前略:
※アマチュアだけで富士樹海に侵入を試みるのはやめましょう。
➤
「こないだ会ったばっか過ぎるデショ」
「まったくですね」
形式上の握手を終えて、包帯を巻いたてのひらを眺めたわたしは「……ところでもしかして、骨がくっつく前に動かしました?」動き自体の支障こそなさそうなものの、以前と比べて若干変形した指の形を悟って、神威さんを見た。
「知らないね」
神威さんは明後日の方向を見つめた。
心当たり、あるんですね。
「それで思い出した。アンタら、カイバラってやつにコレ渡しといてくんねえか」
「海原ですか? ……どの海原ですか?」
「医者センセイってのは知ってる」
「医療班の海原はひとりですね」
カマをかけてみたけれど、そもそも鬼兵隊所属の海原さんは医療班にしかいない。
阿伏兎さんから無造作に渡される桐箱。側面には【損保乃糸】と記されている。
「……そうめんですね?」
無造作に渡されるべき代物にしてはややお高めとお見受けします。
「なんか好きなんだってね」
「つってたからよ」
「好物とはお聞きしておりますけれど……」
れっきとした地球産である。夜兎に〝ごはんが美味しい〟と評されるように、地球の食べ物は星間文明においても美味しい方に分類されるので、ひとたび星から出るとかなりぼったくり価格で流通されている。つまりこのひとたち、割高商品をわざわざ買ってる。
見た目通りの重量で、変に軽いことも重いこともない。傾けても妙な音が立つわけでもない。本当にただの贈答用に見えるけれど……逆になんで?
「ほれ回収」
「あ」
一通り確認を終える前に横から河上さんに取り上げられた。再会してからというもの、皆さん揃いも揃って過保護だ。河上さんに至っては確実にわたしより重傷だったくせに。
河上さんが確認しても違和感はなかったのか武市さんに回り、武市さんからも暗黙にOKと見做されて、最終的に兄上の手に渡った。海原さんは兄上から渡された方が確実に喜ぶ。
「
「ああだから〝口うるさい〟……」
たしかに一瞬、そのようなことを仰っていましたね……?
「夜兎なら軽く殴った程度じゃ死にゃしないけど、地球人ってなるとかんたんに死にそうだしさあ……だって将軍であんなデショ?」
一橋公を盛大に吹き飛ばした件は、神威さんの中でも一応反省項目に入っていたらしい。
「念を押しますが、本邦は強さで為政者を決めているわけではないんですよ」
「アンタらは暗殺で決めようとしてたけどな」
「茶々入れないでください阿伏兎さん」
「反論できねえから論点をずらすんだろ」
阿伏兎さんは嘯いた。
本当に反論の逃げ道を塞ぐ人がありますか。
「殺したらヒカリにもシンスケにも怒られるしさあ……」
「……てめえは俺らのことなんだと思ってんだ?」
兄上のごもっともな困惑である。
たしかに隊員の生死については、怒る以前の問題だとしても。
「抑止力になった点はなによりですけれども……」
「にしても、医者センセイは貸出サービスやってねえのか? 団長は同族にゃ容赦しねえから、うちで多少診れるやつに止められたところで振り払うんだ。まともに安静にしてくれた試しがねえ」
「医療班が彼以外全滅しているので少なくとも今あなたがたに貸し出すとこちらが詰みますね。どうぞご自分たちで頑張って見つけてくださいな。応援だけはお送りいたしますとも」
「医者として腕がある・夜兎に怯まず噛みつける・団長が一応殺さないように加減する立場、の三拍子揃ったやつをそう簡単に見つけられンなら、俺らだってハナからこんな苦労してねえんだよ」
それは本当にそう。
会話の最中、また子さんがわたしの腕に巻きついた。わたしとまた子さんには身長差があるから、わたしが背伸びをしたりまた子さんが膝を曲げたりしない限りは、ちょうど彼女の頬の位置がわたしのこめかみのあたりに来る。形のよい頬がわたしの側頭部に押し付けられて、たぶんちょっと変形していた。
「ガキみたーい」
神威さんが笑った。「うるせ」また子さんが低く唸る。わたしが手を伸ばして、斜め上の位置にある金髪を撫でつけるとしょんと肩が狭まった。
「さァて、云業に会ったらまずは締め上げないとな……生きてるクセに烙陽に来なかったのはどういう理屈かってこと、華陀に捕まってんならブッ殺すよってこと」
「鳳仙に従ってんなら?」
「仕方ないから半殺し」
「本当に物騒な方々……」
手の甲をつまむように何度か触れてから、わたしの腕に絡む肘ごとそっと退ける。また子さんは、これ以上わたしを捕獲しようとは試みなかった。不安そうな表情を浮かべるお顔を両手で包んで、そっと手を離す。
「わたしが不在の間になにかあれば、中田さんによろしくお願いします」
「おれいつもこんな役回りなんすけど」
「兄上のお手伝い頑張ってくださいね」
「いっぱい哀れんでほしい。なんで毎度置いてかれてんの。おかしいって」
「あの、わたしべつに遊びに行くんじゃないんですよ? ご存知?」
今回は先方の指名以外の理由はないし、べつに毎度置いていっているわけでもないのに、なぜだかやたらと被害者面をされている。唯一の部下に。わたしの方こそ不服を申し立てたいところですよ。
「ヒカリ殿、もう少し手加減してあげてはいかがでしょう」
「わたしが悪い流れなんですかこれ。たいてい一緒にお仕事している部下に引き継ぎお願いするのって、ごく普通のことではありませんか」
「ンーまあそうっちゃそうなんだけどもこればかりはぬしには味方できんというか」
「ホームグラウンドでアットホームに四面楚歌って本当にどういうこと……?」
「アンタら揃いも揃っていらんこと言わんでいいですからああもうハイ承りましたガンバリマース!!!」
中田さんはヤケになった様子で大声を上げた。
けっきょくわたしは怒られ損ではありませんか?
「ヒカリ」
「兄上は味方になってくださるんですか」
「茶番はさておき」
このひと今茶番って言った?
慄いたわたしを一瞥した兄上は、腰に佩いていた脇差を解いた。そのまま無造作に投げてきたものだから、咄嗟に掴み取る。
兄上の脇差はわたしはお借りしたそばから折っているし、まず兄上本人が何振りも折っているので、いったいこれが何代目なのかは定かではない。
「ちゃんと返せよ」
破片でも?
と、茶々を入れるべきタイミングとそうでない場合があって、今はたぶん、後者だ。
「……あなたこそ」
素直に受け取るのも癪なので、わたしはちょっと嫌味を添える。お墓に御供え物して返したことにする、だなんて事態にならないといいんですけれど。
脇差を携える。
「行ってきまーす」
「……行ってらっしゃい」
タラップを躊躇いなく登る。わたしの後ろから神威さんが跳ねるように飛び乗って「まったねー鬼兵隊」手を振った。阿伏兎さんが面倒そうに神威さんを押し込む。船は既に、エンジン音を響かせていた。我々が乗り込んだ後ハッチを閉め、タラップを収納し、結合した連絡通路を切り離し直して飛び立つことになる。
阿伏兎さんは鬼兵隊の方々を振り返ると、自らの片手で拳を作り、もう片方の手で覆うかたちで組んだ。どこか拱手に似ている。
「アンタら風に言うなら〝ご武運を〟だよ」
自らの部下を一瞥して、神威さんはそのように付け加えた。
「俺も実践したのは初めてだ。夜兎じゃあすっかり廃れた習慣なもんでな」
阿伏兎さんがハッチを閉める。鬼兵隊の人々が金属扉の向こうに消える。わたしは一度目を瞑った。もしかしたら今生の別れだなんて、そんなのテロリスト集団にとってはいつものことだった。
それにしても見送りに勢揃いだなんて、なんだかんだで愛されているのかもしれない。まるで似合わない言葉に自分で自分を笑って「なるほど、たしかに神威さんも要らないと仰っていましたね」話を戻す。
「いや単に知ってる奴が少ないってだけだよ。武運を祈られんのまで嫌がるぐらいヒネてんのは、どこぞのあり得ねえ跳ねっ返りだけ」
「アハハ。言われてるよヒカリ」
「あら阿伏兎さんったらひどぉい……」
「若人同士で団結すんのやめてくんねーかな。暴れ馬に至っては団長より俺に歳近いだろうが」
「ヒカリです」
「さーてオジサンは置いといて」
「オイ……」
「当座の寝床に案内しとこうか」
「なあ……」
スタスタと歩き出す神威さんの後を小走りに追う。ちょっと振り返った青年はわたしの歩幅に合わせて速度を落とした。
「提督殿と副提督殿の案内付きとは、ずいぶん贅沢なものですね」
「ポーズは大事だ。もとよりうちの団員にはアンタのことは周知してるから、念のためだけど……賓客に手を出す馬鹿は今更、いない。命を救われたってんなら尚更ね」
神威さんの横顔を斜め後ろから覗う。神威さんはいつも通りのような澄まし顔だった。とくに笑顔も浮かべていないけれど。
「……マ、吉原でもあくまでも鳳仙に呼ばれたメインは俺らだからな。アンタは格好つけるのも大概にしとけよ」
阿伏兎さんがわたしの横に並ぶ。義手の方の腕が自らの後頭部を掻いた。
「いい加減に借りも返し終えたいもんだがね。次から次へと重ねてくるもんだからよ」
「我が総督を身体張って助けてくださったぶんで、精算は終わっているかと存じますよ。まだ借りと見做していらっしゃるだなんて兎さんってお人好しですね」
「ハッハッハ。ったく……馬鹿言ってんじゃねえぞ地球人。俺の同胞数百人の命と、頭領だろうがたかだか地球人ひとりの命が、まさか等価とでも言うつもりか?」
阿伏兎さんの声はドスが利いていた。
わたしにとって、兄上の命はなにをも代え難い——彼らにとっては、当然、そうではない。地球人の中でも気に入っている相手ではあれど、それは群を抜いて特別を意味しない。
「……ごめんなさい」
「うわ、ヒカリにしちゃ素直じゃん。鳳仙の旦那相手のときはあんだけ噛みついてたのに」
「調子狂うな……ああ、もしかしなくても身内で叱られたか? そりゃそーだ叱られろ叱られろ。昨今の若人はなんだって命の価値が低くていけねえ」
「わたしを介して神威さんをまとめて叱りつけるのやめていただいてもよろしいですか?」
神威さんがそっぽを向いた。
阿伏兎さんはやれやれとわざとらしく首を横に振ってみせる。
「聞かねえから」
「たしかに」
「ねえ二人揃ってうるさいよ? 殺されたいの?」
「やだこわぁい、地球人震えてしまいます……」
「馬鹿にしてるだろソレ」
「さーて客室はここな」
「阿伏兎に至っては無視なわけ、おい」
素知らぬ顔で阿伏兎さんは戸に手を翳して開けた。年下上司に掴まれた肩がみしみし言っていらっしゃるのは、気づいていて無視する方針なのだろう。義腕の方だから良いのかな。
「生体認証、登録は……あ、団長は三凶星からの通信予定あったろ、早めに行ったらどうだ」
「それオマエもだろ……」
「いやいや、下っ端としちゃあ海賊王さまが忌み嫌う雑用だのを……ね」
「なあ本当最近調子乗ってない? 乗ってるよね?」
「仲良しでいらっしゃいますね」
「結託しやがって」
「してませんよ。純然たる感想を申しております」
神威さんは舌打ちをこぼして中枢部の方へ向かった。
本当にちゃんと予定はあるらしい。
「かわいげですね」
「そーだな。……絶対にそれ団長の前で言うなよ。言ったとして俺が同意したなんて言うなよ」
阿伏兎さんは迫真の表情で念を押した。
このひとたちの関係もいまいちわからない。
「シャワーは備え付け。食事は食堂。着替えは……自前で持ってきてんだったか? 予備はなくもねえがさすがに地球の服はねえ。どのみち一泊二日程度の航路だが……」
「その点はご心配なく……一泊二日? 現地点の座標から地球までが、ですか?」
「まァ最短航路使ったことで手足が消えた事例はねえよ。爪くらいはどっかに置いてくかもしれねえが」
「なるほど、あなたがたってワームホール安全規定をフル無視して速度を維持していらっしゃるんですね?」
地球に到着するまでの間に内臓が吹き飛ばないことを願おう。
➤
内臓は吹き飛ばなかったけれど(たぶん、なにせわざわざCT撮影している暇もない)朝起きると本当に右足の小指の爪はなくなっていた。
せっかく生えてきたばかりだったのに……。
「ワームホールを抜けると足の爪がなくなっていました……」
「ふぁんは?」
「雪国という小説の捩りですね」
原型ないけれども。
「ほんふぉ」
むぐむぐと顎を動かして咀嚼していらっしゃるので何を言っているのか全然わからない。
「暴れ馬、飯はそれだけでいいのか?」
「お子様セットの半分ぐらいで箸置いたぞ……」
「あなたがた基準のお子様セットって成人男性二人分ぐらいの食料ですからね。地球人でこの体格ではむしろわたしは食べる方なんですよ……お待ちくださいね、暴れ馬? 聞き流しかけましたが今暴れ馬って仰いました?」
「ヤベ」
「阿伏兎さん? 教えたのあなたでしょ、絶対。暗号で馬に当てたのだってあなたの発案なんですものね?」
「知らん知らんオイ口滑らすな」
「口を滑らせた扱いなのはもはや答えにございましょう……」
宇宙船のディスプレイは拡大鏡を通して、江戸の街並みを映している。液晶を通して俯瞰する江戸は——どうにも静かだった。
もちろん人間はいる。街道は人が行き交っている。皆が皆、どここ足早だ。団子屋の前に人気が無い。長椅子に誰も腰掛けていない。二人、あるいは三人で歩いている人が多く、しかし誰も会話を交わしている様子はない。朝食を提供している定食屋も、今はがらんと空いているようだった。八百屋の前で言葉少なに交渉した客が、慌ただしい仕草で購入した食品をまとめるとすぐに去っていった。
余暇を楽しむ空気ではない。悠長にお喋りしている環境ではない。街全体に、ピリピリとした雰囲気が漂っている。
「普段なら稼ぎ時とでも言うんだが」
阿伏兎さんがぼやいた。
「言論統制、ディストピア、嵐の前触れの静けさ」
「戦争目前?」
「そうとも言うカモ。俺たちみたいな悪党がつけ込む隙——なんか演説してる奴
「団長は食うか喋るかどっちかにしてくんねえかなァ……?」
たしかに、街頭で旗を立てて町民がメガホン片手に声を上げている。風ではためいていてわかりづらいけれど旗には菊花紋章、唇の動きからおおよその内容を読み取ってわたしは小さく息をついた。
「尊王倒幕派ですねえ」
なにがイヤって、わりと聴衆がいる。人気政治家の登壇とばかりに、数十人くらい集っている。……眺めている間にもまた増えた。
「倒幕志士?」
「造語にも程がねえか?」
「神威さんもなかなか、地球文化を学ばれたようで……」
呼びやすいかもしれない。以後そのように呼ばおうかしら?
「……少なくとも彼らの方が、我ら攘夷浪士よりはましな信念をお持ちでいらっしゃる」
わたしはぼんやりとつぶやいた。誰かに扇動されていたとて、これ以上の横暴を許さぬと立ち上がる人々は、破壊ばかりを望む先のない人間たちよりは余程真っ当だ。
「どうだか」
他方、阿伏兎さんが鼻で笑った。
「俺が知る限りじゃあ、アンタらは自分の意志で破壊を選択してる。一方でやつらは……アンタもまさか、世の中の全員が真に物を考えていると思っちゃねえだろ? 高尚な言葉に踊らされて、自分で考えた気になっている奴らほどろくでもねえ集団もそうはねえさ」
「外観だけで判別つくものでもありませんよ。そもそもかつて行われた寛政の大獄の影響により、我が国は徒党を組んで幕府に楯突くことを極端に避ける気風が生まれました」
民衆がなあなあに諦めて生活することを選択せざるを得なかった理由——自ら考え、抗う機会を奪ったのは幕府であり、幕府の行いを肯定する世論が形成されたのは、過激で犯罪的な行いに躊躇もしない我々攘夷浪士たちの存在が暗に影響している。
「棄てられてきたこと、なかったことにされてきた主張、それらを形にする契機がたまたま利用であったとて、価値を棄損されるものではありません」
「暴れ馬のわりには良い子ちゃんが過ぎねえか? 世論を言い訳にするなんざ俺ァ好かねえな。けっきょくのところ、利用される選択をしたのはそいつらだ」
「ええ。情報統制された社会で自己責任論を演説することがとっても簡単なようにね」
「……へえ? 言うねえ暴れ馬。プライドの高い女は好きだぜ、高い鼻っ柱を折るほど楽しいこともそうはねえさ。お嬢様然としたアンタが売女の街に詳しいのは環境起因だとでも言うつもりか?」
「流浪者のあなたが自らの血筋にやけに固執なさっているのは、生まれたときから備わった本能だとでも仰るの?」
数秒、我々は無言で見つめ合った。
わたしはカトラリーを手に取る。
阿伏兎さんは番傘を手に取る。
「二人とも、喧嘩するなら俺としろよ」
神威さんがはっきりとした滑舌で言った。いつの間にか、皿に山と盛った麻婆茄子をきれいに平らげている。
わたしも阿伏兎さんもまた数秒沈黙していたけれど、やがてわたしは溜息をついて座り直した。阿伏兎さんは頭を掻いて、番傘を椅子に立てかけ直す。
「つまんな」
アラサー二人の一触即発をたった一言で制した最年少は「だったら最初っからマジになってんじゃないや」結果自体はお気に召さなかったらしく、鼻を鳴らした。
「マ、どっちに味方するでもないけどさ。正しい御題目は、暴力を振るうにちょうどいい。旗頭が統制するつもりもないならなおさらだ」
神威さんは、今度はお玉と見紛う大きさの匙で炒飯を山盛りに掬っていた。
「あの女狐は昔っから、一見それらしく聞こえる御題目を用意するのがとっても上手かったよ。尻尾さえ掴ませなきゃそのまま居座ってたろうに。……それにしても、どこもかしこも華陀の監視だらけだな」
屋根の上に潜む辰羅族を睨みつけ、彼は匙を口に含んだ。むぐむぐとまた咀嚼する団長殿に嘆息して「隠密も意味がねえな」阿伏兎さんは船内を見回した。
「全員飯食ったか? 吉原にそのまま船入れるぞ」
「おかわりー」
「言うと思ったよ」
「三杯持ってきて、あっラーメン追加」
「さっきお鍋三つほど空にしていらっしゃいませんでした? さすがは夜兎でいらっしゃいますね……」
「軽くね、軽く」
「団長は夜兎でも食う方で、今はわりと軽食」
「わたし今、人体と容積の関係について真剣に思案しておりますよ」
「俺ら全員が思ってるから安心しろ」
「なにが安心?」
神威さんはこの後、炒飯を三皿とラーメンを四鍋(杯ではない、鍋)小籠包を百ほど食い尽くしたところでようやく止まった。桁と単位が心底異常だ。
吉原桃源郷脇には大きなヘリポートがある。言葉を選ばず言うなれば、ある種の接待の現場として売春宿はこれ以上なく適しているからだ。絢爛な館で豪勢な食事に音楽、美人さんに遇されて気分が上がる人間はわりといて、たいていは様々な後ろ暗いことに精通していらっしゃる。
開放された吉原桃源郷はしかし今日はあいにく曇天で、閉鎖されていた時期と比べても街並みが多少明るくなった程度だ。
「……」
わたしは眼差しを、吉原桃源郷最奥に存在する、もっとも絢爛な館に向けた。鳳仙の居城は未だ堅牢に聳え立っている。……前回お会いしたときは車椅子生活でいらっしゃったけれど、今はどうなのかしら。あの城って絶対、バリアフリー環境には程遠いと思うのだけれど、内装リフォームもしたのかな。
鳳仙殿の最近の動向をわたしは知らない。なにぶん忙しかったので、死にかけたお爺さんの動向なぞ探っている暇もありませんでした。ええ。もちろん鳳仙殿なんて当然どうでもいいのだけれど。
「ヒカリ」
「はい」
「八時の方向。二歩半下がって」
ほとんど唇を動かさぬ指示だった。神威さんを見ることなく、とりあえず、一歩引く。二歩、と、踵を引く。奇妙な命に従いながらも、直感は明らかに警鐘を鳴らしていた。無意識に脇差に伸ばした手を——横から払われた。
「ッ!? イ゙」
首筋にかすかな鋭痛と、痛みを感じた部位から全身に広がるしびれ。筋肉の統制が利かなくなる。視界が波を打って、回転した。
麻酔薬。筋弛緩剤。あとは——思考が処理落ちしかけている。自らの手の甲を抓って痛覚による覚醒を試みようにも、毛ほどの力も入らなかった。
「ヤッホー、旦那ァ元気ィ? くたばり損ないの爺さんに呼び出されたときは何事かと思いましたけれど」
たった数言の指示だけで、わたしを麻酔銃の軌道に適切に晒しておきながら、神威さんは城に向かってヒラッと手を振った。軽快に言葉は紡がれる。
「お望み通り、高杉ヒカリを連れてきましたよ。これでウチの部下は解放してくれるってことでいいんですよね?」
鳳仙殿の館、ちょうどかつて日輪さんが務めていた見世の位置から、包帯を巻いた人影が何人か現れる。長杖をついた老人が、目深にかぶった笠の下からぎろりと眼下を俯瞰した。
「……フン、
「……アンタは?」
「老師に気安い口を叩くな。夜兎以外の種族に屈した狗風情が」
鋭く言い放ったのは、老人に侍るように佇む影のひとりだ。侮蔑しきった物言いに「そりゃどーも」阿伏兎さんが肩をすくめる。
「狗風情ってさ。阿伏兎鳴いてみ。ワーンワン」
「団長ォ、俺にも逆鱗の一枚や二枚や五枚はあってね?」
「わがままだね〜狗は嫌なんだ。猫派?」
「そうじゃなくてね?」
傍らのやり取りすらもどこか靄がかっていて、言葉は意味を咀嚼する前に脳を素通りして耳を抜けていく。肘を地面について起き上がろうと試みる。骨はかたかたときしみ、重心は定まらず、わたしはべしゃりと地面に伏せた。
「あーあほら。無様で可哀想デショ」
半笑いでつぶやいた神威さんが小首をかしげる。片腕がわたしの肩を玩具のように引き上げた。抵抗の気力もなく、半ば項垂れる姿勢のまま、降りてくる瞼を必死に維持する。膝や脛にただ自重で食い込んだ砂礫が痛覚を呼び起こし、わたしの意識をかろうじて保たせていた。
「で、旦那は? 遠路はるばる呼び出しといて、自分は寝坊とかホンット良いご身分ですねえ」
「そうはしゃがずとも聞こえておるわ」
しゃがれ声が言った。大して声を張ってもいないのに、よく通る。車椅子に似合わない、焦げた痕残る筋肉質な身体。半端に病人のなりをした男だ。見世のために設置された欄干、老師と呼ばれたひととその配下がいる階よりも、さらに高みから我々を見下ろした。
息を切らすようにして、顔を上げ、睨み上げる。これだけの仕草でもどっと全身に疲労じみた倦怠感が広がった。顔にかかる前髪が煩わしく、いよいよ動かない身体に鞭打つ心地で、首を振って髪の位置をずらす。
鳳仙殿の眼と、わたしの視線が噛み合った。
「ハッ、相変わらずの強情ぶりよ。そのような身体で抗うなぞ、まったく昔を思い出す……」
鳳仙殿は言うほど興味もなさそうにうそぶいた。視線がずれて、神威さんたち第七師団御一行を見据える。
「入城を許可する。早く入れ」
「
「そんな信用ないんだ俺たち。もしかして爺さん、若者の行動は逐一読めなくて裏があるって思ってるタイプ? 偏見だよそういうの」
「黙れ神威。貴様の軽挙が貴様の部下が生命をも擦り減らすと知れ」
鳳仙殿の一喝。
神威さんは口を閉じた。
「〝長老〟よ、貴様もだ。わしが
「爺の苦言にこの有様か。先も知れたな、鳳仙」
「夜王の座から逃げた分際で今更
長老/老師は押し黙った。
鳳仙殿は双方の沈黙を確認したのち——いずれも、どこか不気味な雰囲気をまとっている——くるりと背を向けた。
「女狐が喉から手が出るほど欲する仇、わしとしてもいけ好かぬ産婆——此度はいずれも異なる。どこぞで暴れたか、この女、いよいよ
瞼が降りていく。鳳仙殿の姿が視界の中で明滅する。
「丁重に扱え。献上品は無瑕こそが相応しい」
「麻酔針撃ちましたけどね」
「ハ」
色相が変転し、裏返って、塗りつぶされた。
➤
「——わたし、怒らないことはないんですけれど。言うことありますよね」
「ごめーん」
両手を合わせてきゅるんと首を傾げた神威さん。
「初対面のときあれだけ鳳仙相手に噛みついた暴れ馬を怒らねえと思うやついねえだろ」
「阿伏兎さん?」
「ゴメーン」
年下上司を真似るが如く、両手を合わせてきゅるんと首を傾げた阿伏兎さん。
絵面は神威さんよりやや無理がある。
「殴ってもいいですか? 殴りますね」
どちらにせよどちらにもふつうに腹が立った。バカ=サン✕スットコドッコイ=サンの宇宙海賊春雨トップ2の頭をわたしは丸ごと平手でしばいた。
「イタッ」
「イテッ」
長年過ごせばさすがに多少はお互いに影響される。わざとらしく頭をさする仕草はどこか似ていた。避けられずに甘んじて引っ叩かれたところを見るに、怒りを買うくらいは予想していて、自分たちに非があると御本人たちも認識していらっしゃるようだ——そこまで理解していらっしゃるならもうちょっと別の選択肢、ありませんでした?
兄上に言いつけてしまえば、あのひとはわりとわたしをちゃんと大事にしているので、場合によっては一足飛びに同盟破棄まで至るかもしれない。さすがに夜兎集団かつ春雨半分の指揮権を持っている人々をまともに相手取って死ぬのは鬼兵隊なので黙るけれど。そもそも内輪揉めしている場合でもないので黙っておくけれど。
絶対死ぬまで根に持ってやる。
「くだらん茶番よ」
「そのくだらん茶番にまことノリノリだった分際でまるで他人事のように仰るのね。高みの見物はさぞ気持ちがよいものでしょう。わたしのような端女にはめったに訪れない機会です、つくづくうらやましいこと」
「本当に貴様はろくに変わらんな」
苛々とまくし立てるわたしを見て、鳳仙殿は鼻で笑った。
「昔よりも賢しく囀るようになった程度か。しかし、こうも一芸ばかりでは見飽きるものよ」
「あらどうも、お望みなれば他にも披露して差し上げますよ。剣舞でよろしいかしら? 華やかさが足りぬと仰るなれば、血染めの鮮花でも添えてみせましょう。当然ながらあなたの首で」
据わった目で脇差を取ったわたしを「まあまあ……怒るのは本当に間違いなくごもっともだけれども、どうかこの場は私に免じてくれやしないかい?」日輪さんが押しとどめる。日輪さんがいるということはあの一連の茶番自体も日輪さんの把握範囲内だったということである。わたしあなたに恨まれるようなことした覚え、は……まあ公衆の面前で八つ当たりだとか、惚気の暴露だとか、しましたけれど……。
「だいたいなんですかあのやたら堂に入った悪役は。鳳仙殿の影響力は百華による自治に取って代わったという認識でしたけれども」
「最近の役柄は〝身体不随になってなお吉原で恐れられる統治者〟だから。ものの見事にハマりきっちゃったみたいだね」
「認知症対策にもずいぶん大掛かりなレクリエーション活動でございましたね。笑えばいいんですか?」
「いいよ」
いいんだ。
……本当にいいんだ?
「ねえ鳳仙?」
「鳳仙殿、すごい顔なさってますけど……?」
「おじちゃんはこの程度で目くじら立てるほど狭量じゃあないよ」
「おじちゃん言った……とっても狭量だったからこそあなたは監禁されたのでは?」
「そんなこともあったねえ」
あったねえ、ではない。
鳳仙殿は本当に驚くほどにすごい顔をなさっている(三十三間堂の阿修羅像すべての顔を出して3を掛けたらたぶんこうなる。割るのではなく、掛ける)ものの、反論は飛んでこなかった。
「旦那も丸くなったもんだよな」
「昔じゃ考えられねえなあ、腐っても元第七師団団長だぜ」
「しかも泣く子も殺す夜兎の王が」
「入団もしてねえ団長のこと蹴りで吹き飛ばしたってのによ」
「あったねーそんなこと。俺ってば烙陽じゃ一・二を争うってぐらいカワイーガキだったのに、まるで容赦なく蹴ってきてけっこうちゃんと死んだって思ったもん」
「あんとき阿伏兎もまとめて死にかけてたしな」
「胃液を吐いた甲斐があったってもんよ……」
「それが今じゃあ地球人の尻に敷かれてンだから」
「シモの介助もしていただいてんのかねェ」
「「「ハッハッハッハッ!!!」」」
わたしよりも誰よりも、
鳳仙殿はしばらく無言だったけれど、おもむろに、傍らに置いてあった巨大な番傘をむんずと掴んだ。遠心力をも用いて片手だけで取り回し、ガチャンと構えると、爆笑している夜兎集団に向けてマシンガンが炸裂!
ダダダダダダ!
「「「ギャアアアア!!!」」」
室内を埋め尽くす弾幕に荒くれ者たちが途端に逃げ惑う。
「真の茶番とはこのことにございましょう……」
わたしは跳弾を脇差で弾いた。室内で弾丸をばらまかないでほしい——ごくふつうに生活していたらお目にかかることもなさそうな祈りが心に現れる。耄碌おじいちゃんには常識ってものが存在しないのかしら? 日輪さんに当たりそうな跳弾は「ハァ……」月詠さんが苦無を当てて軌道を逸らした。
鳳仙殿にとって、実力を把握していらっしゃるだろう強靭な夜兎たる元部下たちと、鳳仙殿とお互い相思相
「賑やかなもんだよ」
「あなたの感想って本当にそれでいいの?」
日輪さんが苦笑い気味にお茶を配膳した。
手伝おうかと腰を上げかけると、視線で制された。
「まだ麻酔抜けきってないでしょ。座ってな」
……お言葉に甘えることにした。
「それで、いったいぜんたいどういう状況ですか?」
未だにしびれの残る手を振って、わたしは嘆息する。起床して早々に見せられる茶番である。布団をたたんで座椅子代わりに落ち着けた。
だだっ広い、コンクリート打ち付けの空間だった。上部の角では空調が駆動している。わざわざすのこの上に布団を敷いてくれているあたりは気遣いだろうか。だからなんですかという感想しか出てこないけれど。お茶はどこで淹れたのだろう、まさか厨房から持ってきた?
空気のよどみや喧騒の振動、跳弾の硬さから推察するに、壁の向こうはかなり密度が高い。どうやら我々はまだ地下吉原から出ていない。
「地下牢フロアに隠し部屋でも作られたの?」
「かなり近いね。ほら、屋敷の周りに掘作ってるだろ。あれを調節してシェルターにしたんだ。バリアフリー化のついでに」
「……あらそう」
本当にバリアフリー化していた。遣手婆が暮らしている元妓楼といい、もしかして吉原って全体的に大規模リフォームでも行なったのだろうか?
「ちなみに、麻酔銃を撃ったのはどこのどなた? とっても素敵な腕前でしたけれど」
日輪さんと会話しているとペースを巻き取られそうだ。わたしは話を転換した。わざとらしく項をさすってみせる。
「すまぬ、他に手立てが思いつかなかったもので。やはり苦無でないと勝手がわかりんせん……」
「……月詠さんまで乗っていらっしゃるのは、ちょっと、わたしに不利かもしれませんねえ……」
開き直ったり悪びれない人々を想定していた(例・神威さん、阿伏兎さん、鳳仙殿。第七師団って……)ので、眉を下げて素直に頭を下げられると些か格好がつかない。
額を抑えて唸っていると「ちなみにどこで気づいたの」神威さんが尋ねた。鳳仙殿の弾幕からは器用に逃げ出したご様子だ。
「ぶっちゃけ起きた瞬間暴れられるかもな〜ぐらいは思ってたんだけど。やけに物分かりよかったじゃん。落ちる前に気づいたんデショ」
「鳳仙殿に叱られたあなたが黙ったくだりで〝これ要するにパフォーマンス?〟とは察しました」
かつて彼らとともに吉原を訪れた時を考えれば、むしろさらに煽りに行って然るべき場面だった。部下を人質に取られた程度では、神威さんの敵愾心は炎を上げるばかりだろう。
「あり、けっこう後の方だ。俺らって信用ないんだね」
「実際にその直前までは本気で身ごと売り飛ばされることを覚悟して死ぬ前に一人でも多く道連れにする方法を考えておりました」
「俺らって本当に信用ないんだね」
「さすがに宇宙海賊相手に事前共有なくあれほど手荒な真似をされたらば、わたしの反応の方が妥当かと存じますけれどもそこのところ認識の程いかがでしょうか」
「ソダネー」
「ねえ神威さん、露骨に面倒くさくなっていらっしゃいませんか?」
「ソンナコトナイヨー」
「弁明なさるならばせめてこちらを見て行うべきではありませんか」
「さすがにヒデェことしたぐらいは思っちゃいるんだが、俺らも団長が気づいたか指示した段階で察した程度のもんだし、ほとんどアドリブ強いられてたからよ……」
阿伏兎さんも弾幕から逃げ延びて、鳳仙殿の様子を伺いつつも——主に銃口の矛先——会話に参加した。
「あなたはしばらくわたしの背後に立たないでください。脇差落としたの許しませんから」
「悪かったから無茶言うな。背後を守らねえでうっかり死なれたら俺らがアンタの兄貴に殺されるぞ」
「麻酔銃はあなたがたにガラ空きにさせられた背後から飛んできましたけれどね」
「ごめんって言ってんだろめんどくさいな」
「と、とうとう口に出した……」
事の発端は、万事屋御一行が江戸を出立したほとんど同日にあったらしい。
「辰羅族の傭兵たちが江戸にワッと押し寄せてきたんだよ」
「百華で確認できる範囲でも、数百人はくだらんと見ておる。もしかしたら千……」
佐々木さんが仰っていた〝天導衆の配下は地球に集結し〟の一部は彼ら辰羅族も当たるだろう。これに加えて宇宙に散った辰羅族を合わせると、数千人くらいにはなるのだろうか?
「集団戦術がウリなだけあってさすがにまだ数はいるもんだね。夜兎も荼吉尼も、総数じゃ千人もいないんじゃない? なんならたぶん、どの集落よりも
神威さんが小首をかしげた。
地球人は我が国だけでも数千万人はいることを踏まえて、絶滅危惧種レッドラインらしい認識のズレがある。
「……そもそも華陀って、そこまで人望があったんですか? 民衆はともかく、辰羅族はさすがに本性をご存じでしょう」
「華陀は辰羅族としちゃ模範的だぜ」
疑問を呈したわたしに阿伏兎さんが回答した。
「配下の命を適切に使ってのし上がる策を組む。得られた褒賞は適切に配下に分配する。優先度は辰羅族の栄華で、たとい組織の構成員でも辰羅族以外は二の次三の次。逆に相手が辰羅族なら厚遇して引き入れることを目論む。頭領張ってるだけはあるわな」
「阿伏兎もメガドライブのそういうとこ気に入ってたんだ? たしかにオマエって同族に対しちゃ似たような扱いしてるよな」
「ウン団長、今それ置いとこ?」
目を泳がせる阿伏兎さんを他所に「〝警察機構が賊に転じて崩壊し、治安はとみに悪化している。今代将軍は一足先に地球から脱出した〟」月詠さんがつらりと諳んじた。
「現状を憂いた天導衆は私財をはたいて傭兵を雇った——と、いうのが彼奴らの言い分でありんす」
実際に喜々公は何故か烙陽くんだりまで訪れて、なんやかんやで兄弟子たちと行動を共にしていらっしゃった。事実の拡大解釈で収まる範囲の言葉選びだ。
「吉原にも来てね。もとより地球の法だってあってないようなものだったんだから、将軍様がいてもいなくても、しょうじきあんま変わらないんだけど——あちらさんの言い分はどうにせよ建前だものね」
「実効支配による自らの優位性の誇示だ。獣の縄張り争いとそう大差はあるまい」
鳳仙殿が付け加える。
「暴れ馬への敵意ほどでもないものの、しかしせせこましい意趣返しだ。神威、何をした?」
「やだなー、俺らはなんもしてないですよ。残念ながら当時はついぞ喧嘩売ってくれなかったんだから」
神威さんはきゅっと蒼い瞳を細めた。
「でも、だからこそなのかも? あいつを罠にはめた鬼兵隊の手を取ったんだから、腹くらい立ったんじゃないですか。なんせ阿伏兎も見捨てたくらいだ」
「だッから置いとこっつったよな!!」
「ほう? 若造の頃から多少悪食は鳴りを潜めたと思っていたが」
「アンタにだけは言われたかねーよ!?」
それにしても過去の阿伏兎さんは華陀と何があったのかしら。
「まだ残っている大名の私兵ややくざ者が物申している場所もあるにはある、が……わっちは無論のこと、日輪も、吉原外に通用する権威なぞ持ち合わせておりゃんせん。宇宙となると尚更に」
「だいたい、攫われてきたか売られてきたかってところだしね。権威になるような血筋じゃないし、売女に権威を見出す人間はあんまりいない」
卑下に近い形容をも軽快に語って「と、いうわけで」パン、と日輪さんは手を叩いた。
「立ってる者は親でも使うことになったんだ。私らって親いないからおじちゃんになるし座ってんだけど」
そこで選択肢に夜王が出てくるあたりが蛮勇で、言うこと聞かせられているのが異常なんですよね……。
「この身体でもマシンガンぐらいは扱えるみたいだし、なんなら怪我のおかげで顔の迫力は増したから、黙って座って睨むだけでもけっこう効く」
説得力はあるんですよね……。
「表向きは〝夜王は吉原に害がない限りは争いには関わらない〟と意思を見せて、辰羅族と協力関係を結ぶことになった。具体的には宿の融通とおもてなしかな。辰羅が来たり夜兎が来たり——夜兎はあんたたちも見かけたと思うけど。ああいうのだね。あれ誰なのけっきょく」
「〝長老〟だ」
「ホント説明する気ないねおじちゃんは」
第七師団(※散々マシンガンの雨霰から逃げ惑った彼らの黒衣は、弾丸で穴が開いている)は何人かが眉をひそめている。心当たりがあるのだろうか。
「おじちゃんの言葉足らずは置いとこうか。接待なんてのは、吉原にとっちゃ本業みたいなもんだ。お酒が入って気が良くなるとぺらぺら喋るのは地球人でも天人でも変わらないしね。そんな中で出てきたのが、ヒカリ、まずあんたの話」
「ん〜……」
「華陀と天導衆の標的、鬼兵隊の百舌鳥の身柄は今や時価、値が更新され続けてるってね」
「ン〜……」
内心くだした評価がブーメランになって返ってきた。わたしってもしかして蛮勇なのかも……。
「なにしたの?」
「嘘八百並べて天導衆に命乞いをした結果、予想外の大当たりを引いただけのことですよ」
「だけ……?」
「マジででたらめだったんだアレ。二度としない方がいいよ」
神威さんはつまらなそうに釘を刺した。「するしないではなく、できませんよ。もはや使える伏せ札がなんにもありませんもの」わたしはぼやいた。
「私が聞いてもわからなそうだね……とにかく吉原の現状がこうだから、堂々と第七師団を連れてきたら絶対に
「ちょうどいいから麻酔銃狙撃で献上品扱いと、あなたはそのように仰るのですね」
「これは根に持たれるかな?」
当たり前ですが?
「……得心は、いたしましたよ。ひとまず水に流します」
わたしは溜息混じりに述べた。実際に、他により真っ当な手段を選べた立場でも状況でもない。悠長に打ち合わせしていたらば、さっさと囲まれて諸共敵認定されていただろう。
「ありがと♡」
微笑んだ日輪さんの後ろで月詠さんが目礼した。
ひとまず水に流すだけで、許すとは言ってませんけどね。
「それじゃ次だ——〝アルタナ〟とかいうモノ」
現在の局面では最重要単語ですらあるだろう。ざわめいた第七師団や、姿勢を正したわたしを見て「あいにく貴様らの期待には沿わん」鳳仙殿が容赦なく被せた。
「彼奴らはアルタナ結晶石の保管場所と加工方法を求めていた。加工方法なぞ知らんしそのような危険物を吉原に置くなと返してそれきりだ」
「旦那、アルタナ結晶石って言われてわかるくらい詳しかったんですか? ぜんぜんキョーミなさそうなのに」
「実際にわしはそう興味は湧かん。貴様の
「へー」
神威さんがニッコリ笑顔で膝を立てた。
見えている地雷をわざわざ踏みに行くだなんて、先程爆笑された意趣返しかしら。
「……吉原に保管場所を欲しがったってことは、地球に運び込んでんのか?」
阿伏兎さんがぽつりとこぼす。無精髭を太い指がこすった。
「可能性はありますね……その場合は、気がかりな点がいくつかあります」
鳳仙殿に断られたとて、ではその後はどこに、どのようにして持ち込まれたのだろう? ある程度開けた空間が必要なはずだ。こちらが簒奪する隙はあるだろうか? 不死身なる生き物、虚と名乗るあのひと、彼を殺せる……かもしれない手段のひとつに値する。できれば確保しておきたい。そもそも、わざわざ地球に運びに来るだなんて、何を目的としているのだろう? 破棄以外の手段を取ろうとしたなれば、佐々木さんが仰ったように兵器転用も考えつく。既にすべて太陽系の外に持ち出されている可能性ももちろんのこと、否定はできない。……これ以上厄介な事態に発展するのは勘弁願いたい。
「まァ議論はあとでもできる」
神威さんは立膝に肘をついた。
「云業はけっきょく、どういう経緯でああなってんの?」
我々が団体勢で吉原入城したきっかけは、そもそも云業さん経由の呼び出しだ。
「……伝書鳩程度には働いたか」
鳳仙殿がつぶやいた。
「先日、貴様らは南天楼でしくじったと聞いている」
「アハハ、春雨に加えてどっかのハゲが出張ってきやがったもんで」
「而して貴様の慢心よ。長たるおまえこそが統率を怠り、無策に前線へ飛び込んで結果行方知れずとなった。頭が不在というだけのことで崩れる布陣は脆弱だが、さりとて頭が役割を棄てるなぞ以ての外だ。敗走の一因を担った自覚はあろうな」
まるで手厳しい。
神威さんは口元に刷いた笑みを崩さない。
「歳を取ると説教臭くなるってホントなんですね? アンタこそ地球人への慢心で負けたくせに」
「つまり貴様には、わしの過ちを間近に目撃しておきながら、同じ轍を踏んだ自覚があるのだな? 悠長に観戦を気取った成果がこれか。わしが育てた顔触れの半分は欠けたな」
第七師団のひとりが声を上げようと口を開いた。
阿伏兎さんが振り返りもせず、手だけで部下を制する。
「……旦那、もちろん知ってると思うけど、俺はあんまり気が長くないんだ」
「その短気をかの毒婦の前で晒してみればよい。斯様に吠えたところで敗北が勝利に転じるとは、わしには到底思えんがな」
「……とっくにわかってんだよそんなこと」
神威さんがちいさく吐き捨てた。
……短気についてはわたしもすこし、耳が痛い。
「……南天楼、とやらの件であろう。華陀の一味が捕らえたらしい」
鳳仙殿に代わって月詠さんが口を開いた。「わっちは……かつて、ぬしらと相見えただろう」交戦を相見えた、と評するならばそうだろう。
「云業と呼ばれる夜兎、あやつの顔はそのときに覚えていた。そうでなくとも辰羅が連れるにしては異様な風体じゃ。奴だけでなく何人かがそのような扱いを受けているところを見た」
辰羅族の雑兵は顔の特徴を隠し、体躯も細身が多い。個性をつぶして全のために動くことを目的とした思想をまさに体現している。
「辰羅族は、あまり他人を信用せんのじゃろう。夜兎の傭兵とはあくまでも取引関係、深く関わる様子もない。わっちらもいざとなれば制圧できると判断しただけのこと、利用してやっているのだ、という姿勢を崩さん。そのような観点で、同胞より使いつぶしやすく、裏切ることのない労働力として捕虜を利用しておる」
「捕虜とは基本的に敵対勢力の人間です。そうそう、裏切ることのない労働力に転用できるものではない……まるで奴隷に聞こえますね」
「実際にその通りであろうな」
月詠さんが首肯した。
「云業から伝言を受け取ったと言うなら、ぬしら、やつが着けられた頸輪は見たか? 本人曰く、意に沿わぬ行動をすれば筋弛緩剤の注入、ものによっては高圧のボルトが身体を灼くという。当人だけでなく、頸輪を装着させられた全員がな。これらは鳳仙が
沈黙が下りた。
わたしは自らの頬に手を当てた。
「……辰羅と夜兎の違いはなんですっけ」
「……つまり?」
「信頼できる同胞ではなく、
なんなら鬼兵隊でもごく一部の信頼できる人間に託すだろう。外注って利便だけれど、利便性にかまけるには無視できないリスクがある。たとい首根っこを押さえ込んでいようとも——脅迫による恭順は無敵の人への転換リスクをはらんでいる。
「個性の発露。感覚器の鋭敏さ。膂力。日光に弱い。夜目が利く。……わたしが知る限りですけれども」
「買ってくれてんのはありがたいこったが、日光関連以外はどれも荼吉尼の方が性能高いぜ。あいつらとも違うのは——薬効耐性か」
「象が昏倒する麻酔を二十本叩き込まれてまだ動けたどなたかみたいに?」
「ありゃバケモノ」
神威さんが阿伏兎さんの頬を抓った。
「
「侵襲に強いのでしょうか……」
「シンシュ……知らねえけど、そうなんじゃねえの。もち効かねえってことでもねえが、マ他の種族の平均で毒殺を目論むのは無茶だよな」
……地球基準でいえば、その他の哺乳類と比べても、人間の肝臓は劇物分解能力に於いて群を抜いている。炭鉱のカナリアは炭鉱でしばしば見られる有毒ガスの侵襲に弱いからこそ、原始的な警報機として利用された。
辰羅が入り込めない場所での危険作業? ……それでさえも、機械に任せればいいだけの話だ。ジャミングが行われている? あるいは……。
「なんで云業が死んでないか」
出しぬけに神威さんが言った。口元に浮かべていた笑みが消えている。彼は立膝をやめてふたたびあぐらをかき直し、顎を親指でこすった。
「華陀が殺さないのは利用価値を見出しているから、だとして。わざわざペットみたいに拘束具までつけて……そんなの屈辱だろ。俺なら死ぬまで暴れて高圧ボルトだかどうだか知らないけど周り巻き込んでとっくに死んでる。っていうか、今更
団員の何人かがバラバラに頷いた。このひとたち、我が国をハラキリ民族と揶揄できる身分ではなかったと思う。
「けど——死んでない。どころか、あいつは吉原まで俺たちを呼んだ」
蒼いひとみがまたたいた。
「……しばらく、確実に地球にいることになると見たんだろ。吉原は今、旦那や百華が協力関係を結んでいるから、俺たちが多少腰を据えられると見込んだ。たぶんこっから辿り着ける範囲にいる。それで……俺たちを呼ぶぐらいの情報をあいつ本人が抱えてる。死んでないのはこれを伝えるため……」
途切れ途切れに行われる思考整理。鳳仙殿が目を細める。神威さんの思考は彼にとって予想通りなのか、予想外であるのか、鳳仙殿とはろくにやり取りをしたわけでもないわたしには判別できないことだ。
「……どうにせよ、云業は探さなきゃならねえわけだ」
団員のひとりが溜息混じりに仰った。
「もっとも、辰羅の警戒ばかりの場所で早々動けるとも思わねえが……」
「そもそも門前払いじゃねえか。華陀と大々的に敵対してきたのはとっくにわかってんだろ、いくら鳳仙の配下に入り直したふりでも……」
「……おまえらよォ」
阿伏兎さんが半眼で団員たちを見回した。
「俺らが入ったとき、団長がなんて言ったか覚えてねえのか」
わたしもなんとなく、同じ記憶を思い返していた。
——〝お望み通り、高杉ヒカリを連れてきましたよ。これでウチの部下は解放してくれるってことでいいんですよね?〟
神威さんを見る。
わたしの視線に気づくと顔を上げて、ニコッと無害そうに微笑み返された。
「もうちょっと献上品役やってくんない?」
「……終わったらもう三発くらい引っ叩いてもいいですか?」
「いいよ」
いいんだ。