堕ちゆく光の翼――ノースフライト   作:ぬべべ

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第4話 トレーニングとファッション講座

 ノースフライトと担当契約を結んで、最初の朝が来た。

 

「失礼します♪ おはようございます、トレーナーさん」

「おはよう、フライト。体調は?」

「ばっちりです。昨日は早く寝ましたから」

 

 

 扉をガララっと開けて、ご機嫌に部屋に入ってきたフライトは胸を張って、羽のシールが貼られたノートを開いた。

 短距離、マイル、中距離。これら3つの距離を制覇したいと願う彼女の夢を叶える……。

 その重責を考えると、やはり身が引き締まる思いになる。

 

 

「今日は、どのようなトレーニングをしますか?」

「朝はまず一周、ゆっくり走ってもらう。そこから着実に身体を作っていく」

「一周、ですか……」

 

 彼女の持つシャーペンが、短距離の見出しのところで止まった。

 

 

「担当していただいたからには、早く結果を出したいと思ってはいるんですが……」

「気持ちは嬉しい。でも、今日は君の呼吸とフォームを見たい。明日も同じように走れるか、そこまで確かめてから増やそう」

 

 

 フライトはメニュー表を覗き込んだ。

 ペン先が、休憩と書いたところをゆっくり辿る。

 

 

「分かりました。わたし、全部のレースで、理想の自分になりたいですから♪」

「ああ、そのためには、まず君の翼を痛めないことだ」

「翼、ですか?」

「君の走りは、飛んでいるみたいでさ。俺は、あの一瞬を、もっと長く見ていたい。もちろん、どのレースでも」

 

 フライトはノートを閉じて、それを胸元でギュッと抱きしめる。

 

 

「では、まず一周。見ていてくださいね」

 

 口元を緩ませて、扉へ向かう足取りは、さっきより少しゆっくりになっていた。

 オレはメニュー表とストップウォッチを持って、その後を追った。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 朝のグラウンドは、まだ空気が冷たい。

 土の匂いと芝の青い匂いが混ざり、呼吸をするたびに胸がすっとする。

 

 フライトはトラックの内側で、軽く足首を回していた。

 オレはストップウォッチを首から下げ、ノートを開く。

 

 

「では、ゆっくり走ろう。息が上がらないくらいで」

「はい♪」

 

 

 フライトが走り出す。

 

 最初の印象は、軽くふわふわとした走りだった。

 足音が柔らかく、地面を強く叩くのではなくて、そっと触って、浮かんでいるように。

 まるで風に合わせてスカートの裾が揺れるような、無理のない走りだ。

 

 

 

「フライト、少し肩の力を抜いて」

「はい!」

 

 

 だがそこはやはり、ウマ娘の特性か、

 返事は元気だが、すぐに直るわけではない。

 彼女は頑張ろうとすると、全身が前へ前へと行きたがるらしい。

 

 

 

「もっと速く走ろうとしなくていい。今はリズムを見る」

「リズム……ですか」

「そう。音楽みたいなものだ」

 

 

 自分で言ってから、少し雑な説明だったかと思う。

 

 

 しかし次の周回で、彼女の走りがほんの少し変わった。

 速度は上がっていない。

 けれど、足音の間隔が整う。

 トン、トン、トン、と軽く刻まれるリズム。

 

 オレは思わずペンを止めた。

 

 ああ、綺麗だ。

 

 そんな風にさえ思った。

 速さだけじゃない。

 彼女の走りには、きちんと選んだ服を着たような調和があった。

 

 

「いいぞ、そのまま!」

「はい♪」

 

 

 声をかけると、フライトの口元が少しだけ緩む。

 その一瞬で肩が上がり、またリズムがわずかに乱れた。

 

 

「ああ、すみません」

「大丈夫、落ちついて」

 

 

 こういう小さな彼女のクセを見抜いたり、調整を積み重ねていくのが、たぶん担当するということなのだろう。

 

 その後も、ジョグ、流し、フォーム確認を繰り返した。

 途中で休憩を挟み、水分を取らせる。

 フライトはまだ走れます、と言いたげだったが、オレが時計を見ると素直にタオルを受け取った。

 

 

「よし、朝はここまで」

「えっ、もうですか?」

 

 

 案の定、彼女は目を丸くした。

 残念そうに眉を曲げて、口を少しとがらせている

 

 

「フォームが乱れてきた。体幹が疲れてきている証拠だ。休もう」

「で、でもでも、まだ少し余裕がありますよ? ほら!」

「むん、って力んでもダメ」

「むぅ……」

 

 

 彼女はタオルを両手で持ったまま、少し考えた。

 そして、ふわりと笑う。

 

 

 朝日が高くなり、グラウンドの白線がはっきり見え始める。

 彼女の髪に入ったピンクのメッシュが、光を受けて淡く揺れた。

 

 この子は、きっと飛べる。

 遠くまで。

 遥か彼方まで。

 

 

 きっと……!

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 キーンコーンカーンコーン

 

 と、午前の授業が終わったようで、トレーナー室で記録をまとめていると、フライトが入ってきた。

 

「じーっ」

「どうした?」

「この前のジャケット、着てくださっているんですね」

「ああ。あれから何度も着てるよ。自分で選ぶより安心するし」

「ふふ♪ では、今日のネクタイは?」

 

 オレは首元へ手をやった。

 ジャケットと同じ紺なら失敗しないだろうと、昔に買ったものをつけているだけだ。

 

「これなら間違いないかと思って」

「悪くありません。でも、トレーナーさんはどう見せたいですか?」

「どう、か……。もう少し頼もしく見られたいかな。それと、恋人と出かける服も、自分で選べるようになりたい」

 

 するとフライトは目を丸くして、上体を起こした。

 まるで一歩引くように、そこから一歩、踏み込まないように。

 

「あ、恋人さんがいらっしゃるんですね?」

「ああ、言ってなかったっけ? まぁ最近は全然会ってもいないんだがな」

「そうだったんですか……。ではそのためにもまた、コーデを考えないといけませんね」

「ああ、ファッションをちゃんとしようと思ったのも、そいつと出かけたいと思っているのもあるんだよ」

「なるほど、それは素敵です♪」

 

 

 フライトは少し考え、机に置いたメニュー表を見た。

 

 

「ではこうしましょう。トレーナーさんが私をトレーニングしてくれるお返しに、私もトレーナーさんのファッションチェックや勉強をお教えします!」

「いいのか?」

「もちろんです! だって、なりたい自分になりたい、着たいものを着こなしたい。そう考えていた私を、担当してくれたのはトレーナーさんですから」

 

 彼女は椅子を寄せ、ノートの余白に、ジャケットとネクタイの簡単な絵を描く。

 走った時の記録の隣へ、淡い色が足されていった。

 

 声が少し静かになる。

 

「『わたし』を嘆かないこと。生まれ持った『わたし』を愛すること。『わたし』が最も輝くやり方で、『わたし』を着飾ってあげること」

 

 彼女はノートをこちらへ向けた。

 三つの距離の見出しと、描きかけの服が、同じページに並んでいる。

 

「それが、わたしの美学です。服も、走ることも。似合うものを見つけるまで、たくさん考えてみたいんです」

 

 オレは、消しゴムの跡だらけのメニュー表を見た。

 

「そんな私を助けてくれている、トレーナーさんの助けになれるなら、私は頑張りますよ♪」

「フライト……ありがとう、恩に着る」

「ふふ♪ いえいえ」

 

 彼女が人差し指を立てる。

 

「題して、ノースフライト先生直伝、イケてる男子ファッション講座です」

「男子なんて年齢じゃないよ」

「二十代なんて、まだまだ男子って言いますよ。安心してください」

 

 思わず笑ってしまうと、フライトもつられて笑った。

 

「でも、いいのか? トレーニングで疲れてるだろ」

「好きなことを話すのは、楽しいんです。それに……」

 

 フライトはノートの角を押さえた。

 

「わたしばかり支えていただくのは、落ち着かなくて。わたしにもできることがありますから」

 

 オレはペンを置き、少し椅子を引いた。

 

「なら、お願いしてもいいか。フライト先生」

「はい♪ お任せください」

 

 新しい見出しが書き込まれる。

 

 トレーナーさん改造計画。

 

「ちょっと待って」

「大丈夫です。きっと素敵にしますから♪」

「いや、見出しが不穏なんだが……」

「ふふふ♪」

 

 フライトはくすくす笑いながら、次の休日の欄に丸をつけた。

 

 机の上には、トレーニングメニューと、ファッション講座のメモが並んでいる。

 オレは彼女の記録へ今日の足音のリズムを書き足した。

 その隣で、フライトがオレに似合いそうなネクタイの色を、楽しそうに選んでいた。

 

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