前略:
江戸時代Tips・死体は意外と売れる。
➤
死体がひとつ、死体がふたつ、死体がみっつ……皿屋敷はもはや天丼なので割愛する。
「ただいま帰りましたー」
「おかえりなさい。そして異様な収入が入りましたがなにをなさいましたか、ヒカリ殿」
全体なんとか捌き切って帰還すると、武市さんに真顔で尋ねられた。
「一橋公にそこそこの数の死体処理のご依頼をいただいたもので……状態の良いものを腑分けや検体に回してものによっては試し斬りに回して最終的には漢方に使えると謳い文句で売り切りました」
このご時世でもいまだに、ヒトの頭蓋骨や脳みそから梅毒の薬が作れると巷で噂なわけである。真偽の程は……個々人の裁量の範囲でご自由に。わたしはまずおすすめしませんがね、といったところかしら。
「ご苦労様です。つまり無茶したわけではない、と……」
「信用なさすぎません……?」
「晋助殿がいらっしゃったなら問題ないとは思いましたが、一応」
「わたしへの信用が本当になさすぎません……?」
日頃の行いですか?
そうですか。
「ちなみに、けっきょく白夜叉の死体というのは」
「でたらめでこそありませんでしたが、マ、お察しかと。あのひとたち兄上をご機嫌斜めにさせておいて責任取らないんですから」
「俺がなんだって」
「素敵なお兄様には及ぶべくもなくというお話ですとも。痛い痛い痛い頬頬頬ちぎれます! 兄上!」
気配を消して盗み聞きとかよくないと思うのですよね!
「まったく懲りないようで……」
ちょっと呆れ気味につぶやいた武市さんに「おまえもおまえで」兄上はわたしの頬から指を離して(わたしはすぐさま、バックステップで兄上の指が届かないところまで逃げた)小首をかしげた。
「同窓会だなんて面白そうなモン企画してたようじゃあねえか。ところで俺ァ呼ばれた覚えがねえが、また子のことは巻き込んだわりにな?」
人って心底から焦ったときには、本当に絵に描いたようにもざあっと青褪めるらしい。一気に血の気が失せた唇を震わせて武市さんは声を絞り出した。
「——べ、弁明を」
「いいぜ? 存分にどうぞ?」
「お戯れも程々に……」
わたしはそっと言い置いて、抜き足差し足で彼らを置いて行った。
武市さんは犠牲になりました。犠牲の犠牲にね。
「し、晋助様怒ってますかね……」
廊下の角を覗けば、おなごにしては高い背丈を必死に畳むようにして、また子さんは隠れて震えていた。出迎えてくださろうとしたのだと思う。その前に武市さんが詰められ始めたので出るに出られなくなっただけで。
わたしは武市さんを締め上げている兄上を振り返って、また子さんに視線を戻す。
「怒っているというよりは……遊んでますねえ、あれは」
「逆にヤバいやつじゃん!!!」
「がんばって〜」
「ヒカリ様お願いします取り成してください!!!」
半泣きのまた子さんに両手を握られて、身体ごと揺さぶられる。ぐわんぐわんと視界が揺れた。力つよぉい。
「わたしがどうにか取り成せるなら、そもそもわたし本人が普段からあのひとに散々怒られてないんですよ」
「それはそう……」
言い出したのはたしかにわたしだけれども、しっかり納得されちゃうんだ……。
「そもそも武市さんもですけれど、どうして怒られていらっしゃるの? 叱られるようなことあんまりなさらないでしょ」
年賀状の件だとかはバッチリ叱られていたけれども。鬼兵隊やらかし選手権でも開催された場合、不本意ながらもたぶんわたしは相変わらず優勝取れる。本当に不本意です。八割方元凶は確実にわたしじゃないでしょ。
「兄上は独断だの余興だのと仰ってこそいたけれど、同窓会という単語だけではさっぱり予想できませんね」
「……ヒカリ様も怒るかも……」
「あらあら。わたし普段、そんなに沸点低いように見えました?」
わたしの両手を握ったまま、また子さんは視線を上下左右に彷徨わせた。
それからごくごくちいさな声で仰った。
「……し、白夜叉と桂と坂本をまとめて殺そうとしました……」
それは。
それはウーン。
「……おとなしく叱られましょうね」
「ほらぁ!」
「わたしは、怒るというよりは呆れています……」
単体でも屠れるかあやしいひとたちを何故三人まとめて処せると思ってしまったのでしょうか。そして計画を立てるにしても何故兄上に事前に話を通さなかったのかしら。まァ兄上に通したならば絶対、企画段階でポシャったでしょうけれども——これは我々の因縁だのなんだの抜きにして、そもそも実現可能性的な問題がまず立ちはだかるためである。幹部も複数名対応で手数連れて行っただけ、岡田さんよりは計画性があるといえるだろうか。
わたしは嘆息して「ほら、お行儀が悪いのだから床に座り込まないの。せっかくのお着物も汚れてしまいますよ」「やだやだバレるバレるバレるッス……!」「ご安心ください、もうバレてます。まだ武市さんを詰めてるから来てないだけで」「ご安心の真反対なんスけど!?」握られたままの両手をぐっと引っ張って、また子さんを立ち上がらせた。
「ちょうどいい。ヒカリ、そのまま捕獲しとけ」
「ハァイ承りました」
「ア゙ーッ(絶望)」
「今の声っていったいどこからお出しなさったの……?」
人体で発話可能なギリギリを攻める音でした。
鬼兵隊本艦の機関部では、およそ
「……アレなんすか? 細かすぎて伝わらねえ物真似かなにか?」
「違いますね」
「お二人揃って晒し刑罰受けてるみてェな顔してますけど。幹部の顔じゃないんですけど」
「そちらは、おおむね合っていますね。ある程度で切り上げるように兄上に進言しておきましょうか……」
訝る中田さんのご指摘通りだ。罰にしたって幹部の威厳というものがだいたいない。もうちょっとなんとかなりませんでしたか。
苦言を呈すると兄上はわたしをジッと見て、言った。
「普段のおまえよりは威厳はあるだろッテェな」
「しばきますよ」
「しばいたあとだろうがテメエ……」
➤
「と、いうかんじですかねえ最近のやらかしおよび後始末ですと。ご要望には応えられましたか」
『アッハッハッハッハ!!!』
椅子まで蹴倒して、画面越しに転がって震えている神威さんを眺める。大爆笑である。この間の兄上と張るかもしれない。
「提督は本日もお変わりなく、お元気そうでなによりです」
まさかアイスブレイクがてらの近況共有でここまで爆笑されるとは思っていなかった。
無難な感想を申し上げると、副提督はなにもかも諦めた表情で言った。
『次団長がやらかしたらあんたらに倣って正座させるか……』
「あら良うございますね。できます?」
『……』
『第七師団全員でかかれば場合によっちゃ可能性はある。誰もやらねえだけで』
黙り込んで遠くを見つめてしまった阿伏兎さんの代わりに云業さんが仰った。
『そもそも師団全員でかかったところでろくに共闘にもならねえだけで』
「夜兎でいらっしゃいますものねえ……」
『ハー笑った笑った。地球のコントっていいねー』
「コントではございませんがねえ……」
『でなに? 云業は第七師団全員にかかられんの?』
爆笑から復活なさった提督殿は云業さんに軽やかに返して、ひっくり返した椅子を片手で——ゴドン!——置き直した。なんだか今ありえない轟音が響いた気がする。
『俺じゃねえよ……』
『今の団長はオマエってこと忘れてるだろ』
『指揮系統こそそうなってっけど誰も俺のこと団長とは呼ばねえよ……せいぜいが隊長だよ……』
たしかに、第七師団団長は代替わりを果たしたはずではある。右腕たる阿伏兎さんですら慣れ親しんだ呼び名に釣られているので、他の皆様はもはやお察しではあろう。
『物覚えが悪いんだよなあいつら。まァ命令聞かないだのがなくて立場自体を忘れてないなら俺が言うことないけど』
『アンタが言うかよ』
『だから俺は責任と立場を押し付けられたんだ』
軽やかな口調とともに神威さんは椅子に跳ねるように座り直した。重厚な造りのチェアはドガンとやはり仕草に不似合いなくらいに大きな音を立てた。
『跳ねっ返りはけっこうだけど、組織に所属するなら相応の態度があるもんだ。なんでもかんでも仰せの通りと従うのは阿呆にも悖るけれど、好き勝手に暴れたいだけの馬鹿もそれはそれで、組織に所属させる意味もない』
神威さんは相変わらず、団長業も提督業も、高い椅子に座っていることさえなんとも居心地悪そうだ。阿伏兎さんがよく嘆いていて、今回の通信会議も〝椅子に座ってるだけなんてありえない〟との難癖をなんとか説き伏せて実現したものである。一応有事でも通じるかどうかをテストしたいのもありましてね。まず大前提、提督殿から飛ばせなくっちゃいけなくってね、つまりあなたのことなんですけれども神威さん。
『実力で黙らせることもできない雑魚が野放しになってる場合は俺もひとつふたつ口に手も出す必要があるってだけ』
上の立場には心底向かない、一方で——彼はときたま、立場相応にらしいことも仰る。たとえばこのように。
少なくとも鳳仙殿は、神威さんをただ己が弟子というだけで、もしくはかつて競った好敵手の息子だからというだけで、団長の座を明け渡しただけではない。いくら武を尊ぶ夜兎であるからといっても、むしろだからこそ、頭を張るにあたってはどうしても力一辺倒ではつとまらない。戦略も戦術も戦場の構成要素である。提督相手に春雨ほぼ全体で謀反を引き起こすに至るだけの所以はある。
『……自覚あンだからその調子で普段からまともに事務捌いてくれても良いんだけどなあ』
『俺難しいことよくわかんなーい』
『アンタがコナンくんは、ない』
『とりあえず全員殺しちゃえばよくなーい?』
『も〜神威くんったら〜』
野太い声帯をせいいっぱい高く絞って阿伏兎さんはそらっとぼけた。物真似の精度がだいぶ低いので、空手が得意というよりは四次元ポケットから便利道具を取り出しそうな雰囲気である。
そしてたしかに神威さんは、小さな名探偵というよりは、ただの犯人だ。さまざまな意味で。
「まァ夜兎コントは置くとして……」
『コントではねえよ』
「面白旅芸人の皆様による演目はいったん脇に置くとして……」
『ヒカリって本当に心底蛮勇だよね。今回は画面越しだからとか一瞬思わなくもないけどオマエ直接でも遠慮なく言うよね』
「信頼というものです。置くとして」
『いや命知らずなだけだろ』
『それだ』
すべての範囲であなたがたに言われたくなどございませんがそれらもすべて置くとして。
置かせて? 話が進まないの。
「通信状態は良好という解釈でよろしいでしょうか」
『とりあえず大してラグがあるようには見えないね。けっきょくなんなのこれ』
「説明文書を送ったような気がいたしますが」
『え……知らない……俺吉原の件以後、アンタらからの資料ってわかったら一回は確実に読んでる……ちゃんと中身あるみたいだし……』
「そんなまるで鬼兵隊以外から送られてくる資料は中身がないみたいに」
『ないよ』
真顔だった。
真顔で言われても。
『たぶんその大半中身ねえ馬鹿の量の書類のどっかに埋まってる』
『バカ提督だけに』
『バカの自我を持つな。なんも上手かねえよ』
「時間が空いたら探し出してください。そしてわたしからだけでなく他の書類も目を通して片付けてください。むしろあなたがたよく定刻通りにディスプレイ前に集まれましたね」
『俺でさえまともにやってるんだけどぜんぜん追っつかない。最近暴れられてない。そろそろストレスで艦ごと壊しそう』
『頼むから壊すな。死ねるならまだしも最悪書類がまた増える』
「最悪の基準がおかしくありません? ……そんなにひどいの?」
『ひどいよー……だから壊すに壊せないんだー……』
道理で宇宙海賊春雨にしては最近やけに動向が大人しかったわけで。事務処理に追われて身動き取れなかったんですね。
ところで、わたしは訝しく思う気持ちから項垂れる夜兎三人を順繰りに見た。
「経理と物資契約に関しては、わたしがそちらに滞在していた際に艦修繕の傍らで結構処理したはずですけれども」
明らかに別事までまるごとまとめて押し付けられましたからね。
『それがさあ聞いてよちょっと前にようやく全部終わると思ったらさあ、
「あら……ええ……?」
『俺哀れみは嫌いだけどそろそろふつうに哀れまれていいんじゃないかと思い始めてる』
『団長にしては本ッ当に真面目にやってたしな……』
純粋にかわいそう……。
『ア! 山ごとそっち送りつけたら処理して分別して必要なのだけ送り返してくれたりする?』
「嫌ですが?」
同情が亜音速で吹っ飛んだ。ひらめいた! の顔をされても困りますよねわたしがね。
『不可能とか無理とか言わなかったあたりやろうと思えばできそうだな』
『いいねえ云業団長の自覚が出てきたんじゃないの、その調子で言葉尻を捉えていこう。報酬は出すよ。印とか必要ならなんならあげるよ』
「いりませんしまいなさい。できるかできないは論点ではありません。イ・ヤ・で・す・し・ま・せ・ん」
わたしはきっぱりと拒絶した。本気ならば最終的には兄上にお伺いを立てる必要があり、かわいそうとは思うけれどわたしにとてわたしの仕事がある。
「そもそもわたし、あなたがたの事務処理は先だっての反乱の後始末で心底、ええ、それこそ心の底から懲りましたの」
『オジサンからも頼むよ~報酬弾むからよォ~貧乏海賊の報酬弾むとかたかが知れてんのは置いといても』
「ふふふ戯言さておき」
『コイツ三十路本気の懇願を戯言で括りやがった』
「本気の懇願にはまるで聞こえませんでしたけれども、本当にいい加減話を戻しますね」
構っているといよいよ本気で押し付けられてしまう。わたしは何度かパネルをタップしてホログラムディスプレイを展開した。『オア』と云業さんの驚いた声、つまりあちら側にもきちんと資料が展開されたはずである。
「諸々の仔細は今お手元に展開されたであろう資料をご覧いただくとして、要約いたしましょう。我々と春雨の間柄もいよいよ親密になってきたということで——いちいちあなたがたの船と地球行き来するのさすがに双方手間ではございませんか、という話が鬼兵隊内部で上がったのがまずひとつ」
『……エもしかしてこれからは、地球に行くからって名目でサボれない!?』
『団長。団長オイ』
『冗談だよ』
冗談にしてはずいぶんと真に迫っていらっしゃいましたね。
山と化した書類があるならば逃げ出したくなってもおかしくはありませんね。
「おさらいになりますが、我々とあなたがたでわざわざ人員派遣して物理書簡だの今時とは到底思えないほどアナログ形式で行なっていたのは、単に傍受の危険があったためです」
『マ今時の悪党が天導衆の目をかいくぐるんなら、そりゃ天導衆管理:監視下のインターネットなんぞからの回避策をひたすら練るか、天導衆に袖の下通すかの二択だからな』
「その通り」
やっぱり検閲・監視・管理にもっともだいじなのって、流通のインフラを掌握することだ。遥か昔の秦では焚書が行われ、我が国とて長いこと鎖国によってある種の情報統制がなされており、統治者にとって重要なことは民衆が無知であること——でもなく、すなわち程々に偏った知を振りまいて〝自らの判断によって現状に満足している〟と誤認させることにある。不穏な芽を見つけたらば摘み取る体制を整えて、そこまで仕上がったらば否はない。
悪党は袖の下を通してお目溢しを貰い、程々に侮らせて要求を通す一方で、お目溢しが貰えない箇所はどうにかやりくりする他ない。
「短距離ならば従来の無線通信だけでも事が済みますが、星をも超えるとなるとそうは行きません。実際に我々とあなたがたは前者のうちでももっともシンプルな方法、すなわち物理こそ至高という思想のもとに主だったやり取りを続けてきました……しかし、いい加減作りましょうとなった成果がこちら」
『……あ? まさかアンタが作った?』
「違います。我々のエンジニア班です」
『エンジニア班いたんだ』
『ビビった……さすがにそこまで万能じゃねえか……』
云業さんはわたしをなんだと思っていらっしゃるの。こんなにもそこらの道端歩いていそうなごくごくありふれた女を捕まえて仰る言葉じゃあございませんよ。
エンジニア班は現在、紅桜計画に登用されていてなお生き残ったメンバーが五割を占めている。紅桜計画は本来量産化と一般化に向けてより研究を続ける予定があったので、つまり半分くらいちょっと暇ということでもある。さすがに常に泳がせていたわけでもないけれど、空いているならそりゃあ投入する。
『俺たちにもお披露目ってこたァ、とっくに検証は終わって最終導入の段階か』
阿伏兎さんが頭を掻く。
「そもそも前回河上さんが訪れたのは、春雨側の艦に諸々設定するためのエンジニア班引率ですよ。こちらはその点含めて事前説明は行なった認識でした、が……あなたがた本当になにしていらっしゃったの」
『アレそれだったのか……』
「もしかしなくてもたった今認識なさったの?」
『アンタら、俺の権限で基本フリーパスだからもう全員なんにも気にしてない。いるなーと思ったのは覚えてる』
「こちらはやりやすくてなによりですが、信頼というよりはただの億劫でしょう、それ」
いるなーってもはや昆虫と同等の扱いなのですよ。益虫だからほっとくかーのノリとほぼ同じテンションなんですよ。
「艦のメンテナンスはどうなさっていらっしゃるんですか。というか本当によくもまあ本日定刻にディスプレイ前にお集まりになられましたね」
『メンテナンス人員はこないだの抗争で第八ごと死んだから今外注しようとしてて、ただ誰も受けてくれてない。俺たち海賊に加えて所属組織上層部にクーデター起こしたやつらの集まりだから信用できないってさ』
さすがにコメントを差し控えさせていただくことにした。なまじ事実なので断られるのは道理が過ぎる。
『集まれたのはサングラスが言ってたのかろうじて覚えてたから……あ、サングラスの曲は聴かせてもらったよ。本当に変な曲で案外面白かったからCD貸してもらった。全部聴いたから今度感想教えるって伝えといて』
「……ハイ、伝言お預かりいたしました。仲良くなられたようでなによりです」
わたしはなにもかも諦めた心地で申し上げた。仲良くなられたようでなによりですが会話の優先順位が致命的です。わざと説明しなかったのか説明したのに聞いてなかったのか世間話を続けたせいでうっかり説明する時間まで取れなかったか、いったいどれでしょうね。
「システム保全についてはご要望ありましたらうちから人員を見繕ってそちらに派遣します」
『ヤッター頼むよもうそっちで細かいトコまで全部決めていいから丸投げしていい? これで一個片付く目処が立った……』
「神威さんもしかして本当に弱っていらっしゃる?」
『まず
ここまでノンブレスだった。今の神威さんは普段の銀さんくらいに瞳に光がない。おおよそ死んだ魚の目である。
さっきの爆笑、単に疲労で笑いの閾値が著しく下がっていただけなのかもしれませんね。
「……わたし本人が手が空くとは限りませんが、なにか対応案を考えておきますね」
『オマエってホンット年下に甘いなー!』
「今すぐ前言撤回してもわたしはまるで構いませんのよ」
『やめてゆるしておねがい』
『おれからもたのむ』
「わかりました、承りました、十代ふたりに懇願されて頭を下げられるのあまりに居心地が悪い……」
年下パワーでわたしを頷かせるお二人の傍ら、ただひとりの三十代:阿伏兎さんがホログラムパネルを展開した。『はーんファイル転送は相互間……こうか』「届きましたけれど、なんですかこの写真。第七師団のどなたかのお子さんかしら?」『適当なダミーデータがなかったから団長のガキの頃の写真送った』『ハ?』「なるほど。面影はありますね」『何? 送ったにしても何の写真?』『接続情報はどっから見ンだコレ』『阿伏兎ちょっと』『逃げていいか俺……』「既存システムに乗っているのでそちらから見られるかと。具体的にはwin+R、ncpa.cpl」『オイもしかしてWi-Fi扱いなのかコレ』「どちらかといえば長距離間ネットワーク共有ですね〜ログ見たいならタスクバーのアイコン右クリックいただいて……」『それはもうやってる』「さすがに手取り足取り過ぎましたか」『おい、オイ聞けよ人が弱ってる隙につけ込んで』ざかざか仕様を把握していく。
この間、神威さんは阿伏兎さんの胸ぐらを締め上げ、云業さんは既にだいぶん距離を取っていた。阿伏兎さんはすべてに動じることなく、ホログラムパネルとディスプレイの展開位置を変更して操作を続けていた。
振り回されるたびに対応を諦めて自分が工夫し続けた集大成なのだろうけれど、ここまで来るともはや猛獣使いの風格がある。
『ああハイハイこういう実装ね……俺ァ門外漢だが、なかなか無理くり乗せてンな。ウチの本艦にビーコンつけて地球までの距離逆算してワームホール含めた最短経路算出してんのか?』
「充分お詳しいようにお見受けしますよ」
『俺が把握しなけりゃ誰も把握しなくて十二艦隊丸ごと宇宙放浪しかねねえのよ』
それはたしかに。
『それでどうして俺は突然ガキの頃のプライバシー暴露されてんの? 云業でいいだろやるにしても』
『巻き込むな……!』
『鳳仙が最悪はこれで黙らせろって置いてったシリーズだから俺も云業のは特に持ってねえ』
『初耳だけど!? シリーズってことはまさか複数あんのかあンのヤリチン本命童貞クソジジイ!』
『アンタはカチキレてるときどうせ聞かねえから無意味だな……と思って俺も今の今まで忘れてたんだよ。いやァ使い道あったな』
『ハ!?』
やっぱりこのひとたちって旅芸人集団なのかもしれない。神威さんが振り回されている光景に、物珍しい気分を抱えて眺める。
トップふたりがわあわあぎゃいぎゃいと半ば乱闘にもつれ込んだところで、半分諦めた顔つきの云業さんがカメラ前にひとり戻ってきた。神威さんや阿伏兎さんと関わる機会は第七師団の中でも抜きん出て多いのだろう。顔を合わせるたび、回避力の精度が明らかに向上している。
『どうすんだアレ』
「そう仰られましても、わたしが原因ではありませんし……夜兎の喧嘩にしかも遠隔でわたしができることなぞなにもありませんよ」
事実なのでそんな顔をされても困ります。わたし一応逃げ道示したのに、塞いだのは阿伏兎さんの方ですよ。
「しかし副提督殿も不器用でいらっしゃいますねえ。ガス抜きにも、他にやりようはあったでしょうに」
感想を述べたわたしに『……あァそういう理由なのか』云業さんはようやく得心がいった様子で頷いた。
『突然火種ブチ込むあたり阿伏兎も忙殺で気が狂ったのかと』
「本当に大丈夫なんですかあなたがた」
『俺たちもプライドがあるんで対外的に取り繕える程度ではある。あるが助けが降りてくるならほしい。ンでアバラ折ってもなお鳳仙相手に大暴走した暴れ馬相手に取り繕うプライドは存在しねえ』
「いったいいつまで引き合いに出されるのかしら」
『一生』
「御冗談を……」
云業さんもパネルに触れてぺたぺたと操作し「操作ヘルプはハテナアイコンをタップしていただいて」『これか。……へえ、ああ、なるほど……』「飲み込みが早いですねえうちに来ません?」『行かねえ。アンタこそソレいつまで言う気だ』「頷いてくださるまで一生かしら……」わたしも口出ししてマニュアル操作を一通り体験させつつ、益体もないやり取りを交わす。
『阿伏兎の言い方じゃ、だいぶ無理して乗せたみたいな言い方だったが』
「うちのエンジニア班は優秀ですので、無理というほど無理でもないのですが。ただご指摘はそう的外れでもなく、計画を急いだのは事実です」
『こんなん乗せるってことは……あんたらの言う〝祭り〟ってのは、もうすぐなのか』
慎重な問いかけであった。
わたしは微笑んだ。
「そうですね——目処は立ちました。近いうちに、あなたがたにも正式にご助力を願うでしょう」
云業さんはどこか、見極めるような顔つきでわたしを見つめる。
それから彼は短く言った。
『なら本当に助けはよこしてくれ』
「ウン……承りましたとも……わたしの裁量の範囲でできることはいたしましょう……」
放置しているとけっきょく鬼兵隊にも余波が来そうだし……。
➤
「……ンな溜まるような事務仕事、海賊にあるか?」
これは春雨からの要請を伝達された兄上、の開口一番の疑問。
「それはわたしも思いました」
もっとも、攘夷浪士の一群、つまりテロリスト集団たる鬼兵隊が言えたことでもないのだけど。
ただ我々は武市さんという心強い味方がいらっしゃるので、あと兄上御本人が軍を率いた経験から組織としての骨組みの強さの重要性をしっかり実感していらっしゃったので、わりと組織としてもまとまった体裁が実現していた。要するにその余波で経理から総務からなにから必要な事務処理はいくらでも湧いてくるので永遠に終わらないのだった。なにかがおかしいですね。
さすがに春雨との同盟締結直後のように無茶振りわんさかということもないので、量も質も安定している。しているけれどルーチンワーク的に処理し続ける必要はある。置いていかれないためには走り続ける必要があるのでした——赤の女王でもあるまいに。
「体制の変動で新たな問題でも発生したのかしらね」
「だとすりゃ、アホ提督の時代に特に何事もなかったのが不可解だ」
「ンーたしかに……?」
懐かしき我らが盟友、利害の一致による元オトモダチ、裏のかき合いに見事敗北なさったポンコツ提督殿。自らの欲望にじつに素直に二兎を追ったものだから、一兎も得られないどころか当の兎二羽(夜兎集団も鬼兵隊も、兎と呼ぶには獣が過ぎるけれど)に噛みつかれた愚か者。
煙管をたしなみながら、兄上はすこし考えを巡らせている。
「対処法を確立していたか、隠蔽でもしていたか……あの小悪党がそこまで頭回るとも思えねえがな」
「まァ実際発生している問題ですから致し方ありません。戦闘員ばかりではなにかと不都合というのも事実でしょう」
「……そうさなァ」
片目が艦内を無意味に巡る。翠のひとみがゆっくりとまたたいた。
「てめえの手元にゃなにが残ってたかな。積んでるものはまだあるか?」
「しばしお待ちを」
わたしは指折り数えた。
「死体処理は終わりましたね。春雨との通信ライン成立にはいったん片が付きましたでしょう。というわけで春雨との行き来の機会は早々巡ってこないと見てよろしい。喫緊の接待なぞもないとして。通常業務の他は、命が降ってくれば一橋公とお話するくらい……となればイレギュラーなタスクはないといえ、る、かも、」
ア、なんだかひしひしと嫌な予感がしますね。
具体的にはわたしにとっても不利な方向に話が傾いている気がしますね。
「……手空きではないことにしても?」
「任せた」
「嗚呼無情……」
がっくりと項垂れたわたしに「自分で持ってきた案件だろ」兄上は素気なく言った。
「手に余るようなら適当に手空きの人員見つけて振り分けていい。俺が許可する」
「水戸黄門の印籠ありがとうございます、ただ隊全員のスケジュールと事務処理能力をわたしが把握している前提で仰ってますね……?」
「してるだろ」
「してますけどぉ……」
「スケジュールと事務処理能力以外も把握してるだろ」
「ンまあ刀の練度と既往症と資格スキルと人間関係の相性程度は把握してますけどそういう問題ではなくて……」
そもそも通常業務以外はないというのは、イコールで忙しくない、とはならないわけで。
「は! 兄上もどうですか雑務」
「俺ァ忙しい」
「そればっかり!」
実際兄上がお忙しいのは事実で、このひとが艦に留まっている時間は意外と短い。兄上のカリスマ性ほぼ一本でありとあらゆる人々を引っ掛けて人員やお金やお仕事や物資を頂戴しているので、必然、兄上本人が定期的にあちらこちらに顔を出す必要がある。
四捨五入ホストの営業行脚だ。
「今なんか失礼なこと思ったろ」
「な、なんにも……」
いちいち勘がするどくていらっしゃるのだから。
「どうだかね」
わたしの横顔を一瞥して、兄上がふと吐息を漏らす。煙の輪がいくつにも連なってこぼれていく。輪が空気に溶けていくのを眺めながら、わたしはふと思った——この間は積極的受動喫煙とのたまったけれど、わたしはそもそもわりと兄上とご一緒しているから、元来の受動喫煙で肺が濁っている可能性もかなり高い。
……まァ長生きだの今更気にする立場でもありませんがね。
「……そういや、坊ちゃんは大人しくしてンのかい」
「今のところは、政敵の懐柔と勢力拡大に専念なさっていますよ。池田夜右衛門の件以来、兄上がめっきり顔を見せないものだから、ちょっとした苦言を呈されましたけれど」
先日お呼ばれした際のことである。本人も心苦しいようで……とそのときは適当並べて解放された。心苦しいのは確かだと思う。相手するのが面倒という意味合いである。
「我儘なこったな」
翠眼は心底面倒そうに眇められた。
「珍しい蝶の標本があるとばかりに呼びつけておいて、収穫なし、余計なおまけ付きで返したのはいったいどなた様だったかねェ……」
「臨時収入には変換されましたけれどね」
「コストとリターンが見合わねえ。純利のパーセンテージを見てから物言えよ」
「仕方ありません。公ったら、我々のことはよく動く手足ぐらいにしか思っていらっしゃらないのでしょう」
わたしがわざとらしいくらい朗らかに返すと、兄上は明らかに鼻で笑った。
「それで、手足であるからにゃ言わずとも汲み取って動けとな。公家とはつくづく良いご身分だ。下級武士生まれ程度じゃあ想像もつかねえ世界だな」
「実際に天上に程近い身分ではございましょう。しかし、一橋家は公に果たしてどのような教育をなさったのかしら……」
「栄耀栄華の限りを尽くせ。この世をば我が世とぞ思え、望月の欠けたることなし——すべては使い捨ての消耗品、といったところだろうな」
「現代の藤原道長にしてはすこぉし力不足ですね。しかし、でもなければ我々の付け入る隙もありませんものねえ」
神輿は軽いがちょうどいいと兄上は以前謳ったが、その通り、そして神輿に担ぐには相応のネームバリューが必要だ。宮様にご足労いただくには諸々遠すぎて、しがらみも多すぎる。京と江戸の物理的距離だけでなく、性別はなんだかんだでハンデとなり、加えて朝廷を天導衆が固めているとなるとあちらからのアクションは難しい。なによりあの宮様はただ踊ってくださる御方でもない。
一橋公は哀れだ。あのひとは真の忠臣を持たない。なんなら彼が贔屓している佐々木さんなんて、幕吏でもとびきりの特大の爆弾でしかない。我々はそれを知っていて無責任にも祀り上げ、いざというときには崖から突き落とそうと目論んでいる。人運の著しい欠乏。
我々の隊員に脅迫かましたことは、まるで許していないけれど——それを迂遠に回避するだけで、本人に直球で諭さない点は、わたしたちもまた彼を空の器に仕立て上げた者共と同じ穴の狢だ。真正面から向き合ってあげようとはしない。だって考える脳がない方が、都合がいいもの。
一橋公にとっての鬼兵隊がちょっと拡張された程度の手足であるならば、我々にとっての彼は都合のよい神輿でしかない。
神輿の中身は空っぽだ。うつろな玉座にお人形がひとつ。
「あちらを立てればこちらが立たず。必要コストと割り切りましょう——」
タタタタ タタタタ タタタタタタタタ♪
「——噂をすれば影が差すとはこのことかしら」
まるで聞かれていたかのようなタイミングですらあった。本艦は盗聴対策バッチリなので、ただただ間が良いだけである。ちょっと気まずいけれども。
ピッと音を立てて「日頃お世話になっております。鬼兵隊ヒカリ、ご要望・ご相談・ご不明点・すべてに対応いたしましょう」軽快に応答するわたしを、兄上は珍妙なものでも見るような目で眺めていた。
ひとしきり相槌を打って、切ったところで兄上が口を開く。
「……おまえあの坊ちゃんの着メロ、天国と地獄にしてんのか」
「はい。地獄のオルフェウスですね」
我が国では寺子屋の運動会テーマソングでもお馴染み。次期将軍殿の使いっ走りはさながら借り物競走のごとく。
となれば運動会ともさして大差がございませんね。
「それがなにか?」
「……さすがにやめとけよ」
悪い選曲ではないと思うのだけど。
「運命が良いかしら」
「本当にやめておけよ」
「これもだめなんですか、まったくいったいぜんたいなにが悪いって仰るの。ベートーヴェンの第五番、ある種ぴったりではございませんか? 神から賜りし奇跡的な偶然を運命と呼ぶならば、作為に基づいた計画は我々が作り上げた運命に他なりません」
「すっかり詭弁が得意になったようで……どうせ入りが叩きつける大音量だからって選曲なだけだろ。すぐに取れるに越したことねェもんな」
よくおわかりで。
「ンでわざわざよりによってな選曲なのは、ついでに自分が面白いからってだけだろ」
本当によくおわかりで。
「言わんとすることはわかるがな、下手に聞かれりゃ確実になめくさってるとバレる。さっさと変えろ」
「仕方ありません……」
まさか着信音ひとつでお叱りを受けるとは思いませんでした。
渋々と設定画面を開いたわたしの横で、兄上はこめかみを抑えて嘆息していた。端末にデフォルトで内蔵された着信音から無難なものをリストアップする。どれにしようかな……。
「ところで先方の用件ですが、新しく傘下に入る方のご紹介だそうですよ。兄上もどうぞお越しになって、とのことでした」
「……ヘェ」
「顔に出てますよ」
「……まァ行ってやる」
「そうですね。このように名指しで念押しされてしまっては、わたしだけでは次こそお咎めを食らいそうです」
舌打ちをこぼした兄上が煙管を傾けて、煙草盆に灰を落とした。
池田夜右衛門の件とは異なり、今回の〝新しく傘下に入る方〟——つまり一橋公が見出した新しいおもちゃは、とりあえず、早々に首を刎ね飛ばされることはないらしい。
「服部一族からの全面協力を見込めたのさ」
「服部全蔵だ。普段はフリーの忍者業だが、今回は服部家の名代を務めさせていただいている」
ボサボサの前髪で目元は覆われていて、表情はわかりづらい。彼は皮肉げに口角を上げてみせた。
「噂の総督に、アンタは〝百舌鳥〟か」
ようやく二つ名が差し替わり始めました。主に佐々木さんの尽力によるものです。ありがとうございます。
さて。
「服部……となると、代々将軍に仕える御庭番衆の御名前に相違なく」
それも今代も引き続き、服部全蔵は頭目を仰せつかっていたはずだ。
「よろしいのですか?」
「それを知ってるならこっちは知らねえのか? 御庭番衆はとうに解雇されてるよ、今は亡き定々公の思し召しでな。一応機密握ってるからと松平に雇われてる体になっちゃいるが、所詮は体裁、ろくな仕事も当然給与も出ねえまんまの飼い殺しだ」
服部さんはとぼけた口調で事実を述べた。
「食い扶持は自分で副業見つけてどうにか稼ぐ他ねえわけさ。落ちぶれたもんだろ? おかげで俺も含めて、かつての仲間たちは散々苦労させられた……死にかけたりジャンプ取り合ったり痔が爆発したり最近じゃ喋るウンコになったり……」
後半の話はいったいなんの比喩?
「まったく、親父の頃ならさぞ持て囃されたのかもしれねえがな、俺たちの世代じゃ徳川方にはまるで良い印象がねえ。だからアンタらもクーデターなんぞを目論んでんだろ」
「己が体験から他人様の心中を推し量ることほど無意味なこともなかなかねェさ」
「違いねえ」
兄上のはねつけるが如き拒絶に服部さんは肩を揺らして笑った。
「どのみち、俺たち伊賀忍としちゃ、将軍の殿中守護に返り咲けンならそれに越したことはねえ。次期将軍殿はじつに心優しい。名誉も金も恣にいただけるとなれば乗らない手はねえだろ——今の将軍は所詮ただの傀儡、なにもできねえお坊ちゃんさ。苦無のたった一振りでかんたんに殺してしまえる。こっちは江戸城の構造どころか警備の手管まで知り尽くしてんだ。あんたらの出る幕もないかもな?」
さて。
さてさて。
わたしは口元に手を当てて、服部さんを眺める。くたびれた忍者装束は長いこと活動してきた証であり、また一橋公との面会に当たって新調するほどの金銭的余裕がない証左でもある。と、いえるかもしれない。
兄上をちらりと見遣ると、このひとは片眉を少し上げてみせた。んー。ンー。まァそうですね。
「我々の名誉なぞあくまでも二の次、一橋公の覇道が順調であること以上に優先されるものはございません。心強い増援にわたくし、なんとも感激いたしました」
「俺としちゃ、邪魔しなきゃそれでいいさ」
わたしが笑顔で申し上げた一方、兄上は興味もないような素振りで仰る。
符牒は兄妹共に暗黙に控えた。伊賀忍ともなれば、下手をするとその場で解読しかねない。
「——どう見ます?」
「ずいぶん正直な野郎だったな」
「ですよねえ」
つまり
嘘をつくときには真実を混ぜると効果的であるならば、隠し事は多弁で覆い尽くして誤魔化すべきだろうか?
服部全蔵の多弁はわたしたちが疑念を持つに足る。
「なに企んでんだか知ったこっちゃねえがな……この期に及んで、獅子身中の虫の警戒がまたひとつ増えるとは」
「考慮して練るべきでしょうね、諸々」
ぼやく兄上に同意して「ところで——」わたしは続けた。
「あの方、忍者ですって」
「……」
「一回水上走ってみてほしいのですけれど、お頼みする機会ってあるかしら……」
「……止めねえよ好きにしろよ……」
➤
せっかく便利な機能が生えたのだから積極的に使うべきだ。お任せされた事務の打ち返しがてら、鬼兵隊の現状を共有したところ——神威さんから驚くべき発言が飛び出した。
『ニンジャなら俺も知ってるよ。四捨五入地球の傭兵集団だろ』
「俺も知ってるよ???」
あの一応忍者って隠密行動を主とする組織でしてね?
その点は奈落も同上だけれども、ただあちらは正式に承認された天導衆配下として既に宇宙にも進出している。一方で忍者は、今のところグローバル活動をすることなく、せいぜいが我が国で傭兵もどきとして振る舞う程度だ。宇宙を股にかける春雨でも把握されるほどの知名度は、まだない。
「神威殿も忍者に接触する機会がございましたか」
『アいや、俺本人が出張ったわけじゃないけど』
使用感把握も兼ねて今回は一緒に覗いていた武市さん。彼の問いかけに、神威さんは訂正を挟む。
前回は本当に完全に死んでいた目にも光が戻り、しおれていたアホ毛も元気にぴょこんと跳ねている。あれって寝癖ではなくて彼の体調と連動でもしているのかしら。
『アホ提督の頃だ。地球のイガニン? の懐柔しててさ。あれニンジャだろたしか』
「それもしかも伊賀忍なんですか」
『たしかフジバカマだとか』
『団長、団長。フジバカマじゃなく、フジバヤシな?』
『そうだっけ? 地球人のミヨージてのは覚えづらいネ』
フジバヤシ——藤林となると、伊賀三大上忍の家系だ。御庭番衆頭目も兼ねる服部家とまではいかずとも、ほぼ並ぶ程度には大物だ。
『とにかくそのフジヤマだ。諜報には便利だってんでそのまま続けてんの。管轄は第八だったかな……』
『だからフジバヤシだって』
『どれだって一緒だろ』
さすがにフジヤマは三七七六mの標高がありそうな言い間違いですね。人間だとすればちょっとしたバケモノに他ならない。
「伊賀忍でさえ宇宙海賊春雨と蜜月を育んでいるとは、我が国はつくづく食い荒らされっぱなしでありますな」
しみじみと武市さんは仰った。それはもう、頭から尻尾まで喰らわれた結果がご覧の通り。わたしたち鬼兵隊と春雨すら、もとはといえば我々がかの高名な宇宙海賊に必死になって取り入ってごまをすっていた。
なんだかんだで今わりあい悪くない関係に落ち着いていることも、振り返れば摩訶不思議だ。親睦を深めるために処刑とクーデターを挟む必要があるので、再現性は無に等しい。
「ともあれ、春雨のお方々が藤林と通じてるとなると……服部全蔵の思惑を探るならば、そちらから当たった方が早いかもしれません」
我が国の暗部はもはや語るまでもない。
わたしは目下の事案を思案する。
「どうせなら此度の件についてもご助力を仰ぐべきでは?」
武市さんも提議した。
「ンー藤林だけで決断できるならばそれでもよいのでしょうけれど……大々的な協力となると、服部家は服部全蔵が抑えると楽観的に見ても、さすがに百地家の邪魔が入るかと。あそこはたしか三大上忍の合議制ですよ」
「そうではなく、というより、いっそそちらも制圧してしまえば邪魔もなにもないのでは? 闇雲にちまちまと動向を探るよりはだいぶん楽でありましょう」
「……ああーたしかに……?」
それはけっこう、ありかも?
『お? 暴れていい?』
神威さんが画面越しに身を乗り出した。ウキウキを隠しきれていない。
「伊賀の範囲内であればどうぞお好きなように」
『やったね阿伏兎』
『提督殿の仰せの通りにいたしますよ』
阿伏兎さんが辟易と承知した。
このようにして伊賀の里の蹂躙は確定した。
『ようやく忙殺から解放されたってのに、また忙殺の気配が見えるねえ……机に向かい続けるよかまだましにしたってな……』
「よろしくお願いいたします♡」
じろりとカメラ越しにわたしを睨んで『暴れ馬が可愛こぶるな』阿伏兎さんは一喝した。あらひどい。
「穏便にお頼みしているのに」
わたしはニコニコ笑みを崩さず頬に手を当てる。
「それとももしや、今手元に積んでいる書類仕事すべて手つかず差し戻しされたくなければ——とでも脅迫される方がお好みでしょうか?」
『阿伏兎』
『サーセン……』
「同盟相手を脅さない……」
いやだ、ちょっとした冗談じゃあございませんか。
➤
「ところで、もしもご存知であれば是非ともお聞きしたいのですが……藤林さんは水の上はどれくらい走れますかね?」
『そういうのは知らない。……え? もしかしてニンジャって水上走れるの? そりゃもうほぼアメンボじゃん。侍以外にも変なのいたんだ!』
『……わかったわかった、ついでに聞いとけばいいんだろ聞いときゃあよ』
「ヒカリ殿……」
➤
現在の藤林一族頭領:藤林鎧門はどうやら、水の上を走ることはできないそうです。あれは忍者でもさらに一等身軽な者だけが使える術なのだとか。
……残念。
「もはや御自分で習得した方が早いのでは?」
「と、思ったのでちょっと練習してます」
「既にしていた……」
武市さんに呆れられた気配である。
「ヒカリ様水面も走れるようになったんスか!?」
「いえまだぜんぜん……やっぱり難しいものですね」
「身につけられたとすればいよいよ大道芸人のあだ名を免れませんよ」
「さすがに自覚はありますけれども」
ちゃんとお仕事こなした手隙で練習していますよ。夜中に父母の目を盗んで竹刀振るうよりは、無理もしていない。
「実際問題、手段が増えるに越したことはありませんよ。生死の境目を分けるのは咄嗟の判断力にございますが、しかし判断の根拠には素の能力と日頃の鍛錬の積み重ねが効いてきます。わたしは天才でもありませんし、尚更ね」
たとえば銀さんのごとく剣を振るうには疾さも強さも重さも足りない。たとえば小太郎さんのごとく頭を回して戦場を俯瞰するには思考力も発想力も足りない。よく見てきた兄弟子たちをもっとも厄介な仮想敵に据えると目標はとってもわかりやすく、並大抵では到底たどり着けないことまで心底から理解できる。あのひとたちの首に切先を届かせることを最上と掲げるなれば、人一倍でも怠惰なくらいだ。
奥の手の抽斗を増やしておくに越したことはない。一瞬の判断が命取りになるとすれば、なるべく身体に叩き込んで刹那の思考時間を極限まで圧縮することが生存の道筋になりうる。国の首を取るまでに死んでしまえば元も子もありませんのでね。
「……で、どれも差し置いて水上走りを身につけようとしてんのは趣味以外のなんだ」
「モチベーションって大事でしょう」
「ハイハイ」
「他の得物も振るってます!」
「それは知ってる」
初見の得物であろうと振るうことはできる。人間土壇場では意外となんでもできるもので、わたしは己の〝土壇場〟を自ら意図して引き出すのが人よりもちょっとだけ上手だ。しかし見様見真似で振るえることと、使い方を熟知していることは、やっぱりずいぶん意味が違う。
最近は長物にも力を入れている。具体的には錫杖だとか。
「シャドーイングでは限界もあろう。練習相手に拙者はいかがか」
「ご厚意ありがたいのですけれども、河上さんはふつうに真剣出してきそうなので嫌です……」
「鋼糸しか出さんよ」
「それあなたのメインウェポンでしょ。なにが〝出さんよ〟ですかまさかとは思いますが譲歩したおつもりですか」
「……そもそも、本番想定するなれば真剣稽古こそが適切ではござらんか?」
「先輩開き直ってません?」
「刃もない玩具でなにができるというのだ。もっとも道理に適っていると思うが」
「あなた稽古の意味ご存知ですか? 習得を目指した練習なんですよ?」
河上さんは先日の真剣稽古で味を占めたのか、稽古関連のダル絡みの頻度が若干増えた。前回の真剣稽古で熱が入って道場破壊して急遽引き分け決着したの覚えていらっしゃいますよね。もうやりませんよ後片付けが面倒ですから。
「お遊びはさておき、伊賀忍の方の進捗は」
「お遊び扱いしないでください。……取り急ぎ伊賀の里の制圧はつつがなく、ちょっとあっさりなくらいですかね。百地からも一応恭順は取れたとのこと」
またもや春雨の事務処理が回ってきたものだから、並行して発生する春雨関連の確認事項も全自動でわたしに流入するシステムである。全自動ベルトコンベア式お仕事増量キャンペーンだ。増量するのはファクシミリマート(略してファミマ)のチキンだけで充分だっていうのにね。
「一応戦力として見込んどくか。武力制圧で取った恭順がどこまで信用できるかはさておき」
「マその点は第七師団も織り込み済……神威さんは反旗を翻された方が大喜びしそうなものです。呆気なさ過ぎて不満さえいただきましたもの」
「あのとんでもねえ阿呆にとっちゃそうだろうよ」
ただの阿呆よりはとんでもねえ阿呆と踊る方がお好みな兄上は、わりと神威さんの好きなようにさせる。わたしも特に否はなく(もとより夜兎集団に忍衆が真正面から勝てる道理はない)「そして問題の服部全蔵ですが——」と、言葉を続けた。
「各証言や時系列突き合わせても、春雨による伊賀忍懐柔とはやはりまったく違うルートを辿っています。そもそも伊賀の里にはほとんど不在で接触の機会もなかったようで……一橋派に取り入る動きを見せたのは、定々公暗殺後間もなくからですね」
「……なるほど。いよいよ見切りをつけた、と呼ぶにはたしかに時期がおかしい」
腕組みをした武市さんがつぶやく。
「御庭番衆を解散させた定々、目の上の瘤がいなくなったばかりというのに、茂々を見極める間も設けず……?」
さすがに露骨に怪しいものの、茂々公はもとより傀儡であるから期待できなかった、と言い逃れが利く範疇でもある。
「これを通しやがる一橋派も大概だがな」
「服部は黒に限りなく近しいが、しかし根拠は取れておらんという認識で間違いないか? ……立場を考えるとあちらが白で拙者らが黒だな」
まァ白黒解釈の適解は今回の議題でもないのでさておき。
「そうですねえ、さすがに一足飛びに処断とまでは行きません。せいぜいが二の矢三の矢を番えて備えるくらいかと」
「化かし合い、頭がこんがらがってくるッス……全員撃てれば終いですけどそうは行かねえんスよね……」
また子さんが唸って——その瞳がふと尖ると、廊下に差し向けられた。……遅れてわたしも気づいた、足音がする。慌てた駆け足だ。どんどん近づいてきている。
「幹部方どなたか——全員揃っていらっしゃいますね。よかった……!」
「……なにかございましたか」
息せき切って、ひとりの隊員が駆け込んできた。握りしめた端末は垣間見えた画面から推察するにリアルタイムで別の通信と繋いでいる。急いでいるのに物理で接触を試みた理由はそれであるとして。
「江戸城で将軍毒殺未遂が発生しました! 将軍の湯呑に毒が塗られていて——殿中ではほとんど、一橋派の仕業と断定されています。皆様、一橋の方からなにか連絡等来ていらっしゃいますか」
幹部方の視線がわたしと兄上に向けられた。基本的に一橋公関連は、細かな交渉はわたし、大事は兄上に寄越されるからだ。
「「——は?」」
わたしと兄上の声がそろった。
当然ながら、どちらにとっても初耳である。
鬼兵隊崩壊RTAスタート。