前略:
実質ギャグ回で休憩できましたね?
➤
「——あら、あら」
腕を切り落とし、足を刎ねる。タンタンタンッと駆け込んでわたしは八咫烏の羽根を切り刻んだ。
適当な応急処置だけで放置している足の甲はそろそろかなり痛い。爪はまだ生えかかりだ。肩のあたりがべたべたするのでたぶん背中も出血している。というかこの点出血だとまだましで、膿だったりしたら患部が拡大しかねない。悪化が見込めます。最悪ですね。
けれどもそのツケを払うのはもう少し後だ。
今はまだ動ける。
「劣勢ですね」
実質的な戦力外通告とともに放り出されたというのに、こちらの方が戦況がひどい。主戦力が集中している。小太郎さんが予期していらっしゃった通りであり、道中監察方が述べた、食い止めている、という表現もただの事実を示していた。——さて、ところでわたしは奈落と見廻組を相手取っている、とお聞きしていた記憶がありますが。
奈落の数がちょっと予想以上ですね。これ、真選組と桂一派に見廻組まで合算しても、その倍以上はいらっしゃいません?
数の不利は覆し難い。いくら一騎当千の兵を揃えたとて、侍に分身の術はなく、三面六臂の逸話はあくまで阿修羅の逸話である。多趾症はむしろ生活に困難をもたらす。この数を食い止められているはずがない。
……笠を被った八咫烏たちは無差別に、警察諸君および攘夷浪士たちに斬りかかっている。いやはや。見抜かれましたね佐々木さん、天神とうとうこれまでといったところでしょうか。
「いつもあなたに破壊をデリバリー、一般通過の当事者にございます」
ひとつふたつと曼珠沙華。身ごと振り切った刀で人型烏の群れを細断。即席デュラハンもどきを踏みつけて、頭上まで跳躍する。
「真選組に攘夷党、果ては白き警察諸君、皆様揃いも揃ってどうにも苦戦なさっていらっしゃる!」
笠の上から烏を跳び潰し、首の骨折れたその身体に刀を突き立てた。もうすっかり血脂にまみれ、刃毀れして、切れ味の鈍った借り物。代わりに足元のご遺体より錫杖を奪い取る。このまま主人と朽ち果てるよりは有効活用して差し上げましょう。
「——それで? この状況は、何?」
放たれた刃を錫杖の柄で叩き落とす。神楽陛下を突き飛ばした今井さんの前に、ちょうど、滑り込むかたちになった。冷徹に徹しようとしていまいち徹しきれない見廻組副長殿、まるで万事屋の兎さんを庇ったみたいな素振りね。
すぐ傍ら、一番隊隊長は抜刀していたが彼の攻撃ではなかった。むしろ彼の構えは、なにか危険を予感したように別方向を警戒している。
「どなたかご説明いただけます?」
「高杉ヒカリ」
場違いに落ち着いた声が、わたしの名前を諳んじた。
ちかりと脳裏でなにかがまたたく。
笠を目深に被り、顔半分を覆う仮面を着けた、長髪の男。知らない服装である。数多の烏羽に覆われた衣裳から、天照院奈落の関係者であろうことだけが推察できた。
月明かりに照らされて、外套の装飾羽に黒ながら色鮮やかな構造色が浮かび上がる。これはつまり、すべて本物のカラスの羽根をむしってできたものだと示している。普段のわたしであれば、カーニバルの羽根飾りのつもりならば国を間違えておりますよ、ぐらいの軽口は叩いたけれど——今はさすがに無理だ。
一目でわかる。
「雛を叩き殺すだけのつもりだったというのに……意外なものが釣れる」
ちょっとこれ勝てない。
一番隊隊長殿がわずかに足を前に出す。カタカタと腕が震えているのが見えた。彼自身が自覚しているのかはわからない。反対の腕を少しだけ引いて、まるでわたしたちを庇うように姿勢を保つ。わたしの後ろでは今井さんが折れた刀をなおも握り直していた。
……どいつも、こいつも、つくづく警察というものは度し難い。
「……あら。なにかわたしにご用事でしょうか」
わたしは微笑んだ。思い出すのは、拷問官に当てずっぽうに投げつけた言葉だ。小太郎さんもまた引き合いに出した。〝待望の御方〟——まさか。まさかね。わたしもう、
これ以上?
「君には聞きたいことがある。しかし」
踏み込みの動作だけが見えた。「まずは」消える。蹴った。跳ねた。どこへ。
上空だ。
「片付けが先ですね」
鋼がひらめく。神速に軌道は空を疾る。さながら場違いに空に浮かんだ二つ目の繊月の如く。うつくしき幻が刹那、宙にきらめいた。
たとえば砒素の鮮やかな緑。たとえば夾竹桃の紅。たとえば刀の鋼色。
古今東西、人に死をもたらす存在は、あんまりにもうつくしい。
ドゥ!!!
神楽陛下が傘を用いて受け止める。踏ん張った御足がガリガリと崖の岩肌を削る。それだけの衝撃。それだけの膂力。夜兎でなければ瞬に叩き潰されているだろう。反撃の蹴りは拳に折られ、お返しとばかりの一蹴で、彼女の身体は文字通りに宙を吹き飛んだ。
「羽折れた烏は地を這うのみ」
今井さんの腹に柄が叩き込まれる。
「人斬りの刀で私は斬れぬ」
隊長殿の肩に切っ先が入る。
「牙欠けた鬼ほど弱いものもない」
わたしが突き入れた錫杖はあっさりと手折られた。わたしの首をてのひらが覆って、身体は宙に吊り下げられた。気管がぐっと狭まって、息苦しさに支配される。足が空を蹴るように掻く。のどの奥から空気が漏れ、視界が明滅した。最後の症状は——酸欠、では、ない。的確に頸動脈を抑えつけられたことによる脳貧血だ。
「が、」
「……大人しくしていてくれませんか? 話せる状態に加減するのは、なにかと大変だ」
視界がどんどんと暗くなる。これはまずい。本当に落ち、る。
——唐突な解放。
咄嗟に身体をひねって、わたしはかろうじて、ただ無防備に全身を叩きつけられるのでなく受け身を取った。すぐに跳ね上がる。「ッごふ」咳き込む喉を押さえてわたしはてんてんと距離を取り、倒れた奈落の傍らに膝をついて錫杖を取り上げる。短時間とはいえ頭部への虚血は大きな影響を与える。貧血により脳天はいやに冷えていて、視界がくらくらと揺れていた。膝をついたはいいが、再度足に力を入れるのがどうしてこんなに難しい。少しの時間で回復するとわかっていても、少しの時間こそが命取りだった。
とはいえそのような体調でも、距離を取るに足る余裕はあった。一番隊隊長と烏の斬り合いが目の前で行われている。おそらくわたしの意識が完全に落ちる前に解放された要因も、これだ。
鍔迫り合うのは刹那のこと、衝撃を逃すように跳躍した背中へさらに一刀入る。姿勢を返した隊長殿がその刀とふたたび打ち合う。
ちかりと脳裏でなにかがまたたく。
姿がひらめく。
「てめェ、いったい何者だ」
「虚」
男は短く答えた。
ウツロ、それがつまり〝虚〟と記すのであれば——しばらく前、埃っぽい蔵でにらめっこした筆の字を思い出す。奈落先代首領の名だ。襲名によって代々受け継がれてきた、今代首領朧以前の、すべての首領の名でもある。
烏の羽が翻る。ふたたび鍔迫り合っていた刀が弾かれて、虚の腕が鋭く突く。ドッ、とたったの一突きで轟音を立てて、一番隊隊長の身体は岩盤の向こうへと吹き飛んだ。
男——虚はこれに満足した様子もなく、ただただ淡々と、さらに後を追った。一歩一歩があまりに疾く、音なく、さながら低空を飛ぶような動き。
ちかりと脳裏でなにかがまたたく。
まるで無駄のない足さばき。
「残念でしたね。私の羽は広く大きい……ネズミ一匹、逃れられはしませんよ」
その姿が岩盤の向こうに消える。わたしは視界の端で、神楽陛下が身動ぎする様子を、今井さんが刀を支えに立ち上がろうとする様子を見た。
死んでない。
死んでない、まだ。
「あなた」
感情の削ぎ落とされた声が岩盤の向こうで響いた。
「私の、弟に、何をするの」
——ああ本当、此度も来ていらっしゃるかもしれないとは思っていたけれど!
上手く動かない足をてのひらで叩いて気合を入れる。そうしてわたしは、またもや地面を蹴った。虚を追って岩盤から身を躍らせる。岩盤の東側は西側に比べて緩やかな傾斜を醸す。あくまでも比較的、という意味だ。傾斜六十度近い側面に杖の柄を立てて速度を落とし、五点接地で転がった。
冗談みたいな細腕が虚と鍔迫り合っていた。背後には転がった弟君が倒れている。打ち合いひとつ、ふたつ、剣戟とともに火花が散る——本当に驚くべきことだ、いったいどんな速度での攻防戦——髪束とともに外衣の表面が切り捨てられた。烏の羽が空を舞った。
もう休んでいられない。
岩を蹴るように駆けた。
「腕は良い」
虚は言った。
「しかし、これまた所詮は、人斬りの腕でしかない」
またひとつの打ち合いでついに刀が叩き折られた。
「これでは
返す刃がわたしの目前で、華奢な手頸に食い込む。
わたしの、友達の、
「ッらぁ!」
錫杖の先をすべり込ませて、わたしは刃を下から跳ね上げた。散々打ち合って、加えて渾身の力で叩いたんだからそろそろ折れてほしいところだ。そう上手くもいかないらしい。
たった一瞬の遅延と減速。
剣鬼にはじゅうぶん過ぎる時間だ。
ミツバさんは表情も変えず、折られた刀先を宙で掴んで即時に投げる。顔面目掛けた投擲を虚は、避けもしない。目玉に刺さった刀片。
わたしは弟君の方の襟首を引き、姉君の方の胴を腕で保持して、引きずるように飛び退いた。
「……あなたまたこんなところにまで来て心底阿呆でいらっしゃるの学習能力がないのかしら本当にありえません思考回路がどうにかしていますよ一度お医者様にそのあたり見ていただいてはいかが」
「久しぶり」
「ハイお久しぶりです。生きていらっしゃったんですね」
やっぱり、とでも付け加えるべきだったろうか。
「あなたもね」
視界の端では、ミツバさんは血のにじんだ手頸を振っていた。様子から察するに表皮が断たれた程度で、筋は切れていないようである。よかったですね。是非ともわたしにいっぱい感謝して。本当にいっぱいたくさん感謝して。そのまま人間手羽先が落ちてもなーんにもおかしくありませんでしたからね。
「局長殿はまだ存命でいらっしゃいますよ。先程副長殿の救援部隊とも出くわしました」
「よかったわ。近藤さんが生きていて、あなたも生きている。これ以上のことはないわね。船を頑張って手漕ぎした甲斐があって、とってもうれしい」
「ミツバさんあなたずっと思っていたのですけれど真選組に就職なさったの?」
「いいえ? 前回は十四郎さんと三本勝負して一本でも取ったら護衛になっていいという話だったのだけれど」
「とっても気になりますけれどその話長い気配を感じます。話振っておいてなんですがあとにしてください」
「それもそうね」
絶対この人が肝据わってるのって元からだと思う。わたしのせいじゃないと思う。
「総ちゃん、起きてる?」
「……あねうえ、」
「起きてるなら立って」
「……鬼かよ」
「姉です。お姉ちゃんの許可なく死ぬなんて許しませんからね」
「そりゃあ、ちょい前の俺がアンタにこそ言いたかった台詞でさァ、」
我々の軽口はそう長くも続けられない。虚の、貫かれた目からは煙が上がっていた。……焦げた臭いはしない。……高温による周囲の水分の即時蒸発? 白煙として目に見えるほどの水蒸気、たしかに孤島は水分には事欠かないけれど——多少は距離をとったこちらにまで熱気が伝わってくる。熱エネルギーの放出だ。しかし起きるとして、機序がわからない。起きているとしても、なんのために起きている?
ジッと微動だにもしなかった虚が、やがて眼球から刀の切っ先を抜いた。彼はまったく声のひとつも上げやしない。痛みを理解していないようだった。もしくは、痛いことを〝痛い〟と認識することをすっかり忘れてしまっているようだった。
「ところであなた、わたしに聞きたいことがおありなのですよね?」
わたしは声を張った。
沖田姉弟の前に両足で立つ。
「少しぐらい立ち話も良いものでしょう。ネズミの駆除はその次というのは、いかが?」
しゅうしゅうと上がり続けていた煙が、ふと消える。ぱちりと虚はまばたきをした。
まるで、傷ひとつない。どちらの眼球も。
——すべての細胞において、致命的な損傷を食らうと、隣接する細胞が多能性幹細胞に変化して再生産体制に入る——
——逆説的には、摂取エネルギーさえ解決できれば実現可能という解釈でよろしいでしょうか?——
……笑みを固定していないと今にも引き攣りそうだ。烏の不死に於いては、どうやら、エネルギー変換プロセスに排熱を挟むらしい。
「虚様。その小鳥を囀らせる程度のこと、あとからでも如何様にもできましょう」
船の上より降り立った朧が、見廻組隊員たちに向けて刀を振るう。
カン!
崖上から飛び降りた今井さんがその刀に刃を合わせた。部下の命を断たんとした死神の鎌を縫い止めた。
「……骸」
すかさず神楽陛下の傘がつき入れられる。朧はマシンガンの弾幕を刀で弾いてすべて叩き落とした。異常な反射神経である。暗殺組織ってなんてありえない。
「構いませんよ。たしかに、ネズミの駆除などもはや遅いか早いかの差異に過ぎない」
虚が言った。刀の切っ先がわたしに向けられる。真正面から見た彼の刀は、鍔が卍に似た形状をしていた。サンスクリットにおける吉祥の証だ。
状況は、わたしたちにとっては幸運とは程遠い。
「高杉ヒカリ。二代目鬼兵隊幹部。吉田松陽が弟子のひとり」
……ここでも、また〝先生〟の話だ。
朧といい。今井さんといい。彼といい。数奇な縁はつきまとう。まるで因果の始点の如く。
ちかりと脳裏でなにかがまたたく。
あの朗読の声をおぼえているか。
「不死の細胞の培養に成功したそうですね」
「ええ」
嘘だ。
「破壊方法も編み出したと」
「ええ」
これまた嘘だ。わたしは息をするように嘘をつけるようになった。つかざるを得なくなった。顔色ひとつ変えずに言えなければならない。これは真実だ。これは事実だ。脳内でほとんど思い込む。できなければ人が死ぬ。わたしより生きるべき価値ある人々が数多に死ぬ。
朧は未だ、わたしの矮小で巨大な謀りを話していないみたいだった。先代首領にさえ。あのひとの行動原理は、わたしは心底理解ができない。不死の血を部外者に用いたことを知られたくないのだろうか? そもそも何故用いた? 親切なバイオレンス通り魔、あなたはいったいなんのつもりでいらっしゃるのでしょう?
ミツバさんが足を引く。逃亡の姿勢ではなく、刀を再度構える仕草だ。気取られぬように足をすこしだけ広げた。折れた刀でなにをできるというのもあるけれど——わたしは既に、直感的に理解していた。剣鬼の刀はたしかに、疾い。鋭い。強い。
けれど、きっと、届かない。
ちかりと脳裏でなにかがまたたく。
直感とは得てして、経験則に基づく無意識の情報分析である。
「どのように? 君の出身は西方の藩の一武家でしかなかった。我々天照院奈落と関わる機会はありえなかったでしょう」
「……その西方の藩の一武家の主であった男は、けれどかつて、吉田松陽を指して〝
これは本当。
「国を相手取るにあたって、八咫烏の歴史を調べぬ莫迦はおりませぬ。我々鬼兵隊は早いうちに奈落の資料を手に入れました。そこには吉田松陽に類似した容姿の奈落関係者についての記述もございました」
〝早いうちに〟以外は本当。
「吉田松陽の処刑に立ち会った兄上は彼の毛髪を所持しておりました。遺伝子を調べれば答えが出ます。地球人の平均から大きくかけ離れた身体能力と、無尽蔵な回復能力を持っている。無尽蔵な回復能力とは転ずれば不死と同義にございましょう」
これも本当。
虚はすこし小首をかしげるようにして、わたしを見据えていた。鴉が首をかしげる仕草に似ている。
それよりも、たぶん、
太刀筋の軌道。身のこなし。些細なしぐさ。髪の色。とっくのとうに忘れきってしまっていたはずの声質。記憶の中にのこる欠片たち。
仮面の向こうから、深淵と相違ない瞳がただわたしを見据えている。その色をわたしは知っている。この瞳の色をわたしはたしかにしっていた。
気づいてしまえば今もなお、目を閉じることなく、鮮やかによみがえる。
秋のおとずれ。夏の猛暑。冬のつめたさ。春に出会った春のようなひと。突拍子もない春雷のごとく、春の月とともに去り行ったひと。あけぼのには焼け落ちた私塾と手にのこった教本、兄弟子の慟哭だけがその存在を示していた。
わたしたちを置いていったひと。
わたしたちが置いていったひと。
あなたは。
……あなたは。
唾を飲み込む。喉をうるおすには到底足りなかった。
「師の遺髪から細胞を培養した」
「ええ」
「不死の破壊方法を調べた」
「ええ」
「しかし君は不死の能力を持ち合わせてはいないように見えます。少なくともとうに底をついたか。でなければ、爪剥ぎも傷が治っていないはずがありませんね」
「そうですね。わたしが服用した血はほんの少量に過ぎません」
これは、本当といえば、本当。
「検証のため、効能を確かめる必要こそありました。研究に携わっていたのがわたしただ一人なれば、わたしの身体を用いる他ないでしょう。それ以上でもそれ以下でもございません」
「何故? 永久を生きるすべが手に入ったというのに?」
「……何故?」
わたしは繰り返した。奪い取った錫杖を握りしめる。血流が滞るほどの握力は手の甲を白く浮かび上がらせ、やがて鬱血により青黒く染める。
「私は、君の話はすべて嘘だと思っていました」
虚はさらりと言った。
「時間稼ぎのためのまるででたらめ。口八丁の方便。私の
てのひらはいやに冷えていた。鬱血のため、というだけでもない。油断すれば浅く速くなりかける呼吸を意識的に留め続ける。わたしはすっかり乾いてしまった唇をなめて湿らせた。
「たしかに、君の話は辻褄が合わなくもない……けれど、だとすれば予め鬼兵隊全員に配り、服用させ、屍兵を作る方がずうっと容易かった。破壊方法なぞ研究する理由もない」
「いいえ、あなたは嘘とお考えではいらっしゃらない」
わたしはハッキリと断じた。
「そのように見えますか」
「嘘だと真に確信なさっていらっしゃるならば、わたしを問い詰める必要がありません。わたしの話をお聞きになられる必要すらありません。天導衆を謀った不届者の首を刎ねれば終いにございましょう」
虚はゆったりと目を細めた。
「
不死者と思しき者が口にする〝長年の悲願〟とやら。それを叶えた小娘、つまりはわたし。わたしのついた嘘は、不死のからくりを手に入れたこと——不死のからくりを壊すすべを、手に入れた、こと。
「……わたしが、そもそも何故不死のからくりを研究したのか。それは永久の命のためではございません。屍兵を作るつもりは尚更、ございません」
ともすれば震えそうな声帯を喉の筋肉を以て締める。わたしの声は代わりにかすれた。
今更ながらに思い当たる。朧が真実を告げなかった理由。今をもってなおわたしの謀りを暴かぬ理由。〝吉田松陽の弟子〟に思うところばかりな様子。もしかしたら、もしかして、もしかすると、仮定に推測の多重論。暗殺首領を冠するひとにそのような情があるのか、わたしはまるで知るはずもないけれど。このひととあのひとにいったいどのような道程があったのか、わたしはまるでこれっぽっちも知る由もないけれど。
……
「我が師が……もしも、そのような素養をまことに持ち合わせていたのなら」
弁舌を止めずにわたしは内心希う。〝先生〟のことばかり思うにはわたしは子どもではなくなってしまった。わたしは歩みを止められなかった。これは、まるであなたのためではない願いだ。
どうか騙されてください。どうか欺かれてください。
どうかこの嘘を見抜かないで。
「その素養を、未だに利便なもののように扱う愚か者がいるとなれば」
ひとをうまく騙す方法、嘘をつく方法、そんなものは千差万別多種多様、たくさんいろいろあるけれど。とっても有名な一節をここに述べよう。
真実を混ぜることだ。
「吉田松陽が弟子の末席を汚す身、我が最後の責務として——我が師を弄び、軽んじる、不敬者すべてわたしとともに地獄に道連れにする必要がございましたので」
底なしの眼。空洞のようないろ。
体感は永遠。実際の経過時間は、一分にも満たない。
刀の先が下げられる。
「あなたが見つけた不死の破壊方法とは、どのようなものですか」
彼は尋ねた。
わたしは口元を引き上げるようにして、微笑みを佩き直した。もう二度とこのような博打を打ちたくはない。
「ここまでわたし、あなたの質問に適宜回答し続けました。不躾かとは存じますが、そろそろわたしの方からひとつお尋ねしても?」
「……良いでしょう」
「あなたは吉田松陽ですか」
烏の仮面越しにはその表情はわからない。双眸だけがわたしが読み取れるすべてで、両眼見つめても何が得られるはずもなかった。
「いいえ」
彼は言った。
「私は虚」
虚は言った。
吉田松陽の顔をして、吉田松陽の声を持ち——吉田松陽ではない。わたしがかつて慕った師に瓜二つで、兄弟子たちがかつて取り戻そうと足掻いた過去のかたちをして、どうやらまるでそうではない、そのひとは言った。
「君たちが求めた師は、人間になろうと考えた愚かな化物は、とうに死にました。今は鬼が残るのみ」
「そうですか」
わたしは錫杖を振る。
虚は即時に反応した。迎え撃たんと斬りつけた刀はけれど宙を空振った。
「では教えられません」
わたしは錫杖で彼を打とうとしたのではなく、半回転した柄で地面を突いただけに過ぎない。沖田姉弟を背後に庇ってさらに距離を取るには脚力だけでない作用が欲しかった。
「〝先生〟ではないあなた」
坊主が手にする錫杖は、その涼やかな音で煩悩を打ち払い、人々を救済に導く意味が込められている。では暗殺集団が手にする錫杖には何の意味があろう。その涼やかな音で首とともに煩悩を断ち、人々を涅槃に導くという点では、間違ってはいないのだろうか?
くだらない感想だ。
「もしも次にお会いするときには、兄弟子らに代わってその首、頂戴いたします」
「いいえ? その必要はありません」
たったの一動作。一蹴りと縮地の合わせ技がわたしが取った距離を一息に詰める。仮面を被った男は見る間にわたしの鼻先に迫った。
間近で見ると——たしかに、間違いなく、〝先生〟の顔貌をしている。仮面を取ればまるで瓜二つだと、幼い頃の記憶がなによりも鮮やかに主張する。
その手がわたしの首に伸びた。ただでさえ不調のこの身では、反応速度では勝てやしない。錫杖は高跳びよろしく支えに使ったばかりで、振り払うには到底間に合わない。
「次とは言わず、今、このとき、吐かせれば良いのだから」
仮面で表情は見えない。
まるで微笑んでいるように見えるのはただのわたしの錯覚だ。
すべてがいやに減速して見える。スローモーションで再生される映像の如く。
「それだけの話に過ぎません」
指が触れ
「させるか」
ドッ、
と、目の前で腕が断たれた。血飛沫とともに筋肉の繊維がはじけ飛び、骨が割れ、断面が顕になった。平均的な地球人ならば間違いなく絶叫するべき痛みだ。人によっては傷口を見ただけで失神する。
虚は顔をしかめることすらなかった。一度まばたきを成したのみである。
応じた刃を木刀が迎え撃ち、今度こそ、刀は半ばから叩き折られた。卍型の鍔が月光を反射して不気味にきらめいた。
「失せろ亡霊」
白銀の軌跡を描いて、腹に拳が突き入れられた。成人男性相応の体躯が一瞬にして向こうまで吹き飛んだ。瓦礫の中に頭から突っ込んで、上からはさらに岩石がガラガラと振り注ぐ。
背後では轟音とともに船が墜落する。崩れゆく岩盤から退避すべく、人々が走る。わたしも無意識に足を踏み出して——そのまま前のめりにくずおれた。
腕を無造作に掴まれたから、うっかり地面に全身叩きつけられることは回避した。自重が肩にかかって(つい今日一回外されたばかりだった)小さく、呻き声が漏れる。
「……」
兄弟子の視線が、明らかに、わたしの後頭部に刺さっている。
「足は」
無感情な問いだった。
どこか遠く離れたところで痛む感覚をどうにか呼び起こす。激痛を認識から切り離して自らより隔離する。足の指の開閉を行う。筋も腱もいまだ生きているとしっている。動かない道理はないだろう。
踵を地につけて、地面を何度か叩く。今更小刻みに伝わる足の震え——まさか、今更になって、死の気配に怯えていたとでも言うつもり? わたしは内心自らを嘲って、最後の一蹴りで意識的に止めた。
問題ない。
なにも問題はない。
「歩けます。走れます。立てます。立ちます」
「あっそう」
途端に腕を離された。今度は倒れなかった。
膝の力を意識的に入れ直し、体幹を整えて姿勢を直して、ようやくわたしは頭を上げる。兄弟子は既にわたしの方を見ていない。一度だけ奈落たちがいた方を振り返って、それからすぐに、島内に広がる森の方へと視線を戻した。ミツバさんが弟さんの体躯を引き上げてわたしを見る。わたしもまた、今度こそ、足を踏み出す。
立ち止まっている暇はない。
「……お姉ちゃんって、まだ有効?」
「ドーナツはさすがに本日中は難しいところです。後日でお願いできますか」
「これはドーナツ以外の話」
今井さんがわたしの隣に並走する。虚によって刀を突き入れられた腹をさする素振りが見受けられた。打撲傷には骨折や、じつのところ内臓損傷の危険性がある。死神の落胤とて内臓破裂は致死的損傷だ。あとで見ていただきましょう。あとがあったらの話です。
「私たちと元々協力関係を持っていたのは、アナタのところだけだから」
「隊全体を巻き込む判断はさすがに今は難しいですよ。わたしができる範囲のことであれば、如何様にも」
彼女の虹彩は墨を落としたように黒く、人形のように整った顔立ちは感情をつかませない。これは今井さん生来の性格なのか、後天的に会得した特徴なのか、わたしには判別がつかなかった。
「異三郎を」
薄いくちびるが一度、躊躇うように開閉する。
「たすけて……ほしい」
なんだ。そんなこと。
「構いませんよ。指切りでもします?」
「……アナタとすると本当に指落としそうだからそれはやめとく」
「さすがに小指絡めるだけに留めますよ……」
得物を握るには、五指ってけっこう重要だ。まだ刀は手放せない。
➤
……そろそろいよいよ足の激痛が無視できなくなってきている。嫌な予感がするのだけどこれもしかして草履に穴まで空いてませんか。裸足の一部が直に地面に触れて砂礫や枝で傷がえぐられている。気がする。気がするっていうかたぶんそう。奪った草履がこんなに早く擦り切れるだなんて幕府の支給品は品薄なのかしら。それとも単にわたしが酷使しすぎたせいかしら。シンプルに奪った相手がもったいない精神で古びた草履をも履き倒すタイプだったのかもしれない。もう本当に勘弁してくださいよ。いったいわたしがなにをしたって言うの。
問・高杉ヒカリは何をしたか?
答・将軍暗殺未遂。その他罪状エトセトラ。
……ハイ解散。
因果応報にしては地味すぎるのでやっぱり単に不運なだけかもしれない。そういう星の巡りというお話かしら。やっていられませんね。
心底おかしな巡り合わせだが、救出対象の行方について最後の足取りを把握していたのは、なにを隠そうわたしであった。わたしは真選組、攘夷党、どちらとも敵対していて、しいていえばこの状況の一部に加担した佐々木さんとこそもっとも親しいというのに、だ。
「この地点で御二方とは別れました」
「……まあ、いたのはわかるな。それしかわかりゃしねェが」
へし折れた木々と血しぶき、奈落の死体。局長殿と小太郎さんの姿はどちらもない。なんなら救援部隊の行方も知れない。佐々木さんはどこにいらっしゃるのだろうか。未だお姿を見てもいない。
確認もそこそこ、我々は足を止めることすらなかった。
少しあとを駆けてくる集団・奈落の気配の距離が近い。疲労と興奮でわたしの神経が過敏になっていることもあるけれど、奈落がもはや気配を隠そうともしていない。焦っていらっしゃいますね。なによりなことです。……冗談を言えるほど余裕のある状況では、ない。間違いなく。
森林は整地の名残を見せる。草木が生い茂る程度には土は柔らかく、整備されているので地面が露出している。それすなわち、足跡が比較的わかりやすいということだ。爆発や砲撃や戦闘で一部吹き飛んでいるが追いきれないというほどでもない。わたしと先導を交代した銀さんは、ほとんど迷う素振りもなく、その痕跡を追っているようだった。おそらくこの中でもっとも生の戦場を知っている。
やがて開けた場所に出た。もとからそのような作りになっている、というよりは、戦闘によって木々が薙ぎ倒された結果と見受けられた。
見るからに満身創痍の佐々木さんがふと視線を上げる。見廻組の制服は真っ白であるからして、泥汚れやこびりついた血が夜闇によく目立った。彼は我々を見て——たぶん、もしかしたら、今井さんを見て——微笑んだように見えた。
その背中から血しぶきが上がる。
「ぇ」
今井さんの喉から声が漏れるのを聞いた。
向こうの大木には、ひとりの男が座り込み、目を閉じていた。顔はざっくりと切りつけられて無残に血がしたたる。その顎を奈落の錫杖の柄が捕らえていた。先回りされていた。もともと別行動の部隊によるものか。いや、それより。
死んでいる?
思考が上滑る。薄暗い森で顔色はわかりづらい。呼吸は、していない。息を止めている? 止めているだけで奈落を騙せるはずもなく、脈拍のコントロールは常人には不可能だ。死亡確認はしているはずだ。していたとして、たとえば仮死薬の可能性は。
——思い当たった。
小太郎さんは、長官殿と局長殿に
「真選組局長、近藤勲。見廻組局長、佐々木異三郎。相違ない」
局長殿に錫杖を向けた奈落が、はっきりとした声で言った。
「よくやった」
朧が進み出る。彼の白い衣はマシンガンの弾丸によっていくらか小さな穴を開けていた。まるで支障ないとばかりに冷徹な宣告が訪れる。
死のお告げ。
「貴様たちが掲げていた旗はもうない。そして、貴様たちが戦う理由ももうない。——これで終わりだ」
雑木林の向こうにエリザベスさんと小太郎さんの姿が見えた。その隣には副長殿。彼は、木の根元に寄りかかり目を閉じる己が大将をとらえて、まるで動けない様子だった。
どうすればいい。
どうすればいい?
どうすればこれを打破できる?
佐々木さんはまだ芽がある。背中側を通る大動脈は胸部大動脈だ。そこさえ斬られていなければ——斬られていたとして止血が間に合えば——しかし今の状況で止血剤に足るものもない。応急処置できるほどの余裕はない。
余裕ができたとして、それで助かったとしてその後はどうなる? 大将をみすみす眼前で失った、武士の名前も失った、浪士と相違ない者たちの矛先はどこへ行く?
「——まだ終わってねェ!」
銀さんが、叫ぶ。
ともしびが宿る。戦意がゆらめく。我が兄弟子にはたしかに、流れを変える力がある。あるけれど——それだけでは変わらないものがある。変えられないものがある。
もちろん士気の鼓舞は重要だ。けれどそれはいっときの興奮が現実を遠ざけるだけに過ぎない。その場しのぎの対処療法、切り抜けたその先には冷静に我に返る瞬間がある。憎悪の連鎖がある。真選組がただのビジネス組織ではなく、近藤勲のもとに集った結束力の高い組織である限り(黒縄島に組一丸で乗り込んでくる事実自体が示すように)それは確実に訪れる。
他害に走るか自害に走るか、そこには平等に違いはない。たとえば成り立ちは違えども、鬼兵隊はそのようにして駆動していた。世界の破壊に邁進してぶつかって大破するまで走り続けた。失ったものを受け止めるにはどうしようもなくどこにも行けなかった。
わたしはよく知っている。
身を以てよく知っていた。
「ッ」
かかってくる奈落を錫杖で弾いて、頸椎を叩き折った。未だ思考が渦巻いている。
どうすればいい。
どん、どん、と立て続けに大砲が撃ち込まれる。佐々木さんが用意したと思しき見廻組の戦艦からだ。わたしたちの背後から次々に、薄汚れた制服の白黒隊士が入り混じって押し寄せて、奈落たちに切りかかった。一度退避したはずの隊士たちだった。見廻組は真選組との休戦と協力を見出した——佐々木さんの策だろう。この場にいない長官殿は既に撤退部隊に拾い上げられていて、彼がまとめあげたらしいことも漏れ聞こえてくる。巻き返せる。巻き返せるかもしれない。
けれど失った命は戻らない。
佐々木さんの背中に、さらに一打ちをかけた朧。彼の得物を副長殿が受け止めた。睨み合いの鍔競り合い。刹那の拮抗はじきに破られると予想がつく。もとより手練れな上に不死の血を手にする朧が絶対的に有利で、加えて奈落の方が数が多い。
戦場の只中にありながら、戦後のその先のことを考えるのはあまりに愚かだ。負傷による体調悪化と精神の揺さぶりで、わたしは明らかに冷静ではなかった。自覚と自制が切り離されている。
どうすれば、
「……いやね? ところで副長、ヤこれぶっちゃけアンタら全員なんですけど」
場違いなくらいにあっけらかんとした物言いだった。
発言主が誰かわからず、反射的に、わたしは声がした方を振り返る。奈落は局長殿の喉元に当てていた錫杖を外して——
……外して、
外した?
脇の奈落をぶん殴って。
ぶん殴った???
「いっくらなんでも地味だからってとうとう俺の存在そのものが忘れられてなァい!? 沖田隊長の姐さんいるしどうせ〝百舌鳥〟が来るんだから戦力こっち回せっつったのアンタらだよなァ!?」
やけくそじみた怒声だった。先程のあっけらかんとした物言いもどちらかといえば、やけくそだったのかもしれない。
と、いうかちょっと待ってくださいねあれこれもしかしなくても監察方の。
そういえば先程救出部隊にいらっしゃったような。
「あっ」
あってわたしも聞こえましたよ今の発言誰。
そしてわたしを指して〝どうせ来る〟とかのたまいやがりくださった方が真選組内部にいらっしゃるみたいですねいったいぜんたいどこのどなた?
「アー地味でよかったー! 潜入に役立つなー!! 地味さと影の薄さって別にイコールじゃねえだろいい加減にしろよどいつもこいつもそいつも部下の顔も声もろくに覚えやしねえ!!!」
額に青筋を浮かべ、奈落に扮した監察方は錫杖を振り回した。
見廻組、真選組、天照院奈落でコンプリートしてしまったことになる今ホントにそう。
「トンネル掘りといい今といいそろそろ今回MVPだろ誰か俺にボーナスをくださァい!!!」
「ハ……まあ、そうだな、」
朧の背が斬り付けられた。
時同じくしてその利き腕が断たれる。
倒れた奈落首領を前に、局長殿が振り下ろした刀を担ぎ直す。副長殿と目を合わせてニヤッと笑う。
——死んだふりは、熊には通用せずともどうやら死神には効くようだ。
「ザキにはボーナス弾んでやらんと」
「近藤さん!!!」
快哉が上がった。鼓舞の雄叫びでもない、安堵と勝鬨の象徴。
「おいおい、俺たちゃお上に解雇されたばっかだろ。ボーナスなんぞいつ出るんだ」
「とりあえずツケ払いでひとつ」
「近藤さん勘弁してやれよ、そりゃどこの万事屋だ」
「全ッ部聞こえてんだよてめーらァ!!!」
本当に馬鹿ばっかりだ。
ほぼ全ギレの銀さんの木刀が奈落を打ち据える。わたしはその脇を駆けた。もう真正面戦闘なんかしていられない。カットですカット。効率よくいきましょう。
「佐々木さん聞こえていらっしゃいますね?」
佐々木さんはぼんやりと目をまたたかせた。失血による意識朦朧、そろそろ喪失してもおかしくはない。
わたしは彼の身体を転がし、肩を引き上げるようにしてその上体を引き起こした。背中の創傷をざっと見る。番兵から剥ぎ取った方の着物を一度脱いで、雑に裂くと、胴を縛るように巻き付けた。本当は傷口を洗い流してから清潔な包帯で表皮直に処置したいところですが、言ってもいられない。針で悠長に縫うにも隙あらば砲弾飛んでくる現状でそんなことが仕出かせる人間、もはや大国主命の奇跡と相違ない。わたしにできるわけないでしょ。
「立てますか。立てなければ引きずってでも連れていきますけれど」
「……驚きましたね。アナタは……散りゆく人間の意思は、尊重するものと、思っていましたが」
「頼まれてしまったので」
わたしはうそぶいた。
傍らでは嘆息がこぼれる。
「あの
「それにひとつ、生き延びてくださるなら、個人的にもお頼みしたいことが」
「……鬼兵隊の行方なら、一旦宇宙まで逃がした以後は、わかりませんよ」
「あらやはりそうでしたか。道中逃亡補助ありがとうございますそうではなくてね。……華陀の件ってご存知でしょうか」
明らかに、わたしはバツの悪そうな表情を浮かべていたのだと思う。
佐々木さんはいつもの半眼……より若干さらにまぶたの下りた眼差しで、わたしを眺めた。コイツ、という感情が含まれている。佐々木さんはたぶんそのような物言いはなさらないけれど、意訳するとだいたいそんなかんじ。
「……春雨元第四師団の、元指名手配犯」
「ハイ」
「つい先日、第八師団団長に返り咲いた」
「ハイ」
「今や提督の」
「ああわたしがちょっと知らない間にそうなんですね本当に最悪」
「アナタにやたらと、恨みを抱いている」
「ハイ全くその通りでございます」
将軍暗殺未遂ではほとんど蚊帳の外にいた佐々木さんでさえ、華陀の対わたしへの怨念はご存知のようである。
「……策を出せと」
「わたしのミスを引き取っていただくようで大変申し訳ありませんが、ハイ」
わたしは申し訳なさから頭を垂れた。
佐々木さんはわたしから視線を外して、遠くを見つめた。
「……真剣に永遠の眠りにつきたくなってきましたね」
「約束は反故にはしない主義ですので這いつくばってでも生きていただきます。御恩と奉公は源氏の時代には制度運用されていた由緒正しき我が国の伝統、いっぱい返してください具体的にはどうにか女提督の鼻っ柱を折って我らの生存の活路をください。期待していますよ天神殿」
「これが恩の押し売り……」
呆然とつぶやく佐々木さんの胴体を保持して、腕を肩に回させて、今井さんが引き上げる。墨色のひとみがわたしを見た。いつもあんまり感情の読み取りにくい目だけれど、今はなんだかよくわかる。
具体的にはわたしへの文句の気配がする。
「……あのね」
「はい」
「私が期待したのはそういう感じじゃないんだけど」
「結果良ければすべて良し」
とうとう今井さんにまで背中を平手でしばかれた。うっかりよろめいた身体を肩を掴むようにして止められる。のっぺりとしたペンギンモドキがわたしを見下ろしていた。わたしが姿勢を正すのを待ってから肩を離し、その白い手(手? 翼?)にプラカードが掲げられる。
【 馬鹿やってないで早く撤退しろ 】
……だから、いちばんふざけた格好の人がいちばんまともなことを言い出さないでほしい。
エリザベスさんは着ぐるみでさぞ動きづらいだろうに、ずいぶんと俊敏だ。奈落を斬り殺して先陣を切り拓く。
「お、おまえは本当に言うことを聞いてくれなくなったな! その身体で何故戻ってきている!?」
相棒兼ペットの背中にしがみついたまま、小太郎さんがわめいた。
「あなたよりましですけれど。なんですかその脇腹? 突きの傷には見えないのですが、いったいどなたに撃たれたの?」
佐々木さん今もしかして顔逸らしました?
「い……いろいろあったのだ」
「であればこちらもいろいろ様々ありました。説明できましたねハイ終わり」
「いろいろ様々だけでわかるものか。武器はいつの間にやら取り替えているし。その足、早く処置せねば下手すると壊死しかねんぞ馬鹿者」
「本当にあなたに仰られたくな——ッ、仕方ありませんねえ、わたしが折れましょう。悪うございました。これでよろしいですね?」
「反省の意思が微塵も見えん……!」
「実際無茶仰らないでくださいまし。あなたのように頼り甲斐のある相棒だなんて贅沢申せませんのよ」
【 巻き込むの? 巻き込まれるの? 勘弁してくんない? 】
「ねえ横で痴話喧嘩やめられる?」
「痴話喧嘩じゃあございません同門漫才です」
「同門を認めたの、こんなに後悔するなんて思わなかった」
げんなりとつぶやいた今井さん。
一方で小太郎さんがふと真顔になった。
「おまえそれ、絶対に銀時の前で言うなよ。今のあやつにその手の洒落は逆効果だ」
「……何の話ですか? あなた虚との会話をお聞きなさっていたわけでもありませんでしょう」
聞いていたならあの場で出てきてくださいませんかね、ぐらいはさすがに思う。
「ウツロ? なんだそれは」
「……そちらはそれこそ、銀さんにでもお聞きなさって」
なんだか、いつもの斜め明後日天然ボケで噛み合っていない、というだけでもない感じがする。わたしは眉をひそめた。
大砲の音は未だ鳴りやまない。奈落の艦隊からの砲撃は我々の避難経路を狙っている。足がもつれかけた佐々木さんを真選組隊士が支えた——やけに可愛らしいお顔をなさっている、どなたかちょっと覚えがない——木々の間をすり抜ける。今しがた伐り倒されたとばかりの倒木を飛び越える。枝先に頬を切られ、血がにじんで頬をつたう。体力はある方だと自負しているけれどそろそろ息が切れてきた。きしきしと脇腹が痛む。全力疾走による内臓の収縮だ。苦しくてつらくて痛い。もう投げ出したい。
涅槃のどこにも苦楽はない。ただ何も感じない安らぎの無我がそこにあるという。
現世は一方、楽あれば苦あり、恨み辛みは降り重なり、ただ生きるだけでもしがらみと執着がつきまとう。地獄道よりただ続く、死出の旅路の結末はまだ見えない。
だから——まだ、死んでいない。
息が上がるのは生きているからだ。
腹が痛むのは生きているからだ。
まだ、なんにも、終わっちゃいない。
「——逃さん」
巨体が上から降ってきた。僧のような衣をまとうところは朧に似ている。
ぎろりと睨んだ顔は見覚えがあった。ここのところ、毎日のように顔を合わせていたのだから、見覚えがないはずがない。わたしはつぶやいた。
「拷問官……」
「……柩」
声は期せずして揃った。
視線だけで見ると、今井さんが慄くように唇を震わせていた。
「お知り合いですか」
「奈落三羽がひとり」
あ、なんだかとっても嫌な予感。
「……ちなみにあとの二羽は?」
「私と、朧」
こんなに小さな島のそれも片隅に、うっかり全員揃っていらっしゃる。
「……些か好待遇すぎやしませんか?」
「誰のせい?」
「どなたでしょう……銀さんかしら……」
「おまえ本当に銀時に説教される覚悟をしておけよ」
「既にあなたにまで叱られているのに!」
「俺のあれを説教だと思っているなら尚更だ」
【 アンタらそれまだ続ける感じ? 】
「散開!」
今の今まで黙っていた佐々木さんが声を張り上げた。拍子に彼のくちから吐血がこぼれて地に落ちる。吐血が発生するほどの内臓損傷はきわめてまずいが時間も猶予もない。即時に四方に逃げる——一瞬の思案の様子を見せたものの、わたしを追ってくる男に目を細める。
主を裏切り、奈落を抜けた今井さんよりも優先とは。
「鬼さんこちら、遊戯はお好き?」
「烏に百舌鳥が勝負を挑むか」
手近な木の枝に手をかけてぐるりと逆上がり、枝を折られる前に手を離す。背後に着地して走らせた一閃は簡単に受け止められた。ぎしぎしと錫杖がたわんだ音を響かせる。
「勝てるとでも?」
「いいえ、あなたの馬鹿力、とっても存じ上げておりますよ」
わたしは朗々と申し上げた。
「なにせそのおかげで牢の金具も弛みましたもの、ね!」
打ち抜いた錫杖がとうとう折れた。わたしはどうしても武器をだいじに扱えない。折れた切っ先を掴み取り、一八〇度回転させてその首めがけて突きつける。柩は頭を逸らしてあっさり避けた。
躱してもらうことこそが狙いだ。
柩の背後で鋼がきらめく。紅茶色の虹彩と視線が噛み合う。剣鬼の刀が閃いた。
「背中が留守よ」
逸らした姿勢でさらに無理には避けきれまい。
ど、ど、どぅっ! ミツバさんの三段突きが柩の背後から脇腹に突き刺さる。剣道における突きとは殺すための技に等しい。間髪入れずにわたしもまた、己が右手側に、折れたばかりの錫杖の残りの部分を渾身の力を込めて叩きつける。
バキッ、ミシッ、バキバキッ
大木がこちらに向かって倒れ込む。押し潰される直前に、ミツバさんがわたしの手を握って走り出す。
「日野で、デートしたでしょ」
呼吸を間隙に挟むから、言葉は途切れ途切れだった。
「しましたね」
「逆みたい」
「これがデート?」
あのとき夕暮れに照らされたてのひらは、今は揺らめく炎に照らされている。繋がれた手は血と汗にまみれてぬめっていた。ともすれば抜け落ちそうなてのひらを握り直す。
戦火燃え広がる森を駆け抜け、わたしは思わず声を上げて笑った。
「まったく、良い趣味!」
最後の避難船は百メートル先に停泊していた。乗り込み口には真選組・見廻組の隊士たちがいらっしゃる。隙あらば乗船と破壊を目論む奈落の面々を必死に取り除いていた。
散開した方向が良かったのか、一足先についていたエリザベスさんが我々を視認して、プラカードをブンブンと振った。カードに書いてあるらしい字は振られるとまるで読めなかった。小太郎さんは……相棒の背に捕まっていて、安堵したように微笑んだ瞬間エリザベスさんの頭からずり落ちかけた。「なにやってんすか!」「行きますよ!」「エ、おいちょっと待っ」船内に回収されていく。
駆け込んだ我々を副長殿が見やって「総悟は」短く言った。
「もうすぐ」
ミツバさんが額を拭い、胸を抑えてゼェと呼吸した。火事特有の黒煙は一酸化炭素を含み、肺に多大なる負荷をかける。
「見廻組の方々が数人と、その、やたらと目がきらびやかな隊士の方がいらっしゃいます」
「テツくんね。真選組も他に何人か、それと万事屋の皆さんが、まだだと思う」
「認識一致してんな。おい! あと少しだ! 気張れ!」
「砲弾を気張って防げたら苦労しねェ!!」
「いいから気張れェ!!!」
根性論組織はこれだから。
髪を絞ればぼたぼたと汗がしたたった。わたしは目をしばたたかせて(ともすれば頭がぼうとする。脱水もあるのかもしれない)倒れ伏した死体から適当に得物を拝借する。ちょうどよさそうな刀だ。
「テメエな……」
「露払い程度しか働きませんよ。さすがに、自分の限界くらいは理解しております。しかし必要でしょう」
副長殿は苦虫を噛み潰したような顔つきで、それでも咎めなかった。ミツバさんも得物を取ろうとして、胸を抑え、コンコンと咳き込み始める。
「おまえは戻ってろ」
「でも!」
「……ハァ、見てご覧なさい。あなたの弟さんはあんなに元気ですよ」
奈落を切りつけて駆けてくる青年。そのすぐ後ろに万事屋の皆さん、さらにすぐ後ろには見廻組ツートップに真選組の隊士の方(たぶん、テツくんさん)。重傷ひとりと肩を貸しているふたりがもっとも遅いのは自明だ。
奈落の身体を両断する。怯んだ手頸を跳ね上げて斬り落とす。首を刎ねれば曼珠沙華。
「勝手に飛び立ってみろ! 俺が翼を叩っ斬るぞ!」
ひょいひょいと飛び乗った隊長殿が「姉上!」「もう少しだけ」「無茶言ってんな馬鹿!!!」煤けたハンカチを取り出して、布地を見つめて顔をしかめるとポケットに戻した。
「また悪化したら元も子もねえでしょうが! アンタの命と引き換えに助かったって聞いて近藤さんがどう思うか考えろ」
正しいのだが歯に衣着せずにめちゃくちゃ言う。
思わず目を丸くして見ていると、悔しげに唇を噛んだミツバさんが船の中に入っていく。
「……なんか、姉弟らしく言い合うようになった」
「……それは、それは。……よかったですね?」
ところでなんの報告を受けているのですか、わたしは?
神楽陛下が砲撃を傘で防ぎ(どんな強度……?)銀さんと志村さんが姿勢を低くしてタラップを駆け上がる。「遅ェ」「うるせえ」憎まれ口を叩きあう成人男性どもを横に、志村さんが振り返った。
「あとすこし……」
隊士たちが走り抜け、しんがりの見廻組トップ勢がようやくタラップに足をかけた。ほとんど同時に、ぐらりと船は揺れた。砲撃が撃ち込まれ続けて小刻みに揺れていたのは元から。ようやくと離陸だ。タラップも収容されていく。
副長殿が手を伸ばす。佐々木さんを支えてふらつきながらも、テツくんさんが手を伸ばした。
その後ろ。
死体と思われていた奈落が、得物を持って、立ち上がる。
「——」
タラップを蹴った。空中で一回転、誰のものとも知れぬ刀をわたしは一閃。斬ッ斬ッと手首ごとに得物を刎ね飛ばす。ついでに思い切り蹴飛ばせば、ひとりはタラップの下へと落ちて行った。
「ッぐ」
あちらも必死だ。ひとりでも殺そうと、ひとりでも道連れにしようと、あるいはそもそもわたしの捕獲命令か何かのせいか。髪を鷲掴みにされてぐきりと首が鳴った。
足がすべる。草履が剥けて足の皮も剥けて血まみれで砂まみれですべるに足る要因しかない。
——あヤバい落ちる。
ふ、と
頭が軽くなった。
過剰に傾いた重心が不意に元の位置に戻る。わたしは振り返る。奈落が落ちていく。右手が握り拳のかたちのままだった。パラパラとタラップの上には幾本かの髪が落ちていた。
無意識に鷲掴まれた位置に触れる。
わたしの指は空をかすった。
「えっ」
てのひらで後頭部をさする。いつものくせで指を引こうとすればばらばらの髪先に触れた。ざっくりと、今まさに切り落とされたとばかりに。
切り落とされている。
髪が。
髪はいい。
髪はいいんだけど。
かみひも
「まっ、待って」
わたしはタラップをもう一度蹴った。身は取り残されるように宙に浮いて、それから。
万有引力の法則。すべてのものは引き合う摂理にある。質量が大きければ大きいほど、その力は増しゆくもの。
ゆえに、地球上空数十メートルにおいて。
ちっぽけな人間は当然に、ただ落ちるがさだめ。
「——なにやってんだよ!」
手首を掴まれる。ぐっと自重がかかり、わたしの身体は宙に振り子のように揺れた。汗ですべってずる、と抜けかけた腕を両手で掴み直される。
「あ、アンタ何やってんだ、本当になにやってんすか、ンな高さから落ちたら死ぬんだよ!」
必死に声が喋っている。「新ちゃん!」もうひとり女性の声がした。じきに肩と襟元を掴まれて、わたしの身体はタラップの上に引き上げられる。遥か眼下には黒縄島の森から黒煙が上がり、さらには雄大な海が広がっている。先ほどの奈落の姿はどこにもない。
「あれしか」
どこにも、ない。
「あれしか、ないのに」
髪紐の行方はどこともわからなかった。