【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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前略:

 報連相という社会人の常識はどうやら反社会的勢力と天上人には通じない模様。

 

   ➤

 

 タッタッタッタッと鳴る足音に舌打ちして「兄上」わたしは口を開いた。

「貧乏揺すりやめてください。行儀が悪い」

「テメエが端末の背面叩くのやめてから言え。爪先割る気か?」

 ……カツカツと無意識に叩いていた端末をいったん卓上に伏せて、てのひらから遠ざける。第一報からこちら、数多の通知が一斉に飛び込んできて暫定応対に追われていたけれど、一回もう忘れ去ることにする。わたしは目をつむって試算した。

 とりあえず現行の計画は大幅に修正する必要がある。暗殺はハイリターンだがハイリスク、なにせ問題はしくじった場合にある。茂々派には確実に警戒された。いくら一橋派・春雨・我が鬼兵隊本隊および協力者たち・のすべてがフルスペックで活用できると想定しても、あちらは現行幕府かつ天導衆もついているので、あちらが準備万端状態まで整ってしまうと我々がまともに相手取ることはほぼ不可能だ。開戦まで持ち込んではいけない。短期決戦を強いられる。

 配備も兵站もすべて練り直し配置し直し、武器の手配も急がせて……急いでる暇すらないかもしれないもはや不足前提で考えるべきかしら、悠長にしていられない……。

 というか冷静に考えても考えなくてもどう考えたところで計画九割九分練り直しなんですがなにこれ。

 わたしが何をしたって仰るんですか。

 だれもわたしをあいさない……。

 ——どん詰まりに陥ってしまった思考を一度初期化するべく、努めて長く息を吐き出す。アンガーマネジメントってだいじだ。瞬発的に怒る能力は重要だが常にそれではなにより己が損をする。

 とりあえず落ち着こう。相手は図体が大きいだけの子ども、無知で哀れなオトコノコ、我々も利用前提でいるのだからいたしかたなし、必要コスト……。

 ……自己洗脳?

 正気に返ってはいけない。

「……とりあえず坊には俺から意図を問い質しておく」

 兄上がつぶやいた。ようやく、踵と床を用いたメトロノームも取りやめた。

「そう……ですね、あなたからお尋ねいただいた方があちらの回答ももっともましになるでしょう」

 なにせ鬼兵隊総督であるからして。

「マ、大差もねえだろうがな。どうせ逸った結果だ」

「少なくとも回答がのらりくらり引き延ばされることはないものかと」

 一橋公が我らが総督に対してそこまでの不敬をなさるなら、もはや我々が馬鹿正直に立ててやる義理すらない。もともとないに等しいのだけど。

 前髪をわたしは自ら掻き回して、再度目を開ける。

 どうにせよ起きたことは過ぎたこと、今更タラレバ述べたところで意味もない。我々の手元にはタイムマシンなんて都合の良い現実改変道具は存在しないのだ——存在していたら、さて、わたしはどこから変えるべきであっただろうか。兄弟子たちとの敵対。鬼兵隊への入隊。なかったことになった幕間。置いていかれたこと。唯々諾々と言うことを聞いていた幼少期。そもそも生まれることそのもの?

 ……心底無意味な思考実験である。

 まずは目先から片付けていかねばならない。

「武市さん申し訳ありませんが前提条件変更した上で再演算シミュレート計画再構築早急に最優先でお願いします。河上さんとまた子さんこちらフォロー入ってください」

「……ッかりましたァ〜」

「だいぶ根本から練り直しですね、間に合うかわかりませんが間に合わせる他ない……」

「見廻組との連携はどうする。拙者の方で巻き取るか?」

「それもありましたねすみません河上さんの方で兼任していただけるなら大変助かります。わたしは各方面へのご説明と謝罪行脚もあり……い、いやすぎ……ありますが」

「本音出ましたね」

「ありますが!」

 早速入った茶々にわたしは声を張り上げる。今揚げ足取ってる場合じゃないことくらいご存じでしょ!

「とりあえず春雨に連絡を取ります」

 伊賀制圧もあったので、春雨の艦隊はまだ近海(※ワームホールを用いた超長距離間転送を介さない程度の星間距離の俗称)を周回しているはずだ。もう少しくらいは無理を通しても問題ないかと存じます。直近にお力添えをいただいたばかりで申し訳ありませんがいよいよ本格的なご助力をいただこう。

 もちろん、確実に頼みを聞いていただける打算のもとの行動だ。あのひとたちのクーデターには鬼兵隊が大きく寄与したため、実質的には命の恩人であるのと——直近で、事務処理、だいぶ引き取りましたからね。お手伝いいただいたばかりであってもだいぶん融通が利く余地があるわけ。伊賀の里があっさりと降伏したものだから暴れ足りない神威さんにとっては、むしろ、願ったりかなったりですらあるだろう。

「大幅な計画変更かつ前倒しともなると大きな軋轢を生みます。方々から不満も頻出するでしょう。わたしの方もなんとか言いくるめるつもりではありますがカバーが効かない部分は確実に出ます。皆様加味した上で、諸々お気をつけてください。味方に背後から刺されるほど無様な死因もありません」

 当然理解なさっているだろうけれど改めて念を押しておくと「はーいはいヒカリ様ァ」また子さんが手を挙げた。

「ぶっちゃけ一橋のせいっつっときゃよくねッスか。実際そうだし」

「ウーン本当にそのように説明したいのはわたしとて心の底から・真剣に・たいへん山々・なのですけれど」

 ええ本当に切実な本音としてね。

「持ち出すとしても、あくまでもどうしても説得できない際の最終手段にしていただきたいかも……担いだ神輿に振り回されているとなると鬼兵隊の判断自体に疑義が生じかねません」

「ウッダルいッス。気張りまーす……」

「お手数おかけいたします」

 伏せていた端末を手に取る。目を離していた十数分で通知は既に山と化し、わたしはうっかり目眩を幻視した。確実に幻視である。倒れてもいられない状況では不思議と身体が元気なものだ。身体が気を張って体調を崩さないように無自覚にも神経を注ぎ始めるのか、単なる神経の鈍麻によるものなのかは——あんまり考えないことにしている。

 

   ➤

 

『へー! アンタが裏かかれるなんて珍しいじゃん』

「じつはわたしが裏をかかれること自体はそこそこあるのですが」

 岡田さんに裏をかかれたり、小太郎さんと遣手婆のタッグに裏をかかれたり、デコボッコ教団の流れ弾に巻き込まれたりまァいろいろである。

 よく考えるともともとわたしは大概に、ろくな目に遭ったことがない。そういう星のもとに生まれたとか言われてもあんまり反論できないレベル。

「とはいえ味方に盤上ひっくり返されかけるのはさすがにちょっと知りませんね……」

『アハハ弱ってる』

 神威さんはケタケタと笑った。彼は今デスクチェアと呼ばれる部類の椅子の座面で膝を抱えていて、まァわりと礼儀というものがわかっていらっしゃらない。海賊に礼節を期待するほどおかしなこともなかなかない。

『しょーがないな、行ってあげる。いよいよシンスケにもまた会えそうかな?』

「本当にありがとうございます……おそらく総督直々に出迎えとなるかと」

『お、ホントに久しぶりだ』

 青い瞳がきらめいて、三角座りがあぐらに変更され、神威さんは少し前のめりに身を乗り出す。どうにせよデスクチェアの上で取る姿勢ではない。腰を悪くしかねませんよ。

『やる気出てきた。ちゃんと腕磨いといてね』

「その点はご心配なく……しかし、まだおふたりでやり合われると困りますよ。あなたよりも先約がございます」

 念のため、しっかり釘を強めに刺すと『知ってるヨ。それはまあ、お楽しみに取っとくとして』神威さんは肩をすくめた。

『ただそことは関係なく俺からもひとつ。ニンジャの件が直近だったこともあるし、全軍は動かせない』

「予期しておりましたが、実際、どの程度の戦力が見込めますか? さすがに神威さんたったひとりではちょっと別建てで案を練る必要があるので……」

『ウーンそうだな、俺はとりあえず確定でいいだろ。で阿伏兎と云業も問答無用で引っ張ってくるとして』

 かわいそうなおふたり。

『あとのメンツは第七師団全体かな〜アンタ第七で評判良いからそこまでは出せると思う。さすがに他の師団は無茶だからそのへん』

「じゅうぶん助かりまなんて? 評判?」

 自分で言うのもなんだけれどわたしに到底見合わない評価が聞こえた気がする。なんて? というより、なんで?

『俺現場にいなかったけどさ、アホ提督と第八にはめられたとき、宇宙ほっぽりだされた奴が多かったんだって?』

「ああ無重力空間一時間生存確定バケモノ……」

『今バケモノっつった?』

「地球人基準では間違いなくバケモノですよあなたがた」

『ええー大道芸人に言われたくないや……まァいっか、アレで命救われた奴が多いのと、あと鳳仙蹴り飛ばす女は夜兎はだいたいみんな面白がる。マジで意味わかんないから』

「前者はとりあえず理解を示しますが後者は本当になんですか? 一応夜兎の王たる御方を蹴り飛ばされてその種族に属する皆様が面白がることあるんですか?」

『マ夜兎(俺たち)だしネ』

 共食いをも当然とする戦闘民族ではある種感嘆されるのやもしれない。……愉快に跳ねるスーパーボール扱いの可能性もある。むしろそちらの方がありえる。

 いったいわたしがなにをしたって仰るの。老い先短い死にかけたお爺様蹴り飛ばすくらい誰だってできますよ。なにせわたし本人が肋骨骨折血気胸状態で実現していますからね。敬老の心は鳳仙殿限定でなくしております。

「そもそも春雨において、吉原での一連の仔細な経緯をご存知なのはあなたと阿伏兎さんと云業さんに留まるという認識でしたが」

『俺がばらした』

「ご存知なかったかもしれませんがわたしにも堪忍袋の緒というものがございますよ」

『ウンそれオマエはわりとブーメランな自覚を持ってほしいな』

 春雨との交渉はおおよそ順調に終わった。今までの積み重ねによる信頼が功を奏したといえるでしょう。

 わたしの暴れ馬記録が信頼の一助を担っているのはなにかがおかしい気はします。なにかがおかしいというかなにもかもがおかしい気もします。

 

【

  将軍 護送計画が進められてるお 

  超極秘機密だから警察 機構のごく一部に㊙のお達し 

  帝のもとへ届ける予定みたい⁉️

】

 

「佐々木はもしや、いつもこうなのか?」

「あ、ハイ。メールはいつもこうです」

 河上さんに見せられたメールは至って通常運転の佐々木さんだった。じつにいつも通りにふざけた文体で、一応今回はまるでふざけられない内容を連ねている。

「河上さんはそういえば佐々木さんとお会いしたことは……?」

「顔は把握しているが対面したことはない」

 であれば押し売りのメル友になっているわけもなし。まったく知らなかったところを今回巻き取っていただいたことで発覚した、と。

「拙者が想定していたより数十倍に愉快なのだが? あの見るからに堅物の、一喋るたびに十の嫌味で返してきそうな男から出てくる文章とは思えん」

 実際、現実でご対面する佐々木さんはまさにそういうひとではある。メールがつねにお茶目なだけで。

 同じ文面を覗いたまた子さんは「ネットスラングとおじさん構文のドッキング……?」と訝っている。

「仲良くなさりたいのであればどうぞお好きにしてください。……と申し上げたいのは山々ではございますがさすがに今はやめてください。ご趣味はなんですかとお見合いの雑談している間に下手するとわたしたちが過労で力尽きます。お願いします」

「多忙なことが悔やまれる……」

 河上さんはサングラスで目元が隠れていてもわかるほど、悔しがる表情である。おふたりが仲良くなさっているところは、わたしも正直見てみたい。絶対面白いので。しかし将軍暗殺が成功しても失敗しても、今後親睦を深める余裕が我々に齎されるかどうかは——たいへん怪しい。負けたら当然詰むわけで、勝ってもそれはつまり等号で国の破壊がいよいよ大詰めということになりまして、ウーン時間ありますかね? ないかも?

「てか帝ってなると……今は実質、天導衆のお膝元って感じなんじゃなかったスか?」

「それもありますよねえ……」

 昨今の朝廷の勅命の内容や宮様のお話を踏まえ、ほぼ確定と見ていい。定々公の件よろしく、雑務は下々に任せて高みの見物を気取っていた天導衆が、いよいよ我が国の政治に積極的介入を目論んでいるのか。

「天導衆の手元に匿われるといよいよ面倒ですね。かといって江戸に留まられている今、さすがに警備は厳重です。警戒が解かれるまで待機するのもそれはそれで悪手にございましょうし……」

「護送中を襲撃するのがもっとも確実……に見えることは、見えますな」

 武市さんは同意するにしてはやけに歯切れが悪かった。

「懸念点がございますか」

「……それこそヒカリ殿が関わった徳川定々失墜の件を思い出していただきたいのですが」

 ここでわたしの表情に気付いて「いえ掘り起こすつもりはなく、まずそこは論点ではないので」彼は付け加えた。

「あの騒動の最中、天導衆直々に徳川定々を迎えに来た、と私は聞いています。ヒカリ殿の記憶とも相違ありませんか」

「そうでした、ね……そうですね? 何故今更極(﹅)秘(﹅)護送計画?」

 それこそ天導衆が遣わす船ほど厳重な警備もそうはない。彼らがあのとき降ってきたのは奈落が用意した船を〝国崩し:傾城太夫〟一行で荒らしきったためだが——同じ轍を踏むつもりだろうか?

「そもそも帝……というより、天導衆の庇護下に身を寄せること自体が妙だな」

 兄上が煙管を揺らし、虚空を睨んだ。

「天導衆(やつら)の側が矛を収めたにしても、茂々は一度天導衆に真っ向から楯突いている。坊とは違って芯はありそうなモンだが」

 自ら担いだ神輿と比較して神輿の方をナチュラルに貶めている。一橋公の評価は鬼兵隊内部では基本的に非常に悪く、立場相応に丁寧に扱う人はしょうじきいない。

「一・馬鹿正直に帝のもとに身を寄せるつもり。二・天導衆が強引に保護を目論んで警察機構に話を通した。三・天導衆が保護以外の目的、たとえばなんらかのデコイとして将軍を呼びつけている。四・帝のもとに身を寄せるということ自体が嘘偽りで別の場所で匿う目的。五・護送計画がそもそも嘘で江戸城に留まる予定。六……その他」

「どれも有り得そうな……」

「あ、五番の江戸城に留まるだけは、さすがに除外して良いものと存じます」

 武市さんが並べた可能性にわたしは口を挟んだ。

「佐々木さんが寄越してきたからには確たる根拠があるのかと。あのひと、確実ではない情報は言い切りません。そして〝帝のもとに届けるみ(﹅)た(﹅)い(﹅)〟と記されているあたり、彼もそこは確証を持っていない、という意味でもありましょう」

 鈴蘭太夫の件で心底実感したけれど——あのひと本当に、気持ち悪いくらいに用意周到ですからね。

 天網恢恢疎にして漏らさずと定々公のときに銀さんはほざいたけれども、どちらかというと、三天の怪物・天神とすら呼ばれる佐々木さんにこそ適用されるべきだろう。あのひとが言い切ったならばそれはブラフでもなんでもなく〝ある〟計画だ。言い切られぬ中身は、未だブラックボックスというだけで。

「……どうにせよ、計画が実際に始動しているとして、狙うのであれば護送中だな。佐々木の方で仔細まで押さえられたらば吉だが……」

「文面から見るに計画自体は佐々木が言い出したんじゃねえだろ、だったら松平か真選組か。どちらにせよ見廻組を信用してねえやつらだ、いくら三天にしたって取れる情報はせいぜいが上澄みだろうな」

「と見るとあとは物流から推察を立てる他ありませんね。空路か陸路か、はたまた海路……」

「直線距離四百㎞の遠出となると、現実的なのは空路ですが」

「狙撃のしやすさで言やァ空路の方がありがてェんスけどねー。遮蔽物ないもん」

 真に厄介な点は、茂々公は間違いなく民に慕われている為政者である、ということだ。これはだから殺すのに躊躇いがある、だとかではなく、事実として厄介な要素だ。

 たとえば先代征夷大将軍:定々公は数多に恨みを買っていて、なんなら唯一の腹心にすらあの仕打ちだった。真選組とて実質的に命令を無視して、わたしや小太郎さんといった攘夷浪士まで通すありさまだった。彼のために命を張る者は奈落くらいで、その奈落はそもそも不死のすべを手に入れている疑惑がある。ひとつきりのでない命の使いどころにひとより躊躇はないだろう。

 茂々公は、そうではない。彼は家臣の言うことによく耳を傾け、民と近い視点で接し、ときには部下を庇い、自ら責任を取る覚悟を見せる。そういうひとに対してであれば忠誠を誓おう、命を捧げよう、せめてこの身を盾にせん、と思う人々は、割合として無視できない数にのぼる。

 

 そういう点では——我々鬼兵隊が担いだ軽い神輿は、残念ながら定々公に近しい。

 

 一橋家は江戸城内:外郭に上屋敷を構えている。いわゆる一橋御門は彼の屋敷に程近いからこそそのように名付けられた。

「けっきょく此度のご判断はどのような理由で?」

「〝玉座に座っている哀れな将軍(むくろ)を片付けてあげようとした〟とさ」

 兄上が諳んじた言葉に、わたしは思わず口笛を吹く。

「まったく、公はつくづくと豪胆でいらっしゃいますねえ。下々には考えもつかぬほどの深謀遠慮にございます」

「なんか前に阿伏兎が言ってたよな」

 兄上の斜め前を歩く神威さんは、両手を頭の後ろに組み、なごやかに言った。

「ああそう、アンタのまったくから続く感情表現ほど……ってやつだ」

「懐かしいこと」

 一橋公のことを念のため紹介しておかないと、第七師団、というより主に神威さんが無差別にうっかり殺しかねない。一橋公はそのくらいには自然体に傲慢な振る舞いが身についていて、神威さんはこちらの事情には理解を示してくださる一方、事情を把握していない場合は本人の都合がなによりも優先される。

 春雨提督直々のバックアップがつくとご説明すると、一橋公はいたく喜んで、神威さんをこちらに連れてくるようにとご本人から命じてくださった。説得の手間が省けました。

「それで、会わせたい将軍ってやつはこれから会えるのかな。ワクワクしちゃうねーどれだけ強いんだろ」

「……いえ? 強くはありませんよ。あくまでも上に立つ人であるというだけですから」

「またまた。最初の方、ぜーんぜん強そうじゃなかったお侍さんだって鳳仙と良い勝負しただろ」

「あれは銀さんが例外ですね」

「俺も現場にいたら勝ったろうがな」

「なんの張り合いをしているのあなたは」

 兄上がそっぽを向いた。

 神威さんがわたしを振り返って、ウィンクする。

「ヒカリだってそう言っといて大道芸やってんだもんね、地球人ってそういう種族だ」

「今わたしに飛び火しました?」

 わたし単体を見て地球人を判断するのは確実になにかを取り違えますよ。同様に、銀さんや兄上といった外れ値から平均を取られても対応しかねます。

「楽しみだな」

 神威さんって、説明こそ聞いてくださるけれどその上で無視なさるのですよね……。

 さすがに公家が有する屋敷はわが国でもとびきりの豪邸だ。旧き良き木造軸組工法に則って建築されている。わたしは会話の最中にも興味深い意匠を熱心に見ていた——わたしに非があるとすれば、このように注意力が散逸しており、初動検知が遅れたことに由来する。

 半分開いた襖の向こうで一橋公が振り返り、口元を綻ばせる。「待っていたよ、君があの」と続けるその顔面に拳がめり込んだ。

 めり込んだ。

 めり込んだ?

「エッ」

 呆気なく吹き飛ぶ身体。向こうの半ば開け放たれた窓障子と木製の手すりが一緒に大☆破☆壊。身構えるどころか予想してもいなかったのだから当然、夜兎の拳の速度に追いつけるはずもなく、わたしは一橋公が描く軌道を呆然と目で追う他なかった。

 塀に叩きつけられた一橋公は遠目から見ても白目をむき出して、頬は腫れ上がり、折れた前歯が思い出したようにトトッ、と音を立てて畳に転がった。

 今、何が起きたのか——わかるけれどあまり理解したくない、かも。

「……オイ、何やってんだ」

 兄上が口を開く。兄上にしてはちょっと困惑が混じった声音だ。

「え? だって将軍殺ればいいんでしょ」

 振り返った神威さんはたいへん澄んだ目である。

 正しいのだけれどすべてが間違っている。

「ヒカリ」

「わたしのせいですかこれ」

 絶対違いますよね?

 塀に人間大のクレーターを作り、着弾()から間を置いてずるずると地面に落ちた一橋公を兄上はしばし眺めた。

「……まあいい。あんだけ頭強く打っちゃ何も覚えてねえだろ」

 明らかに諦めた。

「覚えてる・覚えてない以前に死にかねないかと存じますが……」

 死んでしまったらばさすがに我々、いろいろ困りますが……。

「それよりヒカリ」

「それより???」

「公の取り巻きへの言い訳、早急に」

 ……まァたしかに仰る通り、コントに興じている場合でもなく〝それより〟ではある。これで我々が襲撃犯ということになれば、将軍暗殺以前の時点で一橋派にも徳川派にも敵対勢力とみなされて追われることになる。しかしなんとびっくり、起きた出来事を並べると襲撃犯なのはただの事実なのでした。

 春雨に協力要請したのはわたしですが、地球現着早々、早速後悔し始めましたね。

 神威さんが小首をかしげて、わたしを見た。

「ゴメンネ」

 このひと、年下しぐさでわたしを黙らせようとする素振りが随所に見受けられる。

 わたしはこめかみを抑えて、しばし気持ちを落ち着けると「ええ、ええ、承りました」投げやりに言い放った。

「構いませんのよ。お気になさらず」

 どのみち、一橋公とまともに話したとて、どこかで虎の尾を踏まれて拳が出ていた可能性は存在する。起きたことは仕方がない。どうせ厄介な物事の後始末はいつだって中間管理職の定めだ。

「賊はッ公を撃ち据えて……わ、わたくしせめてもと盾になろうとしたものの止められず。逃げ去って行きました、あれは明らかに手練れの身のこなしでございました! ああ、公、公の容態は問題ないのでしょうか?」

 ——と、このように即興で一芝居打ったところ。

 兄上のコメントがこちら。

「おまえはつくづく、適当言わせると昔っからピカイチだな……」

「貶してますよね」

「全盛期の華陀とかこんなんだったのかな、俺も気をつけよ」

「神威さんは本当にいよいよ貶してますよね」

「安心しろ、あの女狐よりはヒカリのが上手い」

「なにも安心できませんが」

 褒め言葉と悪口を取り違えたひとびとに挟まれて、わたしはげんなりと申し上げた。組織のトップってみなさん全員こうなのかしら。それともおふたりが仲良くクーデター成し遂げて同盟を組み直す程度に波長が合うからこそ、なのかしら。

 ともあれ見事外部の存在しない賊にすべての責任をなすりつけ、わたしたちは無事、将軍暗殺に専念することと相成った。

「良い方向に考えましょう。公が暗殺計画実行中に起きてきやしない限り、我儘で振り回されたり、足を引っ張られる心配がほぼほぼなくなりました」

 夜兎の馬鹿力で吹き飛ばされたからには見るまでもなく重傷、将軍護送計画は一月後に迫っているけれど全治一ヶ月どころでは済むまい。まさかあの状態の一橋公に鞭打って動かす部下はいないだろう。ウンウンとわたしは頷いた。

「これはたいへん素晴らしいことにございます。不要な雑務がたくさん省けますね」

「嫌いなの」

「……え? 好きでも嫌いでもありません。お人形さんに動かれると困るだけです」

 神威さんはわたしをしばらく眺めて「やっぱ鬼兵隊だね」と簡素な感想を述べた。どこの何に納得なさったのかはさておき、あなたに会ったときから鬼兵隊でなかったことは一度たりともございませんね。

 

   ➤

 

【

 将軍護送計画の続報だお⭐️

 護送に携わるのは警察 松平の私兵 忍者 真選組⚔️あと他にも信頼できる人間が雇われる可能性はありそう 

 江戸城に残る影武者と・空路✈️・海路 ・陸路 の3√に分かれるみたい 

 さすがにどれがホンモノかはわからなかった ゴメンネ  

】

 

「1.732……?」

「それは√3でこちらは三ルートの意図かと存じます」

 

   ➤

 

 ——結果としてわたしは今、艦の上にいる。

 

「……わたし、鬼兵隊なんですけど」

「そーだな」

「何故春雨側に……?」

 わたしは心底不可思議な心持ちでしみじみと言った。

 陸路に上忍の百地・藤林、海路に鬼兵隊、空路に春雨、その他全国各地の愉快な同志たちに茂々公の味方を叩いていただいて、と諸々分担する手筈となっていた。そのはずだった。

 何故かわたしがいる艦はめちゃくちゃ空飛んでますけどね。周囲にいらっしゃるの全員夜兎ですけれどもね。つまり第七師団の艦になぜかわたしが乗っているということになります。

 おかしいな。

 本当におかしいな。

「そりゃーアレよ」

 阿伏兎さんは義手で傘を持つ一方、生身の片手で鼻をほじる。先程わたしを俵担ぎにして「ンじゃコレしばらくもらってくな」などとありえないこと言い出したのもこのひとである。

 まァ兄上が普通にあっさり頷いて「行ってら」とわたしに淡白に述べて終わりだったことが一番ありえませんけれどね。河上さんもまた子さんも武市さんですら二度見してましたよ。密約があったなら先に仰ってください。わたしが報告しないとなじる前にあなたが報告すべき事項が飽和している自覚はおありかしら。

 あったらこんなことにはなっていない。

 それは本当にそう。

「やっぱ保険ってのは大事だからな。どっかのバカ提督がまたうっかり仲間の腕や腹に穴開けてきそうなとき、大道芸を披露してもらって……」

「それでわたしはまた肋骨骨折血気胸全治三ヶ月ですか」

「なァに全責任押し付けてんだ。全治一月を三ヶ月に悪化させたのはおおよそおめーさんだろスットコドッコイ」

 返答の代わりにわたしは鼻を鳴らして、今更ながら、担がれたときにずれた襟を直した。インナーを着ているので見えやしないのはわかっているのだけれどもはや習慣だ。

 周囲の夜兎の皆様も、最初の方は物珍しげに寄ってきていた——「うわッ本物」「偽物がございますかねえ」「初めて見た」「思ったよりちっこい」「俺前に春雨の船で見かけたぜ、書類に埋もれながら地球人の男こき使って泣かせてた」「非常に心当たりがありますね」「なァ鳳仙蹴り飛ばすときの角度ってどうだった?」「角度……?」——けれど、云業さんがシッシと散らしたので今はちらほらたまに視線が投げられる程度である。

「ちなみにわたしが将軍の首を刎ねた場合、手柄は当然、鬼兵隊ですよね?」

「そこは半分こにする余地があると思うな」

「どこに余地が?」

「勝ったらシンスケになに要求しようか考えとかないと」

 わたしの疑問には耳を貸さず、ご機嫌に皮算用をなさっているのがこちらの提督殿である。なんなら鼻歌を歌っている。なんの曲だろう。夜兎の民謡か、はたまた宇宙の流行歌か。

 神威さんは大砲の先端に座り込んでいらっしゃるので、落ちやしないかと傍目には少しヒヤヒヤする。夜兎のバランス感覚、加えてその中でもずば抜けた能力を持ち合わせる神威さんなれば、わたしの反射的な心配はただの愚問でしかないのだろう。

「……マジな話としちゃ些かきなくせえ」

 わたしの背丈に合わせて片膝を屈め、阿伏兎さんは耳打ちした。

「密に連絡取り合うのはただの前提として、鬼兵隊(あっち)側の思考をきちんと把握しているやつがほしいって話で同意が成ってる」

「きなくさいと思っていらっしゃったならわたしにも共有していただきたかったのですが。具体的には?」

「あー……俺の勘」

 阿伏兎さんは居心地悪そうに目をそらす。

 わたしはじとりと彼を見つめた。

「それこそ先に仰ってください。歴戦の夜兎の勘:常に戦場に身を置く生き物の経験則に基づく無意識の判断能力を馬鹿にするほど、わたしは耄碌しておりませんよ」

「……まァアンタはそうだろうがな」

「慰謝料として云業さんいただこうかしら」

「巻き込むな」

 隊員の皆様を人払いしたあと、今の今まで黙って話の成り行きを見守っていた云業さんがとうとうここで突っ込んだ。

 阿伏兎さんはわたしと目を見交わして「中田ってやつと交換ならワンチャン」ニヤッと彼は話を合わせた。

「アレなんかいろいろ運転できるらしいな」

「乗り気になるな」

「うーんあのひとは使い勝手が良いのと一応わたしの唯一の部下なのでトレードが難しく、この話は終わってしまいますね……」

「終わるのかよ」

 すべてのコメントをひとつずつ拾ってくださるツッコミの鑑がいらっしゃいますね。

 それにしても云業さんは、わたしに勧誘されたいのか勧誘されたくないのかどちらなんだろう。これは距離感が縮まったという解釈をしてもよいのでは?

「ン、そうしている間にだいぶ近づいたな。そいじゃあ始めるとするかね」

 阿伏兎さんは鼻をほじっていた指を引き抜き、鼻くそを指先で丸めて弾き飛ばすと(わたしはやんわりと一歩引いた。きたない)そのまま手を上げて「撃ち方よーい」まるで緊張感もなく、間延びした声で仰った。

 すべての砲門が音も立てずに角度を調節。護衛艦がサイレントに行方不明と化したことにも、敵船に接近されていることにも気づかぬまま、いまだ空を征く船に照準を合わせる。

「撃(てェ)!」

   発射!

 どぉん、どどぉん、と次々に砲弾が船体に撃ち込まれ、艦は大きく揺れた。我々の機体ももちろん大砲の反動で微妙に揺れる。乗り物酔いに弱いひともいらっしゃるのか「オロロロロ」と背後で吐瀉音が聞こえた。おだいじに。やっぱり空を飛ぶのと宇宙を飛ぶのではだいぶん違いますからね。

 艦の側面には穴が空き、もうもうと黒煙が上がり始める。

「あら火事、ということは、きちんと動力部に着弾したのかしら?」

 わたしはつぶやいた。なんとはなしに、兄上からお借りした脇差の柄をたしかめる。基本的には、わたしたちが積極的に動く必要はない。先行潜入した忍者が打ち漏らした場合にのみ出番があるかたちだ。

 ばらばらと甲板に人が押し寄せる。ほとんどは逃げまどうようにじぐざぐと走り、しかしすぐにばたばたと倒れていく。素早い手際で狙った対象を絶命させ、また別の対象に追いつかんとする、たった数人の影がおそらく忍者だ。

「数人ずつ船に潜り込ませただけで、護衛艦もあの船も蹂躙し放題……」

 ご機嫌にアホ毛がぴょこぴょこはねている。根本的にこのひとは戦いが好きだ。掃討戦も蹂躙戦も含めて。「オラ、ワクワクすっぞ」「ワクワクしないで。仲間だからね。また変な気起こすなよ団長」ニッコニコで副提督と丁々発止漫才を行い、ふと目を瞬かせた。

「にしても、こんなに動けるんじゃないか。だったら伊賀はなんであんなに簡単だったんだろ?」

「あなたがたの実力による成果、あるいは藤林の手引きの賜物——と呼ぶのは楽観視が過ぎるかもしれませんね」

 蹂躙される艦を見る神威さんは、初めて見たけれど面白い! というように目を輝かせている。つまり神威さんも出張った伊賀の里ではほとんどの技はまるで披露されなかったということである。お互いにほとんど初見の相手だったことを差し引いてもちょっと奇妙だ。

「裏切られることは想定しておきませんと」

 見解を述べたわたしを神威さんはキラキラとした目で振り返った。

「仲間じゃなくなってくれるかもしれない……ってコト!?」

「く(﹅)れ(﹅)る(﹅)って何? どうぞ裏切ってください、じゃねえからな」

「どうか裏切ってほしい……」

「お宅の教育どうなっていらっしゃるんですか、阿伏兎さん」

「鳳仙に言えよ……」

「アラやだ、自分の初恋も理解できないおじい様に教育が務まると思っていらっしゃるの?」

「鬼兵隊要員持ってくるにしてもこりゃ人選しくったな……」

 阿伏兎さんが大きく溜息をついた。

 船の上にわたしは眼差しを戻す。姫様がお着物を必死にたくし上げて走っていらっしゃる。さすがにお貴族様の普段着はとっても絢爛だ、従者の女性が並走して裾を巻いてなんとか小走りといったところ。護衛に扮していたのだろう、武士の格好をまとっただけの忍が凄まじい速度でそのあとを追う。

 姫様は物陰に逃げ込んで——

「……へえ?」

 神威さんが爛々と瞳を輝かせる一方——わたしは眉をひそめた。

「……まさか」

「姫様ァ、見てくだせェ。あれがホルモン、あれがレバー……」

 物陰からは、五体満足の姫様と、もうふたりほど現れた。ひとりは姫様をかばう姿勢でいながら、まろびでた臓物を食用肉の部位名になぞらえて呼び、刀を振って血を飛ばす。容赦なく周囲に、当然姫様のお着物にも血痕が付着した。

 剣の才能以外のすべてがちょっと論外な男:一番隊隊長沖田総悟。

 それはいい。

 そこはいい。

 というかそこは正直どうでもいい。

「こらこら、意地悪しないの」

 姫様のお着物の裾を巻いて、困った顔でたしなめる女性。「スミマセン……」と素直に謝罪する一番隊隊長殿——まさか、と、思った可能性に照合が為される。照合が為されたことを理解してなお思う。

 ありえない。

「あのひとたち——いったい、なにを、考えて」

「ア!? オイまさか、ええ……アンタまで行っちまうのかよ暴れ馬……」

 船体を身一つで滑降、脇差の柄を当てて勢いを殺して、跳躍。いまだ砲撃で大きく上下左右に揺れる船にわたしは着地した。甲板を駆ける。瞬間的な大腿筋の伸縮を自覚する。死骸に刺さった苦無を蹴り飛ばしざまに引き抜いて、そのまま振るった。

 姫様の喉元に滑り込まんとした刃先はしかし剣戟に弾かれた。

「……チッてめえがこっちかよ」

 舌打ちとともに露骨に顔を歪めた一番隊隊長殿と、背後に庇われた姫様が「……あのときの」と、つぶやく中、わたしはただ真っ直ぐにもうひとりを見つめていた。

「あなたまさか、戦場とピクニックの区別がつかなくなったのかしら。——ミツバさん」

「さすがにピクニックでホルモンとレバーはちょっと」

 さながら姫様の従者のごとき扮装で、ミツバさんは小首をかしげてみせた。彼女の服装も、携えた打刀も、単に迷い込んだのではなく意図的にここに立っていることをハッキリと示している。

 ええたしかに、追いかけていって糾弾した方がすっきりしますよとはわたしも申し上げました。申し上げましたけれど真選組隊士でないどころか、非戦闘員を投入しているのはふつうにありえない。

 ——なにを考えているの?

 それとも考える頭ごとなくしてきてしまったの?

「それにここには七味がないもの」

「あなたジョークセンスが弟さんに汚染されていてよ」

 わたしは言いながらも一歩後ろに引いた。

 手柄を取らんと躍り出た忍者たちが——一斉に、頭から轢き潰される。

「知り合い? 男の方譲ってよ」

 轟音を立てて新鮮な亡骸の上に着地して、神威さんはぱんぱんと服の汚れをはたいた。

「どうぞご勝手に」

 血まみれですべる苦無をてのひらで握り直し、わたしは吐き捨てた。

「このひとが死のうが苦しもうがもはや興味がございません」

「うーわめっちゃ怒ってる。初めて見た! ヒカリとやり合った方が楽しいかも」

「今冗談に興じている余裕がありません」

「ア、本気で駄目なやつかなコレ」

「悪名高き攘夷浪士にこの反応されんのは、真選組としちゃ光栄だかなんだか」

 一番隊隊長の感想に舌打ちをこぼす。つくづくと悠長なことを言ってくれる。

「わ、私……ヒカリさん」

 そよ姫が自らの袖を握った。

「話を——お話を、できませんか」

「以前に申し上げたことを覚えていらっしゃるかしら」

 小紋の袖で苦無を拭う仕草——に、合わせて、ミツバさんが半歩踏み出してそよ姫の前に出た。……ああそう。あなたはそのように選択なさるの。

「我々とは基本、話が通じると思わない方がよろしい」

「けれどあなたはじいやを助けてくださいました! 私を……」

「あのときはその方が都合が良かったので」

 可哀想なお姫様。わたしは内心哀れんだ。たった一時のイレギュラーな事態で出くわしてしまったから、このひとにはまるで、わたしが善人のようにでも見えているらしい。

 じいやさんが助かる方が都合が良かった。姫様が生きている方が都合が良かった。あのときのわたしは、小太郎さんと遣手婆という過去イチとんでもないタッグに渋々と言うことを聞かされた。鬼兵隊は定々公暗殺を控えていて、その前に姫君を殺したらば怒られるのは確実にわたしだった。

 今とはなにもかもが異なる。

「すなわち今回わたしは、あなたが死んだ方が都合が良いのです」

 投げた苦無は姫様の頬をかすめて壁に突き立った。ツウッと流れた血にいよいよ小さなお顔は青褪めて、華奢な体躯はフラと揺れる。

「姫様、下がっていただいて」

 ミツバさんは朗らかな口調で姫様に申し付けた。

「このひと、やると言ったら本気でやるから」

「……よくおわかりでいらっしゃる」

 わたしは思わず笑った。

「それで、そこまでご存知だというのに、あなた本当に何故このようなことをなさっているの?」

 半分くらいは怒りに満ちていることを自覚していた。申し訳程度に腰に下げられた刀がいっそ滑稽なほどだ。

「もしかしてわたし、あなたにも誤解させましたか。わたしはあなたの友人ではありますが、それ以前に過激派攘夷浪士です。友人割でも期待いたしましたか。だとすれば、とってもがっかり」

 期待したのが誰かは知らない。ミツバさん御本人か、真選組側か、であれどもどこぞの二人はせめて止めて然るだろうに、弟さんはなんなら同じ船で連れてきてしまったらしい。まさか近場であればまとめて護れるとでも思っただろうか?

 快復したとはいえ未だ、痩せ型というより病人じみた細身と呼ぶに相応しい女。わたしがたった一度手を貸してしまったことで、善性を無邪気に信じてしまうお可愛らしい姫君。このふたりを抱えてさらに己が身まで守り切るとでも?

 些か、我々、なめられすぎではございませんか。

「あなたはご存知だったはずですけれども、今一度。——わたしができる友人割なんて、苦しませずに殺す程度のものですよ」

 抜刀。

 鋼は音を立てて切り結ぶ。

「知ってるわ」

 振り下ろした脇差を刀で止めて、ミツバさんはしずかに仰った。

「であれば問答は既に不要ですね」

 わたしは冷淡に言った。知っていたとて認識が食い違っているのではお話にもならない。知っていたとて危機感が差し迫っていないのであればそれは知らぬも同然だ。

 刃の角度をわずかに変えて跳ね上げる。金属音は打ち鳴って、刹那の間にご立派な刀はミツバさんの手首を回って柄から落ちる。細首がガラ空きだ。

 すかさず、眼前の無防備な首筋に刃突きつけんと——

 

   ——違和感。

 

「ヒカリさん、あなたこそご存知?」

 思考は瞬にめぐる。それより先に脊髄が命ずる。脇差は間合いが短な一方小回りが利く。ほとんど須臾に方向転換、切り直した脇差の軌道はわたしの頤の直前で止まった。

 骨のように細い指は、わたしが先程捨てた苦無を握っていた。

 顎の先がかすかにあつい。ぽたりと血がしたたる。

 顎をかすった苦無の刃先はいやに冷たい。

「あなたが友人である前に、攘夷浪士であることはよく知ってる。だから私も今まで正直に言わなかったことがたくさんあるの。たとえば……そうね、力こぶを作るのに適切な力をわ(﹅)ざ(﹅)と(﹅)入れなかったとか」

 友人の言葉は朗らかだ。少し前の件、デコボッコ教団に散々な目に遭わされたときの世間話のように。戦場にあまりに見合わない。

 鍔迫り合う苦無と脇差はぴくりとも動かない。

 

/*

 コメントアウト・語り部の認識外の情報

 あるいはあ(﹅)な(﹅)た(﹅)への設問

 

 史実における沖田総司は、幼少のみぎりに近藤周助のもとに里子に出され、試衛館——誠衛館とする説もある——で内弟子として住み込み、その才を見出される。これは彼の義兄:沖田みつの夫、沖田林太郎(井上林太郎)が近藤周助の内弟子であり、試衛館に通っていたことにも所以する。これらの経緯が、近藤周助の養子たる近藤勇、およびのちのち新撰組隊士となる面々との縁につながっていく。

 一方、か(﹅)の(﹅)世界における沖田ミツバは未だ独身だ。病がちな彼女は見合いの縁すらろくになかった。道場に通う夫はいない。沖田ミツバと土方十四郎の出会いは、沖田総悟が近藤勲の道場へ弟子入りした後(﹅)のことになる。

 

 Q1・沖田総悟は何故、近藤親子が開いた道場に通い始めたのか?

*/

 

 ……先程の違和感の根源に思い当たる。

 本当に、真実、全身全霊で力こぶも作れないほどの腕力であったなら、そもそもわたしと切り結ぶこと自体、できるはずもない。鍔迫り合いの拮抗なぞ秒間も持つはずもなく、呆気なく押し負けて首を刈り取られるが筋だ。

「私ってば、小さい頃から身体が弱かったから。女の子だけれども、いっそ鍛えて体力をつけるべきだってお医者様も仰って——だからね、昔は剣術を習っていたのよ。肺が本当に悪くなってからは、さっぱり辞めてしまっていたのだけど……じつは、総ちゃんと一緒に竹刀を振ってた時期だってあるの」

 ミツバさんの朗らかな語り口は変わらない。

 

/*

 本来の沖田ミツバの寿命は132訓。単行本換算で16巻の出来事である。

 本来あるはずのない〝退院〟が行われたのは吉原炎上篇前、単行本では25巻以前にあたる。

 沖田ミツバが自衛を考え始める契機となった金魂篇は43巻だ。

 将軍暗殺篇の開幕および第七師団と沖田総悟の対峙は、56巻に収録されている。

 

 か(﹅)の(﹅)世界は、余程の明記がない限り、歳を重ねずとも年月は過ぎ去るフローティング・タイムライン:いわゆるサザエさん時空を採用している。ゆえに作中人物が時間の経過を自覚せずとも、体調の回復や心身の変化が生じることがある。

 例を挙げよう。ラジオ体操回では一話で一年以上の年月の経過が描写されている。当該訓では一時人工呼吸器を装着するほどに弱った本郷少年が、最後には自力で歩行するまで回復したことを示唆した。

 

 Q2・40巻分の生存はかつての重病人の体力をどこまで回復させるだろう?

    13巻分の鍛錬はいくらの実力を養成するだろう?

*/

 

「お師匠様……当時は、近藤さんのお父様だったのだけど。すごく褒めてくださるものだから。たゆまず腕を磨き続ければ、女だてらにも大剣豪になれるかもってね——ふふ、子どもながらも大袈裟だと思ったものだけど、それでも当時は乗せられて熱心に頑張ってたの。西郷さんのご指導はとっても厳しくて、久々に、あの頃に戻った気分になれた」

 ミツバさんはすこし、照れたように笑んだ。鍔迫り合う苦無と脇差はキチキチと不穏な音ばかりを響かせる。細腕に見合わないほど——

 

 ——ドッ、とわたしは全身から冷や汗が吹き出すのを感じた。

 

 友人と対峙するなぞ想定していなかった、だとか、今更生ぬるいことを言うつもりもない。そもそもにして敵対組織の縁者であることはとうに理解していた。沖田総悟とは友人の弟と理解した上で、命の駆け引きを行なったこともある。第一それを言い出すならば銀さんや小太郎さんにもわたしは既に刀を向けている。兄ほどにも馴染み深い兄弟子たちの首を狩らんとすることに比べれば、たかだか袖振り合った程度の友人のひとりやふたり。

 先に述べた言葉は事実だ。わたしは必要とあらばそよ姫の首を刎ねられる。ミツバさんの首を刎ねられる。もはや覚悟とすら呼ぶ必要はなく、鬼兵隊に所属する上でのただの大前提にすぎない。

 だから、そうではない。

 そんなものではない。

 この冷や汗の根源は。

 筋力の不足を補った全身を用いた身体の振り、体格差を加味した刃の噛み合い、足りない動体視力や反射神経を補うために選択肢を増やして対応する。手近な得物を拾得して直前に見た使用方法をそのまんまにトレースする。剣戟の最中で自らに馴染みの良いように補正して仕上げる。

 

 すべて、わ(﹅)た(﹅)し(﹅)が(﹅)先(﹅)程(﹅)見(﹅)せ(﹅)た(﹅)技(﹅)。

 

/*

 Q3・上記の褒め言葉がじつのところ、ひとつも大袈裟でなかったとすれば?

*/

 

 わたしがミツバさんの前で戦うのはほとんど初見だ。日野で出会ったときに大立ち回りを披露する機会はなく、真選組の動乱に彼女は不在。お見舞いに出向いた際は病院内の乱闘は控えたし、金さんの件はミツバさんはあのとき気絶していたから見ているはずもない。デコボッコ教団のときなぞわたしが心底不調だった。ほとんどというより思い返せばなんなら完全に初見だった。

 その初見の技を——しのぎ切ってコピーして返してくる対応能力。大道芸人だのなんだの、さんざんぱら言われるわたしから見ても明らかな異常。異常な才能を有する人間を我が国では鬼才と評す。そうしてなにより、兄上が鬼の総督と呼ばれる所以、銀さんが白夜叉と呼ばれた所以はただひとつだ。

 

 人を殺す才能を持つ人間を畏怖を以て鬼と呼ぶ。

 

/*

 史実の沖田みつが結核に倒れたとする記録は残っていない。彼女は七十を過ぎたころに亡くなった。おおよそ寿命に相違ない年齢だ。

 か(﹅)の(﹅)世界の沖田総悟は五体満足の健康体、重病に冒された描写はただの一度もない。薄命剣士の物語は少なくとも沖田総悟のものではない。

 

 Q4・それでは誰のものであるべきだろう?

*/

 

 とうにありえない仮定。彼女がもしも、一度も病を患うことがなかったならば。身体が弱く、竹刀を振ることすらできない時期——そういうものがなかったのであれば。

 そうしてもしも、半生〝たゆまず腕を磨き続け〟ていたら。

 わたしは、確実に、先の一撃で首を刎ね飛ばされていた。

 

/*

 沖田ミツバは沖田総悟の実姉である。

 史実の沖田総司の病の宿命を背負ったのは沖田ミツバである。

 本来の彼女は既に死した。途絶の先に道はなく、死人に口などあるはずもなく、未観測の余白は単なる空白に過ぎない。ゆえにこそ、彼女が有する可能性にもはや枷などありえない。

 仮定を拡張し、空想を撹拌し、夢想を解釈し、現実と定義する。

 夢物語に必要なものとは、語り部と、読み手と、あとは〝あったらいいな〟と思う心をひとつまみ。

 

 A・沖田ミツバは沖田総悟の実姉である。

   か(﹅)の(﹅)世界における剣の天才——人殺しの才能を有する青年と、同じ血を分かった姉弟である。

*/

 

 金属音とともに脇差を弾かれる。わたしは咄嗟に後ろに跳んで軌道を避ける。大ぶりなほどの回避行動は本能的危機感を示す。

 今しがたのわたしの引き技をまると真似て、「ご挨拶を忘れていたわね」ミツバさんは血のついた苦無を振った。

「改めて——マドモアゼル西郷が弟子、沖田ミツバ。参ります」

「……は、はなしがちがうかも……?」

 

 友人割でもなく、かといって甘く見ていたわけでもなく——ふつうにめちゃくちゃつよい、のはちょっと想定になかったかも……?

 

/*

 Q・ところで、病弱ながらも天賦の才を与えられた女剣士って好きですか?

*/




筆者は桜セイバーが好きです。
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