【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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戦闘シーンわからない。


27

前略:

 沖田ミツバ、参戦!!

 

   ➤

 

 苦無が放たれる。武器を手放すのは愚かな行為だ。既にわたしはその手の刀を叩き落とした。彼女はもはや他に得物を持たない。不要な動きは体力を無駄に浪費する。頭を傾けるだけでも避けられる——

 脳内に随時展開される判断をすべて捩じ伏せる。

 脇差で打ち落とした苦無が音立てて甲板を転がって、わたしは間髪入れず刀を返す。本来ならばただの空振り。

   キン!

 空を捉えたはずの軌跡は、金属とかたく打ち合った。瞬にして距離を詰めた足捌き。縮地のそれだ。ミツバさんは困ったように眉を下げた。手に握るは脇差——どこに隠し持っていらっしゃったのやら。

 経験則から基づく妥当なぞ、鬼の前ではすべて無意味だと、やはりわたしは経験から知っていた。

「やっぱりプロは違うのね」

「プロってなんですか」

「かまっ子倶楽部でもほとんどの人は初見ならコレに引っかかってくれたのだけど、西郷さんと、あと二人だけ引っかかってくれなかったの」

 かまっ子倶楽部はそういう魔窟なの?

「攘夷浪士でも幹部クラスはまず引っかからないとも言われたわね」

「ひとによるでしょうとも」

 武市さんはもしかしたらば引っかかるかもしれません。あのひと本当に、ただの一般人ぐらいには弱いので。

「ところで、そのお二人とやらの御名前を教えていただけます? 対峙したときには、少なくともあなた以上の腕であると見込まなければ」

 なけなしのプライドで軽口を叩くと「そうね」ミツバさんは微笑んだ。

「ひとりはヘルプでいらっしゃった銀さんだったわ」

「万事屋ってありえないほど仕事選ばないんですね」

 兄弟子の馬鹿。

「もうひとりは、源氏名しか存じ上げないのですけれど、ヅラ子さんと仰ったかしら」

 兄弟子たちの馬鹿。

「高杉ヒカリに勝てるくらいを目指していることを伝えたら、西郷さんがお忙しくて手が空いていない時は、お二人とも積極的に見てくださって」

 兄弟子たちの馬鹿!

「稽古を見ていただいているときにも思ったのだけれど、もしかして、ヅラ子さんも知り合い?」

「聞き覚えのない御名前ですね〜!」

 知らないということにしておきたい。わたしが知っているのはヅラ子ではなくエヅラ子です。なのでたぶん違う人です。そういうことにしておきましょう。

 ……打ち合いの最中にも平然と喋る様子。相応の肺活量だ。初対面の頃を思えば著しいほどの回復を示している。平時であれば祝いの言葉くらい述べたのだけれど、今はそうも言っていられない。

「それにしても、わたしに勝てるくらいですか」

「自衛と説明したのも嘘じゃなかったわ。でも——なにより、そうじゃなきゃ止められないでしょ」

 わたしは目を眇めた。

「……まさか止めるつもりだとでも?」

 ミツバさんは「ええ」とひとつ、肯定を示す。

「お友達が悪いことしていたら引っ叩いてでも止めたいと思うのって、けっこう、当たり前のことじゃあないかしら」

 打ち合った脇差をわたしは力任せに切り払った。さらに踏み込み一閃、斬り込んだ刃先は刀の腹で打ち流される。かすかな歯噛み。そよぐ柳の葉を相手にするようで苛立つ、と、いうのもあるけれど。

「それは、それは。素晴らしいお考えですね」

 わたしはあなたの病の苦しみを知らない。あなたが自らの身体の弱さをどのように受け止めたのかを知らない。あなたが置いて行かれたときの心のうちを知らない。あなたがなにを思って恋心を噛み殺し、なにを思って婚姻を決め、最終的になにを思ってそれを振って江戸まで訪れたのかを知らない。江戸でどのような日常を送ったのかを知らない。もちろん、鍛錬の具体的な内情も、参戦の経緯だって知るはずがない。わたしが知ることはただ、あなたが言葉少なにも話してくれた、表面的な情報にとどまった。かたちある箱に詰めて出力するその間に、失われる機微(ディティール)は数多にあるだろう。

 同様に——あなたは、わたしが踏みにじってなかったことにして置いてきた過去を、知る由もない。このひとにわたしの核を話したのは、初対面の日野での出来事、まるで仔細を伴わないただの一度きりだ。

 なにも知らないのに。

「止められると思っていらっしゃるの。大層な自信家だこと」

 ミツバさんの虹彩は紅茶色、うすい色だから瞳孔とのコントラストが高い。かすかな拡大を明白に示す。視線の先。筋肉の伸縮。いなした脇差を握り直すしぐさ。

 わたしは自ら下緒を切っ先で切った。思考の言語翻訳はもはやただの手間に過ぎなかった。そうするべきだという直感に等しい。

「あるひとの言葉なのだけど。不満を溜め込むのってどうやら身体に悪いらしいの」

 ど、ど、どうっ! 衝撃三段。

 下緒から鞘を解放するのが直感なれば、自由になった鞘を左手で胸前に引いたのもまた直感だ。

 その真中に鋼の切っ先が突き込む。

 ひとたびは見えた。ふたたびは手のしびれで悟る。みたびで鞘にかすかな罅が入る。刹那に三段の突きが叩き込まれてわたしはかすかに息を詰めた。衝撃は呼吸を奪う。

「だったら何事もやってみなくちゃ」

 いまだ阿伏兎さん主導の砲撃は続いていて、船上は時折、大きく振れる。正しく狙い定めたとて、ともすればぶれる攻撃は、軌道を描く最中にも統制して補正して繰り出される。あるいは不確定要素を無視できるほどに速く振る。同じ位置に連続した突きなぞその筆頭。

 ミツバさんの刀は疾い。そしてつよい。力をこめるべき位置、振るい方、呼吸の緩急、すべてをほとんど無意識に理解している。もしかしたらば満足に動けもしなかった時期の経験も糧となっているのだろうか。ひとより少ない体力をどうにか節約して温存してすこしでも長く活動する。それはすなわち最小限の動きで最大限の結果を叩き出すことにもつながるだろう。

 かの白褌の西郷を主に、かまっ子倶楽部の皆様と、ついでに銀さんと小太郎さん。なんとも豪華なメンバーだ。わたしは得物を選ばないから、相対するなら当然、複数の技術への即時適応を必要とするだろう——つまりこれ、なんなら兄弟子たち直々にわたし対策が伝授されていますね。つくづくいらんことする方々だこと。

 上半身にあえて大した筋肉をつけず、下肢の踏み込みや踏ん張りを軸に全身で叩き込むやり方は非常に覚えがある。身体能力的ハンデを補うためのそれだ。一見で油断を誘う他、そもそも女性は特にエストロゲンの影響により、下半身の方が鍛えやすい。限りある時間の取捨選択。

 それでも本来、この程度の短期間で養成される技術じゃあない。平々凡々な人間なら十年二十年と積み重ねてようやっとの領域。明らかに短期間で到達し、それもおそらく、未だ発展途上の技術において単なる通過点に相違ない。

 彼女が有する剣才は、明らかにわたしをしのぐ。

「正論ではありましょう」

 鞘を脛に叩ッ込む。当然ながらに彼女は跳躍にて回避、危なげない二点着地。しかしその一動作で重心は後方へわずかに傾く——狙い通りに。

 すかさず斬り込む。若干崩した体勢をミツバさんは一瞬で巻き返し、脇差はわたしの太刀筋に対応する。打ち合い即座に刀の向きを変えて振り切る。また打ち合う。手首の角度と振りの速度でわずかに軌道をずらす。打ち合う。不連続的に金属音が打ち鳴り続ける。

 もうあり得ないほどこのひとは対応力が高い。一度は不利な体勢まで追い込んだのに、だんだんと押し返されていく。

   不快に軋む音。

「ところでミツバさん」

 わたしはそもそも、剣才はそこまでずば抜けているわけではない。たとえば銀さんと真正面から打ち合ったら今でも確実にボロ負けする。小太郎さんでもこれは同様だ。なんなら兄上にはこの間の稽古と称したストレス発散でも一方的に滅多打ちにされた。わたしが一番隊隊長殿:沖田総悟と真正面から戦ったところで勝てないことは、以前にも小太郎さんに指摘された通りである。

 曲芸だの大道芸だの言われるアレソレはまあ各方面から突っ込まれているように、刀を使っているだけでしかない無茶振りをかましすぎてなんだか明らかに剣術ではない。わたしは一点特化の才能がないから幅広く真似をするに至った。

 わたしは事実として、剣(﹅)の腕は平均よりも高い程度。今のミツバさんにさえ及ばない。剣の勝負なら確実に負けていた。

「あなたもしかして、この期に及んで——」

 剣の勝負ならね。

「——手加減してますよね?」

 けれどもここは戦場だ。

   甲高く、破砕音。

 脇差が割れた。わたしの方だ。ミツバさんの脇差は未だ砕けず、それでも大きく罅割れる。——もとより無茶な使い方をするわたしの得物の方が脆い。そして刀はそもそも横からの力に非常に弱い。真正面から打ち合うものじゃあない。

 小説や映画で頻発する真剣での鍔迫り合いは所詮演出に過ぎず、武器の耐久力をまるっと考慮しないでいるか、迫力ある殺陣で本気の打ち合いに見せかけているだけに過ぎない。だからわたしの刀を使った無茶は、剣術ではなく、大道芸だのと呼ばれる。

 折れた脇差を放り投げ、間髪入れずに回し蹴り「っあ」ミツバさんの罅割れた刀の側面に足をしたたかに叩きつける。横っ面から叩き折った。

 彼女の動作は、下肢を鍛えて体重で押し込むすべを覚えた一方で、腕力が今一歩足りない。足捌きにしても、力を乗せるために瞬発的に飛び出す動作と蹴りを繰り出す動作、足に力を込めるという形態は同じでも要領が微妙に異なる。

 だから——徒手空拳で真正面から戦えるほどの地力はない。

 そもそもこの短期間でそこまでカバーが利くならば、いよいよ地球人やめて太陽光下でも戦える夜兎だとかを名乗った方がよろしい。これは兄弟子たちに申し上げたい意見でもあります。あり得ませんからね本当に。

 軸足に力を入れる。振り切った踵を空で止め、すかさず此度は逆に振り切る。身体の真中にジャストイン。肋が二本——三本、はっきりとした手応え。

 勢い余って甲板に叩きつけられたそのひとをわたしはもう見ない。横で轟いた爆音は、こちらも聞かなかったことにした。わーん信じられない、夜兎の次期最強候補と警察なだけの人斬りの怪獣大戦争がなんと真横で起きています!

 草履と足袋一枚の軽装で刀を叩き割ったものだから、足の甲は血まみれだ。脳内麻薬とは利便なもので、大した痛みも感じない。飛んできた苦無はあらぬ方向に吹っ飛んで行って、わたしは頭を傾ける回避動作を行う必要すらなかった。

 単に使い慣れていないこと、と——この娘は未だ、わたしを傷つけることを躊躇っているようだった。

「狙うならば首ですよ。あるいは鳩尾。目玉も柔らかいものの、あなたぐらいの素人さんでは狙い難いでしょう」

 ここ、とわたしは自らの頸動脈を指でつつく。襲撃用の小型艇に積んでいる医療設備なんてそう大層なものでもない。きっと止血は間に合わない。切られれば否応なく死ぬ。気管を切っても良いでしょう。宇宙空間でも一時間は生き延びられる夜兎は、人工呼吸器が必要な状況をもとよりほとんど持ち合わせない。だから船にも置いていない。

 そよ姫は両腕を震わせながら、ミツバさんが取り落とした太刀を持ち上げて、わたしに向けていた。恐怖のほかにシンプルに、刀は重い。刃渡りのある太刀は尚更だ。ミツバさんがわたしの一撃でかんたんに取り落とした理由とて、そこもあるだろう。わたしもあんまり、太刀は好きではない。わたしの身の丈では扱いづらいのですよね。

「どうしても、お話は、できませんか」

「話せる余地がまだあるとでも? ゆえにこそようやく、あなたも刀を向けるに至ったという理解をいたしましたが、なにか間違っていましたか?」

 わたしは笑いながら尋ねる。

 少女がつばを飲む動作がはっきりと見えた。

「あなたは……以前、じいやを助けてくださいました」

「死なれると困りましたからね」

「私を殺しませんでした」

「殺す必要がないときは殺さないのです。無駄でしょ」

 先にも述べたことだ。

「神楽ちゃんと新八さんを先に逃がしました」

 そよ姫は青ざめた顔色で、苦無のかすった頬からは血がたれて、声はまるで震えていて、腕は刀の重量と恐れに力負けしていて——しかしわたしを真正面から見据えている。

「じいやの腕を繋ごうと仰ったのはあなたが最初でした。生きている方が都合が良いと仰るなら、腕は元来、必要なかったのに」

 わたしは歩みを止めない。

「神楽ちゃんをわたしの護衛にと仰ったのもあなたでした。新八さんのすぐ後ろをつかず離れずに走って、警察組織の方々と合流すると兄上に刀を向けることもなくすぐにお城に引き返して増援に加わりました。……お城から無事に脱出できるまでをあなたは守ってくださいました」

 お姫様の指先には瑕疵のひとつもなく、かたかたと震え続けている。

「後ろから攻撃されないかあなたはずっと気を配っていらっしゃった。殺す必要がないとは仰るけれど……生かす必要も、なかったんじゃありませんか」

「好意的に解釈してくださるの?」

 今度こそわたしはハッキリ笑った。嘲笑に近い、いやな笑い方の自覚があった。

「お優しいこと、さすがお姫様は格が違いますね」

「話が通じないってあなたは仰いますけれど、私にはとてもそうは思えません。どうして刀を向け合わなければならないんですか……」

「……そのように親切に見えるなら、お望み通り、親切に振る舞ってあげましょうか? あなたが把握していないあの日の事実をひとつ教えて差し上げます」

 わたしは自らの頸動脈を示していた指を今度は空に向けた。本日は透き通るように晴れている。あの日江戸城の背景を彩った、うつくしいほどの満月を思い出す。

「あの満月の夜、あなたへの狙撃を指示したのは定々公ではなくわたしです。第二第三の狙撃が来ないことを少しも不思議には思いませんでしたか? 繰り返しましょう、わたしはあなたを殺す必要がなかった。しかし、あなたが死んだところでそこはそれ、特になにも、構いませんでした」

 素敵な姫君。あなたが知る殿中には当然、このような魑魅魍魎もいたでしょう。あなたは世界に悪意が蔓延っていることを既にご存知のはずだ。わたしがそこから除かれたのは、神楽陛下のお知り合いだったからかしら。六転さんを助けたように見えたからかしら。あなたに親切にご忠告したように、見えたからかしら。たしかにわたしは必要がなければ人は殺さない。優しくすることだってできる。けれどそれは——決して殺せない、ということでは、ない。

 やさしくするのはあまりに容易い。

 その後の責任をまるで取るつもりがないから。

「何故話が通じないと申し上げるのか、いい加減おわかりになりませんか? 話が通じるような顔をして懐深くに入るのは詐欺師が常套手段。気づいたときには——すべては手遅れです」

 たとえば伊東さんはそのようにして散った。

 かたかたと震え続ける太刀の切っ先を掴む。反射的な刀の振りを峰の側に指の力を込めて押さえ込み、固定する。赤子の手をひねるように、その次くらいにはかんたんに、手首を返せばそよ姫は太刀を取り落とした。

「機会はあげました。ふいにしたのはあなた」

 甲板に音を立てて転がった太刀をわたしは草履で踏みつけた。もはや縊り殺せる位置だった。

「かの月夜は所詮、現世の夢。都合の良い夢はもうお終いですよ」

 わたしの手指を阻むものはなく——

 ——ゴッ、と、こめかみに激痛。

 視界が明滅、火花が散った。錯覚だ。一時的な高負荷(シャッフル)による神経系の停止。側頭部を振り抜かれた衝撃によるもの。

「ッヅ、」

 わたしはぐらっと振れた視界をなんとか立て直す。眼振の意図的な制御。三半規管を根性だけで叩き直す。同時に蹴り上げた太刀を後ろ手に宙で柄を正確に掴む。振り向きざまに鉄筋と鋼が打ち合った。

 船から外れた手すり(お隣の怪獣大戦争が引き起こした先の轟音でねじきれた)を長物のごとく振り回し「つれないわね」ミツバさんは吐息のように声を漏らした。やっぱり先の一撃で、肋は折れたみたいですね。

「まだ、私との、お話(戦い)の途中だったのに」

「……あらごめんなさい?」

 思わず鼻で笑った。気分がなんだか高揚している。側頭部をしたたかに打ち据えられたばかりだったけれど、血の巡りはむしろ、頭を妙に冴え冴えとさせた。

「だってあなた、この期に及んで生け捕りを目論んでいらっしゃるのだもの」

 首を狙ったのは最初だけ。二撃目以降はまるで避けるようですらあった。読みやすいったらありゃしない。そよ姫への教示は半分はお姫様に対する本気の苛立ちで、もう半分はこのひとへの当てつけだ。たとえばいつものそよ姫の護衛:今井さんがいらっしゃったらば、彼女なら三、四撃目でとっくにわたしの首を飛ばしていた。

 ……ああなるほど、見廻組がいないからこそ、そよ姫付きの女性の護衛は不足していただろう。そして真選組隊士には少なくとも女性はいない。今更ながらに得心する。

 答え合わせをする気もない。わたしは太刀を握り直す。

「そのような体たらくでわたしの相手が務まるとお考えでは、困ります。あなたをお友達に選んだわたしの見る目が節穴みたいでしょ?」

 三連突きは特にいい技でした。あれが首に向けられていたらの話ですが。鳩尾なればまだしも、胸骨に守られた胸元一直線だなんていよいよ馬鹿にしているとしか思えない。

 腕をもがれても足を断たれても這うことはできる。泥水なめても虫や苔を食べても折れない矜持というものがある。わたしはそうやって死に損なってきた。生き延びるなんて生易しいものじゃあない。悪運を積み重ねたその結果の生でしかない。

 蜘蛛の糸よりも頼りないものを掴んで、それでもわたしは——まだ、息をしている。

「止めると仰るなら息の根ごと止めなさい」

 そうでなければ止まらない。

 既にそういうところまで来ていた。

「ええ、そう、気をつけるわ」

 ねじ曲がった鉄筋は、続いてわたしの顎を狙って跳ね上げられる。わたしは横っ跳びに躱した。

 ミツバさんの瞳を、わたしは普段紅茶色と呼んでいる。しかし今爛々とひかる色彩は、あざやかに彩度を増していた。

 まるで血の色にさえ見えるほど。

「勢い余って殺さないようにね」

「……ああ、本当、愚弄してくれる……」

 才能ありきの傲慢だ。懐かしさすら覚えるくらい。

 ちらり、とまぶたの裏。またたく兄弟子たちの影をわたしは踏み消して、

 

「その辺にしときな」

 

 船上。

 くろい、影。

 あちこちで爆煙を上げる船の屋根に足をかけて、忍らしい黒装束に加えて、逆光のもと男は自らの腕を伸ばした。

 掲げるようにつり下げられた袋を持っている。血がにじんで滴り落ちた。

「もう充分だろ。将軍の首なら、ここにあるぜ」

 

   ➤

 

「あ、にうえ、さま……が?」

 そよ姫の——呆然とした、ことば。

 わたしはすかさず、持っていた太刀をそのまま投げつけた。咄嗟に身を引いたミツバさんをかすめて、ガシャンと鋼は音立てる。その隙にさらに何度か跳ねて距離をとる。

 ミツバさんは鉄筋を構えて、一度足を踏み出しかけて——夜兎の集団に眼差しを険しくさせた。

「……ハァ〜、やっていられません」

 一方、じゅうぶんに距離を開けたわたしはヤレヤレと首を横に振った。なんとまあ、つまるところ、骨折り損のくたびれもうけ!

「本艦の手柄は忍者が総取りだなんて。遠路はるばる来た甲斐はこれにておじゃんです」

「おーおー、俺も不思議なこった。まさか団長と鬼兵隊幹部がふたりして、遊びに夢中なんだもんな?」

 神威さんの容態の見分は一通り済んだのか、こちらに寄ってきた阿伏兎さんがじとっとした眼差しをくださる。フンとわたしは鼻を鳴らした。

「姫様を殺すのも重要でしょ」

「殺せてたら俺もグチグチ言わねえよ。じゃれてたから言ってんだよ」

「わたしは殺すつもりで行きましたもの。舐めた真似してくださったのはあちらの方」

「団長と同レベルにはどっちもどっちだアホンダラ。オニーチャンに言いつけてやっからな」

「ヤダ御冗談」

「たく、相変わらずありえねえ暴れ馬は健在っとな……」

 副提督殿はひとしきり一方的に悪口吐いて、わたしのこめかみを義手で雑にこすると、今度は降りてきた服部さんの方に足を向けた。なんですか今の——とわたしは彼を睨んで同じこめかみをてのひらで触れたらば、ぬる、と生あたたかくざらついた物体に触れた。

 ……ン?

 てのひらを見る。べったりと血がついている。傷口に押しつけられた布(なにこの布?)は血を吸ってただの汚物の塊と化している。そういえば鉄筋でしたたかに殴られました。ところでこの布、阿伏兎さんの私物? ハンカチ? 小指で鼻くそほじる人が、ハンカチなぞ持っていたの? 持っていたとしてそれはいったい何日前のもの?

 思考がどんどん脱線する。ぽやぽやとふやける思考回路を自覚してわたしは顔をしかめた。足の甲といい、そこそこ出血しているせいだろう。久方ぶりにやらかしました。

「阿伏兎がまともに気ィ遣う程度には、わりと深く切ってンな」

 云業さんがわたしの怪我を覗きこんだ。

「止まんねえのか」

「処置もしてませんしね。地球人ってあなたがたに比べて回復力が低くって不便なんです〜」

 というか大怪我して早々、大した処置をしたわけでもなく血が止まる夜兎の方々こそが宇宙平均でも異常。吉原の件の阿伏兎さんもその筆頭、止血を差し引いても片腕飛ばされているのに異様な速度で出血が止まっていた。つくづく信じられません。

 帯を解いて裂いて包帯のごとく頭を縛る。足も縛る。本物の包帯は一旦、鬼兵隊でも第七師団でも、船に戻らないとない。足の方はあとで破片が入ってないか検分しないと。細くなった帯を雑に結び直して、立ち上がる。

「いよいよ沈みかねませんね。移動しましょうか」

 先の爆発で船には大きく亀裂が入って、既に、墜落寸前の様相だった。浮力はこちらの方がましらしく、ミツバさんは弟さんに肩を貸していて(一番隊隊長殿ったら居心地悪そ〜良い気味です。こないだ揶揄ってきたの、覚えていますからね)太刀は拾い上げて佩き直したみたい。そよ姫はほとんど青褪めて倒れかねない様子で、それでもミツバさんが手招く腕に首を横に振ると、自力で立つ気丈さを見せた。

 瞳がわたしを見据える。わたしはニコッと笑って、ちいさく手を振る。バイバイ友達。一度は置いていかれたあなた(わたし)。置いていったひとたちと、同じ戦場に立ったわたし(あなた)。

 あなたとわたし、ようやく対等な位置についた。どうか次こそちゃあんと、手足だの胸だのとなめたことしてないで、この首を狙ってくださいませ。

 ……次があるならの話だけれども。

「一回着陸させてよ」

 春雨:第七師団の船に戻って早々、神威さんが駄々をこねた。一応背中と手の甲の手当ての真っ只中なので床にあぐらの姿勢である。手当てをしている部下に「団長動くな」苦言を呈されている。背中を縫われているのに元気に喋っているのはわたし的にはちょっとわからない。信じられます? なんとこのひと麻酔かけてないんですよ?

 なんだかこのビックリドッキリ身体能力な夜兎を眺めていると、縫われて苦しむ小太郎さんってちゃんと人間だったみたい……と謎の感慨が湧いてくる。

 相対評価ではなく絶対評価で見るべきなのはもちろん分かっている。

「あのお姫(ひい)さんがシッカリ死んだか、死んでないならトドメ刺さないといけないだろ? ついでにお巡りさんを探そう」

「後者が本音ですね」

「オラワクワクしちゃってんぞ」

「天丼ですね」

 正直、わたしはどうでもいい。捜索と死亡確認、場合によっては追撃を行う必要があるのは事実だけれど、そこまで急ぐ必要もない。

 なんとか神威さんをなだめようとする皆様の傍ら、心底適当な感想を述べているとぐりんと頭がこちらを向いた。首の筋肉可動域ぎりぎりまで駆使して、海のように澄んだ碧眼がわたしを凝視する。

「冷静ぶるなよ。俺より先に飛び出したくせに」

「ぶってませんよ」

 一度水で強引に洗い流したこめかみに自ら包帯を巻き直しながら(夜兎の力加減で手当てされると、ただの手当てで下手すると脳みそが破裂する)わたしは溜息混じりに返した。裂いてしまった帯は捨てるとして、替えがないんですよねえ。鬼兵隊の船に戻るまでは雑な装いのままである。

「あくまでも第一目標は将軍の首。手足をつぶすのは第二目標。そよ姫の殺害は予定に含まれてこそいたので駆け出しましたけれども、成功するならついでに叩いておこうね、くらいのものでした」

「どうかなー。明らかにそんな勢いじゃなかったけどなー」

「お黙りなさい」

「自覚あるんじゃん」

「手元の仕事が終わったなら、次です次。他の増援に向かいませんと」

 不利な話は強引に切って、わたしは端末を点灯させて視線を落とす。わたしたちが暴れている間にも(暴れていた自覚は、あります)各地の情報は次々に届いていた。

「海路は兄上たちが制圧したようですが、陸路の連絡がないのが気にかかります。藤林殿・百地殿が手間取っていらっしゃるのかも」

 もっとも、山林内部の乱戦となればむしろ忍者の得意分野であるべきだが——わたしは今来ている連絡に一通り返したのち、メモ帳アプリを開いた。

「本物の将軍の首がとうにここにあるってのに、陸路まで叩くのかい? 悠長だな」

 服部さんが肩をすくめた。

「俺ァこの機に江戸城にでも戻ってそちらを叩くべきだと思うがね」

「あら。陸路を強襲されるとなにか都合の悪いことでも?」

 忍者の御方の主張に対して、わたしはあくまでも軽やかに返す。

「いやいや、俺とてそりゃあ? 一橋公のご意向なら動くとも。なにせ雇い主だ」

 服部さんはわたし以上に軽薄な口調で言った。ボサボサの前髪に隠れて彼の瞳は見えない。その分量の前髪は果たして前は見えるのだろうか。……足取りに違和感はないので無用な懸念だろう。と同時に、ただでさえそのように顔上半分はほぼろくに視認できず、口元を隠されるといよいよ表情が読めなくなる。

「しかし先の、任務にほとんど無関係な独断専行といい、アンタがなにか時間を稼ぎたい目的でもあるんじゃねえか……とな」

「仰いますねえ。もとより茂々公派につく者は叩けるだけ叩いた方が、のちのちの不穏分子をも予め摘み取れてよいというのは元来の方策通りでしょう。それともこの回答ではなにか、ご不満?」

「……マ、そういうことにしといてやるさ」

 船室の方へと歩む忍者を見送って「……さて」わたしは端末を手の中で転がして、阿伏兎さんに画面を向けた。

「洗って返しますねこの……布? 何?」

【 いよいよきな臭いですね? 】

「何年か前のマントの端切れだな。ポケットずっと入ってた」

 阿伏兎さんは特に表情を変えることもなく、こちらも端末を取り出すとタタッと文面を打ち込んだ。

【 〝会話はマキマに聞かれてる〟かよ 】

「なるほど。……ふつうに捨てていいですか?」

【 ちなみにあなたが仰っていた〝きな臭い〟は服部さんの件ですか? もとより怪しいお人でしたが 】

「助かる〜」

【 アイツがきな臭えのは大前提として、たぶん他にもある 】

「ごみ処理押し付けられてますね……次は人の怪我に当てるならもう少し清潔な布でお願いします」

【 さすが将軍暗殺ともなれば、地雷ばかりが埋まっていること 】

「都合よくンなもんねえよ。俺たちゃハンカチなんて高尚なもん持ち合わせてねえぞ」

「人としてのマナーってご存知? ……海賊に期待するものではございませんでしたね、これは失礼をば」

「勝手に納得して謝りやがるぜこの女……」

 わたしは肩をすくめてメモ帳アプリを閉じた。とりあえず懸念点の共有は終えた。足袋を引き抜いて足の甲を確認すると表皮はだいぶん大惨事だけれど、刃の欠片などは目視した範囲ではめり込んでない。清水で絞ったタオルで拭いて、包帯を巻いていく。

 一通り処置が終わったので、続いてわたしはそのまま膝をついて、将軍の首をじっくりと眺めた。目を半ばに開いていて、微笑みじみたかけらばかりがのこっている。死相にしては奇妙だった。他愛もない世間話の最中に刎ねられたのか。……わたしが将軍を間近に見たのは定々公の一件が最後だ。いくら月明かりや松明に照らされていても、夜半ではあまり細部まで確認できていない。

「本物か?」

「正直、わかりません。ご尊顔はたしかにそっくりでいらっしゃいますけれど……昨今は大枚を叩けば別人の顔さえ手に入るご時世ですしね。それこそ遺伝子検査でもしてみないと」

 もっとも〝先生〟のときとは違って、将軍の照合用の検体にはまるで心当たりがない。

「そよ姫の首を鹵獲できたらよかったのですけれども。ちょっと手間取り過ぎましたねえ、これは失態……」

 成功していればあれこれつべこべ突き合わせている必要もなかった。わたしは嘆息する。それもこれもなにもかも、お友達が邪魔したせいである。

「兄妹照合なァ。……そもそもお国の世継ぎとその妹だろ? 歳も離れてンなら、もしかして異母兄妹か? 異性の兄妹じゃあどのみち精度が低いとかいう話だろ」

 海賊ってそういう知識も身につけるんだ。

「ンーその点に関しては意外と……先々代将軍の御子は、いずれも同じ側室との間にのみ生まれていらっしゃるので」

「側室? 珍しいな。側室ってアレだろ第二夫人だの第三夫人だの。跡継が正妻のガキじゃねえのは古今東西揉めるんじゃあねえのか」

「もはや宇宙間常識ですからね。とはいえ、開国の混乱期に十二代目が夭逝なさったのは我が国では有名な話ですが、それ以前の段階で御台所もわりと早々に儚くなられてしまったのです。なのでその点に関しては揉める余地はありませんでした」

「ハー……アンタらの国って踏んだり蹴ったりだな」

「否定はできません」

 さすがにザ・天人たるあなたがたに言われたくはないものの。

 鳳仙殿が吉原再建に関与したことを踏まえれば、攘夷戦争にも宇宙海賊春雨、それも第七師団は確実に一枚噛んでいる。阿伏兎さんの普段の他人事じみた口振りや、地球自体にはさして詳しくない様相を見るに、御本人は参戦していないようすだけれど。

「ともあれ父系照合はもちろん、母系照合もかなりの精度で可能かとは存じます」

 わたしは結論をまとめた。

 もっともこれでたとえば、じつは異父兄弟の影武者がいました、だとかであれば、その鑑定すら信用しがたい。

 背中を縫いきって包帯を巻き、頭部と手の甲にそれぞれ応急処置を施した神威さんがパッと跳ねる。

「ほーらやっぱり、探しに行かないと」

「アンタは探すにしても目的が違うだろ……」

「一旦下ろしてくれればいいよ。諦めたら戻るもんね」

「いくらかかれば諦めるんだかな、そして諦めるってのは姫様捜索かそれとも護衛捜索か……」

「そんなの答えはひとつじゃないか」

「ウン期待してる方の答えではねえことだけはわかるぜ。ちなみに団長、アンタ背中に大穴開けた自覚は?」

「でも縫った。もう治る」

 両手を広げて神威さんは晴れやかな笑みを浮かべた。暴走特急機関車だ。むしろ暴走特急宇宙船だ。昨今の宇宙船は亜光速で移動するので、時差ボケの調整が大切なんですって。この場合の時差ボケはつまり相対性理論に等しい。

「……ハァ。わーったわーった。一旦着陸させるぞ」

 阿伏兎さんは案の定に折れて、手を振って船員に指示を下した。「云業はあっちついてやれ」「ええ……」「何人か部下つけるから」「団長相手に誤差だろ」「そりゃそう」「ヤッタネ、粘ってみるもんだ」神威さんはハッチの方へとスキップで駆けていく。単なる戦闘欲求だけではなくきちんと理由づけする程度には責任への自覚があり、強引な理由付けで押し通そうとする程度には責任能力がない。

 神威さんの足音も遠くなったところで、阿伏兎さんは真顔で続けた。

「で団長降ろしたら俺ら発つからあとよろしくな」

「オイ」

 神威さんのお守りを押しつけられた現第七師団団長・云業さんから裏返ったツッコミが入る。

「大丈夫だって云業、おめーさんはやりゃあできる子。ンで今の団長はわりと大怪我でコンディショングッダグダだ」

 阿伏兎さんはしたり顔で指を振った。

「最悪は腕くらいは吹っ飛ぶかもしれねえが、なんとか止められンだろ。狙い目は右手・土手っ腹・あと側頭部。あのお巡りが足の骨も折ってくれたらこんな手間せんで済んだが、マ地球人にしちゃ大したもんだ」

 上司の足の骨折られることを切望している部下ってなんでしょうね。神威さんは足の骨折れた程度で止まるとも思えませんがね。

「ちょい待てだったらこの女連れて行かせろ」

「は?」

 云業さんがわたしを指さすので思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。流れ弾どころかほとんど跳弾のたぐいだった。

 というか人に指差しはふつうに失礼なんですけれども?

「保険に曲芸がほしい。俺だって命は惜しいっつうか団長の八つ当たりなんざで死にたかねえ」

「わたしも八つ当たりで死にたくはございませんが?」

「アンタはどうせなんとかできるだろ前科一犯」

「あなたがたの要請で止めに入った経験がよりによって前科扱いなんですか!?」

「鳳仙完全に怒らしたのはアンタだろ」

「わたしが口を噤んでいたところでどのみち神威さんが怒らせてましたよあんなの!」

 べつにわたしとて万能でもない。あれは鳳仙殿と対峙していたから——すなわち、夜王と夜兎最強集団トップでぶつかっていたところへの横槍だったから、そして阿伏兎さんも一緒に割って入ったから、偶然上手くいったようなものだ。

 つまり神威さんのお相手はふつうにね、死にます。

「ン、アリなんだが……」

「アリなんだが???」

 わたしの目の前でわたしの使用権(所有権とか人権ですらない、ただの使用権)が売り渡されそうになっている。わたしはうっかり呆けた顔を晒した。

「ただ一応鬼兵隊との連携要員で連れてきてるからな……コイツはまるで怖かねえが後ろのオニーチャンが出張ってくると俺たちゃ立場が悪くなる」

「阿伏兎さんってちなみに、そもそも目の前にいる命の恩人のことどう思ってます? わたしとて貸し借りを我が物顔で振りかざすなぞ礼節に悖ると思っておりますけれども、それにしたって直接的に命の恩人のわたしを」

「暴れ馬」

「ヒカリです……」

 お、怒ってもよくない?

 云業さんはしわくちゃのピカチュウの顔で部下を何人か見繕い(全員、反論こそしなかったものの、揃ってしわくちゃのピカチュウの顔をした。はしゃいでる神威さんの同行って、そんなに嫌なんだ)神威さんに連行——もとい、一緒に船を降りた。船が墜落したあたりからは黒煙が上がっていて、木材やたんぱく質が燃える臭いがかすかに鼻を突く。

 阿伏兎さんは十二分に距離を取るまでを確認して、頭上を振り仰いだ。わたしもつられて天を見上げる。もうすっかりと夕方で、烏がひっきりなしに鳴いていた。おうちに帰るのかしらね。

「で……」

 阿伏兎さんがコキリと首を鳴らす。

「陸路の方は」

 端末を取り出して点灯させると、情報は更新されていた。

「先程百地さんから連絡が来ていました。多少手こずったものの、万事滞りなく済んだとのことです。そちらに坐す将軍も影武者だったと」

「……ふうーん? モモチの方が?」

 この真意は、もとより春雨と繋がっていた藤林ではなく? という問いかけだ。

「ええ」

 気にはかかるが、陸路には鬼兵隊人員は割いていない。第七師団団員も同様だ。海路の襲撃も無事に済んだものの完全に空振りだったらしく、また子さんから手応えのなさを嘆くメッセージが届いていた。

 わたしは端末の画面を眺める。兄上からのご連絡は簡素な文面にまとめられていた。

「総督からご指示が下りました。一度合流しましょう」

「へーへー。雇い主様の仰せのままにっと」

 傘を担ぎ直したおとこに「いちおう、あなたがたの雇い主も一橋公という体ですよ」わたしはひとつ訂正しておいた。我々から春雨に出す予定の報酬も、元を辿れば一橋公から賜る褒賞から出てくる予定になっている。

「ハッ。海賊風情だろうがプライドってモンがあってな、一度も顔見たことねえやつに雇われた覚えは俺ァねェさ」

「……外で仰らないでくださいね」

「場所は選んでるよ。忍者は?」

 今なら森に捨てられるが? と冷え冷えとした眼差しが語っている。歴戦の忍者相手だろうが、第七師団ののこったメンバーとわたしで袋叩きにしてしまうのはたぶんとっても簡単で、そのまま森に埋めれば後始末まで完了できる。服部さんが真に何を目論んでいらっしゃるのかを考える必要もなくなり、たしかにいろいろ楽だ。

 残念ながら兄上のお考えは異なる。

「映えある大将首鹵獲の貢献者、丁重にお運びしろとのことです」

「しゃあねえな。りょーかい」

 おめーさんら船戻るよーとのんきな声で指示する副提督殿を眺めて、わたしも船に足をかける。森の中では人工灯もごく少ない。もうすこしすれば、星もよく見えるだろう。

 

   ➤

 

 鬼兵隊合流、開口一番。

「バカは?」

 兄上の問いかけはじつに簡潔だった。

「置いてきた」

 阿伏兎さんの回答もまた、じつに簡潔だった。

 我々間ではバカで通じる神威さんである。なにせバカ提督をご自身で名乗られましたからね。

 兄上は煙管を揺らしてわたしを見るので「ご報告した通り、我々が強襲した船は最終的に森に墜落しました。彼はそよ姫様と、交戦した侍を探しに行きたいとのことで、自らの意思で船を降りられました」わたしは説明した。

「我々は神威さんと貧乏くじを引いた彼の見張り役……ではなくて」

 阿伏兎さんに脇腹を(夜兎としてはごく軽めの力で)小突かれた。

「訂正しましょう。選抜された捜索人員の方々を降ろして、そのまま出航しました」

 兄上の眼差しが生温くなった。

「……まァいいか」

 いいんだ。

「どうせ止めても無駄だろうしな」

「その通りよ」

 我が意を得たりとばかりに阿伏兎さんが頷く。雑極まりないことである。

「連絡はつくんだろうな」

「一応持たせちゃいる。最悪居場所だけ把握する他ねえだろうが」

「森の中はGPS死ぬぞ」

「……まァ云業がどうにか抑えることを期待するさ……」

 大の大人ふたりで諦めのムードを漂わせ始めた。無策だったんですか。わかっていたらわたしとて、どうにかして神威さんを説得したのに。あのひとけっこうわたしに優しいので(強い子を生むかもしれない/強く育つかもしれないから、女子供はなるべく殺さない主義に基づくのだろうか? だとすれば、わたしに限っていえばまるで無意味なのだけど)わりと折れてくれる可能性はあった。過ぎた話ですね。

 わたしはこっそりこめかみを揉……揉もうとして、ピリッと痛みが走ったのでやめた。そういえばわたしも怪我をしていました。

「生存確認はどのみち必要だ。一族郎党刈り取らねば復讐されるがこの国の流儀」

「もしかしておまえさんら、特に俺らがなにも首突っ込まなくても修羅の国か?」

「さすがに内乱程度で毎度毎度、族滅してるわけもねーだろ。偏見ばらまくな」

 遅れてやってきた服部さんが突っ込んだ。腕を組んでわたしの斜め後ろに立つ。

「それにしても、次の指示ってのは? 除け者にして教えちゃくれねえモンだ」

「そう急くなよ。じきにわかるさ」

 兄上がとぼけて「で、愚妹。かすり傷を負ったとは聞いたがな」わたしの襟首を引いて身体ごと寄せると、こめかみを指で押した。

「……い、嫌がらせですか……? 痛いんですけれど……」

 ふつうに痛い。なんなら下手すると傷が開く。しかし襟首を捕獲されたままなので逃げるに逃げられない。振り返って訴えたわたしを兄上は呆れた様子で見下ろした。

「俺ァてめえのかすり傷の定義が聞きたいねえ。終わるころにはいつも通りの満身創痍が目に見えるな」

「死ぬこと以外はかすり傷です」

「馬鹿言ってら。今度はなんに油断したかね、そう強い奴がいたってんなら神威が全部食ってそうなモンだが……」

「お友達とやり合ってたぜ」

「あっ馬鹿阿伏兎さん」

 阿伏兎さんは耳をほじりながらあらぬ方向を見つめた。お兄ちゃんに言いつけてやるってアレ本気だったんですか!?

「ヘェ? あの女か、ミ(﹅)ツ(﹅)バ(﹅)さ(﹅)ん(﹅)」

 片目が眇められる。翠眼はわたしを上から下まで見た。

「にしてはずいぶん……手酷くやられたようだが」

「手酷く? ちゃんとよく見てください、命が無事どころか五体満足です」

 わたしは兄上の評価に噛みついた。両手を広げて大した怪我がまるでないことを見せる。実際に大した怪我はない。ズタズタになった足の甲と側頭部以外は出血すらなく、せいぜいが技を受けた手首がちょっとしびれたくらいのものだった。

「あのひと、手加減しました。わたしのことまるで侮っていたの、生け捕りにできると思っていらっしゃったのよ。お友達ですけれども、むしろだからこそ許せません」

「ハイハイ……」

「あのなんですかその反応。お尋ねになったのはあなたの方でしょう。最後まで傾聴する姿勢を保ってください」

「これだから甘ったれは」

 兄上は面倒そうな顔を隠しもしない。

「なあアンタの家庭、どんな教育施したらこの暴れ馬ができンだよ」

「武家の常識と虐待。コイツは加えて淑女教育」

「アンタの方言じゃ淑女はじゃじゃ馬の類義語か? イヤこれ前にも似たようなこと聞いた覚えがあンな……」

「俺もコイツもご覧の通り、教育大失敗だ。跳ねっ返りにとっちゃ反面教師にしかならなかったというわけさ」

「違いねえや」

 阿伏兎さんは今度は悟った顔で頷いた。失礼極まりない御仁だ。

「行動はどちらにせよ日が昇ってからだ。一旦コイツは回収」

「兄妹水入らずど〜ぞォ」

「エッ……これもしかしてお説教コースですか」

「よくわかったな?」

 悄然と引きずられていくわたしを眺めた服部さんが「……あの百舌鳥が締まらねえモンだな」ぼやいた。残念ながら鬼兵隊の日常なので、付き合いの長い阿伏兎さんはあくびをこぼすと「一旦仮眠でも取るかな……」なんて踵を返す。

 かくしてわたしは見捨てられましたとさ。

「侮ったと言うが、なめてかかったのはそもそもてめえだろ」

「その点については申し開きの仕様もないのですけどもぉ……」

「ヒカリ様戻ったって……アー、俺あとで顔出しますね」

「中田さん部下の誼で助けていただけたり、しません?」

「無茶言わないで?」

 そうですよね。

 医療フロアでは、海原さんを筆頭に隊員が負傷者たちの周りをくるくると働いていた。さすがに海路の方も全員無傷とはいかなかったみたい。訪問客の足音に気づいてか海原さんがこちらを見ると「ウワ」辟易とした声を漏らした。

「患者一名追加ァ。てかごめんけど割り込ませるよコイツ」

「処置はしましたので最後尾で大丈夫ですけれども……」

「もしかして見ないうちに知能の後退でも発生した? 頭殴られてっからこそその位置に包帯だろ。CT撮ンだよ最優先で」

「ウーンでもCTスキャンってシャッター音がうるさくて……」

「ほーん。MRIにかけられたい? 慎重派だね〜」

「我慢しまァす」

 CTスキャンはうるさいけどMRIは何倍もうるさい。時間もコストもかかる。どちらで妥協するかでいえばCTだ。

「また子がおまえがいねえと拗ねていた。あとで顔出しとけ」

「兄上が勝手に別行動で組んでいらっしゃるから……」

「てめえも拗ねるのかよ。そもそもリスク分散は定石だろ」

 兄上は腕を組んで興味もなさそうに言った。……それはまあ、存じている。だから兄上とわたしで組む任務ってあんまりないのだ。兄上が意図的に管理している。鬼兵隊全体で出張る任務以外だと、それこそ余程の大物の接待くらい。

「空路の方じゃ、本物の上様の首を取ったのは服部だという話じゃあねえか」

「たしかに首は改めました。第七師団の方にお伺いすれば実物も見られるかと」

「おまえの意見は?」

「そうですね……まず、精巧な人形ではありませんでした。間違いなく人の骸であり、生きている間に刈り取られた首です。また、将軍の顔、と言われたらその通りでしたね。しかし厳密なところは遺伝子検査でもしない限りは難しいかと」

「ゲッ、またゲノム解析? 徳川の血筋もじつはやんごとなき秘密を抱えてたりするわけ」

 比較的直近、遺伝子検査を依頼したばかりの海原さんが顔をしかめた。しっかり苦い記憶になってしまったらしい。

「身体の方をいろいろ探りゃあ出てきたんじゃあねえのか」

「船ごと落ちましたもの。船の方もなにせよく燃えていましたし」

 振り返ると明らかに砲撃だけでなく、忍者の工作がちょっと盛大すぎたのもあった。わざとかしら。

「神威さん率いる捜索班次第ではありますが、なかなか望み薄ですね」

「ところでお話し合い中失礼しますがヒカリ様一回CT叩き込みますんで切っていいですか?」

「どうぞ。どうせ概略と仔細のすり合わせだ」

 CTスキャンって、突然 バツン! と音がするのが一番ビックリする。

「うん、頭蓋骨骨折や血腫の様子はなし。表面の血管切れたくらいらしいね。動脈ガッツリ切ってるからけっこうドバドバ血が出たとは思うけど」

「止まりました」

「だろうね。頭痛や吐き気、目眩が続いてる様子もないからなー。応答もハッキリしていてあとは足取り……そういや今回総督に引きずられてたから見てないや。一回立ってそのへん歩いて」

 素直に歩くと「マよかろう」海原さんは鷹揚に頷いた。

「歩き方も筋や骨やってる感じでもないな。ところで足はこれなにしたの。上から壺でも落とした?」

「刀を叩き割りました」

「……え? 人間? 刀叩き割っといて筋も骨もやられてないのはもはや別の生き物だけど?」

「もともと罅入ってたので……」

「ああなんだそういう……ヤおかしいだろ。妹君基準狂ってるよ」

「海原さん前から思ってましたけど、自分の常識外の話出すときだけわたしを妹扱いで呼ぶのやめてください。どういう意図ですか」

「どういう意図か問いただすべきはむしろ俺だろ」

「イヤですね〜尊敬の念によるものですとも〜海原さんウソつかない。そうだろヒカリ様」

「どうかしら」

「梯子外さないで。僕たち苦楽を共にした仲」

「ブラック労働を苦楽を共にしたと評するなればそうでしょうとも」

 手当てが終わったので「ご苦労」兄上が声をかけて、すたすたと立ち去る。「お手数おかけしました。お邪魔しました」わたしも挨拶を残すと「はい、次は怪我すんなよ」海原さんがヒラッと手を振った。

「……無茶仰いますねあのひと」

「そうだな、特におまえは」

「どういう意図でしょうかね」

 兄上は医療フロアでは一旦仕舞っていた煙管を取り出し、刻み煙草を押し込んだ。火を点ける。

「本物だと思うか」

「服部さんは怪しいと思います。しかし真贋の程は……」

 わたしは香の混じる煙を手の甲で払った。

「個人的には、あまり重要ではありません。あれが正真正銘の茂々公の首であろうとなかろうと、実行すべきことに、さしたる違いはありません」

 一橋公に取り立てられんと功を急いた伊賀忍者は、現将軍暗殺を目論んだ。一橋公はこれを察知したものの止められず、憂いた彼はせめて、茂々公の弔いを兼ねて伊賀忍者を征伐する。もとよりそういうシナリオだ。

「上様の首を直々に取った、そのように証言したのは、服部全蔵にございます。彼が真に将軍の首を取ったとすれば、ただの事実。贋者であるなれば、茂々公は伊賀の者に匿われていると考えるのが妥当でしょう。同じことですよ」

「あの野郎が、自分が取ったものを上様の首だと思い込んでいて、実際は異なる……という線もあるだろう」

「第三者の介入を考えるならば。しかしそれこそ、元御庭番衆の目を掻い潜って将軍を拐かし、影武者まで用意して欺くのは並大抵の勢力には務まりませんよ。それこそ天照院奈落、天導衆……」

 烏の首領の相貌を思い返す。

「……天導衆は死の偽装など、せせこましいことをする必要がありません。傀儡のお命が危ないとなればさっさと手元に匿ってしまうか、古びた玩具には早めに見切りをつけて、新しいお人形を抱え込むかの二択でしょう」

 茂々公以外で相応のお立場となると、一橋公は既に我々が擁してしまっている。

「そよ姫はもしかしたらば、と思いましたが。空路の方にそれこそ本物がいらっしゃいましたからね」

「おまえは姫君をやたらと買ってんな」

「……血筋に正統性がある候補といえば、他にはそのくらいでしょう?」

 世間知らずのお嬢様。しかし殿中に蔓延る悪意を知っている。自らの立場をわきまえている。おそろしく迂闊な一方で、周囲を観察する程度の能力はある。恐怖に怯えて、刀もろくに振るえぬくせに、仕えられる者としての矜持は持ち合わせている。周囲の評判を理解していながら、自らが見たことの真偽を確かめ、せめて正さんと説得を試みる。囮の意図だとしても戦場に出されるのは、それだけ使える駒であり、あるいは皆が命を賭して守らんとする証明だ。

 城が傾いた満月の夜が脳裏を過る。あのときもまた、自らが戦えぬなりに御身の使い方と使い所を、理解していらっしゃった。

 ……昔、置いて行かれたころのわたしと、同じ齢の女の子。

 無意味な思考を打ち切る。

「ともあれ——もしも贋者だった場合、そして服部全蔵が加担していた場合を仮定しましょう」

 明るい声音を装ってわたしは話を戻した。

「その点怪しいのは陸路です。制圧完了の一報は藤林さんではなく百地さんからの連絡でした。そもそも陸路は地の利でも有利だからと伊賀忍ばかりを派遣していました。将軍が隠れ潜んで移動しているとすれば、こちらがもっとも目ぼしい」

「伊賀が春雨に示した恭順も説明がつくだろうな」

 どうせ同じことには思い当たっていたのだろう。兄上のお言葉とともに口元から煙がおぼれる。そのままてのひらがわたしの頭を雑に揺さぶるので、前後左右に頭が振れた。

「諸々済ませたら早く寝ろ。明日もおまえは春雨付きだ、共に伊賀を強襲する」

「あ、昨日の今日で。神威さん絶対怒りますよ……?」

「おまえらの判断で置いてったんだから機嫌取りまでが仕事だろ」

「もお」

 わたしは乱れた髪を直して嘆息した。

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