【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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SFわからない。


急
35


前略:

 約束Bボタンキャンセルをさらにキャンセルして絆進化。

 

   ➤

 

 兄弟子たちおよび万事屋御一行、(元)見廻組トップ2とは、その場で別れた。

「目的地は——」

「事前の取り決め通りに」

 武市さんが頷いた。ということは、わたしが不在の間にも万一の集合場所に変化はないようだ。

 烙陽。地球人がなじみ深いものでたとえるなら、水星よりもやや小さい惑星だ。万有引力の法則に従って重力は地球の三分の一ほど。我が愛しの太陽系第三惑星のように、恒星を主軸とする惑星系に組み込まれている。

 かつては地球程度には資源豊富な星だったと聞くが、ただその時代を直接垣間見た者が今も生きているとしたら、実年齢は地球換算で一五〇歳を超える。そのぐらいには歴史と化したか(﹅)つ(﹅)て(﹅)の話だ。今ではとっくのとうに星間大戦の舞台として破壊し尽くされ、環境までもみくちゃにされ、惑星には過日で癒えぬ爪痕が残されている。例を挙げると天候不順。この星を提案した神威さん曰く——〝四六時中曇りで太陽なんざ見たことない、しょっちゅう雨が降るもんだからいつだって湿っぽい。栄枯盛衰見る影なく、今じゃ星まるごとがスラム街、宇宙でも破落戸だのが集う星さ〟——まあ誰がどう聞いてもこき下ろしているとしか言いようがないでしょうね。

 我々にな(﹅)に(﹅)か(﹅)あったときの集結地はそこに定められた。さぞ今しがた思い出したとばかりに、故郷なのだと彼は付け加えた。嘘をつく意味もないが真実である必要もない。……嘘ではないように思っている。

 昨今の化石燃料で動くシステムが副産物に二酸化炭素をもたらすように、当時の戦争兵器は、排気ガスとして酸素を排出したらしい。おかげで烙陽の大気中酸素濃度は三〇%前後を常に保っている。これでも大戦直後よりは酸素濃度は減少した方だそうだ。

 烙陽に海はないが、酸性寄りの大気と恒星風(地球人視点で物を論じるなら、烙陽版太陽風とでも言い換えるべきだろうか?)が引き起こす化学反応がほとんど常時雨雲をつくり、地上に降りそそぎ続けている。

 もっとも、わたしは気象学や地学は専門でもない。烙陽の実態はもう少し複雑なのだろうけれど——おかげで神威さんが言うように〝四六時中〟常にかかる雨雲混じりの暗雲により陽光はほとんど遮られて、星の平均気温は五℃前後と地球よりも低い。

 環境破壊によって形成された無法地帯で環境保護が行われているはずもなく、ただでさえ地球よりも約十%高い酸素濃度に加え、他の排ガスやらなにやらも入り混じり、地球人にはシンプルに身体に毒だ。数時間から数日の行動は問題ないとしても、長期間の滞在はガスマスクとボンベを前提とする必要がある。着陸場所によっては防寒対策も急務。降雨も昨今は㏗値4前後と弱酸に近づいたらしいが、紛うことなく酸性雨だ。あまり長く地肌に触れさせるべきではない。

 ……まったく無関係ですけれど、神威さんの麻酔耐性って、夜兎の体質以外にこういう環境で培われたのでしょうか?

 今後本人に確認する機会が訪れるかも不明である。彼の生存は今を以て不明のまま。

 宇宙船に配備させた浄水槽と濾過器の機能からして、滞在期間のリミットは長くて一月が限度。散々にしてやられたばかりで設備もダメージを受けており、修理期間もろくに取れていないことを前提に置くなら、見込み期間はさらに短縮される。烙陽に我々が食べられるものはあるだろうか。現地で調理に利用される水や食料は我々にとって常に微量に毒性を含んでいることを考慮すべきだ。過度な加重が身体に悪いことはとうに知れているが、Gが軽いぶんにも身体には影響を及ぼす。過剰な浮力の制御で無意識にも筋肉に負荷がかかることを考えて、残った隊員のペース管理には特段に注意を払う必要があるだろう。酸素濃度が高い分、燃材は着火しやすく、鎮火しづらいことが予想できる。一般的に可燃性の高い物質だけでなく、湿気った木材や金属粉にも気を配るべきだ。

 鬼兵隊の装備ばかり論ったけれど、わたし本人の用意だってもちろん必要だ。看護師の方々の目を盗んでストレッチくらいはしていたけれど、やはり監禁☆拷問に加えて長期間の療養生活も経た今、筋力が大幅に落ちている。烙陽到達は上手くいけば一週間。たったの七日でどれだけ取り戻せるだろう。なんなら替えの服もない。……まあ。……替えの服は最悪後回しでもなんら問題がないので、手元でどうにかしましょうか。服の仕立てをするなぞ本当に久方ぶりですが。

 宇宙海賊春雨側も、ある程度こちらの動向は読んでいるだろう。もしかしたら第七師団か……あるいは、我々にも内通者がいるかもしれない。喜々公や天導衆もこのまま、高杉一派の残党を捨て置くとは思えない。敵方の索敵を掻い潜り、兄上や河上さん、その他多くの隊員たち、第七師団の皆様の生死確認、回収と離脱……。

 ……達成できるかどうかはもはや論点ではない。

 達成しなければならず、そのためにもっとも効率の良い手段を取らねばならない。

「中田さんに引き継ぎをお願いしていましたが、あのひとは完遂しましたか?」

 わたしは、てのひらを開閉して——握力の低下も確認できた——ふと尋ねた。

「……というか中田さん、無事に帰りつけましたか?」

 あの怪我、ふつうに死んでもおかしくなかったし……。

「帰り着くことはできていましたよ、引き継ぎ自体もね」

 ご回答くださったのは武市さんだ。

「ずいぶん手酷くやられていた上に落ち込んでいましたが」

「ああまあ……それは、でしょうね」

「あいつ晋助様の前で腹切ろうとしてましたよ」

「えっそんな、お忙しいときに我が部下がご迷惑をおかけしました」

「ヒカリ殿はその感想を彼に直接は伝えないように。もっとも彼も現在行方不明のひとりですが……」

「……さすがに錯乱するほど無理を押してまで行動した部下に、そのまま申し上げませんよ。人でなしが過ぎますもの」

 あの態度でも、科されたことは為す最低限の真面目さがある。鬼兵隊の壊滅なぞいくらなんでも堪えただろう。加えて奈落の毒を打たれて腹を裂かれて失血ともなれば、錯乱の余地は大いにあった。時間も設備もなく、あの場でできる手当となるとどうしても応急処置に留まった。……現在行方不明となると、南天楼の件で散り散りになったとみるべきか。生きているといいけれど。こればかりはわたしがコントロールできることでもない。

 武市さんはいつもの深淵の目つきでわたしを見つめたのち「……まあこれは本人の普段の態度が悪い。私も切腹に至るまでとは思っていなかったほどです」謎に中田さんを裁いた。

「中田はとにかく……あいつらやっぱり、晋助様を助けようなんか思っちゃいませんよ」

 また子さんがつぶやいた。

「それだけのことはしました」

「ンなんはわかってます! 恨み買うってわかってて私らはやってる」

 噛みつくように一瞬荒くなった語気が、不意に落ちる。

「だから……ッだからやっぱあいつらの力を借りるなんざ、無理ッスよ。そもそもあいつら、晋助様とはとっくに違う道を選んだんでしょ。晋助様のこと捨てたんだ。そんなの、利用するならともかく……」

 手負いの狼のようなことを言う妹分は、果たして自覚しているのだろうか、拳銃から手を離したのは洟をかむときくらいだった。わたしが抱きしめたときでさえその手はグリップを握っていた。

 手の甲を撫でるとまた子さんはハッとしたように目を瞬かせて「……スンマセン。熱くなりました」ぽそぽそと言った。

「だから私は……どっちにしろ反対です」

「……もとより彼らの手を借りられるとは思ってもいませんでした。無用な戦力は当てにするべきでもない」

 武市さんが首を横に振る。彼が意味深に目配せをしたので、わたしは少しだけ長く目を瞑った。

 深謀遠慮はもとより我々の役目だ。

「私の狙いを直球に説明します」

 別行動していた人員を呼び寄せるため、また子さんが離れた隙に、武市さんはすぐさま口火を切った。わたしは羽織を引いて肩に寄せ直した。

「まず大前提。星海坊主(うみぼうず)が関与していて、第七師団とも連絡が取れず、晋助殿や万斉殿ともはぐれた今、我々には事実として、夜兎最強を擁した宇宙海賊春雨に対応できる手札がありません」

「異論ありません」

「となるとまずは、彼の娘たる万事屋の夜兎は確実に手元に引き入れたい。あれを確保できればエイリアンバスターに加えて、隠居生活からすっかり引きずり出された白夜叉の参戦も見込めます。かと言って、あの子兎が我々に与する余地はなく、前回手際よく拘束できたのは晋助殿の不意打ちが通っただけに過ぎませんでした。ここまで述べた上でなにか策は思いつきますか」

 ……まあそう上手く釣れるかという疑問はありますが。

 ……釣れたとしてそう上手く事が運ぶかという懸念もありますが。

 そのあたりは言い出したからには、武市さんがどうにかなさるおつもりでしょう。さすがに寝ぼけたことを言っていられる状況でもない。具体的には、同窓会を偽って攘夷四天王皆殺しなんて馬鹿げた洒落もほざいていられない。本人がすると言い切ったからにはすると見込む。

 わたしは腕を組んだ。

 エイリアンバスター:星海坊主(うみぼうず)はあまりに有名だ。耳どころか首まで覆うフライトキャップに、防光ゴーグル。どのような気候の星にあっても、目撃情報ではいずれも上下の長丈を着用。彼は常に番傘を手放さない。強靭な膂力と徹底して日光を避ける装備は、いずれも夜兎の特徴に値する。

 神楽陛下との血縁関係は——武市さんがどのように情報収集なさったのかはわたしは把握していない——わたしとしても、過去に地下吉原で鳳仙殿と神威さんが繰り広げた会話から逆算できることであり、先の説明の途中に志村さんが発した星海坊主(うみぼうず)〝さん〟という口振りから、万事屋の彼らとも交流を重ねていることが見て取れた。

 神楽さんの夜兎にしても相応の実力、兄であるという神威さんの強さ——すべての能力値を血筋で片付けるのは、わたし個人の感覚ではあまり好きではないけれど。しかし遺伝がもたらす能力の差異は、現実に無視はできまい。最強のエイリアンバスターとは伊達ではなく、絶滅寸前とはいえ未だ生き残る夜兎を押しのけて(夜兎は肉体仕事、とくに戦闘員として就きがちだ)星海坊主(うみぼうず)は〝最強〟を名乗る。夜王鳳仙との死闘は三日三晩を超えても決着しなかった——星海坊主(うみぼうず)が催さなかったら、それを理由に中断されなかったら、軍配はどちらに上がっただろうか? もしかしたらば夜王の二つ名は、鳳仙殿から奪われていた可能性すらある。

「ではわたしから前提情報をひとつ」

 不要に無意味に巻き込むこともなかろうと黙っていたけれど、鬼兵隊の存亡においてわたしの私心は邪魔にしかならない。

 わたしはごく些細な事実を開示することにした。

「万事屋にお住いの兎さんと、現在絶賛行方不明中の神威さんは、実の兄妹でいらっしゃいます」

「兄妹。……つまり星海坊主(うみぼうず)は、息子の制圧に力を貸したと?」

 武市さんが眉をひそめた。このひとは意外と、根底の価値観は良識的である。保守的とも言い換えられるだろう。

「いえ、たしかに彼らは親子のわりにはろくに似ていませんが……」

「マ、血縁は必ずしも良好な関係を意味しません。そもそも円満なご家庭でいらっしゃるならば、いくらなんでもグレた息子が宇宙海賊に入社することなど有り得ませんよ」

 わたしはサクッと話を丸めた。実体験から基づく感想である。わたしが兄上を慕う理由は血の繋がりだけではなく、製造元と呼ぶ父母とだって明確に血が繋がっている。

 親子なぞ、所詮は生まれるときに介しただけの器、切っ掛けに過ぎない。兄妹なぞ、なおさら、所詮は同じ親に生まれただけの他人。あとに残るは単なる遺伝子情報の相似だ。血縁がなんだというのだろう——と、わたしが割り切るまでに生まれてから二十年近くかかった。より早く割り切れる方もいるだろう。もっと苦悩する方もいるかもしれない。苦悩をのんで、幸福を見つめ、和解の選択をするのやもしれない。

 神楽陛下がそのいずれに属するのかは、まだ、明言できない。わたしの目算では彼女は十代半ばに見える。

「一方で今の話は神威さんと星海坊主(うみぼうず)に限ったもの。地球に根差した彼女は、べつにご家族を憎んでいらっしゃるわけでもなさそうです。わたしが彼女と接した期間はごくわずかでしたが、その気性は……家庭内の殺し合いを望むとは、到底思い難い」

 偶然の邂逅とちょっとした立ち話を思い返す。家族が傍にいなくて、さみしがる心境には理解が及ぶ。

 ……やっぱり殺害とまではいかずとも、かんたんに会える間に一発二発入れておくべきだったかしら。その場合即時にわたしの首も飛んだでしょうけれど。神威さんって、立ち向かう敵には本当に容赦ありませんからね。

「そういう点では、とくに工作の必要はないように思います。我々が合流した以上、即時に出立するくらいは彼女も読んでいらっしゃるかと。さすがに、辿れる程度の足跡は残しておくべきかもしれませんね。奈落や、元一橋公の手の者、華陀が操る義勇軍に見つかると厄介ですが……」

「夜兎が辿り着ける程度、となればある程度の調整は効きますな」

 そのあたりは武市さんの方がお上手だ。食いつける程度の餌をばらまくことができなくして参謀は名乗れまい。

「ついでに食糧買い込みましょう。あのひと無秩序に放置すると一食十合以上食べられるそうですから、下手をすると烙陽に辿り着く前に我々は餓死します」

「いっぱい食べる青少年は良いものです」

「念のため警告しておきますけれど、わたしの目の前で不埒なことを働いたときがあなたの最後の呼吸ですからね」

 強めに釘を刺すと、武市さんの目が明確に泳いだ。

「いや、まさか! 私をお疑いになられてはいまい。もちろん理性的なフェミニストとしてはYESロリNOタッチの原則を遵守しますとも」

「あなたのその発言自体をセクハラとして兄上に申し付けないだけ、わたしはわりと寛容な方かと存じますよ」

「聞いてきたのはヒカリ殿の方ではありませんか。ご無体な」

「世間一般の常識をもとに申し上げますと、聞かれたからと言って弁明にそのようなフレーズを選んで信用されると思わぬ方がよろしい」

 世の善良な親御さんの前で言い放ったあかつきには、潜在的脅威を感じ取って刺されたっておかしくありませんよ。

 ……我が同胞の悪癖は置いておこう。

 わたしはもちろん、鬼兵隊が最優先だ。次に同盟相手の第七師団や見廻組の方々。兄弟子たちは三の次、四の次、その周辺の皆様もこの通り。年端もいかない子どもの利用を外道と思えど、そもそも外道なことは既に数多に冒していて、今更そこに罪業を積み重ねたところで大差はない。

 それはわたしだけでなく、兄弟子たちとて同様だろう。いくら過日の情を残していても、情だけで黙認するには及ぼした被害があまりに大き過ぎた。無辜の人間をいたずらに傷つけることを許容できる人々であったなら、わたしははじめから、彼らを慕うことはなかった。

 わたしの行動を勝手に借りと認定した方々も、わたしの黒縄島脱出手助けで相殺されている。兄上をこの期に及んで助けてくださるわけではない、とは既に釘を差された事実であった。

「私も連れてけヨ」

 予想通りに、番傘に申し訳程度の旅支度を差して、地球の夜兎は夜闇に降り立った。

 彼女の瞳は夜明けの兆しを示す青だ。須臾の蒼彩(l'heure bleue)。青空には少しだけ遠く、夜空と呼ぶにはひかりを灯す。神威さんと同じ色のようで……すこしだけ、印象が違う。

「神威(アイツ)は誰にも殺させない」

 また子さんがキッと睨んで、反駁を望んだその口——をわたしが背後からてのひらで塞ぎ「むぐ!?」「いやはや、見つかってしまいましたか」その隙に、白々しく武市さんが云う。彼は無抵抗を示すように両手を掲げた。

「我々はただでさえ数を減らし、装備も心もとなく、非常に弱っています。ここで無意味に夜兎とぶつかって消耗する余裕はない。仕方ありませんね。参謀の権限に於いて乗船を許可しましょう」

 滑らかで用意していたことが丸見えの台詞、トントン拍子に決まった乗船に神楽陛下は若干眉を寄せて「……フン、結構」と女王陛下らしくお返事をなさった。

 わたしのてのひらを引き剥がしたまた子さんが、わたしと武市さんを順繰りに睨む。

「そーッスかそーですかああそ・う・で・す・か、先輩とヒカリ様で悪巧みしてそれで私は仲間はずれってワケッスね!?」

「ああまた子さん、拗ねないでくださいな。かわいい顔してください。ね?」

「ヒカリ様マジそれでなんでもかんでもどうとでも誤魔化せると思ってんなら大間違いッスから!? いい加減蜂の巣にしますよ!!!」

 怒られちゃった〜。

 乗船してもなんなら出発してもまた子さんの怒りは収まらず、憤りも顕にまくし立てる。どちらかといえば怒りの矛先を向けられているのは武市さんだ。のらりくらりと反駁を躱し、神楽陛下にごはんをつぐ姿はまァふざけているようにも見える。フェミニストは都合の良い言い訳の道具ではない、という点ではむしろまた子さんに加勢すべきかもしれない。

 とはいえ、彼はれっきとした鬼兵隊の参謀だ。武市さんの悪癖はたしかに間違いなく悪癖である一方、彼本人に科された責務を忘れ去るほどのそれでもない。

「——私が何故、あなたをこの船に乗せたかわかりますか」

 武市さんの言葉から不意に柔らかさが削ぎ落とされた。

「あなたを人質に取れば、あなたの仲間を自在に使えるからです」

 かつて紅桜の件では、人質に取られた神楽陛下に桂一派はまるで容赦なく砲撃を寄越した。当時の彼女は攘夷党の方々とはさして交流がなかったのだろう——今や脱獄を共に手伝った仲である。もしかしたらば万事屋御一行だけでなく、攘夷党をも制することができる。かもしれない。

「家族の問題に仲間を巻き込むまいとしたようですが、私は鬼兵隊参謀。いかなる手を使ってもいかなる兵力を利用してもこの戦況を打破しなければならない」

 冷徹に見下された神楽陛下は、どんぶりから顔を上げた。

「心配すんなヨ。おまえが余計な真似をしなくても……私が一人で勝手な真似をしてもしなくても、アイツらはきっと、来るアルヨ」

 綺麗に空にしたどんぶりと箸を置く。これで十杯目だった。

「きっと、私の家族を守るために。だから私も行かなくちゃならない」

 夜明けの兆しがまたたく。

「もうひとつの、私の万事屋(かぞく)を守るために」

 ……格好良いことです。十四の子どもが決意する。なんて素敵なドラマチックストーリー。過去のわたしよりもこの娘は本当に、ずいぶん強い。夜兎ゆえの身体能力だけでもない。心の在り様を含めた評価だ。

「腹ごなしは済みましたか? ひとまず、長旅になりますから。客室にご案内いたしますよ」

 声をかけると神楽陛下はすこし考える素振りを見せて「もうチョット食べる」と、言った。食糧、ちゃんと新たに確保しておいてよかったですね。烙陽までワームホールを用いても片道一週間、本当に到着前に餓死しかねない。

「そうですか。それでは、よくお食べください」

 わたしは素直に引き下がった。

「ヒカリ様。ねえマジであれホントにいいんスか」

 また子さんが駆け寄ってきた。妹分の険しい表情を見て、わたしは頬に手を当てる。

「また子さん。あなたが真実、気にかかってることはなんでしょう」

「だから……あいつらの手なんか」

「そうですね。しかし現状、手段を選んでいられないのは武市さんも仰る通りです。他には?」

「……あいつ私のこと前に染みつきパンツとか言いやがったんスよ」

「あら、口が悪いこと……」

 寺子屋に通う子どもでもなかなか言わない悪態である。……〝パンツちゃんときれいなの履いてる〟って、もしかしてそれ?

「……ガキに隊の存亡かけなきゃなんねえんスか」

「……わたしとお会いした頃のまた子さんだって、あの子くらいでしょう」

「さすがにあんなガキじゃねえッス!!!」

「あらそうでした?」

 わたしがとぼけて肩をすくめると、また子さんに睨まれた。微笑んで受け流す。

 あの子は十代前半。出会ったころのまた子さんも十代前半。かつて男子(おのこ)だけが受けるものだった元服は、十五のころに行うものだ。今の成人の基準は二十歳——十八に改正しようという法案は動いているけれど、かなり先になるだろう。どうにせよ、いずれにも満たない。まだ子どもだ。

 ……子どもって、本来は守られるべきなのにね、と思う。

 繰り返そう。わたしはもちろん、鬼兵隊が最優先だ。次に同盟相手の第七師団や見廻組の方々。兄弟子たちは三の次、四の次、その周辺の皆様もこの通り。年端もいかない子どもの利用を外道と思えど、そもそも外道なことは既に数多に冒していて、今更そこに罪業を積み重ねたところで大差はない。

 それはそれとして。

 後ろ手に持った端末のディスプレイに指をすべらせる。

【 あなたがたのお嬢さん、本当に食欲旺盛でいらっしゃいますね。彼女に対応できる程度の食糧備蓄の他、きちんと鍵のかかる客間をご用意いたしました。道中の待遇についてはご安心を。その後は、保証いたしませんけれど。 】

 ……わたし、髪紐を追って船から落ちかけたことで、万事屋御一行中心に多大なるご迷惑をおかけしたのですよね。

 いやもう本当にすみません市中引き回しはいかようにも、地球に生きて戻ることがあれば当然に実行いたしますけれど。つまりわたしはこの件ばかりは、因縁を取り払って最低限の礼儀として〝娘さんお借りしますよ〟を保護者の方にご連絡する必要がある、ということです。

【 激キモメール魔の次はおまえかよ てかやっぱそっち行ったのねあのバカ娘 休暇届出す前に出かけるならどこへ・誰と・いつからいつまで・を報告しなさいよ 坂田家ルールを忘れやがって帰ってきたら飯抜きの刑だわ 】

 夜兎にご飯抜きのお仕置きは、後が怖いのでやめるべきだと思う。主に神威さんを参考にした感想だ。

【 追ってこられるならばお早めに。さすがに最強夜兎の娘さんをコントロールしながら隊全体への気配りなんて芸当、わたしにはオーバーワークです。年端もいかない娘さんであろうと我が同胞を脅かすことがあろうものならまず真っ先に切り捨てますから。 】

【 言われなくても甘ったれの末っ子には元から期待してねえよ 】

【 やーんかなしい。。。 】

【 カワイコぶんな26 】

【 27になにを仰られたところで。 】

【 俺の年齢は松陽の目測だからおまえより歳下の可能性がある 】

【 ……あなたが、わたしの弟分? 】

【 想像したらめちゃくちゃ嫌だわ てかそういやおまえより歳下ってヅラや高杉より歳下じゃん最悪だ オッケー俺は常におまえより年上 甘ったれ末っ子の座は常におまえのモン 】

 勝手に自己完結された。

 それにしてもこのひと音声入力でもしているのかしら。句読点のない長文表現は、ただ黙読するだけでも、兄弟子独特の姦しい流れるような弁舌が脳内でありありと再生される。

【 あとテメーんとこのサングラス野郎拾ったってダチいるからついでに届ける 到着したら放り出すからさっさと拾えよ 】

【 把握いたしました。 】

【 把握じゃなく拾えっつってんだよ字読めてる? 】

「……果たしてその余裕はあるかしら?」

 わたしは返答を入力することなく端末の画面を消灯させた。じきに地球の電波圏を抜ける。

 良い知らせ。河上さんが生きていらっしゃる。神楽陛下の存在によるものか、別の働きかけでもあったのか、兄弟子と〝お友達〟が動き出している。悪い知らせ。兄上の話が出なかった。拾えたのは河上さんと、せいぜいがその部下のみ。あのひとの生存可能性が着々と減っている。

 ……兄上が死んだところで、我々が止まるはずはない。止まれるはずはない。たぶんわたしは、兄上が死んだくらいじゃあもう泣けやしない。

 何度も身に沁みて実感しているように——あのひとに生きていてほしいと願うのは、あくまでも、わたしのエゴでしかないのだ。

 

   ➤

 

 宇宙空間に昼夜はない。たいていの場合、宇宙船は周期的に照明の色や光度を調節することで擬似的な昼夜を作り出す。

「ヒカリ」

「こんばんは。どうしました?」

 休憩室も地球時刻で夜半となると人気もない。

 反物を縫い合わせていた手元から視線を上げると、神楽陛下はいつもの髪飾りを外していて、片手には毛布、片手には枕を抱えていた。いずれも客室に配置していたものだ。毛布は丈が長かったのか、半ば引きずっている。

「枕が固いネ」

「……うーん……」

 替えの枕を積む余裕などなかった。

「って言ったら眠れない理由が枕になるネ」

 どうやら眠れないらしい。

「ココアでも飲みますか。必要であれば淹れますよ」

「イラナイ」

 神楽陛下はわたしの横に椅子を引っ張ってきて、座面に胡座をかいた。枕は机の上にぽんと投げられて、すこしだけはねて、天板から半ばはみ出した位置におさまった。毛布は廊下の埃をまるごと掃いてしまったみたいで、毛先にゴミがついていた。わたしは手を伸ばして、てのひらで軽く払った。

「膝を揃えて座った方がお行儀がよく見えますよ」

「オマエ新八みたいなこと言うナ」

「あのコはたしかに、仰いそうね」

 銀さんは言わなそうだ。

「行儀じゃ飯は食えねえヨ」

「そうですね」

 礼儀とはドレスコードだ。それだけの教育を受けてきたことを示すもの。身分を以て値踏みし、その上でお眼鏡に叶ったごく限られた人々とやりとりする人種がいる。……とか、まァこの娘には響くようには見えない。

「お行儀よくします、とは相手を尊重しようという意思表明の手段です。自分はあなたに丁寧に接する用意がありますよと暗に伝えるためのもの。逆に言えば、お行儀悪くするというのは、あなたを丁寧に扱うつもりはありませんよ、という意味にも見えます。……ン、その点はわたしに対してお行儀悪いのは正しいかもしれませんね?」

 神楽陛下はすこしだけ黙っていたけれど、座面から足を下ろして膝を揃えた。

「あら」

「……べつにお行儀よくできないことないモン」

「そう?」

「第一今まともに話せそうなの、オマエ以外だと雑魚とロリコンと猪女しかいないネ」

 それはそうでした。

「……また子さんも彼女なりの立場があるので、あんまりいじめないでくださいね」

「アイツが噛みつかなくなったら考えるネ」

 先は長そうだ。

「……ロリコンはいいの?」

「なにも反論できないので……」

 神楽陛下はパチパチと碧眼をまたたかせて「……オマエ部下に恵まれてねーナ」と言った。「武市さんとまた子さんは、同僚です」わたしは訂正した。兄上との血縁関係をもとに畏まられているけれど、上下関係はない。

「恵まれてはいますよ。尖っていらっしゃる方が多いだけ」

「それ恵まれてねーって言うアル。ウチの新八を見ろ! アイドルオタクで童貞ダメガネ以外の欠点ないネ」

 べつに並べられた特徴も欠点には聞こえない。寡聞にしてわたしはアイドルオタクには詳しくないけれど、眼鏡ならば視力の低さを道具で補っているという意図以外になく、童貞はむしろ見境なく手を出すよりは誠実でよいのでは?

「志村さん御本人に仰ってみるのはどうでしょう? 欠点の部分は抜いて。きっと喜ばれますよ」

「なんでヨ。ヤダあんな眼鏡に」

 神楽陛下はきっぱりと拒絶した。思春期はなにかと無用な羞恥心がつきまとう年頃だろう。わたしも覚えがあるので、それ以上の説得は試みないことにした。よく考えなくとも、我々そもそもお互いに、仲間と生きて再会できるかも怪しい地へ向かう途中である。

「……なにしてるの」

「服を作っています。有り合わせですけれど」

 諸々の物資を先に確保しているとけっきょく着物を買い揃える時間は消えた。神楽陛下は御年齢にしては幼いしぐさでわたしの手元を覗き込む。

「……銀ちゃんがたまに白いの似た感じで縫ってる? カモ」

「手先が器用な御方ですね」

「穴開くとアップリケつけてる」

「おかわいらしいこと」

「カワイイの見えるとヤだからって裏側につけて、アップリケのせいで肌ゴワゴワするって呻いてるヨ」

「ふふ、」

 笑うと手元がブレてしまう。腹筋に力を込めた。銀さんは昔も同じようなことをしていた。表側がほつれているとみっともないと嫌がるのだ、裾を半端に帯に挟んでいても気にしやしないくせに。それで目立たぬように、と器用な手先を存分に活かして手際よく裏地に縫い付けて「頭良いだろ」とドヤ顔を見せ、布の端っこをちゃんと処理しないから、肌に当たってかゆいかゆいとゴロゴロ畳を転げ回る。

 変なところで格好つけだから、気の置けない相手の前でしか、そういうさまは見せない。

「仲良し家族ですね」

「……そう?」

「わたしはそう思いますよ」

「フゥン……」

 ただチクチクと縫い合わせるだけの作業を見ているのは楽しいだろうか。わたしは、そろそろミシンがほしいなと思っているところ。鬼兵隊に来てからは衣服なんて買うばかり、裁縫はせいぜい適当なほつれを縫い合わせる程度で、ミシンは購入しないままここまで来た。鬼兵隊自体にお金があるというのもあるけれど、衣類を縫っている時間がもったいないくらい忙しい時期が長すぎた。

 というか買っていたところで、本艦は南天楼で吹き飛んだみたいなので、どちらにせよここには用意できなかったと思う。つまりないものねだりというやつですね。

「……そよちゃんが」

 神楽陛下はぽつりとつぶやいた。

「オマエと話そうとしたって言ってたアル」

 わたしがそよ姫と顔を合わせたのは、鈴蘭太夫の件と、将軍暗殺、その二件に留まった。

「……そうね。あのお姫様は、最後まで話し合おうとなさっていたと思います」

「……オマエは折れちゃくれなかったみてーだけどナ」

「今後は攘夷浪士と話し合おうとなさらないでください、あなたの立場ではそうあるべきです、とお伝え願えますか」

 それともわたしなぞに言われずとも、兄君が殺された今、さすがに身に沁みてくださったかしら?

「そよちゃんは、今度も、とりあえずオマエとは話し合おうとするヨ。きっとする」

 わたしの思案とは裏腹に、神楽陛下は断言なさった。

「話し合いだけですべてが解決するなぞ、理想論に過ぎません」

「じゃあなんでそよちゃんに忠告したの? そよちゃん言ってたヨ。オマエがそよちゃんの話に反論してこなかったら、ミツバの姐御も間に合わなくて、斬り殺されてたって」

 縫い目間違えた。

 不格好になってしまうが、一度糸を留めてから糸鋏で切る。有り合わせのお着物程度、糸を抜いて縫い直すほど真面目に作っていられません。

「頭に血が上りやすいんですよわたし。挑発に乗りやすいの。けれど、二度も同じ手は踏みませんとも」

「銀ちゃんは別のこと言ってたアル。自分が間違ってるのわかってるから聞いてほしくないんだって。やさしい人が傷つくの嫌いだけど、間違ってるのわかっててももう止まり方忘れちゃったから、こっちから威嚇してる間にさっさと避けてほしいんだって」

 兄弟子なんか嫌いだ。

「本人の証言とその場にもいなかった他人の証言、どちらを信じるか、という問題になりましょう」

「私ソレ判断できるほどオマエと親しくないネ」

 それはたしかに。

「けど」

 蒼い目がまたたいた。光量を絞って暖色に寄せた照明の下、深い色彩を醸し出す。

「殺す必要がなかったってだけなら、生かす必要もなかったんじゃネーノ。って私は思ってるアル。だから雑魚でもロリコンでも猪女でもなく、オマエんとこに来てるヨ」

「……神楽陛下」

「なに」

「もうそろそろ、寝ません?」

「イヤアル〜目が冴えて冴えて眠れないヨ〜」

 駄々をこねる女の子に「どうしましょうねえ」嘆息して、わたしは針山に針を刺し直した。子どもの扱いはわからない。年長者としてこの年頃の子に接した経験となると、昔のまた子さんぐらいだ。また子さんは大層聞き分けが良い——というか良すぎて、わたしがすこしでも困った気配を察するとすぐに己が要望を撤回するので、それはそれで苦労した覚えはある。

 銀さんや小太郎さん相手なら、そろそろ睡眠薬を盛っているところである。兄上に盛った場合はこめかみぐりぐりの刑が待っているけれど、あのひとたちはやさしいので説教で済む。が、まあ、さすがにお借りしているお嬢さんにそのような仕打ちはできない。

「寝かしつけだとか、受けたことはありませんか」

「一回まるで眠れないとき銀ちゃん起こしたことあるけど、あのマダオ属天パ亜科、ろくに役に立つこと言わなかったネ。目をつむって布団にいろとか一回疲れてこいとか風呂入って腹ごなししたら自然と眠くなるとか。全然だったヨ」

 銀さんにしてはむしろずいぶん真っ当なアドバイスを述べている気がする。

「そのときは、どうなさったの? ずっと起きていらっしゃった?」

「深夜ラジオ聴いてたらいつの間にか寝てたネ」

 さすがに潜伏航海中にラジオ電波を拾うのは難しい。

「万事屋にいらっしゃる前に寝かしつけを受けたことは?」

「ンー……兄ちゃんがそういえば」

「……神威さんが?」

 神楽陛下が針山の針を戯れのようにグサグサと何度も突き刺すので、さりげなく遠ざける。手持ち無沙汰になった少女の手元がこれ以上悪さをしないよう、掬い取って、わたしの両手に収めた。夜兎の力ならばかんたんに振りほどけただろうけれど、神楽陛下は抵抗しなかった。

「マミー体調ずっと悪いから起こすの悪いし、パピーはだいたいいつもおうちいないから、兄ちゃ……神威と遊んでたの。眠れないときも、お話してもらった……かも」

「かも?」

「あんまり……覚えてないネ。マミーも死んでなくて、アイツも出てってなくて、パピーも腕あって、ってなるともうこーんなに小さい頃の話アル」

「豆粒サイズですね」

 人差し指と親指を狭めて〝こーんな〟を示す神楽陛下の指先を撫でた。

 お母様の死去や神威さんの家出には、わたしは詳しくない。ただ星海坊主(うみぼうず)が腕を失ったのは、もうだいぶ前の話のはずだった。四捨五入で十年は経過している。……この子は四、五歳? 神威さんももしかしたら、十にも満たなかったろうか? 以前ちらとお聞きしたエピソード、お父君を殺しかけて腕をもぎ取っていった、という部分だけを聞くとあまりにも異常だ。異常なのだけど……。

 ……。

 ……やめておこう。神威さんは確実に、つつかれたくもないだろう。

 しかし烙陽はその性質上、あらゆる星から多種多様な人間が集結する。言語的な意味でも。神威さんの故郷であるならば、それは妹御たる神楽陛下の故郷でもあるはずだ。

 星間文明の技術発展は言語のリアルタイム翻訳を可能にした。言語能力が未発達の子どもでもない限りは、お互いの言語を学ぶことなく、互いの第一言語を用いた意思疎通を実現できる。その上で神楽陛下の言葉が、ピジン語じみた口調として訳されているのは……本来言語能力が培われるべき幼少期に、手本になる第一言語を話す大人が近くにいなかったから、かもしれない。内的言語の疎通時に不備が発現する例にわたしは知見が深くない。

「どうして眠れませんか」

「目が冴えるネ」

「目が冴える理由はなんでしょう」

「目が冴えることに理由を求めてたらますます目が冴えるネ」

 突き放すように仰る神楽陛下、彼女の指先はすこし冷えている。末端の冷えは、たとえばストレスや緊張から来る場合がある。睡眠障害も同様に。

 神楽陛下にとって、頼れる味方は真の意味ではこの船にはいない。わたしは必要とあらば彼女を切り捨てる。どうでもいい端数として見殺しにできるし、場合によっては刀を向けることも吝かではない。今はその時では、ないだけで。

 そもそも彼女は今、自らの父と兄の殺し合いの狭間に立たされている。神威さんは行方不明のままだから、もしかしたら既に死んでいて、彼女の父親が既に子殺しの業を背負った可能性は依然として存在し続けている。その諍いに万事屋の方々まで首を突っ込みにくるのがほとんど確定している。

 強がりに対してそれらの根拠を並べる……のはやめて「そうですか」とわたしは相槌を打つに留めた。何度か繰り返し揉んでいると、じわじわと温まってくる。

「てユか、これなに? ……オマエが眠れないとき、兄貴とかにやってもらったの? 片目のやつ兄貴なんダロ」

「我が兄上は、このようなことはまるで。眠れないときの秘技であるのはその通りです」

 兄上ではなく、〝先生〟にしていただいたことだ。皆様を起こすのは忍びないからとひとりで暗い居間でぼうっとしていると、いったいどうしてわかるのか、たいてい〝先生〟がすぐにやってきた。白湯を飲んで、すこしお話して、手足をあたためて、そうしてもう一回布団に入って……それでも眠れなかったら夜更かしパーティしちゃいましょうか、と〝先生〟はよく仰った。夜更かしパーティが開催されることは一度もなかったと思う。〝先生〟の言う通りにしたらいつだって、本当によく眠れたからだ。

 兄上は……むしろあのひとの方が、眠れないときにわたしを叩き起こしにくる側だった。兄上の背中に捕まって、羽織に顔を押し当ててうつらうつらとする幼いわたしを、起きろと容赦なくしばいた。まったくひどい兄である。連れ立って屋敷を抜け出して、星降る空を見上げた。蛍の旅立ちを見送った。夜中にひたはしる雷光を軒先で眺めた。わたしが眠いとぐずればしょうがねえなとばかりに嘆息して(そもそも叩き起こされて眠いのは当たり前でしょ……)背中をさするようにされるとあっという間に寝落ちて、翌朝には二人揃って寝こけているところを小太郎さんか銀さんに発見される。あのとき、いつも知らぬ間にかかっていた毛布は〝先生〟の仕業だっただろうか?

 ……〝先生〟の正体を知った今、あのひとにそもそも睡眠という概念があったのか、怪しいところではある。居眠りの現場を見かけたことがない。おやすみなさいと言って自室に入るところは見ていたけれど、真に眠っていたのかは、扉を開けなかったわたしにはわからないことだ。

 益体もないことを考えていると、神楽陛下のまばたきがだんだんと多くなってきた。

「……眠くないアル」

「そうですか」

 絶対眠そうですけれど。

「……オマエって変ヨ」

「あらあら」

「……どうして、やさしくできるのに、将ちゃん殺そうとしたの?」

 わたしは目を細めた。

「わたしのような人間をやさしいと呼ぶべきではありません」

 冷たくあしらう理由がないからそうしているだけに過ぎない。必要であればこの子を害することができる。現実的な選択肢に常に加害を組み込んでいる人間を、やさしいと呼ぶべきではない。

「べきべきって言うネ。べき星人」

 神楽陛下はわたしの手を振り払って、枕をつかんで立ち上がった。「部屋戻るアル」「おやすみなさい」「眠くないアル」「そう、ですか……?」いやもう明らかにもう眠そうなお顔なさっているけれど……と、思いながら、わたしは彼女を見送った。毛布はやっぱり引きずられている。畳んで差し上げた方がよかっただろうか。後の祭りなのですけれど。

「……ところで、また子さんも眠れないんですか?」

「べつにそういうわけじゃないッス」

 途中から様子をうかがっていらしたまた子さんが、ついさっきまで神楽陛下が座っていた椅子に腰を下ろす。いつもの若者らしいへそ出しルックではなく、寝間着で、普段結っている髪も下ろしている。

「ココアでも淹れましょうか。一緒に飲みますよ」

「……ヒカリ様甘いもの苦手でしょ」

「んーふふ……」

「すぐ古畑任三郎みたいな誤魔化し方する」

「待って、古畑任三郎みたいって思われてたんですか……?」

 また子さんはぺたんと机の上に上体を寝かせた。お行儀は悪いけれど、気心知れた仲の相手しかいないときにお行儀を指摘するほど無粋ではない。交渉の際はちゃんとなさるとわかっている。

「一緒にいるだけでいいです」

「であれば、縫い物再開しても大丈夫でしょうか」

「どーぞ」

 先ほど針山に戻してしまった針に糸を通し直す。ちくちくとまた細かく縫い始めたわたしの手元を、なにをするでもなく、また子さんは眺めていた。

 また子さんは——彼女だけでなく、武市さんも——わたしが天導衆に確保されたあとどのように生き延びたのか、どういう経緯で兄弟子たちを手を借りるに至ったのか、わたしの髪がバッサリと短くなったその理由を、聞かない。いつかは話さねばならないとして——生存している皆様、全員集合してからの方が説明もいっぺんに済むだろう。虚の件は今井さんが話してくださった。その他に喫緊に共有すべき事項はない。

 縫い続けていると手首が疲れてくる。たわむれに、傍らの女の子に指を伸ばしてすべらかな頬をこすると、また子さんはきゅっと眉を寄せた。かわいいですね。指に触れる体温はぬるく、室温よりは確実にあたたかく、彼女が間違いなく生きている事実を示す。

 

   ➤

 

 噂通りに曇り空。暗雲は雲の分厚さによるものか、この星が地球よりも小さいために大気圏が小さいことに所以するのか、いつも見上げる曇り空よりも雲は近づいて見えた。

 烙陽には海はない——現在の地殻構造の問題で、海と呼べるほど貯水できないのだとか——が、河川や小さな湖は存在する。理屈としては雨天時のみ出現する枯れ川(ワジ)やオアシスに近いのだが、烙陽で雨天でない日の方が少なく、いくつか小さな港も造られている。

 と、いうことを神楽陛下がお話なさっていたので、我々の宇宙船も無人の港を狙って停泊した。石造りの桟橋は見るからに寂れている。桟橋には、苔のような植物が細かく隙間に根を張っていた。酸性雨気味の土地でも生きとし生けるものは適応能力を見せる。湿気た環境で生長しやすい植物の相場が苔である点は、地球とも変わらない。

 荒廃した街並みの背後には、岩稜が広がっている。

「寒」

「気温は……この調子、おおよそ十℃といったところかしら」

「冬じゃねッスか」

 また子さんがぼやいた。

 神楽陛下が上空を仰ぐ。

「烙陽じゃ夏の気温ネ」

「な、南極……?」

 南極とまではいかないが、地球基準なら緯度六五°前後の国や地域、具体的にはアイスランドあたりが該当する。年中ほとんど陽光が遮られているならば、なかなか、地表が暖められる機会は訪れまい。

 予め用意していた外套の袖に腕を通し、ボタンを留める。また子さんも肩を震わせると外套を羽織った。

 神楽陛下がおもむろに番傘を開くと、頭上に差す。すぐに雨が降ってきた。地面にいくつかの染みを作り、さあさあと小雨の音が響き渡る。

「あの廃寺院を目指します」

 武市さんが指差す先を見て、神楽陛下は頷いた。

「だったら、山の裏から登るのがいいネ。町中はならず者ばかり彷徨いてるアル。絡まれても倒せるケド、結果的に時間食うヨ」

「道理ですね。ヒカリ殿やまた子さんは、異論はありますか」

「どうぞ軍師殿の御随意に」

「ヒカリ殿」

「怒られちゃった……」

「それが晋助様への最短なら、私はなんも」

 おふざけには乗ってくださらなかった。

 少女は足早に、石道を歩く。我々も彼女のあとを追った。

 歩くたびに細かい砂利の感触が草履越しに足裏に伝わる。たしかに雨は地面を叩いているのに、水溜まりが作られる様子はない。常時雨が降り注ぐ環境で、果たして飽和しないのか、海も存在しないのに——落ちた雨粒の痕がスッと消えていく。この土地はどうやら、吸水効率が高すぎるみたいだ。烙陽特有の土壌か、大戦が引き起こした副作用によるものかはわからない。地殻内部には多量の地下水が溜まっているのだろうか?

 神楽陛下は勝手知ったる様子で、洞窟を潜り抜け、崖を飛び越えて、ひょいひょいと登っていく。

「神楽陛下……その、すこし速度落としていただくことは可能でしょうか」

「ヒカリ様今そのガキに陛下って言いました???」

「え? はい」

「鬼兵隊って軟弱ヨ」

「調子乗んなよウサギ女。マジでコレは武市先輩だけだから」

「ゼェ……ハァ……」

 両膝に手をついてゼェゼェとあえぐ武市さんが「め、め、面目ない……」「いえいえ」細い声を絞り出す。わたしはあいまいに笑った。それにしてもこのひと、相変わらずというか、病み上がりのわたしよりも体力ないんですね。

「ったく。先輩さっさとそこ座って」

 また子さんが呆れた様子で武市さんの腕を引き、岩場に座らせる。水筒を開いて押しつけた。

「もしかしたら、烙陽の空気によるものかもしれません。重力の作用が小さく、酸素濃度が高めなので、本来もう少し動きやすいはずですけれど……ただ、空気が地球よりも濁っていますから」

「いや武市様がただ体力ないだけだと思いますよ」

「内山さん……手加減してあげて……」

 武市さんは肩身も狭そうに項垂れた。雨天に気落ちが相まって、キノコでも生えてきそうな湿り気具合だ。

 神楽陛下もまた平べったい目で武市さんを眺めていたけれど「……まあそろそろ町のあたりも抜けて、人気が少なくなるヨ。この後はもうちょいマシな道選んでやるアル」「ご配慮ありがとうございます」彼女もまた岩場に座った。

 神楽陛下はガサゴソと荷物を開くと、いくつかの萎れた花を取り出して、すこしだけ眉を下げた。

「……花?」

「なんでもない」

「しおれてるな」

「切り花は寿命が短いから」

「なんでもない! オマエら覗くんじゃねー!」

「ねえそれ貸して」

「オイ何すんだヨ」

「そう気張らなくて大丈夫です。蛯名さんは植物の扱いにおいて人並み外れていらっしゃるの」

「片親がそういう種族なんで」

 蛯名さんが神楽陛下の手から花を取り、少し握った。みるみるうちに茎や葉に生気が宿り、あざやかな緑を取り戻す。くたびれていた花弁に色が戻る。

 目を丸くしていた神楽陛下は「ハイどーぞ」返却された花を慌てたように握り直す。

「……アリガトヨ」

「その持ち方茎折れるんじゃねえの」

「バラバラだといかにも邪魔っ気」

「そもそも花って荷物に素で入れるもんでもねえだろ」

「アリガトって思ったけどオマエらマジうるせーアル!? 撤回してやろーか!?」

 ぎゃあぎゃあわいわい。騒ぐだけの元気があるのは良いことだ。

 わたしは手荷物から撥水紙を取り出して(撥水性の紙は様々なことに役に立つ。油性ペンで書き込めば雨に晒されても消えにくい。水分厳禁の代物を一時保護だとかも)軽く切った。ハンカチを開いて、自らの水筒から少し水を垂らして握り、全体的に湿らせる。

「お花の方、今度はわたしにお貸し願えますか」

 神楽陛下はぎゅうと眉を寄せて、けれど素直にわたしに花を差し出した。茎の端を濡らしたハンカチでくるんで、糸で縛る。紙で全体を巻いてからもう一度糸で括った。花々の間に手を差し込んで花が向く先や位置を調節し、見た目を整えてから神楽陛下の手元に戻すと、彼女はおそるおそるといったように花束を抱き込んだ。

「……オマエら……銀ちゃんみたいなことするネ」

「罵倒をやめろ子兎」

「銀ちゃん罵倒扱いなの」

「白夜叉は褒め言葉で坂田銀時は罵倒」

「マジで意味わかんねーアル、変な組織ヨ……さっさと行くネ。てか、ロリコン生き返ったカ?」

 武市さんを振り返ると、先程までの湿気った様子は跡形もなく、彼はキラキラと目を輝かせていた。

「若人の戯れ。これは健康に良い。いずれは癌に効くでしょう」

 また子さんが無言で彼の後頭部に拳骨を落とした。

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