堕ちゆく光の翼――ノースフライト 作:ぬべべ
第2話 トレーナーとして
「ええと……その、悩んでいるように見えたので」
ノースフライトは、少しだけ申し訳なさそうに言った。
「もしかして、お邪魔でしたか?」
最初は店員かと思った。
それくらい、彼女の声は自然と耳に入ってきた。
「あ、いや、邪魔ではないよ。正直、かなり困ってたところはある」
そう言うと、フライトは両手をパンと合わせて、目をキラキランと輝かせる。
「でしたら、少しだけお手伝いしてもいいですか?」
「いいのか? それなら、かなり助かる」
「はい! では、まずお話を聞かせてください」
――――――
と、いうわけで、オレはノースフライトに経緯を説明した。
「つまり、印象を変えたい、と」
「ああ。学園でウマ娘たちと話しても、あまり聞いてもらえていない気がしてさ。もちろん、服だけでどうにかなるものじゃないとは思うんだけど」
「なるほど」
フライトは、ふむふむ、と真剣に頷いた。
それからオレのこと頭のてっぺんから、胸元を見て、じーっと顔を見てくる。
純粋で綺麗な目に、吸い寄せられそうな、もしくは吸い込まれそうな気がした。
数秒ほどだが、その間の沈黙が異様に長く感じる。
「でしたら、スーツが似合うと思います」
「スーツ?」
「はい。ただ、この場合のスーツは、服の種類という意味だけではありません」
フライトは近くのラックから、濃紺のジャケットを一着抜き取った。
「英語の suit には、似合う、適合する、という意味もあります。つまり、無理に派手な服を着るのではなく、その人に合う形を探すことです」
そう言って、彼女はジャケットをオレの肩に合わせた。
視線を左右に揺らして、また真正面から見てくる。
ふわりとした嗅ぐわった香水が、どこかオレの頭をスッキリさせるような気もした。
「この色なら、今のネクタイとも合わせやすいです。でもシャツは、もう少し柔らかい白の方がいいですね」
「柔らかい白、というと?」
「真っ白すぎると硬く見えるんですよ。ほんの少しだけ温度のある白と言いますか。あと、靴も大事です」
「靴は……革靴でいいのでは?」
「もちろん革靴で良いのですが、色や質感が大事なんです。ファッションは細部に宿りますから♪」
得意げに胸を張り、彼女は靴売り場へと歩き出す。
ジャケットを元の位置に戻しつつ、彼女の後を追った。
「靴は、どれも同じように見えるんだよな……高級なものを買ったらいいのか?」
「確かに、足の形ですから同じに見えるのは仕方ありません。しかし高いからといって良いわけじゃないんですよ?」
人差し指を立て、キメ顔で説明を始めるノースフライト。
「サイズ、それから足が痛くならないようなものを選ぶのが一番ですが、そのうえで、ちょっとオシャレしちゃいましょう」
同じような色に、同じような形だと思っていたが、フライトの説明を受けていると、どれも違うものに見えてきた。
「詳しいんだな」
「はい、ファッションが好きなので♪」
フライトは軽くピョンと飛び跳ねて、両手を胸の前で合わせる。
「その人の服を選ぶのも、似合うものを探すのも好きなんです。だって、少し選び方を変えるだけで、見え方が変わるのが、ファッションですから♪」
彼女は、オレに鏡の前に立つよう促した。
ジャケットを羽織り、鏡の中の自分を見る。
劇的に変わったわけではない。
しかし、服が浮いている感じはしなかった。
少なくとも、今までよりはしっくり来ている。
「……いいな、これ」
「はい。似合っています♪ 他にも気になるものがあれば、一緒に選びますよ」
一緒に、か。
「それは嬉しいが、君の時間は大丈夫なのか?」
「私は大丈夫です。あ! えっと、ご迷惑でしたか?」
きゅっと小さく縮こまるように、手をモジモジとさせて上目づかいで見てくる。
「ははは、俺の方は暇だから、全然。むしろ、君のおかげで充実してるさ」
「それなら、良かったです♪」
――――――
後日、オレはノースフライトとともに選んだ服を着ていた。
柔らかい白のシルクシャツに、濃紺のジャケット。赤いネクタイと茶色の革靴だ。
眉毛を整えて、髪にもワックス、それから首元に少量のアロマ香水もつけて。
「あの、すみません。少しだけ、フォームを見てもらってもいいですか?」
「え? 俺?」
最初は自分に言われているのだと分からなかった。
振り返ると、彼女はノートを胸元に抱え、少し緊張した顔で立っている。
「は、はい! お願いします……!」
驚いた。
その子にはすでに担当トレーナーがいるらしいが、自分でも勉強したいから、別の視点で意見が欲しいとのことだった。
グラウンド脇で、彼女の走りを確認する。
スタートから、腕の振り。
終盤で少しだけ上体が浮く癖を見抜き、前傾姿勢を意識するよう伝えた。
「そういうわけだから、君の走りは終盤で少しフォームが崩れている。だから、まずはそこを正すところから始めると良いと思う」
「わぁ、ありがとうございます。フォームの崩れは頭にありませんでした。トレーナーさんに相談してよかったです」
彼女は丁寧に頭を下げた。
その背中を見送ってから、オレは自分の胸元へ手をやる。
フライトに選んでもらったジャケット。
柔らかい白のシャツ。
いつもよりきちんと磨いた靴が目に入る。
服だけで、オレの人格が変わったわけではない。
だが、どことなく自信があるように見えるのだろうか。
きっと、こちらが落ち着いていると、相手も少しだけ耳を傾けてくれるのだろうか。
確実に言えるのは、変化は感じられた。
「……フライトには、礼を言わないとな」
小さく呟く。
その時、ふと気になった。
ノースフライトには、もう担当トレーナーがいるのだろうか。
トレーナー室へ戻り、候補者名簿を開く。
ページをめくって、彼女の名前を探した。
「フライトは……未契約」
視線が止まった。
特記事項には、いくつかの文字が並んでいる。
体力面に不安あり。
疲労が溜まりやすい。
身体の負荷調整は慎重に。
それだけで、いくつかの事情は見えた気がした。
特記事項へ指をなぞらせ、もう一度、模擬レースの記録を見る。
「そうか、あの子も……」
売り場で服を選んでいた時の横顔を思い出す。
好きなものを話す時の、あの明るさ。
「だが、どんな走りをするのかは見てみたい」
午後のトレーニング時間が近づいていた。
オレはトレーナー室を出た。
◇◇◇◇
「おおー! ありがとうフライト! フライトのおかげでやる気が出てきたよ! ほんっとうに、ありがとーーーー!」
「はわわわ、どどどど、どういたしましててて!?」
トレーニングコースへ向かうと、ノースフライトは両手を掴まれていた。
相手はウイニングチケット。
今年のデビューウマ娘の中でも、ひときわ元気のいい子だ。
チケットはフライトの手をぶんぶん上下させ、今にもそのまま走り出しそうな勢いで目を輝かせている。
「わわっ、ごめん!」
「いいよ、頑張って、チケットちゃん」
「うん! 頑張る! うおおおおおお!」
叫びながら走り去っていく背中を、フライトは苦笑しながら見送った。
フライトは、チケットがコースへ入るまで手を振っていた。
下ろした手を、揺すられた方の手へ重ねる。
スタートを切る掛け声に、彼女の爪先がコースへ向いた。
オレの靴音が近づくと、フライトは足を揃えて振り向いた。
「あ、トレーナーさん。どうされたんですか?」
こちらに気づいたフライトが、軽く首を傾げた。
「君に用があって」
「私に?」
「この前のお礼を言いたくて。服のこと、助かった」
そう言うと、フライトはぱちぱちと瞬きをした。
「本当ですか?」
「今日、相談を受けたんだ。前より話しかけやすくなったのかもしれない」
「わあ……!」
フライトが小首をかしげて、自分の顔の近くで両手を重ねた。
「本当に良かったですね♪」
まるで自分のことのようにウキウキとした笑顔だ。
その反応を見て、オレは胸の奥で一つの提案を、前に出すことにした。
「それで、少し聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「君は、まだ担当が決まっていないんだな」
言った瞬間、フライトの表情がわずかに止まった。
風がコースの砂を撫でていく。
「……はい」
返事は短い。
笑顔は崩さず、しかし物憂げで、少し寂しそうな。
「そうなんです。なかなか、ご縁がなくて」
長いまつ毛の瞳が、ぱちくりと瞬く。
「走りを見てもいいか」
「えっ」
「迷惑ならいいんだ。ただ、気になってさ」
フライトはオレの顔をじっと見る。
けれど、すぐに胸元で手を合わせて。
「では、少しだけ」
そう言って、彼女はコースへ向かった。
走り出しは綺麗だった。
無駄が少ない。
姿勢もいい。
脚の運びには軽さがある。
「はっ、はっ、……っ、んっ……はっ」
ただ今は、長く続けると息が乱れるようだ。
軽快に走っているようにも見えるが、その余裕の底は浅い。
だがその不安点を覆い隠すように、オレの中に感情が芽生えた。
「……綺麗だ」
飛んでいるように。跳ねるように。
前へ前へと突き進む。
見ているだけで、名簿の赤い文字が頭に浮かんだ。
ノースフライト。
体力面に不安。
身体の負荷調整は慎重にしなければならない。
フライトは短い距離を走り終え、息を整えながら戻ってきた。
「どう、でしたか?」
肩を小さく上下させ、おずおずと聞いてくる。
「綺麗な走りだった」
まず、正直に言った。
フライトの耳がぴんと立つ。
「ただ、身体への負担があるんだったな。全力ではなかなか走れなさそうだ」
その耳が、ほんの少し下がる。
「……ですよね」
その言葉には、聞き慣れた痛みがあった。
これまで何度も言われてきたのだろう。
無理はできない。
難しい。
諦めた方がいい。
そんな言葉の数々を。
「でも、見てくださってありがとうございました」
フライトはすぐに笑顔を作った。
礼儀正しく、明るく振舞って。
決してあきらめるような仕草や姿勢は見せず、自らを装飾で覆い隠すように。
その姿が少しだけ、苦しそうにも見えた。