【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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ITなにもわからない。


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前略:

 花火を打ち上げよう!

 

   ➤

 

 祭りといえばなんだろうか。射的・輪投げ・綿飴と焼きそば、たこ焼きカステラチョコバナナ……。

「そこの姉ちゃん! くじ引きやってかねえか?」

「いいですね」

 輪投げで手に入れたお面を斜め掛けしたまま、片手はりんご飴で塞がったので、くじ引きで程々に散財を楽しむ。こういうのはたいてい、大きな当たりは元から入っていないのだけど(景品表示法違反!)とはいえ外れたことに腹を抱えて笑って残念がるのが楽しいのだ。当たりの数はさして重要じゃあない。とりあえずはパッと五回分。

「グワーッ、一等のゲーム機取られッちまったよ!」

「あたっちゃった」

 景品表示法違反、していなかったみたい。ごめんなさい疑って。

 当たってしまったゲーム機はしょうじき若干荷物である。また子さんはプレイしないだろうしなあ。誰か興味あるだろうか。下手に下っ端の方々にお尋ねしても、チャラチャラしたもん持ち込むなとか怒られそうなんですよね。片手にはりんご飴、片手にはゲーム機の入った手提げ、わたしはもはや冷やかし以外の選択肢はなかった。

「こちらスナックスマイル出張店——あらそこのお姉さん、お祭り楽しんでます? 卵焼きとかおひとつ、いかがかしら」

「アすみません、わたしもういっぱいいろいろ食べちゃってあともうこのりんご飴で手一杯……卵焼き?」

「ええ」

 ニコニコと店番のお姉さんは愛想よく微笑んでいる。彼女のてのひらは真っ黒な謎のオーラを放つ物体を示していた。……卵焼き? ……お姉さんもしかして一寸先も見えないくらいに視力悪いですか?

「十円から一口サイズ販売もしています。どうぞ遠慮なさらず」

「……ほ、ホントに手一杯で……」

 この黒焦げ以前のなにかの塊が卵焼き……? 材料かレシピが天人由来だとか、あるいは、卵焼きというのはわたしの聞き間違えだったり……?

 ともあれやんわりと断ると「あら残念……」お姉さんは心底悲しそうに仰られた。ぐ。良心が揺らいでしまいます。でもお腹いっぱいなのは事実でして。

 それ以上にこれは……いったい、どういうなに? 卵焼きを名乗るだけのダークマター? という気持ちが、とっても、ございますけれども。

「まだどなたも買ってくださらなくて……」

 それはただの当たり前だと思いますね。食べ物に見えないもの。

「売れるといいですね」

 わたしは無難に述べてスナックスマイル出張店の前から去った。心なし早足で。ここ通るのやめた方がよさそう。

 舞台の上では舞踊が披露されている。わたしの懐古を喚起する。遊郭では披露する機会はなかった(背中にグロめの傷を持つ身で舞妓は端から除外された)けれど——まだ踊れる、とは思う。鈍っているだろうけれども。

 壇上の方々は、おそらく、良家のお嬢さん方ではないだろう。せいぜいが有志の有識者、もしかしたら吉原から舞妓の出張編。士族の皆々様方は、大事な娘は隠してしまっているはずだ。間違っても庶民の前に披露されることはない。

 観客の素振りで、舞台がもっとよく見える位置を探すかのように、人混みを歩く。日も暮れ始めてすでにあたりは薄暗く、そんな中、いまだ笠をかぶった男とすれ違う。

「屋台で銀さん見かけましたよ。神社から見て手前三番目の屋台、東寄りの位置です」

「了解。……それなんだ?」

「くじ引きで当たっちゃって……」

「……孤児院にでも送れよ」

 その手があったか。

 兄上は立ち止まることなく、草履は音もなく去っていく。わたしはりんご飴に歯を立てながら、しばらく舞台を見物した。

 舞妓は捌け、花火が上がる。ひゅーっ、どん。どん、ぱらら。どんどん……。音を立てて夜空に光が撒かれている。この世でもっとも寿命の短い造花たち。夜を照らし出して散っていく。それから、大砲は——観客席後方に向けられた。

  ドンッ!

「……しかし悪趣味ですねえ」

 わたしはぼやいた。ついでに、すっかりと小さくなったりんご飴を竹串から齧り取った。老い先短い老人の復讐心を煽ってけしかけるとか、わりと外道の所業だろう。我が兄上ながらめちゃくちゃ性格が悪いと思う。元からか。では仕方ありませんね。

 恐慌に陥った観客はてんでばらばらに逃亡を図る。わたしもまた彼らの人波に沿って、踵を返した。屋台の合間に設置されたごみ箱に用途の済んだ竹串を投擲する。ストライクショット。わたしってばコントロール良いのかも。

 ダダダダッ、と、人波に逆らって、わたしの真横を白い着流しに黒ジャージの男が駆けていった。石畳には点々と、彼の軌跡を記録するがごとく、血痕が落ちている。

 わたしは彼が充分向こうへ行ったのを確認してから、念のため顔を隠すように着けていた縁日のお面を斜めにかけ直した。今仮面雷太(ライダー)が流行ってるんですって。見てこの昆虫みたいなお面。かわいい。

 さて。

「その様子では、振られましたか、兄上」

 屋台の並びから少し外れて境内脇の暗がりでは、兄上は自らの顎をはめ直すような素振りをしていた。わたしに気づいて眉をひそめる。

「あの馬鹿力」

 顎殴られたんですね。

 拭い紙で太刀の血液を拭い取り、納刀。笠をかぶり直した兄上が鼻を鳴らして背を向ける。

「将軍は?」

「序盤の方でサクッとご無事にお逃げになられていましたよ。上様ったら民草によほど大切にされていらっしゃる」

「ハ」

 失笑ひとつ。

「民間人の避難誘導もまだろくに終わってねえってのになァ? 大層なことだ」

「教唆犯が仰ることには……」

「なにか文句でも?」

「いえいえまさかまさか。森羅万象、兄上のご随意に」

「てめえわりと俺をなめてるよな」

「とんでもございません」

 頬をつまむ手からワンステップで逃げ延びて、兄上の斜め後ろに並ぶ。襟を直しつつわたしは兄上の顎を後ろから仰視した。

「顎冷やしますか? 手拭い濡らしてきますよ」

「いい」

 善意の提案だったけれど、兄上には素気なく断られた。

「ンな暇があるならさっさとずらかるぞ」

「はあい」

 これにて逃亡。花火は無事上がり、わたしとしてはたとえ目的が下見であろうとも、お祭り自体は一通り楽しめたのでご満悦。

 一方兄上、結果が完全にお気に召したとはいえないようで、一度だけ祭り会場を振り返った。

「サダハルってけっきょくなんだよ」

「王(ワン)貞治(ジェンシー)だとか?」

「あいつの場合、有り得るのが一番腹立つなァ……」

 どこか——残った片目がにぶく光るように、見える。

「あの馬鹿も多少の牙こそ残っちゃいるが、とうに破壊の思想はねえようだ——踏み絵は成立した。銀時と桂を春雨に売り飛ばす」

 りんご飴を持っていた手が空いて、襟も直したので、わたしはあらためてゲーム機の箱を両手で抱え直す。兄上の御言葉はしっかり聞いていた。

「……あの二人を?」

 情とか過去とか郷愁とか、わたしたちの間に横たわるいろいろなものは、いったん置いといて。

「実現可能ですか?」

 〝先生〟には及ばずとも、銀さんはそれこそ、マジつよい、というやつですが? 少なくともわたしは捕獲とか、到底無理ですが? 平和に生きていたなら鈍っていた可能性もあるけれど、だとしても地が強いのは事実である。小太郎さんは強いのも当然あるのだけど、知る限りの評判を踏まえると、それ以上に引き際を弁えていて逃亡手段を熟知している。〝捕獲〟という点ではおそらくいちばん面倒くさい。

 料亭における幕吏の会話を踏まえると、春雨たちは、たしかに銀さんと小太郎さんにご執心だった。リターンは見込めるだろう。けれど、リスクとコストを無視して踏み倒すには些か……大きすぎる。

「計画立案からだな」

 兄上はもう振り返らなかった。

 笠を直して前を見る。前だけを見る。

「少なくとも春雨だけじゃあ一生かかっても捕まえられねえだろう。手数はあっても理解が足りねえ。けれど俺たちゃ……炙り出し、追い込む。成功すりゃ、宇宙に名だたる海賊の後楯が確保できる。渡るに足る橋だろ」

「さいですか」

 わたしは簡素に相槌を打った。

 もしかしたら薄々——兄上は、ずいぶん昔から、訣別を予感していたのかもしれない。小太郎さんとの穏便な会談の予定がないと言った、あのときから、すでに。

 

   ➤

 

【 無限の未来を秘めた子どもたちへ!

  プレゼントです。

        真夏の匿名サンタより 】

 

「怪しすぎる」

「ンでもなんも仕込まれてねえっすね……」

 

   ➤

 

 紅桜計画——対戦艦絡繰機動兵器の立案自体は、じつは数年前にさかのぼる。妥当だろう。例を挙げるならばchatAPT……天人が持ち込んだ技術、超高速演算絡繰(※コンピュータ)と深層学習による人工知能、という点では、既に実現していた。

 高度技術が実現するなれば、軍事転用を図るのは古今東西当然の話。人工知能を組み込んだ刀という兵器に関していうならば、かなり早くに設計まで引かれていた。が、当時は主に二つの問題があった。

 一・人工知能にも造詣が深く、加えて鍛冶の知識もあり、その上で刀とも言い難い代物の製作を了承する鍛冶師がいない。

 二・刀が完成したとして、天人の新技術を取り入れた、しかも不確定要素が強い刀を好き好んで装着する使い手がいない。

 と、いうわけで。対戦艦絡繰機動兵器の製造計画は残念ながら無期限凍結プロジェクトと化していた。

「村田鉄矢と申す!!!」

 凍結プロジェクトに転機が訪れた——まずは二年前。兄上が連れてきた、やたら声の大きな刀匠:村田さんである。

「貴殿らが紅桜鍛刀の援助をしてくださるとのこと! 感謝申し上げる!!!」

「……紅桜?」

 河上さんがつぶやく。

「既存の刀では?」

「有名なんスか?」

「稀代の刀匠・村田仁鉄が打ったものだと噂に聞いている——」

「その通り!!!」

 また子さんの質問に答えた河上さん、にさらに応じる村田さん。

 それにしてもうるさいなこのひと。

「紅桜は我が父の遺作である!」

 苗字が同じだとは思いましたが、なるほど、御父君でいらっしゃる。

「稀代の刀に、人工知能の学習能力を加えれば——完成したあかつきには、す(﹅)べ(﹅)て(﹅)を斬れる刀をご覧に入れよう!!!」

 一・村田さんの協力を得る。

 また、この時点でプロジェクト名も〝紅桜計画〟に切り替えられ、開発計画が始動した。

 根本的な使い手の問題はつい最近までのこったままだった。もともと多少刀に熟知した使い手でないと、紅桜を取り扱えないことが判明したためだ。当たり前でもある。人工知能は学習した情報をもとに成長するわけで、前提となる〝学習した情報〟のためには人斬りの経験が必要で、ある程度までは使い手本人に人を斬るだけの技術が求められる。

 刀の技量がある人材:少なくともそこそこの強者を、かんたんに犠牲にできるほど、鬼兵隊も人材飽和しているわけでもない。積極的に挙手してくださるなら話はべつだけど——

「嫌でござる。そもそも利便な道具に頼りすぎては身を滅ぼす。休憩と怠惰は異なるのでござる。自動化に身を任せていれば音楽のインスピレーションも薄れるというもの」

「わりとボロクソですね」

「万斉殿がここまで嫌悪を示すところはなかなか見ません」

「てか音楽のが重要なんスか?」

 河上さんはシンプルに拒絶を示した。もともと彼は生成AIにも忌避感を示していたので、さもありなん。

「うううこんなことなら刀も身につけていればよかったっス! 晋助様のお役に立てない……!」

「充分役に立っているが」

「し、晋助様……!」

「刀ばかりでは今時、戦争に追いつけませんからねえ。また子さんの早撃ちは貴重だと思いますよ」

「ヒカリ様も……!」

「……ちなみに、さん付けとか、どうですかね……?」

「ヒカリ様」

「かたくな」

 また子さんはこのように。銃の技量は門外漢のわたしでもわかるほど目を瞠るものがあるのだけれど、一方、剣に関してはそこまで上手いというわけでもない。

「私は……」

「先輩はベースがマジごみッスね」

「武市さんは無理でしょうねえ」

「やめるが吉でござるな」

「興味はあるのですが……」

 武市さんは論外。そもそも彼は剣に限らず、全体的に戦闘能力に欠けている。

「わたしの場合、外見で油断させるまでが戦術に組み込まれていますからね……紅桜は最終的に身体融合して取り外せない、となれば根本的な戦闘スタイルからひっくり返す必要があります」

 わたしはあいにくと、わたし自身が取っている戦術に紅桜の武器としての性質が合わない。

「おまえは俺同様元から考慮外だ」

「初耳ですが?」

「万一の後継に血縁者を据えるのは定石だろ」

「あ、はい、そ・そうですね……」

 ……ともあれ、このように使い手に誰を据えるか、という点において保留が残っていたわけだけども。

 転機:その二が訪れた。

「銀さん、だとか呼ばれる侍について、ご存知ですかィ?」

 人斬り岡田似蔵。盲目ながら卓越した刀の技術を持っており、これまた兄上が出先で拾ってきた方である。我が兄ながらあまねく人を引っ掛けてきますね。

 先日任務先で負傷して医療フロア(鬼兵隊戦艦内部の医療設備は、現在、ゆうにワンフロアを占めている)に叩っ込まれていた——のだが、現在わたしたちの目の前には、明らかに点滴引っ提げたその人が立っていた。

 さては脱走しましたね?

「橋田屋で仕合ってねェ、あいつァどうにも只者じゃあなさそうだ」

 わたしはちょうど諸々報告もあったので、交流も兼ねて兄上のところに来ており、おかげで脱走岡田さんとも鉢合わせた形だ。位置取りとしては、窓枠に腰掛けた兄上、の片膝をわたしが背もたれにしていた。

 岡田さんは見えていないはずの目を珍しく開いていて、白濁した眼があらぬ方を睨んでいる。いつもならばご自慢の鼻でだいたいの見当をつけてくるのだけど——そういえば鼻も折れた様子だったと報告を受けていた。今は効いていないらしい。

「ほう?」

 兄上が面白がるようにつぶやいた。

「あいつが首突っ込んでくるたァ運が悪かったな、似蔵」

「ご存知なんだね」

 声の位置で当たりをつけたのか、ぐるんとこちらに顔が向いた。

「ありゃ誰なんだい」

「銀時だよ」

 正しいものの、ほぼなんの説明にもならない短いコメントで終わらせそうなので「岡田さんにも伝わりそうな情報を話すのであれば……」わたしも、補足がてら口を開いた。

「つまり〝鬼の総督〟たる兄上、〝狂乱の貴公子〟と呼ばれた小太郎さん、あとはたしか〝桂浜の龍〟に並ぶ、攘夷戦争後期英雄の〝白夜叉〟御本人ですね。現在攘夷活動は引退したようですが、わたしが知る限り彼の腕前は兄上とほぼ互角、」

「俺が上だ」

 すかさず訂正が入った。

「……どちらが上かはさておき」

 膝で腕を小突かれた。

 常々わたしが変わらない変わらないと仰いますがね、あなただって張り合い方が二十年前からなんにも変わっていらっしゃいませんね、兄上。

「彼の相手はさぞ骨が折れたことでしょう。あらためて、お疲れ様です」

「あァ折れた、折れたよ。俺ァあんな屈辱受けたのは初めてだ」

 岡田さんの目はぎらぎらと奇妙にひかっていた。

「俺を討ち取ったくせして命までァ取られなかった、見逃された……! あの厄介な白銀(しろがね)の光が目の裏焼き付いて離れねェ!」

 わたしは、畳からは立ち上がらないまま、岡田さんを見上げていた。……なんだか妙なことになっている。兄上は大概人たらしだけど、よくよく思い返すと銀さんも、そういえば人を引っ掛けるのが上手かった。良くも悪くも。

「なァ次にあいつと死(﹅)合うンなら俺に任せてくれよ」

「ちょうどやり合って死にかけた身で何ほざいてやがる。見えている結果に突っ込ませんのは無意味だ」

 兄上は気のない声で一蹴した。

 岡田さんはしかし、口角をつり上げた。

「紅桜あンだろ。噂に聞いてるよ、検体探しに苦労しているようだねェ?」

 わたしは眉をひそめた。

「立候補されるおつもりですか? それは些か……あまりおすすめはしませんよ」

 紅桜計画の総責任はわたしに回されている——刀のことを理解していて、そのわりに学もあるので人工知能関連も多少把握できる、ついでにちょうど手が空いていた、という点で当時はわたしがもっとも条件を満たしていたからだ。

「アレの開発は今どこまで進んでたんだったか」

「理論値を踏まえると最大出力で戦艦級という点はクリアしています、が……諸々問題がありまして。思考能力の侵食、学習速度に追いつかず筋断裂、あたりは確実に発生すると予測できています。なにより最大の懸念点は演算時に要するエネルギーの供給ですね」

 兄上の確認に応じて、わたしは記憶から情報を抜き出して諳んじる。

「学習するほど演算に用いられる情報量は拡大し、計算量も指数関数的に増えます。無論そのぶん強くはなれるわけですが、いかんせん使い手が発電機を日夜背負うわけにもいきません。効率化が進められているものの、基本的に使い手が持ちうるカロリー消費を変換する方向になり、いずれかの時点で消費に供給が追いつかず……」

 少し長々と語ってしまったが、結論はかんたんだ。

「紅桜を使ったが最後、遅かれ早かれ生命力を吸われて死にます」

 けっこう効率悪いのだ、あの武器。極論、今の御時世に高性能人工知能を刀に実装する時点で、ただの浪漫砲ですからね。それを現実に引き下ろすためにいろいろと改良を重ねているワケ。

 わたしの解説に、岡田さんは喉を鳴らして笑った。

「妹御。アンタは女だ、理解できねえンでしょうが——」

 このひといっぺん殴っていいかなあと拳を握ると、兄上の足で雑に巻き取られて止められた。

「——俺ァ自分の心配なんざこれっぽっちもしてねェのさ。そんなモンよりもなによりも、あの目障りな野郎をブッ潰したくてたまらなくってねェ……!」

 銀さん、それにしても本当になにしたんですか?

「なァいいだろ? どうせこの身は元より、斬り斬られて朽ち果てるのみよ。先のことなんざ知らねェさ、あいつを殺せりゃあそれでいい! あの光をかき消せりゃあ!」

 兄上は岡田さんを眺めてしばらく思考していたようだけれど「ヒカリ」「はい」「検体の許可出しとけ」「……はあ」煙管の皿にたまった灰を煙草盆に落とした。

「まァでは岡田さんを対象に、紅桜のチューニングまで指示を出しておきます」

 わたしは言いながら端末を点けた。ディスプレイに(兄上に拘束されていない方の)指をすべらせる。

「指示しておきますので岡田さん、医療フロアまでお戻り願えますか? あなたが全快しなければなにも始まりません。紅桜適用に伴って事前検査も必要ですから、医療班の指示には適宜従ってください」

「……ああ、ああ、わかったよ。ありがとう」

 岡田さんは何度か頷いたあと、くるりと方向転換して、去っていった。

「フ、フフ、白夜叉、あいつが白夜叉……」

 完ッ全に脳焼かれてる……。

 指示書を作りながら「……良いのですか」と主語なく尋ねると、兄上はわたしの腕を拘束していた足をようやく外した。

「望んでいるなら止めやしねえさ」

 ……二・岡田似蔵が立候補。

 このようにして紅桜計画は本格的に始動した。

 

   ➤

 

 一方で、春雨との取引も並行して進んでいた。交渉役には河上さんが抜擢された。

「荒くれ者共は実力も重視する場合が多い。私では不適任でしょう」

 武市さんは真顔でうなずいた。

「猪女ではいかんせん頭が足りない」

「いっぺんその頭ぶち抜かれたいんスか?」

 また子さんは据わった目で拳銃を構えた。どうどう……抑えて……抑えなくてもいいかもしれない。冷静に思案すると、武市さんは一回怒られた方が世のためになりますね。

「ヒカリ殿もまた……迫力がない」

「迫力」

「女性かつ小柄。外見だけなら我々の中でももっとも弱そう」

「よわそう」

 それを狙ってこそいるものの、はっきり断言されるとなんていうか……なんだろう……。

「そもそもヒカリ殿はしばらく紅桜の件で居残る他ありませんよね」

「それはそうなんですけれども」

「ヒカリ、安心すると良い」

 最近わたしを呼び捨てるようになった河上さんは、なにもかも心得たように頷いてみせた。

「目ぼしい強者がいた場合は共有しよう」

「強者を求める戦闘狂扱いされていますか……?」

「冗談でござる」

「楽しいですかわたしで遊ぶのは」

「とても楽しい。また子では途中からまともに相手をしてくれなくなるのでな」

「それは単純に絡み過ぎなのでは?」

 一通りふざけるだけふざけて、河上さんは発った。

 あのひと本当、なんなんですか?

「遊ばれてンな」

「そうですよね?」

「警戒されるよりはましだろ」

 そこ比較できる話ですかね?

 兄上の適当反応に首を横に振って、襟を正す。まァ、ともあれ。破壊活動に勤しみましょう。効率的な破壊は念入りな下準備から。

 最近、巷では辻斬りが流行っているらしい。世の中って治安が悪くて大変ですね。わたしはわたしで、上手く行けば春雨艦隊を率いて帰還する手筈の河上さんのため、密航ルートの手配であっちに行ったりこっちに行ったり。江戸ターミナルのセキュリティ装置を一部ごまかして……。

「ただいま戻りました」

 数日空けていた本艦へようやく帰還できた。

 いまだ午前中、一回仮眠とっていいですかね。

「ヒカリ様!」

「はい、はい。なんでしょう」

 そろそろ、また子さんからの様付けを諦めつつある。呼び方以外はわりと気安く接してくださるので、わたしの羞恥心くらいは犠牲にしてもよいかなという判断だ。羞恥心は常時犠牲になっています。

「紅桜の持ち出し許可って、ヒカリ様、出してました?」

「え?」

 わたしはきょとんとまた子さんを見た。また子さんは成長期でずいぶん身長が伸びたので、わたしよりも目線が頭半分ほど高い。

「あれはまだ調整段階ですよ。出すわけが……」

「似蔵が片腕落として帰ってきました。紅桜持って」

 わたしは思わず天を仰いだ。

「巷の辻斬り、似蔵らしッス」

「あ、そこ繋がるんですね……」

 世の中というか単に鬼兵隊の治安が悪いだけだった。紅桜はいちおう極秘計画ですよ、未完成状態で幕府から目をつけられそうなことしないでください。

「桂を斬り殺して白夜叉とやり合ったとかほざいてます」

「……桂は、桂小太郎ですか?」

「ッス」

 ……とりあえず、ひとつ深呼吸をした。

「岡田さんのところに案内していただけますか」

 岡田さんはわたしの方を向いてうっすらと笑った。

「あらら、今度は妹御まで来ちまいましたか」

 落とした、という片腕はたしかに不自然に根本で途切れ、すでに包帯が巻かれて厳重に固定されている。……血がにじんでいない。……包帯の分厚さを差し引いても不自然だ。

 紅桜の自己修復機能が使い手自体にまで適用されつつある。ずいぶんとやんちゃしましたね。数多のチューブが好き勝手に蠢く様子は、寄生する生命体を彷彿とさせる。

「まァいろいろと申し上げたいことはございますが……」

 わたしは無造作に近寄りながら、すれ違いざまに武市さんの佩刀を勝手に抜いて「えっ」振り下ろす。

 かん! と音を立てて紅桜が刀をはじき飛ばした。勢い余ってくるくると太刀は回転し、船室の壁に突き刺さる。間髪を入れず足元をケーブルがさらっていこうとしたので、わたしは後方に跳躍して距離をとった。

 警戒を示すようにケーブルはゆらゆらと頭をもたげて揺れている。

「おお怖い怖い」

「自動迎撃どころか追撃までお手の物、となると、侵蝕率五〇%は確実に超えていますね」

 わたしは頬にてのひらを当てた。

「どうしましょうか。紅桜を装備したあなたにより長く生きてもらうため、これでもいろいろと試行錯誤していたのですが……これはとっくに、策を打てる段階を超えています」

「お優しいことだ」

 岡田さんは口元をゆがめた。

「こりゃあ戦争だってのに、命まで気にしてんのかィ? 良家のお嬢さんのたわごとじみてますねェ」

「戦争ゆえに、ですよ。認識のすり合わせを行いましょうか」

 先程の動きで少し乱れた襟元を正す。刀を壁から引き抜いて、わたしは嘆息した。指示書内でも、開発方針は最初に話すように村田さんには伝えていたはずなのだけど……。この様子だと話してないかな……じゃあ仕方ないかな……確認しなかったわたしが悪いかな……。そうかなあ……?

「オーダーメイドを売りにする一部メーカーを除き、すべからく、すべての製品開発における最終目標は長期保証・安定供給・万人利用です。ひとりでも多くの人間がお手軽に使用できなければお話にもなりません。これは兵器開発も同様、紅桜は誰(﹅)で(﹅)も(﹅)一騎当千を可能とするための兵器です。より強く使っていただけることはただの大前提、その上でより長く・安全に使える状態を模索してまいりました」

 最近は、ある程度使い手用にチューニングした上で、学習速度を遅らせて人間の適用補助をする機能にリソースを割り振る……という方針でまとまっていた。つまりこの短期間で辻斬り十人二十人やらかすのは方針の真反対の行動になる。

「検体に立候補したのはあなたの意思と存じておりますし、最大限尊重は行いますが、一方でこのように勝手をされるとすこし……困ってしまいます」

 主に兄上への報告とか。

 本当にどうしましょうねコレ。

「あまつさえこちらの指示もなく、桂一派をいたずらに刺激し、白夜叉を挑発するのは、端的に言ってやり過ぎです。今後追って処分がくだるとは思いますが……」

 さすがに処分がくだるとは思いますが、よりによってつっついた相手が相手なのでその前に一波乱の予感がする。うーん。どうしましょうね。最初から戦闘状態では奪える武器も奪えない。わたし一応今日から数日は自分の得物を持ってた方がいいのかも。武器庫に余りの脇差ありましたっけ。

 とりあえず太刀は武市さんにお返しして。

「ハハ。それだけですかィ?」

 岡田さんは肩を揺らして笑った。「それだけ?」武市さんがおっかなびっくりの手つきで太刀を納刀するのを横目に(刀剣初心者……?)わたしは眉をひそめる。

「妹御、アンタ、桂を〝小太郎さん〟と呼ぶだろう」

「……」

「白夜叉もそうだ。アンタは先の攘夷戦争には参加してなかったってね、けれど白夜叉の強さがあのひとと互角だと知っていた……同郷か、同門か、昔っから面識があンだね」

 岡田さんの額には脂汗が浮いている。紅桜の侵蝕は神経そのものに接続し、身体はおろか、思考まで徐々に支配される。その支配に抗ってまで話している。確信があるのだろう。

「その髪紐、かすかにだが、しっている匂いがするぜ。俺がこの手で切り取った髪と同じにおいだ」

「……まこと素晴らしい嗅覚ですが、さすがに、ちょっと気持ち悪いですね……」

 わたしは心底からしみじみと言った。もう十年も前に持ち主からわたった代物だというのに。

 岡田さんは白濁した眼でわたしを真っ直ぐに見上げた。

「桂とは好い仲だったか? アンタ自分じゃ冷静を装えているつもりだろうが、俺に怒ってんねえ? 馴染が殺されンのは想定してなかったか? そういうところが良家のお嬢さんだと言われる理由だぜ」

 嫌味たらしいなこのひと。

「てめえさすがに口が過ぎると思わねえッスか?」

「いやいや、この程度、俺じゃあなくとも多かれ少なかれ、内心思っている話だ。なァ妹(﹅)御(﹅)」

「……言わんとすることはわかりますよ」

 もともと近しい血縁というだけで取り立てられたわたしに、不満がある人間は少なくない。兄上は本当にたらしなので。嫉妬はご存分にと思うのだけど、八つ当たりは見るに堪えない。岡田さんは——半分くらいは、紅桜の侵蝕に基づく理性の欠如によるものか。

「ところで岡田さん」

 まだ噛みつきそうなまた子さんを少し遠ざけて(彼女の首には痣がある。まだ真新しく、首を絞めたような痣だ。わたしも足元を狙われたが、紅桜はずいぶんと暴れつつあるご様子で)わたしは口を開いた。

「もう、十年は前の話ですが。戦争の最中、処刑された攘夷浪士たちは幾人も、河原で首を並べて晒されましたね」

 その中に〝先生〟の首もあっただろう。わたしは、見ていない。幸いにしてと言うべきか。不運にもと呼ぶべきか。わたしはその当時、箱の中にいた。世俗から隔離された箱。

「幕府の趣味はあのころと大して変わっておりません。さて——あなたが殺したと仰る桂小太郎の屍は、どうして河原に晒されていないのでしょう。どうして耳目のあるところに吊るされていないのでしょうか。死体でなくとも、彼が死んだとすれば、たとえば新聞で大々的に喧伝されると思います。今時ならば、ラジオやテレビで特集もされるでしょうね。なにせ彼は桂一派の顔役、現在も活動する攘夷浪士の象徴二旗のうちひとりです」

 情景を脳裏に想像しながら——想像だ、なにせ、わたしはそれを見ていない——わたしは言った。

「不思議だとは、思いませんでしたか? まったく、少しも?」

 岡田さんは口元をかすかに引きつらせた。

「……現場は橋の上だった。川に落ちりゃ、流される。やがて海に沈むだろう。死体は見つからねェでしょう。それか、死体を辱められる前に、偶然気づいた桂一派のしもべが持ち去った」

「なるほどたしかに。そのような解釈もございましょう。否定はしませんよ」

 わたしは短く頷いて、踵を返した。

「オイ」

「兄上にご報告をね、いたしませんと。岡田さん、どうか、今度こそ、ご安静に願いますね。ええ本当に」

 会釈して、わたしは退室した。脳内では今後の算段を立てる。やっぱりこうなってくると、紅桜の量産は開発難易度とは別軸で捨てるべきだろう。

 岡田さんはわたしが知る限り、もう少し冷静で、引き際をわきまえている人で、わたしへの反感も表面上は隠し切る理性があった。短期間で連続した辻斬りは、もちろん岡田さん本人が逸っていたこともあるけれど、紅桜自身の意思が犠牲者を欲した面も否めない。肉体面はもちろん、精神面へのデメリットがここまで大きいとなると、量産して配給するプランは実現しがたい。改良でどうにか……と思うものの、今回おそらく紅桜の持ち出し経路には村田さんが一枚噛んでいる。開発方針を無視する技術者はちょっと、わたしの手には余る。

 ……開発コスト、だいぶんかかったのになあ……。

「ヒカリ殿は、桂は生きているとお考えですか」

 後続して退室した武市さんがわたしに追いつき、尋ねた。

「生きていそう、というくらいですかねえ。断言まではできませんよ」

 わたしはのんびりと言った。

「不意打ちの効能はわたしはよく知っています。学習中とはいえ、紅桜つきの岡田さんに不意を突かれたなら、いくら彼でもすんなりと死ぬ可能性はもちろん十二分にあります。しかし……」

「死体が上がっていない?」

「その点ですね」

 確かめるような言葉にわたしは頷いた。

「江戸の川はそこまで深くないので、成人男性一人分の体積の物体が流れだけでどこにも引っかからず誰にも見つからずに湾に出られるかが、まず怪しい。水死体はガスを含んで浮かびますし。そもそも岡田さんは現場が橋の上だったとは仰いましたが、逆に言えば、その場で逃げようとして川に落ちた……というわけでもないようです。即死であれば川に落ちる要因がなく、即死でなければわざわざ川に落ちる理由がない。傷が悪化するのは目に見えています」

「死後硬直の問題で勝手に落ちた、という線もありうるのでは?」

「岡田さんは髪を切り取ったと仰いましたね。切り取れるような位置に髪があった、もしくはそのように死体を移動させたわけです。であれば当時の姿勢で一番可能性が高いものは、うつ伏せ——橋に平行。勝手に落ちるとはあまり思えませんね」

「……ふむ」

 武市さんは思慮する顔つきだ。

「仲間が持ち去ったっつうのは……」

 同じく、後続して退室していたまた子さんが顎に手を当てる。

「死亡説を主張するならば、もっとも良い線だとは思いました。それだけですが。今のところ彼を殺した現場の目撃者は現れず、証人らしき証人は辻斬り本人たる岡田さんだけ、とはいえ紅桜はあの様子ですから昼日中はきわめて目立つ——深夜に、人通りの少ない場所で辻斬りは行われたとみるべきでしょう。すぐそばにお仲間がいたとすれば、岡田さんは同様に刀の錆にせんと目論んだはず……」

 そういう話はチラとも出なかった。あれだけぎりぎりの精神状態ならば、手柄は小さなことでも誇示してもおかしくないのに。

「つまり、少なくとも近場には誰もいなかった。深夜帯に橋にうつ伏せ姿勢の死体など、灯りを持っているか、好き好んでその橋を渡ろうとしない限り、手すりに隠れてろくに気づけません。気づけなければ回収できません」

 もちろんこれらにも例外はある。あくまでもわたしの机上の空論、諸々勘案して〝生きていそう〟具体的には見込み七割、といったところだ。

「冷静ッスね。似蔵のやつ、トンチンカンなこと言いやがって」

「いえいえ、彼の察知能力は素晴らしいですよ。わたしがわりと怒っているのは、ただの事実ですから」

 〝先生〟に鍛えられたあのひとたちに対して、まだ学習中の紅桜でも勝てると思い込んだわけでしょう。銀さんについては兄上とほぼ互角とまでわたし申し上げましたよね。その上で紅桜を持ち出しましたね。軽んじられたのがわたしの言葉なのか、兄上の実力なのか、その具体的な実情はさておいて。

 すこーし……馬鹿にされてるなあ、とか、わたし思うワケ。

 

   ➤

 

「兄上……あ、起きていらっしゃる」

 兄上は布団の端から上半身だけ生やした状態で、虚空を見ていた。片目がまたたいてわたしを見る。もう片方は、髪に隠れている。

「……おかえり」

「はい、ただいまです。ひとまずターミナルに〝穴〟を開ける手筈は整いました」

 河上さんが地球帰還早々に捕縛されるリスクは大幅に低下した。それはいいとして。

「それで岡田さん及び紅桜の件ですが」

「ヅラを殺って、銀時を襲ったって話か?」

 兄上は肩を揺らした。笑っているようだ。

「勝手しやがったよなァ。昨晩はそれで月からかぐや姫まで降ってきたぜ」

「……竹取物語で月から降りてくるのは月の使者だけでは?」

 かぐや姫は竹から出るか月へ昇るかである。降りてくる描写自体はない。

「かァわいい夜兎さ、俺たちがヅラを隠してるとよ。ッフハハ」

 ウケている。わたしは半眼で兄上を眺めた。兄上のツボがわからない。というか、夜兎が小太郎さんを探しに来た? ホントになんで? 攘夷浪士も多様性の時代なんですか?

「……ともあれ、となると本当に死体は上がってないんですね」

 これはいよいよ、小太郎さんは生きて潜伏していそうだ。

「困ったもんだ。もう少し先の予定だったが……」

 兄上は目を細める。

「……この際、前倒しで誘き出すか」

 わたしは嘆息した。

「さすがにお聞きしますけれどね、兄上。ま・さ・か、とは思いますが、この状況で、本気でそれが可能だと、心底から思っていらっしゃいます?」

「ちょうどよく春雨もやってくる。俺たちは機会を提供した——捕まえられなかったらそりゃあ、宇宙海賊どもの不手際だよなァ」

「あのですねえ! お二人の捕獲策まじめに頭捻ってたわたしがバカみたいじゃないですか!」

 このひとやっぱり、あのひとたちがハナから捕まると思って言ったわけじゃあないらしい。ふられてむしゃくしゃしていたのがまず大前提。一般人として今生きていることが判明した銀さんと、穏健派に転身した小太郎さんに、訣別を突きつけるための言動が、たぶん大方。あとは……わたしが知らない部分。

「おまえは素直でかわいい妹だよ」

「ぶん殴りますよホント! というかいい加減起きてください。そろそろ正午ですよ」

 兄上は眠そうにあくびをして、モゾモゾと布団から這い出た。すっかり低血圧になりましたねあなたは。それとも昨夜の騒ぎとやらで就寝が遅かったのかもしれない。わたしはさっさと布団を畳む。二度寝防止策だ。

「当座はそれでいくとしても、宇宙海賊をとんちでごまかせるのは一時だと思いますがね」

「あてはある。かぶき町の孔雀姫……」

 あてがあるなら最初からそちらでよかったんじゃないかな。

 思いながらも記憶を探る。かぶき町の孔雀姫、聞いたことはあるのだけど……。

「……ええと、天人? でしたっけ? 賭博場を統括していることは把握しておりますが。あのひと春雨と関係ありましたっけ? むしろたしか、春雨に目をつけられないように立ち回っていませんでした?」

「どうにかして追い落としたいねェ。話はそれからだ」

「あれその言い草、もしかしてわたしに振ろうとしてます? わたししばらく頭脳労働いやですけど。せっかく年月かけた紅桜もおじゃんになりそうですし、うんざりです」

「甘ったれ」

 足蹴にしていいかな?

 傍若無人な兄上に辟易としつつ、畳んだ布団の上に枕を乗せる。

「ああそう、小刀お借りしてもいいですか。さすがに今回、わたしでも不穏を感じるので」

「勝手に取ってけ」

 聞いたわたしが言うのもなんですけれど、そのノリでいいんですか。指さされた先、筒の中に立てかけられている小刀にさらに微妙な気持ちになりながら、一本お借りする。これ、傘立てでは……? 刀って傘立てに差していいんですか……?

 たまに銀さんみたいなことしますよね兄上って。もうどちらがどちらに似ているのかよくわかりませんけれども。

「……岡田さん、どうします?」

「見立ては?」

「もって半月。最大出力フル稼働で、一日未満」

 座布団を下敷きに、兄上は腕組みをした。髪の合間からまだある方の目がわたしを捉えた。

「怒ってんなァ?」

「うるさいですね……」

 わたしは小刀の柄を持って抜き差しの稼働を確認した。錆びてはいない。適当に取ったけれど、わりとわたしの身の丈に合っているし、馴染みやすい。振れるだろう。

「……兄上とて怒っていらっしゃるでしょう」

「おまえと理由は違ェがな」

 兄上は肩をすくめた。包帯を取って、自分で頭に巻き始めるのをわたしはぼんやり眺める。

「……岡田のところまで連れてけ。沙汰はあいつ本人に取らせる」

「はーい……」

「あと着替えるから出てけ痴女」

 今度こそ兄上を足蹴にして、わたしは退室した。

 

   ➤

 

「紅桜制作にあたって、さまざまに腐心いただいたヒカリ殿には申し訳なく! しかし! 男にはやらねばならないときが!」

「ハイハイわかりました」

 わたしはいい加減うんざりとして、雑にあしらった。屋形船を模した屋根の上、桂一派からの砲撃がぱんぱかぱんと飛んでくるのがよく見える。それにしても攻撃当初から一切速度落とさないなああの船……。

 ……まさかと思うけど、突っ込んできたりしないよねえ……?

「どうしても殺してみたくなっちゃったんですね」

「違う! 紅桜はただひたすらに斬れる剣を追及したものであり!」

「どうしてもいろいろ斬ってほしくなっちゃったんですね」

「そうだ!!」

 そうだじゃないんですよ。

「だからわたしにも黙って岡田さんに実物お貸ししたと」

「そうだ!!!」

 そろそろ頭痛がしてきた。大声による鼓膜のダメージとストレスである。

 こめかみを抑えていると「アンタもそうしているとただの苦労人だねィ」岡田さんが笑う。このひとわたしのこと本当に嫌ってるのがよくわかる。

「……なんだと思っていらっしゃったんですか? 逆に」

「他人事の良いとこのお嬢様」

「……わたしけっこう人を殺してますけれどもね」

 彼らについているのも、わたしが紅桜計画の総責任者というのもあり(つまり事が終わり次第わたしもしっかり責任とる必要があるので、今から憂鬱)そもそも、戦闘能力のない村田さん・うっかり暴走しかねない紅桜持ちの岡田さん、という状態ではまともな護衛が別で必要だったからだ。ウーン勘弁して。

「そこにアンタの信念はねェでしょう。アンタの剣は疾いだけ、いつだって空っぽだから疾ェんだ」

「……」

「どこの地獄の延長線だと思ってやがる? 現世はそこにしかねェってのに」

 岡田さんを見下ろすと、いよいよその顔は蒼白く血の気も引いて、紅桜に護られながらも死にかけているように見えた。

「答える義務はございませんね」

「……そのとおりだ」

「しかし、あなたの言葉にも一理はあります。いい加減わたしも、兄上の陰に隠れていないで、地に足つけて生きなければ——」

 ふと嫌な予感がして、再度前を見る。「あれあの船あんなに近かったっ」わたしは咄嗟に、村田さんと岡田さんの肩をつよく抑え、自らも前傾姿勢で小さくまとまった。

  ——ッドォン!!!

 衝撃。艦が上下左右に大きく振れた。鬼兵隊は狂気に生きているけれど、あちらもあちらで大概正気じゃない。

「本気で突っ込んできた……!?」

 慄きながらも即座に身を起こし、小刀の柄を握る。桂一派はあくまで乗り込む目的だったらしく、これ以上船を押し込む様子はなかった。つまり、これからはいよいよ乱戦だ。すでに下方では——始まっていたけれど。

「よォヒカリ」

 乗り込む攘夷浪士たちの間にきらめいていた銀髪——銀さんがヒラッと手を振る。

「マジで高杉ンとこいたんか、このお兄ちゃんっ子が」

「仰るわりにはあんまり驚いていらっしゃいませんね。もしかして、ご存知でしたか?」

 わたしは小刀の柄に手をかけたままだ。

「お兄ちゃん御本人が祭りでバラしてたぞ」

「いらん世間話すぎる」

 身内の近状報告かなにかですかわたしの情報は。

 ……だいたい合ってますねこのたとえは。

「まァともあれ、わたしとしては大人しく退いてくださると助かります。なにせ苦節数年、開発費総額■■■■(ピーーー)億円の結晶……」

「アア〜金持ちの金銭感覚イヤーッ」

「さすがにこの額はわたしとて大金です。みすみすどぶに捨てたくはありませんよ」

 わたしはしみじみと言った。小刀から手は離さない。

 銀さんが目を細める。

「そいつで何十人も死んでるってのに、か?」

「わたしが殺した数の方が上ですね」

「……ヅラも斬られた」

「らしいですね」

 奇妙な装飾の刀が真っ直ぐに、こちらに向けられる。竹刀による模擬戦とは違う。刃は敵に向けるものだ。銀さんが握っているのは真剣で、たとえばどこぞの漫画のように逆刃でもない。

「変わったな」

「アラありがとうございます。兄上ったら常々なにも変わらねえとかほざかれるので」

「そういうところは変わんねえな」

「どうして」

 軽口を叩きながら、わたしもまた、少しだけ姿勢を低くする。銀さんに勝てるとは思わない。このひとは強い。かつては兄上を負かし続け、成長しても、兄上と互角であり続けたくらいには。似た者同士のろくでなし。背中合わせの鏡相のごとく。

 それはそれとして、わたしは一応、紅桜計画の責任者ではある。破壊の産物を生み出した以上は始末をつける義務がある。

 鯉口を切っ

「邪魔だよ」

「はっ?」

「エッ?」

 ——岡田さんに突き飛ばされたな、と、理解するのは、早かった。なんせ心当たりがあったし位置取りとしても岡田さんか村田さんしかありえなかったしどう考えても岡田さんの声だったからだ。ウン確かにわたしのこと嫌いでしたね。脳焼かれていましたねそういえば。ハイハイ。

 銀さんもだいぶ唖然としていた。記憶よりもずいぶんと精悍になったけれど、ウソだろ? の顔は幼少期を彷彿とさせる。そんな状態でも刹那に振られた紅桜を真っ向から受けきっているのだから、反射神経がやはり鬼。限りなく人外に近い人間。

 それはよくてね。

 それしかよくなくてね。

 わたしたち今屋根の上にいたので、突き飛ばされると必然、落ちるわけで。それで今この艦って上空を飛んでいて、けっこう不安定に揺れておりまして。わたしってば小柄なので、紅桜つき岡田さんに突き飛ばされると、そこそこ吹っ飛ぶわけでして——

 

 ——これ艦から落ちない?

 

  パシッ、

 前腕を掴まれた。一点に自重がかかり、筋が張り、骨が軋んだ。掴まれた箇所を支点に、己の身体が振り子のごとく大きく振れたことを自覚する。

 下は絶景だった。一面に海が広がっていた。

 まァつまり、わたしは今しがた、本当に艦から振り落とされかけていた。

「き、肝が冷えた……」

 上から声が降ってきた。

 わたしもそれは同意見ですね。

「この高さから落ちたら死ぬぞ。危ない。気をつけなさい」

 たぶんそういう問題じゃないんですよね。

 力を込められて引き上げられた。今更ながらにドッドッドッと拍動する心臓を自覚しつつ、わたしは息を吸って「ありがとうございました」と、言った。

「小太郎さん。そして、お久しぶりです」

「ああ」

 小太郎さんがわたしを見下ろした。幽霊でもなんでもなく、地に足ついていた。現在地はソラの上だけど。

 手配書でも豊かだった髪はなるほど、肩のあたりでバッサリと落とされて、ざんばらに広がっていた。

「久方ぶりだな、ヒカリ。……悪いが、高杉に用がある。案内してくれるか」

「……刀を向けられずとも、ご案内ぐらいはしますよ。今しがたの借りもありますから」

「そうか」

 小太郎さんは頷いて、納刀した。……言った身でなんですが、いいの?

 立ち上がり、軽く腕を振る。痣にはなるだろうが命には代えられない。腰に添えた小刀が抜けていないこと、簡易下緒が解けていないことを確かめて「では」小太郎さんを見やる。

 微妙な顔をしていた。

「敵に背を向けるな」

「そうですねえ」

「そうですねえ、ではない」

「仕方ありません。得物を取れないように手を塞げばよろしいですか?」

 手を差し出すと、今度は顔を覆って溜息を吐かれた。お疲れですね。可哀想に。

 手は取られた。幼少期はよく小太郎さんに手を引かれていたので、まるで逆だ。

「銀さんといい、あんまり驚かれませんね」

「高杉に聞いたと銀時から聞いた」

「ああ〜もうここ全部筒抜けってわけですね。皆様揃いも揃って」

「いつから鬼兵隊にいる」

「五年は過ぎました。……そろそろ七年?」

「〝無手の百人斬り〟」

「なんですかそれ」

「おそらくおまえだろう。七年ほど前から鬼兵隊関連の事件でたびたび確認される殺し方だ」

「なんだか……カッコ悪い名前ですね……?」

 記録されていたのは知っていたけれど、変な二つ名すぎる。せめてもう少しセンスがある呼び方だとわたしは嬉しいです。

「なぜ紅桜を?」

「……それも筒抜けですか?」

「まったく、俺がいつ斬られて、いつから潜伏していたと思っている。本当に大変だったんだからな!」

 いつもなにも、そもそも斬られていたことも今朝方知りましたよ。

「もともと、皆に戦うすべを、というのが本計画のコンセプトでした」

 わたしはかろやかに言った。少し汗のにじんだてのひらの感触をただ、しる。

「立ち向かう手段を知らない人々は、うつむいて黙って耐えてやがて死ぬしかない。それは——すこしばかり、理不尽です」

「言い分は理解しよう。しかしその手段として提示されるものが紅桜であれば、果てには江戸に限らず地球全土が合戦の舞台となり、数多の人々が〝うつむいて黙って耐えてやがて死ぬ〟ことになろう」

「そういうこともありましょう」

「ヒカリ」

 つないだてのひらに力を込められる。

「……紅桜は、たしかに、認めましょう。すこぉし、あんまり、予定通りではありませんでした。だいぶん脱線してもはや収拾がつきません」

 主に誰かさんたちのせいでね!

「とはいえ、変革には往々にして犠牲がつきものです」

「その犠牲にどれだけの数の命がかけられるだろう。どれだけの悲鳴が上がるとおまえは思う」

「どれだけの数の命がかけられたらば、世界は壊れてくれるのでしょうね。あの檻は悲鳴だけでは壊せなかった。命をくべてようやく放り出された」

「……檻?」

「こちらの話です。ま、とにかく、わたしは今度こそとっくに悪い子ということでひとつ」

 階段を抜けて、一段上の甲板に出た。

 兄上は甲板の先、艦のへりに腰掛けて(危ないですよ、わたしのように落下しかけても知りませんからね)視線は屋根の上の白兵戦を眺めていた。紅桜と銀さんの衝突。ぶっちゃけありえない。生身で戦艦レベルの兵器とやり合わないでほしい。

「そういえば、お預かりしていた髪紐ですが」

 わたしは小太郎さんの手を振りほどいた。思ったよりもあっけなく、その手は外れた。髪紐もまた、わたしが指で引くとあっけなくほどけた。薄藍のそれだ。

「一応、ずっと持っていました。けれどあなたのその様子を見るに——」

 振り返ると、小太郎さんは遮蔽物のない日差しにまぶしそうに目を細めていた。わたしは片手に髪紐を持ち、片手は小刀に添えた。

 髪紐から手を離す。

 岡田さんには散々八つ当たりされたけれど、あのひとの言葉も、全部が全部八つ当たりでもない。兄上に遠ざけられていないで、その影に隠れてなあなあにしないで、わたしも訣別すべきだ。

「——こちらはもう不要ですね」

 抜刀。

 刃は空を切った。

「髪はまた伸ばす」

 小太郎さんは、片手は小刀の柄を押さえ込んでいた。もう片方の手は、わたしが切断しようとした髪紐を掴み取っていた。

 その表情が——いまだ、太陽が眩しいのだろうか。まるで、なにかを堪えているようにも見えた。

 小刀の柄ごとわたしの指を抑えて、彼はそこに髪紐を結びつける。

「それはそれとして、まだ、持っていなさい。……今度はちゃんと迎えに行くから」

 結び目に触れる。固結びだ。とってもほどきにくい。結び目を切り捨てるには……まァ、いいでしょう。約束ですね。そうですね。更新されたら、それは、守るべきでしょうね。

 ……まったくもって。

「嘘つきですねえ、小太郎さんってば」

 わたしはつぶやいた。

 身を引けば、これまた案外あっさりと、てのひらは外れた。小刀を納刀して身を翻す。

「兄上、御来客ですよ」

「とっくに知ってる」

 兄上は鼻を鳴らして、わたしに目を向けると一瞬目を眇めた。ばさりと羽織りが投げつけられ「わぷ、」顔にかかったので剥がした。

「なんですかもう」

「落ちるとき似蔵に引っ掛けられたろ。背中裂けてる」

「……や、やだァ……」

 それは、ちょっと、その、先に仰っていただけたらわたしも背を向けなかったというか……。

 わたしにも羞恥心というものがあるんですよ。じつはね。

 

   ➤

 

「ところでよォ……もしかして、マジで失恋した?」

「失恋ではない! イメチェンだ!!」

「声デケェ辰馬かおまえは」

「桂だ!!!」

「マジうるせェって」

 

「……背中が悪化していた。けれどすべて古傷だ」

「あー。……そーかィ」

「……置いていかなければよかったのか?」

「……今更言っても意味ねーだろ」

 

   ➤

 

 損害。

 本艦の側面と一部居住エリア。隊員数十名と幹部複数名の負傷。隊員十数名の命。村田さん。岡田さん。紅桜。

 岡田さんと紅桜に加えて、計画肝心要の村田さんが死んでしまい、いよいよ紅桜計画は失敗の烙印を押された。村田さん、彼は彼で良いエンジニアで、良い刀匠だった。指示聞いてくださらないのが玉に瑕通り越して致命傷なだけで。

「派手にやられたでござるな」

「やかましい」

 兄上は胸元に包帯を厳重に巻き付けて、仏頂面で鍋をつついている。防備考えるべきですよあなたは。

「いよいよ惜しい」

 河上さんは心底残念そうだ。

「せめて白夜叉とは一太刀くらい……先っぽくらい……」

 下ネタ?

「先輩そう言うッスけど、実際いたら似蔵を止めるために走り回る羽目になったッスよアレ」

 また子さんは紅桜に振り飛ばされた拍子、折れた腕を三角巾で吊っている。彼女のぶんの具の取り分けはわたしが代行した。

「最後は意識もありませんでしたね、似蔵さん」

「武市先輩も大概意識なかったッスけどね」

「脳震盪大丈夫ですか」

「若干まだフラフラしますね……」

 武市さんは目眩を振り払うように頭を振った。

 その目眩って既に空いた一升瓶のせいだったりしません?

「マ、紅桜は終わったが、春雨の助力は得られた」

 兄上がつぶやいた。「成果としちゃ上々だ」くるりと手のひらの中で切子を回す。

「それでは、紅桜破棄と春雨同盟締結を祝しまして」

 わたしはもはやヤケクソだ。音頭を取り、杯を掲げる。

「散っていった強者共(バカども)に乾杯ッ!」

 チンッ! とグラスが音を立てた。

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