「ターニャ様。そちらは置いておいてください」
「まだ一枚しか運んでいませんが」
「私がお下げしますので」
翌朝食卓の皿を持ち上げたところで止められた。
リーリャさんの手は既に三枚を重ねている。その上へ私の皿も載せようとするので、取られる前に両手で抱え直した。
「私も手伝います」
「お気持ちはありがたいのですが、お食事が済みましたらお部屋でお休みください」
「お母さまにもリーリャさんにも無理をしてほしくありません。運ぶくらいならできます」
「……昨日もお運びになりましたね」
「落としませんでしたよ?」
リーリャさんは私の腕と、食卓から台所までの床を見た。
一枚だぞ。昨日も運んだではないか。
皿を抱えたまま、通してもらえるのを待った。
「では一枚ずつお願いします。洗うところはこちらでいたします」
「はい」
許可が出たので、皿を運んだ。
洗い物用の桶の横には、私の頭ほどの高さに皿を置く台がある。背伸びをすれば届くが、皿を持ったままでは危ない。置き場所を尋ねると、リーリャさんが低い台を空けてくれた。
食卓へ戻る途中、パンの欠片を落としている兄と目が合う。
「兄さまも自分のお皿を運んでくださいね」
「俺も?」
「ほかに兄さまのお皿で食べた方がいますか?」
「いや、そういう意味じゃなくてさ」
兄は口に残っていたパンを飲み込み、皿を持って立った。
椅子まで戻してくれるなら文句はない。
その日から、食後の皿運びは私の仕事になった。
終わるとリーリャさんが礼を言い、次の仕事まで一緒にやりましょうと声をかけてくる。
洗濯物を畳む許可を得たのは、さらに数日後である。
「端をこちらへ合わせてください。袖は先に内側へ」
「こうですか?」
「はい。それで結構です」
私の服なら簡単だった。パウロの上着は広げるだけで両腕が埋まる。膝の上では端が揃わないので、床へ布を敷いて畳むことにした。
兄が通りかかり、洗濯物の山と私を交互に見た。
「ターニャ、埋まってない?」
「見ていないでその端を押さえてください」
二人で畳むと、今度は妙に細長くなった。
私たちが首をかしげていると、リーリャさんは一度広げ直し、私たちの前で袖を折った。
こちらの失敗へ何も言わず、もう一度だけ手順を見せる。
「お二人でしたらこちらをお願いします」
渡されたのは布巾の束だった。
配置転換である。適性を見極めるのが早い。
母の体調には波があった。
朝食の匂いで席を立つ日もあれば、昼には普段どおり食べられる日もある。リーリャさんは皿の量を変え、母が台所へ来ると先に椅子を出した。
私も真似をして椅子を引いたが、母は座らず、私の頭を撫でた。
「ありがとう。でも今日は平気よ」
「無理はしないでくださいね」
「はいはい。ターニャ先生」
誰も椅子に座らないので、元へ戻す。
おかしそうにしていた母も夕方には横になった。
リーリャさんの食欲も戻らなかった。
煮込みの味を確かめた後、しばらく鍋から顔を背けていることがある。母と同じ物を食べているせいか。それとも、本当に胃の具合が悪いのか。
聞いても大丈夫ですと返されるばかりだった。
一度、洗濯籠を持とうとして、彼女が壁へ手をついた。
私は籠の反対側へ回った。
「お父さまを呼びます」
「いえ、そこまでしていただかなくても」
「私には運べませんから」
父はすぐに来た。籠を持ち上げ、リーリャさんに何か言いかけたが、彼女が頭を下げると口を閉じた。
そのときは具合の悪い使用人へ仕事をさせていたことが気まずいのだと思った。
---
母の妊娠が分かってから、ひと月ほど経った夕方だった。
食事の前に、リーリャさんが話があると言った。
全員が食卓へ着いている。
彼女だけが席に座らず、両手を前で揃えていた。
少し、震えている?
「奥様。お伝えしなければならないことがございます」
「どうしたの、リーリャ?」
「申し訳ありません、妊娠いたしました」
母が口を開いた。そのまま言葉が出ない。
隣で椅子が鳴った。パウロが腰を浮かせ、座り直している。
私は父の顔を見た。
まさか。
「……相手は?」
母の問いに、リーリャさんは答えなかった。
パウロが食卓へ目を落とす。
「す、すまん。た、多分、俺の子だ……」
耳にした言葉を、いったん頭の中でもう一度並べ直した。
リーリャさんが妊娠した。
父親はこの男だ。
母が見たことのない表情で立ち上がった。
乾いた音が一つ響く。パウロは顔を横へ向けたまま、何も言わなかった。
クソッたれ。
私は膝の上で拳を握った。
子供には誠実であれと説き、女の子に優しくしろと教え、母が寝込めば心配そうな顔をしていた。その裏で何をしていた、この男は。
一家の生活を背負う立場の人間が、みずから内側へ火をつけてどうする。
母へ手を伸ばしながら、パウロが腰を上げかけた。
「ごめん、ゼニス」
「座って」
父は腰を下ろし、伸ばしかけた手を膝へ戻した。
兄も黙っている。先ほどまで食事を待ちながら杖を磨いていた手が、今は卓上で止まっていた。
母はリーリャさんへ向き直った。
「いつから分かっていたの」
「確かだと思えたのはつい先日です。申し上げるのが遅くなり、申し訳ございません」
「それで、これからどうするつもり?」
「奥様のご出産まではお手伝いをさせてください。その後お屋敷をお暇させていただこうかと」
は?
出ていく? 身重な身体で?
「自分の子供は?」
「領内で産んでから、故郷へ戻ります」
「産んだばかりの子を連れて?」
母は椅子の背に手を置いたまま、リーリャさんを見ている。
叱りつけるのか、旅を止めるのか。続く言葉を待ったが、母は唇を結んだ。
「ほかに身を寄せられる場所がございません」
リーリャさんの故郷がどこにあるか、私は詳しく知らない。
近所の村ではないことだけは、今の母の問いで分かる。産後の母親が乳児を抱え、宿と食事を確保しながら移動する。途中で病気になれば、そこで終わりだ。
送り出すにしても時期を変えるか、誰かをつける必要がある。
いや、なぜ送り出す手順から考えている。
「あの、ゼニス。それはさすがに――」
「あなたは黙っていなさい!」
父の声が途切れた。
当然だ。今さら口を出すなら、そもそも最初から――。
私は奥歯を噛んだ。父への悪態をいくら並べても、リーリャさんの行き先は決まらない。
母の仕事を引き受けているのは彼女だ。これから子供も増える。人手が要ると言えば、残ってもらえるだろうか。
裏切った相手に世話をしてもらえと、娘の私から?
私は口を開けないまま、母の手を見た。
椅子の背を握る指が白い。
「母様」
兄は母の傍へ行き、見上げている。
「生まれてくる子はここで育ててはいけないんですか?」
「ルディ。今は大事な話をしているの」
「はい。だから聞きたいんです。リーリャさんが出ていかなければならない理由を」
「お父さんとリーリャがしてはいけないことをしたからよ」
「でもリーリャさんは父様に雇われているんですよね。父様に脅されたら断れるのでしょうか」
父が弾かれたように顔を上げた。
「僕、夜中に聞いたことがあります。父様がリーリャさんに、知られたくないことを黙っていてほしかったら自分の言うとおりにしろって」
私は兄を見た。
夜中の話を持ち出したわりに、思い出す間がなかった。
父はあんぐりと口を開けたまま、兄を凝視して固まっている。リーリャさんも初めて顔を上げた。
「おい、そんなことは――」
「あなたは黙っていなさい!!!」
母が夫を制し、リーリャさんへ尋ねる。
「そんなことがあったの?」
「いえ、私は……そのようなことは……」
否定しかけた言葉が途中で止まった。
兄はそちらを見ない。母の返事を待つように、姿勢を変えずにいる。
「そうよね、あなたの口からはあったとは言えないわね……」
兄の話は作り話だろう。
かつて一人分の家庭教師へ妹まで追加させた男だ。自分の望む結論へ向けて話を運ぶとき、この兄は妙にためらわない。
父が私を見た。
助けを求めたのか、ただ目が合っただけか。
私は視線を返したまま口を閉じていた。
リーリャさんが残れるかもしれないのだ。今、父を助ける言葉など出してやるものか。
「母様。父様に責任があるならリーリャさんだけが出ていくのは変です。それに生まれてくる子は何もしていません」
「……そうね」
「シルフィと遊ぶようになってから毎日楽しいんです。二人も同じぐらいの年齢の友達がいたほうが楽しいのではないでしょうか」
母の顔が兄へ向く。
リーリャさんも腹の前で重ねていた手を握り直した。
「…………そうね」
「僕にとってはどちらの子も弟か妹です! 片方だけ会えないところへ行ってしまうのは嫌です……」
「………そう、ね」
「私にとってもです、お母さま」
母がこちらを見た。
私は立ち上がり、母を見上げた。続ける言葉は、もう探さなかった。
しばらく誰も喋らなかった。
母は椅子から手を離すと、自分で座り直した。
「…………わかったわよ。もう、二人には敵わないわね。リーリャ。こちらへ来て」
リーリャさんが一歩近づく。
母はその顔を見たまま、すぐには何も言わなかった。
「……怒っていないわけじゃないのよ」
「はい。申し訳ございません」
「何でもっと早く相談しなかったの。具合が悪いまま働いて、産んだら出ていくって。それを全部、一人で決めて」
リーリャさんの唇が震えた。
返事の代わりに下がりかけた頭を、母が止める。
「ここにいて。子供もここで育てなさい」
「ですが、奥様……」
「あなたもその子も家族として暮らすの。だから勝手にいなくならないで」
リーリャさんが口を押さえた。
母は立ち上がり、彼女の肩へ触れる。何かを言いかけてやめ、その手で一度だけ肩をさすった。
「私、少し休むわ。ところであなた? お話はあとでゆっくりと聞かせてもらいますからね」
「え、あ、はい…………」
パウロは立ち上がりかけたが、母の氷のような視線を受けて座り直した。
母が食堂を出る。
兄が私のそばへ来て、小声で言った。
「母様のところへ行ってくる」
「はい」
呼び止めようかと迷う間に、兄は扉を抜けていた。
私はリーリャさんの隣へ椅子を寄せた。
---
~ルーデウス視点~
階段を上がりながら、さっきの父様の俺を見る顔を思い出した。
すっごい顔だった。あれは明日の稽古が怖い。
いや、それより母様だ。
リーリャさんが追い出されずに済んだからといって、母様が父様を嫌いになり、そのうち家を出ていったらどうする。
うまくいった、なんて喜んでいる場合じゃない。
寝室の前で足を止めた。
手を上げ、扉を叩く。
「母様。僕です」
「……どうぞ」
扉を開けると、母様はベッドの端に座っていた。
泣いてはいない。けれど俺を見ても、いつものように笑わなかった。
「具合が悪いんですか?」
「少し疲れただけよ。ルディも下で待っていて」
「あの、その前に一つだけ」
先に謝った方がいいか。
でもそれだと何をしたのか聞かれる。どうせ言うのだから、同じか。
「さっきの話は僕が作った嘘です。父様がリーリャさんを脅していたなんて聞いていません」
言ってしまった。
母様が俺を見る。
「リーリャさんに出ていってほしくなくて。でも父様が本当にあんなことをしたと思われたら、その……困るので」
「分かっているわ」
「え?」
もう一度、謝るつもりだった口が止まる。
「ルディが助けようとしているのは分かったわよ。あの人が悪いのもあの話を聞く前から分かっていたもの」
母様はベッドの上の布を引き寄せ、膝へかけた。
その端を指でならしている。
「でもね、すぐに何でも許せるわけじゃないの。リーリャには毎日顔を合わせていたのに何も言ってくれなかったことも怒っているのよ」
「……はい」
「だから少し一人にさせて」
俺は頷きかけ、もう一度母様を見た。
「父様のことは……」
「どうしてルディがそこまで心配するの」
だって、母様がいなくなったら困る。
ターニャも。父様も。生まれてくる子だって。
言おうとしたら、母様が先に手を伸ばしてきた。
「家を出ていったりはしないわよ」
俺の頭へ手が乗った。
それでようやく、息を深く吸えた。
「父様にもちゃんと謝るように言います」
「それは父様に任せなさい。あなたが代わりに謝っては駄目」
「はい」
「それからルディ。あなたはパウロと凄く仲がいいけれど……」
次第に俺の頭を撫でる手に力がこもった。
ギリ、ギリと頭を撫でる手、いや掴む手の力が強くなっていく。
「ルディはそんな大人になったらだめよ? シルフィちゃんを大事にしてね?」
「い、いた、痛いです。もちろんですよ。約束します母様。痛いです」
廊下へ出て、扉を閉める。
木目を見つめたまま、しばらく動けなかった。
……なんだか今後の生き方に、大きな釘を刺されてしまった気分だ。
リーリャさんにはずっと世話をしてもらっている。
俺が避けられていると思っていた時期にも、汗を拭く布も、寒い夜の毛布も、なくなったことはなかった。
隠していたロキシー先生のパンツを見つけられたときだって、誰にも言わずに戻してくれた。
あの日は、生きた心地がしなかったけど。
それにしても、うちの父様は節操がなくて参っちゃうな。
次に母様を悲しませたら、絶対に助けてあげないんだから。プンプン。
下から、椅子を引く音が聞こえた。
俺は階段へ向かった。
---
~ターニャ視点~
リーリャさんは勧めても椅子へ座ろうとしなかった。
「お食事をお出ししなければ」
「お母さまはお休みです。兄さまもまだ戻っていませんし」
「ですが……」
声が続かない。
私は椅子の背へ手を置き、彼女を見上げた。
パウロは食卓の向こう側で立ったまま、こちらを見ている。今は何も言ってくれるなと思ったが、幸いにも口を開かなかった。
ようやく座ったリーリャさんへ、きれいなハンカチを渡す。
受け取った手はいつものように指を揃えていた。その手で目元を押さえても、涙は止まらない。
「ルーデウス様にあのようなことを仰っていただけるとは……」
途中で息を継ぎ、またハンカチを当てる。
私は隣へ腰を下ろした。
「兄さまは勝手に話を進めるところがありますから」
余計な言い方だったかもしれない。
こちらへ向いた顔を見て、続ける言葉を探す。
「ですが先ほどの、弟か妹だという話は」
「……はい」
「私も同じです」
リーリャさんの手が腹へ下がった。
私もそこを見た。まだ服の上からは、何も分からない。
「お気遣いありがとうございます。ターニャ様」
また頭を下げようとする。
私は思わず、その袖をつかんだ。
「気を遣って言っているわけではありませんよ」
人手が足りない、子供の世話がある。そう口にしかけて、やめた。
それでは仕事さえ片づけば出ていっていいと聞こえてしまう。
「私は、あなたに出ていってほしくありません」
リーリャさんがこちらを見た。
私は袖をつかんだまま、指を離せなくなった。
「……ターニャ様」
彼女の手が私の手に重なる。
濡れた布を持っていたせいだろうか、指先が冷たい。
「ここに、いてもよろしいのでしょうか」
「お母さまがそう仰いました」
それからもう一度頷いた。
「私からもお願いします」
リーリャさんは口元へ布を当てた。
何か答えようとしたが声にならなかった。
私は隣に座り直し、彼女が手を離すまで待った。
---
翌朝、食卓へ来たパウロの目の下には、薄く隈ができていた。
母は既に席に着いている。
「おはよう、ゼニス」
「おはよう。あなた、水を注いでもらえる?」
「お、おう」
父は手を伸ばし、母のコップへ水を注いだ。
何もかも元どおり、という朝ではなかった。
母はリーリャさんへ座るように言った。父が自分の隣の椅子を引いたが、リーリャさんはそちらへ行かず、私の隣へ座った。
父は空いた椅子を戻し、自分の席へ帰る。
兄が何か言おうとして、パンを口へ入れた。
食後、私たちが皿を運んでいると、リーリャさんが兄へ声をかけた。
「ルーデウス様。昨晩はきちんとお礼を申し上げられず……」
「僕は思ったことを言っただけですよ」
兄は手にした皿を、低い台へ置いた。
リーリャさんがその前へ深く頭を下げる。
「私もお腹の子もこのご恩を忘れません」
「そんな、大げさですよ。顔を上げてください」
兄がこちらを見た。
私に振られても困る。私は自分の皿を置き、戻り道を空けた。
それからリーリャさんが兄を呼び止めることが増えた。
本をしまうときに内容を尋ねたり、洗濯物を渡しながら村での話を聞いたりする。兄も最初は戸惑っていたが、魔術の話を聞かれると長い。
ただ何か頼むたびに深々と頭を下げられると、兄は決まってこちらを見る。慣れてもらうしかない。
母とリーリャさんが台所で二人だけで話していた日もあった。
私は入らず、畳んだ布巾を籠に入れて待った。
後で出てきた母が籠を見て私に礼を言う。リーリャさんの目元は赤かったが、その日の夕食では、二人で煮込みの塩加減について話していた。
数日後、私は台所へ呼ばれた。
「ターニャ様。お時間はございますか?」
「はい。何か運びますか?」
「今日はスープを手伝っていただこうかと」
戸口で足を止めた。
これまでは洗い終えた食器を拭くところまでだった。
「料理ですか」
「少しずつ、こちらも手伝っていただければと思いまして」
なぜ私が料理まで……。助けになるなら仕方がない、か。
「はい。お願いします」
リーリャさんは小さな桶と野菜を作業台から下ろし、私の届く場所へ置いた。
水は持ち上げてもこぼさない量しか入っていない。
「まずはこちらの泥を落としてください。葉の根元に残りやすいのでそこをよく見て」
袖をまくって野菜を取る。
外側はきれいになっても、根元を開くと細かな土が出てきた。二度洗い、三度目の水でようやく濁らなくなる。
「これでいいですか?」
「はい。ではこちらへ」
彼女が刻んだ野菜を、私が大きめのボウルへ移す。
切るのを任されなかったことには異論はない。まだ早いと判断されたのだろう。
「煮る順番は決まっているんですか?」
「火の通りにくい物から入れます。全部一緒では葉が煮えすぎてしまいますので」
「同じ大きさに切れば揃いませんか?」
「同じ野菜でしたら。その葉と根ではそうはいきませんよ」
確かに厚みを揃えるだけでは足りないか。
鍋を覗こうとすると、リーリャさんに袖を引かれた。
「そこは熱いですから中を見るときは私を呼んでください」
「分かりました」
兄が台所の前を通りかかった。
私の前に並ぶボウルを見て、顔を出す。
「今日はターニャが作るの?」
「手伝いです」
「味見なら俺も――」
「ルーデウス様。そちらの洗った布を運んでいただけますか」
兄の足元には干し場へ持っていく籠があった。
「……わかりました」
籠を抱えた兄が、後ろ髪を引かれる様子で出ていく。
リーリャさんはその背中へ「ありがとうございます」と声をかけ、鍋へ向き直った。
野菜が煮える頃、リーリャさんは火を弱め、私へ柄の長い木のスプーンを渡した。
リーリャさんが鍋を押さえ、そばへ立つ。
「底からゆっくり混ぜてください」
言われたとおりにスプーンを動かす。思ったより重い。
鍋の縁で止めると、彼女が手を添えた。
「力を抜いて。お芋を潰さないように」
「……はい」
私はスプーンを持ち直し、今度は鍋底に沿わせて動かした。
転移事件までは、毎日投稿ができそうです。
原作に沿って書いているので、かなり展開が遅めですが、気長にお待ちください。