【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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やたらと出張るオリキャラ・中田さん視点の盤外


盤外:夢物語の舞台裏
転生したら江戸時代だった件について


前略:

 キャンパスライフ満喫中にトラックに轢かれて転生したら江戸時代だった件について!

 トラ転ってマジなんだ。

 

   ➤

 

「えーーーふつう転生モノってなんかチョー最強で無双! 現代知識で無双! みたいな感じじゃねえのか? ヤバいって俺なんもないんだっててかなんか俺の知ってる江戸時代じゃねえあのデカビル何てかなんでジャンプあんの江戸時代におかしいだろすべてがなにもかもが」

「また変なこと言ってら。日が高いうちからぐうたらしてんじゃねえよ起きろ!」

「イッッッテ姉ちゃん蹴んなよ弟を労れや!」

 蹴られた脇腹を抑えておれは喚いた。確実に爪先が入ったからな!?

「穀潰し労る道理なんざないねーッオラ穀潰し扱いされたくなきゃ呼び込みでもしてこい」

 蔑んだ目の姉貴に【 本日の目玉 刺身五種盛り合わせ 一千円 】を渡されて、俺は渋々店先に立った。えー安いよ安いよ! 江戸港で捕れたばかりの新鮮な魚だよ! その江戸港も最近工業廃水で濁ってるけどな。昭和でやった四大公害とか一足飛びに来るんじゃなかろうかと俺はヒヤヒヤしている。

 ところでこれなんだっけ、ヒラメ?

「マナガツオな。シルエットしか似てないだろ」

「あっ三郎だ。どうよ魚ほら新鮮な魚。死んだ目の新鮮な魚だぜ」

「生け簀に入ってねえから死んでるだろーな。死んだ目をアピールポイントにしているオマエがどうかと思う」

「俺もどうかとは思ってる」

「魚屋の息子のくせに魚の区別がつかねえのだいぶヤバいよ」

「ホントにな」

 打てば響くには程遠く、柳に風ってこんなかんじ。俺のへらへらとした態度に溜息をついた三郎が「煮物にできる白身魚ほしい」ぱちんと財布を開けた。

「あーいよ。白身の魚ってなんだっけ」

「マナガツオでもいいけどマナガツオはなんか普通にデカいから別のがいい」

「ウス……あ、そっか白身魚の煮物ってなると三郎のおかーさんの好きなもんじゃん」

「他人の親の好物覚えてる暇あったら魚の名前を一致させろ」

「親父より口うるせェんだけどなにオマエなんなの」

「三郎」

「そういうこっちゃねーだろ。マいいや。おかーさん元気?」

「あんまよくねーわ」

 三郎は素っ気なく言った。三郎の母親はもとより病気がちで、最近はとみに調子が悪いらしい。いつ彼岸にわたってもおかしくはない。

 江戸時代のくせして明治維新というには技術革新がハイテク進度なので、ある程度の病気くらい治ってもいいようなモンを……と、思うのだが、あいにくと現状では庶民がきちんとした医者にかかるにはいろいろと難関があるのだった。そして俺は転生者のくせして医者の知識とかもないのでなんもできん。無力です。早く国民健康保険が来い!

「親父も引きずられて家の空気がシケてんだよな」

「てなると尚更、良いもん食ってほしいよな」

 ウンウンと頷いて、俺は本日のチラシ〜ウチが出してるやつ〜を開く。

「えーと白いやつ白いやつ……どうやったらわかんだろ、開けばいい?」

「商品に躊躇なく包丁入れようとすんな有り得ねえぞこの店番」

 ドン引きの三郎に止められたのでとりあえず刺身包丁は脇に置いた。魚の名前は覚えられないがこれでも魚屋の息子なので、魚を捌く手際はけっこう早い。神業をご覧に入れてやるのにな。

「なんで客の俺がコントロールしてんだよおかしいだろ……安いのなに?」

「ちょい待て値段確認するから」

「オマエマジで魚屋の息子としてヤバいって親父さんはコイツに店継がせんのか? マジで?」

「うるせーッうちは自由が家風で家訓なんだよ! アなんかこれ白身で安いって書いてある、鱚? らしい!」

「キス(口づけ)……? いや……俺オマエは無理……」

「シンプルに殺すぞ。テメエのようなバからくりオタクこっちから願い下げだ」

「誰がバからくりオタクだただのバカめ。オマエのねーちゃんならワンチャンあり」

「あの暴力女を……?」

 今朝も俺の腹を容赦なく蹴ッ飛ばしたあの暴力女を……?

 慄いた俺を三郎まで蔑んだ目で見て「オマエは蹴り飛ばされる心当たりあるだろ」と、言った。まァ。あるかどうかで言えばあるわな。めちゃくちゃあるわな。アロワナ。

「男は尻に敷かれてナンボみたいなところあンだろ」

「なんも理解できねえ」

「オマエはだから中田なんだよ」

「オイそれ言い出すと姉ちゃんもまとめて中田だからな。オマエを中田に婿入りさせてやろうか」

「イヤ俺平賀の方が気に入ってんだわ……」

「実際中田よか平賀の方が苗字ランキング的にカッコいいよな……」

 この点言い返せないのでしみじみと俺は頷いた。絶対珍しい苗字ランキングなら平賀の方が順位も上だろう。印象で物を言っています。

「オマエの生き別れのきょうだいとかいねえの? オマエから機械オタクと暴言抜いて大人っぽく凛とした感じで」

「いねえしいたとしてオマエには会わせねえ」

「たかし」

 鱚を三尾お買い上げいただいた。今旬だから安かったらしい。チラシの値段からさらに勝手に割引した俺を、姉貴は今朝よりも、なんなら今日の三郎より蔑んだ目で見て「オマエの小遣い天引き」「鬼ッッッ」「黙れ愚弟」本日も暴君に振る舞った。

 三郎のお袋さんはいくらも経たずに亡くなった。国民健康保険は間に合わなかったわけである。俺は知り合いであったなりに葬式には出た。ちんまい親父さんが珍しくゴーグルを外して弔辞を述べているのをぼんやりと眺める。

「姉貴ィ天麩羅の作り方おせーて」

 算盤と帳簿とにらめっこしていた姉貴はちらっと俺を見た。うちの場合、魚屋と漁業を兼業してるもんだから、両親が魚の仕入れや漁で不在がちだ。んなもんで姉貴は最近帳面読みも習得したらしい。江戸時代だってのにこんなにも気が強い女帝なせいで、着々と婚期が遅れている。最近噂で聞いたんだけどね、姉貴の見合い相手って怯えて帰ってくるんだって。なにしたの姉貴。

「……今? 今っつったらぶっ飛ばすけど」

「あとででいいです……」

 俺の声はちっちゃくなった。

 平べったい目で俺を眺めた姉貴が帳面をぱたんと閉じた。

「なんの天麩羅?」

「えー……なんか……白身の……アレだ、鱚?」

「……珍しく魚の名前覚えてる」

「珍しく扱いなんかよ」

「なに?」

「はい。姉貴様のおっしゃる通りでございます。俺にしてはたいへん珍しいと思います」

 お姉様の機嫌を損ねては俺はなにもできない。いっぱい平身低頭しておく。姉貴はさらに半眼で俺を眺めている。

「……材料費は全額テメエの小遣いから出しな」

「厳しッ」

「なんつった?」

「サーセンお姉ちゃん様々仰せのままに」

 謝ってんのにしばかれた。ぼ、暴力女がよ……。

 三郎に試食させると一頻りもぐもぐしたあと「……衣ベチャベチャしすぎじゃね?」「グッ」「中身もシナッシナなんだけど」「ヴヴヴ」「のわりに脂っぽいし」「うっうるせーッ自覚あるわ! 全部俺が食う!!」感想が軒並みクソネガティブなので俺は思わずいきり立った。味見したとき思った! 思ったもん! でも一番出来が良かったのコレだったんだよ! 姉貴が作った天麩羅はカラッとさっくりサクサクジューシーだったってのにいったいなにが違うんだろーね!?

「まあ食えねえほどじゃねえよ。処分してやる」

「失礼だよ! 失礼だろ!?」

「へーへー」

「オイ待てほんとに全部食おうとするな半分は俺の今日のメシ」

「は? ケチ」

「おかしいよ!?」

 

   ➤

 

「親父とお袋、今回遅ェね」

「どこで油売ってんだろな」

 俺のぼやきに姉貴は素っ気なく相槌を打った。姉貴がササッと魚(名前わかんない。なんか赤い)を開いて三枚や五枚の切り身にしてくれるので俺がパック詰めである。両親どっちもいないのでさっさか仕込みを行う必要がある。

 もとより遠洋に出る場合などは数日と帰ってこないのはよくあることである。よくあることなんだが、何日もかかる目処があるならたいていは発つ前に言うわけだ。連絡なしに何日も帰ってこないのはめずらしい。めずらしいのだけど、まあないわけではない。波の調子とかいろいろあるんでね。

「GPS欲しいよGPS。船につけよ」

「じ……何? いやいいわいつもの戯言ね」

「戯言扱いしやがって」

 俺が現代の話をすると姉貴はいつもこの反応だ。グチグチと反抗する俺を姉貴は心底呆れた目で一瞥した。

「アンタはもうちょいまともに喋ることを覚えろ。三郎くんを見習え」

「あいつ! あいつ姉貴の前じゃ猫被ってやがるから! 俺の前だと罵詈雑言しか飛んでこねえかんね!?」

「……そうだとしてそれホントに三郎くんが悪いの?」

「……弟の素行に信用がなさすぎるくない?」

 純真無垢みたいな疑問符やめてほしンだよな。

「信用されるようなことしてから言えよ。まず魚の名前を覚えろ」

「俺には……むずかし……」

「船の操作は即覚えたのにどうなってんのアンタは……」

「アレそもそもガキに操作させる親父がヤバくない?」

「七超えてりゃ労働員」

 見て。これ江戸時代の価値観な。船舶免許の年齢制限とか無関係なワケ。どうかと思うよ。

 ピンポーンとインターホンが鳴る。インターホンを無らしてる時点で確実に親父たちではない。姉貴がうんざりと溜息をつくと「出てこい愚弟」「ねえ姉貴知ってる? 愚弟って愚かな私の弟って意味なんだぜ」「はよいけ」「ミーン!!!」「セミ?」俺は血まみれ(※魚の血、人間じゃない)の手をさっさと洗うと、着物の裾で水気を拭きながら走り出した。

「着物で拭くなカス!」

「今カスっつった!?」

   ピンポーン

「はいはいはーい中田でーす魚屋ですご贔屓に、アー……」

 玄関の引き戸をガラと開けて、俺は口ごもった。見るからにザ・お役人の御方々を眺めてへらっと笑う。

 彼らのうちひとりは、直方体の箱を二つ重ねて抱えていた。むき出しの桐の箱だ。

「……何のご用事で?」

 親父とお袋が出先で死んだらしい。交通事故だとさ。彼らが抱えていた箱はつまり骨箱で、骨壺が入っていた。

 途中から出てきた姉貴が「……は?」「エッ冗談」「はい」「……はい」「……。はい」「……」と途中から相槌すら打たなくなっちまったので、ほとんどは俺が応対して骨壺も受け取った。

 彼らは終始事務的な口調で対応したのち、骨壺を渡して退散した。

 途中だった仕込み(姉貴はめちゃくちゃ手際がいいので、ほとんど終盤だったけど)を終わらせて、俺はそのまま魚屋に立った。あんまり声を張れなかったので今日の販売実績はイマイチである。

 鮮魚ってのは当然ナマモノで、ナマモノってこた足が早いので、売れなかったらどうしようもない。売れ残りどうしようかな、干物にできねえかな……と考えながら戻ると、姉貴が骨箱どころか骨壺開けていたのでギョッとした。どっちがっていうかどっちも開いてる。白い石でつくられた骨壺と風呂敷の上に並べられた骨が、なんだかあまりに生々しくて、俺は一歩後ずさった。

「……姉貴なにしてんの」

「喉仏があるか見たかった」

 姉貴は端的に言った。

「喉仏?」

「上手く焼け残ると浄土に行ける」

「……あー……?」

 なんかそういう話を聞いたようなそうでもないような。

 俺が生きていたのはだいたい平成、ジャンプでワンピを連載している頃である。最後に読んだのは中学生ぐらいで、なんとかミンゴと取っ組み合っていた気がする(ルフィがミンゴミンゴと呼ぶのでそっちにつられて名称を忘れた)。

 ともあれそんな平成で真面目に仏教信仰してる大学生なんざそうはいない。近しい身内が死んだことといえばガキの頃に曽祖父が死んだっきりで、坊さんのお経がやたら長くて半分飽きて足をぷらぷらさせて叱られた覚えがあるとか、豪快にトンカチで割るのを興味深く見ていた覚えはあるけれど、そのぐらいだ。

 まあ姉貴は(有り得ねえほどの暴力女だが)俺のように未来の知識はなく、純粋な江戸時代の人間である。仏教にはもうちょい馴染みがあるのかもしれない。江戸時代のわりにこの江戸なんかハイテクだけどな。姉貴は純粋な江戸時代の人間だが江戸そのものが純粋じゃねえ。

「なあ愚弟」

「なに」

「即死レベルの交通事故って、頭蓋骨に穴空くと思う?」

「……え?」

 姉貴が俺を振り返る。目元を乱雑にこすったみたいに、下瞼にカピカピのまつ毛が絡まって張り付いている。

「直径五分(一・五㎝)ってところか」

「なんの話」

「……アハハ。わかるでしょ」

 笑い声に、響きだけを似せた乾いた声が上がる。なんだか嫌な予感がしていた。五分(一・五㎝)の穴? 頭蓋骨に? ……親父もお袋も頭部の外科手術を受けたことはない。俺が知らないだけだとしてもそれはそれで、江戸時代平均の医療技術で穿頭術なんかやったらふつうは死ぬ。天人がやってきたのはまだ十数年前のことで、俺たちは江戸下町生まれで、高名なお医者様にかかれるほどのモンじゃない。だからそういう理由ではないはずだ。たとえば納骨のため、骨を割るときのトンカチの入れ方だとか。……だとしたらわざわざ穴とわかる形で残すのではなく、確実に骨を割るような気も——

 ——あ、駄目だこれ考えちゃなんねえ。

「姉ちゃんそれ今大事?」

 俺は思わず足を踏み出した。

 姉貴は小首をかしげた。

「オマエってけっこう変なこと言うでしょ」

「変なことて」

「ヘイセイだのテンセイだのケータイだのネットだの」

「悪かったな弟が頭おかしくてよ」

「まあ実際頭おかしく生まれちまったわけだしな。しゃあないしゃあない」

「しゃあない扱いするよな!?」

「ンでさあ、アンタ人を生き返らせる方法ってわかる?」

 俺は答えられなかった。

 俺でなくとも、平々凡々な平成時代の人間は知っているはずもないことだ。

「だろうね」

 姉貴は笑った。

 直感的に——駄目だと思った。

「なら大事だ」

 姉貴とは年が離れていたけれど、だからこそ両親ともども、姉と俺を置いて留守にするだとか、いたとしても早朝出発深夜帰宅なんてざらだった。両親とは肉親というよりはちょっと親密なお隣さんみたいな感覚だった。同じ家に住んでいる。顔を合わせれば挨拶はするし世間話もする。たまに夕飯を囲むときもある。でもどちらかというと顔を合わせない日の方が多いし、それはべつに慣れていた。

 姉貴は口が悪く態度も悪く足癖も悪く女傑で女帝で暴君で俺を顎で使ってパシってシバくヤバい女だけど、頭のおかしいことをほざく俺を呆れた目で見る程度で許容していた。常日頃から意味不明なことをほざく俺を叩き出すことはなかった。

「オマエは連れて行かないよ」

 姉貴はのたまった。

「弟は姉の年齢より先には死ねねえの。死んだら地獄で殺されなきゃいけないからね」

 一回死んでる俺でさえ聞いたこともないほど物騒な姉弟バージョン賽の河原石積。せめて石を積ませろ。ストレートに殺されんのはおかしいだろ。

「……人間を二度も殺せるわけないだろ」

「それが殺せるんだよ。姉だから」

 俺が意味不明ならこのひとも大概意味不明だったのである。俺が叩き出されなかったのそのせいってだけかもしれねえな。

 やがて瓦版の三面に、二(ふた)月も前の天人と幕府の小競り合いが載った。原因はもう心底どうでもよすぎて覚えていない。流れ弾で民間人が何人か死んだらしい。何人かの氏名も載った。親父とお袋の名前もあった。バッカじゃねーのと思う。

 姉貴はいなくなった。

 俺の手元には、三つ目の骨壺と、ついでのようになんか億単位の金が舞い込んできた。平均的な生涯収入を軽々と超える額であるほどだ。明らかに意図を感じる金額だったし、支払いの名義は空欄だった。億単位の金の端っこを使って俺が最初にしたことは真っ白な骨とのDNA鑑定だった。全血縁姉弟肯定だそうです。よかったよ別人の骨とかじゃなくて。なんもよくねえけどさ。

 それにしてもあの暴力女マジなにやったんだろーな。元凶凸って命捨てる覚悟で煽って自白録音でもさせた? やりそー。めっちゃやりそー。

「見てみて大金」

 通帳の金額(このヘンテコ江戸時代には銀行と通帳がある)を三郎に見せる。俺はヘラヘラ笑った。

「いる? おまえのトーチャン発明家で出費アホとか言ってたろ」

 三郎はまるで笑わなかった。俺をじっと見る。

「……なあそれ本気でいると思って聞いてんのか?」

 静かな声である。「……だってさー」俺はまだ笑った。だってもう笑うしかなかった。

「どうすればいいわけこんなん。俺ひとりで」

 単なる町民が持つ額じゃねえんだよ。魚屋続ける意味もないだろこんな大金。もともとこっちは魚の名前もろくに覚えられねえってのに。

「どうすればいいわけ」

「……まあひとつ言うとしたらな。笑うのやめたら?」

「笑えばいいと思うよってこんなとき言うんだよ」

「言わねえよ。聞いたこともねえよ」

 マジレスやめろやと言いたかったが舌が回らなかったのでやめた。そりゃ聞いたこともないだろうさ。江戸時代なんだもん。

 しゃがみ込んだ俺の隣で三郎は頬杖をついて遠くを見ていた。なにかを考えていたのかもしれない。なにを考えてたんだかな。

 

   ➤

 

「中田ァ、暇ァ?」

「クソほどヒマ〜。なにー?」

「攘夷活動やろ」

「オマエはまーじで何言ってんの?」

 

   ➤

 

 俺が知ってる攘夷ってのは尊皇攘夷ぐらいであるけれど、この江戸時代ではなんかそんな感じじゃないらしい。

 つまりこの江戸時代において、攘夷志士ってのは、海外から流入してくる外国人じゃなく、宇宙から入ってくる天人に対抗する地球人の集団である。へえボタン。そいつらはもう十年は前ならなんかいっぱい頑張って戦線を維持していたわけだが、幕府が天人側についたことから徐々に衰退していった。今じゃ各地で徒党を組んでゲリラ戦を仕掛ける程度なんだとか。へえボタン2。

「……何? 俺はなんで誘われてんの? でオマエはなんなの? 参戦すんの?」

「なんで誘われてるかはまァ俺の腐れマブダチだからだが」

「腐れいるか?」

「親父が馬鹿なこと考えてやがる」

 俺の疑問を無視して三郎は舌打ちした。

「からくりを役立てたいとか言ってやがったくせして、人殺しのからくり作りやがんのよ。各地の侍が窮地に陥ってるだのなんだの」

「ありゃー……」

「やかましいからンなバカなこと言ってんなら俺が行くっつって出てきた」

「出てきたあと」

 行動が早い! 早すぎない?

「行くぞ」

「オイオイオイ勢いが良すぎるよぉオマエったら思い立ったら即実行なの。まあ落ち着いて、一回家帰ってトーチャンともっぺん話しな」

「話すと決意が鈍る」

 俺は首をぐるぐると回した。

「……オヤジさんと話した程度で鈍る決意ならそれこそ勢いでしかねえだろ。やめとけ」

「いや。行く」

「コイツ……」

「元から決めてたんだよ。オマエだって、ばかばかしいと思わねえのか。思ってんだろ」

 ゴーグル越しの目が俺をにらんだ。

「思ってなかったら、いつまでも墓も作らねえで骨壺置いとくわけねえもんな」

 口を開いた。

 一回閉じる。

 もう一回開いた。

 なんにも言葉が出ないので困った。

「……埃は拭いてるよ」

「逆に不健全だっての」

「だ・よ・な・ァ……」

 苦し紛れの言い訳を即レスされて、茶化すこともできず、俺は苦笑い気味に溜息をつく。

 あれから三年も経った。億単位の金は物価が上がった今でも軽々と生涯平均収入を超えているので、俺は魚屋を閉めてダラダラと蓄えを食いつぶしている。魚の名前も覚えられねえ魚屋の店主がいてたまるかよ。

 四十九日とか初盆とかもまるでわからんままで、俺は全然信心深くはねえのだが、なにせ姉貴が喉仏の焼け残りなんぞをいちいち気にするやつだったことを考えると(ところで、そもそも喉仏って焼け残るもんなの? 骨にしちゃ軟こいじゃん?)そのせいでもしかしたら成仏なんぞはさせられてねえかもなと思ったり思わなかったり。ラジバンダリ。だってほらー? 死んだはずなのにうっかり生きてる俺みたいなのもいるわけだし? ね? 供養とか意味あんのかな? みたいな?

「オマエのねーちゃんはすごかった。何人も集まりゃもっとすごいことができるはずだ」

「ヴーン……」

「俺オマエとならなんだってやれる気がする」

 俺はうずくまった。

「ほぼ口説き文句じゃん!」

「面白」

「面白がるなよ! よく照れねえなマジで!」

「行こうよ。あいつらが見下している市井の地球人サマがどんなもんか見せてやろうぜ」

「ぐ、う、う……」

 江戸の人々は良くも悪くも今の生活に順応しつつあった。なんせ天人の九割九分が降りてくるターミナル、江戸にあるしな。その点、攘夷活動ってのは地方のが活発だ。特に西の方に勢いのある同志がいるというもんで、俺たちは武州の攘夷志士たちと行動を共にしつつ、そちらへの合流を目指したわけである。

「白夜叉坂田銀時、狂乱の貴公子桂小太郎、鬼の総督高杉晋助……」

「銀魂じゃねーか!!!」

「は?」

「すんませんなんつーかそういう発作です。コイツたまにあるんですよ持病なの」

 三郎が雑にフォローを入れてくれる横で、俺は心底びっくらこいていた。

 ああなるほど確かにあの作品は江戸時代SFが舞台だった。でも江戸時代SF作品ってけっこうある(有名どころじゃ手塚治虫だって描いてる)し、俺は銀魂の熱心なオタクってわけでもなかった(好きだったのは銀さん。主人公ってやっぱカッケーよね。あとお妙さん。顔がかわいい)し、なにより転生だけでも手いっぱいだってのにその上既存のフィクション作品に自分が入っているとか実際全然思いもよらない。

 でもそういや江戸時代SFまではいいとして、宇宙人を天人と呼ぶ作品ってあんまりなかった気がするし、たしかに銀さんは戦争に参加してたとかなんとかあったような気はする。

 ……いやでもそれだけで気づけってやっぱ無茶だろ! 俺の周りにいたのって姉貴と親と魚屋の常連とあと三郎ぐらいだぞ! 悲しいことに肉体的に同年代のガキにはヤバいヤツ扱いされて避けられていた。泣いてない。泣いてないったら泣いてない。嘘じゃないもん三郎いたもん。そして三郎がキャラクターなわけない。平賀はともかく三郎だよ三郎。ものそいモブの名前過ぎる。いたとして通行人Bぐらいのチョイ役だろ。

 ところで銀さんは言わずもがなだとして、桂ってあいつたしかビックリドッキリ電波キャラじゃなかった? なんだっけヅラじゃないカツラだ? その髪カツラなん? 高杉はアレだろたまーに出てきてはひっくり返す片目包帯ぐるぐる巻きのセカコワのキャラだ。今両目あるな。ならなんだったんだろうアレ。厨二キャラのため?

「親父の影響で機械いじりはめっぽう強いです。コンピュータまでならぎり作れます」

「作れます??? ああオタクがやるパーツカスタム的なアレか」

「CPUから作れます」

「コイツは何を言ってんだよ」

「人工知能はちょっと戦争には使いたくねえんで作んなくていいスかね」

「もしかしてその言い草、人工知能も作れる前提なの? 前線キャラじゃねえだろ後方でメガネクイッしてる技術キャラだろ」

「あと整備もできます」

「もっていうか普通そっちがメインじゃね。なんかすげェキャラ濃いの来たな……」

「魚屋の息子なんで魚が捌けます。応用で人も捌けます」

「コイツはこいつで魚屋への熱い風評被害が発生しそうな自己紹介」

 それにしても銀さんがよく喋んのアレって現実なんだ。

「あと漁業も手伝ってたんでバイクと車とトラック系の大型車と小さめの船が運転できます」

「そちらを先に言えそちらを」

 桂はまるでまとも枠みたいな顔をして苦言を呈した。電波キャラのでの字もない。俺の記憶ってもしかしたら間違ってた?

「高杉のところ、人が増えたわりに大型四輪を運転できる人間が足りなかっただろう。整備士も必要だ」

 高杉がじろっと俺を睨んで「……まあ足引っ張らなきゃ良いさ」と、言った。

 ちょい待って流れに身を任せてたけど俺たちセカコワの隊配属なん……? セカコワってかまずカオコワなんですけど……。俺、攘夷志士としてやっていけるのかな……。

「総督ってかっけーね!?」

 即堕ち2コマってたぶんこういうのだ。戦場で先陣切ってバッタバッタと敵を薙ぎ倒す有様はまさしく鬼、鬼の総督だ。セカコワとか言っててマジなめてました、すんませんした。やっぱそうやってちゃんとつくられたキャラクターって違ェんだよな。

 銀さんもなんつーか銀さんっていうか、白夜叉だった。キャンキャン騒いでいるときの振る舞いはいったいなんだったのか、戦場に至ってはちょっと近づくのも躊躇うレベルだ。こりゃ銀さんなんて馴れ馴れしくしてないで、敬意を表して白夜叉と呼ぶべきだろう。主人公ってスゲーッ!

 桂はまだよくわかんない。でもたぶん原作キャラだからめっちゃすごいんだろう。知らんけど。少なくともただの元大学生現魚屋の息子だったやつ:よりは断然絶対つよいはずだ。もう絶対そう。

「元気になったはいいとして……」

「なにー!?」

 戦場では声を張り上げないと聞こえない。ハンドルにかじりついて叫ぶ俺に「なんでもー!」三郎も声を張り上げた。ジープには刀だの銃だの手榴弾だの武器をしこたま積み込んでいるので、俺たちが死ぬだけならまだしも強奪されるとめちゃくちゃまずい。味方に補給できないのはもちろんとして、敵に塩どころか武器贈ったことになる。

「しッかし退路も塞がれたなー?」

「三郎なんかねえの便利道具!?」

「火炎放射器ならある! ただ試作だから扱い間違えると爆発する」

「車ん中で爆発は俺らみんなお陀仏なんよ! 囲んでる野郎共の中に味方いる? いねえなら俺轢いてった方がよくね?」

「完全に分断されてっからいな……ああ、ならもうコイツあっちで爆発させるか」

 バックミラーで確認すると、三郎は火炎放射器の円筒を肩に立てかけて、脇の頭陀袋を漁ると簡素なパチンコと適当な石礫を取り出していた。

「カウントするから突っ切れ」

「ラジャ!!!」

 三郎が火炎放射器をそのままぶん投げて、ついで間髪入れずに石をぶち当てる。明らかに有り得ない震え方をした金属の円筒はそのまま光り輝いた。ちゅどーん、どかーん、とまるで漫画みたいに敵のド真ん中で爆発が起こる。漫画の世界だと気づいてしまえばたしかになんでもありだろう。

 緑と紫の血飛沫の中をジープを走らせ肉片を蹴散らした。天人は地球人みたいな顔をしていないやつが多く、体内の構造も地球人と違う場合が少なくない。人間なんてひとりも殺していないみたいだった。

 遠くの方で戦っていた白夜叉は、アクション映画よろしく爆発炎上の只中をジープで突っ切って駆けつけた俺たちを指差し、腹をよじって大爆笑していた。ツボおかしくない?

「よくやった」

   総督 に 褒められた!

 前世を引きずっているのもあって、なんとなく酒は二十歳になってから、という認識があった。けれどここは江戸時代で、飲酒の法整備なんかあってないようなものだった。そもそも法律云々なんて言い出したら、天人融和・共存政策を取る幕府に俺たち真っ向から対立している。

「カンパーイ!!!」

 つまり誰も気にしないわけだね。

 初陣の勝利が酩酊に煽られて、気分は上々、久々に心から笑った。いえーい、姉貴見てるー? 俺の人生まあまあ充実してまーす。あー楽しい。サイコー。白夜叉も総督も鬼強ェ!(桂さんだけやっぱり今んとこわからん。でもたぶんつよい)このまま天人も幕府も諸共蹴散らそうぜ!

 

   ➤

 

「オロロロロ」

 総督と白夜叉の顔面に吐瀉物撒き散らす男を眺めて「あ、たしかに船酔いキャラだったような……?」俺は首をひねった。

 銀魂を最後に読んでたのってたしか悪のジジイを倒します! みたいな展開のときで(悪のジジイの名前すら忘れた。そもそも銀魂に限らず、長編漫画でいう悪のジジイってたいてい複数人いないか?)言うほど覚えてないのである。

 ただ坂本辰馬はさすがに覚えてる。歴史に詳しくない小ガキだって、坂本龍馬くらいは知っていたから——逆に木戸孝允とか高杉晋作についてはだいぶあとから知ったので、ガッコの歴史の授業が銀魂答え合わせの時間と化していた。あのへん洗い直してから読み直すと別の味がしたのかもなー。

 そして坂本辰馬だ。銀魂のキャラとしちゃあ、声のデカいサングラスのひと……今サングラスしてねえな。

「大丈夫かこの同盟」

 三郎はゴーグル越しにじとっと睨んでいる。

「今まで大丈夫だったことがありますか」

 穏やかに言ったのは黒子野さんだ。大丈夫だったことがあるかどうかでいうとないけれど、それにしても心穏やかな顔で言う台詞ではない。

「……ウワッてか黒子野さん!? いつからいたんすか!?」

「最初からです」

「おお……そうなんすか声掛けてくださいよ……」

「かけましたよ」

「エッすんません……」

 嘘だろ全然気づかなかった。さすが巷で噂の幻の男(☆ファントムマァン☆)もとい驚異の影の薄さ。名前もいかにも黒子だし(ていうかフルネームどう考えてもいかにも黒バスのパクリみたいな名前してるし)一周回って逆にキャラが濃いので絶対原作キャラだろと思っている。神のみぞ知る。他に転生者とかいねえのかなあ。俺に一から百まで教えてほしい。未来の知識って絶対当たる万馬券みたいなもんだろうから。

「土佐の坂本、坂本家に生まれた麒麟児、刀の才は無論のこと商談において右に出る者なしと評判です」

「黒子野さんマジでどっからそういう情報仕入れてくるんですか」

 黒子野さんは俺を見て(真正面から見ても、ごくありふれた印象のない朴訥とした顔をしている。たぶん目を離した瞬間細部を忘れてしまう)ニコッ! と笑った。

「味方以外に誰もいないと思って口が軽くなる人って、たくさんいますよね」

 このひとたまに怖いかもしれない。

「平賀さんみたいに」

 三郎が音立てそうな勢いで固まった。

 とりあえず心当たりはあるんだろうなコレ。なにかは知らねえけどなんかは。

「……わかりました黒子野さん。ちょっと交渉しましょう俺と」

「いやそんな味方の間は、ねえ?」

「いやいやそんなそんななんですかその注釈は」

「三郎なにしたんだよ〜食料盗み食いでもした?」

「即断即決で斬首されそうな濡れ衣をやめろ! 俺は無実だ」

「うんうん。盗み食いは無実ですね」

「黒子野さんマジそのあの何をお求めですか?」

「無実でそんな必死になることある?」

 三郎を揶揄って遊んでいると「そこの三馬鹿!」桂さんが鋭い声を出した。誰だ誰だと見遣れば彼は明確にこちらを見ている。……もしかして俺ら?

「世間話で盛り上がるほど暇ならゲロの片づけを手伝え!」

「三馬鹿扱いなの!?」

「だいたい鬼兵隊付近で賑わっている三馬鹿と認識している。というか本当に早くしてくれさもないと――」

「オボロベシャ」

「オウェッ」

「――貰いゲロがと言いたかったんだがまあ今しがた手遅れになったな。ここからここまで虹色のモザイクをかけます! 誰か布持ってないか。ゲーミングカラーに光るやつが望ましい」

「物理的にってこと?」

「モザイクって本来そういう意味じゃないんですよ桂さん」

「ゲーミングに光る布は俺も開発してないです」

「ちくしょうテメエもゲロれやヅラウェ」

「ひとりだけ涼しい顔しやがってウプ」

「桂だというかヅラウェ誰だうわくっさ近寄るな汚物どもめゴパァ」

 なんで巻き込んでいくスタイルなんだろう。

 鬼兵隊三馬鹿(そんなことなくない? そもそも黒子野さんって鬼兵隊だっけ? 普段は影が薄すぎて所属隊すらわからねえ……)ゲロを黙々と掃除する巻。他の人たちはちゃんと物資を運んで話をつけていますよ。一方俺たち罰ゲーム。なにかしたかな。同盟締結がかかった顔合わせの場でのんきに雑談してたせいかな。なんも言い返せねえな。

「すまんすまん、迷惑かけちゃったねや」

 自分でも顔を拭きながら坂本さんは豪快に笑った。若干まだ顔色が青褪めていて「いやそんな、お大事に」俺は言いながらそっと一歩距離をとった。さすがに顔面目掛けて吐かれたくはねえよ。

「酔い止め飲んできたに、全然効かんかったが。ニセモン掴まされたがやろか……せっかく迎え酒までしたのによ」

 酒飲んでなお効く酔い止めってこの世に存在するのか?

「ハーッ、はー……ひ、酷い目に遭った」

「男のゲロなんざ吐かれて何が楽しいんだ」

「女ならいいのかよ」

 八つ当たり気味に揚げ足を取った総督に、白夜叉はキリッとした顔で言った。

「プレイならギリ」

「……」

「久々に高杉の静かなドン引きを見たな……」

「ありえねえ……」

「声カッスカス。お坊ちゃまにはまだ早かったか〜」

「それが早くなくなンなら俺ァ一生お坊ちゃまでいい……」

「そんなに」

「お、ええのお。親睦を深めるっちゅうたら、やっぱ猥談にかぎるちや」

「もしかしなくても電波(バカ)増えたかコレ」

「ねえねえどんな子好き? わしはやっぱりー、気の強いおなご」

 一番の新参がウッキウキで耳打ちしている。さすが坂本辰馬だ。

 桂さんが腕組みをして「コソコソと猥談など武士の風上にも置けぬ!」と、言い放った。おっさすが桂さん。

「男は堂々と言うべきだ。寝取りが好きです」

 あっあれっ頭おかしー。

「……たまにコレをそのままヒカリの前に突き出したい衝動に駆られる」

「わかるけど言うてヅラだぜ? あいつの前でも堂々と言って〝そうなんですね〜〟ぐらいの相槌打たれるのがオチだろ」

「あの女半端に波風立たせねえようにしやがるからよ……」

「常日頃波風立たせ過ぎのテメエと足して2で割るべきじゃね」

「そっくりそのまま返すね」

「うるせえ誰の人生が波乱万丈だ」

「言ってねえよ」

「だいたい寝取りって前提に誰かのモンになってる必要があるだろ。そもそもにして誰のでもなかったろうちの末っ子はよ」

「……心当たりがある」

「嘘だろあるの」

「一時期あの甘えた、やァたら先生に懐いてた時期があったろ」

「待っっってオチ分かったやめろ続けんなそれ以上聞きたくない。やめて。やめよう。謎のままにしとこう。だってヒカリのやつ〝あのひとのようなお父さんほしかった〟つってたし」

「父性と憧憬を混同して昇華するのはありがちな話だろ」

「冷静に分析してんじゃねえ」

「そもそもてめえも薄々思ってたから聞いてんじゃねえか」

「にしても実兄確定情報は別に決まってんだろが。なにあの初恋キラーSHOYO、いよいよ松下村塾狩り尽くしてんの。ヅラの方はそれで燃えたんならいよいよ寝取りフェチの業が深すぎるだろ」

「まァだとすりゃ一度寝取られたのは桂の方だがな」

「続けんなっつったろシメるぞマジで。あとNTR(寝取り/寝取られ)とBSS(僕が先に好きになったのに)を混ぜるとややこいからやめろ」

「おいなんだヒソヒソと。ドキツイSM趣味程度で今更壊れる絆でもあるまいに」

 顔を寄せ合ってなにやらモソモソ話していた総督と白夜叉が、同時に桂さんをじとりと見た。

「絆なんざあるか俺らに」

「てかシンプルにおまえの悪口だから」

「なお悪い! コソコソ言うのは悪口じゃなく陰口だぞ!? 大きな声で言わないと許さないからな!!!」

「大声で言えば許される風潮は普通におかしいんじゃねえか」

「悪口言ってた側が言うな」

「それはそう」

「ほらほらおまんらも知らんぷりしちょらんで、一緒に話そうや」

 坂本さんは懐っこく俺たちに向かって手招きした。ところで俺たちはあなたが引き起こしたゲロ祭りを片付けていたんですが。

「そうですね。笑顔を絶やさない人には好感が持てます」

 黒子野さんは華麗にあしらった。

「胸がデカい」

 三郎はサクッと即答した。

 ……オマエ姉貴のことワンチャンありとか言ってたの、もしや……?

「俺はお淑やかな子が好きっすね~」

 ともあれ俺も適当に流しておく。三馬鹿で括られたわりには三人揃っていまいちノリが悪いもんだから「つまらんのう」坂本さんはまるでお気に召さないようだった。

「男にゃあもっと具体的なシチュエーションがあるがやないか?」

「まあ僕たちの回答ではつまらないかもしれませんが、ほら、そこになんだかんだでまだ答えていない高杉さんと銀時さんがいらっしゃるじゃあありませんか」

 今まさに、抜き足差し足忍び足で抜け出そうとしていたお二人に水が向けられる。「おお、たしかに!」「俺は実質もう答えてるくね!?」「てめえひとりだけ絡み酒モドキから逃げようと」ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる横で黒子野さんは拭き掃除の終わった布巾を丁寧に畳んでいた。

「桂さん、こちら片付けておきますね」

「おお助かる。黒野くんは気が利くな……」

「黒子野です」

「あいつらも黒子くんの爪を煎じて飲んでほしいものだ」

「黒子野です。僕の場合黒子はまずいので以後お間違えのないよう」

 桂さんとやり取りして、ぱちんとこちらにウィンクするので、俺と三郎も示し合わせて逃げ出した。

 黒子野さんマジリスペクトっす……もう顔わかんねえけど。あのひとそういう怪異なんかな。

 

   ➤

 

 どたどたどたと重たい足音。当たりをつけて振り返ると、案の定パクヤサが「焼きそばパン買ってきましたァ〜ッ!」白夜叉のもとに走り込んでいくところだった。

「……あいつもなかなか懲りねえな……」

 毎回毎回、そもそもいったいどこで焼きそばパンなんざ見つけてくるんだか……食糧のありかを特定して的確に入手する嗅覚は、前線よりも補給班に向いている。

「いいから中田ここ固定」

「うーす」

 三郎は三郎でまたぞろなにやら開発しているようで、俺はガチャガチャやるコイツの脇でネジだったりドライバーだったりを渡したり、文字通りに手を貸しているわけである。なんだか手術風景みたいだよな。

「精が出るのお」

 坂本さんが覗き込んだ。「アそこ火花散りますよ」「あっづァ!?」「遅かった」のたうち回っているけれど失明した様子ではない。顔に飛び散った程度っぽいな。ならいいか。どのみちこのひとがここで死ぬってこともないだろう。

「うー、いたた……ヴンッとにかく」

 仕切り直した。坂本さんはふたたび覗き込んできたけれど、今度は若干距離を取った。

「おまんら、ほとんどいつも何かしら作っちゅうよな」

「俺たちがっつうよりは三郎が、っすかね」

 だいたい「手貸せ」「あいよ」で俺がセットなもんだからセット認識されているのはまあ、間違っちゃない。

「コイツマジで手先が器用なんすよ。しかも頭が良い。俺よりね!」

「オマエが基準値はなんも伝わらねえだろ」

 常日頃俺に塩対応な親友は俺の言葉をやはり軽くあしらって「……親父が発明家なモンで、門前の小僧にしちゃ低俗ですがね」と、付け加えた。

「親父さんが? へえー、いやいや、この親にしてこの子」

「まァ……まだ親父には勝てませんよ」

 言いながら三郎は腕で額を拭った。タオルを雑に投げると見もせずにキャッチし、顔面を雑に拭き直して俺に投げ返してくる。頻繁に洗濯なんぞできないもので、比較的清潔なものを選んだはずなんだがまあまあ臭っていた。いっくらフィクション世界ったって風呂に入らなきゃ臭うし汚いのだ。せめてシャワーに入りてえよな……とぼやいていたら三郎のやつ「じゃあ作るか」となんと作り出したのが今である。浄水器、空気中の湿度を集めて濾過する機能付き。是非とも頑張ってほしい。頼む俺に風呂に入らせろ。

「親子喧嘩しに来てるわりには殊勝じゃねえか」

 いつの間にか背後に総督が忍び寄っていたので思わず跳び上がりかけた。「オワ」三郎がパッとゴーグルをずらして振り返り「おつかれさまっす……」挨拶を述べる。

「親父がすごいのと、それはそれとして親子喧嘩してんのは別の話ですよ」

「親父なんぞ反抗してなんぼだよ」

「家を出てったやつの言うことや、妙に納得できるちや」

「言ってろ」

 坂本さんの揶揄いに、総督は鼻を鳴らした。

「いやあまじで三郎はすごいっすからね。どんなもんだい」

「オマエはオマエでどの立場なんだよ」

「戦争終わったらなにすんの。おもちゃ屋?」

「中田オマエはマジで褒めたいのか馬鹿にしたいのかどっちだ? おい」

「すごいすごい、実際たいしたもんやき。高杉ほれ、おまんも見てみい。このフォルム、無駄がなかろう?」

「たいしたもんなのは知ってんだよ俺の部下だぞ」

「まーったく、おまんにゃ宝の持ち腐れじゃ」

「そうかそんなにぶん殴られてェか」

 青筋立てる総督にもまるで危機感を覚えていないらしく「いつかわしの船に乗ってほしいがぜよ」坂本さんはウンウンと頷いた。

「面白い旅になりそうじゃ! もちろんおまんもな、中田」

「エッ俺? 運転くらいしかできませんよ、あと魚の目利き」

「魚の名前はわかんねえのにな」

「お黙り正論マン」

 水差すんじゃないよ。

 睨んだ俺にわざとらしくとぼけた顔で首をひねって、三郎は口笛を吹いた。コイツ……こういうときばかり……。

「くらいっちゅうのも突き詰めりゃ長所がぜよ。二輪も四輪も船も運転できるやつ、なかなかおらんき」

「本気にして尻尾振んなよ。ただでさえまともに使える人手は貴重な上に、辰馬(コイツ)は誰彼構わず言ってやがる」

 平べったい目の総督は親指で坂本さんを示す。

「こないだは白い方の天パに粉掛けてた」

 黒い方の天パがつまり坂本さんである、と。

「人聞き悪いのぉ、浮気もん扱いせんでくれ。全員本命じゃちや」

「いやぁこれはたち悪ィっすよ」

「同意見ですね」

「え〜? 味方がおらん。鬼兵隊仲良えのお」

 けらけら笑った坂本さんが実際完成した浄水器を見て「……ほんまに今からでも商売にせん?」と尋ねたのがこの二日後のことである。

 

 そして彼が武士として致命傷を負い、戦線から離脱したのがこの三ヶ月後のことになる。

 

 ——隊の中でも噂話が流れている。いよいよ幕府側も攘夷戦争の鎮圧を試みている。宥和政策をとった以上は自国の反乱の兆しなどただ邪魔なだけでしかない。天人側も上層部の理解を得たならば、所詮はごく少数の叛乱軍など叩き潰してしまいたい。先の戦場はあまりにおそろしい強さの者共が大勢いた。かの桂浜の龍が戦線離脱を余儀なくされたのもそのせいだ。どうも敵は傭兵として、悪名高い宇宙海賊を雇い入れたらしい——

 悪事が千里を走るように、人間は一度悲観的になるとそのまま引きずられていく。坂を下るようにゴロゴロと。一方で気分を上げるには、息抜きの場所も最近はない。浄水器風呂さえ砲撃でぶっ壊れ、直すための物資も手に入らないので、俺たちはまたもや風呂にすら入れてない。現在進行形で全身がベタベタする事実から目を逸らしています。いまだに残った現代人の神経が己の状態から目を逸らしたがっている。絶対汚えぞ俺たち。

「……情報の回りは黒子野が制御してた面があったからな」

 総督がぼやいた。

「加えて立て続けに辰馬が抜けたのがかなり痛い」

「交渉術もさることながら、あの人ひとりいるかいないかでだいぶ空気違いましたしね……」

 三郎が唸る。ここまで来ると、俺や三郎のような途中参戦者ですら、結構な古株のポジションと化していた。

「……そういや当の黒子野さんそれこそ最近見かけませんけど、どうしたんすか」

 死んだとかいう話は聞いていない。いくら影が薄いからって、世話になった人の死まで覚えてないとなると、さすがに俺の頭がいよいよおかしい。過去編で死ぬタイプのキャラクターには見えなかった。露骨なパロディキャラを過去編で殺してたらもう俺は銀魂の作者の思考回路が怖いよ。

 俺の問いかけに総督は肩をすくめてみせた。

「足やったの隠してたみてェでな」

「おあーヤバいって」

「思ったよ。ちょうど黒子野(あいつ)の実家が近い位置で発覚したから、説き伏せて最後に大役やらせて帰らせた」

「ああ……」

 ……失わなくてすむというならその方がずっと良い。ご家族も安堵したことだろう。

 俺は目をつむって、妙な思考を追い払う。

「こういうの桂さんのが得意じゃないですか」

 提案したのは三郎だ。

「馬鹿言え、俺の隊の問題だぜ。どうか解決してくださいってあの電波に泣きつけってのか?」

 荒っぽく言った総督だったが、三郎がじっと目を逸らさずに見ているものだから、居心地が悪くなったのかもしれない。不意に視線を反らす。

「……ただでさえ辰馬が抜けたぶんの折衝の負担はほとんどあいつにかかってる。無駄に馬鹿真面目だからな」

 重たい雰囲気に、俺は少し尻の座りが悪くなった。若干身動ぎして姿勢を正すと、意識して明るい声を出す。

「大丈夫っすよ。なんだかんだで乗り越えてきたんだから、ま、どーにかなるっしょ。イッタ!」

 三郎がパシンと俺の背中をひっぱたいた。

「とりあえず、鬼兵隊内部は俺らでテコ入れてみます。口下手エンジニアとノンデリ似非魚屋でどうなるか知りませんがね」

「今オマエノンデリって言った?」

「ノンデリ似非魚屋」

「なんで二度繰り返したの」

 ダル絡みをしている俺たちに普段なら呆れたツッコミくらいは飛ぶのだが「……頼んだ」と総督は言った。立膝を引き上げるようにして立ち上がる。

 話している最中、総督はずっと立膝だった。すぐに立ち上がれるようにするためだ。なにか不測の事態があったときに即時に押取り刀で駆けつけるためだ。最近は相手方からの奇襲も多い。拠点の情報がどこからか漏れている。内通者がいるのだろう。

 ……俺たちが完全に信用されているとも思わない。ただ、古株なだけあって〝まだマシ〟というわけだ。消去法による選択。

「……そんなに気を張らなくてもな〜……」

 俺はぼやいた。

 三郎は平べったい目で俺を見た。

「気ぃ張るだろ。この戦況だぞ」

「つったってあの調子じゃ休めてねえだろ」

「……まあな。……桂さんも坂田さんもピリピリしてる。消耗して潰れかねないってのはその通りだろうさ」

「パーッと明るくなるようなことねえかな。祭りとか……」

「無茶言うな……」

 なにがどうしてそうなるのかは知らないが、少なくとも総督は特に死ぬこともなく、そう遠くない未来で厨二チックにセカコワを囁くキャラになるわけである。そもそもたしかに最近自軍はなんか驚くほどに劣勢なわけだが、なんせ主人公がいる。負けるわけがない。

 まあね? 俺だって馬鹿じゃないんだ、万が一を考えないわけじゃない。万が一負けたとしよう。

 でもそうなったらみんなまとめて賊軍で、中でも名を馳せた白夜叉だのは世界大戦で言う大戦犯ってことになる。当然、処刑されないわけがない。だというのになんならギャグ漫画の世界で元気に主人公張ってんなら、つまり攘夷志士が勝ったんだろうさ。見捨てて逃亡するような人間が友情・努力・勝利の天下のジャンプ長期連載マンガで、堂々主人公張れるわけがないんだし。

 総督はもちろんのこと、白夜叉もなんなら桂さんだって、言うほど名誉とか欲しがらねえ。勲章だとかは辞したんだろう。もしかしたら秘密裏に幕府に雇われてたのかもしれない。いわゆる遠山の金さんの文脈だ。銀さんってたぶんそこのパロでもあるだろ。

 だってのに最近みんな、空気が悪くて——まるで本当にこのまま負けてしまいそうな雰囲気まで醸している。

「負けるわけないのにな」

 相槌には間が空いた。

「……そうだといいよな」

「なに? 弱気じゃありませんか三郎さん。俺たちならなんでもできるんじゃなかったの」

 俺がグチグチと絡めば、三郎は誤魔化すようにあいまいに笑った。いやオマエが言い出したんだろ。いったいどうして俺がふざけてるかんじになってるんですかね。おかしいからな。言い出しっぺとして責任を取りなさいよ。

 

   ➤

 

「だめだこれ負ける」

 即堕ち2コマってこういうことを言うんだろう。俺は呆然と思った。

 攘夷志士軍全体を評するにあたって、厳然たる事実として、坂本さんが離脱したことが一番痛かった。あのひとはもちろんキャラクターなだけあってめちゃくちゃ強かったのだけど、なにより詐欺師と呼ばれる程度には口がうまく人たらしで、正しく商人だった。あの人が連れてきた縁は物資と——人である。それは支援者だけでなく、志願者も数多くいた。

 もとより攘夷志士がかろうじて有利を取れていた部分は、あまりに少数がゆえに、ゲリラ的な奇襲戦法がきれいにはまっていたからだ。

 人の数だけ食い扶持がかさむ。武器が必要になる。負傷者は端的に足手まといなだけでなく、不潔な傷口から疫病をもたらし進軍を遅らせ士気を下げる。兵站が伸びれば軍としても小回りが利かなくなり、後方支援の補給部隊が危険に晒されるリスクも高くなる。

 それでも坂本さんがいた頃はなんとかなっていた。損益計算と損失の補填こそが商人の分野だ。そもそも口説き落とした本人が統制できないなんてお話にもならない。

 だが抜けた。

 そして彼と共に去っていった志士もいたけれど——残った志士も多かった。かつてのようにはいかないと皆が気づいていながら、本質を知らなかった。かつてのようにはいかない。同盟の最中には戻れない。加えて、同盟を組む前にも戻れない。

 崩壊というほどの崩壊ではなく、突然ではなかった。兆候はずっとそこにあって、実のところ全員がそれを知っていた。その場しのぎを繰り返してどうにかやりくりするにも限界があった。赤字経営の自転車操業がだんだんと追っつかなくなっていく。

 今まで保っていた食料が尽きるペースが速くなった。ストレスは食欲を増進させることがある。支援が断られた。とうとう幕府に睨まれたらしい。転々と移動しているのに拠点への襲撃が幾度も発生した。確実に情報が漏れていて、疑心暗鬼は仲間内の連携まで壊していく。

「……あー」

 唐突な声にびっっっくりして跳び上がる。

 機敏に振り返ると、ぼやいたのは三郎だったみたいだ。ゴーグルの向こうの目が細められる。

「オマエが正気に返っちまうくらい、もうだめか」

 俺は上手く笑おうとして、頬を引き攣らせるだけに留まった。

「……んだよ、その言い方」

「心当たりあるだろ?」

 久々に静かな夜だった。なんとか見つけた廃寺に潜り込んで、皆が皆、泥のように眠っていた。俺はなんとなく這い出して屋根の上まで登っていた。星は見えない曇り空で——あまりにも静かだったから、不意に、我に返ってしまった。

「オマエってばあの人たちに会ってから、夢でも見てるみたいな顔してたよ」

 三郎が屋根の上に腰を下ろす。

「連れてきといてなんだけど、連れてくるの絶対間違えたと思ったくらいな」

「悪かったな……」

 だってここは銀魂の世界だ。あの人たちはキャラクターだ。獅子奮迅の活躍に俺はあれこそが英雄(ヒーロー)だと思ったのだ。

 フィクションの世界に転生したからって主人公(ヒーロー)みたいに活躍できるわけじゃあない。親は俺の知らないところで殺されて、姉貴は俺には手の届かないところで死んでいった。だったら物語という保証に縋った方が楽じゃないか、楽だったんだよ。あんなにカッコいい人たちが、フィクションのキャラクターだと知ってすんなり納得できたひとたちが——負けるのか?

 二十年近く俺につきまとう記憶がぐらぐらと揺れる。遠い先の未来で気まぐれにつまんだ漫画の内容なんてろくに覚えていないのは確かだ。でもいたはずだ。たしかに坂田銀時という男はメガネとチャイナ娘を連れてのんきに江戸の日常を謳歌していたはずだ。あれはなんだったんだ? 俺の幻覚か? そんなはずがない!

「辞めるか?」

 三郎は軽やかに言った。回り巡る思考を無理くりに打ち切って、三郎を見遣る。

「もともと俺が無理矢理頷かせたようなモンだ」

「……は、いいな」

 今度こそ笑おうとしたけれど、やっぱり失敗して、吐息じみた音にしかならなかった。

「いつ逃げる?」

「あー。いや、俺は残るよ」

 ……この記憶が幻覚なはずがない。

 同様に、三郎の言葉は幻聴でもなんでもなかった。

「このままじゃ負けるぞ」

「そうだろうな」

「負けたら——幕府が敗残兵を優しく捕虜にしてくれるとでも思ってんのか?」

「思わねえよ。どのみち幕府にとっちゃ、犯罪者だし」

 三郎は首を横に振る。

「オマエのことは俺がほとんど無理に連れてきた。でも俺が逃げるのは、なしだ。親子喧嘩っつって出てきちまった」

「い……今更」

 舌が少しもつれた自覚があった。

「今更じゃん! オマエの父ちゃん、そんなん気にするかよ」

「気にしねえだろうなあ。親父のやつなんだかんだ、息子にゃ甘いんだ。俺にも手塩にかけて作ったロボにも」

 親父さんとお揃いのゴーグルは戦地を駆け抜ける中で、若干ひび割れていた。ちょいとずらして、その顔が天を仰いだ。夜空に星はない。うっすらと曇りがかった雲が全体的に、かすかにかがやいていて、月が背後に隠れていることを知る。

「それで帰ってきた俺をしばいてよく戻ってきたってそれきりだ。親子喧嘩だってのにな。それじゃ帰れねえ」

「そうやって意地張って死んだら元も子もねえだろ……」

 死んだ記憶を持っているくせに俺はそのように言う。かつて俺は一度死んだ。いつものように二限がダルいなと思いながら向かっていた矢先だった。俺はあっけなくトラックに撥ねられた。たぶんトラック側が信号無視だったと思う。戦場ではなく、ただの日常の延長でしかなかった。

「……なんだよその顔」

 どんな顔をしていただろうか。

 三郎はふいっと顔を背けると、俺の背中を一度平手で強く叩いた。

「親父をよろしく」

 あっけらかんとした声だった。これ以上話すことはないと言わんばかりだった。

 姉貴を思い出す。莫迦だアホだと罵られながらしばき倒された日々。打ち切って線引きをされたあの日。背中を見送ることもできずに俺は家に閉じこもった。一緒に行くとは言えなかった。一緒に死ぬ覚悟なんて決められなかった。

 俺は覚えている。覚えているのだ。俺は一度死んだその日をいまだに、鮮明に、知っている。

 車輪に押しつぶされたあばら骨。

 頭蓋が砕ける音。

 潰れた指がアスファルトに張り付いた。

 のたうち回ることすらできない激痛を覚えている。

 

 ……死が、眠るように訪れるなんざ、到底嘘だとしっていた。

 

 ほらでもやっぱり俺ごときが負けると思っただけでもしかしたら主人公たちには驚天動地の解決策とかあるかもしれないじゃん? その可能性の方が高いだろやっぱり俺如きの状況分析よりも正しいことってあるはずで。

 虚実の識別が上手くできなくなった頭は正気に返ってもつらつらと、同じところを繰り返し彷徨った。

 けっきょく俺が逃げ出す逃げ出さない以前に再度の夜襲で拠点が壊滅して、鬼兵隊は散り散りになった。俺は顔がまるで割れていなかったから、かろうじて通報は避けられたものの、行く先々で〝いかにもなにかあった〟という風体は不審な目で見られた。こういうとき物語の主人公なら、たとえば人の好い老夫婦にでも拾われるんだろう。俺はそのような幸運はなかった。俺でなくとも宿無しの浮浪者なんざどこにでもいて、たいていは犯罪者予備軍扱いである。

 かろうじて持っていた路銀は江戸に辿り着く前に底を尽き、ほとんど這うように辿り着いた。実家が残っているのかもわからないのに江戸には戻ってきたわけだ。

 ヒソヒソと話し声が聞こえる。犯罪者。晒し首。攘夷の——断片的に聞こえてきた言葉だけで、ただ、俺は足を向けた。もう腹も空いて喉も渇いて泥まみれの体を引きずるような有様だった。そのような有様だったのに足早に歩く力はのこっていたみたいだった。

 ……今更早足に進む力があるなら、その体力で道中をもうちょっと速く踏破できていたら、変わることも、あったんじゃないか?

 俺はようやく江戸に到着した。一方で、幼馴染は俺よりも一足も二足も早く、江戸には辿り着いていたらしい。その首、は、死の苦悶に満ちていて、

 あー。

 あー、

 もうむり。

 まじでむり。

 人混みを掻き分けて踵を返す。肩が当たった相手は見覚えのある中年だったかもしれない。三郎と同じゴーグルを着けて呆然と河原を眺めていたような気が。する。

 あー、あー! やめようやめよう! なしなしなし! 今のナシ!

 三郎だってたぶん姉貴だって死んだあとはホラどっかたとえばそれこそ現代日本とかに転生して「あいつが言ってたことこれかー」って思うだろそうだろそうだよそうでしょそうに決まってる!

「あ、あ、あ……」

 江戸の街並みを闇雲に逃げ惑い、そんなことをしていたから迷走神経反射でも引き起こしたのか。路地にうずくまって、吐き戻した胃液は紛うことなく緑色だった。これなんだっけ、ヤバいんだっけそれとも寝てれば治るんだっけ。ヤバいやつだと困るな、この姿じゃ明らかになにかありました感が過ぎる、病院とかかったら通報されそうでかかれねえ——とまで思って、俺は己の思考回路に引き笑いが漏れた。

 うわ、面白、ウケる。この期に及んで病院かかる気なのかよ。生きる気満々じゃん。笑えるよな。

 どいつもこいつも死んだのに?

「……畜生」

 ぼたぼたと垂れるこれを汗として定義する。さんさんに晴れてカラッとしていた。つまり気温が高くてもおかしくはなかった。雲の気配もなんにもないから雨のせいにはできなかった。

「ちくしょう……」

 転生したら江戸時代だったけど本当に平凡過ぎたせいでマジでなんにもできなかった件について!

 笑えよバーカ。

 

 ……実家は残っていた。溜まった二年分の郵便が乱雑に重ねられて、机の上に置かれている。掃除もされていたようだけど、四角い部屋を丸く掃くようなもので、つまりなんかわりと細部が雑だった。

 【 帰ってきたら顔出せ 】

 机の上の書き置きはそのように記してあった。せっかちな性格が字に出ていて、止めが払いみたいになっている。三郎のトーチャンの字だ。しばらくそれを眺めて、裏返して伏せた。

 骨壺も三つ揃って並んでいた。俺が知らない香炉がその隣に置かれている。灰の中に今にも埋もれそうなほど短い線香から、青い煙が、まだ細く出ていた。

 

   ➤

 

 使い切れねえと腐した金額は攘夷戦争で呆気なくパァになった。人間の生涯収入を軽々と超える金額は、軍事費としては一瞬で消える額だった。

 生きてりゃ喉が渇く。腹が空く。まともな労働ってのを久々にした。コンビニバイトなんて前世ぶりだ。魚屋をやれる気はしなかった。魚の名前は覚えられない。アレルギー体質でもなし、マグロとサバの区別がつけばとりあえず生きていける。

 ——時代は開国の流れだというのに、未だに過激派攘夷浪士が活動している、らしい。

 戦争は終わった。終わったはずである。少なくとも世間様としてはそういう扱いになっている。河原に並べられた首の色を覚えている。腐り果てゆく臭いを覚えている。

 高杉晋助の指名手配ポスターを見かけた。……生きていた、みたいだ。片目を包帯で覆った顔はまぎれもなく総督の面影を残していて、ついでに、おれがよく知っているセカコワキャラクターの面影をも彷彿とさせた。

 鬼兵隊にも面接があるらしい。マジでバイトかよ。

「指名手配ポスターの総督がめっちゃカッケかったんで応募しに来ました!」

「落とそう」

 面接官だという男(内山)がおれの志望動機を聞いて即答した。待て待て待てまだなにもアピールポイントを話せていない。

「魚屋の息子なんで魚が捌けます。応用で人も捌けます」

「人斬りは間に合ってます」

「あと漁業も手伝ってたんでバイクと車とトラック系の大型車と小さめの船とヘリが運転できます」

「魚屋にヘリ関係なくね?」

「い、いろいろあって……」

 具体的には攘夷戦争中に総督からド無茶振りをかまされる機会があって……。

「僕は良いと思うけど? カッコいいってのはシンプルな動機だ。総督よりカッコいい人間なんてこの世にいないしな」

「海原先生はナチュラル狂信者過ぎるのでちょっと黙ってもらっていいですか?」

「ハ?」

 目元に隈飼った優男から有り得ないほどドスの利いた声が出た。「じじつだろ……」面接官の内山が明らかに及び腰になった。こっちの方がえらいのかシンプルに怖いのかどっちだ。

「そ、そもそも! 前歴にコンビニバイトってなにこれ」

「実際コンビニバイトしてたんで……」

 職歴になりそうなのがそれくらいしかない。

「その前は?」

「エッうーん。シークレットってことじゃ駄目っすかね」

「なめてるだろ。ナシナシ。お帰りください。一次面接で解散枠だ」

 面接官の内山はシッシッと手で払う。海原と呼ばれた方——ちなみに特に名乗られていない——はおれが提出した履歴書(攘夷志士の履歴書ってなに?)を眺めて首をひねった。

「でも内山くん、表立った犯歴なくて、大型四輪運転できる人員は実際助かるよ。物資の運搬はやっぱり組織内でやりたいよな」

「それ以前の問題でしょ! バイトの面接のノリで来てますよコイツ、まるで信用できないね」

 やっぱ駄目かーとおれは内心、ぼやいた。そもそもが駄目で元々である。攘夷なんて大層な思想を掲げていたことは一度だってない。流されるままに生きて流れるままに生き延びてしまった。コンビニバイトだって食うに困って流されたようなモンだった。今世ではほとんど初めて、能動的に行なった選択だ。駄目でしたがね。これからどうしよっかな——

「マ、たしかに鬼兵隊隊員は職歴に書けるようなモンじゃねえだろうな」

 瞬時に背筋を正すのはもはや条件反射だ。

 おれの背後を見て目を見開いた内山さんが、おれに視線を戻し、溜息をついた。

「採用決まってんなら最初っから言ってくださいよ」

「別にそういう話でもねえが。……自軍の最後もろくにケツ持てなかった頭領には顔すら見せられねえか」

 ……自分を悪役に仕立てる物言いに拍車がかかっている。

 おれはパイプ椅子から立ち上がり、総督を振り返った。

 おれより少し背の低いそのひとはそれでも補って余りある威圧感を持ち合わせている。手配書通りに片目は包帯に覆われていた。戦争時代より顎が鋭くなったかもしれない。

 ……なんか今の方が貫禄あるな。このひとのことセカコワとか言ってたの、マジでどうかしてたんじゃねえかおれ。

「死に損ないました」

「見りゃわかる」

「夢も覚めちまいました」

「だろうな」

「雑用からでもなんでも、ちゃんとやるんで、もっかい入れていただけませんかね」

 深々と頭を下げる。

 総督は鼻を鳴らした。

「面接受かったらな」

「スンマセンこの面接マジなんすか? ていうかマジなんなんすか? 鬼兵隊ってリクルート経由で採用受けてたりするタイプの企業?」

「言葉には気をつけろよ三馬鹿残りの一匹」

「うーす真面目にやりまーす」

 で、総督は特に面接の続きを見ることなく、さっさと出ていった。お忙しンですかね。

 最敬礼していた頭を上げて、面接官の御二人に向き直る。内山さんはぎゅっと眉をひそめていて、海原(たぶん)が指を振った。

「一次通過〜。二次面接の日程は追って連絡ね」

「二次面接あるんだ」

「最終まであるから落ちねえように気をつけて〜」

「最終面接まであるんだ」

 この組織、おれが知らない間になんだかずいぶん変わったな……。

 無事に面接を通過して(倍率とかあったんだろうか)おれは晴れて、鬼兵隊に再雇用である。いいか諸君、イマドキ免許って大事だぞ。特殊免許あるとそれだけでも重用されるからな。万斉様の下に配属されて——あ、このひと知ってる。たしか新撰組モドキとやり合ってた——あちらへ武器を運んでこちらへ麻薬を受け渡しそちらへ密航犯罪者をお届けして、ウンところでこれめっちゃ直球に犯罪じゃない? おれは闇バイトに応募したのか?

 ま、エエか……。

「コイツは妹」

「ヒカリと申します」

「これから艦に居着く」

「猫の子扱いやめてくださいね」

 ま、エエか……で済ませづれえ案件出てきたな。

 小柄で細身の女の子だ。さすがに来島様より年上だろうけど(来島様は口調が特徴的なので一発で原作キャラだとわかった。どこで出てきたか覚えてねえけどパンツの話してたのは覚えてる。四捨五入十歳年の離れた女の子に向かってあまりにヤバすぎる印象なので、永遠に封印しなければならない)たぶん姉貴の享年より若い。面持ちはなるほど総督に似ていて、ところで高杉晋助に妹とかいたっけ? がまず最初のおれの感想である。

 まあおれの銀魂の記憶ってのは途中で止まっている上に紙魚に食い尽くされたようなモンなので、覚えていなくてもおかしくは……。

「こちらは笹木のお遣いの御方。こちらは腰が抜けた武市さんでございます」

「かたじけない……」

「次は荷台でも持たせるか?」

 ……おかしくは……。

「医療は専門にした覚えがないのですけれどね……」

「実際猫の手も借りたい状況なんだよ。人が増えて負傷者が増えて人手は増えないブラック労働一蓮托生だな僕たち」

「あ、なんだかとっても嫌な予感です。忙殺されますか」

「一緒に生贄になろうか!」

「わあい……」

 おかしくはない気がしたけどなんかそういう問題じゃねえ気がするな……。

 高杉晋助の生き別れの妹。良いとこ出身の委員長キャラみたいな丁寧な話し方をする。医療班に回される程度には賢くて、小柄で細身だってのにめっぽうつよい。

 うーん?

 なんか設定盛りすぎじゃね?

「総督の妹君、絶対誰にも背中向けねえって」

「そんなことある?」

 日々過ごしていたらばだいぶ無茶な話をしている。廊下ですれ違うくらいは誰だってあるんだぞ。物理的に無理だろ。

 呆れた顔をするおれに、年齢的には一個上の後輩(名前忘れた。おれが初代鬼兵隊にいたのをどっからか聞きつけたらしく、めっちゃ親しげに話してくる)は得意げに指を立てた。

「皆思ったから、今背中取れるかチャレンジ流行ってる。中田っちも参加します?」

 中田っち何?

「……やめとけば?」

「自信ないんですか〜?」

「じつはおれってばただの運転手なんですよねー」

 そりゃ戦争行ってたのもあって人ぐらい斬れるし多少気配を消して動くくらいはできるようになった——マジで自慢できるようなレベルですらない、これすらできないやつは死んだだけ——が、べつに嫌がらせするために磨いた技でもない。

 他愛もない世間話をどうやら立ち聞きしていたらしい海原先生は、ニタニタ笑いながら「英断だよ」おれの肩を叩いた。なんなんだ……と思いながらもくだらねえチャレンジを傍目に眺めていたらば、チャレンジ勢の方を真っ直ぐ見ながら総督が無言で鯉口を切ったので全員勝手に解散するとこまで目撃する羽目になった。おれは徹頭徹尾部外者で被害者である。なーにこの茶番。

「総督がピリピリしてんの、見ててわかんねえかな〜」

「……ああまで直球に脅迫なさるとは思いませんしたけど」

「アハハそりゃたしかに。あのひとにしちゃ過保護だな、鬼の総督も人間ってね」

 追加・妹君のことになると過保護な総督。

 ……だから設定盛りすぎじゃね?

 さすがにこんなキャラいたらそれなりに早めに出てくるだろ。いくらおれだって覚えてるだろ。てかなんだコイツ。キャラクターと呼ぶにはなんというか、やっぱり設定過剰だ。卒がなさすぎて若干キモいが総督ほどのカリスマもない。チグハグな印象だった。それでいてうっすらとした既視感があった。

 頼りない記憶をぼんやりと辿って……ゲェ、とおれはこっそり顔をしかめた。中学時代、そもそもおれが銀魂を読まなくなった理由と同根だ。

 と、いうのも、ちょうどその当時、同級生のおたくな女子たちがジャンプ連載マンガについてやたら熱心に語っていたのである。なんか穿ち過ぎた見方の考察?(それつまり幻覚混じりの感想って言わね?)とか、キャラ同士の有り得ない絡みだとか、おれは当時思春期でもあったので、とかく声高に訳知り顔に語るそういう奴らと同じ括りに入れられるのが嫌でジャンプごと読まなくなったのだ。……ついでに進撃の巨人がグロくてオモロいってことでマガジンも流行ってたし。

 で、そういうモンの中に、勝手に作ったキャラクターを原作にポンと入れるタイプの妄想もあった。あー。ねー。既視感コレだわ。いやべつに悪いってんじゃねえけどさあ、あの頃の〝空気読めや教室だぞ……〟というなんともいえない気まずさと、無性な嫌悪感と混じってなんだか途端にゾワゾワしてくる。

「……紅桜? てなんすか」

「人工知能使って勝手に学習する兵器だとさ。対戦艦絡繰機動兵器……?」

「なんかけったいな字面っぽそーですね」

 あのとき面接官だった内山相手には、二代目鬼兵隊歴的にはおれが後輩、初代鬼兵隊歴を換算するならおれが先輩、まあそんなこんなで敬称ははずしてなめくさった敬語を使っている。

「エンジニア班はまるっとそっちにアサイン。大規模計画だ。人手が足りなくなるかもな」

「ふーん。統括は武市様すか」

「ああいや」

 フェミニストを名乗るロリコンはさすがに色濃く記憶にある。人工知能っていかにも頭を使うならそっちかな、とぼんやり思ったおれに、内山は首を横に振った。

「ヒカリ様だと」

 おれは一拍おいて「へえ」と小さく言った。内山とはそれから当たり障りないやり取りだけして分かれた。配置が違うので。おれ今日も今日とて運び屋なんだよな。いつでもデリバリー鬼兵隊。人でも物でも金でもヤクでもなんでも運びますよっと。

 ひとりで艦の通路を歩きながら、先の会話を思い返す。人工知能を使った対戦艦級の兵器ねえ。フーン。へー。そーお。まあ。それが総督のお考えならおれは口を挟むこっちゃねえんですけども。

 おれはAIとかロボとかぶっちゃけ興味ねえけど、三郎がいたら目ェ輝かせて食いついたかもしれない。なんなら得意分野だったから、総督も任せてくれたかもしれねえ。いないんですけどね。ウン全然いないんですけども。死んじゃったから。

 さておきいない三郎よりいる妹君である。ポッと出でそんな重役につかされて、なんなら様付けってか。おれも目立ちたくねえから右に倣うけどね。良いご身分ですよホントに。まあ実際総督の妹ってんなら下手な役職にも置けねえだろうし、かといって参戦してたわけでもねえんだからろくな実績もないし、総督も手に余らせてたのかも。身内びいきなんて若干幻滅だがそりゃ総督だって人間なわけだしな。キャラクターってだけじゃなくてね。カンペキってわけじゃあなかったんだ。ウンウン。はーあ。

「……はーあ……」

 年下の女の子にこんな嫌味なこと思ってるとか、たとえば姉貴にバレたら、僻んでんじゃねえよとかシバかれたんだろうな。もう目に見えるくらいだ。姉貴も死んでるから平手も拳も蹴りも飛んでこねえけどな。あっはっは。

 ……マジで八つ当たりなのはわかってんだけど、おれいよいよ〝ヒカリ様〟嫌いかもなコレ。

 ぶっちゃけ若い奴が首突っ込むなよくらいは、おれがいつも常に思っていることである。なにせ無鉄砲に突っ込んだおれは大火傷をかます羽目になった。……比喩です、比喩。

 総督はかつて親父さんに反発して家を出た、と聞いたことがある。だったら戦争にも参加してなかったお嬢様は、ぬくぬくとおうちにいらっしゃったんですかね。

 ……どうも! ひねた見方ばかりするカスです!!!

 自覚はあるんだよ。自棄だよ。

「ヒカリ様って実際どうなんですか?」

「どうって何が」

「いや……なんだろ」

 怪訝げに見上げてくる海原先生におれは頭を掻いた。へら、と笑ってみせる。

「だってだいぶ新参だってのに、早々に幹部で、医療班のテコ入れもやらされて、なんなら新プロジェクトの総責任者でしょ。総督も鬼だなーと」

 紅桜計画の進捗はだいぶ悪いらしい。相応の腕を持つエンジニアも犠牲になってくれる強者も、いたら苦労しないのだ。文武両道、誰かの妄想の具現化みたいに完璧な〝ヒカリ様〟とてそう上手くはいかず、なかなかてこずっているらしい。まあそうですよね! そんなもんだよな現実って! おれにはわかりますよ。

 おれを眺めた海原先生は、ボールペンを回して顎に当てた。不意に目を細める。

「中田はさー」

「……なんすか」

「ずるい聞き方するな? まァるで気遣ってるみたいに聞こえたよ」

 反射的に足を引いた。

 彼はおれの反応にむしろニヤッと笑みを深めた。

「マわかるよ? 君も大概に拗らせてる。得体のしれねえ不審者が居座ってんのは、古参からすりゃ、見ていて気持ちが良くないもんな?」

「不審者なんて、いや、その……そこまでは」

「思ってないならなに。今僕に発言責任持たせようとしただろ」

「責任ってそんな」

「負担だろうとでも言ったら身不相応な重荷扱いか? 褒めたらば総督☆命の僕が血筋贔屓でおべっか使ってるってか? 貶したらば錦の旗か? いやあ悪いこと考えつくな」

 ニッコニコとペラペラ述べた海原先生は、いつの間にやら逆手で握ったメスの切っ先をおれの喉に向けた。

 目がまるで笑っていない。

「実質的な最古参、総督に身を捧げた的な意味で言えばちょい先輩、ってことで免じてあげるけど。次はその喉えぐるからな」

 ……なんでこのひと、この物騒さで医療班の実質トップやってんだ……?

 くるっとメスを仕舞って、白衣の悪魔は机の天板に頬杖をつく。ふたたびボールペンでペン回しを始めるおとこを横目に、おれはそっと己の喉を撫でさすった。まだ切開されてない。はずだ。

「マ、君はマシだよ、かなりマシ。あの子うまーく立ち回ってるから表面化してないけど、意外と敵が多い。馬鹿な雑魚は直接的に足を引っ張ろうとする。黙ってる奴らも過激派はなー。うっかり集団任務に当ててみな、まァ何が起きるかわからんね。仲間割れで済めばいい方だ。だから総督も、紅桜計画以外じゃろくに部下も持たせてないし、単独の潜入任務ばっかりだし、僕のところに寄越したのもそういうわけだろ。なにせ救命の世界で足引っ張り合うカスはまず僕が殺す」

「いや殺さんでもろて」

「新鮮な臓器が手に入って一石二鳥だな」

 臓器移植ってそんな手軽にできるっけ?

「あんたなんで医者やってんすか……?」

「幕府お抱えの医者って給与良かったんだよ」

 ……なんかこのひともこのひとで、おれが知らないだけの追加キャラクターとかだったんじゃねえかって気がしてくる……。

「……アンタも、素人に毛が生えた程度のやつの世話投げられてるのに。不満とかないんですか」

 海原先生はおれを見て「まあ総督の指示に不満を差し挟む余地なんてそもそも存在するはずはないんだけど……」「おお……はい……ウン……」小首をかしげた。

「ひとつ。僕は指示を聞かねえ以外じゃ患者に怒ることはない」

「……ウン?」

「ひとつ。君がどう思っているか知らないが、あの子は君が思っているほどは器用じゃないし、敏感でもない」

 眉をひそめたおれに、海原先生はタンタンと踵で床をたたいた。……真下の意図だろうか? ……艦内の経路図を脳内で描く。下階の同じ位置には適当にものばかり積み重ねた倉庫部屋しかない。

「今週末の夜更け、出向いてみなよ。なにせこの間のお(﹅)使(﹅)い(﹅)で死傷者が出たばかりで、あの子はま〜じで忙しいからそのくらいしか空き時間がない。君が言うようにな!」

「あの、利用しようとして、スンマセンした……」

 

   ➤

 

 眠い目をこすりながらおれは階段を降りた。今日だってふつうに大型トラック五時間運転してからヘリ回してきたんよおれは。マジで誰か労ってくれねえかな。総督の労りはちょっと畏れ多すぎるから他で。

 倉庫部屋に差し掛かる。……室内から明かりが漏れていた。

 音を立てぬように扉を細く開けて、おれは中をうかがった。

 黒髪をゆるく結わえた女は、背中を丸めて、ちいさな明かりとともにしきりに手元を熱心に見つめていた。ネイルってかんじではない。目を凝らせば、片手には石板のような、つるっとした、黒い板状の物体が握られている。スマホ——では、ない気がする。

 ふと違和感がして耳を澄ませる。気のせいかと思ったけれど、かすかにさりさりと音がする。ヒカリ様の手元から。……マジでなにしてんの?

「気にかかりますか」

「わ↑ァ↑あ→!? あっスンマセン」

 ヒカリ様は苦笑した様子だった。

「立っているのもなんでしょう。こちらへどうぞ」

「エッ、えええ……ヤ、いいすよお邪魔でしょ」

「一日かけてトラックとヘリコプターで東海道を反復横跳びさせられたばかりの御方を、昨日の今日で立たせていたら、わたしが兄上に怒られます」

 ……知ってんだな。いやまあ知ってるか。カンペキなヒカリ様ってやつでしょうし。

 近づけば光源も近づいて、目を凝らす必要もなくなった。石板のような、と思ったのは正しく石板だった。ヒカリ様は彫刻刀——あとから調べてそれが普遍的な木材を彫るそれではなく、篆刻刀と呼ばれるものだと知った——を片手に携えていて、石板には半ばまで字が彫られていた。

 ふと周囲を見渡す。倉庫部屋はおれが知らない間に一角が改修されていて、同じような石板が端から順に敷き詰められていた。軽い宗教チックな絵面である。いずれも年月日と、人名のような文字の羅列が刻まれている。

「……なんすかこれって聞いていいやつですか」

「位牌です」

 ヒカリ様はさらりと言った。

 宗教と思ったのは間違っていなかったようだ。

「といってもわたしはお坊さんではないので、つまり位牌モドキですね。年月日と御名前に、勝手に考えた戒名を彫る程度のものです」

 言いながら彼女は、手首を少し振る様子を見せる。石を彫り続けていたら手首も痛くなるだろう。

「……隊員の?」

 海原先生の言葉を思い返す。「ええ、まあ」ヒカリ様は深く息をついた。

「わたしは兄上ほどには出来がよくありませんから。こうでもしないと皆さん、覚えていられないの」

「死人の名前全員、覚えてるんすか」

「……わたしが把握している方に限られます」

「把握している全員?」

「んー。ンー。まあそうですねえ……」

「なんで?」

 総督に似た面持ちがゆるりと崩れる。笑みだったのだと思う。泣き出す寸前の顔にも、見えた、けれど。

「置いて行かれるのは、さみしいでしょ」

 華奢な指が、彫りかけの位牌をなぞった。砂のような石の破片をぱらぱらとこすり落とす。よく見ると、暗がりでもわかるほどに傷にまみれた指だった。竹刀を振るだけではこのようには、ならない。

「喪失には慣れます。悲しみは癒えます。傷はいつかは消えてゆく。ごくシンプルな、人が持ち合わせる防衛機構です。……忘れたくないなら、たしかに刻んで、何度でも思い返す他ありません」

 うつむいた拍子に黒髪の束が肩の前にすべり落ちる。うなじの端に火傷のような跡を見た。一瞬のことだ。思い返したように襟元を直すしぐさは、まるで慣れた何の気ない素振りで、すぐに傷跡は襟の奥へ隠れた。

 ……海原先生、患者とか言ってた、か。

「お手伝いくださりありがとうございました」

「いや、うーん……」

 けっきょくすべて彫り終えるには明け方までかかった。おれは水を汲んできたり、位牌からこぼれた砂礫をぬぐったりぐらいしかしなかった。歯切れの悪いおれに肩をすくめて「ご内密にお願いしますね、中田さん」とヒカリ様は言った。

「なーんにも気にしてないような顔で、後生大事に抱え込んでいるだなんて。格好つかないでしょう」

「……おれの名前ご存知でしたか」

「なんですか? 存じておりますよ。河上さんの部下で、昨日は東海道反復横跳びさせられていた御方。今日こそよく休んでくださいね」

 ……やっぱり、全員の位牌を彫ってそうだ。

 疲労に加えて寝不足の頭はずいぶんぼやけている。艦内に差し込む陽光をぼんやりと眺めて、実家はまだあるかな、とおれは今更思った。骨壺を残してきたまんまだ。墓を作ってやれてもいない。位牌だってない。

 本当に、あんまりにも今更だ。そもそもおれは神も仏も信じちゃいない。普遍的な大学生ってだいたいそんなもんだ。

 今更だったけど——供養とか、今更、してもいいのかなと思う。いつまでも放置してるくらいならさ。それっておれの自己満足でしかないんだけど、でも、生きているのはもうおれだけだから、自己満足でもいいんじゃないか?

 きっとあのひとの行いだって、偽善と呼ぶことはできた。

 しなかっただけだ。

 

   ➤

 

「戻ってきたら紅桜どころか本艦が吹き飛んでるとは思わなかったなー」

 けっきょく桂一派と事を構える羽目になったとかなんだったとか。おれはま〜た運び屋で全国縦断させられていたところ、紅桜が>>>終わった<<<ので全員一回戻ってこいとの一報に急遽とんぼ返りさせられたのでした。終わったってなんだよと思ったけどマジで終わってるわコレ。終わってるっていうか本艦ごと終わってるわ。そら呼び戻されるわけですよ。

 この話銀魂にあったのかなあ。なんか派手過ぎるし関係者が豪華なもんだしあったんじゃねえかなあ。あったんじゃねえかなあと思うが本当に知らん間に始まって知らん間に終わったので照合できる記憶がZEROだ。せいぜいが桂一派と事を構えたってんなら短髪桂さんのやつか……? と思うものの、短髪桂さんと銀さん(白夜叉)がてめーをぶった切る! てキレてた以外の印象がない。せめて前後と脈絡を寄越せよ。

 おれは十年前も、桂さんや白夜叉とは大して話す機会がなかった——せいぜいが初回の面接と三馬鹿扱いぐらいだ、なんならあっちに至っては鬼兵隊の平隊員なんぞ覚えてねえ可能性すらある——ので、完全に敵対したという話を聞いてもハァそうなんすねで終わった。桂さんて未だにナチュラルに頭おかしいまんまなのかな。〝銀魂〟を考えるとむしろ悪化すんのかな。ヤダないちおうカッコよかったのに。いちおうマジでカッコよかった。

 とはいえまあ、とりあえず、敵対するならさん付けをやめるところからか……。

「中田ァ、隊員は各自宿の割り当てがあるから自室の破損確認して目ぼしい引き上げたらしばらくそっち移動しろって通達〜端末来てるけど見た?」

「見てねえ。見まーす」

 おおほんとだ、と思いながらディスプレイをスクロールして情報確認する。アここたしかジム併設してんだよな。あと朝食がおいしい。こういう、めちゃくちゃ贅沢ってほどじゃないけど庶民がうれしくなるタイプの些細な采配は、たいてい武市様だ。万斉様や来島様は無頓着だし、高杉兄妹はちょっと……良いとこの生まれなだけはあるのか、金銭感覚がなんかバグい。ヒカリ様は兄上よりましですと言い張るけれど、あのひとの自己認識は八割鵜呑みにしちゃならないことが既にわかっていた。どっこいどっこいどんぐりの背比べ。

 端末を仕舞って生い茂る雑草を踏み歩く。半壊した本艦はどこか焦げ臭く、加えて表面が濡れていた。半分自然乾燥したような痕跡があるので、下手すると海に落ちたところをどうにかサルベージしたのかもしれない。倉庫部屋の位置に当たりをつけて覗くと、手製の位牌があっちこっちに飛散して大惨事になっていた。割れたものもあるけれど大半は無事だ。濡れた痕跡はあるが、石に直に彫っているのだから濡れた程度でどうにかなるものでもない。

「あいつは手が離せねえから俺が片しとく。おまえは自室確認しとけ」

「うーす。……総督知ってたんすね」

「俺の艦だが?」

「それはそう」

 総督が倉庫内に踏み入るのを見送って——直後「総督!? アンタ一応腹刀かすってる自覚あンですよね!? 破傷風は怖いんですよオイどこ行きやがりました!?」海原先生の悲鳴が聞こえたものだから、おれは今しがた総督が踏み入った倉庫を振り返った。

 ……覗き直す。

 ……すっげー気まずそうな顔でこっち見てる。こっち見んな。そりゃあ聞こえたでしょうね、なんせあの声量だ。てか怪我してたんかアンタも。

「……やっぱおれがやりますよ。アンタは大人しく治療されてこい」

「チッ」

 ガキかよ。

 適当な箱をひっくり返して位牌を揃えて重ねて入れた。お互いにぶつかって傷がつかないよう、間にこれまた適当な布を敷いておく。七年の月日は案外と離脱者を増やすようで、おれの両腕で抱えるのがようやっとの箱がいっぱいになった。

「ヒカリ様」

「あ。……中田さんおつかれさまです」

 派手な柄の羽織をまとった女が振り返る。ほつれた髪が汗で貼り付き、煤けた面持ちは、おれが抱えた箱の中身を見てすこしだけほころんだ。

「集めてくださったんですか? ありがとうございます」

 箱ごといかにもだいじそうに預かる横顔を眺めて、まあ嫌いではなくなったけどそれはそれとしてこのひとちょっとタチ悪いな、とおれは思った。

 数年前からヒカリ様は首を覆うくらいのインナーを着用するようになった。ぺたりと頬を箱につけても、うなじの端から続く古傷は見えない。……見えないはずなんだけどどうした今日見えてるな。どちらかといえば総督の趣味っぽい羽織といい、そもそも紅桜計画総責任者であったことといい、もしかしたら渦中に巻き込まれていたのかもしれない。

「いくつか割れてましたけど……こっち破片です」

「なにからなにまで、申し訳ありません」

「なら給料上げて〜」

「兄上にお頼みしてみますね〜」

 風呂敷の包みを掲げると、ヒカリ様はいったん箱を横に置き「頂戴します」と断りを入れておれの手から包みを受け取った。布を開いて中身を検める。

「……五十嵐さんかな。……こちらは後藤さんかしら。あとで復元してみます。本当にお手間をおかけしました」

「どーも。まァ復元以前に、しばらく紅桜の後始末いろいろお忙しそうですけどね」

「ふふ……」

 総督と同じ、翠色の眼差しが遠くを見つめた。たぶん損害計算で気が遠くなっている。えらいひとは大変すね。責任のない平隊員ってその点楽だ。金と人の損失の補填なんか気が狂っちゃうもんな。

 おれは「そんじゃ」とヒラヒラ手を振って別れを告げた。おれはおれで、自室の惨状を確認しなきゃあいけない。大事なモンとか置いてないけど、着物はだいぶ駄目になってそうだ。新しく買わにゃならんかな。骨壺を墓に移しといてよかったですよホント。

 それからしばらくヒカリ様を見かけなかった。噂によると僻地に飛ばされたとのことである。真偽はさておき、どうにせよ総督が妹君を放置しているとも思えないので、いずれまた顔を合わせる気はする。

「中田、ぬしはたしかヘリコプターを運転できたな?」

「できますけど。今度なに運ぶんすか」

「運ぶというより、真選組とやり合うにあたって上から撹乱できると楽でな」

「あなるほど」

 ヘリを運転できるやつってのは意外と少ない。

 ところで銀魂で万斉様が出てきて鬼兵隊と真選組でやり合うってアレじゃね。陰険メガネが出てくるやつじゃね。覚えてる限りじゃ、おれが〝銀魂〟に関わるのはこれが初めてのことだ。

「指揮系統は万斉様最上位すか?」

「基本的には。ヒカリが来るから拙者になにかあれば彼女に従ってくれ」

「うす」

 おれは素直に返答しながら確信した。あのひとやっぱ絶対原作にいなかったろ。細かいトコまで覚えてねえけど、敵として陰険メガネと万斉様が出てきたことくらいは覚えている——当時のおれは読者なので敵だけど、今はむしろ味方なので、いろいろややこしい。

 でも女幹部は出てこなかったぞたしか。

「コレ乗ってるなら使いませんよね。それとも一緒に降ります? それならお返ししますけれど」

「使いませんけれどできれば貸したくないっていうか、アンタいい加減自分の刀持ったらどうですか!?」

「えーんいじめないで」

「人の武器掻っ払っといて被害者面!?」

「さておきあとは手筈通りに、わたしが降りたあとは高度は元の位置に上げてくださって構いませんよ。暇なら威嚇射撃でもしてください。わたしと河上さんは適当に避けられますが、他同志に当てないようにお気をつけを」

「ひ・ま・な・ら!?」

「では行って参りまーす」

 出てきたらさすがに覚えてるだろこんなん。

 滑り降りていく自由人を止めるすべはなかった。なにせおれは運転しているからな、ヘリを。にしてもなーにあのひと超暴君。総督も大概っちゃ大概なんだけど兄妹揃ってこんなんかよ。ローンで買った刀なんすけど大丈夫かアレ。おれはもはやローンで買った刀を諦めるべきなのか。まだぜんぜん払い終わってないのに。

 溜息を飲み込んで操縦桿(サイクリック・スティック)を握り直す。ひとのことなんざ気にしていられない。細部覚えてなかったけどだんだん嫌な予感がしてきた。なんかあれ白夜叉いねえか? これおれマジで帰れますかね?

 ——こういう予感ってなんでこう、当たってほしくないときばかり当たる?

 墜落の衝撃で一瞬、意識を失っていたみたいだ。肺に水が入って目を覚ます。がぼがぼと己から吐き出される気泡が無意味に水面へのぼっていく。

 プロペラを斬り捨てられる暴挙だけはかろうじて見ていた。ありえないだろなんだよあいつ。キャラクターだったんかな。ゴリラとマヨネーズとドSとミントンしか覚えてないから誰なのかもうわからねえ。

 乗っていた仲間はどこへ行った。岸に上がれたのか。流されたかもしれない。濁った水中を探るにはおれの息が続かない。ヘリの残骸がおれの着物を裂いて挟み込んで絡まっていた。流されることもなかったが力尽くで脱ぎ捨てるには絶妙な位置で、脱出することもできずにただ水を蹴る。おいマジで死ねってのかよ。

 ……死ねってことかもしれない。

 おれはふと思う。

 そもそも一度死んだはずのおれがここにいること自体がおかしい。両親はとっくに死んだ。姉貴はたぶん一矢報いてこれまた死んだ。一家皆殺しでなんでかおれだけ生き残っていた。戦争では死に損なった。人を殺して仲間を見捨てて世界の破壊に加担して、今更なくらいに自業自得だ。

 無意味に水を飲む。噎せるばかりに横隔膜が痙攣する。死というのはいつだって苦痛だ。トラックに轢かれるよりは痛くはないけれどこれはこれで心底苦しい。ようやく終わるのか。また次があるのだろうか。……本当、なんで、どうしておれだった? おれじゃあなければあのひとたちは救われたんじゃあないのか。もしかしたら。

   ドボン!

 水中というのは、空気中より音の伝播が伝わりやすい。またたいた視界が気泡の柱を見る。柱の発生源にはひとがいた。小柄で細身の女だった。落下中にどうにかして体勢を整えたのか、くるりと丸まる姿勢を見せて、すぐに彼女は周囲を見回した。

 翠の目が、おれを、見る。

 双眸を見開いたそのひとは一度強く水を蹴ると、水面に顔を出し、すぐさま潜り直した。石を彫る程度には力のある腕が、おれが藻掻くだけじゃあどうしようもなかった着物の裾を切った。たちこめた泡をまとっておれの腕を強く引く。

「はい中田さん、生きてますね? 息できてますね? 水吐いてください。もうあなたってば下手くそですね背中叩きますよ。喉に指突っ込みましょうか?」

 岸に上体を伏せて噎せるおれの背中を平手がつよく擦った。言われなくとも勝手に喉が開き、胃に溜まっていた河水が吐き出される。「えらい。噎せているので肺の方にも入っていそうですが……さすがに確認できませんからねえ。あとで海原さんのところに行きましょう」いつもと変わらぬ声が今後の算段を立てる。

「立てますか。立てるなら歩いてください。歩けるならば置いていきません。行きましょう。まだ立ち止まってはいられないでしょう」

 ……いいか? 今からものすごく言い訳をします。

 おれはこのとき酸欠で意識が朦朧としていた。ぶっちゃけ死ぬかなぐらいの気持ちでいた。走馬灯みたいに過去の記憶が次々に蘇り、しかもめちゃくちゃ弱気になっていた。

 だからこのとき、非日常と臨死体験の相乗でおれの頭が致命的なくらいバグって血迷ったくらいわかっている。

 きらきらとひかりが差し込む水面を背に、いっそ場違いなくらいに神秘的に見えたこととか。

 原作にいるとかいないとか妄想とか確かめようもないクソくだらねえことに囚われている自分が滑稽だと本当に今更思い知ったとか。

 このひとのためなら死ねると思ったこととか。

 

 わかってたってなお醒めない夢こそ現実だ!

 

   ➤

 

「——」

 ふ、と、目を開ける。

 ぼんやりとまばたきをして、おれはてのひらを開閉した。

「番犬がお目覚めか」

「番犬呼びはいつまで続くんすかね」

 その番犬はあのひとの独断専行を止められなかったんですけどね。嫌味かテメエ。

 嘆息しておれは身を起こす。戸口に寄りかかっていた副提督——元か——は鼻を鳴らして、戸枠から背中を離した。

「総督は——」

「まだねんねだよ。残念だったな?」

「……死んじゃいねえなら上々でしょ、今の状況じゃ」

「ハッ」

 将軍暗殺が大失敗に終わったあの日。這々の体で辿り着いた鬼兵隊本艦、意識不明の総督の前で腹を切ろうとして止められた。海原先生ってグーで殴ったりするんだな。初めて知ったよ。

 あのひとがそうして庇った鬼兵隊も春雨第七師団も、今やともども散り散りだ。総督と、なんやかんや付き合いの長くなった阿伏兎さんと合流できたのはほとんど奇跡である。同伴者は鬼兵隊が数名と第七師団がこれまた数名。神威さんと云業さんはどこ行ったんだろうな。神威さんに関しちゃ死んじゃいないような気はするが。

「——あいつらどうする?」

「あいつら」

 阿伏兎さんを振り返れば、長い航海でいつにもまして無精髭の目立つおとこはくいと眉を上げた。

「言わせるか」

「……あー……はー……まあ……」

 〝もう鬼兵隊はおしまいだ。今からでも鞍替えしないか?〟——まあ、おおよそそんな主張。以前からコナをかけられていたのだと判断がつく。おれが頷くと信じて疑っていない隊員をその場で殺すかどうかおれはけっこう迷った。

 隊員も離散して半ば壊滅状態の鬼兵隊は、今更裏切者を増やして潰すほどの勢力には到底見えない。となればむしろ利益はより少数で独占できた方がいいはずで、だから今更そんな話をされるってのは、つまり負け馬につかせるよりはこっちに乗った方が目があるぜ、という善意によるお誘いだ。それはわかる。わかるんだけどつまり今もなお死んじゃいない総督と鬼兵隊のために命を投じたヒカリ様とついでにおれの忠誠がなめられてるだろこれは。おれに関しちゃ、なめられるような態度取ってきたからしゃあねえんだけど。はーあ。カスがよぉ。

 で。

 そりゃ、気づかれていたらしい。

 おれはガリガリと己のうなじを掻いた。

「いちおう歴的にはおれよか砂川が上ですよ」

 注釈、二代目鬼兵隊歴的には。まあつまり総督は意識不明でヒカリ様は不在でなんなら幹部ともばらばらになり、それでも未だ、指揮系統としておれは最上位にはない。

「そいつァ俺たちゃこうなるまで、今まで会ったことなかった。一方でテメエはなんだかんだで……ホラ、暴れ馬のな」

 義手がぷらぷらと振られる。「どうせサガワってやつにも報告してねンだろうに」面白がる響きにしちゃあ、その目はじっと、おれを探るように見ている。

「……しばらく引っ張りますよ。どのみち船内で揉め事起こしちゃ終ェでしょ」

 風呂に入りてェ。さすがに到着できるかぎりぎりの燃料を無闇に消費することも叶わないので、おれは身体べたついて嫌だな〜と思いながらも黙っている。

「お優しいねェ。まァてめえらの隊員だ、俺が言うことじゃありませんよ」

 阿伏兎さんは嘯いてくるりと背を向ける。

「馬鹿には馬鹿なりの使い方があるでしょ」

 おれは独り言のようにつぶやいた。阿伏兎さんは足を止めることなく、ただ鼻で笑うような音が返される。

「主人に似てきたな」

「嫌味かマジで」

 ダルすぎてさすがに本音が出た。夜兎となると、指先で小突かれるだけでけっこう痛い。あーあ。だからその主人は今生きてるかどうかもわかんねえんですよ。おれってばいつもこんな役回り。かなぴー。

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