前略:
もう雨はゴメンだとかモノローグ流したそばから十数年ぶりに妹に大号泣される兄がこちら。
➤
「いい加減泣きやめよ……」
「まったくここまで泣かせておいてよく言えるな」
「冷てェアニキだこと」
「うるせえボケども敵地だぞ。両目あるくせしてどうやら俺より状況が見えてねえらしいな」
「言えた義理かよ一番の戦犯野郎が。もうこんな兄ちゃんほっぽいて坂田さんちの子になるか」
兄上のてのひらを固く握ったまま首を横に振る。握ったままの兄上の指が若干困ったように彷徨って、わたしのてのひらを指の腹が撫でた。
「知ってた」
銀さんの声色は心底呆れ返っていた。
しゃくり上げる喉は止まらず、洟も行儀悪くすすり上げる。鼻をこすろうとすると「おまえ本当にそれやめろ」兄上の自由な方の手がわたしの手の甲をはたき、わたしがもう片方の手で掴んだままの手拭いで、顔面を強くこすった。ちょっと痛い。
「あ、ご、ごめんなさ、手拭い」
今更ながら、この手拭いも借り物じゃないかと思い当たる。この道中でわたしは汗にも血にも泥にもまみれていたから既にびたびたでどろどろだ。たいへんに汚してしまった。
「ええ、ええ。手拭いもむさ苦しい野郎に使うより、女の子の涙を拭うがが本望やき」
青ざめるわたしに〝桂浜の龍〟たる坂本辰馬が手を横に振った。しかも坂本さんの手拭いだったみたいだ。初対面でこの無様。どうか殺してください。
坂本さんはサングラスをちょっとずらしてわたしの顔を覗き込み——背がずいぶん高いから、わたしと目を合わせるには屈む必要がある——ニ、と笑う。
「それに〝ごめん〟はいらんな。〝ありがとう〟がほしいがぜよ」
「あ……」
わたしは咄嗟に、手拭いを握りしめた。視線の置きどころがなんとなくわからなくなり、自然と、声が小さく絞られる。
「ありがとう、ござい、ます……」
「よしありがとう。礼は大事だな」
ぐいと坂本さんの肩が押し出される。わたしと坂本さんの間に割り入ってきた小太郎さんが、わたしのてのひらの隙間に指を入れて開いて、手拭いを取り上げた。
「ところでもう布としての意義を成していないな。これは俺の方で洗って返そう」
「んん? おお」
「……こたろうさん?」
「ほらアンタってばいっつもハンカチ持ってないんだから」
小太郎さんを見上げる前に、ハンカチが目元に押しつけられて視界が塞がれた。
「顔もこんなに汚して。傷に汚れが入ったら大変じゃないの! もうそういうのちゃんとしないといけない歳ですよ!」
「な、なに……? お母さん……?」
「俺はおまえの御母堂ではありません! 何度言ったらわかってくれるんだまったく」
「いえ、あの、その、え? ……というか、小太郎さんの方が明らかにひどい怪我、なさってますけど……」
ハンカチはたしかに、今は持っていない。神楽陛下の花束を整えるとともにあげてしまったからだ。小太郎さんはいつものように小言を述べながら自前のハンカチでわたしの頬を拭った。いつも気遣ってくださる小太郎さんにしては珍しく、兄上ぐらいに力が強くてちょっと痛い。
混乱するわたしと世話を焼く小太郎さんの組み合わせを交互に見て、坂本さんが首を傾げ「ああ!」不意に、ぽんと拳を打つ。
「心配せんでも、わしゃどっかの誰かさんたちと違って、ダチ公と同じ女取り合う趣味は持っちょらん」
鋭い回し蹴りがふたつ同時に坂本さんの腰に入った。ゴキンボキンとかなり嫌な音がした。
大丈夫なんですか今の。
「イッタァ!?」
「ろくでもねえことばかりべらべら喋りやがって」
「妹の前でその話する奴いる? ありえねえだろこのノンデリ野郎」
「……えっ、その、もしかして兄上と銀さんが同じ御方を取り合ったんですか」
小太郎さんの手を除けてわたしは兄上に一歩寄った。回し蹴りしたばかりの利き足を戻して、兄上は心底嫌そうな顔をわたしに向けた。倒れ込んだ坂本さんの向こうで銀さんがまったく同じ表情をしている。
「この好奇心旺盛魔……」
「ガキの頃からちったァ変わらねえのかてめえは」
「いつ、どなたを? 戦争中の思い出でしょうか? 同じ部隊に女人もいらしたとか? それとも遊郭? 馴染みの遊女でもいらっしゃったの? どのような御方だったのでしょう」
「途端に矢継ぎ早をやめろ。泣くのに戻れ今すぐ」
「マジの興味津々引っ込めてお金あげるからホント」
「や、やですよ。兄上ってば昔のことなんて、楽しい思い出もまるでお話してくださらないんだもの。気になります。なんならもしかしたら義姉だったかもしれない御方じゃあございませんか」
「ふざけるなよ本当にまずテメエ身内のそういうの知ってなにか楽しいか?」
「え? そんなの、なにもかもが面白くって楽しいと思います……?」
「実妹のくせしてこの点心底感性が合わねえ……」
「百歩譲ってだとしても俺が巻き込まれてんのはなんッかおかしいだろ!」
「銀さんの好みは普通に気になります。年上のお姉様がお好きなのは〝先生〟経由で存じておりますけれど、兄上のストライクゾーンとはまた異なるじゃあございませんか。被る理屈がわからなくて」
「まさかおまえ今先生っつったか???」
「〝気遣い〟でなにもかもすべてが貫通していたのは、俺だけではなかったのか……」
「ここまで巻き込むならそろそろ兄貴を名乗らせろ! ンで松陽はマジでなにを教えてんだ!?」
銀さんの反駁はほとんど絶叫だった。
兄貴分は認めていますよ。
「教えてくださらないの」
「わかった! わかった、ンなに知りてェならヅラが口説いてた未亡人の話でもしてやるから!」
「だッから五月太夫とは一晩身の上話を聞いただけだと言っておろうが!」
小太郎さんが銀さんの頭を鞘で殴った。
「イッテェヅラてめえ殴ったな今ガチで殴りやがったなオイせめて拳でやれよ卑怯だろ!?」
「ヅラではない桂だ確かにさっきまではヅラだったけどもう桂だからな! ヅラ終了!! 閉店ガラガラッ!!!」
「おまえの電波が理解できたこととか今まで一度だってねえけどそれにしたっていつにもましてワケわっかんねーよ何今の反論!?」
「そもそも俺は貴様らとは違う、がっついたりせんわ! 指名した遊女を取り合って酔拳始めた馬鹿どもと一括りにするんじゃない!!」
「やっぱり遊郭! 酔拳までなさったの?」
「オイだッからばらすのありえねえからァ!!!」
「そして小太郎さんも出向いていらっしゃったのですね。どのようなお話をなさったんですか」
「あ、あーあ、あー、俺のことはいいから」
「死なば諸共」
「道連れ心中」
「貴様らァ!!!」
「というか、遊郭で一晩お過ごしになられてお話だけで済むことあります? きっと内に秘めたくなるほど素晴らしい手練手管をお持ちだったのでしょう」
「お、おまえはおまえで本当にそろそろ恥じらいを覚えなさい! 終いにはおまえ相手に実践してもよいのだぞ!?」
「てめえはいい加減恥じらい以前の自重を覚えろ殺すぞ」
「ぐフッ」
兄上が小太郎さんの脇腹に拳を突き入れた。傷が祟ったのか油断していらっしゃったのか銀さんやわたしへの反論で夢中だったのか、とっても綺麗に入った。小太郎さんは脇腹を押さえて崩折れた。
「ついでに頭に叩ッ込め。俺はがっついちゃねえ。そこのクルパーと違って」
「……反論のポイントは本当にそこでお間違いありませんか?」
けっきょく取り合ったことは否定なさっていない。兄上も銀さんも、お二人とも面食いのケがあるので絶対美人さんだったとおもう。加えて取り合い。……美人に加えて、そんなにも気立てのよい方だったのだろうか。それとも一癖も二癖もある方だったのかもしれない。このひとたち面白いコ好きだし。
す、すごく気になる。
とっても気になる。
「ヒカリ」
「はい」
「二度とつつくな」
「……」
「返事」
「はい……」
すごく、とても、気になる、のにな……。
蹲った小太郎さんを蔑んだ目で一瞥して、兄上は、わたしを再び見下ろた。
「状況は」
「……現在地は烙陽。我々は奈落と春雨に囲まれております」
わたしはもう一度手の甲で目元をぬぐった。睫毛に乗ったままだった涙のかけらがこぼれ落ちる。泣いている暇などもとよりなかった。コントの余裕はもっとなかったはずだ。なにかがおかしい。
咳払いをして鼻声を振り払う。
「鬼兵隊は半壊。第七師団も半壊。烙陽には現在、万事屋の方々と攘夷党、快援隊もいらっしゃいます。河上さんを拾い上げてくださったのは坂本さんだとのことです。のちほど改めてお礼を申し上げませんと」
「中元でも適当に選んどけ」
「あなたいい加減になさらないと貴重なお友達に愛想つかされますよ……」
「コレが〝オトモダチ〟に見えてんのかテメエには」
兄上が親指で各員を指差す。
むしろ、これでお友達ではないと答える方もなかなかいませんよ。
「イヅヅ……ま、高杉が素直やないのは、昔っからのことやき」
坂本さんが腰をさすりながらもようやく起き上がった。「わかったような口利きやがる」兄上が毒づいた。
「本当にいったんやめましょうよ兄上……皆様一蓮托生なんですよ。これ以上恨み買うような真似なさっているとまたもや背後から刺されかねません。我々ってばもう一橋公の件だけで充分なんですからね。天丼なんていやですよ」
「安心しろよ甘ったれ、そんときゃ烏どもブチ殺してから正面回ってぶん殴ってやらァ」
銀さんは憎まれ口を叩くものの、いまだに鞘で引っ叩かれた後頭部をさすっているので若干締まらない。
「大口叩きやがる。二四六勝二四六敗一分の分際で」
「てめえもだろうが」
「……なるほど。安心ですね」
わたしは一回、すべてをあきらめることにした。もう好きにしてください。
「それにしても、一蓮托生ね」
鼻で笑った兄上が、上空に浮かぶ戦艦を仰いだ。
「誉れある松下村塾の塾生が今じゃこぞって国賊ってワケか」
「……国なんかじゃねェ」
銀さんもまた同様に、上空を睨み上げる。
「そんなもんじゃねェ。
兄上が目を細めた。なにかを汲み取った顔である。このひとは時としておそろしく勘が良い。加えて、我々鬼兵隊は既にかなり近いところにまで迫っていた。
「……天導衆にいらっしゃいました。虚、と仰るそうです」
補足を加えると「そうか」と兄上は独り言つようにつぶやいた。
「ようやくあの化け烏を手の届く所まで引きずり落とせたワケだ」
「……ちなみに高杉」
脇腹を庇いつつ、小太郎さんもふたたび立ち上がった。
「おまえが寝こけている間にヒカリのやつ、その〝化け烏〟に真正面から喧嘩売ったそうだぞ」
「ハ?」
ド低音が這った。
「えっあの小太郎さん?」
わたしは先程とは別の意味で青褪めた。
「高杉にも一回怒られておきなさい」
思わず縋る目で見上げたわたしを、小太郎さんはやさしく切り捨てる。
なんにもやさしくないですけどね!?
「違ッ、その、怒られッ、ねえそれ確実に今じゃなくないですか???」
「この機会を逃したら面と向かってどころでもなく伝える機会もなさそうなのでな。言うべきことは言っておくべきだ」
「そうかもしれませんけれど言うべきことってたぶんもうちょっと違うところなんじゃあございません!? あ待ってこめかみやめて割らないで」
頭部にかけられた指の感触にわたしは思わず恐慌の命乞いをした。
「なにが違ェんだよなにも違わねえだろ軽挙妄動命懸けスーパーボール。将軍の件どころじゃないもんな、もう本人目の前にしてガッツリかましてたもんな」
「ちが、く、は、ないんですけどとにかくちがくてちょっと銀さんまで」
「なんッもわかってなかったくせしてハッタリだけでカッコつけてたよな。なんならそうだよテメー髪紐追っかけてダイナミック紐無しバンジーもしたろが」
「いや本当に諸々びっくりした。船中に響き渡る銀時の説教を聞きながら俺は心底肝が冷えたぞ。無茶に無茶を重ねてさながら無茶のミルフィーユ」
「ミルフィーユの比喩は心底どうでもいいけど実際目の前で見ててアッコイツ今度こそ死んだかぐらいは思ったからね俺ァ。死んだかっつか新八間に合わなかったら死んでたもんねアレ」
「待って待って待ってごめんなさいごめんなさいってば」
小太郎さんより銀さんの方が容赦ない。わたしの先程とは別の意味の涙目を見て「挙句になんて言ったんだっけ〜?」まるで手を緩めることなく追撃を図った。
「〝助けてなんて頼んだこと、一度だってありましたか〟?」
「ごめんなさいホントにたいへん心底、それこそ心の底から伏して謝罪いたしましたしなんなら地球に戻ったら市中引き回しもされますやりますやめて兄上指刺さってる」
「事実か」
もはや地獄の底から響いていそうなほどの低音だ。
「ウ、は、はい、アー指が食い込みッ」
「たとえばてめえが誰か助けて怪我でもしたとして、その相手に〝助けてなんて頼んでねえ〟ぐらい喚かれたら俺とて拳のひとつは出るが? 俺ァてめえを甘やかしすぎたかね?」
「だッ、ですからその節は反省しております!」
「いやあ〜俺もマジでブン殴れるもんならブン殴りたかったもんな。コイツあンときフツーに暴れ過ぎでも死にかけてたからさすがに加減したけどよ」
「死・に・か・け・て・た?」
「さすがに死にかけてた件だけは兄上に言われたくなッ、ハイすみません今引き合いに出すことじゃありませんでした無理したわたしが悪いです全面的にごめんなさいだから指退けてせめて弱めて、逆! 強くなってます! 助けて!」
指圧の負荷がどんどんと強くなっていく。ぎりぎりとこめかみが締められている。三ヶ月寝たきりだったとは思えないほどの握力だ。そもそも地球と比べて重力が三分の一だからってもう立って歩いて戦闘し始めたこと自体が既にだいぶおかしいのだけど——病み上がり以前の問題だ、リハビリって概念をご存知?——とにかく地球人にしても強靭な怪力がわたしの頭を締め上げる。懐かしき怒られである。どなたか助けてください。
誰も助けてくれなさそう。
「〝生きててよかった〟ってさっき言ってたよな〜。へえ〜、おまえもちゃんとそういうこと思うんだ〜。それってとってもこっちのセリフだったんだけどな〜」
「それな〜まったく、この子は自分の棚上げばかり得意なんだから。いったい誰に似たんだか……」
「ね、も、本当、な、泣きますよ!? いいんですか!? もう一回泣いちゃいますよ!? 大の大人がまた身も世もなく恥も外聞もなくあああ痛い痛い痛い申し訳ございませんでしたごめんなさいすみませんねえ兄上聞いて、き、聞いて、聞いてくださらないの、ホントに泣いちゃう」
「反省の次は改善じゃねえのかじゃじゃ馬」
「とはいえさすがにもうしませんとまでは申し上げられなッア待って強めないで割れます弾けます血肉の柘榴が飛び散りますわかりました今後ないようにできる限り善処します努力します頑張ります待って強くなってるコレじゃダメなの!? だって実際今後一切ってちょっとむずかし、ねえ後生ですから許して兄上割れる! ぜったい割れる!! 兄上!!!」
「まっこと仲良えなおんしらところでここ戦場〜」
砲撃が爆音を轟かせる。上空から降ってきた砲弾は、小太郎さんが投げた小型爆弾と衝突し、空中で割れた破片が四散した。木刀や鋼が破片を叩き割り、銃弾が撃ち落とす。わたしもまた刀でかち割った。衝撃により土煙がたちのぼる。
ようやく指が外れたこめかみを、わたしはこっそりとてのひらでさすった。割れてない? 割れてないよね?
「チッ、まともな説教は後回しか……」
「え、あれ、もしかしてさっきのまだ前座……?」
前座でわたしは頭蓋骨を割られかけたの? 忘れてくれたりしない……ですかね?
「R2−D2十倍スケールモデリング半分失敗みたいなのいやがったな」
銀さんが木刀をブンと振った。突然の砲撃でも、さすがの白夜叉、射撃元を確認できていたみたいだ。
「スター・ウォーズのキャラクターのなり損ないコスプレがいらっしゃるはずもなく……あなたが目撃なさったものは、おそらく移動式兵器〝土竜〟になります」
説教からの逃避がてら、わたしは目先の脅威に話を切り替えた。
「地中を掘り下げて這い回り砲弾はオート追尾式の優れもの。加えてこの手の兵器にしてはお手頃価格」
「おまえはなんなの? そのもぐらチャンのセールスマン?」
「じつのところ阿伏兎さんにおすすめして春雨側にご購入いただくまで持っていったのは、何を隠そうわたしの尽力によるものなんですよね……」
わたしは思わず遠くを見つめた。土煙けぶる中では、兄弟子たちや坂本さんより遠距離はまるで見えもしないけれど。
プレゼンいっぱい頑張りましたね。頑張った甲斐があって配備されたんですよ。素晴らしいはたらきだったかと存じます。活用されているみたいですね。すってきー。
「感想どう」
「おすすめしたわたしの見る目があるなと思います。今彼らが味方だったらもっとよかったな」
「ソーネ」
「あれわしも欲しいんじゃが、そうなんでもかんでも買うなと陸奥に怒られてもうて。船に置いておけばおばばでも賊を撃退できてよかろうに」
「おまえも使う前提なのかよ」
坂本さんは先程の対応でちょうど弾倉分を撃ち尽くしたのか、素早い手つきでリロードしている。
小太郎さんが首を傾げる。彼は新たな小型爆弾を片手の指の間にいくつも挟み始めていた。
「攘夷党もいかんせん金策に錯誤しているものだから、なかなか手が届かないのだよな」
「もしかして俺以外の全員自分で使う前提がありました?」
「ハッ、今鹵獲すればタダ……!?」
「名案ぶるなテロリスト」
「
「更なる厄介な返答は今べつに求めちゃねえのよな」
「まあ本艦配備分の三割は宇宙の藻屑と化したものと存じますけれど……」
「それって残りの七割は?」
「ところで小太郎さん、鹵獲するにも牽引はもちろんのこと、そもそも乗せる船が必要になりませんか? あれけっこう重量ありますよ」
わたしは意図的に返答を切り替えた。「おまえってホンット都合の悪いことは露骨に話逸らすよな」またもや別件でなじられそうな気配に、兄上を盾にするかたちで銀さんから逃げる。兄上は呆れた目でわたしを一瞥した。
「用意がないな……仕方ない、癪だから徹底的に破壊しよう。間接部が脆そうだ」
「砲身叩き折りゃそもそも撃てやしねえさ」
「ついでに下からの衝撃にゃ勝てんそうじゃ」
「ハーイハイわかったわかった俺が少数派ね。わかりました。頼むからおまえら全員出頭して」
「誰がするか」
「てめーは一番しろ」
「もうご勘弁です」
「おめーはそうでしょうね」
「これは同意見だな、二度とせんわ。牢屋って居心地悪いんだからな!」
「居心地快適な牢屋があってたまるか」
「わしゃ法に触れとらんぞ」
「もしかしてここで一番タチ悪ィのってじつは
「今のルビなにかな珍時クン」
「銀時だよ船ボケ野郎。揃いも揃って全ツッコミを俺に背負わせてんじゃねえ荷が重すぎる」
銀さんが溜息混じりに木刀を握った。
「そんじゃ散開」
木刀と刀剣が先陣切って土煙を切り開いた。「烏どもを抑えろ!」「俺たちゃあの
わたしは露払いにヒト型烏の群れを切り払い、鬼兵隊の方へと向かう。また子さんは拳銃を握りしめ、満身創痍の河上さんは武市さんの肩を借りて支えられていた。部下たちもいらっしゃる。
「皆様……とりあえずまあ生きていらっしゃいますね」
「ヒカリ様……」
「情けないところをお見せしました。できればまるっと未来永劫忘却していただけるとありがたく存じますがさておき、とりいそぎ、動ける者たちで烏を屠りましょう。特に河上さんは本当に御身をご優先に——どうなさいました」
また子さんがわたしの外套の裾を掴んだ。「その」躊躇ったように一度唇を巻いて、彼女は首を横に振った。
「桂はないと思うッス」
「ンーなるほど。あとでお聞きしますね〜」
「万斉先輩とかどうスか」
「じつのところ、拙者にも選ぶ権利というものがあってだな……」
「武市先輩はロリコンなので無理言えませんけど」
「フェミニストです」
「あとでお聞きしますね〜ちなみに一回離していただくことって可能でしょうか」
「絶対桂はないと思う……」
「アンタら総督が起きた瞬間から余裕すね……」
それはもう、兄上の御身がご無事であれば他に心配するものなどなにもございませんからね。
それにしても真っ先に議題に挙がるのが小太郎さんなのはなにかがおかしいですけれどね。ご安心いただきたいのですけれど、わたしだって小太郎さん以前にまずわたしがないと思っておりますよ。結婚ゼロ日未亡人、挙句の果てにテロリスト、トンデモ不良債権を押し付ける気はございません。
「無茶をなさった件は後日晋助殿が根掘り葉掘り聞くでしょうしな」
「武市さん???」
深淵の目がきょとんとまたたいた。
追及するにもさすがに戦場、その余裕がない。
「ヅラ高杉! 撤退を装い敵を引きつけ分散させる。銀時、おまえはその隙にここを突破しろ」
戦闘の最中、端末がバイブレーションを鳴らす。攻撃をいなしながら隙を見て確認したわたしは、思わず半笑いをこぼした。
【
届いてますか? サブちゃんだお〜。
惑星圏ネットワーク をアルタナからクラッキングしてメール✉️が届くようにしました
もうすぐ通話 もできるお。楽しみにしててネ
】
「このひとありえないんですけど」
どうやら人間業ではないことを為出かしていらっしゃいます。助かりますけれど本当にどういうこと。
アルタナからクラッキングとかいう概念がまず何? それってそもそも、可能なものなの?
【
地球の動きを踏まえて推察するに、烙陽には奈落 ⬛の半分と春雨 ☠️の半分が派遣されていると思います。予想は当たっているでしょうか❓️
と、いうわけでそんな包囲網の中でも高杉氏が無事だと信じて
↓↓↓出張鬼兵隊TODOリスト一覧がこちら↓↓↓
】
すっかり長い付き合いになってしまった同盟相手からの未だに見慣れないメールの文面をなんとか噛み砕き(いつにもましてテンションがおかしいし、今度はスパムメールみたいになっている。しばらくメールを送れなかったものだから、メール魔としてはフラストレーションが溜まっていたのだろうか?)TODOリストに一通り目を通すと、わたしは溜息をついた。
鞘に刀を差し直し、突き込まれる錫杖を叩き折り、割れた先端を鳩尾に突き入れる。
「話聞いてたか」
兄上の刀が虎頭の天人の首を刎ねた。
「余さず聞いておりましたとも。ところで、並行して佐々木さんからご要望をいただきました」
わたしは端末を掲げた。指先で示した以後の文面を的確に読み取ったか、兄上の眉間にしわが寄った。そうですよね。兄上はなんなら起きられたばかりでなんですけれども、現在進行形できわめて無茶ぶりをされています。彼に無茶振りをかましたわたしでイーブンでしょうか。
「わたしといたしましても囮役自体には異存ございません。その上で、ひとまず我々の方に烏を誘導したく存じます。可能でしょうか」
「どうにせよ分断されるさ。アイツらも俺たち全員相手取る馬鹿でもねえだろ」
兄上がちらりと周囲の隊員たちを見渡す。
「万斉……は動けねえな。武市もどのみちか」
「どのみち……」
「まあ肉体労働は武市さんの分野ではありませんね、間違いなく」
頭脳職を現場に引っ張ってくるなんて人手不足の象徴のようだ。同時に、武市さん本人さえも自覚なさっている不利な領域に自ら出向く時点で、彼が兄上へ捧げる忠誠の度合いを間接的に示している。
「拙者は、鋼糸なら行ける……」
「
「晋助様のためならたとえ火の中水の中」
「火の中は死ぬのでやめましょうね」
「他動けるやつは」
「今いらっしゃる方々は基本的に問題ございませんが、古谷さんだけちょっと怪しいかも」
「動けます」
「本当かしら? あ、中田さん刀お返しします。錫杖を手に入れたのでもうこちら利用せずとも大丈夫です」
「またこのひと現地収奪してる……」
中田さんは嘆きながらも投げた刀を掴み取る。半回転した鞘はついでのように奈落の脛を打ち抜いた。
「今は手数減る方が惜しい。確実に動けるやつだけで算段を立てる。誘導後こそが問題だが……」
「その点はわたしに少しばかり案がございます。また子さん、こちらってどうにか銃で打ち込めたりします?」
また子さんは天人の頭を拳銃で撃ち抜きながらも、わたしが差し出した黒い球体(大きさは親指の先程度だ)を手に取って、てのひらで何度か転がした。すこし眉を寄せる。
「まあゴム弾亜種みたいな感じなら……形状的にも問題ないかな……ソレ用のいちおー持ってきてるんで可能ッスけど、人体貫通とかはさすがにできませんよ? 肌に当たってもせいぜい痛いくらいにしかならねッス」
「それで大丈夫です」
用途を考えるとちょうどよく、むしろ貫通された方が困る。
「ちなみにこれなんスか?」
「口に含まないでくださいね」
「含みませんよガキじゃあるまいし。……ホントになんなんスか?」
また子さんの怪訝そうなお顔に、わたしはそっと微笑んだ。
「おくすり」
「ナニ?」
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山林の中、朽ちかけた屋根の上に朧は立っていた。
「来たか。案内ご苦労だった」
顔面に縦に走る傷跡は変わらず。目の下に隈を飼っていて、左眼は閉じている。さながら我が兄上の常に閉ざされた左瞼のように。
朧の視線は我々よりもさらに背後、わたしたちを追い立ててきた奈落たちに向けられている。
「春雨も引き始めた。おまえたちも引け」
錫杖を手に、笠を被った地を這う烏たちは、同胞を幾人も殺したわたしたちをしかし追撃する様子はない。無表情に立ち並び、頭領たる朧をジッと見上げている。
「早く行け。そして虚様の手足として働け」
念押すように言われてようやく、奈落たちは整然とした足並みで去って行った。
烏たちのことは我々が誘導しているものだと思っていたけれど、けっきょく半分くらいは朧の手のひらの上らしい。奈落は我々を追い立てる一方で、朧のもとへ案内していたということだ。
「貴様らがこの死地を生き残ったのは想定外だったが、この戦の真意はそこにはない」
朧はさながら死を告げる烏のごとく、我々を見下ろした。
「既にあの方の目的は果たされた。これからあの方が果たす宿願の前では、地を這うむしけらの命がどうなろうと些末な事ということだ」
「ならば何故お前はここにいる?」
兄上は問いかけながらも片腕で我々を制した。これ以上は前に出るな、という警告だ。
わたしは皆と同じように、地べたより朧を見上げる。白雲の髪が、薄寒い、すこし奇妙なかおりのする烙陽の風に吹かれてかすかにたなびいた。
つくづく奇妙な男だと思う。
天照院奈落が今代首領。朧の名を与えられた者。
奈落に於ける
「しっているからさ。地を這うむしけらが、時に羽を得、天に届くまでのはばたきを見せることがあると」
朧は、かつては定々公のもと、日差しに伸びる影のように付き従っていた。我が唯一の部下はこのひとの手で死にかけた。わたしを刺し殺さんと経絡をつき毒を注入した。佐々木さんからいただいた血清を持っていなければ、わたしも部下もあのとき、仲間の誰に気づかれることすらなく共々死んでいただろう。
一方で、彼は通り魔のような乱暴さでわたしに不死の血を与えた。今井さんの他に目撃者のいない場所で噛みついたわたしをあっさりといなしておきながら、わたしの息の根を止めることはなく、むしろ警告のごとき言葉を吐いた。それは果たして、何故だったろうか。
「何度羽を毟られ地に叩き落とされても、抗うことをやめぬむしけらがいることを」
先程、烏たちは朧の指示を一度聞いても動く様子がなかった。首領はどうするのかと仰ぎ見る仕草。朧が繰り返した指示に、もうひとつ付け加えた言葉を反芻する。虚様の手足として働け——今代首領がいるのに、それを飛ばして、先代首領だとしても既に天導衆に成り上がった者の手足として? 自らは既に離別する覚悟を決めているかのような口振りだ。死から蘇る力を持っているのに。
……朧の傷は癒えていない。左眼はまるで開く様子もない。未だ空は曇っているけれど、暗闇というほどの光量でもない。問題がなければ開かない理由がない。すなわち、問題が残ったままということである。切り落とされた右腕の位置には合金製と思わしき義腕が嵌まっていた。星間文明に於いて義手義足の技術はきわめて発達した(かつての大戦により四肢を失った者が数多くいたからだと聞いている。たとえば夜兎がこの手の技術の知見に群を抜いて詳しい理由でもある)けれど、やはり生身の手足と比べてシナプスの命令伝達はコンマ数秒遅れ、訓練したところで精度もナノ単位の誤差が解消しきれない。それらのごくわずかな差異は致命的な結果を招くだろう。敢えて治していない、とは、到底思えない。きっと治らないのだ。
バイオレンス通り魔にわたしが経口摂取で与えられた極少量の血液は、一日ちょっとしか保たなかった。不死の血が永遠ではないとして、たとえば濃度や量に左右されるものだとしても、また虚から乞うことはしなかったのだろうか。
だとすれば、何故?
「同じ男から羽をもらった、
朧の言葉には、どこか奇妙なニュアンスが含まれているように、思った。
「同じ男? お前の担いだふざけた化け烏と先生がか」
兄上は軽蔑の声で言った。
「吉田松陽は死んだよ。そしてその仇は、今俺の目の前にいる」
兄上曰く〝先生〟の処刑の現場には奈落が集っていたという。〝先生〟の出自が奈落に由来していることが確定し、朧が寛政の大獄に深く関わっていたことを踏まえて、もしかしたらその処刑現場や、そもそも〝先生〟を連れて行ったのは朧そのひとだったのだろうか?
「どちらでも構わんさ。それが吉田松陽だろうと、虚であろうと、私はただあの方の障害を除くだけ」
朧は背中に手を回すようにして、携えた合口の刀を鞘より引き抜いた。
「この残された命の
烏の首領は屋根より飛び降りた。舞い降りたとでも呼べるのかもしれない。僧衣を脱ぎ捨てた朧、その黒装束で両腕を開くといよいよ烏に見える。
鋭く振られた刀同士が打ち合った。火花のようにひかりが散った。
剣戟が幾度も響く。ひとりは幕府や天導衆が重用した暗殺組織が首領、今もなお血の海に生きるひと。ひとりはかつて戦乱を生き抜き、今もなお戦場でなければ息もできないひと。お互いに刀の使い方を熟知している。
朧が背中を死角に放った毒針を、兄上は片目でも正確に捉え、刹那のうちにすべての針が叩き落とされた。すかさずに合金の手刀が突き込まれる。顔を狙った軌道は逸らされたものの、確実に兄上の頬を削った。しろい頬からつうと血が垂れる。
「は、」
兄上が叩き込んだ刀は合金の義腕によって防がれる。間髪入れずに突き出された刀を兄上は背を逸らすようにしてかわし、それでいて、我が兄ながら脅威の体幹は下半身の姿勢を完全に維持した。草履がザザザと地面を削った。腹筋をばねに上体を起こし、刀は朧の追撃を出迎えた。剣戟がまた響き渡る。
片や白髪に身体にまとわりつくが如き黒装束、片や黒髪に派手な羽織りとその下には白装束、剣筋もまるで異なり、すべてがまったく違う印象でありながらただ開かぬ左目と黒塗りの合口ばかりが共通している。……そう、開かぬ左目と合口の刀
兄上の剣をわたしはしっている。かつて講武館で無双した麒麟児の剣筋を〝先生〟に教えられた剣が塗り替えて鍛え上げた。戦場を駆けた記憶がのこった無駄を削ぎ落とし、何度も叩き折られかけ、都度はがねは精錬された。
絶海の孤島でわたしは虚の剣筋を見た。彼の剣は〝先生〟よりもまるで容赦なく、まるで殺すための剣だった。けれども間違いなく〝先生〟のそれと同じ軌道を辿った。同じ癖があった。同じものだった。
兄上と銀さんの剣筋はどこか似ている。兄上と小太郎さんの剣筋もどことなく似ている。それぞれの癖はあるけれど、いずれも同じ系譜を汲んでいる。同じように〝先生〟に師事した兄弟子たちだ。その剣は三者三様に違えども、たしかに〝先生〟の剣の振り方を真似た部分が残っていて、だから〝先生〟の剣筋にも——そして虚の太刀筋にも、似ている。
しかし、朧の剣筋はまるで違う。
朧は——その殺しの技は、虚に叩き込まれたものではないのだ。〝先生〟に習ったわけではないのだ。彼のそれはむしろ、思い返せば、黒縄島で一瞬垣間見た今井さんの剣の振り方とよく似ていた。
暗殺組織天照院奈落に於いて養成された技でありながら、その今代首領として君臨しながら、朧はどうやら先代首領の技術を継承していない。もしかしたら朧以降の天照院奈落構成員は皆そのようであるのかもしれない。朧の訓練期は、虚の天照院奈落出奔の時期と重なっていたのだろうか。先代が勝手に消えた組織で朧は苦労したのだろうか? ゆえに〝先生〟を見つけ出して投獄し、処刑した? ……だとすると、虚に忠誠を誓っている点について辻褄が合わない。
そもそも、同じ男から羽をもらった——というからには、彼は技術の他になにかを与えられたのか? 不死の血? しかし奈落の多くは、というかほとんどは、定命の者である。でなければ定々公の迎えの船に数多くいた奈落たちを皆殺しすることはできなかっただろう。不死の血を与えられていた朧は天照院奈落の構成員としても異常だ。十三代続いた〝虚〟のあと、朧が首領の座に就けた理由にはそのあたりも含まれるのだろうか?
……わたしは、朧のことを奇妙な男だと思っている。それは天照院奈落という、我が国の暗部中の暗部で育まれた暗殺組織首領だから、というだけではない。もちろん敵というだけでもない。
どうにも彼の言動はすべての情報と一致しない。なんらかのパーツが欠けている。そのように感じる。
「カハッ」
突き入れた手刀に兄上が咽せる。思わずというふうに一歩踏み出した隊員の行手を、今度はわたしが片腕で遮った。兄上ならばそうしただろう。隊員もまた、それ以上踏み込むつもりはなかったと知っている。それでもなお。
病み上がりの兄上と、片腕を落とせど義腕で補っている朧、彼らのコンディションを踏まえてその実力はかろうじて朧に分があるように見える。
普段曇り空に覆われているはずの烙陽は、珍しくも今日、暗雲を取り払うつもりになったらしい。恒星風の気まぐれであろうか。気流によるものやもしれない。隙間から陽光が差す。山林の中にもまた、木漏れ日をこえて一閃のひかりが差し込んだ。
振りかぶられた刀の側面がしろがねに煌めいた。
鋭く突き入れた刀を朧は義手で止め——よう、として、その手は虚空を掻いた。落ちくぼんだ瞳が瞠目する。
朧は今度こそ両目を潰されると思ったのだろうか。あいにくと兄上の狙いは違う。わたしは知っていた。くるりと回転した刀が朧の刀を叩き折り、自らも破砕してその役目を終えた。時同じくして兄上が逆手に握った
ダァン!
銃声がひとつ。
朧の身体が途端に弛緩した。黒装束のおとこは膝から崩折れる。
「ガッ、」
「悪いな」
兄上が朧の額に頭突きを叩き込む。朧は抵抗しない。抵抗
「俺としても仇のテメエを殺してやりたいのは山々だが……仲間からの指名だ」
佐々木さんからいただいた出張鬼兵隊TODOリスト、そのいち。
【 ・朧捕まえといてください。確認したいことがあるので生け捕り必須。 】
まったく本当に心底からありえない無茶振りにございます。暗殺組織首領を生け捕り確保って、ふつう良くて相討ち、殺せたらば上々なくらいでしょ。
と、いうわけで我々、戦闘を兄上に任せる
「ご存知じゃあなかったか? 俺たちゃたしかにあのひとの弟子だが、とっくのとうに悪党なのさ。汚え手にも躊躇はねえよ」
朧の左目は見開かれている。鞘を突き込まれた拍子に切れた唇が動いた。
「ぁ、にを」
「え、うそでしょ、意識が落ちないくらいは予想しておりましたけれど、まさかこの期に及んで喋れるの? 心底ありえませんよ」
わたしは辟易とした気持ちで進み出て、仰向けに倒れた朧を俯瞰した。また子さんがこの距離で狙いを外すはずもなく、彼の咥内には黒い丸薬が叩き込まれている。
「小太郎さんが口に含んだだけでも死体同然になったのに。呼吸と脈拍が止まるんですよ? 奈落はどういう教育をなさっているの。それとも不死の血に依るものかしら」
しゃがみ込んで脈拍を取る。だいたいBPMで30くらいだ。どうやらさすがに低下はしている……けれど、止まっていない。喋ることができたならば、当然に肺機能も止まっていない。ほとんど掠れ声のような言葉であったけれど、朧が意思を以て発話したことは明白だった。
仮死薬なんて大層なものを小太郎さんはまるで無防備にくださるものだから。わたしは当日使わなかったとしても大事に取っておくタイプなの。たとえばある満月の日、佐々木さんにいただいた奈落の血清が巡り巡ってハッタリの手札になったように、いずれ活躍するかもしれないから。
……もしかしたら、我らが松下村塾の俊英殿は、わたしに万一の対応策を持たせるために黙認したのかもしれない。今はまったくべつのことに活用されていますがね。
「不死の回復能力が未だにまともに機能してンなら、ついでに左目も左腕も治ってそうなモンだがな。コイツ本人の耐性に見える」
兄上は踏みつけた朧を忌々しげに見下ろした。
「とにかくさっさとふん縛るぞ。原因がどうにせよ、どうせこの調子じゃ薬効も持続力が低い」
「はーいはい。今更ですけれどどなたか縄のようなものをお持ちでいらっしゃったんですっけ」
「万斉の鋼糸」
「意外な活用方法……」
たしかに丈夫でちょうどいい。「河上さん少しいただけます。ア動かなくて大丈夫ですよ。勝手に探りますね〜」「そちらにはない。右」部下たちに支えられた河上さんの脇に寄ってガサゴソとやっている間に「自害されちゃ困るな」兄上もまた朧の脇にしゃがみ込んで、彼の指の間や口の中を見分しているようだった。テロリスト集団に於いて捕虜に人権はない。
「……ヒカリ」
「ハァイ。鋼糸見つけましたけどなかなか……なにか絡まってません?」
「ううむ……なにを入れていたかな……」
「ほどけそうではありますけれども」
「コイツに以前、会ったことは?」
「コイツ? 朧で合ってますよね? 以前ご報告しませんでしたっけ? 定々公の件とその後日に、二度ほど顔を合わせました。あとは……アレですね、茂々公暗殺の件で刺されたり、他いくつか質問されたりはしましたけれども」
「その前は」
「えー……」
河上さんのいつものコートのポケットに肘まで突っ込み、絡まった鋼糸を指先の感触頼りで解きながら、話半分くらいでわたしは考える。果たしてバイオレンス親切通り魔は〝会った〟にカウントするべきかしら? 顔すらお見せしてくださいませんでしたけれどね。
「鬼兵隊に入る
兄上の声には温度がなかった。
ようやく解けた鋼糸を今度は巻き取る。作業は止めることなく、わたしは顔だけ振り返った。
兄上の左眼は相変わらず朧を睨み据えていた。義腕は既に外されていて、暗器まで軒並み剥がそうとしたのか、懐を開いた状態で止まっている。わたしたちの位置からではちょうど兄上の背に遮られて、朧の懐の中身まで確認することはできない。
「……本当になんの話ですか?」
わたしは心底困惑していた。
事実として、わたしが朧を初めて認識したのはバイオレンス通り魔の件が初めてだ。その時点で鬼兵隊に入ってから七年は経っている。鬼兵隊に入る前——となると、遊郭の客にこのような人間は知らない。思ったよりも短く済んでしまった旅館時代も同様である。それ以前は、兄上も知っての通りだ。
わたしがなかったことにしている忌々しき記憶の中には、白髪の若者の姿はない。
チッ、と音が響く。兄上が舌打ちをこぼしたのだ。
「心当たりがねえならいい」
「その口振りで? 露骨に苛立っていらっしゃいますけれど。あ、鋼糸取れましたよ」
「投げて寄越せ。テメエは寄るな」
「なにもうこのひと」
巻き取った鋼糸を振りかぶる。的確に掴み取った兄上は朧の襟元を戻してぐるぐると手際よく、軽々と縛り上げた。
➤
「何故テメエが
「……」
「愚妹がどこぞで失くしたと言っていたのは七年も前だ。時期を考えりゃ、失くしたのは近くてもさらにもう一年、誤差があるとしても四捨五入で十年ってところか。……ずいぶん状態が良いな」
「……」
「俺と同じ親から生まれておいて明らかな童顔。性差のせいで印象が違うってだけじゃあねえのは事故的な別件で知れた。焦げても治った指。あいつがかましたハッタリが〝不死の
「……」
「答えねえか」
「……くすりを、盛ったのは、おまえたちだろう、が」
「ああそうだとも、愚妹はなにかと便利な品を溜め込むたちでね。だが反論に口が回る程度にはもう抜けたらしいな? その調子でいつ・どこで・どうして、ぐらい答えちゃくれてもよくねえか?」
「……だんまりかよ」
「ゴフッ」
「——ッヒカリ! 血ィ吐きやがった仮死薬の副作用か!?」
「成分お聞きした限りでは確率低め——回復体位取らせて一刻も早く船に運ぶ他ありませんね、喉詰まってませんか!?」
「ねえなたぶんオイテメエ口開けろや呼吸しろ」
「ガフッ、ゲェ」
「これ吐血だ食いもん出てるぞ」
「ああ〜せめて喀血であってほしかったかも、血の色と吐瀉物覚えといてください! すみません簡易担架作ります軽症の方は上着脱いで提供していただけませんか! どなたか刀も貸して!」
➤
「三ヶ月寝たきり点滴で食い繋いでたレベルの栄養失調マンが飛んだり跳ねたり走ったりガチの戦闘するなーッ無茶過ぎるなんで生きてんですか!?」
「うるせえ頭に響く」
「でしょうね! 響くぐらいの声出してます!! 安静って知ってますー!?」
兄上は診察台の上で丸まった。
海原さんは烙陽までの道中神威さんと一緒だったらしく、ピンピンしたお姿だ。山の一角が吹き飛び・土砂崩れ・岩雪崩と一連の騒動に、すぐに我々がいることに見当がついたみたいで(それはそう)ついでに確認できた裏切者に麻酔薬ぶち込んで縛り上げて引きずってきたときはちょっと引いた。たしかに烙陽の環境なら、あなたの筋力でも引きずれそうだけども。
「ほら兄上、やっぱりわたしのこと言えないくらいの無茶ではございま」
「ア?」
「ごめんなさい」
わたしは弱い。
「五十歩百歩どころか九十九歩と百歩で張り合わないでくれる? 君体力も筋力落ちてる自覚あるだろあるよなあるって言え」
「あります……」
「だよねつまりある上でやったんだよな」
「いっぱいごめんなさい……」
わたしはとっても弱い。
「まったくぬしらの無茶は命がいくつあっても足りんよ」
「百一歩がなんか言ってんだよなァ〜全身骨折プロデューサーなにその自分は違いますの顔肋と頭蓋が治りかけの上から折れてる形跡があるんだよねCTでわかンだよね隠し通せると思ってたのかなちょっと気になる教えてくれない?」
「すみませんでした」
河上さんも弱い。
「そのへんにしてやってくれませんか海原さん。大なり小なり無茶をせねば生き延びられぬ戦場だったのです」
さすがに見かねたのか武市さんが諭してくださった。……しかし、海原さんはいつもの三白眼をさらに目つきも悪く眇めて、武市さんを睨み返した。
「ンなことは百も承知だよ。それはそれとして僕は医者でなんなら医療班統括で医者が身体の無茶を諭さなきゃすべてが終わンだよ」
「それはまあ」
「てかこのひとらなんだかんだ〝まあしょうがなかったし……〟でなあなあにして、したら次も〝まああんときもそんなかんじだったし……〟でまーた無茶するだろ無茶の度合いが増えるだろ」
「それもまあ」
「内科も外科もそこそこいける医者ってそんないなくってね〜僕ってけっこう優秀でさ〜自分の身体は自分がよくわかってるとか寝言ほざく患者よりは患者の身体わかるっていうか〜どうせ完全には止まらねえにしても無茶すんなぐらいはせめて言ってもいいだろ縛り付けてねえのはかなり温情だと僕思うワケ」
「まったくもってその通りですね」
「武市さん」
「皆さん頑張ってください」
一礼して去っていく武市さんの背中を、わたし・兄上・河上さんは揃って呆然と見つめる他なかった。み、見捨てた。このひと今見捨てた。自分がだいぶん軽傷だからって見捨てましたよ。
「来島様〜ところでアンタも怪我してるな。腕は確実に折ってるよな」
「ヤ!!!」
「駄々の捏ね方が完全にヒカリなのだが」
「似たな……」
「駄々を捏ねるときのわたしってあんな感じなの……」
「けっこう似ておる」
「首の振り方とか似てる」
「そうなんですね……」
確保されたまた子さんがしわくちゃの顔で手当てを受けつつ、お説教されるのを眺めることしばし。また全体的に戻ってきたお説教を四人揃って受けることしばし。
幹部(なんなら、総督)の威厳はおおよそない。武市さん戻ってきて一緒に受けましょうよ。
武市さんは鬼兵隊じゃ頭脳面専門なので元々怪我しそうなポジションに滅多につかないこともあるけれど、なんていうか、逃げ方が上手い。
「ところで海原さん」
「なに? 薬は用量用法守って飲めよ。マとはいえヒカリ様とか河上様はこのへんは問題ないか……総督と来島様のが問題あるな……」
「わたしたちへの信頼があるのか御二人への信頼がないのか……」
「ロキソニンの用量はマジ守ってほしい腎臓を潰す気?」
「効かねえんだよ」
「自己判断で量を増やす前に・効かない事実を・医者に・言って・ください・僕が殺すぞ」
「ええとその薬の服用タイミングや用量用法の話ではなくて……」
わたしは話を戻した。殺意を煽るつもりもなくて。
「朧なんですけれども」
担架にくくりつけて海原さんにお任せした。拘束状態だから脱出はできないだろうが、どうにせよ、彼は暗殺組織首領とは思えないほど心底弱っていた。
「ンア〜」
なんですかその声は。
海原さんはテーブルの縁にてのひらをついて、回転椅子をぐるぐると回した。
「アレやばいよ。パッと表面見た限りでも腐食してる皮膚が多すぎる。それも単に傷口放置したってよか……新陳代謝をありえない速度で繰り返しまくった? 的な? なんならあれ血色悪いの普段の不摂生だけじゃあない、血液検査がありえん異常値出してる。症状は末期癌とか白血病に近いんだけど〜こう、なんだろ、ついでに細胞食い破ってる? 腹の中身見たわけじゃないからたしかなこと言えないけど血液検査結果信じるなら内臓もボロッボロだと思う。死んでねえのが超☆不思議」
「どこまで生かせる」
「設備もっかい揃えて限界の臓器や骨髄全取っ替えしても延命がせいぜいのところ一年ってとこですね。移植の拒絶反応もなくて僕がめっちゃ頑張って上手くいった最長試算なんで、これ届かなくても文句言われちゃ困りますよってくらい」
「なにもしなければ?」
「最低限の処置は続行する前提でも一月保ったら奇跡カナ〜? マジでなにもしないなら、数時間後には」
病み上がりと片腕欠損との拮抗だなんてとんでもない。朧はもとより死にかけた状態で、兄上とあれだけの打ち合いを行なったのか。
兄上と戦って——本当に死ぬつもりだったのだろうか。
「とりあえずまァ対症療法だけは打っときますけど、どこまで保たせるつもりですか? 闇雲な延命は拷問に等しいかと。患者に拷問は僕の趣味じゃないんで、ある程度考えといてくださいよ」
海原さんが眼球をぐるぐると回した。
「総督! ヒカリ様! 河上様! ……すみません海原先生この中に誰か動かしていい人います?」
「え〜……かろうじてヒカリ様」
「かろうじてなんだ……はい、はい。なんでしょう」
「第七師団の二人が」
「あら」
わたしは診療室の丸椅子から立ち上がった。
「ヤッホー」
「……ご生還、なによりにございます。……うちの医務室寄っていきます?」
「あいつ口うるせェからヤダ」
神威さんは阿伏兎さんに肩を担がれて、傘を無理やり差し掛けられていた。包帯だらけの手をパタパタと振る。腕を上げるのも億劫といった様相だ。肩を担いで支えている阿伏兎さんも満身創痍である。
「大惨事ですね」
わたしは簡素に感想を述べた。
「かわいそうデショ」
神威さんがとぼけた。
「っと〜によォ……」
「ふふ。同情されたいの」
「イラネ」
「まあそうでしょうね。けれどけっこう、頑張られたみたいですね?」
神威さんは返答せずに頭を掻いた。
「……暴れ馬」
「ヒカリです」
「団長甘やかすのやめてくんない」
「ええ〜このくらいで……」
阿伏兎さんがジトッとわたしを睨んで、ああそうだ、と続ける。
「云業知らねえか。アンタ気に入ってたろ、どさくさに紛れて身柄確保してたりしねえ?」
「え? 存じません……いらっしゃらないの?」
「南天楼からサッパリ、姿形も見えやしねえ。こりゃ死んだかね」
「あいつなにかと使えてよかったのにね〜」
夜兎のお二人は、午後から雨かな〜洗濯物取り込んでない、みたいなテンションで、云業さんの生死をお話なさっている。わたしはどういう態度を取ればいいのかよくわからず、あいまいに首を傾げた。
「あなたがたって弔いの概念はあんまり、なさそうですよね……」
「アハハ。まあ。残念って思うことはあるよ」
神威さんが目を細める。普段笑うときとはまた異なって、どこか、まぶしさを耐えるような細め方だった。
不意に手を伸ばして頬を固定すると「なに」細いままの目がこちらを向く。
「……やっぱり、あなたの目の色って、妹さんとよく似ていますね」
「ヒカリ、オマエ俺が今ボロッボロだからって普段できないこと全部言う回でもするつもり? 言っとくけどこの状態でもオマエのことくらい簡単にくびり殺せるからね?」
「ヤダご勘弁……」
「巻き込まれる俺もご勘弁……」
「だいたいアンタこそ晋助と同じ目の色しておいて」
「ああ〜頬引っ張らないでください兄上にも散々引っ張られてそろそろ伸びそうなの」
「ゆびいたい」
「団長マジで怪我してる自覚がねえのかアンタは」
御自分でわたしの頬を引っ張っておきながら、神威さんは被害者みたいな顔で指を庇って引っ込めた。……もしかして、これが噂の〝自分が百悪いのに被害者面する猫みたいな顔〟……?
溜息をついた阿伏兎さんは、チラとわたしたちの艦を見上げる。
「あと伝達としちゃ……ああそうだ、第二、第三、第四が
「おや」
「ンで華陀はこっち来てねえよ。音沙汰がねえのは嫌な予感こそするが……今回はとりあえず、目ェつけられる前に逃げとけ」
「そうですねえ。諸々ありがとうございます。我が総督の件も」
阿伏兎さんが肩をすくめようとして、片肩にかかる神威さんの体重で失敗していた。
「遊びの他に、また祭りあったら呼んで」
「治・っ・た・ら・な」
上司部下のような、兄貴分弟分のような、そんなやりとりを交わしながら彼らはのっそりと艦をあとにした。