【完結】春去りて、春風は未だ   作:初弦

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前略:

 瓢箪から駒が出て、虚が実を引くがごとく。

 かくして鍍金のヒーローは真の救世主にすり替わる。

 

   ➤

 

「つまるところ——わたしの目が黒いうちは、おじいさまの誘拐など以ての外というわけ。緑ですけれどね」

 超合金製の番傘がバラバラに吹き飛んだ。切り刻んだ弾丸を一瞥して、わたしは刀を鞘に納めた。

 夜兎複数名と、それも夜間にまともに戦って勝てると思っちゃあいない。〝長老〟と呼ばれていた男は、こうして近距離で見てみると思いの外小柄な体躯だ。笠の下から不気味に目がひかる。

「……俺ァどうやらまともにひとりでクソする自由もねえらしい」

 尻餅をついた平賀さんがぼやく。

「実際、役に立った御身分で我儘仰らないで。ちなみにティッシュならありますよ。トイレットペーパーでなくてごめんなさいね」

 わたしは後ろ手にポケットティッシュを放った。平賀さんはいそいそと紙を取り出し、尻を拭う。多少臭うけれど地下牢ほどでもない。戦闘に支障はない、という意味だ。

「さて、地下吉原への浸水阻止ありがとうございました。火薬も湿気が完全に取れていらっしゃらないのはそのせいかしら。メンテナンスはすべきですよ」

「春雨の雷槍が地球の俗物程度に与したと聞いたときには呆れ返ったが。なるほど、女子供であっても多少はやるようじゃな。部下だけに任せず、わしが出てよかった」

 〝長老〟は言いながら、踏み出しかけた配下の一人を制した。軽い挑発に動じる素振りはなく、至って冷静だ。

「その春雨にわたくし、売り飛ばされかけたのですけれどね。華陀のプロパガンダを盲信なさるというの? 都市伝説の〝長老〟さんとやら」

「貴様が無事に此処にいる点が既に答えと言えよう」

 それは道理だ。

「もっとも、わしとてやつの性根は把握しておる。どうせあの女のことだ。嘘を言わずして真も言わぬ。この点、蒼達の方がまだ可愛げがあるほどじゃ。それに……破壊の道のみ目論むなれば爺なぞ捨て置こう」

「話が早くて助かります。このおじいさま、諸事情により面会交流にはわたしのチェックが必要でしてね。ご用件は」

「ナノマシンを止めろ」

 要求は簡潔だった。

 ナノマシン〝蜂〟は自律稼働する。内蔵バッテリの持続時間は四十八時間、この間、人工衛星〝堕天〟による電波誘導以外の外部操作は一切受け付けない。〝蜂〟が注入するマルウェアは、通信機能だけは半日程度で回復する設計だった。味方同士の通信まで阻害しては勝てるものも勝てない。

「どうだったか覚えてるか、助手。最近記憶力が悪くてな」

 平賀さんはとぼけた口を叩いた。

「あら今回は本物の助手を暴露なさるの。先にはたくさんの助手が増殖していらっしゃったのに」

「へッ、見てたのかよ。悪いやつだな」

「多少の露払いはいたしましたよ。こっそりとね」

「ああそうかい。マ、ニセモンはニセモン、稀代の絡繰技師の助手たる名誉はやれねえよ。一方でいくら短時間だろうとてめえは本物、旅は道連れ、世は情け、地獄もついでに道連れだ」

「まったくひどい御方だこと……」

「素直に答える気はないようじゃな」

「ふふ。まあ。物覚えの悪い助手と最近記憶力に自信のないおじいさまのセットですから」

 わたしは適当言って「それでは」「どぁ」ズボンを半端に履き直しかけた平賀さんの襟首を掴み、足に力を込めた。

「おーにさんこっちらッ!」

「ぎゃああ!?」

 夜兎の身のこなしは第七師団でさんざ学んだ。平賀さんを振り上げるようにして、その勢いと体重にわたしもまたほとんど引きずられるようにして、わたしたちはともに宙に浮いた。錘を用いた跳躍は大きな飛距離を生み出す。マシンガンがわたしの胴体を狙って雨霰と降り注いだ。発射直前に奇妙なかおりが鼻をつく。湿気た弾丸や砲身を一度乾燥させたと判別できる。その速度は通常の夜兎の番傘マシンガンと比べてわずかに粗い。わたしでも避けて弾けるくらいだ。

 跳躍とともに蹴り上げたいくつかの瓦礫がカカカカとマシンガンに撃たれて砕け散った。

「片方は必ず生かせ! ナノマシンについて聞き出さねばならぬ」

 〝長老〟の鋭い一喝が通った。

「友軍に敵軍に傭兵に求められて夜も眠れない天才発明家の愛され生活」

「本気でやめろ!? 意外と俗なこと知ってんな!」

「春画を隠すのがとっても下手な兄弟子がおりましてね」

「同情するぜその兄弟子とやら」

 具体的には銀さんって仰るんですけれど。

 着地点には既に〝長老〟配下の夜兎がいる。番傘の先を踏んでさらに跳躍、屋根の上まで跳び上がる。「逃がすか」「逃げますとも」叩きつけられる番傘をスライディングで回避して、わたしは平賀さんの背中を掴んで振り回した。発明家の負傷をおそれた夜兎たちが一歩退いた。

「老骨を労われーッ!!! オゲェ」

「やだ汚い」

「ふざけるなよてめえ、助手の称号永久剥奪ッ!!!」

「薄情ですね。では助手も解雇されてしまいましたし?」

 わたしは軽やかに言って、手を——つまり、嘔吐寸前の平賀さんの作業服の背を掴んで、振り回していた手を——パッ、と離した。

「さよーなら♡」

「たーまやー!?」

 小柄なおじいさまの身体は遠心力をかけやすかった。見事、平賀さんはあらぬ方向へ剛速球に吹き飛んで——間髪入れず、番傘を鞘入りの刀で受ける。〝長老〟は笠の下からわたしを見据えた。

「やれやれ。護衛気取りかと思うていたが、貴様が殺すつもりか?」

「死人に口なし、御存知ですか?」

「狂人め」

 弾いた番傘がさらにわたしの腹をしたたかに突いた。内臓が潰れるんじゃないかと思うほどの激痛。呼吸が消えて、視界がくらみ、聴覚が刹那消失する。瓦を二、三枚砕いて衝撃に身体が回転する。迷走神経反射――どうでもいい、このままだと受け身を取れずに死ぬ!

 空を切る感覚は残っていた。突き入れられる直前の姿勢と身体の回転から姿勢と位置と方向感覚を逆算。体勢を整える。整えなければ死ぬ。鞘を屋根方向に突き入れて、わたしは即座に刀を抜いた。剣戟が弾丸を弾いて、番傘と鍔競り合う。ガリガリガリ! と屋根を削る勢いのまま、わたしは後ろに自ら跳んだ。ふたたび地面に着地する。

「は、ア……容赦(よ、うしゃ)のない……」

「多少加減はしてやろう。聞き出せるならばどちらでも構わぬ。片手と耳と口さえあれば、会話も作業もできような」

「……鳳仙殿を、慈悲深いと思う機会が来るだなんて……本ッ当に、世紀末」

 あのひとは少なくとも、殺害時には即死を狙った。監禁するのであれば腱しか切らなかった。もっとも後者は、相手が愛おしく憎らしい日輪さんであったから、というだけでしかないのだろうけれど。

 みたび番傘を受けてわたしは確信する。痛みで力が入らない。一瞬後には押し負ける。受け流すにも体勢がきつい。休憩を挟ませてくださいと稽古なら申告するところだ。まったく夜兎って本当に馬鹿力。単体で相手するものじゃあない。

 

「――てンめえ、源外ジーサンは花火じゃないアル! なァに打ち上げてるネ!」

 

 だから、そもそも、単体で相手なんかするわけない。

 

 高らかな少女の声だった。少女の体躯が少女とは思えない、弾丸の如き速度で飛んでくる。神楽陛下の蹴りが〝長老〟の側頭部に突き刺さる。

 〝長老〟は咄嗟に小手でガードしたみたい――けれど、体勢がわずかにずれた。わたしは自ら姿勢を崩して力を処理し、〝長老〟の足元をすり抜けた。

「存……じ、て、おりますよ。ですから……あなたがたの方に、投げたでしょ」

 眼前では番傘同士が衝突した。膂力勝負では神楽陛下がやや分が悪い。さすがに少女とはいえ夜兎、地面を削ってかろうじて耐える。しかしこの程度の攻防でも、彼女の額には脂汗が浮いていた——〝長老〟はそれだけの膂力を持っている。幾ばくも持たない。

 傍らからわたしは刀を振るって〝長老〟の脛を切り払った。刀は鋭く、上手く使えば夜兎であろうと骨すら易易と断ち切る。断ち切らんとする刃は皮膚一枚を裂くにとどまった。〝長老〟は大きく後ろに跳んだからだ。

「……夜兎?」

 〝長老〟は無論のこと、配下の夜兎たちも、いずれも依然として、わたしたちの隙を狙っていた。

「花火ならあんなのぜったい大爆発、皆さま諸共死んでます」

「花火じゃねーからいいってもんでもねえアル。受け止めるために二日酔いの銀ちゃんがつぶれたヨ」

「まったくお可哀想」

「心こもってないアル」

 神楽陛下はわたしを見ずに言った。実際に心はこめていない。……わたしの参戦に、昼間から気づいていたのだろうか? 気づいていようがいなかろうが、会議の内容から予測はできたかもしれない。彼女は動画を見ただろうか。

「二日酔いの時点でつぶれていらっしゃるじゃあございませんか。……そもそもどうして、この状況下で二日酔い?」

「酒のときだけ出てくるナマハゲの仕業ヨ」

「え……?」

 番傘を叩き壊してマシンガンが炸裂、終いには瓦を吹き飛ばしての乱闘だ。騒音はさぞ、夜のしじまに響き渡ったことだろう。これで人が集まらなかったら戦時中に夜警も何も手放した愚か者の集いとなる。

 当然そんなことがあるはずもない。

「チッ」

 〝長老〟が舌を打った。

 

    ピーピピー、ガガガガッ

 

 雑音混じりの通信が響く。『こちら解放軍司令本部、こちら解放軍司令本部。状況は』――神楽陛下の顔が険しくなる。解放軍の通信が回復したみたいだ。平賀さんの設計から換算すると予定より少し早い。あちらもあちらで、ただ慌てふためいていただけでもないのだろう。兵(つわもの)どもに集ってもらってはこちらとしては困るのですけれど。

 〝長老〟は通信端末を手に取った。カメラレンズがわたしたちの顔を反射した。

「孫(ソン)率いる夜兎部隊。ナノマシンをばらまいた開発者に意(﹅)見(﹅)を聞こうかと思うて、交戦していた。システムが回復したならそちらから直せるか」

『遠隔操作には限度があります。現状復帰できた範囲でも通信機能がせいぜい――』

『――見覚えがある顔だな。鬼兵隊の〝百舌鳥〟……』

 ひどい雑音混じりだが、わたしたちにも声は聞き取れる。新たに加わったそれは男の声で、話慣れている様子が見受けられた。滑舌よく、発音はハッキリとしていて、人々に聞き取りやすい音程で話す。

 人前で話すことに慣れた口調だ。

 人を扇動することに長けた口調だ。

 ……ところでわたしってば、わたしのまるで与り知らぬところでやたらと有名になりすぎていません? 下手するとそろそろ、我が敬愛せし兄上、鬼兵隊総督の知名度を凌ぐんじゃないですか? 嫌過ぎる。わたし甘ったれの末っ子だから兄上の影に隠れて評価されるくらいがちょうどいいんですけど。嫌なんですけどそんな露骨に扱われるの。呼びやすい二つ名など、いただくべきではなかったのかもしれない。

『それに、そこの夜兎、鬼兵隊と通じているならばつまりは第七師団……はは、なるほど。物語にはちょうどよい』

「……すっごーく、ヤな誤解されてる気がするアル」

 神楽陛下は辟易とした顔で仰った。

 その〝気〟はおそらく、気の所為ではない。

『茶番だ。どのみち、交渉など通じるはずもなかったということだ。選択肢は殲滅か全滅か』

「オイ。おい。ヒカリ、オマエなにしたアルか」

「念のため申し添えておきますと、わたしの方も六割は誤解ですからね……」

「オマエのことけっこうわかってきたネ。つまりソレ四割誤解じゃないって意味アル」

「ほとんどは華陀のせいですとも」

「第七師団っつってたヨ。神威はなにしたアルかコレ」

「いちおう、わたしと同じくらいには、誤解ではありますよ……?」

「オマエらもうまとめて銀ちゃんに怒られろヨ」

 さすがに銀さんは神威さんまでお叱りする立場ではない気もするけれど。星海坊主(うみぼうず)さんでも呼んでくるべき?

『——まあいい。体裁は保たせるべきか』

 わたしたちがヒソヒソ話している間に、解放軍の司令部も話をまとめたようだった。

『私は圓翔。解放軍が司令官を務めている。今は、天鳥船からそなたらに向かって話している。そなたらの遥か頭上にある船だ。地球人の視力では、肉眼では目視できまい——おかげでナノマシンに墜とされることはなかった』

 男:圓翔は言った。

 天鳥船——わたしの記憶に符合するものがあった。伊弉諾と伊奘冉の神生みの間に生まれた、鳥之石楠船神の別称だ。古事記に記述がある。

『結論から言おう。ナノマシンを止めねば、そなたらは死ぬ。死にたくなくば今すぐナノマシンを止めろ』

 圓翔もまた、概略は簡潔だった。

『さる星間大戦にて、死蔵された兵器……星ひとつ吹き飛ばす砲。火之迦具土神。天鳥船はもとよりこれを積むために作られた船だ。今やこの砲は、地球に向けて発射準備を終えた』

 火之迦具土神もまた神話に登場する名だ。これまた、伊弉諾と伊奘冉の間に生まれ、伊奘冉の死因にもつながった火の神として語られる。

 さて。

 かつて我が国には江戸幕府創立以前にも天人が降りてきていて、天照大御神はアルタナ生命体だった——魔王が提唱した荒唐無稽な陰謀論の一節を想起した。

 〝知的生命体の発想の収斂、単なる偶然の符合と見るべきか。それとも地球四十六億年の歳月の中で、天導衆が来航して開国を迫ったそのときが地球に対する初めての宇宙人の干渉、と考えることこそが、我々の先入観による誤謬と見るべきか〟

 ——あのひとの陰謀論をいよいよ、笑えなくなってきましたね。ただの偶然、命名センスの類似というだけで、果たしてこれほどまでに合致するものだろうか? 地球って、じつは星間大戦にもうっかり巻き込まれていたんですか? 宇宙を巻き込んだ大戦の果てが、神話としてねじ曲がって伝わっていたり、しません?

 確かめるすべもない。

『六時間後にはそなたらは星ごと吹き飛ぶ。どのような計略を目論んでいようとな。死にたくなくばナノマシンを止めろ——と、開発者にでも伝えろ。拷問でもなんでもして止めさせろ。投降しろ。我々を迎え入れ、討ち滅ぼされよ。それが我々の要求だ』

 要求と言いながらどう考えても飛ばしてこられたのは、まあ、わたしおよび神楽陛下に対する明確な誤解に基づくものだとしても。

『……皇子? 今のお話は……』

 さっそくなんだかあちら側の意思統一が行われていない気配を感じる。

 わたしは警戒態勢は解くことなく、通信機に内蔵されたカメラレンズを見据えた。

「解放軍は、天導衆の支配から星を解放する、という名目を掲げていらっしゃるという認識でおりました。あなたのその結論は些か、矛盾していらっしゃいますね」

『死に因って解放するということだ』

「……わたしはもしや、司令官殿に対して大前提から教示するべきなのかしら?」

 なんだか別種の嫌な予感がひしひしとしてきた。馬鹿だから思い当たっていない、というだけならまだいい。けれど通話相手の口調はきわめて明瞭だ。まさかとは、いやまさかね? まさかとは思いますけれど——

「現状、江戸から宇宙船を飛び立たせることは不可能です。ナノマシンによって軒並みお釈迦だもの。ナノマシンを止めろ、さもなくば星ごと消す——と仰るのであれば、我らの星の無辜の民や、生き残ったあなたがたの同胞については、いかがお考えにございましょう? あなたの仰る方法では、諸共消し飛ばすという解釈以外が取れないのですけれども」

『我らはこの聖戦に敗北するわけにいかぬ。そのためなら地球にいる仲間も喜んで勝利の礎となろう』

 ……わたしが内心繰り返していた、まさか、というのは、べつにドリフターズのコントのお約束が如きフリじゃあなくてね。

「少なくともあなたがたにとっての〝地球にいる仲間〟のうち御一方、具体的には孫氏は、到底喜んでいらっしゃるようには見えませんね」

 〝長老〟あるいは孫と名乗った夜兎は、冷めた目で自らの手中にある通信機を睨んでいる。

『そなたが言うか? 天導衆の興味を惹き、春雨提督の恨みを買い、それらをすべて弑した悪女が』

 ……おや?

「なるほど? 華陀はたしかに、わたしたちが弑したとはその通り——きちんとこちらで殺しましたけれど。天導衆が死んでいることなんて、そもそもわたし初めて知りました。そうなんですか?」

 わたしは尋ねた。

「今の彼らって、殺せるものだったのかしら? 死ぬに死にきれない状態になりうるということだけは存じておりますけれどね。あなたは天導衆の死体、あるいはそれに類する物体を見たのでしょうか」

 事実としてわたしは、天導衆の現状を知らない。アルタナの〝鍵〟虚に掌握された以上、何らかの手段で口を封じられているのだろうと推察してこそいたけれど——解放軍が司令官がそれを把握しているとは思っていなかった。

 だってそうであれば、そもそも地球軍と対立する必要がなくない?

『お、皇子……?』

 困惑した様子のどなたかの声。おそらく天鳥船の乗員。

 圓翔の返答はない。

 乗員には既に情報共有している、という説はこれで消えた。明かされていたとしてもごく一部だろう。ほとんどはきっと、知らぬ間に命懸けである。この戦争に、命をチップに賭けてしまっている。

「あなたのお名前は圓翔でしたか。同じ名前の要人で、解放軍の司令に据えられる程度に戦争経験があり、加えて皇子とお呼びする御立場となれば、惑星:武嶺の第二皇子かしら? 第一皇子たる兄君が戦死したがゆえに、武嶺の次代王位は圓翔殿下:あなたと目されていたかと存じます。そうして、アルタナ暴発に巻き込まれた星がひとつ……ふうん? 道理であなたがた、天導衆を探し出さずに侵攻をかけたわけですね」

 弁舌による時間稼ぎは得意分野だ。喋りながらもわたしは腹をてのひらで抑えていた。先の突きは痛かった。内臓一応破裂していない、と、思われる。

 先程の騒音は敵味方問わず叩き起こした。増援は今のところ神楽陛下のみ、そもそもナノマシンの解決を優先するなら平賀さんは集中砲火に狙われる。銀さん御一行が平賀さんを受け止めた、つまり平賀さんの身柄が敵の手に渡っていないのは確実だ。だとしてもそれはそれで、進路は敵に阻まれるだろう。わたしの軽口は冗談だったが嘘ではなく、ナノマシンの開発者を今や誰もが欲しがっている。

 この場は、神楽陛下だけではさすがに無勢だ。離脱したいが退路は既に塞がれている。銀さんたちの到着が早いか、もしくは……。

「天導衆が既に意思疎通できる状態ではないことを、あなたは既に理解していらっしゃったのでしょう。少なくとも〝弑した〟と評せるような状況だったのですか? その上で侵攻なさったのね。あなたの部下には、同胞には、隠して?」

 思考を回し続けながらもわたしは喋り続けている。

 圓翔は依然として沈黙を保っている。

「わたし先だって、どこぞのどなたかに無理心中に誘われましてまァそれについてはどうにかいたしましたけれども。あのひとでさえ、直属の部下には目的を明かしておりましたよ。そのぶんではまだ彼女の方が誠実でしょう」

 ゆえにこそ辰羅族たちは我々との戦いに文句のひとつもなく身を投じて死んだ。華陀の意思に賛同しない辰羅族は、それはそれで、蒼達とやらにでもついたのだろう。華陀のことは今でも到底好きになれそうもないが、そういう点では筋を通したと言える。

『御託はいい』

 口を開いたかと思えば、彼は一言でわたしの舌鋒を切り捨てた。

「御自身で墓穴を掘っておいて、わたしの言葉を御託と括るのですね。結構な態度にございます」

 わたしもまた切り捨てた。

 このやり取りは所詮、茶番に過ぎない。わたしは圓翔に対して話しているけれど、そのじつ、わたしが話しかけているのは圓翔本人ではない。

『皇子——もうおやめください』

 皇子の部下だろうか。震え声が割って入る。

『天導衆から星を、人々を解放するという話ではありませんでしたか。その天導衆が既に、死んでいる? それでは、我々はいったい、何と戦っているんですか。その上、星ごと同志を滅ぼすなら……』

 躊躇いのように口を噤んで『……それでは我々は、天導衆と同じではありませんか、』と声は言った。

『この戦は、聖戦などではありません』

 アルタナ解放軍は、突如として引き起こされたアルタナの暴走、および背後にある天導衆(つまり、虚)の横暴に奮起した人々の集まりだ。となると前提に、アルタナの暴走によって引き起こされた被害がある。それもおそらく——たとえば我が国のターミナルが江戸にあり、江戸を中心に天人産業がとみに栄えたように——国、ないしは星の中心に大きな損害が発生している。下手をすると、星の意思決定中枢および軍部もろとも一度壊滅して、特急で民間人からも徴兵している場合が多いはずだ。

 軍の損害を数値で測ることは容易い。しかし、まともな人間はそのような状況に、ふつうは耐えられない。巨大な集団生活という名の社会によって生存戦略を探り続けてきた生き物が背負う、本能的な業である。軍人としての訓練さえ受けていないとくれば尚更だ。

『この戦に大義などない。……いや、大義など、理由がなければ戦えぬ弱者のために用意された詭弁に過ぎぬ』

 急拵えの大軍において、これまでハリボテが保ったことこそむしろ上出来と言えよう。わたしが御託を並べたと言うなら、それこそ今まさにつらつらと御託を並べた男は『ならば何故戦うのか——』と、続けた。

『戦うしか、残っていないからだろう』

 銃声。

 銃弾が肉をえぐる音は特徴的だ。即死できるなればまだいい。ガフッ、ゲフッ、と気管に血肉が入ってえずく音が聞こえる。鼻や口、喉を損傷するとこのような断末魔にも満たぬ音になる。音の違いから二、三人はいる事実を推し量る。

 ……意見を反した者が最低限複数いた。説き伏せることなく射殺した。なるほどずいぶんなワンマンだ。物理的制裁を用いた恐怖政治による統率。我々に対しても、本当に話し合いの〝体裁〟だけをとるつもりだったと見える。

『既に我々は同志の屍を超えて戦う覚悟を決めている』

「あなたが仰る〝覚悟〟は、一般的に、恐怖と同調圧力を用いた背水の陣と呼びます」

 わたしは溜息混じりに言った。

 解放軍の内情はこれで知れた。彼らにもとより、交渉の余地はない。

「……そもそも、圓翔殿下。あなたはじつのところ、鬼兵隊・第七師団と、華陀との間にあった真実をも見当がついていらっしゃるのではありませんか?」

『春雨提督は天導衆に反旗を翻し、鬼兵隊と第七師団派閥はこれを弑した。聖戦に於いて必要な〝事実〟はこれに限られる』

「なるほど? 要・不要によって事実の取捨選択を行われると、まったく素敵な殿下だこと! いずれあなたの治世の時代が来たれば、あなたの統治に不満を抱く国民は、きっと誰ひとりとしていらっしゃらないのでしょう」

 痛烈に皮肉ったわたしに「……百舌鳥よ、笑わせてくれるな」と〝長老〟孫氏が言った。意外とお茶目である。鳳仙殿より話が通じるかも。どうして同じ夜兎のおじいさまでもこのひとが敵で、あの色ボケポンコツ夜王が(一応)(かろうじて)(仮にも)(不本意ながら)味方なのかしら……。

「まァよろしい、世界の敵なぞとうに今更」

 わたしは脇差の刃の腹を指でなぞった。先の攻防で刃がわずかに欠けて、良い業物と評するにはざらつきが目立ってしまっていた。

「我ら鬼兵隊、人の身にして化生へ堕ちた兵なり。生きながらにして修羅道を征く定め——そして、無知ゆえの選択であろうと、確固たる意志を持とうとも、都合の良い八つ当たり先であろうとも」

 戦闘に支障はない。

 まだ斬れる。まだ戦える。たとい鈍らになろうとも、叩いて突けば良いだけだ。

「その果てに世界が星(地球)を滅ぼさんとするなれば、我々は、世界の敵として星(地球)を守らんとするでしょう」

 切っ先を通信機のカメラレンズに向けた。

 この刃が画面越しに届かぬことなど知っている。この刀が届かぬことなど知っている。あくまでもポーズにして——わたしの敵意の表明だ。

「交渉決裂、どうぞ速やかにお引き取り願います」

『なれば諸共塵と化——』

 圓翔の言葉は途切れた。向こう側がにわかに騒がしくなった。雑音混じりの騒音といくらか会話をしたあと、圓翔は舌打ちをこぼして、一方的に通信を切った。

 音立てなくなった通信機を孫氏はじっと睨んで、鼻を鳴らして部下を振り返る。

「地球にいる解放軍に伝えよ。我等は本部から見捨てられた。地球と心中したくなくば、方法はふたつしかない。ナノマシンをなんとかするか、夜明けまでにこの国を落とすかだと」

 解放軍の交渉には、小太郎さんと坂本さん、彼らが擁立した今代将軍、および彼らの手勢が出向いていた。現状を踏まえて彼らが黙っているはずもない。最低限の時間稼ぎは行われる。

 その間に——

「ちなみに孫氏。この機に解放軍を見切って我々の側につくというのは、いかがでしょう?」

「戯言よな。我らがついたとて圧倒的に劣勢なそなたらが戦況を覆せるとは到底思えん。むしろ、そなたらこそとうに期待できぬ星を捨て、我々に与すべきであろう」

 部下および同胞への言伝を終えた孫氏が、わたしたちに向き直る。

「かの皇子を殺す手段があれば疾くと教えよ」

「地球脱出不可能な今、悠々宇宙でカウントダウンなさっていらっしゃる皇子の首を刎ねよと? 無茶を仰る」

「の、わりにはそなたはずいぶんと余裕そうな態度じゃ。そなたやそなたの同胞はそれこそ、地球脱出は不可能だというのに。その悠長さ、なにか策を擁しているがゆえではないのか」

 薄々思っていたけれど——どうにもわたしがいるせいなのか、単なる先入観からくるものか、彼らは皆、わたしだけでなく鬼兵隊の全員が地球に滞在していると思い込んでいるみたいだった。

「味方になってくださらないと仰るならば、当然、教えませんよ」

 わたしはすべての言葉を省いた。「力で屈服させる他ないか。拷問で聞き出せる手合とは思い難いが……」孫氏は番傘を再度肩に担いだ。

「ヒカリが珍しく話し合おうって言ってるそばからコレ、夜兎(同胞)ってホントウンザリネ」

「珍しくって仰りましたね……」

「敵対したとき、銀ちゃんの説得いつも八割無視してたアル。陰険メガネのときも吉原のときもネ。どうせ紅桜もダロ」

「ふふ……」

 なにも言い返せないのでわたしは微笑むに留めた。

 神楽陛下は、とはいえ今回はわたしの敵とはならないみたいだ。孫氏を睨みつけた。

「地球が吹っ飛ばされたらお前たちも一緒に死ぬアル。こんなくだらない戦争続けてる場合かヨ」

「そなたこそ、夜兎でありながら何故地球(そやつら)側につく? 圓翔は第七師団が一員と誤解していたようだが、やつらの顔ぶれにこのような小兎はおらぬ」

 彼らは戦が始まる直前まで鳳仙殿の館に滞在していた。第七師団の顔ぐらい覚えているだろう。

「種族だの所属だのその程度でグダグダ言ってんじゃないアル。私は私の故郷(居場所)を守るだけネ」

「……哀れな小娘だ」

 ——脊髄反射。ほとんど勘。

 わたしは刀——ではなく鞘を構える。迎撃するのではなく本能的に危険を見出した箇所を庇うだけの動作だった。

 孫氏の肉薄はわたしの動体視力では到底とらえきれなかった。

 構えた鞘に足が突き刺さり、まるごとわたしの脇腹を捉え「ゴフッ、」文字通り一蹴でわたしは吹き飛んだ。壁に叩きつけられて息が詰まる。なるほど弱い方からとりあえず戦闘不能にするつもりのようで。合理的ですね。やんなっちゃう。

 平賀さんが助手だのとほざいてくださったものだから、孫氏御一行はわたしから絞れる情報があると踏んでいる。つまりかろうじて加減されている。意識も——まだ——落ちていない。叩きつけられた壁に寄りかかり、足に力を入れようとして、ずると滑った。したたり落ちた血が摩擦を低減してしまっている。また背中でも切ったかな。そろそろ皮膚移植とか必要なラインかもしれません。

 まるで現実味がない。

 思考がふわふわと浮いている。

 脳震盪でも起こしたのかも。

 死ぬほどの怪我ではないと直感的にわかっていた。悠長に自分の怪我の具合とか考えている場合じゃないってこと、わかっているのに。そのはずなのに。

 明滅する視界の中では、神楽陛下に孫氏の配下たちが迫る。番傘を番傘で受け、拳を蹴りで迎撃し、小柄な体躯を生かして挟撃をお互いの自滅に誘い込む。彼女は未だ少女でありながら、歴戦の夜兎に先天的センスと実戦経験で迫る。

 彼女の鳩尾に孫氏の番傘の先端が突き刺さった。

 いくらなんでも多勢に無勢だ。

「——」

「おまえがいくら身を削ろうとも、地球(ここ)に夜兎(おまえ)の居場所などもうない」

 神楽陛下の体躯がしたたかに、地面に叩きつけられる。少女の口からは抑えきれなかった呻き声が漏れる。あれは痛い——

「地球(この星)からも夜兎(同胞)からも見放され、孤独(ひとり)宇宙(虚空)に死んでいけ」

 ——他人事みたいに、考えている、場合じゃない、動け、うごけ、おねがいうごいて、いまうごいて、うごかないとあのこしんじゃう、わたしがよんだ、わたしがまきこんだのに、

 指は動く。手は動く。腕は動くけれど上がらない。足は動くけれど体重を掛けられない。まだ回復しきっていない。でも力が入らなくたって歩けなくたってなんとかなる。なんとかなって。叱咤するように命じるように指に力を込めた。たった少しの動作がこんなにも重い、とろい、つらい。せめてちょっと休ませてと悲鳴を上げる身体を無視して、わたしは指に力を込めた。休むべきは今じゃない。わたしじゃない。

 まだ生きている。

 まだ動ける。

 だったら動け!

 手首を振った。スナップを利かせ、指先だけで方向を統制。割れかけた鞘が空を切る。

 神楽陛下に振り下ろされんとした番傘をわずかにかすって、鞘は夜兎の顔面に叩きつけられた。兄上からお借りした脇差の鞘である。わたしの度重なる乱暴な扱いにとうとう許容を超えて、粉々に砕け散った。あとは抜き身の刀だけ。

 刹那の隙だ。対象の夜兎は、反射で目を瞑った程度。傷ひとつつかなかった。孫氏は動いてすらいない。もはや小兎ひとり仕留めるのに、自らが動く必要もないと考えていらっしゃる。あとはナノマシンに携わったと主張するわたしを回収するのみ。わたしがアテにならなかったらサクッと殺して、平賀さんを探し直せばいいだけ——

 神楽陛下は自らの番傘を構えようとして、けれどすぐに打ち払われた。カッカンカカンと音立てて得物が転がった。

「些細な抗いは、ただいたずらに苦痛の時間を延ばすに過ぎぬ」

「……そうでも、」

 わたしは咳き込んだ。

「ないかと」

   ——轟音。

 轟く音、と書いて轟音と読む。文字通りに、衝撃波は空間を震撼させ、その場に轟いた。

 神楽陛下を殺さんとした夜兎は、蹴り出された靴底に頭ごと踏み抜かれ、身体は置き去りに、頭部だけが壁に叩きつけられた。

「いるよ。同胞なら」

 乱入者はぱさりとフードを取った。

「ここに」

 神威さんはいつものように微笑んだ。

「うちの馬鹿がずいぶん世話になったみたいだ。……ところでヒカリ、オマエって最近会うたび死にかけてない? 趣味なの」

「……神楽陛下には、わたしは、今回、助けられた、側ですよ」

 べたりと壁に背中をつけたまま、わたしは呼吸の間隙にそれだけ述べた。「ああそう、だとすりゃ世話ンなったのはそっちの方か。ところで」神威さんの片眉が上がった。

「陛下? 俺はさん付けなのに? 不肖の妹が陛下?? だったら俺には神様ぐらいつけとくべきじゃない???」

「……なにいってるのあなたは、」

 思わず敬語取れちゃったんですけど。

「神威テメエ、神楽が死にかけてるってのに呼び名如きにこだわってんじゃねえ!!」

 ドコーンッと番傘が神威さんの後頭部に直撃した。

 夜兎の戯れってライン超えの暴力だ……。

「イッッッタふざけるなよ長子差別デキ婚ヤングケアラー作成育児放棄ハゲ親父」

「ゴメンナサイ!!!」

 言葉もライン超えの暴力だ……。

 ……謝罪しているってことは、事実なんだろうか。だとすればちょっと引くかもしれない。

 一部予想外の増援と情報量とついでに火力に、わたしは気の抜けた感想を抱いた。

 云業さんがわたしの腕を掴んで起こした。拍動のたびに沸き起こる苦痛に耐えていると、わたしのてのひらをひっくり返して、指が文字を描く。

【 もうちょっと寄りかかるか 】

「……思っていたんですが、見ないうちに、女性慣れ、なさったんですか?」

 たしかに、華陀にこき使われていたら女性への怖々した態度ぐらいは消滅しそうだけれども。それにしても胸が当たる程度で固まっていらっしゃった御方が嘘みたいね。

 云業さんの目が半眼になり、指が再び動いた。

【 落とすぞ 】

「大変、申し訳、ございません」

 わたしは速やかに謝った。時間経過で多少慣れるとは思うのだけど、痛いものはマァ痛い。

「その減らず口さすがに直せよ暴れ馬」

「ヒカリです……」

 反論も戯れも、このあたりに。本当にちゃんとつらいのです。腹を圧迫する骨に手を当てて意識して腹筋を動かす——たぶん折れた骨が変なところに入っていたみたい——すこし位置がずれて、ようやく楽に呼吸できた。

「第七師団に……そなたは星海坊主(うみぼうず)か?」

 孫氏の問いに「ほお、伝説の長老殿に覚えられていて光栄だ」星海坊主(うみぼうず)はいつものフライトキャップにゴーグルを上げて、小柄な老人を見下ろした。

「それにしてもよくもまあうちの娘をギッタンギッタンにしてくれやがったな」

「されてないアル、ゴホッ」

「伝説だろうが先達だろうがなんだろうが知ったこっちゃねえ。ギッタンギッタンのメッタメタにしてやる」

「されてないって、言ってるアル。かすり傷ヨ」

 説得力ゼロの小兎さんの主張はだァれも聞いちゃいない。

「団長が一足先に鳳仙と相談があるって言い出したろ。それが要するに、星海坊主(うみぼうず)直通で呼び寄せて額突き合わせて相談し合えって話でな」

 さっそく暴れ馬だのと仰ってくれやがった阿伏兎さんは、ひょいひょいと瓦礫を越えてこちらにやってきた。

「あーまあそう。他星のアルタナで対抗するってやつ、そもそも初めに見つけて仕掛けたのはこのハゲなわけだし?」

「ハゲじゃありません! ほらよく見なさいこことか生えてるホラホラ」

「寂し過ぎる生え際を見せつけてくるんじゃあねえよ。……俺も今から毛には気を使うべきか……?」

「ドヤ顔でアルタナの件言いふらしたあげく仕留め損なって華陀がやらかす遠因を担ったのもあのハゲなわけだし?」

「ドヤ顔で言いふらしてなんかねえしそもそもハゲじゃねえっつってんだろ!」

「てめえで蒔いた種はてめえで責任を取るべきだろってことだ。俺に向かってやりやがったみたいにね」

「サーセンした」

 この親子間ってなまじ完全に嫌い合っているわけでもないみたいだから、どういうコメントをすればいいのかわからない。

「ふ……」

 コントみたいなやりとりに、ちょっと笑ってしまう。なんだか、ぜんぜん平気そうだ。ぜんぜん平気じゃない状況だと理解しているけれど。

 不意に視界の端がひかる。わたしは空を仰いだ。視界の上端では、空から降りゆく一筋の軌跡が見えた。まるでほうき星だ。火之迦具土神の一撃、と呼ぶには、星ひとつ消すほどの威力の光には到底見えない。宇宙船がまたひとつ〝蜂〟の犠牲になったのだろうか。落ち切るまでに三回唱えたら叶うというけれど、わたしはこの場合、願い事でもすべきなの? 世界平和の願掛けだとか——

 ……わかっている。調子が悪い。集中力散漫で、思考が上滑り続けている自覚がある。立て続けに急所を狙われたから、わりとちゃんと身体にダメージが入っている。この調子ではさすがに今後の戦闘がきつい。

 すみませんね皆さんと(内心だけで)つぶやいて、わたしは目を閉じる。わたしちょっとだけ——ほんの、ほんのちょっとだけ——寝るので、今だけ、頑張って。

 すみやかに意識が落ちた。

 

   ➤

 

/* コメントアウト:その頃、上空、ほうき星より

 

 目を開けるに至ったのは先だってのことである。衝撃が空間ごと身を揺さぶったからだ。目覚ましにしては盛大だった。

 身を横たえていた寝台から起き上がる。周囲は喧騒に包まれていて、しかし幸いにして、寝台の周りには誰もいなかった。

 咳き込めばてのひらに血が落ちた。どす黒く濁っている。静脈が破損しているのか、出血自体から時間が経っているのか、動脈ですらこの色しか維持できないのか、もはや判別がつかなかった。

 どれであれ大差はない。

 既に死にかけている自覚はある。

 一歩足を踏み出す。目が眩み、視界は回転した。めまいである。節々に激痛が走る。身体がもう持たないことはとっくのとうに知っていた。本来ならば戦いで死んでいたことも直感的に予期していた。

 人工呼吸器を切り裂いた。点滴とカテーテルを引き抜いた。透析につながれた管をまるごと切断した。痛覚はもはや機能していない。生命維持装置を引き千切るたび、アラートが鳴動したが、あいにく、既に船全体で警告音が鳴り響き続けていた。どうやらこの船はずいぶんな無茶に頭ごと突っ込んだようだった。すべての警告音が混ざり合い、不協和音が歌う。

 病室の主はそばにいなかった。負傷者の手当てにでも出向いているのかと推察する。都合が良かった。

 もう持たない身体でかろうじて息をしている。

 もはや死体同然の身体である。

 しかし、まだ、死体ではない。

 まだ。

 肉の器はひどく重い。体を引きずるように歩き出す。脱出ポッドの位置を知っていた。敵対するにあたってすべて調べ上げたからだ。既に消し飛んだ本艦はもちろんのこと、この臨時船も調査対象に含まれていた。

 なんとか身体をすべり込ませて、スイッチを入れ、目を閉じる。やがて脱出ポッドは動き出す。大気圏突入時には空気抵抗と摩擦によってポッドの表面は灼ける。この身体も灼けるかもしれない。本来機械制御による抵抗低減と冷却化が行われるはずだが、現在の地球の環境——船内通信のスイッチの入れ方は知っていた、ご丁寧に眼前で教示されたので——を踏まえると、着地前にはナノマシンによって制御不能になっていると考えられた。夜兎などの突出して頑健な種族ならばともかく、地球人の致死率は高いだろう。

 本来ならば。

 たとい不時着であっても、この身体は完全に終わることはないと、既にしっていた。完全に死ぬことはできないとしっていた。行く先がどの星でなく、地球であるならば、この身に未だに終わりはない。かたちが崩れ、足が壊れ、腕が砕け、ヒトの器を保てなくなろうとも。

 懐に書物はない。

 傍らに刀はない。

 顔を隠す笠はない。

 錫杖は、針は、苦無は、すべて奪い去られた。

 もとよりこの身が、もはや戦えるとも思えない。

 

 ——けれど。

 

 やり残したことが、あった。

* /

 

   ➤

 

「あ、あ、あ、あーッヤベッヤバッインシデントレポートァアア!?」

『うっっっさ何誰? えっ海原先生? なにしてんのインカム直で叫ばないで耳壊れます』

「ごめんなさいすみません総督大変申し訳ございません死してお詫びします僕ちょっと今から腹切ります!!!」

『聞いちゃくれねえや』

『さらにうるせえ』

『この狂信医者ホントに高杉様しか見てねえよな』

『狂信医者とかいう造語何? わかるのが一番嫌だ』

『挙動がちょっと前の中田』

『ち、ちがうし、おれもっと静かだったし』

『……今腹切るのはやめろ』

「ハーイ!!!」

『めっちゃヤケクソのいいお返事』

『耳キーンってしてんスけどフツーに声量落としてほしんスけど』

『で・何があった』

 

「天照院奈落首領:朧の野郎が脱走しくさりやがりました病室どこにもいません! カス!」

 

『ようやく若干小さくなっ……あ』

『ああ……』

『カスっつった?』

『あの男、未だに脱走する元気があったんですね』

『武市がだいぶ冷めておる』

『晋助殿の仇でヒカリ殿をあれだけ痛めつけ、まして幼女でもない成人男性に割く配慮なぞありませんな』

『そう……だな……? ……うーん? そうか』

『この期に及んでロリコン辞められねえ武市先輩マジぶれねえ非リスペクトッス』

『正直ウケます』

「みなさんなんかめっちゃ冷静なのやめてくんなーい!? 特に中田くんさあ! しらっとした反応しやがってさあ!! 僕を差し置いて総督と一緒に天鳥船乗り込んだ分際でさあ!!!」

『またうるさい』

『ミュートしたい』

『医療班統括が前線出られると思ってんのヤバいって』

『なんかおれだけ名指しで私情かまされてんすけどおれウケた以外は悪くなくない? ヒカリ様いねえ以上は万斉様の指揮下に戻されるのって道理じゃない? 慌てるとか冷静とか以前に、おれの最大の懸念事項って今絶賛地球にいて、第一、一番大慌ての人が今どう考えてもアンタなんで……慌てんのはわかンですけどにしても本当に思いの外慌てますね。ウケたのはすんませんね』

「捕虜の脱走って意味でもヤバいんだけど離院ってマジで僕らなんも悪いことしてないのに詰められんのアハハ涙出てきた」

『このひと限界過ぎんか』

『海原先生の前職のトラウマくせえの出てきてんの初めて聞いた……』

『医療班生き残りなのをいいことにさすがに業務詰め込み過ぎたな』

「まァ逃げたとしてあの身体でどこ行って何するんだよみたいなところはあるんですけど、それはそれとしてェ……どうしよ……マジどこ行ったんだろ……インシデントレポート書きたくない……」

『書けとは一言も言ってねえだろ』

「書かないのは医者として僕が僕を許せない……頼むからどうか僕が知らないところで野垂れ死んでくんねえかな……」

『医者として患者の死を願う発言はいいの?』

『海原先生、アンタがナチュラル☆ファナティック☆マッドドクターなのはもうとっくのとうにわかってたけど、総督の話すら聞く耳持たないのやめれる?』

 

   ➤

 

 夢を見ていた。

 かもしれない。

 

   ➤

 

 わたしは文字通り、飛び起きた。条件反射で後退せんとした身体をこれまた条件反射的に抑えて、取り落としかけていた刀を真一文字に構える。他の方々に当たらないように。

 わたしの体感では、意識が落ちていたのはたった一瞬だったけれど、周辺の顔ぶれはずいぶん変化していた。第七師団と星海坊主(うみぼうず)、神楽陛下に加えて、万事屋の残りの御方々に真選組の一部。孫氏は死んでいるのか、倒れているだけなのか——周囲には夜兎の死体が散らばっていた。孫氏の部下たちだ。

 天照院奈落、相変わらず御徒衆の扮装で、笠を被って錫杖を持っていた。……蛋白質の腐敗臭、主に肉が腐るとき特有の、言いようもない悪臭が漂っている。

 そして——

「寝坊助も起きたようですね。この窮地で睡眠を優先するだなんて、豪胆なことだ」

 やさしく、おだやかで、まるでそうではない声色。

 吉田松陽の顔をして、吉田松陽の声をして、吉田松陽のすがたをして、まるでそうではない男。

 虚である。

「星が滅ぶ前に午睡はたしかに一興でしょう。しかし……可哀想なことをした。起床しなければ、そのまま永久の眠りにつけたというのに」

「……ご親切ね」

「君とは違って」

 端的な返しだった。

「私を殺す方法は用意できましたか」

 どう考えても以前のやり取りを根に持たれている。

 わたしはすこしだけ足を開いた。踵に体重をかける。立てることがわかった。刀を握る指を一本一本、たしかめるように力を込める。刀を振れることがわかった。深く、ひとつ、呼吸をする。鼻から吸うように。気管に空気が通る。肺に酸素が供給される。口から吐くように。肺が少ししぼんで、二酸化炭素濃度の増した空気が吐き出される。頭が少しはっきりした。

 よし。

 動ける。

 わたしを見つめる瞳を、わたしは見つめ返した。薄色の瞳だ。かつてのすすき色は今や夜闇の陰が落ちて、深く赤みがかっていた。彼が殺し続けた血飛沫を吸って染まったかのようだ。錯覚で幻覚で妄想だった。

 このひとを殺さなければ皆が死ぬ。星が滅ぶ。世界が終わる。

 わたしの師の顔をして、どうやらそうではないらしくて、けれど間違いなく吉田松陽と同一人物のこのひとを——わたしたちは、殺さねばならなかった。

「試してみますか」

 虚の眼差しがわたしを見つめていた。

 不意に、彼の視線がずれる。

「いいえ、もう必要ありません」

 刀を握っていない方の手にうっかり力がこもった。云業さんの手首をかなり強めに握ってしまったけれど、夜兎の肌はびくともしない。云業さんは警戒を以て虚を睨みつけていた。云業さんだけではない。この場の、天照院奈落以外の全員がそうだ。

「君はどうやら、詭弁を弄して時間を稼ぐことが殊の外得意のようだ。口先だけで悪を騙り、善を謀り、しかし本質的には決定打を自らは持たず、時間稼ぎに徹する他ない弱者に過ぎない」

「仰いますね……」

「目の前の喪失を見て見ぬふりができず、しかしはっきりとした理由をつけなければ動けない臆病者」

「わたしどうしてこんなに貶されているのでしょうか。ちょっとくらい文句を申し上げてもよろしいですか」

「君は死ぬ理由をつけられなかったから生きる他なかっただけの屍に過ぎない」

 わたしの返答は寸暇、途絶えた。

「師の仇と心中する覚悟ができても、師と同じ顔のいきものを弑する勇気を持たないことくらい、気づくべきでした」

 ——意識して、呼吸を、する。

 草履は地面を踏みしめていた。わたしの足は地についている。柄にきつく指が食い込む。わたしの手は刀を握りしめている。戦える。戦えると知っている。

 誰であっても、どうであっても、師と同じ顔かたちのひとであっても。

「甘ったれた末弟子に期待するべきではなかった」

 視界の端で、銀さんの木刀が強く握られて——呆気にとられたように彼は瞠目した。

 ヒュンッと音を立てて虚の頬にひとすじの赤が引かれた。すぐに消える。

 わたしが自分で刀をぶん投げたのだと気づいたときには、既に、投擲したあとだった。刀を握っていたはずの片腕を振りかぶっていることにようやく気づいたからでもあった。……彼は避けもしなかった。兄上からお借りした刀がこれにて全滅。鞘も壊れて刀も消えてじゃ叱られる未来しか見えないんですけど。

 とか。

 悠長に思えるはずもなく。

 どくどくと心臓の音が響いていた。自らの鼓動さえもひどく耳障りだった。煮えたぎる内心を自覚する。わたしは努めて、きわめて努めて、落ち着こうと、自らを落ち着かせようと深呼吸をし——かけて死ぬほど腹が立っている己を自覚してかなぐり捨てた。

「その、顔で、松下村塾が弟子を、語るな」

 短気とは何度も指摘されたことだ。血の気が多い。暴れ馬。じゃじゃ馬。ガンギマリ。黙っていれば淑女。うるさい知ってるわかってる。とっくのとうに知っているし自覚しているし我ながらちょっとどうかと思っている。大人しいのは外面だけで、なんなら外見だけで、わたしはけっこう喧嘩っ早くて本当は導火線が短い。着火から爆発まで瞬。

 直らないままここまで来ました。直せないままここまで来ました。

 知ってますけどだから何。

 ここで怒れなくなるなら死んだ方がまし——このひとの侮辱を笑って許すぐらいなら、それなら、死んだ方がまし!

「その声でわたしを語るな、知ったように語るな、あのひとのふりだけしてわたしを弟子と呼ぶな! あのひとはわたしを末弟子とは仰らない!! あのひとは、〝先生〟は——他の幾人もの弟子たちの存在を、たかだか過ごした時間程度で、たかだか興味の多寡程度で、なかったことにはしない!!!」

 黒縄島でわたしが申し上げたこと——〝末席〟とは一般的に謙譲語であり、間違っても末弟子の意図ではない。銀さんも小太郎さんも兄上もわたし自身も、わたしを末っ子と称しても末弟子とは呼ばない。時系列を考えればまず末弟子は今井さんになる——というだけではなく、そもそもわたしより後に入塾した弟子や、わたしより年下の弟子なんて、今井さんに限らずたくさんいた。松下村塾は〝先生〟の方針により、市井に無料で開かれていたからだ。そりゃあいっぱいくるでしょ。教室は生徒で埋まって、常に空席なんか存在しなかった。道場だってどんな時間でも片手の指の数はいた。わたしたちが〝先生〟を占有するには塾が閉まったあとを狙わねばならなかった。

 兄弟子たちが揃いも揃ってわたしを甘ったれの末っ子と呼ぶのは、勘当後〝先生〟の元で過ごしていたのがわたしたち四人であるからに過ぎない。家族とも言い難く、腐れ縁と呼ぶには不可思議で、友人と評するにはおかしくて、相弟子としか言いようがなかったのだけれど、吉田松陽が弟子の中でも一際強い結びつきであったから便宜上末っ子扱いされていただけだ。

 松下村塾で共に学んだ門弟は他にもいた、たくさんいた。いくらかは戦や病で死んだ。いくらかは行方不明になった。消息を知らない弟子たちもいる。何事もなく生き残っているひともいる。

 兄弟子たちは強かったから、わたしは戦に出なかったから、これまた偶然生き残った。偶然、運命が違って、生き残っただけだ。偶然、運命が混じり合って、再会しただけだ。では、再会しなかった塾生たちは果たして存在しないも同義か? 道半ばで死んだ者たちはいないも同然か? 生きていても自らの生活を優先し、何も知ることなく、ここに集わぬ人々は彼の弟子ではなかったのか?

 是、と答えるひとはいるかもしれない。

「〝先生〟はそんなふうに言わない、そんなふうに仰らない、そんなふうに、なかったことになんか、しない」

 我が師がそのように答えるならばわたしの刀がその首を刎ねるけれど。だってぜったい、偽物だもの。

 数いた塾生たちが。そのひとりひとりが。死んでいようか。生きていようが。習った場所が違っていようが今どこで何をしていようが——〝先生〟がその差異を軽んじることはなかった。

 あのひとは変なひとだったし端々ちゃんとしていなかったけれど、師としては、とてもちゃんとしていた。ちゃんとわたしたちの師匠であった。誰かたったひとりだけの師ではなく、ひとりひとりをよく見て、顔と名前と人となりを覚えて、ただしく導かんとした。短期間どころか、たった一日体験入塾したひとでさえも覚えていた。わたしたちも忘れていて言われてから思い出したことだってあった。

 松下村塾が師は、吉田松陽は、そういうひとであった。だからわたしは、わたしたちは、あの人だけを〝先生〟と仰いだ。

「あなたは、同じ顔であろうと、同じ器であろうと、吉田松陽ではない」

 わたしは言いつのる。

 声は震えた。視界はゆがんだ。頬がにわかに熱く火照った。膚をすべった液体の感触に、てのひらを使って頬をぬぐう。汗……では、なかった。その正体を薄々知っていた。かつてのように眼精疲労なんて言い訳は効かない。……眼精疲労? なんだか直近で聞き覚えのある単語に、不意に思考が逸れて、すぐに線香花火のように消えた。なんだったかな。もういいや。

 ぐっと目をつむる。睫毛から落ちた雫を流れるままに任せた。内心自嘲する。わたしって、本当、弱くて泣き虫で甘ったれの末っ子のまんま。また公衆の面前で号泣晒して、本当、ばかみたい。

 弱くて泣き虫で甘ったれで昔っからまるで成長しない末っ子でも、これだけは、知っている。

「あなたは〝先生〟ではない」

 〝先生〟はもういない。

 わたしが春のように思ったひとは、もういない。わたしが知らぬ間に、わたしの手の届かぬところで、どこにもいなくなった。

 それがすべてだ。

 同じ顔、同じ声、同じ姿、同じ器、なにもかもがおなじだったとして……わたしだってほんのすこし、ほんのちょっと、このひとは単にわたしたちが知らない〝先生〟の別側面で、もしかしたら〝先生〟が戻ってきてくれたのかもしれないと、期待した。

 ……こともあった。

 けれどやっぱり、このひとは〝先生〟ではない。

「ならば」

 場違いなくらいにやさしい声だ。やさしく、聞こえる声だ。

 かつてわたし自身が思ったことを、今一度、思い出す。あれはいつだったか。姫君に対して抱いた感情だということは記憶していた。

 やさしくすることは容易い。その後の責任を取るつもりがないから。

「師ではない私を、殺せますか?」

 ……このひとは、もしかして、わたしを挑発して、殺意を引き出して、怒りのままに殺してほしかったのだろうか? 生来の短気と負けず嫌いのままに刃を振るって、そのまま、とどめを刺してほしかったのだろうか。

「殺せるさ」

 わたしではないひとが言った。

「コイツだけじゃあねえけどな」

 まばたきをする。視界の中で白の着流しが翻る。流水の紋が涙ににじんでいた。濡れた情景は月の光に照らされて、白い髪が、さながら銀(しろがね)が如くきらめいた。彼はいつもの木刀ではなく真剣を携えていた。

 切っ先を突きつける。

「よくもまあ、主人公をモブ扱いがてら、末っ子を泣くまでいじめてくれやがったな。その顔で、その声で——その、体で」

 この角度では彼の顔は見えない。

 しかしわたしは悟る。

 このひとは——銀さんは、やはり、泣いていない。

「今日で終わりだ」

 まったく震えぬ声が宣告した。

 宣告させてしまった。

「それはよかった」

 虚は、言った。

「準備してきた甲斐がありました。それでは競争ですね。君たちが私を殺すが早いか、私がまとめて終わらせるが早いか」

 縦揺れじみた感覚が足裏に伝わった。震源地直下にいるときにありがちな、底がガクンと抜ける、P派特有の振動に似ていた。

 並行して地鳴りのような音が響く。砂埃が落ちてくる。建築物たちが唸り、軋み、たわんで、嫌な音を立てる。

「不思議に思わなかったんですか。いくつもの星の龍穴を破壊し、この戦争を引き起こした私が——何故地球にだけ手を出さないか」

 先程の夜兎同士の戦闘で周囲は瓦礫だらけだった。ピキパキと音を立てて、そのすべてが崩落しかける気配を見せていた。ビル街の間には夜空が見える。夜空に——夜空だったはずだ。光柱がいくつも、地上から空に向けて、光線のようにきらめいていた。強烈な光量に照らされて、本来夜闇に覆われるはずの空はおかしな色相を醸し出していた。

「母星(故郷)への情け? ただの気まぐれ? いいえ」

 おだやかで、やさしく、そのように装っていた虚(カラ)の声が——このときばかりは、どこか無邪気に聞こえた。悪戯を仕掛ける子どものごとく。

「とっておいたんですよ。君たちのために」

 そうして世界は光り輝いた。

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