前略:
修羅場をギャグで瞬殺する天才もしくは桂小太郎。
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急募:全部の気が抜けてしまったがぜんぜん気を抜いている場合ではないときの心情を表す言葉。
「オイどうすんだ、こっちは仮死になる以外の段取りろくに聞いてねえぞ!?(※小声)」
「申し訳ございません余計な揉め事を……(※小声)」
「イヤもうそれはいいややこしい(※小声)」
起こすにも仮死からの起こしようがまず何という話だし、さすがに間に合わない。足音が聞こえるどころか手元の明かりがちらついている。そもそも経口摂取どころか口に含むレベルで気絶する神経毒ってどういうこと。即効性を謳う舌下錠でさえ、効くのにたいてい数分はかかるのよ。あまりに事故が起きかねないつくりでは。
現に発生した事故こそが今・ちょうど・この時・というわけですか?
そうですか。
「仕方ねェこうなったら俺たちも死んだふりだ!(※小声)」
「え゙え゙!?(※小声)」
「森で熊に遭遇したときも檻でゴリラに遭遇したときも対処法は同じだ!(※小声)」
「熊に死んだふりが効くというのは単なる俗説に過ぎませんよ……?(※小声)」
熊をなめてはいけない。人肉の味を覚えた熊はふつうに死体を食べる。食事判定されなくとも、玩具扱いで爪先で弄ばれるだけで死ぬ可能性すらある。……しかしたしかに、人間程度なら多少騙せるだろうか。仮死状態ならばベターだったのだろうが、単なる死んだふりでも、たとえば相手を油断させて獲物を奪う手法はわたしがもっともよく知るところだ。意識ある手弱女と意識不明のふりをした人間はあまり大差がない。かもしれない。
わたしはとりあえず、困惑気味にも隅に座り直した。小さくまとまるようにして壁に寄りかかり、目を伏せ気味にする。〝しつけ〟以外の時間において、わたしがほとんど眠ってばかりなことは単なる事実である。
様子をうかがっていると、じきに番兵がやってきて、牢の中でうつ伏せに倒れ込む男たちに気づいたようだった。死刑囚が期日前に死んでいるなぞ充分に醜聞だ。彼らはそれぞれ、小太郎さんと局長殿の牢を開けた——
——あれ。
わたしはかすかに足を引く。なんだか。
なにかがおかしい。
番兵らは牢の入口の方から来た。わたしはもっとも奥の牢に収容されているので、番兵たちの来訪をほぼ真正面から見た。左手側に小太郎さんの牢。右手側に局長殿の収容された檻。局長殿の隣、わたしから見てさらに奥に、長官殿の牢。
最奥の牢に放り込まれているわたしから見て、奥というと。
つまり入口側で。
番兵たちが来た方向で。
……どうしてこのひとたち、手近な長官殿の牢からではなく、奥の方から確認し——
「——ッ起きろ!」
局長殿の反応は、わたしの絶叫よりもコンマ未満に速かった。素早く身体を転げたその首元を紙一重に、躊躇なく振り下ろされた鋒が石床を砕く。ちらついた灯りが番兵の腕を照らした。八咫烏の入墨——奈落だ。
番兵まで?
砕かれた石床。先日見張りが鼠を突き殺したときはあのようにはならなかった。せいぜい血溜まりが広がった程度。元の番兵たちは、このように強靭で、機械的で、人間味のない振る舞いはしなかった。
檻を蹴る。先程拷問官と口論した際に蹴り飛ばした位置。扉の金具の位置でもある。
局長殿は二撃目を躱して腕を取った。奈落の腹部を怪力を以て蹴り飛ばす。体勢がつき崩れた脇を走り抜ける。
檻を蹴る。腕は使えない。踏ん張るにはあまりに不適な姿勢としっている。
一方で——小太郎さんの牢にも、番兵に扮した不審人物は既に入り込んでいた。倒れた仲間に動じる様子もなく、刀を抜く。
檻を蹴る。おなじところ。
「は」
刀が振り下ろされ、
——ゴッ、と、その側頭部に頭大の石が衝突する。刀は振り下ろされることなく、男はよろめいた。脳震盪だ。石の出処は長官殿の牢。
「近藤ォ!!!」
檻を蹴る。時同じくして局長殿が開いた扉から牢を飛び出した。檻の隙間を寸分違わず狙って、振り抜かれた拳が石礫に引き続き男の顔面に激突する。
檻を蹴る。
局長殿の背後には、既に起き上がり、ふたたび刀を構えた奈落の姿があった。縦に刻まんとする腕の動作。
——かくも正しく、強く、鋭く、刀を振るうには。
風音もなく。
衣擦れもなく。
波紋ひとつない
死角を介した一撃が正中線の真中を突いた。
小太郎さんは既に仮死状態より復帰し、奈落が取り落とした刀を振り抜いていた。その一振りは檻の隙間から確実に急所を刺した。勢い殺せず叩き込んだ踵がそのまま金具ごと扉を踏み抜いてしまったから、わたしは牢の外に転がり出た。
奈落は既に、どちらも戦闘続行不能である。
「これで、
「ケッ、知るかよ」
……これだから暴れ馬だの、頭に血が上ると云々だの、いつも言われるのだ。わたしは内心己を苦く罵った。
金具を叩き折る勢いの蹴りでそのまま飛び出してしまったから、額も擦りむいたみたいですこし痛い。なんなら剥がされた爪のところより痛い。最初の方に剥がされたものだし、微妙にそこそこ生えてきてますからね。
溜息をこぼして、わたしは身体をたたむようにして身を起こす。そういえば腕の拘束具は壁に繋がっていたような、と見やると鎖が半ばから砕けていた。……腐食していたみたいだ。……備品管理と点検・交換ってとってもだいじですよね、という典型例。監禁を目論むならば気をつけましょう。この点は我が愛しの実家の方が軍配が上がる。
「……さっさと死んでさっさと起きるだなんて、どういう薬効なんですか」
「仮死薬の表面が溶け切ると、拮抗薬が現れるように仕込まれている」
小太郎さんは己の傍らに倒れた奈落の懐を漁って、鍵束を探り当てていた。開いた檻の扉をてのひらで押さえてわたしのそばにしゃがみ込む。
「本当に攘夷党に医療専門職はいらっしゃらないのですか? 素人どころか最先端を突っ走っておりますよ」
「エリザベスのツテだ」
ツテの一言で片がつくものなの? そんなツテを持ち合わせていらっしゃるエリザベスさんがまず何者なの? あなたはそのような傑物を相棒はいいとしてペット呼びしていて本当に問題ないの?
聞けば聞くほど余計な疑問が募って山積みだ。このあたりで打ち切ろう。
気になるけれど。
ものすごく気になるけれど。
「エー、で、とっつぁんの檻の鍵……てーんーのーかーみーさーまーの」
「いいから順に試せ」
華麗な身体さばきを披露した局長殿が先程とは打って変わってもたつく一方、じゃかじゃかと素早い手つきで鍵束の鍵を選り分けた小太郎さんが「たぶんコレ」わたしの手錠に鍵を挿し込んだ。あっさりと回転し、拘束具は取り払われる。今一瞬で鍵穴と鍵の形状・材質・摩耗具合から回した際に実際噛み合うか否かの照合までまるっとアタリまでつけて正解を引かれましたね。目と頭が良すぎる。
「……ありがとうございます」
もうここまで来たらばやけくそだ。つっけどんな態度になった自覚はある。
「しかし自力で出てくるとは」
「お黙りくださいまし」
「もう少しで助けられてしまうところだった」
「助けられて
言い方。
……わたしが指摘できることでもないのはわかっている。
「焦ったのか?」
わたしの手首についた拘束具の跡を小太郎さんの指の腹が撫でた。半月も経つと跡がつくのはあるけれど、なにより先程は力任せに壊したものだから、くっきりと手錠のかたちに鬱血痕がのこっている。まるで労るような撫で方に、わたしは咄嗟に手首を引きかける——かすかに力を込めて引き止められた。身がこわばる。固まったわたしの耳に、ちいさく笑う音が届く。……なにを笑っていらっしゃるのですかあなたは。
つ、とそのまま皮膚を辿られて、傷痕ばかりの手の甲を撫で、わたしの指先をその手が包んだ。ぬるい人肌の温度。わたしより一回りも大きい手。不揃いに爪が生え始めた指先と比較するとどうにもこちらは歪で不細工だ。
いつにもましてかたちの悪いわたしの手を、まるで慎重な手つきで手中に収められる。鍵束を選り分けるよりもずっと繊細な仕草で、こちらも指で撫でられる。
「牢を蹴破るほど?」
わたしは、もう一度身を捩った。薄汚れて見る影もなく、鼻が麻痺した今でも、臭うほどの有様だという自覚はある。今度こそ指先を抜こうとするとやんわりとまた握り直された。だから、汚いっていうか。
……このひとのこういうところ、かなり、いやかも。
空いていたもう片方の手が横髪にまで触れるから、思わず身をすくませる。小太郎さんは咎める様子もなく、わたしの髪をするすると手に取って、髪紐の結び目を指でなぞった。確かめるような手つきだ。なにかを。……なにを。
「……だったらなんだと仰るの」
「けっこううれしい」
無言で振り抜いた低段の回し蹴りを、逃げの小太郎はさながら大縄を避ける素振りでひょいと跳んで避けた。傾いた重心を良いことに肩から掴んで引き倒し「アダッ!?」「え? なにやってんの。なにしてんの?」「内輪揉めしてる暇ねえぞ」彼の手を双方とも振りほどく。
「クソッ冬のソナタらで散々履修したというのに……何一つ効いていない!?」
「マジで何???」
「ああハイハイ効きました効きました。これでいいですか? 茶番で無駄な時間を費やしている暇はございませんよね」
もう知らないこんなひと。
さっさとわたしは切り替えて、小太郎さんが収容されていた牢・今や番兵に扮した不審人物が伸びているだけのもぬけの殻に踏み入った。
「あしらわれてることしかわからねえ。なにしたんだ桂。俺がもたついている一瞬の間に」
「近藤てめえ言ってる暇あったら牢の鍵出せやコラ」
「ちなみにたぶんこれだぞ」
ガチャ
「ウワァ開いた」
「お、俺がもたついた意味……!?」
「ない」
「ねえな」
倒れた男を観察する。側頭部強打に顔面殴打、局長殿の拳は奈落をも落とす威力なだけあって、顔面骨骨折どころかこの様子では眼窩骨折も固い。男の身体を足先でひっくり返す。奈落の象徴:八咫烏の入墨がこちらの男も腕に刻まれている。
「どうやら奈落もなりふり構わないようで」
「この牢獄は、もとから奈落の手のうちか」
ようやく牢から解放された長官殿は、険しい表情で、倒した奈落たちを睨んでいる。
「……わたしが知る限りでは、普段の番兵は奈落の方々ではございませんね。それこそわたしが毎日ご尊顔を拝見していた拷問官殿ぐらいで、見張りはふつうの侍に見えました。ふつうの侍というか……意図はご理解いただけるかと」
言いながらも足先だけで男の身体をそのまま牢の隅まで寄せる。なるべく奥の方にいてくださった方が、万一蘇った際も初動までの余裕が稼げる。
「ここ二週間と少しの間の観測でしかありませんが、この二週間ちょっとをたまたま一般の看守に明け渡していたという可能性よりは……いよいよ鎮圧に出向いた、という解釈の方が正しいものと存じます。それも彼らは、あなたがたの殺害を目論んでいるわけです。特に真選組局長殿と攘夷党党首」
全員殺したかったならばまず手近な長官殿の牢から開けたはずだ。奥から順に殺したいのであればわたしがいた。わざわざ最優先に、桂小太郎と近藤勲を狙うだけの理由があった。
「全員で丸薬を召し上がらなくて、むしろ幸運でしたね? 皆さま仲良く仮死なさっていらっしゃったらば、ついでにみすみすとどめを刺されて本当に天にも召されておりましたよ」
「上手く言ったつもりかよ……」
だとすれば、気にかかるのは元の番兵の安否だ。
物陰から様子を窺えば……わざわざ、物陰から窺う必要すらなかった。彼らは全員、息の根を止められており、我々はただ無意味に死体を警戒しただけに過ぎなかった。染み渡る血痕はもはやかの天照院奈落も隠れ忍ぶつもりがない事実を示している。
「俺たちの処刑を待ちきれぬ者がいるのか。それとも、俺たちの動きを読んでいる者がいるのか」
……あるいは、正確には攘夷党および真選組が目論む頭領たちの脱獄計画そのものではなく、彼らを同じ牢獄に放り込んだ佐々木さんの思惑を読み取っているのやもしれない。
佐々木さんが攘夷四天王と真選組をやたらと買っていることは、彼を注意深く見ていればいずれは読み取れることだ。前者は未だ攘夷志士には伝説と謳われることに加えて、ひそかに協定を結んだ兄上の件もあるかもしれない……後者は、なんだろう。ファンと仰っていたのは初見は悪ふざけと勘ぐったけれど、あれは本気で仰っていた。単なる協力関係でしかなかったわたしとしても、彼の挙動はあまりに厄介ファンが過ぎるかと存じますが。
「じきに騒ぎには気づかれる。まずは切り抜けなければ」
「ど、どうするんだ……」
「番兵のふりをする。囚人たちが脱獄したということにして、手傷を負った素振りで騙そう。不幸中の幸いだが、血糊どころか本物に事欠かない」
小太郎さんがちらとわたしを見るので、わたしは顔をしかめることを止められなかった。
「せっかく助けに来てくださるというあなたがたのお仲間、わたしの存在を勘繰って殺しにかかってこられてもわたしは知りませんからね。ああなんてひどい組織長かしら」
「無用な矜持が高すぎるだろこの女……」
「だから仲間には説明したと言っただろうに」
「
「テロリストと手を組む話が通じたらば一番まずい組織の自覚はお有りで?」
わたしってば、鬼兵隊所属にしてはあまりになめられ過ぎていやしませんか……?
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「〝百舌鳥〟の方は露骨に小柄だから少し怪しまれるかもしれねえが……」
「男性よろしく男声でも出せばよろしいかしら」
「やめておけ。最悪俺がどうにか誤魔化す」
「そんなに無理があるのか」
「……いいえ? わたし物真似全般、真面目にやればけっこう上手い方ですよ。百舌鳥の名前を仰せつかる程度には」
「上手いから困るのだ。……男の声を演じるとなると高確率で高杉の声を出すから」
「あっ……」
「ああ……」
「ありもしない他人の声をでっち上げるよりは、既存の声を乗っ取る方が容易く、かんたんに寄せやすいので。まして兄上の御声はわたしはよく聞き慣れていて真似やすいわけです。というか兄上の御声に聞き覚えのある人なんて、この状況下ではあなたくらいしかいらっしゃらないでしょう。なにが困るというのです」
「横から高杉の声を出されて〝ウワッ高杉だ……〟と思う身にもなってくれないか? 江戸城でおまえが女中と応対している間俺はしょうじき耳が混乱していたからな」
「そのようなことを言い出すならばまずわたしとて厳密には高杉なのですけれど?」
「待てオイ今ぬるっと聞き捨てならねえ話がなかったか。なんだ? 江戸城? 鬼兵隊は定々暗殺だろうが桂が? いつ侵入を許した??」
「アレか……」
「アレか???」
「い、イヤそのとっつぁんこれはだな……ン? つまり、逆に高杉が高い声を出すと……?」
「兄上側はそもそもわたしの地声ほどの高い声が出ません。……仕方ありませんね、それでは副長殿でどうでしょうか」
「どうにかやめてくんねえかなと俺思うワケ」
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黒縄島。島全域の面積はおよそ十二ヘクタール。島内に存在する設備といえば、主要な牢獄とそれを囲う塀、看守滞在用の長屋、港。以上。日用品どころか飲食物をも島外からの供給に頼っており、孤島全体が巨大な監獄として運用されている。
「……おまえはあまり驚いていないな」
愕然とする局長殿・長官殿を他所に尋ねられて、わたしは頷いた。現状の己の居所には、わたし自身はとうに見当がついていた。
「将軍暗殺未遂まで仕出かしたテロリストの収容先という時点でそれなりに絞られますから。それに……御二方と違って、わたしは度々牢から出る機会がありました。目隠しくらいはされておりましたけれど」
これは主に拷問蔵に運ばれる時という意味だ。
「風向きが一定ではないのに常に磯の香りが強く臭っていました。これだけでも直近全方位を海に囲まれている、小さな半島か、離島だと容易に判別できました。背の高い遮蔽物がほとんどないので、常に風に吹きさらされている……ただ、西側からのみ、ほとんど風が吹くことはありませんでした」
目隠し越しでも体感気温でおおよその時間帯は推察できる。日差しが当たっている場所は温かく、陰になると少し肌寒い。日の角度が傾いていれば自らの身体で陰ができるから、よりわかりやすい。斜めに日が差している気配を感じるならそれは朝方か夕方だ。日中に雨でも降らぬ限りは朝の方が気温が低い。日の出の時間帯に温かい方をだいたい東南東と仮定すれば方角も掴める。
「西日の時間帯は常に、大きな影がかかっていました。西側に巨大な遮蔽物があることは自明。それもちゃちな塀程度ではない」
わたしはちらりと背後を振り仰いだ。黒縄島の西側には断崖とすら呼べるほどの岩壁が聳え立っている。
「番兵も地方訛りがないか、あったとしても江戸や武州の訛りでした。となれば江戸近海であろうと連鎖的に予想がつきます。我が国の太平洋側は黒潮が流れておりますから、それでもなお磯の香りがする時点で、江戸中心に都市圏の排水の影響がかなり強く出ている……離島だとしても小笠原諸島などよりは断然、本州より近距離に位置していると推定できます。加えて先述した特徴的な地形を勘案すれば候補はほとんど一択のようなものでした」
わたしが拷問の片手間に推察できる程度、寺子屋に通う子どもならば誰でも習うレベルの知識の些末な推察の積み重ねだ。御二方も牢から出る機会が何度かあったらば、同じような予測はつけられただろう。
黒縄島へ移送される際本来行われるべき正規の手続き通り、海上で囚人として受け渡されていたらもう少し早く特定できたけれど、あいにくとわたしは天導衆および奈落の船によって放り込まれたのでほとんど産地直送だった。この様子では局長殿や長官殿も、正規の経路では移送されていないように思う。
「事前に推察できたところでだからどうという具合でもありませんけれど」
拷問蔵の位置くらいは特定できるが、行ったところでなんにもならない。
「おまえが侵入するならば如何とする」
「……取り決めていらっしゃらないのですか」
「事前策では囚人の受渡船を乗っ取って黒縄島に近づく手筈になっている」
「……なるほど」
定石だ。優等生の小太郎さんらしい、じつに手堅い策である。
定石は手堅く成功率が高い一方で、読まれやすい手でもある。救出班の動きが既に察知されている——可能性でしかないが、非常に高い——現在、先んじて潰されていてもおかしくはない。
「第二案は?」
「臨機応変に」
小太郎さんは肩をすくめた。
「なにせ銀時に任せてきたからな、俺でも予測がつかんのだ」
「ああハイ、であればこちらも予想していただきたかったのですが、銀さんの行動予測をわたしに振るのは更なる無茶にございます」
わたしは半眼になった。
「断崖絶壁どうにかして上ってこられてもわたしはなにも驚けませんからね」
「ぎりぎり有り得るな」
「ぎりぎり有り得そうでしょ」
戦場育ちの経験値なのか単なる本人の資質なのか、先生が兵法の授業を取ると荒唐無稽な奇策を提案するのは常に銀さんだった。博打好きの兄上でさえドン引きするぐらいといえばお察しであろう。かつての兵法の授業はあくまで机上の空論、あるいは詰め将棋問題の真似事でしかなかったけれど、まあこの調子なればどうせ戦時中の実践でも大差はなかったのでしょうね。加えて成功させてしまうタイプだったのでしょうとも。
「どう合流するにしろ塀は乗り越えなきゃならねえな」
ぼやいた長官殿に小太郎さんは頷いて「なのでまず見張り台に向かう」と、続けた。
「遠目の効く人員は早めに潰さねばすぐに追手が差し向けられる。占拠さえできればこちら側の偵察にも打ってつけだ」
見張り台の占拠自体はスムーズに進んだ。
一部の茶番は非常にどうでもよいのでわたしのコメントもない。わたしが言うのもなんですけれどもう少し緊張感だの持つべきではありませんか。捨てましたか。拾ってくる時間もありませんね。
……思考が毒されている気がする。
わたしは首を横に振って、きゃんきゃんと揉める皆様を尻目に、望遠鏡を覗き込んだ。モニターを用いたテレビ望遠鏡だ。古びた素振りなのは建物外観と牢屋ぐらいで、見張りは最新設備を一応所持しているらしい。制圧しにきた身としては助かる。
ぐるりと可動域限界まで回して塀の中を虱潰しに確認していると「……何してるんだ?」局長殿に尋ねられた。彼はようやく茶番から抜けて、もうひとつのテレビ望遠鏡で港の方角を覗き込み、見廻組の上陸を確認して苦々しい感想を述べていた。
「奈落の姿が確認できないかと考えたのですが、マそうそう上手くいくものでもありませんね」
「……あの二人以外にいるってのか」
「拷問官を加えると現状島内に確認できているのは三人ですね」
死んだ奈落二人とも平均身長程度は持ち合わせていたが、拷問官の人一倍大柄な体躯にはどう見ても届かなかった。わたしが傾城太夫の件で身長を盛ったり今回服を余計に着て中身を埋めているように、人の体格を巨大に見せかけることは可能だ。しかし逆は困難である。張りぼての筋肉とそうでないものを見分けることくらいわたしとてできる。
「さて……暗殺計画に求められるものとは古今東西、速やかな殺害、静かな殺害、確実な殺害。後者であればあるほど重要度が高いかと存じます」
速やかな殺害、静かな殺害、どちらも証拠隠滅を目的としている。暗殺を名乗るからには気づかれずに病死や事故死として片付けられることこそ最上。確実な殺害は前者二つとは違って、殺害そのものを目的とする。
転じて、失敗する暗殺はあまりに無益で有害だ。たとえば一橋公が先走った将軍暗殺未遂により、鬼兵隊は万全の態勢を整える前に動かざるを得なくなった。……果たして、公が冒した暗殺未遂は本当に〝暗殺〟を目的としていたのだろうか? あの時点で天導衆の息が掛かっていたなら、わざと失敗させて国賊:鬼兵隊を誘き出してくれ——だなんて、吹き込まれていてもおかしくはない。
過ぎたことだ。話を戻そう。
「囚人の脱走を知らしめた時点で、第一の矢が失敗したこと相手方にも伝わったことでしょう。はてしかし、第二・第三が存在しないというなら……何故天照院奈落は暗殺集団として名を馳せ、ついに主人たる天子にすら危険視されたのか。その実力を買われて天導衆のもとにつくまでに至ったのか。わたしは理解に苦しみます」
けれど増援の気配はない。番兵に紛れ込んでいる様子でもない。思考している様子の小太郎さんを見上げると、彼は片目を瞑った。
「増援が到達していない」
「現状考えつく可能性の中でもっとも楽観的かと存じます」
暗殺に限らず、何事も事前準備こそが物を言う。天に運を任せてとはよく言ったもので、そもそも運を頼りにしている時点で片手どころか両手落ちだ。ワンステップでも疎かにすればいずれしっぺ返しがやってくるとはわたしが散々に痛感した事実だった。
「救援部隊の方に向かっている」
「有り得るでしょう」
なんの対策も打っていないとは思えない。桂一派と真選組の群体となれば単純に手数も多い。そちらを先に叩き切ってあとから囚人数名をのんびり島狩りすれば終わり、と仮定してもまァ理解は及ぶ。
「俺たちが感知できぬ位置に潜んでいる」
「これまた、有り得るでしょう」
森の中なぞに隠れられるといよいよ見つからない。八咫烏の名を持つくせして、闇に紛れるのは彼らの得意分野ですらある。念のため目を凝らしてみたけれど、赤外線モードに切り替えたところで闇夜の気配はろくに拾えもしなかった。そもそも赤外線はあくまでも地球人の目では拾えない波長というだけで、照射の光源がなければ役に立たないのは他の可視光と変わりない。溜息をこぼしてレンズから離れると、小太郎さんが手を伸ばしてもとの向きに直した。
「……他事に人員が割かれている。囚人の脱走
「……たとえば?」
「おまえが皮肉ったときの言葉を借りるなら〝待望の御方〟の出迎えだとか」
わたしは鼻を鳴らした。
「……有り得るでしょうね」
盤面もろくに見通せぬまま、ひたすら先手ばかりを取られている気分だ。
心底気に食わない。
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爆発音とともに炎が上がる。めらめらと船上を焼いていく。焦げ臭い匂いがこちらにも漂ってくるほどの大火事だった。
迎えの船はこのようにして燃えましたとさ。
「あのひと、以前のわたしたちをまるで罵れる立場ではないのでは?」
武器庫を数個燃したときの銀さんの罵倒を思い返し、わたしはしみじみと言った。
砲弾が着弾した程度でああはなるまい。故意でも差し挟まれていない限りは。
「まったくだ。そもそもあいつが戦時中に燃やした船の数を知っているか?」
「いくつなんですか」
「俺は二桁から先は数えるのをやめた。坂本は数えていたようだから、時折、燃える船の夢を見て魘されていたよ」
「可哀想……」
「〝一艘……二艘……一艘足りなァい!〟と」
「皿屋敷……」
これはいったい何度目の天丼ネタかしら。
我々の落語もどきの最中にももう一発爆発。さらに爆発。炎上に延焼を重ね、パパパパ! と破裂音がいくつも混じる。景気の良いことにございます。
どこにそんな量の火薬を積み込んでいたのか、燃やす気しかなかったとばかりに勢いのいい大炎上。水源豊富な海上にありながら、まるで鎮火の気配もない。
「正面で火が上がったということは、奴等の狙う上陸場所はその裏。上陸不可能な場所だ」
小太郎さんは気を取り直して、テキパキと断じた。わたしは今一度、背後の断崖を見上げた。傾斜六〇度以上はあるだろう。西側はより角度が強い。ほぼ垂直だ。……わたし一応冗談のつもりで申し上げたのだけど。
ともあれ、集合場所が差し替わったなればこちらも急がねばならない。踵を返して森の中を駆ける。整然とした雑木林に長官殿が舌打ちした。
「つくづく歩きやすい森だ。こりゃ最悪だな」
誰も口にしなかったが、誰もが内心同意していた。北緯およそ三十度となると、植物の生育にはうってつけの気候である。人の手が入らない森林はすぐに木々も藪も生い茂り、蔦は這って、苔も生して、一歩歩くたびに足を取られる羽目になる。この森はそうではない。よく整備された森である。定期的にきちんと手入れされた森となれば、地図も作られている。獣道もない。三叉路も袋小路も思いのまま。狩人にとってはきわめて狩りやすい森であろうと一目でわかる。獲物が人間であればなおのこと。
——案の定、とでも評するべきであった。
複数名の追尾。数は二桁を少し超えたくらい。小太郎さんの視線がさっと動いて、追手の位置と数、身を潜める場所に先の進路を確認した。
「何人だ」
「おそらく十数人……奈落か」
「武装はいずれも刀ですね」
やり取りにわたしも口を挟む。帯刀時の走り方は特徴的だ。刀は基本的に利き手の反対側に携えるから、無闇に音を立てぬためには、そちらを揺らさないよう保持する必要がある。腕の振りが不自然なのを見て取ってわたしは前を向き直した。
「加えて胸元にもなにか持っています。飛び道具やもしれません」
苦無か銃か。撒菱や手榴弾、煙幕弾、閃光弾もありうる。
「やつらようやく、俺たちの首を刈るには錫杖程度では到底足りぬと気づいたらしい」
「彼我の実力差を測るには目利きが悪いのですよ。慮ってあげて」
「言うじゃないかおまえこそ」
あくまでも軽口、士気を下げぬための振る舞いに過ぎない。殺人特化集団と真っ向勝負なぞふつうあってはならないことだ。こちらは間に合わせの装備しかない。あちらもまた万全ではないところが唯一の救いだが、しかし暗器や毒の類を保持していてもなんらおかしくはない。血清の持ち合わせは使い果たしてしまった。持っていたとしても朧に見つかって取り上げられるのがオチだったろう。
この数ならばまだ処理できる。だとしてもいくら鬱蒼とした森林でも、派手に大立ち回りをしていればいずれは気づかれる。増援が来る。視界の効かない森の中、いくらの兵力を備えてきたのか判断がつきづらい。
先導していた小太郎さんが軸足を基点に利き足を回す。一瞬の方向転換、重心を取るついでに引き抜いた刀を構えて「先に行け」局長殿に向かって短く言った。
「このまま行けば銀時たちとの合流地点をしられる。それにここでおまえに死なれては真選組の協力も得られなくなるしな」
佩いている刀の柄に手をかけ、かちんと鳴らす。「おまえもだ」と、彼はわたしの意図を読んだように付け加える。
「今のおまえに任せると退き際を違えそうでならん」
「まるで人をいつでも常に血の気が有り余っている生きものかのように……」
「俺でなくとも、その具合の手足の兵を奈落とまともにぶつける将はおるまいよ。手足だけでもないのだろうが」
爪先が生え始めたばかりの指を自らの手で覆った。この口ぶりでは釘打たれた跡が真新しく残る足の甲も見られている。いつ確認されただろうか。檻を蹴破ったとき?
「行け」
わたしが反論を考えあぐねている間に――局長殿が踏み込んだ。刀を引き抜く。
「悪いが俺は脱獄こそしたが、
「……死ぬんじゃねえぞ」
足を引いた長官殿がわたしを見た。「チッ」「本当に舌打ちはやめなさい、おまえは高杉の悪いところばかり真似するんだから」「今説教してる場合か!?」佩刀に置いていた手を放してわたしもまた背を向けた。背後ではついに剣戟の音が打ち鳴った。
殿を引き受けた二人——どちらもその性質上、組織長である以上に、叩き上げの侍である。十数人の奈落はあっという間に縫い留められた。
ただ走る。
より早く。より速く。より疾く。
いくらあのふたりが強かろうと、手足の数はひとり四本、累計でも八本だ。速度で補ったとてどうしても打ち漏らしはある。攻防戦を抜けるようにして、数名が背後に迫る。
刀を引き抜かんとした長官殿の目前で「お触り禁止」わたしは背後に踏み切った。握った刀を身体ごと振るう。振り向きざまに斬とひとつ首が飛び、宙を舞った。死体が取り落とした刀を足で跳ね上げ、もう一撃を奔らせる。斬斬と足を斬り捨てる。
「露払いなぞ、警察庁長官がなさるお仕事ではありませんよ。端女にお任せを」
「元だ。……それにあいにくだが」
重心を落として瞬にしゃがむ。わたしの頭上を空振った長柄を、剛腕が柄から叩き切った。
「娘ぐらいの女に介護される年でもねえ。女は黙って酒でも注いでるんだな」
「ジェンダーバイアスにしてもこれまた、いっそ時代錯誤なほどにございますが……」
わたしは脇から出てきた追手をまた一太刀に斬り伏せた。
「……誤解を招いているようなのでひとつお教えいたしますね。わたしは現在、二十六歳です」
「……ア!? 栗子のチョイ上ぐれェじゃあねえのか!?」
長官殿が愕然と叫んだ。やっぱり誤解されていた。
「松平の御息女は十代でしたか? それこそ十近く違うものかと。十近くを〝チョイ上〟に括られるのであればこの指摘は筋違いですけれども」
「ケッ、まさか百戦錬磨の俺が女の年を見誤るなんざ……」
キャバクラ通いを〝百戦錬磨〟なぞと評するべきかは意見が分かれるところだろう。
わたしの見解を述べるなれば、客へのリップサービスを真に受ける百戦錬磨は存在しない。
「本当に桂の野郎いろいろとはめやがったな」
「あのひとなにをほざいたのでしょう。ろくなことでもなさそうですけれど」
「てめえが言うか……アーアー、ったく悪党の手腕だったよ! この時代に攘夷やってるだけあらァ」
愚痴った長官殿が倒れ込んだ追手の死体を蹴り飛ばす。
「……だがまァ、歳なんざけっきょくのところ些事だ。娘に人殺しなんざになってほしいと願う親はいねえ。人殺しに慣れるなんざ尚更な」
いまだ治りきっていない、足の甲の釘打ちの痕がじくじくと痛む。どうしても全力疾走や体重をかけた踏み込みは傷に来る。なりふり構わず檻を叩き折った負荷もあるだろう。
筋は傷つけられていない。耐えられない痛みではない。まだ大丈夫だ。
わたしは走る速度は維持しながら、天を振り仰ぐ。木々の間から見える断崖は我々を威圧するような存在感をひたすらに醸す一方、その根本は思いの外遠い。巨大物に相対していると遠近感覚が狂ってしまう。
「息子の場合は?」
「男は黙って戦って、背中で語るモンよ」
「大っぴらな男女差別だなんて、週刊誌にすっぱ抜かれたらば処刑以前に社会的に殺されそうですね」
「息子だろうと娘だろうと——」
わたしの揶揄を、松平長官は取り合わなかった。
「——人殺しなんざなってほしかねえってのは一致してるさ。ホントのところはな」
暗闇に慣れた目であれば、隣の男の表情ぐらいは確認できただろう。わたしは覗き込むことはなかった。振り返っている余裕があるならば、道を切り拓くべきだ。
「それよりもなによりも。できれば長生きしてほしい。できれば幸せに生きてほしい。親ンなるなら当然にそう思う。……そうそう上手くも行かねえもんだ」
「……なるほど」
松平片栗虎。警察庁長官。一人娘の松平栗子を溺愛していながら、キャバクラ通いをやめられないまるでダメな親父。一方で彼は茂々公を幼少期から気にかけており、将軍のご訪問と称して開国祭りの席を設けたり、お忍びにキャバクラだのスキー場だのに連れて行ったり、気を配っていらっしゃったとはわたしも把握している事実だ。鬼兵隊内ではごますりもよくやると鼻で笑われていた。
……ごますり、というだけでもなかったのだろう。
「であればその点、あなたは良い父親といえるでしょう。その心は大切になさるべきです」
「厭味ったらしいな」
「いえいえ、本心ですとも」
本当に、本心だった。
子に心を傾けぬ親はいくらでもいる。それは貧困による余裕のなさ由来であったり、逆に家格に基づく生まれ持った義務感ゆえであったりする。意識的にも無意識にも、性別や生まれの順序、生まれ持った特徴によって、愛情の多寡と差別化が行われる事例は枚挙にいとまがない。わたしは――それでも親とて人間だ。過ちを冒すことはあるだろう。踏みにじられる子もあろう。
清濁併せ吞んでなお正しく在ろうとするなれば、その有様は正しく尊重されるべきだ。
「子不幸な親にできる子孝行とは子より先に死ぬこと。子煩悩な親にできる子孝行とは、子どもの前で畳の上で大往生すること」
振り切った刀が大木を切り倒す。倒木の幹は追手を巻き込んで下り坂の山路を転がっていく。
「テロリストなぞに大事な娘さんを投影して心を傾ける余裕がお有りでしたらば、その余裕も使い果たして、本物の娘さんのもとに辿り着くためにすこしでも足搔くべきでしょう」
「……おまえさんそもそも警察の仕事がなにか知ってるか?」
「犯罪者の捕縛」
「治安維持だ馬鹿野郎」
「野郎ではございませんけれど」
「捕縛は表面、予防策的な巡回と補導指導、更生の見込みがある犯罪者にゃ捕縛と刑罰と社会復帰補助はワンセットだ覚えて
「知見ですね。生きて帰れたらば、もしかしたら」
とぼけたわたしに長官殿は舌打ちをした。
➤
「で↓え↑え↗!? 高杉ヒカリ!?」
「ほらこうなった」
「幽霊ィイ!? 成仏して」
「アなんかわたしの予想ともだいぶ違う反応ですねコレ」
「なんみょーめんそーれーげーきょー……!!!」
「
おそらく局長殿救出部隊として先行した真選組と鉢合わせた結果がこちら。刀を向けられる可能性は考えていたけれど、両手を合わせて明らかにうろ覚えの南無妙法蓮華経を唱えられるとは思ってもみなかった。塩があったらぶつけられている勢いだ。撒くのではない。ぶつけられている。なんなら岩塩で来る。
「ハァアァアア?! ゆゆゆ幽霊なんざいるわきゃねえだろ!!!」
「トシおめェ、幽霊無理なんか……」
「なら生霊!?」
「六条御息所と同等の霊感とはなかなか、畏れ多いことにございます……」
……あっ、あれは噂のペンギンモドキ。わたしはなんだかんだでお見かけする機会がなく、小太郎さんに三面図解説されたきりである。……プラカードになにか書いてある。
【 茶番してる場合か? 】
いちばんふざけた格好の人がいちばんまともなことを言い出さないでほしい。
「ッそもそもこの女は成仏しねえぐらいなら執念で最大多数を道連れするタイプだろ! 祟るとか言いながら祟る前に心中すんだよ! なんなら生霊飛ばすぐらいなら自分が乗り込んでくる! つまりコイツは幽霊でも生霊でもねえ生身の人間!! Q・E・D!!!」
構えた刀をガッタガタに揺らしながら副長殿は勝手に証明終了した。足もガッタガタにガグブルと震えている。鬼の副長の二つ名にもしも自我があったら、主のあまりの情けなさにきっと大号泣している。……自我がある二つ名って何? 本当に毒されました。もうわたしあのひとたちと一緒に行動したくない。
「理解があってたいへん嫌ですね。どなたのせい?」
半ば確信を持って尋ねると、副長殿は刀を片手に苦く唇をゆがめた。
「伝言。〝友達と殺し合うのはやっぱりイヤね〟だとよ」
どうせそんなことだろうとは思いましたけれど。
「いまだに生ぬるいことをほざいていらっしゃる。甘やかし過ぎでは?」
「てめえに言われたかねえな」
「アラご挨拶だこと。悪い影響を与えるお友達がとっくのとうに処刑されておらずなんなら解放されてここまで来ているだなんて、あなたがたにとってはざァんねんでした」
手近な木の幹に寄りかかり、ヒラヒラと手を振ってみせた。
「さて、お求めの局長殿はさんざ渋っていらっしゃったようですが、あなたがたへ迫る危険を鑑みて協力の意思を示しました。現在桂小太郎とともに追手の奈落と応戦しております。ここは俺たちに任せて先に行けなどと格好つけられてしまったので、仕方なく合流を優先した次第ですとも」
「山崎、この娘っ子が無用に煽るのは平常運転か?」
「娘っ子!?」
シンプルにビックリしていると「俺たち相対してるとだいたい常にそうです」監察方が神妙な顔で頷いた。頷かないでほしい。
「うしわかった。こっちの経緯は〝百舌鳥〟の説明通りだ、おまえらの状況は」
「ご覧になったかもしれませんが、まず島東方面に無人の火薬船、加えて南北それぞれを挟む形で撹乱船を配備しています。桂一派は主にこれらに人員を割きました」
わたしのビックリはなあなあに押し流されて、監察方が現況を取りまとめる。実際こだわっている場合でもない事態だった。時間は刻一刻と過ぎていき、二度と戻ることはない。不死のからくりが存在する世でも、死人を真に蘇らせる方法は未だどこにもありはしない。
「桂一派の残りと、俺たち真選組、それに万事屋で黒縄島背面崖から上陸しました。ただあちらさんにはある程度読まれていたようで、天照院奈落と見廻組の待ち伏せがありました。見廻組側は副長の今井信女、奈落側は
「白髪の男とやらは癖毛ですか。片目がつぶれている」
真選組も桂一派もバラバラながらに全員頷いた。わたしは嘆息する。
「奈落首領たる朧ですね」
あのひと最近どこにでも出没している気がする。まったくお暇なのかしら。
……そうではないことをわかっている。国ごと波乱に巻き込まれる異常事態が頻発しているためだ。
「お喜びなさって? かつて江戸城で繰り広げられた定々公の失脚や、我々が冒した茂々公暗殺未遂、それらに出張った大物です。あなたがた、国家転覆をもたらすテロリストとして十二分に張り合えますよ」
「まぁじで嫌がらせみたいな褒め方してくるよこの女……」
さすがに局長殿や長官殿がおめおめと逃げおおせるのは、彼らとしても都合が悪いのか。佐々木さんはいよいよ大一番を仕掛けるべく動いていて、その対抗馬として配置したのか。
……もしかしたらばそのどれでもなく、近日来たる〝待望の御方〟のせいだったり?
「今はさらに二手に分かれています。副長を筆頭とした局長救出班が俺たち。残りは沖田隊長を筆頭に隊を分けて、見廻組や奈落を食い止めています。万事屋の旦那方もそっちに残ってます」
「佐々木は」
「俺たちはまだ姿すら見ていません」
副長殿はここまで黙って推移を見ていたけれど、おもむろにわたしに視線を向けた。
「鬼兵隊が見廻組と協力関係を組んだ理由はなんだ?」
わたしはニコッと微笑んだ。
「今が果たしてそれを問うべきタイミングか、わたしは存じ上げませんが……利害の一致。どなたであろうとも、協力関係を組むに必要なものってそれぐらいでしょう?」
「
鋭い一差しだった。
「定々公暗殺のとき、てめえらの江戸城侵入を手引きしたのは見廻組だろ」
……今更隠し通せるとも思っていない。
「一橋派はたしかに既に定々に対抗できる勢力を擁していたが、茂々が据え置かれたあの時点じゃ、将軍なんざ夢のまた夢だった。下手に証拠抑えられりゃ即時に連座で首が飛ぶ。そのくせ衣装だのなんだのと、一橋派台頭のためだけに渡るにはずいぶん危ねえ橋だったな。親身が過ぎる」
わたしは襟元を無意味に直す。
「現将軍のお忍びについて一緒に市井に出て、なにか不興を買った市民は部下使って斬り伏せる。抵抗した市民にわっぱかけて連行しかける。すっかり暴君の腰巾着が板についてたぜ。今まで尻尾掴ませずに上手く立ち回ってきたエリート様にしちゃあ、ずいぶん雑な振る舞いじゃあねえか」
あのひと、そんなことまで。
「一橋が徳川になって調子に乗ったか? そうは思わねえな。あの冷血漢相変わらず蛇みてェな温度のない目をしやがる」
「蛇の顔を一度よく見てはいかが? けっこうかわいい顔をしていらっしゃいますよ」
「てめえら鬼兵隊の行動は俺たちにとっちゃ心底意味不明だ」
入れた茶々は無視された。
「花火の代わりにジジイけしかけ、伊東を切り捨て、攘夷を掲げてたくせして天人とつるみ、古狸殺したかと思えばろくに市井を考えねえ点じゃ大差もねえボンボンと組んで、挙句玉砕特攻しやがる。義理や人情なんてもんをただ軽んじているだけじゃああまでならねえだろうよ。てめえらのそれは信用ごと積極的にゴミ箱ぶち込みに行ってるようなもんだ」
あちらこちらと乗り換えて、厚顔無恥に振る舞って裏切りばかりを積み重ねた。世界の首を取る前に当然のように罪業に追いつかれて、ツケが回ってきたのが先だっての暗殺未遂だ。けっきょくわたしたちの与り知らぬところで茂々公は死んだのだという。善は面白半分に手折られて、悪はよりひどい悪に踏み躙られるだけに過ぎない。であれば我々の首が背後より断たれるのもまた道理であった。
なりふり構わない鬼兵隊の死出の旅路にも、けれど数少ない、同胞と呼べる相手はいた。たとえば第七師団。たとえば、見廻組。
……というよりは、佐々木異三郎個人。
「国のことも仲間のことも自分のことも後先なんざまるで考えず、ただ目の前の破壊しか考えちゃあいねえ攘夷の名を使った復讐集団——うちの
「……つまり?」
「あのエリート様は現政権なんてデカい神輿まで使って、いったいなに企んでやがる」
小首をかしげて副長殿を見上げる。
「……この期に及んでまさかとは思いますが、話し合いが通じる相手だと思いますか? まして己が御せる相手だと思い込んではいらっしゃいませんよね? 傲慢はすべからく身を滅ぼしましょう」
「単純な事実だ。奈落と見廻組をまとめて相手取るよりは、先に見廻組を潰せた方がまだマシってだけのな」
……一理はある。
読めなくはない。同じ牢に放り込まれた局長殿と小太郎さん。市井で一橋公の暴君な振る舞いを咎めもしなかった——真に迫る口ぶりからして副長殿の前で繰り広げられた事態だ。連行されかけた市民。攘夷党や万事屋と組んだきっかけがそこにあるなら、さて、佐々木さんがこのとき連行を目論んだのは銀さんだろうか?
火薬船の砲撃は見廻組が主導していた。今井さんが崖の方に出張っていて、佐々木さんはまだ姿が見えない。最低二手、もしかしたら三手以上にまで別れられる規模の勢力となると、見廻組ほぼ全員は確実に出張っている。明らかに脱獄とそれ以上の波乱を予期して兵力をつぎ込んでいる。
奈落の素早い初動が、佐々木さんを張っていたことから来るのであれば——
「……あなたの言う〝攘夷の名を使った復讐集団〟はたしかに、我々のあり方の的を射ています。そして佐々木さんが兄上の大法螺に手を貸した真髄も
「この土壇場でか」
「我々にも義理人情はありますよ。世間様から見れば使い所は奇妙かもしれませんけれど」
尋ねたのは副長殿だったが、わたしの隣では長官殿が深く息をついた。「……なるほど」とぼやいたこのひとは、もしかしたら佐々木さんの過去を知っているのかもしれない。
「まァこれだけでは、不本意とはいえ脱獄同盟を結んだにしてはあまりにも不親切なので……わたしからひとつ。佐々木さんの眼鏡は伊達ではなく、度が入っています。あのひとふつうに目が悪いの。加えて真っ当な会談の他ではケータイの画面ばかり見ていらっしゃるから、部下の声は判別できても顔の細部を覚えていないケがあります。ゆえに彼の部下同士もじつのところ、互いの顔名前が一致している範囲が少ない」
江戸城で、わたしと小太郎さんが見廻組にかんたんに紛れ込めた理由がこれだ。
「良く言えば公私混同を行わず代替の利く組織として成り立っており、悪く言えばビジネス仲も大概にしなさいとばかり。組織への帰属意識と横のつながりが驚くほどに希薄です。取れかかったボタンの紐ぐらいにすぐ切れそう。この点我々鬼兵隊の方がむしろまし」
「ズバズバ言う……」
「ともあれその点、見廻組に紛れ込むのはかんたん——」
【 道中で倒した見廻組の制服はすべて剥ぎ取ってきた。 】
「——おや、仕事の早いこと」
「羅生門のババアでもそこまで思い切りねえだろ」
プラカードを持っていない方の手には、見廻組の制服が少なく見積もっても十着は抱えられている。どこにしまっていたのか。……着ぐるみの中?
「てめえらは見廻組に扮して——近藤と桂の位置までは俺が先導する」
長官殿が方針を取り決めた。
「〝百舌鳥〟は崖の方で踏ん張ってる野郎共に俺たちの動きを伝えろ」
長官殿の視線はわたしの足元に向けられていた。足の甲の傷口が開いていよいよ血が滲み始めているのはわたしだって理解している。木の幹に寄りかかったのは自重を分散させたかったこともある。……伝言役に見せかけた戦力外通告だ。足手まといを構っている暇は誰にもない。せっかく脱獄なさった長官殿はもちろん、救出部隊の彼らも最優先は局長殿と小太郎さんだ。わたしの存在価値は事実としてこの場でもっとも低い。まして共倒れなぞ以ての外にあろう。
「承りました」
わたしは反論を飲み込んで短く述べた。ここに方策は決定した。
開いた傷口周りを、番兵の衣の端切れで強引に結んで止血とする。「おい」「なんでしょう」副長殿がふと振り返った。
「処刑されていなくて残念だのとてめえはほざいたが」
「は? ……ああ」
挨拶代わりの憎まれ口だ。言ったことすらわたし本人が忘れかけていた。なにか気に障ったのでしょうか。
「……べつにテメエの死を願ったことはねえよ。そもそも犯罪者ってだけで死を願うほど落ちぶれちゃいねえ。大概にお互い斬り合ってるし、向かってくるなら当然殺すがな」
止血を終えたのでとりあえず立ち上がる。足は動く。まだ走れる。大丈夫だ。
……で、このひとは突然、何?
「……調子狂うのでやめていただけません? あなたの大好きなどなたかのせい? 影響されるのも大概にしてはいかが」
「俺が立ち止まるなんざ、まして私情で手加減なんざ、ミツバの方が許さねえよ。……ただの警察としての信念だ」
取り潰しとなったはずの真選組の制服を羽織り、解散となったはずの皆々を率いて副長と呼ばれる人は、ただそのように告げた。
わたしは自らの頬に手を当てた。
「……わたし〝あなたの大好きなどなたか〟がミツバさんのことだなんて一言も申し上げておりませんが。心当たりおありなのね〜素敵〜挙式はいつですか? 披露宴のご予定は? 相変わらずまともに気持ちを伝えていないだなんて噂を耳にいたしましたがもしや真実ではございませんよね?」
「死ね!!!」
「まあ、舌の根も乾かぬうちにお早い前言撤回だこと。あなたそれでも治安維持組織の一員? チンピラ警察ってもしかしたら攘夷浪士よりも野蛮なのかしら……」
「ッシそこに直れよオラ俺直々に介錯してやらァ」
「トシおめー近藤のこと忘れちゃねえか」
「局長救い出す前に副長の血管が切れそう」
「血管切れたとしてここドクヘリ飛んでくるの?」
「呼べるわけねえだろ……」
ほんの意趣返しにまったく意固地なことである。血の気が多いひとってやーね。