前略:
「ご説明いただいたところ大変申し訳ないのですけれど……アルタナって、なんですか?」
「……。あなた、まさか、そんなことも知らないのにあれだけの啖呵を切ったの……?」
「今井さんにそのような目を向けられることありますか」
「私だって無謀と蛮勇の乗算にこの上無知まで加わったら驚くことくらいする。……本当に本気で真剣に言ってる?」
「うちの
「お、お母さん……」
「俺はおまえの御母堂ではありません」
「……では兄上」
「もしやおまえは、俺には何を言っても怒られないと誤解していやしないか?」
「わかった。あなたたちを揃えると隙あらば漫才が始まるのはもう本当によくわかったから」
➤
アルタナ。大地を巡る星のエネルギーの奔流であり、星の生命力ともいわれる。これを実用的エネルギーに転換する技術が開発されたことで星間文明は飛躍的な進化を遂げる。ターミナル建設に際してもアルタナを効率よく汲み上げられる位置が選ばれた。
「……あ、もしやつまり、龍脈とはそれです?」
「……それは知っているの?」
「ターミナルのエネルギー転換技術は、前々から鬼兵隊全体でも警戒されていました。地球外部からの供給にしては莫大過ぎますしね。天導衆部外秘なので外部から探らせておりましたけれど……わたしが主担当ではなかったので、進捗の詳細を厳密に把握していない点がまずひとつ」
管轄は武市さんの手元にあった。わたしはターミナル建設予定地から、黄龍門および龍脈を守護する
「加えて、小太郎さんはご存知の通りですが、いろいろあって鬼兵隊の本艦は一回不慮の事態で吹き飛びました」
「あれか……」
名指しされて察した小太郎さんが苦々しい顔をした。そう、紅桜の件ですね。あの事件は我々の因縁だけに留まらず、鬼兵隊にとってはけっこう本当に転換点だった。損失
この大失敗の総責任を担う幹部が、ただ温泉地に送られるだけで済んだって今でも信じられませんよ。なに僻地送りとは名ばかりの慰安旅行させているんですか。日野って言うほど僻地じゃないし。日野の住民にいっぱい謝って。
「あのとき紅桜だけでなく、鬼兵隊で抱え込んでいた研究や調査がけっこう損失したのですよね。原状回復が難しいものも数多く、ターミナルから供給される謎のエネルギー調査もその一環です」
電子媒体の利点は共有の手軽さと保管場所の圧縮。欠点は物理媒体より壊れやすいこと。下手にクラウドに上げられるような内容でもなく、サーバが破損すれば多くはそのまま消滅する。サルベージは急務で進められたものの、まァ失ったデータより完全に救出できたデータを数える方が早かった。
その後はもう忙しいので後回し——というか、紅桜損失と引き換えに春雨との繋ぎが作れた以上、その他利益を見込めるかも不明な事項に関しては優先度が著しく落ちたのである。エネルギー調査含め、そのまま凍結プロジェクトと化した計画は数多い。
「……と、いう
わたしは額を抑えた。アルタナの意味を理解したところで、改めて、今井さんの発言を思い返そう。
〝地球由来のアルタナによって、不死の身体を齎された男。五百年——十三代もの間、天照院奈落の首領を務め続けた男。かつて吉田松陽であって、既に吉田松陽ではない男。それが虚〟
……。
……聞き捨てならない箇所が片手の指の数を超えます。
「アルタナが? 不死の身体を? ……五百年? ……なるほどとりあえずカロリー問題は解決しますね? 何?」
「……カロリー問題とはなんの話だ?」
「あまり重要ではない点なので機会があれば解説いたします」
十三代首領の容姿がいずれも我が師:吉田松陽のそれに酷似していたことも説明がつく。すなわち親戚ですらなく、すべて同一人物ということだ。たしかに可能性としては挙がっていた。
……五百年?
……本気で?
「ちょ、っと待って。あなたはそもそも、もとはどこからどこまで知っていたの?」
動揺するわたしに引きずられたのか、今井さんまで混乱なさっている。
「吉田松陽の遺伝子に地球人類としては説明がつかない・不死の実現可能性を持つ細胞設計図が存在していた程度です。それと今代奈落首領殿の蘇りですね」
「……吉田松陽の肉体が処刑の後に蘇り、虚と名乗ったことは?」
「可能性として考えられるとは思いました。……確定なんですか?」
「……不死の能力を天導衆が求め、検体を捧げる対価に虚が天導衆入りを要望したことは?」
今、
わたしが眉を寄せたことで回答を悟ったらしい。今井さんは自らの額を抑えた。
「……本当にそれだけであの啖呵を切ったの?」
「そうですね」
あとはバイオレンス親切通り魔の件もあったので、血液を媒体にある程度の回復能力が受け渡せる、くらいは当たりがついていた。しかしそれこそそのくらいだろう。わたしたちの手札はあまりに少なく、わたしは徹頭徹尾、手札に見せかけたハッタリしか打っていない。
「無謀にも程がある……」
それはもう今井さんだけでなく、ありとあらゆる数多の方々から指摘されている。兄弟子から勢いよく叱られたこともまた然り。朧にまでも念押しのごとく愚かと強調されましたからね。
「……むしろ今井さんはなにをどこからどこまでご存知なのですか?」
わたしが尋ねると、かたちの良い眉が寄せられる。
「少なくとも私が奈落に所属していた時期の……つまり、吉田松陽処刑以降一時でも天照院奈落に所属していた構成員は、先代奈落首領がアルタナによる不死の生命体で、これを理由に天導衆の一員となったことは私を含めた皆知っている」
「……いつごろから?」
「……それこそ当時から?」
「つまり——はじめから今井さんにお聞きしていれば、遺伝子検査も博打もすっ飛ばして真相に辿り着けたということでしょうか!?」
ほとんど悲鳴のような声を上げた自覚があった。
今井さんの目つきがまたもや、彼女の上司を彷彿とさせる半眼に変化する。
「そうかもしれないけど今重要なのって確実にそこじゃないと思う」
「し、信じられない……まさかわたしってば、手近な方への確認を怠ってただでさえお忙しい海原さんの手をあれだけ煩わせたの……? それでいて得られた情報量もごくわずかってあんまりですなんたる失態でしょう」
「要求水準が高くない?」
「岡田さんがご存命でいらっしゃったならば、嬉々として打首にされてもおかしくないほどですよ」
「嬉々として打首しに来る人員に心当たりがあるの? 奈落じゃないんだから」
「今井殿」
打ち震えるわたしの横でスッと小太郎さんが手を挙げる。
「いろいろと聞き捨てならない情報だと思う。俺としてはまず仔細な話を求めたい」
「……当然よね」
「だがそこに関しては、後日改めて機会を作っていただけないだろうか。俺もこの
今このコって言われた?
「その点、今井殿も同様だろう。手当てはされているようだが」
「……私は慣れてるから。……でもそうね、あなたたちは一度休むべきだわ」
「わたしも慣れています」
「苦痛への順応は損傷を増悪させる。おまえたちが〝慣れている〟と思うならばそれは認知の歪みに等しいので追々直すべきだ」
小太郎さんは我々の反論を一蹴した。
「たとえば物語などで薬剤に慣らすといった描写はあるが……人間の免疫力の機序を考えれば、むしろ人体に害ある量の薬剤を投与され続けた身体は、慢性的に不調を訴えるだろう。下手をすればアレルギー抗体が作られ、極微量でも過剰反応により死に瀕する可能性すらある。暴力と暴言、加害に長らく晒された場合、多くの生物はむしろ過剰な警戒と気力減退を見せる。ワクチン接種でさえ微少で繊細な調整を伴うのだから、基本的には上手くいくものではない。万一上手く行ったところで——苦痛とは自らの身体が発信する警告だ。無視したところで蓄積された損傷までなかったことにはならない。自らの死期を近づけるだけに過ぎない。肝に銘じなさい」
わたしと今井さんは視線を交わした。「返事」「……はーい」「……はいはい」「はいは一回」「なるほどね、お母さん……」「今井殿まで?」小太郎さんは困惑なさった。正当な評価かと存じますがね。
「俺は桂です。そして話を戻すが、そもそも、松陽先生に関する重大な話は銀時にも共有するのが筋だ」
……兄弟子は現在熟睡中らしい。ライナスの毛布が両手に花、叩き起こすのも不憫だろう。わたしは深く息をついて、手足を少し伸ばした。
「まァ、道理でしょう。銀さんが同席できる場を設けるということで。すみません、今井さんにはお手間をおかけします」
「ええ……」
不意に伸びてきたてのひらがわたしの頬をこする。小太郎さんの手だ。血と砂埃で少し汚れていて、感触はすこしザラザラしていた。額を撫でる手に一度目をまたたかせて、わたしはふと瞼を閉じた。母指球がわたしのこめかみに宥めるように触れている。わたしもまたてのひらを伸ばして握ると、指先がわたしの手の甲を撫でる。……なんだか眠くなってきた。夢から覚めたばかりのときは眠ること自体が嫌だったのに、なんて不思議。
「……私、邪魔?」
「……邪魔? いや? むしろ俺が後から訪れた側だろう。スミマセン先住民の方」
「あなたのその調子はこのひとが起きているどうかはあんまり関係ないわけね」
➤
今度こそ夢は見なかった。あるいは、見たけれど忘却したのかもしれない。船が着陸した際の記憶はわたしにはない。断片的な光景がこぼれるようにぽろぽろと残って、気づいたときにはまたもやベッドに今度は俯臥位で固定されていた。どうやら寝返りの自由なんてものは過激派攘夷浪士幹部には存在しないみたいです。
……無理をしたわたしが悪い?
……それは本当にそう。
しばらくわたしは、桂一派の息がかかった医者のもとで養生する羽目になった。敵対派閥に面倒を見られている点について深く考えると自害したくなってしまうのでやめている。
「お見舞いに来ましたよ」
「……ありがとうございます」
「ふふ。嫌そうな顔」
ミツバさんは微笑んで、かわいらしく手を振った。手首には包帯を巻かれている。虚に切り落とされかけた手羽先は本日に至っても無事に腕にくっついている。
真選組の縁者(もしかしたら今では真選組所属)扱いの人間が、果たしてどうして桂一派の医者を訪ねて高杉一派の攘夷浪士幹部と面会できているのか……これはまた、わたしは深く考えないようにしている。やっぱりわたしが自害してしまいたくなるので。
「体調は大丈夫?」
「自認としてはもう、まるで問題ないのですけれども……この状態なので客観的にはたぶん駄目なのだと思います」
この状態:俯臥位固定。お手洗いに行きたくなったらナースコールでお呼び出しして、ベッドに戻る時にはふたたび拘束されるシステムです。
「さぞしっかりしたお医者様ばかりなのね」
ミツバさんは満足そうに頷かれた。満足そうに頷かないでほしい。見舞客の応対時ぐらい起き上がりたいんだけど、この調子ではミツバさんも手伝ってはくれなそうだ。わたしは顔を横向きにお話するしかないみたい。
「入院って暇でしょう。暇つぶしにできそうな小説と……激辛煎餅も持ってきたの」
小説だけ置いて帰っていただくことは可能だろうか。
ミツバさんが膝を揃えて咳払いをした。
「江戸を離れることになりました」
「でしょうね」
攘夷浪士と結託して死刑囚の脱獄を目論み、達成し、加えてその過程で警察機構全体の反乱をも実現した組織。幕府が隠蔽したい事実を加えるなら、天照院奈落や天導衆にまで反旗を翻したことも含むだろう。
茂々公体制の時代ならば、反乱は基本的に頭首のみ斬首刑——ただまあ、元一橋公、現徳川の喜々公が許容できるとは、到底思えない。
「といっても、移動自体はもう少し先なのだけどね。今は挨拶回り」
「お身体は大丈夫ですか」
「私、ずいぶん動けるようになったのよ」
「それは見ていればわかります」
いや本当に。
わたしより元気そうな顔つきに何らかの不条理を感じます。運命のいたずらってやつかしら。単なる不養生の結果とも言い換えられるでしょう。
「薬もあるわ。お医者様がつきっきりとはいかないけれど、つきっきりでなくとも動けるくらいには丈夫になってきた。あなたに介錯を考えられるほど弱っていたのは本当に、ずいぶん前のことよ。……今はあなたの方が弱ってるわね」
「お黙りくださいまし」
かつてはわたしが彼女の見舞いに訪れた立場だった。本日はまるで逆だ。
ミツバさんの片手がわたしの指先を握る。当時もただでさえ傷が散見された手には、剣だこや納刀の切傷まで増えている。
知らなければ——わたしは、不意に思う。ミツバさんは、かつての婚約者と攘夷浪士の繋がりを知らなければ、特に支障もなく蔵場の妻となって、特に真相を知ることなくじきに死んだのかもしれない。それはそこそこに幸せであっただろうか。身の丈に合った幸せを許容としていた笑顔が脳裏を過る。
思えばあのとき、わたしが気まぐれなお節介を焼いてしまった結果、このひとを妙なところまで連れてきてしまった。
「……今の幸せに、あなたは、満足していますか?」
ミツバさんはすこし目を丸くして、わたしを見た。
すぐに破顔する。
「ぜんぜん、これっぽっちも!」
「全然……」
「まず指名手配は解除されたいわね。江戸でふつうに歩いているだけなのに通報されるのは、ちょっと嫌よ」
「それはそうでしょうとも」
「総ちゃんの成人式も見たい。もちろん、元服は終わってるのだけど。晴れ姿っていくつ見てもいいものでしょう?」
ミツバさんは空いた手で指折り数え始めた。
「剣もね、こんなに楽しいんだってずっと忘れていたの。もっと上達したい」
「あれ以上に?」
「私がちゃんと腕を磨けていたら、殺す気がないままでも、ヒカリさんに怒られる前に制圧できた気がするのよね」
「わあこのひとすっごく傲慢」
同意見なのがなお癪に障りますね。
悪態をついたわたしにミツバさんが軽やかに笑う。
「それから、そうね……お仕事も今は真選組の女中みたいなことをさせてもらっているのだけど、弟に頼って縁故採用って、いくら皆さん気にされてなくてもどうしたって居心地悪くて。別の場所でも働いてみたいわ。たとえば私って、接客業は向いていると思わない?」
「ああ、そうですね……」
縁故採用は居心地が悪いというのは実体験を以て心底から同意できる。
「結婚もしてみたいわね。ヒカリさんは誰か良い人知らない?」
「攘夷浪士に尋ねるのは大概に蔵場の二の舞前提でしょう。……というか、わざとですか?」
開きっぱなしの扉の陰、正確にはそちらに隠れていらっしゃる御方に視線をやる。ミツバさんは片目をつむってみせた。
「私、ちゃんと告白してるのよ? 幸せにできる自信がないだなんて意気地なしね、くらいはそろそろ言ってもいいと思うの」
「まあそこはたしかに」
「私は勝手に幸せになります。導いてもらうだけ必要なんてないの。あとは覚悟を決めていただくだけだっていうのに」
「そこもたしかにとは思うんですが、巻き込まないでくださいね。すっごい動揺なさってますよ。ほら見て影がぶれてる」
「あら本当」
「触れるな!!!」
扉の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。いやですね、照れ隠しにしてはやはり野蛮が過ぎませんか?
「かわいいでしょ」
「暴言男の解釈については見解の相違が見受けられますね」
「かわいいのに」
ミツバさんは残念そうに仰った。さすがに弟さんもわたしのこともかわいいと表現するような御方だ、眼光キレッキレのニコチン中毒も同様にかわいいのでしょう。わたしにはまるでかわいいとは思えませんけれどね……。
「なんだかんだで、そうね、本当にぜんぜんこれっぽっちも、まるきり満足してないかも。生きてるだけで次から次へと出てくるの。昔はこんなことなかった。身の丈の幸せに満足していたのに……まったく、あなたのせいよ」
「わたしのせいなんですか」
「不満をため込むのって身体に悪いんですって?」
「わたしのせいですかねえ」
「あなたのせいです」
そういうことになっちゃった。
あの日過ごした、弱いながらも弱いことを受け入れ、飲み込むことに慣れ、ゆえに強くなった彼女は果たしてどこへ行ってしまったのかしら。ここにいらっしゃるんですけれどね。そのはずなんですけれども。
時間経過は良くも悪くも人を変える。ミツバさんの変化を苦々しく思う人もどこかにはいるだろう。わたしは——眩しいな、と、未だに思う。
「でも、人生ってそういうものでしょう。今日に上手く満足できないから、明日に向かって駆けていく」
常夜に輝く一等星。わたしがこっそりと自らの夢を託したあなた。今更ながらも追いかけて追いついて、ついにわたしにまで追いついてきた。そんなつもりじゃあなかったのですが。人生って本当にわからない。
目を細めて笑うしぐさだけはあの日と変わりない。
「またお会いしましょうね」
「機会があればね」
「もう、こういうときは必ずって言うのよ」
できない約束はしない主義だ。だというのにミツバさんは強引にわたしの腕を取って、小指を絡めた。
「嘘ついたら針千本……はまあいいけれど。あなたのお墓の前で号泣してあげるから」
「やめてください」
「毎月通って恨み言を申し上げてあげる」
「本当にやめてください。嫌がらせですか?」
「死にづらいでしょ」
「もお……」
たったひとりのお友達はこのように、別れの日にもきわめて傲岸に自由に振る舞った。本当にこのひと、どうしてこのようになってしまったんですか。わたしのせいだって言うんですか。
……えっ、本当にわたしのせいだって仰るの?
ベッドの拘束を取られるまでけっきょく二週間はかかった。取り払われた後も「しばらく、あんまり仰向けの姿勢は辞めてくださいね」と念を押された。暇なのでミツバさんにいただいた小説を読み、激辛煎餅をジワジワと消費している。ジワジワとしか消費できないほどに辛い。お友達だとしても擁護できない。あのひとの味覚おかしいよ……。
知りたいことがいろいろとある。真選組およびお友達の動向は、あちらからやってきたので把握する羽目になった。けれど見廻組は……たとえば佐々木さんがご無事かどうかをわたしは知らない。万事屋の方々が今どうしているのかを知らない。小太郎さんは……たぶん、無事だろう。敵対派閥のわたしが未だに手厚く看病されているということは、反感を抑えきれる人間がまだいるということなのだから。
「ヒカリ」
と、思っていたら本人が来た。
「小太郎さん。……お怪我は大丈夫なんですか」
「もう全快だ。傷も治った。見るか?」
「ありえない……」
わたしは心底ドン引きした。
「なぜ引く!?」
「銃創ですよ……? わたしはまだ安静を義務付けられているのに……」
銃弾の種類によっては貫通銃創より盲管銃創の方が治りが早いと聞くけれど、それにしたって。
「おまえはおまえで栄養失調の状態で痛めつけられ続けていたのだから、長引くのは当たり前だろう。その点俺はよく食べてよく寝てよく鍛錬して、黒縄島に辿り着くまでは健康優良児生活を送っていた。治りが早いのは当然だ」
なんだかそういう問題というわけでもない気がする。
小太郎さんはわたしの目の前に腰を下ろすと、手を伸ばして、わたしの髪先を指ですくった。入院生活中にまばらに伸びつつあるけれど、やっぱりすこしバラバラだ。
「整えたいですね」
もてあそばれる髪先を眺めて、わたしは不意につぶやいた。
小太郎さんが首を傾げる。
「伸ばさないのか」
「うーん。伸ばすにしても不格好なのでどうにせよ、一旦切り揃えたいのですけれど」
不揃いな髪を視線だけで辿る。
「……そうですねえ。伸ばしている必要も、なくなりましたもの」
髪紐はどこへ行ってしまったのか。もはや追うこともできない。あの瞬間の絶望的な喪失感を思い返して目を閉じる。
絡め取った髪先を、さり、とこする音がした。
「俺が伸ばしてくれと言ったらどうする?」
「……んー。ふふ。どうしましょう。伸ばしている方があなたはお好みですか?」
「……おまえは昔から、高杉のことばかり真似していただろう。あれだけ意地の悪い男によくもまああれだけ懐くと思っていたが」
髪を手放されたのか引っ張られるような感覚が消える。ベッドが軋む音がした。
「それでも髪は伸ばしていたから。俺と揃いのようで気分がよかった」
パチリと目を開けると、小太郎さんはベッドに手をつくようにして、わたしを覗き込んでいた。手を伸ばすと触れられる距離だ。実際にてのひらを伸ばして頬をこすると、小太郎さんは避けることなく、懐くように目を細めた。
「拗ねないでくださいよ」
「拗ねとらんわ」
「拗ねていらっしゃるじゃあございませんか」
思わず笑いがこぼれる。
ああどうしよう。このひとってどうして、こんなにもかわいいのかしら。
「だから髪紐だったの?」
「それもあるというだけだ。……簪を贈るほど、おまえの未来を縛ることはできなかった。ただでさえ置いて行っているのに」
額が触れる。ぼやけた焦点を近距離に合わせた。どこか耐えるように眉を寄せる仕草を愛おしく思う。両手でそっと彼の頬を包んで「しってますよ」とわたしは言った。
「あなたはいっとう優しいから。ずっと待っていてくださいましたね。それでいて、逃げ道も作っていてくださいました」
幼い日和によく口になさっていた〝将〟たるためなのかはわからない。わたしの気持ちが追いつくまで待っていてくださった(これは兄上や銀さんにしばしば怒られていたこともあるのかも)わたしが口にできないと思っている間も辛抱強くいてくださった。未だに肝心の言葉はない。……わたしが、受け止めきれないと薄々ご存知だからだろう。
「わたしは、昔はあなたのことをお慕いしておりました。その先を考えたこともあったと思います。今は……ごめんなさい。わからないの」
小太郎さんのことは今でも大好きだ。大好きだけど、わたしは既に、大切なものを真っ当に大切にする方法を覚えていない。あの頃のような純に愛おしく思う心からはすっかり遠くなってしまった。今このときにも、どうして連れて行ってくれなかったんですかとなじる子どもを縊って埋めている。無防備に晒される首に手をかけることにも、まるで躊躇いがない己を知っている。
「あなたのことは今でも愛おしいけれど、あなたと共にいる未来を、もう、上手く思い描けないんです」
既に別々の道を歩んでいる。この国の未来を考えていらっしゃる人々と、この国を破壊することしか考えていない者共では、やはりずいぶんと違うのだ。わたしたちはいずれも所属派閥の筆頭だ。今更許される罪業でもない。
もう髪紐もこの手にはない。
「あなたは良い
わたしの両手から逃げる様子もない小太郎さんを見つめて、わたしは告げた。
「こんな女のために今まで、待ってくださってありがとう。上手くお返しできなくてごめんなさい。わたし……あなたには幸せになっていただきたいから、どうか、これで終わりにしませんか」
祈るような心持ちだった。
あのとき髪紐を切ることができず、突きつけられなかった訣別を、改めてやり直す。もはやここにはない髪紐の代わりにようやく、心ごと手放す覚悟を決める。髪紐はたしかに約束の証だった。けれど本質的に髪紐は重要ではなかった。小太郎さんにとっても、わたしにとっても。
わたしにとって、現世の最後の未練はあなたのかたちをしていた。
「嫌だが?」
……迷う素振りすらなく即答されるとはちょっと思っていなかった。
「い、嫌ですか……」
「嫌だ。めちゃくちゃ嫌だ。嫌に決まっている」
「三回も……」
わたしのてのひらの片方を、外側から掬うようにして握られた。射干玉の瞳がわたしを射抜く。
「二十年待った。だからもう二十年は待てる。なんなら倍の四十年待てる」
「それもうほとんどおじいさんですよ」
「俺をおじいさんにする前におまえが覚悟を決めてくれ」
「覚悟ってあなた」
「俺の幸せを祈るくせに、一緒に不幸にはしてくれないのか?」
わたしの左手、人差し指と親指の間を、小太郎さんの親指の腹がなぞる。
「おまえはひどい女だよ」
わたしにとって心底ひどい男がそう言った。
「……あなただって、わたしを一緒に不幸にしようとは、なさらなかったでしょう」
だから置いていったのだろう。だから簪ではなく髪紐だったのだろう。他ならぬこのひとが今しがた言ったことだ。
わたしがなじると「たしかに」と小太郎さんは同意した。
「あのときは俺に覚悟がなかった。今はある」
「本当に勝手なひと……」
「しかし、あるいは——そうだな。おまえが俺を嫌うなら」
小太郎さんはわたしの手の甲に唇を寄せる。すこし伏せられた瞳は、けれども未だにわたしを見据えていた。
「嫌われている相手には無理強いできない。武士の矜持として、潔く諦めるさ」
わたしはつばを飲んだ。
「どうして、そうやって、意地悪仰るの」
嫌えるならばとっくに嫌っている。どうにもできないから手放せないままだった。壊すことばかり上手くなり、今更だいじにする方法もわからないから、せめて、綺麗なままに終わりにしようとしたのに。
「嫌えないからこのように申し上げていることくらい、わかって、くださらないの……」
眼光鋭くわたしを突き刺していた双眸が、不意にゆるんだ。
「おまえが先に意地悪を言うからだろう」
「ウウン……」
「嫌いではないならやはり、待っていても問題ないな?」
「そうじゃなくって」
「なんだ?」
「……もういいです、みんなわたしのせい」
「拗ねるな」
「拗ねてません」
「拗ねてるだろうに」
顔を背けたわたしをそれでも覗き込んで「かわいいな」と小太郎さんが囁いた。——まるで一等大事なものを慈しむような声色だった。途端にうっかりと固まってしまって、身を乗り出したそのひとの目をわたしはただ見ている他なかった。
拘束生活では、スキンケアも自分のタイミングでは行えない。乾燥して唇の皮が剥けかけていたのを今更思い出す。
「奪っちゃった」
至近距離で囁かれると、ぐら、と脳が揺れる。
パッと口元を抑えて小太郎さんの肩を押して、わたしはわたしでベッドの隅まで後ずさって距離を取った。小太郎さんは素直に身を離し(あの程度の抵抗、かんたんにいなせたでしょうに)目を白黒させるわたしを見て、ふ、とまるで愉快げに笑った。
「本当にかわいい」
ほざいていらっしゃる。ずいぶんと余裕ですね。ちょっぴり腹が立ちます。
いえあのそのそれだけじゃあなくって。
「……あ、のとき、まさか、起きていらっしゃいましたか」
「……。あのとき?」
完ッ全にしくじった。
「すみませんなんでもありません」
「イヤイヤイヤ確実になんでもなくはないだろこちらを見ろ見なさい」
「なんでもありません!」
「おい! なんだ!? 答えなさい!!」
「ヤダーッ怪我人に無体を働かないで!!」
「病院ではお静かに!!!」
看護師さんがすっ飛んできて「お、俺は桂小太郎だぞ!?」「ハイハイ桂さん患者さんを興奮させないで」「違っこっ興奮しているのは俺の方だ!」「なお悪いですね出てけ」小太郎さんは追い出されていった。肩で大きく呼吸をしてわたしは唇を手の甲で抑えていた。あ、あ、あんなの、聞いてない……。ほんとに聞いてない……。舌も入れられてないのにどうしてこんなに動揺することになっているの。おかしい。すべてがおかしい。
そもそもわたしはいい加減すっぱりさっぱり諦めたくて諦めたいので諦めていただこうとしたはずで……?
あれっホントに何がどうなってるんですか???
「……病院でイチャイチャすんの楽しいか?」
「イチャイチャなんかしてません!!!」
反射的に言い返したけれど看護師さんはすっ飛んでこなかった。小太郎さんを追い返すので忙しいのかもしれない。
銀さんがいつもの死んだ目でわたしを見下ろしている。わたしは両手で顔を覆った。まだ頬が熱を持っていた。
「俺マジで入れなかったんだけど。どういう空気作ってんのオイ。てか途中から気づいてただろおめーも。ちゃんとフった証人にできなくて残念でしたねバーカ」
「でっでもイチャイチャはしてません」
「結構やってたろーが。ヅラは最初から最後まで気づいてああまで続けたあたりあいつはあいつで最悪なんだけど。つくづく元気な電波がよォ……有り得んウゼェよあいつ何マジで。昔っからこの手のことに関しちゃ調子乗りやがって。いっぺんシメたろか」
「しりません。なに。しりませんもん……」
「勝手に弱ってるけど半分はおまえが蒔いて目ェ逸らし続けてた種ね。おかげさまであんなに大きく育ちました。早くなんとかしろ」
「しりませんってば!!」
「藪蛇なのはわかンだけど一応聞くな。あのときって何?」
「あなたも出て行って!!」
「枕を構えるな。ハイハイ。揶揄うのはこんくらいにしといてやるよ」
兄弟子たちが揃いも揃ってベクトル違いにひどい。
「なんとかするために終わりにしようとしたのに……」
「おまえがすげー世紀末愚かちゃんで俺は心底ビックリしてる。ホントビックリするほど見通しが甘い。なんでイケると思った?」
「うるさい……」
「あーあー甘ったれの末っ子ったらとうとう本格的に拗ねちゃったよ。慰めねえぞ自業自得」
「ほんとにうるさい……」
先程まで小太郎さんがいらっしゃった席に銀さんが腰を下ろす。わたしは布団のシワを無意味に伸ばした。
「情報制限されてることには気づいてるでしょーけど。しばらく無理よ」
「……信用できない立場でしょうとも」
「信用もあるけどそれ以前にてめえはありとあらゆるやらかしの前科があるワケ。スーパーボールみてェな挙動であっちこっち飛び跳ねるならせめて諸々治ってからにしろ」
「スーパーボール扱いなんですか」
「スーパーボールより挙動が読めねえぐらいは思ってる」
兄上よりひどいこと仰られる。
無言で見つめていると「……自分が百悪いのに被害者面する猫みたいな顔やめない?」銀さんは心底面倒そうに告げた。見たことのないたとえを持ち出されても困りますね。
「あとまあこれだけは。鬼兵隊の居所は俺らもまだ知らねえ」
「……そうでしょうね」
不用意なところから聞かされたあかつきには、わたしが脱走を目論むくらいは読まれているだろう。せめて把握範囲内で抑え込んでおきたいはずだ。だというのに告げられていないのは、単にまだ彼らもわかっていないからというだけに過ぎない。
「弱ってんの」
銀さんのやる気のない瞳が、しかし注意深くわたしを眺めている。アウェイの環境で加えて体調は悪いわ負傷もしているわ。弱っていることは弱っている。弱る要素しかない。……鬼兵隊の足取りが未だに掴めないことも拍車をかけていた。銀さんの指摘は、おそらく最後の点にかかっている。
「……もとはといえばわたしのミスです」
「まァ一連の流れ聞いて、まず思ったよなそこは」
丸椅子に座ったそのひとは窮屈そうに足を組む。膝頭の上にブーツの踵が乗せられる。お行儀が悪いし膝が汚れるのでやめた方がいい。
「おまえ二度とババアに関わらねえとこに放り込んどけっつって了承したからこっちは受け渡したんだぞわかってんのかなに放り込むどころか悪化させてんだよぐらいはな」
「その節は大変申し訳ございませんでした」
ベッドの上で伏して謝罪すると「やめて。やめろ。顔を上げろ。オイ謝罪するつもりがあンならまず謝罪先の要望を聞けやボケ、謝罪は自己満足じゃねンだぞ」だんだんキレ始めた銀さんの言葉尻が倍々にきつくなっていくので、仕方なく顔を上げて、座り直す。
銀さんは深々と溜息をついた。
「……おまえのせいだけど。おまえだけのせいじゃねえだろ。まず華陀の件指示したのはどうせ高杉だろとか」
「……そうですけれども」
「言いたいことだけ言ってすっきりしやがって、いったいどこ行きやがったかねあの馬鹿は」
とうとう深部を抉られたので、わたしは銀さんの胸にゴツンと額を押しつけた。服越しにもわかるほどの強靭な胸板は、わたしの頭突き程度ではびくともしない。
「……俺ら、あいつのことは助けるつもりもねえよ。てめえのように勝手にバカデッケェ借り作られたわけでもねえし」
「知ってますよ」
「あいつがどうか助けてください銀時様って頭下げてきたら別だけど」
「絶対ないじゃないですか」
「絶対ないね。だからない話だな」
このひとはいつも正しい。
わたしはぐりぐりと額を寄せた。「マジで猫かよ」と悪態をつかれたけれど、避けられたりはしなかった。うなじのあたりをガシガシと縮れ毛ごと撫でられる。
「……髪揃える? やってやろうか」
「……相場、わからないのですけれど、何円ですか」
普段は自分で前髪を整えて、後ろ髪は梳きバサミを入れる程度だ。他人に背後を占領されるのって昔から好きじゃない。銀さんなら大丈夫……だろうけれど、そもそも髪を揃えるには、本来どの程度お支払いするべきなのかしら。
「おまえ今手持ちないの忘れてね」
たしかに……とわたしは思案する。
「……兄上にお借りしてでもいずれ必ず払います。何円ですか」
「え? マジ? なら五万な」
「……もしかしてぼられてます?」
「いや全然まるでまったく? なんなら普通前髪セットだけで十万とか払うからむしろこれって身内限定お友達価格だから。ワカル?」
「あやし……」
「これだからお嬢様は世間知らずなんですからァ」
「お嬢様という年齢でもないのですよね」
万事屋銀ちゃんから高杉晋助宛に五万円の領収書が切られた。全体的にさっぱりして、揃えられた髪先に「銀さんって本当に器用でいらっしゃいますよね」とわたしは感想を述べた。それはそれとしてやっぱりぼられている気がする。気のせいだろうか。本当に皆様毎度十万円支払っているのだろうか。
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「今出られる?」
「はい。……今井さん!? はい。出られます」
「よかった」
今井さんは頷いて(見慣れた見廻組の服装ではなく、白を基調とした和装である)わたしの姿を上から下まで見ると「……これ羽織って」すこし大きめの羽織をわたしに渡した。誰のものだろうとまじまじと見つつ、わたしは素直に羽織る。ちょうど入院着が隠れて多少それらしくなるサイズだ。……誰のものだろう? というか、誰の発案だろうか?
「鬼兵隊から連絡が来た。合流地点まで案内する」
「わかりました」
「この際だからあなたの兄弟子たちも連れて、鬼兵隊の現状確認と虚の説明をする」
「……ありがとうございます。……兄弟子たちは兄上を助けるとは、思えませんけれど。そうですね。巻き込んでしまった以上、鬼兵隊としても説明責任は果たすべきでしょう」
わたしは羽織の胸元を握った。
「……あなたたちの関係って、不可解ね」
「不可思議でもなく不可解ですか」
「ええ」
今井さんは刀をてのひらでなぞった。
「私が言えたことでもないけれど」
アキバでコントをしていた兄弟子たちは、今井さんを見て眉をひそめ、わたしを見て半眼になった。
「おいなに、けっきょく脱走してんじゃねえかこいつ」
「なんだかんだでやはり手元に置いていても最終的には飛び出すのだよな……わかっていたとはいえ儚い夢だった……」
「うちのコたちの前で謎のフェチズム発露匂わすのやめてね。教育に悪いから仕舞え」
「あ、志村さん。改めて以前は大変申し訳ございませんでした」
「今ァ!?」
「新八そのまま慰謝料ガメるネ。絞り取るアル」
「神楽ちゃんは煽るのやめよう!?」
「どのみち、いずれ市中引き回されねばなりませんから……」
「姉上の言葉真に受けなくていいんですよあのホント僕が居た堪れない。おかしいな、さっきまで僕珍しくボケに回ってたはずなんだけどな」
「メガネがツッコミを仕事放棄するなんてあっちゃあならねえのよ」
「黙れ年中仕事放棄」
一頻りツッコミを入れてフーッと息を吐いた志村さんが周囲を見回して「とりあえず移動しましょうよ」と言った。指名手配犯が雁首揃えているものだからヒソヒソ声が響き渡っている。
「そうね。ケータイ壊しただけじゃあ足りないわ」
今井さんも同意した。
足りないというか正直トドメだった気はする。後ろ暗いことがなければ、そのような暴挙に出るはずありせんものね。
「……あら佐々木さん。ご無事でなによりにございます」
「どうも」
佐々木さんも回復なさったのか、いつもとは異なる不格好なフレームの眼鏡越しに、いつもの半眼をわたしに向ける。今井さん同様、彼も見廻組の制服ではなく、白地の和装であった。部下とお揃いですね。
「羽織は程良いサイズだったようでなにより」
「やはり発案者はあなたですか」
「私でした。アナタも察していたのでしょうが」
佐々木さんは眼鏡のつるを指で押して位置を直す。
「……ちなみに押し売り恩にクーリングオフとかないんですか」
「黒縄島襲撃から八日も二十日もとっくのとうに過ぎました! クーリングオフにしても期限切れです。手を取り合って一緒に考えていきましょうね佐々木さん、我々一蓮托生ですよ♡」
「ヒソカみたいなスート語尾につけてヒソカとは別ベクトルでタチ悪い子に育っちゃったよ。エッチなお姉さん♡とかじゃねえ。カスの押し売り女」
「思っていたよりもしたたかに成長したものだよな」
「本当になんらかの選択を誤った気がする」
佐々木さんは首を横に振った。
「見廻組はどうした」
「戦地で近藤勲に救われた恩を返すと
今井さんが佐々木さんに目をやった。
「……マ、そこは追々、といったところです。本当に厄介なものを押し付けられましたからね」
佐々木さんはうなじを掻いた。わたしはニコ……と笑んで誤魔化した。いやはや、立っている者は親でも使えとはよく言ったものですが。
「ひとまず信女さんが任された件からになりましょう」
目配せをされた今井さんが一呼吸置く。
「佐々木異三郎の同志として、そして、松陽の弟子のひとりとして、この国を……
すなわち本日の本題その1・虚の件である。
銀さんの瞳が鋭く尖って、今井さんに一歩近づいた。我々にとっても師であり——銀さんにとってはそれこそ、育ての親にも等しいひとだ。かつて戦場を彷徨っていた子鬼はかのひとの手で人間に成ったのだと聞いている。
ドォン!
「動くな!」
銀さんの股下を弾丸が射抜いた。
「見廻組、アンタら私を裏切ったッスね。何故ここに白夜叉がいる」
以前武器工場の視察に出向いた際、S&Wのスコフィールドだと教えてくださった拳銃だ。回転式リボルバーが正確に銀さんを狙う。
……時間ぐらいはずらしているものと思っていたけれど。本当に〝まとめて〟済ませるつもりでいらっしゃったのか。
「まさか。裏切るならばこのようにストレートな方法は使いません」
佐々木さんが肩をすくめた。
「ね、ヒカリさん」
「また子さん」
わたしもまた小さく呼んだ。また子さんの視線がぶれて、わたしを見て、すこし目が見開かれた。
「……ヒカリ様?」
「ええ、その、ご心配をおかけしたかもしれませんけれど……」
「ッ、に、偽物用意しようったって」
ジャキと向けられた銃口はしょうじきあまり重要ではなく、わたしは彼女をじっと見た。隈の色が濃い。一歩踏み出すとまた子さんが足を引くような素振りをした。片足を庇うような仕草に見えた。怪我をしているのだ。まともに安静できる環境ではないのだろうか。……わたしはやはり、安穏と療養に浸っているべきではなかったのだと思う。
「眠れていないように見えます。睡眠はどれくらい取れているの? 足のお怪我は大丈夫ですか。……皆様は、ご無事な方はいらっしゃいますか。連絡はできていますか」
突きつけられていた銃口がぶれる。
あ、と思う間もなくまた子さんの目から涙があふれた。
「ヒカリ様……」
咄嗟に駆け寄って、脇腹から背中に腕を回すようにして抱きしめる。抱きしめてからこの距離ではさすがに撃たれても対処できないなと思ったけれど、撃たれることはなかった。また子さんはむしろわたしの肩口に額を押し付けて「ごめんなさい」としゃくり上げた。
なにを謝られることがあるだろう。わたしは抱きしめる腕に力をこめる。
「謝るべきだとすればわたしの方です。あんな状態だというのに、勝手に出ていって、一緒にいられなくて。なにもかもあなたがたに丸投げしてしまいました。今まで、さぞや大変だったでしょう」
また子さんの声はいよいよ言葉にならなくなった。わたしは彼女の背中をてのひらで擦った。
物陰から足音がして、視線を上げる。武市さんが笠を取るところだった。やはり彼もまた、いつもより疲弊した様子がうかがえる。
「……よくぞ、生きて戻られました」
彼は深々と頭を垂れた。いつもより乱れた頭髪、丁髷も少し曲がっている。わたしは晒された頭頂部を苦々しく見つめた。
「頭なぞ下げないでください。この場に〝妹御〟もなにもありませんでしょう?」
「ゆえにこそ」
「……強情でいらっしゃる。……武市さんも、よくご無事で」
「果たして現状、無事と呼べるかは怪しいものですな。あなたにあとを託されたものの、我々は……あれからも多くの同胞を失いました。所在を掴めてない者も数多い」
武市さんは頭の位置を戻して、視線だけで周囲を見回し、ふと息をついた。
「……ヒカリ殿と共にいらっしゃるのであれば、貴殿らは彼女を救ってくださったのでしょう。その点は鬼兵隊として感謝申し上げる」
「含みがある言い方だな」
「失敬。しかし我々が敵対し続けていたこともまた、紛うことなき事実です。見廻組、なんのつもりか今一度問いましょう。我々に、既に同胞の他に仲間がいない現実を突きつけるためだとすれば、些か悪趣味が過ぎる」
「だからこそここに連れてきた」
刀にかけていた手を今井さんは離した。
「味方はいなくても、ここには松陽の弟子たちがいる。頼めばなんでもやってくれる万事屋アキバ支店さんがいる。——教えて。もうひとりの松陽の弟子に何があったのか」
武市さんとまた子さんの説明を要約する。鬼兵隊と第七師団の同盟は、宇宙海賊春雨の拠点たる南天楼を奪取した。しかしこれは拠点ひとつを用いた大々的な罠でしかなく、南天楼ごと爆破された。敵方には春雨母体や華陀率いる〝義勇軍〟のほか、
避難艇でからくも脱出した武市さんとまた子さんが地球に逃げ込み、見廻組と連絡を取った。一方で意識不明の兄上や、兄上を助けんとした河上さん、第七師団の皆様の行方は、今を以て掴めていない、ということだ。
……宇宙空間での戦闘となると死んでいる可能性は高い。
「晋助様は生きてるっス。鬼兵隊はまだ終わってないっス」
また子さんが鼻をすする。病院から着の身着のままで来たからティッシュ持ってないな……と手を彷徨わせていると「ほら」「ありがとうございます」小太郎さんが渡してくださった。なんだっけ、たしか鉤縄とハンカチとティッシュとスマホ……。
……ん? ……このひと江戸城侵入時点で鉤縄を持っていたなら、そもそも着物を縒り合わせて紐を作る必要すらなく牢屋から脱出もできたのでは?
「……なんだ?」
「いえ」
結果的に問題なかったし、あのとき慌てている素振りはかわいかったから、いいか……。
「宇宙海賊春雨は天導衆とつながっている。惑星国家を揺るがすほどの巨大な力を持っている。奈落がそうであるように、春雨は、虚のもうひとつの翼なのよ。これをへし折れば……遥か高みから見下ろしていた
今井さんは改めて、虚——アルタナが生み出した、不老にして不死身の怪物について説明した。奈落から脱走した先代首領。市井で手習いを教えていた吉田松陽。処刑後の荼毘から蘇った虚。
「天導衆は虚の不老不死を自らも手にしようと、彼を捕らえ、その身体を徹底的に調べ上げようとした。だけど——次に虚が表舞台に姿を現したとき、彼は天導衆の一角となっていた」
淡々と己が部下が虚の来歴を語る中、皆同様に、佐々木さんは沈黙していた。顎に手が伸びて指がこする。
「……信女さん」
「何」
「天照院奈落がかつて朝廷管轄下の組織だったというのは、事実ですか?」
皆が怪訝な顔をした。今井さんが小首をかしげる。
「私は、そう聞いている。確認を取ったわけではないけれど……」
「その点、宮様が所蔵している資料に奈落に関する記述がありました。仔細は残っておりませんでしたが……最低限朝廷に関係あるまでは事実かと存じます。管轄下であったという部分も、おそらくは」
「なるほど。宮様とは高杉さんが懇意になさっていた御方でお間違いないですか」
「そうですね。ご存知でしたか」
「私が縁を取り付けましたからね」
あなただったんですか……。
「次。奈落は、年端もいかない子どもを構成員および暗殺者として調教していた覚えがあります。これは昔からでしょうか」
「……たぶんそう」
今井さんは視線を虚空に向けた。過去を思い返そうとするしぐさだ。
「私たちが受けた訓練も、幼子相手に調整されていたと思う……? それだけの知識と積み重ねがあったのでしょう。……それが?」
「訓練はいくつの頃から受けていましたか?」
「……私が自分の年齢を覚えてない。……松陽と出会うより数年前だったから、今から十数年は前かしら」
「なるほど。アナタの目算年齢を考えると、ちょうど数え七つぐらいからかもしれませんね」
「今その確認、必要? というか、本当に何の話?」
「少し」
天神殿は嘯いた。
「不老不死、朝廷、八咫烏、天照院奈落。なるほど。となれば当たるべきものがあるとして、しかしまァなんとも。事と次第によっては天導衆の接触は〝逆〟だったのかもしれません」
「……説明するおつもりがございませんね?」
「ないと思う」
「語るべき時というものがあります。このあたりもこちらで調べておきましょう。サビ残というやつですよ」
勝手にお一人で納得なさって請け負われた。
「はあ……」
わたしは曖昧に相槌を打つ。今井さんを見ても明らかに頭上に疑問符が浮いている。途方に暮れて銀さんや小太郎さんを見ると「イヤおまえがわからなかったら誰にもわからないが……?」と言わんばかりの目で見返された。
「三天の天神殿が任せろと仰るのです。お任せしましょう」
「武市さん今のわかったんですか」
「……。いえまったく?」
今の間って本当に〝いえまったく?〟に相応しい間でしたか?