【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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DNAわからない。
ベイスターズではない。


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前略:

 デコボッコ篇の損害一覧:本来なかったはずの被害。

 ミニスカ(※約一名)。

 胃の内容物(※約一名)。

 腹筋(※約一名)。

 力こぶ(※要審議)。

 

   ➤

 

「ヒカリ様〜あるいは総督〜おっと会議中か? 失礼」

「ああいえ……話自体はまとまりました」

 たいてい幹部陣が集う本艦中枢部に海原さんが顔を出したのは、力尽きた武市さん(事務作業一極集中、本当にお疲れ様です)の端末からファイルをインポートして各員に分担し直しているタイミングだった。武市さんをこれ以上働かせるとこのひといよいよ死んでしまう。稚児趣味(ロリコン)なことは致命的だけれどもそれ以外にはろくな欠点が見当たらないひとだ。

 ともあれ振り分け自体は終わっていて、あとはダウンロード時間を待てばいいだけである。一部は印刷対応が必要だとしてどちらにせよその間は手持ち無沙汰だ。重くても十分前後で終わるので言うほど時間が余るというほどでもないけれど、ともあれ。

「なにかご用事でしょうか」

 すたすたと歩み寄ったわたしに「……いつも思うんだけど真っ先に応対に来るの、だいたい君なんだよな」海原さんが首をひねった。

「と仰られても……総督を立たせるわけにはまいりませんし」

 呼んだか? という眼差しがこちらに向いた。兄上は当然のように席から立つ素振りすら見せなかった。まああなた直々に開けられると我々の立場がいよいよ危ういので是非とも座っていてほしい。

「河上さんとは瞬発力勝負ですね」

「今回は拙者が負けたが、そもそも機関部ではヒカリが取る席の方が出入口に近いからな。同じ距離なら確実に勝てる」

「負け惜しみですね~」

「右腕と妹君で真剣に雑用勝負してんじゃないよ」

 海原さんは呆れた目つきでわたしと河上さんを見比べた。

「そもそも部下に任せ……ああ、君は中田しかいないのか……」

「まあいるときは任せてますけど」

 今はいない。一橋の方で船舶を運転できる人員がほしいとのことだったので、貸し出した。

「来島様や武市様は?」

「序列的には我々、同等です」

 なんならわたしの方が本来後輩です。

「そもそも来客とはすなわち襲撃の可能性もあるのに、かわいい子とか弱い人に任せるのはちょっと」

「少々お待ちを、私今か弱い人呼ばわりされましたか」

 力尽きて椅子の背もたれに寄りかかっていた武市さんがグルンと首を回してこちらを見た。かわいい子が御自分ではないという確信を前提としているらしい。まァまた子さんは間違いなくか弱くはありません。

「か弱いですか私は」

「え? はい。……もしかしてか弱い自覚がございませんでしたか?」

「弱い自覚は確かにありますがね、か弱い自覚はどこにも!? 私、中年男性ですぞ」

「でもあなたタンポポよりか弱いでしょう」

「タンポポより!?」

 視界の端では兄上がテーブルに突っ伏した。

 河上さんが口元に腕を当てて肩を震わせている。

「タンポポは条件によってはアスファルト突き破って咲くのですけれど、武市さんってアスファルトは斬れましたっけ?」

「……私はタンポポよりか弱かった……!?」

 迫真だ。そしてやっぱり、アスファルトは斬れないんですね。

「ヒカリ様ァ、晋助様が笑い死にしそうになってます」

「兄上ってば最近ツボ浅くありません?」

「ッ、れのせいだよ……」

 わたしのせいでしょうか。勝手にウケている方に責任があるかと存じます。

「……逸らしておいてなんだけど用件に戻していいか?」

「あ、はい。……お土産のリクエストだとかです?」

「それは八ツ橋が良いんだけど違くてね。こないだ頼まれたDNA解析の結果を渡しに来た」

 きわめて真面目な話題だった。

「DNA……ってあれスか、こないだの」

「それですね」

「なにかありましたか」

「ウーン兄上に説明していただいた方が良いかしら……ちなみに兄上生きてます?」

「げほッ」

「駄目そうですね」

「あー……とりま私が知ってる範囲の話から始めますけど」

「タンポポ武市」

「万斉本当やめろッ……」

「そこまで面白いものですかな?」

 正直言い出した本人たるわたしですら理解できない。面白いこともなき世を面白おかしく生き過ぎかと存じます。

 また子さんがおふたりに京での経緯を説明し、兄上がなんとか呼吸を整えている間に、海原さんがクリアファイルから一枚のペラ紙を抜き出した。

「解析の結果だけど。DNAは……まァたぶん同一個体」

「あいまいですね」

「検体のサンプル自体が少ないからなー。僕が採取の現場に立ち会ったわけでもなし、コンタミの可能性は否定しきれない。DNAの完全一致率は兆レベルに低いにしたって、宇宙中探したわけでもない。多胎児やキメラDNAの可能性を換算して、たぶん同一個体だ。というわけでまずこれが鑑定の証書」

 ペラ紙を別のクリアファイルに収納して、海原さんはそれをわたしに渡した。

「ありがとうございます」

 〝先生〟が書院群に踏み入ったか、〝先生〟に縁深い人間が書院群に訪れていた。挟まれていた書物が書物なので、奈落となんらかの繋がりがあった可能性が高い。

 わたしは思考半分にクリアファイルごとペラ紙を受け取った。ようやく復活した兄上が席を立ち、肘置きがてら覗き込んでくる——肘置きは、やめてほしい。

 それからふと先程の発言を復唱した。

「……ま(﹅)ず(﹅)?」

「ウン、ここまではただの前置き。本題はこっち」

 海原さんはまたもやクリアファイルを開いて、今度はホチキス留めの紙束を取り出した。資料をぺらぺらとめくるさまをわたしはなんとはなしに視界の片隅で把握していた。

「言われた通りに塩基配列自体も見たんだよ。というか、そもそも鑑定って共通部以外の箇所を選り分けて培養して行うもんで——」

「ヒトとチンパンジーの同一DNAが99%とかそういうたぐいの話ですか」

「ア知ってんの、まァ知ってるか、ちなみにアレは厳密には80%ちょいぐらいしか一致してねえことがわかってる。そんでも充分高いがね」

「そうなんだ」

 知見。

「というわけで結論ってか、僕が言いたいことだけ言うんだけど——」

 わたしは鑑定書から視線を上げて、海原さんに戻した。

 

「コレ誰から、そもそもどっから取ってきた?」

 

 鬼兵隊医療部統括はまったく笑っていらっしゃらない。

「まず人間じゃないよな? 天人か? 天人でもないか? この生き物、何?」

 ともすれば侮辱にも聞こえかねない物言いだったけれど、そもそも誰(﹅)の毛髪なのか、わたしも兄上も一言も口にしなかった。だからこれは彼の悪意ではなく、海原さんはごく真剣に尋ねている。

 ごく真剣に、対象の存在に疑念を抱いている。

「あーヒカリ様そういえば個人って言ってたな、なら正体まではわかっちゃないわけだ」

「詳しく話せ」

 兄上が椅子を引いてきて指差す。総督直々の厚遇に海原さんはちょっと眉を寄せたものの、おとなしく椅子に腰掛けた。

「赤の他人でも同じ地球人である限りDNAは99.9%一致する。DNAによる個人鑑定ってのは残りの0.1%をがんばって解析してる。だから個人鑑定において、たとえば赤の他人同士の鑑定で一致率0%だったとしても、人間であれば共通するはずのDNAまで含めるなら99.9%は確実に一致してる。それこそ個人鑑定で99.9%の一致率と示された場合は全体評価では99.9999%(シックスナイン)に当たる——これは下ネタではないよ?」

「あの、ふざけられると心の置き方がちょっとわからなくなってくるので……」

「でも空気の緩和は大事……ア、わかりました。ふざけず続けます」

 海原さんは兄上を(厳密には、たぶん兄上の表情を)チラッと見て頬を引きつらせた。そうですね。もうすこし早めに気づいていただけるとよかったかもしれません。

「とにかく、まずこのDNAは少なくとも〝地球人〟じゃない」

 彼はホチキス止めの資料の一ページ目を指で示した。地球人のゲノムとの一致率は端数切捨てで92%。

「さっきヒカリ様はチンパンジーを引き合いに出したけど、アレが約80%一致するとして、天人と地球人のDNAは、低いものでも70%から、高いものでは95%前後一致する。後者の値に近づけば近づくほど生物的にもそう差異がない」

「違う種族の天人同士でも子どもができる組み合わせがある、というのも、遺伝子が近いからだったか?」

 こちらは話の流れを完全には理解していなくとも興味を示した河上さんの問いかけ。

「イヤそれは遺伝子もそうなんだけどなにより糖鎖の方……たしかに近縁種はただの前提だし、こっちは知名度が低いから混同されやすいがね」

 海原さんは首を横に振った。

「それこそチンパンジーと地球人が交配したところで子どもは生まれないとして……地球人と糖鎖が近い天人ってなると……あー、犬頭の天人なら可能性はある」

 その話はわたしもちらと小耳に挟んだことがある。生まれの星も外見もまるで違うのに不思議なものだ。逆に外見だけは地球人に限りなく近しい夜兎は、人為的介入でもなければ地球人との間に子が生まれる確率はゼロなのだとも。……鳳仙殿が日輪さんとの間に子を作って繋ぎ止めようとしなかったのは、そもそもの生殖能力が噛み合わないことに由来したのかもしれない。……いやどうだろう、あのひと絶妙に気持ち悪い執着の仕方をしていたから、子どもに日輪さんを取られたくなかっただとか言い出したとしても、あまり驚けない。

 星間文明では、知的生命体と見做されるいきものたちが揃いも揃って二足歩行、口腔と声帯を用いた対話手段を取り、しかも遺伝子まで限りなく近しいものまでいるときた。この収斂進化には様々な学説が取り沙汰されているけれど——まァそのあたりの話は専門家にお任せするとして。

「とにかく——地球上の生命体が天人に調べ尽くされて十年が経った。乱獲・気候変動・その他環境破壊による絶滅と、環境変化・人工交配・生産による新種を差っ引いて、現存する生命種はざっと七千万種。宇宙全体でいえば兆単位になる。そのすべての種族共通のDNA型が数値化されて保管されてるデータベースについてはご存知?」

「……たしか、天導衆管轄のもの、ですよね? 覚えはあります。紅桜もそちらに内蔵されていた自己増殖型生物のデータを一部引っ張ってきて原型の設計を引きましたし」

 無差別大量に無料公開されているのは、知識のオープンソース化、とかではなく単に戦争扇動用なんだろうなとは思っている。科学と軍事の発展は相互に密接に結びついてきた。読み解いて悪用すれば化学兵器も生物兵器もなんでもござれ、差別の旗印にもできる。

「あァあの医者の言うことまるで聞かねえどこぞのアカンタレが嬉々として使ってた刀の元ネタ、そういう出処なんだ」

「海原さんって岡田さんのことそのように思っていらっしゃったんですか……?」

「独断専行で桂一派との抗争招いて幹部の皆様に危害加えてなんならあわや殺しかけたアホはアカンタレで充分じゃないか」

 いえまあたしかにわたし・また子さん・武市さんいずれも仲良く殺されかけましたけれども。よく考えると幹部のじつに過半数を占めている。つくづくと暴れん坊でしたね。

「いちおう、彼には彼なりの事情があったのですよ……?」

「マとっくにおっ死んだアカンタレはどうでもいいとして」

 どうでもいいことはなくない?

「データ叩いてみたけど一致する種族がないのがこれまたひとつ」

 思ったけれど話はさっさと進める方針みたいだ。海原さんが紙束のページをめくると、ずらりと天人との——つまり、星間文明において〝ヒト〟と定義されるすべての種族との——照合結果が表で並んでいる。「ヒト以外の生物との照合結果までまとめて印刷すると艦埋めかねないから割愛した」と、海原さんは付け加えた。

「それこそコンタミの可能性はありますよね。あるいは染色体異常?」

「ン〜完全な否定はできない。しょうじき結果だけ見ると、なんなら鑑定で致命的失敗を五・六個仕出かしてるのに気づいてないって方がまだ現実的だ」

 逆にいえば、それだけ結果が非現実的ということでもある。

 海原さんが話している間にもぺらぺらと紙束はめくられていく。天人はそれこそ多種多様なので、照合結果はぎりぎり読み取れるサイズにまで敷き詰められておきながら、印刷は何ページにもわたった。

「ただ、それにしちゃあやけにハッキリ出すぎ。そもそも毛髪から採取できるゲノムはたいてい、メラニンのせいでPCRと相性悪いから、鑑定不能か鑑定可能かの二択なんだよ。で今回は鑑定できている。照合結果も、データベースに記録されている限りのすべての天人よりも地球のヒトゲノムとの一致率が一番高い。8%も差分が出ている時点で間違いなく別種だけどね。染色体異常説はコンタミより可能性が低い。というか突如8%も差分が出る突然変異体がいてたまるか何世代進化吹っ飛ばしてる?」

 それはそう、と頷くわたしと無言で耳を傾けている兄上の後ろでは「……8%ってそんな違うんスか」「あの話しぶりからして違うのであろうな」「私も遺伝子学は詳しくないのですが噛み砕くと……」武闘派に分類される幹部二名に、武市さんがなんとか説明しようと奮闘していた。本当にいつもありがとうございます、そのまま頑張ってください。

「で問題はその差分ね。細かいものだとミオグロビンの大量生成能力に皮膚のケラチン遺伝子の発達とまァいろいろ省略するとして」

「……ぱっとお聞きする限りではつまり、ゴリラとクジラの合いの子のようになっていますが」

「ンまァそうだな。ゴリラの拳の硬さとクジラの肺活量とカモシカの足の速さとイルカの聴力とダチョウの視力を備えた人間と考えればだいたい合ってる。人間? こんな人間がいるというなら僕は是非ともお目にかかりたい。人間とは名ばかりのキメラモンスターとしか思えないね」

 少なくとも〝先生〟のすがたかたちは紛れもなく人型だった。

「このDNAの持ち主をDNA設計図通りに読み解くなら、夜兎に匹敵するか、もしかしたら凌駕するぐらいの身体能力バケモン地球人モドキになる。でもコレも些(﹅)事(﹅)だ——人工多能性幹細胞ってわかる?」

「言われてすぐに即答できるほどわたしは医療系というわけではありませんよ」

 わたしができるの、本当に応急処置だけですからね。

 とはいえ聞き覚えはあった。思考数秒、わたしが記憶から回答を導出する前に「iPS細胞」兄上がボソッと言った。

「十数年前ならES細胞の時代か」

「あ、なるほど……」

 いわゆる万能細胞だ。半無限増殖能力と多分化機能を併せ持つ。道理で聞き覚えがあるわけですね、医療知識というかただの一般常識だった。

「今をときめく再生医療の最先端!」

 突然高らかに謳われるとちょっとテンションが一致しなくて混乱する。

「あれは理論上、どんな細胞からでも自分の身体のあらゆる部位を再製造できる。人為的に遺伝子を挿入して、適切な培養環境と時間とそれを回すだけのコストが取れることが前提だけど。だから星間文明でも実用性で言ったらしょうじきまだまだ先だ。引き合いに出したのなんでかわかる?」

 深夜テンションの延長線みたくまくし立てていた海原さんが、ホチキス止めの紙束をさらに数枚めくって指で叩いた。塩基配列に記録された細胞設計図——

「コレが本当に存在する生物なら——実物がある以上存在するのだろうけれど、コレのDNA設計図を正しく分析できているとして、それを頭からまるっと信じるとするとだよ? コレはすべての細胞において、致命的な損傷を食らうと、隣接する細胞が多能性幹細胞に変化して再生産体制に入る。そういう設計がDNAに予め記録されている。人為的に遺伝子注入だの培養環境と時間の確保だの必要ない、全部体内で行われる。自(﹅)前(﹅)で(﹅)で(﹅)き(﹅)る(﹅)んだ。意味わかる?」

「——……」

「頭から爪先まで余さず残さずトカゲの尻尾、トカゲの尻尾よりたちが悪いな。斬っても再生する。爆破しても再生する。どこからでも斬れます、どこからでも再生できます。手足も臓器も目玉も脳みそも。突き詰めれば細胞のアポトーシスさえ半永久的に塗り替え続ける可能性がある。意味、わかるか?」

 異次元レベルの再生能力。プログラミングされた細胞死さえ補完可能であるとして。

 それが示すもの。

 

 実質的な不老不死だ。

 

「——生物として存在可能か?」

 兄上が尋ねた。海原さんが眉を寄せる。

「可能かどうかでいうと、あー……実際ある以上は否定しきれません。ただ、存在するとして解決できない点がいくつか。いろいろありますけれど、一番はエネルギーですね。この件はそれこそ紅桜でもネックになったとか聞いてるけどどうなの?」

「電力補給の点なら、そうですね。自己補完機能に関しては紅桜も備えていました。とはいえそれもあくまでも刀部分に特化していて、さすがに人体再生とまではいきませんでしたが……」

「マ現実的に考えるとそのあたりだよな。そいじゃ、紅桜をさらに数万倍ぐらい精密にして人間サイズに押し込めた生物とでも想定してください」

 資料をさらにめくる。先程までのまとまった表や説明文ではなく、直筆の走り書きだった。海原さんは悪筆かつ速筆なのできわめて読みづらい。

「多分に漏れず、カロリーは無からは湧いてこない。たとえば夜兎の身体能力は馬鹿食いとトレードになってる。彼らが日光に弱いのは、そもそもエネルギーの消耗少ない夜間に短時間だけ活動する生物が進化していったその先にあるからだ。けれどそれでもあれだけ食う。そんでそんな夜兎と比較しても、コレは数十倍は食う必要がある。毎回ね。それでようやく生存に最低限必要なエネルギー量が摂れる——無茶に決まってる」

 資料には数式らしきものを連ねた形跡がある。理論上必要なカロリーを算出したのだろうか。

「百歩譲って理論値レベルの食事を摂れたとして、消化器官が追いつけない。あくまでも全体的な構造設計自体は地球人に程近いから、容量も不足している。補助食品やサプリ程度じゃ間に合わない。二十四時間点滴投与でも無茶。加えて最終形態の紅桜は人間の何倍もの体積を擁してなお電力不足に喘いでいたけれど、こちらはヒト型の体格だからいくら脂肪を溜め込んだところでストックは知れている。結論」

 バシ、とホチキス止めの資料もわたしに手渡された。

「まともに成長するまでに勝手に餓死するのが妥当」

 けれど〝先生〟はまぎれもなく、地球人基準でいえば成人男性の姿をしていた。

「どう見る武市」

「フリがあまりにも急カーブですな」

 突然土俵に乗せられた武市さんが真顔で苦言を呈した。とはいえ彼は律儀に思考する様子を見せて「人工的に開発された生物兵器ならばありえるのでは?」と提議する。

「ソレぐらいじゃないと説明がつかないけど、そうだとして開発意図がまるで読めない」

 海原さんは即答した。

 それにしてもこの人本当に兄上以外には敬語使いませんね。ここまで来ると清々しい。

「これが人為的な設計なら、不老不死なんて長時間稼働での運用を前提としているとしか思えない。けれど、爆発的な身体能力や驚異的なエネルギー消費量までつけるなら、むしろ使い捨ての兵士の性能であるべきだ。紅桜の量産が頓挫したのもけっきょくそこだろう」

「コストが実利に見合わないと」

「非効率なオーバースペックだね」

 蓋を開けたというのにまるで理解不能な情報ばかりが出揃った。単なる鑑定ミスと言い切れるならばその方が納得できる。たしかに、海原さん本人が仰ったとおりだ。

 わたしは自らの顎をなぞる。

「……逆説的には、摂取エネルギーさえ解決できれば実現可能という解釈でよろしいでしょうか」

「そりゃ、まあ、可能かもしれないよ。解決できればな?」

 海原さんは医者の不養生とばかりにかなり不健康なお顔立ちをしているので、怪訝げに睨むだけでもかなり威嚇の表情に見える。

「一日量でもカロリー単位でメガやギガでも足りないレベルのエネルギーだよ。無から引っ張ってくる経口補助食品でも生まれたの? 知らなかった」

「いえ機序についてはまるでさっぱり」

 そのようなinゼリーの進化形にはちょっとわたしも心当たりがない。

「少なくとも、烏の蘇生に関するカラクリには、不可解な再生能力が関わっているのではないか、と一考する次第です」

「それは……有り得るな。奈落首領だとしても、あの白夜叉が仕留め損ねるとも思えん」

 河上さんが頷いた。彼もまた、銀さんに対峙した本人ゆえの口振りだ。

 奈落は暗殺に特化した集団である。暗殺者養成の一環で下法に手を出した可能性は、否定はできない。……しかし、陰陽師のすべや肉体改造は、果たして遺伝子そのものにまでも影響を及ぼすだろうか?

「分析結果に間違いがないとすれば少々厄介ですな。奈落はもしかすれば、不死に近い能力を持ち合わせていることになる。もしかすれば末端に至るまで、殺しても死なない化け物となると……」

 肩に乗っていた重量が不意に離れる。兄上は海原さんの背後を通るとそのまま艦の通路へと抜けていった。

「し……」

 おそらく兄上を呼ぼうとしたのだろう。また子さんの声が先細る。

「……申し訳ありません。不用意な発言をしました」

 武市さんが口をつぐんで、しおれた。

「恩師の投獄がかつて晋助殿の参戦理由だったことは、耳にしていたというのに……失念していました」

 また子さんは京での経緯からしか把握していないけれど、わたしが〝先生〟のDNAと照合しようと提案したのは彼女の前である。まァ、それを聞いた上で口を滑らせたのは、そうですねという感じですが。

「不用意では……ありましたが、あなたの判断力低下については確実に我々が幹部の事務ほぼ全部振ってしまったせいですね。過重労働ってなんて悪……」

「ぬしは時間外労働を嫌っているものな」

「好きな人いないでしょ」

 わたしと河上さんは目配せで暗黙に示し合わせて、とぼけた軽口をたたいた。渡された資料をクリアファイルにしまい直す。

「……あー、ごめ、え、なに、僕もしかして、かなりやらかした?」

 海原さんが両手を上げる。

「言い訳していい? 新顔の敵かなんかのデータだと思ってたの。まさか総督の恩師だと思わないだろ。ちょっと待ってくれ追放とかされる?」

「分析お疲れ様でした。これにてお役御免ということで」

「僕を解雇したら医療班は壊滅するよ」

「斬新な脅しですね。裏の思惑などはないので、言葉通りに受け取ってください。解雇はしませんし、本当に戻っていただいてよいですよ」

 医療班統括に辞められるとこちらも困る。彼も自身の仕事をこなしただけで、非はない。余計な情報を伝えていなかったのはわたしや兄上本人の判断だ。

「為すべきことは為すひとです、兄上に振ったぶんはそのままにしておきましょう」

 話の間にファイルのインポートも終わっていた。仕事に支障はないだろう。

「……けど、大丈夫ッスかね……」

「……あとで様子は見に行きます」

 わたしもまた端末を開いた。人の記憶は聴力から薄れていくという俗説があるけれど、本当だろうか。

 少なくともわたしは既に〝先生〟の声を思い出せない。枕草子を説いていた穏やかなしらべは記憶に溶けて輪郭もあいまいだ。その姿が思い出せなくなるのはいつのことだろう。いくつか撮ったはずの写真は村塾とともに焼け落ちている。

 

   ➤

 

「開けますよ」

 室内、ど真ん中にはバラバラになった衣桁の残骸が転がっていた。邪魔なので部屋の隅に捌けておく。

「あとで直すなり、捨てるなり、なにかしら片付けておいてくださいね」

 答えはない。畳の上に放り投げられた端末を拾い上げて、点灯させる。諸々処理は済んでいた。過重労働は悪だけど、適度な労働はちょうどいい。没頭できる時間は意識を逃避させてくれる。煙管が転がっていたので拾って煙草盆に戻す。散らかされた灰は、ご本人に片付けていただくことにしましょう。

 兄上は、窓を全開に開け放して、窓枠に伏せるようにもたれかかっていた。

 たぶん起きている。

「そういえば、道場の方覗いたら、死屍累々でした。なんでも総督に稽古をつけていただいたとか、興奮していらっしゃる方が多くてあなたって本当にモテモテ」

 これは死語かしら?

「……仕事に没頭して、道場で暴れて、血の気は抜けましたか」

 羽織をかけようとした手は振り払うようにはたかれた。勢い余って蝶柄の羽織りは畳の上にバサと落ちた。

「出てけ」

 唸り声に近かった。

 わたしは細く息を吐く。血の気は、まるで抜けていないみたいだ。

 皆様心配していましたよ、だとか、言うのも烏滸がましいだろう。どうせこのひととてわかっている。

「それがご命令であれば従いましょう。どうしますか」

 沈黙が降りた。

 窓に歩み寄って、ふとわたしもまた、窓枠の隅にもたれかかる。夜風は冷たく、わたしは、かつての夜を思い出した。二冊の教本を抱えて庭に立ち尽くしたある日の記憶だ。一冊は破けてしまい、一冊はどこに行ったかもわからない。

「妥当な案を考えるのであれば——」

 わたしは言った。

「そもそもあの毛髪はいずれも、ただ〝先生〟によく似ているだけの別人のそれであるのかもしれません」

 コンタミでなくとも、これはわりと可能性がある話だ。

「〝先生〟ないしはあのひとに限りなく近しい血縁を利用して、奈落は、なにかを企んでいるのかもしれません。今や主の天導衆かしら」

 夜空に月は見えなかった。三日月は既に西の空に沈んだあとだ。星々は、江戸のネオンサインで掻き消されていてあまりろくに見えない。

「しかし良い方向に考えるならば、もしかしたら……〝先生〟は、生きていらっしゃるのかもしれません」

 星の読み方も教えてくださったのはあのひとだった。遭難した際にはこのように方角を把握して——そこで説くのは物語とかではないんですね、と思ったのを覚えている。めちゃくちゃ実践的。

 ぼんやりと記憶を想起していたから、わたしは、兄上が顔を上げたことにはすぐには気づかなかった。

「良い方向」

 引き倒されたと気づいたのは、畳にしたたかに背中を打ち付けたあとだった。受身も取れずに目を白黒とさせたわたしを兄上は覆いかぶさる形で見下ろした。兄上の前髪は、後ろ髪と比較してもほとんど差異がないほどに長く、顔に陰影を作る。

「……ああ、おまえは、おまえは知らねえさ」

「兄上」

「〝先生〟は十年前に死んだ。俺はこの眼で見た。潰れた眼でも見た。首を刎ねられたんだよ」

 肩を固く掴まれたまま。薄暗い、明かりもつけない部屋の中で眼球のわずかな光反射だけがくっきりと見える。

「万斉が言う通りだ、銀時が仕留め損なうとは思えねえ——そうだよ。アイツは殺すと決めた相手は確実に殺す。十(﹅)年(﹅)前(﹅)も(﹅)そ(﹅)う(﹅)だ(﹅)っ(﹅)た(﹅)」

 ぎりぎりと指が食い込む。二の腕が若干しびれてきた。ありえないほどの握力で締め付けられているから、確実に鬱血している。

 星明かりのない夜の中、ネオンサインが反射した雲がさらにひかりを反射して、部屋にわずかに光が差した。兄上の瞳孔が開いているのもよく見えた。

「あの戦争……俺たちは最後に捕らえられた。最期に、先生は膝をついていた」

 譫言じみた物言いだ。額には脂汗が浮かんでいる。翠眼が左右に振れる動きをした。過去の記憶を幻視しているようにも見えた。

「てめえも知ってる通りに趣味が良い奴らだ。師か、仲間か、どちらかの首を刎ねれば一方は助けると——数多の手練れに囲まれていた。……今思えばありゃ奈落か、」

 吉田松陽の処刑。攘夷浪士の敗北。瓦版の紙面の情報それだけで知っていた事実。兄上の戦装束に〝先生〟の毛髪がついていた——兄上が〝先生〟の処刑に立ち会った理由。

 てんでばらばらだった三人はそれでも一緒にいた。あるときまでは。

 その上で、離散した、要因。

「銀時だけが刀を持たされた」

 わたしはただこのひとを見上げるしかなかった。起き上がることも忘れて、半端な姿勢で、なんなら肘は畳についたままだったから着物と一緒に皮膚が畳に擦れた。

「あいつは」

 これが答えか。

 これが。

「あいつは、しくじらなかった。しくじらなかったんだよ。——あいつァ、ただ、斬るべき二択だけを間違えた」

 兄上が背を丸める。うつむいた顔に前髪が流れて隠れる。

「心底……馬鹿馬鹿しいだろ。弱いからとてめえを置いて行って護った気になって、あのひとの背中ばっか追ってくだらねえことで張り合って護れると胡座かいて、それで俺たちゃこのザマだ。片目は潰れて、おまえは失踪、頭蓋の重さしか残らなかった。お山の大将気取った鬼兵隊だって散逸して、逃げ遅れたやつは仲良しこよしに晒し首だった。護れたものなんざどこにも——ひとつも」

 「なあ」と呼ばう声の震え方は笑い声にも似ていて、しかし決定的に違っていた。あまりにも明白だった。

「良い方向なんざ、ねえよ。……俺たちが弱かったからあのとき先生は死んだ。俺たちの弱さがあのひとを殺した」

 わたしは手を伸ばした。

「あいつに、護るべきだと、少しでも馬鹿なことを思わせたことがなにもかも間違いだった。なにかひとつでもすこしでも護れると思い込んだ俺がなにより馬鹿だった」

 兄上の頭部を両腕で抱え込む。今度は振り払われなかった。

「覆らねえ」

 ことばは小紋の袖に遮られてすこしだけくぐもった。

「……はい」

 わたしはただ相槌を打った。

「もしもあのひとが、なんらかのからくりで、真に生きていたとしても——それは単に、ただ無意味な業を背負わせた事実を示すだけに過ぎねえ」

「はい」

 抱え込んだ腕にわたしはすこしだけ力をこめた。わたしよりも身の丈の大きいこのひとは、全身使ったとてやはりまるで覆える気はしない。どう頑張ったってこのひとには勝てなくて、このひとよりも小さくて、だからわたしは、このひとを護ることができない。

 ひどいことを言ってごめんなさい、と、言いたかった。傷を無遠慮に踏み荒らされる憤怒と恐怖をわたしは知っていたはずだった。

 舌の裏まで迫った言葉をつばとともに嚥下する。自己満足的な謝罪は、刺し貫いた剣をただ引き抜くような行いだ。慈悲的に見える振る舞いの一方でただいたずらに出血を促すだけに過ぎない。その傲慢がいかほどのものであるかを知っている。

 兄上がわたしの腕のなかでほそく呼吸する。肺の中にまで空気をいれる。わたしの肩をつかんでいたてのひらから力が抜けた。

「……痛んだか」

「いいえ」

 わたしは目を閉じる。馴染み深い暗闇がまぶたを覆った。

「もう痛くありません」

 痛みには慣れる。喪失には慣れる。今あるものを現実と呼び、現実への適応を否応なく強いられる。ゆえに我々はあの痛みを忘れぬように、その憤怒を忘れぬように、かの絶望を忘れぬように、ときおり、傷口を自らえぐり出した。

 ささやかな誓い。対偶のごとき暗黙の不可侵。わたしが自衛のために打ち立てて、兄上が受け入れたもの。わたしの不用意な発言のせいで、兄上はとうとうかなぐり捨てた。

「……等価交換をしますか」

 我々のいちばんいたいところは、お互いに、等量だけを差し出す約束だ。

 腕の中で兄上が身じろいだから、頭が少しこすれた。やがて彼は小さく「悪い」と言った。

「もう知ってる」

「……あら」

「おまえが言った。どうせ覚えちゃねえだろうが」

 いつの話だろう。わたしはなめらかな髪にそっと頬を寄せて、記憶を振り返る。手繰ったところで手応えはなく、七年遡っても見つからなかったので嘆息した。

「本当に、まるで覚えてません」

「だろうさ。だから……いい」

 ともすれば聞き落としそうなほどにちいさな声だった。この距離であるから、聞き漏らすことはひとつもなかった。

 わたしは腕の中の頭にそのまま頬をくっつけた。兄上の髪の感触と、頭蓋のかたさをたしかめる。このひとの輪郭をたしかめる。頭皮に近いからぬるい体温がうつる。生きている。生きているのだ。それはだって、今まで兄上が生き延びてきたからだ。死に損なってきたからだ。

 ——先生の命を対価として、差し出された業を背負うしかなくて、生き延びるしかなかったからだ。

 どうしたってわたしたち、ろくな結果ももたらさない悪運と、祈りが転じた呪いばかりに生かされている。断罪には未だ至らず、断頭台はもっと先だ。

「まだ死ねませんね」

 わたしはささやいた。

 兄上は頷いた。

 夜は更けていく。星は、まだ、見えない。

 どこにも。

 

   ➤

 

「ああーッそれなし待ってズルです! ずるですよ!!」

「てめえはまさかとは思うが実戦でずるだのなんだの言う気じゃあねえだろうな甘ったれ」

「……ぬしら何をしている?」

「醜態を見られました。割腹するほかありません」

「やってみろオラ」

「足蹴!? 見てくださいこれがあなたがたの総督、妹への配慮がゼロを通り越して常にマイナスを観測」

「なにしてるかっつうと……実際問題不死の技術があって、万一量産体制があるとすりゃ、厄介どころじゃ済まねえからな。で手頃なところにサンドバッグもあることだし」

「兄上今わたしのことサンドバッグって仰いました?」

「打てばよく響く太鼓とでも呼ばれたかったか?」

「ほ、本当にこのひと心底ありえないのですけれど……?」

「……これもしかして、今入ったらお二人に稽古つけてもらえるってことッスか?」

「飛び入りですか? 歓迎しま……ン、待ってください平等にいきましょう。わたしまた子さんと河上さんを取るので兄上は武市さんで」

「不平等条約の権化???」

「しばし待っておれ、真剣を取ってくる」

「先輩ガチじゃん」

「晋助と仕合う機会だぞ? やるなら全身全霊だ」

「マジじゃん。私も拳銃取ってくるッス! 待ってて!」

 

「昨日は悪かったな」

「こちらこそ。……ふむ、これは気を遣われましたか」

「イヤ今はなにも考えてねえよあいつ。おまえら来るまでに散々ぱら転がしたから頭回ってねえ」

「つまりハンデとして押し付けられただけだと。……手始めに我々の絆を見せつけるべく、彼らを叩きのめしましょう」

「ほお? いいねえ軍師殿」

 

   ➤

 

 幹部同士の真剣稽古の勝敗については割愛しましょう。

 波止場ともなれば潮風が強く、髪をさらっていこうとするものだから、わたしは今一度括り直した。

 一橋公が処刑人:死神の名を恣にする池田家を取り込んだ。池田家十八代目当主夜右衛門、彼は先々代の十六代目当主が見逃していた罪人たちの身柄をそっくりそのまま輸送してくるのだとか。

「……我々から二人も出す必要、あります?」

 兄上とわたしの布陣ってまあまあ豪華なんですよ。じつは。

「あの坊ちゃんの世話は任せた」

「あ、わたしになにもかも押し付けるおつもりでいらっしゃる。最低……」

「俺ァ忙しい」

「え? 煙草をたしなむのに?」

 悠々自適に煙管を味わっておいてどこが忙しいのかしら。

 兄上が目を細めると、わたしの鼻先に向かってふーっと煙を吹きかけた。嫌がらせ!

「こほッ、け、煙い……積極的受動喫煙……」

「喜ぶ奴ァいるがお子ちゃまには難しいか」

「それ夜の誘いでしょうが。あなたからいただいてまさか喜ぶと思っているんですかわたしが。ねえ。実妹であるとお忘れになられましたか」

「マおまえに喜ばれたところで俺ァただただ引く」

 いくらなんでもあんまりにも傍若無人すぎない?

 兄上の傲慢な自分勝手さに打ち震えるわたし、一方で当の兄上はわたしでひとしきり遊んで満足したのか(ほ、本当にひどい)袂から封筒を取り出して封を切った。このひと次代の将軍(暫定)の対応をわたしに押し付ける想定しておいて、自分は自分で暇つぶし持ってきてる。

 その宛名書きに記された署名に目を留めて、わたしは目をまたたかせた。

「黒子野……?」

 珍しい苗字だ。取引先やパトロンでは覚えがない。

「十年前の仲間」

 兄上は端的に説明した。

「幻の五人目だのといわれていた」

「え! 四天王の。幻というのは戦略的なお話ですか? もしかして忍者?」

「昔から思っちゃいたがおまえけっこう忍者好きだな」

「夢があります」

「心底ガキ」

 さすがにそろそろ腹に据えかねたので兄上の頭を平手で打ち据える。

 かなり良い音がした。

「ちなみにコイツは特に忍者でもなんでもねえよ。単に死にかけるほど影が薄かっただけだ」

「夢を大破していきますねあなた」

「生きちゃあいるのは知ってたが……」

 わたしがしばいた側頭部をさすりながらも、兄上は便箋に目を通し、ふと沈黙する。片眼がわたしを捉えた。

「……同窓会とやらを企画した覚えは?」

「……なんの? ……村塾ですか? 無茶では? 銀さんと小太郎さん以外の連絡先なぞ存じ上げませんし、お二人を呼び寄せたところで我々うっかり殺し合いが始まりますよ」

「攘夷志士」

「わたし攘夷浪士ではありますが攘夷志士だったことは今生一度たりともございません」

 なにせ置いて行かれましたからね。

 根には持っています。基本口にしないだけで。

「……てめえの報告漏れというわけでもねえな。となるとあいつの独断か」

 兄上がぼやきながら手紙を畳んだ。

「罪滅ぼしのつもりかね。まァ余興程度にはなったか……」

「ひとりで納得なさるの」

「拗ねる女ほど面倒なモンもそうはねえな」

 こちらは世の中の女を敵に回す発言。このひとどうしてモテるんだろう……やはり世の中の九割って顔なのだろうか。だとしても絶対小太郎さんの方がこのひとより幾倍も出来た人間なのに。不条理だ。

「ウワーッホントにヒカリ様だ! 総督だ! ヤッター!」

「思いの外斜め上の大歓迎……お出迎えありがとうございます中田さん、お疲れ様でした」

「やっと解放される!」

「そこまで?」

 いつも解放を喜ばれる側のわたしとしてはたいへん困惑しています。

 船舶運転要員に貸し出していた中田さんが両手を上げて喜びの舞を踊る。フラダンスモドキのごとく波形運動を繰り返す部下をわたしはしばし眺めて(フラダンスとは異なり、だいぶ気持ちの悪い動きである)兄上を見た。

 おまえの管轄だろの目で見返さないでほしい。

「おれヒカリ様とお会いするのマジで久しぶりな気がする」

「一応貸し出してから一週間しか経っておりませんが」

「てかヒカリ様ってなんならぜんぜん横暴じゃなかったのかも。あっ女神に見えてきた」

「眼科を紹介していただきましょうか?」

 貸し出し期間は一週間ほどだったのに、いつの間にやら壊れてしまった。

「あり得ねンすよ一橋カス……」

「あなたねえ一応現在でさえ公家の御曹司に対して……」

「平然と無茶振ってくるし労りもしねえし……ヒカリ様でも労りぐらいあるが……?」

「わたしで(﹅)も(﹅)と仰いましたね今」

「俺そりゃ次期将軍様に比べりゃ立場低いけど、それにしたって一応あいつの部下じゃなく取引先ィ……」

 聞いてないし。

「てか命の危険とか解雇(クビ)ぐらいは覚悟してますけどいくらなんでも出張先で物理的にクビ飛ばされる覚悟はしてねえんだよなァ〜!? 先言っといてくださいよもー!」

「……今なんと仰いました?」

 部下の奇行にも微笑み絶やさず報告を聞く上司の鑑:つまりわたし、なわけですが。ふと聞き咎めた点を問い返せば「ッスーッその……」中田さんは何故かパッタリと両手をおろして視線を上下左右に彷徨わせた。

「イヤ、えーと、実際におれとか仲間のクビが飛んだわけじゃねえですよ」

「そんなことは見ればわかります。それで? 覚悟するような事案が発生しましたか」

「……事案ってかその……初っ端うっかりお茶こぼしちゃった茶汲みの子をお付きにざぱーっと斬らせて〝粗相を冒せば君たちもこのようになると思えよ〟って言われた程度なんですけど……」

 我関せずと煙管を咥えていた兄上が目を細めた。

「ヒカリ」

「わたしも初耳です。むしろわたしと致しましてはあなたにお伺いしたいところですけれども」

「許可出したわきゃねえだろ俺をなんだと思ってやがる」

「念のための確認にございます。佐々木さんを詰めるべきかしら」

「三天が見誤ったか、一橋が気に入りの部下の前じゃ大人しくしてたか、それともまさか悪名高い鬼兵隊(俺たち)にまでまんまの態度とは思わなかったか……」

「後者二つのドッキングな気はいたしますね」

「……あの、いちおー、マジで傷とかないですからね?」

 わたしたち兄妹の温度のないやり取りに、おそるおそるといった様子で中田さんが口を挟んだ。

「初っ端それで身が引き締まったこともあって、おれら仕事はちゃんとやったんで。粗相なし、お咎めなしですよ」

「それはただの大前提です」

「そりゃ~公家の御方となればこう、おれ江戸出身なだけで町民が刀持った程度のモンで、もとより士族ですらないわけで」

「だからなんですか。たといあなたがたが粗相をしたとしてもそれを処罰するのは我々の領分、一橋公といえども頭を飛び越えてくる道理はございません」

「……。もしかして、マジおこです?」

 一橋公の言動は当然論外なのだけど、わたしの部下ってここまで馬鹿だったかしら。

「怒らない方がどうかしています。まさか笑って流すとでも? であればあなたもあなたで、少々認識を改めるべきでしょう」

 水を差し向けると中田さんはいよいよ肩をすくませた。

「鬼兵隊に所属する以上は鬼兵隊としての自覚をお忘れなきよう。命令に従うことは無論ですけれども、しかし鬼兵隊隊員が蔑ろにされるとはそれそのものが我々への侮辱に等しいことを努々心得なさい」

 強めに叱ると「……っす……」「腹から声出す」「ハイ!」中田さんがヤケクソに返答した。

「伊東の方がだいぶんましだったな」

「名門出身という事実を差し引いても士族の叩き上げと華族の生まれ育ちは比べるものでもございません。部下を軽々手打ちにしないからましとは、いくら死人に口無くとも伊東さんに失礼かと」

「一理ある」

 兄上が嘆息した。

 将のなんたるかは公家で教え込まないのかしら。天導衆が徳川方と手を結び、彼らが統べる世の中で天下を取れるはずもないと、帝王学を早々に放棄された可能性もある。

 ……ところで一橋家の実質的教育ネグレクトをどうして我々がフォローすることになっているのです?

「……鬼兵隊っていい職場すね」

「さすがに思考回路がどうにかいたしましたか?」

「前々から妙な野郎だとは思っちゃいたがとうとう頭湧いたな」

「さっそく前言撤回しよっカナ……」

 くだらないやり取りは置いといて。

 中田さんの案内のもと船内に足を運ぶと、一橋公はそこにいた。お付の方々がずらりと並び、なんとも威圧的だ。人好きのする微笑みをたたえた青年が、我々を眺めてすこしだけ目を開き、会釈をしてみせた。今代の池田夜右衛門。

「久しぶりだね」

 どうやら以前よりも社交性は身についたらしい。それとも単に利用価値を見出して態度が緩和したのか。一橋公は気さくに仰った。「お久しぶりです、一橋公」とわたしが進み出ると鷹揚に頷いてみせる。

「少し小さい船だが我慢してくれよ」

 ちなみに華族にとっては小さめに値されるかもしれないが、わりとしっかり充分大きい。

「まァ処刑人の持ち物が豪勢ですと、ただでさえも恨みを買うもので」

 船の持ち主:つまり今しがた雑に謗られた池田殿が肩をすくめた。

「もとより、死体に豪勢な棺桶は不要さ。このぐらいがちょうどいい」

 驚くべきことに、これでも本当に前よりは社交性が身についているのですよね……。

「池田殿は、お初にお目にかかりますね。ヒカリと申します」

「ご明察。かの名高い攘夷浪士、噂の鬼兵隊とお会いできるとは。人生とはじつに奇なるものだ」

 あちらから名乗り返す素振りはない。攘夷浪士呼び。微笑を浮かべたままに、しかし細められた瞳が油断なく我々を見比べた。言葉とは裏腹にあまり好かれてはいない。後ろ手に刀でも持つつもりかしら。

 ……どうしよう、兄上が〝思っていたより面白いやつかも……〟の顔をし始めた。気まぐれを発揮されると大変困ってしまう。どうか大人しくしていてちょうだい。

「我が部下についても、手厚く扱っていただいたようで。働きぶりはいかがでしたか」

「気は利かないけれど、運転の腕はまずまずなんじゃないか。ほとんど揺れない飛行機というものを久々に体験したよ」

 わたし中田さんに関しては、あくまでも船舶の運転士として貸し出したはずなのだけどな……。おかしいな……。パワハラ通り越した脅迫の他、掘ったら別の労働科されている気配がしますね……。

「それはようございました」

 心中の言葉はまるっと丸めてわたしはにこやかに申し上げる。

「その他ご要望等ありましたら、どうぞわたくしにお伝えください。公のお眼鏡にかなう者を見繕いましょう」

 適切な者を寄越すのであなたの裁量で無茶振りしないでくださいね。

「もしも粗相を仕出かしたらばこれまたどうぞ遠慮なく仰ってくださいな。部下のしつけなぞ、公の手を煩わせるほどではございませんもの」

 ですので、頭飛び越えて折檻どころか首を刎ねるなぞあなたの勝手でなさらないでいただきたい。

「また声をかけよう」

 首肯した一橋公の後ろでは、池田家当主の眼差しに若干同情が滲んだ。丸めた内容全部が貫通しているようだ。まあ実際、ろくに丸められていない自覚はあります。面に出しやしませんが、しかしわたし怒ってますよ。わりと。

「ところで此度、珍しい死体が上がったと聞いたが。いい加減教えちゃあくれねえのかい」

 兄上が尋ねれば「まさにそれだとも」一橋公が我が意を得たりと笑みを浮かべる。

「どうやら先々代の池田夜右衛門は本当にあまりに多くの罪人を逃していたようでね。時期も時期だ、中にはずいぶんな大物がいた——」

「もったいぶるね」

「それだけの名前さ。もっとも、君たちにはむしろ馴染み深いかもしれない」

 彼はまるで、珍しい蝶を見せびらかす子供のように言う。

「白夜叉だよ」

 ……まァたあのひとってば、わたしたちがなにもちょっかい出してない間にも、勝手にろくでもないことに巻き込まれてますよ……。

「これは大層なお名前が出てきましたね」

 そろそろ呆れ一色の心中を包み隠して、わたしは口元に手を当てる。

「捕らえるにもさぞ苦労なさったことでしょう」

「不甲斐ないことに……私の手の者も、なかなか尻尾を捉えきれていなかったのですが」

 池田殿はまるで困ったように頭を掻いてみせた。

「マしかし悪運も死神の前には尽きるもの。かの大罪人、戦場で象徴のごとく刀を振るい、しかし終戦にはあっさりと尻尾を巻いて姿を消した敗残兵。かの鬼の首桶をどうぞご覧に入れましょう」

 処刑人一族当主は死体を詰めた船を先導してくると言って立ち去った。

「……ヒカリ様ってバチギレがああやって出力されるんすね」

「どういう評価?」

「たぶん褒めてます」

 仰る御本人が〝たぶん〟って何。

「銀時の首ねえ」

 一方で兄上は、池田殿に対してちょっとだけ示した興味もすっかり失せてしまっていた。

「今度はなにかしら。というかあのひと、処刑されかかっていたのですか」

 これは〝先生〟の処刑の件の他にも、という言外の意図を含めている。でなければ取引相手の兄上はまだしも、小太郎さんの名前も同じく並んでいたはずだ。

「どうせどこぞで首突っ込んだんだろ」

 兄上が突き離した。

「法螺ならましだがね。下手に本人捕まえてんならそれこそ面倒だ。坊っちゃんと腹黒野郎の盾ンなってあいつとやり合うなんざ俺ァごめんだぜ」

「わたしもいやですけど?」

 護るものがあればあるだけ強い人と一緒にしないでいただきたい。こちとら破壊を生業としているのです。

「白夜叉、生きてる前提ですかー?」

「殺せるもんならやってみろとは思ってる」

「そりゃそう……」

 兄上の即答に、中田さんはしわしわのお顔で同意する。「それこそ、可能性だけは存在しておりますけれどねえ」わたしはぼやく。もしかしたら今から隕石が降ってきて地球が壊滅する可能性だって、当然、常にあるわけだ。

「お手並み拝見と参りましょう」

 果たして。

 

「——〝ただの首〟なんてどうだい」

 

 斬ッ、と。

 首が宙を舞う。

 盛大な水音とともに沈んだ頭部にわたしは一瞥をやった。先ほど出会ったばかりの微笑みは、半端に崩れて貼り付いている。処刑人一族現当主・既に元:池田夜右衛門はこのように死を迎えた。

「……中田さん、露骨な顔しない」

「どんな顔っすか」

「〝やっちゃったー〟の顔」

「……表情筋コントロールってそもそも無茶じゃね……?」

 頬をもみほぐす中田さんを背後に押し込んで、わたしは兄上の横まで進み出た。つまらなそうに煙管をもてあそび、その独眼が船の中を見渡した。

「……いたのは事実らしいな」

「そうですね」

 船に残る殴打痕——太刀筋に似ている——をわたしも眺める。相変わらずの馬鹿力だ。

「そう恐い顔をしないでくれよ」

 処刑人を気取った一橋公が振り返る。揶揄うように彼は言った。

「君の獲物を横取りするつもりはなかった」

「……フン、あんたじゃ取れねえよ」

 兄上が一歩前に出る。わたしに任せると言ってこそいたけれど、話題が話題だからか、それとも先の件のためか、我が総督殿の気も変わった様子だ。

 わたしは肩をすくめて幕吏の間をすり抜け、船を飛び移り、開いた扉から中身を眺めた。

 真選組がいくらか叩き落としたものの、いまだ数多に並ぶ死体の入った樽。樽ひとつにつき死体がひとつ、場合によってはふたつみっつ。なるほど壮観ですね。先々代たる十六代目池田夜右衛門は余程の数の罪人を逃したのだろう。

 さて。

 ……ところで死体処理に公家およびお付の方々が触れるとも思えないのですけれど。

 この死体片付けるのってもしかしてわたしたちに回ってきますか?

「……なにしてんすか」

「おそらきれいだなーって」

「ヒカリ様?」

「見てくださいあれが北斗七星。海の上って星々がよく見えるんですねえ」

「あっコレ現実逃避だ。すっげー遠い目だ」

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