……鈴蘭のこともあったしな」

 翠眼がわたしを見下ろした。

 わたしは兄上(姉上)から意図的に目を逸らして、月詠(月雄)さんの顔をそろりと見上げる。いつもより精悍なお顔立ち、傷痕ばかりは変わらない。デコボッコ教団がばらまいたウイルスは、人の性別を転換させることはできても、人の傷を癒す力は持たないから。

「……お会いできましたか」

「ああ。腕もつながった」

「それは、良うございました」

 わたしは目を閉じた。それはよかった。約束は果たされた。良いことだ。非常に良いことだ。満足して逝けるならばそれに越したことはない。

 人を世に繋ぎ止めるは欲望や未練である。我々は三千大千世界に繋縛されて苦しみ続けている。執着を手放して、煩悩から解き放たれて、本質的な自由を得たその先にようやくに輪廻転生の業からも抜け出し、解脱に至るのだ。

 鈴蘭太夫は一足先に、涅槃に至っただろう。わたしも。わたしは。……わたしはまだかな。死んだとしても、もう一度たぶん地獄道。罪業に追いつかれる前に、果たして、どこまで道連れを増やせるかしら。

「みっつめ」

 わたしの頭をてのひらが雑にかき回す。少し慣れぬ細い指だけど、撫で方からしてたぶん兄上(姉上)だ。

「あくまでもついでに手を貸すだけだ。俺たちゃ自分たちの身体が元に戻って、この町が最低限元に戻り次第——コイツの懸念が解消され次第、離脱する」

「相分かった。百華頭領の名にかけて、約定は果たそう」

 月詠(月雄)さんが右手を差し出す。兄上(姉上)は細く息を吐いて、握手に応じた。

 一時的な協力関係がこれにて締結された。

 

   ➤

 

「……それにしても月雄(月詠)さん、なんだか下手な男性よりも男前ですね」

「駄目な手本を腐るほど見てきたものだからな。反面教師には事欠かない」

「ああ〜……」

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