【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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化学わからない。
というか科学がわからない。


36

前略:

 烙陽到着with陛下。

 

   ➤

 

 山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 ——近年、我が国に現れた文豪が謳った一節である。

 現在同様に(と、一口で評すには草枕の描写よりも岩肌が濃いものの)山路を登る身としての感想は、同意見である部分と、そもそも山路を登りながら考えることだろうか……という心境の二つが並行して存在している。後者はそれこそ、小説に対して無粋極まりない自覚はあった。

 文学には、心に余裕がないときにこそ響く作品と、心の余裕があるときにこそ拝読すべき作品というものがある。とりあえずわたしにとっての草枕は後者みたいだ。

「チョット寄り道するアル。いいだろ、私オマエらに合わせて休憩してやったネ」

 神楽陛下はそのように仰って足先を変えた。我々に反論の余地はない。片手に番傘を持ち、もう片方の手には花束を握りしめている。

 依然として烙陽には小雨が降り注いでいた。わたしは笠の位置を直した。指先で直した。

 彼女が向かった先には、せり出した崖と、人工的に刳り出され磨かれたと一目でわかる長方形の石碑が鎮座していた。風雨に晒されたためか、一部ひび割れていて、縁は丸く削られ始めている。碑銘が彫られているように見受けられた。

 石碑の前には、花束が横たわっていた。神楽陛下が握りしめているような、適当な撥水紙に巻いた程度の即席花束ではなく、どこか花屋にでも寄って作ってもらったように見える。雨に打たれた形跡はあるけれど、ラッピングは大してよれていない。花もしおれていない。わりと直近に手向けられたものだと感じられた。

「……墓?」

 また子さんがつぶやいた。わたしにも墓碑に見えた。

 烙陽に辿り着くまでの道中の会話を思い出す。神楽陛下がごく断片的に語った幼少期の思い出。病弱な母。不在がちの父。よくともにいた兄。……他の、思い出話に登場しなかったどなたかの墓である可能性も、ないとは言わない。

 また子さんは先日、わたしと神楽陛下のお話を途中から聞いていた。同じことに思い当たったのか、彼女はそれ以上は続けなかった。

「確かめたいことがあっただけアル」

 神楽陛下がつぶやいた。

「思った通りだった——あのハゲも、ここに来てるアル」

 星海坊主(うみぼうず)の頭頂部が御歳にしては寂しい方、という事実は彼の知名度同様に有名だ。昨今はインターネットの普及により、著名人(芸能人、第一線で活躍するプロ、指名手配犯)は毛髪事情まで晒されます。

 ……ふざけた感想は置いておこう。星海坊主(うみぼうず)が既に来ている。それも、我々よりも先回りしている。わたしは自らの唇を指でなぞった。神楽陛下にとっては良い報せだろうか、悪い報せだろうか? 我々鬼兵隊にとっては、間違いなく悪い報せだ。

 家に不在がちであったという父親は、果たして、息子が指定した隠れ家まで突き止めているだろうか? あるいは棲家の地理には、幼いうちに家を出た子兎よりも彼の方が詳しいのかもしれない。わかりやすい戦闘の気配が発生していないことから、神威さんとはまだ鉢合わせていないと考えられる。では他の人員とは、鉢合わせていないのだろうか? 鬼兵隊や第七師団。兄上——

 思考を止める。

 神楽陛下は花束を持ったまま、踵を返した。

「献花はよろしいのですか」

「誰とケンカだヨ。空カ?」

 夜兎に、花を手向ける風習があるとは聞いたことはなかった。神楽陛下の怪訝そうな顔を見るに、実際に彼らには(少なくとも、神楽陛下の語彙の範囲内では)〝献花〟に対応する単語が存在しないようだ。

「我が国では、花を献ずる、と書いて献花と読みます。広く花をささげる行為を指すものですが、狭義には死者の弔いに花をささげる行為そのものを指します」

「じゃあソレって、花以外が好きだったヤツにもやるノ?」

「一般的には、故人が余程花を嫌いでもない限りはそのようにするでしょうね」

「不思議アル」

 神楽陛下は本心から述べているように見えた。

 ということは、彼女が花を選択した理由は夜兎や烙陽に根ざす文化的なものではなく、墓碑の下に葬られている故人が花が好きだったのかもしれない。

「……終わったらまた来るネ」

 神楽陛下はつぶやいた。

「話したいことが多すぎるヨ。今は時間足りないアル。先に、進まないと」

 彼女が長居しないのであれば、鬼兵隊もここに時間を割く理由はない。各々踵を返す中、わたしは一度、墓碑を振り返った。取り残された花束が地面で揺れている。ラッピング越しにつたった雨粒が、花びらを滑り落ちている。

 烙陽特有の種か、別の星のそれか。地球種の植物であれば㏗4前後の雨に打たれればたちまち弱りそうなところだけれど、花弁はまだ色鮮やかに開いていた。

   ——ドッ、

 轟音。

 花束が大きく揺れて、ラッピングの隙間に溜まっていた雫がぼたぼたとこぼれ落ちる。地面に染みを作る。

 パッと弾かれるようにわたしは正面に向き直った。夜兎も地球人たちも、皆一様に唖然と山峰を振り仰いでいた。

 廃寺院が煙を上げている。ドン、ドドドン、とさらに大きな音を立てて、建築物が次々に砲撃されていく。音立てて瓦礫が崩れ落ち、地面が崩落するさまは、重力の差異がどれほどのものにあろうが地球のそれと変わりない。

 いつの間に現れたのか、上空には宙空両用船がいくつも佇んでいた。星間文明における軍用兵器としてもっともポピュラーな形状だ。数多の人員を収納できて、砲台を数多く設置し、ステルス性能を持ち合わせ長距離移動に耐える艦種。

 ——宇宙海賊春雨も保有する、掃討戦用の戦艦だ。

 

   ➤

 

【 生きてるか? 】

【 無事に電波圏内に到着なさっていたようでなにより。あなたのところのお嬢さん含めて皆五体満足、砲撃には巻き込まれておりません。ただ兄上の安否確認どころかどなたとも合流できていないという意味でもあります。ところでそちらの状況は? そもそもあなたがたのところってどなたがいらっしゃるの? 】

【 俺・新八・ヅラ・ヅラの部下たち・辰馬・辰馬の部下たち・おまえンとこのグラサン・グラサンの部下たち・グラサンの部下たちで先に烙陽にいたやつ・あと喜々クン 】

【 すみませんなにその御一行? 特に主に最後の一名。 】

【 俺が聞きてーよ 全員生きてはい 】

【 途中送信ですか? 】

 

【 状況は? 】

 

【 銀さん? 】

 

【 グラサンの部下 裏切り 捨て石 奇襲 】

【 奈落? 春雨? 】

【 春雨 包囲網誘導 上方狙撃 マシンガン バズーカ? 】

【 華陀は? 】

【 知らね 分断なう 】

【 了解。御武運を。 】

 

入力欄に残ったままの未送信メッセージ

【 死ぬなよ 】

 

   ➤

 

「武市様! ……と、ヒカリ様!?」

 山路の向こうより駆けてくる面々は、いずれも鬼兵隊の隊員だ。目を丸くする皆様に「ハァイ、高杉ヒカリ生きてまーす」わたしがふざけて手を振ると「ヒカリ殿」武市さんに控えめに叱られた。

「ご、ご無事でなにより……合流なさってたんすね」

「少々手間取りましたが。……あら、中田さんもいらっしゃるじゃあございませんか。お怪我の程はいかがでしょう」

 むさくるしい侍たちにまぎれて、中田さんはわたしに半眼を向けた。

「確実にアンタよりは問題ない確信だけがあります」

「ひどい部下……」

「しらじらしッ」

「まったく遠路はるばる出張した上司に大層無礼だこと」

「このひといい加減にしてくんないかなー!」

「君はことここに及んでも態度は頑として変わらないようですね」

「なんの話かわっかんないのでこの話はこれで終わり! ハイ! 今コントしてる場合じゃねーですよね!?」

 それはたしかに。

「ともあれ皆様、こちらです! 総督は先に砂川たちが避難させていて——」

 ひとりが案内しようと踵を返す。我々も続く中、中田さんがわたしに意味深に目配せして「ヒカリ様、今一瞬お時間あります? 考(﹅)慮(﹅)外(﹅)の件なんですけど」と、言った。

 聞き覚えのある単語だ。

〝鬼兵隊内部であればあなたもあなたで怪しいのですが——マわたしを闇討ちしなかったことから考慮外にして差し上げます〟

〝もしかして今めちゃめちゃ不穏な話されてます? おれバリバリ容疑者だった? 今の話って容疑から外れたから共有されてて、そうじゃなかったらそこの崖から突き落とされたりしました?〟

 誰かが手繰る傀儡の死体に取り囲まれていたとき、生者はわたしと我が部下しかいなかった。この場ではわたしにしか伝わらない単語だ。

「どうぞ」

 わたしは走る速度を緩めることなく言った。

「砂川と瀬戸と古谷。だ(﹅)け(﹅)です」

「それはそれは」

『つまり、今ここにいる面々は全員、春雨母体の息がかかっていると』

『嘆かわしい状況ですな』

 武市さんはこの短距離を走る間にもすでに息を切らし始めていた。生き残ったら体力つけてもらおうかな。

 山路にもちらほらと建物がある。それすなわち人間が潜みやすい遮蔽物が存在すると同義だ。狙撃に利用するなら——だんだんと陰に差し掛かる。わたしは、先陣切って走っていた隊員たちのうち、手近な二人の襟首をつかんで引き倒した。

   ——銃声。

 口封じとばかりに頭部を狙った銃弾は五つ。うちふたつはわたしが引き倒した隊員たちを狙っていたから、頭上を通り過ぎて街の方へと消えていった。もう三つは、崖上から飛んできたたった一発の銃弾に撃(﹅)ち(﹅)抜(﹅)か(﹅)れ(﹅)、立て続けに叩き落とされた。我らが最年少幹部の腕をご覧ください。若者の人間離れが著しい昨今、どうやらまた子さんまでその一員ということみたい。

 神楽陛下が辿ったルートは、上空からも全隊員を視認できない森の中・洞窟の中ばかりだった。二手に分かれても気づかれまい。裏切者たちの奇襲があるとわかっていてなお、一丸で臨む馬鹿はおりませぬ。

 時同じくして、わたしに向かって投げられた鞘入りの刀を掴んだ。

「どうせ持ってねーんでしょッ」

「あらご明察」

 抜刀。

 捨て駒扱いに咄嗟に抵抗しようとなさったのか、こと今に至っても春雨に我々の首でも差し出そうとしたのか、あるいは両方——刀を構えた部下たちの柄を一振りで切り刻む。

 茎が見えた刀をなお振れる者は、少なくともこの場にはわたし以外にはいない。

「アンタはいい加減マジで自分の得物持て」

「とうとう敬語が外れてきちゃった……」

「こんだけ振り回されてりゃそうもなりますっての! ギャーッ撃たれるッ死ぬッマジ無理!!」

「つくづく騒がしいこと……」

 無手になった中田さんをマシンガンが執拗に狙う。部下を的にする散弾を切り払い叩き落とし、わたしは隙を見て刀を中田さんに投げ戻して「え!? ぶっちゃけおれが持ってても死にますけど!? おれ刀じゃ斬り合いくらいしかできないから!! てかそれが普通のはずなんだけども!!」「そろそろ銃弾くらい弾けるようになってはいかが?」「無茶言うなしこのビックリドッキリ大道芸人曲芸専門職上司」「もう一度仰ってみて?」「サーセン……」代わりに、腰に提げていた番傘を開いて、手中で回転させた。すべての銃弾が夜兎愛用の傘に弾かれ、四方八方に跳弾する。

 ちなみに阿伏兎さんはこの跳弾方向もコントロールできるらしい。実戦で実践してみて確信したけど、やっぱり夜兎って規格外だ。阿伏兎さんは今後二度と常識ぶらないでいただきたいところです。

 わたしは跳弾ではせいぜい大雑把に狙うぐらいしかできないから、数十人の待ち伏せのうちたった七人しか倒せなかった。

「……じつは第七師団と合流できてました?」

「いいえ? この番傘は別の御方からの借り物です」

「武器破壊常習犯のアンタに番傘貸してくれる酔狂な夜兎って第七の他にいるんだ……」

 地球の万事屋で生活する夜兎はたしかに酔狂にございましょう。

 弾幕を弾き返しながら、それにしても夜兎の傘はさすがだ、とわたしはしみじみと思う。ここまでの一斉射撃を一手に引き受けてしかし傷ひとつない。夜兎族が所持する番傘の製造方法は彼らの最重要機密として秘されている。合金製でありながら布と見紛う柔らかさ、それでいて銃弾を弾き返せる強度、内蔵されたマシンガン機能と、部族伝統でありながら星間文明最先端技術を結集した武器だ。その性能は推して知るべし。

 一方で、さすがに第七師団を有していた宇宙海賊所属メンバーなだけあるのか、皆様速やかに建築物や木々の裏に隠れた。射撃は未だ続いている。すべて捌き切れる範囲内だが——さて、膠着状態に入りました。これが長丁場と化した場合、数とコンディションの問題で我々が不利なのは自明である。

 蜂の巣をすんでのところで回避した浮気者さんたちは、唖然とした様子でわたしを見上げた。

「ど、どうして……」

「庇ったか? それはもう、総督不在の最中に鬼兵隊隊員をこれ以上欠かすと、わたしが叱られまして」

 わたしはあっけらかんと言った。

「叱られはせんでしょうが、実際に人手は足りませんからね」

 こっそりと息を整えていらっしゃった武市さんは、ようやく話せる程度に回復したみたいだった。澄まし顔で口を開く。

「けれど俺たちは裏切り——」

「裏切り? はて、裏切りに類する行為がいったいいずこにありましたかな? どう思いますヒカリ殿」

「さあ? うっかりわたし、銃弾を弾くついでに隊員の皆様の刀を壊してしまったので、見逃したものも多いかも?」

「このひとたちいよいよしらこいな」

「なんですか中田さん。仰りたいことがあるならばどうぞ、大きな声ではっきりと」

「なんでもないでーす」

 中田さんは震え声でとぼけた。

 まあ、生きていたことに加えてどうやらよく働いてくださったようす。こちらもこちらで忙しい。貢献に免じてお説教は特別に免除、ということで。

「果たして春雨がどのように口説いたのか存じませんけれど……我らが総督の部下を大盤振る舞いに捨て駒扱いを目論むだなんて、贅沢なこと」

 地球人にとっては異形の方々、春雨の団員、神威さんを切り捨てて華陀提督のもとに鞍替えした宇宙海賊たちがぞろぞろと現れる。わたしは彼らを見据えながら、一方で、思考はこの場にはなかった。

 戦艦は依然として我々の頭上、高度数百mの位置に悠然と佇んでいる。あれに華陀は乗船しているだろうか? あるいは既に降り立って、どこかに隠れ潜んでいるだろうか? 全く別の場所で暗躍なさっている可能性もあるだろう。

 裏切者をただ利用するだけしきってさっさと切り捨てる判断には理解が及ぶ。我々のかつての所業と同じことだ。もとより外部の駒を重用する価値はなかろう。加えて一度所属組織を裏切った実績付きだ。別組織がより良い待遇や報酬をちらつかせたらば今度は裏切られるリスクを常に考える羽目になる。わたしたちだって利用した他人を踏みつけ足蹴にして駆け上ってきた。やり返されるもまた道理。

 その上で。

「我々が丹精込めて育てた人材を横からかっさらって屍兵と目論んだ方がいらっしゃるようですよ。いかがいたしましょう武市さん」

「当然に死罪でしょう」

「素敵! わたしたちってば気が合いますね」

 人材育成って大変なのだ。我らが総督のもとに集う人間はやる気は有り余っている(そうでもなければテロリストになぞ与しない)が、いかんせんやる気ばかりで空回りの人間は割合として無視できなかった。国を巻き込んだ戦争が長らく続いていた我が国では、学がある者も元より少ない。再編鬼兵隊の創立から九年、わたしが参画してから七年、我々けっこう頑張った。とってもいっぱい頑張った。

 それらを、へえ、使い捨てですって。

 因果応報も自業自得もなにもかも、承知の上でここにいる。我々は根本的には身勝手な復讐集団だ。我々はたしかに他人を平然と裏切ってのし上がってきた。ツケを返されるのも致し方なし、当然のことにございましょう。

 でもそれ、べつに名高い宇宙海賊の御方々にお返しされる謂れはなくない?

「かの女狐はヒカリ殿に固執しているようですが、目先の私怨に視界が曇ってどうやら気づいていない——そもそも孔雀姫を貶める布陣を敷いたはこの私(﹅)。鬼兵隊が参謀、武市変平太」

 武市さんが腕を上げた。彼の合図をもとに、ひゅう、と音を立てて森の中から放たれた拳大の塊——我々はバズーカ砲は持ってこられなかったけれど、自前の腕力がバズーカ並みの神楽陛下がついている——に「ッ退避!!!」この場のまとめ役と思しき蜥蜴頭が叫んだ。

 着弾したソレは、プシュ! と気の抜けた音を立てて、煙をまき散らした。

 べつに大したものではない。大破して宇宙塵(デプリ)と消えた本艦ならばともかく、烙陽到着までに利用したのは臨時利用の小型宇宙船だ。設備も少なく、そのぶん危険な飛び道具は乗せられない。あれはなんの変哲もない煙幕弾である。発煙のための燃焼剤に酸化剤。煙の素はマグネシウムにアルミニウム、酸化亜鉛等の金属粉。あくまでも目くらましのための用途、吸ったところで多少咳き込むくらいで人体に長期的に害を及ぼすものですらない。

 いずれも、地(﹅)球(﹅)な(﹅)ら(﹅)、という注釈がつく。

「では皆さん、目と耳を塞いで口を開いて伏せるよう。任せましたよヒカリ殿」

「承りました」

 烙陽の大気は現在酸素濃度三十二%。地球と比較して可燃性がきわめて高い。降りそそぐ雨は㏗4、酸性雨の水素イオン濃度は地球平均の㏗5.6の降雨に比べて百倍ほど。水素イオンはマグネシウムやアルミニウムと反応して、可燃性の水素ガスを発生させる。

 

 Q・つまりそれってどうなりますか?

 A・御覧じろ。

 

  蒼白い火花が奔った。

 

 鼓膜が割れたかと思うほどの轟音。金属粉に着火したとき、一部の特殊な炎色反応を除いて、多くの場合は白くひかりが放出される。煙幕弾の着火剤は従来通りの発煙物質の気化だけでなく、自然発生した水素ガスへの引火を起こし——きわめつけには粉塵爆発。

 伏せた皆様を背後に、わたしもまた番傘を盾に息を詰める。視界が灼かれて目がくらみそうだ。瞼を下ろして光量を絞る。吹き荒れる風圧に肩を狭めて足を前後に開いて耐える。夜兎用の合金製防具兼用仕込み傘、その柄を両手で強く握った。衝撃にただ耐える。草履の裏面が土砂を削る。

 我が元で総督の部下を欠かすことなど一人たりとも許されない。告げた言葉は厳然たる事実だ。わたしの手が届く範囲でこれ以上、あのひとの知らないところで、あのひとが背負う命を取りこぼさせてはならなかった。鬼兵隊では長らく単独で立ち回るばかりだったけれど、はるか過日、もとより防衛戦こそがわたしの得意分野だ。

 上空から廃寺院群めがけて叩き込まれていた砲弾、今もしとしとと降り続く雨、そうして此度の爆発の衝撃。幾重にも揺さぶられて、とうとう地盤が動き始めた。地すべりだ。建築物は木々を切り拓いた上に造るから地盤も周囲よりゆるい。廃ビルが視界の端を滑り落ちていく。番傘の向こうから恐慌の声が響き、足裏に伝わる震動は本能的な危機感を喚起させる。しかし武市さんの試算通り、我々のいる場所や、また子さんたちが潜む一段上の道は押し流されることなくその地盤を維持していた。

「こんなものでしょう」

 武市さんはさらりと言った。

 我々を誘い込む予定だったらしい袋小路は、爆発により消し飛んで、加えて土砂崩れに押し流されて、だだっ広い更地と化していた。建築物や木々の間に隠れ潜んでいらっしゃった軍隊の皆様も、隠れ場所ごと土砂に流された。

「さて」

 わたしは番傘を閉じた。

「総督がいらっしゃるというのは事実? そちらも方便?」

「……あー」

 地形ごと消し飛んだ袋小路に、中田さんは明らかに顔を引き攣らせていたけれど、ハッと我に返った様子で首を横に振った。

「それは事実です。おれらそもそも第七残党のひとらと総督と一緒にここついたんで。総督御自身はまだお目覚めじゃなくて、今は砂川たちと、あと阿伏兎さんらに任せてます。なんか第七残党の方に星海坊主(うみぼうず)からタレコミあって避難するとかで、現在地あっちの方」

「星海坊主(うみぼうず)が? 真ですか」

 武市さんが鋭く尋ねた。星海坊主(うみぼうず)は春雨母体側に雇われているという認識だったが、これでは前提が崩れる。

「おれもぶっちゃけ聞いたときビビりましたけど……」

 中田さんの言葉が途切れた。たとい何事もなく話を続けられていたとしても、我々に耳を傾ける余裕はなかっただろう。彼が指差した先ではちょうど、巨大な岩が地(﹅)上(﹅)か(﹅)ら(﹅)空(﹅)に(﹅)向(﹅)か(﹅)っ(﹅)て(﹅)打(﹅)ち(﹅)上(﹅)げ(﹅)ら(﹅)れ(﹅)た(﹅)ところだった。人間のゆうに数十倍のサイズの代物——遠近法による錯覚を考え始めると脳がバグる——ヒュウウゥ……と風切音を立てて我々の頭上を横切っていく。

   ドォォオ——ン!!!

 砲弾を撃ち尽くし、悠々と揺蕩っていた戦艦のうち一艘に衝突。黒煙を上げ始めた。バランスを失った艦は横に流れてもう一艘に激突し、こちらも火花を散らして黒煙を上げ始める。

 ……。

 なるほど。

 あのサイズの大岩を持ち上げられる人間が何人もいても困りますね。

「……重力の作用が三分の一とはいえ……」

「ちなみにヒカリ殿、このあたりの地盤は環境汚染の影響で重金属が入り混じっている場合が多く、つまり質量の密度も高く、見た目よりも断然に重いと考えられます」

「補足ありがとうございます武市さん。ところでいったいどうして怖い話を補強なさったんですか?」

「巻き込もうかと……」

 我が鬼兵隊誇る参謀殿はじつに神妙な顔つきで言った。

 巻き込みたいので確実に理解できる相手を選んだあたりに悪意がうかがえます。

「……夜兎ってマジヤバ。……そこじゃねえや、えーと。ンでまあ確実無罪の奴らで総督任せて、おれはブラフ流すついでにコレらがなにしでかすか見てた感じですね。てかウケるんすけどなんでおれみたいな平隊員が地味に大役担ってんの?」

「中田くん、それは墓穴では?」

「イーン……」

「ともあれ、であれば行きましょうか。時間を無駄にしてはいられません」

 弾丸と砂礫と血痕と肉片が付着してしまった番傘を軽く振って、付着物を落とす。借り物を汚したまま返却することはできない。振り払いきれなかった部分を袖で拭った。

「武市さんは中田さんをいじめるのも程々に」

「いじめ? まさか、私をなんだとお思いですか。ヒカリ殿でもあるまいし……」

「その言い草はそれこそ、わたしをなんだとお思いでいらっしゃるの」

 嘯く武市さんを横目にわたしは肩をすくめた。何の弱みを握ったのだか知らないけれど、わたしの部下をいじめるなぞ、程々に願いますよ。

「……ちなみに、こいつらどうすんですか?」

 首を振って気持ちを切り替えたらしい中田さんが、辟易と尋ねた。視線はわたしのう(﹅)っ(﹅)か(﹅)り(﹅)で得物を茎まで剥かれた隊員たちに向けられている。

 わたしは小首をかしげた。

「裏切りなどございません、というのが結論ですけれど」

「まあそうっすね。マジでそれで進めようとしてんのかっつー疑問があるだけで」

「ンー……たしかに、もちろん前提として裏切者などここにはひとりもおりませんが」

「そこはまるで揺るがねえんだ……」

「しかし万が一、一度出した結論が今後覆るようなことがあった場合は、わたしとしても少々困ります。その場合はいかがしましょうか武市さん」

 わたしのフリを受け、武市さんが顎に手を当てる。深淵の瞳がまたたいた。

「もしも裏切りがあった、もしくは今後あるとすれば……侍としては、一度裏切った忠誠を深く反省し、単身春雨の隊へ突撃して散ったという物語こそが相応しい。私はそのように考えますがね。ヒカリ殿の見解はいかがでしょう」

「なるほど。古き良き、特攻による殉職。素敵な自己犠牲的英雄譚ではございませんか? 御存命のご家族にお話するにあたっても、感動的なストーリーであるぶん、少なくとも汚名による粛清よりは受け入れていただきやすいものでしょう」

「怖……」

「いえいえ、もちろん、もしもの話です。裏切りなどありえないのですからこれまた、ない話です。皆様もちろんそうでしょう? 心当たりなどなにひとつございませんね?」

 全員の首肯をいただいたのでそういうことになった。

 奇襲対策に分かれていたまた子さんたちと神楽陛下に連絡を入れる。番傘をお返ししてさっさと移動しよう。向かうべき先は決まった。無駄な時間なぞ費やしていられない。

 

   ➤

 

【 さっきの爆発何??? 】

【 ご無事で何より。まだ分断中ですか? 】

【 まあまだバラバラだけどどうせ目的地は一緒だしな 俺の方は春雨の第二かなんかの目玉三つあるやつが来たけどだいたいなんとかなったし人違いだったしな てか俺のことはいいだろ そっちはどうなんだよさっきの爆発はなに 】

【 三凶星が一角の駆り出しとはいよいよなりふり構わないようで。こちらは春雨の襲撃こそありましたが特に問題はなく、お預かりしているお嬢さん含めて我々全員五体満足、合流できた部下が増えました。並行して星海坊主の位置が判明。動機は不明ですが、どうやら兄上および第七師団残党を逃がしていらっしゃるようです。市街地から見て北北西方面の山地に向かってください。 】

【 あっそうで爆発はなんなんだよマジで 明らかに砲弾じゃなかったろ なんか異常な光り方してたけど ゼッテーおまえらだろやたら話逸らしてるもんな 】

【 神楽陛下に引き起こしていただいたの。彼女って素敵な腕力ですね。生身でバズーカみたい。 】

【 てめーらはうちのコにいったいなにさせてんの??? 】

【 ご安心を。何人殺せど鬼兵隊の咎に過ぎません。 】

【 そこは一ミリも心配してねンだよな 】

【 お嬢さんのことは命に代えてもお守りいたしますとも。 】

【 気取ってんじゃねえ甘ったれ てめーも生き残るくらい言えねえのか 】

 

【 都合の悪いことには既読無視ってテメーは本当によ 】

 

   ➤

 

 端末を仕舞う。歩きスマホでさえも注意喚起されるように、戦闘や砲弾の影響で地盤揺れる只中を走り続ける今、ながらスマホは危険どころでは済まされない。余計なことばかり気になさる兄弟子は是非とも、御自身や同行者を心配するべきだと愚考する。間違ってもわたしではなく。

 さて。

「いよいよおかしなことになってきましたね」

 中田さんからの情報共有を反芻し、わたしはぼやいた。

 オイタをしすぎた第七師団と鬼兵隊を潰すため、春雨に雇われたはずの最強のエイリアンバスター:星海坊主(うみぼうず)。彼がなぜだか掃討対象の第七師団残党に味方して、兄上を含めた鬼兵隊残党まで逃がそうとなさっている。春雨母体側の艦船を大岩で墜落させる有様だ。我々もつい先だって、烙陽の環境で超強化された煙幕弾でどこぞの師団を半分くらいは削りましたけど、たぶんそれ以上の壊滅的な大損害を出している。屠るべきターゲットではなく、むしろ、雇い主に対して。

 その真意はどこにあるのか?

「もともとの参戦理由こそが、春雨母体に助力するふりをして人助け、だったのでしょうか?」

「それにしては南天楼の襲撃はあまりにひどいものでしたな。鬼兵隊と第七師団併せて、星海坊主(うみぼうず)たったひとりに戦力の三割は削られている」

 武市さんがすっぱりと否定した。また子さんも走りながら頷く。

「ふりってンならせめて艦壊すのはやめてほしかったところッスよ。マジでアレ全滅したっておかしかなかったんスからね」

「おれも自分が生き残ったのもほぼほぼ運だと思ってますからね。砲撃や春雨母体の団員の部分は星海坊主(うみぼうず)が制御しきれない部分があった、と仮定してもさすがに殺意高すぎましたよあの野郎。あいつが殺した中に隊員も第七師団団員もめちゃくちゃいました」

「……となると、襲撃自体は嘘ではないわけですね」

 このあたりの山峰は地盤自体は連なっている。星海坊主(うみぼうず)が岩を投げた地点は我々が今走る位置からさらに一段上にあった。駆け上がる道はあちらの裏手側にしかないと神楽陛下に断言されてしまったので、今はただ走る他にない。戦闘音がこちらにまで響き渡る有様では、我々の行動は既に遅いくらいだった。

「心変わりにしてもきっかけもない。奇妙ですね」

「息子が行方不明になったことで動揺して宗旨替えした、という説はありましょうか」

「我が隊が誇る軍師殿、まさかとは存じますが、歴戦のエイリアンバスターかつ夜兎の中でも最強格が〝殺し合い〟や〝掃討〟の意味を理解していない可能性に賭けるおつもりですか?」

「極低確率の自覚はありますよ……」

 武市さんがぼやいた。

「百歩譲ってそうだったとしても、せめて殺し合いに至る前に動揺していただきたかったところです」

 夜兎同士の戦いをわたしは一度、間近で見たことがある。吉原で繰り広げられた鳳仙殿と神威さんの対戦だ。きわめて傍迷惑な私闘により、芸妓の命がうっかりかき消されかけて云業さんの傘は捻じ曲がりわたしの肋骨は五本イッて阿伏兎さんの片腕は吹き飛んだ。

 しかしあれすら夜に生きる兎たちにとっては単なる遊戯であったのだろう。阿伏兎さんの一声であっさりと引いたとき(腕や肋や傘は各員犠牲になったけれど)既に、彼らの顔から戦闘への熱は失せていた。横槍で止まれる範疇だったのだ。

「あのハゲはンなこと考えちゃないアル」

 我々の会話に入らずとも、耳を傾けてはいたみたいだ。神楽陛下がつぶやいた。

「夜兎同士の争いは一度始まったらほとんどは止まらないネ。どっちか殺すか、よっぽどの邪魔が入らない限りは終わらないアル。私だってそうヨ。ハゲとバカ兄貴は、一度は衝突したんだよナ?」

「阿伏兎さんの中継映像越しに私も目撃しましたな」

「阿伏兎って吉原のときにもいた片腕のヤツ?」

 そういえば神楽陛下はあのとき阿伏兎さんと対面なさっている。吉原の地べたにまで墜落なさっていたのは、もしかしたら、神楽陛下たちと鉢合わせて交戦した結果だったのだろうか? わたしはそのあたり詳しくお聞きしていない。神威さんはご存知だったろうか。

「その通りです」

 考察は内心にとどめ、わたしは端的な回答のみを返す。

「アイツなら納得ネ。今の神威とハゲ親父の戦いの近くにいて、死なないなんて、夜兎でも並大抵じゃなかなかできないヨ」

 神楽陛下はもはや番傘を差すことすら煩わしいとばかりに、傘を畳んで、脇に提げた。酸性雨程度じゃあ夜兎の皮膚を傷つけることはないみたい。

「アイツがもしも親子喧嘩を止めようとしたんなら、アイツと神威はそンときに一緒に死んでるか、神威と今一緒に行動してないとおかしいアル。そうじゃないってことは、止めたのはアイツじゃないネ。でもアイツ以外の夜兎に止められるとは思えねえアル。つーかアイツもひとりぽっちじゃ怪しいアル」

 彼女は子どもながらに、三大傭兵部族の血を継いでいるだけはある。その戦闘審美眼はたしかなものだ。元第七師団団長と現第七師団団長の争いを止めるとき、たしかに我々は二人がかりだった。それでも取り返しのつかない損害は出た。

「でもパピーは生きてて、神威をまだ追ってるアル。ってことは、他に邪魔が入って偶然殺しきれなかったってことヨ。その邪魔がタブン、春雨かなんかの攻撃ネ」

 神楽陛下の蒼い目は、数㎞先に迫った山峰をひたと見据えている。

 陽光は雲に遮られて明確な光源はない。だというのに、獣のようにぎらりとひかる。

「だから今春雨は夜兎に牙剥かれてるヨ。自分から狩りを依頼しといて、狩りを邪魔したネ。群れの一員でもない限り、夜兎の狩りを邪魔したやつは殺されるものヨ」

「……つまり、邪魔をした者たちを軒並み排斥してから改めて殺し合いをしよう、というのが見解の主旨でしょうか?」

「夜兎はそういう生き物アル」

 わたしは夜兎の生態に詳しくない。まるで理解しがたい行動原理だ。ゆえに、夜兎たるひとがそのように仰るならそうである、と規定しよう。

 ……懸念がある。

「星海坊主(うみぼうず)を引きずり出したのは誰(﹅)かしら」

「元老院じゃないんすか」

「宇宙海賊春雨が組織内部の派閥争いにまったくの外部の人間を駆り出した例は、わたしが知る限りではありません。最低限でも同盟、明確な上下関係を組ませます」

 ちなみに同盟や上下関係を組んだ場合は、その後組織に取り込むか、用済みとしてまとめて廃棄するかの二択だ。それこそ我々鬼兵隊が第七師団の粛清に駆り出され、まとめて処分されかけたように。

「星海坊主(うみぼうず)が宇宙海賊春雨の傘下にくだる未来こそ、私にはなかなか思い描けませんがね」

「ええその通り。この点だけならわたしも単なる宗旨替えと判断してもよいのですが」

 武市さんの指摘はわたしも同意見だ。同盟関係を協力関係と拡大解釈し、雇用関係をそれに当てはめることは可能である。

 この点だけなら、という註釈がつく。

「第七師団が春雨の雷槍と呼ばれていたのは、鳳仙殿が統括する時代より続くもの。夜兎の扱いに関して春雨は一家言あるはずです。彼らは何故、対決に横槍を入れるような真似をしたのでしょう」

「単に先走った——と、言うにはなるほどたしかに、些か気がかりではありましょうな。下手をすると嵌められたのは春雨も同義か……」

「つまり、なんスか? 御二人ともが言いたいのは要するに、春雨と第七師団と星海坊主(うみぼうず)で潰し合いを狙ってる奴がいるって?」

 また子さんはこういう読み合いそのものこそ苦手と忌避していらっしゃるけれど、さすがに付き合いが長いがゆえか、我々の見解を平易な言葉でサクッとまとめてくださった。

「もちろん、ハンロンの剃刀の例にあるように、無能で片付くことに悪意を見出す必要はありません。しかし可能性として頭に入れておくに越したこともないでしょう」

 実際にそのように判断して見過ごした事例のひとつが華陀の潜伏と台頭だった。杞憂で済むならそれでよい。けれど——今回、春雨に関わる不確定要素とはなにか?

 華陀。なんとしてでもわたしが取り返さねばならぬ過ち。そもそもにして彼女は春雨組織内の派閥争いに敗北し、第四師団団長の座を追われて地球に亡命した。であれば華陀を連れ戻したわたしたち鬼兵隊や、華陀を見捨てて鬼兵隊を取った第七師団相手のように、そもそも春雨に恨みがあったとしてもおかしくはない。天導衆に恭順を誓った姿勢はただのフェイクで、真にはまとめて殺すつもりだった、という見解。

 天導衆。徳川茂々暗殺より春雨といよいよ結託した、アルタナ保全協会とやらの成れの果て。星間文明全体の健全な合意と発展を育むはずが、利権と私欲に支配された組織。そして彼らの一員となった、我らが師、では、既にないというそのひと。虚(カラ)の器を壊すための手法を欲しているなれば——春雨の破壊そのものではなく、四方八方から恨みを買うことを求めている、とか?

 ……わからぬことだ。なにもかも。頭の中で理屈をこねくり回して仮説を並べている暇があるならば、すこしでも速く駆け、真偽のほどを確かめるべきだとじつのところ知っている。

 道中には死体が落ちている。春雨団員と思わしき死体が大多数だけれど、一部はわたしも記憶している顔だ。第七師団団員。鬼兵隊隊員。その名前を知っている。呼ぶ前に口をつぐんだ。頭部が弾けている死体もあった。砲撃の余波で頭上から土砂が雪崩と降りそそぐ。わたしたちも上空からの弾幕をかろうじて躱し、番傘で弾くような有様だ。砂埃にまみれて視界も不明瞭、走り通り過ぎていくだけでは個人の識別はできない。置いて行きたくもないのに次々と取りこぼされていく。わたしの手が届くかもしれなかったひとたち。阿伏兎さんや云業さんらしい姿はまだ見ていない。生きているだろうか。死体を確認できていないだけかもしれない。

 兄弟子たちの姿はない。

 河上さんの姿もない。

 兄上の姿も、ない。

 砲撃によりとうとう上部の崖がガラガラと崩れ落ちる。「全員止まりなさい!」武市さんが叫んだ。崩落する岩石は人間より大きいものも多い。巨大な岩石は山路をも破壊していく。いなすには我々の装備が足りない——

「し、」

 また子さんが声を漏らした。

 降ってくる岩石の中には、何人かの人間もまぎれていた。ちょうど砲撃で崩れた位置にいらっしゃったのか。鬼兵隊隊員だった。脳内で無意識に名簿を開く。特徴と名前が合致する。砂川さん。首の骨があらぬ方向に曲がっていらっしゃる。即死だ。瀬戸さん。下半身が吹き飛んでいる。助からない。古谷さん。おそらくはもっとも軽症。落下の恐怖に引き攣った顔はまだ生きている事実を示している。

 ——兄上。

 目を閉じていらっしゃる。死んで、いないと、思う。最後に見たそのお姿とは異なって、擦過傷の他には怪我らしい怪我はない。いつもの派手な柄とは違う、まるで簡素な着物をまとって、まるで死人のような顔色。落下ルートはありありと脳裏に思い描ける。

 ゆえに、届(﹅)か(﹅)な(﹅)い(﹅)距(﹅)離(﹅)だ(﹅)と(﹅)瞬(﹅)に(﹅)わ(﹅)か(﹅)っ(﹅)た(﹅)。

 地面を蹴る。手を伸ばす。わたしは半ば転がるようにして、伸ばしたてのひらは古谷さんの襟首を掴んだ。ぐえと気道の締まる音を聞いて滑り落ちそうな身頃をがむしゃらに掴んだ。わたしの背後より古谷さんの脇を確保する手が増えた。追いついてきた中田さんだ。崖から引き上げられた古谷さんは、過呼吸のように短い呼吸を繰り返していた。

 兄上のお身体はそのすこしだけ向こうを落下していった。身を乗り出してまで兄上を掴まんとしたまた子さんは、神楽陛下に羽交い締めにされていた。また子さんの手は兄上を掴むには一歩遠かった。その一歩を踏み出していれば彼女もまた、無防備に落下することになっていただろう。

「そ——総督が、どうして、どうして俺を助けた!?」

 古川さんは恐慌じみた反駁をなさった。わたしが答える前に「……すみません、申し訳ございません、」頭を振ってうずくまる。

「お守りできなかった……」

「……届く位置でした」

 わたしは言った。

 届く位置だった。それ以外の理由はない。兄上よりも古川さんの方が近かった。こちらは、届くことがわかった。

 助かる方を助けるべきだと知っている。

「ところで中田さん」

 言葉を続ける前に鞘入りの刀をふたたび投げられた。「ありがとうございます」「もうアンタには慣れましたよ」刀を受け取ってわたしは飛び降りた。鞘を岩壁に突き立てて速度を殺す。崖の隙間の木々も足場に飛び降りる。上方から降り落ちる岩石はひとまず落ち着き、砂埃が立ち上る程度にとどまっていた。

 どんどんと近づく足元に目を凝らす。

 潰れた死体がひとつ。砂川さんだ。上の方では瀬戸さんが同じように潰れていた。どうにせよ助かるものでもなかった。兄上は——うつ伏せに、横たわっている。血染みは確認できない。その背に、ばさりと着流しがかけられた。

 隣に人影がある。長丈の外套を羽織り、フードを被った人影。頭上から降ってくる岩石を確認しようとしたのか、降りてくるわたしに気づいたのか、不意にこちらを振り仰いだ。わずかに見えるのは口元だけ、そのかたちが弧を描いた。

「なーんだ、アンタも生きてんじゃん」

 と、と刀が岩壁に立てかけられた。兄上がいつも提げていらっしゃる、黒塗りの合口の太刀である。

 五点接地で着地。殺しきれない勢いのまま転がって、わたしはようやく立ち上がった。

「あなたの方こそ」

 砂埃を払う。わたしの方が彼よりも背が低いから、その表情がよく見えた。妹君と違うようで同じいろ、夜明けの兆しと同じ蒼色がまたたいた。

「シンスケへの借りはきっちり返したよ」

「どうも。阿伏兎さんが上方、星海坊主(うみぼうず)といらっしゃるそうですよ。ちょうどこのひとが落ちてきた方角です。逃がしていただいたのだとか……もっとも、追いつかれて我々、この有様ですけれども」

 暁色の眉が上がる。

「あのハゲが」

 顔に貼り付けられた笑みにそぐわぬ、まるで無感情なつぶやきである。

「わたしは直接お会いしたわけではございませんがね。部下がそのように」

「ああ、いつもの番犬ね」

「それと妹君もいらっしゃいます。あちらに——」

 示そうとしたてのひらは叩き落とされた。トレードマークのような笑顔は抜けて、仏頂面を返された。

「相変わらずのお節介~」

「お黙り小兎さん」

「なんだよ暴れ馬」

「ヒカリです」

「そーだねヒカリ」

 フードを深くかぶり直して、彼は踵を返した。バイバイと言わんばかりにてのひらを振られる。

「シンスケが起きたら言っといて。次こそホントに遊ぼ、それまで首取られちゃ駄目だよ。予約入れてんだから抜かしっこなしだ」

「このひとが起きたらお伝えしますね」

 フードを深くかぶったそのひとは、ちょっとだけ振り返った。振っていたてのひらを畳んで親指だけでわたしを示す。

「アンタもだよ」

 わたしは、ようやく、笑えた。お借りした刀を握りしめる。

 視界の端では、ヒト型の烏たちがこの地に降り立つ有様を捉えていた。軍隊のように群れを成し、鳴き声の代わりに錫杖が鳴る。天子のもとより生まれた天導衆の手先は、とうとう出張編、別の惑星にまで足を運ぶまでに至ったみたいだ。

 もちろん春雨団員もいらっしゃる。十二師団マイナス一師団、のうちいったいいくつが足を運んでいるのか、わたしは知る由もない。三凶星まで駆り出したのだから他にもいるのかも。これって本当、生き延びられるのかな。

 このひともこのひとだ。彼は未だに星海坊主(うみぼうず)との対決を目的としているみたいだった。いつもより遥かに気を張っていらっしゃるように見えた。その中でも兄上を助けてくださったのは——どうだろう。以前の借りというだけなのか、兄上の首を取るためなのか、それとも単に、お気に入りの侍の犬死を惜しんでくれたりした?

「ご武運を、神威さん」

「運なんか要らないさ」

 もう彼は振り返らなかった。

「でもアリガト」

「こちらこそ。ありがとうございます」

 わたしも神威さんに背を向ける。横たわった兄上の前に出て、烏の群れに向き直る。

 震える腕を意図的に抑える。無理に降りてきたから腕も足も若干しびれた。そもそも筋力も体力もまだ完全には戻っていないから、全力疾走で既に地味に脇腹が痛い。こちとら病み上がりなのでした。頭も若干くらくらしている。これは烙陽の惑星環境によるものかもしれない。

 お借りした刀の、握る向きを変える。柄に手をかけた。音ひとつ立てることなく——抜刀。抜き身の白刃を烏と天人の群れへ向けた。

「よし」

 まだ立てる。まだ刀を振れる。まだ息をしている。

 まだ生きている。

 まだわたしたちは死んじゃいなくて、失った同胞は多いけれど取りこぼさなかった同胞もいて、同盟相手に激励までいただいた。

 分断された兄弟子たちの状況を知らない。あのひとが連れてきたお友達の状況を知らない。河上さんの現状を知らない。未だお目覚めにならない兄上、もしかしたら一生覚醒しないままなのかもしれなくて、けれど——そんなことはもう考えていたって意味がない。

 苦しみの中で呻き、藻掻き、抗うことこそ、現世に一貫する生という名の業だ。

「髪はどうした」

「うっかり落としてきま、し、」

 た。

 と、続けるべきだったはずだ。わたしは。

「じゃじゃ馬」

 くしゃ、とわたしの頭を撫でた手がそのまま肩に降り、支えとするように力を込めた。真横で振りかぶられた刀が正面へ放たれる。鋭く空を切る。戦場を真っ直ぐに貫いて、奈落の喉に突き立った。

 呆然と刀の軌道を見た少年、志村さんと——あ、河上さん。血まみれだ。この間のわたしよりひどいんじゃないかしら、あの怪我。他人事みたいに思った。わたしもまだ現実を咀嚼しきれていない。

 肩から、てのひらの温度が離れる。わたしの一歩前に出たそのひとは、たしかに両足で立っていた。

「鬼兵隊に告ぐ」

 味方も敵も皆見据えて立っていた。

 

「烏どもを——踏み殺せ!!!」

 

 岩石が頭上より降り注ぐ。砲撃による偶発的なものではなく意図的な行為、奈落は次々に岩石の下敷きと化す。

 戦場に向かって飛び降りたそのひとに、咄嗟にわたしは続いて飛び降りた。奈落の首を刎ね、足を飛ばす。血しぶきが跳ねて地面を濡らす。臓物の中身がぶちまけられる。胃腸の中身って要するに、吐瀉物や排泄物に近い。悪臭が混じって本当に最悪だ。

 喧騒は遠く、苦痛も疲労もどこか切り離されて、わたしは後を追う。息が上がる。目がしみる。雨はいつの間にやら止んでいた。まばたきをして目を凝らす。

 かつてわたしを置いて行った背が派手な羽織に重なった。十年前に戦場に向かうとき、このひとってば振り返りもしなかった。二十年前にわたしを振り払って飛び出すときも、このひとはこちらを顧みなかった。いつもそうだ。進むべき道を、斬るべき敵を見据えて、一度だって脇見もしない。

「銀時、人間って奴ァ、そう簡単に変わらねえもんらしいな。一遍死んでも十年経っても、どいつもこいつも相も変わらずバカやってやがらァ」

「そうでもねェさ」

 斬、と刀が引き抜かれる。

「十年前なら斬ってた」

「なるほど、楽しみは後にとっておくことを覚えたワケか。立派な大人になったもんだ」

「ほざきやがれ」

 兄上ってば昔っからまったくひどい。わたしたちを散々働かせておいて自分は健やかに寝ていらっしゃった。やたらと無駄に手間を掛けさせてくれた。だいたい起きて早々に妹に告げる言葉が〝じゃじゃ馬〟って本当になんなんですかありえないでしょ。もう少しましな態度を取ったらどうなの。

 もう言いたいことが山積みで、わたしは兄上の袖を掴んだ。

「あに、」

 ——ぼろ、と、頬を伝ったしずくにわたしの言葉が止まる。

 振り返った兄上の片眼が、わたしを捉えて瞠目した。

「おま」

「あっ」

「あーあ」

「おお、噂の妹ちゃんか。ようやく会え……」

 明らかに狼狽えた兄上をよそに、兄弟子たちは、おおやっぱり、みたいな顔をした。

 ひょいと顔を出した〝桂浜の龍〟がわたしを見て、おや、とばかりに目をまたたかせる。

「泣いちゅうがや?」

 慌てて手の甲で目元を拭う。また濡れた。「うぐ」あっという間にてのひらだけじゃあ足りなくなって「ひッ」わたしは血濡れた袖で顔ごと拭おうとして「待て待てその袖はまずいだいぶまずいやめろ大惨事だって」兄弟子に腕を取られた。

「だ……誰にやられた」

「おめーだろ」

「おまえだろ」

「むしろてめー以外に誰がいンだよこれ以上誰に罪なすりつけようってんだよ」

「昔からおまえは本ッ当に妹を泣かせることばかり上手いな」

「やーい最悪クソ兄貴」

「は、なわけ。だってコイツ」

 わたしの頬骨を乱雑に掴んだてのひらが、ぐいとわたしの頬をこすった。ぼろぼろと落ちていく涙はまるで止まらなくて、いよいよ大きくしゃくりあげたわたしに兄上が「おまえ」と、呆然とつぶやく。

「この、七年、一度も……」

「ちが、ちがくて」

 飲み込みきれない嗚咽が喉奥からこぼれていく。

 わかっている。今止まっていられないことくらいわかっている。時間は有限で無駄に浪費できないことくらいわかっている。わたしとて鬼兵隊の幹部だ。無様な姿なぞいつまでも見せていられない。わかっている。

「ちがく、て、ェ……」

 泣いたってなんの意味もないことを知っていた。どこにも届かないことを知っていた。誰も助けに来てくれないことを知っていた。悲しんだって無意味なことを知っていた。苦しみに向き合っていては今度こそ足を取られるだけだと知っていた。だからわたしはもう泣くのをやめた。やめてずいぶん経った。もう十年近くが過ぎていた。もう兄上がいなくなったくらいじゃ泣けない。兄上が死んだくらいじゃ泣けない。

 そのはずで。

 そのはず、で。

 わたしは。

「おーしおし。よう泣くのぉ。ずっと我慢しちょったんやろ」

 滲む視界の中、差し出された手拭いを乱雑に兄上が奪い取ったのが見えた。顔面に押し当てられてちょっと苦しい。見苦しいこともようようわかっているのに、ひぐ、と鳴る喉が止められず、わたしは手拭いに顔を埋めた。

「無事で会えたき、安心したんぜよ。なあ?」

 兄上の袖を握った手が未だに離せない。わたしの頭が下した命を身体が拒絶して、ますます親指ごと握り込む。……わかっている。わかっている、理解している。兄上は生き延びようとしていなかった。兄上はあの場で死んだって満足だった。現世はたしかな我々の地獄だ。いつだって生きているから苦しい。どうしたって生きているからつらい。地獄の底から這い上がれずに、藻掻いて足掻いてそれでも自分ひとりじゃ終われずに、破壊する他にどうしようもなかった。数多の被害を作り出した。誰かの地獄はわたしたちのせいだ。幾重にも罪業を積み重ねて、数多もの人々に恨まれて、自分たちだけ報われようだなんてあまりに虫が良すぎる話だ。

 わかっている。

 そんなことわかっている。

「よかった、」

 それでもわたしは。

 わたしは、兄上に、生きていてほしかった。

「生きていて、よかった」

 手拭いはあっという間に濡れて、わたしは兄上の袖を手繰り寄せた。手首ごとその手を握りしめる。躊躇ったような仕草を挟んで、兄上の手が、わたしの手を握った。

 あったかい。死んでない。生きている。

 生きている!

「よかっ、ヒッ、よかった、起きてくださった、生きてる、生きてる……!!!」

 そのあとはもはや言葉にならなかった。兄上の手に縋り、声を上げて泣いた。すっかり短くなったわたしの髪を誰かが乱雑にかき回した。




粉塵爆発は王道なので入れたくて、入れました。
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